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小説『二千年代の乗り越え方』略称"2000s"

NPО法人 わたしたちの生存ネット 編著

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乳幼児期からの人格の形成過程

  私は本気で、遺伝子操作抜きの生物資源の開発に専念するようになった。それは単なる見せかけでなくなった。原子核操作も、遺伝子操作も、小惑星操作も、やらないにこしたことはないと思った。また、そんな微小な世界や大自然ではなく、小さな自然や街中で発見をしてみたい、と思った。
  この頃の「研究補助者」は、研究に直接係わらないが、ロボットにできない微妙な操作を担い、実験観察に不可欠な存在だった。その中に政治的権力または経済的権力の「スパイ」が混じっているというのは、もはやA1大学の研究者の常識だった。私は、遺伝子操作抜きの生物資源の開発に専念し、それ以外のデータをどこにも残していないので、単なるスパイは恐くない、と思っていた。
  ある日、Tが研究補助者として私の研究室に入ってきた。彼女はすごい容姿をもち、いかにも二千年前後の映画にあった「女スパイ」という感じだった。そんな女スパイが私の研究室に入って来て、私は映画の主人公になったような気分だった。
  ある日、研究室で私とT以外、誰もいない時間があった。私は「T」と呼んでみた。Tは飛んで来て、私に身を寄せて来た。やっぱり「女スパイ」だ…
。。。
  さて、A国に農地は少なく、A1大学も研究用の農地をもっているが、貴重なものだった。「田園風景」というようなものはなく、南端は高層ビルの影で植物の生育に支障を来たす程の農地だった。その農地が実質的に私の研究所だった。学生の実習生も来た。Tはその引率もした。この時代、農業の体験は、限られた者が一生に一回できるか、できないかだった。また、土と泥は貴重な資源だった。学生たちは泥んこ遊びを喜んだ。それはいい。実習が終わった後の洗面所での土や泥の流出が危惧された。だから、Tは泥んこ遊びのマナーを教える幼稚園の先生のようになった。
  学生が帰った後は、私とTが泥んこ遊びをよくした。この時代、泥んこ遊びは最高級の贅沢だった。泥にまみれるTの体も最高級だった。薄暮の中でも輝いて見えた。お互いに疑似恋愛でも割り切れば楽しいものだ。彼女も楽しんでいるようだった。それこそプロだと思った。売春や水商売もそうではないかと思った。ただし、彼女らも相手次第だろう。私はTにとっては悪くなかったのだろう。悪くはない、それだけのことである。
  そんなとき、A国のM将軍が私との密会を提案してきた。避けられないと思い、私は応じた。M将軍は私の研究室までカジュアルな服装で来てくれた。Tが紅茶を煎れて持って来た。M将軍とTが敢えて目を合わせないようにしていることが分かった。M将軍は「あなたの遺伝子操作技術の優秀さは周知のところです。生物学的兵器の開発にも参与してもらえないでしょうか…A国は生物学的兵器においてB国に相当な遅れをとっている…」と丁重に言う。M将軍のような権力者が普段、使い慣れていない敬語を使うと、不気味な感じがする。A国が生物学的兵器においてB国にそんなに遅れをとっていないことを、私は同僚Xらが集めた情報を見て知っていた。私は笑って「私は生物資源開発の専門です。しかも、遺伝子操作なしの開発です。伝統的な選別淘汰による品種改良を目指しています。食糧の開発は今、最も重要なことでしょう」と。実際、それらはすべて本当で本音だった。M将軍は「それはもっともなことです。ですが、生物学的兵器の開発にも、少しばかりお力を貸していただけないでしょうか」と同じ丁重さで言い続ける。結局、私が「考えておきます」ということで収まった。とりあえず危険は避けられた。だが、後に私はM将軍に文字通り「考えさせられる」ことになる。
