COPYRIGHT(C)2000 OUR-EXISTENCE.NET ALL RIGHTS RESERVED 

小説『二千年代の乗り越え方』日本語訳

NPO法人 わたしたちの生存ネット 翻訳

AIでは翻訳に無理があります。
それは以下の著作が新しい概念を多く含むからです。
人間による日本語訳をご利用ください。

[日本語訳の著作権について]

  この日本語訳の英語原文はネットで無料で読めます。また、自動翻訳も利用できます。ですが、それらの著作は新しい概念を多く含むため、自動翻訳では無理があります。ですから、NPO法人わたしたちの生存ネットの日本語訳を是非ご利用ください。それらの日本語訳もネットで無料で読めます。ですが、これらの著作の日本語訳の訳者らはそれらの訳の著作権を主張しています。ですから、日本語訳に関する限りで、これらの著作の部分を引用される場合は、最新版を購入し、著作名、章名、節名、著者名(NGO OUR-EXISTENCE.NET)、訳者名(NPO法人わたしたちの生存ネット)を明記し、それぞれの著作に版番号(第何版か)がある場合はそれも付記してください。それとともに、インターネット上で引用される場合はリンクしてください。購入できる書籍はすべてその時点での最新版です。改訂に伴いページ番号、行番号は変動しますので、それらの付記は不要です。
  上の著作はノーベル生理学・医学賞、文学賞、平和賞を獲れると考えます。それらの賞の賞金と名誉はNPO法人わたしたちの生存ネットにも分配されます。NPO法人わたしたちの生存ネットへの分配分は会員の間で平等に分配します。それらの著作の普及のための会員を募集しています。入会ご希望の方はメールをください。

[この小説中のアルファベットが意味するもの]

    A国:超大国
    A1大学:A国の大学
    A2大学:A国の大学
    AP大統領:A国の大統領
    AQ:AT街の大衆酒場
    AT街:A国の首都の庶民の街
    B国:超大国
    B1大学:B国の大学
    B2芸術大学:B国の芸術大学
    BC:B国出身の報道写真家、四十代の女性
    BP大統領:B国の大統領
    BQ:BT街の大衆酒場
    BT街:B国の首都の庶民の街
    C国:超大国
    D国:A国とB国の間に位置する小国
    E国:大国
    EC市:E国の大都市
    F:放射能が残留しているとしてA国政府が立ち入り禁止にしているA国辺境の森林
    グループG:A国の反政府グループ
    グループH:B国の反政府グループ
    I:私のニックネーム、私は、A1大学の歴史学教授、反政府グループGのリーダー、四十近くの男性
    J:B2芸術大学の画学生
    K:AT街の独居老人
    L系:自由権と民主的分立的制度を擁護する法の支配系
    M将軍:A国の軍所属、六十代の男性
    N大佐:A国の軍所属、五十代の男性
    О参謀:A国の軍所属、五十代の男性
    P教授:A国A1大学所属、六十近くの男性
    Q:私の前妻
    QC:心理カウンセラー、四十近くの女性
    QP:AT街に住む売春婦、三十代の女性
    R:Uが研究所で飼うウサギ
    S系:社会権を保障する人の支配系
    T:A国の経済学者、エリート官僚、四十近くの男性
    U:A国の医師、遺伝子治療の専門家、エリート官僚、三十半ばの女性
    V:B1大学の法学部教授、反政府グループHのリーダー、四十近くの男性
    W:C国の元革命家、七十代の女性
    X:A国の反政府グループGの同僚、情報技術者、三十を過ぎたばかりの女性
    20XX年:全体破壊手段が使用された二十一世紀後半の年
    Y社:食品製造会社、庶民の街ATの中小企業
    Y社長:Y社の社長、食品開発者
    25YY年:二十六世紀後半の現在の年
    Z:A国の反政府グループGの同僚、戦略家、四十を過ぎたばかりの男性

(注1)上記のアルファベットに、A→America, B→Britain, C→China などの当てこすりは全くありません。そもそも、地上の人類は二十一世紀に絶滅し、地下のシェルターで生き延びた人間が地上に戻って、それらの子孫がA、B、Cの三つの超大国を含む国家を新たに形成しています。
(注2)特にアルファベッドで指されていないもののうち「あの少女」「あの少女の父親」という言葉は20XX年の後に死亡するまでにある重要な手記を書き残した娘とその父親を指します。


自己がやがて死ぬことへの不安を減退させる決定的方法

  25YY年、つまり、二十六世紀後半のある年の初夏、森の中の道のようなものを私は踏みしめた。そよ風で木漏れ日が揺れ、私の顔にも優しく当たる。建物の瓦礫や白骨と思われるものの先端が下草の間から覗く。しばらく歩くと見えてきた。木々が開けて、太陽の光をいっぱいに受ける草むらがある。その真ん中あたりに民家の残骸があり、今にも崩れそうにみえる。屋根が落ちて来ないように私はそっと、その中に入った。壁の隙間から差す太陽の光が光の柱を作っている。
  私は超大国AのA1大学の歴史学の教授で、思想史と科学技術史を専門とする。20XX年、つまり二十一世紀後半のある年に政治的経済的権力者たちが第三次世界大戦を起こし、報復の連鎖の中で「全体破壊手段」を使用した。権力者のいくつかの集団は地下のシェルターに退避した。堅牢なシェルターが収容できるのは一部の権力者だけで、地上に残された、または、脆弱なシェルターに逃げた人間と他の動物のいくつかの種は全体破壊手段の使用から十数年以内に絶滅した。この辺りの人間を含む動物は全体破壊手段のうちの核兵器が即、放出した放射線、または、残留させた放射能が放出する放射線によって数年、十数年のうちに死滅した。25YY年、この辺りの森と野原は、A国の辺境にあり、A国の政府は、放射能がまだ残留しているとして、この辺りを含む広大な地域を「放射能残留立ち入り禁止区域F」としていた。だが、放射能が残留していないことを私は確かめた。政府は、この辺りに残る自由権、民主制、権力分立制、法の支配…などの文献が実質的な独裁、つまり、形骸化した民主制への反対運動をあおることを恐れたのだろう。だから、これらの広大な地域を立ち入り禁止にしたのだろう。私は、放射線を測定して放射能が残留していないことを何度も確かめながら、秘密裏にこの辺りの遺跡と文献を掘り出していた。
  崩れかけた棚の上に、ある少女とその父親の二人による手記が置いてある。手書きで数十冊に別れている。文字は少し色あせているが十分に読める。言語は現代語と大差なく、内容は理解できる。少女と父親は、その手記を書いた時点で数年のうちに、放射線によるガンによって死ぬことを自覚していた。少女が先に亡くなることも二人は自覚していた。私はその手記が劣化しないように陽よけ雨よけ風よけを置くことにしている。それらを一時的に取り除いて、手袋をして手記を開き、自分のポケット・コンピューターを取り出す。そのような文献を、文献そのものや周りの状況を変えないように発掘し、発掘現場で撮ってコンピューターに保存することがここ数年の私の仕事の多くを占めていた。少女とその父親の手記については、非常に重要であり、誤読があってはならないと思ったので、慎重にそれらの作業を行っていた。少女が以下の部分を書いたのは思春期の終わり、17歳頃だったと父親が書いた部分から推測される。

動物は生きて、死んで、生まれて…と繰り返す。記憶をもつ動物については、その死と生の繰り返しは、それらのそれぞれが、記憶と個性の喪失を繰り返しつつ互いに入れ替わりながら永遠に生きること同じである。記憶をもたない動物については、その死と生の繰り返しは、それらのそれぞれが個性の喪失を繰り返しつつ互いに入れ替わりながら永遠に生きることと同じである。つまり、わたしたちのそれぞれは、記憶と個性の喪失または個性の喪失を繰り返しつつ入れ替わりながら永遠に生きる。地球上の生物が絶滅したとしても、無限の空間と時間をもつ宇宙では、地球上の動物と同様のものが、無限に発生し進化し、それらのそれぞれが記憶と個性の喪失または個性の喪失を繰り返しつつ互いに入れ替わりながら永遠に生きる。以上のことを知れば、自己がやがて死ぬことへの不安は減退するはずである。ところがその不安はなかなか減退しない。それは何故か。
  わたしたちのほとんどは、その不安の中で、わたしの自己、つまり、特定の自己を永遠化しようとする。だが、それが絶対的に不可能であることを誰もが知っている。だがそれでもわたしたちはそれを試みる。そうすることによって、自己が唯一の入れ替わり不能のものであるようにますます感じられ、自己が死んだ後には永遠の空虚な時間と空間があるように感じられる。その結果、その不安が強烈を超えて絶対的なものになる。その不安を減退させるためには、わたしたちのそれぞれはまず、わたしの自己がやがては死ぬことを受容する必要がある。それを受容するとともに、それを悲しもう、恐れよう。また、他人の死はその人との完全な別れでもある。もう二度と語り合うことはできない。他人の死を悲しもう。悔やもう。また、天国や地獄や極楽や永遠の魂や精神があり、自己はその中で永遠に生きるなどという観念は捨て去ろう。それらを受容し、それらを悲しみ悔やみ、それらを捨て去った後でも、わたしの自己、つまり、特定の自己ではなく、わたしたちのそれぞれの自己、つまり、一般の自己が永遠に存在し、それは入れ替わり可能である。
  だが、それを入れ替わりが不能のように見させてしまうような観念は多い。例えば、「わたしに現れるものはあなたに現れない。あたなに現れるものはわたしに現れない。わたしに現在に現れているものが存在することを私は確かめることができる。あなたに現在に現れているものが存在することを私は確かめることができない。わたしたちのそれぞれにそのとき現在に現れているものの間には超えることのできない壁がある。わたしたちのそれぞれは、わたしたちのそれぞれにそのとき現在に現れているものの中に完全に幽閉されている。そのようにわたしたちのそれぞれは完全に孤立している。だから、わたしたちは互いに入れ替わることができない」…などの観念がある。
  だが、「わたしに現れるものはあなたに現れない。あたなに現れるものはわたしに現れない。わたしに現在に現れているものが存在することを私は確かめることができる。あなたに現在に現れているものが存在することを私は確かめることができない」という前提(A)は心的現象として現れるものの一見したところ不可避的な属性に基づいているに過ぎない。だから、そのような前提から入れ替わり不能という帰結を得ることには無理がある。
  さらに、動物の神経系をよく見てみると、前提(A)からして不可避的ではなく絶対的な真理ではないことが分かる。地球上の複数の動物の複数の神経系が錯綜することは滅多にない。そのような錯綜がないならば、前提(A)は真実でありえる。もしも複数の動物の複数の神経系が錯綜するようなことがあれば、次のようなことが起こることがあったしあるしあるだろう。二つの人間の身体が癒合し末梢神経が錯綜し、体性感覚で現れる彼らの皮膚の痛みが彼らの両方に現れたということはあった。もしも、複数の動物の複数の中枢神経系が錯綜すれば、「あなたに視覚で現れるものがわたしに現れ、あなたに聴覚で現れるものがわたしに現れ、あなたにイメージとして現れるものがわたしに現れ、あなたに思考で現れるものがわたしに現れ…」のようなことが起こることがあると前提される。つまり、前提(A)からして不可避的ではなく絶対的な真理ではないことが分かる。そして結局、わたしたちは入れ替わり不能であるという考えは錯覚に過ぎないことが明らかになり、払拭される。
  以上のことを知るとき、すべての入れ替わり不能の考えは、錯覚に過ぎないことが明らかになり払拭され、自己がやがて死ぬことへ不安は減退する。わたしたちのそれぞれの間には入れ替わりを妨げる何ものも存在しない。だから、わたしたちのそれぞれは、記憶と個性の喪失または個性の喪失を繰り返しつつ、入れ替わりながら永遠に生きる。それを「限りない生と死の繰り返し」とも呼べる。わたしたちは互いに「生まれかわる」とか「入れ替わる」とか「なる」と言ってもよい。それらのことを知るとき自己がやがて死ぬことへの不安は減退する。それらのことを知ることが自己がやがて死ぬことへの不安を減退させる決定的方法である…

と少女は書いている。少し補足する。古代からいずれは死滅する肉体に対する精神や魂の永遠の存在を主張する宗教や哲学があった。だが、それらはますます支持されなくなっている。また、20世紀、21世紀には精神の肉体からの遊離を主張する者の脳にインターフェースを埋め込んで、彼らの心的現象を可視化し、そのような遊離を証明するというようなサイエンス・フィクションがあった。だが、脳にインターフェースを埋め込むこと自体が、既に心的現象として現れるものはすべて神経細胞群の興奮伝達から生じることを前提にしている。作者たちは、フィクションの中でに過ぎないにせよ、そのような論理的飛躍に気づいていなかった。存在するのはものそのものと心的現象として現れるものだけである。少女はそのような宗教や哲学や論理的飛躍を混入させず、あくまでもものそのものの存在と心的現象として現れるものの存在だけを前提として、生と死の限りない繰り返しを説明している。20XX年以降も科学、特に生物学は進歩し、神経学も進歩している。二個体の神経系が錯綜すれば、少なくとも体性感覚で現れるものについて、ある人間に現れるものが別の人間に現れることがあることは確かめられている。
  当時、核兵器が使用された地域では、放射線によるガンによって人々が亡くなっていくことが多かった。少女は白血病で亡くなった。全体破壊手段が使用された20XX年から十二年以内に地上の人類が絶滅した。その後に地下のシェルターに潜っていた者たちが地上に戻って現代の世界を作り始めた。そのとき少女が書いた部分のコピーがなんらかの方法で発掘され、筆者の名前と年齢を変えられが、広がった。筆者は二十代の女性で白血病で亡くなったと変えられていた。その白血病は全体破壊手段とは無関係に発症したと変えられていた。その作者の白血病が全体破壊手段使用によるということは政治的経済的権力者にとって都合が悪かったのだろう。それに対して、内容は変えられなかった。現在に至るまで宗教の替わりになっている。現代人の自己がやがて死ぬことへの不安を減じている。結局、宗教はその不安を減じるためにあった。だが、宗教はその不安を減じる決定的方法を提示できなかった。だから、宗教は衰退した。少女は、名前と年齢と本当の死因を変えられたが、その不安を減退させる決定的方法を提示し続けている。
  それに対して、父親が書いた部分は完全に削除されていた。父親が書いた部分はすべて、権力者にとって都合が悪かったのだろう。今後、公開されると、倫理、道徳…などが宗教とともに衰退した現代において、それらを超える欲求や目的になるだろう。私たちは今後、父親の手記を含む全編をオンラインで公開していく。
  結局、私がここで発掘したものは改変されたり削除されていない少女とその父親の二人による手記の手書きの原稿の全編だった。筆跡も年齢相応で明らかに娘と父で違っていた。手書きの原稿だったからこそ五百年の後にも残った。内外の記憶装置に保存されたり、デジタルプリンターで印刷されていれば残らなかっただろう。手書きの原稿には千年を超える耐久性がある。また、伝統的な印刷術による紙の書籍にも同様の耐久性がある。この辺りには図書館の跡もあり、多くの紙の書籍が解読可能で残されていた。それらの中には世界中の独裁者によって闇に葬られた自由権、民主制、権力分立制、法の支配…などについての貴重な文献がたくさんあった。私はそれらも発掘し、それらのうち重要なものはリュックサックに隠してA1大学に持ち帰り、信頼できる研究者と共有していた。だが、何より重要と思ったのはこの少女とその父親の手記で、慎重に発掘保存作業を進めていた。宗教の限界についてまとめた後で、その原稿の父親が書いた部分から最重要部分を抜粋する。

宗教の限界

  その本性からしてそれぞれの宗教は神、魂、精神…などの現実の世界を超えたものを定立し固守する。宗教の中では、個人の生き方や社会的な制度を含む現実的なものも、現実の世界を超えたものに基づく。現実的なものを超えたものは、人間の想像の産物に過ぎず、恣意的でそれぞれの宗教に特異的にならざるをえない。そのような恣意的で特異的なものに基づく個人の生き方や社会的な制度も恣意的でそれぞれの宗教に特有のものにならざるをえない。だから、宗教は、すべての人間や社会に共通するものを提示することができないのはもちろん、多くの人間や社会に共通するものも提示することができない。もし、それぞれの宗教がすべての個人や社会に共通と称するものを布教しようとすれば、それもそれぞれの宗教に特有のものでしかないのだから、それらの宗教 を容れる社会の間で不必要な争いが生じる。すると、人間を含む生物の生存さえも危うい。特に、ほとんどの宗教は、自身を批判するあるいは自身の神を冒涜するものは、物理的暴力を用いてでも破壊してよいあるいは破壊しなければならないという考えに陥りがちであり、それによる争いは致命的になりえる。実際、宗教は、第三次世界大戦と全体破壊手段の使用を止めるどころか、それらを煽ってしまった。一神教、多神教、アニミズムまたは汎神論と遡るほど、それらの争いを煽る傾向は少なかったが、大差はなかった。
  また、人間を含む生物の絶滅を生じえるものは人間に他ならならず、絶滅の主因は人間である。わたしたち人間はその事実に直面する必要がある。ほとんどの宗教はその直面を妨げる。例えば、神が人間を創造したと信じれば、「神が絶滅を来すようなものを創造するわけがない」、または、「絶滅を来すようなものを創造したのは神であり神にも責任がある」となりかねない。また、絶滅を来す者は地獄に堕ちると信じれば、「その者は地獄に堕ちることによって責任を免れる」となりかねない。
  だから、世界の個人と社会の多くに共通のものは宗教なしで提示される必要がある。人間を含む生物の生存と人間の自由を両立させる方法もそうである。それは鉄則である。この鉄則は私たちのすべての行動を通じて遵守される。
  さらに、自己がやがて死ぬことへの不安をある程度は減退させておく必要がある。その不安から自己を永遠の存在にしようとする欲求、つまり「自己永遠化欲求」が生じる。そこで、栄光や名誉や業績を歴史に残そうとして、政治的経済的権力を獲得し、結局は権力闘争に埋没し、独裁、戦争、全体主義…などに暴走する人間がいる。彼らがそのようことを防ぐためには、私たちの多くが、その不安をある程度は減退させて、あの少女が説明したような意味で自己は既に永遠であり、わざわざ自己を永遠の存在にしようとする必要がないことを知っておく必要がある。
  (1)自己がやがて死ぬことへの不安を減退させる方法を宗教なしで提示することは可能である。さらに、(2)多くの人間と社会に共通する個人の生き方と社会的な制度を宗教なしで提示することも可能である。五百年近く前に、(1)をあの少女が、(2)の基本をその父親が提示していた。

人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛をできる限り全般的に減退させるという欲求・目的

  その少女の死後、その少女の執筆部分に続いてその父親が以下のようにつづる。最も重要と思われる部分を抜粋する。

娘が若くしてあの死を超越するような思考法に至ってしまったことが哀れだ。平時なら若い人は友情や恋愛や遊びやあるいはちょっとした悪事を語っていただろう。確かに娘が書いた自己がやがて死ぬことへの不安を減退させる方法に間違いはない。私の救いにもなっている。その不安は人間がもつ最大の苦痛である。娘はその苦痛を減退させてくれた。
  他の苦痛のいくつかは人間を含む動物の遺伝子と個体と集団と種が生存し進化するために必要である。例えば、皮膚の痛みは外傷が深部の重要な臓器に至り致命的となることを防ぎ、遺伝子と個体の生存をより確実にする。また、不安、恐怖…などの精神的苦痛は危険を事前に察知させ回避させ、遺伝子と個体の生存をより確実にする。また、性的欲動の不満は遺伝子と集団と種の生存をより確実にする。また、生存競争は苦痛を伴うが、それは人間を含む動物の種が進化し生存するために必要である。
  それに対して、人間は動物の遺伝子や個体や集団や種の生存や進化のためにも自由のためにも必要のない苦痛を生じる。特に戦争を起こし、核兵器、不変遺伝子手段…などの全体破壊手段を使用する。実際、使用した。この辺りでは放射線によって男も女ももはや子供を作れない体になっている。妊娠していた女性たちも流産してしまった。乳幼児から先に死んでいく。もちろん、子供の喪失だけではなく、私たち自身の苦痛がある。放射線を浴びた皮膚のただれはなかなか回復しない。痛みがいつまでも持続する。いずれはガンが一個体でも多発して、ガン性疼痛で苦しんで死ぬ。手術や遺伝子治療に要する資源や装置は政治的経済的権力者が一部をシェルターに持って行き、他を破壊して行った。それらがあったとしても、これだけ多くの人間が地上に残され苦しんで亡くなって状況では、それらは到底、間に合わない。鎮痛剤は少ししか効かない。また、鎮痛剤はほとんど残っていない。残り少ないものを近所で別け合う。残り少ない鎮痛剤を子供に与え、自殺する親もいる。いずれは私も必ず発ガンする。娘の死因は白血病だった。全体破壊手段の中でも不変遺伝子手段が使用された地域では免疫機能が低下し感染症によって苦しんで亡くなっていく。全体破壊手段によって人間を含む動物は殺される。だが、すぐに殺されるわけではなく、数年から十数年、苦しんで死ぬ。そのような苦痛の中では、せめて人間が生じる「不必要で」執拗で大規模な苦痛を減退させたい。そのような欲求と目的が生じてくる。
  だが、同時に、そんな苦痛を消滅させるために、現実の世界から超越したいとも思ってしまう。だが、そんな現実の世界を超越した世界は存在しない。さらに、このような苦痛の中では、現実の世界も現実を超越した世界も何も要らない、無になりたいとも思ってしまう。だが、娘の言う「限りない生と死の繰り返し」があるだけであり、現実世界を超越することも、無になることも、不可能である。そのような限りない繰り返しがあるからこそ、そのような苦痛が文字通り永遠に続く。娘も残酷なことを言ったものだ。皮肉とも言える。限りない生と死の繰り返しは人間を含む動物の宿命である。そのような「限りない」繰り返しの中では、私たちは個別的ではなくできる限り全般的に苦痛を減退させる必要がある。そこで、せめて人間が生じる不必要で大規模な苦痛を「できる限り全般的に」減退させたい。そんな欲求と目的が生じてくる。
    人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛をこの地球においてできる限り全般的に減退させることができたとして、生と死の繰り返しの中で生まれかわるとすれば、人間は何を望むだろうか。多くの人間が地球で人間に生まれかわりたいと思うだろう。その願望は一概に不自然なものではない。人間は自己のイメージをもち、自分たちが記憶、知覚、連想、感情、欲求、自我、思考をもっていることを知っている。それらをもつことの喜びはもったことがあるものにしか分からない。それは人間が野生の動物たちの喜びを分からないのと同じである。だから、その願望は一概に不自然なものではない。
  また、その願望は一概に傲慢ではない。人間が生存するためには、人間は「環境」を保全し「資源」を保全しつつ有効利用しなければならない。そのような環境と資源は多様な動物、植物、微生物を含む。そのように人間の生存は多様な動物、植物、微生物の生存を伴う。だから、その願望は一概に傲慢ではない。
  また、生物は進化する。人間も進化する。人間が進化することに抵抗する人間はあまりいないだろう。何より、人間は他の動物にも生まれ変わる。だが、人間または進化した人間を含む生物が長く生存するほど、人間が人間として生まれる頻度は増える。だが、人間といえども地球や太陽の激変を止めることはできない。そこで、人間が生じる不必要で大規模な苦痛をできる限り全般的に減退させて、「地球や太陽の激変のときまで」人間または進化した人間を含む生物の生存を確保したい。そんな欲求と目的が生じてくる。
  自己がやがて死ぬことへの不安が強烈なとき、自己を永遠の存在にしようという欲求が強烈になる。そのような欲求を「自己永遠化欲求」、永遠への欲求…などと呼べる。一部の人間は政治的経済的権力を獲得して人を支配して何か偉大なことをすることによって歴史に栄誉や業績を残して自己永遠化欲求を満たそうとする。その一部が権力闘争に埋没する。その一部が権力を勝ち取る。その一部が独裁、戦争、全体主義…などへと走る。現代では世界大戦を起こし全体破壊手段を使用する。ここで私たちは娘が提示した自己がやがて死ぬことへの不安を減退させる決定的方法に立ち返る必要がある。すると、自己は既に娘の言ったような意味で永遠の存在であって、自己を永遠の存在にする必要も、自己を永遠と思われるものに一体化させる必要も全くないことを私たちのそれぞれは知るだろう。例えば、栄誉を歴史に残したり、宗教や神を信じて善い行いをしたりする必要はないことを私たちのそれぞれは知る。すると、自己永遠化欲求は減退し、権力を獲得して何か歴史に残るようなことをしようとする欲求も減退し、権力者が不必要なことをする傾向は減退するだろう。
  不必要で執拗で大規模な苦痛を直接的に生じるのは政治的経済的権力であって、それらがなければそのような苦痛は生じない。だから、私たちはそれらの権力を抑制する必要がある。もし、私たちが苦しいから現実の世界を超越したり無になって現実の世界を回避してしまうのでは権力者の思うつぼである。
  すべての権力を破壊する必要があるというのでは全くない。自然を保全し適正な人口を維持し経済を安定化させ私たちの最低限度の生活を維持するためには、いくつかの権力は必要である。また、私たちの自由は公的権力だけでなく私的権力によっても侵されるのであり、そのような私的権力を抑制するためには公的権力のいくつかは必要である。私たちは、権力のすべてを破壊するのではなく、必要な公権力を維持して民主化し分立する必要がある。
  また、繰り返すが、全体破壊手段が使用された場合、地上の人間はすぐに死滅するわけではなく、十数年苦しんで死ぬ。   結局、必要な権力を民主化し分立し抑制し、全体破壊手段を全廃予防し、人間が生じる不必要で大規模な苦痛をできる限り全般的に減退させて、地球や太陽の激変のときまで人間または進化した人間を含む生物の生存を確保したい。そんな欲求と目的が生じるてくる。そのような欲求を満たし目的を達成することは全く不可能なわけではない。だから、そのような欲求と目的を「(世代を超えて実現可能な)究極の欲求(・目的)」と呼べる。
  だが、私たちに残された時間はわずかである。私にできることはそれらの思いを紙や木や岩に刻むことだけである。

以上が少女の父親が書いた部分からの抜粋である。実際、その辺りで紙の原稿だけでなくそれらが刻まれている木版がいくつか見つかった。また、筆者は異なるが同様の内容が記されている日記や文集がいくつか見つかった。
  あの少女とその父親たちが至った境地は、差し迫った死に直面している人間だけが至ることができるものかもしれない。差し迫った死に直面していない私たちがそれに至ることは困難なことだろう。だが、私たちにも理解はでき、参考になると思う。
  あの少女とその父親たちの思想は20XX年以前にあった「輪廻転生」や「因果応報」の焼き直しだ、と言う人がいるかもしれない。だが、少女と父親は現実世界を超越したり回避したり不可解または到達困難な心的境地へと超越していない。少女はあくまでもものそのものと心的現象として現れるものの中で生と死の限りない繰り返しを説明している。だから、宗教をもたない現代人にも自己がやがて死ぬことへの不安を減退させるほどの説得力がある。さらに、父親は現実の世界を変えようとしている。
  前述のとおり、宗教は、すべての人間や社会はもちろん、多くのそれらに共通する個人の生き方や社会的な制度を提示することができない。父親は宗教なしにこの現実の世界の中で人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛を減退させることを目指している。個人の中では「地球や太陽の激変のときまで人間または進化した人間を含む生物の生存を確保する」というような欲求や目的は生じないように見える。だが、あの少女が言うように記憶をもつ動物は永遠に生きる。あの父親が言うように、だから、現在の地球の現実のままでは永遠に苦しむ。それは耐えられない。だから、父親はその現実を変えようとする。これはやはり個人の中でも生じえる欲求や目的だろう。人間の情動と自我の傾向に密着した「エゴイズム」とも言える。「世代を超える永遠のエゴイズム」とも言える。端的に言って、私たちのそれぞれはそれぞれの情動と自我に基づいて自由に生きていればよい。簡単に言って、私たちのそれぞれは他人や社会のことを考えず、思うままに生きていればよい。そのような自由によってこそ私たちは生存や社会権も保障することができるだろう。
  20XX年以前からそうだったのかもしれないが、少なくとも20XX年以降、宗教だけでなく、倫理や道徳は衰退している。もはや、それらは力不足であるだけでなく、必要ない。また、それらが出現するとすれば、独裁制や全体主義を擁護し強化するようなものになっていた。世界の市民はそのような宗教や倫理や道徳に辟易していた。あの父親が書いた部分にあるような欲求と目的が必要だったのだろう。
  それに対して、政治的経済的権力者にとっては父親が書いた部分はすべて都合が悪かった。だから、その部分は彼らによって闇に葬り去られた。今後、私たちはその部分もオンラインで公開していく。

