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[これらの著作の著作権と著者について]
小説『二千年代の乗り越え方』
生存と自由
生存と自由の詳細
それぞれの国家権力を自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立すること
感覚とイメージの想起
自我とそれらの傾向
悪循環に陥る傾向への直面
これらの著作はOUR-EXISTENCE.NETのスタッフと、法学、歴史学、経済学、生物学、心理学…などの専門家と世界の市民が、様々なことを1999年から2022年まで、語り合う中でできあがりました。それらの専門家の発言はその語り合いの参考になったことは確かですが、語り合いの大きな流れは世界の市民が作りました。これらの著作の直接の筆者はその語り合いを文書化し諸言語に翻訳しただけです。ですが、その語り合いに参加したすべての人々がその中で生まれる著作の著作権がそれらの筆者に属することに同意しています。それらの筆者は当初からOUR-EXISTENCE.NETのスタッフであり、後にNGO OUR-EXISTENCE.NET(NPO法人わたしたちの生存ネット)の会員にもなりました。それらの筆者はNGO OUR-EXISTENCE.NET(NPO法人わたしたちの生存ネット)の「著作権代行者」がこれらの著作の著作権を代行することに同意しています。それらのことから、これらの著作の著者を「NGO OUR-EXISTENCE.NET(NPO法人わたしたちの生存ネット)『編著』」としました。
[著作権代行者の代表の連絡先]
前述の著作権代行者の代表の連絡先は以下のとおりです。
copyright@our-existence.net
NGO OUR-EXISTENCE.NET(NPO法人わたしたちの生存ネット)著作権代行者
[これらの著作の題名について]
前述の語り合いの1999年当初のテーマは「二千年代の乗り越え方」でした。語り合いが進む中で、テーマは実質的に「地球や太陽の激変のときまで人間または進化した人間を含む生物が生存する方法」となりました。つまり、生存を確保する時間は「二千年代」ではなく「地球や太陽の激変のときまで」となりました。ですが、できるだけ身近に感じていただくために、これらの著作の一部の題名を「二千年代の乗り越え方」としました。また、語り合いが進む中で、それらの目的の達成のためには自由を確保することが極めて重要だということが分かってきて、語り合いの実質的なテーマは「人間を含む生物の生存と人間の自由を両立させる方法」となりました。ですからこれらの著作の一部の題名を「生存と自由」としました。その他の著作については、より具体的な題名をつけました。
[これらの著作の難解さと改訂と引用について]
前述の語り合いに参加した人々のうち専門家たちが論じて展開することはそれぞれに中等度に難解でした。直接の筆者はそれらをできるだけ分かりやすくしたつもりです。ですが、依然、軽度に難解だと思います。今後もできるだけ分かりやすくするように切磋琢磨していきます。ですから、これらの著作は頻繁に改訂される可能性があります。ですから、この著作の部分を引用される場合は、必ず紙の書籍を購入し、それぞれの著作の版番号(第何版か)がある場合はそれも付記してください。購入できる紙の書籍はすべてその時点での最新版です。改訂に伴いページ番号、行番号は変動しますので、それらの付記は不要です。インターネットネット上では最新版のすべてと旧版のいくつかが、無料で自由に読めます。それぞれの著作のトップページに最も近いものが最新版です。繰り返しますが、引用される場合は必ず上記のように紙の書籍を購入してください。それとともに、インターネット上で引用される場合はリンクしてください。
小説『二千年代の乗り越え方』略称"2000s"改訂版(最新版)
NPО法人 わたしたちの生存ネット 編著
[この小説のインターネット上での及び紙の書籍としての公開年月日]
初版:2022年1月1日
改訂版(最新版):2023年3月1日
[この小説中のアルファベットが25YY年の初夏において意味するもの]
A国:超大国
A1大学:A国の大学
AP大統領:A国の大統領
AQ:AT街の大衆酒場
AT街:A国の首都の庶民の街
B国:超大国
B1大学:B国の大学
B2芸術大学:B国の芸術大学
BP大統領:B国の大統領
BQ:BT街の大衆酒場
BT街:B国の首都の庶民の街
C国:超大国
D国:A国とB国の間に位置する小国
E国:大国
EC市:E国の大都市
F:放射能が残留しているとしてA国政府が立ち入り禁止にしているA国辺境の森林
G:A国の反政府グループ
H:B国の反政府グループ
I:私のニックネーム、私はA1大学の歴史学の教授、思想史と科学技術史が専門、反政府グループGのリーダー、四十近くの男性
J:B国B2芸術大学の画学生
K:AT街の独居老人
L系:自由権を擁護する法の支配系
M将軍:A国の軍所属、六十代の男性
N大佐:A国の軍所属、五十代の男性
О参謀:A国の軍所属、五十代の男性
P教授:A国A1大学所属、憲法と政治制度の比較研究、六十近くの男性
Q:私の前妻
QC:Qにカウンセリングをしようとする心理カウンセラー、四十近くの女性
R:Uが研究所で飼うウサギ
S系:社会権を保障する人の支配系
T:A国の経済学者、エリート官僚、私の中学と大学の同級生、四十近くの男性
U:A国の医師、遺伝子治療の専門家、エリート官僚、三十半ばの女性
V:B国B1大学の法学部教授、B国の反政府グループHのリーダー、私のB1大学留学時代の同僚、四十近くの男性
W:C国の元革命家、七十代の女性
X:A国の反政府グループGの同僚、情報技術者、三十を過ぎたばかりの女性
20XX年:地上の人間が絶滅した二十一世紀後半のある年
Y社:食品製造会社、庶民の街ATの中小企業
Y社長:Y社の社長、食品開発者
20YY年:二十六世紀後半のある年、現在の年
Z:A国の反政府グループGの同僚、戦略家、四十を過ぎたばかりの男性
(注1)上記のアルファベットに、A→America, B→Britain, C→China などの当てこすりは全くありません。そもそも、地上の人類は20XX年に絶滅し、地下のシェルターに潜った人間が地上に戻って、数十世代で超大国を含めて世界の国家を新たに形成しています。
(注2)特にアルファベッドで指されていないもののうち「少女」と「父親」は20XX年の後に死亡するまでにある手記を二人で書き残した娘と父を指します。
自己がやがて死ぬことへの不安を超える決定的方法
25YY年、つまり二十六世紀後半のある年の初夏、木立の中の道のようなものを私は踏みしめた。木漏れ日が差してときに私の顔にも当たるのが分かる。ときに目に当たって眩しい。しばらく歩くと見えてきた。木々が開けて、太陽の光をいっぱいに受ける草むらがある。その向こうに民家だった思われるものがあり崩れかけている。屋根が落ちて来ないように私はそっと、その中に入った。屋根や壁の隙間から太陽の光が差し光の柱を作っている。
私は超大国AのA1大学の歴史学の教授で、思想史と科学技術史を専門とする。20XX年、つまり二十一世紀後半のある年に権力者たちが第三次世界大戦を起こし「全体破壊手段」を使用した。権力者たちはシェルターに退避し、地上に残された人間を含む動物のいくつかの種は全体破壊手段の使用から十数年以内に絶滅した。この辺りの人間を含む動物は全体破壊手段のうちの核兵器によって数年、十数年のうちに死ぬ運命にあった。この辺りはA国の辺境にあり、A国の政府は、放射能が残留しているとして、ここを含む広大な森を「放射能残留立ち入り禁止区域F」としていた。この辺りに残る文献が現政権の独裁への反対運動をあおることを恐れたのだろう。私は、放射線を測定して放射能が残留していないことを確かめながら、秘密裏にこの辺りの遺跡と文献を掘り出していた。
棚だったと思われるものの中段あたりに、ある少女とその父親の二人による一冊の手記がある。手書きで分厚い。色あせているが十分に読める。言語は現代語とあまり変わっておらず、すぐに理解できる。少女と父親は、その手記を書いた時点で数年のうちに死ぬ運命にあることを自覚していた。少女が先に亡くなることも二人は自覚していた。私はその手記が劣化しないように陽よけ雨よけ風よけを置くことにしている。それを除いて手袋をして手記を開き、自分のポケット・コンピューターを取り出す。そのような文献を、文献そのものや周りの状況を変えないように発掘し、発掘現場で撮ってコンピューターに保存することがここ数年の私の仕事の多くを占めていた。手書きの原稿については撮るだけでなく現場でタイプして保存していた。少女が以下を書いたのはその内容と父親の手記から思春期の終わり頃(15~17歳頃)だったと推測される。少女の書いた部分の中に以下がある。
…動物は生きて、死んで、生まれて…と繰り返す。その生と死の繰り返しは、記憶をもつ動物のそれぞれが、記憶と個性の喪失を繰り返しつつ、永遠に生きること同じである。記憶をもたない動物については、その生と死の繰り返しは、個性の喪失の繰り返しだけで、永遠に生きることと同じである。つまり、わたしたちのそれぞれは、記憶と個性の喪失または個性の喪失を繰り返しつつ、入れ替わりながら永遠に生きる。地球上の生物が絶滅したとしても、無限の空間と時間をもつ宇宙では、地球上の記憶をもつまたはもたない動物と同様のものが、無限に発生し進化し、記憶と個性の喪失または個性の喪失を繰り返しつつ、入れ替わりながら永遠に生きる。それを知れば、自己がやがて死ぬことへの不安はなくなる。ところが私たちはそれをなかなか信じることができない。それは何故か。以下のような入れ替わり不能の錯覚があるからである。つまり、「わたしに現れるものはあなたに現れない。あたなに現れるものはわたしに現れない。わたしに現在に現れているものが存在することを私は確かめることができる。あなたに現在に現れているものが存在することを私は確かめることができない。わたしたちのそれぞれにそのとき現在に現れているものの間には超えることのできない壁がある。わたしたちのそれぞれは、わたしたちのそれぞれにそのとき現在に現れているものの中に完全に幽閉されている。そのようにわたしたちのそれぞれは完全に孤立している。だから、わたしたちは互いに入れ替わることができない」という入れ替わり不能の錯覚があるからである。その錯覚はわたしに現在に現れているもの、わたしたちのそれぞれにそのとき現在に現れているもの…などの「心的現象として現れるものとものそのものの間には超えることができない障壁がある」という錯覚から生じている。だが、現れるもの、つまり心的現象はすべて、神経系と神経系の機能から生じると前提される。神経系・神経機能は身体・身体に含まれ身体・身体機能は物質・物質機能に含まれる。力、エネルギー、波動…などは物質機能に含まれる。物質・物質機能とものそのものは同じである。ものそのものと空間と時間と心的現象として現れるもの以外には何ものも存在しない。だから、現れるものと、神経系・神経機能の間には何ものも介在しない。だから、「心的現象として現れるものとものそのものの間には超えることができない障壁がある」というのは、錯覚に過ぎないことが分かり、払拭される。だから、「わたしたちは互いに入れ替わることができない」というのは、錯覚に過ぎないことが分かり、払拭される。わたしたちのそれぞれの間には入れ替わりを妨げる何ものも存在しない。だから、わたしたちのそれぞれは、記憶と個性の喪失または個性の喪失を繰り返しつつ、入れ替わりながら永遠に生きる。それを「限りない生と死の繰り返し」とも呼べる。わたしたちは互いに「生まれかわる」とか「入れ替わる」とか「~になる」と言ってもよい。それらのことを知るとき自己がやがて死ぬことへの不安は消退する。それらのことを知ることが自己がやがて死ぬことへの不安を超える決定的方法である。
と少女はつづる。少し補足する。20XX年以降も科学、特に生物学、特に神経学は進歩している。現れるもの、つまり心的現象は神経細胞群の興奮伝達から直接的に生じ、現れるものと身体・身体機能の間には何ものも介在しないことは確かめられている。
さて当時、年少者から先に亡くなっていった。少女は全体破壊手段のうちの核兵器が放出した放射線による白血病で亡くなった。上の少女の手記は残された人々の救いになった。20XX年に地上の人類が絶滅し、その十数年後に地下のシェルターに潜った者たちが地上に戻って現代の世界を作り始めた。そのとき少女の原稿のコピーがなんらかの方法で発掘され、少女が書いた部分は筆者を変えられ少し脚色されて広がった。筆者は二十代の女性で白血病で亡くなったと変えられていた。その白血病は全体破壊手段とは無関係に発症したと変えられていた。少女の死因が全体破壊手段使用による白血病だということは権力者にとって都合が悪かったのだろう。いずれにしても内容は変わらず、その内容が現在に至るまで宗教の替わりになっている。その内容が現代人の自己がやがて死ぬことへの不安を減じている。結局、宗教は自己がやがて死ぬことへの不安を減じるためにあった。だが、宗教はその不安を減じる決定的方法を提示できなかった。だから、宗教は衰退した。少女は、名前と年齢と本当の死因を変えられたが、宗教が衰退した現代において自己がやがて死ぬことへの不安を超える決定的方法を現象学と心理学を含めて科学的に提示した。
それに対して、以下の父親が書いた部分は完全に隠蔽されていた。父親が書いた部分はすべて、権力者にとって都合が悪かったのだろう。今後、公開されると、宗教に限らず価値観や倫理や道徳の衰退した現代において、それらを超える欲求や目的になるだろう。
結局、私が発掘したものは脚色されたり隠蔽されていない少女とその父親の二人による一つの手記の手書きの原稿だった。筆跡も年齢相応で明らかに違っていた。手書きの原稿だったからこそ五百年近くの後にも残った。内外の記憶装置に保存されたり、インクやトナーのプリンターで印刷されていれば残らなかっただろう。手書きの原稿には千年を超える耐久性がある。また、伝統的な印刷術による紙の書籍にも千年を超える耐久性がある。この辺りには図書館の跡もあり、伝統的な印刷術で印刷された紙の書籍は解読可能で残されていた。私はそれらも発掘していた。それらの書籍のうち重要と思われるものはリュックサックに隠してA1大学に持ち帰り、信頼できる研究者と共有していた。だが、何より重要と思ったのはこの少女とその父親の手記で、慎重に発掘保存作業を進めていた。
宗教の限界
その本性からしてそれぞれの宗教は神、摂理…などの現実の世界を超えたものを定立し固守する。宗教の中では、個人の生き方や社会のあり方を含む現実的なものも、そのような現実の世界を超えたものに基づく。現実的なものを超えたものもそれに基づくものも恣意的にならざるをえず、それぞれの宗教に特有のものにならざるをえない。だから、宗教は世界の個人の生き方や社会のあり方を含む普遍的なものを提示することができない。人間を含む生物の生存と人間の自由を両立する方法も提示することができない。もし、いくつかの宗教が世界の個人に共通の生き方や社会のあり方を提示し布教しようとすれば、それらもそれぞれの宗教に特有のものでしかないのだから、宗教と宗教の間、社会と社会の間、市民と市民の間、宗教と社会と市民の間で不必要な争いが生じ、人間を含む生物の生存さえも危うい。実際、宗教は、第三次世界大戦と全体破壊手段の使用を止めるどころか、それらを煽ってしまった。一神教、多神教、アニミズム、汎神論の順にそれらの争いを生じる傾向は少なかったが、大差はなかった。
だから、世界中の個人と社会に共通のものは宗教なしで提示される必要がある。人間を含む生物の生存と人間の自由を両立させる方法もそうである。それは鉄則である。この鉄則は私たちの今後のすべての精神的身体的行動を通じて遵守される。
だが、わたしたち人間のそれぞれは自己がやがて死ぬことへの不安をもつ。その不安から自己を永遠の存在にしようとする欲求、つまり「自己永遠化欲求」が生じる。そこでかつては、わたしたちの多くはときに宗教の中で現実の世界を超越した永遠と見えるものに、一体化する、接触する…などなんらかの形で関係をもとうとしてきた。そうすることによって、その欲求を満たし、その不安を減退させようとしてきた。だが、それは不可能だったし今後も不可能である。また、宗教は前述のような争いを生じる。自己がやがて死ぬことへの不安を克服する方法と自己永遠化欲求を満たすまたは超越する方法も宗教なしで提示できる。前者をあの少女はやってのけた。そして、その父親が後者をやってのけようとする。
人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛をできる限り全般的に減退させるという欲求・目的
その少女の死後、その少女の執筆部分に続いてその父親が以下のようにつづる。最も重要と思われる部分を抜粋する。
…娘が若くしてあのような境地に至ってしまったことが悲しい、悔しい。確かに娘の言うことに間違いはない。私の救いにもなっている。やがて死ぬことへの不安はもうない。人間を含む動物は苦痛を減退させようとする。自己がやがて死ぬことへの不安は人間がもつ最大の苦痛である。娘はその苦痛を減退させてくれた。
他の苦痛のいくつかは人間を含む動物の遺伝子と個体と種が生存し進化するために必要である。例えば、皮膚の痛みは外傷が深部の重要な臓器に至り致命的となることを防ぎ、遺伝子と個人や個体の生存をより確実にする。また、不安、恐怖…などの精神的苦痛は危険を事前に察知させ回避させ、遺伝子と個人や個体の生存をより確実にする。また、性的欲動の不満は遺伝子と種の生存をより確実にする。また、生存競争は苦痛を伴うが、それは人間を含む動物の遺伝子、個体、種が進化し生存するために必要である。
それに対して、人間は遺伝子や個人や種の生存や進化のためにも、また人間の自由のためにも必要のない苦痛を生じる。特に戦争を起こし、核兵器、不変遺伝子手段…などの全体破壊手段を使用する。実際、使用した。この辺りでは核兵器が放出した放射線によって男も女ももはや子供を作れない体になっている。妊娠していた女性たちも流産してしまった。乳幼児から先に死んでいく。もちろん、子供の喪失だけではない。放射線を浴びた皮膚のただれは回復しない。痛みが持続する。鎮痛剤は少ししか効かない。というより鎮痛剤はほとんど残っていない。残り少ないものを近所で別け合う。いずれは私も発ガンする。娘の死因は白血病だった。全体破壊手段の中でも不変遺伝子手段が使用された地域では免疫機能が低下し感染症によって苦しんで亡くなっていくらしい。全体破壊手段によって人間を含む動物は絶滅する。だが、すぐに死ぬわけではなく、数年から十数年、苦しんで死ぬ。そのような苦痛の中では、せめて人間が生じる「不必要で」執拗で大規模な苦痛を減退させたい。そのような欲求と目的が生じてくる。
だが、そんな苦痛を消滅させるために、現実の世界から超越したいとも思ってしまう。だが、そんな現実の世界を超越した世界は存在しない。何より、このような苦痛の中では、もう死にたい。現実の世界も現実を超越した世界も何も要らない。無になりたいとも思ってしまう。だが、娘の言う限りない生と死の繰り返しがあるだけであり、現実世界を超越することも、無になることも、不可能である。そのような限りない繰り返しがあるからこそ、苦痛が永遠に続く。娘も残酷なことを言ったものだ。皮肉とも言える。限りない生と死の繰り返しは人間を含む動物の宿命である。とすれば、人間が生じる不必要で大規模な苦痛を「できる限り全般的に」減退させて、地球や太陽の激変のときまで人間または進化した人間を含む生物の生存を確保したい。そんな欲求と目的が生じてくる。
人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛をこの地球においてできる限り全般的に減退させることができたとして、生と死の繰り返しの中で生まれかわるとすれば、人間は何を望むだろうか。多くの人間が地球で人間に生まれかわりたいと思うだろう。その願望は一概に不自然なものではない。人間は自己のイメージをもち、自分たちが記憶、知覚、連想、感情、欲求、自我、思考をもっていることを知っている。それらをもつことの喜びはもったことがあるものにしか分からない。だから、その願望は一概に不自然なものではない。
また、その願望は一概に傲慢ではない。人間が生存するためには、人間は「環境」を保全し「資源」を保全しつつ有効利用しなければならない。そのような環境と資源は多様な動物、植物、微生物を含む。そのように人間の生存は多様な動物、植物、微生物の生存を伴う。また、生物は進化する。人間も進化する。人間が進化することに抵抗する人間はあまりいないだろう。もちろん、人間は他の動物にも生まれ変わる。だが、人間または進化した人間を含む生物が長く生存するほど、人間が人間として生まれる回数は増える。だから、人間を含む生物の生存を確保するという目的と欲求が生じてくる。
現実の世界を超越したり無になって現実の世界を回避してしまうのでは権力者の思うつぼである。そのような苦痛を生じたのは、世界大戦を起こし、核兵器、不変遺伝子手段…などの全体破壊手段を開発し使用した政治的経済的権力者たちである。私たちが世界大戦を起こしたり全体破壊手段を開発したり使用したわけではない。私たちがそんな権力者を批判せずに現実の世界から回避してしまえば権力者の思うつぼだろう。
自己がやがて死ぬことへの不安が強烈なとき、自己を永遠の存在にしようという欲求が強烈になる。そのような欲求を「自己永遠化欲求」と呼べる。一部の人間は権力を獲得して人を支配して何かをすることによって永遠に栄誉を残して自己永遠化欲求を満たそうとする。その一部の人間が権力闘争を勝ち抜き権力を獲得し独裁、弾圧、戦争…などへと走る。現代では世界大戦と全体破壊手段の開発、使用へと走る。ここで私たちは娘が提示した自己がやがて死ぬことへの不安を超える決定的方法に立ち返る必要がある。すると、自己は既に永遠の存在であって、わざわざ自己を永遠の存在にする必要も、わざわざ自己を永遠と思われるものに一体化させる必要も全くないことをわたしたちのそれぞれは知る。例えば、栄誉を得て残したり歴史に残るようなことをしたり、宗教や神を信じて善い行いをしたりする必要はないことをわたしたちのそれぞれは知る。すると権力者たちが余計なことをすることもなくなるのではないだろうか。そう願いたい。
人間は不必要で執拗で大規模な苦痛を生じるが、それを直接的に生じるのは権力であって、権力がなければそのような苦痛は生じない。だからと言って、権力や権力者を倒すというのでは全くない。自然を保全し適正な人口を維持し私たちの最低限度の生活を維持するためには、いくつかの権力は必要である。私たちは、権力のすべてを破壊するのではなく、必要な権力を民主化し分立する必要がある。権力を民主化し分立し、全体破壊手段を全廃予防し、人間が生じる不必要で大規模な苦痛をできる限り全般的に減退させて、地球や太陽の激変のときまで人間または進化した人間を含む生物の生存を確保したい。そんな欲求と目的が生じるてくる。そのような欲求を満たし目的を達成することは全く不可能なわけではない。だから、そのような欲求と目的を「世代を超えて実現可能な究極の欲求・目的」と呼べるだろう。
だが、私たちに残された時間はわずかである。私にできることはそれらの思いを紙に書き留め木や石に刻むことだけである…
以上が父親が書いた部分からの抜粋である。実際、その辺りで紙の原稿だけでなくそれらが刻まれている石版がいくつか見つかった。また、筆者は異なるが同様の手記や文集がいくつか見つかった。あの少女やその父親たちの思想は20XX年以前にあった「輪廻転生」や「因果応報」の焼き直しだ、と言う人がいるかもしれない。だが、少女と父親たちは現実の世界を回避しようとしていない。別の世界に超越しようとしていない。もはや神や天国や地獄や来世…などの現実の世界を超越したものは誰も信じることができない。少女はあくまでも現実の世界で現象学と心理学を含めて科学的に生と死の繰り返しを説明している。だから、宗教をもたない現代人にも自己がやがて死ぬことへの不安を減じる説得力がある。さらに、父親は現実の世界を変えようとしている。
前述のとおり、宗教は世界の個人や社会に共通の生き方やあり方を提示できず、人間を含む生物の生存を保障する方法も生存と自由を両立する方法も提示できない。父親は宗教なしに現実の中で人間が生じる執拗で持続的反復的な苦痛を減退させることを目指している。それは人間がもちえる究極の目的であり欲求だと思う。というより、やはりこれしかないと思う。確かに父親が言う通り「世代を超えて実現可能な究極の欲求・目的」だと思う。個人の中では「地球や太陽の激変のときまで人間または進化した人間を含む生物の生存を確保」するというような欲求や目的は生じないように見える。だが、あの少女が言うように記憶をもつ動物は永遠に生きる。だから、現在の地球の現実のままでは永遠に苦しむ。それは耐えられない。だから、現在の地球の現実を変えようとする。これはやはり個人のレベルでも生じえる欲求や目的だろう。従来の宗教や価値観や欲求や目的を超えながらも、個人の情動と自我の傾向に密着した「エゴイズム」と言える。世代を超えた永遠のエゴイズムと言える。端的に言って、私たちのそれぞれはそれぞれの情動と自我の傾向に基づいて自由に生きていればよい。簡単に言って、他人や社会のことを難しく考えず、思うままに生きていればよい。また、私たちはそのようなを欲求や目的やエゴイズムを誰にも強要する必要がない。それらをもつももたないも語るも語らないのも批判するのも思想、言論の自由である。そのような自由によってこそ私たちは少女と父親の思想、あるいはそれと同様のものに行き突くだろう。そのためにも思想、言論の自由を確保する必要がある。
それ以前からそうだったのかもしれないが、少なくとも20XX年以降、宗教だけでなく、倫理や道徳や価値観は衰退している。ましてや「地球や太陽の激変のときまで人間または進化した人間を含む生物の生存を確保したい」というような欲求や目的は生じなかった。その主因は父親の書いた部分が隠蔽され、公開されなかったことにあると思う。今後、私たちはそれを公開していく。もはや、宗教や倫理や道徳や価値観は、力不足であるだけでなく、必要ない。それどころか、それらが出現するとすれば、独裁制や全体主義を擁護したり煽るものになってしまっていた。世界の市民はそのような宗教や倫理や道徳や価値観に辟易していた。だが、世界の個人の多くが共有できる個人の生き方、死に方や社会の多くが共有できる社会のあり方は必要であり、宗教なしにそれらを提示できるのかという危惧はあった。だが、そのような危惧は不要である。もはやあの少女とその父親が書いたこと、あるいはそれと同様のものだけで十分である。私たちの行動の一側面はそれを証明することになるだろう。
現実がいやになったら、現実から逃げる前に現実を変えようと試みるぐらいのことはしてみよう。ひょっとすると変えられるかもしれない。変えられなくても、現実から逃げず、現実の真っただ中で現実を変える方法を書いてみよう。そう思うと生きる力が湧いてくる。
人間や生物の生存を名目として掲げて政治的経済的権力者が独裁制と全体主義へと走ること
25YY年、人類はまだ絶滅していない。というより人類は一度、滅亡した。20XX年、世界の政治的経済的権力者たちは、世界大戦を起こし全体破壊手段を使用しておきながら、地下のシェルターや深海の潜水艦や宇宙の人工衛星に退避した。ほとんどの市民が地上に残された。全体破壊手段のうち核兵器が使用された地域では、放射線によって比較的早期に人々が苦しんで亡くなっていった。だが、全体破壊手段のうちの不変遺伝子手段も使用されていた。それはスーパーウイルスのようなもので、地上のすべての人々がそれに感染していた。それによって核兵器の影響が及ばなかった地域でも、人々は免疫機能の低下等によって苦しんで亡くなっていった。結局、地上の人類は絶滅した。哺乳類等の高等動物のいくつかの種も絶滅した。地下のシェルター以外では無理があったようで、宇宙や深海に退避した者たちは戻ってこなかった。それも哀れだろう。地下のシェルターに逃げ込んだ政治的経済的権力者とその家族と取り巻きは、地上の市民が絶滅して感染の危険がなくなってから、放射能が残留する地域を除いて、地上に戻った。私たち歴史学者はそれを「人類は一度、滅亡した」、または「地上の人類は絶滅した」ととらえている。シェルターに退避して生存した姑息な人間の子孫が私たちというわけである。
だが、政治的経済的権力を獲得するための能力と権力欲求と支配性や破壊性は遺伝しない。遺伝について、20XX年以前は遺伝子と進化論に対する盲目的な信仰のようなものがあり、何でも遺伝する進化するというような錯覚があった。進化論の先駆者となったダーウインはそのような信仰のようなものを抱いたり薦めたりしたわけでは全くないのにそうなっていた。20XX年以降は遺伝し進化するものと後天的に形成されるものとが明確に区別されるようになった。まず、本能的機能や欲動はほとんど遺伝子によって形成され遺伝する。では、人間の自我の傾向、欲求、知的能力、体力についてはどうだろうか。それらの基盤と全般的な強さは遺伝子によって形成され遺伝する。それに対して、それらのうちのどれが強いか、例えば、自我の傾向が好戦的か宥和的か…などの詳細は、遺伝子によって形成されるのではなく遺伝せず、後天的に形成される。権力闘争や独裁において問題となるのは支配性、破壊性、自己顕示性…などの自我の傾向と権力欲求と権力獲得能力だが、それらだけが他から切り離されて遺伝したり進化することは決してない。それらは主として後述する悪循環に陥る傾向の一環として後天的に形成される。だが、それらは他の領域の科学者や一般市民にはなかなか理解されなかった。なかなか理解されないのは何故か。後天的に形成されるものの多くが主として三歳までに形成され、遅くとも思春期までに形成され、私たちの誰も三歳以前のことを覚えていないからである。しかも、早い時期に形成されたものほどなかなか減退しないからである。だが、そのようなことを議論する前に既に、それらが遺伝しない決定的な証拠が現れていた。20XX年の絶滅を姑息に生き延びた者たちの子孫も多くは普通の市民であり、権力獲得能力、権力欲求、支配性、破壊性、自己顕示性…などは20XX年以前の市民と変わらなかった。それが決定的な証拠である。
そして、一般市民ではなく、一部の人間が後天的に形成された権力獲得能力、権力欲求、支配性…などによって権力闘争を繰り広げた。さらに一部の人間が政治的経済的権力を再形成し握り拡張した。さらに一部の権力者が独裁と独占へと走り、国家権力を再形成した。結局、A国、B国、C国という超大国と他のいくつかの大国と多くの小国が新たに形成された。だが、20XX年以前の十数年間は、超大国を含めていくつかの国家は、表向きに過ぎないにせよ、自由主義的で民主主義的で、他の国家は露骨に独裁的と思われていた。それに対して、現在はそのような差異はなく、超大国を含めて国家はすべて、表向きの自由主義や民主主義は形骸化し実質は独裁的独占的である。
そのような政治的経済的権力者に引きずられて科学技術と経済の再興と人口増加と環境の悪化と資源の消耗と「軍官学産複合体」の再形成と全体破壊手段の再開発・保持は早かった。結局、25YY年には20XX年と同様の状況の中に私たちは居る。つまり、
(1)地球規模の環境の悪化
(2)地球規模の資源の消耗
(3)世界の人口が地球で維持できるものに近づき超えようとすること
(4)(1)(2)(3)による地球規模の経済の逼迫
(5)(1)(2)(3)による地球規模の一般市民の生活の逼迫
(1)(2)(3)(4)(5)に対して、以下が必要となる。
(1')環境の保全
(2')資源の保全と有効利用
(3')世界人口の適正化
(4')経済の安定化
(5')最低限度の生活の保障
(1')(2')(3')(4')(5')は、「(人間を含む生物の)生存の保障」と呼べる。人権の観点からは、それは社会権の保障に含まれる。生存の保障のためには総合的な政策を立案し推進する必要があることは確かである。だが、総合的な政策から逸脱して、
(6)生存の保障を名目として掲げることによって政治的経済的権力が、自由権、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配を形骸化させて、独裁と独占・寡占と全体主義へと走ること。
(7)そのような国家権力の国際社会における軋轢と世界大戦の危機、これらの問題と軋轢を効果的に調整できる国際的または世界的な制度と機構の欠如
(8)軍官学産複合体による核兵器、不変遺伝子手段、小惑星操作という全体破壊手段の開発・製造と国家権力による使用
(9)(8)による地上の人間を含む生物の絶滅の危機
以上のような危機に私たちは直面している。以下を補足する。
軍と軍を掌握する文官と科学者、技術者と公私の企業の複合体は20XX年以前の冷戦以前からあり、大きな問題だった。冷戦初期に強く意識され「軍産複合体」と呼ばれていた。それは当時からそれらの四者の複合体だった。だから、「軍官学産複合体」と呼ぶことにする。
自由権、政治的権利、民主制…などは露骨に破壊されるだけでなく、上の表現にあるとおり「形骸化」もされる。また、政治的権力だけが独裁へと走ることは少なく、後述するとおり、政治的権力と経済的権力が連携して独裁と独占・寡占へと走る。
資本主義経済や市場経済には後述するような限界がある。だから、現在の経済体制は純粋な共産主義経済、社会主義経済、資本主義・市場経済…などのいずれでもなく、すべてそれらの混合である。その混合のあり方やいずれが優位になるべきかの論争はあるが、かつての資本主義か共産主義かの論争ほど激しいものではない。
20XX年以前には科学技術、特に情報科学技術(インフォテク)と生物学的技術(バイオテク)の驚異的な進歩に係る様々な問題が危惧されていた。だが、恐れるに足る問題は以下の三つだけだった。(a)科学技術全般は全体破壊手段を開発し精巧にする(b)情報科学技術は政治的経済的権力者によって乱用され民主的分立的制度が形骸化させる(c)生物学的技術のうちの高度な医療は政治的経済的権力者を含む富裕層だけに利用される。
20XX年の地上の人類の絶滅は、複数の宗教の間の対立にも多少はよっていた。20XX年以降はどの宗教も自然に衰退し、宗教間の対立は無視できる。その点では20XX年以降の人間は幸運だったと言えるかもしれない。だが、20XX年以前も宗教の対立より上の(1)-(6)のほうがはるかに重大であり、宗教の対立がなくても(7)はあっただろう。だから、20XX年以降の人間は幸運だったとは決して言えない。20XX年以前にあった他の問題についても同様である。だから、25YY年の人間は20XX年の前の十数年間に人間が直面していたのと同じ問題に直面していると言える。
さて、歴史学者としては20XX年と同様の失敗を繰り返すことは歯がゆい。歴史学者としてはそうだろう。今を生きる一般市民としてはそのような失敗は一度でもあってはならない。「歴史は繰り返す」と20XX年以前はよく言われていた。20XX年以降は歴史学において二度や三度の繰り返しで今後も繰り返すとは言えないというのが主流だった。だが、それだけではない。繰り返すように見えるものもその状況も変化し、そもそもそれが繰り返しと呼べるかさえも分からない。と私は主張している。人類は繁栄し20XX年に全体破壊手段が使用され地上の人間は絶滅し地下の人間が姑息に生存し地上に戻って人類は繁栄し始めたとも言え、それを繁栄と衰退と繁栄の繰り返しと言えなくもない。だが、それが今後も繰り返されるとは限らない。例えば、権力者がシェルターに退避するタイミングをつかめないかもしれない、過剰に反応するかもしれない。(1)独裁、専制、全体主義…などと(2)自由権、民主制、権力分立制…などについて世界的に見れば、五、六千年前の政治権力または国家権力の発生から(1)→(2)→(1')の一回半の繰り返しがあったと言えなくもない。だが今後は、(1')があるだけで繰り返しはないかもしれない。(1)→(2)→(1')→(2')→(1'')の繰り返しがあるかもしれない。(1)→(2)→(1')→(2')で繰り返しは終わり(2')があるだけかもしれない。何故なら、(2')が(2)から質、量ともに変化するかもしれないからである。というより、私が主張するようにそれを繰り返しと呼べるかさえも分からない。いずれにしても、今を生きる一般市民にとっては、「歴史は繰り返す」などというのは歴史学者の吐くたわごとに過ぎないのであって、人間を含む生物の衰退や滅亡や絶滅はあって欲しくなく、(2)(2')はあって欲しい。人間を含む生物の衰退や滅亡や絶滅がないことを「生存」と総括でき、(2)(2')を「自由」と総括してもよいだろう。端的に言って、今を生きる一般市民にとっては生存と自由を両立させたい。それに対して、独裁者たちは、その両立は不可能だとして、自由を犠牲にして生存を選択するよう迫る。それに対して、生存と自由を両立させることは可能であり、両立させる必要があり、両立させてみせる。私たちはそう思い語り合い両立のための行動に出ていた。
ところで、20XX年の地上の人類の絶滅のときにシェルターに潜って生き延びた者は一定の文化圏の人々に限られていた。その結果、現代の世界の言語はほとんど「共通語」のようなもので、国家や地域による言語の違いはかつての「方言」の違いのようなものだった。その点からはその行動を国際的または世界的なものにすることは容易だった。
独裁や独占は生存の保障のためにも機能しない、権力を民主化し分立すること
高層ビルが延々と続く。だが、遠くの山が遮られることはない。空の汚染は今日はなく、空は澄み渡っている。風が強いからだろう。山と山の間に少し海が見える。その向こうに太陽が沈んだ。西から東に向けて空色が紅色から薄紅色、水色、紺色へと変わる。ところどころに雲が流れる。25YY年には20XX年と同様に密集と高層化が頂点に達していた。このように空を見渡せるのは、都会の中では高層ビルの屋上だけだった。
私はあの少女とその父親の手記を含む「放射能残留立ち入り禁止区域F」の文献の発掘と保存を一段落させて、超大国Aの首都に本格的に戻った。首都の国際会議場で「人類の生存」をテーマにした国際会議が開かれる。諸国の大学の学者と政府と大企業の専門家が集まる。世界に生で放映される。第一日目は夜にあり、開幕は30分後。私とA1大学法学部P教授はその会議場の屋上に登っていた。P教授は、歴史上の諸国家の憲法と政治制度の比較研究をする。私は四十近くで、P教授は私より二十歳ほど年上だった。だが、互いに友達だと思っていた。今の諸国の政府は20XX年以前の自由権、民主制、権力分立制、法の支配に係る文献をできるだけ伏せておきたかった。例の区域Fには図書館の跡もあり、私はそれらの文献も掘り出していた。P教授はそれらの文献をまとめていた。開幕15分前。私とP教授は大会議室に向かった。
まず、医師にしてA国政府所属の遺伝子治療専門の研究者のUが演壇に立った。三十代半ばの女性。顔だちとスタイルは抜群。25YY年、ほとんどのガンと感染症は克服されていた。残るそれらをUが克服しつつある。世界の医学界のヒロインだった。また、高額過ぎて庶民の手が届かなかった高度な医療を庶民も受けられるような安価なものに変えつつある。だがら、一般市民のヒロインにもなりつつある。それらの道筋を一般市民や文系の学者にも分かりやすく説明してくれる。私は美貌のわりに飾らない質素で明快なUの話し振りに感心した。
次に、A国政府所属の経済学者にしてエリート官僚であるTが演壇に立った。Tと私は中学校と大学の同級生。ちょっとした友達でもライバルでもある。中学の学業成績と大学での研究成果は私よりはるかに上だった。いつものように、自然を保全し適正人口を維持しつつ経済を安定化させ一般市民の最低限度の生活を保障するためには総合的な政策の立案と推進が必要であることを強調する。Tはその総合的な政策を立案するのために人工知能も大いに活用していた。世界の政界と財界のアイドル的な存在だった。
次に、P教授が演壇に立った。会場に緊張感が走った。P教授はいつものように豪快に語り始めた。
…現在の諸国の「総合的政策」は、市民の最低限度の生活や経済の安定化や適正人口の維持はおろか、自然の保全のためにも機能していない。それらの政策が機能していないことは後に諸国の研究者が実証する。政策が機能していないのは何故か。言論の自由がなく、公正な選挙がないために、政府の政策が批判されず議論されず、政策が偏向しているからである。二十世紀に共産主義が崩壊したのは、言論の自由と選挙がなかったために、政府の政策が批判されず、政策が偏向し政策立案者が無能に陥ったことにある。人間を含む生物の生存のためには総合的な政策が練られなければならないことは確かである。だが、適正な政策が練られるためには議論と批判が必要であり、言論の自由と公正な選挙が必要である。私たちは自由のためだけでなく生存のためにも自由権、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配を確保する必要がある。また、いつの時代も政治的権力と経済的権力は癒着し汚職を行い、政策の立案と推進に彼らの利権を加味させる。現代においてはただでさえ困難な総合的政策の立案と推進が、彼らの利権が加味されて適正なものになるわけがないのである。政治的経済的権力者の癒着と汚職を抑えるためにもそれらを暴き批判する言論の自由が必要であり、自由権、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配を確保する必要がある…
会場が騒然とし始めた。それはP教授に対する批判ではなく、そんなことを言って政府に弾圧されないか、暗殺されないか、もうそれぐらいにしといたほうがいいんじゃないか…というP教授の身の上に対する気遣いだった。P教授をよく知る私は、こんなものでP教授が止るわけがないと思っていた。誰が言っても、私が言ってもP教授は止らない。P教授はもう止まらない。P教授はこれでも自制している。P教授は人間を含む生物の生存のためにも言論の自由を確保する必要があるという言い方しかできなかった。P教授がそんなもので終わるわけがない。自由は言論などのための手段であるとともにそれ自体が目的である。市民の多くは、最低限度の生活を基盤としてそれ以上のことについては、思いのままに生きたいと思っている。自由権を侵害しうる最大の権力は公的武力を含む国家権力である。自由権を確保するためには、自由権そのものと政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配を確保し国家権力を抑制する必要がある。私とP教授が重点をおいたのは特に権力分立制である。20XX年以前にも以降にも革命はいくつかあった。だが、失敗した。その最大の原因は民主制のみを重視し権力分立制と法の支配を軽視したことにあった。熱狂的で瞬発な民主制は、はかなくすぐに独裁制に逆行する。革命または内戦を勝ち抜いたまたは数回限りの選挙で選ばれた者が独裁者へと豹変するからである。民主制は市民が直接的または間接的に公権力を抑制する制度である。権力分立制は権力を分立し分立した権力を相互抑制させる実に巧妙な制度である。法の支配はより具体的には、司法権が法を公正に適応することである。そこで強調されるのは、司法権が市民よりむしろ権力の保持者に法を適応し、立法権の保持者に憲法を適応し、行政権の保持者に憲法と法律を適応することである。私とP教授は一週間に一回は飲みながらときには徹夜でそんなことを語り合っていた。権力分立制は三権分立制、地方分権、軍と警察の分立…などだけではない。私たちの語り合いがそんなもので終わるわけがない。さあ始まった。