  M将軍はマゾヒストでもサディストでもなく、支配性と破壊性と権力欲求の強い人間だ。権力欲求と、ニーチェの言う「権力への意志(Der Wille zur Macht)」とは全く異なる。ニーチェのいう「権力」は、政治的経済的なものを超えた深遠なものを指す。それに対して、権力欲求の「権力」は単なる政治的経済的権力を指す。だが、権力欲求が強い人間も単純ではない。粘着し自己顕示しつつ権力を露骨に狙う人間もいれば、自他を破壊してでも権力を狙う人間もいれば、それらの傾向を自制して虎視眈々と権力を狙う人間もいる。M将軍はそれらの三番目だと思った。最もたちの悪い筋金入りである。いずれにしても、私はM将軍に必要とされている。P教授のようにいきなり暗殺ということはない。されるとしても父と同様の拉致、拷問だと思った。それならなおさら「遺伝子の塩基配列以外のものを変えるなかれ」だ。
  A1大学で、P教授と同様の「交通事故」はさすがになかった。だが、いきなり消息不明になった研究者はいた。それは例の拉致だろう。また、実験中の事故で亡くなった研究者がいた。それは例の暗殺だろう。この頃の実験機器は極めて安全で、事故など起こりようがないのである。私とTの恋愛は疑似ではなくなりつつあるような気がした。私とTの泥んこ遊びは下火になった。泥などという分け隔てなしに愛し合っていた気がする。Tは次第に語ってはならないことを語り始めていた。
  M将軍は乳幼児期、母親に愛してもらえず、母親に粘着し自己顕示し母親を支配し破壊し続けた。やがて他人にも同様のことをするようになった。大人になってそれらが権力欲求として現実化した、とTは言う。同様のことは、A1大学の臨床心理学のR教授が言っていた。それらのことは権力者全般に言えるらしい。つまり、前述の権力者の分類は子細なものだということだ。
  Tは自分のこともよく語る。Tは母親に愛してもらえないどころか、虐待されていた。Tの父は自分が生まれて間もなく、離婚し去って行ったらしい。ものごころ着いた頃には、Tの母は再婚していた。その義父はTに無関心だった。母は義父の歓心を買うために、Tを放置し始めた。Tが泣くと、母はTを殴ったり蹴ったりした。Tが泣き続けると、母はますます激しくTを殴って蹴り倒した。Tは泣くこともできない状態になった。義父はそんなところを冷ややかに見ていた。そのようにしてTが静まると、二人は性交渉を始める。すると、Tはしばらくの間は殴られることはないと安心し、台所に行って冷蔵庫を開け、手当たり次第に食べ物を取って食べた。それが分かるとまた、母は…。大人になって、他所の子供の泣き声を聞くだけで、Tは可哀想でたまらなくなる。それと同時に、可哀想な鳴き声を止めて、もっと激しく泣かせたい、泣けなくなるぐらいに痛めつけたい。そんなことを思っている自分に気づいた。可哀想な鳴き声を聞くと、たまらない。だから、もっと激しく泣かせる。あるいは泣けないほど痛めつける。それは人間の本能かもしれない…などとTは語る。さらに、M将軍は、可哀想に泣く人間に耐えかねて、残虐な行為に及んでいるのかもしれない、と言う。私は、仮に人間にそのような本能があるとしても、そのような本能は自制される必要があると思った。人間や動物の本能や欲動のほとんどは抑制される必要がない。だが、そのような本能や欲動があるとすれば…である。
  Tはそれらのことをよく語った。考えてみると、TがM将軍を知っていることさえも言ってはならないことだろう。私はTが語ったことを誰にも言わなかった。私はM将軍のことを語り過ぎるTのことを気遣った。あるとき、私はTに「M将軍のことをあまり語らないように」注意してしまった。それをTは嫉妬ととったようだ。「嬉しい」と抱き付いて来た。Tは「もうM将軍に使われるのは嫌だ。だけど、どうやってM将軍から抜け出すの?」と、完全に正体を私にばらしてしまった。これはTの私に対する愛の告白だ。それと同時に、私とTの関係を命懸けの恋にしてしまう…女スパイTの無意識的な策略だろう。ようし受けて立とう、と思った。Tをスパイの世界から抜け出させるにはどうすればいいのか。Tらを支配しているのはM将軍だ。それより、P教授の暗殺を命令したのもM将軍だろう。さらに、父の拉致拷問と死の粉飾を命令したのもM将軍だろう。M将軍を暗殺しようと思えばできないことはない。私と地下に潜っている同僚XとZが本気になれば、M将軍を暗殺できる。だが、それでは私たちを含む同僚の何人かが犠牲になる。また、少なくともA国において私たちが準備してきた革命が台無しになりかねない…などと考えていた。
  そんなことを考えているある日、Tは突然、消息不明になった。