遺伝子によって先天的に形成されるものと後天的に形成されるもの

  25YY年現在、人間はまだ絶滅していない。というより地上の人間は一度、絶滅した。20XX年、世界の政治的経済的権力者たちは、第三次世界大戦を起こし、報復の連鎖の中で全体破壊手段を使用した。権力者のいくつかの集団はタイミングよく地下の堅牢なシェルターに潜って、生き延びた。もちろん、何十億もの人間を収容できるようなシェルターを建設することは不可能なことである。ほとんどの人間が地上に残された。少数は脆弱なシェルターに逃げ込んだ。脆弱なシェルターは機能せず、そこへ逃げ込んだ人々は、慣用上、絶滅した「地上の人間」に含まれていた。厳密には「地表の人間」という言葉を使うべきなのだが、地上の人間という言葉が使われていた。結局、地上の人間は絶滅した。全体破壊手段の一種である核兵器が使用された地域では、ほとんどの人々は放射線によるガンによって苦しんで亡くなっていった。だが、全体破壊手段の一種である不変遺伝子手段も使用されていた。それは従来のウイルスを超えたもので、地上のすべての人々がそれに感染していた。それによって核兵器が使用されなかった地域でも、人々は免疫機能の低下、貧血…などによって苦しんで亡くなっていった。結局、地上の人間は絶滅した。高等動物のいくつかの種も絶滅した。地下のシェルター以外では無理があったようで、宇宙や海底に退避した者たちは戻ってこなかった。それも哀れだろう。彼らも苦しんだだろう。だが、地上の人間ほど長く苦しまなかっただろう。地下のシェルターに逃げ込んだ権力者とその取り巻きは、地上の人間が絶滅して不変遺伝子手段の感染の危険がなくなってから、放射能が残留する地域を除いて、地上に戻った。全体破壊手段を使用しシェルターに退避して生存した卑劣な人間の子孫が私たちというわけである。
  だが、政治的経済的権力を獲得し拡張するために必要な権力獲得能力と権力欲求と支配性、破壊性…などの自我の傾向は遺伝しない。遺伝について、20XX年以前は遺伝子と進化論に対する盲目的な信仰のようなものがあり、何でも遺伝する進化するというような錯覚があった。進化論の先駆者となったダーウインたちはそのような信仰や錯覚を抱いたり薦めたりしたわけでは全くないのにである。
  生物の存在と機能はすべて、遺伝子によって先天的に、かつ、遺伝子以外の物によって後天的に形成される。問題はその先天的形成とその後天的形成のどちらが優位かである。だから、「遺伝子によって先天的に形成される」、「遺伝子以外の物によって後天的に形成される」などの言葉は「ほとんど」、「主として」…などの言葉によって修飾される必要がある。ところが、逐次、そうしていると文章が煩雑になるので、それらの修飾語を省略することが多い。
  まず、本能的機能や自律機能や欲動の枠組みと内容はほとんど遺伝子によって形成され遺伝する。では、自我、感情、欲求、記憶についてはどうだろうか。それらの枠組は遺伝子によって形成され遺伝する。それに対して、それらの能力または傾向を含む内容は遺伝子以外のものによって後天的に形成される。例えば、自我の支配的傾向は、遺伝子によって形成されるのではなく、乳児期幼児期前半からの人格の形成過程の中で後天的に形成される。権力闘争や独裁において問題となるのは支配性、破壊性、自己顕示性…などの自我の傾向と権力欲求と権力獲得能力だが、それらが遺伝したり進化することはない。それらは主として後述する悪循環に陥る傾向として後天的に形成される。
  だが、それらの後天的形成を理解する科学者は少なく、理解する一般市民はほとんどいなかった。何故か。人間においては、後天的に形成されるもののほとんどが三歳までに形成され、私たちの誰もがそれ以前のことを何も覚えていないからである。
  さて、強い支配性、破壊性、自己顕示性…などの自我の傾向と強い権力欲求と優れた権力獲得能力をもつ人間が権力闘争を繰り広げた。それを勝ち抜いた者たちが政治的経済的権力を再構築し拡張した。さらに、それらが自由権と民主制を形骸化させ独裁と独占・寡占へと走った。結局、A国、B国、C国という超大国と多くの大国、小国が新たに形成された。20XX年以前の十数年間は、超大国を含めていくつかの国家は民主的で、他は独裁的と見なされていた。それに対して、現在はそのような差異はあまりなく、超大国を含めてすべての国家において自由権と民主制は形骸化し、すべてが大なり小なり独裁的である。もっとも、20XX年以前もそれらは形骸化していたのかもしれないが。そのように自由権、民主制、権力分立制、法の支配について問題なのは、露骨に破壊されることだけでなく密かに形骸化されることが問題である。

人間や生物の生存を名目として掲げて権力者が独裁制と全体主義へと走ること

  20XX年の地上の人類の絶滅後、環境は一旦、回復し、危惧されていた「地球温暖化」「気候変動」…などもなくなった。また、資源も回復し、シェルターから地上に戻った人間たちは、豊かな生活を営むことができた。だが、政治的経済的権力の独裁と独占・寡占、科学技術と経済の再興、人口増加、環境の悪化、資源の消耗、「軍官学産複合体」の再形成、全体破壊手段の再開発・保持は早かった。結局、25YY年には20XX年に直面し乗り越えられなかった問題と同様の問題に私たちは直面している。つまり、

(1):地球規模の環境の悪化
(2):地球規模の資源の消耗
(3):世界の人口が地球で維持できるものに近づき超えようとすること
(4):(1)(2)(3)による地球規模の経済の逼迫
(5):(1)(2)(3)(4)による地球規模の一般市民の生活の逼迫
(1)(2)(3)(4)(5)に対して、以下が必要となる。

(1'):環境の保全
(2'):資源の保全と有効利用
(3'):世界人口の適正化
(4'):経済の安定化
(5'):市民の最低限度の生活の保障

(1')(2')(3')(4')(5')は、「(人間を含む生物の)(狭義の)生存の保障」と一括できる。人権の観点からは、それは社会権の保障と呼べる。生存の保障のためには総合的な政策を立案し推進する必要があることは確かである。ところが、以下のような逸脱が生じることがあり、実際に現在、生じている。

(6):総合的な政策から逸脱して、人間や生物の生存の保障を名目として掲げることによって、世界中の権力者が、自由権、政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配を形骸化させ、独裁と独占・寡占と全体主義へと走ること
(7):世界中のそのような国家権力が国際社会において孤立しつつ争い、世界大戦を来すことと、それらの問題と争いを効果的に調整できる国際的または世界的な制度と機構が欠如すること
(8):軍官学産複合体が核兵器、不変遺伝子手段、軌道を変えるような小惑星操作という全体破壊手段を開発し製造し、国家権力が使用すること
(9):(8)による人間を含む生物の絶滅の危機

(1)-(9)に私たちは直面している。以下を補足する。
  20XX年より前の数十年間は、自らを民主的と称する国家群と露骨に独裁的な国家群との間の争いがあった。前者には自由主義と民主主義はいずれは勝つという自信が少しはあった。それに対して、後者は(1')-(5')を、名目として掲げて独裁制と全体主義を強化した(6)。それらの名目によって後者は市民の支持をわずかにでも得てしまった。だから、後者は崩れることなく、むしろ力を増した。そこで、両者が争って第三次世界大戦と報復の連鎖の中での全体破壊手段の使用へと突き進み、地上の人間は絶滅した。20XX年以降は自由主義と民主主義は形骸化し、(1')-(5')を名目として掲げることはより顕著になった。そして、彼らが掲げる総合的な政策は偏向し、(1')-(5')は達成からほど遠く、人間を含む生物の生存は危い。端的に言って、いつの時代も最も重大なのは(1)-(5)ではなく(6)であり、名目である。
  繰り返すが、環境、資源は一旦、回復したが、悪化、消耗は早かった。(1)環境の悪化について、20XX年以前にもあった、大気汚染、海洋汚染、気候変動…なども現在、深刻だが、今後、どんな問題が生じるか予想がつかない。だから、「気候変動」などの限定的な言葉を使用せず、「環境の悪化」「環境の破壊」「自然の悪化」「自然の破壊」などの一般的な言葉を使用することにする。
  (2)地球規模の資源の消耗について、現行のエネルギー資源の代替が開発される可能性はわずかだがある。それに対して。現行の食糧資源の代替が開発される可能性はほとんどない。また、飲料水を含む食糧が最も重要な資源であることは言うまでもないだろう。だから、「食糧資源」「生物資源」などの限定的な言葉はよく使われる。また、環境の悪化と資源の消耗を「自然の悪化と消耗」「自然の破壊と消耗」と呼ぶことがある。
  (1)-(5)は相互に密接に関連している。だから、(1')-(5')のためには総合的な政策の立案と推進が必要なのである。そのような政策の、推進はもちろん、立案だけでも非常に困難なことであり、一部の政治的経済的権力者や彼らが抱える専門家や彼らがカスタマイズした情報科学技術の産物にできるわけがない。そのような総合的な政策が立案されるためには、内外の様々な分野の専門家と一般市民が自由に議論する必要があり、自由権と民主制が必要である。そうでないと、(1')-(5')のための政策は偏向し、生存や社会権の保障さえも危うい。これが現代の世界の現実である。だが、世界の権力者は、市民はもちろん、外部から専門家を招くことさえしない。このことからも、彼らの掲げる生存の保障が名目に過ぎないことが分かる。
  軍と軍を掌握する文官と科学者・技術者と公私の企業の複合体は二十世紀の冷戦以前からあり、大きな問題だった。冷戦初期に強く意識され「軍産複合体」と呼ばれていた。それは当時から少なくともそれらの四集団の複合体だった。だから、それらの複合体を「軍官学産複合体」と呼ぶことにする。
  自由権と政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配は露骨に破壊されるだけでなく、上の表現にあるとおり「形骸化」もされる。また、政治的権力だけが独裁へと走ることは稀であり、通常、政治的権力と経済的権力が癒着し協働して独裁と独占・寡占へと走る。
  資本主義または市場経済、共産主義または社会主義経済…などの経済体制について、それらのいずれか一つだけでは経済が成り立たないことは誰も認めている。現在の経済体制はすべてそれらの混合であり、今後はますますそうなっていくだろう。その混合のあり方やいずれが優位になるべきかの論争はありえるが、二十世紀の冷戦期の資本主義か共産主義かの論争や対立ほど激しいものにならない。
  国際的な制度と機構について、それらは存在しないわけではない。機能していない。そもそも、上記の問題のほとんどはグローバルな問題であり、国家の孤立した機能だけでは解決不能である。それらの解決のためには国際機構の機能または諸国家の協調が不可欠である。このことからも、国家権力の保持者が国際社会から孤立して掲げる人間や生物の生存の保障が、国家権力の独裁化のための名目に過ぎないことが分かる。
  科学技術、特に情報科学技術(インフォテク)と生物学的技術(バイオテク)の驚異的な進歩に係る様々な問題が危惧されている。最も重大な問題は以下の三つである。(a)科学技術全般は全体破壊手段を開発し精巧にする(b)情報科学技術は政治的経済的権力者によって乱用される。特に、(b-1)情報科学技術の隠れた操作によって政策立案過程に彼らの利権が加味され、適正な政策の立案を妨げる。また、(b-2)選挙や国民投票の結果が捏造され、自由権、政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配が形骸化する。情報科学技術の産物がコントロール不能になり、人間をコントロールするという危惧が20XX年以前にはあった。だが、権力者はそれらもコントロールし乱用する。簡単に言って、それらより権力者のほうが脅威である。もっともそれはいつの時代にも何についても言えることなのだが。第三に(c)生物学的技術の産物のうちの高度な医療は高額であり、権力者を含む富裕層だけに利用される。
  以下の(10)と(20)は明確に区別される必要がある。

(10):人間と自然の間で生じる苦境。例えば、食糧・飲める水の不足、過密によるパンデミック…などの世界人口の超過とそれによる自然の悪化と消耗による苦境
(20):主として人間の間で生じる苦境。特に、独裁制・全体主義、世界大戦、全体破壊手段の使用による苦境

わたしたちが苦境(10)を味わう可能性と苦境(20)を味わう可能性を比較してみると、(10)を味わう前に(20)を味わって(20)によって絶滅する可能性が大きいことが分かる。20XX年においても、地上の人間は(20)によって絶滅したのであり、(10)を味わっていない。(10)がどのようなものかは20XX年においても20YY年においても想像を絶する。ところが、(20)に対する準備は(10)に対する準備より少ない。それは何故だろうか。(20)は人間社会の性であって、克服不能であるという諦めがないだろうか。だが、諦めるのはまだ早いかもしれない。やってみないと分からない。私たちはやってみる。また、(20)による苦痛は(10)による苦痛より小さいと思っていないだろうか。だが、(20)の中で全体破壊手段が使用された場合、私たちはすぐに死ぬわけではなく、十数年苦しんで死ぬ。だから、(20)に対する準備と(10)に対する準備は少なくとも同等である必要がある。
  宗教的、民族的、文化的権力について、20XX年の地上の人類の絶滅にもそれらは多少、係わっていた。だが、主として絶滅をもたらしたのは、それらではなく、政治的経済的権力者である。それは何についてもいつの時代でも言えることなのだが、現代においてはなおさらそうである。
  結局、いつでもどこでも一般市民を直接的に最も強く苦しめるのは政治的経済的権力者である。また、いつでもどこでも、権力者が宗教、国家主義、民族主義、経済体制…などを名目として掲げ独裁や戦争や全体主義…などに走ることはいくらでもあったのであり、人間や生物の生存の保障はそのような名目の一つに過ぎない。それらの二つの意味では人間は同じことを繰り返している。だが、二十世紀後半以降は(8)全体破壊手段による(9)絶滅がありえ、繰り返しがない可能性があるという二つの意味で、それらの権力と名目は特異的である。
  だが、20XX年の全体破壊手段の使用によって、絶滅したのは地上の人間であって、厳密には人間は絶滅しなかった。だが、20XX年の私たちの行動が大失敗であったことには変わりはない。そして今、その失敗を繰り返そうとしている。「歴史は繰り返す」と20XX年以前はよく言われていた。だが、20XX年以降はあまり言われなくなった。辛辣過ぎたからである。だが、語ってみる。一般市民としてはそんな失敗は一度でもあって欲しくない。歴史学者としては同じ失敗を繰り返すことは歯がゆい。それを繰り返さないようにするには、同じ失敗と同様の失敗を精査する必要があるだろう。
  人間を含む生物の生存と社会権の保障を一括して「生存」と呼べる。自由権、政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配が擁護されている状態・動態を一括して「自由」と呼べる。世界中の独裁者たちは、自由を犠牲にして生存を選択するよう迫ってきていた。それに対して、生存と自由を両立させることは可能であり、両立させる必要があると私たちは主張し、その具体的方法を実践していた。
  ところで、シェルターに潜って生き延びた者たちの言語はシェルターに居る間と地上に戻った数十年間の間にほぼ同質化した。その結果、現在の国家や地域による言語の違いは大きくなかった。そのような言語面からは私たちの思想とその実践を世界的なものにすることは容易だった。実際、少なくとも思想は少なくともオンラインで世界的なものになっていた。

権力を民主化し分立すること

  高層ビルが延々と続く。だが、遠くの山が遮られることはない。空の汚染は今日はあまりなく、空は澄み渡っている。風が強いからだろう。山と山の間に少し海が見える。その向こうに太陽が沈みつつある。西から東に向けて空が紅色、薄紅色、水色へと変わる。ところどころに桃色の雲が流れる。25YY年には20XX年と同様に密集と高層化が頂点に達していた。都会の中では、このように空を見渡せるのは高層ビルの屋上だけだった。
  私はあの少女とその父親の手記を含む「放射能残留立ち入り禁止区域F」の文献と遺跡の発掘と保存を一段落させて、超大国Aの首都に本格的に戻った。その首都の中で最大の国際会議場で「人類の生存」をテーマにしたカンファレンスが開かれる。世界の大学と政府と大企業の研究者が集まる。世界に生で放映される。第一日目は夜にあり、開幕は30分後。私とP教授はその会議場のあるビルの屋上に登っていた。P教授は、A1大学法学部で歴史上の諸国家の憲法と政治制度の比較研究をする。私は四十近くで、P教授は私より二十歳ほど年上だった。だが、互いに友達だと思っていた。今の諸国の実質的に独裁的な政権は20XX年以前の自由権、民主制、権力分立制、法の支配…などに係る文献をできるだけ伏せておきたかった。例の区域Fには図書館の跡もあり、私はそれらの文献も掘り出していた。P教授はそれらの文献のうち政治制度と憲法に係るものを編集しまとめていた。
  P教授は今夜、法学の見地から講演をすることになっている。私とP教授は以下のことを改めて確認した。近年はA1大学の研究者の間でも政府に迎合して「人間や生物の生存のためには人間の自由が制限されることはやむをえない」などと発言する者が多い。それに対して、三年ほど前までは「生存とは無関係に人間の自由は追求されなければならない」と主張する研究者も若干いた。それはもっともなことなのだが、実質的に独裁的な政府の下で主張するには危険過ぎる。実際、そのような主張をした研究者、数名は恐らく政府の黒幕であるM将軍によって暗殺された。それ以来、研究者たちは自由そのものについて公に語らなくなった。それに対して、P教授と私は、「生存を保障するためには諸国の政府の政策に偏向があってはならず、偏向のない政策が立案されるためには言論の自由に基づく活発な議論が必要」…などと生存のためには自由は必要という主張の仕方をさしあたりはしていくしかないと語り合っていた。繰り返すが、自由はそのものが目的なのだが、さしあたりはそう主張するしかなかった。今夜もその一線を超えず、自由そのものへの言及を避けることを再確認した。それだけは再確認できた。他の民主制、権力分立制、法の支配…などについても、形骸化しているものの原型を説明するだけにするよう私はP教授を説得していた。また、私たちの自由権と民主的分立的制度を確立する方法は既にオンラインで普及しているのだから、何もこの場で語る必要はない、と説得していた。だが、私の説得は風に吹かれて行ったようだ。P教授の表情には今まで抑圧していたものが吹っ切れた開放感のようなものがあった。P教授も葛藤していたのだろう。つい、三年ほど前まではフサフサしていた髪の毛が風に弱々しく揺れる。P教授の髪の毛が薄くなったことにこの屋上で初めて気づいた。開幕15分前。私たちは大会議室に向かった。
  まず、医師にしてA国政府所属の遺伝子治療専門の研究者のUが演壇に立った。三十代半ばの女性。25YY年、ほとんどのガンと感染症は克服されていた。残るそれらをUが克服しつつある。世界の医学界のヒロインだった。また、高額過ぎて庶民の手が届かなかった高度な医療を庶民も受けられるような安価なものに変えつつある。だがら、庶民のヒロインにもなりつつある。それらの道筋を一般市民や専門外の科学者や学者にも分かりやすく説明してくれる。顔だちは、研究者らしく、飾りがない。土台は端正な部類に入ると思う。体格は無駄がない。話し振りは質素で飾らず、話す内容は明快で余計な部分がない。
  次に、A国政府所属の経済学者にして官僚であるTが演壇に立った。Tと私は中学校とA1大学の同級生。ちょっとした友達でもライバルでもある。中学の学業成績と大学での研究成果は私よりはるかに上だった。いつものように、自然を保全し適正人口を維持しつつ経済を安定化させ一般市民の最低限度の生活を保障するためには総合的な政策の立案と推進が必要であることを強調する。Tはその総合的な政策を立案するのために人工知能も大いに活用していた。世界の経済界のアイドル的な存在だった。
  次に、P教授が演壇に立った。会場に緊張感が走った。P教授はいつもより豪快に語り始めた。

現在の諸国の「総合的政策」は、市民の最低限度の生活や経済の安定化や適正人口の維持はおろか、自然の保全のためにも機能していない。それらの政策が機能していないことは後に諸国の研究者が実証する。政策が機能していないのは何故か。政策が機能しないのは政策が偏向しているからである。政策が偏向しているのは政策が議論されず批判されないからである。政策が議論されず批判されないのは、言論の自由がなく、公正な選挙がないからである。結局、政策が機能していないのは自由な言論と公正な選挙がないからである。例えば、二十世紀の共産主義崩壊の主因は、言論の自由と選挙がなかったために、経済計画が議論されず批判されず、偏向したことと、政策立案者が競争しないために無能に陥ったことにあった。そのような例は20XX年以前にも以後にも多々ある。人間を含む生物の生存のためには総合的な政策が練られなければならないことは確かである。だが、適正な政策が練られるためには自由な議論と批判が必要であり、言論の自由と公正な選挙が必要である。私たちは自由のためだけでなく生存のためにも自由権、政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配を確保する必要がある。また、いつの時代も政治的権力と経済的権力は癒着し汚職を行い、政策の立案と推進に彼らの利権を加味させる。現代においてはただでさえ困難な総合的政策の立案と推進が、彼らの利権が加味されて適正なものになるはずがないのである。政治的権力者と経済的権力者の癒着と汚職を抑えるためにもそれらを暴き批判する言論の自由が必要であり、厳格な三権分立制の下にある検察・警察が機能する必要がある。

とP教授は語る。会場が騒然とし始めた。それはP教授に対する批判ではなく、「そんなことを言って政府に弾圧されないか、暗殺されないか」「もうそれぐらいにしといたほうがいいんじゃないか」…などというP教授の身の上に対する気遣いだった。屋上でのP教授を知る私は、今日はP教授は止まらないと思っていた。今まで、P教授は自制して表立って政府を批判しないようにしていた。また、繰り返すが、私たちの自由権と民主的分立的制度を確立する方法は既にオンラインで普及しているのだから、何もこんな場で説明する必要はない、と私もP教授を説得していた。だが、無駄だった。P教授の表情は爽やかで、開放感のようなものがあった。
  だが、これでもP教授はあの屋上で確認できた一線を越えていない。P教授は生存のために自由を確保する必要があるという言い方しかしていない。本当のことを言うと、自由は生存などのための手段であるだけでなくそれ自体が目的である。一般市民は、最低限度の生活を基盤としてそれ以上のことについては、思いのままに生きたいと思っている。自由権を侵害しうる最大の権力は警察、軍…などの公的武力を含む国家権力である。自由権を確保するためには、政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配を確保し、それらによって国家権力を抑制し相互抑制させる必要がある。P教授と私が最重視したのは権力分立制である。20XX年以前にも以降にも革命はいくつもあった。だが、すべて失敗に終わった。その最大の原因は民主制のみを重視し権力分立制と法の支配を軽視したことにあった。単なる民主制は、はかなくすぐに独裁制に逆行する。革命または内戦を勝ち抜いたまたは数回限りの選挙で選ばれた者が独裁者へと豹変するからである。民主制は市民が直接的または間接的に公権力を抑制する制度である。権力分立制は国家権力を複数の権力に分立し分立した権力を相互抑制させる実に巧妙な制度である。古来、「監督者を誰が監督するのか」は難問中の難問だった。「監督者を監督する者を置くとして、後者を誰が監督するのか」という問が永遠に生じる。「監督者を分立して相互に監督させる」が唯一の答えだったのである。それらを強調するためにP教授は、政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配を「民主的分立的制度」と呼んでいる。
  法の支配については、憲法と狭義の法律を「法」とも呼べ。法の支配は司法権が法を公正に個人と集団に適応することである。その公正そのものからは司法権が市民への抑制より権力と権力者への抑制を優先することにはならない。権力と権力者への抑制は、非常に困難なことであるから、際立ち市民にとっては貴重である。より詳細には、司法権が立法権の保持者に憲法を適応し、行政権の保持者に憲法と法律を適応することが際立ち貴重である。
  法の支配の第二の美点は単純な民主制が陥ることがある市民の多数派の横暴さえも抑制できることにある。民主制だけでは、数少ない選挙やレフェレンダムを通じて特定の党派が大衆の熱狂的な支持を得て政権を握り、憲法と憲法が規定するあるいは規定するべき民主的分立的制度を停止して独裁へと暴走する恐れある。仮に大衆が望んだとしても、民主的分立的制度を放棄させないことは法の支配の第二の美点に含まれる。
  だから、原告または被告が権力者であろうが市民であろうが、司法権が追求する必要があるのは公正さだけである。だが、裁判官が公正さを追求し、法の支配が厳格であるためには、司法権の独立が確保されなければならず、三権分立制が確保されなければならない。そのように権力分立制と法の支配は協働する。
  民主制が不要だと言うのでは全くない。民主制しかないとしても、民主制は独裁や専制よりマシである。例えば、民主制には世論操作がありえるが、世論操作は武力による弾圧よりマシである。だが、民主制と権力分立制と法の支配が同時に機能するとき、それらはさらによい。そのことを強調するためにも、「民主的分立的制度」という言葉を用いるのが適切だろう。
  私とP教授は一週間に一回はビールを飲みながらときには徹夜でそんなことを語り合っていた。権力分立制は三権分立制、地方分権、軍と警察の分立だけではない。私たちの語り合いはそんなものでは終わらない。さあ始まった。

国家権力を自由権と民主的分立的制度を擁護する法の支配系(L系)と社会権を擁護する人の支配系(S系)に分立すること

  P教授は続ける。

国家権力を自由権と民主的分立的制度の擁護という機能をもつ機構と社会権の保障という機能をもつ機構の二つの機構に分立することは、三権分立制を損ない、不可能である。それに対して、国家権力を「機構」ではなく、それぞれが三権を含む以下のような「系」に分立することは可能である。

と言って、スクリーンを示す。

[L系]自由権と民主的分立的制度(政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配)の擁護という機能をもち、厳格な民主的分立的制度が機能する系
[S系]社会権の保障という機能をもち、人間的な民主制と緩やかな三権分立制と法の支配が機能する系

P教授は続ける。

L系を「自由権(と民主的分立的制度)を擁護する法の支配系」と呼べ、S系を「社会権を保障する人の支配系」と呼べる。
  繰り返すが、人間を含む生物の生存や社会権の保障を保障するためには総合的な政策が立案され推進される必要がある。だが、そのような総合的な政策でさえも、S系の中だけで計画され推進されることが可能である。生存や社会権はS系の中だけで保障されることが可能である。さらに、生存や社会権はS系の中だけで保障される必要がある。例えば、社会権の保障を名目として警察や軍が行使されたとすれば、それは社会権の保障ではなく、自由権の侵害である。つまり、生存や社会権がS系の中だけで保障されることは可能でありそれは必要である。ところが、政治的経済的権力者は生存や社会権を保障することを名目として掲げ、警察、軍…などの公的武力を行使して民主的分立的制度を形骸化させ独裁と独占・寡占と全体主義へと走る。それは「社会権からの逸脱」または「(広義の)生存権からの逸脱」と呼べる。この社会権からの逸脱による戦争、大量虐殺、人為的飢饉…などは私たち人間が20XX年以前にも以降にも何度も体験したことである。もう同じ失敗を何度も繰り返すのはやめようじゃないか。
  国家権力がL系とS系に分立されているとき、S系の幹部が生存や社会権の保障を名目として掲げ暴走しようとしても、暴走するための最強の手段である公的武力はL系の中で厳格な民主的分立的制度によって抑制されており、S系の幹部は公的武力を行使して暴走することができない。だから、国家権力をL系とS系に分立することは、社会権からの逸脱を防止しする決定的方法である。

P教授はさらに他のいくつかの国家権力のL系とS系への分立のメリットを挙げるのだが、それらは後に説明することにする。P教授はさらに続ける。

…だから、国家権力をL系とS系に分立することは、社会権からの逸脱、独裁、全体主義、戦争…などを防止し、生存と自由を両立させる決定的方法である。
  この国家権力のL系とS系への分立を含む民主的分立的制度を改めて「民主的分立的制度」と呼び直せる。また、そのような制度を実現することを「権力を民主化し分立する」ことと呼べる。

とP教授は語る。独裁者の身になってみれば、そこまで国家権力を分立されたのではたまったものではないだろう。そこには独裁者が求めていたものの半分しかない。発掘者が見つけた石像の上半身がないようなものだ。権力追求者が最も欲しがるのは、一方で軍、警察…などの公的武力と、他方で財力である。公的武力はL系に属する。財力はS系に属する。L系とS系が分立しているとき、武力を手に入れたとしても財力はなく、財力を手に入れたとしても武力はない。そのような権力者の落胆の大きさこそがこの分立の効果の大きさを示す。P教授はさらに続ける。

独裁者は生存と自由の両立は不可能だと喧伝し、自由を犠牲にして生存を選択するよう一般市民に迫る。そんなものは独裁者が独裁制と全体主義を強化するための名目に過ぎない。生存と自由の両立は必要であるだけでなく可能である。国家権力をL系とS系に分立させることが生存と自由を両立させる決定的方法である。それはバランスや妥協ではなく両立である。生存か自由かの二者択一を迫られたときは、「おめえ馬鹿じゃねえの、両方に決まってるじゃねえか」と笑い流そう。「生存か自由か」ではなく「生存と自由」である…