国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を擁護する人の支配系(S系)に分立すること
P教授は続ける。
…何度も言う通り、社会権を保障するためには言論の自由と公正な選挙によって総合的な政策を議論し切磋琢磨する必要がある。また、総合的な政策の立案と推進に政治的経済的権力者の利権が加味されないように、政治的権力者と経済的権力者の連携を抑制する必要がある。社会権を保障するためにも自由権を含む民主的分立的制度を確保し拡充する必要がある。つまり、わたしたちは生存と自由を両立させる必要がある。それに対して、政治的経済的権力者は生存や社会権を保障することを名目として掲げ、民主的分立的制度を形骸化させ独裁と全体主義と独占・寡占へと走る。それは「社会権からの逸脱」または「(広義の)生存権からの逸脱」と呼べる…
P教授は人格と思想の内容が厳格であるだけでなく、言葉の定義も厳密である。だが、これでもP教授は一般市民向けに分かりやすく説明しているつもりで、いくつかの定義は曖昧になっている。いずれにしても、ここからが重要である。P教授は続ける。
…この社会権からの逸脱による戦争、大量虐殺、人為的飢饉…などはわたしたち人間が何度も体験したことである。それらを予防し生存と自由を両立させるためには世界でそれぞれの国家権力が「自由権を擁護する法の支配系(L系)」と「社会権を保障する人の支配系(S系)」に分立する必要がある。確かに、社会権を保障するためには総合的な政策の立案と推進が必要である。だが、それはS系においてやっていればよい。L系において厳格な民主的分立的制度、つまり自由権、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配を擁護する必要がありそれは可能である。S系において、L系が擁護する厳格な民主的分立的制度とS系に特有の人間的な民主制によって議論を行い、総合的な政策を立案し推進する必要がありそれは可能である。この国家権力をL系とS系に分立することと、その分立を前提とする社会権と、前述の民主的分立的制度を改めて「民主的分立的制度」と呼び直す。また、そのような制度を実現することを「権力を民主化し分立する」ことと呼べる…
独裁者の身になってみれば、そこまで国家権力を分立されたらたまったものではないだろう。そこには独裁者が求めていたものの半分しかない。盗掘者が見つけた石像の上半身がないようなものだ。P教授は続ける。
…独裁者は生存と自由の両立は不可能だと喧伝し、自由を犠牲にして生存を選択するよう一般市民に迫るだろう。そんな馬鹿げたことはない。そんなものは独裁者が独裁制を強化するための名目に過ぎない。生存と自由の両立は必要であるだけでなく可能である。国家権力をL系とS系に分立させることが生存と自由を両立させる決定的方法である。それは両立であってバランスや妥協ではない。生存か自由かの二者択一を迫られたときは、「おめえ馬鹿じゃねえの、両方に決まってるじゃねえか」と笑い流そう。「生存か自由か」ではなく「生存と自由」である…
会場は厳粛に聞き入っていた。P教授が暗殺も覚悟の上でそれらを語っていることを多くが感じ取ったのだろう。まるでP教授の葬儀のようだ。中には涙する人もいる。映像と音声を生で受信している全世界の市民も同様だろう。
そんなとき、反政府グループGの同僚Xが私の脇にやってきた。Xは小声で「緊急事態。来て」と言う。私はXについて大会議室の外のロビーに出た。Xは私を窓際に連れて行った。大会議室とこのロビーは高層ビルの中ほどの階にある。窓から見ると、会議場のすぐ近くの公園に一万人以上の市民が集まっていた。懐中電灯が振られ、「自由」「生存と自由の両立」…などのバナーが掲げられている。環境保護団体も来ているようで「自然の保全と人間の自由の両立」などのバナーもあった。屋外ステージも占拠されていて「P教授」などのバナーも掲げられていた。P教授を屋外でも登壇させたいようだ。Xはさらに遠くを指さす。小さな森の向こうに数百人の軍の兵士が重装備して集結していた。ライフルや機関銃だけでなく携帯ミサイルをもつ兵士もいた。恐らく化学兵器ももっているだろう。会議場内の演者の語りがロビーにも流れる。P教授の予言通りに諸国の研究者が諸国の政策が機能していないことを実証し始めていた。今の演者は諸国の政策が自然の保全のためにも機能していないことを数値を示して実証している。
窓の直下のデモには「最低限度の生活もねえじゃねえか」「まともなメシ食いてえ」「せめて子供に栄養を」「医療費値下げ」…などの日常生活に密着した訴えを掲げる市民が続々と入ってきている。「自由」はともかくとして、独裁政権が名目として掲げる「生存」を達成していれば、このようなデモは起こらなかっただろう。一般市民も最低限度の生活の保障、経済の安定化、人口の適正化が達成どころではないことを日常生活における欲求不満や不快として身をもって感じている。資源が消耗し環境が悪化していることも、食費や光熱費の上昇として感じとっている。医学は進歩し遺伝子治療もあるが、高度な医療を受けられるのはごく一握りの政治的経済的権力者と高額所得者とその家族だけである。多くのガンと感染症は克服されたと言われるが、それらは依然、死因の上位を占めている。それは、市民は高度で高価な医療より比較的安価な早期発見、感染予防…などの初歩的な医療に頼らざるをえないが、その初歩がおろそかにされているからである。科学者の実証を待つまでもない。市民にとっては生物や人類の生存より自分と家族の、明日ではなく今日の生活が問題だ。私たちにしても諸国の独裁政権が名目通りにのことを達成していれば、行動を起こさなかったかもしれない。
反政府グループGの同僚Zもやってきた。窓の外の森の向こうでは兵士の数が増えている。戦車も到着していた。手前の公園では市民の数がさらに増えている。Zが「俺たちは市民を退避させる。I(私)とXはP教授を退避させてくれ。P教授には潜伏してもらったほうがいい。俺たちがP教授を潜伏させるまでなんとかP教授をかくまってくれ」と急いで言う。Zは公園に向かった。私とXはP教授が居ると思われる演者の控室に向かった。が、遅かった。ロビーのトイレの出入口の周りに人だかりができていた。P教授が倒れたと言う。中に入るとP教授が床に横たえられ、あの医学会のヒロインUが心肺蘇生の陣頭指揮をとっていた。救急車が到着し救急隊がかけつける。後でZから聞いたことだが、救急車の到着も公園の一般市民を解散させる役にたったようだ。また、P教授倒れるの知らせをXがメールでいち早くZに伝えた。その知らせも市民を解散させる役にたったようだ。それらとZのいつもの「(革命の)ときは未だ熟せず」の説得によって市民は解散し、市民に弾圧、虐殺、犠牲はなかった。話はP教授倒れるの現場に戻る。救急隊は「できることなら」と医師と近親者の同乗を求めた。医師としてUが近親者として私が同乗した。
不変遺伝子手段、全体破壊手段
結局、P教授は亡くなった。Uと私は、UがかつてA1大学で研究していたこともあって、初対面ではない。Uは、その救急病院の個室を借りて、P教授の死因を私と検討しようとした。私は応じた。その部屋にあるのは、天井、床、壁、ドア、机、椅子、照明とシャーカステンだけで、盗聴器や監視カメラはないようだ。Uは最初は、シャーカステンで頭部の画像を示しながら、P教授の直接の死因は脳出血だと説明していた。いちよう私はシャーカステンを開いて盗聴器・盗撮器がないことを確認した。Uは探るような眼で私を見つめる。私はP教授には脳血管の動脈硬化があって血液凝固抑制剤を服用していたことを説明した。Uはさらに探るような眼で私を見て、「これは今は内密にしてもらえる?」と言う。来た! 私は単刀直入に言った。「俺は(反政府グループ)Gのリーダーなんだけど…」 Uは少し驚いていた。だが、すぐに納得した。Uは「私はGに対しては匿名の政府からは隠密の離反者よ」と語り始める。「(隠密)離反者」とは公権力の中にあってそこそこの役職をもち隠密に反政府グループに情報提供、武器調達…などの協力をしてくれる人々を指す。中には匿名でそれらをしてくれる高官や軍人もいた。慎重な人たちである。Uは「日頃からGに協力しているのよ。これで匿名でなくなっちゃったけどね」とあっさりと言ってしまう。私とUは握手した。Uは最初は、私もUと同様の隠密離反者だと思っていたようだ。ところが、離反者どころかグループGのメンバーでありしかもリーダーである。Uはそれを驚いていたようだ。握手する手にとまどいや疑いはない。Uは言う。「私は血液検査で、P教授の血液中の血液凝固抑制剤の分解産物も調べておいた。結果は高濃度と出た。通常の内服量で出る数値よりはるかに高濃度。政府に暗殺されたのよ。多分、スプレーで。あのトイレで。暗殺者がトイレに入って洗面台でP教授と並んで、P教授の顔にさりげなくシュっとね。標的はすぐに倒れないから暗殺者は簡単に逃走できる。その血液検査データは私が保管して公に向けては消去しておいたわ。頃合いを見計らって暴露してね」と一気に語る。私はそのデータの入った外部記憶装置を預かった。私はそれに満足せず、「不変遺伝子手段の開発、実用化はどうなってる?」と尋ねた。Uは「言っとくけど、私もあなたもいつでもP教授と同様に暗殺または拉致拷問される危険があるのよ」と言う。私は何度もうなずいた。「私たち科学者は全体破壊手段の研究と開発を迫られている。それに協力しなければ拷問され開発方法を吐かされる。暗殺されるほうがよっぽど楽よ。文科系の学者はいきなり暗殺されだけ。理科系の学者には、全体破壊手段を開発して極悪人になるか、拷問されて苦しんで死ぬかの葛藤があるのよ」と一気に言う。私はうなずくしかない。Uは以下のことを改めて明確に説明した。
…遺伝子は五種類の塩基とそれを繋ぐ鎖とそれらを取り巻き補助、補強するたんぱく質等から成る。塩基の順列、つまり「塩基配列」が生物のほとんどを決定する。塩基配列は自然的な条件下でも変化することがある。それが「突然変異」である。遺伝子が突然変異を起こした生物のうち環境に適応できた一握りの生物だけが生存し「進化」する。それが「自然淘汰」である。人間が遺伝子を操作するにしても、遺伝子の塩基配列を変えるだけなら、それは突然変異に等しく、それを含む生物や手段は従来の生物に等しくいずれは自然淘汰される。それに対して、人間が遺伝子の塩基配列以外のものを変えた場合、どうなるか。人間の操作によって遺伝子の塩基配列以外のものを変えられた遺伝子を「不変遺伝子」と呼ぶ。不変遺伝子を含む生物や手段を「不変遺伝子手段」と呼ぶ。不変遺伝子手段が何をもたらすか。以下の恐れがある。不変遺伝子手段の不変遺伝子は、他の遺伝子手段の遺伝子と同様に従来の生物の遺伝子に組み込まれる可能性がある。不変遺伝子がそのように組み込まれても組み込まれなくても、不変遺伝子手段は以下の可能性がある。
(1)遺伝子は突然変異を被らず、手段は自然淘汰を被らず無際限に増殖して人間を含む生物を駆逐する。
(2)従来のウイルス…などより速やかに広範囲に拡散し生物に感染する。
(3)薬剤が効かず、消毒…などにより死滅しない。
(4)免疫系によってブロックされない。
(5)従来のウイルス…などでは想像もつかないようなダメージを、例えば、中枢神経系や造血幹細胞に対するダメージを生物に及ぼす。
以上の恐れがある。だから、不変遺伝子手段は人間を含むいくつかの動物の種を絶滅させる恐れがある。つまり、不変遺伝子手段は全体破壊手段である。地上の人間を含む動物のいくつかの種を絶滅させる可能性がわずかにでもある兵器を含む手段を「全体破壊手段」と呼ぶ。ここで、次のことに注意しておく必要がある。
ただ一発だけで地上の人類を即時に絶滅させるような手段はあまりない。報復の連鎖や二次的、三次的…障害によって地上の人類を絶滅させる可能性のある手段も含む。
また、「地上の」人間としたのは以下の理由による。例えば、全体破壊手段の使用の直前に一部の人間が地下や海底のシェルターや宇宙の人工衛星に退避して、退避先から地上に向けて全体破壊手段を使用し、地上の人間を絶滅させてから地上に戻ることはありえる。それを人間の生存と認めることはできない。仮に一部の人間が太陽系の惑星や他の系の惑星に退避して何万世代も生存するとしても、それらの人間は地球上の人間とは別の方向に進化する。それを人間の生存と認めることはできない。だから、「地上の」とした。
全体破壊手段は、核兵器、不変遺伝子手段、小惑星操作から成る。核兵器について、報復の連鎖の中で諸国が保有する核兵器の多くが使用され多くの地域で核爆発を生じれば、少なくとも地上の人間を含む哺乳類のいくつかの種は絶滅する。小惑星操作が全体破壊手段であることは意外だったと思う。人間が惑星や衛星を操作しても軌道を変えてしまうことはないが、小惑星なら軌道を変えてしまい地球に衝突または接近させる恐れがある、と言えば理解されるだろう。科学者はそんな確率は百万分の一以下だというかもしれない。だが、それでも一般市民には不安を与える。だから、「わずかにでもある」とした。
十分な注意が払われなければならないのは以下のことである。全体破壊手段が使用されたほとんどの場合、地上の人間を含む動物はすぐに死滅するわけではなく、数年から十数年苦しんで死ぬ。皆が楽に死ねるなどというものでは全くない。例えば、放射線は遺伝子を重点的に破壊する。女性も男性も子供を作れない体になり、障害された器官と組織はほとんど回復せず、数年後から十数年後には一個体においてもガンが多発する。早期発見早期手術や遺伝子治療は間に合わない。人々は、子供を作れないことへの絶望、回復しない器官や組織の痛み、発ガンへの不安で苦しみ、ガンが多発して進行し強烈なガン性疼痛で苦しんで死ぬ。また、不変遺伝子手段のいくつかは免疫機能を低下させ感染症を蔓延させ、人間は様々な感染症によって苦しんで死ぬ。また、いくつかは造血幹細胞を破壊し免疫機能の低下と貧血を生じ、人々はそれらで苦しんで死ぬ。
ここまで説明して、Uはわが身のことに立ち返る。「拷問されて開発法を吐かされる恐れがあるから、私たち科学者は政治的経済的権力者から全体破壊手段の開発を迫られたとき拒絶できない」とUは真摯に言う。私は思わず言った。「それはかわいそうだ。早く全体破壊手段を世界で禁止し、世界の権力者はその開発を迫ることができず、科学者はその研究もできないような制度を確立しないといけない」と。Uは言う。「全くそのとおり。だけど、すべての国家で実質的な独裁政権ができている今の世界ではそんなことができるわけがない。私が拒絶し拷問されても吐かず、苦しんで死ぬとして…それでも、他の科学者がやってしまうでしょう。だから、私はむしろ全体破壊手段の開発を主導して、権力者には開発しているように見せかけて、実際の全体破壊に決して繋がらない見せかけの、つまり偽物の全体破壊手段を作ることに専念している。私にできることはそれだけ」と一気に語る。私は「かわいそうに…」と思わず言った。私たち文系の学者はいきなり暗殺されるだけだ。それに対して理系の学者にはそんな苦しみがある。少し前まではUはガンと感染症の完全克服と医療の低額化に専念していた。成果に出して医学会のヒロインだった。そのヒロインがこんなことをしなければならないとは…何とも哀れだ。Uは続ける「私は不変遺伝子手段以外の全体破壊手段の情報もつかんでいるけど…A国の政府や軍が使用しそうなのは私の開発した偽物だけよ」と。私はUを見つめて「それは非常に重要なことだ。それは確かか」と尋ねた。Uはうなずく。A国の政府か軍が使用する全体破壊手段はUが開発したものだけだ。しかも、それは偽物だ。これは非常に重要なことだ。Uが離反者であることを極秘にすること、Uの身を守ること、偽物の全体破壊手段を守ること、すり替えられないことも非常に重要なことだ。
私はUともっと話したかったが、P教授の弔いをしないといけない。私はUと再会を誓い救急病院を後にしてA1大学の自分の研究室に向かった。今夜の今まではP教授の死因追及とUという強力な離反者を確保することにほとんどのエネルギーを費やしていた。タクシーの中で今頃になってP教授を失ったことが実感できた。民主的分立的制度の確立ための牽引車を失ったということもあったが、私にとっては最大の友を失った。そのほうが大きかった。
潜伏と離反
あの国際大会では諸国の政府の政策が人間や生物の生存や社会権の保障のためにも機能していないことがますます実証されていた。そこでA国政府は一日目も終わらないうちに中止した。名目は参加者と周辺住民の安全のためというものだった。
私が研究室に帰るとXとZが待ってくれていた。私たちはA国の反政府グループGの同僚である。Xの情報科学技術は超一流。諸国の政府や大企業のコンピューターや人工知能に潜入して情報科学技術の乱用の証拠をつかんでいた。全体破壊手段の開発、保持に係るデータや政治的権力者と経済的権力者の癒着と汚職の証拠もつかんでいた。そして、政府のどんな検閲や操作にも侵されないネットワークを構築し、それらを公開していた。私が発掘しP教授がまとめた文献も公開していた。あの少女とその父親の手記を含む私がまとめて持ち帰ったばかりの文献も既に速やかに公開していた。ちなみに、20XX年以降も情報科学技術は進歩し、現在のコンピューターは20XX年以前の「パーソナル・コンピューター(PC、パソコン)」または「ノート・パソコン」または「セル・ホン」や「携帯」や「スマートフォン」程度のサイズだが、性能は20XX年以前の「コンピューター」以上だった。だから、「PC」「パソコン」等の名称はなくなっていた。いずれにしても、世界の反政府グループと離反者が連絡をとりあう「ポケット・コンピューター」はXが構築したネットワークとソフトウエアを使用しており安全確実なものだった。仮にポケット・コンピューターが盗まれても、安全確実な指紋認証と光彩認証によってしか起動または作動しないようになっていた。誰かが内部の記憶装置を取り出そうとすれば、すべてのデータとプログラムが消滅するようになっていた。また、Xは政府の監視カメラと顔、指紋、光彩認証システムにも随時、侵入し最新データを入手し、反政府グループのメンバーを政府に顔が割れている者と顔が割れていない者に振り分けていた。政府に顔が割れている者には潜伏所に居てもらった。私とXとZはまだ、政府に顔が割れていない。潜伏と革命に要する資金調達について、Xらが大物政治家たちの銀行口座に侵入して大企業から振り込まれる明らかに不正なカネをちょっとばかり頂いていた。不正なカネなのだから、政治家たちも追及しなかった。それも政治家たちが不正を行っている証拠になる。私たちに負い目はなかった。世界の反政府グループもXの先導で以上と同様のことをやっていた。言い遅れたが、Xは三十を過ぎたばかりの女性である。Xは本当は情報科学技術の平和利用に取り組みたかった。だが、今の独裁政権の下ではそれはできない。Xはまだ三十を過ぎたばかり。革命後にその夢を実現することは十分に可能だろう。
Zは四十を過ぎたばかりの男性。世界の反政府グループを渡り歩いてきた。反政府グループの潜伏と防衛を主導し、今はグループGの潜伏と防衛に当たるとともに、世界の反政府グループにそれらの方法を提示している。軍の隠密離反者からライフル、機関銃、携帯ミサイル、無人飛行機、無人潜水艦…などを入手していた。潜伏所でメンバーの訓練とそれらの兵器を用いて演習を行っていた。戦車の部品も取り揃えていて、革命の本番では組み立てて出すらしい。他方、Zは世界各地の革命で、しかも失敗した革命で幾多の市民が犠牲になるのを目撃した体験から、一般市民の犠牲を最小限に抑える方法を模索していた。今日、あの公園に集結した一万人を超える市民を退避させ犠牲者をゼロに抑えたのも、Zが「(革命の)ときは未だ熟せず」と市民を説得するというより市民にお願いしたからである。それらの姿勢は私も他のメンバーも見習った。そして、Zは期が熟したと見れば一気に片を付ける方法を模索していた。
政府に顔が割れている者は潜伏所に完全に潜伏していた。政府にまだ顔が割れていない私とXを含む者は潜伏せず、潜伏所の所在地も知らないようにしている。政府や軍に捕まり拷問されたときに潜伏所の所在地等を吐いてしまう恐れがあるからである。ただし、Zら潜伏者と非潜伏者の連絡を行う者は、捕まりそうなときのために腕時計のように腕に自殺装置を装着している。その中には毒針が隠されていて、指紋認証付きのワンタッチで毒薬が体内に注入されるようになっている。Zを始めとして彼らは自主的にそのような装置を装着している。私は彼らが哀れでたまらない。早くそのような装置を外して自由な言論のできる世の中にしたい。
あのUのように政権内にあってグループGに隠密に情報提供等してくれる人々を私たちは「(隠密)離反者」として重宝していた。離反者たちは政府と軍の幹部に対しては当然、隠密になる。離反者の中には、今日の夕方までのUのように、反政府グループに対して匿名にする人々もいる。それは離反者の自由である。いずれにしても、離反者を質、量ともに増やしていくことが私の現在の主な仕事だった。今夜のUは最高クラスの離反者だった。そして、離反者が質、量ともに十分になったときが革命の期が熟したときだ。私たちが立ち上がったときには離反者たちが私たちを政府と軍の主要施設に誘導してくれることになっている。全体破壊手段の不活化にも協力してくれることになっている。
ところで、政府または軍の工作員が離反者を装って、反政府勢力らしき個人や集団に接触してくることはありえる。だから、私たちは離反者との接触に最大限に注意していた。特にその人物にどれだけ離反する動機があるかをXら情報技術者とともによく調べていた。今夜のUにしても政府か軍になんらかの研究を強要されていることを、私はXとともにつかんでいた。
Xはいつものように、政府の監視カメラのデータ保存場所に潜入し、あのP教授暗殺のトイレの監視カメラの映像も入手していた。あのUが予想した通り、洗面台で手を洗うP教授の脇に講演の聴衆を装う若い男がさりげなく寄り、P教授の顔に香水のように見えるものをいたずらっぽく笑いながらスプレーしていた。P教授は少し驚いてその男を見た。それが余計に悪かった。だが、P教授はすぐに倒れない。男はさりげなく去っていった。P教授は多分、「近頃の若い人によくある遊びだ」と思ったのだろう。P教授は個室に入って、もう一度、手を洗うときに倒れていた。まさしくUの予想通りだった。このXが収集した証拠を公表するだけで十分だろう。Uがくれたあの血液検査データの公表は革命成功後にしよう。Uは非常に貴重な隠密離反者だ。そのデータを公表すると、Uが危ないし、あの疑似の全体破壊手段の計画も台無しになる。Xが収集したトイレの映像の公開にしても、P教授の葬儀が終わってからにしよう。今、公開すれば、遺族の悲しみを倍増させることになる。それらを私とXとZは決定した。それらに関する限りで公開は後に実行することになる。他についてはいつも即、公開していた。
政治的経済的権力者による情報科学技術の乱用
あのTが言ったとおり、自然の保全、適正人口の維持、経済の安定化、最低限度の生活の保障、つまり人間を含む生物の生存の保障、つまり社会権の保障のためには総合的な政策の立案と推進が必要である。そのためにはそれらの専門家と人工知能が協調する必要がある。それらの政策の立案と推進は賢明な科学者がしようが人工知能がしようが両者が協調しようが非常に困難なことである。一部の人間の利権が加味された政策が機能するわけがない。だが、一般の市民の情動は加味される必要がある。そもそも、情報科学技術がどんなに進歩しコンピューターや人工知能やロボットがどんなに高度になっても、それらが人間を含む動物がもつような快不快の感覚や欲動や人間がもつような不安、恐怖、期待、欲求…などの精神的情動を創出したり保持したりすることは決してなく、評価することはほとんどない。人間の情動の加味において人間がデータ入力したりプログラムしたり設定したりする余地がいくらでもある。そのような状況の中で、政治的経済的権力者は総合的な政策が自分たちの利権に繋がるように人工知能やコンピュータを操作し、情報科学技術を乱用していた。ただでさえ困難な生存や社会権の保障が、政治的経済的権力者の利権が加味されてうまくいくわけがないのである。Xら世界の反政府グループの情報技術者はそのような乱用も暴き既に公開していた。
ところで、政治的経済的権力の独裁や独占が生存や社会権の保障のためにも機能しない主要な原因としては、既に何度も述べた(1)言論の自由や公正な選挙がないために政策が偏向することと、今挙げたばかりの(2)その政策に政治的経済的権力者の利権が加味されることが考えられる。(2)は(1)より一般市民に分かりやすいと思う。いずれにしてもどちらも大きいと思う。
情報科学技術の乱用の話に戻る。今の選挙やレフェレンダムの集計は情報科学技術に頼りきっている。権力者はそれらの集計も操作し、自分たちの都合のよい結果を捏造していた。それが20XX年より前の十数年から民主的分立的制度が形骸化した原因の少なからぬ部分である。Xら世界の反政府グループの情報技術者はそのような操作も暴露し公開していた。
伝統的な新聞社、出版社、民間の放送局は政府の意図的な紙と電波への規制によってほとんどが倒産していた。または倒産寸前だった。すると、言論や表現の場はインターネットにしか残されていない。だが、権力者は一見したところ大衆しか入ってこないようなサイトに大衆を偽装して侵入し世論を操作していた。それらのこともXらは暴き公開していた。検索ロボットを運用する企業を含めて経済的権力の世界的な独占が進み、異種の経済的権力の間では馴れ合いが進み、インターネット上の検索では企業の実質的な宣伝広告が上位でヒットするだけだった。Xらはそのような検索プログラムとデータにも侵入して、宣伝広告を削除して、自由な言論や表現が上位でヒットするようにしていった。それは骨の折れる作業だろう。グループGは潜伏所に数百人の情報技術者を擁していた。「オタク」が「引きこもる」場所を変えただけと思われるかもしれない。そんなことはない。彼ら彼女らはかつてはネット上でに限らないバリバリの活動家だった。だからこそ政府や軍に顔が割れてしまった。だから、今は潜伏所に潜んでいなければならない。彼ら彼女らは好き好んでそんなことをやっているのではない。今は耐えている。
科学技術、特に情報科学技術に対する批判は20XX年以前からいろいろある。だが、政治的経済的権力者による情報科学技術の乱用が最も重大なことである。今後はそのような乱用を防ぐ情報科学技術も開発されなければならない。Xらはそれにも取り組んでおり、革命完結後に実行する予定である。
また、科学技術と産業と医療福祉の発達と安定化のためには特許制度は必要なのだろう。また、市民の健康のためには医療、医薬、福祉、食品製造…等の営業を許可制にすることは必要なのだろう。だが、この頃、政府と企業が癒着し、大企業と国営企業が圧倒的に優位になるように特許と営業許可を与えていた。それも企業の独占が進んだ一因である。特に製薬を含む医療における公私の企業の独占は激しく、医療費は高額になり、最先端の医療を受けられるのは一握りの高所得者に限られていた。20XX年以降も遺伝子治療の技術は進歩していたが、それを受けれらるのはほんの一握りだった。例えば、ガンの治療において、遺伝子治療より早期発見早期手術のほうが安価で、市民は手術を選択していた。何のための医学の進歩なのかと思う。また、製薬会社、医療機器メーカー、医療介護福祉機関とその団体と政治家が癒着して暴利をえるようになっていた。Xらはそれらも暴露し公開していた。
それらのことは世界的傾向であり、世界の反政府グループがGと同様の対抗策を練っていた。さらに、そのような世界の反政府グループが連携していた。また、世界の反政府グループと世界の市民が協調していた。そこには、世界のそれぞれの国家において政治的経済的権力者が市民を支配し、世界はせいぜい国家が構成する「国際」社会であるという「縦割りの構造・動態」に対して、世界の政治的経済的権力者に対して世界の反政府グループと市民が対抗するという「横割りの構造・動態」がある。私たちにとって国家主義は20XX年以前の遺物でしかなかった。それらのことから私たちは「国民」という言葉ではなく「市民」という言葉を使うようになったのだと思う。今となっては「国民」という言葉は古語にしか聞こえない。市民の間でも国家主義は衰退していた。私たちはネット上で以下のようなアンケートをとった。(1)独裁的独占的な自国の政治的経済的権力に支配される。(2)民主的な他国に侵略され占領される。どちらを選ぶかの二者択一である。ほとんどの市民が(2)を選択した。だが、不幸なことに世界のどこにもそのような民主的な国家はなかった。一見したところ民主的に見える国家においても民主的分立的制度は形骸化していた。その原因の少なからぬ部分が情報科学技術の乱用である。その形骸化の主因は、一部の人間の優れ過ぎた権力獲得のための能力や強烈な権力欲求や支配性、破壊性、自己顕示性…などの自我の傾向にある。それについては後に説明する。
いずれにしても諸国の反政府グループは連携していた。それに対抗して諸国の権力者が連携しては厄介である。そこで、諸国の反政府グループは互いに連携していることも隠密にしていた。
世界の権力者と世界の市民という横割りの構造・動態、権力疎外-権力相互暴露-選択的相互確証破壊(SMAD)
それらの協議が終り、解散しようかという頃になって、私の心の中でP教授という友を失ってできた隙間が疼き始めた。虚しい。つらい。寂しい。今夜は独りになりたくない。XもZも同様のようだ。AT街のいつもの店AQに行って飲んだくれるしかない。ということになった。
グループGを含む世界の反政府グループは、世界の政府と軍の主要施設近隣に一般市民が居住しない運動を展開していた。私たちはこれを「権力疎外」と呼んでいた。地球規模の権力疎外があれば、一般の戦争において、権力者は一般市民を犠牲にせず、権力が権力どうしを破壊し合あうだけで戦争が終わる可能性が大きくなる。全体破壊手段や大量破壊手段を使用する必要性が小さくなる。権力疎外は、全体破壊手段が実際に使用されたときに備えるのでは全くない。全体破壊手段が使用されれば、一般市民は地球上のどこにいても無駄である。権力疎外は全体破壊手段と大量破壊手段の開発、保持と一般の戦争の必要性を減じる手段である。仮に全体破壊手段が全廃された後も、また、予防されている状態でも、私たちはそれらを防ぐために権力疎外を維持する必要がある。
権力疎外をより強固にするためには、世界のそれぞれの国家の市民と反政府グループと隠密離反者が自国の政府と軍の所在地等の情報を積極的に他国に互いに漏らす必要がある。それを私たちは「権力相互暴露」と呼び、実行していた。そうすればより正確に世界の政府と軍の主要施設だけが破壊される。これは前述の「(世界の権力と世界の市民という)横割りの構造・動態」の極致と言えるだろう。
私たちの権力疎外の意図が完全に読めれば、政府と軍は主要施設も分散させたのだろうが、世界でまだそのような政府または軍はなかった。軍の施設は辺鄙な地域にある傾向にあるが、この頃、かつて辺鄙だった地域も過密になっており、あらゆる軍の主要施設周辺で権力疎外が完成していた。
20XX年以前の二十世紀の「冷戦」なるもののときに「相互確証破壊(MAD)」という概念があった。複数の超大国が当時は唯一の全体破壊手段だった核兵器をもって他を確実に破壊できれば、超大国は相互に攻撃することがなく、世界大戦は避けられるというものである。MADの頃から科学技術、特に情報科学技術は進歩し、それぞれの国家の政府と軍はますます選択的に他を破壊できるようになっている。全体破壊手段、大量破壊手段…などの無差別的破壊手段に対して、選択的に政府と軍の中枢だけを破壊できる手段を「選択的破壊手段」と呼べる。選択的破壊手段は宇宙の人工衛星や地上にあっても微小な無人機のような偵察のための手段を含む。選択的破壊手段を用いて市民を巻き込むことなく、それぞれの国家の政府と軍が相互に破壊し合うことを、MADに対して「選択的相互確証破壊(SMAD)」と呼べる。全体破壊手段や大量破壊手段をもって武力行使の権限をもたない一般市民を威嚇しても何の効果もない。武力行使と戦争の抑止のためには武力行使の権限をもつそれぞれの国家の政府と軍の中枢を威嚇する必要があり、それには選択的破壊手段だけで十分である。世界の政府や軍の幹部はSMADは効率的な戦略と言わざるをえないだろう。今後は世界の政府と軍の幹部は無差別的手段ではなく選択的破壊手段と防衛手段の開発と製造に集中する必要がある。そのほうが従来の戦略より効果的である。
さらに、横割りの構造と縦割りの構造の混合の中で以下のようなことが可能になる。独裁制によって苦しむ国家(A)の市民は民主的分立的制度の確立した他の国家(B)に自国の独裁政権を倒してもらおうとするだろう。その場合、A国の市民はA国における権力疎外とA国からB国に向けての一方的な権力暴露を実行できる。また、B国の国家権力にA国の独裁政権を選択的破壊手段によって破壊してもらおうとするだろう。だが、それがSMADとなってB国の国家権力も破壊されたのではA国の市民もB国の市民も困る。そのようなことは最大限に慎重に進められる必要がある。まず、A国における権力暴露が最大限に正確で包括的である必要がある。また、B国からA国へ向けての選択的破壊手段の使用が不意打ちで迅速かつ完全である必要がある。ところが、残念なことに現在はそのような国家Bが存在しない。
さて、権力疎外、権力相互暴露によってSMADの選択性がさらに高まる。それらは重複する。重複するそれらを「権力疎外-権力相互暴露-SMAD」と呼べる。それは世界の市民にとっては、市民を犠牲にせず、最悪でも権力者だけを犠牲にすることである。権力者にとっては効率的な戦略である。それは世界の市民と世界の権力者の両方から世界大戦と全体破壊手段の必要性と可能性を減じる。ここにこそ世界の市民と世界の権力者という横割りの構造・動態がある。
近代国家の形成以来、独裁、全体主義、大量虐殺、戦争、全体破壊手段の使用と人間を含む生物の絶滅の危機…などの血なまぐさい出来事のほとんどは、国際社会を構成する国家という縦割りの構造・動態の中で生じてきた。横割りの構造の中で生じえる血なまぐさい出来事の中に以上の権力者の犠牲がある。残りは世界革命だけである。その世界革命を無血革命とするためには権力を有力な権力内隠密離反者で満たしていく必要がある。また、後述するようにして市民の間の争いを極小化する必要がある。
当初は私たちはそれで、以上のような政治的または戦略的効果を狙っていた。だが、以下のような経済的効果も現れていた。政府と軍の高官は主要施設から離れた郊外に住み、郊外から通勤するようになった。一部の大企業も郊外に移転し、重役らは郊外に移住した。さらに中級下級公務員を含む中間層も郊外に住むようになった。政府と軍の主要施設近隣の地価は低下し、五分の一以下になった。かつて高所得者が住んでいた高層マンションは高層アパートに変り、家賃も五分の一以下になった。そこで、低所得者が政府と軍の主要施設近隣に住むようになった。そのようにしてそこに庶民の街が形成されていた。だが、反政府グループが誘導するまでもなく、人々はいざというときは庶民の街のより周辺に移動するつもりでいた。既に大都市は地下、地表だけでなく、地上の高所も、高層ビル、高層道路、高層鉄道…などで過密化していた。庶民の街も同様で、高層ビル街でもあった。高層道路や高層鉄道によって郊外に移住した高所得層、中間層は、政府と軍の主要施設と移転しなかった企業に容易に通勤できた。政府は、庶民の街にあった駅やインターチェンジの多くを閉鎖した。だから、庶民の街の人々の主要な交通手段は、徒歩、自転車、バイクであり、交通渋滞はなかった。また、庶民の街の駅やインターチェンジを閉鎖したことによって、政府や軍は庶民の街に速やかに介入できなくなった。だから、庶民の街は都会の中では想像もできないほど開放的で平和な街になっていた。いざ「革命でござる」というときは庶民の街の人々がすぐに政府と軍の主要施設になだれこむようになっていた。それらは、A国に限らず、世界的現象である。例えば、A国の首都にはAT街が、B国の首都にはBT街が形成されていた。
AT街の片隅にこの店AQがある。三人のいきつけで、店主が奥まったテーブル席に座らせてくれた。三人は以上のようなことを飲みながらも確認したが、他の客も店主も誰も聞いていない誰にも聞こえていない。三人の話が次第に些末なことになり他に聞こえてもよいほどになり始めた頃、あのUからメールがあった。Uも今夜は眠れないと言う。Uもこの店に来ることになった。
Uが到着した頃には話題はたわいもないものになっていた。Uもすぐにたわいもない話題に溶け込んで、話題はとりとめもないものになった。
軍内部の隠密離反者
あくる朝、私が目を醒ますと、Uのアパートだった。Uが朝食を作ってくれていた。二人で差し向かいで食べた。うまかった。そこには普通の女と男しかいなかった。医学界のヒロインにしてエリート官僚にして隠密離反者であることや、思想史と科学技術史が専門の歴史学の教授にして反政府グループのリーダーであることは、何の意味ももたない。私はそのUのアパートからA1大学の自分の研究室に出勤した。Uはいつものように政府の広大な研究所の中の自分の研究棟に出勤した。それはUの研究所と言ってもよく、政府と軍の主要施設のすぐ近くにあった。UのアパートはA国の首都の庶民の街ATにあった。UはAT街が好きだと言う。私も同感だ。A1大学はAT街が形成される以前から政府と軍の主要施設の周辺にあった。私のアパートもそうだった。結局、私のアパートとUのアパートとA1大学はAT街にある。それとあの国際会議場と公園もAT街にある。だからあの日、あの公園に集結した人々はAT街の人々が多かった。
私の研究室に着くと、Xが既に出勤していた。Xは私の助手を装って私の研究室を活動の場にしている。結局、私の研究室にある一見したところどこの研究室にもあるコンピューターとZが管理する潜伏所にあるコンピューターが世界の反政府グループと市民のサーバーになっている。ここのサーバーについては以下のとおり。ネットワークの起点と終点はA1大学のものだが、政府や軍から見れば盲点であり安全だった。ここが捜索されたり襲撃されたときのために潜伏所のコンピューターに随時、バックアップしている。ということはXは潜伏所の所在地を知りうるのだが、Xはそれを調べないようにしている。ここのコンピュータのデータもプログラムもXまたは私以外が操作すると、完全に消滅するようになっている。それらによって、仮にここが襲撃されたとしても潜伏所と潜伏所のスタッフと潜伏所のサーバーとデータとプログラムは残る。その逆も成り立つ。
Xは複雑な表情をしていた。もしかして…Uへの嫉妬か…それは私の邪推だった。軍のN大佐が私に面会を求めていると言う。私もXも本当にどぎまぎした。ここまで政府か軍の監視または弾圧の手が伸びたか…それも想定して対策は練っているが…Xと私も潜伏しなければならないのか…その危惧は不要だった。私は別室でN大佐と面会した。
N大佐は私の父より十歳ほど年下の五十代の男性。まず、「これから言うことは内密にして欲しい」と言う。来た! Uと同様の離反者か…その候補か… 。N大佐は続ける。「私が少佐だった頃、あなたの父上は大佐で、私は父上の直属の部下でした。私たちはクーデターを画策していました。当時の独裁政権を倒して民主化することだから、クーデターではなく革命だったのかもしれないが…それを当時は大佐だったM将軍に暴かれて、あなたの父上と母上は無人飛行機の墜落事故を装って暗殺され…」
私は既に涙をこらえていた。私がA1大学の学生でそのすぐ近くの小さなアパートに住んでいた頃、実家の両親宅に民間の無人飛行機が墜落し、両親が救急病院に搬送された、との知らせがあった。私が救急病院に到着したときには両親は既に死亡していた。妹も来ていた。無人飛行機の管理会社の職員も来ていて私たちに謝罪し、賠償はさせていただくと言う。結局、数千万円の賠償金が支払われた。また、実家の土地を売却した。私と妹は等分した。取り分を資金にして私はA1大学の大学院まで進んだ。また、超大国BのB1大学に留学もした。私の進路はさておき、無人飛行機の墜落もその事後処理も軍か政府の暗殺の偽装だった。父は軍か政府に暗殺された。母はその巻き添えになった。それらが今になってN大佐の告白によって分かった。
N大佐は続ける。「私(N大佐)の動きは暴かれなかった。独裁政権の最大の黒幕はM将軍だ。あなたの父上の暗殺を主導するだけでなく、P教授の暗殺を命令したのもM将軍だ。他にも幾多の人々がM将軍の直接的または間接的な命令で虐殺または暗殺または拉致拷問された。また、幾多の人々が政治犯として拘束されている。それらはすべて司法過程を経ていない。私はM将軍に疎んじられた。遠い小国の内戦に介入させられた。文字通り泥沼の戦いで、多くの部下が撃たれて泥沼に沈んだ。何人かは生きたまま泥沼に引きずり込まれた。A国に帰って来ると、反政府グループの殲滅をやらされた。反政府主義者の拉致や拷問もやらされた。私はじっと耐えた。それはいつの日かM将軍ら独裁政権を倒して民主的な政権を樹立すると誓ってのことだった。私は期が熟するのを待っています。あなたは大佐のご子息としてどうお考えですか」と私を見つめる。私はN大佐を信用していいと思った。端的に「私は反政府グループGのリーダーです」と言った。N大佐は少し驚いていたが、すぐに理解した。私とN大佐はXが作ったネットワークを通じて安全確実に連絡を取り合うことになった。また、ネットワークを通じてZを紹介することにした。これは強力な同盟になるだろう。そのように離反者の多くは、反政府グループと対等の同盟関係にある「盟友」と言ってよい。さらに何人かは反政府グループのメンバーと言ってもよい。つまり、隠密離反者にして盟友にして反政府グループのメンバーであると言ってよい。考えてみればUもそうである。あのTもA国の軍のО参謀も後にそうなる。
悪循環に陥る傾向への直面
M将軍のような権力者では後述する独裁者型陥る傾向が形成されていることが多い。それを説明する前に一般の陥る傾向を説明する。
人間では一般に様々に大なり小なり、以下のような(悪循環に)陥る傾向が形成される。以下は人間の誰にでもある基本的な陥る傾向とやや強めの陥る傾向である。基本的用語の説明の後にそれらを説明する。
[乳児期幼児期前半]分娩から自己のイメージが生成し始めるまで。通常、三歳まで。三歳というのには多少の個人差はある。
[幼児期後半前思春期]自己のイメージが生成し始めてから性的機能の飛躍的な発達が始まるまで。通常は三歳から十歳まで。十歳までというのには大きな個人差がある。
[思春期]性的機能の飛躍的発達が始まってから終わるまで。幅広く見て、十歳から十七歳まで。その中で個人差と性差は大きい。十歳から十五歳までの女子もいれば、十二歳から十七歳までの男子もいる。