生まれ育った自然と人々

  夏休み、私と妻と二人の子供は南洋の島国E国で、既に移住している母と妹たちと過ごした。妻子には「夏休みを南洋の島国で過ごそう」と説明した。だが、実際は私の来るべき潜伏のために、妻子の疎開先を探っておくためだった。結果としては、そのまま妻子は疎開することになった。妻は例の「都会の中で生息し絶滅しつつある水生動物」を例のグループの他の会員宅に預けた。E国ではA国語が通じた。母と妹は父が亡くなる前にE国に疎開した。父の死後、妹は現地の現在の夫と結婚し、現在のところ子供が三人いる。私は父の死の背後にあるものを母や妹に語らないようにした。
  妹はもちろん、母もこのE国が気に入っている。だが、母は生まれて育ったA国が懐かしいようだ。母も父も私も妹も妻子も、A国の大都市で生まれて育った。大自然の中で育ったわけではない。だが、母は言う。都会の中にも自然がある。近所の公園の林や池が恋しい。その公園にもトンボがいた。池に映ったビルの谷間から見える青空と、水面をかすって涼しげに飛ぶトンボは忘れられないと言う。そのように限られた自然の思い出しかないが、懐かしいらしい。また、食べ物は懐かしいらしい。遺伝子操作された野菜でも培養肉でも懐かしいと言う。そのような母を自由で安全になった母国Aに返してやりたい。それが父にできなかった親孝行だとも思う。だが、母にしてみれば、妹やその夫やそれらの子供と暮らすほうが幸せなのかもしれない。だが、ときに故郷に帰るのはよいものだろう。いずれにしてもA国が安全で自由になってからだ。
  多くの人々にとって、国家や国家権力や国家主義や愛国心はどうでもよく、生まれて育った自然や食べ物や人々が恋しい、ということを痛感した。二千〇〇年、世界で国旗や国歌を誇示する風潮は衰退していた。もし国歌が必要だと言うなら、古典的な故郷の自然や人々を偲ぶ歌にすればよいと思った。今は衰退した某経済大国にあった♪兎(うさぎ)追いしかの山、小鮒(こぶな)釣りしかの川♪もよいのだが、♪志(こころざし)を果たして♪が余計である。志なら何でもよいというものではない。政治的権力や経済的権力を何でもよいから獲得して振るう志を果たしてもらっては困るのである。その某経済大国も、政治的経済的権力者が、経済安定化ではなく、経済成長を目指したために、経済安定化も果たせなかった。♪独り立ちを果たして♪などに変えればよいと思う。♪父母(ちちはは)♪にしても独り立ちもできないまま帰って来てもらっては困るだろう。人間的な独立が悪いという人はいないだろう。
  この辺りでは遺伝子操作されていない自然な食材が獲れる。小イワシや小アジは、魚市場で買ってきて焼くだけで旨い。鶏肉は、普通の食料品店で買ってきて炒めるだけで旨い。私の子供たちは、妹の子供たちから水中眼鏡だけの素潜りを教わった。この辺りは数十年前までサンゴ礁だったらしい。その光景を覚えているお年寄りにとっては、この光景は哀れなのだろう。だが、何であれ海と砂浜は、子供たちにとっても私にとっても大自然だ。太陽の光が海底にも差して、波が白砂に映って揺れる。そのような白砂を子供たちがかすって浮く。私も泳いで潜って子供の群れに参加しようとしたが、追いつかない。名前も分からない小さな魚の群れに子供の先頭が突っ込み、魚の群れが散乱してキラキラ光る輪を作り、後続が貫けることもあった。おかげでみんな日焼けした。私については、A国に帰った時に「潜伏者にしては健康的過ぎる。潜伏者には向いてない」と同僚から言われた。

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