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小説『二千年代の乗り越え方』略称"2000s"

NPО法人 わたしたちの生存ネット 編著

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[目次]

[作中の人間、社会、自然(アルファベット順)]
    A国:超大国
    A1大学:A国の大学
    A2大学:A国の大学
    AK癌:難治性癌
    AM山:A国の広大な山
    AP大統領:A国の大統領
    AV:A国の不変遺伝子手段の一種
    B国:超大国
    B1大学:B国の大学
    BP大統領:B国の大統領
    C国:超大国
    D国:大国
    D1市:D国の大都市
    E国:小国、南洋の島国
    EP:E国原産のシソ科植物
    F国:小国
    G:A国の反政府グループ
    G1,G2…:グループGの分枝
    GF:見せかけの反政府グループ
    H:B国の反政府グループ
    I:私の夢に出て来る
          少女のような顔をした白髪の老婆
    J:A国のスラム街の居酒屋の客
    K:A国のスラム街の売春婦
    L系:自由権を擁護する法の支配系
    M将軍:A国の軍所属
    N大佐:A国の軍所属
    O参謀:A国の軍所属
    P教授:A国A1大学所属
                憲法と政治制度の比較研究
    Q教授:A国A2大学所属
                遺伝子操作
    R教授:A国A1大学所属
                臨床心理学
    S系:社会権を保障する人の支配系
    T(♀):A1大学の研究補助員
                スパイ
    U(♀):C国の元革命家
    V(♂):B国の反政府グループHの同僚
    W(♂):F国出身の同僚
    X(♀):A国の反政府グループGの同僚
    Y(♂):A国の反政府グループGの同僚
    Z(♂):A国の反政府グループGの同僚

[注一]上記の記号に例えば、A→America, B→Britain, C→China, G→God, M→Masochist, V→Victor のような意味は一切ありません。
[注二]題名中の「二千年代」とは二千年から二千九百九十九年までのことを指します。
[注三]この小説の目的は、人間または進化した人間を含む生物が地球や太陽の激変のときまで生存するとともに、人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛を減退させ、自由を確保する方法を提示することにあります。ただ、できるだけ身近なものと感じて頂くために、上記題名をつけました。また、苦痛について、人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛を減退させる必要があるという立場です。それに対して、快楽はそれぞれの個人が完全な自由において追求する必要があるという立場です。快楽のあり方までに干渉するものでは全くありません。


独裁、独占、全体主義、全体破壊手段

  高層ビルが延々と続く。だが、遠くの山が遮られることはない。空の汚染は今日はないようだ。風が強いからだろう。山と山の間に少し海が見える。その向こうに太陽が沈んだ。西から東に向けて空色が紅色から薄紅色、水色、紺色へと変わる。ところどころに雲が流れる。二千〇〇年、密集と高層化が頂点に達していた。このように空を見渡せるのは、都会の中では高層ビルの屋上だけだった。P教授と私は超大国AのA1大学の屋上から会議室に向かった。これから教授会が開かれる。P教授は、諸国の憲法と政治制度の比較研究をする。私は、農作物の遺伝子操作の研究をする。私は四十近くで、P教授は私より二十歳ほど年上だった。だが、互いに友達だと思っていた。一週間に一回は飲み明かす。政治、経済、国際政治、軍縮から、一般市民の生活、人生まで、何から何まで語り合っていた。
  会議室に入ると、他の教授がP教授と顔を合わせないようにしているのが分かった。学長が全体に「残念だが、法学、政治学、国際政治学、歴史学、哲学、美学、文学の研究費と施設利用は半減となる。環境を保全し、資源を有効利用し、適正な人口を保ちつつ、市民の健康な生活を維持する研究に私たちは専念しなければならない」と言う。その後、学長はP教授をちらっと見て「私も残念なのだが…」と小声で言う。P教授は即座に応える。「自然を保全しつつ市民の生活を健康的なものにするためには、政府の政策の偏りを修正する必要がある…」
  P教授はもっと激しく言いたいのだが、この場では自制している。二千〇〇年、環境・資源はますます悪化・枯渇し、日常生活を含む経済活動が著しく制限されていた。世界の人口の指数関数的増加は止りつつあるが、それは、パンデミックと、大規模な飢饉や食糧難と、戦争と虐殺によっていた。そのような環境、資源、人口、経済、生活、パンデミック、飢饉や食糧難に対処するという名目で、ほとんどの国家、地域で政治的権力と経済的権力と軍、警察…などの公的武力が連携して、実質的な独裁と独占を敷いていた。自由権と民主制は形式だけのものとなっていた。それで自然が保全され市民の最低限度の生活が保障されていればまだよかった。だが、それらの独裁と独占は、政治的経済的権力者の利権に繋がるだけで、市民の最低限度の生活はおろか、自然の保全のためにも機能していなかった。自由権と民主制が形式だけのものとなった第一の原因は、選挙やレフェレンダムを管理する情報科学技術が権力者の都合のよいようにカスタマイズされていたからである。また、核兵器を始めとする全体破壊手段は、縮小や廃止どころか増強され、地下や海底だけでなく宇宙にも広がっていた。全体破壊手段の使用は、人口抑制どころではなく、人間を含む生物を絶滅させる恐れが十分にあった。全体破壊手段を保有する超大国の衝突は、たとえ大戦とならず、二国間の戦争で済むとしても、全体破壊手段の使用と絶滅を来す恐れが十分にあった。また、前述の戦争と虐殺が大戦に発展し、全体破壊手段が使用される恐れはいつでもあった。それらが危機として認識されたことは千年代末から何度かあった。その直後は全体破壊手段全廃の必要性が少しは叫ばれた。だが、全廃どころか縮小にも至らなかった。全体破壊手段を保持する権力者たちは「抑止論(Deterrence theory)」で全体破壊手段を正当化した。一般市民の一部はそれで納得した。抑止論は全体破壊手段を保持し管理する者が理性的であることを前提とする。だが、彼らの理性が揺らがない保証はない。また、抑止論は全体破壊手段が人間の意図通りに作動することを前提とする。だが、人間が予期できない故障、老化、事故による暴走、暴発はありえる。例えば、自然災害によるそれらはありえる。また、部外者の攻撃、侵入、操作による暴走、暴発はありえる。また、二千年前後には、全体破壊手段(当時は核兵器のみ)の全廃を目指す者を冷笑する余裕が人々にあった。今はそのような余裕はなく、諦めしかなかった。私たちは、諦めないだけでなかった。私たちには全体破壊手段を全廃し予防する見込があった。また、独裁制を倒し「民主的分立的制度」を確立する見込みが十分にあった。だから、全体破壊手段を全廃し予防する見込みは十分なものになっていた。

民主制、権力分立制、法の支配

  会議室は高層階にあり、窓もある。太陽が沈んだ後でも西の空が赤く澄んでいる。学長は「人間を含む生物の生存のためには、生存に直接かかわる研究に重点を置かなければならない」と言う。P教授は応える。「私たちの研究によって、諸国の政府の政策が、環境の保全と資源の有効利用と市民の生活のためにも成果をあげていないことは、実証されている。そこでは自由権と民主制が必要であり、学問の自由をもって政府と議論する必要がある」
  前述のような環境、資源、人口、経済、生活、パンデミック、飢饉や食糧難に対処することは、社会権を保障することでもある。人間の生活を含む生物の生存を保障することとも言える。諸国の政治的経済的権力はそのような生存を保障することを名目として、独裁と独占に走り、人間の自由を大幅に制限していた。それは全体の生存のために個人の自由を制限することでもある。生存の保障のために全体主義に走ることでもある。そのような生存が保障されていればまだよかった。P教授の言うとおり、諸国の独裁政権はそのような生存のためにも機能せず、生存も危うくなっていた。そのことを市民は日常生活で実感していた。さらに、そのことを諸国の研究者は科学的に実証していた。P教授はこの場だから学問の自由などの言葉を使わざるをえないのだが、学者や科学者も含む市民の言論の自由が必要なのである。言論の自由がなければ、政治的経済的権力の政策や経済計画は、批判されず、偏向し、自由どころか生存にも適さないものになる。つまり、自由のためには生存はどうなっても構わない、というのでは全くない。自由の確保はそれ自体が目的であると同時に、生存を確保するためにも自由を確保する必要がある。そのことは既に二千年より前に、例えばマルクス主義の失敗として明らかになったことである。マルクス主義の失敗の原因は以下のとおりである。言論の自由が擁護されず、民主制がなく選挙がなかったために、政策立案者が、批判されず、互いに競争せず、政策を切磋琢磨せず、適正な経済計画を立てられなかった。つまり、彼らが本領とする経済計画において彼らは失敗した。また、彼らは階級闘争を本領とするが、プロレタリアートの中にも階級闘争があることを見落とし、それを解決する方法を考えていなかった。そのために彼らは権力闘争に明け暮れ、経済計画に専念できなかった。過激な権力闘争を予防するためには、市民が政権担当者を選挙してあげる必要がある。何も民主制や選挙が完全というのではない。だが、選挙はむき出しの武力闘争よりましであり、犠牲者が少ない。また、民主制に世論操作はありえる。だが、世論操作は武力による弾圧よりましであり、犠牲者が少ない。そんなことをP教授と私はよく語り合っていた。
  さらに、市民は、民主制でもって国家権力を直接的に抑制するだけでなく、国家権力を分立させ相互に抑制させる必要がある。P教授と私が重点を置いたのはその権力分立制である。二千年代に入ってしばらくは民主化が進んだ。だが、独裁制が再興した。その原因の一つに市民が権力分立制を軽視したことがあった。市民が権力を分立し、分立した権力を相互抑制させることは、実に巧妙な手段である。法の支配の真髄は、市民よりむしろ、権力者を法に従わせることにある。市民については、一時的な熱狂や多数派の横暴さえも抑制することにある。

国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立すること

  さらに、三権分立、地方分権、文官と武官の分立、警察と軍の分立だけではない。二千年を過ぎてしばらくして、世界の政治的経済的権力者が生存の保障という名目を掲げることによって独裁へと逆行した反省から、国家権力を「自由権を擁護する法の支配系(L系)」と「社会権を保障する人の支配系(S系)」に分立することが模索されていた。自由権は、市民が公権力に普段は介入させず、それが侵害されそうなときだけそれを擁護させる権利である。それに対して、社会権とは、それが保障されるために、公権力に経済、労使関係、医療福祉、生活、教育文化、人間と自然との関係、人口…などに、常時、積極的に介入させ、公権力を機能させる権利である。
  自由権を最も直接的に侵害しえるのは、軍、警察…などの公的武力である。公的武力を監督または掌握する文官は公的武力を乱用することによって、間接的に自由権を侵害しえる。それと同時に、自由権を直接的に擁護できるのも、暴力等を直接的に抑制できる公的武力である。また、公的武力を監督または掌握する文官は、公的武力に憲法と法律を遵守させることによって自由権を間接的に擁護することができる。警察は国内で横行する暴力を、犯罪容疑者の逮捕という形で抑制し、自由権を擁護することができる。軍は国外から侵入する暴力を、国防という形で抑制し、自由権を擁護することができる。また、立法権は立法によって、司法権は司法によって、自由権を擁護することができる。さしあたり、そのような自由権を擁護することができる公的武力を含む行政権と立法権と司法権を「自由権を擁護する法の支配系(L系)」と呼べる。ただし、L系が自由権を擁護するためには、厳密な民主制と三権分立制と法の支配が機能する必要がある。厳格なそれらをさしあたり「自由権を擁護するための政治制度」と呼べる。また、民主制と三権分立制と法の支配は、自由権だけでなく、民主制と三権分立制と法の支配そのものを維持し、独裁への逆行を予防する機能をもつ。ただし、L系が民主制と三権分立制と法の支配を維持し独裁への逆行を予防するためには、やはり厳密な民主制と三権分立制と法の支配が機能する必要がある。厳格なそれらを「自身を維持する政治制度」または「独裁への逆行を予防する政治制度」とも呼べる。そのような自由権を擁護し民主制と三権分立制と法の支配を維持する可能性をもち、厳密な民主制と三権分立制と法の支配が機能する必要がある系を、国家権力の「自由権を擁護する法の支配系」「自由権を擁護する系」「法の支配系」「L系」…などと呼べる。
  それに対して、経済を安定化させ、市民の健康な生活を維持し、環境を保全し、資源を保全しつつ有効利用し、適正な人口を維持し、人間を含む生物の生存を保障することは、社会権を保障することである。そのような社会権の保障のためには、行政権が積極的に機能する必要がある。この系においては、あまりに厳格な民主制、三権分立制、法の支配は、必要でないだけでなく弊害である。そのような社会権を保障する可能性をもち、人間的な民主制と緩やかな三権分立制と法の支配が機能する必要がある系を「社会権を保障する人の支配系」「社会権を保障する系」「人の支配系」「S系」…などと呼べる。
  それらの系を分立させることによって、私たちは厳格に抑制し相互抑制させるべき部分を徹底的に抑制し相互抑制させ、あまりに厳格に抑制するべきでない部分を効率的に機能させることができる。抑制と相互抑制の重点を明確にするこができる。市民にとっても、立法権にとっても、司法権にとっても、抑制の重点が明確になる。
  また、それらの系が分立しているとき、S系は独裁や全体主義に走るための武力をもたない。他方、L系は社会権の保障や生存の保障という名目を立てることができない。そのようにして、政治権力が独裁や全体主義に走るための名目と権力がともに消滅する。それらの系の分立は、政治的経済的権力者が、人間を含む生物の生存の保障を名目に自由権、民主制等を蹂躙し独裁や全体主義へと走ることに釘を刺す。それらの系の分立は生存と自由の両立を可能にする。
  また、自然の保全から経済の安定化から市民の最低限度の生活の保障に至る社会権の保障のための行政は多くが連動しており、それらの政策は総合的に練られなければならない。また、社会権の保障のための行政権を複雑に分岐させることは、行政の効率性を低下させ公的経費を増大させる。だから、社会権の保障のための行政権を一つの機構としてもよいぐらいである。それに対して、自由権の擁護のための行政、例えば、犯罪の抑止や国防と社会権の保障のための行政が連動する必要はなく、それらの政策が総合的に練られる必要はない。それどころか、それらの連動は、国益のための戦争などに繋がり、弊害である。そもそも、自由権の擁護などのためには三権は憲法と国際法を厳守していればよい。だから、それらが連動し、それらの政策が総合的に練られることはあってはならない。
  それらのことから、私たちは国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立する必要がある。
  私たちは、自由権を擁護する厳格な法制と、社会権を保障する緩やかな法制と、民主制と、L系とS系への分立を含む権力分立制と、法の支配を「民主的分立的制度(Democratic and separative systems)」と呼んでいた。P教授は既にそれらを、集大成し、まとめ、一般市民にも分かりやすく整理していた。二千年前後の憲法と政治制度論は、一般市民に分かりづらかった。それをP教授はサマリーで分かりやすくした。その簡略化に私との語り合いが役に立った、とP教授は認めていた。その集大成とサマリーは既にネットワークで世界中に公開され、市民の間で静かに支持されていた。P教授は、自身が集大成しまとめネットワークで公開したもののほんの一部を言っただけである。

潜伏前夜

  窓の外の西の空にはまだ明るみが残っている。しばらくして、私は異変に気付いた。普段なら教授会の裏方は小奇麗な学長の秘書二人が務める。それが、秘書っぽい服装に隠されてはいるが、いかにも鍛えられた体格の男女数人に変わっていた。会議の内容に無関心な振りをしているが、ときに鋭い視線を会議の参加者に投げかける。私は何かがおかしいと思った。
  議論が延々と続くことを予感した学長は「あなたの気持ちはよく分かるが、憲法の比較研究の国際大会を中止してもらえないか」とP教授にお願いを始めた。
  P教授は過去から現在までの世界中の憲法と政治制度を比較検討する国際大会を主催者として計画していた。そのような会議で民主的分立的制度が支持されるのは明らかである。既に民主的分立的制度はネットワークで公開され、世界の市民に静かにだがしっかりと支持されていた。政治的経済的権力者はその支持が過激になることを恐れ、学長に圧力を掛けたのだろう。結局、学長はそれが言いたかったのだ。P教授は呆れて物が言えない。他のいくつかの教授から、国際大会の中止はできるものではないという中立的意見が出た。学長は堰切って言った。「いずれにしても、このA1大学の大会議室を利用することはできない」と。P教授は「なんだ、それが言いたかったのか。はい、分かりました。この大学の大会議室は利用しません」
  後は些末な議題があるだけで、教授会は終了した。結局、学長はそれをP教授に言いたかったのだ。いやそれだけではない。あの秘書を装う男女は何なんだ。何かある、と思った。会議が終わる頃にはそれらの男女は既に立ち去っていた。会議の後片付けもあるというのにである。その後片付けだけは、いつもの秘書が来てしていた。やっぱりおかしい。私とP教授は、会議室を出て、それぞれの研究室に向かった。廊下にも窓があり、外を見ると、空は紺色で、高層ビルの灯が際立っていた。
  後はP教授の研究室で飲み会となった。私と何人かの研究員は私の研究室にある農作物とワインの試作を持って行った。二千〇〇年、世界的に、既に魚類とも哺乳類とも鳥類ともつかない培養肉が実用化し、「人工光合成」の研究が進んでいた。一見自然に見える農作物も遺伝子操作が進んでいた。それらの人工、半人工の食糧の味は落ちてまずくなっていた。旨く自然に近い食糧の生産は限られ、価格は高騰し、政治的経済的権力者とその家族しか食せなかった。私たち研究者の待遇は低く、普通なら、前者しか食せなかった。それらに対して、私はできる限り自然に近い生物資源の開発に努めていた。自分で言うのもなんだが、私の開発した食糧は味は比較的よく、価格は比較的安価で、よく売れた。それらの一部をときに他の研究室に、特にP教授の研究室に無料で配っていた。また、このA国の政府はアルコール飲料の製造販売を独占し、あろうことに鎮静剤を混入させていた。だから、公に流通する「政府公認」の酒類はまずいだけでなく、酔いを味わうまでもなく眠くなった。混じり気のない本物の酒類は「密造酒」であり、厳禁だった。私の研究室は食糧資源を利用して自然なワインも試作していた。試作、試飲のみで製造販売しないという条件で、密造酒にはならなかった。それらを私はいつも台車に乗せてP教授の研究室まで運んでいた。私の研究室のスタッフのうち信頼のできる数人も参加し、どちらが自分の研究室なのか分からなくなっていた。
  私と研究員が行くと若手の研究者から歓声が巻き起こった。もちろん歓声は食糧とワインに対してである。そのようにして私たちはP教授研究室所属者と、私の研究室所属者と、どこから来たとも知れない市民からなる反政府グループGを自然と結成していた。
  P教授が「世界大会の成功のために」と乾杯の音頭をとり、見るからにワインが減っていく。
  私の研究室出身の同僚X(♀)が、野菜を抱きかかえて簡易台所にもっていき、炒め物を作り始めた。Xは情報科学技術に関しては世界的超一流で、各国の政府と軍の情報をかっさらっていた。また、P教授の集大成とサマリーと私たちの研究成果を、どのような検閲や妨害にも負けずに公表するネットワークを構築していた。人工衛星も一機乗っ取っていた。
  P教授の研究室出身の同僚Y(♂)は、酒を飲めない飲まない。研究一筋。この日もワインに手を付けず、野菜だけ食っていた。現行の独裁制が、環境を保全し資源を有効利用し人間を含む生物の生存を保障するためにも機能していないことを、最初に実証したのはYである。その成果は、Xが作ったネットワークで世界中に公開され、各国の同様の研究をリードしている。
  暴力革命を目指す者もいたのだが、もっかのところP教授に追放されている。そのリーダーで一般市民出身の同僚Z(♂)と私は接触していた。彼らも成長し、今では、民主革命を目指し、それがかなわない場合にのみ、最低限度の武力を行使するという立場をとっていた。また、政府の弾圧に備えて、自衛のための武力を準備するととともに、地下を掘って潜伏所を作っていた。私はいずれ彼らを再吸収することをP教授に進言しようと思っていた。だが、今夜の教授会のような状況を考えると、私たちが、Zに吸収されて、Zが作る潜伏所に潜んだほうがよいのではないかと思った。だが、私たちの潜伏を許しても、P教授自身は絶対に潜伏しないと思った。

権力者による情報科学技術の乱用

  二十世紀前後には、科学技術、特に情報科学技術の進歩によって、人間の労働を機械やロボットや人工知能ができるようになり、市民は仕事を失い、不平等や経済格差が広がるのではないかという危惧があった。だが、どんなに科学技術が進歩しても、人間にしかできない仕事が多々、残る。例えば、機械がほとんどの生産をやってしまうような広大で生産的な農地はもはや世界的に少ない。大型機械の入れないような辺境や、はたまたビルの谷間や屋上や室内でも農業をやらなければならない。それには人手が要る。しかも、そのような非生産的な空間で生産するとなれば、農業に習熟した人手が要る。また、工作機械やロボットがどんなに進歩しても、ビルや道路や橋を建設するには、車や大型機械が入れないような更地や高所や水中の現場で資材を運び組み立てる人手が要る。しかも、機械の操作・点検・修理や安全管理に習熟した人手が要る。また、医療福祉や教育においても人工知能やロボットにはできない仕事がいくらでも残る。
  求職における競争は確かに激しくなった。だが、それは知的労働においてだった。知的階層でもほんの一握りの人々が本当に知的な仕事に就くことができた。だから、不平等や経済格差が激しくなったのは知的階層においてだった。それ以外の階層は依然として底辺だった。また、先進の科学技術を開発し利用する企業の競争は一時的に激しくなり、ほんの一握りの企業が生き残り、政治的権力と連携して独占へと進んだ。そして、人間を含む生物の生存の保障という名目の下に政治的権力の独裁が進んだ。結局、政治的経済的権力の独裁と独占が進んだ。
  この頃、世界の政治的経済的権力者は、自然の保全と経済成長と人々の健康な生活のための総合的な政策を「人工知能」を用いて策定している、それ以上の政策はない、と主張していた。それに対して、XとYは共同して、それらの情報科学技術が、権力者の利権に繋がるようカスタマイズされていることを、証明し暴露した。それは、世界の情報科学技術の権力者による乱用を暴露し批判する動きの先駆けとなった。悪化・消耗していく環境・資源を保全しつつ、それらの悪化・消耗によって逼迫する経済と生活を立て直す総合的な政策の作成は、非常に困難なものである。それは、人工知能が策定しようが、人間が賢明に策定しようが、両者が協調しようが困難である。そんなところへ政治的経済的権力者が自分たちの利権を加味させれば、それらの政策は、市民にとって不公正であるだけでなく、自然の保全や経済の安定化のためにも機能するわけがない。
  また、この頃、世界の政治的経済的権力者は、選挙やレフェレンダムの集計をロボットや人工知能にやらせており、それらの結果は公正であると主張していた。だが、情報科学技術がどんなに進歩しても、人間がそれに入力したり設定したりする余地は残る。権力者はそれらの結果も自分たちの都合のよいように操作していた。それが世界的に、民主制が名目ばかりのものとなり、独裁が進んだ第一の原因である。Xと私は共同して、そのような情報科学技術の乱用を暴露し批判した。その乱用を暴露できたのは、Xが世界の政府と企業のコンピューターに侵入できたからである。世界の政府と企業も侵入対策を練ったが、Xはその上を行った。二千年前後には人間に情報科学技術に対する不信があった。私たちの暴露によって世界の市民は、情報科学技術をむしろ信頼し、権力者に対する不信を深めた。
  さて、自分で言うのも何だが、野菜もワインも旨い。P教授は「大会をどこで開けばいいんだ」と頭を抱えている。最悪でもオンライン会議とし、会議の過程と結果をXらが構築したネットワークで公表できる。だが、P教授は実際の会議にこだわっている。その気持ちはよく分かる。やはり、対面で世界の学者たちと議論を交わしたいだろう。だがもはや、そんな状況ではないのではないか。今は潜伏のときではないか。だが、P教授はそのような進言を聞く状態になかった。
  最後までP教授に元気がない。普段ならP教授と私だけでも居残って朝まで飲み明かすのだが、この夜ばかりは午後十一時頃に切り上げとなった。

趣味や夢やライフワークや目的について

  家に帰ると、当然、妻と二人の子供は眠っていた。だが、爬虫類や両生類や魚類が蠢いていた。ほとんどが夜行性なのだろう。目と目が合う、と思うと、目にも止まらぬ速さで水草の陰に隠れる。砂が舞い上がる。私は妻と普通に出会い、普通に結婚し、普通に二児をもうけた。普通でないことが一つだけある。妻は「都会の中で生息し絶滅しつつある水生動物」の保護を小さなグループでやっていた。といっても、他の会員が、ビルの谷間を流れる川や公園の池で弱っているものを保護して来る。妻はそれを家庭で飼育または繁殖させるだけである。だからこそ、家は小さな水族館のようになっていた。家のあちこちに水槽がおかれていた。プラスティック水槽や水道料金や餌代はたいしたことなく、私の薄給でも賄えた。だが、悪臭があった。夜中に不気味な鳴き声が響くことがあった。都会の中にこんなにたくさんの種がいるのか…という驚きが少しはあった。「都会  絶滅  動物」等で検索してみると、犬や猫も含まれていた。まだ犬や猫のほうがよかったのだろうか。犬や猫も大変だろう。それらの動物は部分的に人間とともに進化してきたのだろう。だから、それらを人間が保護するのは致し方がない。そう思って我慢していた。
  だが、妻にそういう趣味や夢やライフワークがあったから、私を束縛せず自由にしてくれた、と思い直した。私は自由に生きることができた。子供たちも水生動物の観察と飼育を楽しんでいた。
  私は家庭内で疎外されている、と見る人もいるだろう。確かに、家庭で疎外されていると私自身が感じることが多々あった。そういうときは、後述する目的を高め上げて家庭でも仕事をして、疎外される寂しさを凌いだ。また、独身者の仲間に入れてもらえそうもないときは「家庭の中にあっても、疎外されると辛いよ」と言うと、仲間に入れてもらえた。また、「不倫」や「浮気」に反感や嫉妬をもつ人には、そういう事情を話して「私も辛い目に逢っている」と言うと、許してもらえた。あるいは「夫婦、お互いに好きなことをやっているのだから、いいじゃないか」と言って、笑いごとで済ますことができた。それらは実際の経験者が語らないと、説得力がないだろう。
  だからと言って「それぞれが夢やライフワークをもつことが、夫婦円満、家庭円満の秘訣だ。離婚率低下に繋がる。子供もうまく育つ。夢をもとう。ライフワークをもとう」などと言うのでは全くない。趣味や夢やライフワークや目的をもつも、もたないも、何をもつも、個人の自由である。だが、他人や市民にとっては、夢やライフワークや目的の内容が問題になることがある。夢なら何でも、もてばよいというものではない。例えば、政治的権力や経済的権力を何が何でも獲得し振るう夢をもたれては、市民は困るのである。そのような夢や目的をもつのは後述する自己の「悪循環に陥る傾向への直面」ができていないからである。だが、そのような直面をするも、しないも個人の自由である。だが、政治的経済的権力者の横暴は抑制しなければならない。だからといって、私たちは権力者を暗殺するとか、権力そのものを倒すことを目的としているのではない。私たちは権力そのものを民主化し分立することを目的の一つとしている。

「直面」という言葉

  私は前節で「不倫や浮気に反感や『嫉妬』をもつ人」と、いとも簡単に「嫉妬」という言葉を使った。そのような文脈では「嫉妬」という言葉に反感をもつ方は多いと思う。また、「不倫や浮気を本当はしたいのだが、自分はできない。そこで君は不倫や浮気をしている人を嫉妬している」というと、なおさら反感をかうだろう。そこで「本当の愛を知らないとは、哀れな人だ」という人は多いだろう。全く、その通りだ。十代で処女と童貞として出会って、不倫も浮気もせずに、その人と一生、添い遂げられたら、どれだけ幸せかと思う。だが、そんな愛は、なかなかない。そこで、そんな愛をしていると見える人々に私は嫉妬している。
  いずれにしても嫉妬している自己を認識することは苦痛を生じる。私も「そこで、そんな愛をしていると見える人々に私は嫉妬している」と言うときは苦しかった。嫉妬している自己に限らず、自己のイメージに向かっていくことは、多くの場合、苦痛を生じる。だからこそ、多くの場合、私たちは自己のイメージを、回避したり切り替えたり取り繕ったりして、自己を認識できないのである。そのように苦痛を生じるイメージに向かっていくことを「知識(Knowledge)」「意識(Consciousness)」「認識(Recognition)」「分析(Analysis)」…などと呼ぶのでは舌足らずである。「洞察(insight)」と呼ぶと、少し近い気がするが、まだ足りない。だから、この小説では苦痛を生じるイメージに向かっていくことを「直面(Facing or Confrontation)」と呼ぶことにする。特に、自己のイメージに立ち向かっていくことを「自己への直面」または、自己という言葉を省略して「直面」と呼ぶことにする。
  ここでは嫉妬している自己への直面というような子細な例を挙げてしまった。今後はそのような子細な例を挙ることはない。直面について重要なのは、後述する過度の粘着性、自己顕示性、支配性、破壊性…などの自己の「悪循環に陥る傾向」に直面することである。
  いずれにしても、直面という言葉を頻繁に使うのでは、その重みがなくなってしまう。だから、今後は大した苦痛を生じないものに対して直面という言葉を用いないことにする。過度の粘着性、自己顕示性、支配性、破壊性…などの自己の悪循環に陥る傾向と向き合うことに限定して、直面という言葉を用いることにする。

潜伏、一般市民の犠牲の極小化

  私は翌朝、寝坊して遅れてA1大学に出勤した。事件が起きていた。警察が来ていて、P教授が交通事故で亡くなったと言う。昨夜、帰宅したときに、車に轢かれたと言う。酔っぱらって車道に出たと言う。そんなはずはない。P教授はいくら飲んでもそこまで酔わない。
  この頃、科学者や反政府主義者の拉致や暗殺が横行していた。科学者で核兵器や生物学的兵器の開発に関する情報を提供する可能性があれば、拉致、拷問となる。反政府主義者でその可能性がないなら、いきなり暗殺となる。それらは、政府や軍の幹部の命令と特殊な組織の働きによる。警察はそれらの裏を知らず、偽装事件の処理をするだけである。
  今になってあの会議の秘書の振りをした男女の意味が分かった。学長は、国際大会の中止や大会議室の使用停止だけでなく、あの男女を会議室に入れることを政府か軍に強要されたのだろう。政府や軍は、国際大会を中止させるだけでなく、政府や軍に反対するものを探り出そうとした。反政府主義者を刺激して本性を出させる。後に何回か目撃することになる政府や軍による反政府主義者の「あぶり出し」だ。そのようなあぶり出しは、政府や軍の幹部の命令により、一部の市民を犠牲にして、それをあぶり出しのネタにすることが多い。例えば、あえて市民の面前で、一部の市民を犠牲にして、他の市民の反応を見て、反抗的で組織がバックにあるような態度をとる者をあぶり出す。この度は、犠牲になったのは国際大会である。
  学長はむしろ、あの議論を早く切り上げることによって、P教授にあれ以上の過激な発言をさせないように努力していた。学長は大学を護りつつ、P教授を犠牲にしないようにできるだけのことをした。あの男女は会議の録画か録音を幹部に示した。幹部はP教授の暗殺を決定し命令した。あの男女または幹部の別の手下が、P教授を殺害し、交通事故に見せかけ、警察を呼んだ。それらを私は確信した。
  その後の飲み会も何らかの形で探られていたのかもしれない。盗聴器か盗撮器で。だが、あのときはP教授が頭をかかえるだけで、私も含めて他の同僚はワインと野菜を楽しんでいた。今、思えば、あれを真剣な会議にせず、飲み会にしてよかった。結果として、P教授だけが犠牲になった。だが、もっと早くA1大学に政府や軍の干渉が入っていることに気づいていればよかった。P教授に国際大会のあり方も含めてアドバイスしていればよかった。そうすればP教授も助かったかもしれない。
  同僚Xは既に私の研究室に出勤していた。P教授の研究室は閉鎖されているらしい。同僚Yは私の研究室で待機していた。私とXとYは、私の研究室で密かに相談した。今後のことを考えると…そうこうしているうちに私たちも…やはり今、潜伏したほうがよいのではないか…と。以下は、XとYにあからさまに言わず、ほのめかした。グループGの他の同僚は比較的若く、独身だ。家族持ちにとっては、家族もろとも潜るか、家族もろとも潜れば他の同僚の足手まといになる、家族をどこに疎開させるか…などの問題が残る。それは男にとっても女にとっても同様である。また、昨夜のうちにP教授を地下に強引に潜行させるべきだった、という悔いもある。だが、それならP教授の家族をどうするかという問題が残る。それらをほのめかしただけでも、XとYは理解してくれた。
  私とXとYは、以下のように決めた。私を除き、XとYを含む、グループGの同僚は地下に潜伏する。既に潜っている同僚Zらと合流する。私は、A1大学に残り、生物資源の開発に専念し、政府の役に立っている振りをする。それとともに、生物資源の開発に絡んで稼いだカネと得た物資を地下に送る。それとともに、妻子の疎開先を探し、いずれは私も潜伏する。
  XとYが他の同僚にメールをした。他の同僚の全員から了解の返信が帰ってきた。Xは私に、端末を奪われる恐れがあるから、送受信したメールはすぐに完全削除するように、と念を押した。完全削除の方法ももう一度、確認した。それらは今後、グループGの鉄則になった。XとYはさっそく潜伏所に向かった。
  私はその間、地下の潜伏所で待っているZによろしく伝えた。Zからは私も潜伏した方がよいというアドバイスがあった。私はもう一度考えた。P教授の集大成とサマリーのネットワークでの公開は、実名入りだった。P教授は憲法と政治制度の世界的権威であり、実名入りの効果は大きかった。また、Yの論文も実名入りで、その効果は大きかった。Xは、その情報科学技術の凄さによって専門家の間で自ずと有名になっていた。ということは、特にXとYは急いで潜伏したほうがよい。私の研究成果もネットワークで公表されていたが、私は匿名にした。二千年前後には匿名の情報を信頼しない風潮があった。現在の世界的な圧政の中では、どんな情報であれ匿名にすることは常識であり、実名入りは違和感さえもたれた。だから、私が匿名にすることに支障はなかった。また、私は、昨日の教授会で早めにあの秘書の振りをした男女に気づき、発言を控えた。また、政治的経済的権力者が、生物学的兵器開発のために、私の遺伝子操作技術を利用するべく私を拉致することはありえる。だが、私はまだ、彼らに協力的な態度も非協力的な態度も示していない。彼らはまず私の態度を探りに来るだろう。だから、いきなり拉致ということもないだろう。そんなことから、私はまだ潜伏しなくても大丈夫だと思った。また、私が開発した食糧やワインは重要な資金源になると思った。それらをZに伝えた。Zは「資金はなんとかなる」と言う。だが自信がなさそうだった。そりゃそうだろう。地下の潜伏所の人数が急に増えるのだから。潜伏者の食費や光熱費だけでも大変だ。私は結局、正直に「しばらく地上にいて家族を疎開させる方法を考える。そのうち私もお世話になる」と伝えた。そう言うとZも理解してくれた。
  それらのように反政府グループが潜伏することは、スタッフの安全を確保するだけでなく、一般市民の犠牲の極小化に繋がる。反政府グループは、軍や警察に襲撃されたときに備えて、襲撃が一般市民を巻き込まないだけの物理的距離を、市民からとる必要がある。過密が進む現代では、その距離は地下を掘ることによってとられることが多い。物理的距離に対して、一般市民との精神的距離はネットワークを通じてできるだけ小さくする必要がある。

批判や非難の相手を間違えないこと

  私は警察とともにP教授の研究室に入った。昨夜の飲み会の余韻が残っていた。警察はP教授がどれぐらい飲んだのか、私に聞いてきた。私は研究用のアルコール分十数パーセントのワインを数杯、飲んだと答えておいた。他人が何杯飲むか、私は数えたりしない。自分のそれさえ数えたりしない。P教授が世界から集大成したものとそのサマリーが重要なのだが、それらはすべて既にネットワークで公開されている。私は遺族にお返しする遺品を集めた。ロッカーにはP教授が講義のときに着る上着が残っていた。中身も外見も飾らない人だった。
  A1大学から、私と学長を含む数人の教授と、数十人の准教授、講師、研究生、学生が葬儀に参列した。急なことだったので遺言はなく、葬儀、埋葬についての遺言もなかった。だから、奥様の意志でキリスト教で葬儀、埋葬が執り行われた。この頃、どの宗教も衰退していたが、冠婚葬祭に関する限りで、儀式が少し残っていた。P教授の奥様は学長の胸で泣いていた。学長の表情は複雑だった。学長を責めるのは門違いだ。学長も大学を護りつつ、P教授を犠牲にしないように、できるだけのことをした。P教授に過激な発言をさせないように、かなりの努力をしていた。遺族が何も知らないことに憤慨しても仕方がない。今は遺族が何も知らないことが遺族のためだ。私は友を失った。心の中に空洞ができた。それだけの空間をP教授が占めていた。同僚たちも同じ気持ちだろう。
  しばらくの間、私は、生物資源の開発によって、政府の役に立っている振りをした。それとともに、製造販売への関与から得た資金を潜伏した同僚たちに流した。また、混じりけのないワインの製法と原料を地下に送り、潜伏者にも資金を稼いでもらった。資金と原料の受け渡しは、最初は政府にまだ顔が割れていない同僚に来てもらった。しばらくして同僚たちは独立し、それらの受け渡しの必要はなくなった。

「ペンは剣より強し」の意味

  地下では同僚Xが主導して、P教授の集大成とサマリーと私たちの研究成果を伝えるネットワークをより強固なものにした。既にXらは人工衛星を一機乗っ取っていたが、それを一機増やして二機とした。人工衛星が攻撃破壊されない限り、P教授の集大成とサマリーと私たちの研究成果が世界中に公開される。
  この頃、世界的な検索システムも超大国の政府に吸収され操作されていた。一般の検索システムでも上位でヒットさせたほうがよい。Xらは政府の上を行き、検索システムにも侵入し、上位でヒットするよう操作していた。政府からして検索システムを操作しているのだから、それぐらいのことはしてもいいと思った。政府もそれらに対する対策を講じていたのだが、Xらはさらにその上を行った。実際、アクセス数が世界的に伸びて行き、P教授が集大成しまとめたものは、市民に静かにだがしっかりと支持されていた。
  当然、一般市民もそのネットワークに書き込めるようになっており、市民どうしが議論できるようになっている。その一環として、P教授が主催を計画していた国際大会も常設のものとなった。一般市民が参加できるのだから、憲法、政治制度などの専門家が参加できるのは当然のことである。また、市民の意見を収集できるだけでなく、投票も可能である。そこで、そのネットワークに、政権側のスタッフが入って来て、「世論操作」のようなことをする可能性がある。Xらは、政権と密に連絡をとっている人間を割り出し、その人間は書き込みができないようにした。政権もそれに対する対策を講じたが、Xらはさらにその上を行った。
  二千年より前の「ペンは剣より強し」は、政治的経済的権力に対するささやかな言論の逆説的な強さを意味していた。それに対して、千年代末になって「マスコミ」が興り、二千年前後は「インターネット」が興った。それに対して、二千年を過ぎてしばらくたつと世界的にマスコミもインターネットも、政治的権力の独裁と経済的権力の独占によって自由なものでなくなり、衰退した。それに対して、Xら情報技術者はそれらに侵されないネットワークを構築した。人工衛星乗っ取りもその一環である。地上では既存のケーブルと通信塔を拝借した。その結果、ネットワークに関する限りで自由な言論が可能になった。それは、言論が二千年より前の「ペンは剣より強し」のものに戻ったと言えるだろう。
  だからと言って、Xら情報技術者がすべてと言うのではない。民主的分立的制度の確立、全体破壊手段の全廃…などはもはや世界の趨勢だった。Xらが構築したネットワークがなくても、それらはいずれ完結しただろう。だが、Xら情報技術者がいなければ、それらの完結は数十年遅れていただろう。その数十年が大きい。数十年の間に絶滅が先に完結していたかもしれないからである。
  グループG内において、P教授の生前は、P教授がやや強権的であったことは否定できない。P教授が亡くなって、強力な指導者がいなくなり、グループG内でも権力の分立が進んだ。
  革命後に目指すべき民主的分立的制度はP教授の集大成とサマリーで明確に提示されていた。集大成のすべてを読み理解することは難しい。だが、そのサマリーは共有できた。そのサマリーはグループGの中だけでなく、世界の市民と世界の反政府グループに共有された。だから、目指す民主的分立的制度に関する争いは、世界の反政府グループの間でも中でも少なかった。そのサマリーは、世界の反政府グループの憲法のようなものになっていた。グループGの防衛上の戦略と作戦については、Zが主導した。Zは二十歳前後から世界の反政府グループの防衛に当たってきた専門家であり、その戦略と作戦には説得力があった。グループの資金稼ぎのための活動、資金の管理、同僚の健康管理…などについては、社会権の保障の専門家であるYが主導した。Yの経営方針は分かりやすく合理的であり、信頼できた。同僚の食糧を始めとする生活必需品について、最初は私が流す資金と物資が役に立った。だが、私が流した製法と生産材料を元に、同僚らはやがて独立して生産を行った。生産物の外部への販売だけでなく、生産物のグループG内での分配について、Yが調整した。だから、食欲、飲水欲は充足できた。性的欲動について、そこまでは説明する必要はないと思う。
  上記は、民主的分立的制度が小さなグループにも適応できることの一例に過ぎない。民主的分立的制度の適応の狙いは、国家権力以上にある。将来的に国際機構または世界機構が実現した後は、そこにも狙いがある。地方自治体にも適応は可能である。だが、適応の狙いは国家権力以上にある。

全体破壊手段、不変遺伝子手段

  しばらくして、同じ超大国Aの別のA2大学のQ教授が、私の研究室を訪れてきた。Q教授も私と同じ遺伝子操作の研究をする。Q教授は改まって、これからのことは内密にと言う。
  十数年前、私の父はA2大学で遺伝子操作の研究をする教授だった。同じ大学にあり、研究分野も同じで、父とQ教授は親友だった。ある日、父は交通事故死として処理された。妻(母)と長男(私)と長女(妹)は、海外におり、すぐにかけつけられず、しばらくQ教授が家族代わりをした。私が初めて知ったのは次のことである。父は事故死とされた日の三日前に失踪していた。Q教授は最近になってその失踪が確認できたと言う。
  以下はQ教授の情報を基に私とQ教授が確信したことである。
  失踪中、父は政府または軍によって拉致され、生物学的兵器(不変遺伝子手段)を開発するための重要情報を提供するよう拷問された。父はそれを提供することを拒否し自殺したか拷問死した。死後、父は交通事故死として処理された。
  この頃の拷問の方法はかなり精巧になっていた。まず、筋弛緩剤が静脈注射され、呼吸筋を除く横紋筋が麻痺し、完全に身体が拘束される。縄や鎖や鉄による拘束などというものではない。心筋と呼吸筋は機能するので、生命は維持される。末梢、中枢を含む神経系は機能するので、身体的苦痛と精神的苦痛はそのままである。身体的苦痛を与えられるまでもなく、この段階で既にかなりの拷問である。パニック障害をもっていなくても、パニック発作が頻発する。さらに、針などで身体的苦痛を与えられればなおさらである。さて、眼筋は機能するので、眼球の運動によって拷問を受ける者は生きるか自殺するかの選択をすることができる。そもそも、生きるか自殺するかの選択を迫られること自体が究極の苦痛である。眼球の動きによって「自殺を選択すると、脳死を起こす薬が全身に流れる」と表示される。そこで多くの者は自殺を選択する。ところが、自殺できない。つまり、自殺選択ボタンは嘘だったのである。さらに、今度こそ自殺できるというボタンが表示される。またしても、それは嘘で自殺できない。それが繰り返される。拷問を受けるものは、苦痛と絶望を超えるものを、さらにそれを超えるものを体験する。その後で、自殺ボタンの代わりに、質問とそれに対する答えが入力できるキーボードが表示される。眼球運動によって入力できるようになっている。そこで、多くの者が権力者が欲する情報を漏らす。しかも、身体に残る証拠は、点滴の針の跡だけである。
  そのように考えると、父が自殺するのは困難だろう。機器の不具合で本当に脳死を起こす薬が流れたのかもしれない。拷問担当者が、憐れんで本当に脳死を起こす薬を流したのかもしれない。いずれにしても父は苦痛や絶望を超えるものの中でも、生物学的兵器(不変遺伝子手段)の開発法を提供しなかった。
  これからが私の苦しみである。父は私の教育について幼稚園の頃から厳しかった。特に語学、数学、物理学、生物学について厳しく、父は私の勉強法に何から何まで干渉してきた。父の価値観は、知識と能力と技術のない人間に、善悪をどうのこうの言う資格はない、というようなものだった。私はそんな父の干渉を嫌い、父に反抗した。A1大学に進んだのも、父のA2大学から離れるためだった。私はほとんど家に帰らなかった。家にたまに帰っても、父と話をしなかった。父が軽視するからこそ、私は自由権や民主制を尊重した。父が権威に見えたからこそ、私は権力に反抗した。その頃、私には権力全般に過剰に反抗する傾向があった。私のそのような傾向は、思春期の頃から父に反抗する中で形成されてきたのだと思う。私は、父と同じ遺伝子操作の研究の道に進んでいた。遺伝子操作を生物の絶滅に繋がりえないものにしようと意気込んでいた。それは部分的に、父に反抗するためだったと思う。その後、私は超大国Bに留学した。それも父から離れるためだった。そんな頃に父の「交通事故死」の知らせが届いた。私は数日だけ超大国Aに帰った。それも母と妹をサポートとしようと思ってのことだった。その頃、母と妹は父の勧めで南洋の島国Eに滞在していた。
  私は、父の死後に特に、自己の権力全般に過剰に反抗する傾向に直面した。その直面によってその傾向が減退してきた。そして、権力者に反抗するのではなく、権力そのものを民主化し分立する必要があると思うようになった。もし、それへの直面がなかったら、私は単に権力者におもむろに反抗して抹殺されるだけの人間だっただろう。
  以下はA2大学Q教授から聞いて、私が愕然としたことである。これからが本当の私の苦しみである。父は既に死の数年前から、塩基配列以外のものを変化させてしまった遺伝子まがいのものを「不変遺伝子(Immutable genes)」と呼んで、他の遺伝子と区別していた。遺伝子は五種類の塩基とそれを繋ぐヌクレオチドという鎖から成る。塩基の順列、つまり「塩基配列(Base sequence)」が生物のほとんどを決定する。遺伝子のうち塩基配列が変化することは突然変異に等しい。塩基配列だけを変化させた遺伝子を含む生物や手段は、突然変異を起こした生物と等しい。それらは従来の生物と同様に自然淘汰される。また、感染経路も知れている。また、なんらかの物質や熱や放射線によって消毒される。それに対して、遺伝子の塩基配列以外のものを変化させた遺伝子まがいのものを含む生物まがいの手段、つまり、「不変遺伝子手段(Immutable gene means)」は、第一に、突然変異を被らず自然淘汰を被らない恐れがある。第二に、従来のウイルス…などより速やかに広範囲に拡散し生物に感染する恐れがある。第三に、従来のウイルス…などと違い、消毒…などにより破壊されない可能性がある。第四に、免疫系によってブロックされない恐れがある。第五に、細菌やウイルスでは想像もつかないようなダメージを、例えば、神経細胞に対するダメージを生物に及ぼす恐れがある。それらの第一から第五によって、不変遺伝子手段は人間を含む生物を絶滅させる恐れがある。つまり、不変遺伝子手段は「全体破壊手段」である。
  二千年代に入ってしばらくして、「全体破壊手段」と「大量破壊手段」が区別されるようになった。全体破壊手段とは、人間を含む生物のいくつかの種の全体を破壊する恐れがある手段である。そのように区別されたからと言って、大量破壊手段がおざなりにされてよいというのでは全くない。優先順位をつけなければならない場合に限って、全体破壊手段の全廃は、大量破壊手段の廃止より優先されるというだけのことである。全体破壊手段は、第一に核兵器、第二に不変遺伝子手段、第三に小惑星(Asteroid)の操作である。簡単に言って、原子核と遺伝子と小惑星の操作である。それらのうち、原子核と遺伝子の操作が危険であることは感覚的に理解されると思う。それに対して、小惑星の操作が危険であるとは意外だったと思う。太陽はいかなる形でも操作できない。地球を含む惑星や衛星も軌道を変えられるものではない。それに対して、小惑星は人間が発明した爆発物をもってすれば軌道を変えられる、と言えば、理解されるだろう。