[母親]実母に限らず、乳児期幼児期前半に最も頻繁に乳幼児を世話した人間を指す。実父、義母、義父、兄姉、祖父母、近所の人、保育士…などが母親になりえる。また、複数の人間が母親になりえる。例えば、母親が仕事で忙しく、家に不在のときは祖母が子供の面倒を見ている場合、母親と祖母が母親になりえる。だが、多くの場合は実母が母親である。
[イメージを回避すること]不安、自己嫌悪、恥辱…などの精神的苦痛を生じるイメージを苦痛を生じない他のイメージに切り替えること
[イメージを取り繕うこと]精神的苦痛を生じるイメージを苦痛を生じないイメージで覆うこと
[(イメージへ)直面すること]精神的苦痛を生じるイメージを切り替えたり覆ったりせず、現れるがままにすること
[粘着]ともかく他人から離れないこと他人を離そうとしないこと
乳児期幼児期前半の乳幼児は母親の愛情と世話を求めて自暴自棄的になり母親に粘着、自己顕示し母親を支配し破壊しよう…などする。それらの傾向を(乳幼児的)(悪循環に)陥る傾向と一般的に呼べ、自棄性、粘着性、自己顕示性、支配性、破壊性…などと個別的に呼べる。母親が適度な愛情をもって乳幼児の世話をすれば、乳幼児は乳児期幼児期前半の終わりまたは幼児期後半前思春期の初めに愛情と世話と母親そのものに満足し、それら以外のものも求め、乳幼児的陥る傾向が減退する。それに対して、母親の愛情と世話が希薄であると、幼児は十分な愛情と世話を求め続けて、乳幼児的陥る傾向が減退せず、強いまま残る。また、どんな母親も乳幼児と常に一緒に居ることができず、乳幼児は大なり小なり孤立せざるをえず、孤立に対処しようとし、孤立的傾向が形成される。それも乳幼児的陥る傾向に含まれる。母親の愛情と世話の希薄によっては強い孤立的傾向が形成される。
幼児期後半前思春期の初め頃には自己のイメージが生成し始める。その自己のイメージと世界のイメージの間には間隙がある。自己のイメージが生成し始めてからしばらくして、「自己がやがて死ぬことへの不安」と「自己を永遠の存在としようとする欲求」が形成され始める。自己を永遠の存在としようとする欲求を「自己永遠化欲求」「永遠を求める欲求」「永遠を求めること」…などとも呼べる。それらを「(前思春期的)(悪循環に)陥る傾向」と呼べる。乳児期幼児期前半に強い孤立的傾向が形成されたとき、自己のイメージと世界のイメージの間の間隙が拡大している。すると、自己がやがて死ぬことへの不安を減退させることがなかなかできない。何故なら、その不安を超える方法は何らかの方法で世界と一体化することであり、自己と世界の間の間隙が拡大しているとなかなか世界と一体化ができないからである。すると、その不安と自己永遠化欲求が強く形成され、前思春期的陥る傾向が強く形成される。
自己永遠化欲求はその後も残る。いかにして永遠に近づくか。そんなに遠くない昔、多くの人間は宗教の中で現実の世界を超える永遠と見えるものに一体化することによって自己を永遠の存在としようとしてきた。現代では多くの人間は人間を含む自然、一般の人間、「大衆」、身近な家族や友人…などと一体化することによって自己を永遠の存在としようとする。子供に何かを託せると思い、子供に何かを残そうとすることがある。美を永遠だと思い、作品に刻もうとすることがある。歴史に栄誉、業績…などを残そうとすることがある。この最後の傾向の結末については後の章で説明する。
子供は大なり小なり母親や父親を含む年長者の自我、情動、意識的機能を模倣する。それらの陥る傾向も模倣する。思春期にはその模倣が思春期以降の生き方に関連したものになる。家庭や遊びや趣味や仕事を大切にする母親や父親を模倣することがある。仕事や家事に必要な知識と技術を模倣することがある。強い支配性、破壊性、自己顕示性、強い権力欲求、高い権力獲得能力をもつ人間たちと関係し、それらの自我と情動と意識的機能を模倣し、それらが増強されることがある。それについては後述する。親たちに反抗して、それらの逆の生き方を模倣することがある。それについては次に述べる。
どの時期も子供は親たちの干渉に対して反抗するが、思春期には反抗が意図的で計画的で持続的になる。反抗は独立のための原動力になりえるが、強く常に反抗するのでは以下のようになる。反抗という対人機能の能力だけが発達し、それ以外の対人機能の能力が未熟にとどまる。また、反抗の対象の生き方と逆の生き方が偏って形成される。
以上のような模倣と反抗によって偏って形成される傾向と次に述べる陥る傾向を回避し取り繕う傾向…などを「(思春期的)(悪循環に)陥る傾向」と呼べる。
思春期以降、特に思春期には自己の乳幼児的、前思春期的陥る傾向がイメージとして現れると、不安、自己嫌悪、恥辱…などの強い苦痛が生じる。特に、粘着性と自己顕示性は他人から疎んじられるとともに、自己嫌悪と恥辱という強い苦痛を生じる。また、母親に愛されなかったために愛を求め続けて他人に粘着し自己顕示しているなどということは考えたくもないし他人に知られたくもない。また、自己がやがて死ぬことへの不安におののいて名誉を求めているなどということも考えたくもないし他人に知られたくもない。そこで、思春期以降、特に思春期の自我は、そのような苦痛を減退させるために、自己の乳幼児的陥る傾向と前思春期的陥る傾向がイメージとして現れ強い苦痛を生じると、その苦痛に満ちたイメージをあまり苦痛を生じないイメージ、特に自己の美点と思われるもののイメージに切り替える、または、あまり苦痛を生じないイメージで覆い尽くす。それを「(悪循環に)陥る傾向の(イメージを)回避し取り繕うこと」と呼べる。例えば、思春期には誰もそれなりのルックスとスタイルをもっている。それらのイメージで自己の陥る傾向のイメージを覆って取り繕おうとする。誰もが大なり小なり陥る傾向を回避し取り繕い、また、後に権力を獲得する人間のほとんどは既に思春期にある程度の権力獲得のための能力をもっており、自己の陥る傾向のイメージをその能力のイメージに切り替える。誰もが大なり小なり陥る傾向を回避し取り繕い、誰もにおいて大なり小なり陥る傾向を回避し取り繕う傾向が形成される。強い乳幼児的陥る傾向と前思春期的陥る傾向が強い人間おいては、強い陥る傾向を回避し取り繕う傾向が形成される。陥る傾向を回避し取り繕う傾向が強く形成されるほど、自我がなかなか陥る傾向に直面できず、陥る傾向は減退しない。それが最大の悪循環である。以上の乳幼児的陥る傾向と前思春期的陥る傾向と陥る傾向を回避し取り繕う傾向を含む思春期的陥る傾向を「(悪循環に)陥る傾向」と呼べる。
以上は人間の誰にでもある基本的な陥る傾向とやや強めの陥る傾向である。わたしたちのそれぞれがそれなりの陥る傾向をもつ。わたしたちのそれぞれが自己の陥る傾向に直面する必要がある。
陥る傾向の最大の原因は乳児期幼児期前半の母親の愛情と世話の希薄や思春期の模倣にあるのではなく、思春期以降、特に思春期に形成される陥る傾向を回避し取り繕う傾向にある。私たちは何より自己の陥る傾向を回避し取り繕う傾向に直面する必要がある。陥る傾向を回避し取り繕ったのは思春期の自我であり、まるで昨日のことのように思い出され、直面できるだろう。社会において権力や権力者から自由になったとしても、個人は個人の悪循環に陥る傾向に陥っている。それから自由になるためにはわたしたちのそれぞれは陥る傾向に直面する必要があり、特に陥る傾向を回避し取り繕う傾向に直面する必要がある。
独裁型陥る傾向
すべての権力者が強烈な陥る傾向をもつわけではない。だが、強烈な権力者、つまり独裁者が以下のような陥る傾向を大なり小なりもつことは確実である。以下のような陥る傾向を「独裁型(悪循環に)陥る傾向」と呼べる。
乳幼児的陥る傾向の中で支配性、破壊性、自己顕示性が優位になる。その原因としては、愛情と世話が希薄な中で、支配、破壊が疎んじられなかったことと自己顕示欲が満たされなかったことがあると考えられる。前思春期的陥る傾向の中では以下のとおり。乳児期幼児期前半に孤立的傾向が強く形成され、自己と世界の間の間隙が拡大し、自己がやがて死ぬことへの不安と自己永遠化欲求が強く形成される。乳幼児期後半前思春期にも彼らを含めて子供はそれなりに年長者を見て模倣している。例えば、家族の中にある程度の栄誉を得たり業績を残している人間がいて、それを模倣するかもしれない。また、実在のまたは架空の英雄や偉人の物語を読んで模倣することがあるかもしれない。すると、歴史に栄誉、業績…などを残して自己永遠化欲求を満たそうとする。そのために社会の中で他人を支配して何かをしようとする。すると、それらのための手段であったはずの権力やカネに対する欲求が強く形成される。狭義の権力やカネを含めて社会の中で他人を支配して何かをするための手段を「(狭義の)権力」と呼び、それに対する欲求を「(狭義の)権力欲求」と呼べる。そのような狭義の権力、権力欲求は、ニーチェが言う広い意味をもつ権力、「権力への意志」とは少し重なるだけである。
そこまできた人間は思春期前後に同じ傾向と欲求をもつ人間たちと関係することが多く、それらの模倣によって、それらの傾向と欲求がさらに強くなる。
さらに、そこまできた人間においては、既に権力獲得のための能力と権力欲求もかなり形成されている。そこで、自己の陥る傾向がイメージとして現れると、そのような能力をもつ自己のイメージでもって陥る傾向のイメージを回避し取り繕う。また、後に権力を握ると権力の取り巻きからはもてはやされる。そこで、権力を握る自己のイメージが美化される。それらの自己のイメージでもって陥る傾向のイメージを回避し取り繕う。そこで、陥る傾向を回避し取り繕う傾向が強くなり、陥る傾向に直面することができず、陥る傾向は減退しない。
そのようにして形成される強烈な支配性、破壊性、自己顕示性を含む陥る傾向と強烈な権力欲求を「独裁型陥る傾向」と呼べる。それをもつ人間が権力を握ると、権力を拡張し独裁や全体主義や独占・寡占へと走る傾向がある。
そのような人間は自己の陥る傾向に直面する必要があり、特に陥る傾向を回避し取り繕う傾向に直面する必要がある。
以上のことがM将軍について言えるだろう。実際、後にM将軍はそれを認めることになる。
自己がやがて死ぬことへの不安と自己永遠化欲求を減退させること
前述のとおり、独裁型陥る傾向の第一の重点は陥る傾向を回避し取り繕う傾向である。独裁型陥る傾向の第二の重点は強烈な自己がやがて死ぬことへの不安と自己永遠化欲求である。また、陥る傾向の外でその不安とその欲求が強く形成されることがある。その不安とその欲求が強烈な人間が、強い権力欲求を形成し独裁や全体主義や独占・寡占へと走るのを防ぐためには、それらの人間を含むわたしたちのそれぞれが以下のことをする必要がある。父親が言ったことを繰り返す。第一にあの少女が提示した自己がやがて死ぬことへの不安を超える決定的方法にわたしたちのそれぞれが至る必要がある。すると、自己は既に永遠の存在であって、わざわざ自己を永遠の存在にする必要も、わざわざ自己を永遠と思われるものに一体化させる必要も全くないことをわたしたちのそれぞれは知る。例えば、栄誉を得て残したり歴史に残るようなことをしたり、宗教や神を信じて善い行いをしたりは必要がないことをわたしたちのそれぞれは知る。すると、自己永遠化欲求は減退する。すると、その不安とその欲求が強い人間が強い権力欲求を形成し独裁や全体主義や独占・寡占に走ることは防げる。
だが、その不安とその欲求をあまりもたない人間が強い権力欲求をもつことはある。権力欲求は陥る傾向の外でもまたその不安とその欲求以外からも形成される。また、強い権力欲求なくても個人や集団が権力を握り拡張し独裁、戦争…などへ暴走することはある。だから、もちろん、わたしたちは個人や集団だけでなく権力そのものを抑制する必要がある。
自己がやがて死ぬことへの不安を超える決定的方法に至ることによって、わたしたちは生と死の限りない繰り返しの中で人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛があることを知っており、あの父親が提示した世代を超えて実現可能な究極の欲求・目的に至る。そのような苦痛を直接的に生じるのは権力であり、権力がなければそのような苦痛は生じない。苦痛に対して快楽は、私たちは自由に追求しれいればよく自由に追求する必要がある。だが、自由も権力によって侵害されうる。だからといって、権力をすべて破壊する必要があるというのでは全くない。いくつかの権力は苦痛を減退させ生存を保障し自由を擁護するために必要である。だから、わたしたちは必要な権力を民主化し分立する必要がある。わたしたちは国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立することを含む民主的分立的制度を確立し維持し、後述する一方的廃止の積み重ねによって全体破壊手段を全廃・予防する必要がある。
私について
私については以下のとおり。父は私にともかく力をもつことを求めた。母は私にともかく理性をもつことを求めた。結果として両親は愛情希薄だった。乳幼児の私は愛を求め続けたのだろう。そこで、私には特に粘着性が形成された。それは今になっても独りになることへの強烈な不安として残っている。あのP教授を失った夜の「独りになりたくない」の主要な原因は友を失った喪失感であって、粘着性だけから生じたものではない。実際、あの時にはそのような気持ちはXやZにもあった。三歳を過ぎて自己のイメージが形成される頃には、やはり乳児期幼児期前半からの孤立によって自己と世界の間の間隙が拡大していたと思う。そこでやはり自己がやがて死ぬことへの不安が強くなった。そこでやはり自己永遠化欲求が強くなった。ところが、私には父への反抗があった。私にとっては権力を獲得することではなく、権力に反抗し権力を永遠に破壊することが永遠を求めることだった。思春期には父だけでなく、学校の教師や優等生や地域の警察や当時はまだ残存していたヤクザに反抗した。あのTとは激しい議論をした。Tは権力を改革するためには権力の中に入って中から改革する必要があるというようなことを言っていた。私はそんなことをすれば権力が破壊されるときに自分も破壊されてしまうというようなことを言っていた。そして、権力に反抗する勇ましい(そう思っていた)自己のイメージによって粘着性とやみくもに権力に反抗する傾向を回避し取り繕っていた。そのために自己の粘着性とやみくもに権力に反抗する傾向に直面できず、それらは減退しなかった。これも悪循環である。だが、権力に反抗する勇ましい自己のイメージは揺らいでいた。やはりそんなに自信がなかったからだろう。だから、思春期を過ぎてから私はそれらの乳幼児期からの陥る傾向の形成過程に直面できた。また、いくつかの権力は私たちの自由のためにも生存のためにも必要であることを思春期以降に身をもって感じた。そこで私は権力にやみくもに反抗するのではなく、権力を民主化し分立しようと思うようになった。
そのような私のかつての傾向を指すような用語はないが、「反抗型陥る傾向」と呼んでみる。独裁型と反抗型の違いは自己永遠化欲求から権力を求めるか、権力に反抗するかの違いがあるだけである。つまり、独裁者と革命家は紙一重である。そのことを知ると、以下のようにしてますます権力を獲得し振るうよりも権力を民主化し分立しようとすることがある。権力を獲得して自己顕示して栄誉を残そうとする人間などどこにでもいる。自分はそんな者と同類になりたくない。自己を永遠で唯一無二の存在にしたい。そのためには栄誉を残さず自己顕示せず人知れず匿名で二度と独裁に逆行しないような民主的分立的制度を確立したい。実際、人知れず世界や歴史を変えることには言い知れない快感がある。しかも、生存と自由の両立などという困難なものに挑戦していると、胸がワクワクしてくる。しかも、困難であればあるほど、なかなか達成できず、それらの快感が長く続く。XやZやUやN大佐もそうだろう。
そして、今日、N大佐の告白から、私と父は結局、同じ道を歩んでいたことを知った。父や母が力や理性をもつことを私に求めたのは権力の民主化等のためには力や理性が必要だとわきまえてのことだったのだろう。私が今日あるのは両親のおかげである。ところが、親孝行できないどころか、親に反抗して苦しめただけだった。親を踏み台にしただけだった。そういうと美しく聞こえるかもしれない。私の反抗は、海で溺れたように見せかけて家出をする、警察の建物の壁に「権力の犬」と落書きをする、父が軍人として家で厳重に保管していた拳銃を密かに持ち出して当時はまだ残存していたヤクザに立ち向かう…など、踏み台にするというようなレベルでなかった。今思うと、あの頃は本当にくだらないことをやっていたと思う。馬鹿じゃないかと思う。若いから許されるなどのレベルではないと思う。なんと言えばよいのだろうか。短絡的と言えばよいのだろうか。それでも足りないと思う。今でも思い出すとわめきそうになる。このときは最大の声でわめいてしまった。Xが心配してドアを開いて見ていた。「独裁政権の最大の黒幕はM将軍だ」と言っておいた。
適材適所
N大佐が来た数日後にあのTが私の研究室にやってきた。あの国際会議で自然の保全、適正人口の維持、経済の安定化、最低限度の生活のためには総合的な政策の立案と推進が必要であること、そのためには科学者と人工知能の協調が必要であることを強調していた最高の経済学者にしてエリート官僚のTである。私とは中学校と大学での同級生でもある。TもA1大学大学院出身であり、校内の地理には慣れている。Tが私の研究室を訪れてくると互いに「ヨオー、久しぶりー」という感じで、別室に入るとすぐにTが政権の暗部を暴露し始めた。
「俺たちと人工知能が精巧な政策を立てても、政府と企業の幹部のヤツらがつるんでヤツらの利権を押し付けてきやがる。ただでさえ立案困難な政策が、ヤツらの利権が絡んで成り立つわけがねえんだよ。生存も社会権も自然の保全もあったもんじゃねえ。俺たちの苦労が水の泡だ。人工知能もヤツらの下手な操作でぶっ壊れちまうかもしんねえ。すると俺たちが蓄積したデータもプログラムも水の泡だ。バックアップも追いつかねえんだぜ。俺たちはヤツらが人工知能を不正に操作している確たる証拠をつかんだ。暴露してやろうぜ」とTは一気に言う。分かりやすい。だが、Tにもそれなりの板挟みや葛藤があったのだと思う。それを言うと、Tは「そうなんだよ」と今までの苦悩を延々と語り始めた。小学校の頃からエリートとして生きて来た。遊びもスポーツも万能だった。だが、経済学等の研究においてものすごい努力をしていた。一見したところの天才にも隠れた努力がある。その努力が政治的経済的権力者の私利私欲によって踏みにじられている。それは悔しいだろう。Tが信用できる人間であることは前から分かっている。私はTに私の裏の身分を明かし、Tは自然に隠密離反者にして盟友にしてGのメンバーになった。
しばらくして二人は黙った。政府の人工知能の不正操作を暴露するとTが危ないのではないか。私はXを呼んだ。TもXに助言を求めた。XはTに「それを暴くと、あなたたちが暴いたことがどうしてもバレてしまう。あなたたちは拉致、監禁、拷問または暗殺の危険に晒される。暴くなら、あなたたちは潜伏するしかない」と真摯に語る。Tはまた黙ってしまった。しばらくして「俺が潜伏する分にはまだいいんだけど…俺の両親や部下や部下の家族をどうすればいいんだ…」とTは苦悶する。これは難問だ。それらの人々も拉致監禁されるだろう。今、潜伏所に潜伏しているスタッフはほとんどが独身者だ。家族や部下がいる人間はどうすればいいのか。Xも頭を抱えている。長い協議の末、革命の直前に暴露するということになった。すると革命に勢いが付き一気に決着が付き、Tらに手が及ばないだろう。実際それらはうまくいくことになる。
その後、TとXは私事を語り始めた。私はその部屋をこっそり出て行った。XはTにもとから憧れていたようだ。また、XもTも独身だ。社会権を保障する人の支配系(S系)における最強のカップリングが出来上がった。最高の経済学者と超一流の情報技術者の連携である。
S系の人材としてはTとXのような有能で臨機応変な人が適する。それに対して、自由権を擁護する法の支配系(L系)の人材としてはP教授のような厳格で融通の利かない人が適する。それらの二系を分立することによって適材適所が可能になる。それぞれに適した人格が明確になる。P教授は亡くなったが、今の独裁的な政権においても、司法権や立法権に関する限りで、L系に適しそうな裁判官と議員がいる。ただ、それらの人たちはM将軍らの圧力の下、自己抑制せざるをえない。
自己破壊型悪循環に陥る傾向
私とUの恋愛は続いた。Uは私のアパートに来てほとんど同棲状態になった。二人は結婚を考えるようになった。Uには結婚離婚歴なし。私には結婚離婚歴が一回ある。
前妻Qは乳児期幼児期前半に両親から虐待・放置されていた。結果的に愛情と世話が希薄どころか欠如していた。私については愛情希薄があった。Qについては愛情だけでなく世話もであり、それらは希薄どころか欠如していた。そこでQには自棄性、粘着性、自己顕示性、破壊性、支配性、孤立性…などの(乳幼児的)(悪循環に)陥る傾向が形成された。つまり、乳幼児期的陥る傾向のほとんどすべてが形成されている。幼児期後半前思春期には、自己のイメージが生成しかけても、虐待・放置される自己のイメージばかりで、それらを手当たり次第に破壊してしまう。だから、確固とした自己のイメージは生成せず、自己がやがて死ぬことへの不安は強くならず、自己を永遠の存在としようとする欲求も強く形成されない。だが、そのような自己のイメージの破壊も(前思春期的)(悪循環に)陥る傾向に含まれる。乳児期後半前思春期には、虐待は治まったものの放置は続いた。そこで、乳幼児的陥る傾向は減退しないどころか強固になった。思春期には破壊性が自己に向かい自傷をするようになった。実際、Qの左前腕には無数の切り傷の跡が残っていた。そのような自己に向かう破壊性は、乳児期幼児期前半に形成される自棄性によっている。そして、自己の陥る傾向がイメージとして想起されると強烈な不安が生じ、自傷して自己の身体を破壊することによって苦痛を生じる自己のイメージも破壊しようとする。それも陥る傾向を回避し取り繕う傾向に含まれる。そして、陥る傾向に直面することができず、陥る傾向は減退しない。自傷による陥る傾向を回避し取り繕う傾向も(思春期的)(悪循環に)陥る傾向に含まれる。以上の傾向を「自己破壊型陥る傾向」と呼べる。そのような自己に向かう破壊性が主として乳児期幼児期前半に形成される自棄性に基づくのに対して、他者に向かう破壊性は主として思春期の年長者の支配性、破壊性、自己顕示性の模倣によって形成される。Qにとっては年長者を模倣する場は家庭でしかなく模倣する対象は親の陥る傾向でしかなかった。そして、私と結婚して支配性が前面に出てきた。Qは家庭において家族の構成員を支配しようとする。だが、Qの家庭の支配はいわゆる「家ではライオン、外ではネズミ」、つまり、外の社会で抑圧され支配性と破壊性と自己顕示性を発散できない人が家庭でそれらを発散させることとは異なる。何故なら、Qにとっては外の社会はなく家庭がすべてだからである。支配性と破壊性と自己顕示性の発散の場に関する限りで、自己破壊型陥る傾向と独裁型陥る傾向は紙一重である。簡単に言って、家庭における独裁者と社会における独裁者は紙一重である。例えば、QとM将軍は紙一重である。だが、もう少し考えてみると犠牲者の数が全然違う。例えば、Qの被害者は私と子供の三人だけである。だが、私と子供にとっては重大である。子供については後述する。
Qは結婚前には粘着性を前面に出して来た。その粘着性は私のものとはレベルが違っていた。実際に私から二十四時間、離れなかった。出会った初日から私のアパートに住み着き、大学まで付きまとって来た。それはそれでかわいかった。私はそれを愛と錯覚した。結婚後は支配性が前面に出てきた。家庭において二人の子供も私も支配しようとした。子供に対しては囲い込み・独占となった。そのため、子供はたまたま休日に私と三人で外出するといやにのびのびしていた。それがなんともかわいそうだった。子供がそうなった過程については後述する。私に対してはQは家庭に存在することを要求した。しかも家庭で仕事をしないことを要求した。その頃の私は研究が一番たいへんなときだった。Qの要求を全面的に満たすことは不可能である。Qは服従しない私に破壊性をむき出しにし、私に喚き散らし食器を投げる刃物で脅すなどの暴力を振るうようになった。私の顔にはスープのカップを投げられた跡がまだわずかにだが残っている。Qは思春期には破壊性が自己に向かい自傷していたが、ここでは何故か破壊性が夫に向かっている。私の方からも離婚を考えたが、ある日、Qは子供を連れて去って行った。その後のQと子供については後述する。
Qが去って行った後、私は割り切ろうとしたが割り切れなかった。Qの言葉が響いた。Qは「I(私)は人を愛すことを知らない。愛とはいかなる犠牲もいとわないこと」とよく言っていた。そんなことはない。結果として犠牲になる愛はやむをえない。犠牲を強いる愛は偽物だ。それは分かっているが、割り切れない。権力の民主化や分立や革命だの言っているが、俺は何のために生きているのだろう。本当に俺は愛に生きることとか、人間が生きることを知らないのではないだろうか。権力の民主化や分立などをとやかく言う人間性をもっていないのではないだろうか。と思い悩んだ。また、私に乳幼児期から形成されている粘着性、つまり、独りになることへの不安、簡単に言って寂しがり屋が強烈に出てきた。独りの部屋に帰るのが恐かった。あのP教授が亡くなった夜の「独りになりたくない」はP教授の喪失からきたもので、XやZにもあった。また、誰でも離婚や離別後にはそういう気持ちがあるだろう。私の場合はもとからあった粘着性によってそういう気持ちが高じたのだと思う。
私は思想史の研究に没頭した。既にある文献を漁るだけでなく、あの「放射能残留立ち入り禁止区域F」に入って放射能が残留していないことを確かめながら文献を発掘した。その区域に張ったテントが私の家になった。その辺りの自然にも溶け込んだ。想像上のあの少女とその父親が夢に出てくることもあった。少女は「何だこのおっさんは…」というように私を見ていた。その父親も無言だった。ちなみに夢は外的状況や他人を直接反映せず、自己の内的状況や情動を直接的に反映する。夢に出てくる外的状況や他人は自己のそれらについての認識や情動を直接的に反映する。だから、夢に出てきたあの少女やその父親は、当時の私の自己に対する疑いや嫌悪を反映していたのだと思う。そうこうしているうちに時間が解決してくれた。Qと結婚したのが間違いだった…何故、あのとき結婚したのか…結婚する前のしばらくは愛し合っていたのだ…仕方がない…とほとんどの夫婦が言うようなことを思うようになった。
その後も私はF区域に度々、入ってあの少女とその父親の手記、20XX年以前の図書館に残っていた文献…などの発掘と保存を続けた。それは孤独を凌ぐためではなく、それらの発掘と保存が今後の私と世界に必要だと考えたからだろう。実際、図書館から発掘した文献はあのP教授が活かしていた。宗教、倫理、道徳…などの衰退した現代において、あの少女の手記は既に活きて宗教の代わりになっている。今後は伏せておかれたあの父親の手記も活きて従来の倫理、道徳…などの代わりになると思う。
そして今、Uと出会い結婚を考えている。これは新しい人間との出会いであって、将来何が起こるかは分からず、過去のことは参考にならない。それは前述のとおり繰り返しが当てにならない歴史と少し似ている。簡単に言って、恋愛や結婚に過去はない。現在と未来があるだけだ。
世代を超える悪循環に陥る傾向
そのようにUとのことを考えているある日、心理カウンセラーQCが私の研究室を訪れてきた。A1大学発達科学部心理学科出身の心理カウンセラーで、私は彼女と大学時代に心理学の歴史についてちょっとばかり議論をしたことがある。現在、児童福祉の公的機関で子供のカウンセリングをする。今、前妻Qとの間の二人の子供のカウンセリングを行っていると言う。私の話をカウンセリングの参考にしたいと言う。
Qはエリートサラリーマンと子供を連れて再婚していた。その現在の夫は遠方へ単身赴任中で、家庭にはQと二人の子供しかいない。QCはQの子供への接し方はいわゆる「過干渉」とはまた違うと言う。Qは家庭において家族の構成員を支配しようとするが、今は子供しかいない。Qの子供に対する支配性の発現は相当なものだろう。だが、問題はQの現在の支配性だけではない。以下のようにして子供には既に(悪循環に)陥る傾向が形成されている。人は誰も大なり小なり様々な対人欲求をもつ。人は対人欲求を恋愛、友情、寂しさしのぎ、性的欲動に基づく欲求…など様々な形で満たそうとする。一般に陥る傾向が強い人間は社会から孤立することが多く、対人欲求を含む欲求の不満に陥っていることが多い。そのような欲求不満に陥った人間のうち母親である人間は、家庭で子供で欲求を満たそうとすることが多い。それに元からある支配性、粘着性…などが加わる。すると、子供への接し方は通常の「過干渉」とは異なる「独占」とか「囲い込み」と呼べるものになる。だから、母親に囲い込まれてる子供は母親以外の人間に接するときはいやにのびのびしている。私が子供に感じたものはそれだったのである。過干渉ならまだしも、そのような独占や囲い込みでは母親の愛情は希薄になるまたは欠如する。何故なら、母親は愛情によってではなく、自分の欲求を満たすために囲い込んでいるからである。いずれにしても愛情の希薄によって、乳児期幼児期前半から子供には陥る傾向が形成される。また、乳幼児にとって母親の乳幼児的陥る傾向は模倣しやすい。だから、乳児期幼児期前半から子供は母親の乳幼児的陥る傾向を模倣する。さらにそのような囲い込みの中で、乳児期幼児期前半から子供は思春期のものとは異なる反抗をし、破壊性、支配性…などの陥る傾向が強くなる。それらが「世代を超える(悪循環に)陥る傾向」である。
それらのことは当然、心理カウンセラーは分かっている。QCは子供にカウンセリングをするだけでなくQにもカウンセリングを勧めていた。ところがQは応じない。子供らの現在の父、つまり現在のQの夫は遠方へ単身赴任中で、QCは会うこともできない。もちろん、心理カウンセラーは私に介入を要求するようなことはしない。その機関が母親から子供を引き離すような手段に出ることもできるが、それは身体的な虐待や放置がある場合に限られる。また、心理カウンセラーとしてもそのような手段に訴えるようなことはしたくない。どうするか。やはり、Qにカウンセリングを受けるよう説得を続けるしかない。QCもそのことは最初から分かっていた。QCはQについて私がもつ情報が欲しかったようだ。私は、Qが虐待放置を受けていたこと、自傷していたこと…などできる限りのことを伝えた。当然、心理カウンセラーはそれらが私の口から出たことを誰にも明かさない。かつての私ならそれらを語ることは強い苦痛を生じ多くを語れなかっただろう。今ならできた。また、それらを語ることによって苦痛がさらになくなったと思う。つまり、QCは短い時間だったが、意図せずに私のカウンセリングもしていたわけだ。しかも無料で。それにしても、QCはこれから大変だと思う。あのQと渡り合えるのか…
この頃、「精神障害」という概念は限定的となり、20XX年以前の「人格障害」と「発達障害」の多くは、乳幼児期からの人格の形成過程における障害、特に悪循環に陥る傾向であることが分かり、一般市民にとって身近なものになっていた。だから、カウンセリングや精神科医療の対象のほとんどは非精神障害者だった。だが、普通の市民はカウンセリング料や精神科医療費を簡単に支払えない。富裕層だけがそれらを利用していた。だから、普通の市民は精神科医や心理カウンセラーの助けを借りずに陥る傾向への直面を自分でやっていた。そもそも陥る傾向に直面するもしないのも思想の自由だ。また、直接的に自己の陥る傾向に直面することができるのは自我でしかない。だから、それらを市民が自分でやることは、自由の再評価につながるだろう。
ところが、この頃の独裁政権は世界的に、反政府主義者を暗殺または拉致拷問するだけでなく、精神障害者として精神科病院に幽閉するようなこともしていた。20XX年以前にもあったことだが、それがまたここ数十年、復活してきた。だから、精神障害という概念はまた広がり始めていた。それに抗議するとはたまた、妄想だ統合失調症だ薬物乱用だと精神科病院に幽閉される次第である。それらに精神科医や心理カウンセラーも加担させられていた。それに抗議する精神科医や心理カウンセラーもはたまた、精神科病院に幽閉される次第である。彼女ら彼らもUと同様にかわいそうな人たちである。
脳の自然な老化
私はA1大学で当然、教育の仕事もしなければならない。今まで例のF地区の発掘の仕事で忙しかったが、いくつかの講座はもち、いくつかの実習に学生を連れて行くことがあった。科学技術史の実習の一つとして「脳の自然な老化」専門の病院と施設の中間に学生を連れて行くことがある。
この頃の世界の平均寿命は九十歳を超えていた。前述のとおりこの頃、ほとんどのガンと感染症は克服されていた。だが、遺伝子治療…などの高度な医療は高額で庶民の手は届かない。だから、平均寿命を引き上げているのは、かつての政治的経済的権力者と高額所得者とその家族である。それらの人々はガンと感染症と心不全や心筋梗塞や脳血管障害を乗り越えてきたし、これからも乗り越えるであろう人々である。では、それらの人々の結末やいかに…
20XX年以前には人間はそれらの病気だけでなく「老化」も克服でき、人間が死を乗り越えることは全く不可能ではないという期待が一部にあった。確かに、心臓や血管の老化を抑えることはある程度できた。だが、神経系、特に中枢神経系、つまり広義の脳の老化を抑えることはできなかった。それは認知症を抑えることができなかったということではない。認知症はある程度克服できた。だが、認知症がなくても脳は自然に老化する。そのような脳の老化を抑えることができなかった。
歴史上、百五十歳を超えて子供や孫の名前を全部言えた人間が伝説になったことはあった。だが、それは一握りの人間に過ぎない。百歳を超えると脳の自然な老化によって、多くの人間の記憶力と思考能力は十五歳前後の半分以下になる。一週間に一回は面会に来る家族の顔さえ覚えていないことが多い。字は書けない。読書はできない。映画やドラマを見ても意味が分からないが、なんとなく笑っている。食欲、飲水欲などは残るが、一対一に近い介護がないと食事摂取ができない。
実習ではそれらの介護をするわけではない。学生にともかく高齢者と遊んでもらう。大抵の学生は音楽を奏で一緒に歌おうとする。一緒に歌えるのは高齢者が若い頃に流行った歌だけである。今の歌を一緒に歌うには無理がある。今の歌ばかりだと、高齢者は去って行く。だから、この実習のここまでは音楽史の自主研究のようになる。ここまでは学生もけっこう楽しくやっている。その後やいかに…
ここまでの実習で学生の相手をするのは一階二階のせいぜい百歳までの高機能高齢者専用の施設である。その後は上の階の病棟の見学が待っている。そこに居るのは、わけの分からないことを喚く人々、喧嘩をしてスタッフに止められる人々、一日中同じところに座っている人々…だが、それはまだいいほうで、寝たきりの人々はもちろん、骨と皮だけで頭蓋骨がいやに大きく見える人々、チューブだけでなく機械を装着された人々、目を合わせるとしても虚ろな目…ここまで見学した後、大学に帰って討論をやる。すると、
平均寿命を延ばす必要はもうないのではないか…医療や福祉はもうこれ以上進歩しなくていいのではないか…一般市民もああいう現場を目撃すれば、低所得者層や中間層に生まれてよかった。高所得者層に入りたくないと思うんじゃないか……いや、低所得者向けの医療を充実させ低額化する必要はある…経済格差や医療格差はなくす必要があるが、それは高齢者医療を除いてではないか…そう思う。あのような高齢者向けの医療は高額化して、その分を低所得者と中間層向けの医療の低額化に回せばいいんじゃないか…
となる。ここで注意していただきたいのは高額化するのは「あのような」高齢者向けの医療であって、一般の高齢者向けの医療ではないということである。
あのUにそれらの実習と討論のことを少しばかり話してみた。すると、「医療福祉は全部、低額化すればいいじゃないの」とあっさり片付けられてしまった。討論の背景を理解してもらわなければならないと思ったが、今の二人にはもっと重大な問題がある。
再度、不変遺伝子手段、全体破壊手段
さて、Uの今の仕事はUが開発した偽物の全体破壊手段を増産することと、それが誰かに本物の全体破壊手段にすり替えられるのを防ぐために自分が開発したものを監視し守ることだった。Uはほとんどの時間を研究所で過ごさないといけなくなった。私も夜はUの研究室で寝泊まりするようになった。軍事施設や諜報機関ではないからおとがめはなかった。Uの研究室は冷暖房完備、風呂トイレ付き、仮眠用とは思えない豪華なベット付き。高層階にあり、窓からの眺めは絶景だった。豪勢な夜食も付いていて、Uの多めの一食分を二人で別けてディナーとした。それで二人とも十分だった。私もUもそこでの夜を満喫した。
Uは次のような全体破壊手段のうちの不変遺伝子手段の開発をM将軍らから強要されていた。
(1)遺伝子の塩基配列以外のものを変えて、変異が起こらないようにし、永続的な感染力と毒性をもたせる。
(2)従来のウイルスより軽量で、咳やくしゃみがなくても日常会話だけで感染する感染力をもたせる。
(3)現在のどのような薬剤も効果がなく、消毒法もほとんど効果がない。
(4)粘膜細胞から血液中に出るが、終始、免疫によってブロックされない。
(5)変異を起こさないことによって、数か月~数年後に造血幹細胞に感染し破壊し、赤血球とB細胞、T細胞を含む免疫細胞群を枯渇させ、貧血と免疫力の低下による人間の死を確実にもたらす。
(6)人間を標的とするが、哺乳類等の高等動物に感染してもかまわない。
それに対してUは、遺伝子の塩基配列以外のものは変えず、(2)の感染力は風邪程度にあるが、毒性は風邪以下で、(1)(3)(4)(5)は一切ないものに変えていた。すると、権力者は感染をブロックするためにシェルターに潜りながらしばらくは風邪程度の感染性に満足するだろう。長い潜伏期の後に地上の人間は死滅すると待つだろう。ところが、何も起こらない。権力者が憤慨するのは数年後だろう。それまでに私たちは決着をつけられるだろう。だが、油断をせずに慎重に…人間に対するテストはUが自らに施すとともに私、Z、X、Tが引き受けた。U、X、Tの症状は軽い風邪程度、私とZにはなんの症状もなかった。Zはともかく、俺って馬鹿なのかと思った。20XX年以前にはいくつかの文化圏で「馬鹿は風邪を引かない」という諺があったからである。
さらにUは種々の哺乳類でテストした。この点に注意していただきたい。私たちは人間にテストしてから他の動物でテストした。従来と逆である。それは、犠牲を自ら負うというような精神ではなく、重要な手段は重要な対象からテストして、対象に何かあればすぐに手段の改善に取り掛かるというUのポリシーによっていた。また、(1)-(5)が重要だが、(6)も重要と言うUの動物への愛情があった。私、Z、X、Tについては、Uは史上最高の医学研究者だとますます確信していたから、人間や動物に大きな害はないと確信していた。おおかたの哺乳類でのテストも風邪以下で済んだ。Uは研究所でウサギRを飼っていた。UはRにもテストした。すると、Rにとってはきつい風邪だったようで目をやられて失明してしまった。ウサギの目は赤いと言われるが、赤いどころでなく出血していた。あるときUはRに近づき話し掛けた。するとRはUを臭いと声で識別したのか、よたよた歩いてUにすりよってきた。Uはそれを抱きしめて「ごめんね」と泣いていた。
ところが、Rは失明していなかった。その目は回復し、視力も回復した。Uは泣いて笑って喜んだ。そして、Rの目が炎症を起こしたのは他の病原体によることが分かった。その病原体を運んだのは新参者の私のようだった。通常、実験動物は実験に無関係のものの影響が及ばないように厳密に隔離される。だが、Rは実験動物というよりUのペットだった。つまり、UはRの目の炎症の原因をもっと早く追跡するべきだった。史上最高の医学研究者といえども、そういう盲点があるのだろう。だが、Uが開発した偽物の全体破壊手段がうまく機能し本物の全体破壊手段が使用されないこと、さらに後にUがガンと感染症を完全に克服すること、医療を低額化すること…などについて間違いない、と私たちは確信していた。後にそれらの確信は正しかったことが分かることになる。
その数日後の深夜にM将軍と軍の技術者がUの研究所に来てUが開発し増産した偽物を大事そうに保冷庫に詰めて持って行った。らしい。私はその夜だけはUの研究所に立ち入らないようにした。Uの開発した偽物が本物にすり替えられないか不安だった。だが、それ以上に一夜といえどもUと会えないのがつらかった。ずっと一緒にいるとそういうものなんだと痛感した。M将軍はUをいやらしそうな目で見ていたと言う。それで偽物であることがバレないなら仕方がないと思った。実際、偽物であることはバレなかった。また、M将軍らが使用したのはUが開発した偽物だけだった。だが、後にM将軍によって私たちに、普通の恋人や夫婦には考えられないことが降りかかることになる。
政治的権力と経済的権力の連携、癒着、汚職
さて、私とZとXは相変わらず例のAT街の店AQに一週間に一回は飲みに行った。N大佐もたまには来てくれた。Tはよく来るようになった。Uは疑似の全体破壊手段を搬出した後も、軍の施設に赴いて名目上は管理監督、実質はすり替えを防ぐための監視をしなければならず、忙しく店にはあまり来れなかった。また、Uは軍に赴き他の全体破壊手段が使用されないことを何度も確認した。また、Xも軍のコンピューターや人工知能に潜入して確認している。この確認は非常に重要である。今後もUとXはその確認を続ける。だが、Uは夜は研究所に帰ってきたので、私は相変わらずUの研究所に寝泊まりした。
店AQの常連客の中にAT街のY社のY社長がいた。Y社は中小企業で食品製造をやり、AT街の飲食店に製品の卸しもしていた。店AQにも卸し、Y社長はその客でもあった。私はカウンターでY社長とたまに話をするようになった。社長と言っても中小企業の社長だからフランクに話せる。あるときY社長が愚痴をこぼし始めた。「政府高官と大企業の幹部の癒着、汚職はすさまじい。昔、Y社はアルコール発酵によって食品を消毒するとともに長期保存ができ水溶性ビタミンを維持できる技術を開発し、技術への特許と製造販売への認可を取ろうとしたがどちらも取れなかった。認可が下りなかった理由はアルコール発酵は酒類製造業にしか許されないというものだった。それは名目に過ぎなかった。その技術を政府高官が大企業に売って、食品製造の大企業は使っている。それも高級食品にしか使っていない。俺なら庶民向けの食品に使用する」と悔しそうな表情と口調で語る。
大企業、多国籍企業などの経済的権力の利潤追求そのものは問題にならない。また、自由競争が完全なら、資本主義経済や市場経済は大きな問題にならない。まず、政治的権力と経済的権力の連携が問題になる。「癒着」「汚職」のレベルまでいかなくても問題になることがある。いずれにしても特に断らなくても、連携という言葉は癒着、汚職を含むことにする。既に十九世紀頃からそれらの連携によって、政治的権力の実質的な独裁は進み、経済的権力の独占は進む。「軍官学産複合体」が強化され放っていおいても拡大する。20XX年以前には超大国または大国のいくつかは非民主的であり、いくつかは民主的と見なされていた。だが、非民主的なものだけでなく民主的と見なされていたものも全体破壊手段の開発、製造、保持、使用、第三次世界大戦、地上の人類の絶滅へと突き進んでいった。それはそれらが、自由と民主主義の覆いの下で、政治的権力の独裁は目立たなくても、