会場は厳粛に聞き入っていた。P教授が暗殺や拷問も覚悟の上でそれらを語っていることを多くが感じ取ったのだろう。まるでP教授の葬儀のようだ。中には涙する人もいる。教授の語りを生で聞いている全世界の市民も同様だろう。
  そんなとき、(反政府)グループGの同僚Xが私の座席の脇にやってきた。Xは小声で「緊急事態。来て」と言う。私はXについて大会議室の外の廊下に出た。Xは私を窓際に連れて行った。大会議室とこの廊下は高層ビルの中ほどの階にある。窓から見ると、近くの公園に数万人の市民が集まっていた。懐中電灯が振られ、「自由」「生存と自由」…などのバナーが掲げられている。環境保護団体も来ているようで「自然の保全と人間の自由の両立」などのバナーもあった。屋外ステージも占拠されていて「P教授」などの垂れ幕も掲げられていた。P教授を屋外でも登壇させたいようだ。Xはさらに遠くを指さす。小さな森の向こうに数百人の軍の兵士が重装備して集結していた。ライフルや機関銃だけでなく携帯ミサイルをもつ兵士もいた。恐らく化学兵器ももっているだろう。既に兵士たちはガスマスクを付けている。反政府勢力を一掃する機会を狙っているのだろうか。実際は集まっているのはそんなものではなくごく普通の市民または善良な団体なのだが。
  会議場内の演者の語りが廊下にも流れる。P教授の予言通りに諸国の研究者が諸国の政策が機能していないことを実証し始めていた。今の演者は諸国の政策が資源の保全と有効利用のためにも機能していないことを一連の数値を示して実証している。
  窓の下では「政府は最低限度の生活も保障していない」「食べ物もない」「せめて子供に栄養を」「医療費値下げ」…などの日常生活に密着した訴えを掲げる市民が続々と入ってきている。「自由」はともかくとして、独裁政権が名目として掲げる「生存」が保障されていれば、このようなデモは起こらなかっただろう。一般市民も最低限度の生活の保障、経済の安定化、人口の適正化が達成どころではないことを日常生活における不快を通して感じている。資源が消耗し環境が悪化し人口が増大していることも、食費や光熱費の上昇や蒸し暑さを通して感じとっている。科学者の実証を待つまでもない。医学は進歩し遺伝子治療もあるが、高度な医療を受けられるのはごく一握りの政治的経済的権力者を含む高額所得者とその家族だけである。多くのガンと感染症は克服されたと言われるが、それらは依然、死因の上位を占めている。それは、市民は比較的安価な予防と早期発見…などの初歩的な医療に頼らざるをえないが、その初歩がおろそかにされているからである。市民にとっては生物や人類の生存より自分と家族の、明日ではなく今日の生活が問題である。諸国の独裁政権が、名目として掲げる生存はともかく、最低限度の生活を保障していれば、少なくともこのような大規模なデモは起こらなかっただろう。
  反政府グループGの同僚Zもやってきた。森の向こうでは兵士の数が増えている。既に戦車も何台か配備されている。森の手前では市民の数がさらに増えている。Zが「俺たちは市民を退避させる。I(私)とXはP教授を隠れさせてくれ。P教授には潜伏してもらったほうがいい。俺たちがP教授を潜伏させるまでなんとかP教授をかくまってくれ」と小声だが急いで言う。Zは公園に向かった。
  Xと私はP教授が居ると思われる演者の控室に向かった。だが、遅かった。講演の合間で、トイレの出入口の周りに人だかりができていた。P教授が倒れたと言う。中に入るとP教授が床に横たえられていた。あの医学会のヒロインUが心肺蘇生の陣頭指揮をとっていた。救急車が到着していおり、救急隊がかけつける。
  P教授倒れるの知らせをXがいち早くZに伝えた。Zもそれを市民に伝えざるをえない。その知らせによって市民はいっそう奮起しかねない。だが、Zらはいつものように「(革命の)ときは未だ熟せず。後、六か月だけ待ってくれ」と市民を辛抱強く説得した。そのようなZらの努力によって、市民は解散し、市民に弾圧の犠牲はなかった。
  さて、P教授が倒れた現場では、救急隊が医師と家族または知人が同伴することを依頼してきた。Uと私が応じた。

全体破壊手段

  結局、P教授は亡くなった。遺体は教授の妻子が泣きながら、恐らく、家に引き取って行った。Uと私は、UがかつてA1大学で研究していたこともあって、初対面ではない。Uは、その救急病院の個室を借りて、P教授の死因を私と検討しようとした。私は応じた。その部屋にあるのは、天井、床、壁、ドア、簡単な机、椅子、照明とシャーカステンだけで、盗聴器や監視カメラはないようだ。Uは最初は、シャーカステンで頭部の画像を示しながら、P教授の直接の死因は脳出血だと説明していた。いちよう私はシャーカステンを開いて盗聴器・盗撮器がないことを確認した。Uは探るような眼で私を見つめる。私はP教授には脳血管の動脈硬化があって血液凝固抑制剤を服用していたことを説明した。Uはさらに探るような眼で私を見て、「これは今は内密にしてもらえる?」と言う。来た!  私は単刀直入に言った。「俺は反政府グループGのリーダーなんだけど…」  Uは少し驚いていた。だが、すぐに納得した。Uも「私は政府からは隠密のGに対しては匿名の内部隠密離反者よ」と単刀直入に言う。
  公権力の中にあってそこそこの役職をもち隠密裏に反政府グループに情報提供、武器調達…などの協力をしてくれる人々を「(内部)(隠密)離反者」と呼べる。中には匿名でそれらをしてくれる人たちもいる。慎重な人たちである。
  Uは続ける。「日頃からGに協力しているのよ。これで完全な匿名でなくなっちゃったけどね」  私とUは握手した。Uは最初は、私もUと同様の離反者だと思っていたようだ。ところが、離反者どころかグループGのメンバーであり、しかもリーダーである。Uはそれを驚いていたようだ。握手する手に疑いやとまどいはない。Uは即座に言う。「こんな広範囲で乱雑な脳出血は血液凝固抑制剤の大量投与しか考えられない。私は血液検査で、P教授の血液中の血液凝固抑制剤の分解産物も調べておいた。結果は高濃度と出た。通常の内服量で出る数値よりはるかに高濃度。政府に暗殺されたのよ。多分、血液凝固抑制剤入りのスプレーで。あのトイレで。暗殺者がトイレに入って洗面台でP教授と並んで、P教授の顔にさりげなくスプレーした。標的はすぐに倒れないから暗殺者は簡単に逃走できる。その血液検査データは私が保存して公に向けては消去しておいたわ。頃合いを見計らって暴露してね」と一気に語る。私はそのデータの入った外部記憶装置を預かった。
  私はそれに満足せず、「不変遺伝子手段の開発、実用化はどうなってる?」と尋ねた。Uは「言っとくけど、私もあなたもいつでもP教授と同様に暗殺または拉致拷問される危険があるのよ」と言う。私はうなずいた。もちろん、それは分かっている。Uは一気に言う。「私たち科学者は全体破壊手段の研究と開発を迫られている。それを断れば拷問され開発方法を吐かされる。暗殺は拷問よりよっぽど楽よ。文科系の学者は執拗に苦しめられることなくいきなり暗殺されるだけ。それに対して、科学者技術者には、拷問による執拗な苦痛と全体破壊手段を開発して極悪人になるか、拷問されて苦しんで死ぬかの葛藤があるのよ」  なるほど、P教授も私も文系の学者だ。権力者にとっては、文系の学者は口を封じればよく暗殺するだけでよい。Uら、トップクラスの科学者技術者には全体破壊手段の開発のための知識と技術があり、権力者にとっては拷問によって得るものがある。
  それにしても、Uほど確固とした信念と高度な戦略をもつ科学者技術者は滅多にいないと思う。たいていは政治的経済的権力者になびいてしまうだろう。だから、一般市民は科学者技術者を無条件に信頼しないほうがよい。いずれにしても集中的に対処する必要があるのは科学者技術者の背後にいる政治的経済的権力者である。
  さて、Uと私は以下のことを確認した。十年以上前にUがA1大学に居た頃に既に以下のことは議論し確認していたのだが、再確認した。

  人間が、地球上の、人間を含む感覚をもつ動物を絶滅させることを「全体破壊」と呼べ、全体破壊を生じえない手段を非全体破壊手段と呼べ、非全体破壊手段ではない手段を全体破壊手段と呼べる。言い方を替えると、人間の開発製造使用の仕方と使用の状況次第で全体破壊を生じる可能性がわずかにでもある兵器を含む手段を全体破壊手段と呼べる。全体破壊手段は、核兵器、不変遺伝子手段、軌道を変えるような小惑星操作から成る。
  ただ一発だけで即、全体破壊を生じる手段はほとんどない。全体破壊手段は、報復の連鎖や同時多発テロのような場合に、その多数が全体破壊を生じうる手段を含む。また、その副産物が間接的に全体破壊を生じうる手段を含む。例えば、核兵器が残す残留放射能は放射線を発し発ガンや不妊や免疫不全を生じ、全体破壊を生じうる。
  全体破壊の定義が「感覚をもつ」という言葉を含んでいたのは以下の理由による。感覚がなければ記憶、情動、自我、思考…などもいわゆる意識もない。すると、植物がいくら美しく咲き誇っても、それを愛でる者は居ない。生存を求める者も、絶滅を恐れる者も悲しむ者も居ない。そのような存在を生物の生存と認める人はほとんどいないだろう。植物を至上のものと考える人々は憤慨するかもしれない。だが、感覚がなければそもそも、そのように考えるたり感じたりすることもできない。
  全体破壊の定義が「地球上の」という言葉を含んでいたのは以下の理由による。例えば、全体破壊手段の使用の直前に一部の人間が地下や海底のシェルターや宇宙の人工衛星に退避し、地上に向けて全体破壊手段を使用し、地上の人間を絶滅させてから地上に戻ることはありえる。実際に20XX年にはそうなった。私たちのほとんどはそのようなことを人間や生物の生存と認めないだろう。仮に一部の人間が太陽系の惑星や衛星や他の系の天体に退避して何万世代も生存するとしても、それらの人間は地球上の人間とは全く別の方向に進化する、または進化しない。そのようなことを人間や生物の生存と認める人はほとんどいないだろう。
  核兵器について、使用時に人間が誘発する原子核の変化を含む兵器を「核兵器」と呼べる。報復の連鎖の中で核兵器の多くが多くの地域で使用されれば、直接的かつ前述のような副産物によって間接的に絶滅を生じうる。だから、核兵器は全体破壊手段である。
  軌道を変えるような小惑星操作について、それが全体破壊手段であることは意外だったと思う。以下のように言えば理解されるだろう。人間が惑星や衛星を操作しても軌道を変えてしまうことはない。それに対して、小惑星なら軌道を変えてしまい地球に衝突または接近させ地球に致命的な打撃を与えるか地球の軌道をわずかに変えて気候を激変させるかもしれない。科学者や権力者の一部はそんな確率は百万分の一以下だと言うかもしれない。だが、たとえそうであっても、市民に不安を与える。だが、実際は百万分の一ではなく、人間の創意工夫と悪意や狂気によっては百分の一になることは確実である。それに対しては誰かが言うかもしれない。「その創意工夫は別として、そんな悪意や狂気をもつ人間は百万人に一人だ」と。それに対してはこう言える。「その百万人に一人で十分だ。仮に十億人に一人だったとしても、十分だ。誰もそんな人間はいないとは言えないだろう」と。
  不変遺伝子手段についてはもう少し詳しく説明する。遺伝子の実質は五種類の塩基とそれを繋ぐ鎖から成る。塩基の順列、つまり「塩基配列」が生物の構造と機能の多くを決定する。塩基配列は自然的な条件下でも変化することがある。それが「突然変異」の実質である。遺伝子が突然変異を起こした生物のうち環境に適応できた一握りの生物だけが生存し「進化」する。それが「自然淘汰」である。人間が遺伝子を操作するにしても、遺伝子のうち塩基配列を変えるだけなら、そのような操作は突然変異に等しく、そのような操作された遺伝子を含む生物や手段は従来の生物に等しく、自然淘汰される。それに対して、人間が遺伝子のうち塩基配列以外のものを変えた場合、そのような遺伝子まがいのものがどうなるか。突然変異を被らない可能性がある。そのような遺伝子を含む生物まがいのものがどうなるか。自然淘汰を被らない可能性がある。人間の操作によって遺伝子のうち塩基配列以外のものを変えられた突然変異を被らない可能性がある遺伝子まがいのものを「不変遺伝子」と呼べる。不変遺伝子を含む自然淘汰を被らない可能性がある生物まがいのものを「不変遺伝子手段」と呼べる。不変遺伝子を含む不変遺伝子手段がどのように振る舞うかは計り知れない。だが、その可能な振る舞いを挙げてみる。

(1)自然淘汰されない可能性があるから、無際限に増殖し、人間を含む生物を駆逐する可能性がある。地球上の有機物を消費してしまう可能性さえある。
(2)従来の病原体より軽量でありえるから、広く速やかに飛散し生物に感染する可能性がある。
(3)従来の生物が含まない物質を含みえるから、免疫系によってブロックされない可能性がある。
(4)従来の生物が含まない物質を含みえるから、従来の抗生剤や消毒薬で不活化されない可能性がある。
(5)それらの遺伝子は突然変異を起こさない可能性があるから、個体においても従来の病原体より長期に渡って毒性を発揮するまたは潜伏する可能性がある。だから、従来の病原体が破壊しなかったもの、例えば、神経系の免疫細胞や赤血球の元である造血幹細胞を破壊する可能性さえある。

それらは不変遺伝子手段の可能な振る舞いの一握りに過ぎないだろう。だが、(1)-(5)だけでも、不変遺伝子手段は全体破壊を生じる可能性があり、全体破壊手段である。
  十分な注意が払われなければならないのは以下のことである。全体破壊手段が使用されたほとんどの場合、地上の人間はすぐに死滅するわけではなく、数年から数十年苦しんで死ぬ。皆がすぐに楽に死ねるなどというものでは全くない。例えば、核兵器から直接的に出る放射線または核兵器が残す放射能から間接的に出る放射線は遺伝子を重点的に破壊する。女性も男性も子供を作れない体になる。障害された器官と組織はほとんど回復しない。数年後から十数年後には一個体においてもガンが多発する。手術、放射線治療、化学療法、遺伝子治療は間に合わない。人々は、子供を作れないことへの絶望、回復しない器官や組織の痛み、発ガンへの不安で苦しむ。ガンが多発して進行した後は強烈なガン性疼痛で苦しんで死ぬ。鎮痛剤の製造供給は間に合わない。また、不変遺伝子手段のいくつかは伝統的な免疫不全ウイルスよりも激しく広く免疫系を破壊する。かつては軽度で短期間で済んでいた風邪などの感染症が同時に多発し重度になり長く持続する。抗生剤、抗ウイルス薬の製造供給は間に合わない。やがて死ぬまでにはそれらが生じる多様で執拗で長期間の苦痛がある。
  だから、生存を確保するためだけでなく、人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛を減退させるという欲求と目的を満たし実現するためにも、人間はまず全体破壊手段を全廃し予防する必要がある。
  話は少し逸れる。例えば、環境の破壊と資源の消耗を抑制するためには、企業の活動だけでなく一般の市民の日常的な欲求と目的が部分的にせよ制限されざるをえない。それに対して、全体破壊手段の全廃予防は、一般市民の欲求、生活、自由を含めて何ものも制限しない。全体破壊手段が全廃されたところで、今まで地下や海底や宇宙に隠されてたものが消滅するだけで、市民はその消滅に気づくことさえない。むしろ、軍事費の減少と税金の軽減によって日常生活が楽になるだけである。
  人間以外の生物の種は、繁栄すれば、その繁栄によって自らの環境を破壊する。その破壊によってその種は衰退または絶滅する。その衰退によって自らの環境は復活しその種も復活する。その絶滅によって他の種は復活する。それらを「繁栄と衰退のサイクル」と呼べる。私たち人間はそのサイクルを逸脱している。何故なら、全体破壊手段が地球の全体で生物を短時間で破壊し、上のような復活の余地を残さないからである。だから、全体破壊手段を繁栄と衰退のサイクルを逸脱した手段とも定義できる。
  そのように人間は地球や太陽の激変と自然な終焉以前に人間を含む生物を絶滅させる可能性をもつ。人間を含む生物が自然な終焉のときまで生存するためには、人間が全体破壊手段、つまり、核兵器と不変遺伝子手段と軌道を変えるような小惑星操作を全廃し予防する必要がある。異星人の襲来が地球上の人間を含む生物を滅亡させるなどというのはSFに過ぎない。人間は異星人の来襲や地球や太陽の激変に対処する必要はなく、自身と自身の手段を処理していればよい。簡単に言って、人間は自身にかまっていればよい。
  また、20XX年以前は、人間を含む生物の生存を表すのに通常、"survival"という言葉が使われていた。その言葉は人間以外の生物の生存を指すには適切かもしれない。だが、人間を含む生物の生存が問題になる限りにおいて、人間は生存のために人間以外のものとほとんど戦っていないのだから、"survival"という言葉は不適切である。

  ここまで確認した後、Uは自分の苦境に立ち返る。「M将軍は私に集中的に、全体破壊手段の開発を迫っている。それも不変遺伝子手段を。私が拒絶し拷問されても吐かず、苦しんで死ぬとしても、他の科学者がやってしまうでしょう」と。だが、Uはそんな月並みな現実論にはとどまらなかった。Uははっきりと言う。「だから、私はむしろ全体破壊手段の開発を主導して、全体破壊に決して繋がらない偽物の全体破壊手段を作ることに専念している。私にできることはそれだけ」と一気に語る。私は感銘した。さすがはUである。大胆かつ繊細な戦略だ。だが、あわれでもある。少し前まではUはガンと感染症の完全克服と医療の低額化に専念していた。その医学界のヒロインが偽物を作らなければならないとは哀れだ。Uは続ける「私は不変遺伝子手段以外の全体破壊手段の情報も蓄積しているけど…A国の政府や軍が使用しそうなのは私の開発した偽物だけよ」と。私はUを見つめて「それは確かか。それは非常に重要なことだ」と尋ねた。Uはしっかりとうなずく。彼らが使用しそうな全体破壊手段はUが作った偽物だけだ。これは非常に重要なことだ。また、Uがこんな戦略を実行している内部隠密離反者であること、Uが開発した全体破壊手段が偽物であることを極秘にすることは非常に重要なことだ。
  私はUともっと話したかった。だが、P教授の弔いについてX、Zと協議することがある。私はUと次回の会合の予定を決め、X、Zが待ってくれているA1大学の自分の研究室に向かった。今夜の今まではP教授の死因追究とUという強力な内部隠密離反者を確保することに必死だった。タクシーの中でようやくP教授を失ったことが実感できた。自由権と民主的分立的制度の確立ための牽引車を失ったということもあったが、私にとっては最大の友を失った。そのほうが大きかった。窓の外は大雨だ。風も強い。あの公園から撤退する軍の車両と次々と反対方向にすれ違う。運転席の窓に泥のしぶきがかかる。ワイパーがきしむ。はかない。虚しい。今は耐えなければならない。

潜伏と隠密離反

  あの会議では講演者らが、諸国の政策が人間や生物の生存や社会権の保障のためにも機能していないことをますます広範囲に渡って実証していた。そこでA国政府は一日目も終わらないうちに中止した。名目は会議の参加者と近隣の安全のためというものだった。P教授の死因は動脈硬化による脳血管障害で片付けられた。
  私が研究室に帰ると、XとZが待ってくれていた。私たちはA国の反政府グループGの同僚である。まず、P教授のグループGとしての葬儀は、現在の独裁政権を倒してから行うことになった。
  さて、Xは三十を過ぎたばかりの女性である。彼女の情報科学技術は超一流。そもそも、現在の世界の暗号化法の基本は彼女が二十代後半に開発したものだった。だから、彼女が世界の政府、軍、大企業の情報科学技術の産物に侵入して操作することはそんなに難しいことではなかった。彼女のものをいくつかの大企業と政府が盗んで少しばかり改変して現在のものを作った。彼らは彼女が作ったものをこっそりと盗んだのだから、彼女は無名のままで、ふさわしい名声を得なかった。彼女にとっては不幸なことだったのだろうが、それは彼女を含めて、グループGを含む世界の反政府グループの安全を保障した。彼女は本当は情報科学技術の平和利用に取り組みたかった。だが、今は革命家として生きて自分で平和な世界を作るしかない。彼女の若さからすれば、革命後に彼女本来の夢を実現することは十分に可能だろう。
  まず、彼女は諸国の政府や軍や大企業の情報科学技術の産物に潜入してそれらによる全体破壊手段の開発、保持、政治的権力者と経済的権力者の癒着と汚職、情報科学技術の乱用…などの証拠を多数、つかんでいた。そして、さらに新しい暗号化法を開発し、政府のどんな侵入や操作にも侵されないネットワークを構築し、それらの証拠を暴露していた。また、日頃から私が発掘しP教授がまとめた文献を公開していた。さらに驚いたことに、あの少女とその父親の手記を含む私が最近、持ち帰ったばかりの文献も既に公開していた。
  ところで、20XX年以降も情報科学技術は進歩し、現在の「ポケット・コンピューター」の性能は20XX年以前の「パーソナル・コンピューター(PC)」ではなく「コンピューター」と同程度だった。世界の反政府グループと内部隠密離反者が連絡をとりあうポケット・コンピューターは彼女が構築したネットワークとソフトウエアを使用しており安全確実なものだった。仮にポケット・コンピューターが盗まれても、安全確実な生体認証によってしか起動または作動しないようになっていた。部外者が内外の記憶装置を取り出そうとすれば、すべてのデータとプログラムが消滅するようになっていた。
  また、彼女は政府の監視システムにも侵入し最新データを入手し、反政府グループのメンバーを政府に顔が割れている者と顔が割れていない者に振り分けていた。政府に顔が割れている者には自身とグループの安全のため潜伏所に隠れた。XとZと私はまだ、政府に顔が割れていない。
  潜伏と革命準備と実行に要する資金について、Xらが大物政治家たちの銀行口座に侵入して大企業から振り込まれる明らかに不正なカネをちょっとばかり頂いていた。不正なカネなのだから、政治家たちも追及しなかった。それも政治家たちが不正を行っている証拠になるだろう。
  世界の反政府グループもXの先導でそれぞれの国で同様のことをやっていた。Xが開発した新らしいプログラミング言語と暗号化法が政府や軍に解読されない限り、侵入はない。だが、いつかは解読されるだろう。Xは既に、さらに新しいプログラミング言語と暗号化法を開発している。だが、現行のものが解読される前に革命を完結させてしまうことが理想である。
  Zは四十を過ぎたばかりの男性。世界の反政府グループを渡り歩いてきた。反政府グループの防衛戦略を磨き上げ実行してきた。その戦略の核心は潜伏だった。今はその戦略で主としてグループGを主導するとともに、世界の反政府グループにその詳細を提示している。軍内部の内部隠密離反者からライフル、機関銃、携帯ミサイル、ドローン(無人飛行機)、無人潜水艦…などを入手していた。潜伏所でメンバーの訓練とそれらの兵器を用いて演習を行っていた。戦車の部品も取り揃えていて、革命の本番では組み立ててて出すらしい。
  他方、Zは世界各地の失敗した革命で多大な流血を目撃した体験から、一般市民の犠牲を最小限に抑える方法を模索していた。今日、一万人を超える市民があの公園から退避し誰も犠牲にならなかったのは、Zが「(革命の)ときは未だ熟せず。六か月だけ待ってくれ」と市民にお願いしたからである。そのようなZの市民に対する姿勢は私も他のメンバーも見習った。他方、Zをリーダーとして私たちは期が熟したと見れば一気に片を付ける方法を模索していた。
  政府や軍に顔が割れているメンバーは潜伏所に完全に潜伏していた。政府にまだ顔が割れていない私とXを含む者は潜伏せず、潜伏所の所在地も知らないようにしている。政府や軍に捕まり拷問されたときに潜伏所の所在地を吐いてしまう恐れがあるからである。他方、Zを含めて地下の潜伏所と地上の連絡を行う者は自主的に、捕まりそうなときのために腕時計のように手首に自殺装置を装着している。その中には毒針が隠されていて、生体認証されるワンタッチで毒薬が体内に注入されるようになっている。彼らのそれぞれは自主的にそのような装置を装着している。Zは笑って「拷問で苦しんで死ぬのがいやなだけさ」と言ったことがある。だが、彼らがそんなものを着けていることは見るだけでも耐えられなかった。一日でも早くそんなものを外せる日が来て欲しい。
  あのUのように内部にあってグループGに隠密に情報、武器…などを提供してくれる人々を私たちは「(内部)(隠密)離反者」として重宝していた。彼らの裏切り行為は当然、政府と軍の上層部からは隠密でなければならない。内部隠密離反者の中には、今日の夕方までのUのように、反政府グループに対しても匿名にする人々もいる。彼らも貴重であり、私たちはその匿名性を尊重していた。匿名であれなんであれ、そのような内部隠密離反者を質、量ともに増やしていくことが私の現在の主な仕事だった。今夜のUは最高の内部隠密離反者だった。そして、内部隠密離反者が質、量ともに十分になったときが革命の期が熟したときである。私たちが立ち上がったときには離反者たちが私たちを政府と軍の主要施設に誘導してくれることになっている。また、全体破壊手段の不活化と全廃にも協力してくれることになっている。それらの傾向も世界的なものである。
  ところで、政府または軍の工作員が離反者を装って、反政府勢力らしきものに接触してくることはありえる。だから、私たちは離反者らしきものとの接触に最大限に注意していた。特にその人物の離反する動機の性質と強さをよく調べていた。あのUにしても政府と軍から何かぶっそうなものの研究と開発を強要されていることを、私はXらとともにつかんでいた。だから、あのUとの話し合いが即座に結果を出したのである。ともかく、あのUは最高の内部隠密離反者である。
  Xはいつものように、政府の監視カメラのサーバーに潜入し、あのP教授暗殺の洗面所の映像も入手していた。あのUが予想した通り、洗面台で手を洗うP教授の脇に講演の聴衆を装う若い男がさりげなく寄ってきた。現代の暗殺者は先進の機器を使うので、体力や体格を必要とせず、誰も怪しまない。男はP教授の顔に香水のように見えるものをいたずらっぽく笑いながらスプレーしていた。P教授は少し驚いてその男を見た。それが余計に悪かった。そのスプレーをもろに顔面に受けていた。だが、P教授はすぐに笑い返した。P教授は多分、近頃の若い人によくある遊びだと思ったのだろう。P教授は何かを言っていた。多分、「いい香りの香水だな」とか言ったのだろう。P教授はそのスプレーを味わうかのようにいっぱい吸い込んでいた。P教授の一般市民に対する寛大さ、特に若い人々に対するそれが裏目に出た。P教授はすぐに倒れない。男はさりげなく去っていった。P教授は個室から出て来て、もう一度、手を洗うときに倒れていた。まさしくUの予想通りだった。このXが収集した証拠を公表するだけでP教授が暗殺されたことを証明するには十分だろう。Uが収集したあの証拠の公表は革命後にしたほうがいいだろう。Uは非常に貴重な内部隠密離反者だ。Uの証拠を公表すると、Uが危ないし、あの疑似の全体破壊手段の計画も台無しになる。このトイレの映像の公開にしても、P教授の家族葬が終わってからにしよう。今、公開すれば、遺族の悲しみを倍増させることになる。それらをXとZと私は決定した。それらに関する限りで後に公開される。他についてはいつも即、公開していた。

政治的経済的権力者による情報科学技術の乱用

  あのTが言ったとおり、環境の保全、資源の保全と有効利用、適正な世界人口の維持、経済の安定化、市民の最低限度の生活の保障、つまり人間を含む生物の生存の保障または社会権の保障のためには総合的な政策の立案と推進が必要であることは確かである。そのためには(1)人間の専門家と(2)人工知能等の情報科学技術の産物が協調する必要がある。そのような状況の中では、政治的経済的権力者が(1)だけでなく(2)を操作して乱用し、自分たちの利権をそれらの政策に加味させ、しかも、それらの政策は公正無私な(2)によるものだから公正であると主張する可能性がある。実際、20XX年の数十年前からそうなっていた。それらの政策の立案と推進は、最も卓越した(1)が最善を尽くそうが、最も洗練された(2)が最善を尽くそうが、(1)(2)の両者が協力して最善を尽くそうが、非常に困難なことである。誰かの利権が混入した政策がうまく機能するわけがない。
  だが、一般市民の情動は加味される必要がある。何故なら、見方を変えれば、社会権の保障の大部分は一般市民の情動を満たすことだからである。ここで(2)が一般市民の情動をかつ直接または公正または中立的に評価できるという錯覚が生じては面倒なことになる。(2)がどんなに進歩しても、それらが人間を含む動物がもつような快不快の感覚と欲動からなる身体的情動、人間がもつような感情、欲求、複合的情動からなる精神的情動を創出したり保持したりすることは決してない。また、情動を直接的に評価したり加味することできず、間接的に加味することができるだけである。
  この間接性についてここでもう少し詳しく説明する。一つの神経機能を生じえる神経細胞の集合を「神経細胞群」と呼べる。神経細胞群の中の神経細胞の軸索の束がいわゆる「神経」である。神経細胞群の中の神経細胞のそれぞれは空間的相対的位置を属性としてもち、神経細胞群は神経細胞の配列を属性としてもつ。その配列が崩れるとその神経機能も崩れるとき、その配列を「有意義選択性」と呼べる。随意運動と自律機能と本能的機能と身体的情動を生じる神経細胞群は有意義選択性をもつ必要がない。例えば、末梢神経系の運動神経は有意義選択性をもつ必要がなく、傷害された運動神経をなんらかの電子的な装置とコードに取り換えて、横紋筋の収縮を調整することは不可能ではない。それに対して、感覚、記憶、精神的情動、思考、自我の内容を生じる神経細胞群は有意義選択性をもつ必要があり、実際にもつ。例えば、人の目の白目の部分を感覚し記銘する神経細胞群の部分は高密度で興奮、伝達し活性化され、瞳や輪郭を感覚し記銘する部分は低密度で興奮、伝達し活性化される。そうでないと、私たちは人の目を感覚したり、思い出したり、それに感情をもったりすることはできない。それらの内容を直接的に評価するためには、それらの神経細胞群に属する何万の神経細胞のそれぞれが興奮伝達するか停止するかを調べる必要があるが、それは非常に困難なことである。例えば、人が幸せか不幸せかは、血圧、脈拍、発汗…などを測定することによってある程度で判定できる。それに対して、何に対して幸せまたは不幸せを感じているのかを直接的に読み取ることは困難なことである。そのように感覚、記憶、精神的情動、思考、自我の内容を直接的に評価するのは非常に困難なことである。数千万人の投票者の神経系に対してそれを行うことは可能かもしれない。だが、一つの国家には百万人以上の投票者がいる。それらのすべてに対してそれを行うことは不可能である。そのように市民のそれらの内容を読み取るには、伝統的なインタビュー、投票、アンケート、心理テスト、標本抽出を含む統計学的処理…などの間接的な方法に頼らざるをえない。
  そのような間接性を通じて政治的経済的権力者が政策に利権を混入する余地がいくらでも残る。権力者は市民の意志を捏造し、政策を自分たちの利権に繋がるように偏向させる。しかも、それらの政策は、公正無私な(2)が立てたものなのだから、市民の意志を反映し公正であると主張する。ただでさえ困難な生存や社会権の保障が権力者の利権が混入してうまくいくわけがないのである。
  また、選挙やレフェレンダムの結果の実施と集計はますます情報科学技術の産物に依存している。権力者はそれらを操作し乱用し、自分たちの利権に繋がるようそれらの結果を捏造する。さらに悪いことには、彼らは捏造した結果を、公正無私な(2)によるのだから、公正であると主張する。それが民主主義を形骸化させる一因である。
  科学技術に関する問題はいろいろあるが、最も重大なのは全体破壊手段の開発である。それを除くと、重大な問題は生物学的技術と情報科学技術に集中するように見える。だが、生物学的技術に係る問題で最も重大なのは、全体破壊手段の一種である不変遺伝子手段の開発である。それらを除くと、重大な問題は情報科学技術に集中するように見える。だが、重大なのは情報科学技術そのものではなく、上で説明したように、権力者による情報科学技術の産物(2)の乱用である。かつては(2)が人間を支配するという危惧があった。だが、権力者は(2)さえ支配する。端的に言って、権力者は(2)より恐ろしい。それはいつでもどこでも何についても言えることである。
    Xら世界の反政府グループの情報技術者はそれらの乱用も暴き既に公開していた。今後はそのような乱用を防ぐ情報科学技術も開発されなければならない。Xらはそれにも取り組んでいる。
  新聞社、出版社、民間の放送局は政府の意図的な紙と電波への規制によってほとんどが倒産していた。または倒産寸前だった。紙への規制は環境と資源の保全という名目でなされた。電波への規制は国家の安全保障という名目でなされた。すると、自由な言論の場はオンラインでしか残されていない。だが、政府や軍は大衆しか入って来ないようなサイトに大衆を偽装して侵入し世論を操作していた。そのような操作もXらは暴露していた。また、検索ロボットを運用する企業を含めて経済的権力の世界的な独占・寡占が進み、異業種の間では馴れ合いが進んでいた。オンラインでの検索では実質的に大企業の宣伝広告が帰って来るだけだった。検索結果が宣伝広告であることさえ曖昧にされていた。Xらはそのような検索ロボットにも侵入して、宣伝広告を削除して、自由な言論や表現が高い順位で帰って来るようにしていった。それは骨の折れる作業だろう。グループGは潜伏所に数百人の情報技術者を擁していた。社会の中で機能できず引きこもっている人間たちが引きこもる場所を変えただけと思われるかもしれない。そんなことはない。彼らはかつては、地下やオンラインでではなく、地上でのバリバリの活動家だった。だからこそ政府や軍に顔が割れてしまった。だから、今は潜伏所に潜んでいるしかない。彼らも今は苛酷な現実に耐えている。
  特許と営業許可について、科学技術と産業と医療福祉の発達のためには特許制度は必要なのかもしれない。また、市民の健康のためには医療福祉、食品製造…等の営業を許可制にすることは必要なのかもしれない。だが、政府は大企業と癒着し、それらに優先的に特許と営業許可を与えていた。それも企業の独占・寡占が進んだ一因である。