遺伝子の塩基配列以外のものを変えるなかれ

  だが、核反応や遺伝子操作や宇宙開発を手当たり次第に規制するのでは、一般市民の日常生活と欲求が過度に制限される恐れがある。特に市民の長生きしたい、家族や友人に長生きして欲しい、子どもに早死にされたくない、という願いは切実である。それらの日常生活と欲求が過度に制限されないためには、何が全体破壊手段かを確実に定義する必要がある。また、全体破壊手段が全廃されても、全体破壊手段を除く手段によって、日常生活を豊かにし、人間の欲求を満たすことが可能であることを、市民に提示する必要がある。特に、不変遺伝子手段を含まない医療によって、前述の切実な願いを満たすことが可能であることを示す必要がある。それが可能であることの一例は後に示される。
  以下は全体破壊手段全般について言えることだが、ここでは不変遺伝子手段について述べる。不変遺伝子とそれ以外の遺伝子を区別し前者を予防しようとするものは、前者を知らざるをえず、不変遺伝子手段の開発方法もつかんでしまう。政治的経済的権力者はそれを吐かせようとする。そこでその者は拉致監禁拷問の危険にさらされる。家族友人恋人までが拉致監禁の危険にさらされる。私は父に反抗し、避け、死に際まで遠ざけたが、既に亡くなる数年前に父は私と同じ道を歩んでいた。そして、拷問の中でも父は、漏らしてはならないものを漏らさなかった。しかも父は家族への危険を予感し、母と妹を島国Eに疎開させていた。私はその頃、B国に留学していた。何通も父からメールがあった。私は開封もせず破棄した。
  Q教授が帰った後、私は思わず泣いた。たまらなく悲しく悔しく涙が止まらなかった。父が拷問されるときには「漏らすな吐くな。吐けば科学者の恥だ」などと言う私が、父の中でよぎっただろう。そんな声に延々と拷問の苦痛が加わる。それこそが最大の拷問ではないだろうか。
  その後、私は改めて、以下のように自己に直面した。私は思春期から父に過剰に反抗してきた。そのために、私には権力全般に過剰に反抗する傾向が形成された。父の死後、私はそのような自己の傾向に直面してきた。その結果、権力に過剰に反抗する傾向が減退してきた。そして、権力者を反抗するのではなく、権力そのものを民主化し分立する必要がある、と思うようになった。それは苦しく長い道のりだった。今、父の死の真相に迫って、私は権力者に復讐したり反抗したりするのではなく、自己のそのような傾向にさらに直面しようとしている。もはや私が権力者に過剰に反抗することはないだろう。権力者に反抗するのではなく、一貫して権力そのものを民主化し分立しようとするだろう。また、一貫して全体破壊手段を全廃し予防しようとするだろう。
  私はQ教授とよく語り合うようになった。Q教授は父の開発したものは、確かに不変遺伝子手段、つまり全体破壊手段の開発に繋りえる。反面、安全な遺伝子治療や自然な食糧の開発にも繋がりえる。そのようにQ教授は考えて、父の研究成果をデータカードに詰めて厳重に保管していた。私もQ教授もそれらのうち、不変遺伝子手段の開発に繋がりえない部分を選んで、自分の知識と技術に同化した。その後で、それらのデータをネットワーク上でも端末でも完全に削除した。だが、拷問を受ければ、私もQ教授も吐いてはならないものを吐くだろう。それどころか、互いがそれを知っていることさえ吐くだろう。私もQ教授も、父やP教授のような強い人間になれない。立派な人になれない。私もQ教授もそれを正直に認め合った。また、いずれは他の科学者が同じ道に至るだろう。それなら、不変遺伝手段とそれ以外との区別法を積極的に公表し、前者を積極的に禁止する必要がある。「遺伝子の塩基配列以外のものを変えるなかれ」と。

乳幼児期からの人格の形成過程

  私は本気で、遺伝子操作抜きの生物資源の開発に専念するようになった。それは単なる見せかけでなくなった。原子核操作も、遺伝子操作も、小惑星操作も、やらないにこしたことはないと思った。また、そんな微小な世界や大自然ではなく、小さな自然や街中で発見をしてみたい、と思った。
  この頃の「研究補助者」は、研究に直接係わらないが、ロボットにできない微妙な操作を担い、実験観察に不可欠な存在だった。その中に政治的権力または経済的権力の「スパイ」が混じっているというのは、もはやA1大学の研究者の常識だった。私は、遺伝子操作抜きの生物資源の開発に専念し、それ以外のデータをどこにも残していないので、単なるスパイは恐くない、と思っていた。
  ある日、Tが研究補助者として私の研究室に入ってきた。彼女はすごい容姿をもち、いかにも二千年前後の映画にあった「女スパイ」という感じだった。そんな女スパイが私の研究室に入って来て、私は映画の主人公になったような気分だった。
  ある日、研究室で私とT以外、誰もいない時間があった。私は「T」と呼んでみた。Tは飛んで来て、私に身を寄せて来た。やっぱり「女スパイ」だ…
。。。
  さて、A国に農地は少なく、A1大学も研究用の農地をもっているが、貴重なものだった。「田園風景」というようなものはなく、南端は高層ビルの影で植物の生育に支障を来たす程の農地だった。その農地が実質的に私の研究所だった。学生の実習生も来た。Tはその引率もした。この時代、農業の体験は、限られた者が一生に一回できるか、できないかだった。また、土と泥は貴重な資源だった。学生たちは泥んこ遊びを喜んだ。それはいい。実習が終わった後の洗面所での土や泥の流出が危惧された。だから、Tは泥んこ遊びのマナーを教える幼稚園の先生のようになった。
  学生が帰った後は、私とTが泥んこ遊びをよくした。この時代、泥んこ遊びは最高級の贅沢だった。泥にまみれるTの体も最高級だった。薄暮の中でも輝いて見えた。お互いに疑似恋愛でも割り切れば楽しいものだ。彼女も楽しんでいるようだった。それこそプロだと思った。売春や水商売もそうではないかと思った。ただし、彼女らも相手次第だろう。私はTにとっては悪くなかったのだろう。悪くはない、それだけのことである。
  そんなとき、A国のM将軍が私との密会を提案してきた。避けられないと思い、私は応じた。M将軍は私の研究室までカジュアルな服装で来てくれた。Tが紅茶を煎れて持って来た。M将軍とTが敢えて目を合わせないようにしていることが分かった。M将軍は「あなたの遺伝子操作技術の優秀さは周知のところです。生物学的兵器の開発にも参与してもらえないでしょうか…A国は生物学的兵器においてB国に相当な遅れをとっている…」と丁重に言う。M将軍のような権力者が普段、使い慣れていない敬語を使うと、不気味な感じがする。A国が生物学的兵器においてB国にそんなに遅れをとっていないことを、私は同僚Xらが集めた情報を見て知っていた。私は笑って「私は生物資源開発の専門です。しかも、遺伝子操作なしの開発です。伝統的な選別淘汰による品種改良を目指しています。食糧の開発は今、最も重要なことでしょう」と。実際、それらはすべて本当で本音だった。M将軍は「それはもっともなことです。ですが、生物学的兵器の開発にも、少しばかりお力を貸していただけないでしょうか」と同じ丁重さで言い続ける。結局、私が「考えておきます」ということで収まった。とりあえず危険は避けられた。だが、後に私はM将軍に文字通り「考えさせられる」ことになる。
  M将軍はマゾヒストでもサディストでもなく、支配性と破壊性と権力欲求の強い人間だ。権力欲求と、ニーチェの言う「権力への意志(Der Wille zur Macht)」とは全く異なる。ニーチェのいう「権力」は、政治的経済的なものを超えた深遠なものを指す。それに対して、権力欲求の「権力」は単なる政治的経済的権力を指す。だが、権力欲求が強い人間も単純ではない。粘着し自己顕示しつつ権力を露骨に狙う人間もいれば、自他を破壊してでも権力を狙う人間もいれば、それらの傾向を自制して虎視眈々と権力を狙う人間もいる。M将軍はそれらの三番目だと思った。最もたちの悪い筋金入りである。いずれにしても、私はM将軍に必要とされている。P教授のようにいきなり暗殺ということはない。されるとしても父と同様の拉致、拷問だと思った。それならなおさら「遺伝子の塩基配列以外のものを変えるなかれ」だ。
  A1大学で、P教授と同様の「交通事故」はさすがになかった。だが、いきなり消息不明になった研究者はいた。それは例の拉致だろう。また、実験中の事故で亡くなった研究者がいた。それは例の暗殺だろう。この頃の実験機器は極めて安全で、事故など起こりようがないのである。私とTの恋愛は疑似ではなくなりつつあるような気がした。私とTの泥んこ遊びは下火になった。泥などという分け隔てなしに愛し合っていた気がする。Tは次第に語ってはならないことを語り始めていた。
  M将軍は乳幼児期、母親に愛してもらえず、母親に粘着し自己顕示し母親を支配し破壊し続けた。やがて他人にも同様のことをするようになった。大人になってそれらが権力欲求として現実化した、とTは言う。同様のことは、A1大学の臨床心理学のR教授が言っていた。それらのことは権力者全般に言えるらしい。つまり、前述の権力者の分類は子細なものだということだ。
  Tは自分のこともよく語る。Tは母親に愛してもらえないどころか、虐待されていた。Tの父は自分が生まれて間もなく、離婚し去って行ったらしい。ものごころ着いた頃には、Tの母は再婚していた。その義父はTに無関心だった。母は義父の歓心を買うために、Tを放置し始めた。Tが泣くと、母はTを殴ったり蹴ったりした。Tが泣き続けると、母はますます激しくTを殴って蹴り倒した。Tは泣くこともできない状態になった。義父はそんなところを冷ややかに見ていた。そのようにしてTが静まると、二人は性交渉を始める。すると、Tはしばらくの間は殴られることはないと安心し、台所に行って冷蔵庫を開け、手当たり次第に食べ物を取って食べた。それが分かるとまた、母は…。大人になって、他所の子供の泣き声を聞くだけで、Tは可哀想でたまらなくなる。それと同時に、可哀想な鳴き声を止めて、もっと激しく泣かせたい、泣けなくなるぐらいに痛めつけたい。そんなことを思っている自分に気づいた。可哀想な鳴き声を聞くと、たまらない。だから、もっと激しく泣かせる。あるいは泣けないほど痛めつける。それは人間の本能かもしれない…などとTは語る。さらに、M将軍は、可哀想に泣く人間に耐えかねて、残虐な行為に及んでいるのかもしれない、と言う。私は、仮に人間にそのような本能があるとしても、そのような本能は自制される必要があると思った。人間や動物の本能や欲動のほとんどは抑制される必要がない。だが、そのような本能や欲動があるとすれば…である。
  Tはそれらのことをよく語った。考えてみると、TがM将軍を知っていることさえも言ってはならないことだろう。私はTが語ったことを誰にも言わなかった。私はM将軍のことを語り過ぎるTのことを気遣った。あるとき、私はTに「M将軍のことをあまり語らないように」注意してしまった。それをTは嫉妬ととったようだ。「嬉しい」と抱き付いて来た。Tは「もうM将軍に使われるのは嫌だ。だけど、どうやってM将軍から抜け出すの?」と、完全に正体を私にばらしてしまった。これはTの私に対する愛の告白だ。それと同時に、私とTの関係を命懸けの恋にしてしまう…女スパイTの無意識的な策略だろう。ようし受けて立とう、と思った。Tをスパイの世界から抜け出させるにはどうすればいいのか。Tらを支配しているのはM将軍だ。それより、P教授の暗殺を命令したのもM将軍だろう。さらに、父の拉致拷問と死の粉飾を命令したのもM将軍だろう。M将軍を暗殺しようと思えばできないことはない。私と地下に潜っている同僚XとZが本気になれば、M将軍を暗殺できる。だが、それでは私たちを含む同僚の何人かが犠牲になる。また、少なくともA国において私たちが準備してきた革命が台無しになりかねない…などと考えていた。
  そんなことを考えているある日、Tは突然、消息不明になった。

生まれ育った自然と人々

  夏休み、私と妻と二人の子供は南洋の島国E国で、既に移住している母と妹たちと過ごした。妻子には「夏休みを南洋の島国で過ごそう」と説明した。だが、実際は私の来るべき潜伏のために、妻子の疎開先を探っておくためだった。結果としては、そのまま妻子は疎開することになった。妻は例の「都会の中で生息し絶滅しつつある水生動物」を例のグループの他の会員宅に預けた。E国ではA国語が通じた。母と妹は父が亡くなる前にE国に疎開した。父の死後、妹は現地の現在の夫と結婚し、現在のところ子供が三人いる。私は父の死の背後にあるものを母や妹に語らないようにした。
  妹はもちろん、母もこのE国が気に入っている。だが、母は生まれて育ったA国が懐かしいようだ。母も父も私も妹も妻子も、A国の大都市で生まれて育った。大自然の中で育ったわけではない。だが、母は言う。都会の中にも自然がある。近所の公園の林や池が恋しい。その公園にもトンボがいた。池に映ったビルの谷間から見える青空と、水面をかすって涼しげに飛ぶトンボは忘れられないと言う。そのように限られた自然の思い出しかないが、懐かしいらしい。また、食べ物は懐かしいらしい。遺伝子操作された野菜でも培養肉でも懐かしいと言う。そのような母を自由で安全になった母国Aに返してやりたい。それが父にできなかった親孝行だとも思う。だが、母にしてみれば、妹やその夫やそれらの子供と暮らすほうが幸せなのかもしれない。だが、ときに故郷に帰るのはよいものだろう。いずれにしてもA国が安全で自由になってからだ。
  多くの人々にとって、国家や国家権力や国家主義や愛国心はどうでもよく、生まれて育った自然や食べ物や人々が恋しい、ということを痛感した。二千〇〇年、世界で国旗や国歌を誇示する風潮は衰退していた。もし国歌が必要だと言うなら、古典的な故郷の自然や人々を偲ぶ歌にすればよいと思った。今は衰退した某経済大国にあった♪兎(うさぎ)追いしかの山、小鮒(こぶな)釣りしかの川♪もよいのだが、♪志(こころざし)を果たして♪が余計である。志なら何でもよいというものではない。政治的権力や経済的権力を何でもよいから獲得して振るう志を果たしてもらっては困るのである。その某経済大国も、政治的経済的権力者が、経済安定化ではなく、経済成長を目指したために、経済安定化も果たせなかった。♪独り立ちを果たして♪などに変えればよいと思う。♪父母(ちちはは)♪にしても独り立ちもできないまま帰って来てもらっては困るだろう。人間的な独立が悪いという人はいないだろう。
  この辺りでは遺伝子操作されていない自然な食材が獲れる。小イワシや小アジは、魚市場で買ってきて焼くだけで旨い。鶏肉は、普通の食料品店で買ってきて炒めるだけで旨い。私の子供たちは、妹の子供たちから水中眼鏡だけの素潜りを教わった。この辺りは数十年前までサンゴ礁だったらしい。その光景を覚えているお年寄りにとっては、この光景は哀れなのだろう。だが、何であれ海と砂浜は、子供たちにとっても私にとっても大自然だ。太陽の光が海底にも差して、波が白砂に映って揺れる。そのような白砂を子供たちがかすって浮く。私も泳いで潜って子供の群れに参加しようとしたが、追いつかない。名前も分からない小さな魚の群れに子供の先頭が突っ込み、魚の群れが散乱してキラキラ光る輪を作り、後続が貫けることもあった。おかげでみんな日焼けした。私については、A国に帰った時に「潜伏者にしては健康的過ぎる。潜伏者には向いてない」と同僚から言われた。

小惑星の操作の全廃

  そんなE国でのある日、絶滅の危機が一つ訪れた。超大国Cによる小惑星(Asteroid)の開発中に事故で爆発が起こり、小惑星の軌道が変わった。数年後に地球に衝突または接近すると言う。惑星や衛星レベルなら多少の開発をしても軌道が変わることはない。それに対して、小惑星なら軌道が変わり地球に接近、または衝突する恐れがある。衝突せず接近しただけでも、地球の軌道が変わり、人間を含む生物が絶滅する恐れがある。地球の軌道が太陽よりになっても太陽から遠ざかっても、その恐れがある。
  諸国の人心は既に荒れていたが、すぐにさらに荒れ、略奪や強姦が増加した。また、ほとんど衰退していた宗教が再興し、大規模な祈祷が催された。集団自殺もあった。
  世界の科学者がC国に集まった。私も妻子をE国において、C国にやって来た。C国でもA国語が通じた。C国の政府と企業は自らの過失を認め、科学者と協議した。結局、小惑星の軌道を元に戻すことは難しいから、太陽から遠ざける方向でまだ現場に残されている爆弾を爆発させよう、ということになった。その通りにして、差し当たりの危機は避けられた。
  ここで私と何人かの科学者と政治家が主張したのは次のことである。爆弾が地球を救ったように見えるが、核兵器が正当化されることはあってはならない。天体の衝突、接近等によって生物が絶滅しそうなときに、核兵器によって接近してくる天体を破壊する、というのは二千年前後のSFやSF映画に過ぎない。人為的でない地球や太陽の激変によって人間を含む生物が絶滅するのは、自然の過程である。そのような自然の過程に人間がかまう必要はない。私たち人間が防ぐ必要があるのは、人間自身がもたらす絶滅である。簡単に言って、人間は人間にかまっていればよい。そもそも小惑星の開発を全廃する必要がある、と主張した。
  小惑星の開発に関する限りで、世界中で私たちの主張が通った。だが、それが通ったのは次の理由による。小惑星に学究的な価値はあっても、有益な資源は大量にない。他方、小惑星開発の経費は膨大である。だから、小惑星開発は利益を生じない。超大国も大国も含めて諸国がそのことを認識し、既に小惑星の開発から撤退しつつあった。だからである。ということは、どこかの小惑星で極めて有益な資源が発見されれば、また、同じことを繰り返すということである。だから、永遠に小惑星の探索も開発も禁止しなければならない。他の全体破壊手段も同様である。

区別することの重要性

  この事故の後の数週間に限って、C国の政権が言論に対して寛容な態度を取った。C国の市民、反政府グループのスタッフ、政権担当者と、世界の科学者が参加して、いくつかの場でいくつかの議論があった。それらのいくつかについて、いくつかの混乱が生じており、いくつかを区別することが重要だと思った。

遺伝するものとしないものの区別、種から種への進化と種内進化の区別、自然淘汰と人為的淘汰の区別

  過度の支配性や破壊性や権力欲求は、人間や生物の衰退や絶滅に繋がりえる。人間性の中で人間や生物の生存を保障しえるのは、それらの低さである。だが、それらの高さも低さも遺伝しない。遺伝しないものについては、自然淘汰も人為的淘汰もない。支配性、破壊性、権力欲求などは乳幼児期から後天的に形成されてきたものである。それらを減退させるものは、私たちのそれぞれが自己の悪循環に陥る傾向に直面することでしかない。
  厳密には進化とは種から種への進化である。ホモ・サピエンスという種が別の種になったとき、それが厳密に人間が進化したことである。そのような種から種への進化は百年や千年単位ではなく、万年単位で生じる。今の人間はまず、全体破壊手段を全廃し予防した後で、そのような進化について考えればよい。今の人間がそのような進化を考えることは滑稽である。
  だが、種の中での遺伝子の変化とそれに発する存在と機能の変化である「種内進化」もとらえることができる。そのような種内進化は百年単位、千年単位で生じえる。ここでは、そのような種内進化について考える。
  従来の生物の種は主として、その種とその種が作り出すもの以外を自然として、その中で淘汰され進化してきた。そのような淘汰が従来の「自然淘汰」である。それに対して、人間は、そのような自然の中だけでなく、人間と人間が作り出す道具や手段によっても少なからず淘汰されている。そのような淘汰による進化は従来の自然淘汰による進化とはかなり異質なものである。それをもはや「自然淘汰」と呼ぶことはできない。自然淘汰と「人為的淘汰」の混成物と呼ぶしかない。仮に人間が自然淘汰を重視し、自然淘汰のようなものを作るとしても、その一部は人為的淘汰でしかない。人間の淘汰が自然淘汰と人為的淘汰の混成であることは必然であり、それを人間は十分に認識しておく必要がある。間違っても、見せかけに過ぎない自然淘汰にまかせておけば人間もうまくいくだろうなどとは考えないことである。
  そのような自然淘汰と人為的淘汰の混成による種内進化の一例を挙げる。医学医療の進歩と福祉の充実によって、病弱な人間が生存し子孫を残す。それによって、人間が医療福祉が不可欠な病弱な方向に進化することは確実である。さらに一般に、医学医療を含む科学技術の進歩によって、人間がそれらがなければ生存できない方向に進化することは確実である。例えば、情報科学技術の進歩によって、人間は多くを知覚し連想し記憶する必要がなくなる。それによって人間の知能は低下し、大脳は少し退化するかもしれない。それに対して、自我と情動はコンピューターや人工知能が代わりをすることができるものではない。だから、自我と情動は維持されるか豊かになるかもしれない。だから、大脳辺縁系や自律神経系は、維持されるか、少し発達するかもしれない。いずれにしても、自然淘汰と人為的淘汰の混成による進化は人間の宿命であって、避けて通ることができない。そのことを人間は、良いも悪いも、認識しておく必要がある。

神経系の機能的器質的障害と悪循環に陥る傾向の区別

  支配性、破壊性のような(悪循環に)陥る傾向と権力欲求が、薬物療法や遺伝子治療や、はたまた、自然淘汰や人為的淘汰によって、減退するような誤解が生じている。陥る傾向と欲求は遺伝するものではない。また、それらは神経系の機能的器質的障害によるのではない。陥る傾向は、反復性うつ病性障害、統合失調症などの、遺伝することがあり、神経系の機能的障害による精神障害とは全く異なる。陥る傾向が、遺伝や神経系の機能的器質的障害や薬物療法や遺伝子治療や、はたまた、自然淘汰や人為的淘汰によって、亢進したり減退するとしても、他の自我の概略や他の種類の情動も含めて、自我と情動が全般的に亢進したり減退する。薬物療法や遺伝子操作でそれらを選択的に減退させることはできない。それらは生後に状況の中で自我の働きによって選択的に形成されてきたものである。それらを選択的に減退させるものは、私たちのそれぞれが自己の陥る傾向に直面することでしかない。

繁栄と衰退のサイクルと全体破壊手段の区別

  人間と言う種を除く限りで以下のことが言える。繁栄した種(A)は、その種の自然(AN)と他のいくつかの種(B)の自然(BN)を破壊し、AとBは衰退または絶滅する。A、Bの衰退によって、ANとBNは回復し、AとBは悪くても絶滅しない。それらの絶滅によっても、さらに他のいくつかの種(C)の自然(CN)は破壊されず、Cは悪くても絶滅しない。それらを生物の「繁栄と衰退のサイクル」と呼べる。今まで生物が生存してきたのは、そのサイクルがあったからである。
  現代の議論においても、そのサイクルへの信仰のようなものがある。だが、人間はそのサイクルを逸脱している。何故なら、現在の人間は全体破壊手段をもつからである。全体破壊手段が使用されると、A、BだけでなくCも絶滅する恐れがあるからである。

革命家に完全な隠遁のときはない

  C国で私は、伝説的革命家U(♀)と会った。かつて、C国の前身は、解体され消滅し、ある程度、民主化された。そのときの革命家である。解体・民主化を成し遂げた直後にUは若くして隠遁した。その後、C国は独裁化した。そのときもUは現役復帰せず、悠々自適の生活をおくっていた。独裁政権からの弾圧もなかった。この度の小惑星の事故もUは知ってはいたが、動かなかった。
  C国の首都からU宅までバスと徒歩で数時間かかる。郊外にはまだ自然が僅かに残されていた。遺跡もあり、バスに乗るほとんどは観光客だった。バスが山道を登り針葉樹林を抜ける。登るにつれて肌寒くなった。バス停に着いた。帰りのバスの時刻の確認を忘れないようにした。バス停から三十分ほど山道を歩いて登った。やがて、視界が開け、小さな村に着いた。予想通りの古びた隠遁所でUと会った。予想通りにUはとりとめもないことを語る。A国のA1大学のP教授の話になった。予想通りに「自分より先に亡くなるとは思わなかった」と言う。これは予想外で、Uは「Pと親密な関係にあった」と言い出した。P教授にとってはUは年上の人である。「若かりし頃のP」をまるで昨日のことのように語る。私は次第にそんな話が退屈になってきた。私はUになんらかの形での協力をお願いするために来た。だが、「三顧之礼」をしている時間はない。
  私にとって長いと感じられる時間が経った後、Uは自ら言った。「君たちの言う『民主化分権化』に、私の出る幕はない。だが、C国がもし他国に介入するようなことがあれば、私は黙っていない」と。そのときの私を見るUの目は、研ぎ澄まされた革命家の目だった、と私は思った。私は反射的に「よろしく」と言っていた。その後、Uの目は隠遁者の目に戻った。Uは一見したところ隠遁していても、世界の動きを注視し、動向次第で帰って来てくれると思った。考えてみると、Uは私たちの「国家権力を自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立すること」も「民主的分立的制度」も、「民主化分権化」と言葉は変わっていたが、内容を把握してくれていた。私たちも、民主的分立的制度を確立した後も、それが維持されるか注視するだろう。また、全体破壊手段が全廃された後も、それが予防されるか注視するだろう。革命家に完全な隠遁のときはない、と思った。

密航

  A国に帰ろう。妻子にはE国に居てもらおう。そう思っていた頃、A国で事件が起きた。A2大学Q教授が消息不明になった、とA国の同僚Xからメールがあった。Q教授はA国のM将軍の命令で拉致され拷問を受けたのだろう。すると、私に不変遺伝子手段の開発の能力があることも分かる。私の研究室も既に調べられたらしい。私は、研究室で全体破壊手段の開発に使われそうな情報を、常日頃から即座に完全削除していた。また、有能で重要なスタッフは既に地下に潜伏していた。残るのは例の「研究補助者」で、M将軍にとって拉致・拷問する意味がない。M将軍は私を躍起になって探しているだろう。捕まれば不変遺伝子手段、つまり、全体破壊手段の開発を強要するだろう。
  私は考えた。C国にいても、いずれはA国のM将軍の手が私に及ぶだろう。M将軍がC国の政府と結託することもありえる。E国は比較的民主的な国で、家族にとって一番、安全なのはE国だ。だが、私がE国に居ると、家族は安全でなくなるだろう。私にとって一番、安全なのはA国の地下の潜伏所だ。同僚たちも私に早く帰ってきて潜伏所に来て欲しい、と言う。P教授が亡くなり多くが地下に潜伏してから、同僚たちのエネルギーがわずかにでも落ちている、と言う。それと密造酒をもっと密造密売しなければ、潜伏と革命のための資金がない、と言う。私は妻子をE国に置いて、単独でA国に向かうことにし、ひとまずE国に入った。
  私は、既にE国で新型ワインの試作に入っていた。E国原産のシソ科の植物EPを原料とする。アルコール発酵の主原料は、従来通り、酵母と糖またはデンプンを多く含む植物である。EPはアルコール発酵を促進するとともに風味を出す。E国ではEPは、谷間や木蔭で生育していた。また、種も簡単に採れ、育てやすかった。都会では光量不足のビルの谷間の空き地や室内の窓際でも生育するだろう。実際、E国ではEPは室内の観葉植物として知られていた。だから、E国の人々にとっては、その新型ワインの試飲に抵抗があったと思う。だが、多くが驚いて旨いと言っていた。そのEPの種子をA国の潜伏所に持ち込んで、新型ワインを密造密売し、資金稼ぎをする計画を立てた。政治的にもワイン造りにおいても革命でござる。
  残る問題は、私と種子を、どうやってA国のグループGの潜伏所まで運ぶかだ。それは意外と簡単だった。E国では妹はシンデレラで、その夫は王子みたいなものだった。E国は酒類の製造販売は民間でも違法ではなかった。その父である王みたいなものは、E国で酒類を製造販売するだけでなく、A国等への酒類の密輸を取り仕切っていた。さらに、A国のあのM将軍がその密輸に絡み暴利を得ていた。その密輸ルートで私と種子が運ばれることになった。つまり、密輸ルートが密航ルートにもなる。M将軍が密航ルートの最終部分を作ってくれているようなものだ。妹の夫も乗船して、最終部分で確実に反政府グループGの同僚に私と種子を手渡す、と言う。
  酒類を運ぶ密輸船は、表向き漁船であり漁もでき、船員だけでなく漁師も乗っていた。それが密航船にもなる。私と種子と妹の夫は、その漁船かつ密輸船かつ密航船に乗り込んだ。青空の下を進む船の寝室で、私はA国の新憲法の私案を練った。ときには妹の夫や船員や漁師と、酒を飲み魚を食べながら語り合った。どこまでも青い空と海とありあまる酒と魚。ときには暴風雨が来て、船も脳も激しく揺れる。憲法の私案を書き下す絶好の環境だった。憲法の私案と言っても、P教授の集大成とサマリーを私がさらにまとめたものに過ぎない。それは容易なことだった。また、P教授の集大成とサマリーはネットワークで公開され、世界の市民から多くの反響があった。その反響も私は拝借した。特にB国のB1大学法学部の教授だったVの批評を参考にした。この時点では、それが世界の新憲法の基本になるとは思っていなかった。だが、P教授の集大成とサマリーなのだから、世界の憲法の基本になるのは当然だ、と後で思った。P教授は亡くなった後も憲法と政治制度の世界的権威だった。
  妹の夫とも語り合った。暴力団と麻薬、覚せい剤等の密造密売グループは既に世界的に殲滅されていた。それは、それらが政治的経済的権力者と結託しながら、後に疎んじられたためだった。妹の夫は「だから、徹頭徹尾、俺達は反政府側に付く」と言う。それは有難かった。だが、革命完結後はどうなるだろうか。酒類の製造販売を公権力が独占し、他の酒類を「密造酒」として禁止することはなくなるだろう。すると酒類を「密輸」する必要もなくなる。すると、妹の夫たちの仕事もなくなる。妹の夫には正直にそのことを話した。妹の夫は「それなら、本来の漁業に戻るさ」と言う。私は思わず「堅実だな…」と唸っていた。それは冗談ではない。食糧資源は二千年前後と比較にならないほど重要になっていた。E国近海ではまだ、乱獲されなかった小型の魚類が残っていた。小イワシや小アジである。しかも、遺伝子操作されていない自然の食材である。この頃、自然の食材に対して好き嫌いを言う一般市民は皆無だった。

潜伏所

  漁船はA国の首都に最も近い漁港に着いた。私と種子は大型の魚ケースの中に入った。妹の夫がケースを綺麗に掃除してくれていた。パニック発作の予防のために、抗不安薬を飲んでおいた。魚の臭いはしなかったが、洗剤の臭いが少しあった。そのケースは、間違えば、M将軍の一味に手渡される。声を聞く限りで、ケースは妹の夫の手で間違いなくグループGの同僚に手渡された。そう思った。だが、潜伏所からここまで来るには同僚は、政府にまだ顔が割れていない者でなければならない。そのような同僚の声には私も馴染みがない。もしかしてM将軍の一味かもしれない、と思うと不安だった。また、潜伏所まで約一時間、トラックで運ばれた。抗不安薬の効果か分からないが、パニック発作のようなものはなかった。また、揺れも耐えられた。だが、手足を伸ばせないのが辛かった。
  潜伏所に入ると同僚X(♀)、Y(♂)、Z(♂)の声が聞こえ、ようやく私は安心した。足がしびれて、しばらくは歩けなかった。私は、彼らに抱きかかえられるようにして、ケースの外に出た。Zは早めに潜伏したのでまだ政府に顔が割れていない。私とXとYは既に顔が割れている。私はZに地下の武器庫を案内してもらった。小型の掘削機も数台あり、ゆっくりだが確実に掘り進んでいると言う。私が見ても何が何やら分からなかったのだが、ライフル兼機関銃、ロケット砲はもちろん、小型ドローン、小型無人潜水艦、対空ミサイルまであるらしい。既に何人かの同僚が軍に潜入しており、横流ししてくれたらしい。訓練は地下で行える。戦車の部品も調達してある。この頃、戦車の自動運転や遠隔運転も発達していた。それらのための部品もある。そのうち車庫と出口を作って、戦車を組み立てる。いざというときは地上に出すつもりらしい。小型ドローンの操縦訓練は既に地下でしている。そのうち、小型無人潜水艦の操縦訓練をするプールも作るらしい。
  潜伏所から街への通路は既に多数できている。途中をドアだけでなく、土で閉ざすこともできる。だから、部分が暴かれても、全体が暴かれることはない。また、Xらが地下鉄、地下駐車場建設などの都市計画のデータを入手し、その予定地には掘らないようにした。
  政府側のスパイまたはダブルエージェントが潜入してくることはありえる。私たちはそれに備えて、面接でP教授のサマリーを理解しているか密かにテストした。本物のスパイならP教授のサマリーを読む暇もないだろう。だが、稀にそのサマリーを暗記してくることはありえる。だから、単なる暗記ではなく、理解しているかテストした。そのような「テスト」をZらが密かに街の居酒屋などでし、「合格」した者だけを潜伏所に連れて来た。また、外部の住宅街に見せかけの反政府グループGFを作り、しかも拠点を転々としてもらった。確信をもてない者はそこを拠点としてもらった。GFにはZらまだ顔が割れていない同僚が行き、有益な情報と兵器を含む物資をもらって帰った。GFにはこの本物の潜伏所を知らせず、場合によっては敢えて偽情報を流した。例えば、グループの本拠地は広大なAM山の中にあると。Zらも登山服を着てGFに行った。すると実際にそのAM山が捜索されているようだった。しばらくして、その地下にあると偽情報を流した。広大な山の地下…捜索は大変で、ずっと続くだろう。それが偽情報ということもばれないだろう。偽情報だということがばれると、GFやGFへのスパイに犠牲者が出る恐れがある。そのように、私たちは、GFや政権側のスパイを守るためにも、できるだけのことをした。そのように、犠牲者が出ないように心がけつつ「カウンターインテリジェンス」としてできるだけのことをした。
  私はさっそく、防弾チョッキとガスマスク装着の訓練を受けた。地下では全員がヘルメットだけでなくガスマスクを身近に置いていた。私は、例のシソ科植物EPの栽培を始めた。適当なプラスチックケースをプランターとし、地下を掘って出た土を利用し、LEDライトを設置した。しばらくはEPへの水やりが、私の仕事だった。一か月もすれば、新型ワインの密造密売が始まるだろう。

自己がやがて死ぬことへの不安を克服する決定的方法

  しばらく掘り進むと、何かの遺構の中を掘り進んでいることが分かってきた。だから、掘削が比較的容易だったのだろう。私は植物栽培のために、掘って出た土のより分けもした。その中にどうみても人間の死体のかけらがあった。衣服や眼鏡や義歯や、はたまた手錠までが付随していた。前腕の骨に錆びた手錠が絡まっていた。義歯が顎骨からはみ出ていた。掘り進むにつれて、死体の数が増えるようになった。これは記録に残さないといけないと考え、後で慎重に発掘調査することにして、その辺りへの掘削を中止した。
  A国では二千年代に入って今の独裁政権は二つ目である。前の独裁的な政権を今の政権が倒して、さらに独裁的になった。最初は、それらのどちらが出した死体か分からなかった。衣服に手記が残っていて、判読できることが多かった。それらの手記から、その辺りはいわゆる政治犯の地下牢で、人々は前の独裁政権に牢ごと生き埋めにされたことが分かった。そんな中に以下のような手記があった。
  まず、以下の引用から始まる。

  人間を含む記憶をもつ動物が、生まれて生きて記憶を失って死んで他の動物が生まれて…と繰り返すことは、動物が記憶喪失を繰り返しながら永遠に生きることに等しい。仮に地球上の生物が絶滅しても、無限の空間と時間をもつ宇宙の中で、地球上の記憶をもつ動物と同様の生物が無際限に発生し進化する。宇宙で記憶をもつ動物が、記憶喪失を繰り返しながら永遠に生きる。だから、自己がやがて死ぬことへの不安はない。

  これは二千年代に入ってしばらくして、白血病末期の少女が書いてベストセラーになった手記の一部である。人間においては一般に、三歳頃から自己のイメージが生成する。それとともに、宇宙の空間的時間的無限性がイメージされ、それに対する自己の有限性がイメージされる。そして、「自己がやがて死ぬことへの不安(The anxiety about the self's dying sooner or later)」が生じる。それは究極の不安である。その不安を克服するために、人間は宗教を創造し頼った。だが、宗教も何も、その不安を超える決定的方法を提示できなかった。少女は、その不安を超える決定的方法を提示した。既に衰退しかけていた諸宗教に決定的な打撃を与え、諸宗教はほとんど衰退した。結局、人間は、自己がやがて死ぬことへの不安を超えるために、宗教を作った。宗教がその不安を超えられず、少女がその不安を超えたとき、宗教の必要性はなくなった。今はその少女の手記が宗教の代わりになっている。
  私も、ものごころ付いた頃、そのような不安に耐えられず、一日中、泣いていた気がする。私が初めて読書したのはその少女の手記で、救われた気がした。といっても、その少女が生きていれば、私が子供のとき既に初老だった。私は子供ながらにその初老の女性を想像してみた。その想像の女性はよく夢に出てきた。私はその女性を子供ながらに「I」と呼んでいた。今ではIは、ほとんど老婆になって夢に出てくる。髪の毛は白髪だが、顔は少女のような顔をしていた。
  夢は、感覚と異なり、外的状況を直接的に反映しない。直接的には、自己または自己の内的状況を反映する。夢に出てくる外的状況は、自己の外的状況の認識を反映する。大人になってから、私はそのことをしっかり認識し、老婆Iの夢を自己への直面の手掛かりとした。間違っても外的状況を象徴するものにしないようにした。

人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛を減退させること

  地下にあった手記は、その少女の手記に留まらず、以下のように発展する。

  「…(上記の少女の手記の部分)…」と言われる。確かに死への不安はない。私たちは生と記憶喪失を繰り返して永遠に生きる。だからこそ、このような苦しみが延々と続く。私たちはそのことが耐えられない。苦痛の一部は、動物の固体または個人と種が生存するために必要である。例えば、皮膚への痛みは、攻撃が深部の内臓に達し致命的となることを防ぐ。また、飢えや渇きは、個体に食物と水を摂取させ、個体と種の生存を保証する。また、性欲不満は種の生存を保証する。それらの身体的苦痛だけが苦痛でない。人間は恐怖、不安…などの精神的苦痛ももつ。精神的苦痛も必要なことがある。適度な恐怖と不安は、人間が未然に危険を察知し回避するために、必要である。だが、人間は、戦争や虐殺や専制によって、不必要で執拗で大規模な苦痛を生じる。その真っただ中に私たちがいる。前述のように死への不安はない。だが、生と記憶喪失と生…の繰り返しの中で、再度、再再度…人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛を味わうのは耐えられない。そこで、宗教も必要だというのでは全くない。責めて、人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛を減退させたい。はるかかなたの星で生じる苦痛を減退させることはできない。だが同じ地球の中で生じる苦痛を減退させることはできる。人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛を人間が減退させることは、全く不可能ではない。それを死んで記憶喪失して生まれてを繰り返す人間、つまり、私に伝えたい。

  この発展は少女にできるものではなかった。想像を絶する苦痛の中では、過去に多くの人間がこの境地に至ったのではないだろうか。これは、人間が至りえる最深の境地だと思った。これは、生と記憶喪失を繰り返し実現可能な最大の欲求であり目的であると思った。それと同時に現実世界を超越する傲慢さも、人間の理性面と情動面での傲慢さもない、ささやかな欲求であり目的だと思った。あの少女の手記は自己がやがて死ぬことへの不安を克服したが、人間社会の倫理や道徳を提示できない、という批判が一部にあった。この地下の手記はその批判に答え、少女の手記を補完した。宗教がなければ、人間の価値や倫理や目的は生じないというのは、宗教の思い上がりである。宗教がなくてもこれだけの目的と欲求は生成する。いや、宗教がないからこそ、これほど明確な目的と欲求が生成する。快楽はそれぞれの個人が自由に追求すればよく、自由に追求する必要がある。それが個人の生き方である。それに社会は介入してはならない。それに対して、人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛を、私たちは減退させる可能性をもち、減退させる必要がある。それが個人と社会の生き方である、と思った。

権力を抑制し相互抑制させること

  さらに私たちは以下を補足する。不必要で執拗で大規模な苦痛を生じるのは、政治的経済的権力である。それらの権力を抑制しそれらを相互抑制させる必要がある。国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立し、民主的分立的制度を拡充する必要がある。そして、人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛を減退させ、自由を確保しつつ、全体破壊手段を全廃し予防し、地球や太陽の激変のときまで人間または進化した人間を含む生物が生存する。私たちの目的がより明確になった。
  再度慎重に調査を行えるよう、その辺りに至る目印を置き、その方向にそれ以上、掘削しないようにした。既に取り出した手記は写真にとって、現物は乾燥剤、酸化防止剤とともに封印し大切に保存した。あの少女の手記を引用として含むあの地下の手記と、その写真と、私の考察と補足を、私はネットワークで公開した。もちろん、発掘場所、発掘者、考察者…等は匿名にした。静かだが確実な反響を呼んだ。

権力疎外

  以下はそれらの目的を達成する手段の一つである。グループGと、諸国の同様の反政府グループは、政府と軍の主要施設近隣に一般市民が居住しない運動を展開していた。私たちはこれを「権力疎外」と呼んでいた。地球規模の権力疎外があれば、一般の戦争において、権力者と権力は、一般市民を犠牲にせず、互いを限定的に破壊することができる。全体破壊手段や大量破壊手段を使用する必要性が小さくなる。権力疎外は、全体破壊手段が実際に使用されたときに備えるのでは全くない。全体破壊手段が使用されれば、地球上のどこにいても無駄である。権力疎外は全体破壊手段の開発、保持、使用や全面戦争の必要性を減じる手段である。ここには国家という縦割りの構造に対して、世界の市民と世界の権力者という横割りの構造がある。
  権力疎外の目的は全体破壊手段を不必要にするだけではない。権力疎外は、全体破壊手段だけでなく、戦争全般に対して有効である。権力が権力どうしを破壊し合うだけで戦争が終わる可能性が大きくなる。仮に全体破壊手段が全廃された後も、また、予防されている状態でも、私たちは権力疎外を維持する必要がある。
  当初は私たちは権力疎外で、以上のような政治的効果を狙っていた。だが、以下のような経済的効果が既に現れていた。政府と軍の高官は主要施設から離れた郊外に住み、郊外から通勤するようになった。公私の大企業の本社と支社も郊外に移転し、重役らは郊外に移住した。さらに中級下級公務員を含む中間層も郊外に住むようになった。政府と軍の主要施設近隣の地価は低下し、五分の一以下になった。かつての高層オフィスビルは高層アパートに変り、家賃は十分の一以下になった。そこで、低所得者が主要施設近隣に移住した。そのようにしてスラム街が形成されていた。
  既に大都市は地下、地表だけでなく、地上の高所も、高層ビル、高層道路、高層鉄道…などで過密化していた。それらによって郊外に移住した高所得層、中間層は、政府と軍の主要施設に容易に通勤できた。政府は、スラム街にあった駅やインターチェンジの多くを閉鎖した。だから、スラム街の人々の主要な交通手段は、徒歩、自転車、バイクだった。つまり、スラム街の地上に雑多な交通手段が走っていたが、それらはスラム街を素通りするだけだった。スラム街の人々にとっては騒音と振動と太陽光不足があるだけだった。だが、スラム街の駅やインターチェンジを閉鎖したことによって、政治的権力者はスラム街に大規模に介入できなくなった。だから、スラム街に対する政府や軍の弾圧は少なかった。それらは、A国に限らず、世界的現象である。
  私たちはそのスラム街を潜伏所として選んだ。しかも、地下を掘って、地下に潜伏していた。結局、政府と軍のすぐ近くにスラム街と反政府グループの潜伏所が形成された。私たちはそれらを「二重円現象」と呼んだ。顔の割れていない同僚たちは地下に隠れる必要がなく、住民として街で暮らしていた。同僚は住民にも浸透し、いざとなればスラム街の人々数万人が集結し、政府と軍の主要施設を占拠できるようになっていた。それらも世界的な現象だった。
  A国の首都の政府と軍の主要施設の近隣には、以上のようにグループGが存在した。それに対して、首都以外の軍の主要施設については以下のとおり。人口増加によって、かつての辺境の軍事施設の近隣も過密気味になっていた。そこで、大なり小なりそれらの近隣でも私たちの言う「二重円現象」が生じた。グループGの分枝といえる、G1、G2…を形成し、首都以外の軍の主要施設の近隣に存在してもらった。ただし、政府にまだ顔が割れていない同僚に存在してもらったので、地下を掘る必要がなく、スラム街に潜伏してもらった。それらの同僚は住民にも浸透し、いざとなればスラム街の人々数千人が集結し、軍事施設を占拠できるようになっていた。そのような首都以外での動きも世界的現象である。
  これからは少し違う。他国では複数の反政府グループが犇めき合って潜伏し、共同または競合することがあった。このA国では幸か不幸か、他の反政府グループはなく共同も競合もなかった。数年ぐらい前までは他の反政府グループもあったのだが、政府と軍に殲滅されていた。それほど政府と軍の弾圧が厳しかった。また、A国の他のグループは、潜伏の重要性を軽視していたのだと思う。私たちは他国の反政府グループに潜伏することの重要性を伝えた。
  私たちが掘る地下が前述のような遺構ではなく、生きた施設らしいものの外壁に突き当たることはあった。だが、それは地下鉄や何かのパイプラインの外壁に過ぎず、私たちはただちにその方向に掘り進めるのをやめた。私たちのチャチな掘削機が、それらの外壁を突き破ってしまうことはなかった。むしろ掘削機が頻繁に故障し、私たちは修理と部品の調達に苦労した。
  政治的経済的権力者が非常時に逃げ込むような最新のシェルターは、郊外の地下の私たちの潜伏所や地下鉄とは比較にならない深さにできていた。政府と軍の主要施設からシェルターに専用の地下道が建設中だが、完成までに数年かかるとのうわさだった。そのようなシェルターの規模と質は諸国で差が大きいようだ。A国のシュエルターは最大とのうわさだった。いずれにしてもそのようなシェルターは一般市民にも反政府グループにも無縁だ、と私たちはこの時点では思っていた。
  経済的権力者は自社や自宅にかなりのシェルターを作っていた。だが、彼らはそのような私立のシェルターが信頼できないようで、公立のシェルターへの便乗を狙っているようだった。実際、彼らは公立のシェルターに相当な融資をしていた。地方自治体の権力者も、それなりのシェルターを作ろうとしたようだ。中央政府に援助を求めたが、難しいようだった。
  この時代、世界中に地方自治体設立の公的シェルターや市民が自主的に立てた私立のシェルターがたくさんあった。だが、一般市民はどのようなシェルターも信頼せず、全体破壊手段が使用されれば地球上のどこにいても無駄だと思っていた。いずれにしても、政治的経済的権力者が使用するような最新のシェルターとは自分たちは無縁だと、一般市民は思っていた。反政府グループの人間もそうだった。