(1)政治的権力と経済的権力の癒着や汚職すれすれの連携
(2)または暴露困難な癒着や汚職
(3)経済的権力の独占
(4)軍官学産複合体の拡大
(5)それらによる軍備拡張、特に全体破壊手段の開発、製造
へと突き進んだからである。この(1)から(5)は、政治的権力の独裁より目立たず暗部で進行し、外部からは一見したところ自由主義的で民主主義的に見える。20XX年以降、超大国を含む国家は、新たに形成されたが、そのような自由主義と民主主義の覆いさえ希薄であり20XX年以前より露骨と言える。
後述するとおり、国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立することによって、軍官学産複合体は解消し、政治的権力と経済的権力の少なくとも癒着と汚職が減退する。
Y社長が開発した技術の政治的経済的権力による乱用は癒着と汚職のレベルにあり違法である。だが、政府がその技術による製造販売を認可しなかった以上、Y社長がそれをすることが違法になってしまう。そこで、Y社長はこっそり製造しAT街の飲食店にこっそり卸していた。この店AQにも卸していた。私も米ぬかを食べやすくしたという「革命でござる」なるものを食べてみたが、うまかった。米ぬかがこんな風になるとは意外だった。Y社長の開発した技術を使えば、従来破棄されたり食用以外に利用されていたものが普通に食べられるようになる。これは食糧難に対する決定的な技術になるかもしれない。それを現在の政府と大企業は高級食品の製造にしか使用していない。Y社長が悔しがるのも無理はない。早く、Y社のような中小企業が開発した技術も活きる時代になれば…と思った。癒着や汚職を取り締まり告訴するのはL系に属する警察や検察の仕事である。埋もれた技術を活かすのはS系の仕事である。革命後はTがやってくれるだろう。
資本主義経済・市場経済の限界、試行錯誤の限界
店AQでY社長の愚痴を聞く人の中に大企業の社員がいた。三十代の男性で「やっぱり市場経済だよ。政府は経済にいっさい干渉せず、完全な自由競争に委ねればいい」とエネルギッシュに語る。私は「一概にそうとは言えない。そこまで言わなくてもいいじゃないか」と思った。
資本主義経済・市場経済は新しい資源と市場と技術の開発とそれらによる経済成長を前提とする。それらのうち資源と市場に開発の余地がほとんどないことは既に明らかになっている。だから、資本主義経済・市場経済は完全には機能しないことも既に明らかになっている。
さらに、資本主義経済・市場経済は試行錯誤を前提とする。まず、自由競争の多くの部分は試行錯誤である。価格の自動調節機構は全体が試行錯誤である。そのような試行錯誤によっても経済は成長してきた。だが、余裕があまりない環境、資源、人口、人間の情動の中では試行錯誤の余地もあまりない。そのことからも資本主義経済・市場経済は完全には機能しない。
だから、現代の経済体制は資本主義経済、自由主義経済、市場経済、共産主義経済、社会主義経済…などのいずれでもなく、すべてそれらの混合であり、今後はますますそうなっていくだろう。その混合のあり方を巡る議論は、既にあるし今後もあるだろう。だが、かつての資本主義か共産主義かを巡る議論ほど激しくならない。
そもそも、経済に限らず、科学技術、日常生活を含めて人間が生きること自体が試行錯誤であり、試行錯誤によって人間は進歩してきた。生物の進化も壮大な試行錯誤である。突然変異が試行であり、自然淘汰、つまり環境に適応できないものが死滅することが錯誤である。
また、人間以外の生物の種は、繁栄すれば、その繁栄によって自らの自然と他のいくつかの種のいくつかを破壊する。その破壊によってその種は衰退または絶滅する。その衰退によって自らの自然と他の生物は復活しその種も生存する。その絶滅によって他の種は生存する。それらを「繁栄と衰退のサイクル」と呼べる。そのサイクルも壮大な試行錯誤である。人間はそのサイクルを逸脱しているように見える。だが、人間の活動のすべてがそのサイクルを逸脱しているわけではない。例えば、工業は環境を破壊し資源を消耗させてきた。人間がそのような工業を抑制または改善しないとしてみよう。すると、環境の破壊と資源の消耗が過度に進み、人間自体が衰退せざるをえず、工業も衰退する。すると、環境と資源は復活する。すると、人間も工業も復活する。だから、工業は繁栄と衰退のサイクルを逸脱していない。工業は「大量破壊手段」とも言える。大量破壊手段は繁栄と衰退のサイクルを逸脱していない。
それに対して、全体破壊手段は繁栄と衰退のサイクルと試行錯誤を逸脱している。全体破壊手段が使用され地上の人間のほとんどが死滅したとして、生き残った人間が何らかの「サイクル」や「試行錯誤」という言葉を使うことはないだろう。全体破壊手段に関する限りで、試行錯誤の決定的限界がある。そのことをわたしたちは十分に認識しておく必要がある。
遺伝子と進化
店AQにAT街で診療所をやる四十代の男性医師が来ていた。私はその医師とカウンターでときに話すようになった。医師は次のようなことを語る。
…かつて遺伝子治療の研究をしていた頃、政治的経済的権力者たちが、一般市民の支配性、破壊性と権力欲求を減退させるような遺伝子操作の研究をするよう所属する研究室の教授に迫ってきた。そんなことができるわけがない。支配性、破壊性…などの自我の傾向と権力欲求…などの具体的で詳細な欲求と権力獲得能力…などの具体的で詳細な能力は遺伝子から発現するのではなく、遺伝しない。それらは悪循環に陥る傾向の一環として乳児期から思春期の間に後天的に形成される。それらが遺伝子操作によって変えられるわけがない。教授はそのような研究をすることを断った。すると教授は軍か政府の幹部に拉致されたようだ。その後、教授がどうなったかは分からない。今の政権下では本当にやりたい研究ができない。それと市民が受けられる医療福祉の格差には目に余るものがある。だから、研究をやめて、この庶民の街ATで開業した…
私とその医師は、遺伝するものと遺伝子ないものを区別することの重要性を確認した。話題はさらに進化の問題に発展した。医師は次のようなことを語る。
…進化とは厳密に言って、種から別の種への進化である。そのような進化は数万年から数十万年の時間の中で生じる。人間もそんな厳密な意味での進化をし、数万年後には別の種へ進化するだろう。それに対して、種の中での進化も想定でき、それは「種内進化」と呼ばれている。そのような種内進化の一環として、医療福祉の発達によって、人間が医療福祉がなければ生存できないような脆弱なものに種内進化することは確実だ…
私はそれに対して、以下のようなことを言った。
…現状では、経済的格差によって市民が受けられる医療にも格差があり、一般市民は遺伝子治療などの高度な医療を受けられない。だから、一般市民は遺伝子治療ではなく早期発見早期手術に頼らざるをえない。人口からいうと一般市民のほうがはるかに多いのだから、そのような種内進化は顕著にならないだろう。だが、将来はそれらの格差も解消されるだろう。だから結局、そのような種内進化は避けられない…
私とその医師は将来の問題として「難しい…どうすればいいんだ…」とうなり声をあげた。医師は「だけど…一般市民への医療福祉を制限することはできない、医療福祉スタッフもできるだけのことをしないわけにはいかない」と言う。私は次のようなことを考えた。
…健康で長生きしたい。子供に先立たれたくない。家族や友人に健康で長生きして欲しい。そのような市民の願いは切実だから、医療福祉の発達にストップをかけることはできない。だから、人間が医療福祉がなければ生存できないような脆弱な人間に種内進化することは人間の宿命だ。それに対応するしかない。受けて立つしかない。国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立すれば何とか対応できるだろう。それによって公的機関と医療福祉機関とその団体の癒着を断てば、市民が受けられる医療福祉の格差を縮小しつつ医療費を適正化しそれらに対応することは可能だろう…
私はその医師がこの庶民の街ATで開業していることに先見の明があると思い、「これから庶民が高度な医療を受けられるようになるでしょう。この街の診療所は忙しくなりますね…」と言うと、その医師は「もう既に忙しいさ。ボクは、高度で高価な医療に目もくれず、安価な医療に専念しているからね」と苦笑いする。ここにもUと同様の苦労をしている人がいると思った。
20XX年以前には進化論に対する盲目の信仰のようなものがあった。20XX年以降は遺伝し進化するものと遺伝しないものの区別がより明確に立てられるようになった。繰り返すが、自我の傾向、欲求、知的能力、体力はその基盤と全般的な強さが遺伝子によって形成され遺伝する。それらのうちのどれが強いか、例えば、自我の傾向と能力が好戦的か平和的かは、遺伝子によって形成されるのではなく遺伝せず、後天的に形成される。権力闘争や独裁において問題となるのは支配性、破壊性、自己顕示性…などの自我の傾向と権力欲求と権力獲得能力だが、それらだけが他から切り離されて遺伝したり進化することは決してない。それらは主として後述する悪循環に陥る傾向の一環として後天的に形成される。
また、突然変異と言うと、進化に繋がるとして、肯定的にとらえる傾向は現代にもある。だが、重要な遺伝子が突然変異を起こした場合、変異した遺伝子をもつ生物の大部分は環境に適応できず生存できない。自然淘汰とはそういう意味ももつのである。それらの一握りが環境に適応できて生存し子孫を残し進化する。そのことも遺伝子操作への応用以前の基礎として見逃されてはならない。
それに対して、人間は遺伝子操作を始める以前から自然淘汰とは異なる人為的な「選別淘汰」を他の生物に対して行って来た。それは人間にとって有益になる方向に他の生物の進化を助長することである。遺伝子操作をしない限りはそのような人為的淘汰に大きな問題は生じていない。前述の医療福祉は病弱で環境に適応しにくい人間を助けることであり、人間が他の生物に対して行ってきた人為的淘汰とは全くことなる方向への種内進化を助長することである。だが、前述のとおりそれは人間の宿命であり、受けて立つしかない。
さらに、人間が遺伝子を操作するにしても、塩基配列を変えるだけなら、その遺伝子は突然変異に等しくそれを含む生物または手段は従来の生物と大差がない。それに対して、人間が遺伝子の塩基配列以外のものを変えた場合、どうなるか。だが、そのような遺伝子まがいのものの大部分は遺伝子として機能せず、生体の中で分解され排出されるか免疫系によってブロックされる。だが、人間が創意工夫を凝らした塩基配列以外のものを変えた遺伝子、つまり「不変遺伝子」を含む生物または手段、つまり「不変遺伝子手段」は前述のような恐ろしい動きをし、全体破壊手段の一つである。そのことは非常に重要である。端的に言って「遺伝子の塩基配列以外のものを変えるなかれ」である。それをUは守ろとしているのである。
私がその医師に「Uという研究者をご存知ですか」と尋ねると、医師は「もちろん、知っているさ。すごい研究者だと思う。だが、今は権力者に利用されているね…」とため息をつく。私は「Uは実は権力者を利用しているんだけど…」と応えたかったが、がまんした。
思想、言論の自由
店AQには独身者が多く、独り暮らしの高齢者もカウンターにちらほら座っていた。私はときにカウンターに座って彼らの話を聞くようになった。そんな中に独居老人Kが居た。Kは言う。「若い頃はよく仕事をしてよく遊んだ。仕事は港湾労働者の安全帯の点検だった。『Kの点検した安全帯なら信用できる』と若い者から慕われた。若い者を遊びに連れて行った。不倫もギャンブルもした。ある日、妻子が出て行った。離婚はしていないが完全な別居状態になっている。退職して、若い者はしばらくは来てくれたが、やがて来なくなった。高齢者福祉はあるが、人間関係はない。寂しい。酒が飲みたいわけでもないのに、飲み屋に来るしかない」と。店主は「独り者は長居をする。なかなか帰ってくれない。自分が若い頃は独り者を疎んじていた。だが、自分も歳を取って、独り者の気持ちがよく分かる。長居してもらってかまわない」と言いながら「だけど…一時間に一品はオーダーしてちょうだいね」とKと私に向かって言う。店主がそう言う事情もよく分かる。
その後しばらくしてKが入院したという噂が広がった。メシが喉を通りにくくなったらしい。私とAQの店主はその病院に面会に行った。Kは相部屋のベッドに横たわっていた。点滴され鼻からチューブを入れられている。握手をするが手に力はない。声はか細い。年配の女医がやってきて「食道ガンかもしれません。郊外の大病院に転院したほうがいいです。今なら遺伝子治療なしで早期発見早期手術で間に合うでしょう。ですが…あの方は公的医療保険に加入していません。大病院はそんな患者を受け入れてくれない。そもそも遺伝子治療はもちろん、ガンの手術にしてもその費用を全額自費で払えるわけがない」と言う。Kは退職とともに各種保険から脱退したのだろう。公的医療保険の再加入手続きには本人か家族が要る。この頃、福祉や介護や医療の保険加入は半強制的で、政府は一度保険から脱退した者に厳しい再加入手続きを課していた。私たちはKのベットに戻って三人で困り果てていた。そんなとき、六十代の女性と三十代のそれなりの身なりをした女性が現れた。妻子が噂を聞きつけてやってきたようだ。保険の手続きを終え、病院への手続きも終えて来たと言う。妻子は大仕事を終えたように偉そうにしている。だが、家族でさえあれば、保険の再加入手続きはたいしたことがない。保険料は本人払いだから家族に金銭的な負担がかかるわけでもない。Kは「ごめんな」とか細い声で妻に言う。妻は「これが最後ですよ」と平然と言う。Kは額や口元の皺をもっと深くして「もう許してくれてもいいじゃないか」と言うようにため息をついて苦笑いしていた。そのときのKの顔が忘れられない。泣いたり怒ったりするのではなく笑っていたからこそ忘れられない。
結局、独居老人Kは郊外の大病院に転院し、早期発見早期手術で無事、退院してきた。例の店AQには一週間に一回は来た。酒は少ししか飲まない。食べ物を飲み込むときは注意している。Kはカウンターで語る。私や店主が口を挟まないほうがいい。「若い頃は仕事や遊びができなくなったら、死んでもいいと思っていた。退職後は寂しかった。今、ガンを生き延びて、生きていてよかったと思う。朝、目が覚めるごとにそう思う。『人はパンのみにて生きるにあらず』と言うが、それは若いうちの生き方だと思う。毎日、スーパーマーケットで安い食材を買って来て、自分なりに工夫をして自炊して食べるのが楽しみだ。特に試作してみるのが楽しい。たまにはこの店で変わったものを食べて調理法を想像するのも楽しみだ。食べ物を自炊して試作して新しい発見をする。そしてまずくない。それだけでも生きる価値がある」と。恐らく術前術後に絶飲食していた反動もあると思う。だが、それだけではない。Kは人間の生き方について考えて語ることにも優れていると思う。
ところが、カウンターに座っていた二十代の男がKに「人生ってそんなものか。それで寂しくないか」と言う。Kは聞いていない。Kは「『人はパンのみにて生きるにあらず』と言うが、それは若いうちの生き方だと思う」と断っているじゃないか。物分かりの悪いヤツだなと私は思った。そこへいかにも特定の宗教の信者という感じの四十代の女性が「もっと人生を豊かにしましょうよ」と言ってKに「勧誘」を始めた。「人はパンのみにて生きるにあらず」と言ったとされる〇〇を始祖とする宗教の信者のようだ。この頃、宗教はほとんど衰退していたが、ちらほら残っていた。考えてみると、「人はパンのみにて生きるにあらず」のかつての解釈は、現代と違って、宗教的なものだった。Kは汗をかいている。二十代の男が今度は女性に向かって「そんなの勝手じゃん」と言う。結局、その通りだ。今度は女性が若い男に向かって説教を始めた。若い男は言い返す。
私は思った。例の(悪循環に)陥る傾向に陥った権力者が独裁に走り、市民を苦しめているときは、その権力者に陥る傾向への直面を促しつつ権力を民主化し分立する必要がある。それ以外で個人の生き方をどうのこうの言う必要は全くない。それ以外では自由に考えて生きて死ねばよい。生き方だけでなく死に方も自由である。それらが思想の自由である。思想の自由は定義からして絶対であるように見える。だが、思想の自由も生命身体の自由などを直接的に侵害しようとすること、より具体的には脅かしなどによって間接的に侵害される。それが人間の歴史の一側面だった。宗教的集団を含めて何かの集団が政治的経済的社会的権力を握って振い、何かの生き方や価値観を市民に押しつけて来ては困る。例えば、20XX年以降、宗教や国家主義や共産主義は無いに等しいが、それ以前にはそれらが個人の生き方にまで介入し、それらに基づく生き方や価値観をかなり押しつけていた。私はそれをその女性にほのめかしてしまった。すると、女性は目から火を噴いて「〇〇様がそんなことをするわけがない」と語るしかできない。せめて〇〇の言葉を書き留めたとされる文献を引用して欲しかった。
結局、若い男が「宗教はやめてくれ」でその場は終わりかけた。単なる宗教批判で終わってしまうのももの足りない。宗教は現実の世界を超え過ぎて、現代人は信じることができない。だが、人間には自己がやがて死ぬことへの不安があり、その不安が人間を権力を獲得して振るい栄誉を残そうなどと駆り立てる。さらに、権力を握ったものが権力をさらに拡張し、独裁や戦争や虐殺に走ることがある。だから、彼らのその不安を減退させる必要がある。現代ではもはや宗教はその不安を減退させることはできない。とすれば、あの少女の手記のように宗教抜きでその不安を減退させようと試みるぐらいのことはする必要がある。
と思っている頃、今度はカウンターに座っていた五十代の男性が「宗教が衰退しても、社会が混乱しないように何らかの価値観や倫理や道徳は必要なんじゃないか」と穏やかに言う。それに対して若い男は「そんなのいらねえよ」と言う。結局はその通りだ。共通の価値観を他人に押し付けない限り、それが必要と考え言うのも思想と言論の自由だ。その五十代の男性も押し付けていない。独裁者が自己の陥る傾向に直面するもしないも、自己がやがて死ぬことへの不安を減退させるもさせないも、独裁者の思想の自由である。一般に共通の価値観や倫理は必要がない。思想と言論の自由が完全であれば、思想と言論を巡る争いも生じないからである。むしろ、多様な価値観や生き方があると、参考になって面白く、社会が活気づくだろう。「共通の価値観は必要ない」と言うのも共通の価値観だと言う人はあまりいないだろう。さて、その頃にはKはとっくにカウンターで肘の上に額を乗せて眠っていた。
いかなるもののためにも制限されてはならない自由権
AT街の店AQに私たちが行くたびに例の「権力疎外」は広い意味で進んでいるのが分かった。政府や軍や警察の下級中級公務員は郊外に住むが、仕事帰りにAT街に寄って、飲み食いして帰ることが増えた。軍高官や上級官僚が売春婦や水商売女をAT街の外の高級繁華街に連れ出し、彼女らだけが深夜や朝に帰還することもあった。この頃の売春婦と水商売女の区別は曖昧になっていた。またこの頃のそれらとしては、従来の女性に限らず、従来の男性や同性愛者や、それらのいずれでもない人々もいた。だが、簡略化のため、「彼女ら」などの言葉を用いることにする。
20XX年以降、政治的経済的権力者の独裁や独占や各種犯罪だけでなく、ヤクザ、薬物の密売、売春の斡旋…なども復活した。少し前までは軍や警察の高官が彼らから賄賂を得て彼らを存続させていた。だが、彼らの賄賂はたいしたことがない。彼らは政府のお荷物になった。だから、彼らは殲滅された。彼女らはネットで自力で客を探した。ピンハネされないから、彼女らの稼ぎは相当なものになった。しかも、業者を介さないから、彼女らは相手を本当に自由に選択することができ、不快そうな人間は選択しない。またこの頃、「性病」や「性行為感染症」は完全に克服されていた。また、簡単な避妊法が開発され普及していた。その二つから、医療機関から健診料や薬代をぼったくられることもない。結局、今の繁華街は彼女らの天下である。
AT街の外の高級繁華街に赴き稼ぎがよいにせよ、彼女たちの住み家はAT街にあることが多く、仕事がないときは彼女らはAT街の店で飲んでいた。AQにも少なからず居た。彼女らは金払いのよさそうな男しか相手にしない。私は金払いがよい男に見えないだろう。だが、他人の話をよく聞くタイプの人間に見えたのだろう。私は彼女らの愚痴を聞く存在になっていた。彼女らの多くはシングルマザーだ。深夜や朝になってAT街に帰ってきて店で食べて少し飲んで、日が昇った後に家に帰って子供を起こし朝食を食べさせ保育所に送って行って、帰って眠って、夕方に起きて子供を保育所に迎えに行って子どもに夕食を食べさせ、寝かせてからAT街の外の高級繁華街に向かう。
さらに彼女らが政府や軍の高官のスキャンダルを誘発することが多々あった。特にM将軍のスキャンダルには…売春そのものが違法でありスキャンダルでもあるのだが、それ以上のスキャンダルがあった。金払いはよいが、身体を拘束して好き勝手なことをやる。それはいわゆるSMや変態のレベルを越えていて生ごみをあさるカラスのレベルだ、と彼女らは言う。私はそれは違うと思う。M将軍は周到な人間で恋愛の対象や性的対象さえも警戒しているのだろう。だが、彼女らにとっては不快であり大衆にとってはスキャンダルである。いや、公費を割いてそのように警戒することはやはり違法でありスキャンダルだろう。少なくとも私とXとZは、M将軍のスキャンダルを暴露することを考えた。
自由権とは本来、軍、警察…などの公的武力を含む公権力からの自由であって、私的権力からの自由ではない。言論の自由は本来、公権力の保持者の不正や公権力そのものの欠陥を暴露し批判するためにあり、一般市民を誹謗中傷したり一般市民の私生活を暴露するためにあるのではない。一般市民を誹謗中傷したり一般市民の私生活を暴露することは、完全な自由ではなく、一定の条件のもとに制限されえる自由権である。それに対して、公権力の保持者と公権力に係る言論は完全な自由である必要があり、いかなるもののためにも制限されてはならない自由権である。
では、公権力の保持者の私生活の暴露や批判についてはどうだろうか。私生活は公権力に係わりがないように見える。だが、もしそれらの暴露や批判が制限されるなら、公権力の保持者が私生活を守るという名目で公権力や公務に係る言論まで制限する恐れがある。だから、公権力と公権力の保持者に関する限りで、私生活の暴露と批判も完全な自由である必要がある。
公権力と公権力の保持者に係る偽情報の発信についてはどうだろうか。ここでも、偽情報の発信が制限されるなら、普通の情報の発信が制限される恐れがある。だから、公権力と公権力の保持者に関する限りで、偽情報の発信も完全な自由である必要がある。
結局、軍、警察…などの公的武力を含む公権力の保持者と公権力に係る言論は、公権力の保持者の私生活の暴露や批判や偽情報の発信も含めて、完全な自由である必要があり、いかなるもののためにも制限されてはならない自由権である。それらのこともP教授はまとめていた。P教授は一見したところ些末に見える自由も重要なものを護るために確保する必要があるとの立場だった。だからと言って、権力者のスキャンダルの暴露や偽情報の発信を勧めているのでは全くない。それらを暴露、発信したい者やそれを見て聞きたい者がそうすればよく、したくない者はしなければよいだけのことである。それらをしないのも自由である。市民も他人のスキャンダルを見て聞いて喜んでいるほど暇ではない。また、普通の情報と偽情報の見分けがつかないほど馬鹿ではない。
市民の流す偽情報については、市民の自己抑制に委ねられてよいし、委ねられなければならない。それに対して、政治的経済的権力者の流す偽情報と前述の情報科学技術の乱用に対しては抑制がなされる必要がある。それらに対する抑制は、民主的分立的制度の確立、特に国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立することによってなされる。
権力と権力者に係る言論の自由とともに、思想の自由と生命の自由もいかなるもののためにも制限されてはならない自由権である。警察や裁判所で何を考え言うのも思想と言論の自由である。現代の死刑のない世界においては生命の自由はいかなるものによっても侵害されないはずである。それを現代の独裁政権は虐殺、暗殺、拷問…などによって侵害しているのである。考えてみれば、思想と前述のような言論の自由をいかなるもののためにも制限されてはならない自由権と主張することは慎ましい主張である。何故なら、思想と前述のような言論は環境を直接的に悪化させたり資源を直接的に消耗させたり市民の生活を直接的に阻害するものではないからである。まだ、私有財産の自由や契約の自由はそれらを直接的にせよ間接的にせよ大いに阻害しうる。それに対して、思想と前述のような言論は人間や生物の「生存」を直接的に阻害しない。それどころか何度も繰り返すように、前述のような言論は生存を保障する、つまり、社会権を保障するためにも必要である。
M将軍の彼女らに対する身体拘束は犯罪とも言える。売春は今は犯罪である。それを捜査し告訴するのは検察、警察である。だが、今の警察や検察は権力者の犬であって、権力者の捜査や告訴を求めても無駄である。また、M将軍の実態を知らずに、M将軍を崇敬する部下や市民がいるかもしれない。そこで、少なくともZとXと私は、彼女らや下級公務員、下級軍人のスキャンダルは伏せて、M将軍のスキャンダルに限って暴露してやろうと思った。だが、実際にはその時間がなかった。私たちは迫りくる危機に集中しなければならなかった。
資源に限定した局地的侵略戦争
第四次世界大戦の引き金がやってきた。超大国Bが超大国AとBの間にある小国Dに侵略した。その名目は、「A国がD国の資源を乱用している。B国がD国の資源を保全しなければならない」というものだった。その「乱用している」は的確な表現であるとともに、その文句の全体は名目だった。D国は生物資源にして食糧資源の豊かな国だった。生物資源または食糧資源は倉庫に蓄えられた食糧だけを指すのではない。食糧を持続的に生産できる農地、牧草地、果樹園、養殖場、漁場…などと何よりそれらに必要なだけの淡水または海水と太陽光を含む。遺伝子操作や培養肉や人工光合成は20XX年以降も進歩していた。だが、それらによる食糧生産の増分はたいしたものではなかった。20XX年以前にも飢饉や食糧難はいくらでもあったが、それらは局地的なものだった。現在は食糧資源の限界は地球レベルでさし迫っている。そこで、B国は「資源に限定した局地的侵略戦争」の戦略をとった。つまり、
(1)全体破壊手段を使用せず通常兵器のみを使用する。全体破壊手段を使用すると略奪しようとしている食糧資源が汚染される恐れがあるからである。
(2)食糧資源を産出する地域で生活する市民の避難路を遮断しない、あるいは、それとなく避難路を作る。あからさまに避難路を作ると反感をかうからである。
(3)他国から軍が派遣された場合は応戦するが、武装しない救援チームが派遣された場合はその妨害をしない。
(4)それらによって必要な食糧資源だけを略奪または占領し、不必要な住民を虐殺せず駆逐できる。住民は他国、または自国の食糧資源を生産できない地域に避難し他国からの救援によって生存するだろう。
歴史上、他の国家や地域に侵略し征服する者たちは残留した住民を虐殺したり奴隷にしたり弾圧したり普通に支配したりしたが、ここまで意図的かつ狡猾に避難させることはなかった。食糧資源が極めて貴重なものとなる今後はこのような戦略がちらほら出てくるだろう。
私はB国の政府または軍がそのような戦略を意図的にとっていることを公に暴いた。さらに「それに軍事的に介入しないほうがいい。それで世界大戦や全体破壊手段の使用を招かないでくれ。救援チームだけを派遣するように」と公に発言してしまった。
すると、A国の政府が私を救援チームの団長に指名してきた。なんと、あのM将軍が自ら私の研究室に説得に私服でやってきた。私はA国の軍人でも高位の文官でもないという点で適任である。それ以外では極めて不適任で、政治的経済的権力者にとってはきわめて不都合な人間である。だが、M将軍らはそれを知らない。M将軍は「今はまだ、戦争を起こすわけにはいきません。救援チームを率いて、なんとか丸く治めてもらえませんか」と丁重に言う。利用したい相手にはへりくだる筋金入りの権力者だと思った。経済的権力者にはよくあるが、こういう政治的権力者や軍人こそが最も恐ろしいと思った。M将軍は彼なりに精一杯のカジュアルな服装でやって来た。それと私服だが明らかにプロと分かる護衛を連れて来ていて、A1大学の事務局はちょっと騒いでいた。M将軍は護衛を大学の校門の外に残して来た。この点も丁重である。余裕があるとも言える。単なる経済的権力者のへりくだりとは異なると思った。こういう権力者こそが恐ろしいと思った。私は最初は断った。すると、M将軍はその恐ろしさをちらつかせてきた。今後のために私はごねずに早めに引き受けた。
UやXも一緒に行くと言い出した。それはありがたかった。だが、彼女らには重責があるじゃないか。と留まるよう説得した。アウトドアライフのマスターたち、彼ら彼女らが指定したアウトドア用品、医療介護スタッフ、彼女ら彼らが指定した医薬品・医療機器、十分と思われる水、高栄養食品、衣類、井戸を掘るための掘削機、水を汲み上げるためのポンプ、それらを積んだ約千台のトラック、移動式の医療施設、それらの運転手、十分と思われる燃料…などとともに私は現地にやってきた。
25YY年の夏の終わり、現地には広大な農地が広がっている。青い空と白い雲の下、黄緑色の麦、稲…などが広がっている。トンボが飛び始めている。お分かりだろうか。もう少しで麦や稲は黄金色になり収穫できるのだが、まだ黄緑色で収穫できない。避難民は作物を収穫して携えて避難することもできない。もう少しで収穫できるのに…B国は時節まで見計らっていたのだろうか。収穫直前になってあわてたのだろう。幸運なのは盛夏を少し過ぎ、暑さが少し和らいでいることぐらいだった。トンボが飛ぶのも涼し気に見える。避難民たちは「青田刈り」もせず「焦土戦術」もとらない。しかも、実質的な農地に入らず、農道を縫うようにして避難している。それが哀れだった。どうぜB国に占領され略奪される資源なのに…なんであれ食糧資源を大切にする気持ちが染みついていたのだろう。
障害者、高齢者は担架や「おんぶ」で運ばれていた。これは想定していた。車椅子や介護ロボットはこのような土の農道や山野を運行できない。電源がないからすぐ停止する。車道はわずかにしかない。しかも必需品運搬のトラックと移動式の医療施設でいっぱいである。車椅子や介護ロボットは都会の中でしか役に立たない。想定していたとはいえ、避難民と医療介護スタッフは苦労していた。
そのうち農地を過ぎ、一目で農地になりえないと分かる、つまりB国も要らないであろう山野を歩いた。野営ができる。至るところで野営が始まった。水は掘削機とポンプで地下水を得た。まず、担架や「おんぶ」の人々とこれ以上歩けない高齢者、障害者、病人、乳幼児…とそれらの家族から野営してもらい、十分な物資とスタッフをおいた。あふれた人々はどこに向かえばよいのか。避難民は既に野営した人々を含めて数百万人いた。この頃、小国と言えども人口は一千万人前後だった。その数十%である。スタッフと避難民と話し合って、とりあえずA国に向かおうということになった。避難民持参の食糧と今のトラック搭載分と毎日届く分を合わせて食糧は十数日分あった。
大人は黙々と歩くが、泣く子が多い。その中にひときわ激しく泣く女の子がいた。家に縫いぐるみを忘れて来たことに今頃、気づいて泣いているらしい。女の子にとってそのぬいぐるみは両親の形見だったようだ。三十代の女性がやってきて、リュックサックからぬいぐるみを出して与えていた。女の子は泣き止んだ。両親の形見にはなりえないが、一般の人間の善意を感じ取ったのだろう。その女性は女の子を抱きしめて泣いていた。その夫らしき男性が「私たちの女児は退避前の戦闘で流れ弾に当たって亡くなった。遺体を埋葬することさえもできなかった。その縫いぐるみはその女児の遺品だ」と言う。その夫は救援チームの現地スタッフになることを申し出てくれた。妻もやがて立ち直って、現地スタッフになって、孤児の面倒を見てくれた。というより、この頃には私も含めて避難民とスタッフの区別もつかなくなっていた。
さしあたりA国に向かって歩いて来た。この先、どこに向かうか彼ら彼女らと話し合った。私には一つの案があった。例のA国辺境の「放射能残留立ち入り禁止区域F」はここから歩いて数日の距離にあった。残留放射能のないことは確認済みである。さらに、この季節、野生の果実や山菜や無毒なきのこが豊富に採れ、地下水がたっぷり汲めることも確認済みである。兎や鹿も獲れるかもしれない。私はそれを提案した。彼ら彼女らのほとんどが同意した。というより他に選択肢がなかった。
私たちは歩きに歩いた。日が暮れると、野営できそうなところで掘削機で井戸を掘り、火を起こし、テントを張った。幸いなことに害獣、害鳥、害虫はほとんどいなかった。盛夏を過ぎたとはいえ、まだ暑い。どこまでも続く青空の下、涼しげに飛ぶトンボを見ることだけが憩いだった。子供も大人も喜んでいた。「ドローン(無人飛行機)のようだ」という子供もいる。虫や鳥が飛行機やヘリコプターのまねをしたのではなく、その逆なのだが…議論するほどのことではない。20XX年の直前もそうだったのかもしれないが、この頃、都会はもちろん郊外でもトンボを見かけることはなかった。
その区域Fに着くと、予想通り野生の果実がいたる所にたわわに実っていた。木々が適度に茂り、木漏れ日が差し、適度な気温である。美しい羽根や帽子を付けた鳥と大型の蝶がゆったりと飛ぶ。兎が耳を立て、鹿が頭をもたげるが、それらに警戒心は少ない。普通の森林では信じられないような光景だった。この頃、天国や地獄を信じる者は皆無だったが、古典の中の天国のイメージそのものだった。美し過ぎる。私が発掘した地域も美しかったが、そこには落ち着いた懐かしいような美しさがあった。区域Fは広く、私が発掘した地域は、この辺りから遠く、この辺りと異なる生態系に属するのだろう。それにしても美し過ぎる。幻覚か。映画のセットに迷い込んだだけか。猛獣、猛禽、人間にとっての害獣、害鳥、害虫はほとんどいない。基本的に植物だけが生き残り動物は放射線によって絶滅したのだろう。ということは虫媒の植物も絶滅したということだ。では何故、実の成る植物や美しい鳥や蝶や警戒心の少ない兎や鹿が生息しているのだろか。何かがおかしい。A国かB国の罠か。考えた。分かった。最初はこの地域ですべての動物が絶滅し、植物はなぎ倒された。虫媒の植物は絶滅した。それ以外の植物は立ち直り繁茂し始めた。放射能の減退に伴い、食物連鎖の下位にある植物食の動物や蜜を吸いながら受粉を助ける蝶からこの森に戻ってきて、虫媒の植物も繁茂し始めた。今後は、植物連鎖の上位にある動物食の猛獣、猛禽らも戻ってくるだろう。この森は形成途上にあり、避難民がこの森に入るタイミングがよかったということだ。
避難民たちは歓声を上げてさっそく掘削機で井戸を掘り始めた。もはや慣れたものである。また、果実を採るためのはしごや兎や鹿を獲るためのわなも作り始めた。これもすぐに慣れた。母乳や粉ミルクのある乳児や離乳食のある幼児を除いて大人も子供も、それぞれに適したサイズ、柔らかさの果実を皮ごとかじった。兎や鹿は、当然、安楽死させて、丸焼きにして皮をはいで解体し骨を持って横紋筋の部分に食らいついた。果実も肉もうまかった。横紋筋や脂肪組織はすぐにたいらげられた。焼け残った皮や骨は干しておいた。何かに使えるかもしれない。頭部、心臓、大血管、気管、肺、消化管…などは土に埋めた。肥料になるかもしれない。山菜やきのこも採れた。鍋物にして食べた。それらもうまかった。きのこについては、毒があったらいけないから、見慣れないものは食べないようにした。アウトドアライフのマスターたちもこんな体験は初めてだと言う。医療スタッフたちは都会人の食生活よりよっぽど健康的なんじゃないか、と言う。安楽死させた後でとはいえ、兎や鹿を丸焼きにしたことだけはUに言わないようにしようと思った。
途中で野営していた人々もこの森に向かい始めた。十数日で無数の集落が自然に発生した。それぞれの集落は十数人から数十人からなる。そのレベルでは権力もカネも法も必要ない。食糧資源はありあまるほどあり、その争奪戦もない。私は私が所属する数十人の集落で野生のブドウからワイン造りを始めた。パン焼き用のドライイーストで補強すると数日で集落全員の分ができあがった。最初は近隣の集落に分からないようにこっそり飲み始めた。濾過ができず濁っていたがうまかった。酒嫌いはすぐに眠ってしまった。避難の間は飲めなかった酔っ払いが復活した。女の酔っ払いも多かった。素っ裸になって踊る女もいた。それに合わせて踊る男もいた。喧嘩をする男も女もいた。それらも一夜なら悪くないだろう。どうせワインは一夜で尽きる。既にもう残り少ない。他の集落から嗅ぎつけて紛れ込んだ男女が十数人いたから。輪になって飲み食いしながら誰かが言った。「この森は俺たちの森だ」…歓声が森にこだまする。しばらくは狩猟採集だけで行ける。そのうち農耕牧畜も始まるだろう。だが、そのうち猛獣や猛禽もやってくるだろう。いや既にどこかに潜んでいるかもしれない。気をつけろよ。猛獣や猛禽は来なくても伝染病が蔓延するかもしれない。人間が開発し使用する全体破壊手段ほどひどくないが、微生物には気をつけろよ。この森はまだ若い。本格的な食物連鎖と生存競争と共生はこれからだ。
世界大戦前夜
私はその森Fでのワイン造りに未練があった。もっと究めてみたかった。だが、あの初回の酒宴の翌日こっそりA国首都に向かった。「20XX年以前の遺跡や文献のようなものは保存しておいて」と歴史学者として人々に最初からお願いしていた。そのとおりにしてくれていた。救援チームの団長は交替してもらった。避難の山場を超えていたし、放射能が残留していないことは広まっていたから、競って交替してくれた。「放射能残留立ち入り禁止区域F」つまりあの森Fに立ち入ったことへのおとがめはなかった。往復するトラックに乗せてもらった。A国に着くと、私たちの努力の甲斐もなく、世界大戦前夜だった。だから、おとがめがなかったんだ。と思った。そもそもA国政府はあの森Fで暮らし始めた人々が何人かも把握していなかった。数百万人なのだが、数万人と思っているようだった。あの森Fでの暮らしは夢のようだった。20XX年以前にどこかにあった「浦島太郎」伝説である。だが、私はまだ「お爺さん」になっていない。世界大戦前夜の現実にすぐに戻った。その現実は以下のとおり。
前述のとおり、超大国Bは既に周辺国Dに侵略し征服していた。超大国Aも既に他の周辺国に侵略し、征服しつつあった。また、A国、B国はそれぞれいくつかの国家と同盟を結び軍を派遣し、それらの国家の間では既に交戦が始まっていた。残る超大国Cは現在のところは中立を維持しているが、その動きは不気味で、B国もC国もその動きを注視していた。
超大国A、Bの政府はもともと独裁的だった。それが両国ともにますます独裁的になってきた。両国は戦時体制を宣言し、憲法を停止した。元から形ばかりで不正だった選挙を停止した。元から形ばかりで機能していなかった立法権と司法権を停止した。超大国Cでは一度、民主化があったが、元の独裁に戻る速度が増した。P教授は独裁制において、軍人が完全に政権を握ることを「軍独走型」独裁と呼び、文官が軍を完全に掌握して乱用することを「文官軍乱用型」独裁と呼んで区別していた。もちろん、それらは両極であって、それらの中間がいくらでもある。A国は、M将軍が実質的な権力を握るが、AP大統領が形式的な国家元首に留まり、前者に近い中間になった。文官を前面に立てたほうがM将軍にとって都合がよいだろう。いざとなれば文官を矢面に立たせることができる。B国はBP大統領が軍を完全に掌握し乱用し後者になった。文官にせよ軍人にせよ、また、個人にせよ少数の集団にせよ、それらが完全に軍を掌握し指揮権を握り、戦争をいつでも始めることができ、全体破壊手段をいつでも使用することができるようになった。
国家主義・愛国心、人口問題、国益
また、諸国で権力者が、衰退していた国家主義や愛国心を再興し利用するようになった。
愛国心は国家権力を含む国家全体に対する愛着である。国家主義は独裁制であれ民主制であれなんであれ国家そのものを最重視する思想である。
巨大な宗教の権威や強国の帝国主義や植民地主義によってほとんどの国家が独立さえしていなかった時代に、国家主義・愛国心が大なり小なり独立のための原動力になったことは確かである。それに対して、ほとんどの国家が少なくとも形式的に独立している現代においては国家主義・愛国心は必須ではない。
国家であれ国家権力であれ人間社会の巨大な機構と機能は、無条件に愛着などの情動をもったり信じたりしないほうがよい。それらは必要な部分を見究め確保し改善し、悪化を予防する必要があるものである。国家の全体に愛着などの情動をもったりなんであれ最重視してしまうのでは、必要な部分や悪化を見究めることさえも困難になる。だから、国家主義や愛国心はそれらの把握を妨げないほどに製錬する必要がある。その製錬が難しいならわたしたちは国家主義や愛国心を減退させる必要がある。
また、国家主義・愛国心は国内の問題を解決することができるかもしれないが、国際的な問題を解決することができない。それどころか、国家間の争い、つまり、国際紛争、戦争を煽る。近代国家の形成以来、国際紛争、戦争の多くが国家主義・愛国心によって煽られていた。
国家や国家権力は必要ないというのでは全くない。生存と自由のためにはそれらのいくつかの部分は必要である。繰り返すが、それらは信じたり愛したり忠誠を誓うものではない。それらは生存と自由のために必要な部分を確保し改善する必要があるものである。繰り返すが、国家や国家権力の全体を愛したり信じたりしてしまうのでは、必要な部分と改善する必要のある部分がぼやけて見えてこない。
国家主義・愛国心を抱き語るのも個人の思想と言論の自由である。また、それらを他人に強要することは思想の自由の侵害である。政治的権力の保持者は国家主義・愛国心を煽り利用して、国家権力を拡張し戦争、軍拡…などに走ろうとする。何故なら国家権力は彼らにとって自分たちの権力だからであり、それを拡張すればより大きな権力欲求が満たされるからである。また、政治的権力者と癒着する経済的権力者も国家権力の拡張に加担する。そして、政治的権力と経済的権力が主体となって「軍官学産複合体」を形成し拡張し、軍備を拡張し戦争へと向かおうとする。