世界の権力者と世界の市民の間の横割りの構造・動態

  それらの政治的経済的権力の動きは、A国に限らず世界的趨勢であり、国際社会の上層部で繰り広げられていた。それらに対する対抗はA国のグループGに限らず世界的趨勢であり、国際社会の下層部で繰り広げられてた。さらに、世界の反政府グループが連携していた。また、それらが内部隠密離反者と文字通り隠密に連携していた。また、それらがほとんどの世界市民と少なくともオンラインで連携していた。そこには、世界のそれぞれの国家において政治的経済的権力者が市民を支配し、世界はせいぜい国家が構成する「国際」社会であるという「縦割りの構造・動態」に対して、世界の反政府グループと内部隠密離反者と市民が連携して権力者に対抗するという「(世界の権力者と世界の市民との間の)横割りの構造・動態」がある。私たちにとって国家主義は20XX年以前の遺物でしかなかった。だから、私たちは「国民」という言葉ではなく「市民」という言葉を使うようになったのだと思う。市民の間でも国家主義は衰退していた。私たちは政府と軍を排除している私たちのネットワーク上で以下のようなアンケートをとった。(1)独裁的な自国の政府に支配される。(2)民主的な他国に侵略され占領される。どちらを選ぶかの二者択一である。ほとんどの市民が(2)を選択した。だが、不幸なことに世界のどこにもそのような民主的な国家はなかった。一見したところ民主的に見える国家においても民主的分立的制度は形骸化していた。
  いずれにしても諸国の反政府グループと市民は横割りの構造・動態の下層部で連携していた。それに対して、その上層部で諸国の権力者が連携しては厄介である。そこで、下層部は連携していることも隠密にしていた。

国家主義・愛国心を減退させること

  それらのことを確認し、解散しようかという頃になって、私の心の中でP教授という友を失ってできた間隙が疼き始めた。XもZも同様のようだ。AT街のいつもの店AQに行って飲んだくれるしかない、ということになった。雨は上がっていた。数時間前の出来事の余波か人通りはほとんどない。AQに歩きながら以下のことを確認した。
  前述の世界の権力者と世界の市民という横割りの構造・動態と後述する選択的破壊手段-SMAD-権力疎外-権力相互暴露が可能になるためには国家主義と愛国心がある程度、減退している必要がある。まず、不要な議論を来さないために愛国心、国家主義を明確に定義する必要がある。愛国心は、独裁的か民主的かに係わらず、国家権力とその保持者を含む国家全体に対する愛着であると定義できる。国家主義は、独裁的か民主的かに係わらず、国家の全体を不可欠のものとし、場合によっては至上のものとする思想であると定義できる。国家主義(Nationalism)という言葉は民族を不可欠または至上のものとする思想を意味することもあるが、これらの著作では前者を意味することにする。
  20XX年前の数十年間から、いわゆる「地球温暖化」や「気候変動」が顕著になり、世界の市民は食糧・水の不足、蒸し暑さ…などに苦しんでいた。それらの主原因であるガスは国境など顧みず、地球全体に拡散することは明らかである。まず、グローバルな環境の保全ために国家主義や愛国心が機能しないことは明らかである。20XX年前の数年間においてでさえも、グローバルな環境を顧みない政治家たちを市民は支持しなかった。
  いつでもどこでも、政治的経済的権力者は市民を煽り利用して自分たちの権力を拡張しようとする。権力者にとっては市民を煽り利用する手段は、国益、国家主義、愛国心、民族主義、レイシズム、宗教、特定の民族、人種、宗教に対する憎悪…など何でもよい。そのように権力者にとっては国家主義、愛国心は手段に過ぎない。一般市民はそのようなものに耳を傾ける必要はない。
  国家や国家権力は必要ないといっているのでは全くない。国家権力を民主化し分立する必要があり、国家主義・愛国心は必須ではなく害悪になることがあるといっているだけである。国家権力を含めて、組織や機能や権力は必要な部分を見究め活かし改善し悪化を防止する必要があるものである。それらは情動でとらえて盲目的に愛するべきものではなく、知覚、連想、思考でとらえて建て替える必要があるものである。国家の全体を愛したり至上のものとしてしまうと、国家権力の必要な部分もそれらが悪化していることさえもなかなか見えてこない。他方、自由権と民主的分立的制度を破壊して、独裁に暴走する機会を探っている国家権力の保持者にとっては、国家権力の不必要な部分または悪化している部分が市民に見られては都合が悪い。だから、彼らは愛国心・国家主義を煽って、それらの部分を国家の美化された全体で覆い隠そうとする。まず、そのような全体のイメージから解体していく必要がある。その解体はそんなに困難なことではない。そもそも、国家と同一視されがちな国家権力は国家の一構成要素に過ぎず、その国家権力にしても既に三権に分立されており、L系とS系へと分立される必要がある。
  そのように、国家と国家権力のいくつかの部分は必要である。だが、その必要性にしても、少なくとも環境、資源、経済がグローバル化する時代において、国家と国家権力の必要性が地球、世界、国際社会、国際機構、世界機構…などの必要性に勝る理由はどこにもない。また、地域や民族の文化的教育が重視されるべきなら、国家の教育が地方自治体の教育に勝る理由はどこにもない。
  市民のほとんどは国家の全体を愛しているのではない。また、国家の部分のうち、市民のほとんどは国家権力やその保持者を愛していない。それに対して、身近な自然や文化や人々を愛している。例えば、生まれ育った土地の食べ物や衣装や芸術に対する愛着はいつまでも色褪せない。そのように多くの市民が愛着を抱いているのは国家の全体ではなく部分または国境を超える部分にである。そのような愛着は「郷土愛」などの言葉で呼んで、国家主義・愛国心と混同しないほうがよい。
  過去に国家主義・愛国心が反帝国主義、反植民地主義、自由主義、民主主義…などを幾分か助長することはあった。歴史の中で国家主義・愛国心の有用さはそれだけである。しかも、それらはそれらを大いにではなく少しばかり助長しただけである。それ以外では不要または弊害である。例えば、国家主義・愛国心が帝国主義、独裁制、全体主義を助長することは多々あった。
  国家主義・愛国心は、わずかにせよ、国内の問題を解決する助けになるかもしれない。だが、国際的な問題を解決することができない。それどころか、国家間の争い、つまり、国際紛争、戦争を煽る。近代国家の形成以来、それらの多くが国家主義・愛国心によって煽られていた。
  独裁的な国家権力が民主化され分立されたとき、市民が一時的に国家や国家権力や国家権力の保持者に愛着を感じることはありえる。だが、しばらくすると、市民は重要なのは民主的分立的制度という政治制度であることを知るようになる。簡略化のため、国家権力が民主的分立的なまたは独裁的な国家を、民主的分立的なまたは独裁的な国家と呼ぶことにする。国防について、市民は独裁的な国家を守ろうとはしない。市民が真に自主的に国家を守ろうとするとすれば、民主的分立的な自国が独裁的な他国から侵略されようとしているときだけである。独裁的な国家においては、民主的分立的な他国に現行の国家権力を解体してもらい、自力でまたは共に、再構築し民主化し分立することを望む。
  ほとんどの世界の市民は、極端な国家主義・愛国心を抱いているように見えても、独裁的な政権に強制されているために抱いている振りをしているだけである。その強制がなくなれば、その振りさえもなくなる。そのことは第二次世界大戦中または後のドイツとイタリアと日本の市民を含む多くの世界市民が証明している。
  国益の追求はある程度必要であり、必ずしも害悪ではない。だが、見かけだけの国益の追求は、世界にとってだけでなくその国家にとっても害悪であり、真の国益をもたらさない。例えば、後進国においては、関税による自国の産業の保護は必要なことがある。それに対して、先進国におけるそれは、超大国におけるそれさえも、自国の産業の世界経済における競争力を損ない、経済の衰退を来す。国益において問題なのはその益が真にその国家の益になっているかである。それを市民は見通す必要がある。
  だが、それらのことを長々と並べ立てる必要はなかったのかもしれない。市民にとって、重要なのは国家や国家権力や国際社会ではなく、自己と身近な家族、友人である。あの少女とその父親のように極限の状況に立たされた人々にとって重要なのは、あの究極の欲求と目的である。国家主義や愛国心などという思想や情動は中途半端である。いずれにしても、国家主義・愛国心を根絶しなければならないというのではない。それらを抱き語るのも思想・言論の自由である。以上のことが認識されるとき、国家主義や愛国心は以下のことが可能になるのに十分なほどに減退するだろうということである。

世界の権力者と世界の市民の間の横割りの構造・動態と選択的破壊手段-SMAD-権力疎外-権力相互暴露

  二十世紀の「冷戦」なるものの歴史的重要性は、今日では、資本主義と共産主義の対立よりも、全体破壊手段の一種である核兵器の開発、製造、保持、軍官学産複合体の拡大と以下のMADという観念の普及にある。その冷戦のときに「相互確証破壊(Mutual Assured Destruction (MAD))」「抑止論」…などの言葉が良くも悪くも流行った。それらの要点は、複数の超大国が当時は唯一の全体破壊手段だった核兵器をもって他を確実に破壊できれば、超大国は先制攻撃を控え、世界大戦は避けられるというものである。そのような観念を「相互確証抑止(Mutual Assured Deterrence (MAD))」という言葉で一括することにする。MADによって冷戦が熱戦や世界大戦にならなかったということは部分的に事実である。
  冷戦とそれ以降の軍事的戦略の核心は、相手の攻撃力と防衛力を完全に破壊することではない。それらを完全に破壊すれば、攻撃に対する相手の報復の可能性を絶てるが、それは不可能なことである。どんなに相手を破壊しようとしてもなんらかの報復手段が海底または地底または、何より宇宙に残りうるからである。また、相手の攻撃力を完全にブロックするような防衛システムを構築することも不可能なことである。冷戦以降の軍事的戦略の核心はすべて、相手を「抑止」する、簡単にいって脅かすことでしかない。問題は何を抑止する必要があるかである。
  冷戦の頃のものをはるかに超えて、科学技術、特に情報科学技術は進歩しており、兵器は相手の政府と軍の要人と主要施設だけを正確かつ選択的に破壊できるようになっている。全体破壊手段、大量破壊手段を含む無差別的破壊手段に対して、相手の政府と軍の要人と主要施設だけを正確かつ選択的に破壊できる手段を「選択的破壊手段」と呼べる。選択的破壊手段は、古い爆弾を搭載する新しいミサイルや無人機や宇宙の人工衛星や宇宙船や地上のハエやカのような微小な無人機を含む。それらは偵察手段にも攻撃手段にも防衛手段にもなる。例えば、多数の微小な無人機に相手の大統領や首相や司令官を認識させそれだけを暗殺させることさえ可能である。電源としては太陽光等による自家発電がある。電磁波を攪乱され、司令部との通信が遮断されたとしても、すべての状況と可能性を見通してのプログラミングがある。選択的破壊手段でそれぞれの国家の政府と軍は相手の政府と軍の要人と主要施設だけをますます正確かつ選択的に破壊できるようになっている。
  軍の指揮権をもつ者を含む政府と軍の要人が最も大切にし必死になって守るのは当然、自身の命である。それらが次に大切にし守るのは自身が獲得した権力であり、それらは兵器や軍事施設だけでなく行政権、立法権、軍、警察の主要な建物…など権力の象徴を含む。彼らにとっては市民の命よりそれらのほうが大切である。だからこそ、軍の指揮権をもつ者を含む政府と軍の要人と主要施設を抑止または標的にする効果は絶大である。それに対して、軍の指揮権をもたない一般市民を抑止しても何の効果もない。侵略、先制攻撃、戦争…などを抑止するために抑止するまたは標的にする必要があるのは、一般市民ではなく軍の指揮権をもつ者を含む相手の政府と軍の要人と主要施設だけである。選択的破壊手段だけを用いて市民を巻き込むことなく、いくつかの国家の政府と軍が互いを抑止することを、「選択的相互確証抑止(Selective Mutual Assured Deterrence (SMAD)」と呼べ、抑止段階を過ぎると選択的相互確証「破壊」(Selective Mutual Assured Destruction (SMAD))と呼べる。前者が後者になっても政府と軍の要人が犠牲になるだけである。侵略、先制攻撃、戦争…などを抑止するためにはSMADだけで十分である。選択破壊手段は小国でさえ保持することができる。選択的破壊手段で、小国さえ超大国を抑止できる。もちろん、超大国は他の超大国を抑止できる。国家は同盟さえも抑止できる。もちろん、同盟は他の同盟を抑止できる。世界の市民だけでなく政府と軍もSMADは効率的な戦略と認めざるをえないだろう。今後は世界の政府と軍の上層部は無差別的手段ではなく選択的破壊手段の開発と製造に集中する必要がある。また、政府と軍の政策と戦略に影響を及ぼす立場にある人々は、例えば「全体破壊手段を開発・使用しなくても選択的破壊手段で敵対国の軍と政府の最上層部と主要施設を破壊して目的は達成できる。全体破壊手段を使用すると欲しがっている資源が汚染されてしまう」と政策と戦略を誘導する必要がある。
  そもそも、国際法と諸国家の憲法と法律が、世界の公私権力の内外の人間による全体破壊手段を含む無差別的破壊手段の研究・開発・製造・保持・使用を禁止する必要がある。だが、なかなか禁止されなかった。それは過去には選択的破壊手段を開発する科学技術がなかったからである。無差別的破壊手段はそのような科学技術のなかった時代の遺物に過ぎない。そのような科学技術がある現在と未来においては、全体破壊手段を含む無差別的破壊手段は国際法と諸国家の憲法と法律で禁止され全廃されるだろう。実際に、全体破壊手段が25YY+1年に、すべての無差別的破壊手段が25YY+5年に禁止され全廃された。
  無差別的破壊手段が全廃され予防され、残る破壊手段が選択的破壊手段だけになるとき、最悪のケースとして戦争が生じた場合でも、つまり、SMAD(選択的相互確証抑止)がSMAD(選択的相互確証破壊)になった場合でも、一般市民に犠牲が及ぶことなく、権力者同志が互いを破壊し合うことによって戦争が終わる。だが、それは最悪の場合である。選択的破壊手段とSMADの選択性を高め、戦争を予防し、全体破壊手段を含む無差別的破壊手段を全廃し予防するためには、世界の一般市民が以下のように振る舞う必要がある。
  繰り返すが、「国際」社会における国家の間の縦割りの構造・動態に対して、「(世界の市民と世界の権力者の間の)横割りの構造・動態」も存在し機能しうる。歴史上、専制を倒し革命を起こすために、あるいは、帝国主義的大国から独立するために、いくつかの国家の反政府勢力が連携することがあった。それらも横割りの構造・動態の例である。以下もその一例である。
  まず、世界の政府と軍の主要施設近隣に一般市民が居住しない運動を展開する必要がある。これを「権力疎外」と呼べる。地球規模の権力疎外があれば、前述の選択的破壊手段とSMADの選択性がさらに高まり、全体破壊手段を含む無差別的破壊手段を使用する必要性と可能性が小さくなる。権力疎外は、全体破壊手段が使用された場合に備えるのではない。全体破壊手段が使用されれば、一般市民は地球上のどこにいても無駄である。何十億もの市民を収容できるシェルターを建設することは不可能だからである。権力疎外は、選択的破壊手段とSMADの選択性を高め、全体破壊手段を含む無差別的破壊手段の開発、保持と全面戦争の必要性と可能性を減じる手段である。仮に全体破壊手段が全廃された後も、また、予防されている状態でも、大量破壊手段の使用と全面戦争を防ぐために権力疎外は維持される必要がある。
  また、横割りの構造の下層部が権力疎外を行うだけでなく、その横割りの境界を超えて以下が必要である。少なくともそれぞれの国家の大統領等の軍の最高司令官の所在はその国家の市民や公私権力だけでなく世界中のそれらに公開される必要がある。その最高司令官が所在を隠蔽したり捏造したり、市民より先にシェルターに退避したり、市民の真っただ中に隠れり退避した場合は、彼らはその地位を放棄したと見なされ、代替が選任される必要がある。それらが憲法などの基本的法と法律で規定され実施される必要がある。
  また、政府や軍の主要施設が移転する場合はその周辺住民が移転する費用は少なくとも一部補償される必要がある。
  また、選択破壊手段とSMADをより選択的にするためには、世界のそれぞれの国家の市民、反政府勢力、内部隠密離反者が自国の政府と軍に係る情報を積極的に他国に互いに漏らす必要がある。それは「権力相互暴露」と呼べる。そうすればより正確かつ選択的に世界の政府と軍の主要施設だけが破壊される。これは世界の市民と世界の権力者の間の横割りの構造・動態の極致といえるだろう。だが、それだけ一層、それらを暴露した権力内外の人々は「反逆者」として厳しく非難され処罰される恐れがある。だが、以下のように国際法と諸国家の憲法と法律が改正されていればそのようなことはない。
  そもそも、繰り返すが、国際法と諸国家の憲法と法律が、世界の公私権力の内外の人間による全体破壊手段を含む無差別的破壊手段の研究・開発・製造・保持・使用を禁止する必要がある。また、それらを公私権力の内外の人間が暴露することは奨励される必要がある。それに対して、前述の選択的破壊手段についてはどうだろうか。選択的破壊手段の所在に関する限りで、それらの所在はいわゆる「国家機密」になるように見える。だが、機密なるものは、誰かが知りえ暴露しえるから、本当の機密なのであって、そうでなければ本当の機密にならない。選択的破壊手段は宇宙や海底などの探知困難な場所に存在し機能する必要があるだけでなく、その場所は常にランダムに変化する必要があり、誰もそのようにする。その所在が漏れたとしてそれへの攻撃が行われるまでにはゼロコンマ数秒以上の時間がかかる。そのような時間のうちにはその所在は変化しており、現在の所在は実質的に探知不能で予測不能である。だから、選択的破壊手段の所在さえも国家機密にならない。そのように見て行くと、真の国家機密は存在しないことが分る。また、国家権力を含む公権力に係るすべてのものを公私権力の内外の人間が暴露することは、いかなるもののためにも制限されてはならず制限される必要がない自由権の一つである。その暴露の対象は、権力者や兵器の所在や戦術や戦略の内容を含む。この自由権がそれぞれの国家の憲法と法律と国際法で明記され擁護されることは可能であり必要である。すると、そのような暴露を反逆として告訴したり罰することが、違憲違法であり反逆と見なされる。
  さらに、横割りの構造と縦割りの構造の協働の中で以下のようなことが可能になる。国家権力が独裁的な国家(1)の市民は国家権力が民主的分立的な他の国家(2)に(1)の国家権力を選択的破壊手段で破壊してもらおうとするだろう。だが、この場合に限って、それがSMADとなって(2)の国家権力も破壊されたのでは(1)の市民も(2)の市民も途方に暮れる。だが、(1)の市民と内部隠密離反者と(2)の国家権力が綿密に連携すれば、(1)の国家権力だけが解体され、民主化され分立されることは可能だろう。
  選択的破壊手段とSMADの選択性は、権力疎外と権力相互暴露によって高まり、後者の意義は前者の選択性によって深まる。そのように連携するそれらを「選択的破壊手段-SMAD-権力疎外-権力相互暴露」と呼べ、それらは全体破壊手段を含む無差別的破壊手段の開発、保持、使用と、世界大戦を含む戦争全般の必要性と可能性を減じ、最悪の場合でも、市民を犠牲にせず、権力者だけを犠牲にする決定的方法である。
  近代国家の形成以来、独裁、全体主義、大量虐殺、戦争、全体破壊手段の使用と人間を含む生物の絶滅の危機…などの血なまぐさい出来事のほとんどは、国際社会を構成する国家という縦割りの構造・動態の中で生じてきた。それに対して、横割りの構造の中で生じえる血なまぐさい出来事としてはSMADにおける権力者の犠牲と流血革命があるだけである。その犠牲を最小限にとどめ、革命を無血革命とするためには、世界中の国家権力を有力な権力内隠密離反者で満たしていく必要がある。また、後述のようにして横割りの構造・動態の下層の中での争いを極小化する必要がある。

庶民の街

  当初は私たちは権力疎外で、以上のような政治的、戦略的効果を狙っていた。だが、以下のような経済的効果または副作用が現れていた。数十年前まではそれぞれの国家の政府と軍の主要施設周辺にはそれらのエリートが住んでいた。ところが、私たちが進めた権力疎外のおかげで、政府と軍のエリートは政府と軍の主要施設から離れた郊外に住み、郊外から通勤するようになった。一部の大企業も郊外に移転し、重役も従業員も郊外に移住した。少しして中級下級公務員を含む中間層も郊外に住むようになった。そこで、それらの主要施設近隣の地価は低下し、五分の一以下になった。かつて高所得者が住んでいた高層マンションは高層アパートに変り、家賃も五分の一以下になった。そこで、低所得者が政府と軍の主要施設近隣に住むようになった。そのようにしてそこに「庶民の街」が形成されていた。だが、住民は反政府グループが誘導するまでもなく、戦時など、いざというときは庶民の街のより周辺に移動するつもりでいた。既に大都市は地下、地表だけでなく、地上の高所も、高層ビル、高層道路、高層鉄道…などで過密化していた。郊外に移住した高所得層、中間層は、高層道路や高層鉄道によって政府と軍の主要施設や移転しなかった企業に容易に通勤できた。政府は、庶民の街にあった駅やインターチェンジの多くを閉鎖した。だから、庶民の主要な交通手段は、徒歩、自転車、バイクであり、交通渋滞はなかった。結局、エリートと中間層は高層部で庶民の街を素通りしている。
  A1大学と私とX、Zたちのアパートも庶民の街の一つにあり、私たちの交通手段は徒歩だった。また、政府が庶民の街の駅やインターチェンジを閉鎖したことによって、政府や軍は庶民の街に効果的に介入できなくなった。だから、庶民の街は当時は想像もできないほど開放的で平和な街になっていた。さらに、反政府グループGが「革命でござる」と宣言したときは、庶民は政府と軍の主要施設を占拠し、それらの前の広場や通りをデモ行進することになっていた。それらは、A国の首都に限らず、また、A国に限らず、世界的趨勢である。例えば、超大国Aの首都にはAT街が、超大国Bの首都にはBT街が形成されていた。繰り返すが、庶民の街は首都や国を超えて形成されていた。
  AT街の片隅にこの店AQがある。X、Z、私の三人の行きつけで、店主が奥のテーブル席に座らせてくれた。三人は以上のようなことを飲みながらも確認したが、誰も聞いていない。盗聴器も監視カメラもない。三人の話が些末なものになり他に聞こえてもよいほどになった頃、あのUからメールがあった。Uも今夜は眠れないと言う。Uもこの店に来ることになった。
  Uが到着した頃には話題はたわごとになっていた。Uもすぐにそんな話題に溶け込んで、話題は誰も思い出せないほどのものになった。

軍内部の内部隠密離反者

  あくる朝、私が目を醒ますと、そこはUのアパートだった。Uと私はいい仲になったようだ。Uが朝食を作ってくれていた。朝日がパンと卵の臭いに満ちた空気を刺す。二人で差し向かいで食べた。うまかった。そこには普通の女と男しかいなかった。医学界のヒロインにしてエリート官僚にして有力な内部隠密離反者であることや、A1大学の教授にして反政府グループのリーダーであることは、何の意味ももたない。私はそのUのアパートからA1大学の自分の研究室に出勤した。Uはいつものように自分の研究室に出勤した。Uの研究室は政府と軍の主要施設から少し離れた研究所の中にあり、Uのアパートはそれに近く、結局、AT街にあった。Uは庶民の街が好きだと言う。私もそうだ。A1大学はAT街が形成される以前から政府と軍の主要施設の周辺にあり、今はAT街にあった。私のアパートもそうだった。結局、私のアパート、Uのアパート、A1大学はAT街にある。それとあの国際会議場と公園もAT街にある。だから昨日、あの公園に集結したのはほとんどAT街の庶民だった。
  私が研究室に着くと、Xが既に出勤していた。Xは私の研究助手を装って私の研究室の一部を活動の場にしている。結局、私の研究室にあるコンピューターの一つと潜伏所にあるZが管理するコンピューターのいくつかが世界の反政府グループと市民のネットワークの拠点になっている。ここのコンピューターについて、X、Z、私以外の者は決して操作できないようになっている。
  Xは複雑な表情を浮かべていた。もしかして…Uへの嫉妬か…それは私の邪推だった。軍のN大佐が私に面会を求めて待っていると言う。私はどぎまぎした。Xは既にそうなっていた。政府か軍の監視または弾圧の手がここまで伸びたか…最悪の事態を想定して対策は練っていたが…Xと私も潜伏しなければならないのか…それはグループGの活動性への打撃だ…。それらの危惧は不要だった。私はN大佐が待ってくれている部屋に入った。
  N大佐は私の父より十歳ほど年下の五十代の男性。まず、「これから言うことは内密にして欲しい」と言う。身が引き締まった。Uと同様の離反者か…その候補か…  N大佐は続ける。「私が少佐だった頃、あなたの父上は大佐で、私は父上の直属の部下でした。私たちはクーデターを画策していました。成功していれば当時の独裁政権を倒して民主化することだったから、クーデターではなく革命だったのかもしれないが。それを当時は大佐だったM将軍に暴かれて、あなたの父上と母上は無人飛行機の墜落事故を装って暗殺された」
  一瞬にして辻褄が合った。私がA1大学の学生でそのすぐ近くの小さなアパートに住んでいたある日、実家の両親宅に民間の無人飛行機が墜落し、両親が近くの救急病院に搬送された、との知らせがあった。私が救急病院に到着したときには両親は既に死亡していた。姉も来ていた。無人飛行機の管理会社の職員も来ていて、私たちに謝罪し、誠意をもって賠償させていただくと言う。結局、数千万円の賠償金が支払われた。また、実家の土地を売却した。私と姉はそれらを等分した。姉はその取り分でパン屋を開業した。そのパン屋は最近もうまくいっている。私は私の取り分で、A1大学の大学院まで進んだ。また、超大国BのB1大学に留学もした。私の進路はさておき、無人飛行機の墜落もその損害の賠償も軍か政府による両親の暗殺の偽装だった。父は軍か政府か、恐らくM将軍によって暗殺された。母はその巻き添えになった。それらが今になってN大佐の激白によって分かった。
  大佐は続ける。「私の動きは暴かれなかった。私は生き延びた。独裁政権の最大の黒幕はM将軍だ。あなたの父上の暗殺を主導するだけでなく、P教授の暗殺を命令したのもM将軍だ。他にも幾多の人々がM将軍の直接的または間接的な命令で虐殺または暗殺または拉致または拷問死させられた。また、幾多の人々が政治犯として拘束されている。それらはすべて司法過程を経ていない。私はM将軍に疎んじられた。遠い小国の内戦に介入させられた。文字通りの泥沼の戦いで、多くの部下が撃たれて泥沼に沈んだ。何人かは生きたまま泥沼に引きずり込まれた。A国に帰って来ると、反政府グループの殲滅をやらされた。反政府主義者とほんの少し疑われただけの人間を拉致拷問することさえやらされた」
  実際、数年前まではA国にもグループG以外の反政府グループがいくつかあった。だが、殲滅された。隠密行動と潜伏を重視しなかったからだろう。それらの活動家の一部は「政治犯」として拘束されている。私たち、グループGについては、政府に顔が割れたメンバーは私さえ知らない潜伏所に潜伏している。
  N大佐は続ける。「私は耐えてきた。いつの日かM将軍ら独裁政権を倒して民主的な政権を樹立するという願望があったから耐えられた。私は期が熟するのを待っています。あなたは大佐のご子息として…」と私を見つめる。
  私はN大佐を信用していいと思った。端的に「私は反政府グループGのリーダーです」と言った。N大佐は最初は少し驚いていたが、すぐにすべてを理解した。私とN大佐はXが作ったネットワークを通じて安全確実に連絡を取り合うことになった。また、ネットワークを通じてZを同盟に引き入れることになった。それらは強力な同盟になるだろう。そのように内部離反者のほとんどは、反政府グループと対等の立場にある盟友と言ってよい。さらに何人かは反政府グループのメンバーと言ってもよい。つまり、内部隠密離反者にして盟友にして反政府グループのメンバーであると言ってよい。N大佐が今日、そうなった。Uは昨日、そうなった。あのTは数週間後にそうなり、A国軍のO参謀が数か月後にそうなる。