敵や裏切り者の犠牲も少なくすること

  この頃、光彩認証は進歩していたが、依然、カメラに目を近づけなければ、認証できなかった。だから、通常の監視カメラでの認証は、近距離での光彩認証より、精度が低かった。だが、潜伏者が地上を歩いていて、監視カメラで探知される可能性は残っていた。この頃になると、同僚Xらが政府の探知システムにも侵入して、データを盗んでいた。さらに、グループGの中で、政府から最新のデータを入手しつつ、スタッフごとに監視カメラで探知される確率を求めるシステムを構築していた。私たちは実際に様々な角度でカメラに映って、探知される確率を割り出した。すると、まず、Xは十パーセント、Yは五十パーセントだった。私は髪の毛はボサボサ、髭はボーボーになっていたからか、一パーセントだった。Zは早めに潜伏していたので、そもそも政府にデータがなかった。
  ある日、例の見せかけの反政府グループGFから、政権側のスパイを拘束した、と同僚Zに連絡があった。私もZもXも困り果てた。見せかけのGFでスパイを処分するようなことがあっては困るのである。ZはGとGFの間を既に往復していた。Zと私は、例によって登山服でGFの拠点に徒歩で向かった。久しぶりに見る地上は新鮮だった。ビルの谷間にも太陽の光が指し、わずかに残る街路樹の新緑が透けて見える。スラム街を出て住宅地に入ると、警察官が巡回していて、少し緊張した。スラム街に警察はいなかった。スラム街は政府に相手にされていないようだった。
  GFの拠点に入ると、彼らのいう「スパイ」が拘束され目隠しもされていた。スパイは「P教授のサマリーを読んで、共感して活動しようと思った」と言う。GFのスタッフは、特殊警察の身分証明証を私たちに見せ「入って来た当初は特殊警察の者であることを言わなかった。今になって分かった」と私たちに言う。スパイは「特殊警察に居たのは何年も前だ。そんな過去を言う必要はないと思っていた」と言う。実際、その身分証明証の発行年月日は数年前だった。有効期限は書いてない。写真は若そうだ。スパイは必死で懇願する。「本当だ。本当に革命を起こしたいと思っていた」目隠しされているが、汗がにじみ、涎が垂れている。GFの一人が銃のストッパーを外し、その音が軽く響いた。拘束されているが、スパイが震えているのが分かる。彼が銃を構える。Zがその銃を降ろさせる。私は、Zを手招きして、別室で密談した。私はZに「Gの本拠地はAM山の中のどこだと言ってある?」と尋ねた。Zは「『AM山の中』とだけ言ってある」と答えた。私は「『AM山の中の地下』とあのスパイにほのめかして開放してやればどうだろう」とZに言った。Zはすぐにその意味を理解した。広大な山の中の地下となれば政府や軍はずっと探し続け、偽情報であることも分からないだろう。GFのためにもあのスパイのためにもなる。
  私とZは戻った。スパイは失禁していた。鼻血も出ていた。「頼む。本当に革命のために尽くす」と声はもはやかすれている。Zは「本拠地のありかを知っているか」とスパイに尋ねた。スパイはしばらく黙った。知っていると答えれば、殺されると思ったのだろう。GFの一人が「AM山を知っているはずだ」と言う。Zは「AM山のどこか知っているか」と誰にともなく尋ねた。誰も知らなかった。私は軽く「AM山の地下じゃねえか」と言っておいた。
  そのスパイは開放された。従来通り、GFは転々とした。実際、GもGFも調べられたり潰されることはなかった。後にそのスパイも生存が確認された。

  私の新型ワインは、グループGで「密造密売」の段階に入った。これはどんなに工夫しても、味が違うから、政府公認の酒類にするには無理がある。だから、スラム街の人々の協力を得て、外の住宅街で高値で密売するしかなかった。それが資金の増額に繋がった。X、Yらの潜伏当初から、グループGは潜伏所で、私が渡した製法を元に従来の酒類も製造していた。そして、空き瓶を入手するとともに、ラベルとキャップを偽造して、「政府公認」の酒とした。だが、それは、本物の政府公認の鎮静剤入りの酒類とは異なり、純粋な酒類である。それは本当の酔いを味わえる。それが売れすぎると、ラベルとキャップの偽造が発覚するだろう。そこで、それらをスラム街の飲食店、居酒屋に限って卸した。そのために、スラム街の居酒屋に行くと、何故か悪酔いしない、楽しく飲めるということで、外の住宅地からも客が来た。そのようにしてスラム街の居酒屋に関する限りで、貧富の格差はなく、居酒屋が一般市民の交流所のようになった。さらに、新型ワインの原料となっていた例のシソ科植物EPが、そのままで野菜としても旨く栄養があることが分かった。だから差し当たり、スラム街の飲食店と居酒屋にEPをそのまま卸し始めた。私はその卸を担当することになった。後に野菜としてのEPの製造販売が資金稼ぎの主流になった。さらに後には…それはまたのお楽しみ。
  私はそのうち潜伏所が退屈になってきた。髪の毛はますますボサボサ、髭はボーボーになってきた。それと薄汚れた作業着・作業帽姿で例の顔認証システムを試してみた。すると、探知される確率が零パーセントになった。私はそんな姿で街に出るようになった。スラム街には国籍、住民登録などの調査や捜査はなく、他国出身の無国籍者や、地方出身で住民登録していない人々が多数いた。その意味でも潜伏者には安全だった。
  政府施設や外の高級住宅街と比較するとビルは低い。ビルの谷間から見える空も比較的広かった。いずれにしても、二千年より前のスラム街とは高層ビルがある点で異なる。また、ヤクザ、麻薬等の製造密売グループ、売春婦や水商売女の斡旋グループ、人身売買グループ…などもない。それらは遠い昔に殲滅されていた。それらと政治的経済的権力が結託していたのは一部の地域でしかも遠い昔である。それらは政治的経済的権力のお荷物になっていた。だから、殲滅された。それほど政治的経済的権力が巨大になっていた。他の点ではスラム街は、従来とほぼ同じだった。高層アパートの家賃は安く、補修はなく、壁は汚れていた。だが、ビルの一階の薄汚れた大衆食堂や居酒屋がすごいリフレッシュになる。しかも、自作の混じり気のない酒類である。ほぼ毎日、通った。A国に公衆浴場の風習はなく、他国の風習も廃れていたのだが、スラム街にはあった。行きたかったが、さすがに行かなかった。潜伏所のシャワーで我慢した。散髪は評判の散髪屋があった。行きたかったが、この時点では髪の毛ボサボサ、髭ボーボーを維持するために行かなかった。ホテルについては、かつての高級ホテルが思いっきり大衆的なものになっていた。この時点ではいく必要がなかった。人々と話は大いにした。その頃には例のシソ科植物EPが野菜としても旨く栄養があることが分かっていた。私はそれを飲食店や居酒屋に安価で卸した。私はEPの製造と卸のお兄ちゃんで通った。スラム街の男や体力のある女の仕事のほとんどは土木である。どんなに機械やロボットや乗り物が発達しても、現場で資材を運び組み立てる仕事が残る。体力のないまたは体力を使いたくない女の仕事は水商売か売春である。遠い昔に売春は完全禁止となったが、スラム街には売春婦が住んでいた。ただし、スラム街の男たちはたいしたカネを持っていないから、彼女らは外の高級繁華街か高級住宅地まで赴いて仕事をしていた。売春は厳禁だけに、売春婦が稼ぐカネは相当なものだった。しかも、二千年より前にあったような買春や水商売の斡旋者を介さず、彼女らはインターネットで自力で客を探し当てていた。当然、納税はしない。買春の斡旋者がもはや存在しないのは、政府に殲滅されたこともあったが、売春婦や水商売女がインターネットで自力で客を探せるからでもあった。だから、女を食い物にする男は古典の中でしか出てこなかった。繰り返すが、暴力団と麻薬、覚せい剤等の薬物の製造密売グループは既に世界的に政府に殲滅されていた。もしそれらが残っていたら、私たちの資金稼ぎと競合し少しやっかいだっただろう。既にグループGは、私が開発したワインを密造密売していた。スラム街の人々の協力を得て外の裕福な人々に高値で売っていた。スラム街の人々には安価で売った。また、例のラベルとキャップを偽造した「政府公認」の酒類をスラム街の飲食店と居酒屋に安価で卸した。野菜としてのEPは、密売する必要がなく、当時は私が飲食店や居酒屋に卸していた。本来なら遺伝子操作されてない野菜だから高く売れるのだが、遺伝子操作された野菜並みの値段で卸した。スラム街の食料品店に並ぶのは安い遺伝子操作された野菜、果物か培養肉ばかりだった。自然で旨い食品を入手するには、外の高級住宅街の食料品店まで行かなければならなかった。子供や親の誕生日に食べさせてあげるために、自分たちは安価な食糧で我慢して、そこまで行って高価なものを買ってくる人々がいた。食料品店にもEPを卸したかったが、当時はまだ生産が追い付かなかった。

男と女と子供

  居酒屋では大いに語り合った。中には過去の栄光を語る人々がいる。人生を語る人々がいる。別れた配偶者や子供の話をする男も女もいる。そんな中にJ(♂)がいた。以下はJの話を要約した。
  Jは港湾の仕事をする。港湾でも、クレーンやコンテナの操作ロボットにはできない宙吊りの仕事が残っていた。Jはその宙吊りの人々が着ける安全帯を点検する仕事をしていた。それは責任重大だろう。その安全帯を着けて仕事をする人々も飲みに来て「Jが点検したものなら信頼できる」と言っていた。Jはすごい美人と結婚し、二児をもうけた。しばらくして、妻はJと結婚したことを後悔し、子供を巻き込んで子供とともにJを疎んじた。Jの同僚たちも両親も耐えかねて「あんな女とは別れちゃえ」とアドバイスしていた。それでもJは働いて妻子を養っていた。ある夜、家に帰ったら、妻が子供に飯を作らず、それをJのせいにしていた。妻は、Jがおカネを家に入れない、と子供に説明していた。そんなはずはない。Jは、自分が遊ぶカネをケチっても、家にカネを入れていた。妻のクローゼットには真新しい高そうな服が吊ってあった。子供は腹を空かしていた。Jはついに妻を一発、殴った。それから子供に飯を作って食べさせた。Jは仕事と炊事に疲れてすぐ寝た。
  翌朝、Jが目を覚ますと、妻も子供も居なかった。妻は離婚調停を出した。二千〇〇年、男女平等は既に遠い昔、達成されていた。だが、「男が働いて妻子を養う」「離婚した場合、子供は妻が引き取る」「養育費は子供一人当たり男の収入の十五パーセント」などの慣習法が残っていた。簡単に言って、男性にとっては最も辛い時代だった。Jたちについて、調停で「妻が二人の子供を引き取り、Jは子供二人分で収入の三十パーセントの養育費を支払うこと」となった。裁判に持ち込む方法もあったが、Jは調停の内容に応じた。調停に支払いの方法の規定はなかった。そこで、毎月一回、元妻は徴収にJを訪れた。
  この頃は元妻は居酒屋まで徴収に来ていた。その徴収の日だけは元妻もJも一見、穏やかで、カウンターに座って並んで飲むことが多かった。元妻は本当に美人で他の客ももてはやした。元妻が帰る頃、Jが元妻に現金入りの封筒を渡すときの悔しさを押し殺す表情が忘れられない。その後、元妻が帰った後、女性客も含めて飲んだ。本当に男にとっては一番、辛い時代だ。女性客も同情していた。
  そんなある日、元妻が若い男を連れてきて、婚約したと言う。若い男は軟弱でJにもへりくだったように話す。Jも「何だこんな男か」と言わんばかりに余裕をもって話していた。元妻はビジネスライクに養育費を要求した。このときばかりは、Jも私も女性客を含む店の客も唖然とした。元妻は「法律で決まったとおりに払ってよ」と言う。女性客も含めて、店の客のJに対する同情と、元妻に対する怒りが高じていくのが分かる。私は思わず「世の中、法律がすべてではない。お前らはJの養育費を辞退するべきだろう。それは法ではなく人道だ」と「人道」という言葉を生れて初めて使っていた。店の客たちの怒りを感じ取り、元妻とその男は何も言えず、二度と来なくなった。
  以下は後で分かったことである。あの若い男は外の高級住宅街に住む有名な富豪夫妻の息子で、元妻はその息子と正式に再婚し、子供は富豪夫妻が引き取った。さらにすぐに元妻は別の富豪と再々婚した。結局、子供は元の富豪夫妻が育てることになった。その富豪夫妻が子供の親権をもっていた。Jは、その富豪夫妻のもとへ、子供をどうするか、話し合いに行った。話し合いで、平日は富豪夫妻が子供を育て、土曜日曜はJが子供を遊びに連れて行くことになった。ついでに、土曜の夜はJは富豪夫妻の豪邸に泊めてもらうことになった。親権はJがもつことになった。

家ではライオン、外ではネズミ

  しばらくして、Jは飲みながら「俺はすごい女と結婚していたんだな…」「子供もすごい富豪になるんだな…」と感心していた。私は「そもそも結婚したのが間違いだ。相手を選べよ」と言っていた。「そうだな。だけど、恋愛のピークにはそんなこと考えられないだろう」とJ。「それもそうだな」と私。そんなとき、テーブル席に子供連れの夫婦が来て座っているのに気づいた。夫婦は飲んでいた。子供は夕食を食べながらゲームをしていた。夫婦は、子供に向かって、子供が近所の人に挨拶しないことを叱っている。子供が構わずゲームをしていると、夫婦は「人の話を聞きなさい」「人の目を見なさい」と叱る。Jは「子供を飲み屋に連れてくること自体が間違いだ」と言う。私は思った。居酒屋に子供が来るぐらいは構わない。大人が偏狭な価値観を子供に押し付けることが問題だ。挨拶をすること、人の話を聞くこと、人の目を見ること…などが悪いことだと言っているのではない。それらは強要するものではなく、それらをしたい人がすればよいことである。実際、そのようなことの強要は市民の間で「押しつけがましい」とタブーとなっていた。子供についてもそれが言える。いや、特に子供について言える。だが、何故かそれらを子供や配偶者に強要する若い男女が増えていた。外で他人に抑圧され他人を支配できない分、家で子供や配偶者を支配している。「家ではライオン、外ではネズミ(A lion at home and a mouse abroad)」と言われる対人機能である。私はその夫婦に「そんなことどうでもいいじゃん。どうしても言いたいなら、子供に言うより政府前広場で堂々と言えば」と言っていた。Jも「嫌なやつに挨拶しなくていいんだよ」と子供に言う。その夫婦は以降、来なくなった。子供はJと遊ぶためときに来た。「親はなくても子は育つ」と昔から言われる。「居ないほうがマシな親もいる」そこまではいいだろう。「俺はほとんど家に居ない。そんな親のほうがマシだろう」というのはちょっと無理があると思ったので、言わなかった。そもそも、私は独身で、EPを実直に卸す兄ちゃんで通っていた。

権力そのものを否定しているのではない。権力を民主化し分立しようとしているだけだ

  グループGは混じり気のない純粋な酒類を「政府公認」の酒類として飲食店や居酒屋に卸した。そのために、飲食店や居酒屋は繁盛した。以下のことは完全に想定外のことである。混じり気のない純粋な酒であるからこそ、アルコール依存が顕在化した。そのために、断酒しようとする人々が出現した。居酒屋でもアルコール抜きで会話を楽しもうとする人々がちらほら居た。アルコール依存者のミーティングに参加する人々もいた。
  私も居酒屋の女性客に誘われてミーティングに参加してみた。昔のAA(Alcoholics anonymous)なるものは宗教がかっていたらしい。今のミーティングに宗教はない。参加者は宗教があったほうがむしろ楽に「断酒」できたかもしれない、と言う。私は思った。私や同僚X、Y、Zには目的がある。「目的があれば断酒しやすいのではないか」と言ってみた。参加者の多くが「そりゃそうだ。だが、目的なんて見つからない」と言う。何もこの人々だけでなく、目的がないから苦労している人は多い。だからと言って目的は与えられるものではない。この人々は何故、集まっているのだろう?私は「断酒することが目的になっているのではないか」「集まることが目的になっているのではないか」と言ってみた。「そうかもしれない」という反応はあった。いずれにしても目的は与えられるものではない。国家のためとか、企業のため…などの目的を強要されては困る。
  後で聞いた話だが、自助グループの中にもリーダーのポジションを巡る確執や派閥争いがあるらしい。それが嫌になってやめて行く人が多いらしい。また、障害者をサポートするNPOやNGOの中や間にも争いがあるらしい。どこにも「権力闘争」があるのか…それは人間社会の性だと思った。それならやはり権力分立だと思った。反政府グループ内では、世界的に民主的分立的制度が自然と現れている。他のグループにも参考になると思った。だが、押しつけがましいと思われては困るので、参考にして欲しいとも言わなかった。民主的分立的制度の本来の適応は国家以上にある。
  居酒屋の客の中には元軍人や元警察官もいた。有能な人々は既に同僚Zらがスカウトしており、私はスカウトしなかった。元軍人や元警察官は言う。スラム街の「監視カメラは機能していない」と。敢えて監視カメラの真下で立ち小便をする元警察官もいた。自警団のようなものもできあがり、警察の巡回を見張っていた。だが、警察ももはやスラム街を相手にしていないようで、巡回はほとんどなかった。
  退役しているとはいえ、彼らの価値観には「権力崇拝」のようなものが残っていた。「権力がないと何もできない」「権力をもたない者が偉そうなことをいうな」…など。「権力がないと何もできない」について、全くその通りだと思った。権力がないと、自由権を擁護することも、社会権を保障することも、自然を保全することもできない。私たちは権力そのものを否定しているのでは全くない。権力を民主化し分立しようとしているだけだ。「権力をもたない者が偉そうなことをいうな」について、これも一部は当たっている。権力を民主化し分立するためには、多少の権力をもつ必要がある。世界の反政府グループは、自衛のための武力、情報発信のためのネットワーク、自分たちで稼いだ資金…などをもっている。
  あるとき退役したばかりの軍人が居酒屋にやってきた。彼は飲みながら、語ってはならないと思われる軍の内部事情を語り始めた。私は黙って聞いていた。軍の中にすごい美人の女スパイが居て、M将軍の溺愛を受けている、といううわさが軍の中で立った。そのスパイは研究機関に潜伏していたが、司令部に昇進したらしい。ある日の深夜、そのスパイはM将軍を暗殺しようとした。暗殺は未遂に終わった。女スパイがどうなったかは知らない。その女スパイは軍の中で伝説になっている、と言う。
  それらの半分はうわさに過ぎない。だが、その女スパイがあのTであり、Tが失踪後、M将軍に立ち向かって行ったことに間違いはない。それだけでも伝説の女スパイだ。しかも私を巻き込まずに、たった一人で立ち向かって行った。私は、Tに私の素性を明かし、Tを潜伏所に連れて来ればよかったと一瞬、思った。また、Tがまだ生きているなら、そうしようと一瞬、思った。だが、スパイにはスパイのやり方がある。潜伏者には潜伏者のやり方がある。スパイより地味で地道な潜伏者のやり方は、スパイには似合わない。また、私たちは、誰かに命令されるのではなく、自分の意志でやっている。また、私たちの目的はスパイやテロリストの目的と全く異なる。例えば、私たちは自らの命を掛けたり、同僚や市民を犠牲にしてまで、M将軍を暗殺しようとは思わない。Tは伝説に終わったと思った。だが、スパイから抜け出して、どこかで生きていて欲しいと思った。そして、普通の男と女として愛し合いたいと思った。
  だが、少しして高ぶりがなくなると、Tのような伝説的美人が、普通の男と女として、私と付き合うわけがないと思った。だから、Tと終わりにしないといけないのは、私だと思った。だが、Tに生きていて欲しいと少しは思った。乳幼児期に虐待を受けながら形成されたような自己への直面を、私はTとともにしてみたいと思った。

自分の仕事が部分的であることをわきまえること

  この頃、政治的経済的権力者は、街中や僻地で医療をする「臨床医」をもてはやしていた。何故なら、何も言わずにコツコツと医療をやる臨床医は、権力者にとって、益はあっても害はないからである。それに対して、生物学兵器、特に「不変遺伝子手段」を開発する可能性をもつ研究者は、父のように拉致、拷問となる。私もそうなりかねない。独裁制や全体破壊手段を批判する者は、P教授のようにいきなり暗殺となる。そのようなことを訴える研究者よりは、臨床医のほうが、権力者にとって都合がよい。
  例の居酒屋に、ある老女医がときに来ていた。彼女はこのスラム街で内科・小児科診療所を開業し、既に引退していた。だが、彼女は今もスラム街の人々から慕われていた。私はその老女医と、ときに話をするようになった。老女医は以下のようなことを語る。「自分は若い頃は、癌の克服とか、安全な遺伝子治療とか、研究の道を目指していた。だが、かなわなかった。そこで、臨床に専念し、ここ(スラム街の前身)で開業した。臨床とは、人類の生存とか市民の福利とか…ではなく、個々の命を救い、個々の人間の健康を維持することだ」と。私はドキッとした。私たちは、人間を含む生物の生存とか、人間の自由とか言っている。それへのあてこすりのようにも聞こえる。老女医は続ける。「最初は臨床にやりがいがあった。この街の人々に喜ばれると嬉しかった。だが、世界では、戦争や飢饉で何百万人の人々が数日で亡くなっている。それに対して、自分は個々の命を救うことはまれで、一日に数十人の健康管理をしているだけだ。臨床医の仕事ってなんてやりがいがないんだろうと思った。おまけに、医者は人の命を救うことがあたりまえだと思われる。人を健康にすることがあたりまえだと思われる。そこで、ちょっと医療ミスがあったり、患者に高慢な態度をとると、痛烈に批判される。やってられない。食えなくてもいいから研究に戻ろうか、臨床をやめようか、と思うことがよくあった」と。さらに続ける。「次第に、それぞれの人間は自分の仕事が部分的であることをわきまえる必要があると思ってきた。臨床医は個々の命を救い個々の人間の健康管理をしているに過ぎない。研究医は検査法や治療法を開発しているに過ぎない。現場で検査や治療を行い、個々の人間に対しているのは臨床医だ。それはそれで大変だ。農民は個々の植物を育てているに過ぎない。食糧資源開発者は植物の遺伝子を操作しているにすぎない。個々の食糧を生産しているのは農民だ。それはそれで大変だ。臨床医もそれと同様だ。それ以上の者でもそれ以下のものでもない」と。私は、その老女医からその言葉を聞いて、目から鱗が落ちたような気がした。私も、自分の仕事が部分的であることをわきまえ、それへの意欲が湧いてきた。P教授や私は、権力を民主化し分立する方法を収拾しまとめたに過ぎない。それはすごいと思われるかもしれないが、意外と簡単だ。実際に権力を民主化し分立する者たちのほうが大変だ。実際に民主化し分立するのは、同僚XやYやZだろう。彼らのほうが大変だ。だが、それ以上のものでもそれ以下のものでもない。P教授も私も、それ以上の者でもそれ以下のものでもない。臨床医にしても、研究者にしても、政治家にしても、企業家にしても、革命家にしても、自分は世界の全体を変える仕事をしていると思っている人間は、危険だと思った。まさしく全体主義へ走るからである。
  特に政治的経済的権力者は、自分たちの業績を誇示する。特に経済的権力者がそうである。例えば、ある企業家は言う。「自分は、痩せた土地でも生育する作物を開発し普及させ、食糧難を解消している」と。だが、そのような作物を開発したのは、生物学系の研究者である。彼らはむしろ、特許権の乱用と独占によって、そのような作物の普及を妨げている。確かに、特許は、科学技術の進歩、環境の保全、資源の有効利用、医療福祉…などのために必要である。だが、行き過ぎた特許の申請や政府が行き過ぎを認可することは、それらを阻害する。この頃、政府による特許の認可は、公正でなかった。それにはかなりの偏向があった。それも政治的権力と経済的権力が「癒着」しての「独裁」と「独占」に含まれる。

自己と世界の間の間隙

  あの少女の手記と地下の手記によって、宗教は完全に不要になっている。だが、地下の手記を本格的に普及できない状態にあることによって、宗教にまつわる議論が残っていた。
  例の居酒屋には「歩く哲学者(Walking philosopher)」や仏教家(Buddhist)もよく来ていた。私はたまに話をするようになった。彼らが議論を始めた。歩く哲学者は以下のように言う。
  あの有名な少女は、「人間を含む記憶をもつ動物が、生まれて生きて記憶を失って死んで他の動物が生まれて…と繰り返すことは、動物が記憶喪失を繰り返しながら永遠に生きることに等しい...だから、自己がやがて死ぬことへの不安はない」と言うが、自分はそうは思わない。心的現象、つまり、「わたしに現在に現れているもの」は、あなたには決して現れない。他人には決して現れない。だから、私は他の人間や動物と入れ代わることができない。私が死ねばすべてが無になる、と言う。
  なるほど、「わたしに現在に現れているもの」つまり厳密な「心的現象」に着目すればそうなるかもしれない。
  それに対して仏教家は以下のように言った。
  それは正しいように見える。私は他の人間や動物と入れ代わることができないと。人間は誰もそう思っている。だからこそ、人間はそう思っている人間と入れ代わることができるのだ。私が死ねば、あなたになる。あなたが死ねば私になる。だから、あの少女の言ったことは結局、正しい、と言う。
  私は、仏教家の逆説的表現に感心した。だが、よく考えてみると、あの少女は既にそれらのことを手記に記していた。つまり、あの少女は心的現象に限定したアプローチもしていた。いずれにしても、仏教家はそこまでにしておけばよかったのだが、さらに以下のように続けてしまった。
  結局「輪廻」は正しい。だから、苦痛は延々と続く。だから、私たちに残された道は、「来世」で「解脱」するしかない、と言う。
  他の客は「また、始まったか」と言わんばかりに笑っていた。他の客は、他人の思想を自分の宗教の教義にこじつけてしまうことに辟易したのだろう。私は、
  「来世」や「解脱」などあるわけがない。彼らの言う「現世」があるだけだ。この地球上で苦痛を減らす努力をするしかない。苦しむ一般市民が、権力に反抗せずに、「来世」に行ってしまったのでは、権力者には好都合だろう。
  個人が、宗教を批判することが言論の自由であるのと全く同様に、宗教を擁護する発言をすることも言論の自由である。また、個人が、宗教を信仰することが自由であるのと全く同様に、宗教を信仰しないのも自由である。個人のレベルではそれだけのことである。社会的には少し難しい。政治的経済的権力者がどんな形にせよ宗教を利用することは、禁止されなければならない。公的学校における宗教教育も禁止されなければならない。家庭においては問題が残る。親が子に宗教教育を施すことはどうだろうか。恐らく、それは親が自主的に控えるべきことだろう。
  さらに考えた。
  人間の認識に限界があることは確かである。人間が認識できないものが存在し機能していることは確かである。だが、人間の認識の限界を人間はまだ完全に認識していない。だから、存在し機能しているもので認識できないように見えるものも認識できるかもしれない。それを認識しようとしてみる必要がある。そこでは過去の先人たちの試みが大いに参考になる。もちろん科学は参考になる。哲学や文学や芸術さえも参考になる。神学と哲学の重なりさえ参考になる。だが、正直に言って、宗教はあまり参考にならない。
  だが、高齢者の間では、伝統的な宗教を支持する人々がちらほら居た。居酒屋にもときに来ていた。そのような人々は「あの少女の思想は、『死』を克服しても、人間の倫理や道徳を提示していない。倫理や道徳がなければ社会はなりたたない」と言う。私はそのとおりだと思った。だからこそ、あの少女の手記から発展したあの地下の手記をもっと普及させる必要がある。宗教がなくても「人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛を人間が減退させる」という欲求や目的は発生する。ただ、今の独裁政権の下では、あの地下の手記を、発掘場所まで公開し、さらに発掘調査し編纂することはできない。あの地下の手記の本格的な普及は革命後になる。あの地下の手記が普及した後は、以下のように言っていいだろう。従来の宗教も思想も、全体破壊手段を全廃できず、民主的分立的制度を確立できず、生存と自由を両立させることができなかった。そんな宗教や思想に存在価値はない。
  また、伝統的な宗教を支持する人々は言う。「あの少女は容易に死を克服し過ぎた。人間は死への不安にもっと向き合う必要があるのではないか」と。私はそれにも一理あると思った。だが、以下のことも考察しなければならない。
  人間では三歳以降に自己のイメージが生成し、それとともに世界の無限性に対する自己の有限性が認識される。それによって「自己がやがて死ぬことへの不安(The anxiety about the self's dying sooner or later)」が生じる。乳幼児期に母親の愛情とケアの希薄などがあり、疎外され孤立したとき、以下のようになることが多い。孤立していると、イメージの中で自己と世界の間の間隙が広く深くなり、世界の無限性に対する自己の有限性が際立ち、自己がやがて死ぬことへの不安が強くなる。そして、自己を永遠化しようとする欲求が強くなる。それらも「悪循環に陥る傾向」に含まれる。思春期以降は自己を永遠化する手段が練られる。「伝説」や「偉業」や「栄誉」を残す…などの手段である。そのような手段が問題となる。特に問題となるのは、国家や民族の存続と繁栄のために、政治権力を強固にする、軍備を拡張する、戦争で勝利する、領土を拡張する、経済を発展させる…などである。また、本来は手段であるはずの権力やカネに埋没してしまい、ひたすら政治的権力または経済的権力を獲得し振るおうとすることがある。それらが「人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛」を生じる。
  乳幼児期からもう一度、辿ってみる。主として母親の愛情とケアの希薄によって三歳までに、粘着性、自己顕示性、支配性、破壊性…などが過度に形成される。主として孤立によって三歳以降に、自己と世界の間の間隙、自己がやがて死ぬことへの不安、自己永遠化欲求…などが大きく深くなる。主として思春期の年長者の模倣によって支配性と破壊性が強くなる。主として思春期以降に権力欲求が強くなる。自己永遠化欲求の強い人間において特に権力欲求が強くなる。それらによって、権力者が、人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛を生じる。それらのことに私たちは権力者とともに直面していく必要がある。端的に言って、権力者の自己がやがて死ぬことへの不安を減退させてあげる必要がある。

いかなるもののためにも制限されてはならない自由権

  さて、例のシソ科植物EPの野菜としての売り上げは伸びていた。まず、スラム街で普及し、周辺の高級住宅地に波及した。また、もはや漁もできなくなったように見える海まで自転車で行って、新鮮な魚を釣りや仕掛けで獲ってくる人々もいた。また、鶏やはたまた豚を育てる人々もいた。そんなこともあって、スラム街の飲食生活はけっこう自然で豊かなものになった。気のせいかもしれないが、人々が健康的になった。売春婦や水商売女には肉感が出てきた。それを喜ぶ者も嘆く者もいた。高級住宅街からわざわざ主婦が来て、食材を買って行くことがあった。政府の下級中級公務員が帰りにスラム街に寄って、飲み食いして帰ることもあった。軍高官や上級官僚が売春婦や水商売女を連れ出し、彼女らだけが朝になってタクシーで帰還することもあった。
  彼らに連れ出されるまでもなく、夜になると外の高級繁華街まで行って、水商売や売春をし、朝方になって帰ってきて酒を飲む女が、もとから多々いた。潜伏者にもカネはなく、私は朝になって帰って来る彼女らの愚痴を聞くだけだった。彼女らの多くはシングルマザーだ。朝になってスラム街に帰ってきて、店で飲んで、日が昇った後に家に帰って、子供を起こし朝食を食べさせ、保育所に送って行って、帰って眠って、夕方に子供を保育所に迎えに行って、子どもに夕食を食べさせ、寝かせてから外の繁華街に向かう。
  さらに売春婦や水商売女が、政府や軍の高官のスキャンダルを誘発することが多々あった。特にM将軍のスキャンダルには目に余るものがあった。売春そのものが違法でありスキャンダルでもあるのだが、それ以上のスキャンダルがあった。金払いはよいが、身体を拘束して好き勝手なことをやる。それはいわゆるSMのレベルを越えている、と売春婦らは言う。そんな中に売春婦Kがいた。Kもシングルマザーである。Kは特にM将軍のお気に入りだった。ある日、Kは子供を置いたまま、朝になっても夜になっても帰って来なくなった。Kは子供をほったらかしにするような人間ではない。その子供が路上で母を待っている姿が忘れられない。
  少なくとも私と同僚XとZは、M将軍のスキャンダルを暴露することを考えた。
  自由権は本来、公的武力を含む公権力からの自由であって、私的権力からの自由ではない。言論の自由は本来、公権力の保持者の不正を暴露し批判するためにあり、一般市民を誹謗中傷したり一般市民の私生活を暴露するためにあるのではない。一般市民を誹謗中傷したり、一般市民の私生活を暴露することは、完全な自由ではなく、一定の条件のもとに制限されえる自由権である。それに対して、公権力の保持者と公権力に係る言論は完全な自由である必要があり、いかなるもののためにも制限されてはならない自由権である。
  では、公権力の保持者の私生活の暴露や批判についてはどうだろうか。そのような私生活は公権力に係わりがないように見える。だが、もしそれらの暴露や批判が制限されるなら、公権力の保持者が私生活を守るという名目で、公権力に係る言論まで制限する恐れがある。だから、そのような私生活の暴露と批判も完全な自由である必要がある。
  また、公権力に係る偽情報の発信についてはどうだろうか。ここでも、偽情報のそれが制限されるなら、普通の情報のそれが制限される恐れがある。だから、公権力に係る言論については、偽情報の発信も完全な自由である必要がある。
  結局、公権力の保持者と公権力に係る言論は、公権力の保持者の私生活の暴露や批判や偽情報の発信も含めて、完全な自由である必要があり、いかなるもののためにも制限されてはならない自由権である。
  だからと言って、権力者のスキャンダルの暴露や偽情報の発信を勧めているのでは全くない。それらをしたい者や見て聞きたい者がそうすればよく、したくない者はしなければよいだけのことである。それも自由である。市民も他人のスキャンダルを喜んでいるほど暇ではない。また、普通の情報と偽情報の見分けがつかないほど馬鹿ではない。
  拉致、誘拐、強姦、殺人等は、スキャンダルどころか犯罪である。それを捜査し告訴するのは検察、警察である。だが、今の警察や検察に権力者の捜査や告訴を求めても無駄である。また、M将軍の実態を知らずに、M将軍を崇敬する部下や市民がいるかもしれない。そこで、売春婦Kの失踪の背後にあるものは後回しにして、とりあえず明白なKが誘発したM将軍のスキャンダルを暴露してやろうと思った。だが、実際にはその時間がなかった。私と同僚Xは超大国Bへ赴かなければならなかった。同僚ZとYを含む他のスタッフは、迫りくる危機に集中しなければならなかった。

悪循環に陥る傾向への直面

  B国に向かう密航船の中で私は少しばかり回想した。私とあの売春婦Kは十数年前に付き合っていた。当時、私はまだ未婚、B国への留学からA国に帰ったばかりで、A1大学の準教授だった。当時はスラム街は形成途上にあった。大学の帰りにたまたまその街の飲み屋に寄ると、Kが働いていた。Kも未婚。まだ売春どころか水商売とも言えず、Kのほうから寄ってきて、いい仲になった。
  Kは、ともかく、人から離れない人を離さない。人の家から帰らない、自分の家から人を帰さない。人を巻き込み操作し、自傷をしてでも、人を離さない。やがて、私のアパートに入り浸った。私が出て行ってくれと言うと、Kは自分の手首を切り始める。私がアパートに帰らないと、電話をひっきりなしに掛けてくる。電源を切ってアパートに帰ると、大人しくしていたので、よかったと思っていた。しばらくして、アパートでパソコンで書いていた大事な論文に、古典的な隠語が埋め込まれていることが分かった。何を言っても無駄である。と思っていた頃、出て行ったまま二、三日、Kを見ないことがあった。と思うと、研究室のドアを開けると、Kが私の椅子に座っていた。ゆっくり椅子を回して微笑んでいたあの顔は、何とも表現のしようがない。目は笑っているが、頬が引きつっていた。
  Kの両親はKが生まれて間もなく離婚。母親は男から男へと渡り歩いていた。Kは放置され、発育不全を医者から指摘されたこともあった。ものごころついた後にも、母親が家に男を連れて来て、Kは外に放置されるか、家のトイレで静かにしているしかなかった。
  私は、B国留学から帰って来た頃から、A1大学で、P教授(当時も教授)だけでなく、臨床心理学のR教授(当時は准教授)とも仲が良かった。当時は飲んで語ることはRとのほうが多かった。二千年前後の臨床心理学は基本的な概念が明確でなく、一般市民には難解だった。それをRらが中心になって、概念を分かりやすく整理した。その整理に私との飲み語りが役立っていたと思う。それはRも認めていた。また、男性より女性のほうが支配性や破壊性や権力欲求が少ないだろう。ということで、女性の政界進出がもてはやされた時代があった。だが、その後、支配性や破壊性や権力欲求に、男女差がないことが実証された。実際、B国のBP大統領を初め世界の独裁者の約三分の一が女性だった。つまり、女性の美徳と見られた部分についても男女差はない。それを実証したのがRだった。それによってRは世界的に、学会の中でだけでなく、市民の間でも有名になった。私がRとよく飲み語りをしたのは、Rがそれを実証し有名になる前だった。飲んでいろいろ語り合った。Kのことも飲んで語るだけで、相談というほどではなかった。
  ある夜、Rは私に臨床心理学を語り始めた。二千年前後の臨床心理学は、乳幼児期に最も頻繁に子供に接した人間を、主たる養育者等と呼んでいた。そのような呼び方をしていると言葉が煩雑になる。また、一般市民の多くにとって、それは実母である。そこで、それをRたちは「母親」と呼んでいる。いずれにしても、その母親は実母でも義母でも、実父でも義父でも、祖父母でも兄姉でも、近所の人や保育士でもありえる。また、臨床心理学で問題となるのは、あのTにあったような虐待、放置などの極端な例だけではなく、一般の愛情とケアの希薄である。それを二千年前後の臨床心理学は様々にとらえ様々な呼び方をしていた。例えば、母親が全般的な欲求不満に陥り、子供を囲い込んで愛情以外の欲求を子供で満たすときも、愛情は希薄になる。そのように母親の愛情が希薄になる過程は様々だが、愛情の希薄が子供に与える影響はほぼ同じである。また、どんな場合も愛情が完全に欠如することはない。だから、Rたちは、母親の愛情が希薄であることを、文字通り「愛情希薄」と呼んでいた。Rは言った。「乳幼児期に母親の愛情とケアが希薄であると、子供は母親の愛情とケアに満足できず、いつまでも母親の愛とケアを求めて母親に粘着し自己顕示し母親を支配し破壊し続ける。通常は三歳前後に子供は、母親の愛情とケアに辟易して、母親に粘着…などしなくなる。また、母親以外に人間関係を広げ、母親以外に粘着…など以外の対人機能を生じる。そして、粘着的、自己顕示的、支配的、破壊的傾向が減退し、少しずつ独立していく。それに対して、母親の愛情とケアが希薄であると、子供は愛情とケアに辟易することができず、いつまでも母親に粘着…などし続け、過度の粘着的、自己顕示的、支配的、破壊的傾向が形成される。乳幼児期を過ぎると母親以外にも粘着…などし続ける。それらの傾向を『悪循環に陥る傾向』または略して『陥る傾向』と呼ぶ。二十世紀前後に『人格障害』や『発達障害』と診断されていたものの多くが、この陥る傾向だということが分かってきた。いずれにしても、遺伝とか神経系の機能的器質的障害によるのではなく、乳幼児期からの状況と自我によって形成されてきたものだ」と。さらに飲まずに続ける。「陥る傾向は、人間の誰もが大なり小なりもっている。特に多いのは粘着的傾向だ。粘着的傾向は『ネチネチしている(Sticky)』とか『人に話を聞かせようとする』とか言えば、一般市民にも分かりやすいと思う。いや…それより多くてやっかいなのが、『イメージとして想起される自己の陥る傾向を回避し取り繕う傾向』だ。簡単に言って、自己の汚い側面を見たくない。まだ、幼少の頃の貧困や戦争や虐殺ならまだしも、母親に愛してもらえなかったことを大人になっても引きずっているなどということは、恥ずかしくて認めたくない。だから、自己の陥る傾向がイメージとして想起されたとき、そのイメージを回避する、取り繕う。それによって、私たちは自己の陥る傾向に直面できず、陥る傾向は一向に減退しない。これこそが最大の悪循環だ。つまり、陥る傾向の最大の原因は、乳幼児期の母親の愛情とケアの希薄や母親の囲い込みや思春期の模倣…などにあるのではなく、思春期以降のイメージとして想起される自己の陥る傾向を回避し取り繕う傾向にある。簡単に言って、他人や子供の頃の環境にあるのではなく、大人になってからの自己にある」さらに「これからが大事なことだ」と飲まずに続ける。「陥る傾向を減退させるには、話を聞くとか、寄り添うとかも必要だ。だが、それだけでは十分ではない。私たちのそれぞれが、自己の陥る傾向に直面する必要がある。カウンセラーは、傾聴し寄り添いつつ、その直面のお手伝いをするというのが、今の臨床心理学の主流だ」そこまで話して、今度は飲んで「お前は、傾聴し寄り添いつつ、その直面のお手伝いをしてみろ」と私に言う。これは相談ではなく飲み語りなのだから、「よし、やってみよう」と言うのでは面白くない。代わりに私は「お前がやれよ。お前に押し付けてやるよ」とRに言っていた。
  ところが、それが冗談でなくなった。私はKに心理カウンセリングを勧めた。Kもカウンセリングに興味をもって、カウンセラーを探した。私が勧めたわけではないのに、A1大学のカウンセリングセンターを訪れて、たまたまRについた。すると、Kは私から去って行った。
  後にRと飲んで語っていると、Rは最初は「いい症例をありがとう。いい研究ができるよ」と言っていた。だが、飲み進むにつれ、RもKに相当、苦労していることが分かった。Rは少し痩せた。Rの顔にはいかにもコップを投げられたという傷があった。Rの酒量は増えた。Rの今後の研究にも係るのではないかと思った。そんなある日、KはRからも去って行った。Rはしばらく立ち上がれなかった。しばらくして、Rは立ち直って、語る。「精神障害者や人格障害者に限らず、人間の誰もが、それぞれの陥る傾向をもっている。思春期までにその傾向が形成される。思春期以降は、誰もが自己の陥る傾向に直面し、その傾向が減退していく。それが人生だ」と。Rによると権力に過度に反抗する傾向も、陥る傾向に含まれる。だが、それは乳幼児期の母親の愛情とケアの希薄によって形成されるのではなく、思春期に形成されるらしい。私も父に反抗し、権力に反抗する傾向が形成され、その傾向に直面し、権力に過剰に反抗する傾向が減退してきたと思う。そして、権力者に反抗するのではなく、権力そのものを民主化し分立する必要がある、と思うようになった。臨床心理士も同様に、自己の陥る傾向に直面し、それを糧にしてクライアントとともに陥る傾向に直面していくのだと思った。だが、これは飲み語りだから、「お前もたまには分かり易いこと言うじゃないか」と言っておいた。その後、Rの論文をちょっと読んでみると、本当に分かり易くなっていた。いずれにしても、よく語り合っていると、互いに表現方法を拝借して、表現方法が似通ってくるのだと思った。また、思考内容についても、互いに吸収し合って、似通ってくるのだと思った。それらはP教授と私についても言えると思う。以上が密航船で思い出したことである。以下は密航船で考えたことである。M将軍もたいへんだっただろう。M将軍はどうKと接したのだろうか。以下は後に推測して、私が考えたことである。M将軍は権力を使って解決したようだ。それが権力者のやり方か。こういう場合は、一個の人間として、その人間とともに自己の陥る傾向に直面するべきではないのか。そのようにM将軍に言いたかった。
  私は専門分野で、遺伝子を究めようとしてきた。また、原子核も、少しは究めようとしてきたと思う。つまり、ものそのものの世界における微小な二つの「核」を究めようとしてきたと思う。それらに対して、あらわれるもの、つまり心的現象の世界における「核」と思われる自我の働きも、究めてみたいと思った。