愛国心や国家主義を煽り利用する方法は20XX年以降は狡猾になっていた。ところが、M将軍に至っては「家族を守るためには男は国のために戦わなければならないことがある」などともはや化石のような言葉を吐く。戦争が家族のためにもならないことは言うまでもない。私たちはこの時ばかりはM将軍を暗殺してやろうと思った。「男も女も俺たちは家族や友人を守るためにはお前を倒す必要があるのだ」と。実際、私はM将軍のために両親とP教授を失った。ZとXが本気になれば、M将軍を暗殺することはできた。だが、そうしたのでは私たちの何人かが犠牲になる。また、密かに準備を進めている革命が台無しになりかねない。また、私にしてもあの時、M将軍を殺害することはできた。だが、それでは私が犠牲になるとともに、今まで追求してきた「無血革命」を私がぶち壊すことになる。
また、人口問題が乱用されてきた。人口の指数関数的増加に対して、自然災害、大規模人災、飢饉、食糧難、パンデミックなどの自然と人間との間で生じる苦難と(A群)と、戦争、虐殺などの人間の間で生じる苦難(B群)、を肯定する者が意外と多数いた。そのような肯定に対して、市民は無差別に嫌悪と恐怖を覚え非難し、それらを公然と肯定する者は目立たなくなった。結局はA群と、B群の中でも局地的なもの、によって現在のところ地球で維持できるぎりぎりの人口を少し超えている。そこで重要なことは以下のことである。幸いにしてB群が局地的なものであったから助かった。それは運がよかったに過ぎない。いつでもそれが全体破壊手段の使用に至り、人口抑制どころか地上の人間を含む生物のいくつかの種が絶滅する危険があったのである。A群を軽視しているわけでは全くない。B群が全体破壊手段の使用に繋がらないことが最優先されると言っているだけである。まず、B群が全体破壊手段の使用に繋がることがないよう、私たちは全力を尽くす必要がある。そしてその後で、全体破壊手段の全廃と予防に全力を尽くす必要がある。その後でA群に全力で取り組む必要がある。大学の科学者や市民団体でさえもそのことが認識できていない。例えば、飢饉や食糧難において、エネルギーを欠く美容食を配布するようなふざけた大国があった。言うまでもないことだと思うが、飢饉や食糧難において危急で不可欠なのはエネルギーだ。エネルギーを欠く食糧を配布された人々の驚きと怒りは想像を絶する。冗談や笑いごとではない。世界中の医師や科学者たちがそれをそのように痛烈に指摘した。それも重要だ。だが、少なくとも同じほど痛烈に、全体破壊手段を開発し保持し続ける世界の政治的経済的権力者を批判する必要があった。
それらの国家主義や愛国心と人口問題解決策が奇妙な形で連動することがあった。少なくとも超大国AとBで次のようなことを公然と語る政治的権力者と経済的権力者がいた。自国民は他国民より文化的かつ人種的に優勢である。他国を攻撃破壊し全滅させれば、人口抑制になり、優勢な人間と文化と遺伝子が生き残る。と公然と語っていた。世界の市民と反政府グループがそれらの政治的権力者と経済的権力者を痛烈に批判し、彼らもさすがにそのようなことを公然と語ることはなくなった。20XX年に地上の人類は絶滅した。前述のとおり、言語を含めて文化的にほぼ同質なホモ・サピエンスが地下に潜って生き延びた。その子孫が私たちである。前述のとおり、権力獲得能力を含む具体的で詳細な能力、権力欲求を含む欲求、支配性、破壊性、自己顕示性を含む自我の傾向は遺伝しない。それらは後天的に形成される。それに対して、それらの傾向が大きい人間が権力を獲得し振るうことと抑制のない権力が独裁と独占へと走ることは人間社会の傾向である。しかも、人間社会の普遍的な傾向である。実際、20XX年以降も権力はそうなっている。それらに地域差や国家の間の差は存在しない。他の文化的なものについても、かつて文化的に同質であったものがわずか500年で大きな文化的差異や特異性を生じず、優勢と言うほどのものは生じない。遺伝するもの、つまり人種的なものについてはなおさら、わずか500年で人種的優位や特異性は生じない。そのことは一般市民も分かっていた。一万年経とうがそのような人種的優位性や特異性は生じない。そのことは20XX年以前に生物学者や人類学者が証明していた。私たち人間はすべて少なくとも数万年前からホモ・サピエンスという一つの種でしかない。差異があるのは肌や虹彩や毛の色や面構え、体格などの外見と体質だけである。知性や気質や能力に差異があるわけでは全くない。それらのことも世界の市民は分かっていた。だが、それらが分かっているからこそ、そのようなことを語る政治的経済的権力者が恐ろしかったのだろう。
ところが、さらに恐ろしい考えがちらほら匿名で出てきた。「もし、20XX年の地上の人間の絶滅がなかったら、人口は増大し環境はさらに悪化し資源はさらに消耗し、地上の人間はもっと苦しんでいた。だから、このあたりでもう一度、地上の人間を絶滅させておくのも悪くない」というようなものだった。それらはあくまでも匿名で市民の振りをして出されていた。「20XX年の後の十数年間の苦しみ以上のものがあるのか」などの反応もあった。私はそんな苦痛の大きさを比較する議論が高じないほうがよいと思った。市民の間でそれらが高じると、権力者が最悪の方向に高じた議論を戦争を起こしたり全体破壊手段を使用するための名目として利用する恐れがあると思ったからである。結局、それに対する反応はわずかだった。しかも、わずかな反応の中でも「どんな苦しみもいやだね」「それより今日のメシのことを考えろよ」…などの反応が多かった。私はホッとした。だが、後にあのM将軍が異種だが恐ろしさとしては同程度のことを考えて言うことになる。言うだけだったが。
国家主義や愛国心に対して、政治的経済的権力者が現実的な「国益」なるものに訴えることはいつの時代もあったし、この度もあった。それに対して、世界の反政府グループと市民が、仮に局地戦争に終わるとしても、戦争が国益になることは決してないとネットワークで反論した。それはもっともなことである。だが、地球規模で枯渇していく資源の中では国益と見えたものは過去のいかなるときより重大だった。もはやこれは国益などというものではない。生存に不可欠な生物資源である。食糧である。食糧を巡る争いである。権力者が国益などの言葉を使うから、市民は不可欠なものを巡る回避困難な争いであることを認識することができなかったのだと思う。だが、反政府グループとしてはそれでよかった。世界の反政府グループは回避困難な争いであることを認識して十分な準備をしていた。市民にはむしろ過剰な恐怖を抱いて苦しんで欲しくなかった。そのような苦痛の軽減も私たちが目指す「無血革命」に含まれる。
MAD、新旧のミサイル迎撃システム…など
千年代末の「冷戦」なるもののときに「相互確証破壊(MAD)」という概念があった。二つの超大国が核兵器という全体破壊手段をもって他を確実に破壊できれば、超大国は相互に攻撃することがなく、大戦は避けられるというものである。MADに対して、私たちは「選択的相互確証破壊(SMAD)」を提唱していた。MADの頃と比較して、科学技術、特に情報科学技術は進歩し、政府と軍はますます選択的に相手の政府と軍を破壊できるようになっていた。その選択性を活かしてSMADは最悪でも政府と軍の中枢だけが相互に破壊されることを目指す。また、世界の市民は政府と軍の主要施設の周辺に居住しない「権力疎外」を展開していた。すると一般市民の犠牲をできるだけ少なくすることができる。また、世界の市民と隠密離反者と反政府グループは自国の政府と軍の主要施設等の情報を積極的に互いに暴露しあう「権力相互暴露」を展開していた。するとますます選択性が高まる。権力疎外-権力相互暴露-SMADは、市民を犠牲にせず、最悪でも権力者だけを犠牲にすることを目指す。全体破壊手段の必要性を減じ、人間を含む生物の絶滅を予防することを目指す。
ところで、既に千年代末のMAD華やかなりし頃にも、MADの均衡を破ろうとする理論があった。それは当時はやった映画のタイトルで呼ばれたが、端的に言って「ミサイル迎撃システム」であり、迎撃する現場を大気圏内から大気圏外に広げただけのものだった。その後、ミサイルが宇宙を大きく迂回するようになるに伴い、迎撃の現場は大気圏内外から本物の宇宙に広がった。最近になってまた、斬新と主張する理論が少なくとも超大国A,Bで以下のように出現した。いつの時代も威嚇のために、軍事技術が進歩しているように見せかける科学者や政治的経済的権力者がいる。科学者らは言う。「宇宙で大きく迂回するようなミサイルを宇宙で迎撃するより、大気圏内で迎撃するほうが経費がかからず確実である。再び大気圏内に立ち返って、敵国からのミサイルをすべて迎撃するシステムを開発した。その迎撃できるミサイルは海底からのものも宇宙からのものも含む。それらによって、敵国からのミサイル攻撃・反撃・報復をほぼ完全に封じ込めることができる」と。理論としては分かりやすい。本当に機能するのか。私たちは一般市民としてそれらのうちのA国の科学者に質問した。「それらの『ほぼ』とは何パーセントの確率か?」と。彼らは「75パーセント」と答えてきた。そこまでの回答は容易に帰ってきた。その後、私たちは「75パーセントが『ほぼ』と言えるのか。それと小数点以下がないが…」と聞き返した。その問いへの答は帰ってこなかった。いい加減なものに過ぎないにせよ「75パーセント」の数値を漏らした科学者は、M将軍に抹殺されたようだ。その後、A国のM将軍もB国のBP大統領も、その迎撃システムによって敵のミサイル攻撃・反撃・報復を「確実に」封じ込めることができると威嚇した。つまり、科学者や技術者が「ほぼ」と言ったことを彼らは「確実に」と言い換えていた。その後、隠密離反者(内部隠密情報提供者)によると迎撃できる確率が10パーセント以下であることは確実だ。とのことだった。実際にそのとおりになって私たちのSMADはうまく機能した。
さらに、シェルターに対する過信が加わった。既にシェルターは核兵器による放射線だけでなく、従来の病原体以上の不変遺伝子手段にも対応できるようになっていた。換気口における濾過を確実にしたからだろう。また、小惑星操作による小惑星の地球への衝突についても軽度の衝撃なら対応できるようになっていた。ということは最高クラスの地震にも軽度の地殻変動にも耐えられるということである。それはシェルターをクッションになる物質で覆うことによるのだろう。耐久性と収容能力について、隠密離反者(内部隠密情報提供者)が得た情報によると、全体破壊手段が使用され、地上が破壊され汚染されても、政府と軍の幹部が逃げ込むような最新のシェルターでは数万人が世代を超えて数百年、生存できるとのことだった。確かに20XX年と比較してシェルターの技術も進歩しており、数百年は可能だろう。地底以外の宇宙や海底をシェルターに利用する計画もあり試作もあったが、地底が選択された。それには20XX年に宇宙や海底に退避した人々は帰って来なかったという史実が影響したと思われる。また、そのようなシェルターと地上との間の情報通信技術も進歩し、全体破壊手段が使用されなかった場合、世界の政治的経済的権力者は、シェルターから地上に残された政府と軍と企業を、コントロールできると確信していた。それらに対して、権力者がシェルターに退避すると、シェルターに連れて行かれなかった政府と軍と企業の下層と中間層が一気に離反し、彼ら彼女らは反政府グループと市民の側につく、と私たちは確信していた。結局、私たちの確信が現実になった。というより、権力者の確信が甘すぎる。シェルターに連れて行かれなかった者、つまり見捨てられた者が、シェルターに退避した者に従うわけがない。ところで、地方の政治的権力者や中央と地方の経済的権力者については以下のとおり。彼ら彼女らもそれぞれのシェルターを建設しようとした。だが、上のような性能と規模のシェルターを建設することは不可能だった。だから、彼ら彼女らはそれぞれのシェルター建設を諦めていた。次に、彼ら彼女らは中央政府や軍が建設したシェルターへの便乗を狙った。いちようのオーケーが帰ってきた。だが、それも当てにならない。そこで、反政府グループと市民だけでなく、彼ら彼女らも全体破壊手段が使用されないことを願っていた。それらも世界的現象である。
全体破壊手段が使用された場合で、シェルターで数百年の生存が可能だとしても、世界の人口と比較すると、ほんの一握りの人間が生存するに過ぎない。仮に人間を含む生物が、宇宙船等で別の惑星または衛星または別の系のそれらに移住して生存するとしても、一部が生存するに過ぎない。しかも、逃げた者は地球上の生物とは別の方向に進化する。私たちはそれらを地球の生物の生存と認めない。私たちが目指す人間を含む生物の生存とは、太陽または地球の激変のときまで、人間または進化した人間を含む生物が、この地球上で、厳密には地表で生存することである。そのためには、全体破壊手段の全廃と予防が不可欠である。侵略してくる異星人や衝突してくる彗星を核兵器で迎撃するなどというのは20XX年以前のSFに過ぎない。私たち人間は人間自身がもたらす絶滅の危機に対処していればよく、人間以外がもたらす絶滅の危機に対処する必要は全くない。
最初で最後の戦争、それに対処する最初で最後の決戦
さて、現在、環境の悪化、資源の消耗、人口の増大は本当に切迫している。特に食糧資源の限界はかつてないほどさし迫っている。過去にも飢饉や食糧危機はいくらでもあった。だが、それらは局所的なものであり、地球レベルでの切迫ではなかった。現在は地球レベルで切迫している。20XX年の直前も切迫していたように見えるが、当時は開発する食糧資源がまだ十分に残っていた。だが、今は開発の余地は世界で三か所の「放射能残留立ち入り禁止区域」ぐらいなものである。あの森Fは残留放射能がないことが確認でき比較的広かったが、他は、残留放射能がないことが確認できても、狭く多くを生産できない。何よりあの森Fは既にあのD国からの避難民でいっぱいである。過去には遺伝子操作や培養肉や人工光合成などの生物学的技術に対する期待もあった。だが、それらによる食糧生産の増分は大したことがないことが分かってきた。それらも限界に達している。
そこで、例の「資源に限定した局地的侵略戦争」はあのD国だけでなく、他のいくつかの食糧資源の豊富な地域を巡っても始まっていた。現在の戦争は、国益、覇権、領域、宗教、民族、イデオロギー…などではなく、生存に不可欠な食糧資源を巡る争いである。何故、かつて人間は不可欠でないもののために戦っていたのだろう。それらは避けられたはずだ。第一次、第二次世界大戦は明らかに避けられた。第三次世界大戦さえも避けられた。こう言っては悪いが、そんな戦争はちょろい。生存に不可欠なものを巡る戦い。それがこれからの戦争だ。これが本来の戦争だ。つまり、最初の戦争だ。この危機を乗り切って、全体破壊手段の全廃と予防と、民主的分立的制度の確立と維持に全力を尽くすしかない。そうしなければ後はない。つまり、最後の戦争だ。つまり、最初で最後の戦争だ。それに対処するのは最初で最後の決戦だ。と思った。
世界の反政府グループと離反者が打合せ通りに動いた。既に一般市民のほとんどが、政府と軍の主要施設近隣に居住していなかった(権力疎外)。庶民の街の中でも人々ができるだけ周辺に移動した。また、世界の市民と反政府グループと離反者がそれぞれの国家の政府と軍の主要施設の情報を互いに暴露し合っていた(権力相互暴露)。また、世界の反政府グループが、政権と軍からの離反者に対して革命後は罪を問わず、希望次第で従来以上の地位と対偶を保証すると宣言していた(離反推奨)。さらに、政府や軍の内部に潜む人々で情報をつかみ提供できる立場にある人々(内部隠密情報提供者)が、政府と軍の主要施設の所在だけでなく様々な情報を提供してくれていた。全体破壊手段が使用されれば、地上に残された人間は死滅する。まず、シェルターに連れて行ってもらえそうもない人々が積極的に情報提供してくれた。シェルターに連れて行ってもらえそうな人々でさえも、シェルターを嫌がって、情報提供してくれた。また、政府や軍の内部に潜む人々で政策と戦略を誘導する立場にある人々(内部隠密戦略誘導者)が政府と軍の幹部に「全体破壊手段を使用しなくても相手の政府と軍を選択的に破壊できる(SMAD)。また、全体破壊手段を使用すれば貴重な資源が汚染される。だから、全体破壊手段を使用する必要はないし使用しないほうがよい」と誘導してくれた。上と同様の理由で、それらの人々が忍耐強く誘導してくれた。また、できる限り多くの国々が中立に留まるよう勧めた(中立推奨)。特に残る超大国であるC国にそう勧めた。
ここまでの準備は20XX年の地上の人類の絶滅寸前も諸国の反政府グループが整えていた。だが、力不足だった。それは何故か。国家レベルでも世界レベルでも反政府グループどうしが政治制度と経済体制を巡って争ってしまったからである。この度はそのような争いを繰り返すことはない。国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立し、L系においては厳格な自由権、政治的権利、三権分立制、法の支配を確立する。資本主義か自由主義経済か市場経済か、共産主義か社会主義か、混合経済か、企業の独占を許すか許さないか、国営企業をどうするか、福祉制度をどうするか、高福祉高負担か低福祉低負担かその中間か、医療制度をどうするか、高医療高負担か低医療低負担かその中間か、自然の保全をどうするか、公権力が積極的に介入するか企業や市民の自主的な保全に委ねるか市場経済に委ねるかそれらの混合か、大きな政府か小さな政府かその中間か…などの議論は革命後にS系で随時やって、最終的な決定は市民が随時下す。それらで世界の反政府グループのすべてと世界の市民の大部分が合意していた。実際、反政府グループどうしの争いは皆無で、市民の争いはほとんどなかった。
さらに、世界中の反政府グループはそれぞれの国家における暫定憲法と暫定政権の枠組みをネット上でに過ぎないにせよ市民の投票にかけた。そして、ネット上でに過ぎないにせよ三分の二以上の多数によって承認されていた。何度も言うが、それはネット上でに過ぎない。だが、ネット上でしかできない市民が投票の過程を細部まで閲覧できるプログラムをXらが開発し実行していた。それによって現政権の操作された電子投票よりはよほど厳正な投票になっていた。当然、新憲法と新政権の成立時には紙の投票用紙を併用し、少なくともそれによって選ばれた人々が在任中は証拠として保存する。そのように新憲法・新政権樹立の際には紙の投票用紙を必ず併用することも暫定憲法で規定された。さあ準備は整った。
本番の計画
私、U、T、X、ZとN大佐が私の研究室に集まって、もう一度、それらを確認した。さらに本番の計画を確認した。確認した本番の計画は以下のとおり。
(0)これは前述の準備段階に属することだが、重要なことなのでここでも述べる。世界の国家の政府と軍に全体破壊手段を使用する必要がないこと、使用しないことを反政府グループと離反者(内部隠密戦略誘導者)が強く誘導し続ける。だが、A国のM将軍はUが開発した偽物の全体破壊手段(不変遺伝子手段)を本物と思って使用するだろう。以下の計画はまず、それ以外が使用されないことを前提とする。それ以外が使用された場合でも地表に部分的な破壊しか生じないことを前提とする。
(1)グループGは世界の反政府グループに、A国のM将軍が全体破壊手段を使用するだろうが、それは疑似のものであることを、隠密に伝える。世界の反政府グループは世界の隠密離反者にそれを隠密に伝える。
(2)A国の離反者(内部隠密情報提供者)がM将軍の(疑似の)全体破壊手段使用とシェルターへの退避の前兆を察知し、グループGにそれを伝える。
(3)グループGは世界の反政府グループに、M将軍が疑似の全体破壊手段を使用すると隠密に伝える。世界の反政府グループは世界の隠密離反者にそれを隠密に伝える。
(4)世界の反政府グループと隠密離反者は政府と軍の幹部に、M将軍が本物の全体破壊手段を使用する恐れがあると隠密に伝える。
(5)それと同時に、A国のM将軍らを含めて世界の国家の政府と軍の幹部はシェルターに退避するだろう。
(6)世界の反政府グループが提唱してきたSMADによって、少なくとも超大国AとBと既に交戦中の国家の政府と軍の主要施設が破壊されるだろう。
(7)シェルターに連れて行かれなかった政府と軍の下層と中間層は、自分たちを見捨ててシェルターに退避した幹部に従うわけがなく、一気に離反するだろう。彼らは政府と軍の主要施設から退避した後、破壊されたまたは破壊されていない主要施設に戻って来て反政府グループと市民とともに政府と軍の主要施設を占拠するだろう。
(8)世界の国家の政府と軍の幹部がシェルターに退避している間に、世界の反政府グループと離反者が軍の主要施設の跡を占拠する。市民のデモが発生するようなら、その後でしてもらう。市民に犠牲がないようにである。
(9)シェルターに退避した者が地上に逆襲しないよう、また、全体破壊手段を地上に向けて使用しないよう、厳重にシェルターの出入口を閉鎖する。
(10)世界で既に承認されている暫定憲法を公布しそれに基づいて暫定政権を樹立する。
(11)世界でできるだけ早期に紙の投票用紙を併用したレフェレンダムと選挙を実施し新憲法と新政権を樹立する。
(12)世界で政府と軍の主要施設を占拠する(8)とともに、反政府グループと離反者が速やかに世界の全体破壊手段を不活化する。
(13)不活化後、全体破壊手段全廃予防のための国際会議を開催する。
(14)全体破壊手段全廃予防のための国際機構を樹立する。
(15)全体破壊手段をできるだけ早期に全廃する。
(16)全体破壊手段を永遠に予防する。
それらを確認した。既に世界の反政府グループとネットを通じてそれらを確認していた。また(0)(1)(2)(3)は既に実行中だった。だが、私はB国とC国で反政府グループのリーダーや離反者の中の重要人物と直接、会って確認したかった。私はA1大学の教授の身分でB国とC国に赴くことになった。その頃の私はあのD国の避難民の避難成功の先駆けと見なされて国際社会でちょっとばかり有名になっていた。それとともに世界の政府と軍の幹部からは反政府的でないと見なされていた。
それから私の研究室で前夜祭となった。この日のためにビールやワインを冷蔵庫に入れていた。あの森Fで作ったワインも少し持ち帰ってさらに熟成していた。皆の酔いがだいぶん回ってからXが「記念写真を撮ろう」と言う。Uは「I(私)がB国C国に行くと帰って来れないかもしれないから、今、撮っておこう」などということをずけずけと言う。Xはさらに「反政府グループと市民のサイトを飾ろう」と言う。ZとN大佐は「それだけはやめてくれ。政府に顔が割れると大変だ」と言う。Xは「顔や体形を識別不能にすることぐらいは簡単。高層ビルの屋上のでっぱりで朝日を背景に立つ六人。朝日を逆光にして顔は真っ黒けにする。ビルは現実に存在しえないものにする。体形もだぶだぶの服で隠す」と言う。Xは画像の編集でも信頼できるだろう。皆が同意した。Xが間に合わせの三脚にカメラをセットしリモートコントローラを持って、UとXが真ん中に入って肩を組み、彼女たちの両脇に私とTが立ち、その両脇をZとN大佐が固めた。結局、左からZ→私→U→X→T→N大佐の横の並びになった。前方には都会の絶景があり上方には広大な空があり背後には昇る朝日があることをイメージした。ZとN大佐はルネッサンス期の闘士の像のようになってしまっている。Xが「緊張していると集団飛び込み自殺のように見えるだろうから、リラックスしてよ」と言うと、皆が笑い体の緊張もほぐれてシャッターが切れた。実際にXの編集で政府に顔は割れなかった。映画の公告のような写真になった。
感じたものが何かをとらえること
B国、C国に行く前に私はA国の軍のO参謀と会った。彼はこの時点では(隠密)離反者ではないが、独裁的な軍や政権の中にあっても、全体破壊手段の不必要性と私たちのいうSMADと同様のものを提唱していた。私はA1大学の教授の身分で彼と会って話をした。全体破壊手段の定義と不要性とSMADに関する限りで、私たちと全く同じ考えだった。B国やC国の政権や軍の中にも同様の考えをもつ人々がいるらしい。
О参謀は「M将軍にも全体破壊手段の不要性とSMADの必要性を何度も説明し、M将軍は納得した振りをしているが、彼は何をするか分からない。私も暗殺されるかもしれない」と言う。私は「それはないでしょう。ですが、あなたもM将軍にシェルターに連れて行かれるでしょう」と言う。O参謀は「シェルターに連れて行かれるぐらいなら殺されたほうがいい」と言う。私は今が切り出し時だと思った。私は実際の私の立場を明かした。O参謀は喜んで隠密離反者になってくれた。また、ネットを通じてN大佐とZを紹介することになった。強力な同盟が出来上がった。また、B国とC国の政権や軍の中にあってО参謀と同様の考えをもつ人々のうちの最重要人物(B国のものとC国のもの)を紹介してもらうことになった。また、A1大学の教授の身分だけでなくO参謀の特使の身分でもB国とC国に赴く手続きをとってくれた。
私はB国でまず、そのB国の最重要人物と会い、O参謀と同様に隠密離反者、内部隠密情報提供者、内部隠密戦略誘導者になってもらった。次いで、Vと会った。Vは私のB1大学留学時代の同僚で、今はB1大学の法学部教授をしながら、私と同様の活動をし私と同様の立場にあり、B国の反政府グループHのリーダーをしていた。P教授とも交流していて、憲法と政治制度についてP教授がまとめたものを共有していた。それらはほぼ鏡像関係にあった。鏡像関係になかった点はVは仕事と家庭を両立させることができるタイプの人間で、結婚後、五児をもうけていた。五児をもうけるなどは現代において稀なことである。
それはさておき、P教授のただ一つの弱点は、表現が一般市民に分かりずらいことだった。そこで、VとVの同僚らがP教授がまとめたものを、内容はそのままで、一般市民に分かりやすく書き直すことになった。それが後に世界の憲法の基本となる。あの本番での計画について、GとHはXらが構築したネットワークを通じてよく交流しており、確認する必要はないほどだった。また、О参謀が紹介してくれたB国の最重要人物についてVに言及したところ、Vもその人物に交渉に行こうとしている矢先で、後はVがその人物と交流を深めることになった。
そこまで、重要なことを確認した後、私とVはB国の首都の庶民の街BTの店BQに飲みに行った。留学時代にVたちとよく飲みに行った店だ。飲みに行くといってもその頃は多くの酒をオーダーするカネがなかったから、酔うというほどではなかった。この日も酔っ払うほど飲まなかった。B国のBT街はA国のAT街と鏡像関係にある。だが、B国のその店は一流の芸術大学B2に近く、画学生がよく集まっていた。だが、今は時節柄、画学生を含めて客はあまり来ず、私とVが訪れたときは、画学生Jが一人寂しく飲んでいるだけだった。Jは二十歳過ぎの女性。Vとはよく話をしていたようだ。Jは父子家庭で父親は貧乏画家。三歳頃から父とともにB国を旅してスケッチをした。ただし、小学校高学年までは木炭と画用紙のデッサンだけで、色を付けることを禁じられた。小学校高学年から水彩画を許され、高校に入ってからようやく油彩を許された。一流の芸術大学B2に合格し、三年までは教授陣から高評価を得た。だが、四年になって、教授陣がJの油彩を「アマチュアに過ぎない」「その歳になってこんなものなら、画家をやめたほうがいい」…などと酷評するようになった。Jはそんな話をVにしていたらしい。
私とVは少し飲んだ後で、Jのアパートまで行って実際にJの作品を見てみた。Jはさっそく、教授陣に酷評された油彩を三点、私とJの前に並べた。すばらしい。緑の中の小道、行く手に開けた草むらがあり、廃屋がある。その道を歩いて行きたいと思う。あの少女とその父親の手記への道そのものだった。別の絵は土壁に木漏れ日が当たっている。言い知れない懐かしさがある。また別の絵は青い空と白い雲の下、草原から元気いっぱいの兎が飛び上がっている。兎は伸びやかで、私もそんな風にジャンプしたいと思う。あの森Fで本物を丸焼きにしたことさえ忘れさせる。何故、教授陣は酷評したのだろうか。Jはそれをこの数か月思い悩んでいた。Vも考えていた。私も考えた。分かった。絵を見る人たちが何を感じているかが分かっていない。例えば、私が「歩いて行きたい」「言い知れない懐かしさがある」「そんな風にジャンプしたい」と思っていることが分かっていない。確かに自分が感じたものをそのまま描くことには優れている。だが、写真と絵は異なる。写真は自分が感じたものをそのまま切り取るだけでもよい。また、絵画や彫刻にしても、ともかく何かを塗りたくって造ってみて自分や他人が何を感じるかを見ていくという手法もある。それに対して、Uの手法は緻密に構成していくタイプのものであり、自分や人が感じるものが何かを認識して意識的に構成する必要がある。自分や人が感じるものが何なのかを分かっていないから、例えば、強調が足りない。余計なものが入って邪魔をしている。例えば、影による光の強調が、光による影の強調が、遠いものによる近いものの強調が、近いものによる遠いものの強調が足りないのではないか。余計な光があるのではないか。余計な影があるのではないか。私はそれらをストレートにJに言ってみた。Jには思い当たるところがあったようだ。芸術大学の教授陣はもっと直接的に指摘する必要があったと思う。以下のことはもはや言う必要はないだろう。感性だけでは芸術家になれない。だが、感性がなければ芸術家は始まらない。Jにはすばらしい感性がある。Jの父親は感じるものが何かをとらえ構成することはできたが、感性そのものに乏しかったのだろう。恐らく感性は思春期以前にしか育まれない。だから、父親はJが幼少の頃からJを連れて旅に出て感性を育むことに専念したのだろう。そうしながらも父親はJの感性に嫉妬していたに違いない。私の父にもそんな嫉妬があったと思う。父は権力にストレートに反抗できる私に嫉妬していたような気がする。
その後、Jは絵を描き直した。私は描き直し前のあの小道の絵を後でもらって、後の私の家の私の部屋の壁に掛けている。この書の表紙にもそのコピーがある。確かに、木立の間隙の左の角に見る者の目が逸れてしまう。書き直した後の小道の絵にはそのような角がなく、その後、純金100kgほどの値がついている。
私は書き直し前の絵も好きだ。それはあの森Fでの少女とその父親の手記発掘の思い出から来ているのであって、一般の人の感性からきているのではないと思う。一般の人の感性は1900年代前半にユングという心理学者が言った「集合的無意識」に通じるものがある。それに対して個人の個性に基づく感性もある。それは「個別的無意識」に相当する。そう言えば、あの木漏れ日がさす古壁もあの手記の廃屋の周辺で見たような気がする。あの兎のジャンプもあのD国避難民先導のときにあの森Fに至る山野で見たような気がする。芸術家や芸術評論家は一般の人の感性をとらえる必要がある。それに対して、見る者には見る者の感性があってよい。後でその手記への道で確かめると、やはりそのような角があった。古壁もあった。兎のジャンプはあの森Fへの山野であった。青い空と白い雲もそこであった。書き直し前の角のある道の絵への愛着はあの思い出からくる私に特有の感性からきているのだろう。それに対して、古壁や兎のジャンプや青い空と白い雲は一般の人の感性からきていると思う。ついでにあの森Fへの山野で見た涼しげに飛ぶトンボも「暑い夏が終わった」安堵感という一般の人の感性をくすぐるだろう。実際、現場で大人も子供も感動していた。初秋、青空と白い雲の下、涼しげに飛ぶトンボの絵もあれば…今度、Jと会ったら提言しようと思う。
名目と信念の混合・一体化、信念の偏狭さ
B国からC国に発とうとしている頃、なんと、B国のBP大統領が私に面会を求めてきた。私はBP大統領と面会することについてVに彼の研究室で相談した。Vは「『人当たりのよい独裁者・戦略家』だから気をつけろよ」と言う。BP大統領は六十代の女性である。私は大統領私邸に招かれた。彼女は非公式な会談には私邸を利用するらしい。彼女は紅茶や高級スナックを自分で出しながら「D国の避難民の件ではご迷惑をおかけしました。私はD国の資源をA国が乱用していることに耐えられませんでした。あの森Fも今までA国が放射能がないことを隠して立ち入り禁止にしてきたことが許せません…」と自然の保全と人類の生存について語る。その内容と語り方から判断すると、彼女にとって自然の保全や人類の生存は、単に独裁制を敷くための名目であるだけでなく、信念でもあるようだ。つまり、名目と信念が混合し一体化している。恐らく、最初は名目であったものが信念にもなり、その逆もありえるのだろう。
考えてみれば、名目だけで生きている人間はいない。どんな人間も生きるには信念、生きがい、価値、目的…などが必要であり、それらがなければ虚しくなる。過去の独裁者においても、人類の生存や市民の幸福や国家や民族の繁栄は単に名目であるだけでなく、信念でもあった。20XX年以前ではヒットラーやスターリンや毛沢東でさえもそうだった。経済的権力者さえも自分が扱う商品や製造する製品は、利潤をもたらすだけでなく、人類の生存や市民の幸福をもたらすというような信念をわずかにでももっている。だからこそ一般市民は心酔や熱狂を含めて支持をしてしまう。だからこそ政治的経済的権力者はやっかいなのだ。考えてみれば、名目と信念のいずれか一方だけ、真実と虚偽のいずれか一方だけ…のような単純な人間がいるわけがない。家庭における独裁者であるあの前妻Qでさえも「愛とは…」などという信念をもっていた。人間は複雑である。だからこそその人にとっても他人にとっても人間はやっかいなのだ。と思った。さらに考えてみれば、個人にしても社会にしても自然にしても歴史にしても様々な側面をもつ。すべての側面を見渡すことは不可能だしその必要もない。だが、少なくとも一側面をすべてと思わないようにする必要がある。と改めて思った。
結局、BP大統領との面会は私にとっても彼女にとっても収穫も危険もなく終わった。その夜にVとあの店BQでまた少し飲んだ。店にはあのJさえもおらず、客は私とVだけだった。そのことからも世界大戦が近いことを感じずにはいられなかった。Jについてはあれらの絵を描き直しているのだろう。芸術家というのは、良いも悪いも、そういうものだと思った。私はVにBP大統領との面会のことを報告し「ああいう独裁者のほうがやっかいなんじゃないか」と尋ねた。Vは「確かに、少し前までは市民も支持していた。だが、あのD国にとった戦略をI(私)が暴露したこともあって最近は市民もBP大統領を信用しなくなった。あの戦略はBP大統領が直接、意図的に立てて命令したんだ。それを俺たちは暴いた。B国の市民の中にもD国まで救援に行こうとする人々がいたほどさ。政府に止められたけどね」と言う。それらは既にネット経由で知らされていた。私は「分かった。BP大統領はあの森FもB国に併合しようとしていたんだ。私からあの森の情報をつかもうとしていたんだ」と今頃になって気づいた。私は、あの森Fと避難民に対する思い入れがあり、BP大統領の人当たりのよさに魅力を感じていたから、BP大統領に少しばかり裏切られたような気分になった。なるほど「人当たりのよい独裁者・戦略家」だ。Vに私が推測したBP大統領の併合の意図を言うと、Vは「そんなところだろう。市民はもうBP大統領から覚めている。今後はそんなやっかいな相手ではないさ」と言う。
信念と名目の混合・一体化について、それらの背後にある独裁、独占…などの意図はいずれは暴かれ挫折する。しかも、その信念は、例えば(1)自然の保全や人類の生存…などだけで(2)自由権、民主制、権力分立制…などがない偏狭な信念である。もちろん、その逆の(2)だけで(1)がない信念も偏狭である。私たちは(1)と(2)の両立を目指しており、(1)(2)のいずれかに偏るよりは偏狭さが少ない。つまり、あくまでも比較的に偏狭さが少ない。それだけは確信できる。いずれにしてもそれらの偏狭さはいずれは暴かれ、それに基づくものは挫折する。歴史上、偏狭さのない「哲人」による政治は伝説、つまり虚構に過ぎず、そのようなものがあったとう証拠はどこにもない。私たちの民主的分立的制度や生存と自由の両立にしてもどこかに偏狭さが残っているだろう。だから今後も自由な言論に基づく議論が必要である。それらの観点からも公権力とその保持者に係る言論は、いかなるものためにも制限されることのない完全な自由権である必要がある。
だが、それらの「いずれは」暴かれ挫折するでは遅い場合がある。生存が名目に過ぎないことの暴露と挫折が遅かったから第三次世界大戦で地上の人類は絶滅した。大量破壊や全体破壊や滅亡や絶滅の危機を乗り越えるためには、少しでも偏狭さが少ない信念に基づいて速やかに偏狭さの多い信念に基づくものを変える必要がある。そのためにも速やかに言論の自由を確保する必要がある。そして、それらの危機を乗り越える最中でも後でも言論の自由に基づいて議論し、偏狭さをできる限り小さくしていく必要がある。と思った。
中立
C国でも私は、О参謀が紹介してくれた最重要人物と会い、C国の反政府グループに紹介した。その後で私は、伝説的革命家Wと会った。かつて、C国は一度、民主化された。そのときの革命家である。だが、その後、民主制は形骸化し独裁化が進んだ。それは革命が熱狂的で瞬発的なものであり、樹立された民主的政権が権力分立制と法の支配を軽視したからである。Wは権力分立制と法の支配の重要性を主張したのだが、他の革命家たちに取り入れられなかった。そこで、革命直後にWは隠遁した。現在の独裁政権からの弾圧もなかった。
C国の首都からWの隠遁所までバスと徒歩で数時間かかる。郊外にはまだ自然が僅かに残されていた。遺跡もある。普段なら観光客で混雑するのだろうが、時節柄、乗客はまばらだった。バスが山道を登り針葉樹林を抜ける。登るにつれて肌寒くなった。バス停に着いた。帰りのバスの時刻のメモを忘れないようにした。バス停から三十分ほど山道を歩いて登った。やがて、視界が開け、小さな村に着いた。予想通りの古びた隠遁所でWと会った。Wは七十代の女性。予想通りにWはとりとめもないことを語る。A国のA1大学のP教授の話になった。予想通りにWは「Pの性格なら、公にあのようなことを語らざるをえなかった。それにしても、自分より先に暗殺されるとは思わなかった」と言う。これは予想外で、Wは「Pと恋愛関係にあった」と言い出した。P教授にとってはWは年上の人である。「若かりし頃」のPをまるで昨日のことのように語る。私は次第にそんな話が退屈になってきた。私はWにある形での協力をお願いするために来た。「三顧之礼」をしている時間はない。
私にとって長いと感じられる時間が経った後、Wは自ら言った。「君たちは権力分立制と法の支配を重視し、革命が一時の熱狂に終わらないよう十分な注意を払っている。私はそれを評価している。P教授も喜ぶだろう」と。そのときの私を見るWの目は、情熱的な革命家ではなく熟練した革命家の目だ、と私は思った。Wは隠遁していても、私たちの動きを把握してくれていた。Wはいざというときは戻って来てくれると思った。私は真摯に「C国は一見したところ中立を守っていても、大戦と革命のどさくさに紛れて急遽、A国とB国の両方に侵略し世界制覇しようとするかもしれません。革命の頂点でもなんとか中立を維持させてもらえませんか」とお願いした。それを言うとWは私を見据えた。研ぎ澄まされた革命家の目だと思った。「よし分かった」とWはキリっと言う。私は「よろしく」と退散しようとする。するとWは独居老人の目になって「さみしいじゃないか。もう少し居ておくれよ」と言う。窓ガラスの外にはWの自作と思われる「苔むす」庭園が広がっていた。水々しいしい苔に太陽の光が当たって輝いていた。私が「いいお庭ですね」と言うと、Wはまるで子供のようにはしゃぎながら自作の庭園を案内してくれた。あのAT街の独居老人Kに自炊の仕方を尋ねたら、このように教えてくれるだろうと思った。何歳になっても発見や試作の喜びはあるものだと思った。
陽はまた昇るのか、どさくさに紛れて
私はA国に帰り、まずO参謀の執務室に直行して最重要人物との交渉について報告した。О参謀はその直後に言う。「全体破壊手段を使用しないようM将軍を説得しているが、困難だ。核兵器の使用は何とか抑えられるが、不変遺伝子手段の使用を抑えることは困難。超小型の無人飛行機を用いて世界中に散布しようとしている」とため息をつく。О参謀は既に隠密離反者になっており、その不変遺伝子手段がUがすり替えた偽物であることを知っている。だが、やはり偽物の使用も抑えたい。世界の市民を恐怖に陥れるかもしれないからである。Z、X、U、Tにも急遽来てもらって、その恐怖を防ぐ方法を練った。恐怖が広がれば、偽物であることを公開せざるをえないかもしれない。それまでにシェルターに逃げ込んだ者たちの地上への反撃を完全に抑えておかなければならない。それを確認した。実際にそれらはうまく行くことになる。
N大佐には最後までM将軍をマークしてもらわなければならない。そのためにN大佐は最近は慎重で、相互の連絡もとらないようにしていた。そうなることはN大佐も私たちも想定していた。また、N大佐はM将軍とともにシェルターに潜って最後の最後までM将軍をマークする。それは私たちも頼んだしN大佐も望んだ。
残る問題は、О参謀、U、Tを含むM将軍にとって重要な意味をもつ隠密離反者がシェルターに連行されてしまうことを避けることだった。そこで、M将軍がシェルターに潜り(疑似の)全体破壊手段を使用する直前に、それらの連行されそうな隠密離反者はZらが作り管理している潜伏所に潜り、時が熟したときに一気に表に立って革命を遂行することになった。私とXについては彼らと行動を共にすることになった。私とXを含む政府に顔が割れていないグループGのメンバーは潜伏所の所在地を知らないようにしていた。政府や軍に捕まったときに拷問され潜伏所の所在地等を吐いてしまう恐れがあるからである。だが、ここまで来るともう拉致、拷問の危険はないと思った。
意外と早くそのときが来た。私、U、X、TとO参謀らは潜伏所に初めて潜った。潜伏所は政府と軍の主要施設の近くでAT街の地下にできていた。これは盲点だと思った。結局、展開していた権力疎外はここでも活きた。これは安全確実だ。しかも、いざというときは政府と軍の主要施設をすぐに占拠できる。Zら潜伏所と地上の連絡を行う者はあの自殺装置を外した。もうそんなものはいらないだろう。私はホッとした。秒読み段階に入った。私たちは緊張して無口になった。地上の人類の絶滅の可能性はわずかにでも残っている。だが、それへの不安より、革命の時が熟していることによる胸の高鳴りのほうが大きかったと思う。これは私たちにとって夜明け前の薄暗がりにして静寂だ。互いの心臓の鼓動が聞こえるようだった。そして、ついに来た。内部隠密情報提供者からM将軍らがシェルターに退避しつつあるとの情報が入ってきた。(疑似の)全体破壊手段の使用とSMADによる世界の主要国の政府と軍の主要施設の相互破壊は数時間後だろう。
Xら情報技術者は世界に「数時間後に世界の政府と軍の主要施設が破壊されます。そこから退避してください。既に退避している方々はもっと周辺に退避してください」と発信した。もちろん世界の政府と軍の幹部にも発信されている。さらに、世界の反政府グループと隠密離反者が世界の政府と軍の幹部に隠密に「M将軍が全体破壊手段を数時間後に使用するかもしれない」と伝えた。彼らはすぐにシェルターに退避するだろう。世界の隠密離反者には隠密に「シェルターに連行されないように、政府と軍の主要施設から隠密に退避してください」と発信した。それら以外の公務員には上と同様に「政府と軍の主要施設から退避してください」と発信した。実際にそれらは速やかに実行された。瞬く間に世界の政府と軍の主要施設が無人になった。世界の政府と軍の幹部がシェルターに退避した。それらをXらが確認した。ちなみに、Xら世界の反政府グループの情報技術者は政府と軍とそれらの周辺とシェルターの入り口周辺の監視カメラにも潜入して、その映像も随時、入手していた。私たちも潜伏所内でできるだけ周辺に移動することになった。