悪循環に陥る傾向への直面

  以下は陥る傾向の簡単な説明に過ぎない。詳細は『悪循環に陥る傾向への直面』を参照していただきたい。
  M将軍のような政治的経済的権力者のほとんどでは次章で説明する独裁者型陥る傾向が大なり小なり形成されている。それを説明する前に一般の陥る傾向を説明する。人間では一般に様々に大なり小なり、以下のような(悪循環に)陥る傾向が形成される。簡単に言って、誰もが陥る傾向をもっている。そのような基本的なものから説明していくべきなのかもしれないが、やや強めのもののほうが分かりやすいと思うので、ここではそれらの両方をまとめて説明する。まず、基本的用語を説明する。

[母親]実母に限らず、乳幼児の世話を定期的にする人間を「母親」と呼べる。実母、実父、義母、義父、兄姉、祖父母、近所の人、保育士…などがそのような意味での母親になりえる。また、複数の人間が母親になりえる。例えば、母親が仕事で忙しく、家に居ない間は幼児を保育士に預けている場合、実母と保育士が母親になりえる。だが、多くの場合は実母が母親になる。それは理想的な理由によるのではなく、現実的な理由による。重要なのは、母親は必ずしも後述するような意味での愛をもって子供の世話をしているわけではないということである。
[母親の愛情]前述のような意味での母親に生じる情動のうち、新生児に初めて対面したときまたは成長していく乳幼児と相互作用するときに自然にかつ直接的に生じる情動を「母親の愛情」または「自然な愛情」と呼べる。そのように定義すると、単なる義務感は愛情と異なることが分る。だが、義務感が愛情のきっかけになることはある。また、母親の愛情とは何かと考え過ぎるような人間はそれをもっていない…などというのも一概に極論ではないことが分かるだろう。いずれにしても、上の定義は有り余る愛や犠牲を厭わない愛が必要ということを決して含意しない。簡単に言って、必要なのは普通の愛である。そこで「普通の愛」とは何かと考えることは上の定義の中の直接性から逸れている。
[乳児期幼児期前半]主として、自暴自棄、粘着、自己顕示…などの本能的機能を幼い自我が模倣することによって自我の傾向が形成される時期を「乳児期幼児期前半」と呼べる。人間において平均的に、0歳から3歳まで。
[乳幼児的陥る機能/傾向]主として、幼い自我が本能的機能を模倣することによって傾向が形成される自我のうち、様々な悪循環に陥るものを「乳幼児的(悪循環に)陥る機能」と呼べ、それらの傾向を「乳幼児的(悪循環に)陥る傾向」と呼べる。乳幼児的機能は、自暴自棄、粘着、自己顕示、何でも支配すること、何でも破壊すること、ナルシシズム、孤立を含む。
[幼児期後半前思春期]自己のイメージが生成し、主として、自我がそのイメージとその周辺とその産物に対処することによって自我と情動と記憶の傾向が形成される時期を「幼児期後半前思春期」と呼べる。人間において平均的に4歳から11歳まで。
[前思春期的陥る機能/傾向]自我が自己のイメージとその周辺とその産物に対処することによって傾向が形成される自我と情動と記憶のうち、様々な悪循環に陥るものを「前思春期的(悪循環に)陥る機能」と呼べ、それらの傾向を「前思春期的(悪循環に)陥る傾向」と呼べる。前思春期的陥る機能は、強い自己がやがて死ぬことへの不安、強い自己永遠化欲求、自己肥大化、自己美化を含む。
[思春期]自我が自我の傾向と意識的機能の能力に対処することによって自我の傾向が形成される時期を「思春期」と呼べる。人間において平均的に12歳から17歳まで。
[思春期的陥る機能/傾向]平均的に思春期の人間において、自我が自我の傾向と意識的機能の能力に対処することによって傾向が形成される自我を「思春期的(悪循環に)陥る機能」と呼べ、それらの傾向を「思春期的(悪循環に)陥る傾向」と呼べる。思春期的陥る機能は、対人能力の未熟を取り繕うこと、陥る傾向(のイメージ)を回避し取り繕うことを含む。
[(悪循環に)陥る機能/傾向]上の乳幼児的陥る機能/傾向と前思春期的陥る機能/傾向と思春期的陥る機能/傾向を「(悪循環に)陥る機能/傾向」と呼べる。
[イメージを回避すること]不安、自己嫌悪、恥辱…などの強い精神的苦痛を生じるイメージをより弱い精神的苦痛または精神的快を生じるイメージに切り替えること
[イメージを取り繕うこと]強い精神的苦痛を生じるイメージをより弱い精神的苦痛または精神的快を生じるイメージで覆うこと。 [イメージを回避し取り繕うこと]上の二つは通常、入れ替わり立ち替わる。入れ替わり立ち替わる上の二つを「イメージを回避し取り繕うこと」と呼べる。
[イメージへ直面すること]精神的苦痛を生じるイメージを切り替えたり覆ったりせずに何らの形で操作すること

  乳児期幼児期前半の乳幼児は母親の愛情と世話を求めて、短絡し、自暴自棄的、粘着的になり、自己顕示し何でも支配し何でも破壊する傾向にある。それらが可能的な乳幼児的陥る傾向である。だが、母親が愛情をもって乳幼児の世話をすれば、乳幼児は乳児期幼児期前半の終わりまたは幼児期後半前思春期の初めに、愛情と世話に満足し、それら以外のものを求め、それらの傾向が減退する。それに対して、母親の愛情と世話が希薄であると、幼児は愛情と世話を求め続けて、それらの傾向が減退せず、生涯に渡って強いまま残りえる。まず、生涯に渡って強いまま残りえるそれらの傾向が乳幼児的陥る傾向である。また、どんな母親も乳幼児と常に一緒に居ることができず、乳幼児は大なり小なり孤立せざるをえず、孤立に対処しようとし、孤立的傾向が形成される。母親の愛情と世話の希薄によっては強い孤立的傾向が形成される。強い孤立的傾向も乳幼児的陥る傾向に含まれる。
  幼児期後半前思春期の初め頃(四歳頃)の子供の中では、自己のイメージが生成している。自己のイメージは複雑である。だから、自己のイメージと世界のイメージの間には間隙がある。自己のイメージが生成し始めてからしばらくして、自己の有限性が認識され、「自己がやがて死ぬことへの不安」の傾向と「自己を永遠の存在としようとする欲求」の傾向が形成され始める。自己を永遠の存在としようとする欲求を「自己永遠化欲求」「永遠を求める欲求」「永遠を求めること」…などとも呼べる。乳児期幼児期前半に強い孤立的傾向が形成されたとき、その間隙が広がり深まる傾向が強くなる。すると、その不安とその欲求の傾向が強くなる。強いそれらの傾向は前思春期的陥る傾向に含まれる。さらに、それらは自己肥大化、自己美化、ナルシシズム…などの傾向を強くする。強いそれらの傾向も前思春期的陥る傾向に含まれる。
  ナルシシズム的傾向について、その基礎は乳児期幼児期前半に形成されているが、基礎を含む全体が潜在している。全体が顕在化するのは、自己のイメージが生成した後であり、前思春期である。だから、強いナルシシズム的傾向を乳幼児的陥る傾向にも前思春期的陥る傾向にも含めることにする。
  前思春期的陥る傾向のほとんどは乳幼児的陥る傾向のほとんどを増強し、その逆もある。
  自己がやがて死ぬことへの不安と自己永遠化欲求は、生涯、大なり小なり機能し続ける。どうやって自己を永遠化するか。体系的な宗教の発生以来、そのような宗教の中で、ほとんどの人間が現実の世界を超える永遠と見えるものに自己を超越させるまたは一体化することによって自己を永遠の存在としようとしてきた。だが、現実の世界を超えるものを信じることには無理があった。現代人は自己を現実世界の何ものかに一体化せざるをえない。例えば、愛は個人を超え永遠であると感じ、誰かまたは何かを懸命に愛そうとする人がいる。子供に何かを託せると思い、何かを残そうとする人がいる。美を永遠だと思い、作品に刻もうとする人がいる。歴史に栄誉、業績…などを残そうとする人がいる。この最後の傾向の結末については後に説明する。
  望む望まないに係らす、子供は大なり小なり母親や父親を含む年長者の自我、情動、意識的機能や生き方を含む機能を模倣する。家庭や仕事を大切にする母親や父親の生き方を模倣し、家事や特定の職業に必要な技術を模倣することがある。強い支配的傾向、破壊的傾向、自己顕示的傾向、強い権力欲求、高い権力獲得能力をもつ人間たちと関係し、それらの機能を模倣し、自身のそれらの機能の傾向または能力が増強されることがある。それについては後述する。親たちに反抗して、それらの逆の生き方を模倣することがある。それについては次に述べる。
  どの時期も子供は親の干渉に対して反抗するが、思春期には反抗が意図的で力強いものになる。反抗は独立のための原動力になりえるが、強く常に反抗するのでは以下のようになる。反抗という対人機能の能力だけが発達し、それ以外の対人機能の能力が未熟にとどまる。また、反抗される生き方と逆の生き方が偏って形成される。
  思春期的陥る傾向は主として、以上の模倣と反抗から形成される傾向と次に述べる陥る傾向(のイメージ)を回避し取り繕う傾向のうちの強いものから構成される。
  自己の乳幼児的、前思春期的陥る傾向がイメージとして現れる(思い浮かぶ)と、不安、自己嫌悪、恥辱…などの強い苦痛が生じる。例えば、粘着と自己顕示は、他人から嫌われ疎んじられるだけでなく、自己嫌悪と恥辱という強い苦痛を生じる。何より、母親に愛されなかったために愛を求め続けて粘着し自己顕示しているなどということは考えたくもないし他人に知られたくもない。また、自己がやがて死ぬことへの不安におののいて名誉を求めているなどということも考えたくもないし他人に知られたくもない。そこで、思春期と思春期以降の自我は、そのような苦痛を減退させるために、自己の乳幼児的陥る傾向と前思春期的陥る傾向がイメージとして現れ(思い浮かび)、強い苦痛を生じると、(1)その苦痛を生じるイメージを(2)より弱い苦痛または快を生じるイメージに切り替える、または、(1)を(2)で覆い尽くす。それを「(悪循環に)陥る傾向の(イメージを)回避し取り繕うこと」と呼べる。例えば、思春期には誰もそれなりのルックスとスタイルをもっており、(2)それらのイメージで(1)自己の陥る傾向のイメージを覆って取り繕おうとする。また、後に権力を獲得する人間のほとんどは既に思春期にある程度の権力獲得のための能力をもっており、自己の陥る傾向のイメージをその能力のイメージに切り替える。誰もが大なり小なり陥る傾向を回避し取り繕い、誰もにおいて大なり小なりそうする傾向が形成される。乳幼児的陥る傾向と前思春期的陥る傾向が強い人間は、頻繁にそうしなければならず、そうする傾向が強く形成される。強い陥る傾向を回避し取り繕う傾向は思春期的陥る傾向に含まれる。陥る傾向を回避し取り繕う傾向が強く形成されるほど、自我は頻繁にそれらを回避し取り繕い、自我がなかなか陥る傾向に直面できず、陥る傾向は減退しない。それが最大の悪循環である。私たちは何が何でも自己に直面する必要があると言っているのでは全くない。自己の陥る傾向、特に陥る傾向を回避し取り繕う傾向に直面する必要があると言っているだけである。
  繰り返すが、以上の乳幼児的陥る傾向と前思春期的陥る傾向と陥る傾向(のイメージ)を回避し取り繕う傾向を含む思春期的陥る傾向を「(悪循環に)陥る傾向」と呼べる。陥る傾向の原因として、乳児期幼児期前半の母親の愛情と世話の希薄、幼児期後半前思春期の自己のイメージと世界のイメージの間の間隙、思春期の模倣と反抗があることは事実である。だが、陥る傾向の最大の原因は思春期と思春期以降の陥る傾向(のイメージ)を回避し取り繕う傾向である。陥る傾向を回避し取り繕ったのは思春期の自我であり、まるで昨日のことのように思い出され、直面できるだろう。社会において権力や権力者から自由になったとしても、個人は個人の悪循環に陥る傾向に陥っている。それから自由になるためにはわたしたちのそれぞれは陥る傾向に直面する必要があり、特に陥る傾向を回避し取り繕う傾向に直面する必要がある。繰り返すが、私たちは何が何でも自己に直面する必要があると言っているのでは全くない。自己の陥る傾向、特に自己の陥る傾向を回避し取り繕う傾向に直面する必要があると言っているだけである。

独裁型陥る傾向

  すべての政治的経済的権力者が強い陥る傾向をもつわけではない。だが、強烈な権力者のほとんどは以下のような型に陥っている。それを「独裁型(悪循環に)陥る傾向」と呼べる。
  独裁型では、一般の乳幼児的陥る傾向のうち、支配的傾向、破壊的傾向、自己顕示的傾向、ナルシシズム、孤立性が優位になる。その原因としては、愛情と世話が希薄な中でも、支配、破壊、自己顕示…などが嫌われたり疎んじられなかったまたは推奨されたことがあると考えられる。それは権力者の家庭によくあるだろう。
  独裁型前思春期的陥る傾向の中では、乳児期幼児期前半に孤立的傾向が強く形成されたことによって、自己のイメージと世界のイメージの間の間隙が拡大している。だから、自己がやがて死ぬことへの不安と自己永遠化欲求の傾向が強くなる。
  幼児期後半前思春期と思春期には、独裁型陥る傾向が形成されるであろう青少年は以下のような過程を経る。例えば、家族や親せきの中にある程度の栄誉を得たり業績を残している人間がいて、その人の生き方を模倣するかもしれない。また、実在のまたは架空の英雄や偉人の物語を読んで、それらの人々の生き方を模倣するかもしれない。すると、歴史に栄誉、業績…などを残し、それによって自己永遠化欲求を満たそうとするようになる。そのためには何か偉大なことをしなければならない。そのためには人を支配しなければならない。他人を支配するためには権力とカネを獲得しなければならない。すると、それらのための手段であったはずの権力やカネに対する欲求が強く形成される。そのように手段に過ぎなかったものが欲求の対象になることが重要である。
  ここでは社会の中で他人を支配するための手段を「(狭義の)権力」と呼べ、それに対する欲求を「(狭義の)権力欲求」と呼べる。そのような狭義の権力、権力欲求は、ニーチェが言う広い意味をもつ権力、「権力への意志」とは少し重なるだけである。
  そこまできた青年は、何でも支配する傾向と自己顕示する傾向と権力への欲求が強く、ある程度の実績を上げた大人に憧れるまたはそれらの大人の中に入ることが多い。それらの大人では何でも破壊する傾向も強いことが多い。何故なら権力闘争を勝ち抜くためには何かを何らかの方法で破壊しなければならないからである。そこで、それらの青年はそれらの大人の支配、破壊、自己顕示、権力獲得の方法を賞賛し模倣する。すると、それらの青年の支配的傾向、破壊的傾向、自己顕示的傾向、権力欲求がますます強くなる。それとともに、支配する能力、破壊する能力、自己顕示する能力、権力を獲得する能力も形成される。
  そして、それらの青年が大人になった後は、権力闘争に埋没する。そして、それらの傾向と欲求はますます強くなり、それらの能力がますます形成される。
  そこで、自己の陥る傾向がイメージとして現れる(思い浮かぶ)と、そのような能力をもつ自己のイメージでもって陥る傾向のイメージを回避し取り繕う。また、後に権力を握ると権力の取り巻きからはもてはやされる。そこで、自己のイメージがますます美化され、ナルシシズム的傾向が強化される。それらの自己のイメージでもって陥る傾向のイメージを回避し取り繕う。そこで、それらの陥る傾向に直面することができず、それらの陥る傾向は減退しない。
  そのようにして形成される強烈な何でも支配する傾向、何でも破壊する傾向、自己顕示する傾向、ナルシシズム的傾向と強烈な権力欲求を「独裁型陥る傾向」と呼べる。それらをもつ人間が権力を握ると、権力を拡張し独裁や全体主義や独占・寡占へと走ろうとすることが多い。さらに、世界大戦と全体破壊手段の使用に走ろうとすることがある。
  以上のことがM将軍についても言えるだろう。実際、数か月後にM将軍はそれを認め、彼自身の陥る傾向に直面していくことになる。

自己がやがて死ぬことへの不安と自己永遠化欲求を減退させること

  独裁型陥る傾向を含む陥る傾向の第一の重点は陥る傾向を回避し取り繕う傾向であり、第二の重点は強烈な自己がやがて死ぬことへの不安と自己永遠化欲求である。また、陥る傾向の外でその不安とその欲求が強く形成され、独裁型陥る傾向の後半部分と同様にして権力欲求と権力獲得能力が強く形成されることがある。だから、強い自己がやがて死ぬことへの不安と自己永遠化欲求をもつ人間が、権力欲求と権力獲得能力を形成し独裁や全体主義や独占・寡占へと走るのを防ぐためには、それらの人間を含むわたしたちのそれぞれがその不安とその欲求を減退させる必要がある。宗教がその不安を減退させることはもはや不可能である。だから、あの少女が説明した決定的方法に至りその不安を減退させる必要がある。その決定的方法に至ると、自己は既に永遠の存在であって、わざわざ自己を永遠の存在にする必要も、わざわざ自己を永遠と思われるものに超越させたり一体化させる必要も全くないことをわたしたちのそれぞれは知る。例えば、栄誉を残したり、歴史に残るようなことをする必要がないことをわたしたちのそれぞれは知る。すると、自己永遠化欲求は減退する。すると、その不安とその欲求が強い人間が強い権力欲求と権力獲得能力を形成し独裁や全体主義や独占・寡占に走ることはかなり防げる。
  だが、その不安とその欲求があまり強くない人間が強い権力欲求と権力獲得能力をもつことはある。また、強い権力欲求がなくても個人や集団が権力を握り拡張し独裁、戦争、独占、寡占…などへ暴走しようとすることはある。だから、生存と自由を両立させるためには、悪循環に陥る傾向に直面しながら、国家権力のL系とS系への分立を含む民主的分立的制度を確立し維持し、後述するようにして全体破壊手段を全廃し予防する必要がある。

私の陥る傾向

  私の陥る傾向は以下のようにして形成された。父は私にともかく力をもつことを求めた。「力がなければ国家権力を民主化することはできない。力がない者が自由だとか民主主義だとか言うな」とよく言っていた。母は私にともかく理性をもつことを求めた。物心ついた頃から両親から年齢不相応の数学や物理学、化学、生物学を教えられた。学校に通い始めてからは、学校以外に家で毎日、三時間から六時間は勉強させられた。狭義の勉強以外でも両親の干渉は強かった。私に与えられるおもちゃやは、両親が理性や体力の育成のためになると考えたものだけだった。だから、同級生の家に行って彼らのおもちゃで彼らと遊ぶのが楽しみだった。そこにあるおもちゃはごく普通の家庭にあるもので、裕福な家庭にしかないものでは決してなかった。だが、当時の私にはそれらはキラキラ輝く秘宝に見えた。ときに同級生がそれらのうち彼らにとっては無価値になったものを私にくれることがあった。私はそれらを家にもって帰って隠した。だが、両親に見つかると捨てられた。また、私には両親に褒められた記憶がない。学校で何かの賞をとっても「何だそんなものか。もっと上を目指せ」と言われるだけだった。だから、私は名前入りの賞状などは、帰り道で破って捨てていた。名前の入ってないトロフィーや楯は欲しがった同級生にやった。
  かくして私は両親の愛情を直接的に感じることができなかった。今になって思えば、両親の愛情は深かった。だが、乳児期幼児期前半の愛情希薄で問題になる愛情とは、乳幼児が直接的に感じることができる愛情である。だから、私の両親の愛情は希薄だったと言ってよい。乳児期幼児期前半の私は愛を求め続けたのだろう。そこで、私には乳幼児的陥る傾向の中では特に粘着性が形成された。粘着性は今になっても独りになることへの不安として残っている。P教授を失った夜も独りになりたくなかったが、そのような感情は主として最大の友を失ったことから来ているのであって、粘着性だけから生じたものではない。実際、あの夜はXやZも独りになりたくなかった。
  幼児期後半前思春期の自己のイメージが生成する頃には、乳児期幼児期前半からの孤立によって自己と世界の間の間隙が拡大していたと思う。そこでやはり自己がやがて死ぬことへの不安と自己永遠化欲求が強くなった。その不安は強烈で、四歳から六歳頃はよく泣いて親を困らせていた。それらのことから前述の独裁型陥る傾向が形成されかねなかった。
  ところが、思春期の私には父たちへの反抗があった。私にとっては権力を獲得し振るうことではなく、権力に反抗し権力を永遠に破壊することが、自己顕示することであり、永遠を求めることであり、自己がやがて死ぬことへの不安を減退させることだった。思春期には父だけでなく学校の教師や警察や当時はまだ残存していたマフィアに反抗した。あのTとは激しい議論をした。Tは「権力を改革するためには権力の中に入って中から改革する必要がある」というようなことを言っていた。私は「そんなことをすれば権力闘争に埋没してしまう。それに権力が破壊されるときに自分も破壊されてしまう」というようなことを言っていた。そして、権力に反抗する勇ましい(そう思っていた)自己のイメージによって陥る傾向を回避し取り繕っていた。だから、私は自己の陥る傾向に直面できなかった。だから、私の陥る傾向は減退しなかった。これが私の最大の悪循環である。
  例えば、私は思春期終わり頃に家出をしたことがある。両親らはもちろん私を探していた。カネと精神的エネルギーが尽きて家出から家に戻った。その後で知ったことだが、両親だけでなく学校の生徒会長も私を探していた。学校に戻った初日にその生徒会長に私は「余計なことしやがって」と言っていた。そのときのその生徒会長の悲しげな顔が忘れられない。その顔は私が自己の陥る傾向に直面していく一つのきっかけになったと思う。
  また、私は父が軍人として家で保管していた古典的な拳銃をこっそり持ち出して、当時はまだ残存していたマフィアの拠点に押し入ったことがある。そのマフィアは世界的なものでも全国的なものでもなく、ローカルなものだった。また、その拳銃に実弾は入っていなかった。私はそれを十分に知っていた。実弾入りの拳銃を持ち出すほどの度胸は当時の私といえどもなかった。何より暴発しないか恐かった。既に遠い昔から、マフィア、薬物密造密売業者、売春斡旋業者らの存続は法で認められていなかった。そこで、彼らは警察官を含む下級中級公務員に賄賂を贈った。だが、彼らの賄賂はたいしたものではなかった。だが、政治的経済的権力者にとっては彼らは売春や薬物の斡旋等の利用価値があった。そこで権力者が彼らを密かに存続させていた。つまり、ここでも問題なのは彼らでも下級中級公務員でもなく、その背後にいる権力者である。それにその頃の私は気付いていなかった。ある同級生の女の子がそのマフィア兼売春斡旋業者にそそのかされて売春をしていた。彼女の家族や学校教師は見て見ぬ振りをしていた。正直言って、彼女は可愛くなく、私は好意をもっていたわけではない。偉そうに街を練り歩く彼らの姿に私は普段からむかついていた。今は全くそう思わないが、当時の私にとって彼らは支配性、破壊性、自己顕示性が強い人間の象徴だった。いつか彼らに悪戯をしてやろうと思っていた。私はその拳銃をもって彼らの拠点に押し入った。彼らは私を背後関係を知らない無鉄砲な私服刑事と間違えたようだ。彼らは客や売春婦をほったらかしにして逃げて行った。店の客も慌てて服を着て逃げて行った。客の中にはテレビやネットで見るような有名人も混じっていた。警察は動かざるをえず、そのローカルなマフィアはとり潰された。しばらくは私と私の家庭と学校に護衛が付いた。他方、警察は非組織的で自主的な売春を厳しく取り締まらない。私は売春婦たちに大歓迎され、彼女たちが売春を自ら取り仕切るようになった。小さな革命だと言えなくもない。近所の人たちにとっては料金が安くなった。私は近所で、特に売春婦たちの間でヒーロー扱いされた。彼女たちが無料で性的快楽を提供してくれるとともに、性的テクニックのてほどきをしてくれることもあった。それらによって私は自制することができなくなりかけていた。他方、子供に拳銃の持ち出をされたことは父にとっては失態であり、父は軽いものだが処分を受けた。父は私を責めるよりそんな拳銃の保管の仕方をしていた自分を責めていた。そんな父の姿は私が自己の陥る傾向に直面していくきっかけのうち最強のものになったと思う。また、ローカルなものとはいえマフィアの拠点に押し入るなどということは私にとっても非常に危険であり、今、生きているのが不思議なぐらいだ。これは押し入った後で分かったことだが、警察は既にそのマフィアを取り潰そうとしていた。だが、だからこそ危険であることはありえるだろう。もし私が死んでいたら、馬鹿なことのための馬鹿な死に方だった。私は思春期過ぎにそれをようやく痛感した。その遅さも私の馬鹿さを示すと思う。
  次のようなこともあった。私は放課後にアルバイトで貯めたカネで二、三人の友達とスいくつかのストリップ劇場に行くことがあった。それらの一つに五十代、独身、チビでハゲの同じ学校の教師が見に来ていた。鉢合わせになった。これから性的機能と欲求が発達していく思春期の青年と、既に成熟して衰えていく、しかも満たされていない中年男性とでは立場が全然違う。教師はそそくさと帰って行った。子供でもこれは言いふらしてはいけないことだと分かる。一緒に行った友達と言いふらさないようにしようと約束した。そうしようと言い出したのは私だった。私は当時から世界の歴史に興味をもっていた。その教師は歴史学の教師で、放課後にも質問に答えてくれるなど少しばかりお世話になっていた。ところが、私はついつい他の他の同級生の一人に喋ってしまった。その後、そのことは生徒と教師の間で伝説になってしまった。その教師は悲しげに私を見ていた。その顔が忘れられない。その顔も私が自己に直面して行くきっかけになったと思う。
  思春期の終わり頃にはさすがに、権力者のように見えるものの背後に本物の権力者が隠れていることに気付くようになった。私は見かけの権力者に反抗していたに過ぎないことを知った。勇ましいと思っていた自己のイメージが大きく揺らいだ。自己の陥る傾向に直面することを妨げていたそれらのイメージが揺らいだ。だから、思春期を過ぎて、私は自己の乳児期幼児期前半からの陥る傾向の形成過程に直面できた。罪悪感や恥辱でもっては陥る傾向は減退しない。陥る傾向の形成過程に直面すると、辟易、というか「うんざり」というか、そんな感情が生じてきて、陥る傾向は少しずつ減退していく。
  また、権力のいくつかの部分は生存のためだけでなく自由のためにも必要であるこを理解した。また、P教授と出会い語り合うようになって、権力のすべての部分に反抗するのではなく、必要な部分を民主化し分立することの重要性を知った。
  そこまで来て振り返ってみると、思春期の私は本物の権力者ではない人々に反抗して傷つけていただけだったことが完全に分かってきた。いまでもそんな自分を思い出すと自己嫌悪で喚きそうになる。それらの私が陥っていた傾向を指す専門用語はないが、「反抗型陥る傾向」と呼んでみる。独裁型と反抗型の違いは自己永遠化欲求から権力を求めるか、権力に反抗するかの違いがあるだけである。つまり、独裁者と革命家は紙一重である。だが、反抗型を究めると、以下のような情動と自我をもたらすことがある。もちろん、隠密に人知れず行動するのは現行の独裁政権による弾圧や暗殺を防ぐためでもあった。だが、次のような情動と自我のほうが強かった。
  あの少女が書いた永遠の死と生の繰り返しの中では、この人生における苦痛や快楽などは微々たるものである。あの少女の父親が望んだ通り、死と生の繰り返しの中で延々と人間が生じえる不必要で執拗で大規模な苦痛をできる限り全般的に減退させたい。そんな情動と自我もある。同時に、永遠の死と生の繰り返しにおいてだけでなく、この人生においても情動を満たしたい。そんな情動と自我もある。そこで、以下のようなものが生じて来る。

権力を獲得して振るい自己顕示して歴史に栄誉を残そうとする人間などどこにでもいる。そんな者と同類になりたくない。自己を永遠の存在にするだけでなく唯一無二の存在にしたい。自己顕示せず栄誉を残さず人知れず匿名で、二度と独裁に逆行しないような民主的分立的制度を確立すれば、唯一無二だろう。人知れず世界や歴史を変えることには言い知れない快感がある。また、生存と自由の両立などという困難なものに挑戦していると、胸がワクワクしてくる。困難であればあるほど、なかなか達成できず、それらの快感が長く続く。こんな都合のよいことはない。