戦争と革命と全体破壊手段の全廃の並行

  既に、A国の反政府グループGの同僚Xらが構築したネットワークは、世界中の反政府グループと市民が利用する世界的ネットワークになっていた。それをさらに強固にするためには、情報技術者が一か所に集まる必要があった。また、既に世界中の反政府グループが独裁と全体破壊手段に対する対策をネットワークで練りあげ、ある程度、言語化していた。だが、それらをさらに明確に言語化するために、実際に筆を執る者が対面で協議する必要があった。それらの会合の場所としてB国の反政府グループHの潜伏所が選ばれ、A国のグループGからXと私が選ばれた。また、世界中の反政府グループが資金集めに苦労しており、例のシソ科植物EPの種子を必要としていた。そこで、Xと私と種子がB国に運ばれることになった。
  その頃にはあのE国の密輸・密航グループが世界で暗躍しており、世界中の反政府グループのスタッフと軍需品を含む物資を密輸、密航させていた。私たちはお世話になった。私については二回目だった。相変らず漁船の装いをしていた。空と陸に対しては諸国政府が厳戒態勢をとっていた。それに対して、海、特に漁船は盲点だった。唯一の弱点は内陸国のスタッフと物資を輸送できないことだった。だが、そこは内陸国と海沿いの国のスタッフが連携した。多くの国でそれぞれの中に複数の反政府グループがあった。だから、たいてい一つの国から複数の反政府グループが参加した。結局、世界中のほとんどの反政府グループが集まった。
  私と同僚Xと種子はB国の反政府グループHの潜伏所に着いた。私はB国に留学していたこともあって、B国語を話せた。情報科学技術の最先端はB国で、Xは少なくとも専門家どうしでB国語を話せた。B国のグループHの潜伏所は、A国のグループGの潜伏所より規模はやや小さい。だが、インテリアに配慮があり、地下の壁には地上の自然の景観や遺跡の写真が貼ってあった。二千年より前にあった自然や遺跡の多くがもはやない。だが、それらの写真は残っていて、貴重なものになっていた。私(♂)とX(♀)は一つの狭い部屋に案内された。ベッドが二つあり着替えも洗面具も置いてあった。ベッドの間に薄っぺらいカーテンはあった。「もしかして、相部屋?」私は思わず言った。Xは笑っていた。A国のグループGの潜伏所はここより少し広く、スタッフは狭い個室で休憩することができた。また、E国の密航船の中でもさらに狭いカプセルのような個室があった。この緊急会議の期間でしかもB国の比較的狭い潜伏所で、相部屋となるのは当然のことだろう。私たちは薄っぺらいカーテンを閉めて着換えをした。
  それから主要な会議室のような所に案内された。B国の反政府グループHの同僚V(♂)が、出迎えてくれた。私たちは思わず握手という古めかしい挨拶をした。十年ほど前の留学の頃は、まだ対面で、握手やキスやハグという古めかし風習が残っていた。今は世界的にアイコンタクトと手振りが、挨拶の主流になっている。それは遠隔の映像や音声でもできるからだと思う。会議室はここしかないようだ。既に各国の反政府グループのスタッフが、それぞれの専門に別れて協議し、部屋はごったがえしていた。同僚Xは早々、世界の情報技術者集団に加わった。
  世界中の反政府グループは、来るべき革命に備えて、最低限度の市街戦の作戦を練っていた。内戦または革命で、全体破壊手段を使用する馬鹿はいないだろう。だが、市街戦は避けられないだろう。だから、反政府グループの戦略家も、ここに集まって協議していた。A国の反政府グループGの同僚Zはネットワーク経由で参加していた。
  B国の同僚Vと対面で会うのは数年ぶりだった。Vは、私がB国のB1大学に留学していた頃は大学院生で、以来、仲が良い。小国F出身のWとも仲が良く、既にこの頃から三人が中心になって、ささやかながら国際的な反政府グループを結成していた。だが、Wは、早々にF国に帰国し、早々に消息不明となった。F国の政府の弾圧により帰らぬ人となったと思っていた。当時、私とVは、Wのことを思いながら、反政府活動のあり方を語り合った。できるだけ犠牲者を少なくするにはどうすればよいかと。以下の準備段階のいくつかはその頃既に語り合っていた。Vはその後、B国のB1大学の法学部の教授になっていた。だが、反政府グループHを結成し、早々、地下に潜伏していた。
  私はさっそくA国から十リットルタンクに入れて持ち込んだワインを出して、パーティー兼総会の準備を始めた。乾杯ぐらいにはなるだろう。だが、乾杯はあったが、パーティーにはならず、さっそく真剣な討論になった。
  世界は、少なくとも二つの超大国を含む少なくとも局地戦争が不可避な状況にあった。また、既にネットワークで、国家や国家間の同盟という縦割りの構造に対して、世界の市民と世界の権力者という横割りの構造ができつつあった。そこで、私たちは、そのような横割りの構造の中で、 (1)戦争を権力者間のものに限定し、権力者を弱体化させ、(2)世界的な革命を起こし、(3)それらの勢いをもって全体破壊手段を全廃することを、計画していた。つまり、(1)が(2)の好機となり、(1)(2)が(3)の契機となる。革命を起こしたての諸国がまとまらない限り、全体破壊手段の全廃はない。世界的な革命が起きた直後を逃せば、全体破壊手段の全廃はない。特にそれを確認した。それらの大きな流れに異論はなかった。
  それらの詳細について、すでにネットワークでかなり出来上がっていた。それらが、以下のように議論され練り上げられた。もちろん激しい議論があった。それらのうち主要なものは後述する。

準備段階

準備段階:以下が準備段階である。最も重要な段階である。

権力疎外:私たちは各国の政府と軍の主要施設の近隣に一般市民が居住しない運動を展開し、それは既に完成していた。スラム街の人々は危険にさらされるが、いざとなればスラム街の中でより周辺部に移動する。それらを私たちは「権力疎外」と呼んでいた。権力疎外は、全体破壊手段が実際に使用されたときに備えるのでは全くない。全体破壊手段が使用されれば、地球上のどこにいても無駄である。権力疎外は、全体破壊手段の開発、保持、使用や戦争の必要性を、最初から少しでも減じる手段だった。地球規模の権力疎外があれば、権力と権力者は、一般市民を犠牲にせず、互いを限定的に破壊するだけで戦争が終わる可能性が大きくなる。全体破壊手段や大量破壊手段を使用する必要性が小さくなる。これは全体破壊手段の研究、開発、保持、使用の予防のためだけでなく、一般の戦争において、一般市民の犠牲を少なくするためにもある。

権力相互暴露:これは権力疎外を補完するものである。また、世界の市民と世界の権力者という横割りの構造の極みである。それぞれの国の反政府グループは自国の政府と軍の主要施設に関する情報を入手し、それを世界の一般市民と政府と軍に積極的に漏洩する。そうすれば、諸国の政府と軍は互いの政府と軍の主要施設をより確実に限定して破壊できるようになり、一般市民が救われる可能性が大きくなる。当然、それぞれの国の反政府グループが同様のことを世界に行う必要がある。私たちはそれを「権力相互暴露」と呼び、既に進めていた。権力疎外への批判は少ないだろうが、この権力相互暴露は大きな批判に晒される可能性がある。二千年より前の価値観をもってすれば、これは国家への裏切りであり、国家主義や愛国心への冒涜だろう。そのような批判はあるだろう。二千年代に入ってしばらくして国家主義や愛国心は衰退し始めた。だが、まだ批判はわずかにでもあるだろう。また、批判はなくても一般市民に違和感があるだろう。そのような違和感と批判に対してどう応えるか。議論があった。それは後述する。

ネットワークの構築:この独裁的な世界においては、言論がネットワークでしかできないのはやむをえない。世界の政治的経済的権力の独裁と独占に侵されない、世界の市民が参加できるネットワークを構築する必要がある。権力者によって、破壊されないだけでなく、侵入されて操作されないネットワークである。それはXら情報技術者によって既に構築されている。また、暫定政権の骨組みと暫定憲法への投票ができるような投票システムも、構築されている。その投票において、重複投票などを完全に排除することは困難である。だが、権力者が作ったような投票システムよりは、よっぽどマシなシステムが既に世界で構築されている。

独裁への逆行を予防する政治制度を議論し確認し共有しておくこと:過去の革命の失敗の主因は、一部の勢力が独裁へと逆行したことと、反対勢力どうしが権力を巡って激しく争ったことにあった。それらを防ぐために、政権担当者の独裁への逆行を予防するのに必要最低限度の政治制度を、反政府グループと市民が議論し確認し共有しておく。そして、暫定政権の段階からそのような政治制度を確立する。そのような政治制度として、自由権を擁護する法の支配系(L系)に必須の厳格な自由権、民主制、三権分立制、法の支配が、既にネットワークで反政府グループと一般市民の間で議論され確認され共有されていた。それらは、自由権を擁護するだけでなく、それらそのものを維持し、独裁への逆行を防ぐ。また、それらの議論、確認、共有の過程もネットワークで公開されていた。さらに、革命後にそれらが厳守されているかを検証し議論する場も、ネットワーク上でできあがっていた。
  それに対して、社会権を保障する人の支配系(S系)における、経済、医療福祉、労使関係調整、教育、文化、人口問題、自然の保全…などの政策については、無理に確認と共有をしようとしない。それらを無理に確認し共有しようとすると、反政府グループどうしの争いが生じる。それらの詳細は革命後に議論し、最終的に市民の正式な投票に委ねたほうがよい。だが、社会権の保障の専門家は、S系における政策を、革命前から練っておく必要がある。そして、革命後には、それらの専門家を抜擢し、それらの政策を速やかに実行させる。そして、独裁と革命または内戦で荒れた経済、医療福祉…などを、できるだけ速やかに立て直す。そうしないと、市民は暫定政権または新政権から離れていくだろう。
  だが、かえすがえすも、革命前の準備段階で確認し共有するのは、独裁への逆行を予防する必要最低限度の政治制度に留めておいたほうがよい。
  それらを明確に実行するために暫定政権の段階から自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系を分立しておく。

暫定政権準備・暫定憲法準備:暫定政権の概略と暫定憲法についても、反政府グループと反政府グループ、市民と市民、市民と反政府グループの間で議論し確認し共有しておく。さらに、上記の投票システムによって、一般市民の承認を得ておく。その承認はほとんどの国において既になされていた。
  暫定憲法について、文面は様々だが、従来の伝統的な憲法に加えて以下が加えられた。公権力の保持者と公権力に係る言論が、いかなるもののためにも制限されることのない自由権であること。自由権と社会権の区別。国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立すること。前者のある程度の詳細。後者の概略。全体破壊手段の全廃と予防のために、国家権力が国内と国際社会において最大限に努力すること、が従来の伝統的な憲法に追加された。
  暫定政権の概略について、A国のものを例に挙げる。他国のものについて、微妙な違いがあるだけでが、大差はない。

  自由権を擁護する法の支配系(L系)
    司法権
    立法権
    行政権
      軍を監督する立法権の委員会
        軍
      検察・警察を監督する立法権の委員会
        検察・警察
      国内において全体破壊手段を全廃し予防する部門
      外交部門(立法権の委員会)
        世界において全体破壊手段を全廃し予防する部門
      選挙管理委員会
  社会権を保障する人の支配系(S系)
    立法権
    行政権
      経済産業部門
      自然保全部門
      労使関係調整部門
      福祉医療部門
      教育文化部門
      科学技術部門
      財政税務部門
      外交部門

S系の行政権の中では、分立や分岐は厳格である必要はない。また、S系の行政権の過度の分立や分岐は弊害である。場合によっては一つの機構としてもよい。それに対して、L系においては、立法権、行政権、司法権の三権が厳密に分立するだけでなく、行政権においても軍と警察等が厳格に分立する必要がある。もちろん、S系とL系は分立する必要がある。

離反推奨:公的武力を含む政治権力において、幹部の命令に従わない者、または組織から離脱するもの、または権力の中にあって隠密に反政府グループと市民に協力する者を「旧政権離反者」または単に「離反者」と呼べる。彼らの罪を問わず、希望次第で従来以上の地位と待遇を保証することを宣言しておく。離反者の中でも重要なのは、準備段階では政権の中に留まり秘かに協力してくれる者である。それらを「隠密離反者」と呼べる。革命が始まれば、表立って反政府側と合流し、主要施設占拠の際の解錠、全体破壊手段の不活化…などをしてもらう。武官にせよ文官にせよ、できるだけ上の地位の者に離反者になってもらい、革命が始まれば部下も引き入れてもらう。さらに、隠密離反者のうち、権力の内部にあって隠密に機密情報を提供してくれる者を「内部隠密情報提供者」と呼べる。彼らには、特に従来以上の地位と待遇を保証することを宣言しておく。さらに、隠密離反者のうち、政府と軍の政策と戦略に影響を及ぼす立場にある者で、「全体破壊手段を使用しなくても、相手の政府と軍の主要施設を破壊できる。全体破壊手段を使用すれば資源も汚染され利用できない」…などと政策と戦略を隠密に誘導してくれる者を「内部隠密戦略誘導者」と呼べる。彼らには、特に従来以上の地位と待遇を保証することを宣言しておく。革命完結後はそれらを確実に履行する。そのようにして、政府と軍からの離反を促すとともに、政府と軍の機密情報を入手し、政策と戦略を誘導する。

一般市民の犠牲の極小化:反政府グループは、襲撃された場合に備えて、襲撃が一般市民を巻き込まないだけの距離を、一般市民から置く。過密が進む現代では、その距離は地下と地上の距離であることが多く、潜伏所は地下を掘って作られることが多い。一般市民を煽らず、一般市民を戦闘に参加させない。ただし、政府と軍の主要施設がほぼ占拠された後に、そこでデモンストレーションすることぐらいは、自由意志に委ねる。物理的距離に対して、精神的距離はネットワークを通じてできるだけ小さくする。

中立推奨:超大国のいくつかと大国のいつかの局地戦争は、避けられないかもしれない。だが、他の国家がそれらに巻き込まれず中立で留まることは可能だろう。できる限り多くの国家に中立で留まるよう世界の反政府グループと市民が権力者たちにお願いする。

反政府グループ間の権力闘争予防:これは、上記のいくつかと重複する。過去の革命が失敗に終わった第一の原因は、複数の反政府勢力どうしが、革命後の政治権力を巡って争ったことにあった。それらは熾烈で一般市民にも多くの犠牲者が出た。それらに対する対策として、繰り返すが、独裁への逆行を予防する最低限度の政治制度を十分に議論し確認し共有しておく必要がある。また、暫定政権の主要な人選について予め合意しておく。そして本格的な政権の人選は完全に市民に委ね、公正な選挙を実施する。その選挙の管理委員会は暫定政権が努めざるをえないが、その人選についても予め合意しておく。または、地方自治体で中立的な管理委員会があれば、それを起用する。繰り返すが、議論、確認、共有は独裁への逆行を予防する必要最低限度の政治制度の議論と確認と共有に留め、それ以外について、反政府グループは争わず、革命後の市民の意志に委ねる。例えば、経済体制の詳細、自然の保全の詳細…など社会権を保障する人の支配系(S系)の詳細については議論せず争わず、革命後の市民の意志に委ねる。
  ところで、A国においては他の反政府グループはなかった。だが、一般市民から幾多の意見があり、私と同僚X、Y、Zらが一般市民と大いに議論した。だから、一見、暇に見える潜伏所での生活が暇ではなかった。他の国においてはそれに反政府グループの間の議論が加わり、特にB国の同僚Vは忙しかったようだ。

経済体制や自然の保全の詳細:それらの詳細について議論が少しあった。以下のようになった。
  二千〇〇年、「資本主義経済」または「自由主義経済」または「市場主義経済」も、「共産主義経済」または「社会主義経済」もなく、経済はすべてそれらの混合物になっていた。だが、混合物の詳細については、現政権の中や間や市民の間でも議論があった。また、自然を保全すべきというのは当然のことだった。だが、自然の保全の詳細にはついては議論があった。それらは社会権を保障する人の支配系(S系)の詳細である。やはり、反政府グループは議論せず争わず、革命後の市民の意志に委ねる。ということになった。

カリスマ性・過度の権力欲求をもつ人間の排除:過去の革命が失敗に終わった原因の一つに、カリスマ性や過度の権力欲求をもつ指導者が出現し独裁へと走ったことがある。カリスマ性、過度の権力欲求をもつ人間は、男も女も、過度の粘着性、自己顕示性、支配性、破壊性などの臨床心理学でいう「悪循環に陥る傾向」をもつ。それらを反政府グループのスタッフが見抜き、反政府グループ形成の段階で、それらをもつ者を排除する必要がある。また、市民もそれらの傾向をもつ者を選挙しないようにする必要がある。A1大学の臨床心理学のR教授に「それを見抜くのは難しいだろう」と言ってみた。すると、R教授は少し考えて「簡単に言えば、目立ちたがり屋を選ばないことだ」と言っていた。そう言えば、分かりやすいと思う。あるいは、少なくとも参考になると思う。

哲人政治について:ここで、少し議論が生じた。「カリスマを過剰に排除するのでは、自由権の擁護または社会権の保障に有能な人間まで排除してしまうのではないか」と。それに対して、以下のように議論が展開した。「『自由権を擁護する法の支配系(L系)』の担当者に、能力とか知識とかは不要であるだけでなく弊害である。彼らは実直に憲法を順守していればよい」「『社会権を保障する人の支配系(S系)』の担当者も、地道に、経済、医療福祉、労使関係調整、教育、人口、自然の保全…等に係る政策を追究していればよい」「だが、S系においてはカリスマ的指導者が出現する余地が残る」「仮にS系においてカリスマ的指導者が出現しても、それらの系への分立が成されていれば、カリスマがL系に及ぶのを防ぐことができる」
  それから「哲人王」の問題に発展した。「カリスマ的指導者は、今後出現しないだろう。だが、プラトンの言う『哲人王(Philosopher king)』等を待望する者はいる」「プラトンの言う『哲人王』等は、伝説に過ぎない。歴史上そのような『哲人王』が出現した証拠はない」「確かにその証拠はない。だが、今後、出現するかもしれない」「仮に哲人が出現しても、いずれは独裁や専制や全体主義に走る」「仮に哲人が生涯を全うしても、二世、三世が独裁…などに走る」「仮に哲人王が出現し善政を敷くとしても、それはS系でやればいいことだ。L系では、哲人王は不要であるだけでなく弊害である。国家権力が前者と後者に分立されていれば、前者で生じた哲人王が後者に及ぶことはない」

準備段階の後

  準備段階をしっかりしておけば、後は比較的容易である。

局地戦争段階:上記の準備段階によって、全体破壊手段は使用されず、全面戦争、世界大戦が予防される可能性は大きくなる。だが、局地戦争は避けられないかもしれない。この段階においては、世界のいくつかの国の政府と軍の主要施設が破壊されるかもしれない。諸国の政府と軍の幹部は、もしも全体破壊手段が使用された場合に備えて、既にそれらの主要施設を退避し、シェルターや潜水艦等に籠っているだろう。その退避先から政府と軍をコントロールしようとするだろう。

革命・内戦段階:以下に細分化できる。時間的に多少、前後することはある。

主要施設占拠:破壊されて、または、幹部の退避により手薄になり士気が低下した政府と軍の主要施設を、反政府グループと市民が占拠する。ここでは離反者の協力が、例えば開錠等で、不可欠である。
暫定政権設立・暫定憲法公布:暫定政権の概略と憲法の詳細は、既に準備段階で一般市民の間で議論されておく必要がある。さらにネットワーク上だけでもよいから、採決し決定しておく必要がある。さらにネットワーク上だけでもよいから支持率を測り公表しておく。それらに操作がないことの証拠も公表する。その上で、暫定政権を設立し暫定憲法を公布する。
旧政権離反:シェルター等に退避しておきながらコントロールしようとする権力者に対して、地上に取り残された政府と軍の公務員は、どのような情動をもつだろうか。権力者に見捨てられたと感じ、彼らに対する信頼と尊敬を失うだろう。反政府グループは権力者が退避していることを積極的に暴露し、残された武官を含む公務員の離反を促す。「旧政権離反者」に対して準備段階で宣言しておいた通りにする。さらに、新たな離反者に対しても同様にする。
内戦宣言:他国にはこれが革命または内戦であり、他国に干渉することはなく、全体破壊手段を使用することは決してないと宣言する。同時に他国に干渉しないでくれ、全体破壊手段を使用しないでくれとお願いする。内戦または一国の革命で全体破壊手段を使用する者はいないだろう。
交戦:以上をもってもある程度の交戦は避けられないだろう。
全体破壊手段不活化:暫定政権と旧政権離反者が協力して、できるだけ速やかにそれぞれの国の全体破壊手段を不活化する。人工衛星搭載のものも潜水艦登載のものも含めて不活化する。この不活化には旧政権離反者の協力が不可欠だろう。そして、さしあたり不活化した後に全廃を目指す。

新憲法・新政府設立段階:既に上記のいずれかの段階で自由権を擁護する法の支配系(L系)の立法権の選挙、社会権を保障する人の支配系(S系)の立法権と行政権の長官の選挙、制憲議会の選挙、憲法の国民投票、それらのあり方と日程をできるだけ速やかに決定し公布し、確実に実施する。

全体破壊手段全廃予防段階:諸国でできるだけ速やかに全体破壊手段を不活化する。できるだけ速やかに、全体破壊手段の全廃と予防のための国際会議を開催する。上記の世界的な革命が成功した直後が、全体破壊手段全廃の好機だろう。これを逃せば、二度とチャンスは来ないかもしれない。だから、できるだけ速やかに、全体破壊手段の全廃と予防のための国際会議を開催する。

世界の市民と世界の権力者という横割りの構造

  上記の国家主義と愛国心の課題について。「国家を愛するからこそ、独裁制を倒し、全体破壊手段を全廃しようとしているんだ。と主張してはどうか」という意見が出た。だが、「そんな感傷で市民を煽るのでは権力者と同類になってしまう。また、権力者に逆利用される」ということで、そのような意見は下火になった。「特に近代以来、国家に対する無条件の信仰が形成されて来た。そのような極端なものに対する盲信を解体するには、逆の極端も必要だ」という意見が出て、支持が多かった。さらに、「国家という縦割りの構造に対して、世界の市民と世界の権力者という横割りの構造もできつつある。それを強調するべきだ」と発展した。それは私とP教授が語り合って、ネットワークで公開したことだ。それを改めて言ってくれた。だが、私は以下の伝統の重視も重要だと思って、言った。「それはもっともだ。いずれにしても、国家や国家権力のすべてを否定し破壊するのでは、新たな独裁や全体主義が生じる恐れがある。自由権を擁護する法の支配系において、厳格な自由権、社会権、民主制、三権分立制、法の支配という伝統を保持することも強調する必要がある」と。それに対して「国家権力を自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立することと、前者においてそれらの伝統を重視することは、既に一般市民に受け入れられている。今後は世界の市民と世界の権力者という横割りの構造を強調する必要がある」という意見が多かった。結局、P教授が集大成しまとめたもののうちの重点は想像以上に市民に受け入れられていた。私は言う必要がなかったと思った。
  考えてみると、インターネットの中ではそのような横割りの構造が既に二千年前後から形成されつつあった。それらを活かすべきだと思った。

本来的な権力と戦うこと

  予想されていなかった課題が出てきた。予想外の展開が会議のいいところと最初は思っていたが、本当にやっかいな問題だった。「二千年より前の植民地主義時代にできた不自然な国境や、それから派生する民族対立が、わずかにでも残っている。それをどうすればいいのか?」当事者にとっては、国家主義や横割りの構造よりこちらの方が大きな問題であるようだった。「国境を引き直すのか?」「いまさら植民地主義を批判しても仕方がない」「それは誰も分かっている」「革命の後に議論するべきだ」「それしかない」「そうか?」…「準備段階である程度の合意が必要だ」「合意しておかないと、争いが生じ、革命の成果がだいなしになる恐れがある」「今、合意しておこう」ということになった。当事者の反政府グループが明日も明後日も議論することになった。その後、合意に達した。
  二千年代に入ってしばらくの間も植民地主義が残した不自然な国境や民族問題が残った。やがて多くの地域で、超大国と大国が民族を単位として分裂し、国境も引き直された。だから、かつての超大国は解体した。また、しばらくは民主化が進んだ。
  だがその後、悪化する環境、枯渇する資源、逼迫する経済と生活、人口問題、パンデミック、飢饉や食糧難…などに対処するという名目で自由権と民主制は形骸化し、独裁化が進んだ。また、それぞれの国家でも国際社会でも、宗教や民族とは無関係のむき出しの本来的な権力闘争が繰り広げられた。その結果、現在の超大国を含む諸国家が形成された。その結果、むき出しの本来的な政治的経済的権力が独裁と独占を敷き持続している。それらへの反動として、国家という縦割りの構造に対して、世界の市民と世界の権力者という横割りの構造ができつつある。
  反政府グループにとって、曖昧でぼかされた権力ではなく、むきだしの本来的な権力に対するほうが、やりがいがあるとともに戦いやすい。また、本来的なもののほうがどの時代にも参考になるだろう。さらに、世界の市民と世界の権力者という横割りの構造の中で、世界のむき出しの本来的な権力にまとめて対するほうが、やりがいがあるとともに戦いやすい。また、今後は横割り構造が顕著になっていくだろうから、今後の参考になるだろう。
  だが、かつての殖民地主義が残した不自然な国境と民族問題はまだ一部の地域で残っていた。当事者には悪いが、それらのために今まで多くの反政府グループが築き上げてきたものが潰れることを、私を含め多くの参加者は避けたかった。また、私たちはどの時代にも参考になる本来的なものと戦いたかった。やりがいのあるものと戦いたかった。それが本音である。本当に当事者には悪いが…
  また、以下の問題も残っていた。公立学校における国家主義的教育については、全廃することに異論はなかった。だが、例えば、

(a)女性の人権侵害である民族的、宗教的風習
(b)「私刑」である民族的、宗教的風習
(c)公立学校における宗教教育
(d)公立学校における過度の文化教育


がまだ一部の国家、地域で残っていた。また、それらの問題に取り組むことを目的に取り入れている反政府グループも参加していた。また、それの問題への取り組みから発展して形成された反政府グループも参加していた。だが、それらと係りがない国家、地域出身のグループがほとんどだった。それらに係わりのないグループが、係わりのあるグループを、以下のように辛抱強く説得した。上記のうち、(a)(b)は、明らかに自由権を擁護する法の支配系に必須である自由権、民主制、三権分立制、法の支配に反する。だから、廃止。(c)(d)は社会権を保障する人の支配系において、革命後に一般市民が決める。ということで落ち着いた。
  会議が終了しかけたかと思った頃、驚くべき提案が出た。従来の西暦を廃止し、「世界革命がある程度完結した時点で、それを紀元とする歴を世界的に制定しよう」と言う。だが、よく考えてみると、同様の提案は二千年代に入ってしばらくして、宗教がほぼ衰退し民族問題がほぼ解決し、民主化に向かい、従来の超大国と大国が解体したときにも出されていた。だが、その後、独裁化が進み新たな超大国と大国が出現した。それらと同様に、民主的分立的制度を確立しても維持できなかったり、全体破壊手段を全廃しても予防できなかったりしたときは笑いものになる。だから、革命完結後の世界の市民の意志に委ねようということになった。

Xと

  長い長いぶっとおしの会議がとりあえず終わって、私(♂)と同僚X(♀)は部屋に戻った。私は思わずXを抱き寄せていた。Xは吹きだして言った。「なんと自然な。シャワーも浴びずに」
。。。
  私たちは翌朝、グループHのシャワー室をお借りしてシャワーを浴びた。狭いが清潔で気持ちよかった。その後、グループHが作ってくれた朝食を頂いた。昨日の会議室は実は食堂だった。量は少ないが旨かった。あらゆる欲動を満たし、時差分も含めてよく眠ったので、私たちは元気いっぱいだった。B国のグループHにもA国のグループGと同様の顔認証システムがあり、私たちがB国政府の監視カメラで探知される確率は零パーセントと出た。私たちは観光客の振りをして、B国の首都の世界的に有名な遺跡に向かった。私は四十近いが三十代、Xは三十を過ぎたばかり。潜伏者や密航者には見えず、普通の二人連れ観光客に見えると思った。スラム街でも遺跡付近でも誰も振り返らなかった。留学時代に巡ったので、この首都の観光案内には自信があった。
  歩いて三十分ぐらいで、遺跡に入った。拝観料ぐらいは現地通貨で持っていた。また、ワインを隠して持参していた。その遺跡は宗教遺跡で、有名なのは荘厳な石造建築だった。その辺りは観光客でごったがえしていた。その建造物は単独で見れば荘厳なのだろうが、その背後には高層ビルが異様に聳えていた。建造物がちょっと哀れだった。私の留学時代より哀れだった。また、建造物のあちこちに明らかに普通でない警備員が立っていた。私は彼女の手を引いて庭園に向かった。彼女は残念そうにする。私が「あの警備員はやばいだろう」と言うと、彼女は「そんなのどうでもいいわ」と言う。確かに、恋する二人に恐いものは何もない。彼女は専門の情報科学以外ではボキャブラリーが貧弱なのだ。彼女はA1大学の頃からそうだった。当時、専門だった生物学においてさえもそうだった。当時も情報科学技術は凄かったが、グループGに入って必要とされて、開花した。
  庭園に入ると彼女も気に入ってくれた。私は留学時代に既に、ここの庭園が気に入っていた。庭園を進むに連れ、観光客はほとんどいなくなった。木漏れ日が古びた石壁に映って揺れる。人工だが滝や小川もある。枝の向こうに滝が流れ、枝に野鳥が一羽、泊まって滝の方を向いていた。焼いて食えないだろうか。という職業的な問いが私によぎったのだが、それはわずかでつかのまだった。彼女は「鳥さん、主役になりきってるね」と、写真を撮っている。その写真は後に反政府グループGのサイトを飾ったが、鳥さんは右下隅に小さく写っているだけだった。写真では滝と枝が主役で、鳥が主役という感じではなかった。彼女は、情報科学技術の天才であって、視覚的芸術の天才ではなかった。だが、人間が撮る写真などなくても、生物の誰もが主役だ。
  緑の木々に包まれた土の小道を二人で歩いた。水溜りに木漏れ日が反射して、自分の顔にも映っているのが分かる。ベンチに座った。彼女の顔には木漏れ日が直接当たって揺れている。わずかながらも野鳥のさえずりが聞こえる。街の喧騒は聞こえない。ワインをちびちび回し飲みしながら、これ以上の楽園はないと思った。小さくても自然がある。静けさがある。ワインがある。何より彼女がいる。もうA国のものにせよ、B国のものにせよ、潜伏所に戻りたくないと二人で思った。
  だが、同僚たちを心配させてはいけないということで、しばらくして潜伏所に向かった。その途中で私たちはとんでもないものを目撃した。遺跡の前は広大な広場になっていて、小さな可動式の飲食店や土産物屋が立ち並んでいる。午前に来た時より観光客や店員で混雑していた。この広場だけでも一万人以上の人々がいたと思う。その一画で、飲食店の店主の子供たちが、お菓子をほおばりながら走っていた。幼い女の子も年長の子供たちを追いかけている。年長の子供たちはうまく観光客の間を縫って走る。女の子はそんなにうまく走れない。観光客とぶつかり、包みからお菓子がこぼれ石畳に散乱した。警察官のような男が数人、飛んで来て、女の子を連行しようとする。観光客は男たちをたしなめている。そこへ女の子の母親で、飲食店の店主らしい太り気味の女性が飛んで来た。その女性は、甲高い声を上げ、男たちから女の子を引き戻そうとする。男たちは母親も連行しようとする。母親は男の一人に体当たりをする。男は大げさに仰向けに倒れる。別の男が母親に発砲する。銃声が響き、母親の胸のあたりで血が衣服を突き破っているように見える。観光客や店員から押し殺した悲鳴が上がる。母親は仰向けに倒れる。女の子が母親に泣きつき、女の子のドレスにも血が滲む。「ママ…」女の子は声を上げ、年長の子供たちや店員に助けを求める。私とも目が合う。私は思わずそちらに駆け寄ろうとする。Xは渾身の力を込めて私を止める。警察官のような男たちは「自然保全法と公務員保護法に基づく」と言う。観光客の間でどよめきが上がる。観光客はその現場を避けて通る。私もXに抱かれ引かれて行く。私が「まだ、母親は助かる。心臓に当たってない」と言おうとすると、Xが私の口を鷲掴みにする。Xは「早く帰ろう」私を抱き寄せて通り過ぎようとする。私は振り返ろうとする。Xは「お願い。振り返らないで」と私を渾身の力で引く。女の子の鳴き声と助けを求める声が遠ざかる。
  諸国で政府が自然の保全を名目にして、街でも観光地でもゴミのポイ捨てを厳しく取り締り、市民にゴミを持ち帰らせていた。企業や政府にとっては、市民にゴミを持ち帰らせたほうが経費節減になる。結局、ゴミの持ち帰りは、経済的政治的権力者の儲けになるにすぎない。また、市民のエネルギーが、反政府運動や反核運動に向かうよりは、自然の保全に向かうほうが、政治的経済的権力者にとって都合がよく無難である。
  「馬鹿野郎。そんな自然の保全より、全体破壊手段の全廃のほうが先だろう」と言いそうになった。また、Xは私の口を鷲掴みにした。私をしっかり抱きかかえて潜伏所に急いでいる。私が少し落ち着いてから、Xは「あいつらはああやって、反政府主義者をあぶり出しているのよ。昔からある手口よ」と言う。Xは、いざというときは、ボキャブラリーが豊富なのだ。私は「あ…あぶり出し」開いた口が塞がらなかった。A国でP教授でもあった。今度は、一般市民を犠牲にしたあぶり出し…いや待てよ。「よくできすぎている。あれは一つの芝居で、母親も女の子も演技をしているのか?あの拳銃も血も偽物で。しかも、人が集まる観光地の広場で…女の子が助けを求める…目と目が合う…巧妙なあぶり出し…」と独り言を言ったつもりが一部がXに聞こえていた。「それならいいのだけど…」とXは呟く。私はようやく落ち着いてきた。もし演技なら名子役だ。あの母親も庶民的な味わいを出して、いかにもシングルマザーで苦労して一人で子供を育ててきたというのが滲み出ている。しかも、世界的な遺跡の前の広場で、観光客が集まる。庶民的な小さな可動式飲食店の店主とその子供。そして、女の子が泣きながら周りの人々に助けを求める。目が合う。母親はまだ助かるかもしれない。私のような単純な反権力者ならいかにもあぶり出される。やっぱりこれはうまくできすぎている。女の子も目鼻立ちが整って、妖精のような顔をしていた。あの女の子の顔立ちからして、やっぱりこれはうまくできすぎている。だが、Xは芝居や演技とは思ってないようで、あの女の子の鳴き声がXの中で響いているのが分かった。Xはあの現場では私を制止することで必死だった。それが今になって…私は「ごめん」と言おうとしたが、言葉にならなかった。あれが芝居でないとすれば、一般市民を犠牲にしてのあぶり出しだ。芝居だとしても、あんな演技をさせられる女の子はかわいそうだ。あれが演技だとしても、あの幼児の演技のためにはすごい練習の強要があったに違いない。これも一般市民を犠牲にしてのあぶり出しだ。いずれにしても権力者に対して怒りが込み上げてきた。そうか。それが彼らの手口か…分かった。
  考えてみれば、市民を犠牲にして、反対者をあぶり出す、または挫く、または市民を反対者から離反させるのは、古代からある手口だ。あぶり出しでないにしても、政権に対する恐怖を反政府主義者や市民に植え付ける。私たち反対者は、それを権力者の卑劣と批判するだけでなく、その犠牲を最小限にする努力を怠ってはならないと思った。そのためには反対者は可能な限り一般市民から離れて潜伏し隠密に行動し、できれば反対者の存在さえ分からないほどに潜伏し、準備をして、好機と見れば、一気に片を付けなければならないと思った。

資源を巡る局地的侵略戦争

  私とXは、潜伏所に戻って、専門ごとの会議に参加した。同僚Xは昨日と同様に情報技術者集団に入った。私とVと他の数人は遅い昼食と夕食の準備をした。しばらくして、情報技術者集団から歓声が上がった。Xがヒロイン扱いされている。また、人工衛星を一機乗っ取ったと言う。これで、人工衛星が二、三機奪還または破壊されても、世界中に情報提供できる。ここでの会議の経過と結果も情報提供される。考えてみれば、人工衛星は地球のみんなのために存在し機能するべきものなのだから、これが本来の使い方だろう、ということになった。情報技術者たちは、軍事衛星や無人潜水艦も乗っ取れると言い出した。だが、それは戦争の引き金になるかもしれないからやめとこう、ということになった。情報技術者たちは、既に乗っ取った通信衛星にしても、故障に見えるように細工していた。つまり、情報技術者たちは、乗っ取りの跡形も残さなかった。このような情報技術者たちが権力者に拉致されたら…と思うとゾッとした。
  数日後、小国Fに戻って消息不明だったWが、B国の潜伏所にやって来た。生きていた。私もVも体を触って生きていることを確かめて喜んだ。Wは「F国で革命に成功した。暫定政権も樹立した。憲法の草案を一緒に検討して欲しい」と言う。Vと私とXは思った。「準備段階がなってない。暫定憲法をこれから練るようでは駄目だ」だがWには言わなかった。F国はA国への海路の途中にあった。そんなこともあって、私とXが、A国へ帰る途中に立ち寄ることになった。
  F国に近づくと、その暫定政権から「隣接する大国がF国に介入しようとして、戦争になった。暫定政権だけでは国防は困難。旧政権と共同して国防と住民の避難に当たっている」とWに連絡があった。F国の暫定政権は政治犯収容所跡に立てたらしい。それは首都から数十キロメートル離れているらしい。Xが「それも間違いよ。暫定政権は首都の真っただ中に立てなければ駄目じゃない」と言っていた。もっと考察するべきことがある。
  F国に隣接する大国にとっては、革命または内戦で荒れるF国は絶好の餌食だ。また、F国は生物資源の豊かな国だ。「生物資源」または「食糧資源」という言葉は、単に収穫され保存されているだけの穀物等を指すのではなく、食糧を持続的に生産できる農地、牧草地、漁場…等も指す。というより、後者のほうが重要である。そのような生物資源を狙って、大国はF国を占領し、併合しようとするだろう。さらに…もしかして…大国はF国の革命または内戦を煽っていたのかもしれない。するとWたちは大国に利用されたということになる。Wたちは速やかに国外へ逃亡したほうがいいのではないか。だが、それらをWに言えなかった。ちなみにその大国も、F国に隣接する他の大国も、全体破壊手段を保持していなかった。救いはそれだけだった。また、それらの国々は生物資源が豊かだった。その中でもF国は特に豊かだった。この時代、世界的に食糧資源は非常に貴重で、争奪戦は熾烈だった。だから、F国が狙われた。
  その暫定政権近くの浜辺に近づくと、内陸部の数か所から黒煙が上がっていた。黒煙は青い空と海と白い雲に似合わない。浜辺に近づくと、羊の群れのような大群が移動しているのが見えた。それが避難している首都の市民だった。今は小国と言っても、人口は一千万人以上ある。漁船の装いをした密航船は難なく浜辺に近づき、私たちは救命ボートで上陸した。避難民に紛れる形になった。同僚Zから装着訓練を受け密航船に持ち込んだ防弾チョッキとヘルメットを付けるのを忘れていた。だから、私たちは避難民と同様の恰好をしていた。だが、避難民とは逆方向に歩く。避難民のうち、大人は羊どころか、無表情で、とぼとぼ歩く。子供は泣くか睨むかで、狼のようだった。浜辺には敵軍はおらず、Wの部下が迎えに来た。部下は「敵軍は首都を制圧した。首都の住民だけでなく、暫定政権と旧政権の兵士も退却している」と言う。部下と私たち三人は暫定政権のある政治犯収容所跡に向かった。
  海辺を離れて、少し内陸部に入っただけでも、麦、稲…などの農地が広がっていた。こんなに広く豊饒な大地を見るのは、私は生まれて初めてだった。見渡せるだけでも、あのA1大学の研究用農地の千倍はあると思う。青空の下で黄金色の穂が風にそよぐ。Xも「これは貴重だわ…今まで侵略されなかったのが不思議なぐらいね」と言っていた。避難する人々は実質的な農地には入らず、列を作ってでも農道を通っていた。どうせ侵略者に盗られるものなのに…それが哀れだった。生物資源が貴重過ぎて「焦土戦術(Scorched earth strategy)」を使うのもはばかられたのだろう。私たちも農道を逆方向に縫った。
  二十世紀に入ってしばらくして、資源、特に生物資源、特に持続的に生産のできる農地、牧草地、漁場…などが枯渇するにともない、局地的侵略戦争の戦略は以下のように変化した。侵略する側は、通常兵器と従来の作戦を使って侵攻しつつ、住民の避難ルートを妨害しない、または避難ルートをそれとなく作る。明らかに退避ルートを作ったのでは住民の反感をかってしまう。だから、それとなく作る。侵略される側は住民の避難を促さざるをえない。かくして、侵略する側は、不要な住民を追い出せる。そして、侵略される側の単なる領土ではなく、資源を獲得できる。単に収穫され保存されている穀物等だけでなく、持続的に生産のできる農地、牧草地、漁場…などを獲得できる。その後で、侵略する側は、侵略される側の政府と軍の主要施設を、全体破壊手段を搭載しないミサイルで破壊する。住民の避難ルートをそれとなく作る点と、資源を食いつぶす住民を退避させて資源だけを獲得する点で、狡猾で合理的で悪質な戦略と言える。さらに、ここで全体破壊手段を使用すると、資源、特に農地、牧草地、漁場…などが汚染されてしまう。だから全体破壊手段を使用しない。この点だけで全体破壊手段が否定される。なんとも言いようのない戦略である。だが、枯渇する資源の中では、これが本来の局地的侵略戦争だ。これを「資源を巡る局地的侵略戦争」と呼べる。

ボタンを押すだけの戦争、市街戦

  暫定政権のある政治犯収容所跡は高く長い壁に囲まれていた。それは健在だった。内部の建物は革命時にほぼ完全に破壊されており、広い土の敷地が広がっていた。その敷地に立てられた巨大なテントに暫定政権があるようだった。負傷者とも死亡者ともつかない数百人がテントの隅に横たえられていた。もはやこの段階では、旧政権側の兵士と暫定政権側の兵士の区別はないようだった。暫定政権のスタッフは数百人残っていたが、そのほとんどが負傷者の手当に奔走している。血まみれの戦闘服を着た男が喘いでいる。Wはそれに寄り添って、何かを尋ねている。男は必死に答えようとする。戦闘服を着た女性が運ばれて来た。銃弾を受けた大腿部からまだ血がにじみ出ている。まだ、生きていた。Xと私は止血を手伝った。大腿部の止血は…Xは大腿の付け根を抑え込んでいた。医師や看護師が死亡確認し、遺体が次々と敷地の隅に運ばれていく。敷地の土にも血が滲んでいるのが分かる。なんとも言えない色と臭いだった。高い壁の向こうから銃声と戦車の轟音が響く。それがだんだん近づいているのが私にも分かる。残る兵士数十人が壁に昇って機関銃を連射している。ロケット砲等は尽きたらしい。
  しばらくして、銃声と戦車の轟音がむしろ遠ざかっていくのに、私は気付いた。私とXは小声で話をした。私とXはWに「退避しろ」と迫った。Wは「俺は最後まで戦う」と言う。XはWを張り倒して「ミサイル攻撃がある」と怒鳴る。Wらは退避を決定した。死亡が確認された者を除いて、退避を開始した。暫定政権のスタッフが負傷者を載せた担架を持って走る。軽症者はなんとか歩いて退避する。「走れ」とWが手をグルグル回す。私とXは負傷した者の退避を手伝った。「走れ」
  生きている者全員が暫定政権敷地から退避した。私とXとWは暫定政権跡地から数百メートルのところに達していた。その時、ミサイルが大気を切る音が聞こえ、暫定政権敷地から爆音が響き、黒煙が上がった。その黒煙も青い空と白い雲に似合わない。Xと私とWは密航船に向かった。途中で首都から退避する人々と合流した。農道に生える棘のあるある雑草が皮膚を掻きむしるが、それどころではない。人々はその雑草に慣れているようだった。浜で漁船を装う密航船が待っていた。潮の加減で来た時のように浜辺まで近づけないようだ。救命用のボートが迎えに来た。私とXとWは乗った。四人は漕いだ。ボートを漕ぐのはXも私も初めてだった。F国の浜が遠ざかる。羊の群れに見えた人々はますます大きくなり移動していた。黒煙はほとんどなくなり、青空と白い雲と海が広がっていた。
  既に二千年前後から戦争は「ボタンを押すだけの戦争」だとよく言われていた。後はミサイル等の運搬手段に全体破壊手段が搭載されているかいないか、搭載されているとして爆発させるのかしないのか、爆発させるとして誰がいつそれを命令するのかだけの違いになっていた。この戦争でも最後の段階では、全体破壊手段を搭載しないミサイルによるボタンを押すだけの戦争になった。その全体破壊手段を搭載しなかった理由は、獲得しようとしている資源が汚染されてしまうからである。
  「資源を巡る局地的侵略戦争」の大部分で、通常兵器と従来の作戦が使われる。また、内戦や革命でも通常兵器と従来の作戦が使われる。それらでは特に市街戦になる。内戦や革命で全体破壊手段を使用する馬鹿はいないだろう。全体破壊手段を搭載しないミサイルは使われるだろう。B国の反政府グループHに軍から離反した戦闘経験豊富な戦略家がいた。その戦略家は高層ビル街を自然の地形に見立てて、防御を固める作戦を立てていた。例えば、市民が退避した無人の街中で、ビルに囲まれた、戦車も小型ドローンも入れないような、アーケード付の街路に軍をおびき寄せ、路の一端に臨時の障壁を作って…などなど。つまり、ビルを山の代りにし、アーケードを木々の代わりにする。すると、小型ドローンも入ることができないだろう。そのように市街戦では小型ドローン対策が必須である。反政府グループも小型ドローンを持っているが、当然、政権側も持っている。その戦略家は、そのような市街戦の作戦を、世界中の反政府グループにネットワークで提供していた。
  その戦略家はA国のグループGの同僚Zともネットワークで協議していた。Zもかつて他国でそのような市街戦を経験していた。飛行機ともヘリコプターともつかない小型ドローンがトンボのように数機やってきた。だが、たまたま、電柱と電線がたくさん残された地域に居た。ドローンは張り巡らされた電線に接触して火花を散らしていたそうだ。電柱と電線は多くの国家、地域で撤去されていたが、そういう用途はあった。
  ところで、海戦や海防では、ドローンだけでなく、無人潜水艦が必須である。ドローンを発進できる無人潜水艦もあった。だが、F国に隣接する大国は、計画的に「資源を巡る局地的侵略戦争」を追求していた。海の避難ルートも妨害しなかった。だから、私たちも難なく避難できた。