そんなとき。Uがウサギ「Rを研究所に置き忘れた。他の実験動物は退避させたけど、Rを忘れてきた。研究所に戻る」と言う。O参謀はあっけにとられている。Zは「駄目だ」ときっぱり言う。Xは研究所等の監視カメラに潜入している。研究所の中とその周辺が無人であることをXが確認した。政府と軍の主要施設が無人であることは既に確認していた。M将軍らがシェルターに降りて行ったことも既に確認していた。Uの研究所は比較的周辺にありSMADでも破壊されないだろう。Zも折れた。
Uと私は潜伏所から地上に出た。誰もいない研究所に戻って、Rをケージに入れて連れ出した。周辺部に向かって歩いた。25YY年、秋たけなわ、誰もいない都会というのは美しい。今は街路樹になっているイチョウの黄色の鮮やかさは太古のままだろう。どんなに高層化が進み汚染されても空と太陽はある。ビルの谷間であっても太陽が沈んでいくのが分かる。太陽の光がビルの窓ガラスで反射して私たちにも当たり、Uの顔は薄紅色だ。Uは「陽はまた昇るのか」と言う。私は「視覚をもつ動物はまた昇る陽を見るのだろうか」と訂正しようとしたが、Uの表現は比喩的表現として悪くないと思い言わなかった。途中であの国際会議場を過ぎ、あの市民が終結していた公園を通った。私たちが何をしたかはだいたいの想像がつくと思う。私たちはその公園の芝生に着くと、ケージを置いて、抱きしめ合った。
。。。
誰も居ないと思っていた。だが、同じようなことを考えるカップルが数組いた。この過密が頂点に達した現代において、このような体験はこのようなときにしかできない体験だった。だが、広い芝生で互いに邪魔にならなかった。唯一気になるのはRのゴソゴソという動きだった。芝生のチクチクや夜風は心地よい。夜空の下
。。。
ポケット・コンピューターが振動している。陽はまた昇っていた。しかも、既に高く昇っていた。午前11時45分だ。Uはケージ内のRのゴソゴソという動きで既に目を覚ましていたが、起きづらそうだ。軽い風邪を引いたようだ。ポケット・コンピューターを開いた。Zが「おめえら何をやってやがんだ。革命は完結したよ。無血革命だ。いまさらおめえらが来ても何の役にも立たないが、寂しいだろう。政府前広場に来いよ」と言う。ZはXに変った。Xは革命を主導するだけでなく、世界の情報を集めていた。「世界同時無血革命よ。C国でちょっと危ないことがあったけど…」と言う。私たちはとりあえず政府前広場に向かった。公園ではイチョウだけでなくケヤキやサクラも色づきかけていた。昨日はそれを見る余裕もなかったことに今、気づいた。それにしても二人ともよく眠れたものだ。Uはちょっと風邪を引いているが、夜風のせいで、あの偽物のせいではないだろう。私はやはりなんともない。「馬鹿は風邪を引かない」という諺がいやに出てくる。今はそれどころではない。
Xによると、政府と軍の主要施設から退避したがシェルターに入れてもらえなかった人々がグループGの側に続々と離反してきた。それは私たちの予想通りだった。シェルターに連れて行かれなかった者、つまり、見捨てられた者が、見捨てた者に従うわけがない。当然、それらの人々を非難することはできない。だが、シェルターに入れてもらえず離反してきた人々の中には、AP大統領や財界首脳も含まれていた。そのような人々を「傀儡」と呼ぶのだろう。「傀儡」とは慣用上、そこそこの権力をもっていながらより強大な権力者に操られている人々を指すのだろう。いずれにしても、それらの人々も赦免されるだろう。
結局、世界のすべての国家においてあの計画通りに進んでいた。ただ一つの危惧が現実になりかけていた。Xによると、シェルターに逃げ込んでいた超大国Cの軍の実質的指導者が、地上に出て、地上に残る軍をコントロールしようとした。そして、超大国AとBに侵略しようとした。他国のどさくさに紛れて、それらを侵略し占領し支配しさらに世界制覇を目指す。しかも、市民と反政府グループの反政府的なエネルギーを他国への攻撃へとそらす。第三国の権力者がいかにも考えそうなことだ。もしこれが成功すれば史上最大の「どさくさに紛れて」だった。そもそも、この度の世界の動きも史上最大の革命だった。世界同時無血革命が史上初であることは言うまでもない。「どさくさに紛れて」について、私はC国であのWと会って相談していたが、それは万が一の場合に備えてだった。そんな相談が活きないことを願っていた。だが、活きてしまった。あのWはその前兆を察知し、C国の市民と軍の前面に立ち「…他国に構うな。自国の権力を民主化し分立することに専念しよう…」と演説を行った。C国の地上に残された軍は、地下に退避した軍の上層部に従わず、Wに従い、シェルターの封鎖をより厳重にした。電磁波も通らなくした。Wは暫定憲法の公布まで、市民と反政府グループの背後に立ってくれた。Wはあの約束を守った。結局、C国では新旧の反政府勢力が協調しての革命になった。20XX年以前にも以降にもいくつかあったパターンである。
カリスマ排除、地味で地道な民主的分立的制度の確立と維持
私とUは政府前広場に着いた。広場の周りの政府と軍の施設は完全に破壊されていた。Uの研究所はそれらから少し離れていて無事だった。私たちのSMADはうまく機能した。グループGとAT街の人々が大型のテントを張っていた。そのテントが暫定政権の建物になるのだろう。交戦はなくても疲れているだろう。何故か、人々が私たちのほうへ寄ってきて歓声を挙げた。私たちは革命の後ろ盾として凱旋する形になった。眠っていたことも微笑みをもって受け入れられているようだ。テントの外でZらが立ち話をしていた。Zが私たちを見つけて「この大革命の真っ最中に首謀者が眠っていられるとは…どんな神経をしてやがんだ」と笑う。AT街の人々が炊き出しをしてくれていた。あのY社長があの技術で製造した食品を炊き出しの材料に持って来てくれていた。もうY社長のあの技術による製造への制限はない。Zは食材を購入しようとして現金を差し出したが、Y社長は受け取らなかったらしい。私とU以外は既に朝食も昼食も済ませていた。私とUはようやく朝食にありつけた。うまかった。あの「革命でござる」も入っていた。何なんだこの一致は。あの店AQで食べたときよりうまかった。Y社の技術は日進月歩しているのだろう。停止されていた報道機関も再開しつつあった。結局、私とUは革命の絶頂を世界に既に放映された映像の録画で見ることになった。朝食を貪りながら。次のように。
歩いて来たと思われるAT街の人々が、既に大きく開かれた正門を抜けて広場に押し寄せる。その後を地下の潜伏所で組み立てられた戦車が一台進む。その周りを人々が進む。後にも人々が延々と続く。それを望遠レンズがとらえる。結局、地下で組み立てられた戦車は、ここでこんな風にしか役に立たなかった。それは好ましいことだ。Zが戦車のハッチに座って照れくさそうに笑っている。砂ぼこりが立つ。それを太陽の光が差す。なかなかいい映像だと思った。無血革命を目指し、衝撃的な映像を残すような革命にしたくないと思っていた。だが、無血革命はいい映像になると思った。だが、Zには「なんだ、お前も戦車もこれだけのことをしただけじゃねえか。俺たちは寝ててよかったよ」と言っておいた。本当は「無血革命」を精一杯祝福していた。眠っていた私たちだけでなく、グループGの同僚やAT街の人々を含む市民の誰もが戦闘をしていない。それどころか戦闘を見ていない。かすり傷一つ負っていない。これこそが無血革命だ。世界で同様の無血革命が起きた。それを歴史に誇りたい。だが、ヒヤッとした。数人が戦車によじ登ろうとし、Zが引き上げようとした。戦車はすぐに止まった。「馬鹿野郎!事故が起きたら、無血革命じゃあなくなるじゃねえか」と私は思わず叫んでいた。私はそれが録画であることも忘れていたようだ。数人が無事に戦車に昇った。Zは他を丁寧に制止し、戦車は再び動き出した。昇ってきた人々が腕を空に突き上げる。人々の歓声が響き渡る。Zは、ハッチから出て、戦車に昇って来た人々に突起物をしっかり掴ませていた。Zは、このような事態も想定して、戦車の突起物まで確認していたのだろう。しっかり準備をしてくれていた。そして市民の犠牲をゼロに抑えた。これこそが真の革命家じゃないか。復活したばかりのマスコミのカメラワークと編集も、さすがプロだと思った。弾圧中も、機材を点検し、レンズを磨いていたのだろうか。やがてカメラが人々の中に入っていく。カメラに手を振る人々もいた。この時点では周辺部の市民も大勢なだれ込んでいて、貧富の格差は分からなかった。それも望ましいことではないだろうか。そんなとき、あの森Fの住民たちも来ているのに気づいた。その中にあのぬいぐるみとそれを抱く女の子とそのぬいぐるみを与えた女性も映っていた。彼女ら彼らがデモに参加するとすれば、いったいどこの国のものに参加すればよいのだろうか。D国かB国かA国か、将来独立するであろう「F国」か。だが、そんなことを考える私のほうが「国家」にとらわれていた。彼女ら彼らはたまたま往復のトラックに乗せてもらえたからここに来たのだろう。彼女ら彼らのほうがよっぽど国家にとらわれていない。それがうれしかった。
その後早々と、Uと私の「凱旋」の様子も放映された。私は髪の毛ボサボサ、髭ボーボー、服はしわクチャだ。私は「俺って写真うつり悪いな」とぼやいていた。私はウサギRの入ったケージを持っていたので、軽快には歩けない。Uは軽やかにさわやかに映っていた。それが救いだった。Uのまに合わせのポニーテールが、文字通り子馬のしっぽのように揺れていた。Uの歩き方は、子馬というより、小鹿のようだった。Uには悪いが、三十半ばとは思えなかった。Uは「一日一分でできる健康法」という一般市民向けの本も書いていて、その中で"U-step"という脳への衝撃を少なくするとともにつまずき・転倒を予防する歩き方を紹介し、それも有名になっていた。そのU-step自体が軽やかだが、それより軽やかだった。だが、Uはその歩き方を見て、「いやだー」と目をそむけていた。軽やか過ぎたのだろう。
B国でも革命はスムーズに進んだ。最後にはあのBP大統領がシェルターから地上に投降してきた。かつての「人当たりのよい独裁者・戦略家」の人当たりのよささえもなく憔悴しきっていた。その表情が放映されていた。彼女にもそれなりの葛藤があったのだろう。群集は彼女を精神的に追い詰めようとした。そこであのVが行き過ぎにならないよう群集をじっくりと説得していた。その「じっくり」はVにしかできないと思った。
C国のWのあの演説も世界に放映されていた。七十代の伝説的革命家でなければありえないド迫力だった。カメラアングルもよかったのかもしれない。斜め下から撮っていた。Wの頑丈な顎が際立っていた。Wには悪いが棺桶に入れて葬れば数百年はその顎は健在だと思った。それだけ余計に背景の青空と白い雲が引き立った。C国の暫定政権樹立宣言時の映像も流れたが、そのとき既にWは居なかった。あの庭の苔への水遣りを急いだのだろう。やっぱりWも表に立ちたくないし立つには適さない。P教授もそうだっただろう。私もそうだ。カリスマ性は排除しなければならない。カリスマは熱狂的な革命の原動力になりえるが、革命後は独裁に走り革命の成果をぶち壊す。それも歴史で何度もあったことである。UやZ、X、T、Vにしてもカリスマ性からほど遠いだろう。グループG、Hを含めて諸国の反政府グループは意識してカリスマ性を排除していた。その排除の指標はやはりあの悪循環に陥る傾向のうちの自己顕示性だった。簡単に言って、「目立ちたがり屋」を排除した。
また、「演説」なるものも自粛した。演説も言論の自由に基づくのだから、禁止することはできない。だから、自粛した。憲法や法律や政策の内容を説明するのは構わない。だが、人々を感動させるような演説になってはいけない。過去に「偉大な」政治家の演説が有名になったことはあった。それらの演説を読んでみると感動させるだけで内容がない。私は思想史が専門の歴史学者として過去の政治家の演説にも当たることがあったが、内容がなくて辟易していた。現代の独裁者たちも感動やカリスマ性や大衆の扇動を狙っただけで内容のない演説をよく行っていた。一般市民はそのような演説に辟易していた。この度は演説のようなものになったのはC国のあのWのものだけだった。だが、Wの演説のように見えるものには濃いい内容があった。また、Wに感動させる意図は全くなく、あれが演説調になってしまったのは数十年前の癖が残っていたからだろう。
私たちのカリスマ性排除には、以上のような動機があった。だが、以下のような動機もあったと思う。私と同様に「権力を獲得して振るい自己顕示して栄誉を残そうとする権力者はどこにでも居る。私たちはそんな者たちと同類になりたくない。権力を民主化し分立するだけでなく、自己顕示せず栄誉を残さず人知れず匿名でそれをやりたい」 そういう動機があったと思う。実際、人知れず世界や歴史を変えることには言い知れぬ快感がある。しかも、生存と自由の両立などという困難なものに挑戦していると、胸がワクワクしてくる。しかも、困難であればあるほど、なかなか達成できず、それらの快感が長く続く。こんな都合のよいことはない。簡単に言って、好きでやっている。UやZ、T、X…たちもそうだろう。P教授もそうだっただろう。
だが、「好きでやっている」というのは、革命が成功した直後でしか言えない。誰もが苦しんだ。例えば、私は両親とP教授という最大の友を暗殺された。Zらは例の「自殺装置」を数年間、はめざるをえなかった。N大佐はM将軍をマークし今もシェルターに潜んでいる。まだ、千人を越える政治犯がM将軍に捕らえられたままで、シェルターに連行されていった。革命は無血革命になったが、その前には、戦争と、飢饉、自然災害、パンデミック…などへのまずい対応、つまり「人災」を除いて、20XX年以降の五百年間の世界で、少なくとも一億人の市民が独裁政権に虐殺、暗殺された。繰り返すが、それは独裁政権が引き起こした戦争と人災を除いてである。それらも入れれば、20XX年以降の地上の人類が絶滅した後の五百年足らずで、世界の独裁政権による犠牲者は百億人を超える。
Uは、風邪など吹っ飛んだようで、朝食兼昼食を急いで食べ、ウサギRを研究所に戻した後、全体破壊手段の不活化の確認に走って行った。既にO参謀が中心になって軍の専門家が全体破壊手段を不活化していたが、その確認にである。XとTは、私たちが政府前広場に着いた頃には既に、人工知能の起動に取り掛かっていた。人工知能は相当な地下にあって、ハードウエアが破壊される危険はなかった。だが、停電とバッテリー切れによる突然のシャットダウンを予防するために、TとXが潜伏所に降りる前に意図的にシャットダウンさせていた。専門家は忙しい。革命に酔いしれたりカリスマ性を追求したりしている暇はない。Zには仮眠をとるよう勧めた。さすがのZも疲れただろう。実際、テントに入ってすぐにいびきをかき始めた。
以上のように今回の革命は世界的にうまくいった。準備をしっかりして計画をじっくり練っていたからだと思う。うまくいき過ぎてそんなに準備をし計画を練らなくてもよかったのではないかと思うほどである。権力者をあそこまで追い詰めなくてもよかったと思うほどである。だが、今後、また独裁制が復活しても、今回と同じようにして革命を起こせばいいやと思われては困る。今回は全体破壊手段がまだ全廃されていなかった。世界の政府と軍の幹部が全体破壊手段を警戒してシェルターに即座に一斉に逃げ込んでくれた。だから、今回の革命はうまくいった。今後は全体破壊手段は全廃され予防される。だから、権力者が一斉にシェルターに逃げ込むことはない。だから、今回のような世界同時無血革命が短時間で達成されることはない。だから、私たちはそれぞれの国家において、国家権力が独裁制に逆戻りしないように民主的分立的制度を地味で地道に維持する必要がある。また、独裁制に逆戻りしたとすれば、それぞれの国家において地味で地道に民主的分立的制度を確立する必要がある。民主的分立的制度にはそれ自体を維持する機能が内在する。それを最大限に活かしてそれを地味で地道に確立または維持する必要がある。その地味で地道な努力が最も重要だ。それをグループGとHは世界の市民とともに確認した。
Uの仕事が一段落した後、私とUは全体破壊手段の全廃と予防へ向かった。私たちがA国に留まらず世界に向かうことはグループGの中で合意済みだった。
紙の投票用紙
結局、世界同時無血革命だけでなく、世界のすべての国家で暫定憲法、暫定政権、新憲法、新政権の樹立が完結した。Uが開発した疑似の全体破壊手段は結局、世界で一握りの人々に軽度の風邪症状を生じただけだった。それが疑似の全体破壊手段であり、M将軍が本物の全体破壊手段と思い込んで使用したこともスムーズに公開できた。現在のことろM将軍はシェルターに潜ったままで反応がなく不気味なぐらいである。私とUはその頃、全体破壊手段の全廃と予防のためにE国のEC市に居たが、流れから言って、諸国の暫定憲法、暫定政権、新憲法、新政権の樹立の過程をここで述べておいたほうがよいと思う。
革命前から、グループGはあのP教授のまとめた民主的分立的制度をXらが構築したネットワークを通じて世界の市民と反政府グループに公開していた。その民主的分立的制度を世界の市民の多くが理解し支持していた。B国のあのVを含む憲法学者がP教授がまとめたものを分かりやすくコンパクトにして世界の憲法の基本として提示していた。世界の反政府グループはそれを諸国の「方言」に合うように表現を変えて、それぞれの国家の暫定憲法として市民に提示していた。ネットを通じてに過ぎないにせよ市民に投票してもらい3分の2以上の賛成票で承認を得ていた。革命直後にそれを暫定憲法として交付しそれに基づいて暫定政権を樹立した。暫定政権の人選について、従来の上院がL系のL議院になり、従来の下院がS系のS議院になり、司法権の裁判官はほとんどが留任した。暫定政権の行政権の人材について、離反者の大部分が留任し、辞めたものの空白は反政府グループのスタッフと市民が入って埋めた。暫定憲法の承認について、ネットを通じてに過ぎないにせよ、旧政権の都合のよいように操作されていた電子投票よりはよっぽど厳正なものだった。だが、新憲法の承認と新政権の選挙については、いかに厳正なものであれ、電子投票だけではだめだろう。やはり、紙の投票用紙との併用が必要であり、紙を証拠として少なくともその投票によって選ばれた人々が在任の間は保存する必要がある。
革命前は独裁政権が言論統制のために紙と電波に規制をかけていた。紙の規制は新聞社、出版社等への、電波の規制は民間の放送局への言論統制のためだった。電波の復旧は早いが、製紙、印刷…などの復旧は早くない。だが、選挙と憲法承認のための投票を延期することはできない。今回は紙の投票用紙なしで電子投票のみとするとこともできない。それらをすると、悪しき前例を残してしまう。そこで、世界のすべての国が紙の投票用紙による投票を敢行した。すると、旧政権からの規制のためにどん底に陥っていた製紙業、印刷業、一部の運送業…などが盛況となり雇用も生まれた。だが、選挙はそんなに頻繁にあるものではない。選挙の間欠期にそれらの企業がどうするか。それはTらS系の専門家たちが考えることである。企業が一見したところの他業種に手を出すことへの過剰な制限をTらは撤廃した。その結果、従来の大企業の独占がさらに解除され、自由競争がさらに促進され、経済がさらに上向き始めた。例えば、製紙会社は製薬や食品加工の一部にも進出した。実際、製紙の技術は製薬や食品加工の一部に応用できた。製紙工場では衛生管理ができないなどというのは、独占を目指す製薬会社や食品加工会社と独占を許して私腹を肥やす旧政権の政治家の名目に過ぎなかった。実際、製紙工場でも衛生管理はできた。その結果、薬の値段がさらに安くなり医療費がさらに安くなった。食品もさらに安くなった。
国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立することの詳細
結局、世界のすべての国家で、選挙とレフェレンダムがあり、国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)することを含む民主的分立的制度を規定した新憲法とそれに基づく新政権が成立した。L系とS系の分立を含む国家権力の骨組みと人選についてA国の例を挙げるが、世界で大きな違いはない。
司法権
最高裁判所
長官:L議院が優位性をもってL議院とS議院が選出
判事:L議院が優位性をもってL議院とS議院が選出
自由権を擁護する法の支配系(L系)
L系に固有の立法権(L議院)
L議院の議長:L議員が選出
L議院の議員:小選挙区制で選挙
L系に固有の行政権
軍を指揮・監督する委員会:L議院が選出
軍
軍の長官:その委員会が指名、L議院が承認:Zが指名承認された
検察・警察を指揮・監督する委員会:L議院が選出
検察・警察
検察の長官:その委員会が指名、L議院が承認
警察の長官:その委員会が指名、L議院が承認
国内における全体破壊手段全廃予防を査察監督する委員会:L議院が選出
国内において全体破壊手段を全廃予防し査察する機構
その長官:その委員会が指名、L議院が承認:O参謀が指名承認された
L系に固有の外交委員会:L議院が選出
L系に固有の外交部門
その長官:その委員会が指名、L議院が承認
選挙管理委員会:全国の地方自治体の選挙管理委員会が選任
社会権を保障する人の支配系(S系)
S系に固有の立法権(S議院)
S議院の議長:S議員が選出
S議院の議員:大選挙制と比例代表制で選挙
S系に固有の行政権
長官:全国区制で選挙:Tが選挙された
経済産業部門
経済産業部門の長官:Tが指名
自然保全部門
自然保全部門の長官:Tが指名
労使関係調整部門
労使関係調整部門の長官:Tが指名
福祉医療部門
福祉医療部門の長官:Tが指名
教育文化部門
教育文化部門の長官:Tが指名
科学技術部門
科学技術部門の長官:Tが指名、Xが指名された
財政税務部門
財政税務部門の長官:Tが指名
外交部門
外交部門の長官:Tが指名
その他の部門
その他の部門の長官:Tが指名
以下を補足する。
国家権力の自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)への分立に伴い、立法権は、L系に固有の立法権(L議院)と、S系に固有の立法権(S議院)に分立される。暫定政権では従来の上院がL議院となり、従来の下院がS議院となっていた。それに大きな支障はなかった。既に上院と下院の目的と機能区分は、L議院とS議院のそれらに近いものになっていたということである。つまり、立法権に関する限りで既に、L系とS系への分立はある程度、成されていた。暫定憲法と新憲法でそれぞれの目的と機能区分が明確に規定された。目的区分については、「立法において、L議院は自由権と政治的権利の擁護と民主制と権力分立制と法の支配の維持、拡充を目的とする…S議院は社会権の保障を目的とする」となった。機能区分については、例えば「自由権、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配を擁護する立法に関しては、L議院が先議し、S議院が異なる議決をした場合で、L議院が三分の二以上の多数で再議決した場合は、L議院の議決が法律となり」…「社会権を保障する立法に関しては、S議院が先議し…」などとなった。選挙制度について。L議院には小選挙区制が適し、S議院には大選挙区制、比例代表制が適する。暫定憲法でその概略が規定され、暫定政権のL議院とS議院でそれに基づく選挙法が可決され、新政権の選挙で初回の選挙が実施され…となった。
国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立するに伴い、行政権もそれぞれに固有のものに分立される。警察、軍…などの公的武力はL系の行政権に属する。国内における犯罪のほとんどは自由権を侵害することであり、警察による犯罪の捜査と告訴のほとんどは自由権を擁護することだからである。また、国外からの侵略は自由権、政治的権利、民主制…などを侵害することであり、軍による国防はそれらを擁護することだからである。公的武力を除くと、従来の行政権の大部分がS系の行政権に編入される。S系の行政権を過度に部門分けすることは、その行政の効率性を低下させ、公的経費を増大させる。また、社会権を保障するための総合的な政策の立案と推進を困難にする。思い切ってS系の行政権を分けず一つの機構とすることも考慮されたのだが、それは今後の課題となった。それに対して、L系においては、司法権、立法権、行政権の三権を厳格に分立させるだけでなく、検察・警察と軍を厳格に分立させる必要がある。何故なら検察・警察はいざとなれば、軍の違憲・違法行為を捜査し告訴しないといけないからである。軍と警察の戦いなど見たくもないが、いざとなればやむをえない。軍、警察・検察のそれぞれを監督するのは、L議院の別個の委員会である。それらの兼任は禁止される必要があり、禁止された。
行政権のL系とS系への分立に伴い、外交部門もそれぞれに固有のものに分立される。国際会議にはそれらの二つの外交部門の二人の長官が出席することがありえる。
教育と文化については特に説明する必要があると思う。大人についてはどのような教育や文化を選択し形成するのも個人の自由であり、その自由を擁護するのはL系である。だが、子供についてはどうだろうか。子供が最低限度の教育を受ける権利、または親が子供に最低限度の教育を調達する権利は社会権の一環である。そのような教育を提供することは社会権の保障の一環である。それに必要な立法と行政はS系に属する。特定の地域の文化と文化的教育について、大人については一般の教育、文化と同様である。子供について、その地方自治体の市民の多くが子供に特定の地域の文化に基づく教育も施したいと言うのなら、それはその地方自治体のS系に相当する部分における限りで可能である。また、それは必要だろう。そうすれば世界の文化が多様で面白いものになるだろう。
司法権について、L系においては厳密な民主制と三権分立制と法の支配が機能する必要があり、S系においては人間的な民主制と緩やかな三権分立制と法の支配が機能する必要がある。S系において司法権は不要というのでは全くない。司法権に持ち込まれる市民からの訴訟と検察からの告訴の多くが、民法、民事訴訟法、刑法、刑事訴訟法に基づき、自由権の擁護に係る。S系は後述する提供していたサービスを停止するというS系に固有の権力をもつ。だが、いざとなれば脱税や福祉の乱用をする個人、自然の保全のための規制に従わない企業…などをS系は司法権に告訴しなければならない。また、市民はS系の怠慢、つまり社会権が保障されていないことを司法権に訴えることができる。だから、S系においてもL系ほど厳格にではないにせよ司法権は機能する必要がある。
機能としてはL系とS系にはそれぞれに固有の司法機能がある。だが、司法権が独立している限り、それぞれの司法機能を別個の司法機構に付与する必要は必ずしもなく、それらの二つの司法機能を一つの司法機構に付与しても構わない。一つの機構に与えると、この分立は国家権力を、L系とS系の二系に分立することではなく、L系とS系と司法権の三系に分立することとも言える。L系とS系の分立のあり方を裁定する権限は司法権だけに与えられる。例えば、S議院がL議院が先議するべき事項を先議した場合は、L議院が司法権に訴えて司法権が裁定するとする必要があり、その逆もありえる。
司法権の独立を守るために司法権の最高裁判所の長官や判事をいかに選出するかという問題が残る。今後、議論していかなければならない。いずれにしても、従来の大統領が指名するなどというのは弊害が多過ぎた。そもそも、この分立によって後述するとおり大統領や実質的な国家元首は解消している。市民が直接選挙するという方法もありえる。市民がそれを望むのであればそうするべきだろう。市民がそれを望まないのであれば、以下のとおり。前述のとおり、L系に対しては司法権が厳格に機能する必要があり、S系に対しては司法権はそれほど厳格に機能する必要がない。何より、司法権の独立を含む法の支配の確立維持はL系の目的の一つである。だから、司法権の最高裁判所の長官と判事の指名または選出においてはL系のL議院が優位に立つ必要がある。だからその指名または選出において例えば、L議院が先議し選出し、S議院が異なる議決をした場合で、L議院が三分の二以上の多数をもって再議決した場合は、L議院の議決によってそれらが選出されるとするのが適切である。
地方政府について、従来の地方政府と地方と中央の関係が維持されることになった。今後、国家権力におけるほどではないにしても、地方政府においてもある程度の、また、多様性に富むL系とS系への分立が模索されてくるだろう。いずれにしても、L系とS系への分立は国家権力のような巨大な権力を主たる標的にしている。国際機構または世界機構については後述する。
国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立することの効果と問題点
国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立することの効果が早くも世界で現れた。
[適材適所、それぞれに適した選挙制度、L系において政党を排除すること]
繰り返すが、L系の人材としてはあのP教授のような厳格で融通の効かない人が適し、S系の人材としてはあのT、Xのような有能で臨機応変な人が適する。だから、L系の立法権(L議院)の議員の選挙制度としては地域に密着した小選挙区制が適する。そのような選挙制度によって厳格な人格が選択される可能性が大きくなる。実際、世界で新政権のL系のL議院の選挙においてそのような選挙制度が実施され、地域で独裁政権の弾圧に耐えてきた市民や独裁政権の中にあっても圧力に耐えてきた離反者や司法権の裁判官、立法権の議員が選ばれた。それに対して、S系の立法権(S議院)の議員の選挙制度としては大選挙区制と比例代表制の併用が適し、S系の行政権の長官の選挙には従来通りの全国区制が適する。実際、そのような選挙制度が実施され、S議院には独裁政権の弾圧の中でも「総合的政策」を模索し推進したくてウズウズしていた市民や科学者や政党が選ばれた。A国においてはS系の行政権の長官にあのTが選ばれた。また、S系においては、S議院の選挙に際してもS系の行政権の長官の選挙に際しても、候補者は選出後に実行する政策を市民に明確に提示する必要がある。さらに、S系に関する限りで、大衆迎合的な派手な政策の提示も許される。社会権の保障とは端的に言って、市民の欲求を満たすことだからである。自然の保全や人口抑制にしてもこの頃の市民は、官僚や企業の重役より、日常的感覚によって自然が保全され人口が減少することを望んでいた。また、S系に関する限りで、S系の行政権の長官とS議院の連携は許され、「与党」の形成は許され、政党政治は許される。A国においてはあの徒党を組むのが苦手で嫌いなTでさえも政党を結成し与党を形成した。それに対して、L議院は自由権、政治的権利、民主制、三権分立制、法の支配を憲法に従って擁護していればよいのであって、大衆迎合的な派手な政策の提示は控えるべきであり、政党政治をできるだけ排除する必要がある。そのためにもL議院の選挙制度としては小選挙区制が適する。L議院の議員は政策や政党によってではなく厳格な人格によって選ばれる必要がある。実際世界で、新政権のL議院の選挙において、政党を単位としたり、派手な政策を呈示する候補者はほとんどいなかった。その「ほとんど」いないだけでも従来と比較すると大きな効果と言えるだろう。
[社会権の保障]
国家権力をL系とS系に分立することは、まず自由権を擁護するためにあったように見える。だが、社会権を保障するためにもあった。後者のほうが大きいと言えるほどである。だが、社会権を保障するためにも自由権を確保する必要があるということは当初から強調されていたことである。
世界でL系が擁護する言論の自由とS系に固有の人間的な民主制によってS系が市民や科学者と活発な議論を行い「総合的政策」を立案し推進し始めた。すると独裁政権下で偏り硬直化していた政策が臨機応変なものになり、短期間のうちにも市民の生活は最低限度のもの以上になった。さらに経済が安定化するどころか上向き始めた。それらは数値に現れている。また、環境の保全も進み、いくつかの国の科学者が大気圏中の二酸化炭素、硫黄・窒素酸化物…などの濃度の上昇にストップがかかりつつあることを確認した。また、資源の無駄遣いが減少した。それも数値に現れている。また、それらによって、人口の増加にはまだ少し余裕があることが分かってきた。それが分かることは私たちも予想していなかった意外な効果だった。その余裕の発見は後述する「余裕の経済学」による。さらに生活の改善によって人口の増加に抑制がかかることが見込まれている。つまり、自由を確保するためだけでなく、生物の生存や社会権の保障のためにも国家権力をL系とS系に分立する必要があったのである。
また、諸国で例の旧政権の情報科学技術の乱用が暴かれ、乱用を防ぐシステムが確立された。それにはXがA国にあっても世界に多大な貢献をした。
医療福祉について、世界的に旧政権の政治的権力者と医療福祉機関とその団体が結託して、医療福祉機関への助成金は過剰になり、医療福祉には過剰部分が生じ、過剰部分の収益の少なからぬ部分を政治的権力者と医療福祉機関とその団体が着服するようになっていた。Tら世界のS系の行政権の長官はそのからくりを暴露し、その過剰部分を明確にし、過剰部分への助成金を撤廃した。それによって、医療福祉の過剰部分はなくなり、公的経費はさらに削減され、市民の税負担はさらに減少した。それによっても経済は上向き、税収入は増加した。Tらは医療福祉の必要部分への助成金を増額し、必要部分は充実し、市民が負担する医療福祉費は減少した。簡単に言って、市民は質のよい医療福祉を必要に応じて安く受けられるようになった。それによって、進歩した生物学的技術(バイオテク)を享受できる市民の数が増大し、経済的不平等に対する市民の怒りは減退した。経済的不平等について、市民が怒っていたのは何よりそれによる医療の不平等だったのである。贅沢に格差が出るのは耐えられるが、自分や家族の健康と寿命に格差が出るのは耐えられないことである。
また、旧政権と大企業の癒着と汚職によって特定の大企業が特許と営業や製造の許可を含む特権を独占していた。Tらはそれらの特権を廃止し、中小企業が特許や営業や製造の許可を取りやすくなるようにした。それらによって中小企業の技術が活かされるようになり、自由競争が促進され物価が全般的に下がり、市民の生活は豊かになった。あのAT街の中小企業のY社はあの技術を特許としてとり、あの技術による製造を許可され、食糧難の解消に大いに貢献し、大企業となった。食品開発者も競って入社してきて、Y社長が開発した技術を超えようとしているらしい。Y社長はそのような新入社員を見て喜んでいるらしい。
また、諸国の政治的経済的権力者は、政治的経済的権力の独裁と独占を強固にするために、エリートと一般市民の全般的能力の格差を拡大または維持しようとしていた。そのために、一般市民の子供たちの最低限度の教育を敢えて疎かにしていた。それによってエリートの子供は親の財力が途切れてもエリートになるという比喩的な意味での「世襲」的な格差が維持されていた。大人の教育文化は大人が自由に享受すればよいことだが、子供への最低限度の教育の提供は社会権の保障の一環である。L系とS系の分立によって、諸国のS系の行政権の教育文化部門は最低限度の教育を提供する必要性を認識し、危急に提供し始めた。それはあくまでも読み書き、筆算、暗算、文法の基礎、数学の基礎、科学の基礎、法学政治学経済学の基礎の基礎…などの「最低限度」の教育である。だが、理系学者も文系学者もそれらの基礎の重要さを身をもって感じている。もう一度、基礎からやり直したいぐらいである。そのような危急の最低限度の教育の提供によって、エリートの子供と一般の子供の全般的能力の格差がわずかにでも縮小していることが早くも実証された。それによって「世襲」的格差がさらに縮小し、自由競争がさらに促進され、経済がさらに活性化されることが予想される。
[独裁や全体主義に走る名目と権力の消滅、社会権からの逸脱の予防、S系が陥りがちな弊害がL系に及ぶことを防ぐこと]
国家権力のL系とS系への分立の第一の目的は、国家権力が人間を含む生物の生存の保障、つまり社会権の保障を名目として掲げ、独裁、全体主義…などへと暴走すること、つまり社会権からの逸脱を防ぐことだった。
今後も、環境は悪化し、資源は枯渇し、人口は地球で維持できるギリギリになり、それらによって経済と生活はますます逼迫する。そこで、それらに対応するという名目で独裁制、全体主義…などが出現する可能性が残る。だが、独裁制や全体主義はそれらに対応するためにも機能しない。そのことは既に革命前から、諸国の研究者が実証している。そのような環境、資源、人口、経済、生活…などに対応することは社会権を保障することである。それらへの対応を名目にして独裁に走ることは「社会権からの逸脱」である。国家権力がL系とS系に分立しているとき、S系は独裁や全体主義に走るための武力や憲法改正または停止…などの権限をもっていない。他方、L系は社会権の保障という名目を立てることができない。そのようにして独裁や全体主義に走る権力と名目の両方が消滅する。実際に世界で短期間のうちにL系とS系の公務員のそれぞれが、それぞれの本分をわきまえ、L系の公務員が社会権の保障や生存の保障を名目とすることは皆無となり、S系の公務員が国防や治安を論じることは皆無となった。
百歩譲って、独裁制や全体主義が必要だとしても、それらが必要なのはS系においてである。L系とS系が分立していれば、それらがL系に及ぶことを防ぐことができる。さらにそれだけではない。S系は、独裁、全体主義だけでなく、多数派の横暴、大衆迎合、世論操作…などにも陥りがちである。国家権力をL系とS系に分立することはS系が陥りがちな弊害全般がL系に及ぶことを防ぐ。
[共産主義、資本主義…などの経済体制に係る思想情動が独裁や全体主義へと走ることの予防]
これは前述の社会権からの逸脱の予防に含まれるが、特に項目を挙げて述べる。二千年代末には共産主義または社会主義が独裁や全体主義へと走り、自由権、政治的権利、民主制、三権分立制、法の支配を破壊し、弾圧どころか大量虐殺や人為的飢饉を生じた。言論の自由と選挙がなかったため経済計画を立案する者が批判されず切磋琢磨せず無能に陥り賢明な経済計画を立てられず、共産主義は崩壊した。つまり、彼らは彼らが本領とする「計画経済」において失敗した。賢明な経済計画を立てるためにも民主的分立的制度が必要だった。また、共産主義または社会主義と資本主義経済または自由主義経済または市場経済に係る思想と情動が対立し、「冷戦」と核兵器の開発保持を含む軍拡を生じた。そんな経済体制を巡る論争はS系を巡ってやっていればよいことだった。L系とS系への分立によってその論争をS系周辺に限定し、L系において民主的分立的制度を維持し、独裁や全体破壊手段への暴走を予防することが可能になる。L系とS系の分立は現在や未来だけでなく、少なくとも二千年代末から必要だったのである。この分立が1940年に実現していれば、冷戦と核兵器という全体破壊手段を含む驚異的な軍備拡張はなく、冷戦終結後の20XX年の地上の人類の絶滅もなかっただろう。
20XX年以前の数十年間は市民の間で共産主義への反感と嫌悪が広がっていた。20XX年以降はそのような反感と嫌悪はない。また、いつの時代もある経済的不平等への怒りは市民の間でつのるばかりである。だから、共産主義の再興は20XX年以前の数十年間よりありえる。現在の経済体制は純粋な、共産主義経済、社会主義経済、資本主義経済、自由主義経済、市場経済…などのいずれでもなく、すべてそれらの混合である。その混合のあり方についての論争は激しい。だが、そのような論争もS系を巡ってやっていればよい。実際、世界同時革命後、その混合の中で社会主義経済がかなり優位になった国家がいくつかあった。経済的格差への怒りが爆発したからである。だが、L系とS系への分立によってその勢いがS系とその周辺に限定され、L系が擁護するべき自由権、政治的権利…などが損傷することは皆無だった。
[政治的権力と経済的権力の癒着、汚職の予防]
公私の企業に特許や営業等の許可や助成金を与えるのはS系の行政権である。過去にはS系の行政権に相当する部門が公私の企業と癒着し汚職蔓延の状態に陥っていた。それが「軍官学産複合体」の形成、拡大、軍拡、全体破壊手段の開発、製造、政治的権力の独裁、経済的権力の独占…などに繋がっていた。それらの癒着と汚職を捜査し司法権に告訴するのはL系に属する警察、検察である。だが、過去にはS系の行政権に相当する部門と警察と検察も癒着していた。国家権力がL系とS系に分立されているとき、L系に属する警察、検察はS系の行政権をより厳格に操作し告訴することができ、政治的権力と経済的権力の癒着、汚職が予防される。実際、世界の旧政権で横行していた癒着と汚職が多々、捜査され暴かれている。世界の警察と検察は過労に陥っている。そのような過労自体がS系とL系への分立の効果だと言える。それらの告訴と裁判はこれからある。今後は癒着や汚職が予防され、警察と検察の過労は解消されるだろう。あのY社のあの技術にまつわる汚職も操作され暴露された。あのY社長は恨みをはらしたが、あの技術が特許となりそれに基づく製造が許可され、忙しくなった。その忙しさも効果と言える。実際、Y社長は忙しさに喜んでいる。それらはあくまでも一例であって、世界で同様のことが起きている。
この政治的経済的権力の連携、癒着、汚職とそれによる経済的権力の独占は、政治的権力の露骨な独裁より目立たず暗部で進行し、外部からは一見したところ自由主義的で民主主義的に見える。しかも「軍官学産複合体」の形成、拡大、全体破壊手段の開発、保持、使用、大戦…などにつながる。これは厄介な問題である。1940年から20XX年にかけては超大国または大国のうちのいくつかがその典型だった。20XX年以降の国家については、一見したところの自由主義も民主主義さえもなく、露骨だった。政治的経済的権力の連携、癒着、汚職の解消とそれによる経済的権力の独占の解消は、国家権力のS系とL系への分立の「目立たない」が重要な効果だと言える。
資本主義・自由主義経済・市場経済において、利潤追求と自由競争そのものは問題にならない。まず、経済的不平等、劣悪な労働環境、環境の悪化、資源の消耗…が問題になり、それらを解決するのは社会権を保障することであり、S系が思う存分それらに取り組めばよく、S系とL系の分立においてその取り組みを阻害するものは何もない。また、大企業の独占への暴走が問題になり、政治的権力と経済的権力が連携、癒着、汚職しての独裁と独占への暴走が問題になる。それらの暴走が上のようにして抑制される。一方、共産主義・社会主義においては、計画経済そのものは問題にならず、自由権、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配の侵害が問題になり、その侵害が前述のようにして阻止される。結局、国家権力をL系とS系に分立することは、資本主義・自由主義経済・市場経済の問題点と共産主義・社会主義の両方を解決する。