X、Z、U、N大佐…などの離反者も同様のことを考えているかもしれない。
  そして、今、N大佐の告白から、私は結局、両親と同じ道を辿っていたことを知った。両親が力や理性をもつことを私に求めたのは、権力を民主化し分立するためには力と理性が必要だとわきまえてのことだったに違いない。私がその力や理性を少しでももてたのは両親のおかげである。ところが、親孝行できないどころか、無意味な反抗をして苦しめただけだった。反抗と苦痛をもたらす対象は、親だけでなく、前に例を挙げたような人々にも及んでいた。それらを思い出す度、私は本当に馬鹿だったと思う。いや「馬鹿」では言い足りない。「自己嫌悪」でも言い足りない。何と言ったらいいのだろう。前述のとおり、喚きそうになる。N大佐が帰った後、私は最大の声で喚いてしまった。Xが心配してドアを開いて見ていた。私は「独裁政権の最大の黒幕はM将軍だ。N大佐は最強の内部隠密離反者だ」と言っておいた。その言葉の内容は当然、事実なのだが、そのときその言葉を発したのは喚いてしまったことの取り繕いだった。

適材適所

  N大佐がやって来た数日後にあのTがA1大学の私の研究室にやって来た。あの国際会議で自然の保全、適正人口の維持、経済の安定化、市民の最低限度の生活の維持ためには総合的な政策の立案と推進が必要であること、そのためには科学者と人工知能の協調が必要であることを強調していたトップクラスの経済学者にしてエリート官僚のTである。私とは中学校と大学での同級生でもある。TもA1大学・大学院出身であり、校内の地理には慣れている。互いに長い挨拶は必要なく、Tはすぐに政権の暗部を暴露し始めた。
  「俺たちと人工知能が精巧な政策を立てても、政府の高官と大企業の重役が一緒になって彼らの利権を人工知能に混入させてくる。ただでさえ立案困難な政策が、彼らの利権が混入してうまく立案できるわけがなく、生存や社会権の保障や自然の保全も実行できるわけがない。人間のスタッフのやる気はなくなってきていて、人工知能は彼らの下手な操作で壊れてしまうかもしれない。すると俺たちが蓄積したデータもプログラムも水の泡だ。何より人工知能の学習成果が消えてしまう。人工知能でも学習には時間がかかる。人工知能でも完全に予測できない部分が多々あり、予測できないものについては、人工知能は思考錯誤学習しないといけないからだ。それらの学習成果がすべて彼らの下手な操作によって消えてまうかもしれない。バックアップも追いつかない。俺たちは彼らが人工知能を不正操作している決定的な証拠をつかんだ。暴露してやろう」とTは一気に言う。だが、Tにもそれなりの辛抱があったのだと思う。それを言うと、Tは今までの苦労を延々と語り始めた。幼児期後半前思春期からエリートとして生きて来た。勉強でもスポーツでも遊びでも万能だった。だが、数学と経ではものすごい努力をしていた。一見したところの天才にも隠れた努力がある。20XX年以前の中世までは才能と独創性だけで新しいものを生み出せることがあった。だが、それ以降は歴史の中で積み上げられた知識と技術を吸収してからでないと新しいものを生み出せない。Tは新しい経済学を構築していた。それには相当な努力が必要だった。その努力が政治的経済的権力者の利権によって踏みにじられている。それは悔しいだろう。しかも、そんな中でもTは数年、辛抱してきた。だが、もう耐えられなくなったようだ。Tが信用できる人間であることは分かっている。私はTに私の裏の身分を明かし、Tは自然に内部隠密離反者にして盟友にしてGのメンバーになった。
  しばらくしてTは黙った。「政府の人工知能の不正操作を暴露すると、俺と直属の部下が危ないのではないか」と考えているのだろう。私はXを呼んだ。TもXに助言を求めた。XはTに「すると、あなたたちが暴いたことがどうしてもバレてしまう。暴くなら、あなたたちは潜伏するしかない」と真摯に語る。Tは「俺が潜伏する分にはまだいいんだけど…俺の両親や部下や部下の家族はどうすればいいんだ…」と顔をしかめる。これは難問だ。それらの人々も少なくとも拉致監禁されるだろう。今、潜伏所に潜伏しているスタッフは多くは、二十代、三十代であり独身だ。家族や部下がいたとしても、それらも潜伏している。部下が大勢いる人間はどうすればいいのか。長い協議の末、革命の直前に暴露するということになった。すると革命に勢いが付き一気に決着が付き、Tらに手が及ばないだろう。実際それらはうまくいくことになる。
  その後、TとXは私事を語り始めた。私はその部屋をこっそり出て行った。XはTに以前から憧れていたようだ。また、XもTも独身だ。社会権を保障する人の支配系(S系)における最強のカップルが誕生した。文字通り世界で最高の経済学者と情報技術者から成る。
  S系の人材としてはT、Xのような有能で臨機応変な人が適する。それに対して、自由権と民主的分立的制度を擁護する法の支配系(L系)の人材としてはP教授のような厳格で融通の利かない人が適する。それらの二系を分立することによって、それぞれに適した人格の選出が可能になり、適材適所が可能になる。
  そのような人材を発掘することは困難なことではない。私が接触している内部隠密離反者の中には、L系またはS系に適する個人がたくさんいる。

自己破壊型悪循環に陥る傾向

  Uと私の関係は続いた。互いのアパートを行ったり来たりしながら、実質的に同棲状態だった。さらに、結婚を考えるようになっていた。Uには結婚離婚歴なし。私には結婚離婚歴が一回ある。
  前妻Qは乳児期幼児期前半に実母から虐待・放置されていた。母はシングルマザーで、母が男を家に連れ込んでいるときは家の中に入れてもらえなかったと言う。そういうときは家の前の路上で独りで座り込んでいるしかなかったと言う。Qはそのようなことは語れたが、直接的な身体的虐待については何も言えなかった。Qの左前腕には比較的新しい自傷の傷跡があったが、背中には幼児期の虐待によると思われる古い火傷の跡があった。私は愛情希薄だけを被ったが、Qは愛情の欠如と世話の希薄と虐待と放置を被った。
  一般に乳児期幼児期前半に愛情と世話の希薄があった乳幼児においては、短絡性、自棄性、粘着性、自己顕示性、破壊性、支配性、ナルシシズム、孤立性…などの乳幼児的陥る傾向が強く形成される。愛情欠如、世話希薄、虐待、放置を被った乳幼児ではそれらが強烈に形成されることが多い。それらのいくつかは20XX年以前に言われていた「境界性人格障害」や「解離性障害」に発展することがある。前述の「直接的な身体的虐待についてはQは多くを語れなかった」のは、20XX年以前に言われていた「解離性健忘」によっているのかもしれない。
  そのような子供においては、自己のイメージが生成しかけても、想起されるのは愛されず虐待、放置される自己のイメージばかりで、子供はそのような自己のイメージを手当たり次第に破壊してしまう。だから、幼児期後半前思春期に入っても、自己のイメージは確固としたものにならず、自己がやがて死ぬことへの不安は強くならず、自己を永遠の存在としようとする欲求も強く形成されない。そのことが破壊性が他人より自己に向かう原因の一つである。
  そのような子供が思春期に入ると大なり小なり自傷をするようになることが多い。結局、そのような自己を破壊する傾向の主因は、

(1)乳児期幼児期前半に形成される何でも破壊する傾向と自棄的傾向が強いことと、
(2)幼児期後半前思春期に形成されるはずの自己が死ぬことへの不安と自己永遠化欲求の傾向が弱いこと

である。
  そして思春期には、自己の陥る傾向のイメージが想起される(思い浮かぶ)と、それらは彼らにとって得体の知れない不気味な不安を生じる。そこで、彼らは自傷して自己の身体を破壊することによって、それらのイメージを手当たり次第に破壊しようとする。それも陥る傾向を回避し取り繕う傾向に含まれる。そして、それらのイメージに直面することができず、それらは減退しない。これがそれらの青年の最大の悪循環である。
  以上の傾向を「自己破壊型陥る傾向」と呼べる。自己破壊型陥る傾向における自己に向かう破壊性に対して、他者に向かう破壊性は、主として思春期とそれ以降に、年長者または同僚の破壊性、支配性、自己顕示性を模倣することによって形成される。
  Qについて、私と結婚した後は支配性が前面に出て来た。Qは家庭でその構成員、つまり、二人の子供と私のすべてを支配しようとしてきた。だが、そのような家庭の支配はいわゆる「家ではライオン、外ではネズミ」、つまり、外の社会で何も支配できない人が家庭で家族を支配しようとすることとは異なる。何故なら、Qのような個人にとっては外の社会はなく家庭がすべてだからである。支配性に関する限りで、家庭がすべてである自己破壊型陥る傾向と外の社会がすべてである独裁型陥る傾向は紙一重である。例えば、QとM将軍は紙一重である。だが、犠牲者の数が全然、違う。例えば、Qの被害者は私と子供の三人だけである。だが、その影響は重大である。Qの支配性がどう子供に影響したかは後述する。
  Qは結婚前には粘着性を前面に出して来た。その粘着性は私のものとはレベルが違っていた。文字通り二十四時間、私から離れなかった。出会った初日から私のアパートに住み着き、A1大学まで付きまとって来た。そんな若い女性の粘着性はそれなりにかわいかった。私はそれを愛と錯覚した。繰り返すが、結婚後は支配性が前面に出てきた。家庭において二人の子供も私も支配しようとした。その支配は子供に対しては、過保護や過干渉とは質、量ともに異なる囲い込み・独占となった。そのため、子供二人はたまたま休日に私と三人で外出するといやにのびのびしていた。普段、Qの前ではしないようないたずらもしていた。それらはなんとも哀れな光景だった。子供がそうなった過程については後述する。私に対しては、Qは休日はともかく家庭に居て、研究をしないことを要求した。
  Qは私に対して破壊性をむき出しにすることもあった。私は子供と遊びながらもときにポケットコンピューターで論文を書いていた。それを見つけると、私に喚き散らし、私を蹴飛ばい、ポケットコンピューターを取り上げて壊そうとしてきた。また、食事のときに私が何か気に障ることをいうと、食器を投げてナイフを握るようになった。私の顔にはスープのカップを投げられてできた傷が数週間残っていた。A1大学の同僚にはよく笑われた。そのように破壊性が他者に向かうことはあるが、基本的にはQの破壊性は自己に向かう。Qには一人で風呂に入る習慣があり、その間、私が子供の世話をしていた。実際はQはその間、風呂で密かに左前腕を自傷していた。
  私が離婚を考えていたある日、Qは離婚届を居間のテーブルの上において子供を連れて去って行った。実家に帰ったようだ。私は離婚届けを役所に提出し受理された。その後のQと子供については後述する。
  Qが去って行った後、私はQのことを割り切ろうとしたが、できなかった。Qの言葉が響いた。Qは「I(私)は人を愛すことを知らない。愛とはいかなる犠牲もいとわないこと」とよく言っていた。そんなことはない。結果として犠牲になる愛は許容できる。それに対して、犠牲を強いる愛は、何かのために利用される偽物の愛だ。それは十分に分かっていた。だが、割り切れなかった。「権力の民主化や分立や革命だの言っているが、俺は何のために生きているのだろう」「俺は権力を民主化し分立するような人間性をもっていないのではないだろうか」…などと思い悩んだ。また、私に乳児期幼児期前半から形成されている粘着性、つまり、独りになることへの不安が強烈に出てきた。独りのアパートに帰るのが恐かった。誰でも恋人や配偶者と別れた後はそんな気持ちがあるだろう。私の場合はもとからあった粘着性によってそういう気持ちが強化され強烈になった。
  私は思想史の研究に没頭した。既にある文献を漁るだけでなく、あの「放射能残留立ち入り禁止区域F」に入って放射能が残留していないことを確かめながら文献を発掘した。その区域に張ったテントが私の家になった。その辺りの自然にも溶け込んだ。想像上のあの少女とその父親が夢に出てくることもあった。少女は「何だこの変なおっさんは…」というように私を見ていた。父親とは真剣に議論していたが、いつも私が負けていた。ちなみに夢は他人を含む外的状況を直接反映せず、自己の情動を含む内的状況を直接反映する。夢で見た外的状況は自己のそれらについての思考や情動を反映する。その辺りで夢で見たあの少女やその父親は、当時の私の自己に対する疑問や不安を反映していた。そうこうしているうちに時間が解決してくれた。「○○と結婚したのが間違いだった」「何故、あのとき○○と結婚したのか」「結婚する前のしばらくは愛し合っていたのだから仕方がない」…などと多くの元夫婦が思うようなことを思うようになった。また、権力を民主化し分立するのは人間性や人格をもってではなく必要性と可能性をもってだと思うようになった。
  その後も私はF区域に度々、入ってあの少女とその父親の手記、20XX年以前の図書館に残っていた文献…などの発掘と保存を続けた。それはもはや孤独を凌ぐためではなく、それらの発掘と保存が今後の私と世界に必要だと考えたからだった。実際、図書館から発掘した文献はあのP教授らが活かしていた。あの少女の手記は既に活きて宗教の代わりになっていたが、長い間、伏せておかれたあの父親の手記も活きて従来の倫理や道徳の代わりになるだろう。
  そして今、Uと出会い結婚を考えている。これは新しい人間との出会いであって、将来何が起こるかは分からず、過去の経験は参考にならない。それは恋愛や結婚に関する限りで言える。簡単に言って、恋愛や結婚に過去はなく、現在と未来が存在するだけである。

世代を超える悪循環に陥る傾向

  そのようにUとのことを考えているある日、心理カウンセラーQCがA1大学の私の研究室を訪れてきた。四十近く、私と同年配の女性で、A2大学発達科学部心理学科出身だった。彼女と私は大学時代に心理学の歴史についてちょっとばかり議論をしたことがある。彼女は現在、児童福祉の公的機関で子供のカウンセリングをする。今、前妻Qとの間の二人の子供のカウンセリングを行っていると言う。私の話をカウンセリングの参考にしたいと言う。
  Qは子供と三人で実家の近くで暮らしていた。母親も歳をとって、子供や孫たちに寛大になり、Qは母親と和解したようだ。QCはQの子供への接し方はいわゆる「過保護」や「過干渉」とは違うと言う。私は思った。
  Qは家庭において家族を支配しようとする。今は子供しかいない。だから、それぞれの子供に対するQの支配性は相当なものになっているだろう。だが、問題はQの現在の支配性だけではない。以下のようにして子供には既に陥る傾向が形成されている。
  人間は大なり小なり様々な対人欲求をもつ。一般に陥る傾向が強い人間は疎外され孤立することが多く、対人欲求を含む欲求の不満に陥っていることが多い。そのような人間のうちの母親に成った者は、家庭で子供で不満に陥った欲求を満たそうとすることが多い。その傾向に母親の乳幼児期から形成されている支配性、粘着性…などが加わる。すると、それらの傾向は、子供に対しては、「過保護」や「過干渉」よりも「独占」とか「囲い込み」と呼べるものになる。そのような母親に囲い込まれている子供は母親が居ないところで母親以外の人間に接するときはいやにのびのびしている。私が子供に感じたものはそれだったのである。過保護や過干渉ならまだしも、そのような独占や囲い込みでは母親の愛情は希薄になるまたは欠如する。何故なら、母親は愛情からほど遠い自分の欲求を満たすことしか考えていないからである。
  そもそも、陥る傾向の強い母親は愛情が希薄であり、それによって既に、子供には乳幼児的陥る傾向が形成されている。囲い込みによって、母親の愛情はさらに希薄になり、子供にはさらに陥る傾向が形成される。また、乳幼児にとって母親の乳幼児的陥る傾向は模倣しやすく、実際に模倣される。さらにそのような囲い込みの中で、乳児期幼児期前半から子供は通常のものとは異なる反抗をし、破壊性、支配性…などの陥る傾向が強くなる。それらが「世代を超える(悪循環に)陥る傾向」である。
  だが、繰り返すが、母親は子供に対する愛について難しく考える必要はない。前述の自然な愛情があればよい。
  それらのことは当然、心理カウンセラーは分かっている。QCは子供にカウンセリングをするだけでなく、Qにもカウンセリングを勧めていた。ところがQは応じない。もちろん、QCを含めて心理カウンセラーは私に介入を要求するようなことはしない。QCが所属する機関が母親から子供を引き離すような手段に出ることもできるが、それは身体的な虐待や放置がある場合に限られる。また、心理カウンセラーとしてもそのような手段に訴えるようなことはしたくない。どうするか。やはり、Qにカウンセリングを受けるよう説得を続けるしかない。QCもそのことは最初から分かっていた。QCはQについて私がもつ情報が欲しかったようだ。私は、Qが虐待・放置を受けていたこと、自傷していたこと…などできる限りのことを伝えた。当然、心理カウンセラーはそれらが私の口から出たことを誰にも明かさない。かつての私ならそれらを語ることは強い苦痛を生じ多くを語れなかっただろう。今ならできた。また、それらを語ることによって苦痛がさらになくなったと思う。つまり、QCは短い時間だったが、意図せずに私のカウンセリングもしていたわけだ。しかも無料で。それにしても、QCはこれから大変だと思う。あのQと渡り合えるのか。
  20XX年以降、「精神障害」の定義は限定的となり、「人格障害」と「発達障害」のほとんどは、前述の悪循環に陥る傾向であることが分かってきた。だから、それらは一般市民にとって身近なものになるはずだった。だが、普通の市民はカウンセリング料や精神科医療費を簡単に支払えない。だから、普通の市民は心理師や精神科医の助けを借りずに陥る傾向への直面を自分でやっていた。そもそも、直接的に自己に直面することができるのは自我でしかないのだから、市民が自分で自分の陥る傾向に直面することは適切で有効なことだろう。
  ところが、この頃の独裁政権は世界的に、反政府主義者を、暗殺または拉致拷問するだけでなく、偽の精神障害者として精神科病院に幽閉するようなこともしていた。そのようなことは20XX年以前にもちらほらあったことだが、また25YY年前の数十年愛大、復活していた。だから、精神障害という概念はまた広がり始めていた。それらの趨勢に抗議する心理師や精神科医もはたまた同じ苦境に追い込まれる次第である。彼らも現在の独裁政権の下では苦労している。
  早く独裁政権を倒して、市民もカウンセラーも精神科医も自由に陥る傾向に直面できるようにしたい。それはQや子供たちのためにもなるかもしれない。だが、そんな考えは捨て去ったほうがいいだろう。あの区域Fに事実上、住んで文献と遺跡を漁っていた頃、私にもときに、子供と別れた悲しみと子供に何かをしたいという気持ちがあった。その度に権力を民主化し分立することによってしか子供に何かをすることはできないと思っていた。だが、そんな情動から権力を民主化し分立するのでは、その民主化と分立に偏りができ、世界に迷惑をかけるかもしれない。政治制度は情動によってではなく可能性と必要性によって改革する必要がある。今はそのような情動とそのような目的を別個に追求できるようになっていると思う。
  また、私に両親やP教授を殺害したM将軍らへの復讐心がなかったわけではない。だが、そんな情動から権力を民主化し分立するのでははたまた、民主化と分立に偏りができ、世界に迷惑をかけるかもしれない。だから、私はそれらの情動をできる限り排除しようとしてきたし、かなりの程度、排除できていると思う。

人格はほとんど遺伝しない

  あいかわらず、Uと私は互いのアパートを行ったり来たりしてほどんど同棲状態だった。Uのアパートに二人で居るときに、Uの実母がやって来ることが何回かあった。なるほどUの実母だけあって、顔だちはよく、知能は高そうだ。Uにカネを借りてそそくさと帰って行った。と言っても、借りて行くのはわずかばかりのカネだった。数か月後に、わずかなカネを借りに来るのは、Uの元気な顔を見て安心するためだったことが分かることになる。
  話は数十年前に遡る。その実母はUの実父との結婚後も他の男と遊び回り、実父はUの妊娠後、去って行った。Uが産まれた後も、実母は遊び回り、Uは生後すぐに親戚に当たる女性に引き取られた。Uはその女性を今でも「お母ちゃん」と慕っている。その女性を「養母」と呼ぶことにする。
  その養母はAT街の片隅で大衆食堂をやっている。Uと私は昼の忙しそうな時間帯をはずして午後2時半頃に行ってみた。予想通り他に客はいなかった。昼の定食の材料はまだ残っていたので、注文した。独創的な料理で旨かった。養母は遠い親戚だから、当然、Uとも実母とも似ていない。養母はカウンター越しに「Uは子供の頃から勉強ができて、しかも誰にも優しい子だった。私が育てたも同然と人は言うかもしれないが、本当に手のかからない子で、私は何もしていない…」などとUについて語る。
  Uよりむしろその養母の人格の深みと優しさが滲み出ている語りだった。カウンターの中には養母とその実子二人と子供の頃のUが実の親子姉妹のように写っている写真が飾られていた。それを見て、私は思った。「『醜いアヒルの子』とは二つの意味で異なる。アヒルの中で育ち醜いと思われていた子が美しい白鳥になったのではない。まず、その子は既に美しかった。何より、アヒルの親子が美しかった」
  悪循環に陥るにせよ陥らないにせよ、自我の枠組みは主として遺伝子よって先天的に形成される。それに対して、自我の傾向を含む自我の内容は後天的に主として乳児期幼児期前半から思春期までに形成される。それぞれの個人の人格は、知性、知識、情動の傾向、意識的機能の能力、自我の傾向から構成されるが、自我の傾向が人格の大部分を占める。だから、人格は主として後天的に形成される。人格はほとんど遺伝しない。Uとその実母と養母とその実子がそれを証明している。もう少し詳しく言うと、Uの知性と顔つきと体格は実母から遺伝子を通して受け継ぎ、Uの知性を除く人格は養母に保護されつつ後天的にU自らが形成した。
  Uと私は店を出て散歩した。私がその養母の人格を讃えていると、Uは「お母ちゃん(養母)やお姉ちゃん(養母の実子)をいつかウインタースポーツをしに北の国に連れて行きたい」と言う。私は思わず「俺も一緒に連れて行ってくれ」と言っていた。二年後にそれらの願いはかなうことになる。今、A国は盛夏。暑い。Uが「雨でも降れば涼しくなるだろうな」…私が「夏はやっぱりアイスキャンディーだ」…などと言っていると、稲妻が走り雷が轟いて、本当に夕立が注いで来た。Uも私も大喜びで駆け出し、本当にアイスキャンディーの専門店に駆け込んだ。

反政府主義者の暗殺者の独裁政権による暗殺とそれらの暗殺者の反政府グループによる保護

  Xは軍の諜報機関の内部ネットワークにも侵入し、驚愕する事実をつかんでいた。軍の中には反政府主義者を暗殺する暗殺者の集団がある。P教授を暗殺したあの若い男もその一人である。彼らはM将軍の命令の下で暗殺を実行している。ところが、暗殺の事実とそれがM将軍の命令によるものであることを隠蔽するために、その暗殺者たちもいつかはM将軍の命令によって暗殺される。あの若い男もいつかは暗殺される。
  それらについて私、X、Zは以下のように議論した。

X:彼らもいずれは暗殺されることを暴けば、彼らは離反するでしょう。
私:それでは彼らはすぐに暗殺されてしまう。
Z:彼らに隠密にそれらを伝え彼らを潜伏させよう。
私:そうすれば、反政府主義者の暗殺は激減するだろう。
Z:だが、彼らを信用するわけにはいかない。彼らが潜伏所に潜伏しても彼らを絶えず監視していなければならない。
X:だけど、彼らの証言はとれる。特定の人々の死が事故ではなく暗殺によること、それがM将軍の命令によること…などの証言はとれる。それは必要でしょう。
私:そう思う。彼らは革命の裏方としては役には立たないだろうが、革命後の裁判で証人として重要だ。
Z:そうだな。彼らの保護は困難なことだが、何とかやってみよう。あの若い男が手掛かりになるだろう。

その後、Zらが彼らのこの計画を堅実に実行した。その結果、A国では反政府主義者の暗殺は激減した。元暗殺者は潜伏者になるだけでなく完全な離反者になり様々な情報を提供してくれた。あの若い男も含めて。数か月後に、M将軍は幾多の暗殺が自分の命令によることを否定するが、彼らがそれらがM将軍の命令によることを証言することになる。あの若い男も含めて。彼らは暗殺の実行を認め、それらがM将軍の命令によることを証言したので、暗殺の実行について有罪とならず、実名も公開されなかった。あの若い男も含めて。それらは世界的趨勢であり、他の独裁者の命令の下に他の離反者によって実行された他の犯罪的行為についても言える。

大量虐殺の跡

  あのXが政府の極秘の記録と公共事業の計画から以下のような情報も入手した。

十五年前、A国の首都のある公園で約三千人の市民による比較的激しい反政府デモがあった。独裁政権の黒幕であるM将軍らはそのデモを丸ごと鎮圧し、市民の死骸が横たわる約千平方メートルの土地を丸ごと土で覆い、台状の広場とした。最近、その広場で遊ぶ子供が人骨を拾って来ているという噂が広がっている。その虐殺の跡を完全に消すためにM将軍らはその土地に娯楽施設を建設しようとしている。まずその土地の表面だけの測量をする会社を選ぶ入札競争がある。

私たちは、架空の会社を作って、その測量の入札競争に参加し、契約を得た。グループGの中には測量と建築土木の仕事をしていたスタッフもいた。それらのスタッフとともにZ、U、私は現地にやってきた。Uは嫌がるだろうと思っていたが、意外にも骨拾いを率先してやってくれた。Uは医者だから人骨をすぐに見抜けると最初は思った。だが、そうも簡単にいかないようだ。考えてみれば、それは当然のことだ。Uを含めてほとんどの内科医は解剖実習でしか人間の骨を直接、見ていないのだから。深夜に作業をし、七日かかった。その土地の無作為抽出した部分を掘削機で掘り返し、人骨らしいものを収集した。写真も撮った。よく見てみると、首関節が斜め上方にねじれ、顎関節を開けたままのものが多かった。化学兵器でやられ、即死せず、悶え苦しみながら亡くなったようだ。掘った跡は埋めて元通りにした。Uの研究所で人骨を同定した。
  この時点で私たちは、無作為抽出した部分の犠牲者数から全体の犠牲者数を推定した。犠牲者数は「約三千人」どころではなく、一万人を超えることは確実だった。つまり、極秘の記録においてでさえも、彼らは犠牲者の数を低く記録していたのである。この時点ではその誤差が故意によるのか何らかの間違いによるのかは分からなかった。後の裁判で、M将軍は犠牲者を数えることもなくすぐに埋めるよう命令していたことが分かることになる。
  深夜の掘り返しは怪しまれなかった。また、測量にも間違いはなかった。だが、迫り来る第四次世界大戦の喧騒の中で娯楽施設建設は始まらなかった。革命後には集団墓地兼記念碑が建つことになる。
  革命後の独立した司法権において、それらを証拠として大量虐殺が確定する。だが、特にこの地が歴史に残ることはなかった。それはこの地の犠牲者数をはるかに上回る大量虐殺が世界で多数あったためである。

何故なんだろう

  私はA1大学で当然、教育の仕事もしなければならない。今まで例のF地区の発掘の仕事で忙しかったが、いくつかの講座はもち、レポートや論文の書き方の指導もしていた。二十五年ほど前にA国は南方の小国に侵略した。密林での長期の局地戦争となった。A国の十八歳から二十五歳の市民の約五パーセントがその戦争に徴兵され、前線に送られた徴収兵の約三十パーセントが死没した。それらの死は「戦死」とされたが、実際は無謀な軍事作戦による密林での遭難や不十分な食糧供給による餓死や不十分な医療による病死も含まれていた。ところで、それらを起こしたのはM将軍の前の独裁者だったので、M将軍はそれらを批判する言動を厳しく弾圧しなかった。
  そのときの戦死者の遺族の語りを編集してドキュメンタリー映画にして論文として提出してきた男子学生がいた。その中で以下のようなことを語る七十代の女性がいた。

  ある日、偉そうな軍人がやってきた。息子が戦死したと言う。軍人は「息子さんは密林で襲撃され、遺体も遺品も回収できなかった。墓は政府が作る。息子さんの遺影となる写真を貸して頂きたい。郵便でお返しする」というようなことを言っていたと思うが、私はまともに聞ける状態でなかった。手元にあった写真を渡した。しばらく外出することもできなかったが、政府が主催する彼らが言う葬儀と埋葬にはなんとか行った。彼らが言う祭壇の前に並ぶ無数の顔写真の片隅に息子の写真と名前が小さく見えるだけだった。しばらくして、私は、息子は死んでいない、世界のどこかで生きている、という確信のようなものをもつようになった。今でもそうだ。そう思い込もうとしたわけではない。自分の頭がおかしくなったとも思わない。息子の遺体も遺品も帰って来なかったからだとも思わない。戦死者遺族にこんな思いをさせないために遺体は回収されるべきだというのでもない。何故、私はこのような息子は生きているという確信のようなものをもっているのだろう。

とその女性は語る。
  私はその息子の出征前の人柄についての母親のコメントも入れたほうがよいと思った。私はその学生とともにその母親に会いに行った。母親は以下のように語る。学生はカメラを回している。

息子は平和主義者で反戦論者だったと思う。いかなる戦争も許されないというようなことをよく言っていた。だから、徴兵されても拒否すると思い、息子だけでなく自分に降りかかる災難も覚悟していた。だが、息子はいつもの穏やかな口調で私といつものことを会話して、出征していった。