人種や性

  私と同僚XはA国のグループGの潜伏所に帰った。WはA国に初めて上陸し、グループGの潜伏所に初めて潜った。Wは世界のどの政府にも顔が割れていない。また、A国のスラム街には多様な人種がおり、Wが街を歩いても不自然ではない。そこで、Wには地下の潜伏所ではなくスラム街に潜入してもらうことになった。スラム街のいつもの飲食店や居酒屋に、私はWを連れて行った。居酒屋で例のJがWを見て「よく日焼けしているね」と言う。私がそれをWに通訳するまでもなく、WはJが言ったことを即座に理解した。Wはしばらくの間、Jの知性と知識を推し量っているように見えた。その上で笑って「両親も祖父母もよく日焼けしていたよ」とA国語で応えた。Jはしばらく考えて「日焼けは遺伝するのか」と納得していた。私は笑った。「Wは黒人だ」「日焼けが遺伝するわけがないだろう」だが、それらを説明するのも無粋だと思ったので言わなかった。WとJは兄弟のように仲良くなった。
  世界で人種差別や性差別は衰退しつつあった。それは環境の悪化、資源の消耗、人口問題、全体破壊手段の使用と世界大戦の危機、政治的経済的権力の独裁、独占…などの前では、人種や性の区別が問題にならなかったからだと思う。例えば、A国のA1大学やグループGやスラム街にしても、B国のB1大学やグループHやスラム街にしても、二千年より前には区別されていなかった人種が居た。また、二千年前後には想像もできなかった性的マイノリティーが居た。また、宗教は全般的に衰退していたが、二千年より前には想像もできなかった宗教が点在していた。
  私は後日、Jに「日焼け」ではないことを説明してみた。すると「そんなこと分かってらあ。日焼けは冗談で言ったんだよ」と帰ってきた。Jが本当に最初から冗談で言っていたのか、後になって負け惜しみでそう言ったのか、は分からない。いずれにしても以下のことは言える。人種差別的な発言ではなかった。彼らの友情は変わらなかった。JもWも馬鹿ではなく、知性と知識のある人だった。それを私は初めから分かっていた。Wはスラム街に溶け込み、スラム街のアパートに住み、飲食店でアルバイトを始めた。例の居酒屋にはよく来た。潜伏所にはときに帰って来た。ある日、潜伏所に帰って来て「革命後はここ(スラム街)で農業をするよ」とWは言っていた。「F国に帰って農業をやらないのか?」と私が聞くと、「ここ(スラム街)が気に入った」とWは言っていた。「なんと超国家的な(Supranational)」と私は冗談ではなく感動した。私が感動したのは、気に入りさえすれば、F国でもB国でもA国でもスラム街でも何でもよいという点である。私たちも、国家を超えてこういう気持ちをもたなければならないと思った。以下も補足しておく。Wは、B国のB1大学の生物学部門に留学していた。留学して少し研究しただけで、Wの論文は世界的な学術誌に掲載されていた。Wが、農業をやりながら、生物資源を開発し、飢饉や食糧難を克服しても、それは奇跡ではないと思った。
  基本的に個人は、人種や性で、関係する人間を選んでいるのではない。人間の気質や人格や人間性を見て選んで関係するか、感情や欲求や欲動をによって関係することになるか、状況によって関係することになるかである。人間が人種や性で関係する人間を選ぶのは、社会的な慣習による。そして、政治的経済的権力がその社会的慣習を操作し利用することがある。

世論操作

  スラム街にゴミ拾いのNPO法人があった。市民のゴミのポイ捨てを禁止し、ゴミを持ち帰らせたり、ゴミ拾いをさせることは、政治的経済的権力者には経費節減になる。権力者が得をする。つまり、権力者は市民の善意を利用している。また、市民のエネルギーが、反政府運動や反核運動に向かうよりは、自然の保全に向かうほうが、政治的経済的権力者にとって都合がよく無難である。
  例の居酒屋に、例の見せかけの反政府グループGFの女性スタッフが来ていた。ゴミ拾いのNPO法人の女性スタッフも来ていた。私が気づいたとき、彼女らは既に議論をしていた。Jもいた。GFのスタッフは当然、私を知らない。GFのスタッフは「市民が自然を保全するより、政治を変えるほうが先だろう」と言う。ゴミ拾いのスタッフは「政治をどうのこうの言うより、市民が身近な所で自然を保全していくほうが先だろう」と言う。GFのスタッフは「どうでもよいようなゴミ拾いなんてやってんなよ」と言う。ゴミ拾いのスタッフは「何もできないくせに、偉そうなこと言うなよ」と言う。GFのスタッフは「反政府運動や反核運動をする者を、市民があざ笑うよう、権力者が操作しているのが分からないの?」と言う。よく分析できていると思った。
  この頃、思想や言論は、「弾圧」されるだけでなく、「操作」されていた。一千年末には「世論操作」が問題になったが、その操作が市民の心情を利用するものになってきた。例えば、インターネットで政府のスタッフが、一般市民の振りをして政府の政策についての議論に入ってくる。そして、上にあったように「何もできないくせに、偉そうなこと言うなよ」とか「難しい話はやめてくれ」とか、政府を批判する者を嘲笑う。そのようにして、市民の政治的議論を忌避する傾向と政治に対する諦念、が助長される。すると権力者にとって都合がよい。だからといって私たちは、市民に「政治を議論しよう。諦めるな」と言っているのでは全くない。私たちは、権力者が市民の思考や情動を操作したり誘導したり利用していることを暴露し批判している。
  だが、「どうでもよいようなゴミ拾いなんてやってんなよ」というようなことは言わないほうがよい。そんなことを言うと、反政府グループが市民の不必要な反感をかう恐れがある。私はそれ以上、議論が激しくならないことを願った。そんなとき、Jが彼女らの間に入ってくれた。それによって彼女らは、団結してJに当たり始めた。次いで、私は思わずGFスタッフにウインクしてしまった。今度はGFスタッフが、それを誤解して、私に当たり始めた。それらよって事なきをえた。

孤独

  Jには仕事上の「師匠」のような人がいた。師匠は、Jだけでなく、港湾の労働者の間で広く慕われていた。その師匠には妻子がいるらしい。だが、長らく、離婚しているのか別居しているのか分からないような状態だった。師匠は、仕事を引退し、独り者だった。Jは一週間に一回はその師匠を訪れ、居酒屋に連れて来ていた。私もその師匠と知り合いになった。職人気質。居酒屋に来るとよくしゃべる。高齢者の一人暮らしではこうなるのだろう。師匠はしばらく飲むと、いつも「若い頃はよく遊んだ。浮気もした。賭博もした。借金もした」と言う。さらに飲むと、少し大人しくなって「老後、一人になると寂しい」と言い、若い者には「老後のために、家族を大事にしろよ」と言う。女性客も聞いていて「今さら、遅いわ」と言う。私は「もう何十年も前のことを言っても仕方がない。これから独り者がどうやって生きるかだ」と言う。Jが「独り者どうしが温め合うしかない」と言うと。独身の女性客が「確かにそれしかないね…」と言う。それが本音だと思った。そういうときは、私も独り者になりきっていた。あるいは、老後は独り者になるに決まっていると思っていた。その頃には師匠は、いつもカウンターで眠っていた。
  ある夕、Jが居酒屋に急いで来た。「師匠が、飯が喉を通らなくなって、入院した」と言う。「(スラム街の)あの病院でだいじょうぶだろうか。外の大きな病院に移ったほうがいいんじゃないか」と言う。
  私もJに付いて師匠の面会に行った。師匠は声がかすれている。鼻からチューブが入っている。点滴されている。そんなとき、初老の女性と三十代の女性がやってきた。師匠の妻子または元妻子のようだ。三十代の女性は私とJを見て「あんたら誰」と不審そうに見る。師匠は初老の女性を見て、懐かしそうにしている。Jはその女性に何か言おうとする。私はJの手を引いて病室を出、病院をあとにした。私が「あれでよかったじゃないか」とJに言うと。Jは「だといいんだが…」と心配そうだった。
  数日後、Jが「師匠は公的健康保険に入ってなかった。このままでは入院費は全額自己負担になる。役所に保険の手続きに行くと、家族しか手続きできないと言われた。家族に連絡してみた。何度、電話しても、家族は電話に出ない」と言う。さらに、Jは続けた。「師匠の状態は全然良くならない。外の大病院に転院したほうがいい」と言う。
  私はJに付いて病院へ行った。Jと私は師匠の主治医に面会を申し込んだ。主治医は「確かに専門の病院に転院したほうがいい。食道癌の疑いがある」と言う。主治医は入院費と保険の事情を知らなかった。Jと私は事務長に面会を申し込んだ。事務長は「溜まっている入院費を即刻、払ってもらわないと、他院に紹介することができない」と言う。Jは貯金をはたいて、入院費を用意して来て、支払った。
  Jと私は師匠の病室に行った。病院のスタッフが転院の準備をしていた。師匠は細った声でJに「すまない」という。Jは「いいんだよ」と言う。そんなとき、ようやくあの初老の女性がやってきた。公的健康保険の手続きをしてきたと言う。Jには先ほど支払った分が返済された。保険が効いた後の自己負担分はその女性が支払った。女性は師匠に「これが最後ですよ」と言う。師匠は天井を見つめて黙っていた。
  後日、Jは「入院後、最初に妻子が来たのは遺産目当てだった。その後、師匠は保険にも加入しておらず、入院費も払えないほどだ。ということを妻子は知った。だから、妻子は法的義務だけ果たして、去って行った」と言う。Jは続ける。「若くて仕事があるうちは独り身もいいもんだ。だけど、年取ってからは…」と言葉が詰まる。私もそうなるかもしれない。Jは「寂しいんだろうな…独り身は」と言って、黙る。「確かに…だから、老後は独り者どうしで助け合う」と私は言いかけた。Jは「寂しさは、独り者どうしが集まることでなんとかしのげる」と言う。さらに、Jは「法的手続きで、家族がどうしてもしなければならないことはある。そのときは家族に来てもらわないと…」と言っていた。つまり、Jは私の考えの先を行っていたのである。
  師匠は専門の病院に転院した。転院先で、食道癌だということが分かった。比較的早期発見、手術となり、事なきを得た。退院後、師匠は依然、Jに連れられて、一週間に一回は居酒屋に来る。酒はきっぱりやめた。食事を飲み込むときは注意している。師匠はそうしながら「独り身で寂しいときは、死んだほうがいいと思っていた。癌を生き延びて…今…本当に生きていてよかったと思う。Jも居てくれるし…飯が旨い。飯が旨い…これだけでも人生、生きる値打ちがある」と言っていた。「飯が旨い…これだけでも人生、生きる値打ちがある」これは独り者に限らず、人間の誰にも言えることだと思った。食べることは生存の手段であるだけでなく、最後まで人間の楽しみだ、と思った。例のシソ科植物EPもおかずの中に入っており、ささやかながら貢献している。
  ここで、滅多に口を出さない居酒屋の主人が、舌足らずながら次のようなことを言っていた。「人間にとって一番、切実なのは孤独だ。それを凌ぐには、寂しい者どうしが集まるしかない。居酒屋もその集いのためにあると思う。だが、寂しい者は、店に居座ってあまりオーダーしない。儲けにならない。だから、昔はそんな客を嫌がっていた。だが、自分も老いてきて…寂しい者の気持ちがよく分かるようになった。だから、長居してもらってかまわない。だけど…一人、一時間に一品は、オーダーしてちょうだい」と、主人は、師匠とJと私に言っていた。

独創性

  例の売春婦Kは、行方不明のままである。多分、M将軍に消されたのだと思う。Kには小学校高学年の息子が一人いた。少年はKの失踪後、集団生活を嫌うようになった。小学校に登校していれば、給食を食べられた。施設に入れば、それに加えて二食も食べられた。だが、少年は登校も入所も嫌がった。Kと住んでいたアパートからはまだ追い出されずに一人で居る。どうやって生きているのか。近所の人が「Kの息子は変な魚を食べている。そのうちお腹を壊すだろう」と言う。私とWは少年のアパートに行ってみた。少年は痩せてもおらず元気だ。皿に食べ物のかすが残っている。確かに小さな魚だ。私は部屋を見回した。窓際に大きな水槽が二つあって、小さな白い魚がいっぱい泳いでいた。私は思わず声を上げて笑った。「この魚を食べているのか」と。少年も笑って「旨いよ」と言う。私とWは納得した。
  その魚は二千年前後は淡水の観賞魚だった。純白で見方によっては綺麗だが、地味で観賞魚としての人気が無くなっていた。その魚は淡水性、植物食で、緑藻を食べて生育する。アオミドロさえ食い尽くす。植物食だから、水を汚さない。卵をお腹の中で孵して産み落とす。そして、重要なことである。魚類の多くは自分の子供も食ってしまう。それに対して、この魚は完全な植物食で、子供を食べない。それらのことから、水槽を窓際においておけば、緑藻が限りなく増え、それを食べてその魚は限りなく増える。魚の排泄物は緑藻の肥料になる。つまり、それらがほとんど生態系を構成している。問題は水中の酸素濃度だが、少年は棒で水をかき混ぜて空気を混ぜていた。エアレーション(ブクブク)をしなくてもそれで十分なようだった。そして、最大の問題は人間が食えるかである。
  少年は、水洗いし、水を切って、酢に漬けて食べていた。それで食中毒を起こしていない。私とWはそれで食べてみた。「まずくない」私もWもこれは食糧資源として行けると思った。
  結局、魚と水槽と少年はWのアパートに移った。Wと少年はその魚の酢漬けの商品化に着手した。まず、水槽を増やし、エアレーション(ブクブク)をした。これで少年は棒で混ぜなくてよくなった。それによって魚がさらに高密度になるまで増殖した。また、水揚げ後、念のために魚をエタノール噴霧で消毒した。それによって酢漬け以外のレシピも可能になった。例えば、乾燥させて日持ちさせ、ふりかけなどにすることも可能になった。
  その少年について。小学校低学年から人のやらないことばかりをやっていたそうだ。私は少年に「大人になってもそれで通せるかな。思春期を過ぎても、通せたら、一生、行ける」と言ってみた。その予言は的中した。どういう形で的中するかは、後のお楽しみ。人間はときに人のやらないことをやってみる必要がある。特に生物資源開発においてその必要がある。それを少年がやって見本を見せてくれた。遺伝子操作などしなくても、生物資源開発と生産と食糧難や飢饉の克服は、可能であることの見本を見せてくれた。
  人のやらないことばかりやっていると、つまり、独創ばかりだと生きづらい。独創が当たればよいが、当たらないことのほうがはるかに多い。歴史上、独創ばかりの変人のほとんどは、苦労して成功せずに死んでいった。家族も友達もいないか、いても疎んじられただろう。ごく一部が成功して歴史に残った。それは氷山の一角に過ぎない。氷山の下の大部分に私は敬意を表したい。いや、私も氷山の下の大部分の一人になるだろう。だが、それも私の自由でやったことだ。だから、悔いはない。
  ところで、少年は学校に登校するようになった。もっと語学や化学や生物学を勉強する必要性を感じたようだ。これほど勉強の必要性を感じた子供はいないと思う。Kの消息はまだ分からない。生きていれば、息子のことをどう思うだろうか。

不変遺伝子手段以外の生物または手段によって人間の欲求を最大限に満たすことは可能である

  行きつけの居酒屋の近くに六十代の母と四十代の息子が住んでいた。母親は息子を女手一つで育て上げた。息子は肉体作業を実直に続け、今は母を養っていた。母はAK癌を告知され、転移も告げられていた。二千〇〇年、多くの癌は克服されていたが、母親のAK癌は化学療法によって余命を延長するしかなかった。それらは健康保険で賄えた。だが、いつの時代でも保険が効かない「特効薬」と称する薬は出る。そのような特効薬の値段はワンクールで通常のサラリーマンの月収以上だった。息子は酒も食事も切り詰めてカネを貯め、特効薬を購入しようとした。居酒屋にもあまり来なくなっていた。
  ある日、息子が居酒屋にやってきた。私もJもWも居た。「外のオフィス街まで行って買ってきた」と保冷剤に入ったガラス瓶をJとWと私に見せる。「8回分ある。いつもの主治医に渡して母親に注射してもらう」と言う。私は、それを手に取って保冷剤からちょっと出して、ラベルを見て、息子に返した。「こりゃ駄目だ」と思った。二千年代初めに話題になったが、効果はまだ、実証されていない薬剤だ。それだけの間、実証されていないのだから、多分、効果はないだろう。だが、言わなかった。こういう場合、息子の「できるだけのことを母親にした」という思いが重要だ。その思いを壊してはいけない。Jは「高かっただろう。今夜のお前の分は奢るぜ」と言う。Wも「俺も奢るよ」と言う。店主は「今日は代金、いらねえよ」と言う。そんなとき、めったに来ない制服の現役警察官が入って来た。息子に向かって「それをどこで手に入れた」と尋ねる。息子は「オフィス街で買った」と領収書を見せる。警察官は瓶を取り上げた。息子は取り返そうとした。JとWは警察官の腕を掴もうとする。そのとき、瓶が保冷剤から抜け出して宙に舞った。瓶はガシャンと床に落ち、割れた。中のわずかな液体はコンクリートに浸み込んでいた。警察官はヤバいと思ったのか、すぐに去って行った。息子は床に崩れて泣いていた。JとWはしゃがんで息子の背中をさすっていた。それが数十分続いた。
  私は一時的に居酒屋を出た。その往復の道で考えた。警察はもはやスラム街を相手にせず巡回もしない。何故、あの警察官はやって来たのだろう。例の「あぶり出し」ではなさそうだ。あの警察官もあの「特効薬」を狙い、あの息子を外から尾行していたのだと思った。盗んで転売…それもない。もしかしてあの警察官にもAK癌の家族がいたのか…それならかわいそうなやつだ…と思った。私はあの居酒屋にも例のシソ科植物EPを卸していたが、この日は品切れになっていた。だから、私は潜伏所に戻って、EPを数把取って、居酒屋に戻った。「こっちのほうが効くよ。母親に食べさせてあげてよ」と息子に差し出した。実際、EPには抗癌作用があることが実証されている物質、が含まれていた。しかもその物質は経口で消化管から吸収される。注射の必要がない。あの「特効薬」よりはこっちのほうがよっぽど信頼できた。ただし、加熱するとその物質は分解される。また、その物質のEPからの単離はまだできていない。この時点では、その物質は他の希少な植物から単離できるだけだった。EPが抗癌剤になるには毎日、生で数把食べる必要がある。EPは生で食べても旨いのだが、数把を生で食べるのはたいへんだ。例えば、レタスを数株、食べるようなものだ。だから、まだワインの原料と野菜としてしか実用化していなかった。私はそれを「何か月か分、あげるよ」と言った。Jが「毎日、運んでやるよ」と言う。Wが「畑まで毎日、採りに行ってあげるよ」と言う。
  息子もなんとか、立ち上がって、JとWに囲まれて座った。私はWの隣で、少しでも楽に毎日、数把、生で食べる方法を考えた。店の店主もEPを煮物や炒め物に入れるだけだった。私は店主に「生で作ってみてよ」と頼んだ。店主はその数把を全部、洗って刻んで調味料をかけてサラダ風に仕上げた。店主の腕前で結構、食べられそうだ。とりあえずそれで行こう。息子は店主が作ってくれたものをプラスチック容器に入れて持って帰った。母親もたいへんだと思った。採って運んでサラダ風にするのは息子やJやWがやるだろう。あるいは息子が栽培からするだろう。だが、毎日、生で数把、食べる母親は大変だ。いや、息子を思いやって食べるだろう。
  人間の長生きしたい、家族や恋人や友人に長生きして欲しいという願いは切実である。不変遺伝子手段以外の生物または手段によって、人間の欲求を最大限に満たすことは可能だと思った。しかも、安価で健康保険が効く形でそうすることは可能だと思った。これとあのKの息子の食糧資源開発を合わせて、遺伝子操作などしなくても、人間を含む生物の生存は可能だと思った。実際、後にWとKの息子がその可能性を実現することになる。

最も深い人間関係

  数日後、息子が家でEPを栽培したいと言う。母親に食べさせるのは毎日、数把であり、それだけの量を自宅で栽培するとなったら大変だ。窓際でというわけにいかない。日曜日に私とJとWが、温室の設置と植え付けの手伝いに行くことになった。息子の家は、港の見える高台にある。だが、海から距離はあり、潮風はあまり来ないだろう。だから、EPは育つと思った。息子と母親の部屋は一階にあり庭付きだった。庭にビニールハウスを設置して栽培する計画だ。私とWが土とEPの株とプランターにするプラスチック容器を運んだ。息子とJがビニールと骨組みの鉄枠を入手して運んだ。ビニールハウスの設置と株の植え付けが終わると、母親が手料理を出してくれた。この家には息子が生まれてからずっと母と二人で住んでいるという。料理はこの二人だけの家庭の歴史を感じるもので、よそでは味わえない旨みがあった。
  母親は「息子に嫁が来てくれたらよかったんだけど…もう無理だろう。自分の世話をさせてしまって…すまないと思う」と語る。息子は「そんな話をしなくてもいいだろう」と言う。Jが「息子さんはまだまだこれからですよ」と言う。私は家の中を見回した。息子の子供の頃の写真や表彰状などが壁に飾られている。丁寧に飾られているが、さすがに変色している。博物館の展示物より歴史を感じる。
  母親が「自分はまだ元気だからいいけど…」と言う。JやWが「私たちもいますよ」と言う。私は「私たちも老いていく…」と言いかけたが、なんとか止めた。母から生まれて、育てられて、仕事をして、母を養って、共に老いていく…親子の関係より深くて重いものはないと思った。誰にでも親がいるのだが、よその家庭の親子関係を見て、初めてそれが分る。特に親子が共に老いていくとき、それが身に染みる。
  日が沈む頃、私とJとWと息子でいつもの居酒屋に飲みに行った。親子の関係の重さと比較すれば、友達や恋愛や結婚は軽いものだ。その軽さもいいものだと思った。重さばかりでは息苦しい。だが、深みから生まれて、浮き沈みして、深みに帰っていくのだと思った。

狙いを権力の中枢に絞る

  結局、息子の自宅でのEPの栽培はうまくいった。そんなある日、あの警察官が私服で居酒屋にやってきた。私とJとあの息子がいた。警察官は保冷剤に入った特効薬の瓶を息子に差しだして「すまなかった。これ同じものだと思う。使ってよ」と言う。Jも息子も「もう要らないよ。もっといいのがある」と言う。私は「あんたがそれを必要としているんじゃないか?」と尋ねてみた。警察官は「父がAK癌だ」と言う。Jも息子も即座に理解し「お前も大変だな。それを使うより…」と言っていた。それから警察官もカウンターに座って一緒に飲んだ。同じ境遇にあって、息子と警察官は仲良くなった。警察官も例のシソ科植物EPを自宅で栽培するようになった。私は種を無料で提供した。
  このように、軍にしても警察にしても、独裁政権にしても、下っ端は普通の人間だ。市民と上層部の板挟みになって、彼らは辛いだろう。また、上層部と下っ端の板挟みになる中堅も辛いだろう。それらのことはいつの時代も変わらないと思った。狙いはますます権力の中枢に絞られてきた。
  革命で大きく変わらなかった人生については、今、語っておいたほうがよいと思う。
  例のシソ科植物の売れ行きは、どんな用途にせよ伸びて行った。「もしEPに効果があれば、お前はノーベル医学賞だ」と、JやWが私に言う。それが含む物質の抗癌作用は既に実証されていたから、それはありえない。かつての「ノーベル賞」なるものは、以下のようにして、より大きな賞になっていた。故人にも与えられる、平和賞を「総合賞」とする、医学生理学賞を「医学生物学賞」とする、情報科学技術部門、法学部門、環境保全部門、資源有効利用部門、音楽部門、美術部門…などの賞を新設する…などが変更点である。革命前は権力者とそれに利用される科学者しか、その賞を獲れなかった。革命直後はそれへの反動として以下のようになった。P教授(故人)と父(故人)とA国のグループGとB国のグループHが総合賞を共同受賞した。それとは別にP教授は法学賞、父は医学生物学賞、Xは情報科学技術賞、Yは経済学賞を単独受賞した。あの白血病の少女(故人)とあの地下の手記の筆者(故人)は総合賞と文学賞を共同受賞した。地下からはあの筆者の手記がまとまって発掘されていた。それをA2大学文学部の教授が鑑定し編集してくれた。
  反政府グループGの同僚Y(♂)とZ(♂)は革命後、それぞれ普通の女性と普通に結婚した。私は結婚パーティーに行った。普通のパーティーだった。A1大学において、犠牲になったP教授を除き、あの学長とR教授を含めて、ほとんどの研究者、学者が留任した。
  以下は革命からしばらくたってのことである。すっかりスラム街の人となり、A国籍を取得していたWは、A1大学で研究をし、例のシソ科植物EPが含む抗癌作用をもつ物質、をEPから単離し研究した。さらにその研究から発展して、あの母親が罹っていたAK癌を含むほとんどの癌を克服した。そのおかげで、あの母親は毎日、生で数把食べなくてよくなった。いずれにしても長生きしている。また、WはEPに限らずいくつかの植物の選別淘汰を進め、光量不足の室内でも栽培できるようにした。それらによって世界で、都会での緑化が進み、飢饉や食糧難が少なくなった。それらのことによって、Wは医学生物学賞と資源有効利用賞を受賞した。Jとあの息子とあの警察官は、スラム街で高層ビルを少しばかり改造して、Wが開発した植物を栽培できるようにした。それによって、会社を設立した。さらに、栽培できるビルを増やしている。Wはときに帰って来てそれを手伝っている。彼は「ここ(スラム街)で農業をするよ」という約束を文字通りに守った。ここでごく簡単な計算をしてみよう。単純に、a平方メートルで生産できる作物をbキログラムとしよう。a平方メートルの土地に百階建ての高層ビルがあれば、bの三十倍以上の作物を生産できる。
  そこまでは誤算はなかった。ただ、雇用が生まれ、外の住宅街から中間層が政府主要施設近隣に移住し、「権力疎外」に支障を来した。それが私たちの数少ない誤算の一つだった。そこで、社会権を保障する人の支配系の行政権の長官になっていた同僚Yは、彼らの会社を郊外に移転してもらった。それによって権力疎外は維持された。
  例の富豪夫妻は亡くなり、Jは子供二人を引き取った。といっても、子供らはほとんど独立している。私はほんのたまに帰って来て例の居酒屋でそれらの話を聞いている。Wがそれらを受賞した前の年に、全体破壊手段は全廃された。そのために、かつてB国の同僚だったVと私は、総合賞を共同受賞した。Vと私とそれらの妻子はもはや元の国籍をもっていない。私の妻は移住後も相変わらず「都会の中で生息し絶滅しつつある水生動物」の保護をやっている。私の子供二人は、Wにあこがれて農業に興味をもっている。母と妹は完全にE国の人となった。妹の夫は漁業をやっている。彼も約束を守った。あの悠々自適の革命家Uもある形で約束を守った。その後も、Uは悠々自適の生活に戻り、天命を全うした。さらに後に、Kの息子が、食用淡水魚類の開発によって資源有効利用賞を受賞することになる。
  革命で大きく変わる人生については、後ほど。また、大きく変わったことが革命後に初めて分かった人生ついても、後ほど。

国家主義、国益、人口問題…など

  さて、時は革命前に戻る。超大国A、Bの政府と軍はもともと独裁的だった。それが両国ともにますます独裁的になってきた。両国は戦時体制を宣言し、元から形ばかりで不正だった選挙も停止した。また、元から形ばかりで機能していなかった立法権と司法権も停止した。超大国Cも、あの小惑星の事故があってしばらくは大人しかったが、元の独裁に戻りつつあった。P教授は、軍人が完全に政権を握ることを「軍独走型」独裁と呼び、文官が軍を完全に掌握して乱用することを「文官軍乱用型」独裁と呼んで区別していた。もちろん、それらは両極であって、それらの中間がいくらでもある。A国は、M将軍が実質的な権力を握るが、AP大統領が形式的な国家元首に留まり、前者に近い中間になった。文官を前面に立てたほうがM将軍にとって都合がよいだろう。いざとなれば文官を矢面に立たせることができる。B国はBP大統領が軍を完全に掌握し乱用し後者になった。P教授が言いたかったのは以下のことである。一見したところ軍人が脅威だが、それを操る文官がもっと脅威なことはある。さらにそれを操る軍人がもっともっと脅威なことはある…ということである。
  また、諸国で権力者が、古臭い国家主義や愛国心を利用するようになった。それと人口論争が、かつてと違った形で再燃していた。
  国家主義について。誰かが愛国心をもつとしても、それは国家に対してであって。国家権力に対してではない。権力者は、国家主義や愛国心を煽り利用して、政治的経済的権力を強化し、独裁を敷き軍拡し戦争も辞さない。M将軍に至っては「家族を守るためには男は、国のために戦わなければならないことがある」などというもはや化石のような言葉を吐く。私たちはこの時ばかりはM将軍を暗殺してやろうと思った。「俺たちは家族を守るためにはお前を倒す必要があるのだ。男も女も」と。だが、M将軍も本気でそんな言葉を吐いているのではない。M将軍のそのような言葉は市民を戦争へと煽り利用する麗句に過ぎない。私たちが批判する必要があるのは、国家主義や愛国心そのものではなく、それらを利用して市民を煽る権力者である。他のイデオロギーや宗教についても同様である。
  人口論争について。人口の指数関数的増加に対して、第一にパンデミック、第二に飢饉や食糧難、第三に戦争と虐殺、を肯定する者が意外と多数いた。そのような肯定に対して、市民は無差別に嫌悪と恐怖を覚え、それらを公然と肯定する者は目立たなくなった。結局は第一のパンデミックと第二の飢餓、食糧難と、第三の戦争と虐殺の中でも局地的なものによって、現在のところ地球で維持できるぎりぎりの人口を少し超えている。そこで重要なことは以下のことである。幸いにして第三の戦争と虐殺が局地的なものであったから助かった。それは運がよかったに過ぎない。いつでもそれが全体破壊手段の使用に至り、人口抑制どころか人間を含む生物が絶滅する危険があったのである。全体破壊手段が使用されて、一部の超大国や大国が生き残ることは考えられない。何故なら、無人潜水艦、人工衛星…などに搭載される全体破壊手段のいくつかは、いかなる攻撃や報復によっても残存するからである。そして、報復の余地、報復の連鎖の可能性は、残るからである。つまり、前述の第一第二と、第三とを明確に区別する必要がある。さしあたり、第三が全体破壊手段の使用に繋がることがないよう、私たちは全力を尽くす必要がある。そして、全体破壊手段の全廃と予防に全力を尽くす必要がある。科学者や政府の専門家でさえも、まだ第一第二と第三の区別が十分にできていない。
  例えば、飢饉や食糧難において、エネルギーを欠く美容食を配布するようなふざけた大国があった。飢饉や食糧難において危急で不可欠なのはエネルギーだ。エネルギーを欠く食糧を配布された人々の驚きと怒りは想像を絶する。冗談や笑いごとではない。飢饉や食糧難においてエネルギーを欠く食品を配布するのは、巧妙で悪質な人口抑制策だ。世界中の医師や科学者たちはそれを痛烈に批判した。それも重要だ。だが、少なくとも同じほど痛烈に、全体破壊手段を開発し保持し続ける世界の政治的経済的権力者を批判する必要があった。
  それらの国家主義や愛国心と人口問題とが互いを助長することがあった。少なくとも超大国AとBで次のようなことを公然と語る政治的経済的権力者がいた。自国は他国より人種的かつ民族的に優勢である。他国を攻撃破壊すれば人口抑制になり、優勢な人種かつ民族が生き残る。と公然と語っていた。超大国のそのような衝突は、全体破壊手段を含み、人口抑制どころか、人間を含む生物を絶滅させる可能性が極めて大きい。世界の反政府グループと市民がネットワークでそれらの政治的経済的権力者を痛烈に批判した。さすがに彼らは公然とそのようなことを語らなくなった。だが、公然と語らなくなったのが急だったからこそ、恐ろしかった。
  国家主義や愛国心というような精神的なものではなく、政治的経済的権力者が現実的な「国益(National interest)」なるものに訴えることはいつの時代もあったし、この度もあった。それに対して、世界の反政府グループと市民が、仮に局地戦争に終わるとしても、戦争が国益になることは決してないとネットワークで反論した。だが、地球規模で枯渇していく資源の中では国益と見えたものは過去のいかなるときより重大だった。もはやこれは国益などというものではない。生存に不可欠な生物資源である。食糧である。権力者が国益などの言葉を使うから、市民もそれが見えなかったのだと思う。生存に不可欠な生物資源のためにはもはや戦争は避けられないだろう。これからもそうだろう。だから、せめて全体破壊手段が使用されないように全力を尽くすしかない。戦争が局地戦争になることに全力を尽くすしかない。そして、戦争が局地戦で終わったならば、全体破壊手段を全廃するしかない。そして、全廃した後は予防に全力を尽くすしかない。そう痛感した。

MAD、SMAD、新旧のミサイル迎撃システム…など

  さらに無理のある軍事理論が加わった。千年代末の「冷戦」なるもののときに「相互確証破壊(Mutual assured destruction)(MAD)」という概念があった。二つの超大国が核兵器という全体破壊手段をもって他を確実に破壊できれば、超大国は相互に攻撃することがなく、大戦は避けられるというものである。それに対して、私たちは諸国の政府と軍の主要施設の近隣に一般市民が居住しないことによって、全体破壊手段使用の必要性を減じ、市民ではなく、権力の中枢だけを相互に選択的に破壊してもらうという「権力疎外」を展開していた。それは視点を変えれば「選択的相互確証破壊(Selective mutual assured destruction)(SMAD)」とも呼べる。MADの頃と比較して、科学技術、特に情報科学技術は進歩し、政府と軍はますます選択的に政府と軍の中枢だけを破壊できるようになっていた。SMADは、その選択性によって、市民を犠牲にせず、権力者だけを犠牲にすることを目指す。全体破壊手段の必要性を減じ、人間を含む生物の絶滅を予防することを目指す。
  ところで、既に千年代末のMAD華やかなりし頃にも、MADの均衡を破ろうとする理論があった。それらは真新しい名称で呼ばれたが、端的に言って「ミサイル迎撃システム」だった。迎撃する現場を大気圏内から大気圏外に広げただけのものだった。その後、二千年代に入ってしばらくして、迎撃する現場は、大気圏内外どころか、宇宙に広がった。最近になってまた、斬新と主張する理論が、少なくとも超大国A,Bで以下のように出現した。いつの時代も威嚇のために、軍事技術が進歩しているように見せかける科学者や政治的経済的権力者がいる。科学者らは言う。「再び大気圏内に立ち返って、敵国からのミサイルをすべて迎撃できる。その迎撃できるミサイルは人工衛星からのものも無人潜水艦からのものも含む。それらによって、敵国からのミサイル攻撃・反撃・報復をほぼ完全に封じ込めることができる」と。私たちは一般市民として、それらのうちのA国の科学者に質問した。「それらの『ほぼ』とは何パーセントの確率か?」と。彼らは「九十五パーセント」と答えてきた。そこまでの回答は容易に帰ってきた。その後、私たちは「小数点以下は?」と聞き返した。その問いへの答は帰ってこなかった。いい加減なものに過ぎないにせよ「九十五パーセント」の数値を漏らした科学者は、M将軍に抹殺されたようだ。その後、A国のM将軍もB国のBP大統領も、その迎撃システムによって敵のミサイル攻撃・反撃・報復を「確実に」封じ込めることができると威嚇した。つまり、科学者や技術者が「ほぼ」と言ったことを彼らは「確実に」と言い換えていた。


本来の戦争

  さらに、シェルターに対する過信が加わった。全体破壊手段が使用され、地上が破壊され汚染されても、政治的経済的権力者が逃げ込むような最新のシェルターでは数万人が世代を超えて数百年、生存できる、という噂が立っていた。また、そのようなシェルターと地上との間の情報通信技術も進歩し、新発見の電磁波が利用される。全体破壊手段が使用されなかった場合、世界の政治的経済的権力者は、シェルターから地上に残された政府と軍と企業を、コントロールできると確信していた。全体破壊手段が使用された場合で、数百年の生存が可能だとしてみよう。世界の人口と比較すると、ほんの一握りの人間が生存するに過ぎない。しかも、数百年、生存するに過ぎない。仮に人間を含む生物が、宇宙船等で別の惑星または別の系に移住して生存するとしても、一部が生存するに過ぎない。しかも、逃げた者は地球上の生物とは別の方向に進化する。私たちはそれらを地球の生物の生存と認めない。私たちが目指す人間を含む生物の生存とは、太陽または地球の激変のときまで、人間または進化した人間を含む生物が、この地球上で生存することである。
  さて、二千年に入ってしばらくして、食糧となりえる生物資源は二千年前後の石油と比較にならないほど貴重な資源となっていた。どんなに科学技術が進歩しても、例えば、「人工光合成」が実用化しても、食糧を光と水と二酸化炭素だけから作れるわけがない。何らかの生物資源が要る。単に収穫され保存されている穀物等だけではなく、持続的な生産のできる農地、牧草地、漁場…などが要る。それらが「生物資源」または「食糧資源」である。世界の人口を維持するためには大量の生物資源が要る。あのF国は既にあの隣接する大国に併合されていた。F国の部分も含めてその大国は生物資源が比較的豊かだった。また、それらに隣接するいくつかの国も生物資源が比較的豊かだった。地理的にそれらの国々は超大国AとBの間にあった。つまり、A国とB国の間に世界の人間の生存に不可欠な資源を有する国が集中していた。A国、B国は既にそれらの国に介入し軍も派遣していた。既にそれぞれの勢力圏が形成されていたが、その境界はますます緊迫していた。既に前述の「資源を巡る局地戦争」は始まっていた。
  さらに、A国とB国の間の紛争と比較する限りでスケールは小さいが、それらと同様の紛争が世界の他のいくつかの地域で始まっていた。しかも、それらの当事者のいくつかが、A国とB国のいずれかと結託し、あからさまに同盟するものもあった。ここまでだけでも、二千年前後の世界大戦のレベルに達していた。だが、それらは二千年に入ってしばらくしてまでの戦争とは異なる。
  現在の戦争は、覇権、領域、宗教、民族、イデオロギー…などではなく、生存に不可欠な食糧資源を巡る争いである。何故、かつて人間は不可欠でないもののために戦っていたのだろう。それらは避けられたはずだ。こう言っては悪いが、そんな戦争はちょろい。かつての戦争が何千万人の生存を掛けた争いだとすれば、今の争いは何十億人の生存を掛けた争いだ。生存に不可欠なものを巡る戦い。それがこれからの戦争だ。これが本来の戦争だ。しかも、世界の政権はすべて、大なり小なり独裁的なものであり、外交による資源の分配は望めない。だから、少なくとも局地戦争は避けられない。私たちにできることはせめて、全体破壊手段が使用されることを避けることだけだった。この危機を乗り切って、全体破壊手段の全廃と予防と、民主的分立的制度の確立と維持に全力を尽くすしかない。本当に不可避という意味で最初の、人間を含む生物の絶滅に繋がりえ、以後は全体破壊手段を全廃予防し民主的分立的制度を確立維持するしかないという意味で最後の、最初で最後の戦争だ。それに対するのは、最初で最後の本当の意味での決戦だ。と思った。
  諸国の反政府グループが打合せ通りに動いた。特にA国のグループGとB国のグループHが互いに緊密に連絡をとりつつ動いた。つまり、A国とB国は、権力者の側は敵対していたが、反政府グループの側は連携していた。さらに、世界の反政府グループが連携していた。これも世界の市民と世界の権力者という横割りの構造に含まれる。既に一般市民のほとんどが、諸国の政府と軍の主要施設近隣に居住していなかった(権力疎外)。スラム街の中でも人々ができるだけ周辺に移動した。潜伏所の中でもスタッフができるだけ周辺に移動した。政府に顔の割れていないスタッフはスラム街の周辺に移動した。また、世界中の反政府グループが既に、政権と軍からの離反者に対して革命後は罪を問わず、希望次第で従来以上の地位と対偶を保証すると宣言していた(離反推奨)。また、世界中の反政府グループが自国の政府と軍の特に所在地に関する情報を入手し、積極的に他国に漏洩した(権力相互暴露)。さらに、政府や軍の内部に潜む人々で情報提供できる立場にある人々(内部隠密情報提供者)に、情報の提供をお願いした。全体破壊手段が使用され人間を含む生物が絶滅するとすれば、当然、自分たちも死滅する。だから、それらの人々が積極的に情報提供してくれ、他国と世界に提供できた。また、世界の政府と軍に積極的に「全体破壊手段を使用しなくても相手の政府と軍を選択的に破壊できる。また、全体破壊手段を使用すれば貴重な資源が汚染される。だから、全体破壊手段を使用しないでください」とお願いした。さらに、政府や軍の内部に潜む人々で政策や戦略に影響を与える立場にある人々(内部隠密戦略誘導者)に、そう政策と戦略を誘導するようお願いした。上と同様の理由で、それらの人々が忍耐強く誘導してくれた。また、できる限り多くの国々が中立に留まるようお願いした(中立推奨)。特に残る超大国であるC国にそうお願いした。

日はまた昇るのか

  私は来るべきときに備えて、例の評判のよい散髪屋に行った。政府や軍の主要施設からだいぶん離れており、スラム街の中でも退避を要しない地域にあった。話好きな店主だった。世間話をした。「サッカーのワールドカップ、延期になるのかね…」と店主。「延期になんねえよ」と私。実際、延期にならない確信があった。「予定通り開催されるか、何もねえかだぜ」と言いかけたが、代わりに「開催地のE国はいい所だぜ」と言い換えた。「行ったことがあるのか?」と店主。「妹が居らあ」と私。「サンゴ礁はあったか?」と店主。「もうとっくの昔にねえよ」と私。「行きたかったんだけどな…」と店主。店主はダイビングをやるらしい。A国でも潜れる海はあるらしい。「無人潜水艦を捕獲してくれねえか」と言いかけたが「鯨を獲ったことはあるか?」と言い換えていた。店主は手を止めて大笑いしていた。通常の料金で一時間もかけて、切って剃って整えてくれた。
  そのように、市民と権力の下層、中間層は、意外なほど平静だった。市民も全体破壊手段が使用されれば、地球上のどこにいても無駄だと思っていた。政府と軍の主要施設だけが破壊されることに希望を託し、それらの近隣から退避することに専念してくれた。それは、既に局地戦争が始まっている地域を除いて、世界的現象だった。これが今後の「ボタンを押すだけの戦争」の前夜だと思った。
  それから、潜伏所に帰った。同僚の多くが潜伏所またはスラム街の周辺に既に移動していた。残った少数といつもより少し多いワインといつもより少し贅沢な夕食で「前夜祭」とした。今後の準備を十分にしていたから、ワインや食事が少し足りない以外は、普通のパーティーだった。
  その翌日の午後二時、A国とB国の政府と軍の内部隠密情報提供者からついに来た。A国のM将軍がB国とB国の勢力圏の政府と軍の主要施設に向けたミサイルの発射命令を出した。B国のBP大統領がA国とA国の勢力圏の政府と軍の主要施設に向けたミサイルの発射命令を出した。という情報が入ってきた。ミサイル発射命令の情報は確かなものだった。だが、ミサイルがなんらかの全体破壊手段を搭載するかしないか、全体破壊手段を搭載しているが爆発させるのかしないのか、その爆発について決定し命令するのはどの段階のいつか…などについて確かな情報はなかった。
  特に「内部隠密戦略誘導者」に動いてもらった。彼らはそれぞれ、A国のM将軍とB国のBP大統領に「全体破壊手段を爆発させなくても、相手の政府と軍の主要施設を確実に破壊できる。全体破壊手段を爆発させれば、貴重な資源が汚染され使い物にならなくなる」と働きかけてくれた。それらの動きによって、両国は全体破壊手段をミサイルに搭載していないと推測できた。だが、搭載の有無について確実な情報はなかった。
  B国の反政府グループHも同様の情報を同時間に掴んでいた。グループGとHは即座に世界中の反政府グループと市民にネットワークでその情報を流した。もちろん、世界中の政権と軍にその情報が流れた。だから、世界の権力者が即座に反応してくれた。
  私たちはできるだけのことをしたつもりだ。だが、全体破壊手段が使用されない確信はなかった。全体破壊手段が使用されればどこに退避しても無駄である。何故なら、無人潜水艦、人工衛星…などに搭載される全体破壊手段のいくつかは、いかなる攻撃や報復によっても残るからである。報復の余地がいつまでも残るからである。政府と軍の主要施設への限定攻撃が本当に限定的にならなかった場合に私たちは備えた。既に一般市民はそれらの近隣に居ない。既にスラム街の人々には、スラム街の中でもできるだけ周辺部に移動してもらっていた。グループGのほとんどのスタッフにも潜伏所内またはスラム街内の中でできるだけ周辺に移動してもらっていた。私と同僚X、Y、Zも潜伏所内の周辺部に向かうことになった。Zは武器庫を厳重に封印した。XとYと私は不要なデータを削除し、不要な書類をシュレッダーした。首都の政府と軍の主要施設が破壊されたり、権力者がシェルターに逃げ込んだりすれば、すぐに武器庫を開錠して、武器をとって主要施設の占拠に向かうことができる。それらが完了した。Xと私は、潜伏所内の周辺よりのコンピューターの端末が残る部屋で、世界の情報を収集する、とYとZに伝えた。YとZは、さらに周辺の端末が残る別の部屋で、A国のグループGとG1、G2…とGFのスタッフとスラム街の人々を含む市民と連絡を取り合うことになった。
  その後、私とXが何をしたか?だいたいのことは想像がつくと思う。だが、詳細は分からないと思うので、説明する。人間を含む生物が絶滅するか、主要国の政府と軍の主要施設だけが破壊されるか、のいずれかだ、とXも私も確信していた。私たちは自暴自棄になったり欲望に溺れたのではない。十分に考えて計画していた。私たちは、地上に出て、誰もいない夕暮れの街を歩いた。ビルの谷間であっても、太陽が沈んでいくのが分かる。日はまた昇るのだろうか。より厳密に言うと、人間を含む視覚をもつ動物は、また昇る日を見るのだろうか。彼女は「私たちの運命やいかに」と言う。私は「人間を含む生物の運命やいかに」と訂正した。彼女は専門の情報科学以外ではボキャブラリーが貧弱なのだった。誰もいない極めて大衆的なホテルに入った。エレベーターは動かなかった。受付のカーテンを隔てたすぐ裏に、各部屋の鍵カードを入れるラックがあった。歩いて昇れる範囲で最も高そうな部屋を選んで、鍵カードを取った。表示されている宿泊料を受付カウンターに置いておいた。階段を昇って部屋に入った。シャワーはもちろん浴槽があった。電気も点き、お湯も出た。浴槽に湯を入れ始めた。「シャワーも浴びずに」ではなかった。寝室の窓も浴室の窓も広く、ビルの間から空が見えた。空色が紅色から紺色に時間的に変わって行く。考えてみると、時間的に空色が変わるのを見るのは生まれて初めてだった。空色の変化で見たことがあるのは、西から東への空間的な空色の変化だけだった。彼女が先に浴槽に入って、言っていた。「こんなにのんびりするの久しぶりだわ」
。。。
  高層ビルが崩壊し瓦礫になった荒野で、生きた人を探す。誰も生きていない。若き父も母も妹も生きていない。生きているのは自分だけだ。そんなとき、Xが同僚YとZと逆方向から歩いて来た。声を掛けても、見向きもせず去って行った。また、歩いた。今度は人の死体も見つからない。あるのは瓦礫だけだ。そんなとき、妻子が逆方向から歩いて来た。声を掛けても、見向きもしない。いつしか妻はいなくなっていた。子供は並んでスキップしながら遠ざかる。高層ビルが崩壊しているから、空が広い。空は夕焼けより赤い。たまらなく広く深い。私は一人だ。風もない。と思ったら、少女のような顔をした白髪の老婆Iだけが遠くで風の中で立っていた。Iだけが私を見つめている。
。。。