[提供していたサービスを停止するという社会権を保障する人の支配系に固有の権力、二重の文民支配]
以下の効果は、既に「世界同時革命」の真っ最中に、諸国で現れていた。
諸国で旧政権の幹部はシェルターに退避し、シェルターに連れて行かれなかった者の離反が続出した。地上に残された旧政権の構成者のうち、旧政権から離反し反政府グループまたは暫定政権に付く傾向は、社会権を保障する人の支配系(S系)の行政権に相当する部分で全般的に大きく、自由権を擁護する法の支配系(L系)に相当する部分の中では、司法権、立法権、文官、警察、軍の順番に小さくなった。つまり、わずかな間でも、最後まで抵抗したのは軍だった。ところで、いつの時代でも、軍に必要な水道、電気、ガス、燃料、食糧、資金、そして情報通信網を提供する、または提供を管理するのは、S系の行政権に相当する部門である。諸国でそれらのサービスを提供していた、または提供を管理していたそれらの部門が、軍に対するそれらのサービスの提供を停止してくれた。そのために軍は弱体化した。そこで、遅ればせながらも軍からも離反者が続出した。つまり、S系は、提供していたまたは提供を管理していたサービスを停止する、または停止を予告するというそれに固有の権力をもっている。その権力は、例えば自然を保全せず破壊する企業や、福祉を乱用する個人にも使えるのだが、軍や警察という公的武力にも有効である。そのようなS系に固有の権力は国家権力のL系とS系への分立によって初めて顕在化した。
もちろん、そのようなS系に固有の権力よってだけでなく、公的武力とそれを掌握する文官に対しては、L系の内部で三権分立制の中で立法権、司法権による厳格な抑制がなされる。私たちは、これらを、従来の一重の文民支配に対して、公的武力に対する「二重の文民支配(ダブル・シビリアン・コントロール)」と呼んだ。この度は二重の文民支配は、革命において軍の抑制のために使用されたが、今後も軍や警察…などの公的武力が暴走しそうなときにいつでも使用できる。
[S系の行政権の効率化、公的経費、税負担の減少]
放っておいても行政権は肥大化し、公的経費は増大し、市民の税負担は増大し、それに対する反動からそれらを縮小しようとする試みが生じる。それは20XX年以前から何度も繰り返されてきた。公的経費の増大の主要な原因は、(1)「軍官学産複合体」の形成による軍事費の増大と(2)S系に相当する行政権の過度の分枝である。(1)については後述するとおり、L系とS系の分立により「軍官学産複合体」は解消する。ここでは(2)について述べる。
行政権の肥大化の原因は行政権を過度に分岐させることにある。それによって分岐の間の連携が末端まで乏しくなり、権益争いと責任転嫁が末端まで激しくなり、行政権の機能が非効率的になり、公的経費が増大する。それとともに総合的な政策の立案と推進は困難になる。L系の中での三権分立、L系の行政権の中での軍と警察の分立…などは自由権、政治的権利、民主制、三権分立制そのもの、法の支配を確保するために必要である。それに対して、S系の中では、社会権の保障のために総合的な政策の立案と推進が必要であり、S系の行政権の分立や分枝は社会権の保障のために必要でないどころか弊害である。国家権力をL系とS系に分立することによって、分立や分枝の必要性が明らかになりそれらが混乱することを防げる。例えば、A国では、あのTが、暫定政権のS系の行政権の長官に抜擢され、新政権のそれに選挙され、S系の行政権を、分枝を少なくするどころか、一つの機構とすることを考えていた。私はさすがはTだと思った。それぐらいのことはしてよいと思った。だが、Tはリアリストでもある。Tは旧政権のS系に相当する行政権を活かしつつ徐々に改革していこうとした。Tは、分枝間の異動を促すべく、その異動に特別な手当てを支給した。また、分枝の間の連携を促し権益争いと責任転嫁を抑制するべく、分枝ごとに算定されていた歩合給、ボーナス…などを廃止し、S系の行政権全体で算定するそれらを採用した。すると職員は他の分枝の実績も上げ他の分枝の経費も削減しなければ歩合給、ボーナス…などが上がらない。それによって、S系における総合的な政策の立案と推進が進むとともに、S系の行政機能は効率的になり公的経費は減退した。後述する「軍官学産複合体」の解消によるL系の軍事費の減退と合わせて、公的経費は激減し、市民の税負担は激減した。Tは今回は控えていたS系の行政権を一つの機構とすることを、次の選挙で市民にはっきりと説明し、再選されてからやるだろう。S系の行政権が一つになるのだから、市民にも分かりやすい。税金はもっと減るし、役所でたらいまわしにされることも減るだろう。
[必要な学問と科学技術の発達、余裕の経済学]
独裁政権は発達してはならない全体破壊手段に係る科学技術を促進し、発達する必要のある民主的分立的制度に係る哲学、法学、政治学、経済学、社会学、心理学…などを抑圧していた。それに対して、L系とS系の分立があるとき、L系は、民主的分立的制度に係る学問と科学技術を抑制できず、促進するしかない。また、L系は全体破壊手段に係る科学技術を抑制しばければならない。また、S系は全体破壊手段の開発に係る科学技術の提供を拒否できる。L系は学問と科学の自由を擁護する立場にあり、S系のその自由を侵害することができない。かくして早くも民主的分立的制度に係る学問と科学が発達し始め、全体破壊手段に係る科学技術のうちそれに直接的に係る部分が崩壊した。
さらに、独裁政権にとっては、人間を含む生物の生存の保障という名目に現実味をもたせるためには、環境は悪化し資源は消耗し人口は地球で維持できるギリギリのものを既に超えており、それらに余裕はなくそれらは切迫していると見せるほうが都合がよかった。そこで、独裁政権はそれらにはまだ余裕があり切迫していないことを暴くような科学を抑圧していた。L系とS系への分立によって、環境の保全、資源の保全と有効利用、適正人口の維持を含む社会権の保障のために必要な科学技術全般が発達した。例えば、次のような「余裕の経済学」が誕生した。その余裕の経済学によって、特に現在の環境と資源の中で地球で維持できる人口にまだ余裕があることが分かってきた。それによって、かつての政治的経済的権力者たちが、環境が悪化し資源が消耗し人口は地球で維持できるぎりぎりのものを超えていることを、独裁と独占に走る名目として使っていたことが明確になった。
例えば、十九世紀終わりから1970年頃までは銀粒子をフィルムに定着させる技術によって、写真、映画…などの視覚的芸術が開花した。その後、銀という限りある資源の枯渇の見通しによって、銀に係る視覚的芸術は自主規制せざるをえないか規制されるのではないかという危惧が生じた。ところが、半導体や受光素子を用いる写真、動画の技術が開発され、その危惧はなくなった。ところが、それらの原料も限りある資源であることが分かってきた。さらに代替資源が開発され…の繰り返しがある。電波と紙も限りある資源であると政治的経済的権力は主張していた。だが、それは放送局や新聞社や出版社への言論統制への名目だった。電波は、混雑による障害はありえるが、限りある資源ではない。紙の主原料は樹木であり、樹木は限りある資源ではなく循環可能にして再生可能な資源である。ちなみに、食糧資源は再生可能な資源である。
限りある資源については、現在の地球にどれだけ余裕があり、現在の使用の質と量に対して将来にどれだけ余裕があるか、循環再生可能な資源については、現在にどれだけ余裕があり、現在の使用と循環と再生の質と量に対して、将来にどれだけ余裕があるかが探られ公開される必要がある。
一般の企業にしても、それらの公開に基づいて資源の余裕をその企業なりにとらえ直し、余裕の大きい資源を使用する事業に進出するほうが将来のためである。
また、科学者・技術者は余裕の少ない資源を余裕の多い資源で代替する方法をもっと精力的に研究し把握する必要がある。
また、一般市民は、資源を使用しないまたはほとんど使用しない行動を日常で把握している。感覚、知覚、情動、思考…などは資源と呼べるようなものを使用せず、それは思想の自由に基づく。それは当然として、例えば、公園や広い街路で言論や表現を行うことは資源をあまり使用せず、それは言論、表現の自由に基づく。それらへの制限はあってはならないだけでなく必要がない。
地球の環境について、例えば、プラスチック、放射性物質…などの人間が操作した物質の多くは自然的条件下でほとんど分解されないか、分解されるまで数世代から数百世代かかる。それらには廃棄量や廃棄条件に余裕があまりない。それに対して、食料、紙、綿、毛…などの物質のレベルまで操作されていない物は比較的早期に分解され、廃棄量や廃棄条件に余裕がある程度はある。廃棄物への規制について、そのような余裕の大きい物への規制は余裕の小さい物への規制より緩やかである必要がある。
世界の人口と市民の情動について。地球で維持できる人口にはまだ余裕があることが分って公開された。だが、世界の出生率が急に上昇したわけではない。市民の中では、子供をもつことへの欲動と欲求への抑圧が解消され、むしろ今あわてて子供を作らなくても将来に本当に欲しいときに作ればよい、というような余裕が生まれたのだろう。その余裕は女性の諸権利のさらなる保障にも繋がるかもしれない。
経済成長と資本主義経済または市場経済は限りない環境、資源、増加の余地のある世界人口、変動の余地のある人間の情動だけでなく、進歩の余地のある科学技術を前提としていた。それらのうち、科学技術の未来の展開を予測することは非常に困難である。何故なら、それを予測できるものは既にそれをものにしているからである。人間を含む生物の生存のためには全体破壊手段が全廃され予防される必要があり、原子核手段の兵器への転用と不変遺伝子操作、つまり「遺伝子の塩基配列以外のものを変えること」と小惑星操作が禁止される必要がある。だが、科学技術と産業でそれ以外のものは禁止する必要がない。すると、科学技術には進歩の余地がかなりあることが分かってくる。例えば、全体破壊手段や大量破壊手段の開発が禁止されても、さらに選択的になる必要がある前述の選択的破壊手段の開発が残っている。また、遺伝子の塩基配列以外のものを変えずに、不変遺伝子操作以外の遺伝子操作や伝統的な生物学的手段で新しい生物資源や新しい遺伝子治療法を開発することは十分に可能である。
そのようにして、なにがなんでも余裕がなく切迫していると嘆いたり抑え込むのではなく、地球で、どの環境と資源と人口と人間の情動と科学技術にどの余裕がどれだけあるかをとらえて、経済活動を含めてどの人間の活動がどの程度可能かを探る科学が余裕の経済学である。さらに、現在の余裕だけでなく、現在の人間の活動に対して未来の資源と環境と人口と人間の情動の余裕がどのように変化するかを予測し、未来のどの人間の活動がどの程度可能かを探り…と続く科学である。従来の経済理論ではそのような把握と活用が希薄だった。そのことはTも認めている。そのような科学は世界革命の直後に超大国や大国ではなく小国のS系で生まれた。Tもそれを導入した。いずれにしてもS系から生まれた科学である。今後もS系から必要で新しい科学が生まれるだろう。それは必要なことだろう。それに対してL系は基本的に将来は伝統となるであろう民主的分立的制度を厳格に維持する必要がある。その上でL系に属する警察や軍は効率的な捜査手段や防衛手段を開発し保持する必要がある。そのようにL系とS系では科学に対する態度が異なる必要があり、それらを分立することによってそれぞれの必要性が満たされる可能性が大きくなる。
[軍の機能の国防への限定、国益のための戦争の排除、「軍官学産複合体」の解消、全体破壊手段の全廃と予防]
前述のとおりS系も、いざというときは軍や警察を抑制することができる。それに対して、軍や警察…などの公的武力を掌握し監督するのはL系である。S系は、公的武力を抑制することができても、促進したり発動したりすることができない。だから、S系は侵略や生物の生存や「国益」のために軍を乱用することができない。「資源に限定した局地的侵略戦争」をすることができない。S系は国際社会で外交によって限られた資源を分かち合うしかない。他方、L系は国防、つまり、その国家の市民の自由権、政治的権利…などの擁護のためにしか軍を使用することができない。かくして軍の機能が国防に限定される。
L系とS系の分立によって、国家権力の少なくとも行政権のすべてを掌握していた「大統領」や「首相」はもはや存在しない。そのような大統領や首相が、軍、警察…などの公的武力を含み社会権を保障するための部門を含む行政権をごちゃまぜにして掌握していたことが間違いだったことが分かる。国家権力のL系とS系の分立後は実質的な「国家元首」なるものはどこにも存在しない。それでも不都合はなんら生じていない。実質的な国家元首なるものは最初から必要なかったことが分かる。「形式的な」国家元首については後述する。
革命直前までは世界はA国とB国という二つの超大国を含む大戦の状態にあった。革命のピークには、C国という超大国の「どさくさに紛れて」が起こりかけた。だが、世界でL系とS系の分立が成立してからは、大戦はなかったかのような状態になり、戦争のきざしもかけらもない。S系は国際社会において外交によって限られた資源をなんとか分かち合おうとしている。超大国と大国の国外の軍は自国に撤退した。世界で軍事予算が余りかえり、その余剰が公債の返済に回され完済された。また、それでもありあまる余剰によって大幅な減税が行われた。それによって短期間のうちにも生活は改善し経済は上向き始めた。次の予算では国防予算が本格的に削減され、市民の税負担は減少したまま安定し、経済と生活は改善したまま安定することが確実である。
さらに以下が最も大きいことかもしれない。軍官学産複合体は20XX年以前の冷戦以前からあり冷戦初期に強く意識され「軍産複合体」と呼ばれていた。それは実質的には(1)軍(2)軍を掌握する文官(3)兵器等を開発する科学者と技術者、そして(4)兵器等を製造する公私の企業の複合体である。(1)(2)は権力の拡張を求め(3)は権威と名誉を求め(4)は利潤を求めて、その複合体は放っておいてもひとりでに拡張する。そのために軍備、特に全体破壊手段の開発・製造は驚異的なペースで進む。国家権力をL系とS系に分立することによって、その複合体のうち(1)(2)はL系に属し(3)(4)はS系の下にあり、その複合体は解消する。
国家権力がL系とS系に分立されているとき、S系はL系に属する軍またはそれを掌握する文官の全体破壊手段や大量破壊手段の開発と製造への協力の要請を拒絶することができる。一方、選択的破壊手段や防衛手段の開発と製造への協力の要請には応えることができる。
そのような軍事に対して、自然の保全、市民の医療福祉…などのためのS系と科学者技術者と公私企業の平和的な連携は促進される必要がある。国家権力がL系とS系に分立されても、そのような平和的な連携を阻害するものは何もない。そのようにしてL系とS系の分立によって、全体破壊手段や大量破壊手段の開発が抑制され、非破壊的な科学技術と経済活動が促進される。
この分立による軍官学産複合体の解消により全体破壊手段だけでなく不必要な軍備全般が縮小され、軍事費が減少し、市民の税負担は減少する。全体破壊手段廃止に着目すると、軍官学産複合体の解消が全体破壊手段の全廃と予防への重要な踏み台となる。
今後、意外な効果が現れるだろうが、ひとまず効果について述べるのはここまでにして、問題点について説明する。
[問題点]
以下の問題が生じえる。
国家権力において「国家元首」はどこにいるのかという疑問はすぐに生じるだろう。前述のとおり実質的な国家元首は必要がない。いくつかの儀式や祭典に国家元首が立ったり座ったりしゃべったりすることは過去にあった。そのような儀式や祭典も必要がない。だが、市民が国家元首を伴う儀式や祭典を文化として楽しみたいのなら、それは一概に排除する必要もない。そのような場合はあくまでも文化的で形式的な国家元首を立ててよいだろう。そのような文化的で形式的な国家元首としては、司法権の最高裁判所の長官、L系のL議院の議長、S系の教育文化部門の長官…など誰でもよいのではないだろうか。あるいは、そのときの最も人気のある芸術家や芸能人やアスリートを教育文化部門が指名してもいいだろう。また、市民が直接的に選んでもよい。だが、紙の投票用紙を含む選挙までする必要はなく、電子投票のみでよいだろう。要するにそのような形式的な国家元首はどうでもよい。
S系に相当する部分が主催または後援する文化やスポーツの祭典において、L系に属するべき軍や警察の楽団が伴奏したり空軍が航空ショーをすることは過去にあった。市民がそのような祭典を望むなら、S系の教育文化部門がL系と無関係にやればよい。軍や警察の伴奏や空軍の航空ショーがないと駄目だという理由はどこにもない。もし市民が軍や警察の楽団のパフォーマンスも見たい聞きたいと言うなら、それらの楽団の有志が自費で自主的にそれらに参加することに問題はないだろう。航空ショーまでは隊員の自費で自主的参加というわけにいかないだろうし、公費の無駄づかいだろうし、事故が発生したときに問題が生じるだろう。
L系とS系の両系にまたがる立法と行政をどうするかという疑問は出てくると思う。立法権において明らかにL系とS系の両系にまたがる予算全体の決定などの議題について、そのような議題を憲法で網羅し、L議院とS議院の両議院が同等の権限をもつと憲法で規定すればよく、実際に憲法でそのようになった。だが、今後、網羅されなかった微妙な議題が生じえる。また、明らかにL系またはS系のいずれかの議題だが、他方がそれを無視することはありえる。その場合は司法権の最高裁判所が裁定すればよく、実際にそのように憲法で規定された。
S系の行政権が行うべき自然災害、大規模人災、パンデミック…などの非常事態への対応において、L系に属する警察や軍の協力が必要なことはある。これについては、S系は協力を要請することができ、L系はその要請に応じることも応じないこともでき、L系が協力する場合も最高の指揮権はS系にあると憲法と法律で規定すればよく、実際そうなった。他国からの攻撃に対する防衛、集団安全保障における軍事制裁…などは専らL系の管轄である。それに対して経済制裁についてはどうだろうか。経済制裁となればS系も機能しなければならない。これについては上の逆が適切であり、憲法と法律でその逆が規定された。
今後、その他の問題が生じ、言論の自由に基づいて議論されるだろう。以下のことが予想される。生じる問題は細部に限られるだろう。他方、以上の効果は持続し、予期しない効果が現れるだろう。細部における問題と効果を比較すると、効果のほうがはるかに大きく、この分立において細部が改善されつつ骨組みは維持されるだろう。
遅ればせながら…
第一の山場を越えた後、私とU、TとXはそれぞれ普通に結婚した。P教授の弔いはグループGがGなりに厳粛に行った。あの少女とその父親の手記とP教授がまとめたものは、グループGが既にインターネットで公開していたが、紙の書籍として民間の出版社から出版された。これから第二の山場がある。諸国の新政権は、今こそ全体破壊手段の全廃のための好機と見て、大国Eの大都市ECに代表を派遣した。それに私とUがA国から派遣された。全体破壊手段の全廃に限らず、世界の平和全般のための機構を目指す反政府グループと新政権があった。だが、そのような機構の失敗は、20XX年以前にも以降にもいくつかあった。グループGとHを含む多くの反政府グループと新政権は、さしあたり全体破壊手段の全廃と予防に限定した機構を作ることを目指した。それによって、他の挫折のために全体破壊手段の全廃予防も挫折してしまうことを防ごうとした。
その機構作りを目指す総会においてまず、理事国の選抜と事務局長の選出が行われた。理事国としては、超大国A,B,Cを含む全体破壊手段保有国と、非保有の大国のいくつかが選ばれた。ただし、かつてどこかにあった「常任」理事国や「拒否権」なるものはなく、理事国はすべて五年ごとに改選されることになった。ただし、再選は可能となった。事務局長について、私は何事につけても妥協しない人間だと思われているようで、私が選出された。最初の事務局長は、そもそも何が全体破壊手段か、それを定義する委員会を立ち上げ、議論し確認し、憲章として総会に提案することになる。そこで偏向や妥協があると今までの私たちの努力が水の泡だ。確かに私はそれらについては妥協しない。私はこれでもいくつかのことについて妥協してきたつもりだ。例えば、M将軍のスキャンダルを暴露しなかったことや、あの心理カウンセラーQCとの議論を控えたことについては妥協していた。だが、人々は私を何事につけても妥協しない人間と思っているようだ。いずれにしても、民主的分立的制度の確立維持と全体破壊手段の全廃予防については妥協したことはないしこれからも妥協することはない。その思考過程を就任の挨拶のときに率直に言うと、各国代表は「やっぱり妥協しないヤツだ」と言わんばかりに笑っていた。考えてみれば、この機構の名称もまだ決定していなかった。「全体破壊手段全廃予防機構」との提案があり、それが仮称となった。さらに考えてみれば、核兵器査察部門、不変遺伝子手段査察部門…などの事務局の骨組みと権限もまだ決まっていなかった。そこでまず、全体破壊手段の定義、機構全体の骨組みと権限…などを盛り込んだ憲章の草案を、私が練り憲章を練り総会に提出する委員会に提案することになった。
25YY年、国際機構として残されたのは、政治的経済的権力にとって比較的無害な、パンデミックに対応する保健機構、自然保全のための機構…などだけだった。最も重要な集団安全保障や軍縮に係る国際機構は、既に遠い昔に名目だけのものとなり自然消滅していた。国際機構の無力さというリアリズムを残しただけだった。それらは参考にもならなかった。国際機構または世界機構の骨組み、これは未知の領域である。だが、P教授と私は、それらについても語り合っていた。やはり、国際機構または世界機構においても、L系とS系への分立を含む民主的分立的制度が活きる…などよく語り合っていた。
私はそれらをある程度の時間をかけてじっくりと、議論する必要があると思った。それと同時に、全体破壊手段の全廃は世界的な革命が起きた今しかない。今を逃せば全体破壊手段の全廃は困難である。と思った。それは世界の反政府グループも革命前から確認していた。そこで、私は総会に「世界で五年以内に全体破壊手段を全廃する」…「世界の、暫定政権または新政権は、核兵器と不変遺伝子手段を不活化したままにするだけでなく、明らかな核兵器と不変遺伝子手段の破壊・破棄に今すぐに着手する」…「小惑星操作について、さしあたりなんらかの爆発を生じえる開発を停止する」…などを総会に提案した。すると、内容はそのままで文面が修正され、「暫定憲章」として承認・公布された。
私はそのすぐ後、UさえもEC市に残して、たった一人で訪ねてみたい遺跡があった。かつての「ヒロシマ・ナガサキ」から発掘された石碑である。石碑としては、一回目の全体破壊手段使用の後に建てられ、二回目の使用も生き延びて、発掘され、その現場に記念館が建てられ、保管され展示されていた。記念館は高層ビルの谷間にあり、当然、一回目の使用の跡形も二回目の使用の跡形もない。その石碑に「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と記されていることを私は歴史学者として当然、知っていた。その石碑を肉眼で見るまでは「遅ればせながら…」と思っていた。ガラスケースに安置されている。一回目の使用の後のその国の言語で書かれている。記念館の研究員に一つ一つの文字の発音と単語の意味を解説してもらった。その石碑の現物を見て、「遅ればせながら」などのつぶやきをしている場合ではないと思った。初めて全体破壊手段が開発、製造、使用されてから全廃するのに六百年以上の時間がかかってしまった。人間はいったい何をやっていたんだ。暫定憲章の「五年以内に」全廃などというのは生ぬるい。私は五年を三年に修正することを提案するつもりですぐにEC市に戻った。実を言うと、「妥協しない」私でも五年については妥協していた。
全体破壊手段の一方的廃止の積み重ね
ところが、意外なことが分かってきた。革命の前から世界の多くの反政府グープと離反者たちは世界的な革命直後を逃せば、全体破壊手段の全廃はないと思っていた。また、全体破壊手段全廃予防のための国際会議と国際憲章と国際機構は不可欠だと思っていた。一概にそうでもなかった。私たちは国際的な取り決めによる相互の全体破壊手段の破棄・廃棄を「相互廃止」と呼び、自主的一方的な破棄・廃棄を「一方的廃止」と呼んで区別していた。前述の選択的破壊手段とそれによるSMADがあれば、全体破壊手段は不必要であるだけでなく、維持するのに莫大な経費と労力を要するお荷物である。また、少しでも注意を怠れば、全体破壊に繋がらなくても大量破壊に繋がる。そんなものはすぐに一方的に破棄・廃棄したほうがお得である。全体破壊手段、大量破壊手段…などの無差別的破壊手段を増強するより、前述の選択的破壊手段と防衛手段の増強に専念するほうがよい。小国も選択的破壊手段をもつことができ、大国の政府と軍の中枢を破壊することができ、小国でさえも大国を抑止することができる。全体破壊手段を保有していた国家権力は過去の政策と戦略を嘲笑するしかない。もはや全体破壊手段や大量破壊手段は過去の遺物でしかなく、誰もが一方的に廃止したほうがよい。だから、かつての保有国の多くで暫定政権または新政権が、全体破壊手段を不活化するだけでなく、自主的、一方的に破棄・廃棄していた。国際会議を待つまでもなくそうしていた。そのような一方的廃止の積み重ねこそが、全体破壊手段の全廃と予防の原動力である。それによって今の時点でも全体破壊手段はほとんど不活化されるだけでなく破棄・廃棄されていた。このペースでいくと数か月以内の全廃は可能だろう。また、かつて言われていた「全体破壊手段は技術的にも安全面でもすぐに廃止できるものではない」というのが保持し続けるための名目に過ぎないことも分かった。その文句に対する疑いは革命前から世界の反政府グループがもっていた。また、一方的廃止に対する期待はあった。だが、それが積み重なり、その積み重ねの力がこんなにも大きく、それだけで十分だとは誰も思っていなかった。唯一の誤算であり、うれしい誤算である。
だが、以下が一方的廃止の積み重ねを促進したことは確かである。
(1)世界の権力者と世界の市民という横割りの構造・動態が熟成し、その下部で世界の市民が信頼し合う。
(2)縦割りの構造の中でそれぞれの国家において市民が国家権力を民主化し分立する。
(3)(2)で選ばれた国家権力の保持者が横割りの構造の上部で少なくとも互いに不信感をもたない。
確かに、(1)(2)(3)が一方的削減の積み重ねを促進した。今後は世界同時革命はない。また、横割りの構造・動態には波があるだろう。だが、それぞれの国家が一方的に廃止しているのは、自国の利益のためであって、信頼などという情動は不要のようである。実際、A国のZたちとB国の例の重要人物たちによると、それぞれの軍の幹部らは他国の動向など探らずに廃止していると言う。するとやはり、一方的廃止の積み重ねが今後の全体破壊手段の決め手になるだろう。
国際機構や事務局は一方的廃止の邪魔をしなように査察を確認として行うとともに、査察が大げさなものにならずコンパクトで正確なものとする技術を開発していかなければならないと思った。当然、事務局のスタッフと特定の国家との癒着や汚職があってはならない。事務局長はそれらがないように、外部に向かうのではなく、まず内部を監督しなければならないと思った。だが、過剰な監督もしてはならないだろう。適正な監督をするためには、何より私が自己抑制しなければならないと思った。それが幹部と部下との間にある中堅の公務員やサラリーマンの苦悩だろう。よい経験になると思った。これを活かして次のステップに進もうと思った。
私は、憲章に乗せるべき全体破壊手段等の定義と機構の骨組みと権限を練りに練った。さらに、憲章にならない詳細も練らなければならない。例えば、事務局の骨組みの詳細について、(1)原子核操作査察部門、(2)遺伝子操作査察部門、(3)小惑星操作査察部門が最低限度必要で、それぞれに、このような専門的知識と技術をもつ人間が最低限度必要…など。(1)の長官にはA国のあのO参謀が(3)の長官にはB国の宇宙開発企業の研究者が最適と考えた。ネット経由の交渉により同意を得た。O参謀にはさっそくEC市に来てもらって、原子核操作部門の詳細について検討を開始してもらった。この時点ではA国のあの部門の長官との兼任である。後には専らこの機構のこの部門の長官となる。そして、(2)の長官には誰が見てもUが最適だろう。Uに宿泊先のホテルで相談した。Uは全体破壊手段の査察などよりガンと感染症の完全克服と医療の低額化に戻りたかった。それは医学研究者の夢だろう。だが、私が「科学技術は自らを抑制する科学技術も究めなければならないんじゃないか」…などと説得した。ただし、十年の期限付きである。十年後でもUは四十半ば、U本来の夢の実現は可能だろう。それと、Uは既にガンと感染症の完全克服と医療の低額化への道筋を引いていた。後は他の医学研究者にできるだろう。Uがいなくてもできる。そういう見通しもあった。だが、それは言わなかった。後になって、「自らを抑制する科学技術」の説得の内容は的を射ていると思った。この頃、自然を保全する科学技術はかなり進んでいた。それに対して、全体破壊手段を抑制する科学技術はあまり進んでいなかった。
さらに考えてみると以下が分かった。全体破壊手段を抑制する方法を最も究められる者は、やはりその開発方法を知っている専門家だろう。だが、その逆も言える。それを抑制する方法を究める者はそれを開発する方法も知ってしまう。だとするとやはり、この機構の内部の専門家の自己抑制にも取り組まなければならないと思った。しかも、その自己抑制は専門家が機構から離れた後も持続しないといけない。これについては専門家の公私企業への天下り禁止、終身雇用、給与のさらなる増額…などが必要だと思った。するとUの十年という期限付きも考え直さないといけない。Uは信用できるだろうが、他に対するしめしがつかない。それに関する限りでまだUに言っていない。あの森Fで兎や鹿を丸焼きにしたことさえ言っていたのだが。だが、後にUは期限撤廃を了解することになる。また、Uはその職にとどまりつつ、医学研究も続けることになる。そして、ガンと感染症の完全克服と医療の低額化はUが他の医学研究者とともに達成することになる。
憲章の原案ができて委員会に提出しようかと思っている頃に、A国で私たちの身に直接的に係る大変なことが起こった。M将軍は千人を越える「政治犯」をシェルターに連行し人質としていた。そして、その千人以上と、UとXの二人とを交換しようという提案を持ちかけてきた。Uと私はすぐにA国に帰国せざるをえなくなった。
私はB国の同僚Vに副事務局長に就き、私がこの機構にいない間、この機構で憲章の原案のさらなる熟成と委員会と総会への提出、質疑応答…などをすることを依頼した。Vは了解した。Vは法学者でありながら、全体破壊手段についてもかなり研究していた。それと憲章をさらに議論しながら磨くにはVのような法学者が適切だと考えた。実際、あのP教授がまとめたものもVたちがさらに分かりやすくまとめていた。それが世界の憲法の基本になった。同様のことは憲章の原案についても言えるだろう。このあたりでVと本格的に交代したほうがよいのではないかとさえ思った。VはB国で暫定政権が成立してからB1大学の学長になっていた。それとの兼任になる。総会と理事会にそのようにすることを提案し、承認された。私が戻ってこなかったときは、Vが、学長を辞任して、事務局長に就くことになった。それも承認された。Uが戻って来れなかったときの遺伝子操作部門の長官の代わりとしては、UがC国の有名な医学研究者に依頼し同意を得た。
全体破壊手段の全廃予防の詳細
ところで、あの国家権力の自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)への分立について、それが最初に唱えられた時は2000年より前の「冷戦」初期で、最初に唱えた人物は現在のB国内にあった大学の法学者だったことが分かった。Vは世界同時革命後にその大学の跡地を発掘調査していた。その結果、当時のメモも見つかり、最初は冷戦を解決する手段として模索されていたことが分かった。確かに、もし冷戦初期にその分立が世界の国家で実現していれば、冷戦は早期に集結し、核兵器を始めとする驚異的な軍拡はなく、20XX年の地上の人類の絶滅もなかっただろう。繰り返すが、その分立は少なくとも冷戦初期から必要だったのである。その発掘調査も一段落していて、Vは私の代役をすることができた。
以下をB国からEC市へ発つ前のVに、ネットワークで伝えた。
…全体破壊手段は第一に核兵器、第二に不変遺伝子手段、第三に小惑星の操作である。それをもう一度、確認すること。第三について、厳密には、小惑星の軌道を変えてしまうような力を小惑星に加えうるものが全体破壊手段である。そのような力は何かの爆発で生じ、そのような爆発は開発中の事故でも生じうる。だから、小惑星の開発や探索をする場合は、最悪の事故でもそのような力を生じえない方法が探られなければならない。その方法が探り当てられないのなら、どんな形にせよ小惑星への人間と人工物の作用を禁止するべきである。第二について、Uも拷問されれば、不変遺伝子手段の開発方法を吐いてしまうだろう。また、他の科学者がいずれは開発法を発見するだろう。だから、不変遺伝子手段とそれ以外の区別を明確にして、不変遺伝子手段を全面禁止。端的に言って、「遺伝子の塩基配列以外のものを変えるなかれ」と。一方で不変遺伝子手段以外の遺伝子手段をあまり厳しく制限しないこと。特に遺伝子治療について、長生きしたい、家族に長生きして欲しい、子どもに早死にされたくない…などの一般市民の願いは切実だ。遺伝子治療や生物資源の開発は不変遺伝子手段以外の遺伝子手段や他の生物学的手段によっても可能である。それを一般市民に説明すること。そうでないと一般市民はついてこない。そのためにも、不変遺伝子手段とそれ以外の遺伝子手段の区別を明確にする必要がある。そこでは、やはり「遺伝子の塩基配列以外のものを変えるなかれ」というのが有効な指標になる。第一について、核融合にせよ核分裂にせよ、使用時に人為的な原子核の変化を伴う兵器を核兵器と定義し、全廃すること。問題が残る。平和利用の原子力の発電所、潜水艦、船、飛行機、宇宙船、衛星…などをどうするか。25YY年になるのにまだ、それらが残っていた。それら自体は全体破壊手段でないように見える。だが、テロや戦争においてネット経由で侵入され、それらが一斉に暴走、暴発すれば、全体破壊手段になる。また、そうでなくても、事故や自然災害によって暴走、爆発すれば、全体破壊手段にならなくても、大量破壊手段になる。また、それらから核兵器を開発することは比較的に容易であり、それらは「前全体破壊手段」でもある。それらをどうするか。市民とともに議論して欲しい…
などと伝えた。Vは「今、俺たちが生きていること自体、奇跡じゃないか。I(私)とUはきっと戻ってくる。戻って来るまでは全力を尽くす」と言う。私は戻って来ないほうがよいのかもしれない。やはり憲章の原案を練るにはVのほうが適切だろう。Vにはそのことを正直に言った。するとVは「やっぱり妥協しないやつだ」と言わんばかりに笑っていた。
超法規的〇〇
諸国で旧政府と旧軍の幹部は、それぞれのシェルターに逃げ込み、そのことが彼らの命取りになった。諸国で暫定政権と新政権がシェルターの出入口をすべて封鎖し、シェルターと地上が別の宇宙のようになっていた。シェルターに退避した者たちは、地の果てに隔離されてしまった。シェルターに退避したのは、旧政府と旧軍の上層部だったが、その中にも上層部と下層部があった。上層部はいいとしても、下層部には「なんで俺たちがこんなところに居なきゃならないんだ」という疑問と不満があった。上層部は下層部に妥協せざるをえなかった。世界でシェルターに退避した者たちが地上に投降し生還しつつあった。だが、抵抗する権力者もいた。シェルターから一般市民向けに演説を行い、旧政権を正当化する権力者もいた。それも言論の自由のうちと、その国の暫定政権または新政権は逐次反論しなかった。旧政権の残虐や非効率や無駄遣いを改めて調査し公開しただけだった。非効率と無駄遣いの公開だけでも十分だった。権力者は数値が示すものに反論できなかった。
ところが、A国のM将軍は一筋縄ではいかなかった。M将軍は、彼らの言う政治犯をシェルターに連行して、人質としてとっていた。その数は千人を越える。M将軍は、その人質と、UとXとを交換しようと言う。つまり、A国に限って最初から、シェルターと地上は別の宇宙でなかった。シェルターと地上は人質によって繋がっていた。シェルターに隔離されたかに見えたM将軍には地上に戻って地上を支配する突破口が残っていた。M将軍はUとXを得て、Uには今度は本物の全体破壊手段の開発を強要するだろう。Xには世界の情報通信網のコントロールを強要するだろう。それらがあれば再度、地上に戻って世界を支配することが可能だろう。とM将軍は考えたのだろう。しぶとい。賢い。すぐにへりくだって投降してくるような並みの権力者と異なる。また、シェルター内に千人以上の人質が居れば、シェルターなりの環境の悪化と資源の消耗は馬鹿にならないだろう。それをUとXの二人と交換できたら、どんなに楽なことか。賢い。しかも、UとXは魅力的な女性である…だが、M将軍にとっては上の二つのほうが重要だろう。M将軍は愛欲によって権力欲求が減退するような人間ではない。
私、Z、T、U、Xと新政権の警察、軍の幹部らはネットを介して考えた。千対二の交換になるように見えて、UがM将軍の手に渡ってしまえば、全体破壊手段が開発され使用され、結局は数十億人との交換になるのではないか。だが、Uは言う。不変遺伝子手段の開発には核兵器と同様で希少な資源と資材がいる。それらも後に揃える必要がある。資材の調達も含めて数年はかかる。時間は稼げる。M将軍は今の時点ではそのことを知らないだろう。と言う。Xも、シェルター内のシステムを世界をコントロールできるようなものに変えるには自分一人では無理で相当な時間と労力と資源が要る。と言う。それらも踏まえてだいたいの大勢は以下のようになった。ここで人質交換に応じれば、M将軍の要求はさらに高じ、何を要求して来るか分からない。また、今後の誘拐人質事件に悪い前例を残す。善良な千人にせよ有能で有用な二人にせよ貴重な人質である。それと、M将軍は冷静な人である。人質に容易に危害を加えないだろう。危害を加えるとしても徐々にである。UとXの二人についても、用が無くなれば危害を加え始めるだろうが、それは数年先のことだろう。だから、すぐに交換に応じなくてよいし、応じるべきではない。それらがだいたいの大勢だった。私については正直言って、Uとせっかくつかんだ幸せを壊されたくないという気持ちが優勢だった。Uはもちろん、地下に囚われたくない。自分の身の上や私たちの将来のこともあるが、Uのガンと感染症の完全克服と医療の低額化という夢も消え去る。だが、Uは交換に応じない場合、市民の理解が得られるか危惧していた。千人となると相当な家族友人がいる。それらの人々が理解するか。一般市民が理解するか。Tは、千人の人質なら、そのうちM将軍は食糧や医薬品を要求することになる。するとそれを供給するまたは供給しないという社会権を保障する人の支配系(S系)に固有の権力をもって交渉を有利に進められる。と言う。いかにもS系の行政権の長官らしい。だが、Tにおいても私と同様の気持ちが優位であるようだった。Tは中学校の頃から女性関係が広く様々な女性を見てきた。そのTがXを選んだのだから、Xへの愛は相当なものだろう。Xは、地下に潜って端末からシェルター内のホスト・コンピューターを操作して、地下で革命を起こすとともに二人とも生還して見せる。といかにも超一流の情報技術者らしいことを言い始める。そんなXを信じたい気持ちもあるが、この度ばかりは信じられない。Xが今まで情報科学技術で力を発揮できたのはなんらかの端末を自由に操作できたからだ。人質の身では無理だろう。
P教授が生きていればどう言うだろうか。こう言うだろう。「超法規的」事態が生じた後は、それを想定できなかったことを反省し、そのような事態に対する対処法を法で明確に規定する必要がある。そのようにして超法規的事態と措置を極力ゼロにする必要がある。例えば、今回のような事件を含めて人質をとる事件に対しては、即時に人質の救出に取り係り、容疑者の捕獲が困難な場合は即、容疑者を殺害してよいと明確に法で規定してもよい。それはあくまでも一例である。その一例は過去に少なからずあったが、法で明確に規定されていなかった。さらに、それらによっても超法規的事態が残ることを想定して、一定の条件の下に超法規的措置をとれるものとし、その条件を法で明確に規定する。例えば、超法規的かつ緊急事態に対しては最高裁判所長官と自由権を擁護する法の支配系(L系)のL議院の議長を必ず含む緊急会議を開き決定すると。実際、今回の事件の解決後に世界の国家でそれらの概略が憲法に追加され詳細が法で規定された。それらを憲法と法で明記せず曖昧にすれば、超法規的事態や緊急事態を名目とする民主制、権力分立制と法の支配の形骸化が生じかねないからである。
私とUはA国に着いた。こんな形で「帰国」するとは思わなかった。上の理念に従って最高裁判所長官、L議院議長と、他に警察の長官、警察を監督するL議院の委員会の長、軍の長官としてのZ、軍を監督するL議院の委員会の議長、当事者UとX、その家族としての私とTが集まった。この状況では、TはS系行政権長官としてではなく、私は全体破壊手段全廃予防機構(仮称)の事務局長としてではない。必要となりそうな情報技術者、旧政権のシェルターの設計者、施工者…などの専門家も招かれた。まず、最高裁判所長官が前述のP教授が言うと予想されたことと同様のことを語る。警察の長官が前述のだいたいの大勢を繰り返す。旧政権のシェルターの施工者は「急降下できる通路があって、入り口を破壊して、数分でシェルターの中枢まで降下することができる。ただ、その通路の最初から交戦になるだろう。隠密の離反者の協力があれば交戦も避けられるだろう」と言う。これが情報として今までで最も価値のあるものだった。
Zはこの会議室でもあのN大佐と連絡をとろうと必死だった。「もう少しで連絡がつくだろうから待ってくれ」と言う。Xと他の情報技術者数名もZに加わった。N大佐は革命完結後もM将軍をマークし好機にM将軍を捕獲しようとしてきた。シェルターに降りてからは最大限に慎重で、連絡が取れなかった。それはN大佐も私たちも想定していた。だが、この非常事態で事情が変わった。どうしてもN大佐の情報と考えが欲しかった。N大佐からも連絡を取ろうとしてくれていた。繋がった。N大佐がスクリーンに大写しになる。だいぶんやつれている。N大佐は「UとXには悪いが、人質交換に応じて欲しい。交換のときが千人以上の人質の解放とM将軍の捕獲の最初で最後のチャンスだ。地下では既に多数の兵士が隠密に離反し準備ができている。UとXの安全は絶対に保証する」とカメラを見つめてはっきりと言う。Uが「地下に降りるわ。よろしく」と言う。Xが「行こうよ。地の果てまでも」と言う。UとXが見つめ合う。それらで決まった。他の幹部は最初からこうなることを願っていたようだ。やはり千人の命と二人の命を比較考量していたのだろう。これで市民に対する申し訳が立つ。最悪でもUとXを悲劇のヒロインにして、できるだけのことはしたと市民の理解が得られるだろう。私がもし当事者の家族でなかったら、私もそう思っていただろう。続いてN大佐とZが計画を立てた。N大佐は離反者とともに地下をコントロールし、N大佐から連絡があり次第、Zらが応援に地下に急降下することになった。