  私はその息子の名前を尋ねてメモしておいた。学生とはいつものように実名は伏せることを確認した。独裁政権の下ではそれは常識である。

多重人格障害とは何か

  私は科学技術史の実習の一つとして、精神医学に興味をもつ学生を精神科病院に連れて行くことがあった。つまり、この実習は必修ではなく選択できるものの一つである。精神科病院の入院患者の大半は統合失調症を抱える。それが精神障害者施設の現実である。ところが、幸か不幸か、ある男子学生が、20XX年以前なら「解離性同一性障害」(多重人格障害)と診断されていた女性との面接を受け持った。
  自己のイメージは前述の幼児期後半前思春期の初め頃(四歳頃)に生成し、乳児期幼児期前半(三歳以前)にはまだ確固とした自己のイメージは生成していない。そのような乳児期幼児期前半の乳児または幼児が親から虐待・放置され強い苦痛を受けると、その後も自己のイメージが揺らぎ続けて不安定なものになることがある。不安定な自己のイメージに対応して、自我も不安定なものになることがある。複数の自己のイメージが生成し、それに対応して自我が複数、生成しかけることがある。だが、複数の自我が完全に生成することはない。この混沌が「多重人格障害」である。だが、20XX年以前の小説や映画にあったようなドラマチックで、場合によっては危険な「多重人格」は稀である。稀なドラマチックなものにしても、そのような小説や映画に触発されたか、精神科医や心理士との面接の中で形成されることが多い。多重人格は小説や映画や精神科医や心理士が作ったものであると言うのも一概に極論ではない。考えてみれば、三歳以前の強い苦痛から生じた混沌としたものがそれだけでドラマチックなものになるわけがない。危険なものにはなりえるが、ドラマチックな危険さではない。例えば、ネット上で有名人を誹謗中傷する程度である。もっとも、その誹謗中傷は凄まじい。同一人物とは思えないという利点もある。被害者は大変だろう。私は有名人でなくてよかった。
  さて、三歳以前の実母からの虐待によって、その女性入院患者の自己のイメージと自我は激しく揺らいでいた。その実習の中頃に、その学生の面接によって、その女性患者に多重人格が形成されてしまったと病院側は主張し始めた。その病院の彼女の主治医である精神科医は、「少なくとも彼女を守る人格と彼女の親に復讐する人格が形成され潜在している。この人格が顕在化し、病院のスタッフが彼女を制止できない場合、彼女は病室の窓ガラスを割り飛び降りてでも、親の家に向かおうとするかもしれない。彼女は自他ともに非常に危険だ」と言う。だが、そのような人格を探り出すこと自体がそのような人格を形成するまたは強化していたのかもしれない。簡単に言って、その精神科医が多重人格を創出したのかもしれない。だが、病院側は彼の面接を打ち切りそうになった。考えてみれば、そのような危険があるのなら、病院側が最初から実習学生に彼女への面接を許可しなければよかっただけのことである。だが、私も彼も病院側に謝罪して、彼の面接の打ち切りは免れた。
  その後、彼女の多重人格障害は潜在し、彼女は退院した。数週後には通院もしなくなった。だが、その男子学生は彼女のサポートを続けた。さらに彼はA1大学の医学部に入り直して、精神科医を目指している。
  そんなある日、彼と彼女が二人で私の研究室にやってきた。「結婚します」と彼が言う。彼女もうなずく。だが、結婚が近づくにつれて彼女は不安定になっているようだ。しばらくして彼は言う。「実を言うと、ボクはあの実習が始まった頃から彼女が好きだったんです」  これには彼女も私もびっくりした。これが効いたようだ。
  二人のその後について、結婚してうまくやっている。彼女の付加された人格は消退したようだ。多重人格障害では、人格を統合しようとするより、付加された人格の自然消退を待ったほうがよい。20XX年以前の精神科医や心理士なら、「多重人格障害においては、必要なのに周りに存在しない人間が別人格として形成される。必要のない別人格は消え去る。彼女を守る人格も親に復讐する人格も必要がなくなったから消え去ったのだ」と言うかもしれない。それは理解できる。それに対して、「彼が彼女を守る人格にとって代わったのだ」と言うのは言葉の遊びに過ぎない。簡単に言って、彼が多重人格にあまり注意を払わず、彼自身が情動を隠さなかったことが効いた。いずれにしても、彼は「多重」の意味でうまくやったと思う。第一に、解離性障害の人の大半は女性であり、美形でやせ型が多い。彼女もそうだった。実習中に彼が急ぐと問題が生じただろうが、彼は急がなかった。第二に、彼女の退院後も彼は彼女をサポートしたが、その間の急がず、彼女の付加された人格が消退するのを待った。第三に、それらが消退した後で自分の情動を吐露した。かくして、前述の多重人格障害の最善の治療法を彼は自然ととっていた。第四に、医学部に入り直して精神科医を目指すのは余計だったように見えるが、今度は彼女が彼を経済的にサポートしている。

薬物依存乱用

  25YY年においても医療でガン性疼痛などの強烈な疼痛に対して麻薬が使用されることがあった。医療以外での麻薬の使用は違法であり、厳しく規制されるはずだった。だが、この頃、政治的経済的権力者は一般市民の反政府的エネルギーを削ぐために、医療用の麻薬を裏で入手して流通させようとしていた。だが、一般市民はそんな話に乗るほど馬鹿ではない。そこで結果的に、権力者は手に負えない自分たちの愛人や放蕩息子を手なづけ、場合によっては闇に葬り去るために麻薬を乱用していた。その結果、薬物専門の精神科病院に入院しているのは、そのような愛人や放蕩息子が多かった。
  私は毎年、そのような病院に薬物問題に関心をもつ学生を実習として連れて行った。その実習は必修ではなく選択できる実習の一つである。その実習を選択する学生は多くはなかったが、選択した者は興味本位ではなく、真剣に入院患者と向き合った。その実習を選択性にしたのは正解だった。だが、離脱期の患者は自他ともに危険であり、さすがに病院は急性期病棟への学生の立ち入りを許可しなかった。
  そんな実習中のある日、その病院の院長が私を院長室に呼び入れて、離脱を通り越したばかりの患者について貴重な症例を提示してくれた。「ただし、君に限って面会してもよい。だが、今の独裁政権の下では、彼女の同意があっても公開しないほうがよい。彼女を愛人として麻薬で囲った大企業の重役とその重役と癒着する政府の高官が圧力をかけてくるだろうから」と言う。私は了解した。
  その症例というのは、二十歳代後半の女性。麻薬依存乱用。シングルマザー。三歳の息子に麻薬を打って殺害した疑いで逮捕された。だが、いわゆる「責任能力」なしで起訴されず、この病院に送られてきた。政治的権力者は反政府主義者の捕獲と拘束に忙しく、刑務所はいわゆる政治犯でいっぱいであり、彼女たちを容れる余地がなかったのだろう。
  時は三年半遡る。息子が産まれた後に離婚。息子が乳離れした後、彼女は大企業の重役の愛人となった。その重役は最初は大金をくれた。やがて、高級レストランやホテルには連れて行くが、カネをくれず、高級食品、飲料…などと麻薬を彼女のアパートに配送するようになった。それは重役にとって麻薬で愛人を弄んだ後に闇に葬り去る絶好の手段だったのだろう。やがて、食品の配送は途絶えたが、彼女は麻薬欲しさのために文句を言えなかった。また、彼女は子供がいることを隠していたので、子供の食料だけでも送ってとは言えなかった。彼女は高級レストランやホテルに連れていかれて食事ができるが、息子は直接、食べられない。彼女はレストランで出されたものをビニール袋に隠して、持って帰って息子に食べさせた。もちろん、それでは足りなかった。息子は痩せて行った。便通もなくなり、ただ腹が膨れるだけだった。持ち帰った食材も吐き戻すようになった。やがて泣く元気もなくなった。彼女はたまりかねて、自分の麻薬を息子に打った。常用している彼女の一回分は初体験の三歳の子供には当然、過剰だった。息子は最初は多幸的になったが、すぐに呼吸が途絶え死亡した。彼女は慌てふためいた。近所の住人が通報し、彼女は殺人の容疑で逮捕されたが起訴されず、この病院に送られてきた。
  私が彼女と面会したのは離脱を通り越し点滴も外れた頃だった。病院の南側の小さな個室を院長が提供してくれた。窓のレースのカーテン越しに柔らかな光が指す。レース越しにでも外の新緑が見える。彼女にとってはそんな眺めさえも新鮮なようだ。それらを眺めながら最初は落ち着いて語る。

警察は何故、少しでもいいから働かなかったのか。子供の食事代ぐらいは稼げるだろうと言う。だけど、まともな仕事の給与は月末になる。今のパトロンにすがるか、新しいパトロンを探すしかない。だけど、すぐに新しいパトロンが見つかるわけではない。警察はそれなら生活保護や母子保健があるだろうと言う。だけど、それらは手続きに時間がかかって、すぐに息子の食事代が得られるわけではない。それと、役所に行ったり、息子を病院に連れて行くと、自分の麻薬の使用がバレるのが恐かった。息子の呼吸が止まりかけたときは、すぐに救急車を呼んだが、警察のほうが早く来た。救急隊はだいぶん遅れて来て、息子の死亡確認をしただけだった。

その女性はそう語っていた。確かに、現代の独裁政権の下では医療や福祉は硬直化し柔軟性や緊急性に欠けていた。実際に彼女の家庭のような悲劇がよくあった。彼女は薄っすらと涙を浮かべて続ける。

息子の虚ろな目。泣く元気もない。苦しいだろう。息子に自分の麻薬を打たずにはいられなかった。

その時の彼女にとって、苦痛を減退させるものとしては麻薬しか考えられなかったのだろう。「そんなことを考えられるなんて、責任能力がある。病院送りではなく、司法過程を経るべきだった」というようなことは、三権分立制も法の支配も確立してらず司法権が独立していない国家では考えられかっただろう。「せめて投与量を自分の一回分の何分の一かにするべきだった」というようなことは子供の苦痛をできる限り早く取り除きたい母親には考えられないことだったのかもしれない。
  革命後、国家権力が民主化され分立され司法権が独立した後、彼女は、病院や施設の壁の中で残りの人生を過ごすのではなく、社会に戻る道を選んだ。自ら、責任能力があったしあると主張して司法過程を進み始めた。入院したままの在宅起訴となった。彼女は裁判所で息子に麻薬を打ったときの自我と情動を真摯に語った。あの院長は、彼女の同意を得て、彼女のカルテを含む医療記録を公開した。私はこの書にこの章を含める彼女の同意を得て、この書を出版した。それらを契機として、彼女の支援団体が結成された。一審で過失致死として執行猶予付きの懲役五年の判決が下り、革命後の新政権下の検察は二審に持ち込まず、一審の判決が確定した。裁判官は旧政権の医療・福祉の硬直化を指摘していた。あの重役はまだ同様のことを他の愛人にやっていたので、逮捕・拘留・起訴された。彼女は退院し、執行猶予中もその後も普通に働いた。
  世界革命で世界中の独裁制が崩壊した後は、違法薬物を裏で製造し流通させる者が存在しなくなり、麻薬は医療以外では使われなくなった。もし麻薬が裏で製造、流通されていたとして、彼女は麻薬断薬に成功していただろうか。私は歴史学者として、20XX年以前の蔓延の始まり以来、麻薬断薬がどんなに困難だったかを知っていた。だが、息子を失ったことが彼女にとってどれほど重かったかは私たちにとっては想像もつかないのだから、彼女がそれに成功していたかもわたしたちには想像もつかない。
  ところで、アルコールも「薬物依存乱用」における薬物に含まれる。私は、乱用とまではいかなくても、アルコール依存かもしれない。私には仕事があるから、連続飲酒や離脱を避けられているのかもしれない。一生、仕事を続けるしかないのかもしれない。ある日、それらをあの院長に話してみた。すると、笑いながら「確かに仕事はずっと続けたほうがいい。だが、君がアルコール依存であるとしても、軽度じゃないのかな」と言われた。だが、そのすぐ後、院長は真剣な顔になって言った。

今の独裁政権は、大量飲酒の弊害とアルコール離脱の恐ろしさを現実よりはるかに激しいものに変えて、市民の飲酒量を減らそうとしている。すると、市民は離脱を恐れ過ぎて飲酒を続けるから、飲酒量はかえって増えてしまっている。私たちはそれらの弊害と恐ろしさの実態を市民に伝えたいだけだ。

とその院長は語る。その願いは数か月後には叶うことになる。
  さらに、数年後には以下のことが明らかになった。独裁制が崩壊し、何にしても自由になると、(1)一人当たりのアルコール消費量と(2)アルコール依存者の人口に対する比率が増加するというような予想があった。だが、その予想は外れた。独裁政権下では、社会において抑圧されたものが

(3)家族と同居する者の家での飲酒、「内弁慶(A lion at home and a mouse abroad)」または家庭内暴力
(4)独り者の家での飲酒

の増加として現れていた。独裁制が崩壊した後は、(3)(4)が減少し

(5)社交的な飲酒と
(6)独り者の店での飲酒

が増加して、結局、(1)(2)は変わらなかった。いずれにしても、(3)の減少はほとんどの市民に歓迎された。

脳の自然な老化

  私は科学技術史の実習の一つとして「脳の自然な老化」専門の病院と施設の複合体に学生を連れて行くことがある。この実習は必修である。
  世界の平均寿命は九十歳を超えていた。前述のとおりこの頃、ほとんどのガンと感染症は克服されていた。だが、遺伝子治療のような高度な医療は高額で庶民の手は届かない。だから、平均寿命を引き上げているのは、政治的経済的権力者と高額所得者とその家族である。それらの人々はガンと感染症と心疾患や脳血管障害を乗り越えてきたし、これからも乗り越えるであろう人々である。では、それらの人々の心的機能やいかに…
  20XX年以前には人間はそれらの病気だけでなく「老化」も克服でき、人間が死を乗り越えることは全く不可能ではないという期待が一部にあった。確かに、循環器系、呼吸器系、消化器系の老化を抑えることはある程度できた。それに対して、神経系、特に中枢神経系、簡単に言って脳の老化を抑えることはほとんどできなかった。それは認知症を克服することができなかったということではない。認知症はある程度克服できた。だが、認知症がなくても脳は自然に老化する。そのような脳の自然な老化を抑えることができなかった。
  脳の自然な老化によって、百歳に達したほとんどの人間の記憶力と思考力は最盛期の半分以下になる。一週間に一回、面会に来る家族は認識できるが、一か月に一回しか来ない家族は認識できないことが多い。読書はできない。字は書けない。映画やドラマを見ても、場面場面のジョークは理解でき笑っているが、ストーリー展開を理解することはできない。当然、食欲、飲水欲は残るが、点滴や経管栄養に頼らない場合は、一対一に近い介護がないと普通の食事ができない。
  もちろん、学生は高齢者の実際の介護をするわけではない。学生にはともかく高齢者と交流してもらう。大抵の学生は楽器を奏で一緒に歌おうとする。一緒に歌えるのは高齢者が若い頃に流行った歌だけである。今の歌ばかりだと、高齢者の心は去って行く。だから、この実習の前半は大衆音楽史の研究のようになる。ここまでは学生も高齢者とけっこう楽しくやっている。
  だが、ここまでの実習で学生の相手をするのは、一階二階の(病院ではなく)施設の百歳までの高機能高齢者である。その後には上の階の本物の病院の見学が待っている。病院はホテルのような造りで、窓もたくさんあり、カーテン越しに柔らかい光が指す。花もあちこちに活けられている。他のものが見えない限りは、延々と流れる時のようなものを味わえる。
  「他のもの」というのは、わけの分からないことを喚く人々、喧嘩をしてスタッフに止められている人々、喧嘩や転倒でできた痣が包帯からはみ出している人々、一日中同じところに座っている人々…など。だが、それらはまだ、ホールに出てこられる人々である。病室に入ると、寝たきりの人々はもちろん、骨と皮だけで頭蓋骨がいやに大きく見える人々、チューブや機械に繋がれるどころかそれらに埋め込まれた人々、目を合わせるとしても虚ろな目。ここまで見学した後、大学に帰って討論をやる。すると、

A:平均寿命を延ばす必要はもうないのではないか。医療や福祉はもうこれ以上進歩しなくていいのではないか。
B:一般市民もああいうのを目撃すれば、低所得者層や中間層に生まれてよかった、高所得によっては不必要な医療によって苦痛が長引くだけだと思うだろう。
C:低所得者向けの医療を充実させ低額化する必要はある。
D:あのような高額所得者またはその家族向けの高齢者医療はさらに高額化する必要があるのではないか。すると、あのような医療を望む人や家族は減り、あのような苦痛は減退するだろう。
E:その高額化から得られた利益を低所得者と中間層向けの医療の低額化のために回せるじゃないか。

となる。ここで注意していただきたいのは、高額化する必要があるのは「あのような高額所得者またはその家族」向けの高齢者医療であって、一般の医療ではないということである。
  Uにそれらの実習と討論のことをたまたま話してみた。すると、「医療費は全部、低額化すればいいじゃないの」とあっさり片付けられてしまった。討論の背景を考慮してもらわなければならないと思った。だが、今の私たちにはもっと重大な問題があった。

偽の全体破壊手段

  さて、Uの今の仕事は例のUが開発した偽物の全体破壊手段を増産することと、それが偽物であることがバレないように監視し守ることだった。Uはほとんどの時間を研究所で過ごさないといけなくなった。私も夜はUの研究室で寝泊まりするようになった。軍事施設や諜報機関やガチガチの公的機関ではないから、非難されたり怪しまれることはなかった。Uの研究室にはU専用の当直室があり、風呂トイレ付き、研究者の仮眠用とは思えない豪華なベット付き。豪勢な夜食と朝食も付いていて、それらを二人で分けた。それで二人とも十分だった。Uも私もそこでの夜と朝を満喫した。超高層ビルの最上階にあり、窓から首都が見渡せる。朝には遠くの山の端から太陽が昇るのが見える。部屋の中にも朝日が差し込んで来る。手前にはあの夜、市民が集結した公園が見える。木々が青々と茂っている。その公園を中州として、大河が山と高層ビルを切るようにして海へ流れる。20XX年以前には内陸部の農産物と近海の産物を運ぶ船が往来していたと言う。今も浚渫船が橋をくぐるのが見える。結局、首都の大部分はその大河の河原に建設された。20XX年の第三次世界大戦で不変遺伝子手段を含む生物学的兵器によってこの街は無人となった。数十年後、地下のシェルターに逃げ込んで生き延びた者たちの子孫はほとんどの建造物を建て替えた。大河の流れさえ変えた。堤防も過剰なほどに高く堅牢なものとなった。都市計画のうちそのような堤防を作ることだけは成功だった。20XX年以降、洪水の記録はない。といっても、堤防はせいぜい三階建ての建造物程度の高さで、高層ビルと比較するとたいしたことはない。だから、ここからは大河がそこそこ見渡せる。
  さて、Uは次のような全体破壊手段のうちの不変遺伝子手段の開発をM将軍らから強要されていた。

(1)遺伝子の塩基配列以外のものを変えて、変異を被らないようにし、永続的な感染性と毒性をもたせる。
(2)従来のウイルスより軽量で、咳やくしゃみがなくても日常会話だけでも感染する感染性をもたせる。
(3)現在のいかなる薬剤、消毒法に対しても耐性をもたせる。
(4)肺胞細胞から血液中に出るが、終始、免疫を免れるようにする。
(5)変異を起こさないようにして、それによって感染から数か月~数年後に造血幹細胞に感染させ破壊させ、赤血球とB細胞、T細胞を含む免疫細胞群を枯渇させ、貧血と免疫不全による地上の人間の死をもたらすようにする。
(6)すべての人間に感染させるが、哺乳類等の高等動物に感染してもかまわない。

それに対してUは、遺伝子の塩基配列以外のものは変えず、(2)の感染性は軽度にあるが、(1)(3)(4)(5)(6)は一切ないものを開発し製造していた。すると、権力者は感染を防ぐためにシェルターに潜った数年後にもその感染性に満足するだろう。長い潜伏期の後に地上の人間は絶滅すると待つだろう。ところが、彼らが期待したことは何も起こらない。権力者が私たちのもくろみを知り憤慨するのは数年後だろう。それまでには裕に革命を完結できるだろう。
  だが、安全性を確かめるテストは必要である。Uは当然、人工臓器や人工組織に対するテストはしていた。念のために実際の人間にもしておいたほうがいいだろう。Uは既にそれらのテストを自らに施していた。また、私、Z、X、T…などグループGのスタッフの何人かもテストを引き受けた。U、X、Tの症状は軽い風邪程度です済んだ。私とZには症状と呼べるようなものはなかった。Zはともかく、俺って馬鹿なのかと思った。20XX年以前にはいくつかの文化圏で「馬鹿は風邪を引かない」というような諺があったからである。
  さらにUは種々の哺乳類でテストした。この点に注意していただきたい。私たちは人間にテストしてから他の動物でテストした。従来と逆である。それは、犠牲を自ら負うというような精神ではなく、Uは自分を信じ、私たちはUを信じていたことと、重要な手段は重要な対象からテストして、対象に何かあればすぐに手段の改善に取り掛かるというUのポリシーによっていた。おおかたの哺乳類でのテストも軽い風邪程度で済んだ。Uは研究所でウサギRを飼っていた。UはRにもテストした。すると、Rにとってはきつい風邪だったようで目をやられて失明してしまった。かつていくつかの文化圏でウサギの目は赤いと言われていたことがあるが、瞳孔が赤いのではなく白目に出血があった。UがRに近づき話し掛けると、RはUを臭いと声で識別したようだ。耳をピックと立てて、よたよた歩いてUにすりよってきた。Uはそれを抱きしめて「ごめんね」と涙ぐんでいた。
  ところが、Rは失明していなかった。その目は回復し、視力も回復した。Uは泣いて笑って喜んだ。そして、Rの目が炎症を起こしたのは他の病原体によることが分かった。その病原体を運んだのは新参者の私のようだった。通常、実験動物は仮説に無関係のものの影響が及ばないように厳密に隔離される。だが、Rは実験動物というよりUのペットだった。UはRの目の炎症の原因をもっと早く調べるべきだった。史上最高の医学研究者といえども、そういう盲点があるのだろう。だが、Uが開発し製造した偽物の全体破壊手段が完全な偽物として機能すること、さらに後にUがガンと感染症を完全に克服すること、医療を低額化すること…などについて間違いない、と私たちは確信していた。数か月または数年後、それらの確信は的を射ていたことが分かることになる。
  Rの眼の快復の数日後の深夜にM将軍と軍の技術者がやって来た。彼らはUが開発し増産した偽物を非常に危険な病原体であると信じて、巨大な保冷庫に詰めて持って行ったらしい。その搬出予定はUらに知らされ、私も聞いていたので、私はその夜はUの研究所に近づかないようにした。偽物であることがバレないか心配だった。だが、それ以上に一夜といえどもUと会えないのがつらかった。M将軍はUをいやらしそうな目で見ていたと言う。それで偽物であることがバレないなら仕方がないと思った。実際、偽物であることは革命終結までバレなかった。また、世界で本物の全体破壊手段は使用されなかった。だけだった。世界は平和になった。だが、後にM将軍によってUと私と、XとTに普通の恋人や夫婦には想像もできないことが降りかかることになる。

政治的権力者と経済的権力者の癒着

  さて、私とZとXは相変わらず例のAT街の店AQに一週間に一、二回は飲みに行った。N大佐もたまには来てくれた。Tはよく来るようになった。Uは、疑似の全体破壊手段が搬出された後も、軍の施設に赴いて、公的にはそれらの管理、実際はそれらが偽物であることがバレることを防がなければならず、忙しくて店にはあまり来れなかった。また、Uは、他の軍事施設も視察して、他の全体破壊手段の使用準備がないことを何度も確認した。また、Xも軍の情報科学技術の産物に潜入してそれを確認している。この確認は非常に重要である。今後もUとXはその確認を続ける。だが、Uは夜は研究所に帰ってきたので、私は相変わらずUの研究所に寝泊まりしていた。
  店AQの常連客の中にAT街のY社のY社長がいた。私はY社の事務所兼製造所の前を通ったことがある。高層ビル街にあっても三階建ての小さな建物で、人目を引く。AT街を貫く大河を前に周りを気にせず建っている。Y社は中小企業で食品製造をやり、AT街の飲食店に製品の卸しをしていた。店AQにも卸し、Y社長はその客でもあった。私はカウンターでY社長とたまに話をするようになった。社長と言っても中小企業の社長だからフランクに話せる。
  あるときY社長が愚痴をこぼし始めた。「政府高官と大企業の幹部の癒着、汚職はすさまじい。昔、Y社はアルコール発酵によって食品を消毒するとともに長期保存ができ水溶性ビタミンを維持できる技術を開発した。俺は技術への特許と製造販売への認可を取ろうとした。だが、どちらも取れなかった。特許と認可が下りなかった理由は、アルコール発酵は酒類製造業にしか許されないというものだった。それは名目に過ぎなかった。その技術を政府高官が食品製造の大企業に売って、大企業は使っている。しかも高級食品にしか使っていない。俺なら庶民向けの食品に使用する」と悔しそうな表情と口調で語る。そりゃ悔しいだろう。自分が開発した技術を、自分は使えず、大企業は使っているのだから。また、庶民はその恩恵にあずかってないのだから。
  経済的権力の利潤追求そのものは大きな問題にならない。また、独占・寡占がなく自由競争が無傷なら、資本主義経済や市場経済は大きな問題にならない。最大の問題は政治的権力者と経済的権力者の「癒着」である。「汚職」のレベルまでいかなくても問題になることがある。いずれにしても、癒着という言葉は汚職を含むことにする。そのような癒着によって、政治的権力の独裁化が進むことがあり、経済的権力の独占・寡占が進むことが多い。さらに、そのような癒着によって軍官学産複合体の拡大が進むことが多い。
  千年代末期と二千代初頭の超大国と大国のいくつかは民主的であり、いくつかは非民主的と見なされていた。だが、後者だけでなく前者も全体破壊手段の開発、製造、保持、使用へと突き進み、世界大戦の動態を激変させ、地上の人類の絶滅をもたらした。それは前者においては自由主義と民主主義の覆いの下で、後者においては国家主義または全体主義または宗教の覆いの下で、以下の(1)-(4)が進んだからである。20XX年以降は、自由主義と民主主義は形骸化し、宗教は衰退し、国家主義または全体主義の覆いの下で(1)-(4)が進む。

(1)政治的権力者と経済的権力者の汚職を含む癒着
(2)経済的権力の独占・寡占
(3)軍官学産複合体の拡大
(4)軍官学産複合体による軍備拡張、特に全体破壊手段の開発、製造

この(1)-(4)は一見したところ民主的な国家においても自由主義と民主主義の覆いの下で進行し、軍官学産複合体はひとりでに拡大し、必要、不必要に係らず全体破壊手段を生産し続ける。20XX年後は、超大国を含めてすべての国家において民主的分立的制度は形骸化している。すると、(1)-(4)はなおさら進行する。結局、独裁制だけでなく従来の自由主義と民主主義を含む従来の政治制度の下では、(1)-(4)はなくならない。
  後述するとおり、国家権力を自由権と民主的分立的制度を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立するとき、軍官学産複合体の「軍官」の部分はL系に属し、「学産」の部分はS系の下にあり、軍官学産複合体は解体する。
  さらにその分立によって、以下のように一般の政治的権力と経済的権力の癒着をさらに厳しく抑制できる。公私の経済的権力に特許や営業等の許可や助成金を与えるのはS系に属するべき部門である。その部門が政治的権力者と経済的権力者の癒着の温床だった。それに対して、それらの癒着を捜査し司法権に起訴するのはL系に属するべき警察・検察である。だが、従来はそのS系に属するべき経済的部門もL系に属するべき警察と検察も一つの行政権の中にあり、それら自身が都合がよいときは癒着していた。国家権力がL系とS系に分立しているとき、L系に属する警察、検察はS系に属するそれらの部門の癒着をより厳格に捜査し起訴することができ、政治的権力と経済的権力の癒着がかなりの程度、抑制される。
  さて、Y社長が開発した技術の政治的経済的権力による乱用もそれらの乱用をもたらしたそれらの間の癒着と汚職も違法である。だが、政府がその技術による製造販売をY社に認可しなかった以上、Y社がそれをすることが違法になってしまう。そこで、Y社長はこっそり製造しAT街の飲食店にこっそり卸していた。この店AQにも卸していた。私も、彼が米のぬかから作ったが食べやすくしたと言う「革命でござる」という商品名をもつものを食べてみた。うまかった。ぬかがこれほどうまくなるとは意外だった。Y社長の開発した技術を使えば、破棄されたり人間の食用以外に利用されていた生物資源の部分が食べられるようになる。これは食糧難に対する決定的な技術になるかもしれない。そんな技術を現在の政府と大企業は高級食品の製造にしか使用していない。
  Uと私はY社長の技術について以下のように議論した。

政府や大企業はすぐに原子核操作や遺伝子操作や小惑星操作に走ろうとする。そんなものに走らなくても素朴で自然な生物学的技術で食糧難を克服して社会権を保障することは可能である。いずれにしても、原子核操作、遺伝子操作、小惑星操作のうち、核兵器、不変遺伝子手段、小惑星の軌道を変えるような小惑星操作が全体破壊手段であり、それらの全廃と予防が優先される必要がある。