日は既に高く昇っていた

  Xが私を揺さぶっていた。私は目覚めた。あれは夢だった。窓の外を見た。いつもの街の風景だ。日はまた昇っていた。しかも、日は既に高く昇っていた。ビルの谷間にも太陽の光が差していた。午前十一時四十五分!らしい。Xも笑っていた。ということは絶滅の危機は通りすぎたのか。Xは「革命はもう完結したわ。無血革命よ」と言う。え?絶滅の危機が通りすぎただけでなく、革命も…しかも、夢にまで見た無血革命!喜びが少しずつこみ上げてきた。だが、眠っていたことへの後悔が勝った。俺はいつでも肝心なときに寝過ごして遅刻だ。大学受験の朝に寝過ごして一年浪人した。留学時代に寝過ごして大事なプレゼンテーデョンに出ることができなかった。あの日、寝過ごしてP教授の事件に遅れて対応した…などなど。家族や彼女が起こしてくれないから、そうなったこともあった。今度も…「何で起こしてくれなかった?」とXに尋ねても、Xは「あまり気持ちよさそうだったから…」と言うだけだった。私が眠った後、Xも少し眠っていたらしい。だが、Xは政府の主要施設あたりの爆音と崩壊音で目が覚めた。ぐっすり眠っている私をほったらかしにして、潜伏所に降りた。グループGの同僚らと合流し、次いでスラム街の人々と合流した。さらに離反者と合流した。そして、彼らとともに、軍と政府の主要施設を占拠し、暫定政権を樹立し、暫定憲法を公布した。そうしながら、Xは携帯できる通信システム、二十世紀前後の言葉を使えば「モバイル」で世界にA国での出来事を発信しつつ、世界の出来事を収集した。その後、Xは潜伏所に再び戻り、A国を含む世界の出来事をまとめた。結局、「世界同時革命」であることは確実で、「世界同時同日革命」になりそうだ、と言う。Xは結局、徹夜だった。同僚YもZも徹夜らしい。Xは徹夜の疲れにも関わらず、私にそれらの出来事を口頭で以下のようにさらに詳細に報告してくれた。Xは、いざというときは、ボキャブラリーが豊富なのだった。私は十分に眠ったので、Xの報告を聞きながら、以下のように考察できた。

局地戦争

  昨夜午後九時、A国の行政権と立法権と国防省と軍の主要な施設が、人工衛星からか、潜水艦からか、どこの国からかも分からないミサイルによって一斉に完全破壊された。全体破壊手段は搭載されていなかった。軍や政府が誇示した例の最新のミサイル迎撃システムは、何発かは迎撃できたようだ。だが、実質的に機能しなかった。そのときに何も知らされていない警備員等、数百人が犠牲になった。それは局地戦争の犠牲者に含めた。革命の犠牲者には含めていない。それはもっともだろう。その前に既に、軍のM将軍と高官はシェルターに退避していた。彼らは、全体破壊手段の使用がなければ、すぐに地上に戻って地上の支配権を回復できると確信していたに違いない。また、すぐに地上に戻れなくても、シェルターの中から最新の通信機器と電磁波を使って、地上の政府と軍のスタッフと機器をコントロールできると確信していたに違いない。

無血革命

  グループGは、武官と文官を含み「内部隠密情報提供者」「内部隠密戦略誘導者」を含む「旧政権離反者」と合流した。彼らと既に密に情報交換していたので、合流はスムーズだった。グループGは、彼らとスラム街の人々とともに、政府と軍の主要施設を占拠しにかかった。鍵等は離反者が解錠してくれた。M将軍らはシェルター内から司令を出し、地上に残った軍と政府の高官に主要施設を防御させようとした。だが、自分たちを置き去りにしてシェルターに退避した者たちに、地上に残された者が従うわけがない。簡単に言って、見捨てられたと感じた。そこで、武官も文官も含めて、新たな離反者が続出した。そこで、グループGと、武官と文官を含み、新たな離反者を含む旧政権離反者と、スラム街の人々は、無血で政府と軍の主要施設を占拠した。それらの建物は破壊されていたので、それらの敷地やそれらの間の広場に暫定私権の拠点を置いた。さらに、政治的権力者が自分たちを置き去りにしてシェルターに退避したことに対して、市民は激怒した。市民の心は既に権力者から離れていたが、それが怒りへと変わった。そこで、スラム街の人々だけでなく、周辺部の市民も主要施設になだれこんで、翌日午前九時までに主要施設を完全に占拠した。さらに、少なからぬ市民が、権力者が退避しているシェルターの入り口付近にも押し寄せた。
  それらのことは首都の政府と軍の主要施設だけで起こったのではない。それらよりスケールは小さいが同様のことが、A国の首都以外の軍の主要施設でも起こった。そこではグループGの分枝、G1、G2…が主導してくれた。さらに、それらと同様のことは、世界の政府と軍の主要施設で起こった。そこではグループGと同様の反政府グループが主導した。
  例の見せかけの反政府グループGFは郊外で活動していたが、都心部まで来て力になってくれた。グループGとGFと、武官と文官を含み新たな離反者を含む旧政権離反者と、シェルター周辺の市民が、シェルターの出入口をすべて封鎖している。
  旧政府の社会権を保障する人の支配系に相当する部分は、まだ地上で抵抗する軍に物資と情報を提供するのを停止した。それによって地上に残る軍は完全に抵抗をやめグループG側に付いた。グループGは、内部隠密情報提供者と内部隠密戦略誘導者を含む旧政権離反者と、新たに離反した旧軍の技術者とともに、全体破壊手段のすべてを速やかに確保し不活化した。人工衛星搭載のものも無人潜水艦搭載のものも含めて不活化した。それらを不活化するには旧政権離反者の協力が不可欠だった。
  Xら情報技術者はそれらの経過を市民にネットワークで報告した。暫定政権の概略と暫定憲法の詳細は、ネットワーク上でに過ぎないにせよ、既に長く熱く議論されていた。その上で、ネットワーク上でに過ぎないにせよ、それらは三分の二以上の賛成で決定していた。Xらはそれらを操作していないという証拠もネットワークで示していた。そこで、グループGと、武官と文官を含み新たな離反者を含む旧政権離反者は、暫定政府の樹立を宣言し、暫定憲法を公布した。以上と同様のことが世界のすべての国で同時に起き完結した。A国では無血革命となった。

離反の重要性、シェルターの逆説

  「武官と文官を含む旧政権離反者」「新たな離反者を含む旧政権離反者」「内部隠密情報提供者と内部隠密戦略誘導者を含む旧政権離反者」などの言葉を使っていると文章が煩雑になる。だから今後は、それらを単に「旧政権離反者」または「離反者」と呼ぶことにする。
  さすがにシェルター内までは全体破壊手段は持ち込まれていないようだ。仮にシェルターに全体破壊手段が持ち込まれて使用されたとしても、地上にその影響は及ばない。そのようにして地上とシェルターは別の宇宙のようになった。シェルターの意図された効果と正反対の結果が出たと言える。史上最大で最も明快な逆説だと思った。ところで、経済的権力者は私立のシェルターを信頼せず、公立のシェルターに入りたかったようだ。だが、政治的権力者に入れてもらえないどころか、政治的権力者の退避を知らされてもいなかった。そこで、彼らも見捨てられたと感じ、政治的権力者から離反し、市民に飲料水、食糧、医薬品…などの必需品を支給した。Xらはそれらのシェルターに係る経過も市民にネットワークで報告した。すると市民から「シェルターごとぶっこわしてしまえ」という意見が多かった。実際、シェルターに押し掛ける市民がいた。シェルター入口に石を投げる市民もいた。そんなことでシェルターが壊れることはない、ということで放置された。シェルターを封鎖する旧軍と旧警察は、離反者となるだけでなく、暫定政権に付くことを旗幟鮮明にしたので、市民から攻撃されず、むしろ食糧や水などを支給された。中には旧軍と旧警察に花束を贈る市民がいた。シェルター付近で祝宴を挙げる市民もいた。暫定政権は当然、旧政権による酒類の製造販売の独占を停止していた。混じり気のない酒類が早急に流通し始めた。祝宴は至るところで催された。以上と同様のことも世界の多くの国で同時に起き完結した。
  革命前からA国の軍の中にも「内部隠密戦略誘導者」が何人かいた。その中にO参謀が居た。次のことは、M将軍らが、シェルターに逃げ込む前に起こり始めたことである。O参謀らはM将軍に積極的に「全体破壊手段を使用しなくても、B国の軍の主要施設を破壊できる。主要施設を破壊すればB国の軍は実質的に機能しない」と進言してくれた。その進言が大きかった。M将軍は全体破壊手段をミサイルに搭載しなかった。それと同様のことはB国においても生じた。そのように内部隠密戦略誘導者の力が大きかった。世界で全体破壊手段は使用されなかった。
  その進言によるのだろう。M将軍はO参謀を疎んじた。だから、O参謀はシェルターに連れて行かれなかった。O参謀は喜んで、グループGと合流した。グループGの同僚Zは、O参謀とネットワークで緊密に連絡をとっていた。だが、それまで二人が対面することはなかった。ZとO参謀が対面したとき、二人は抱き合って笑いながら泣いていた。とXは言う。O参謀によると、M将軍はミサイルに全体破壊手段である新型の核爆弾を搭載することを命令しかけていた。O参謀らは「そんな新型の核爆弾を搭載しなくても、ただの爆弾を搭載するだけで、B国の軍事施設をすべて破壊できる」となんとか説得した。それらのZとO参謀の話を、Xは聞いたと言う。そこまで絶滅の危機は切迫していた。そのO参謀は全体破壊手段の不活化を主導してくれた。また、暫定政権と新政権で、国内における全体破壊手段全廃予防部門の長官を務めてくれることになる。私は暫定政権のものの就任時にO参謀とお会いした。以下のようなことを話してくれた。
  科学技術、特に情報科学技術の進歩によって、二千年より前の従来の兵器と戦略・作戦は廃れたように見える。だが、局地戦や内戦や市街戦ではそれらが必要である。また、全体破壊手段は廃止の方向にあり、従来の兵器と戦略・作戦の必要性は大きくなる。世界的に従来の兵器と戦略・作戦を重視する軍人は多い。彼らも全体破壊手段を全廃したかった。世界的に全体破壊手段を維持したがったのはむしろ文民大統領だった。科学技術の進歩や全体破壊手段の保持によって、熟練した軍人の必要性と権威は低下する。すると、文官には都合がよい。それらのことを話してくれた。O参謀は今後も貴重な顧問になると思った。
  結果として、政府と軍の主要施設が破壊されたのは、超大国A、Bとそれらの間にある大国だけだった。だが、万が一、全体破壊手段が使用されたときに備えて、世界のすべての政治的権力者がシェルターに退避していた。そこで、上記の「史上最大で最も明快な逆説」が世界で生じた。そこで、離反者が続出し、世界の反政府グループと離反者と市民が政府と軍の主要施設を占拠し、反政府グループと離反者が暫定政権または新政権の樹立を宣言し、暫定憲法または新憲法を公布した。A国では無血革命となったが、B国といくつかの大国と小国では無血とはいかなかったようだ。B国では市街戦があったようだ。地球の裏側では太陽の直下で戦闘があったようだ。だが、世界の犠牲者が千人を超えることはない。
  いくつかの国で以下のことが起こった。反政府グループと離反者は、容易に政府の主要施設を占拠したが、全体破壊手段の不活化と軍の主要施設の占拠に手間取った。シェルターに退避した権力者は、シェルターから残る軍事施設をコントロールし、占拠された政府の主要施設と反政府グループと離反者を、もろともにミサイルで破壊しようとした。中には小型の全体破壊手段を使用しようとした者もいた。だが、自国をミサイルで破壊しようとする暴挙に対して、残された軍事施設で離反者が急増した。それらの離反者が主力となって、残された全体破壊手段と、軍事施設のコントロールセンターを不活化した。それらの時間差が紙一重であった国もあった。紙一重だったが、事なきをえた。依然、世界の犠牲者が千人を超えることはない。
  また、多くの国で、政治犯の多くは、反政府グループのスタッフか何らかの反政府主義者だった。一部は、全体破壊手段の開発を強要されたが、協力しなかった科学者だった。多くの国で、元政治犯が、速やかに解放された。その数十パーセントは、主要施設の占拠等に加わった。さらに、元政治犯の数パーセントは、暫定政権の主要ポストに起用された。だが、数十パーセントは衰弱しており、病院に収容された。数パーセントは、回復後に暫定政権の主要ポストに就くことになる。
  依然、世界の犠牲者が千人を超えることはない。

史上最大のどさくさに紛れて

  と思いきや、A国時間、午後十一時半、シェルターに逃げ込んでいた超大国Cの軍の実質的指導者が、地上に出ようとした。そして、地上に残る軍をコントロールしようとした。そしてあろうことに、超大国Aと超大国Bに侵略しようとした。なるほど、他国のどさくさに紛れて、それらを侵略し占領し支配する。第三国の権力者がいかにも考えそうなことだ。C国の隠遁していた元革命家Uは、それをいち早く察知した。そして、C国の市民と軍の前面に立ち「他国に干渉するな。自国の権力者を倒すことに専念しよう」と演説を行った。C国の地上に残された軍は、指導者に従わず、Uに従い、シェルターの封鎖をより厳重にした。電磁波も通らなくした。Uは暫定政権の樹立と暫定憲法の公布まで、市民と反政府グループの背後に立ってくれた。Uは約束を守った。しかも、隠遁生活の中でも、C国の動きを注視していてくれた。その結果、やはり世界の犠牲者が千人を超えることはなかった。
  以上を同僚Xは私に報告してくれた。
  私は、顔も洗わず、無精ひげも剃らず、髪の毛も解かさず、グループGの同僚らのもとに向かった。ホテルの受付嬢も戻ってきていて、宿泊料を既に受け取っていた。Xが説明してくれていた。私が寝過ぎてチェックアウトが遅れ、本来なら追加料金が必要なのだろう。だが、受付嬢は、朝食をサービスできなかったから、追加料金は要らないと言う。それもXが交渉してくれていた。つまり、私たちは「どさくさに紛れて」ではなかった。受付嬢は私とXに向かって歯切れよく「いってらっしゃい」と言う。私もXも反射的に「いってきます」と言っていた。街の機能も戻りつつあった。寝坊したのは俺だけか…

革命のクライマックス

  私とXは行政府と立法府の間の広場に着いた。広場の周りの建物の多くが完全に破壊されていた。スラム街の人々がテントを張っていた。交戦はなくても疲れているだろう。何故か、人々が私たちのほうへ寄ってきて歓声を挙げた。私たちは革命の後ろ盾として凱旋する形になった。広場の真ん中辺りでグループGの同僚が立ち話をしていた。Zが「革命の真っ最中に眠っていられるとは、どんな神経を…」と笑う。私が眠っていたことは彼らにも伝わっていた。手の余った同僚とスラム街の人々が炊き出しをしてくれて、私とX以外は既に朝食も昼食も済ませていた。私とXはようやく朝食にありつけた。例のシソ科植物EPも入っていた。本当に「革命でござる」になった。停止されていた報道機関も再開しつつあった。結局、私は革命の絶頂を世界に既に放映された映像の録画で見ることになった。朝食を貪りながら。次のように。
  スラム街の人々が、既に大きく開かれた正門を抜けて広場に押し寄せる。その後を地下で組み立てられた戦車が一台進む。その周りをスラム街の人々が進む。後にもスラム街の人々が延々と続く。それを望遠レンズがとらえる。結局、地下で組み立てられた戦車は、ここでこんな風にしか役に立たなかった。それは好ましいことだ。Zが戦車のハッチに座って照れくさそうに笑っている。砂ぼこりが立つ。それを太陽の光線が差す。なかなかいい映像だと思った。無血革命を目指し、衝撃的な映像を残すような革命にしたくないと思っていた。だが、無血革命はいい映像になると思った。だが、Zには「なんだ、お前も戦車もこれだけのことをしただけじゃねえか。俺は寝ててよかったよ」と言っておいた。本当は「無血革命」を精一杯祝福していた。眠っていた私だけでなく、グループGの同僚やスラム街の人々を含む市民の誰もが戦闘をしていない。それどころか戦闘を見ていない。かすり傷一つ負っていない。これこそが無血革命だ。それを世界と歴史に誇りたい。だが、ヒヤッとした。数人が戦車によじ登ろうとし、Zが引き上げようとした。戦車はすぐに止まった。「馬鹿野郎!事故が起きたら、無血革命じゃあなくなるじゃねえか」と私は思わず叫んでいた。私はそれが録画であることも忘れていたようだ。数人が無事に戦車に昇った。Zは他を丁寧に制止しした。戦車は再び動き出した。昇ってきた人々が腕を空に突き上げる。人々の歓声が響き渡る。Zは、ハッチから出て、戦車に昇って来た人々に突起物をしっかり掴ませていた。Zは、このような事態も想定して、実際に戦車の突起物を確認していた。しっかり準備をしてくれていた。そして市民の犠牲をゼロに抑えた。これこそが真の革命家じゃないか。復活したばかりのマスコミのカメラワークと編集も、さすがプロだと思った。弾圧中も、機材を点検し、レンズを磨いていたのだろうか。やがてカメラが人々の中に入っていく。カメラに手を振る人々もいた。あの居酒屋の馴染み客Jもすっかりスラム街に溶け込んだWも、肩を組んで手を振っていた。Wは左利きだった。だから、WとJが肩を組む姿にぎこちなさはなかった。この時点では周辺部の市民も大勢なだれ込んでいて、貧富の格差は分からなかった。それも望ましいことではないだろうか。そのような映像が既に世界中に放映されていた。
  しばらくしてXと私の「凱旋」の様子も放映された。そんなことなら、顔を洗って無精髭を剃って髪の毛を解かしてくるんだった。私は「俺って写真うつり悪いな」とぼやいていた。Xは軽やかにさわやかに映っていた。それが救いだった。Xの間に合わせのポニーテールが、文字通り仔馬の尻尾のように揺れていた。Xの歩き方は、仔馬というより、小鹿のようだった。Xには悪いが、三十過ぎとは思えなかった。
  C国の元革命家Uの演説も世界に放映された。七十過ぎの女性の伝説的革命家だからこそのド迫力だった。カメラアングルもよかったのかもしれない。C国の新政権樹立、新憲法公布のときの映像も流れていた。Uは背後で隠れそうになっていた。「一秒ぐらいはUをアップにしてもいいんじゃないか」と思ったが、それも言論や表現の自由のうちと思い、言わなかった。いずれにしても、C国では新旧の反対者が協調しての革命になった。二千年より前にもいくつかあったパターンである。

世界同時同日革命

  結局、すべての国で、A国時間の午後九時から翌日の午後九時の間に「民主的分立的制度」を採用した暫定政権または新政権と暫定憲法または新憲法が成立した。だから、今回の動きは文字通りの「世界同時同日革命」だった。多くの国で、旧政権と軍の幹部がシェルターに籠ったままの状態で、暫定政権と暫定憲法が成立した。超大国A、Bがそれらに含まれる。だが、多くの国で彼らは地上に戻りつつある。いくつかの国では権力者は、反政府グループと市民の動きを止めることはできないと見た。シェルターから地上に戻って、反政府グループと離反者と協議した。その後、シェルターに逃げていた者も加わって暫定政権と暫定憲法が成立した。「どさくさに紛れて」が起きかけた超大国Cがそれらに含まれる。ただし、どさくさに紛れてを主導した人物は逮捕された。C国ではここでも、元革命家Uの力が効いた。民主的分立的制度がわずかにでもあった国では、権力者がシェルターから地上にすぐに戻って、それらの動きがスムーズだった。妻子が疎開しているE国がそれらに含まれる。Wが出たF国について、それを併合していた大国で暫定政権と暫定憲法が成立すると同時に、F国が分離独立した。結果としてF国で、大国のものから少し修正された暫定政権と暫定憲法が成立した。それらも含めて今回の世界の動きは「世界同時同日革命」だった。
  だが、B国を始め、多くの国で完全な無血革命といかなかった。深夜の寒冷地市街戦で曇る息も、熱帯の太陽の下で戦士の顔から滴る汗も、黒煙に差す朝日も、映像で流れていた。それは旧政権や旧軍の幹部がシェルターに逃げ込みながら、地上にいる振りをしたからだった。例えば、B国政府はシェルター内に地上に見えるセットを作り、それを背景として、BP大統領が語り掛ける映像をB国に配信した。その映像は後にも流れた。本当によくできたセットで、窓の外には高層ビル街があるように見えた。そのように政治的権力者が地上にいる振りをしたから、交戦がいくつかあり、世界で反政府グループと旧政権側を合わせると数百人の犠牲者が出た。だが、政治的権力者がシェルターに逃げ込んでいることを、各国の反政府グループの情報技術者が暴いた。それによって、地上に残された武官と文官が離反した。だから世界の犠牲者が数百人で済んだ。

反政府グループ間の争いの予防の例

  B国を始め多くの国で複数の反政府グループがあった。反政府グループどうしの争いが革命失敗の最大の原因である。それに対して、十分な準備がなされていた。自由権を擁護する法の支配系に最低限度必要な自由権と民主制と三権分立制と法の支配に絞って、反政府グループと市民の間で議論し確認し共有した。それ以外のことは革命の終結後に市民の投票に委ねた。例として繰り返す。経済体制について。「資本主義経済」または「自由主義経済」または「市場経済」か「共産主義経済」または「社会主義経済」か…などは既に問題にならない。二千年を過ぎてしばらくして、経済はすべてそれらの混合物になっていた。それをかつての「混合経済」と呼ぶと誤解が生じる。現在のものは隅から隅まで混合物だからである。だが、その混合物の詳細については様々な議論がある。また、自然の保全の詳細についても様々な議論がある。そのような詳細は、最終的に市民が投票で決めればよいことである。そのような詳細で争わないようにした。そのために、反政府グループの間の争いが少なく、争いによる犠牲者は零だった。これはVの忍耐強い説得によるところが大きい。本気でVを遠隔で賞賛した。すると、Vにも私が眠っていたことが伝わっていて「お前たちと俺たちは十分な準備をしていた。だからお前は本番で眠っていてよかったんだ。これが本来の革命のあり方だ」と返って来た。
  だが、それは冗談ではなくなった。Vは、革命完結後も準備段階の重要性を、世界でネットワークで強調してくれた。そして、私が眠っていたことがネットワークでささやかれると、それを準備段階の重要性を例証する一例として使ってくれた。そのVの擁護があったから、私は言える。一時的な熱狂やカリスマ性よりは眠っているほうがマシだろう。
  少なくとも革命の前に反政府グループと市民の間で、自由権を擁護する法の支配系(L系)に最低限度必要な自由権と民主制と権力分立制と法の支配を議論し確認し共有し、じっくりと準備する必要がある。その後でできるだけ速やかに、旧政権を倒し、暫定政権を樹立する。その後で社会権を保障する人の支配系(S系)が、圧政で荒れた経済と生活、医療福祉、労使関係、教育、文化…などをできるだけ速やかに立て直す。そうしないと市民は付いてこない。その後でできるだけ速やかに選挙と国民投票を実施し、本格的な憲法と、S系と、L系を確立する。結局、革命には準備が不可欠だ。歴史上、数ある革命が失敗に終わったのは、それらの準備を怠ったからだ。準備もしていないのに革命をするな。それらをグループGとグループHは世界の反政府グループと市民とともに確認した。もう「眠っていてよかったな」とか「眠っていたやつがいるらしいな」とかは返って来なかった。みんなもう熱狂や冗談に飽きていた。準備段階と同様の平静さに戻っていた。その平静さが重要だと思った。また、熱狂はカリスマ的指導者を生みやすい。革命にカリスマ性は不要であるだけでなく弊害である。カリスマ的指導者がすぐに独裁へと走るからである。私たちはそのことも確認した。実際、世界でカリスマ的指導者は出なかった。

今後のための方法

  今後、今回のような「世界同時同日革命」は起きないだろう。今後、革命は世界のいくつかの国・地域で散発的に起こるだろう。そのような散発の革命にも有効な方法を練っておく必要がある。また、今回の革命での失敗を教訓にして、権力者も対策を講じるだろう。その対策に対する対策も練っておく必要がある。
  今回、私たちは世界同時的に起きている革命の様子を世界の反政府グループと市民と旧政権の人々に逐次、報告した。復活しつつあるマスコミも伝えてくれた。そこで、旧政権の人々も、世界の趨勢がもはや止められないことを理解してくれた。そこで、旧政権から新たな離反者が相次いだ。つまり、「世界同時同日革命」に特有の世界的な趨勢があるからこそうまく行った。今後は世界のほとんどの政府が同時に非民主的であることはないだろう。だから、革命が同時に起こる必要はないだろう。だから、その世界的な趨勢に期待できないだろう。だから、今後は今回とった方法を諸国・地域が地味で地道に実施する必要がある。
  今回、権力者が、一部の国の政府と軍の主要施設だけを本当に限定的に破壊してくれた。世界の政治的権力者が、過剰反応してすぐにシェルターに逃げ込んでくれた。シェルターは袋小路のようなもので、逃げた後は地下の限られた空間でしか暗躍できない。権力者が海底や宇宙に逃げ込んでいれば厄介だった。だが、そもそも、全体破壊手段が全廃された後の世界では、権力者が一斉にシェルターや宇宙船や潜水艦に退避するということはありえない。だが、今後も権力者が何らかの形で退避するということはありえるだろう。しかも、今回のことを教訓にして、退避していることを厳重に隠すだろう。また、シェルターというような限られた空間より、海やはたまた宇宙に退避するだろう。それらに対処するために「国家元首と、自由権を擁護する法の支配系の立法権の議員と、軍にせよ警察にせよ公的武力の長官は、それらの公式所在地の近隣に居住しなければならない。それらの公式所在地または居住地から退避した者は、それらの職責を放棄したものと見なす」というようなことを、憲法と法律で規定する必要があると思った。そこで、さっそくその必要性をネットワークで世界中に提示し議論してもらった。家族も居住するのか?近隣とは何メートルか?…などの議論があったが、それらは憲法で規定する必要はなく、法律で規定すればよい、ということになった。
  また、どこかの権力者が自殺も辞さないような自暴自棄に陥っていたら…などと思うとゾッとする。私たちは内戦や革命で全体破壊手段を使用する馬鹿は、どこにもいないと確信して戦略を練っていた。だが、自殺も辞さないような自暴自棄に陥る権力者が現れる恐れはある。そのような者が自殺する手段として、または自殺するついでに全体破壊手段を使用する恐れはある。また、革命や内戦のどさくさの中で、全体破壊手段の故障や事故の危険は高まる。そのような事態にならないためにも、全体破壊手段を全廃し予防する必要があり、革命と全体破壊手段全廃予防は並行する必要がある。
  また、今後、反政府グループどうしの争いが熾烈になる可能性はある。また、驚異的なカリスマ的指導者が出現する可能性はある。それらを防ぐためには、今回とった方法をもっと徹底する必要がある。
  また、前述の「世界の市民と世界の権力者という横割りの構造」の中で世界の市民がまとまったから、世界的な革命がうまくいった。もし、世界の権力者がまとまっていたら…と思うとゾッとする。今後は世界の権力者が世界的な独裁への逆行のために密談し陰謀を巡らし連携する可能性がある。今後、私たちはそれらの動きを警戒し、それらの動きを暴露し批判する必要がある。また、今回の革命の主力になってくれた「離反者」の再来に望みを懸け、今回の革命にあったような離反を推奨する制度を維持し強化する必要がある。
  いずれにしても、私たちは、民主的分立的制度を確立した後も、それを全力を挙げて維持する必要がある。また、全体破壊手段を全廃した後も、それを全力を挙げて予防し続ける必要がある。民主的分立的制度には自身を保全する力がある。例えば、言論の自由には、権力を暴露し批判して権力の暴走を予防し、言論の自由と民主的分立的制度そのものを維持する力がある。また、法の支配には法の支配そのものを維持する力がある。そのような力を最大限に活かして、民主的分立的制度を維持する必要がある。全体破壊手段について、大戦や超大国間の戦争だけでなく、全体破壊手段の不測の故障や、自然な老化や、自然災害による事故や、アウトサイダーによる侵入と操作や、権力者が自殺も辞さないような自暴自棄に陥ることはいつでもどこでもありうる。だから、全体破壊手段の全廃後も全力を挙げて予防し続けなければならない。それらを、グループGとグループHは世界の反政府グループと市民とともに確認した。

憲法

  時間は前後するが、暫定憲法と暫定政権についてまとめて述べる。以下も世界的現象だが、そのすべてを詳細に書くことはできないので、A国のものを例として挙げる。ただし、A国には他の反政府グループがなかった。それをA国の暫定憲法と暫定政権の成立過程の欠陥と見られては困る。そこで、グループGは敢えて、Gが大きな功績があったと認める離反者と、従来の上院と下院を、他の反政府グループの代わりのものとして立てた。大きな功績があっと認められる離反者の数は、下院議員の数とほぼ等しかった。投票が必要となった場合には、上院と下院と離反者の三つの議院が存在することになる。グループGと離反者と上院、下院の議員が協議して以下のようになった。
  暫定憲法として、あの密航船の中で私が書き下したものが、既にネットワークで世界に公開され、議論され、支持されていた。それはP教授が集大成しまとめ簡略化したものを、私がさらにまとめ簡略化したものだった。だから、自由権と社会権の区別、国家権力を自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立すること…など、従来の憲法になかったもので今後の世界に必須なものを、既に含んでいた。また、P教授が犠牲になったことを私は世界に強調してしまった。だから、その憲法の愛称は「P憲法」となっていた。P教授は憲法と政治制度については世界的権威であり、特に法学、法哲学…などの文科系学者がそう呼んだ。P教授を少し知る人の間では「飲んだくれ憲法」というあだ名があった。P教授をよく知る私はそれは言い過ぎだと思った。P教授は「アルコール依存」ではない。会議などの後で語り合うときに飲むだけだ。だが、たまたま飲んだ時のP教授の豪快さに畏敬の念を抱いてのことだと思い、そのあだ名について何も言わなかった。
  そのP憲法は革命前から議論され、世界の市民に支持されていた。A国でも支持されており、A国ではネットワークでの支持率が約三分の二以上だった。だから、グループG、離反者、上院、下院は、革命直後にそのP憲法を暫定憲法として公布した。私は前述の「国家元首と、自由権を擁護する法の支配系の立法権の議員と、軍にせよ警察にせよ公的武力の長官は、それらの公式所在地の近隣に居住しなければならない。それらの公式所在地または居住地から退避した者は、それらの職責を放棄したものと見なす」を追加する必要を感じていたが、それは後に新憲法の段階で取り入れられることになる。結局、世界でも、内容はほとんどそのままで文面を変えた「P憲法」と「国家元首と、自由権を擁護する法の支配系の立法権の議員と、軍にせよ警察にせよ公的武力の長官は、それらの公式所在地の近隣に居住しなければならない。それらの公式所在地または居住地から退避した者は、それらの職責を放棄したものと見なす」が新憲法になることになる。
  ところで、市民や暫定政権または新政権の公務員の間で、「暫定政権」または「暫定政府」と「新政権」または「新政府」の言葉の使い分けが厳密にできていないように見える。だが、厳密に区別しなくても、分かると思う。また、「暫定政権または新政権」などの言葉を逐次、使っていると文章が煩雑になる。だから、暫定政権または新政権を単に「新政権」と呼ぶことがある。

国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立することの詳細

  以下も世界的現象だが、そのすべてを詳細に書くことはできないので、A国のものを例として挙げる。
  暫定政権の構造と人選は以下のようになった。

自由権を擁護する法の支配系(L系)
  司法権
    最高裁判所
      長官:旧司法権の者が横滑り
      判事:旧司法権の者が横滑り
  L系に固有の立法権(L議院)
    L議院の議長(形式的国家元首):旧立法権の上院の議長が横滑り
    L議院の議員:旧立法権の上院の議員が横滑り
  L系に固有の行政権
    軍を監督するL議院の委員会:旧立法権の上院の委員会が横滑り
      軍
        軍の長官:Z
    検察・警察を監督するL議院の委員会:旧立法権の上院の委員会が横滑り
      検察・警察
        検察の長官:旧政権の者が横滑り
          警察の長官:旧政権の者が横滑り
    国内における全体破壊手段全廃予防部門
      長官:O元参謀
    L系に固有の外交委員会:旧立法権の上院の委員会が横滑り
      対外的全体破壊手段全廃予防部門
        長官:私
    選挙管理委員会(全国の地方自治体のものが横滑り)
社会権を保障する人の支配系(S系)
  S系に固有の立法権(S議院)
    S議院の議長:旧立法権の下院の議長が横滑り
    S議院の議員:旧立法権の下院の議員が横滑り
  S系に固有の行政権
    長官:Y
      経済産業部門
        経済産業部門の長官:旧行政権の者が横滑り
      自然保全部門
        自然保全部門の長官:旧行政権の者が横滑り
      労使関係調整部門
        労使関係調整部門の長官:旧行政権の者が横滑り
      福祉医療部門
        福祉医療部門の長官:旧行政権の者が横滑り
      教育文化部門
        教育文化部門の長官:旧行政権の者が横滑り
      科学技術部門
        科学技術部門の長官:X
      財政税務部門
        財政税務部門の長官:旧行政権の者が横滑り
      外交部門
        外交部門の長官:Yが兼任
      その他の部門
        その他の部門の長官:旧行政権の者が横滑り

  以下を補足する。国家権力の自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)への分立に伴い、立法権は、L系に固有の立法権(L議院)と、S系に固有の立法権(S議院)に分立される。新政権設立までは従来の上院がL議院となり、従来の下院がS議院となる。既に上院と下院の目的と機能区分は、L議院とS議院のそれらに近いものになっていた。つまり、立法権に関する限りで既に、L系とS系への分立はある程度、成されていた。暫定憲法ではそれらの目的と機能区分が明確に規定された。目的区分については、「立法において、L議院は自由権の擁護と民主制と権力分立制と法の支配の維持、拡充を目的とし、S議院は社会権の保障を目的とする」となった。機能区分については、例えば「自由権、民主制、権力分立制、法の支配を擁護する立法に関しては、L議院が先議し、S議院が異なる議決をした場合で、L議院が三分の二以上の多数で再議決した場合は、L議院の議決が法律となり」その逆も同様…などとなった。新政権の選挙時には、それらの目的と機能区分を分かりやすく提示する必要がある。すると、L議院には自由権の擁護に適した厳格な人が選ばれ、S議院には社会権の保障に適した優しそうな人が選ばれるだろう。
  また、国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立するに伴い、行政権もそれぞれに固有のものに分立される。S系の行政権を過度に部門分けすることは、その行政の効率性を低下させ、公的経費を増大させる。思い切ってその系の行政権を分けず一つの機構とすることも考慮されたのだが、それは新政権への課題となった。それに対して、L系においては、司法権、立法権、行政権の三権を厳格に分立させるだけでなく、検察・警察と軍を厳格に分立させる必要がある。何故なら検察・警察はいざとなれば、軍の違憲・違法行為を捜査し告訴しないといけないからである。軍と警察の戦いなど見たくもないが、いざとなればやむをえない。それらのそれぞれを監督するのは、L議院の別個の委員会である。それらの兼任は禁止される必要があり、禁止された。
  それらの系の分立に伴い、外交部門もそれぞれに固有のものに分立される。国際会議にはそれらの二つの外交部門の二人の長官が出席することがありえる。
  地方自治体と地方分権について、暫定政権の段階では従来の地方自治体と従来の中央と地方の関係を維持することになった。課題はある。新政権と新地方自治体の樹立までに、課題を議論することになった。
  全体破壊手段の全廃と予防の部門を、国内におけるものと対外的なものに分けて特設した。だが、それは全体破壊手段が全廃されるまでの臨時の措置であって、全廃後にどうするかは今後の課題とした。
  私は既に、全体破壊手段の全廃に気が早っていた。気持ちは既に世界へ向かっていて、一国内に留まりたくなかった。そこで、グループGの同僚が私を、対外的全体破壊手段全廃予防部門の長官に薦めてくれ、それが通った。私は助かった。国家権力が国内において全体破壊手段の全廃予防のための査察と規制を行い、国際社会では他国と協調して全体破壊手段の全廃予防のために最大限に努力するこが、暫定憲法に明記された。私は他国との協調をすることになり、国際会議に出席することができた。
  自由権を擁護する法の支配系(L系)においては、文字通り憲法が前面にも背後にも根底にもあり、個人の資質は不要であり、カリスマ性は弊害である。ただ、儀式、祭典等で形式的な国家元首が必要となることが稀にある。その場合はL系の立法権、つまりL議院の議長があくまでも形式的な国家元首になることが適切である。つまり、L議院の議長は、その議長としての実質的な職務と国家元首としての稀で形式的な職務をもつことになる。従来の上院の議長がL議院の議長に横滑りし、形式的な国家元首となったが、それに問題はないだろう。
  それに対して、社会権を保障する人の支配系(S系)においては、行政権の長官の総合的な政策立案能力が重要である。今まで地味で地道に社会権を保障する政策を練ってきた同僚Yが最適と思われる。
  Zはどんなポジションでもこなせると思った。だが、まだ全体破壊手段が残存し内戦が残っている状態で、軍を掌握し監督する者は重要である。そこで、Zが軍の長官に就くことになった。
  旧政権では科学技術、特に情報科学技術が独裁制と軍備の維持のために乱用されていた。それらを平和利用のために立て直すにはXが最適だろう。

国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立することの効果

  国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立することの効果が、早くも諸国で現れた。以下の効果は早くも表れた効果であって、後にさらに多様な効果が現れることになる。

社会権の保障の専門家の活用

  例えば、A国では同僚Yがさっそく、旧政権と公私企業の間の汚職と癒着を暴き、公費乱用を停止するとともに、累進課税を再強化し、全体としては減税を行った。それによって経済が上向き始めた。また、旧政権の環境と資源の保全のための規制を調査し、科学者の間で議論して不必要なものを解除した。それによって経済がさらに上向いていた。それとともに、市民と企業が自主的に自然を保全するようになった。また、医療福祉について、旧政権と医療福祉の圧力団体が結託して、医療福祉は過剰になり、その過剰によって政府と医療福祉機関が暴利を得るようになっていた。Yはそのからくりを公表し、その過剰部分を削減した。市民はそのからくりに怒り、圧力団体は何も言えなかった。その削減によって、公的経費は大きく削減され、さらなる減税が可能になった。それによって経済はさらに上向いた。それらによって、医療福祉の必要部分は削減されないどころか、むしろ、増強された。Yは既にA1大学に居た頃から研究者としてそれらの政策を練り、論文として発表していた。Yのような社会権の保障の専門家に対して、厳格な民主制、権力分立制、法の支配は不要であるだけでなく弊害である。ただし、人間的な民主制は機能する必要がある。そのような社会権を保障できる人や政党は、一般市民が生活の改善として実感し選挙してくれるだろう。それに対して、自由権をいつでも侵害しうる軍や警察やそれらを乱用しうる文官に対しては、L系の中で厳格な民主制と三権分力制と法の支配が機能する必要があり、機能できる。つまり、抑制、相互抑制の重点が明らかになり、一般市民も立法権も司法権も抑制しやすい。他方、開放の重点も明らかになる。

独裁や全体主義に走る権力と名目の消滅

  今後ますます、環境は悪化し、資源は枯渇し、人口は地球で維持できるギリギリのものを超え、過密によりパンデミックは脅威を増し、飢饉や食糧難は荒れ狂い、それらによって経済と生活はますます逼迫する。そこで、それらに対応するという名目で独裁制や全体主義が出現する可能性はますます大きくなる。だが、独裁制や全体主義はそれらに対応するためにも機能しない。そのことは既に革命前から、Yを始めとする諸国の研究者が実証していた。そのような環境、資源、人口…などに対応することは社会権を保障することである。国家権力が自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立しているとき、S系は独裁や全体主義に走るための武力や憲法改正または停止…などの権限をもっていない。他方、L系は社会権の保障という名目を立てることができない。そのようにして独裁や全体主義に走る権力と名目の両方が消滅する。実際に世界で短期間のうちにL系とS系の公務員のそれぞれが、それぞれの本分をわきまえ、L系の公務員が社会権の保障や生存の保障を名目とすることは皆無となり、S系の公務員が警察や軍のあり方を論じることは皆無となった。
  百歩譲って、独裁制や全体主義が必要だとしても、それらが必要なのはL系においてである。L系とS系が分立していれば、それらがL系に及ぶことを防ぐことができる。それらの系への分立は、S系が陥りがちな独裁、全体主義、多数派の横暴、世論操作…などが、L系に及ぶことを防ぐ。千年代の末において、資本主義経済または自由主義経済と、共産主義経済または社会主義経済の対立があったときにも、そのような対立はS系だけでやっていればよいことだった。そのように、国家権力のL系とS系への分立は、二千年以降に必要であるだけでなく、いつの時代にも必要だった。

提供していたサービスを停止するという社会権を保障する人の支配系に固有の権力、二重の文民支配

  以下の効果は、既に「世界同時同日革命」のわずか一日の間に、諸国で現れていた。
  政府と軍の中枢はシェルターに退避した。地上に残された政府や軍の組織のうち、旧政権から離反し新政権に付く傾向は、社会権を保障する人の支配系(S系)の行政権に相当する部分で全般的に大きく、自由権を擁護する法の支配系(L系)に相当する部分の中では、司法権、立法権、文官、警察、軍の順番に小さくなった。つまり、わずか一日の間でも、最後まで抵抗したのは軍だった。ところで、いつの時代も、軍に必要な水道、電気、ガス、燃料、食糧、資金、そして情報通信網を提供する、または提供を管理するのは、S系の行政権に相当する部門である。諸国でそれらのサービスを提供していた、または提供を管理していたそれらの部門が、軍に対する提供を停止してくれた。そのために軍は弱体化し兵士の士気が低下した。そこで、遅ればせながらも軍からも離反者が続出した。つまり、S系は、提供していたサービスを停止する、または停止を予告するというそれに固有の権力をもっている。その権力は、例えば自然を保全せず、破壊する企業や、福祉を乱用する個人にも使えるのだが、軍や警察という公的武力にも有効である。それとともに、公的武力に対しては、L系の内部で憲法と立法権、司法権、文官による厳格な抑制がなされる。私たちは、これらを従来の一重の文民支配に対して、公的武力に対する「二重の文民支配(Double civilian control)」と呼んだ。この度は二重の文民支配は、革命または内戦において軍の抑制のために使用されたが、その後も、軍または警察という公的武力が暴走しそうなときにいつでも使用できる。

軍の機能の国防への限定

  そのように社会権を保障する人の支配系(S系)も、いざというときは、軍を抑制することができる。それに対して、軍を掌握し監督するのは自由権を擁護する法の支配系(L系)である。S系は、軍を抑制することができても、促進したり発動したりすることができない。だから、S系は侵略や生物の生存や「国益」のために軍を乱用することができない。「資源を巡る局地的侵略戦争」をすることができない。S系は国際社会で外交によって限られた食糧資源を分かち合うしかない。L系とS系の分立によって、国家権力の少なくとも行政権を掌握していた「大統領」や「首相」はもはや存在しない。そのような大統領や首相が、軍や警察と社会権を保障するための行政権をごちゃまぜにして掌握していたことが間違いだったことが分かる。S系とL系の分立によって、侵略や生物の生存や国益のための軍の乱用が防止され、軍の機能が国防に限定される。
  革命直前までは世界はA国とB国という二つの超大国を含む大戦の状態にあった。革命のピークには、C国という超大国の「どさくさに紛れて」があった。だが、世界でL系とS系の分立が成立してからは、大戦はなかったかのような状態になり、戦争のきざしもかけらもない。S系は国際社会において外交によって限られた食糧資源をなんとか分かち合おうとしている。超大国と大国の国外の軍は自国に撤退した。全体破壊手段の全廃予防だけでなく、世界で全般的な軍縮が進んだ。軍に割り当てられていた予算が生活の改善と経済の回復のための予算に切り替えられた。それによって短期間のうちにも生活は改善し経済は上向き始めた。

政党の排除

  さらに以下の効果は数週間以内に現れた。
  来るべき新政権の選挙のために、旧政権の下で弾圧されていた政党が復活し、活発な運動を再開し始めた。だが、政党単位の活発な運動は、社会権を保障する人の支配系(S系)の行政権の長官と立法権(S議院)の議員の選挙のために限られていた。結局、政党は本来、S系における政策を主張し議論するためにあったことが分かる。経済、労使関係調整、生活、医療福祉、自然の保全、人口問題…に係る政策が、政党を単位として活発に議論されている。特に経済と生活のあり方の詳細、自然の保全のあり方の詳細について議論されている。暫定政権のS系の行政権の長官であるYもそれらの議論に公開で参加している。また、Yと敵対する政党も、Yを支持する政党も出現しつつある。それらの動向はすべて、S系を巡る限りで、排除される必要はない。
  それに対して、自由権を擁護する法の支配系(L系)の立法権(L議院)の議員の選挙においては、厳格さという個人の「人格」のようなものが重視される必要がある。政党はできるだけ排除される必要がある。実際、国防、集団安全保障、犯罪対策…などは政党を単位として議論されなかった。旧政権で弾圧されていた立法権の議員、司法権の裁判官、反政府グループの同僚、旧政権離反者などの個人が議論を展開した。
  それらのように、S系においては、政党を排除する必要がなく、L系においては、できる限り政党を排除する必要がある。私たちは場合によっては、L系において、政党を排除する法制を作る必要があると思っていた。だが、それらの動向を見る限りでは、そのような法制を作る必要はないようである。だが、今後の動向次第では、そのような法制を作る必要性も出てくると思う。
  繰り返すが、以上は国家権力をL系とS系に分立する効果のうち、短期間に現れたものである。長期的にはさらに様々な効果が現れることになる。