私とU、TとXは、それぞれ一夜を二人だけで過ごした。TとXについては当然、プライバシーだ。私とUについては以下のとおり。あの懐かしいかつてのUの研究室でウサギRを抱きながらUは語る。「今回の事件があって、あの少女の手記を思い出した。自己がやがて死ぬことへの不安はない。だけど、自己を永遠の存在にしようという気持ちはあり続ける。私にとっては、医者としてガンと感染症を完全に克服し医療を低額化することが永遠を求めることだった。だけど、I(私)と出会って、愛に生きることも永遠を求めることだと思った。愛は個人の壁を超えると思った」 それは私も全く同じだ。私にとって、権力を民主化し分立することが永遠を求めることだった。Uと出会って、Uが言うのと全く同じことを身をもって感じた。Uは続ける「それと『科学技術者の自己抑制』に取り組むのもやりがいのあることだと思った」と。Uはガンと感染症の完全克服、医療の低額化と科学技術者を抑制する科学技術の開発の両方をできるだろう。だが、それは今は言わないほうがよいと思う。ともかく、今はUに合わせよう。私は芸術家の生き方もあることを思い出して、Uに「美をキャンバスや楽譜に永遠に刻むのもいいかもしれない」と言ってみた。Uは「私は音楽をやる。私は子供の頃、シンガーソングライターになりたかった」と言う。私は「俺は油彩か彫刻をやりたい。事務局長を一期で辞めてそうする」と言う。本当は世界機構のL系とS系への分立を模索したいのだが、今はUに合わせているつもりだ。Uは「油彩もいいな…最近、見たんだけど、Jっていう新進の画家はすごいわよ。ウサギがこんな風に飛び上がっている」と、急に飛び上がる。本物のウサギRはびっくりしてケージに自主的に入って行った。前述のとおり、Uは「一日一分でできる健康法」という一般市民向けの本も書いていた。その中であの"U-step"だけでなく、"U-jump"という一日一分以内で全身の筋増強と腱・靭帯伸長を同時にできる跳躍法も紹介し、それも有名になっていた。それに似ていた。JはあのB国の画学生Jのことで、書き直しの油彩数点が世界の脚光を浴びていた。私は「ああ、Jか…俺はJを超えられるかもしれない」と言う。Uは笑って、「彫刻もいいな…だけど、音楽も美術もというのは無理だろうから、私は音楽をやるわ」と言い、子供の頃に作ったという歌を口ずさむ。何故、こんなにも切迫感がないのだろうか…と疑問に思っている頃、急に切迫感をもって「不変遺伝子手段を完全破壊する手段を開発することは可能だわ。だけど、それも不変遺伝子手段でしかない。それを完全破壊する手段も不変遺伝子手段でしかない…と続く。だから、やはり『遺伝子の塩基配列以外のものを変えるなかれ』しかない。不変遺伝子手段を含めて全体破壊手段は全廃するしかない」と言う。そんなことをこんなときに思いつくとは…何てヤツなんだ。もし今回の作戦がうまくいかず、UがM将軍に利用され、全体破壊手段の開発を強要されたら…
次の夜、人質交換が始まった。UとXがシェルターの入り口に向かうときにはどこから嗅ぎつけたかマスコミのカメラが何層もの放列を作っていた。ライトも何重にもなり彼女らは本当に眩しそうだった。その放列の中をまずUが、十数分後にXがそれぞれ逃げるように地の果てに去って行った。それだけだった。交換で解放された人々も映っていた。このときばかりは他人の幸せが目に痛かった。これが当事者だったら人質の解放はうれしかったかもしれない。だが、私は当事者家族で、中途半端だったからだろう。
犠牲の極少化
Zはシェルターへの急降下の準備で忙しい。私とTはこの度の作戦のシェルター近くの臨時の指令室の片隅に座って待った。予想したよりN大佐からの連絡が遅い。俺たちがなんでこんな目に遭わなければならないんだ…二人ともそれが正直な気持ちだった。医療スタッフからは仮眠をとるよう勧められたが、眠れるわけがない。私とTはUとXのさらなる交換も考えてみた。だが、どう考えてもM将軍が欲しそうなのはUとXでしかない。私のような思想史と科学技術史が専門の歴史学者が要るわけがない。革命家や権力分立論者や全体破壊手段全廃論者も要らないどころか邪魔なだけである。Tのような社会権の保障の専門家も要るわけがない。要るとしてもM将軍らが地上に戻ってから十年以上後である。全体破壊手段の開発者と情報技術者なら要るだろうが、それがまさしくUとXで、彼女たちを超える人間は世界のどこにも存在しない。そんな話を私とTがしているとき、N大佐から「M将軍を除く全員がM将軍から離反した。UとXを無事確保。M将軍は逃走中。私はそれを追跡する」との連絡が入った。Zらがシェルターへ急いだ。私とTも急いだ。
地の果てに着くと、UとXが毛布にくるまって椅子に座っていた。私とU、TとXがそれぞれ抱きしめ合ってハッピーエンドというわけでは全くない。Xは「M将軍は逃走した。M将軍は全体破壊手段のコントロール室に向かいっている」と言う。Uは「全体破壊手段のコントロール室は離反者が確保し不活化にとりかかっているけど…」と言う。Xは「N大佐はM将軍を追跡している。N大佐が危ない」と言う。離反兵士たちは「自分たちが『M将軍は新型の銃を持って全体破壊手段のコントロール室に向かった』という話をしていると、N大佐はもう居なかった」と言う。M将軍は最後に私たちもろとも自爆しようとしているのだろう。いや、M将軍はそんな自己破壊的な人間ではない。捕らえられる前にあるだけでも地上に発射しておこうとしているのだろう。N大佐はそんなM将軍を追跡している。N大佐はM将軍を生きたまま捕らえようとするだろう。M将軍はN大佐を即、殺害しようとするだろう。N大佐が危ない。全体破壊手段のコントロール室は離反者だけでなく地上からの別部隊も確保している。だが、その途中が手薄だ。Zと私は他の数名の地上からの兵士と離反者兵士とともにそこに急いだ。念のため全員、地下にあった最新の防御服と防御帽に着替えた。UとXには人間ドック入りのために病院に直行してもらった。Tにはそれに同伴してもらった。
私たちは薄暗い廊下を急いだ。従来の銃声と表現のしようのない奇妙な銃声が聞こえた。私たちはさらに急いだ。暗い廊下の脇に人が一人、あおむけに倒れていた。N大佐だった。Zらはその先を急いだ。N大佐は、従来型の防弾チョッキも胸骨も肋骨もぶち抜かれ、心臓の右半分はない。背骨もぶち抜かれ直径約10cmの空洞ができ背後には血の池がある。その底は廊下の床だろう。N大佐の体の周りにも血の川が広がっている。もはや流れる血はほとんど残っていない。
私もその先を急いだ。人が廊下を這いずり、その周りをZらが囲んでいた。M将軍だった。左の下腿を撃たれて出血し血の跡を引きずっている。左下腿はひん曲がっている。恐らく、N大佐はM将軍の下腿を撃ち生きたまま捕獲しようとした。M将軍にとってはN大佐を生かす必要はない。M将軍は倒れながらも新型の銃でN大佐のど真ん中を狙って撃ち返した。N大佐にM将軍を生かす必要がなかったら、M将軍は先に殺されていただろう。Zらがその新型の銃も従来型の銃も既に取り上げていた。それでもM将軍は全体破壊手段のコントロール室に向かって這っている。ZらはM将軍に後ろ手で手錠をして、救急隊を呼び、臨時の止血に取り掛かった。M将軍は当然、抵抗した。止血のためにならない。救急隊が到着すると鎮静がかけられた。
私とZはN大佐のもとに戻った。私はN大佐の従来型のヘルメットに覆われた前額部に自分の最新の防御帽に覆われた前額部を押しあてた。N大佐に残るエネルギーを吸収しようとしていたのだと思う。N大佐は十数年間、独裁政権を倒し権力を民主化し分立しようとじっと耐え、M将軍をマークしてきた。私はその十数年間のエネルギーを吸収しようとしていたのだと思う。父の分も吸収しようとしていたのかもしれない。振り返るとZは敬礼していた。Zにとっても敬礼などという古典的なものをするのはこれが最初で最後だろう。その後でZは「N大佐に『自分やスタッフに身の危険があったら、M将軍を殺害してくれ』とひとこと言っておくべきだった」と悔いていた。警察で、通常の誘拐人質事件ではそれらについてどうするかを前もって決定しておくのだろう。だが、Zは軍の長官であるし、これは通常のそのような事件を超えているから、Zたちがそのようなことを打ち合わせしていなかったのは無理もないことだろう。
そもそも、誘拐人質事件は軍ではなく警察の管轄である。今回は軍が警察に協力した形をとり、警察が指揮権をZに譲った。今後はそのあたりで曖昧さが生じてはならない。軍と警察の分立も厳格でなければならない。何故なら、警察・検察は軍の違憲違法行為も捜査し告訴しなければならないからである。それらも明確に憲法と法律で規定される必要がある。実際、この事件の後に世界の国家でその概略が憲法に追加され詳細が法で規定された。
Zらは全体破壊手段のコントロール室を含めて、地下の捜索を始めた。全体破壊手段が他にも残っていないか、離反しなかった者が潜んでいないか…など。同時に速やかに全体破壊手段の不活化に取り掛かった。例の全体破壊手段全廃予防機構はその跡を査察することになる。査察となればその機構の専門家が必要だ。
ついにN大佐という犠牲を出してしまった。人間の歴史の多くの部分が犠牲の歴史であり、その一部は犠牲の美化の歴史である。犠牲を美化しても何も生まれない。犠牲を美化する時間と資源があるなら、犠牲を極少化する方法の模索と実践に割く必要があると思った。そのためにも確立した民主的分立的制度をしっかりと維持し拡充し、全体破壊手段を全廃しその後はしっかりと予防する必要がある、と思った。
復讐心や恨みを越えろ。被害者や加害者のためではなく、自分のために生きてくれ
私は離反した兵士らと一足先に地上に向かった。離反者らをねぎらいたかった。地上の離反者と違って、彼らは地の果てで長時間耐えぬいた。地上につくと、夜明け前だった。25YY年の初冬、吐く息は少し白い。さすがにシェルターのすぐ近くに高層ビルはなかった。東から西へ空色が紅色から濃紺へと変わっていく。薄紅色の雲が流れる。空と大地のささやかな祝福に見えた。そう言えば、P教授とこんな空を見上げたことがあったが、あれは夕方だった。家族のいる兵士たちは連絡している。連絡する家族も親戚も友達も恋人もいないという独り者が意外と多くいた。独り者の中には、男も女もいた。性別の分からない人もいた。上官も混じっていた。もはや従来の性別や新しい性別や階級は関係ないようだった。家族に連絡している者をほったらかしにして、私は独り者たちと健闘を讃え合った。がっしりとした兵士が響き渡る低音で言う。「地の果てはもう飽きたから、今度は宇宙の果てまで行こうぜ」 気勢が上がった。周りの人々は不思議そうな目で見ている。「家族がいる者には分からないだろうな…」と呟く女性兵士もいる。
M将軍の身柄が地上に出て、救急車まで運ばれている。私はその方向に向かった。Zらが警護する。まだM将軍には鎮静が効いている。もちろん生きている。市民も来ているようで、M将軍に罵声が飛ぶ。そのとき、刃物をもつ女性が割り込んできて、M将軍の腹部を刺した。その女性にはZらも油断したようだ。Zらが女性を制止する。女性は「子供まで殺すことはないじゃない」とM将軍に鎮静がかかっていることも知らず叫ぶ。市民からどよめきが上がる。同伴の救急隊が「傷は浅い」と言う。M将軍は僅かに呻くだけで、鎮静から覚めることもない。人々が寄ってくる。私は刺された部分を見た。上着が僅かに血に染まるだけだ。私は「事故だ。大したことはない」と市民に言う。Zは女性を制止するだけでなく「傷はたいしたことはない。逃げろ」と言う。女性はZを見る。女性は理解ができなかったようだ。私は女性に「復讐心や恨みを超えろ。子供やM将軍のためではなく、自分のために生きてくれ」と言っていた。女性は私を見た。しばらくしてうなずく。ビルの窓ガラスで反射した朝日で女性の頬の涙が輝く。Zは女性に刃物を返す。果物ナイフだ。しかも血が先端に僅かに付いているだけだ。刃の根元にはリンゴの皮のかけらさえ残っている。女性には返り血さえない。女性は、ポケットから鞘を出し、ナイフを入れ、ポケットにしまった。市民のうち初老の男性が「俺は何も見てないぜ」と言う。他の市民もうなずく。女性は去って行った。
私はあのような言葉を反射的に言ってしまった。言葉の内容に間違いはないと思う。だが、どのような事件でも被害者やその家族に対してあのようなことを早急に言わないほうがよいだろう。「私も父母やP教授やN大佐を失った」と言うのは論点をボカしている。被害者やその家族が復讐心や恨みを越えるには、数年、十数年の年月がかかるだろう。私もそれだけかかるだろう。あの女性は受け入れてくれたが、あのような言葉は容易に吐くものではないと思った。それと正直言って「組織の変革のため、今は検察・警察も裁判所も忙しい。変革の支障にならないでくれ」という気持ちも少しあった。それは最初から最後まで言わないほうがいいだろう。
それにしても、復讐心や恨みをあまりもたない自分ってなんなんだろうと思った。両親やP教授やN大佐を含む幾多の人々を虐殺、暗殺し拷問死させた独裁者たちを生かしておいて精神的苦痛を味あわせるのが最大の復讐だ…などという複雑な心情はない。多分、それらの復讐心や恨みをもつために、せっかくここまできた民主的分立的制度の確立と全体破壊手段の全廃予防を、台無しにしてはならない、という気持ちがあったからだと思う。また、「無血革命」を目指す以上は権力者の血も流さないでおこうという完全無欠を求める気持ちもあったと思う。また、M将軍らの独裁の根本的な原因は、独裁という政治制度を許した私たちにあると思った。私たちがもう二十年、早く民主的分立的制度を確立していれば、M将軍らの独裁と局地戦争と弾圧、虐殺、暗殺、拉致、拷問…などと全体破壊手段の使用の危機と、人為的飢饉、自然災害の人為的深刻化…などはなかっただろう。「罪を憎んで人を憎まず」の表現法を借りれば、「政治制度を憎んで人を憎まず」である。結局、私たちが改革する必要があるのは、国家や国際社会や政治や経済や社会や権力そのものではなく、政治権力に係る政治制度だ、と思った。また、前述のような理由で経済体制でもないと思った。
結局、グループGは、M将軍を除くすべての旧政権の人々を赦免してしまった。それはA国に限らず世界的傾向である。今後、それらに対する批判が犠牲者遺族から出てくるだろう。その批判に対してどう応えるか。ちょっと難しい課題を新政権に残してしまった。だが、離反を促し無血革命を達成するためには、離反者に限って、旧政権中の罪を問わず、赦免する必要があった。結局、離反者が続出し、そのおかげで無血革命が達成されたのである。革命の実質では確かに無血革命だった。その実質の前後でP教授とN大佐の血は流れてしまったが。
残されたM将軍の身柄をどうするか。さしあたり救急病院に入院した。N大佐の葬儀はM将軍から離反しN大佐についた離反者らが中心になって軍で挙行された。私とU、X、Tも出席した。Zは当然、軍長官として葬儀委員長になった。私とUはその後、すぐにE国のEC市の全体破壊手段全廃予防機構に戻った。以下はその機構の事務局長として聞いたことである。M将軍について、左下腿の膝から下に義足が入った。義足、義手、人工関節を含む人工臓器そのものとその装着技術とリハビリ技術はますます進歩していた。一か月も経てば普通に歩けるよういなるだろう。また、リハビリの間にA国の警察と検察が弾圧、虐殺、暗殺…などの実態と全体破壊手段を隠していないか等を取り調べて、その後で全体破壊手段全廃予防機構で取り調べ等をし、その機構の司法権に告訴することになった。そのM将軍の移管については、私が機構の事務局長としてA国の最高裁判所に正式に申請し裁可を得た。M将軍はいったい何を考えて(疑似の)全体破壊手段を使用したのか、その動機を解明するためである。その解明は今後の全体破壊手段の予防のために必要だろう。
全体破壊手段の全廃と予防の必要性
私とUとウサギRはE国EC市の全体破壊手段全廃予防機構の敷地の臨時の職員寮に移住した。憲章について、全体破壊手段の定義、機構の骨組、権限等を載せた私の原案が、Vと委員会によってさらに練られ、内容が分かりやすいものになり、委員会で可決された。私たちが戻って、総会での審議があり可決承認され、実施に移された。その総会での審議、可決、承認後に、VはB国に帰った。Vは「もっと一般市民に分かりやすく書かなければ駄目だ。分かりやすくするのにちょっと苦労した」とちょっと厳しかった。P教授もそうだったが、私もそうだったのか…今後の課題がまた一つ増えた。
そして、世界革命から半年もたたない25YY+1年1月20日に全体破壊手段は全廃された。かつての保有国は競って全体破壊手段を廃棄・破棄していた。そのような一斉で急な廃棄の査察に全体破壊手段全廃予防機構の事務局は何とか対応できた。最後の全体破壊手段は核兵器でB国に残った。その「信管」と呼べる部分を破壊する映像は世界に放映された。何と早い。あっけないと思われるかもしれない。その通り。全体破壊手段の全廃はこんなにも簡単だった。前述の「一方的廃止の積み重ね」の力が証明された。それが証明されたことを歴史に刻みたい。
民主的分立的制度が確立され、全体破壊手段が全廃された今、つくづく思うことがある。あの父親は「苦痛をできる限り全般的に減退させて、地球や太陽の激変のときまで人間または進化した人間を含む生物の生存を確保したい」「そのような欲求を満たし目的を達成することは全く不可能なわけではない」と言ったが、その推測は現実になったし、現実であり続けると思う。つまり、二千年代を乗り越えるどころか、「地球や太陽の激変のときまで」は可能だろう。何故なら、民主的分立的制度が確立され全体破壊手段が全廃された今、そのような生存と自由を妨げるものが何もないからである。当然、人間は進化するだろう。だが、進化することに抵抗する者はあまりいないだろう。
「全体破壊手段全廃予防機構」は仮称だったが、それが正式名称になった。その敷地の片隅に臨時の職員寮が建っており、その一室に私とUとRは住んでいる。Rのケージも持って来た。私たちが仕事に行っている間はRにはそのケージに居てもらった。もちろん、餌と水を入れて行く。私たちが徹夜残業しても一晩はもつようにしている。今は全体破壊手段全廃予防機構は査察のための技術と機器の開発が急務である。だから、科学者技術者が忙しい。私よりUのほうがはるかに忙しく、私が先に帰って来てRをケージから出してやることが多い。トイレには自主的にケージに入る。私にも多少はなついてきた。
その全体破壊手段全廃の数日後にM前将軍はA国の病院での治療、リハビリ、A国の警察、検察の取り調べを終えて護送されてきた。全体破壊手段全廃予防機構の司法権で裁判があり全体破壊手段使用未遂によって終身刑が宣告されるだろう。それは「刑罰」というより、隔離して、全体破壊手段の研究、開発、保持、使用に今後係ることが一切ないようにという意味をもつ。司法権の建物は建設中である。だが、臨時の拘留所はできていて、Mはそこに収監された。臨時だがよくできた拘留所で私たちの部屋より豪勢だ。もちろん、厳重な警護付きである。Mが逃走することもMが誰かに狙われることも防がなければならない。この頃にはMの面接が私の仕事の一割程度を占めていた。Mは面接室には手錠をされて入って来る。この頃は手錠もかなり進歩していて、Mに不自由はほとんどなく、痒い目や耳はもちろん痒い背中も自由に掻ける。そのうち手錠も外れるだろう。
さて、全体破壊手段使用の動機について、Mは語る。現代において死刑はなく終身刑は確実だから、Mは言いたい放題である。「正直言って、全体破壊手段を使用することには葛藤があった。自分が使用した全体破壊手段が偽物であることが分かったときは、正直言って、ホッとしている自分もいた。だが、いつもの自分が優勢だった。シェルターに潜る前から、自分の権力が危ういなら、シェルターに潜って全体破壊手段で地上の人間を絶滅させ、その後で地上に戻って地上を支配しようと思う自分が優勢だった。シェルターに潜った後はUに今度は本物の全体破壊手段を開発させ、Xにはシェルターから地上の人間の行動を監視するシステムを構築させ、地上の人間を絶滅させ、その後で地上に戻って地上を支配しようと思った」と語る。20XX年の地上の人類の絶滅の直前にも、同様のことを考える権力者がいた。Mも、葛藤がありながら、ここまではっきりした動機をはっきりと自覚し、臆することなく語る。いや葛藤があることを正直に語るからこそ、それらは正直な気持ちだろう。ここで私たちは「怖い」「恐ろしい」…などと目を反らしていていいのだろか。
さらに恐ろしいことが私には分かってきた。世界の独裁者たちは、表立ってではなく暗黙に以下のことで合意していたのではないだろうか。誰かに全体破壊手段を使わせてその者を極悪人にする。自分たちはいち早く地下のシェルターに退避する。その者に地上の人類を絶滅させてもらう。自分たちはその後で地上に戻って地上を支配する。人口は激減し環境は悪化せず資源はありあまるほどあり、互いに争いは生じない。かといって互いに協調する必要もない。それぞれが好き勝手に地上を支配できる。それらはあくまでも表立ってではなく、いわば「無意識」的に、暗黙のうちに合意されていたのではないだろうか。20XX年の地上の人類の絶滅のときもそうだったのではないだろうか。そのような自己の奥底に直面できるのは陥る傾向への直面に熟練しているMだけだろう。他の独裁者がそのようなものに気づき語ることはもはやないだろう…と思っていた。だが、数日後にB国のあのVがあのBP元大統領と面接する機会をえた。そのときVはBPにそんなことを考えなかったか尋ねてみた。すると、「BPは『確かにそんなことを考える自分もいた。同じようなことを考える権力者は世界で何人かいたと思う』と言っていた」とVは言う。「そんなことを考える自分もいた」ぐらいでは処罰の対象にならないが、BPは私たちが大いに参考にしなければならないことを言ってくれた。
ここで私たちは「怖い」「恐ろしい」「人間ではない」「狂気だ」…などと目を反らしてはならない。私たちが直視しなければならないことは以下のことである。権力者は何を考えるか何をするか分からない。いやより正確には、人間は権力を握ると何を考えるか何をするか分からない。過去に権力を握った人間が専制へと走り、人々を弾圧し虐殺し戦争を繰り広げ…などはよくあったことで、世の常だ…などということは、科学技術が発達せず、全体破壊手段や大量破壊手段がなかった時代に言えることである。現代では権力を握った人間は科学技術を乱用し、全体破壊手段を利用して何を考え何をするか分からない。私にしても事務局長だからよかった。査察等をする権限に加えて軍事制裁を決定する権限や軍の指揮権ももっていたら、過剰な制裁をするかもしれない。全体破壊手段予防のための規定を破った個人や集団に軍事制裁を加えるか加えないかを決定するのは総会であり、軍事制裁の詳細を決定し軍を構成し指揮官を指名するのは理事会である。そのようにこの機構にも、今後改革していかなければならないが、現状のものでもそれなりの権力分立制がある。抑制のない権力を握った人間は何を考えるか何をするか分からない。だから、少なくとも、国家レベルで民主的分立的制度を、国際または世界レベルで国家レベルのものとは少し異なる民主的分立的制度を確立し徹頭徹尾、維持する必要がある。全体破壊手段は削減や相互確証破壊(MAD)であってはならない。MADは権力を握った者が理性的であることを前提とする。権力を握った人間はいつ理性を失うか分からない。あるいは権力を握った人間の理性がどのようなものになるかは測り知れない。例えば、民主的分立的制度の確立したL系においてでさえも、兵器をコントロールする人間が突然、躁状態や幻覚妄想状態になったり、薬物乱用による離脱に陥るかもしれない。自然災害による全体破壊手段の暴走はありえる。だが、それは予測困難であっても予測可能である。権力を握ったものの行動は本当に予測不能である。テロリストの行動も予測不能である。だから、全体破壊手段は、地表はもちろん地底や海底や宇宙のものも含め、公権力がもつ可能性があるものも私的権力がもつ可能性があるものも含めて全廃でなければならない。私たちは国家レベルと国際レベルで民主的分立的制度を確立し、その後は徹頭徹尾、維持し、全体破壊手段を全廃し、その後は徹頭徹尾、予防する必要がある。そうしなければ、人間を含む生物の生存はありえない。
それらを私は全体破壊手段全廃予防機構の理事会と総会で、Mとの面接の中間報告する中で、確認した。憲章にはそれらも盛り込まれていたが、抽象的だった。それをより具体的にして再確認した。 国際機構と国際憲章を改善していく必要があることも憲章に盛り込まれている。私とVがそれらを盛り込んで、委員会と総会で指示されていた。だが、それらも抽象的だった。今後、それを具体化していく。
世界機構を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)への分立ことの必要性
憲章に違反して査察に応じない、または全体破壊手段を開発しようとする集団に対して軍事制裁や経済制裁を行うか否かを決定するのは総会であり、総会は自由権を擁護する法の支配系(L系)の立法権(L議院)に相当する。それらの制裁の詳細を決定し軍を構成し指揮官を指名するのは理事会であり、理事会はL系の立法権(L議院)の委員会に相当する。事務局は武力をもたず科学技術の専門家をもって査察を行うが、L系の行政権に相当する。今後はまず総会の世界市民による直接選挙が必要だろう。だが、国家の代表も必要だろう。とすれば、総会を世界市民の直接選挙によるものと国家が代表を派遣するものに分立する必要があるだろう。さらに事務局長の世界市民による直接選挙、理事会の委員会的なものへの格下げ…なども必要だろう。国際機構または世界機構には発展または改善すべき点がいくらでもある。
過去には国際機構はあくまでも国家の代表による「国際」機構であり、国家の代表による総会とそれによって選出される理事会と事務局しか考えられず、それらに発展または改善の余地はほとんどないという見方が多かった。国家が構成する「国際」社会という「縦割りの構造・動態」しか念頭になかった時代にはそれに無理はない。国際機構とは、国家を単位として、それぞれの国家が構成する機構である。それに対して、国家を単位としない部分が単位とする部分を上回る機構を「世界機構」と呼んでよい。世界の市民と世界の権力という横割りの構造がある程度、根付いた今、世界市民による国際機構または世界機構の直接選挙の可能性が見えてくる。その可能性が見えてくると、世界機構が見えてきて、国際機構または世界機構の改善の余地が見えてくる。
また、世界の市民の自由権、政治的権利…などの擁護と社会権の保障を含む多目的で広汎な世界機構の可能性が見えてくる。それとともに生存を名目とする世界機構の独裁、全体主義…などへの暴走の恐れが見えてくる。私たちは国家レベルのそのような暴走の恐ろしさを身をもって体験したのだが、世界レベルのものの恐ろしさは想像を絶する。そのとき広汎な世界機構を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)へ分立することの必要性が見えてくる。広汎な世界機構のL系とS系の分立の可能性は国家権力のそれとほとんど同じであり、可能性は十分にあり、容易である。つまり、その分立には必要性だけでなく可能性もある。だが、その分立は、そもそも広汎な世界機構の必要性があるときに限られるように見える。だが、広汎な世界機構の必要性が見えるまで待っているのでは遅いかもしれない。その必要性が本当に見える前に、人間を含む生物の生存を名目として、その必要性を誰かが捏造し、広汎な世界機構を構築し、独裁、全体主義…などに暴走する恐れは十分にある。だから、広汎な世界機構の必要性が見えて来る前に、国家権力だけでなく広汎な世界機構をL系とS系に分立する必要性と可能性を世界の市民が理解しておく必要がある。
悪循環に陥る傾向を回避し取り繕う傾向に直面すること
Mは次第に個人的なことも語るようになってきた。ある日、「私に父はおらず、母親には愛情がなかった…」と私が予想した通りの独裁型陥る傾向の形成過程を語り始めた。それにはちょっとばかり辟易していた。ところがあるとき、Mが驚くべきことを言った。
…そのようにして思春期までに陥る傾向の原型が形成された。思春期には模倣によって支配性と破壊性が強くなった。だが、それだけではない…
私はドキっとした。Mは続ける。
…思春期には同級生や教師から「危険なヤツだ」「自己顕示し過ぎ」「ネチネチしている」「ギトギトしている」…と疎んじられた。私は自己の陥る傾向にどこかで気づいていたのだと思う。自己の陥る傾向が想起されると強烈な不安と自己嫌悪と恥辱が生じる。母親に愛されないためにこうなったなどということは考えたくない。人に知られたくない。だから、思春期の私は陥る傾向がイメージとして想起されると、そのイメージを他の自己の美点と思われるものに切り替えて回避し取り繕っていた。自分は見た目はよくないが、体力はすごく知的能力も優れていると思っていた。実際にスポーツ万能で学業成績は悪くなかった。その点だけは同級生や教師も認めていた。そこで、そのような「力」のイメージで自己の陥る傾向のイメージを回避し取り繕っていた。そこで、私には自己の陥る傾向を回避し取り繕う傾向が形成された。だから、私は自己の陥る傾向に直面できなかった。だから、自己の陥る傾向が減退しなかった。陥る傾向のうちの最大の悪循環は、陥る傾向を回避し取り繕う傾向である。陥る傾向の最大の原因は母親の愛情と世話の希薄や年長者の模倣にあるのではない。思春期に形成される陥る傾向を回避し取り繕う傾向にある。人間は何より陥る傾向を回避し取り繕う傾向に直面する必要がある。母親の愛情と世話の希薄をとやかく言っても仕方がない。何よりそれによる人格の形成は三歳以前のことであり、記憶にない。思春期における人格の形成過程はまるで昨日のことのように思い出せる。自己の陥る傾向を回避し取り繕う傾向に直面してそれを減退させることは乳児期幼児期前半や幼児期後半前思春期に形成されたものより容易である。
とMは一気に語る。私は愕然とした。それらについて私が解説する必要は何もないと思う。ただ、以下の弁解はしておく。私も自己の陥る傾向を権力に反抗する勇ましい(当時はそう思っていた)自己のイメージで回避し取り繕っていた。それに私も直面した。それに直面することによって権力を民主化し分立しようとするようになった。ただ、私は陥る傾向を回避し取り繕う傾向へ直面したことを自覚していなかった。
Mは「これから、自己の陥る傾向を回避し取り繕う傾向に直面していく。その過程を書き留めたい」とクレヨンと画用紙をねだる子供のように言う。私は「書いてくれ。私がそれを出版する。印税はすべて、勾留所や刑務所の福利厚生に当てる。ピンハネしたりしない」と言い、「文献はいるか」と尋ねる。Mは笑って「文献なんていらねえよ。この自己だけで十分だ」と言う。私はMにネットには決して繋がらない、また、凶器になりえないノート・コンピューターを差し入れ、Mは書き物がまとまるごとに外部記憶装置に保存して私に渡すことになった。
Mは文献など要らないと言ったが、私はノート・コンピューターに世界の哲学、心理学…などの古典とあの少女とその父親の手記とP教授がまとめたものを密かにコピーして早々、差し入れておいた。それらを読みたければ読めばいい。それらを読めばMの思想が人々に分かりやすいものになるだろう。読みたくなければあるいはそれらに気づかなければそれでいい。すると、人々はまずMの個性に驚愕するだろう。Mが個人の生き方全般や社会のあり方全般を語れるような人格と人間性をもっており、それらの全般を見習うべきだというのでは全くない。Mは陥る傾向への直面、特に陥る傾向を回避し取り繕う傾向への直面に熟練しており、それを見習うべきだと言っているだけである。その意味でMの著作は私たちの参考になるだろう。
それとMの知名度によってその本はよく売れるだろう。Mの被害者や被害者家族が(私もMの被害者家族の一人なのだが)そんなMの本を出版する私を批判するとしてもやむをえない。もし、Mへの大衆の嫌悪によってMの前述の直面が埋もれてしまいそうなら、私が以上のような文脈を注として入れるつもりだ。
いずれにしてもMの本はよく売れ、印税収入は相当なものになり、Mの余生は勾留所や刑務所の中でも豪勢なものになるだろう。警護の経費は天引きしよう。Mは六十歳代。余生は二十年近くあるだろう。性的欲動を満たす必要はあまりないだろう。その必要があったとしても、それを満たすための手段まで与えることはできない。アルコール依存はなく、飲酒欲動を満たす必要はないようだ。食欲、飲水欲は十分に満たせるだろう。さらに、あの伝説的革命家Wが庭の苔を育てることで、あのAT街の独居老人Kが自炊することでやるように、文筆における発見や試作の喜びがあるだろう。私はそれをときに聞くだろう。いいのがあればさらに出版しよう。ちょっとぐらいはピンハネしようか。いや、権力者がやるようなことはちょっとでもやめとこう。警護費用の天引きもMの同意を得てからにしよう。
人間を含む記憶をもつ動物が甘受する必要があるのは記憶喪失だけだ、それ以外は乗り越えられる
私はその日はいつもより遅く家へ向かった。職員寮は機構の敷地の隅にあり近いが屋外を通る。25YY年から25YY+1年にかけての冬も終わりかけている。考えてみれば、25YY年初夏から25YY+1年晩冬は一年足らずだった。だが、私にとって五年に相当するような時間だった。世界の反政府グループの人間や離反者や、はたまた独裁者にとってもそうだったと思う。世界の市民にとっても長く、二年には相当したのではないだろうか。P教授とN大佐は亡くなってしまったが。彼らには悪いが、長い時間だったことを思うと、生きていることの喜びがこみあげてくる。思いっきり生きてやれ。
「権力を握った人間は何を考えるか何をするか分からない」という恐ろしさとはまた別の方向で、以下のような恐ろしさも人間にはあることが最近、分かってきた。あの国際会議でP教授が言ったことは既に世界の市民に理解されていた。だが、P教授があのようなことを言うことが世界同時革命に勢いをつけたことは確かである。P教授があのようなことを言うことによって暗殺される危険があることを私は十分に認識していた。P教授の身の上を案じていた。暗殺された後はとてつもない虚しさに襲われ苦しんだ。だが、私は同時にP教授が、犠牲になっても、あのようなことを言って世界同時革命に勢いがつくことを望んでいたのではないだろうか。あるいは、革命に勢いをつけるために、P教授を犠牲にしようと思っていたのではないだろか。いや、それは言い過ぎである。少なくとも次のことが言える。あのときP教授があのようなことを言うことは止めることはできないと思っていた。だが、P教授を止められたが、止めなかったのではないだろうか。P教授が亡くなった後の私の苦しみはそれに薄々と感づいていることからも生じたのではないだろうか。自分に対する不安からも生じたのではないだろうか。それだけではないことも確かである。様々な思いが錯綜していた。一部は葛藤を起こしていた。だから、一概に自己嫌悪を感じる必要もない。ZやXにしてもそうだったのかもしれない。今後、私はそのような犠牲も生じないようにしよう。あの犠牲は必要だったなどということは言いたくもないし考えたくもない。犠牲は必要であってもゼロにしよう。何事も犠牲なしで達成しよう。それは私の中で個別的には、ある程度の犠牲は必要だなどという月並みなことを言う並の革命家などになりたくない、一般的には前述の自己を唯一無二の存在にしたいという欲求からきていると思う。
街灯で吐く息がまだ白いことが分る。職員寮には窓の灯が増えてきた。新しい機構ができつつあることが実感できる。私たちの家の扉を開けるとおいしそうな臭いがプンプンしている。いつもと違って暖房が既に効いていて暖かい。テーブルの上にはUにとって精一杯の手料理が並んでいる。Uが台所で水を使いながら「私、妊娠したわ。産前産後は産休をもらうわ」と言う。あのウサギRが耳をピクっと立てる。また何かが始まる。まだまだ様々なことについて展開があるに決まっている。実際、既に展開がある。Uのお腹の中で誕生した胎児のことを考えると、次のようなことが思い浮かんだ。
あの少女は「わたしたちのそれぞれは、記憶と個性の喪失または個性の喪失を繰り返しつつ、入れ替わりながら永遠に生きる…それらを知ると、自己がやがて死ぬことへの不安はなくなる」と言う。確かにその不安はなくなる。人間を含む記憶をもつ動物が甘受する必要があるのは記憶と個性の喪失だけだ。それ以外は乗り越えられる。実際、人間は独裁、全体主義、全体破壊手段…などを乗り越えてきた。それと固まったり偏ったりした思考や観念は捨て去って、ゼロから考え直すほうがよいかもしれない。だが、やっぱり記憶と個性の喪失はつらい。記憶と個性の喪失は、特定の人との完全な離別でもある。私が死んだら、Uや子供やRと別れることになる。それはつらい。生まれ変わって別の人と出会ったとしても、Uの個性はない。私はUの個性が大好きなのだ。U以外では駄目だ。Rが私に少しはなついたのもRに記憶があるからだ。Rが死んだらそれもなくなる。それも寂しい。私が死んだら、父や母やP教授やN大佐との思い出も消えてしまう。父母は死んで、私のような子供から解放されてほっとしているかもしれない。だが、過干渉な両親の下に生まれて反抗しているかもしれない。P教授やN大佐は暗殺や拉致拷問の恐怖から解放されてほっとしているかもしれない。だが、よその系の惑星に生まれて、そこの独裁者に苦しめられているかもしれない。あるいは、権力を民主化し分立しようと潜伏しているかもしれない。だが、そんなことを言うと誤解を招くだろう。あの少女とその父親が言いたかったのは「輪廻転生」や「因果応報」とは異なる。少女はあくまでも現実の世界での生と死の繰り返しを語る。父親は現実の世界における生と死の繰り返しから回避または超越しようとしない。父親は現在の地球の現実を変えようとしている。そんな姿勢が私は大好きだ。平和なときでも生きる力が湧いて来る。民主的分立的制度の確立と全体破壊手段の全廃の後、もし、変える必要がある現実がなかったら、私はたまらなく空しくなっていただろう。UやT、X、Z、V…などもそうだろう。国際機構の世界市民による選挙が視野に入ってくると世界機構が見えてきて、まだまだ変える必要がある現実がある。前述のとおり、世界機構のL系とS系への分立の模索がある。Uにしてもガンと感染症の完全克服、医療の低額化と科学技術を抑制する科学技術の開発がある。Mには陥る傾向を回避し取り繕う傾向への直面がありその文書化がある。Xには情報科学技術の平和利用がある。TにはS系の行政権を一つの機構とすることがある。あのAT街の独居老人Kには自炊での試作がある、あのY社長には、新入社員が開発したY社長の技術を超える技術、をまた超える技術の開発がある、あの画家Jには新しいテーマの手探りがある、あの隠遁者Wには苔の突然変異の発見と選別淘汰があるかもしれない、あの森Fの住民には農地の開拓と猛獣、猛禽、微生物対策がある、あの心理カウンセラーQCにはあのやっかいなQのカウンセリングがある、あのぬいぐるみの女の子とあの女性には母子関係の手探りがあるかもしれない、あのMを刺した女性には恨みや復讐心を…そんなことを考えていると、個性を軽視してはならないと改めて思う。私、U、子供、R…などの個人や個体にはそれぞれの記憶や情動の傾向や自我の傾向や意識的機能の能力がある。それが個性だ。今、Uのお腹の中にいる胎児にも記憶や情動や自我があり個性があるかもしれない。今はないとしても、胎生末期、つまり、分娩直前にはあり、「退屈だ。この壁を突き破ろう」などと考えているかもしれない。それは冗談として、胎生末期には視覚と聴覚以外の感覚と身体的情動は既にできあがっており、それらの個性があることは確実だ。何より、今を生きている間は、自己がやがて死ぬことへの不安だけを限りない生と死の繰り返しによって減退させて、この生において欲求を満たし苦痛を減退させたい。だが、一般のものを把握し語る必要もある。個性が重要というのも一般のものを把握し語ることだ。だが、あの少女は言うかもしれない。「そんなことは人間の誰もが考えている。だから、そんなことを考えている人間と入れ替わるのだ」と。そのとおりだと思う。だが、それも一般のものを把握し語ることだ。一般の生と死をとらえなければ無限の入れ替わりを把握することができない。一般の国家権力をとらえなければ世界の国家権力を民主化し分立することはできない。一般の陥る傾向をとらえなければ、一般のそれへの直面を把握し語ることはできない。Uの手料理をたらふく食って、眠くなってきた。Uは洗い物をしている。手伝って一緒に寝よう。洗い物をしながらも思考は慣性で進んだ。何かをしながら思考を連想に委ねたほうが発見ができることが多い。ちょっとした発見をした。一般の陥る傾向とそれへの直面を把握し語るのは心理学者や他人の仕事だ。個人の陥る傾向に個人が直面することは一般のものをとらえなくてもできる。他人に尋ねたり文献をあさるのも自由だ。だが、自己に直面するのに他人や文献はあまり助けにならない。自己に直接的に直面できるのは自我でしかないのだから。用語にしても何でもかまわない。「直面」でも「立ち向かう」でも「逃げない」でもかまわない。「粘着」でも「ネチネチ」でも「ギトギト」でもかまわない。「自己」でも「わたし」でも「自分」でもかまわない。だか、「自己」と「自我」は区別する必要がある。自己をとらえて自己について考えるのが自我だ。それに似たことは既にデカルトが言ったのでは…そろそろ眠くなってきた。いずれにしても、人間を含む記憶をもつ動物が甘受する必要があるのは記憶と個性の喪失だけだ。それ以外は乗り越えられる。実際、人間はいくつかのものを乗り越えてきた。また、繰り返すが、固まったり偏ったりした思考や観念は捨て去って、ゼロから考え直すほうがよいかもしれない。だが、後で活かせるかもしれない。私の今までの体験は滅多に味わうことができないものではないだろうか。死ななくても記憶は薄れていく。できることはあの少女の父親が書いたことだけだ。これまでのことを書き留めておこう。後で活かすも殺すも自由だ。そうすることによって人間は記憶喪失さえも乗り越えてきたのかもしれない。そのようにして人間は個人の記憶と記憶喪失を乗り越えてきたのではないだろうか…眠い…それらについて考えるのも明日からにしよう…だが、眠れない…そのうち眠れるだろ…
参考文献
生存と自由
生存と自由の詳細
それぞれの国家権力を自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立すること
感覚とイメージの想起
自我とそれらの傾向
悪循環に陥る傾向への直面
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