カリスマ排除

  繰り返すが、私たちが最も避けたかったのは、カリスマ性をもつとか、ヒーローやヒロインだとか、はたまた神だとか奇跡だとか思われることだった。カリスマ性をもつ人間より恐ろしいのは、カリスマ性を隠して虎視眈々と権力を狙う人間である。だが、革命ではカリスマ性をもつ指導者が出現しやすい。いすれにしても、それらの人々は強い権力欲求をもつ。権力欲求が強い人間は、強い支配性と破壊性をもつ。私たちは、既にグループGの形成過程から、無意識的にそれらに注意していたのだと思う。
  また、カリスマを生み出さないためには、美辞麗句を連ねた感動させるだけの演説をもてはやさないほうがよい。どのような演説をするのも言論の自由だが、演説を賞賛するのも批判するのも言論の自由である。
  あの凱旋の場面でXや私にカリスマ性がないことは明らかだろう。私が寝坊して遅刻したことは、準備段階の重要性を例証する一例になったが、それがカリスマ性につながることはないだろう。また、専門の情報科学技術以外でボキャブラリーが貧弱な点、従って演説が苦手な点からも、Xにカリスマ性がないことは明らかだろう。そもそも、グループGやグループHや他の世界の反政府グループに、伝統的な手法の演説のうまい人間はいなかった。例外は革命家Uだが、Uはもはや過去の人である。Xは不思議な魅力をもつが、そう思っているのは「恋は盲目(Love is blind)」になっている私だけだろう。また、地味なYにカリスマ性がないことは明らかだろう。また、あのとき戦車のハッチに座って照れていた、そして昇って来たスラム街の人々の裏方をしていたZにも、カリスマ性がないことは明らかだろう。カリスマ性がわずかにでもあるとすれば、P教授か父か元革命家Uかだが、P教授と父は既に亡くなっており、Uは元から隠遁している。
  また、私たちが彼らのカリスマ性を利用している、と見られることはありえる。それには注意しなければならないと思った。父とP教授の犠牲をあまり強調することもやめたほうがいいと思った。「P憲法」や「飲んだくれ憲法」などの名称は自然発生的なものだからいいと思う。彼らを名誉〇〇にするようなことはやめた方がよいと思った。そうではなく、父が残した「遺伝子の塩基配列以外のものを変えるなかれ」と、P教授が集大成してまとめた民主的分立的制度、特に「国家権力を自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立すること」を、地道にコツコツと維持し活かすことが重要なのだと思った。また、悠々自適に隠遁していても、Uがもち続けていた世界の動きを見透かすような目…と言えばいいのか…そのようなものを、私たちももち続ける必要があると思った。
  また、犠牲を単なる疑いに終わらせず、証明し歴史に残す必要がある。だから、私たちはさっそく、父、P教授…たちの死因解明と、女スパイT、売春婦K…たちの捜索と、あの地下の大量虐殺跡の発掘調査を開始した。
  母校ということもあって、私と同僚XとYがA1大学から講演を依頼された。私たちが行くと、校門から拍手で出迎えがあった。講堂のスクリーンには最初はP教授の遺影が映っていた。まず、学長が、あの事件の前に旧政権から大学への介入があったことと、自分がとった対応を告白した。次いで、P教授への黙祷が行われた。次いで、私が演壇に立った。まず、学長が、大学を護るためにああいう対応をとらざるをえなかったことと、P教授を犠牲にしないようにできるだけのことをしたことを説明した。次いで、P教授の人柄を回顧した。P教授がアルコール依存ではないことも説明しておいた。また、暫定政権と新政権が大学に介入することがありえないことも説明した。次いで、講演に入った。「国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立すること」については既に十分な理解が得られていたようなので、「全体破壊手段の定義」について講演というより議論した。この定義の段階からして活発な議論があった。その議論は後の国際会議で役に立った。次いで、Xが「情報科学技術の平和利用」について講演した。これがXが本当に追究したいテーマだった。新技術も含まれていて、専門家には参考になったと思う。次いで、Yが「社会権を保障する人の支配系における政策」について講演した。経済学の新理論も含まれていて、専門家には参考になったと思う。
  さて、私が世界に向かうときがきた。

遅ればせながらと呟くしかなかった

  私は全体破壊手段全廃予防のための国際会議が開かれるD国D1市へ行くことになっていた。だが、時間的余裕があった。そこへの経路からはだいぶん外れるが、訪ねてみたい街があった。「ヒロシマ」「ナガサキ」と呼ばれる二つの街である。周知のとおり、千年代末、当時は「原子爆弾」と呼ばれた世界初の全体破壊手段(の前身)が投下された。二千年代に入ってしばらくして、「全体破壊手段(Totally destructive means)」と「前全体破壊手段(Pre-totally destructive means)」が区別されていた。前全体破壊手段は、その時点で全体破壊手段ではないが、容易に全体破壊手段の開発に繋がるような手段である。「原子爆弾」はそれ自体、全体破壊手段ではないが、実際、十年以内に「水素爆弾」等の全体破壊手段が開発された。ということで、原子爆弾は前全体破壊手段とされていた。それについて私は再考が必要と考えていた。核分裂にせよ核融合にせよ、使用時に人為的な原子核の変化を伴う兵器を全体破壊手段と定義し全廃するべきではないかと。
  それらの街にはいくつかの「反核団体」が残っていた。彼らの方から私の方に集まってくれて、A国語でミーティングをしてくれた。「核」という概念を全体破壊手段という概念に広げるべきというような余計なことを、私は言わなかった。彼らが言う「核」は既に全体破壊手段を指している。原子爆弾等の前全体破壊手段または大量破壊手段とされているものを、全体破壊手段として全廃するか、それらを別個に全廃するか、という議論があった。彼らも私と同じ考えだった。
  その後、私は反核グループのスタッフの案内で、それらの街の一つの中にある「平和記念公園」を訪れた。さすがに公園内に高層ビルはなく、苔むした記念碑や壁や庭石に太陽の光が痛いほど差していた。その日は暑かっただろう。熱かっただろう。この街で火傷を負って、虚ろな表情をする人々の写真を子供の頃に何枚か見た。忘れられない。「お母さん、熱いよー」と言う子供の声を、私は子供心に想像した。一つの碑に「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれていた。当然、私はその言葉を知っていた。その言葉を思い出す度に「未だに人間は過ちを繰り返そうとしている。安らかに眠れない」と思っていた。今、人間は全体破壊手段の全廃に向けてようやく一歩を踏み出せた。その一歩までに百年以上かかった。私は「遅ればせながら…」と呟くしかなかった。
  振り返ると、百歳以上の老婆が車椅子に乗って私を見て微笑んでいた。反核グループのスタッフが車椅子の持ち手を持っている。女性看護師が点滴のスピードを調整している。スタッフが「千九百四十五年八月に広島でお生まれになった方です」とA国語で私に言う。私は即座に理解した。八月六日でなくても、八月で十分だろう。何より、ご存命。看護師は「お婆ちゃん、原爆…」と老婆の耳元で言いかけているようだ。私は「『すぐに廃止されますよ』と伝えてください」とスタッフに伝え、スタッフが看護師に通訳した。スタッフと看護師は「原爆は廃止されましたよ」と老婆に伝えてしまったようだ。私は「みんなの力で一歩を踏み出しましたよ」を伝えようとするが、伝わらない。「原水爆」を私が廃止したと理解したようで、老婆は「ようやったのー」と私の頭を撫でてくれた。スタッフはそれを「よくやった(Well done)」と通訳した。私は、老婆が今度、ニュースを見るまでに、全体破壊手段を全廃に近いものにする重責を負うことになった。私は後にスタッフと看護師と、そのことについて少し話をした。彼らは老婆を誤解させたことについて、謝っていた。それは仕方がない。看護師は、老婆はニュースをほとんど見ない。ドラマばかり見ている。だが、来週の今頃にはニュースを見るだろうということだった。

全体破壊手段、全廃へ

  諸国の新政権は、今こそ全体破壊手段の全廃のための好機と見て、大国Dの大都市D1に代表を派遣した。それに私がA国から派遣された。同僚Xも行くと言い出した。だが、旧政権で乱用されたために、政府の人工知能等が非生産的で非効率的になっていた。科学技術部門長官として、それらを急いで再構築する必要があった。だから、XはA国にとどまった。
  全体破壊手段の全廃に限らず、世界の平和全般のための機構を目指す反政府グループと新政権があった。だが、そのような機構の失敗は、まだ歴史に鮮明に残っている。グループGとHを含む多くの反政府グループと新政権は、全体破壊手段の全廃と予防に限定した機構を作ることを目指した。それによって、他の挫折のために全体破壊手段の全廃も挫折してしまうことを防ごうとした。
  その機構作りを目指す総会においてまず、理事国の選抜と事務総長の選出が行われた。理事国としては、超大国A,B,Cを含む全体破壊手段保有国と、非保有の大国のいくつかが選ばれた。ただし、かつてどこかにあった「常任」理事国や「拒否権」なるものはなく、理事国はすべて五年ごとに改選されることになった。ただし、再選は可能となった。
  事務総長について。これは書くのが難しい。だが、回りくどく書かずに端的に書く。私が選出された。全廃と予防に違反した国家や集団に対する軍事制裁と経済制裁の有無を決定するのは、総会である。それらの制裁のあり方を決定し実施するのは、理事会である。事務総長は、全体破壊手段の査察を監督して、査察の結果を理事会と総会に報告することになる。だが、そもそも何が全体破壊手段か、何が前全体破壊手段か、何が大量破壊手段か、それを委員会で議論し、確認し総会と理事会に提案することになるだろう。そこで妥協があってはならないと思った。考えてみれば、この機構の名称もまだ決定されていなかった。「全体破壊手段全廃予防機構」との提案があり、それが仮称となった。機構の正式名称と憲章の草案を作る委員会が構成された。さらに考えてみれば、核兵器査察部門、不変遺伝子手段査察部門…などの機構の骨組みと権限もまだ決まっていなかった。そこでまず、全体破壊手段の定義、機構の骨組みと権限、憲章の草案を、私が練り、上記の委員会に提案することになった。
  これはやりがいがある。二千〇〇年、国際機構として残されたのは、政治的経済的権力にとって比較的無害な、パンデミックに対応する保健機構、自然保全のための機構…などだけだった。最も重要な集団安全保障や軍縮に係る国際機構は、既に遠い昔に名目だけのものとなっていた。国際機構の無力さというリアリズムを残しただけだった。それらは参考にもならなかった。国際機構または世界機構の骨組み、これは未知の領域である。だが、P教授と私は、それについて既に語り合っていた。やはり、国際機構または世界機構においても、民主的分立的制度が活きる…などよく語り合っていた。
  私はそれらをある程度の時間をかけてじっくりと、議論する必要があると思った。それと同時に、全体破壊手段の全廃は世界的な革命が起きた今しかない。今を逃せば全体破壊手段の全廃は困難である。それを世界の反政府グループが、B国でのあの会議でも確認していた。そこで、私は総会に「世界で五年以内に全体破壊手段を全廃すること。世界の、暫定政権に過ぎないとしても、政権は、核兵器と不変遺伝子手段を不活化したままにするだけでなく、明らかな核兵器と不変遺伝子手段の破壊・破棄に今すぐに着手すること。小惑星の開発・探索を中止したままにすること」を総会に提案した。すると、内容はそのままで文面が修正され、「暫定憲章」として承認・公布された。
  これで、あのヒロシマの老婆を落胆させないと思った。実際、ヒロシマ・ナガサキの反応が放映され、あの老婆も映っていた。今度は「たいぎーのー」と言っていた。同時通訳か自動翻訳かは、それをあのときと同じ「よくやった(Well done)」と訳していた。同時通訳にしても自動翻訳にしても、地方に固有の言葉までは網羅できないだろう。後でその言葉の意味を調べると「大変だな(It is tough)」という意味が出てきた。その通りだと思った。私はA国のあの部門の長官を辞任し、E国にいる妻子とともにD国のD1市に移住することになった。

全体破壊手段の一方的廃止の積み重ね

  さて、意外なことが分かってきた。私たちは準備段階から世界的な革命直後を逃せば、全体破壊手段の全廃はないと思っていた。また、全体破壊手段全廃予防のための国際機構と条約は不可欠だと思っていた。一概にそうでもなかった。私たちは国際的な取り決めによる相互の破棄・廃棄を「相互廃止」と呼び、自主的一方的な破棄・廃棄を「一方的廃止」と呼んで区別していた。全体破壊手段は不必要であるだけでなく、維持するのに莫大な経費と労力を要するお荷物である。また、少しでも注意を怠れば、全体破壊に繋がらなくても大量破壊に繋がる。そんなものはすぐに一方的に破棄・廃棄したほうがお得である。だから、かつての保有国の多くで暫定政権または新政権が、全体破壊手段を不活化するだけでなく、自主的、一方的に破棄・廃棄していた。国際会議を待つまでもなくそうしていた。そのような一方的廃棄の積み重ねこそが、世界的革命直後だけでなく、今後の世界において全体破壊手段の全廃と予防の決め手になる。全体破壊手段の全廃は世界的な革命の直後に可能なだけではない。また、国際機構や条約は、不可欠ではない。国際機構は世界機構は、そのような一方的廃止の積み重ねを補完するものである。
  私は機構の骨組みと権限と、全体破壊手段等の具体的で詳細な定義を練りに練った。原子核操作査察部門、遺伝子操作査察部門、小惑星操作査察部門が最低限度必要で、それぞれに、この程度の専門的知識と技術をもつ人間が最低限度必要…など。
  そんなとき、A国でわが身にも降りかかる大変なことが起こった。M将軍はシェルターに連行した政治犯を人質とした。そして、その約一万人と、私と同僚Xとを交換しようという提案を持ちかけてきた。私はすぐにA国に帰国せざるをえなかった。
  私はB国の同僚Vに副事務総長に就くことを依頼し、Vは快諾した。VはB国でB1大学に戻り学長になっていた。それとの兼任になる。総会と理事会にそのようにすることを提案し、承認された。私が戻ってこなかったときは、Vが、学長を辞任して、事務総長に就くことになった。
  以下を副事務総長のVに、ネットワーク生映像音声で伝えた。全体破壊手段は第一に核兵器、第二に不変遺伝子手段、第三に小惑星(Asteroid)の操作である。それをもう一度、確認すること。
  第三について、厳密には、小惑星の軌道を変えてしまうような力を小惑星に加えうるものが全体破壊手段である。そのような力は特に何かの爆発で生じ、そのような爆発は事故でも生じうる。そのような事故は記憶に真新しい。だから、小惑星の開発や探索をする場合は、最悪の事故でもそのような力を生じえない方法が探られなければならない。それが探り当てられるまでは、どんな形にせよ小惑星への人間と人工物の立ち入りを禁止するべきである。
  第二について、「俺は拷問されれば、不変遺伝子手段の開発方法を吐いてしまうだろう」また、他の科学者がいずれは開発法を発見するだろう。だから、不変遺伝子手段とそれ以外の区別を明確にして、不変遺伝子手段を全面禁止。端的に言って、「遺伝子の塩基配列以外のものを変えるなかれ」と。一方で不変遺伝子手段以外の遺伝子手段をあまり厳しく制限しないこと。特に遺伝子治療について、長生きしたい、家族に長生きして欲しい、子どもに早死にされたくない…などの一般市民の願いは切実である。遺伝子治療や生物資源の開発は不変遺伝子手段以外の遺伝子手段や他の生物学的手段によっても可能である。それを一般市民に明言すること。それでないと一般市民は付いてこない。そのためにも、不変遺伝子手段とそれ以外の遺伝子手段の区別を明確にする必要がある。そこでは、やはり「遺伝子の塩基配列以外のものを変えるなかれ」というのが有効な指標になる。
  第一について、核融合にせよ核分裂にせよ、使用時に人為的な原子核の変化を伴う兵器を核兵器と定義し、全廃すること。問題が残る。平和利用の原子力の発電所、潜水艦、船、飛行機、宇宙船、衛星…などをどうするか。二千〇〇年になるのにまだ、それらが残っていた。それら自体は全体破壊手段でないように見える。だが、テロや戦争においてネット経由で侵入され、それらが一斉に暴走、暴発すれば、全体破壊手段になる。また、そうでなくても、事故や自然災害によって暴走、爆発すれば、全体破壊手段にならなくても、大量破壊手段になる。また、それらから核兵器を開発することは比較的に容易であり、それらは前全体破壊手段でもある。それらをどうするか。市民とともに議論して欲しい。
  また、一般に、全体破壊手段は無条件に全廃。それに対して、前全体破壊手段や大量破壊手段をどうするか。市民とともに議論して欲しい。
  以上をVに伝えた。Vは「お前とXならきっと生還してくるさ。だが、しばらくは帰って来ることができないだろうから、全力を尽くす」と言ってくれた。私たちの生還いかんに係らず「ずっと」全力を尽くして欲しいと思ったが、言わなくてもそうしてくれると思い、言わなかった。

葛藤

  諸国で旧政治的権力者は、それぞれのシェルターに逃げ込み、そのことが彼らの命取りになった。諸国で新政権がシェルターの出入口をすべて封鎖し、シェルターと地上が別の宇宙のようになっていた。シェルターでは住民は世代を超えて数百年、生存可能と言われている。そのためには、男女ほぼ同数が退避しなければならなかった。だが、実際はそうでなかった。それは権力者が、全体破壊手段が使用されなければ、すぐに地上に戻って、支配権を回復できる、と思っていたからである。だが、そうはならなかった。シェルターに回避した者たちは、急遽、長期籠城戦に対応せざるをえなくなった。
  シェルターに退避したのは、政治権力の上層部だったが、その中にも上層部と下層部があった。上層部はいいとしても、下層部には「なんで俺たちがこんなところに居なきゃならないんだ」という疑問があった。上層部は下層部に妥協せざるをえなかった。シェルターに退避した者たちが地上に投降し生還しつつあった。
  だが、抵抗する権力者もいた。シェルターから一般市民向けに演説を行い、旧政権を正当化する権力者もいた。それも言論の自由のうちと、諸国の暫定政権は逐次反論しなかった。旧政権の不正や残虐と非効率や無駄遣いを調査しネットワーク上で公開しただけだった。非効率と無駄遣いの公開だけでも、十分だった。権力者は数値が示すものに反論できなかった。
  ところが、A国のM将軍は一筋縄ではいかなかった。M将軍は、彼らの言う政治犯をシェルターに連行して、人質としてとっていた。M将軍は、その人質と、私と同僚Xとを交換しようと言うのである。つまり、A国に限って最初から、シェルターと地上は別の宇宙でなかった。地上とシェルターは人質によって繋がっていた。M将軍は言う。政治犯はすべてで約一万人。その一万人と、将来のA国大統領Xと世界政府代表の私とでは釣り合うだろう、と言う。民主的分立的制度に大統領なるものは存在しない。また、世界政府ではなく、全体破壊手段の全廃と予防という目的に限定した国際機構である。だが、そんなことはM将軍にとってどうでもよいことだと思った。実際のM将軍の狙いは、Xの情報操作技術と私の遺伝子操作技術にあると見た。世界の情報通信網をコントロールし、破壊的な生物学的兵器で威嚇すれば、再興して世界を支配できる、とM将軍は考えたのだろう。また、シェルター内に一万人の人質が居れば、シェルターなりの環境の悪化と資源の消耗は相当なものだろう。それをXと私の二人と交換できたら、どんなに楽なことか。
  私はD国からA国に向かった。妻子はE国からD国に発ちかけていた。音声通話で妻は、今回ばかりはさすがに、心配しているようだった。子供は意味が分からないようだった。私は妻にもうしばらくE国で待機することを勧め、その通りになった。
  私はA国に着いた。Xと過ごす時間もなかった。Xと私を含むA国の新政権の諸機関の長官が、臨時会議を開いた。旧政権のシェルターの設計者など、必要となりそうな専門家も招かれていた。Xも私も既に人質になっているような気がした。私には「なんでノコノコ帰って来たんだ。『帰る義務はない』とD国に居座ったらよかった」「だが、そうすれば、私たちが築き上げてきたものが崩れかねない」「父やP教授も、人間にとって大切なものを守って、犠牲になった」「だが、私は彼らのような立派な人間になれない、正直に嫌だと言おう」…などなど帰って来たことへの後悔が強めの葛藤があった。最高裁判所長官が「これは憲法も法律も超えた事態であり、司法権が裁定できることではない」と言う。警察の長官は「たとえ一万対二であっても人質交換に応じるべきではない。今後、要求が高じる恐れがあるから。軍と警察が、シェルターにいる人質の救出とM将軍らの逮捕に全力を尽くすしかない」と言う。旧政権のシェルターの施工者は「シェルター内の人々に気付かれずにシェルターへの新たな通路を掘ることは、数日で可能である」と補足する。同僚YとZは何も言えない。その気持ちはよく分かる。
  私は「M将軍は馬鹿ではない。私とXには利用価値がある。私たちは大事に扱われる」と言っていた。実際、私たちが大事に扱われる可能性は高いと思っていた。だが、M将軍を説得したり、私たちが生還し自由になる可能性は、まずないと思っていた。私たちは一生、M将軍に利用されるだろう、と思っていた。だが、それは客観的見方だ。この場合、私は当事者なのだから、主観が重要だ。正直に嫌だと言えばよい、とも思った。
  そのとき、Xが「私が情報操作して、二人とも生還させて見せるわ」と唐突に言い出した。私はXの方を見た。いつもの軽快な表情だった。旧政権出身の幹部らはXのその一言にホッとしたようだった。同僚ZとYは何も言えなかった。つまり、Xの情報操作技術には絶対的な信頼を置いている。だが、シェルターのシステムの端末を操作できなければ、何もできない。
  そうだ、M将軍が欲しているXの情報操作能力をXが発揮するためには、Xが地下のシステムの端末をなんらかの形で操作することになるだろう。するとXが地下をコントロールする可能性はかなり高い。そうだ、私たちが生還し自由になる可能性は零どころではない。予想はできないが、何かが起こるかもしれない。起こせるかもしれない。と思った。そう思えば少しは楽になるものだ。実際に私たちはそのようにして生きてきたのだ。潜伏前も。E国の密航船からA国に上陸するときも。F国を退避するときも。革命前夜もそうだった。私とXは地下に降りることになった。また、シェルターへの新たな通路も掘削開始してくれることになった。また、同僚Zらが、いざというときの襲撃と救出の準備を、最大限に整えてくれることになった。彼らができる限りのことをしてくれていることによって、少しだがさらに楽になった。
  私とXは「遺産」のようなものをまとめることになった。私については、既にB国の同僚Vを副理事長として、遺産のようなものをまとめて口頭で伝えていた。Xについて、彼女の情報科学技術の重点を、グループGの情報技術者に直接、伝授した。また、A国のA1大学とA2大学とB国のグループHとB1大学の情報技術者にネットワークで伝授した。また、科学技術部門の副長官にA1大学の学長を指名し、学長の了解を得た。Xの情報科学技術の遺産について、特に平和利用に係る技術が残された。また、独裁制や全体破壊手段が復活し、再度革命を起こさなければならないことも想定して、革命前の技術が残された。

再び、悪循環に陥る傾向への直面

  次いで、私とXは、シェルターに降りて以降の対策を練った。A1大学の臨床心理学のR教授を招いた。A1大学では学長を含むほとんどの教授が横滑りしていた。それは当然だと思う。彼らはM将軍に利用されていたに過ぎないのだから。
  私とRは、よく飲んで語り合っていた。それは二人がともに准教授の頃だった。Xと合流する前に少し話すことができた。私があのKと付き合っていたことを、私はXに知られたくなかった。Xには、余計な雑念などなく、生還のための情報操作に専念して欲しかった。「Xの前ではKのことは言わないでくれよ」と私が言うと、Rは「そんなこと分かっている」と言った後、手短に「ここでこれだけは言っておく。M将軍とKの人格の形成過程はほとんど一緒だ。だが、K将軍は、思春期に相当な暴力的集団の中にあったから、支配的、破壊的傾向が極めて強い」と言う。そこへXがやってきた。
  Xも座った後、私はR教授に「M将軍の人格はどのようなものでしょうか」と尋ねた。R教授は以下のように説明した。私とR教授は、Kのことに触れながら、臨床心理学についてもよく飲みながら語り合っていた。その頃、語り合っていたこととほぼ同じだ。それをXのために改めて説明してくれた。また、乳幼児期に子供に最も頻繁に接した人間を「母親」と呼ぶこと、その母親は、実母でも義母でも父親でも祖父母でも兄姉でも保育士でもありえること、母親の愛情が希薄になる原因は様々だが、子どもに与える影響は同じであり、それをまとめて「愛情希薄」と呼んでよいこと…などを説明してくれた。
  M将軍の両親は仲が悪く、母は父との口論に明け暮れ、子供にあまりかまっていられなかった。乳幼児期に母親の愛情とケアが希薄であると、大なり小なり、以下のようになることが多い。乳幼児は母親の愛情とケアに満足できず、いつまでもそれらを求め、母親に粘着し自己顕示し母を支配し破壊する。通常、幼児は3歳前後に母親の愛情とケアに辟易して、母親と母親以外に粘着…以外の対人機能を生じ、粘着的、自己顕示的、支配的、破壊的傾向が減退し、少しずつ独立していく。それに対して、母親の愛情とケアが希薄であれば、子供はいつまでもそれらを求めて、粘着、自己顕示、支配、破壊し続け、全般的で過度の粘着的、自己顕示的、支配的、破壊的傾向が形成される。子供が母親以外の対人関係の中に入るようになっても粘着、自己顕示、支配、破壊し続ける。そのような傾向は「悪循環に陥る傾向」または略して「陥る傾向」と呼ばれる。M将軍の人格はまずそのようにして乳幼児期に形成された。もっとも、陥る傾向は、人間の誰もが大なり小なりもっている。特に粘着的傾向をもつ人が多い。また、最もやっかいなのが、「イメージとして想起される自己の陥る傾向を回避し取り繕う傾向」である。簡単に言って、自己の汚い側面は見たくない。まだ、幼少の頃の貧困や戦争や虐殺なら社会のせいにできる。だが、陥る傾向の主因は、社会にあるのではなく、身近なところにある。母親に愛してもらえなかったことを大人になっても引きずっているなどということは、恥ずかしくて認めたくない。だから、陥る傾向がイメージとして想起されると、そのイメージを回避し取り繕う。だから、それに直面することができず、陥る傾向は一向に減退しない。これが最大の悪循環である。つまり、陥る傾向の最大の原因は、乳幼児期の母親の愛情とケアの希薄…などにあるのではなく、思春期以降のイメージとして想起される自己の陥る傾向を回避し取り繕う傾向にある。乳幼児期の他者にあるのではなく、思春期以降の自己にある。
  そのような一般の人々に対して、M将軍は思春期にかなりの暴力的集団の中にあって、年長者の支配、破壊を模倣した。その結果、支配的破壊的傾向がますます強くなった。思春期以降はそれらの傾向が権力欲求として現実化する。人を支配するためには権力を獲得し維持しなければならないから。陥る傾向は人間の誰もがもっているのだが、権力者においては、そのようにして支配的傾向と破壊的傾向と権力欲求が強くなる。この傾向は過去の歴史上の権力者の多くについて言える。簡単に言って、典型的な権力者だ。そう説明してくれた。
  「私は父に強く反抗した。その結果、権力に反抗する傾向が形成された」と私は言ってみた。R教授は「権力に過剰に反抗する傾向も陥る傾向に含まれる。だが、それは主として思春期に形成される。乳幼児期の母親の愛情とケアの希薄によって形成されるのではない。あなたのお母さんは愛情とケアは希薄でなかったでしょう。また、あなたは思春期以前にはそんなに反抗しなかったでしょう」と教授らしく言った。Xも「私にもそういう傾向があった」とうなずく。R教授は続けた。「M将軍が欲しいのは権力そのものであって、権力の行使のあり方や行使の結果はどうでもよい。ところで、その権力欲求は、ニーチェが言う『権力への意志(Der Wille zur Macht)』とは全く異なる。ニーチェはその言葉で大地や自然や、フロイトの言う「欲動(Trieb)」と等しいものを表現していた。ニーチェやフロイトと、M将軍やヒットラーを同列に扱うと、前者に失礼だ。いずれにしても、M将軍は権力そのものを求めている。例えば、あなたたちがM将軍に大統領や首相の地位を保証すれば、M将軍は人質を解放して戻ってきて、しばらくは大人しいかもしれない。ただし、いつでも暴走する恐れがありチェックがたいへんだ」と言う。それに対する対策はもう残してある。国家権力を自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立して、前者を重点的に抑制し相互抑制させる。今後は一般市民が、そのような過度の粘着的、自己顕示的、支配的、破壊的傾向をもつ者を、政権担当者として選挙しないよう注意する必要があると思った。簡単に言って、R教授がかつて言った「目立ちがり屋」を選挙しないことだ。そう言えば、一般市民も「あいつのことだな」と分かると思った。
  Xが「私が母親代わりをしてM将軍を愛してあげれば、支配的破壊的傾向が減退するかもしれない」と唐突に言った。私はびっくりした。R教授はほくそ笑んで、私よりは彼女のほうが近いという表情を見せた。「二十世紀では『愛する』とまではいかないまでも『傾聴する』とか『寄り添う』…などのアプローチが主流でした。それも必要ですが、それだけでは不十分です。人々も話を聞いてもらったり一緒に居てもらうだけで、自分の悪い癖が治るわけがないと思っていました。かといって、強制されたり束縛されても治るわけがないと思っていました。そこで、私たちのそれぞれが、自己の粘着性、自己顕示性、支配性、破壊性…などの『悪循環に陥る傾向』に直面する必要がある、カウンセラーは傾聴し寄り添いつつ、その直面のお手伝いをするというのが、二千年代に入ってしばくして主流になってきました」と。Xも納得しているようだった。私はR教授に「それらの『傾聴と直面』に要する時間は?」と尋ねてみた。R教授は「正直言って困難です。傾聴し寄り添うだけでも数年以上かかる」と答えた。それはよく分かる。私も自己の権力に過剰に反抗する傾向に十年近く直面してきた。その結果、権力に過剰に反抗する傾向が減退したと思う。そして、権力者に反抗するのではなく、権力そのものを民主化し分立する必要がある、と思うようになった。その直面は、まっすぐではない、曲がりくねったものだった。
  R教授は「M将軍は臨床心理学に興味をもっているらしい。ヒットラー、スターリン、毛沢東…などの過去の独裁者の人格の形成過程を、彼なりに分析しているらしい。すると、M将軍も陥る傾向に直面することになる」と付け加えた。結局、M将軍とともに自己の陥る傾向に直面し、M将軍とともに地上に生還し自由になるしかないのか。それを達成すれば、史上最大の「悪循環に陥る傾向への直面」じゃないか。やってみよう。と思った。生命と自由を賭けてやってみるしかないと思った。

夢について

  夢について。夢は、感覚と異なり、外的状況を直接的に反映しない。直接的には、自己または自己の内的状況を反映する。夢に出てくる外的状況は、自己の外的状況の認識を反映する。それらの前提は、私が前もってXに説明しておいた。私は拷問への対処法をR教授に「おそらく最新の拷問法をやられます。これは従来からあるのですが、まず筋弛緩剤を投与され完全に身体を拘束されます。身体的苦痛と精神的苦痛はそのままです。自殺する選択肢もありますが、自殺できません。最新の拷問法はこれからです。その後に悪夢を見る薬剤を投与され、目覚め、悪夢を見て…が繰り返されるそうです。その悪夢への対処法はないでしょうか」と尋ねた。R教授は「そのような薬物を使用されると、普通の夢は出てこないでしょう。恐れていることで、しかも普段は意識せず、夢にも出てこなかったようなことが出てくると思います。それは苦しいと思います。その恐れていながら、普段は意識しておらず、夢にも出てこなかったことを、意識してしまうことが、苦痛を少しでも軽減する方法です。それをできれば夢にも出てくるようにすることが…」と答えた。私もXも納得した。R教授は続ける。「それには…お二人が別室で、それぞれが別個の臨床心理士と、些細なことでも何でも、日常で恐れていることや、既に見ている夢について話をしてみてください。恐れていることや夢のことを他人に聞かれると思うと、本当のことを語れないでしょう。それを心理士が他人に漏らすことは決してありません。あなた方は歴史に残る人物だと思います。その歴史にも残らないように、臨床心理士は記録にも残しません。私にも漏らさないのでご安心ください」と、最後のところでは特に私の顔を見て言った。確かに他人に聞かれると思うと本当のことを語れない。この場に及んでも、語れない。XやRにも語れない。
  私とXはそれぞれ別室に入って、別個の女性心理士についた。R教授は二人の女性臨床心理士まで用意してくれていた。私がついた心理士はR教授と同様に「今話してもらうことを他人に漏らすことは決してありません」と断った後、「まず、常日頃、恐れていることは何でしょう。何でもいいから言ってみてください」と言う。私は正直に言った。「父親と、恩師にして親友の死を放置した。それを私は悔いている。どこかで彼らを恐れていると思う。それと…いやそれより…ここだけの話だが、私は不倫をしている。それがばれたときの妻が恐い。いや不倫相手の方が恐いか…いや…それより…私は父に強烈に反抗した。だから、今度は自分の子供の反抗を恐れている」と。心理士は「なるほど、最初から日常に密着したものが出てきましたね。近い感じがしますね。だからこそ、それらは既に夢に出てきていませんか?」と穏やかに尋ねてきた。そのとおりだった。十分すぎるぐらい夢に出てきていた。恐れていることで、しかも夢にも出てきていないことは何だろう。「あっそうだ。地下に降りて拷問されることだ」「地下に降りて一生、地上に戻れないことだ」と私は思わず言った。だが、すぐ後に「あっ、それは十分意識しているな…」と思い直した。心理士はにっこりとうなずいた。常日頃から恐れていることで、意識せず夢にも出てこないことって何だろう。それを浮かび上がらせるのが心理士なのか。心理士は何気ない会話からそれをしようと努力してくれたのだろう。だが、時間がきた。心理士は「近い所まできている」と言ってくれた。それは気休めではなく、私も近い所まできている感じがした。
  別室を出てXと合流した。私は率直に「近い所まで行ったけど、分からなかった」と言った。彼女は「考えすぎよ。私は純粋」と笑った。Xは専門の情報科学以外ではボキャブラリーが貧弱なのだった。そんな彼女をかわいいと思った。もしかして、私が最も恐れていることは、彼女がM将軍にレイプされることなのか?あるいは、彼女がM将軍を愛することなのか?するとますます妻が出てくるのか?結局、彼女と妻子が一緒になって私を責めてくる、あるいは彼女と妻子が一緒になって去っていく夢を見るに違いない。そう思った。それで少しは楽になるのではないか。だが、よくよく考えてみると、それらは既に夢に出てきていた。しかも、最近、ちょこちょこ夢で見ていた。あの無血革命の朝も見ていた。結局、私は最も恐いものを意識しているのだ、と気休めで思った。

生きたい、それだけだった

  シェルターへ車で向かった。Xからは東側が、私からは西側が見える。シェルター付近は高層ビルが少なく、夕焼け空が広がっていた。見方によっては、壮大な光景なのだろうが、最初はそれらの光景が目に痛かった。だが、次第に目が慣れてきた。車の走行に伴い、夕焼け雲の遠近感が少しずつ変化する。そんな雲の遠近感に気づいたのは生まれて初めてだった。ときどき、高層ビルの間から沈みつつある太陽が見える。「生きたい」「また、あの太陽を見たい」それだけだった。Xが横に座っていることさえ忘れていた。
  だが、受動的に生きたいと思うのは、たまらなく悲しく虚しい。生きよう、生きる方法を考えようとした。私はXの手を握った。Xは生還する方法を考えているようだった。Xは「端末さえ操作できればなんとかなるわ」と言う。絶望の中でも生きる方法を考えるしかない。
  シェルターに着いた。まず、私の降下と半分の約五千人の上昇から始まる。その五千人の上昇が完了した後、Xの降下と残りの半分の約五千人の上昇が始まることになっていた。M将軍は、ともかく、早くXと私を分離したかったようだ。
  私は同僚Zらとシェルターの五階分の階段を降りて行った。階段を降りると、エレベーター前に、M将軍側のN大佐と、人質の先頭の数百人が既に待っていた。同僚がその先頭を地上に案内した。人質はさすがに嬉しそうにしていた。Zはエレベーター前で残る人質を待つことになる。私はN大佐とその部下二人とエレベーターに乗り込んだ。Zと私は目を合わせた。互いに何も言えなかった。何重にもなっているドアが完全に閉まった。それが地上と地の果ての境目のような感じがした。階層表示がマイナス五からマイナス二十二まで降りて行く。加速度はほとんど感じられない。中継点で乗り換えた。この中継点を含む層が衝撃と放射線をだいぶん吸収するらしい。液状のクッションがあって衝撃はほとんどなくなるらしい。それは逆についても言えるらしい。エレベーターを乗り換えた。エレベーターがマイナス二十二からマイナス六十二まで降りて行く。エレベーターが止まり何重にもなっているドアが開いた。その前でも人質らしき人々が待っていた。約一万人の輸送となればエレベーターとその管理係もたいへんだと思った。一万人を二人と交換できたら、M将軍にとってどれだけ楽なことか。
  エレベーター前のホールを通る。人質が列を作っていた。その人々は人質交換のことをまだ告げられていないようで、表情は虚ろだった。多くは中年以降の男で、中年以降の女もちらほらいた。多くが、既に殲滅された反政府グループの人々か、一匹狼の反政府主義者か、疑いをかけられただけの市民だろう。一部が科学者と推測された。気迫や知性は完全に失われていた。車椅子で行く人もストレッチャーで運ばれている人々もいた。苦しかっただろう。それらを押しているのも人質のようだった。点滴を受けている人々もいた。看護しているのも人質のようだった。疲れただろう。やがて大きな空間に出た。照明が凄く、しばらく眼が順応できなかった。眼が順応すると、見方によっては荘厳なホールなのだろうが、やはり異様だった。私にとっては十分な地の果てだった。その空間の中央のステージのような台に、M将軍が立っていた。逆光で顔だちや表情はほとんど見えなかった。
  私は言った。「何でも情報提供する。拷問は無用だ」と演劇のセリフのようになってしまった。M将軍は頷いた。「明日から研究の仕事をしてもらいます。今日はゆっくりお休みください。拷問などはしません」と一見穏やかだが、不気味な声が響いた。私は椅子を勧められて座った。M将軍は私を一瞥もしない。M将軍の目当てはX(♀)にあるように見えた。Xのためにこのステージをこしらえて、Xの到着を待ちあぐねているように見えた。情報操作が危急なようで、遺伝子操作は後でいいようだとも思えた。いや、やはり別の目当てがあるのか。私は端役で、しかも出番を間違えた馬鹿に過ぎない。そんな感じがして、たまらなく惨めになった。五千人の人質は地上に生還したとM将軍の部下が言う。その後しばらくして、女医と女性看護師二人、男性看護師一人が、迎えに来て、私は病室のような部屋に招かれた。
  おもむろに看護師三人が、私をベッドに押し倒し私の四肢を拘束しようとした。女医は私の静脈を確保しようとした。看護師の一人が私のみぞおちに軽く蹴りを入れた。すべて慣れた動きで、すぐに完結した。私は抵抗というよりもがきながら喚いた。「M将軍には何でも吐くと言ってある。M将軍に聞いてみろ。拷問はしないと言っていた」と。女医たちはしばらく黙って作業を続けた。だが、私の大声にあきれたのか、「そんなこと聞いていません。さっそく拷問の第一段階に入れ、という命令があるだけです」と女医は言う。看護師の一人がコンピューターの画面を確認し「その命令があるだけで、取り消されていません」と言う。女医は静脈を確保し、薬瓶のラベルを確認する。「筋弛緩薬、投与します。心筋と呼吸筋と眼筋と神経系は麻痺しませんから、安心してください。生命と感覚と思考と眼球運動による意思表示機能は、維持されます」と言いながら、三方活栓経由で薬剤を注入する。私は最後の力を振り絞って「もう一度M将軍に確認してくれ」と言っていた。すぐに声も出なくなった。女医と二人の看護師は部屋から出て行った。残された看護師一人が私の血圧、脈拍等を測っていた。すべてなされるがままだ。完全な身体拘束だ。もうこれだけで十分な拷問だ。また、女医たちが戻って来た。「M将軍は今頃、あなたのお連れ様と楽しんでいるでしょう」と女医はあっさり言う。女医はXにも同じことをして戻って来たんだな、と思った。女医は「悪夢を見る睡眠薬を注入します。もう悪夢対策は練ってあるんでしょう?」と言いながら、薬剤を注入する。数秒で海底に引きずり込まれるような感じになった。

  法廷のような厳粛な部屋の中で、例の少女のような顔をした白髪の老婆Iが裁判長のようになっている。老婆Iは私を見て「あなたのおかげで人間は絶滅せず、数兆人が数万年に渡って苦しむことになりました。この罪は死をもっても贖えません。永遠に苦しみなさい」と言う。私は「人間の苦痛も必ず減退させる」と言おうとしたが、声にならない。老婆Iがいつの間にか妻に変っていた。妻は「今日は…八つ裂きの刑」と言う。私は拘束を解こうとしたが解けない。これは夢だから解けるはずだ。だが、筋弛緩剤で拘束されている。すると夢でも解けないのか。いつのまにか妻の隣にXがいた。Xは「いやいや串刺しの刑がいいでしょう」と言う。数人の筋骨隆々とした男が私のほうに寄って来て、刑の準備をしている。いつのまにかその男たちが、私の子供たちに変わっていて、天使のような服を着てはしゃぎながら刑の準備をしている。

離反

  「何でも吐くと言っているだろう。M将軍に確認してくれ」それを言いながら私は覚醒したようだ。「何でも吐く」まだ言っている。N大佐が私の体を揺すっているのに気づいた。私は見回した。体が動く。後で聞いた話だが、N大佐は、女医に命令して、鎮静剤と筋弛緩薬に対する拮抗薬をうたせていた。N大佐の後には十数人の部下らしき兵士が付き従っていた。女医と三人の看護師には部下数人が銃を突き付けていた。N大佐は言った。「M将軍から離反し、新政府(暫定政権)側に付きます。M将軍の非道は見るに忍びない。私たちはそんな上官に従うことを拒否する。新政府に従います」と。私はなんとか「ありがとう」と答えることができた。思考能力が戻ってきた。
  形式的に旧政権に属していても、旧政権に従わず反政府グループまたは暫定政権または新政権に協力する武官を含む公務員を「旧政権離反者」として、罪を一切問わず、希望によっては従来以上の地位と待遇を保証する。そのようにグループGは宣言していた。その成果は既に至るところで出ていたが、ここでも出た。私はその成功感に浸っていた。だが同時に、Xがここには居ないことに気付いた。大佐は「既にここにいる部下も私と同じ考えです。他のシェルターにいる者も同じだと思います」言った。N大佐は女医と看護師に向かって「お前らは?」と尋ねた。女医と看護師は「大佐に従います」と頷く。女医と看護師らに突き付けられていた銃が降ろされた。
  私とN大佐に部下数人と女医が加わって緊急に協議した。女医は「M将軍の命令で、私たちがM将軍の個室に入ってXをベッド上に拘束しました。ルートも確保し、点滴を行い、鎮静剤も入れました。M将軍は鎮静を掛けたままXを弄ぶつもりだと思います。Xはまだ、鎮静がかかったままだと思います。M将軍は相当、油断をして、まだXを弄んでいると思います。長々とそうしていることが過去に何度もありました」と言う。女医はそういう性癖の持ち主だと思っているようだが、それは違うと思う。M将軍は周到な人間で人質さえも警戒しているのだろう。N大佐は「今しかない。M将軍の個室に突入し、Xを保護するとともにMを拘束しよう」と宣言した。N大佐は私に向かって「あなたは私たちの働きの証人になって下さい」と言う。私はそのときはまだ意識が完全に戻っているといえなかったが、なんとか理解して了解した。
  私は旧軍の機器を使用して地上の同僚Zと連絡を取り、以下を即決した。
  N大佐を始め、M将軍以外の者を「旧政権離反者」として正式に認め、希望があれば従来以上の地位と待遇を保証する。私から連絡があれば、Zらがシェルターに応援に駆けつける。M将軍を除く旧政権も新政権も同僚Xの保護に全力を尽くす。M将軍については逮捕を目指すが、Xの保護のためにやむをえない場合は射殺してもよい。と。
  M将軍を除くシェルター内の旧軍のスタッフ全員がN大佐と私に付いた。N大佐より上の階級の者もN大佐と私に従った。N大佐より上の階級の者はN大佐に従ったというより、私に従った。そのほうが彼らにとってはやりやすかったようだ。ここでしか私の存在意義はなかった。

生と記憶喪失と死と生…の繰り返し

  錠を爆破し、N大佐以下精鋭がM将軍の個室に突入した。私と女医も続いた。M将軍はベッドで眠っていたらしい。私が入室したときには、M将軍は覚醒しつつあり、N大佐らによってほぼ拘束されていた。それでもM将軍は枕もとの拳銃に手を伸ばそうとした。その手も含めて、M将軍は拘束された。N大佐は「お前から離反する。お前を逮捕する」とM将軍に言う。M将軍は「全員、俺の命令に従え」と周りを睨む。M将軍ががんじがらめに拘束されていく。「俺の命令に従え」M将軍の声が部屋の外の廊下にも響いているのが分かる。大佐の命令で女医がM将軍に鎮静剤を筋注した。M将軍の声が上ずっていく。
  そのベッドの下の床で、女性が手足を縛られたまま裸で横たわっていた。私はそれがXであることを確認した。ベッドからずり落ちたように見える。周囲の床には大量の血が溜まっていた。Xの静脈に繋がるチューブが三方活栓の部分で外れており、その外れた部分からまだ血がわずかに流れていた。それがなんとも哀れだった。医療機関で持続点滴を行う場合は特に、ベッドに柵を設けるなどして厳重に転落を防止する。また、持続点滴をする場合は特に、看護師が頻繁に見回る。「こんな所で持続点滴をするのは無茶だ」と言いかけたが、今さら何を言っても無駄だ。女医が死亡確認した。女医は続けて言う。「ベッドからずり落ちたときに、チューブが三方活栓の部分で外れ、その外れた部分からの失血が死因と考えられます。恐らく、M将軍はことが終わって、眠ってしまい、寝ながらXをずり落としたと考えられます。Xのチューブが外れていることにも気づかずに…」と。人を殺害する意図がなくても、身体拘束ではこういうことがありえる。それに十分に注意し、身体拘束をどんな形であれ最低限度に抑えることが必要だと思った。「Xの意識は一時的にせよ戻ったのだろうか?」と私は尋ねた。「恐らく鎮静剤が効いたままで、意識は戻らないまま…」と女医は答える。救いはXが苦しまなかったことだけか…これが夢から覚めた夢であれば…あの薬がまだ効いているのであれば…そんなことを思ったのは生まれて初めてだった。
  私は地上の同僚Zに、「M将軍逮捕、同僚Xは既に死亡」と連絡した。M将軍は手足胴体をがんじがらめに拘束されて床に横たえられている。鎮静剤が効いているのか効いている振りをしているのか分からなかった。数分でZらがやってきた。Xの遺体を含めて部屋中の写真が撮られた。
  Xは剖検されるだろう。Xの体からM将軍の精液が出てくるかもしれない。そう考えるときには、嫉妬があったかもしれない。もしかしてM将軍は、あの女スパイTや売春婦Kにも同じようなことを…鎮静を掛けた異性としか性欲を満たせないなど哀れじゃないか。人に愛してもらえずにひたすら権力を求めて…私は嫉妬の反動である優越感にさえ浸っていたのかもしれない。私はM将軍を見ないようにしM将軍のことを考えないようにしていたが、そんな嫉妬や優越感がよぎる自分に嫌悪を覚えたからだと思う。いや、待てよ。私はB国に留学中、同僚Vと一人の女性を巡って激しい争いをしたことがある。その頃は互いに、異性を巡っての闘争は、動物の自然な傾向であって、許されると思っていた。人間においてはときに美談とさえされる。古典でもときに美談になっている。今の私はそう思わないが、M将軍に言ってみようか。「俺の負けだ。だが、お前は卑怯だった」だが、言わなった。虚しいだけだ。「俺たちは、お前を暗殺しようと思えば、いつでもできた」「速く消え去ってくれ」…何を言っても虚しいだけだ。だから、言わなかった。実際、本気でM将軍を暗殺しようと思えばできたと思う。だが、それでは私と同僚の何人かが犠牲になっただろう。また、少なくともA国においてせっかくの準備段階が台無しになったかもしれない。俺は、お前と共に自己の悪循環に陥る傾向に直面しようとして、ここまで降りて来たんだ。Xはお前を愛し、お前に傾聴し寄り添おうとして、ここまで降りて来たんだ。そのXに対して、なんてことを…だが、お前は権力者としてはマシなほうだった。お前以外なら全体破壊手段を使用していたかもしれない。文官のほうがやっかいだったかもしれない。Xが犠牲になるだけで済まなかったかもしれない。M将軍、与しやすし。もしも、独裁者が自殺も辞さないような自暴自棄に陥るような人間だったら…「お前がいてよかった。ありがとう」とはもちろん言わなかった。それにしても、なんで俺たちがこんな目にあわなければならないんだ。余計なことをしやがって。それが正直な気持ちだった。同僚ZがXを剖検に送ると言う。私は彼女の身体と最後の対面をした。
  Zが軽い掛布団を持って来てXの下半身に掛けていた。私もせめてそうしたかった。Xの顔はわずかに笑っているように見えた。Xは以下のように言っているように見えた。「生きて、記憶喪失して死んで生まれて生きて…の繰り返しがあるだけ。記憶喪失はちょっと残念だけど。まあ、いいわ。あなたのことなんて忘れちゃおう。今度はもっといい男と結婚するね」そう言っているように見えた。このとき相手が「今度もあなたと会いたい」と言っていると思うのは、相当なナルシシストか恋愛未経験者である。愛する人が特別な存在であるのは愛し合っているときのそれも上昇期だけである。記憶喪失して生まれればなおさら、新たな人と新たに愛し合うことになる。Xがあのときに言った「なんと自然な」である。
  Zは敬礼をしていた。そうだ伝統的に敬意を払おう。今回の世界同時同日革命の最大の功労者としてXに敬意を払おうとした。だが、どんな敬意も足りないと思った。Xがいなくても世界的な革命の趨勢は変わらず、いずれはそうなった。だが、Xが構築したネットワークがなければ、一日で完結するものでなかった。それは確実に言える。数日はかかっただろう。そもそも、Xが構築したネットワークがなければ、世界的な革命は数か月遅れていただろう。というとXの功績はその程度か。と思われるかもしれない。だが、数か月の遅れが人間を含む生物の絶滅をもたらしたかもしれない。いや、数日の遅れも…M将軍は核兵器の搭載を命令しかけていた。それをしないよう、O参謀らがなんとか説得した。それほど絶滅の危機は切迫していた。
  また、Xはまだ若く、これからの人だった。Xなら、すごい平和利用の機器やシステムを作れただろう。Xもそんな平和利用のものを作りたかっただろう。それをXができなくなったことが悔しい。人工衛星を乗っ取ったり、顔認証システムを作るようなことは、したくなかっただろう。それをXがせざるをえなかったことが悔しい。Zも不似合な敬礼をするしかなかったのだろう。Zにしても敬礼などという化石のようなものをするのは、生れて初めてで、今後もすることはないだろう。それにしても、Xのこの結末は儚く哀れでたまらなかった。点滴のチューブがはずれて失血死なんて…今後、Xのことを語るとしても、この場面だけは伏せる。

何重もの巡り合わせ

  私はN大佐と地上に向かうことになった。エレベーターは中継点で混雑していたので、そこから地上まで歩こうということになった。二人で長い階段を昇った。N大佐は言った。「Xを助け出せなかったことは残念だと思います。私も部下を助け出せないことが何度かありました。自分や他の部下を助けるためには、部下を見捨てざるをえなかった。命の選択のような場面が何度かありました」と。私も自分や家族や同僚のために、父やP教授や同僚Xを犠牲にした。一対一万の命の交換であっても、それを正当化するものは何もない。私たちにできることは「命の選択」や「命の交換」をしなければならないような状況を、作らない作らせないことだけだ。そうN大佐と話し合った。
  「お伝えしておかなければならないことがあります」N大佐は言った。「あなたの父上が拉致され拷問されたとき、それらを命令したのはM将軍で、M将軍の殺すな自殺させるなという命令に逆らって、本当に死ねる薬を投与したのは私です。お父様の苦しむ姿に耐えかねて…」と。私は思わず泣いた。長い階段を昇りながら泣くというのは、たまらなく惨めだった。N大佐が私を支えて登ってくれた。私は「ありがとう」としか言えなかった。何に感謝しているのか分からなかった。父の苦しみを軽減してくれたことと、惨めな私を支えてくれたことの両方に対してだったと思う。私は父の苦しみに一生苦しむと思う。N大佐も泣いていた。N大佐にも私の父に相当するような存在があったと言う。祖父母で、拷問を命令したのは前の独裁者で、死ねる薬剤を投与したのは、当時は大佐のM将軍だったと言う。なんという巡り合わせだろうか。私とN大佐のそれぞれの家族関係や拷問を命じる者や命じられた部下だけでなく、N大佐がしたのと同様のことをかつてM将軍がしていたこと、私がN大佐に助けられたこと、そのM将軍をN大佐が襲撃し拘束したこと、そして今、私とN大佐が一緒に長い階段を昇りながら、それらを語っていることも含めて、何重もの巡り合わせだ。さらに、N大佐は語る。N大佐は前の独裁者を倒すために軍に入った。前の独裁者を倒すクーデターを主導したのは、当時大佐だったM将軍と、入隊したばかりのN大佐だった。その後、M将軍はすぐに実質的な独裁者となった。N大佐は疎んじられ、遠い小国の内戦に介入させられた。文字通り泥沼の戦いで、多くの部下が撃たれて泥沼に沈んだ。何人かは生きたまま泥沼に引きずり込まれたと言う。私はあの泥んこ遊びが恥ずかしくなった。N大佐がA国に帰って来ると、当時まだあった反政府グループの殲滅をやらされた。反政府主義者の拉致や拷問もやらされた。N大佐は、A国に帰った頃から、M将軍を倒す機会を探っていた。だが、M将軍は周到な人間で、シェルターに降りるまで好機はなかった。シェルターに降りてから「Xには悪いが…」N大佐は「こんなに時間がかかってしまった」としか言えなかった。
  地上が近づいてきた。私とN大佐は、社交辞令ではなく、実際の再会を誓った。南洋の島国Eでと。N大佐はだいぶん先になるが妻子と行くと言う。来月、第一子が産まれるはずだと言う。「そうこなくっちゃ。早く帰ってやりなよ。男も産休をとって。休暇と昇級は暫定政権が保証してくれるよ」と私はN大佐の肩を叩いた。
  あの女医と看護師が追いかけて来た。女医は「Xの体からこんなタトゥーが見つかりました。相当、前に彫られたものです。この度の事件とは無関係です」と言い私に写真を渡した。左肩に小さく"EXISTENCE AND LIBERTY(生存と自由)"と刻まれていた。「ありがとう」と私は女医に伝え、ポケットにしまった。私たちの目的を要約すればこうなる。生存と自由の両立だ。私はそのタトゥーに気づかなかった。M将軍は見たのだろうか。見たとしたらどう思っただろうか。何も思わなかっただろう。階段を昇るのに女医と看護師が加わった。私は女医に「ベッド策を設けるか、点滴のチューブは長くしてね」と軽く言った。女医は、自分もそうしたかったのだが、シェルター内の資源節約を迫るM将軍が許さなかった、と言う。看護師は…私は軽い逆行性健忘であの軽い蹴りのことをほぼ忘れていたのだが、謝っていた。筋弛緩薬と鎮静剤がほんの少し残る程度で、私の体はなんともなかった。

家族が居る者には分からないだろうな…

  地上に着いた。担架で運ばれた人質がまだ残っていた。グループGのスタッフや旧政府の消防や警察が忙しく動き回っていた。N大佐の部下は私たちを待ってくれていた。私はN大佐にすぐに妻に連絡するよう勧めた。N大佐は部下にそうするよう勧めた。だが、連絡する家族も親戚も友達も恋人もいないという独り者が意外と多くいた。独り者の中には、男も女もいた。あの女医と看護師たちもいた。N大佐より上の階級の者たちも居た。もはや階級は関係ないようだった。そうだ、こういうときこそ独り者の間で何かが生まれる。スラム街でもそうだった。連絡する者がいる者はほったらかしにして、私もN大佐も独り者たちと健闘を讃え合った。がっしりとした兵士が響き渡る低音で言った。「地の果てはもう飽きたから、今度は宇宙の果てまで行こうぜ」気勢が上がった。周りの人々は不思議そうな目で見ていた。女医と看護師は「家族が居る者には分からないだろうな…」と呟いていた。その後で、N大佐はこっそり妻に連絡していた。私については、私が最初に地下から地上の同僚Zに連絡した時点で、Zが私の家族に連絡してくれていた。私の妻は「肉声を聞くまでは…」というような粘着的なことを言う人間ではない。
  同僚Xを除き、旧政権側の人々も含めて、すべての人が生還した。先に地上へ向かった約一万人の人質の多くは既に帰還していた。階段部分が急なために、車椅子と担架の利用者数百人の引き上げに手間取り、それらの人々が地上の出口付近に残っていた。旧軍、旧警察と消防がそれらの人々を病院へ搬送していた。シェルターから地上に出た旧軍の兵士たちも手伝った。日頃の訓練で鍛えられた男たちだ。と思ったら女性もかなりいた。私は地下で男女の区別もつかなかった。それに今、気付いた。私は足腰の筋肉が強ばって攣りそうだった。筋弛緩剤と睡眠薬の影響はもうなく、単なる運動不足だった。

神も運命もない

  救急車がサイレンを鳴らさず非常灯だけ回転させてゆっくり往復する。ビルの背後ながらも夜明けが近いことが分かる。さすがにシェルターのすぐ近くに高層ビルはなかった。東から西へ空色が紅色から濃紺へと変わっていく。薄紅色の雲が流れる。空と大地のささやかな祝福に見えた。そういえば、P教授とこんな空を見上げたことがあった。あれは夕方だった。また、昨日、このシェルターに入る前に、こんな空を見ていたが、あれも夕方だった。あのときは、「生きたい」とだけ思った。今思えば、それが一番、正直な気持ちだった。今になってようやく、自分が生きていることを素直に喜べた。思いっきり生きてやれ。私は同僚Yに、全体破壊手段全廃予防機構(仮称)のあるD1市への今夜発の飛行便を、確保するよう依頼した。また、同僚Zに無線で、N大佐のしばらくの休暇と昇級を願い出た。ところで「大佐より上のポジションって何なんだ?」と私は自問した。Zも知らなかった。「後で調べておく」とZは言っていた。だがすぐ後に「今、調べる暇がない。ともかく一番上にする」と言っていた。実際、N大佐は、暫定政権と新政権で軍の実質的トップに就いた。また、私とN大佐は、約束通り、夏季休暇にE国で再開を果たした。Zはその頃、結婚したばかりで、ハネムーンに来た。
  そしてなんと、出口付近に残る人々の中に、ストレッチャーに横たわるA2大学のQ教授の姿があった。私は思わず笑った。お互いに悪運が強い。Q教授はすまなさそうな表情で私の手を握った。私は「私も拷問に遭いました。予想通りなんでも吐くと言っていました」と言った。「よくご無事で…」Q教授の声は想像以上に細っていた。握る手に力はない。冗談は吹っ飛んだ。拘束されたまま長時間、放置されたのだろう。Q教授は、私などよりすごいものに耐え、しかも生還した。私はそれと比較すれば簡単に生還した。いずれにしても悪運が強いなどというものではない。父とP教授と同僚Xは生還しなかった。運が悪かったなどというものではない。運命などという言葉は、傍観者だけが吐ける言葉だ。運命も神もない。太陽や地球の地殻さえも私たちはどうすることもできない。ただ、太陽の光と地球上の自然と生物と人間があるだけだ。私はQ教授に「体が回復したら、全体破壊手段全廃予防機構(仮称)の遺伝子操作査察部門の長官をして下さい」と依頼した。あのとき確認したとおり「遺伝子の塩基配列以外のものを変えるなかれ」と。Q教授は泣いて笑って頷き、むせていた。あの看護師の一人が飛んで来て、上体を起こし背中を叩いていた。私は看護師に「よろしく」と伝えた。
  結局、あの女医と看護師たちは元人質、つまり、元政治犯の健康管理を担当する部署に入ることになった。これも巡り合わせと言えば巡り合わせだろう。私はさらに、あの女スパイTと売春婦Kを探した。簡単には見つからないだろう。父、P教授…などの犠牲者の調査と、T、K…などの消息不明の人々の捜索は、既に始まっていた。あの地下の大量虐殺跡の発掘調査も既に始まっていた。

復讐心や恨みを越えろ。被害者や加害者のためではなく、自分のために生きてくれ

  M将軍の身体が地上に出て、担架で運ばれていた。まだ、鎮静が効いている。もちろん生きている。看護師が点滴のボトルを掲げている。市民も来ているようで、罵声が飛ぶ。そのとき、刃物をもつ女性が割り込んできて、M将軍の腹部を刺した。N大佐が飛んで来て、M将軍を護る。部下らが女性を制止する。女性は「子供まで殺すことはないじゃない」と叫ぶ。市民からどよめきが上がる。女医と看護師が腹部を診る。「傷は浅い」と言う。M将軍は僅かに呻くだけで、鎮静から覚めることもない。人々が寄ってくる。私は刺された部分を見た。上着が僅かに血に染まるだけだ。私は「事故だ。大したことはない」と市民に言う。N大佐は女性を制止するだけでなく「傷はたいしたことはない。逃げろ」と言う。女性はN大佐を見る。女性は理解ができなかったようだ。私は女性に「復讐心や恨みを超えろ。子供やM将軍のためではなく、自分のために生きてくれ」と言っていた。女性は私を見た。しばらくして頷く。ビルの窓ガラスで反射した光で女性の頬の涙が輝く。N大佐は女性に刃物を返す。果物ナイフだ。しかも血が先端に僅かに付いているだけだ。根元にはリンゴの皮のかけらさえ残っていた。女性には返り血さえない。女性は、ポケットから鞘を出し、ナイフを入れ、ポケットにしまった。初老の男性が「俺は何も見てないぜ」と言う。市民も頷く。女性は去って行った。
  私はあのような言葉を反射的に言ってしまった。言葉の内容に間違いはないと思う。だが、被害者やその家族に対して、あんなことを言っていいのだろうか。「私も父やP教授や同僚Xを失った」と言ってみても無駄だろう。被害者やその家族が復讐心や恨みを越えるには、数年、数十年の年月がかかるだろう。私もそれだけかかるだろう。あの女性は受け入れてくれたが、あのような言葉は容易に吐くものではないと思った。それと、正直言って「組織の変革のため、今は検察・警察も裁判所も忙しい」という気持ちも少しあった。それは最初から最後まで言わないほうがいいだろう。
  それにしても、復讐心や恨みをあまりもたない自分ってなんなんだろうと思った。多分、それらの情動をもつために、せっかくここまできた民主的分立的制度の確立と全体破壊手段の全廃予防を、台無しにしてはならない、という気持ちがあったからだと思う。
  また、M将軍の独裁の根本的な原因は、独裁という政治制度を許した私たちにあると思った。私たちがもう二十年、早く民主的分立的制度を確立していれば、M将軍らの独裁と全体破壊手段の使用の危機はなかっただろう。「罪を憎んで人を憎まず」の表現法を借りれば、「政治制度を憎んで人を憎まず」である。結局、私たちが改革する必要があるのは、国家や国際社会や政治や経済や社会や権力そのものではなく、政治権力に係る政治制度だ、と痛感した。
  結局、A国に関する限りで、グループGは、M将軍を除くすべての旧政権の人々を赦免してしまった。今後、それに対する批判が犠牲者遺族から出てくるだろう。その批判に対してどう応えるか。ちょっと難しい課題を暫定政権と新政権に残してしまった。また、残されたM将軍をどう裁きどの刑罰を宣告するのか、それは検察、警察と裁判所の問題だが、難しい問題だと思う。だが、離反を促し無血革命を達成するためには、離反者に限って、旧政権中の罪を問わず、赦免する必要があった。結局、そのおかげで無血革命が達成されたのである。
  M将軍は病院に運ばれた。このときばかりはサイレンが鳴った。私と女医が救急車に同乗した。今の私には余裕があって、覚醒後のM将軍に対面しようと思った。私はM将軍とともに自己の悪循環に陥る傾向に直面するためにここまで来た。その気持ちが再び強くなった。それをせずに、M将軍を行かせない。私はA国を去れない、と思った。既に救急車の中で傷の処置が終了したようだ。女医は搬送先の病院に「事故です。ベッド柵が刺さりました」と説明し現場に戻った。血液検査も胸部・腹部の画像も異常はない。おまけに頭部の画像も異常はない、らしい。入院先の医療スタッフは部屋から去って行った。病室の外と病院の敷地では、N大佐の部下と旧警察が厳重に警護していた。私は病室でM将軍と二人だけになった。このとき、M将軍に鎮静剤の影響はほとんど残っていなかった。結局、あの女性の一刺しは覚醒を早める効果があっただけのようだ。

イメージとして想起される悪循環に陥る傾向を回避し取り繕う傾向への直面

  私はベッドに横たわるM将軍に、鎮静がかかっていた間の経過を説明した。M将軍は聞いていた。M将軍の顔は意外と端正だ。目は澄んでいた。深みさえ感じられた。もはやどんな抵抗や弁解をしても無駄だと思っているようだ。このようなことはM将軍にとっては極限の状況だったのだろう。私は、同僚Xの犠牲については説明した。だが、P教授や父の犠牲については何も言わなかった。だが、M将軍は、父と他の何人かの拉致・拷問と、P教授と他の何人かの暗殺を命令したのは自分だと話していた。私が女スパイTや売春婦Kの失踪についてほのめかすと、自分が弄んだことは確かだ。だが、その後のことを自分は知らない。部下が始末したのかもしれない。と言う。このときはさすがに怒りが込み上げてきた。だが、それらは検察・警察や裁判所で語ればよいことだ。今の私はそれらの管轄外だ。というより、管轄如何に係らず、私はそれらを尋ねるためにここまで来たのではない、と思い直した。
  やがて、M将軍は「私の母親は…」と例のR教授が分析したとおりの「(悪循環に)陥る傾向」の形成過程を自ら語り始めた。私は、それへの直面をM将軍とともにしようと思って、ここまで来た。M将軍はゆっくり語っている。やっぱりその直面には時間がかかる…と思い始めていた。そのとき、M将軍が驚くべきことを言った。

  陥る傾向の中で最も重大なのは、イメージとして想起される自己の陥る傾向を回避し取り繕う傾向である。簡単に言って、自分の汚さやくだらなさを見たくない考えたくない、取り繕いたい。自己の粘着性や自己顕示性や支配性や破壊性がイメージとして想起されると、不安や自己嫌悪などの強い苦痛が生じる。だから、それらのイメージを回避し取り繕ってきた。自分は権力闘争に優れている。自分は権力を握っている。権力をもたない者が何を言っても、自分には通じない。それらの自己のイメージを強化し拡張して、自己の陥る傾向のイメージを、覆って取り繕ってきた。だから、自己の粘着性…などに直面できなかった。陥る傾向の主因は、乳幼児期の状況や母親の愛情とケアの希薄…などにあるのではない。イメージとして想起される自己の陥る傾向を回避し取り繕う傾向は思春期以降に形成される。主因はそれである。つまり、主因は思春期以降の自我の働きにある。これからまず、イメージとして想起される陥る傾向を回避し取り繕う傾向に直面していく、と。

  M将軍は、それに直面しながら、また眠ってしまったようだ。なんていうやつだ。少なくともA国で独裁制を敷き、少なくともA国で多くの犠牲者を出した人間が、それらを回顧した後に、いとも簡単に「イメージとして想起される陥る傾向を回避し取り繕う傾向」に直面して、その後、眠ってしまうとは…。だが、M将軍にとっては、そのようなことを回顧せざるをえないとか、拘束されている…などというのは極限の状況だったのだろう。極限の状況で自己に直面する人間もいるのだろう。そのような自己への直面は、極限の状況にある人間の何人かがしてきたことだと思う。ただ、多くが言葉に残せないか、言葉足らずだったのだろう。それに対して、M将軍の言葉は明快だった。だが、誰もが陥る傾向をもっており、それに直面している。極限の状況がなくても、直面している。だが、誰もが明快な言葉で語れるわけではない。だから、M将軍の言葉を活かす必要がある。それを今後、私はやってみようと思った。結局、人間は同様のものに直面しているのだが、それを的確に分かりやすく表せるか、どのように活かすかだけの違いなのだと思った。つまり、的確で明快な表現と活用が重要だと思った。
  視点を変えてみる。二十世紀の最強の三人の独裁者がそれぞれ出した犠牲者と比較してみると、M将軍が出した犠牲者はそれらの千分の一以下である。だが、戦争にしても独裁にしても、何千万人が犠牲になったのは二千年より前の話である。二千年以降には、科学技術の進歩によって、兵器はますます選択的に人間や施設を破壊できるようになっている。また、前述の「資源を巡る局地戦争」における住民を積極的に退避させる戦略がある。また、私たちの潜伏や権力疎外がある。また、SMADがある。二千年以降はどんな形にせよ、大量の犠牲を予防できる。だから、二千年より前の犠牲者数と二千年以降の犠牲者数を単純に比較することはできない。M将軍の犠牲者数が少ないと言いうことはできない。だが、あのときN大佐と語り合ったとおり、そもそも犠牲者の数を、多いとか少ないとか言うことはできない。
  M将軍が再び目を醒ました。目に曇りはない。しばらくして「自分は終身刑になり、二度と釈放されることはないだろう。刑務所の中でじっくり自己の陥る傾向に直面し、その直面の過程を書いていく」と言う。私は「その手記は私が受け取って歴史に残す」と言っていた。M将軍は少し驚いた後「よろしく頼む」と言う。さらに私は「するとあんたは歴史上、最高の独裁者になるだろう」と言ってしまった。このときばかりはM将軍は、何を馬鹿なことを言うやつだ、といわんばかりに笑っていた。余計なことを言ってしまった。このときばかりは後悔した。発言内容に間違いはないだろうが、タイミングが悪すぎる。自己の内面に直面をしている人に外面的なことを言って気をそいではいけない。M将軍が笑い流してくれてよかった。

不変遺伝子手段の使用例

  そんなとき、同僚Zから連絡が入った。「A国のAP大統領と、M将軍を除く軍の幹部の一部と、諜報機関の幹部の一部は、シェルターに退避したのではない。恐らく、宇宙船で宇宙に退避した」と。なるほど、独裁的なものであれ何であれ、権力が一枚岩であるわけがないと思った。Zは、旧軍の司令部に入り、離反者とともに旧軍の機器を利用して、宇宙に逃走した者たちを探している。私はM将軍に事態を説明した。M将軍は「AP大統領と軍の幹部の一部は、自分の命令に従わなかった。彼らはシェルターに降下するのではなく、宇宙に退避する道を選んだのだと思う。私には彼らを追跡する余裕がなかった。後のことを自分は知らない。本当だ」と言う。私は、Zに、M将軍も彼らの退避先等を知らないことを伝えた。AP大統領はM将軍に利用されているだけの人間だと思っていたが、一概にそうも言えないようだ。彼らが宇宙から全体破壊手段で、地球上の人間を攻撃する可能性は、ゼロではない。私はすぐに旧軍の指令室に向かった。
  私は旧軍の指令室に入った。Zの顔は真剣だった。旧軍の技術者と、A1大学とA2大学の科学者が集まっていた。あのO元参謀も来てくれていた。まず、以下のことを突き止めなければならない。彼らがどこの基地からどのロケットまたは宇宙船で退避したのか、それらに全体破壊手段は搭載されているのか、どの種類のものが搭載されているのか、彼らは今、どこにいるのか、宇宙船か人工衛星か…などを突き止めなければならない。主として旧軍の技術者たちがそれらに躍起になっていた。O元参謀が主導してくれた。
  そんなとき、Tという女性が、宇宙空間から私と接触したがっている、ということが分かった。私は、さっそく生映像音声で接触することにした。スタッフの多くが、その映像に映らないように声が入らないようにして、見守った。そのTという女性が映し出された。あの女スパイTだった。Tは以下のように語る。
  あの後、Tは単独でM将軍を暗殺しようとした。Tはまず、A1大学からの配置転換を願い出た。すると、司令部での情報分析の仕事に回され、M将軍に近づくことができた。ある夜、Tは暗殺計画を実行した。だが、失敗し、拘束された。M将軍に拘束されたまま弄ばれた。その後、軍の幹部に処遇を委ねられた。軍の幹部は、AP大統領の護衛をするよう命じた。AP大統領を暗殺するためだったと思われる。TはAP大統領を利用して、M将軍らを倒そうとした。軍の幹部の何人かも、AP大統領側について、M将軍を倒そうとした。それとともに、彼らはAP大統領も倒そうとしていた。TはAP大統領を護ろうとした。
  例のミサイル発射後、M将軍はシェルターに退避しようとした。AP大統領とそれらの軍の幹部とXは、宇宙船で巨大人工衛星に退避することにした。退避後、軍の幹部がAP大統領と自分を殺害しようとすることは、明らかだった。そこで、AP大統領は、人工衛星内で不変遺伝子手段AVを使用した。
  O元参謀はTの言っていることは十分にありえる。嘘ではない、と言う。さらにAVについて即座に調べてくれた。AVはAP大統領に近い科学者が開発した。AVは、塩基配列以外のものを変化させた不変遺伝子手段である。第一に、突然変異を起こさず、自然淘汰されない。第二に、従来のウイルスより広く速やかに飛沫感染し、咳やくしゃみだけでなく、日常会話でも人間に感染する。第三に、従来の消毒法で死滅しない。第四に、免疫系によってブロックされない。第五に、感染すれば、哺乳類の大脳辺縁系の精神的情動を司る中枢を破壊する。まず、第五のために、粘着的傾向、自己顕示的傾向、支配的傾向、破壊的傾向、権力欲求だけでなく、すべての自我の概略と精神的情動が減退する。そのために、AVが地球上で解き放たれれば、人間の生存への欲求を含む情動と自我が減退し、少なくとも人間は絶滅する。
  Tは続ける。AP大統領は他の軍の幹部の支配性、破壊性と権力欲求を低下させ、人工衛星の支配権を得る目的でAVを使用した。その結果、人工衛星内のすべてのスタッフが感染した。支配性、破壊性と権力欲求が低下するだけでなく、すべての自我の概略と精神的情動が減退し、すべてのスタッフがまるでうつ病のようになっている。権力を巡って争うどころか、一日中、ほとんど何もせず、自分のカプセルに引きこもっている。そのような傾向の進行には個人差があり、AP大統領や軍の幹部はほとんど何もしない。自分は進行が遅いようで、これらを報告するだけの意欲はまだ残っているようだ。
  ZとO元参謀から目配せがあって、私は肝心なことをTに尋ねた。「まだ、AVは宇宙船や人工衛星内に残っているのか?」と。Tは「AP大統領が全部使ってしまった」と言う。「それは確認した」と言う。周りのスタッフからわずかばかりの安堵の声があがった。O元参謀が地上のAVの在庫を調べ、人工衛星に持ち込まれたAVがごく少量であることを確認してくれていた。Tの言うことに嘘はないと私たちは判断した。これで彼らがAVで地球を攻撃する可能性はない。だが、彼らからの感染の可能性は残る。Tは人工衛星内の窮状を語り続ける。
  私がTのそれらの話を聞いている間に、既に緊急会議が始まっていて、その内容が字幕で私に伝わっている。以下のように会議が進行している。
  「情動の中枢が破壊されたのでは『うつ病』よりももっとひどい状態になる。うつ病のような波もない。回復することもない。このまま生涯、すべての自我の傾向と精神的情動が減退したままである」「うつ病のように悲しみも感じられない。身体的苦痛は残るが、不安、恐怖、悲しみ、孤独…などの精神的苦痛はほとんどない」「うつ病では自殺がありえるが、それらでは自殺もない」「Tのように進行が遅く中途半端だと、自殺に走る可能性があるが、進行すると自殺する可能性もなくなる」「神経系の再生は不可能であり、治療法はない」「Tの進行が遅れていることは奇跡としか言いようがない。Tもいずれは…」「人工衛星に医療チームを送り込んで、彼らの身体管理をすることは可能である。だが、そのチームが感染する可能性は極めて高い」「人工衛星が帰還したり、そのスタッフが地球に生還したのでは、どんなに厳重に隔離しても、感染が広がる恐れがある」
  私はそれらを読みながら、Tと話をする。Tは「この人工衛星内にいるのはもはや人間ではありません。というより哺乳類より下等です。生きる意味はありません。自分もいずれは…そう思うと不安でしかたがありません。人工衛星を地球と逆方向に発進させて、宇宙の果てまで行ってしまうことは可能です。それが人工衛星の『自殺』方法です」と言う。私は「ちょっと待ってくれ。今、救出の方向で会議をしている。待ってくれ」と言って、通信を保留にした。
  既に私の周りに、スタッフが集まっている。私は「彼らは生きている。見捨てるわけにいかない」と言う。誰かが「精神的情動がない状態では生きていると言えない。脳死とも違うが…」と言う。また、誰かが「彼らが地球に生還すると、地球上で感染が広がる恐れが強い」と言う。また、誰かが「事故か何かで自然に地球に落下するのでは、AVが人工衛星もろとも燃え尽き、地球に影響はない」と言う。このまま放置するのが最善策だ、と言いたいようだ。Zが「このまま彼らを見捨てたのでは、一般市民が納得しない」と言う。私は「現にTには情動が残っている。治療法があるのかもしれない」と言う。Zが「ロボットを人工衛星に送り込んで、身体管理をさせることは可能だろう」と言う。O元参謀が頷く。旧軍の技術者たちとA1大学とA2大学の科学者たちも「それは可能だ」と言う。それで決まった。

支配性、破壊性、権力欲求を減退させるには、それらへ直面するしかない

  私はTとの通信を再開した。私が「ロボットを送り込んで、健康管理をする」と言う。Tは「でもこの人工衛星の中で、こんな人々を見ながら生きるのは耐えられない」と言う。そして、人工衛星を操作し始めた。
  技術者たちが悲鳴を挙げる。「Tが地球とは逆方向に人工衛星を発進させようとしている」と。つまり、Tは、人工衛星を宇宙のかなたへと葬り去り、乗員もろとも自殺しようとしている。私はZの顔を見た。Zは「阻止しろ。地上から完全に人工衛星をコントロールしろ。人工衛星の自己制御を無効にしろ。現状の軌道を維持させろ」と全員に命令する。しばらく、専門の技術者たちが機器操作に集中した。
  Tは通信画面に出て来ない。私は「治療法はあるかもしれない。諦めるな」と言い続ける。人工衛星から外部に向けての映像は映っている。ジェットエンジンと地球が見える。その背後に幾多の星が見える。ジェットエンジンが発火したり停止したりする。人工衛星の自己制御と地上からの制御が戦っているようだ。やがて、ジェットエンジンは完全に停止した。地球から人工衛星をコントロールできるようになったようだ。技術者たちが歓声を上げた。地球と星が静かに映っていた。青い海と渦巻き状の白い雲が映っていた。Tはどんな思いでそんな地球を見ているのだろうか。帰りたかっただろう。
  Tが画面に出て来た。「こうなったら地球の人々に協力するわ。私の体を調べてちょうだい。あ、違うか。ロボットに協力するわ。ロボットと仲良くするわ。かわいいロボットを送ってね。私たちの身体を調べて、全体破壊手段の悲惨さを伝えてね」と笑顔で言う。かつてと変わらない絶世の美人だった。
  私は、あのとき「治療法はあるかもしれない」と言ってしまった。本当にあのときはそう思った。だが、破壊された中枢神経系、それも破壊された情動の中枢が、再生するわけがない。既にあの時点の語りからして、Tの情動も浅薄になっていた。かわいい冗談と思っていたが、あの語りは冗談ではない、と気づいた。既に情動と自我の減退が始まっているのだ。このように、取り返しのつかないことがある。絶望でしかないものがある。どんな希望ももてないものがある。私たちはそれを受け止めなければならない。それらを受け止めた上で、全体破壊手段を全廃し予防する必要がある。だから、情動と自我が減退していくTたちを、記録に残さなければならない。だが、全体破壊手段から地球を救った薄幸の佳人として、美しい伝説にはならない。全体破壊手段から美しい伝説が生まれるわけがない。「かわいいロボットを送ってね」は冗談ではない。あまりにも虚しい。同僚Xもそうだった。チューブが抜けて失血死では、あまりにも虚しい。全体破壊手段や独裁からは、そのような虚しさしか残らないことを、伝える必要があると思った。
  これは、全体破壊手段のうちの、不変遺伝子手段のうちの一種の、使用例に過ぎない。他の不変遺伝子手段では、動物の生命を直接奪うこともある。生殖能力を破壊することもある。生殖細胞に組み込まれて後の世代を破壊することもある。だが、多くは、生殖細胞に組み込まれるまでもなく、一代で絶滅をもたらす。いずれにしても、従来の遺伝子と比較して、塩基配列以外のものが変化しているので、従来のウイルスなどより恐ろしい動きをする。
  もう一つ注意するべきことがある。AP大統領は、人工衛星という一つの世界の人間の支配性と破壊性と権力欲求を減退させようとして、AVを使用した。だが、それらだけを減退させることは不可能で、すべての自我の概略と精神的情動が減退してしまう。結局、それらの(悪循環に)陥る傾向を減退させるのは、薬物や遺伝子操作ではない。それらは乳幼児期から後天的に形成されてきたものである。それらを減退させるのは、私やR教授やM将軍がやってきたような「悪循環に陥る傾向への直面」、特にM将軍がやったような「イメージとして想起される陥る傾向を回避し取り繕う傾向への直面」である。それしかない。結局、支配性、破壊性、権力欲求は人間の誰もがもっており、私たちは、ともにそれらに直面していくしかない。だが、その直面は困難な道のりである。だから、個人としては陥る傾向に直面し、個人と社会としては民主的分立的制度を確立し維持する必要がある。そう痛感した。

国際機構または世界機構のあり方

  国家という枠組みが嫌になってきた。だが、「無政府主義者(Anarchist)」にはならない。過去に国家と国家権力の全体を否定し、新たに国家と国家権力を構築しようとした集団がいくつかあった。だが結局、独裁的で全体主義的なものを構築したに過ぎなかった。自由権、民主制、三権分立制、法の支配という伝統を尊重しながら、国家権力を自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立し、それらを拡充していく必要があると思う。私は今、新しい国際機構または世界機構の構築に参画しようとしている。国際機構として残されたものは、政治的経済的権力にとって比較的無害な、パンデミックに対応する保健機構、自然保全のための機構…などだけだった。最も重要な集団安全保障と軍縮に係る国際機構は名目だけのものとなり、実質的に崩壊していた。国際機構の無力さというリアリズムを残すだけで、活かせる伝統を残さなかった。これから私は、国際機構または世界機構という人間にとってほとんど未知の領域に足を踏み入れようとしている。どうすればいいのか。私の中でまた、P教授が出てきた。P教授と語り合ったものが活きてくると思う。国際機構または世界機構においても、自由権、民主制、三権分立制、法の支配を尊重しながら、自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立し、それらを拡充していく必要があると思う。
  私は軍の施設で、シャワーを浴びて、着替えをして、空港に向かった。五台のコンボイになった。暫定政権とはいえ、社会権を保障する人の支配系の行政権の長官であるYが、空港まで見送ってくれた。地味なYが輝いて見えた。暫定政権という短期間に、社会権の保障において、結果を出さなければならない。経済、医療福祉、教育、科学技術…などを立て直さなければならない。今まで社会権を保障する人の支配系における政策をYは、大学でも地下でも地味で地道に練って来た。それが報われる。既に結果に出しているが、もっと出すだろう。自由は確保され、平和がやって来た。Yの時代だ。そんなことは言わなくても、Yは分かっている。

人間が生じる苦痛をできる限り減退させつつ、自由を確保し、地球や太陽の激変のときまで、人間または進化した人間を含む生物が生存すること

  私は、全体破壊手段全廃予防機構(仮称)のあるD1市へ向かう旅客機に乗った。二千〇〇年、空の過密も頂点に達し、旅客機の飛ぶ高度も二千年前後の数倍に達していた。揺れはほとんどない。機体の傾きが平衡感覚で分かり、加速度が平衡感覚と体性感覚で分かる。だが、窓から外を見ると、水平線が傾いているのか、機体と私の身体が傾いているのか、分からなかった。それ以外は、何事もなかったかのような夜の海だった。西の空がわずかに明るく澄んでいた。たまらなく美しかった。だが、その分、私の中に大きな空洞ができた。その空洞は、父やP教授や同僚Xや女スパイTが今まで占めていた空間だった。彼らの死後も、彼なら彼女ならどう言っただろうか、どうしただろうか、と私は考えていた。簡単に言って、心の中で彼ら彼女らと語り合っていた。それらが今、途切れて空洞になっている。虚しい。Xが死にTが人間でなくなったのは、ついさきほどのことだが、私は彼女らと一緒にいないときも、心の中で語り合っていた。それが今になって分かった。色々考えたが、結局、彼女らの存在はそれだった。父やP教授についても、今になって分かった。愛や恋や友情とは、その人が居ないときも、心の中で語り合うことだ。わずかにでも残る西日が消えて、窓の外は暗闇となり、窓ガラスに私の顔が映っていた。父やP教授や同僚Xや女スパイTが戻ってきた。A国の同僚YもZも、B国の同僚Vも、悠々自適の元革命家Uも、Q教授も、R教授も、売春婦Kも、その息子も、私の妻子も、母も妹も、妹の夫も、O参謀もN大佐もM将軍も、スラム街のJもWも、あの老女医も、あの息子も母親も…これからもそれらの人々と語り合いながら、私は仕事をするだろう。人間や動物が死んで、生まれて、死んで、生まれ…ることは、動物が生と記憶喪失と死を繰り返して生きることに等しい。だから、いずれ死ぬことに不安はあまりない。だが、他人が死ねば、他人と別れることになる。私が死ねば他人やすべてと別れることになる。いずれ死ぬのは仕方がないが別れはつらい。記憶喪失はつらい。だが、わたしたちが甘受する必要があるのは記憶喪失だけである。だが、かえすがえすも記憶喪失はつらい。喪失しないように書き留めておこう。「いずれ死ぬのは仕方がないが別れはつらい」と。
  それにしても私があのような悪夢を見たのは意外だった。私が最も恐れることが、人間が生存したために、人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛がさらに続くことだった、とは意外だった。夢は、感覚と異なり、外的状況を直接的に反映しない。直接的には、自己または自己の内的状況を反映する。夢に出てくる外的状況は、自己の外的状況の認識を反映する。民主的分立的制度を確立し拡充し、全体破壊手段を全廃予防し、人間を含む生物が地球または太陽の激変のときまで生存し、自由を確保することが、私たちの第一の目的だった、第二の目的は、人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛を可能な限り減退させることだった。その第二の目的の実現に私は疑問を抱いていたのだろうか。その第二の目的に今後は最大限に集中する必要がある。結局、あの少女のような顔をした白髪の老婆Iは、それを私に警告する私だった。今後も私が第二の目的をおざなりにしたときは、Iが夢に出てくるだろう。苦痛に対して、快楽はそれぞれの個人が完全な自由において追求すればよいことである。だが、その自由を確保するためにも権力を抑制し相互抑制させる必要がある。全体破壊手段が使用されて人間が絶滅するとしても、そこには多大な苦痛がある。放射線によって発癌や不妊が生じ、不変遺伝子によって伝染病や難病が蔓延する。それらの苦痛とそれらへの恐怖と不安は絶大である。だから、第一の目的と第二の目的は分離することができない。その切り離すことができない二つの目的をできる限り短い言葉で呼ぶなら、「人間が生じる苦痛をできる限り減退させつつ、自由を確保し、地球や太陽の激変のときまで、人間または進化した人間を含む生物が生存すること」と呼べるだろう。それは生と記憶喪失を繰り返して実現可能な究極の欲求であり目的だと思う。しかも傲慢さのない、ささやかな目的である。そう思えば、I、つまり私はもう夢に出てこないのではないだろうか。
  宗教は私の思春期以降の短い時間の間でも、波を繰り返しつつ衰退していった。例の小惑星の事故の前後にも波があった。いつの時代も、宗教が衰退しつつあるときは、何が人間の価値や善悪や道徳や倫理を生成するのか、という懸念があった。もしかすると、私の中にもその懸念があったのかもしれない。Iはその懸念の克服を求める私だったのかもしれない。今、言える。宗教がなくても「人間が生じる苦痛をできる限り減退させつつ、自由を確保し、地球や太陽の激変のときまで、人間または進化した人間を含む生物を生存させる」という欲求や目的は生成する。いや、宗教がないからこそこれだけの欲求や目的が生成する。これを権利とするなら「全般的生存権(Right to exist in general)」と呼べるだろう。例の少女の手記と地下の手記によって、宗教の存在価値はなくなっている。ここで、ニーチェの「神は死んだ(Gott ist gestorben)」の表現法を使って、それらを表してみる。「私ではなく、Iは死んだ(Not that I am dead but that I is dead)」と。前述の懸念を克服したとき、Iは私の自己の一部ではなくなった。もう、Iは夢に出てこないだろう。さらばIよ。よく私を鍛えてくれた。
  私は拷問の苦痛を体験した。だが、私の苦痛はわずかの間で、父やQ教授は長時間の執拗な拷問の苦痛を体験し、父は生還しなかった。歴史の中では、戦争や強制収容や人為的な飢餓によって多くの人々が、長時間の執拗な苦痛を体験してきた。そのような苦痛の中で、人間は、人間を含む生物が絶滅した方がよいと思うかもしれない。だが、あの少女の手記にあったように、人間を含む記憶をもつ動物が生きて死んで生まれる…ことは、生と記憶喪失と死と生…を繰り返して生きることに等しい。ガラスの反射を手で遮ってよく覗いてみると、星が見えた。私があれらの星を見つめているように、あれらの恒星のいくつかの衛星で、地球上の視覚をもつ動物と同様のものが、既に沈んだように見える太陽を見ている。地球上の人間や動物が絶滅したとしても、限りない時間と空間をもつ宇宙の中では、地球上の生物と同様のものが発生し、人間や動物と同様のものが進化する。限りない時間と空間の中で人間や動物と同様のものが生と記憶喪失と死と生…を繰り返して永遠に生きる。だから、自己がやがて死ぬことへの不安はあまりない。だが、あの地下の手記にあったように、苦痛はどこまでも延々と反復する。惑星を超えて苦痛を減らす努力をすることはできない。言い方を替えれば、惑星の中ではその努力をすることができる。私たちはこの地球において、人間または進化した人間に太陽や地球の激変のときまで生存してもらい、しかも人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛を減退させる可能性をもつ。しかも、執拗で大規模な苦痛を生じるものはむき出しの権力なのであって、私たちは民主的分立的制度を拡充して権力を抑制し相互抑制させ、人間が生じる執拗で大規模な苦痛を減退させる可能性をもつ。
  全体破壊手段は、全廃されしばらくは予防されるだろう。だが、やがて開発、保持しようとする国家権力や私的権力が、出てくるだろう。民主的分立的制度は、拡充されしばらくは維持されるだろう。だが、独裁制へと暴走しようとする公私の権力はどこにでもある。ひとまず自由は確保されたが、侵害し制限しようとする公私の権力はどこにでもある。だから、私たちは気を緩めてはならない。徹頭徹尾、民主的分立的制度を維持し、全体破壊手段を予防しなければならない。だが、ひとまず一歩を踏み出したことは確かだ。今まで人間は、全体破壊手段の全廃や民主的分立的制度の確立を諦めていた。諦めなくなっただけでも一歩じゃないか。ゼロ歩と一歩は全然違う。人間も捨てたもんじゃない。ときにはお祭り騒ぎをしよう。ときにはぐっすり眠ろう。
  ようやく眠くなってきた。明日は全体破壊手段全廃予防機構(仮称)の重要な委員会がある。私の帰還が予想以上に早かったので、急遽、明日になった。確かに委員会と総会の開催を急いだほうがよい。途中でA国に帰らざるをえず、いくつかの不安と葛藤があった。だが、それまでにしていた世界機構の準備を、私は忘れてはいない。ただ、明日こそは寝すぎて遅刻しないようにしないといけない。と思うと、しばらくは眠れなかった。まあ、いくらなんでも客室乗務員が起こしてくれるだろう。このまま宇宙の果てまでということはないだろう。ホテルに寄ると眠ってしまうから、空港から会議場まで直行すればいい。眠れなければ、起きていればいい。そういうときは、予期していなかったものが見つかるものだ。



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