結局、いつもの結論に達した。

資本主義経済・市場経済の限界

  店AQでY社長の愚痴を聞く人の中に大企業の社員がいた。三十代の男性で「やっぱり市場経済が最高の経済体制だよ。政府は経済にいっさい干渉せず、完全な自由競争に委ねればいい」とエネルギッシュに語る。こぎれいでさっぱりしていて、いかにも頭の切れそうな男性である。だが、政府とまさに彼が勤める企業が癒着して自由競争を阻害していることを知らないか見て見ぬ振りをしている。
  資本主義経済・市場経済の理論的核心は限りない環境、資源、人口、市場、投資、技術革新、経済成長を前提としていた。それはまだそれらの限界が潜在していた時代にその核心が確立したからである。例えば、当時は、市場の少なからぬ部分が植民地にあり、その植民地の限界さえあまり認識されていなかった。利用可能な環境や資源に限りがあること、限りあるそれらによって維持可能な人口に限りがあること、従って市場にも限りがあることはなおさら認識されていなかった。それらのすべてが限りないものではないことが明らかになった今となっては、その理論的核心は完全には成り立たないことは明らかである。
  また、資本主義経済・市場経済の理論的核心は試行錯誤を前提とする。例えば、自由競争と価格の自動調節機構の大部分は試行錯誤である。だが、二十世紀後半以降は、錯誤の後の再試行がない可能性がある。極端な例になるが、市場経済の中で資源争奪戦が熾烈になり、国益のための戦争が勃発し、それが世界大戦に発展し、全体破壊手段が使用された場合は、地上の人間は絶滅し、錯誤があるのみで再試行はない。それは20XX年に地上の人間が経験したことである。だが、それは極端な例である。再試行が不可能とまでいかなくても困難な例は、世界的食糧難、パンデミック…など多々ある。私たちはそのような錯誤に繋がる可能性がある試行を予防する必要がある。
  だが、それらは真正の資本主義経済・市場経済の限界または欠陥である。それに対して、見かけのまたは誇張された資本主義経済・市場経済の限界または欠陥を名目として掲げることによる経済への介入が、経済の衰退または前述の「社会権からの逸脱」をもたらすことがある。
  まず、以下はそのような衰退の一例である。後進国は自国の産業を保護するために関税を上げる必要があることがある。それに対して、先進国がそれをすることは、自国の産業の国際経済における競争力を減退させ自国の経済を衰退させ、先進国の地位さえも危うくすることがある。
  次に、以下はそのような逸脱の一例である。二十世紀には、いわゆる共産主義者が、経済への介入や労働者の権利の保障から逸脱して、自由権と民主的分立的制度をものともせず、独裁制、全体主義へと走り、限りない弾圧・虐殺、人為的飢饉…などをもたらした。
    真正の資本主義経済・市場経済の限界・欠陥をとらえているにせよ、見かけのあるいは誇張されたそれらに惑わされているにせよ、現代では政府や中央銀行が大なり小なり経済に介入しているのであり、現在の経済は純粋な資本主義経済・市場経済でも共産主義経済・社会主義経済でもなく、それらの部分と他のものの混合である。現在、議論されているのはその混合のあり方、あるいはせいぜいいずれが優位になるべきかであって、どの経済体制を選択するのかではない。そのことは市民も経済学者も認識しておく必要がある。その混合のあり方を巡る議論は、既に活発だし今後はますます活発になるだろう。だが、過去の資本主義と共産主義の間の論争ほど激しくなることはない。
  だが、かつての共産主義に対する恐怖と嫌悪がまだ残っており、議論を一方に偏向させているように見える。また、いつの時代もあるように、ある経済体制で利権を得た政治的経済的権力者がその体制を固守している。そして、現在と今後は、見かけのまたは誇張された資本主義経済・市場経済の限界を権力者が誇示して、独裁や全体主義と独占・寡占へと走る、つまり、社会権から逸脱する可能性がある。それらは自由だけでなく、生存のためにも機能しない。
  国家権力が自由権と民主的分立的制度を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立しているとき、それらの論争はS系の内部とその周辺に限定され、自由権と民主的分立的制度はL系の中で擁護され、生存と自由は両立できる。簡単にいって、経済的問題はS系の中と周辺だけで論争していればよい。

試行錯誤の限界、繁栄と衰退のサイクルからの逸脱

    そもそも、経済に限らず、日常生活、科学技術を含めて人間が生きること自体が試行錯誤である。生物が生きることも試行錯誤である。そして生物の進化は壮大な試行錯誤である。突然変異が試行であり、自然淘汰、つまり環境に適応できないものが死滅することが錯誤である。
  人間以外の生物の種は、繁栄し人口が増大すれば、自らの環境・資源と他のいくつかの種の環境・資源を破壊・消耗する。すると、自らの環境・資源の破壊・消耗によってその種は衰退または絶滅する。一方でその衰退によって自らの環境・資源は復活しその種は復活する。他方でその絶滅によって他の種の環境・資源は復活し、他の種は復活する。それを「繁栄と衰退のサイクル」と呼べる。このサイクルも壮大な試行錯誤でもある。このサイクルは同種または異種の一握りの生物の生き残りと復活を前提とする。この前提を忘れないで頂きたい。
  人間はそのサイクルを逸脱しているように見える。だが、人間の機能と手段のすべてがそのサイクルを逸脱しているわけではない。例えば、工業は環境を破壊し資源を消耗させてきた。人間がそのような工業を抑制または改善しなければ、環境の破壊と資源の消耗が過度に進み、人間自体が衰退せざるをえず、工業も衰退する。すると、環境と資源は復活する。すると、人間も工業も復活する。だから、工業は繁栄と衰退のサイクルを逸脱していない。工業は大量破壊手段ではあるが全体破壊手段ではない。
  それに対して、全体破壊手段は繁栄と衰退のサイクルと試行錯誤を逸脱している。それは全体破壊手段が前述のような生き残りと復活と再試行の余地を残さないからである。全体破壊手段に関する限りで、繁栄と衰退のサイクルを含む試行錯誤の決定的限界がある。全体破壊手段を繁栄と衰退のサイクルを逸脱した手段とも定義できる。

遺伝子と進化

  店AQの常連客の中にAT街で開業する四十代の男性医師がいた。私はその医師とカウンターでときに話すようになった。ある日、医師は次のように嘆く。

…遺伝子治療の研究をしていた数年前、政府の要人が、一般市民の支配性、破壊性と権力欲求を減退させるような遺伝子操作の研究をするよう所属する研究室の教授に迫ってきた。倫理的にだけでなく実際の可能性からもそんなことができるわけがない。支配性、破壊性…などの自我の傾向と権力欲求…などの精神的情動の傾向は遺伝子によって先天的に形成されるのではなく、遺伝しない。それらは悪循環に陥る傾向として主として乳児期から思春期に後天的に形成される。それらが遺伝子操作によって変えられるわけがない。教授はそのような研究をすることを断った。すると教授は軍か政府に拉致されたようだ。その後、教授がどうなったかは分からない。今の独裁政権下では本当に必要で可能な研究ができない。それと市民が受けられる医療福祉と富裕層が受けられるそれらとの間の格差には目に余るものがある。だから、研究をやめて、この庶民の街ATで開業した…

とその開業医は語る。彼と私は、遺伝し進化するものと遺伝せず進化しないものを区別することの重要性を確認した。さらに医師は以下のように語る。

狭義の進化は種から別の種への進化である。そのような進化は数万年から数十万年の時間の中で生じる。人間もそんな意味での進化をし、数万年後には別の種へ進化するだろう。それに対して、種の中での亜種から別の亜種への進化も想定でき、それは「種内進化」と呼べる。そのような進化は何百年、何千年の時間の中で生じえる。そのような種内進化の一環として、医療福祉の発達によって、人間が医療福祉がなければ生存できないような脆弱な亜種に種内進化することは確実だ。

それについて私は次のように同意した。

現行の独裁政権下では、不適切な社会福祉制度のため一般市民は十分な医療を受けられない。数からいうと一般市民のほうがはるかに多いのだから、そのような種内進化は顕著にならないだろう。だが、将来は福祉制度は改善され、一般市民は十分な医療を受けられるようになるだろう。だから結局、そのような種内進化は避けられない。

その医師と私は「難しい。どうすればいいんだ」とうなり声をあげた。医師は「だけど…一般市民への医療福祉を制限することはできない、医療福祉スタッフはできるだけのことをしないわけにはいかない」と言う。私は次のようなことを考えた。

…健康で長生きしたい。子供に先立たれたくない。家族や友人に健康で長生きして欲しい。そのような市民の願いは切実だから、医療福祉の発達にストップをかけることはできない。だから、人間が医療福祉がなければ生存できないような脆弱な人間に種内進化することは人間の宿命だ。それに対処するしかない。受けて立つしかない。国家権力を自由権と民主的分立的制度を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立すれば、公的機関と、医療福祉の私的機関とそれらの圧力団体との間の癒着を抑制できる。すると、高所得者向けの過剰な医療福祉を抑制し、その抑制された部分を中間層と低所得者に再分配できる。そうすれば、そのような種内進化に対処することは可能だろう。
  遺伝子と進化を以下のように要約することができる。
  生物の構造、機能、傾向、能力を形成する要因は遺伝的要因と環境的要因の二つに大別される。しかも、それらはそれらの二つの要因のいずれかによって専ら形成されるのではなく、両方によって形成される。だが、問題はどちらの要因が優勢かである。だから、厳密には「遺伝子によって先天的に形成される」、「遺伝子以外のものによって後天的に形成される」…などの言葉に「ほとんど」「主として」…などの修飾語を付加する必要がある。だが、それらの修飾語を逐次、付加していると文章が煩雑になるので、それらは通常、省略される。
  意外と見落とされていることだが、遺伝子によって先天的に形成されるものが遺伝子によって遺伝し進化する。何が何でも遺伝し進化すると思うのは間違いである。後天的に形成されるものは遺伝せず進化しない。それらは個体の身体の中では個体が死ぬとき消滅する。だが、それらは、個人の記憶の中で保存され、人間社会の中で話し言葉、書き言葉、記号…などの媒介によって伝達される。このことは忘れないでいただきたい。では、何が遺伝子によって先天的に形成され遺伝し進化するのか、何が後天的に形成され媒介によって伝達されるのかをざっと見渡してみる。
  まず、感覚、快不快の感覚、欲動、自律機能、本能的機能は遺伝子によって先天的に形成され遺伝し進化する。では、人間の記憶、感情、欲求、自我、思考についてはどうだろうか。それらの枠組みは遺伝子によって先天的に形成され遺伝し進化する。例えば、それらを可能にする神経細胞群は先天的に形成される。それに対して、それらの能力と傾向を含む内容は後天的に形成され遺伝せず進化しない。権力闘争、独裁、全体主義…などにおいて問題となるのは支配性、破壊性、自己顕示性…などの自我の傾向と権力欲求と権力獲得能力であり、それらは主として悪循環に陥る傾向の中で後天的に形成される。
    突然変異について。突然変異と言うと、進化に繋がるとして、肯定的にとらえる傾向が私たちにはある。だが、重要な遺伝子が突然変異を起こした場合、変異した遺伝子をもつ生物の大部分は環境に適応できず生存できないまたは子孫を残せない。自然淘汰とはそういうものである。環境に適応できて子孫を残し新しい種または亜種として進化するのはごくわずかである。その厳しさを、人為的淘汰や遺伝子操作に進む前に、認識しておく必要がある。
  遺伝子操作を始める以前から、人間は「自然」淘汰に対して「人為的」淘汰を作物や家畜と呼ばれる他の生物に対して行ってきた。人為的淘汰は人間にとって有益になる方向に他の生物の進化を助長することである。遺伝子操作をしない限りはそのような人為的淘汰は大きな問題をもたらさない。
  さらに、人間が遺伝子を操作するにしても、塩基配列を変えるだけなら、それは突然変異に等しく、そのように操作された遺伝子を含む生物または手段は従来の生物と大差がなく、重大な問題をもたらさない。それに対して、人間が遺伝子の塩基配列以外のものを変えた場合、どうなるか。そのような遺伝子まがいのものの大部分は遺伝子どころか生物の部分として機能せず、生体の中で分解され排出されるか免疫系によってブロックされる。だが、人間が創意工夫を凝らして塩基配列以外のものを変えた遺伝子まがいのものはそのように処理されない可能性がある。そのような遺伝子まがいのものを含む生物または手段は、前述の「不変遺伝子手段」であり、前述の全体破壊手段の一種である。端的に言って「遺伝子の塩基配列以外のものを変えるなかれ」である。
  いずれにしても、生物は進化する。人間も進化する。例えば、前述のとおり、人間が医療福祉がないと生存できない病弱なものに種内進化することは確実である。それを考慮しても、現在の人間のうち、進化することに抵抗しようとする人間はほとんどいないだろう。だから、あの少女の父親が説明した究極の欲求・目的に「進化した人間」が含まれていたのである。「人間または進化したそれら」などの言葉を使わなくても、「人間」という言葉は人間または進化したそれらを指すことにする。

進化からの逸脱

  繰り返すが、生物の進化も壮大な試行錯誤である。突然変異が試行であり、自然淘汰の中で環境に適応できない生物が死滅することまたは子孫を残せないことが錯誤である。人間の記憶、感情、欲求、自我、思考の、能力と傾向を含む、内容は後天的に形成され、遺伝せず進化しない。それに対して、それらの内容を容れる枠組みは遺伝子によって先天的に形成され、遺伝し進化する。例えば、記憶の内容、つまり、イメージそのものは後天的に生成し、遺伝せず進化しない。それに対して、記憶の枠組み、つまり、イメージを生成し記銘し保持し想起する神経細胞群は遺伝子によって先天的に形成され、遺伝し進化する。さらに、思想や観念、社会の構造と制度、芸術、科学技術を含む文明の内容は遺伝せず進化しない。それらは話し言葉、書き言葉、記号…などの媒介によって伝達される。それに対して、それらを生み出し伝達する機能の枠組みは遺伝し進化する。より具体的には、独裁制や民主制、資本主義や共産主義、天動説や地動説、創造論や進化論、インフォテクやバイオテク…などは遺伝せず進化しない。それに対して、それらを記銘し保持する神経系…などやそれらを伝達する喉頭、舌、口唇や手指…などは遺伝し進化する。
  そして、それらの内容が全体破壊手段を生み出し、人間を含む生物の生存に適さないものになっている。だが、何度もいうが、それらの内容は遺伝せず進化しない。この場合は全体破壊手段の製造方法も廃止予防する方法も遺伝せず進化しない。とすれば、人間が進化の中で生存のための適者となる方法は、全体破壊手段を廃止し予防する方法を内容として容れるような枠組みが進化の中で形成されるだけである。これだけでもかなり非現実的である。だが、それ以上に決定的なことがある。前述のとおり、進化は思考錯誤を前提とするが、全体破壊手段が使用された場合は錯誤があるだけで再試行はない。だから、人間は繁栄と衰退のサイクルを逸脱するだけでなく、進化からも逸脱している。
  そもそも、従来の生物においてはそれらの内容は希薄であり、生存に係るもののほとんどは遺伝し進化し、自然淘汰、適者生存、進化は直接的に機能してきた。それに対して、人間においてはそれらの内容は濃厚であり、自然淘汰、適者生存、進化はかなり間接的にしか機能しない。繰り返すが、人間は前述の繁栄と衰退のサイクルだけでなく、進化も逸脱している。進化を一つのゲームと見なすと、人間はそのルールを無視している、または、その競技場の外でプレーしている。十九世紀以来、人間は苦心して進化論を構築してきたのだが、人間はその逸脱に気づいているのだろうか。
  何度も繰り返すが、それらの枠組みが遺伝し進化するのであって、それらの内容は遺伝せず進化しない。実質的にはわたしたちはそれらの枠組みを変えることはできない。言い方を替えれば、わたしたちがそれらの内容を変えることは全く不可能なわけではない。それらの内容を全体破壊手段を全廃し予防できるものに変えることは全く不可能なわけではない。わたしたちはそれを試みるものに他ならない。その試みの結果やいかに。

孤独

  店AQには独身者が多く、独り暮らしの高齢者もカウンターにちらほら座っていた。私はときにカウンターに座って彼らの話を聞くようになった。そんな中に独居老人Kが居た。Kは言う。「若い頃はよく仕事をしてよく遊んだ。仕事は港湾労働者の安全帯の点検だった。『Kの点検した安全帯なら信用できる』と若い者から慕われた。若い者を夜遊びに連れて行った。不倫もギャンブルもした。ある日、妻子が出て行った。離婚はしていないが完全な別居状態になっている。退職して、若い者はしばらくは来てくれたが、やがて彼らの足も遠のいた。高齢者福祉はあるが、人間関係はほとんどない。孤独があるだけだ。孤独は人生で一番の切実な問題だと思う。酒が飲みたいわけでもないのに、飲み屋に来るしかない」と。私も前妻Qが出て行ってしばらくの間は、孤独は最大の苦痛だと思った。「死ねば孤独は雲散霧消するのだろうか」とさえ思った。孤独につけこむ宗教団体やセールスマンもいる。私の場合はあのFでの発掘の仕事が孤独を癒してくれた。店主はカウンター越しに「独り者は長居をする。なかなか帰ってくれない。自分が若い頃は独り者を疎んじていた。だが、自分も歳を取って、独り者の気持ちがよく分かる。孤独は切実だ。長居してもらってかまわない」と言いながら「だけど…一時間に一品はオーダーしてちょうだいね」とKと私に向かって言う。店主がそう言う事情もよく分かる。超大国が戦争へと向かう中、食堂や飲み屋の客は減っていたから。
  その後しばらくしてKが入院したという噂が広がった。メシが喉を通るときに違和感があったらしい。私とAQの店主はその病院に見舞いに行った。Kは相部屋のベッドに横たわっていた。点滴され鼻からチューブを入れられている。握手をするが、手は微かに震え、力はほとんどない。声はか細い。その後、年配の女医が私たちを別室に呼んで「食道ガンかもしれません。郊外の大病院に転院したほうがいいです。今なら遺伝子治療なしで『早期発見早期手術』で間に合うでしょう。ですが…あの方は医療保険に加入していません。大病院はそんな患者を受け入れてくれない。そもそも遺伝子治療は言うまでもなく、手術にしてもその費用を自費で払えるわけがない」と言う。Kは退職とともに医療保険から脱退したのだろう。医療保険の再加入手続きには本人か家族が行かなければならない。そのようにして、政府は市民が保険から脱退しないように圧力をかけていた。それにしても保険料は誰にとっても高過ぎる。さらに女医は言う。「ここの医療費も払ってもらわないと困ります。保険料を遡って払えば、遡って補償が受けられる。保険にさえ入れば医療費を払えるでしょう。事務員によるとここの病院への支払いは保険加入まで待てるそうです」
  私たちはKのベットに戻り、三人で途方に暮れていた。そんなとき、六十代の年配の女性と三十代の女性が現れた。妻子が噂を聞きつけてやってきたようだ。健康保険の再加入手続きを終えて来たと言う。妻子は大仕事を終えたように偉そうにしている。だが、本人または家族でさえあれば、保険の再加入手続きはたいしたものではない。保険の費用もここの病院の費用も本人払いだから、家族に金銭的な負担がかかるわけでもない。Kは「ごめんな」とか細い声で妻に言う。妻は「これが最後ですよ」と平然と言う。Kは額や口元の皺をもっと深くして「もう水に流してくれていいじゃないか」と言うようにため息をついて苦笑いしていた。そのときのKの顔が忘れられない。泣いたり怒ったりするのではなく苦笑いしていたからこそ忘れられない。

純粋心的機能の自由

  結局、独居老人Kは郊外の大病院に転院し、「早期発見早期手術」で無事、退院してきた。店AQには一週間に一回は来た。酒の量は減った。食べ物を飲み込むときは注意している。Kはカウンターで近況を語り始める。店主と私が聞いていた。言葉は差しはさまなかった。「若い頃は仕事や遊びができなくなったら、死んでもいいと思っていた。退職後は寂しかった。今、ガンを生き延びて、生きていてよかったと思う。朝、目が覚める度にそう思う。『人はパンのみにて生きるにあらず』と言うが、それは若いうちの生き方だと思う。毎日、安い食材を買って来て、自炊する。自分独自の方法で調理してみるのが楽しい。たまにはこの店で稀なものを食べて調理法を想像するのも楽しみだ。あのY社長と新しい食品の新しい調理法や加工法を議論するのも楽しみだ。自炊してときに試作して新しい発見をする。そしてまずくない。それだけでも生きる価値がある」と彼は言う。恐らく術前術後に絶食していた反動もあると思う。だが、それだけではない。Kは人生について考えて語ることにも優れていると思う。
  ところが、カウンターに座っていた二十代の男がKに「人間はそんなもののためだけに生きているのか。それで寂しくないか」と言う。Kは聞いていない。Kは「『人はパンのみにて生きるにあらず』と言うが、それは若いうちの生き方だと思う」と断っているじゃないか。物分かりの悪いヤツだなと私は思った。そこへいかにも特定の宗教の信者という感じの四十代の女性が「もっと人生を精神的に豊かにしましょうよ」とKに言う。「人はパンのみにて生きるにあらず」と言ったとされる〇〇を始祖とする宗教の信者のようだ。この頃、宗教は衰退していたが、ちらほら残っていた。Kのその言葉の引用はその女性の宗教的熱意を刺激したようだ。二十代の男が今度はその女性に向かって「そんなのそれぞれの勝手じゃん」と言う。今度はその女性が若い男に向かって「説教」を始めた。若い男は言い返す。その論争は耳に入らず、私は思った。

そもそも、思考、信仰…などの純粋心的機能の自由は直接的には侵害されえない。身体、生命などの物理的身体的機能の自由を侵害することによって間接的に、また、それらを侵害するぞという脅かしによってさらに間接的に侵害される。そのような侵害は主として、十七世紀とそれ以前は宗教によって、十七世紀とそれ以降は帝国主義や国家主義によって、二十世紀には共産主義や全体主義によって行われた。現代ではそのような露骨な侵害は目立たない。現代では、拉致監禁と暗殺が暗部で進行する。もちろん、それらは司法過程を経ていない。第二に政治的経済的権力者によるオンラインでの隠密の操作によって一般市民の純粋心的活動が一定の方向に誘導されることが多い。そのような操作の手口としては様々あるが、最も深刻なものだけ挙げてみる。政治的権力者とシステムを運営する経済的権力者が結託して、彼らの都合のよいように検索結果の表示順位を変える。例えば、穏やかなものであっても民主的分立的制度を擁護するサイトが百番目ぐらいに表示されるように検索ロボットを設定する。するとほとんど誰も見ない。自由、民主、分立、法の支配…などをキーワードとする検索の結果の表示順位を落とすように情報技術者に検索システムを設定させることぐらいは権力者にとっては容易なことであるだ。それに対抗するのもXらにとっては困難なことではないことが分ってきて、Xらはそれらの検索システムに侵入して、政府と大企業の宣伝サイトの項目を削除していった。

  さて、その議論は若い男の「宗教の話題はやめたほうがいい」で終わりかけた。だが、宗教が終わっても、重大な問題が残る。人間には自己がやがて死ぬことへの不安があり、その不安が自己永遠化欲求を形成し、人間を権力を獲得して振るい栄誉を残すよう駆り立てる。権力を握ったものが権力をさらに拡張し、独裁、全体主義、戦争、虐殺…などに走ることがある。だから、その不安を減退させる必要はある。現代ではもはや宗教はその不安を減退させることはできない。とすれば、あの少女が試みたようにして、宗教抜きでその不安を減退させようと試みるぐらいのことはする必要がある。
  そんなことを考えているとき、今度はカウンターに座っていた五十代の男性が「宗教が衰退しても、社会が混乱しないように何らかの共通の価値観は必要なんじゃないか」と穏やかに言う。それに対して若い男は「そんなのいらねえよ」と言う。これは詭弁になるだろうが、それも価値観だ。いずれにしても、価値観は思想の自由によってそれぞれの個人が追究し、言論の自由によって何人かの個人が語り合えばよいものである。その語り合いが、個人の価値観を深めることはある。その間、Kはカウンターで頷いていたが、実際は頷くように眠っていた。

自由と独立

  独裁政権下にあっても庶民の街ATの飲み屋に関する限りで言論は自由だから、様々な意見が飛び交う。以下のようなことを言う人々もちらほらいた。

  独裁制を指示するのではないが、こんなに逼迫した環境と資源と経済の中では思い切った政策を立て推進する力強い指導者が必要だと思う。

  それに対して、私は以下のように思った。だが、その時にその場で言うことは控えた。革命直前に言った。以下のことを言うことによって、力強い指導者が出現して、独裁者やカリスマになって、革命の成果をぶちこわすことを完全に避けられたのだろう。
  歴史の大きな流れにおいては、強い指導者というのは圧政や戦争などの害悪を招きえる。感動的な演説をして人々を煽る者もいる。また、強い指導者を待望する思想は国家主義や全体主義と協働することが多い。
  戦争に向かうような歴史の大きな流れに対して、細かなことにおいては、強い指導者が少しばかりの利益を市民にもたらすように見えることはある。そこで問題になるのはその一見したところの利益が本当の利益、例えば、本当の国益になっているかである。例えば、関税を上げて自国の産業を保護することが本当にそれらのためになっているのか、国際経済での競争力を減退させ自国の経済を衰退させることになっていないかである。確かに後進国においては自国の産業の保護は必要である。だが、先進国がそれをすることは競争力を減退させることは確実である。また、減税が実質的に、累進課税になっているか、逆進課税になっていないか、である。だが、そのような細かなものを市民が見抜くことは困難であり、結局、専門家に委ねるしかないように見える。だが、そのような細かなことを専門家に委ねることが必要だとしても、社会権を保障する人の支配系(S系)においてだけであり、自由権と民主的分立的制度を擁護する法の支配系(L系)においては不適切である。また、後述するとおり、「専門家」と「強力な指導者」は異なる。
  強力な指導者を追求し自由権や民主的分立的制度や「大衆」の思想・言論に否定的な態度をとる思想・言論が政治的経済的権力者や中間層の一部にある。そのような思想・言論は一般市民の政治、経済、社会を分析し総合する能力を見くびっている。だが、問題なのはそのような見くびりだけではない。政治的権力者にとってはそのような思想・言論は、自由権と民主的分立的制度を損傷して国家権力を増強し独裁へと暴走するために都合がよい。経済的権力者と中間層の一部にとってはそのような思想・言論は政治的権力に便乗して自身の経済的権力を強化するまたは利潤を増大させるために都合がよい。
  個々人の自我と情動の傾向について以下のことが言える。強力な指導者を待望する人間のほとんどでは、個人として独立する傾向が小さく、他に依存する傾向が強い。また、支配性と権力欲求が強い人間のほとんどは他の権力者に従属しない、または、反抗する。だから、強力な指導者を待望するような人間のほとんどは、独立的傾向が小さく、依存的傾向が大きく、支配性と権力欲求が中途半端にあると言わざるをえない。そのような依存的で中途半端な人間は政治的経済的権力者に煽られやすく、権力者の暴走を許してしまう傾向にある。そのような人間が多数を占める国家や社会は独裁や戦争に向かうか、衰退する傾向にある。
  自由で独立した個人とそれらからなる社会にとっては、独裁者はもちろん、強い指導者など必要がなく面倒なだけである。一般市民は、指導者ではなく、L系のL議院の議員とS系のS議院の議員とS系の行政権の長官を選挙する必要がある。L系において必要なのは自由権と民主的分立的制度を擁護するための実直さである。S系において必要なのは社会権を保障するための専門的な社会と自然を分析し総合する能力である。それらの実直さ、分析力、総合力は、指導力やリーダーシップとは別ものである。
  それと前述の「究極のエゴイズム」を忘れてはならない。
  以上のことから、強い指導者を期待して、または、それに依存して社会や国家のために生きるよりは、何からも独立して自己とせいぜい家族や友人のために生きるほうが、社会や国家や世界のためにもなる。
  以上は極論に思えるかもしれない。私自身も一部、極論になっていると思う。だが、繰り返すが革命の直前にそれらを言うことは、革命の本番で独裁者やカリスマ的な指導者が出現して革命の成果をぶちこわすことを防ぐ一助になった。

他人の自由は自分の自由

  店AQに次のようなことを言う常連客がいた。

  他人の自由が侵害されていることは、自分の自由も侵害される恐れがあるということだ。だから、自分の自由を守るためには、自分の自由だけでなく、他人の自由も守る必要がある。他人の自由は自分の自由。

これ以上のことを言う必要はないと思った。

違憲違法な命令に従わない権利及び義務

  店AQには退役軍人も来ていた。その一人がこう語っていた。

M将軍から反政府主義者の弾圧、捕獲、拘束、拷問などを命令されたことがある。自分は純粋な国防に従事してきたので、それらには強い抵抗があった。それらはすべて裁判過程を経ておらず、今の不完全な憲法にさえも反し、いくつかの法律にも反する。また、今の不完全な憲法さえも思想・言論の自由を規定しており、それらは思想・言論の自由の侵害でもある。軍人や警察官を含む公務員には違憲な命令に従わない権利及び義務があると憲法に明記して欲しい。そのほうが公務員にとっても楽だ。

これについてもこれ以上のことを言う必要はないと私は思ったのだが、次のようなことを言う人が居た。

そんなことになれば、組織が成り立たず混乱し、政治は機能しないのではないか。

それは違う。違憲性、違法性は司法権が裁定することである。混乱が生じるのは司法権が独立しておらず、違憲性、違法性について断固として裁定することができないからである。世界革命後は、諸国家の憲法で「公務員を含むすべての人間は違憲または違法な命令に従わない権利及び義務をもつ」…などと明記され、L系とS系への分立を伴う三権分立制によって司法権は完全に独立し、違憲性、違法性について断固として裁定できるようになった。すると、混乱は生じていない。というより、違憲、違法な命令を出す者がそもそも存在しなくなった。違憲、違法なそれらをしても、司法権によって無効化されることは明らかであり、立法権の議員も行政権の官僚も無駄なことをしなくなったからである。

あまりにもおこがましい

    店AQにはあの心理士QCもときに来ていた。話を聞くと、あのQにはカウンセリングができるようになったと言う。今日で5回目だったと言う。「自傷をやめれば、何か生産的なことが始まるではないかということになった。しばらくしてQは『今夜を最後にして明日から自傷をやめる』と言う。私はそれを受け入れた」と言う。私は「『明日からやめる』では、明日になったら『明日からやめる』で、永遠にやめられないんじゃないか」と思い、それをQCに言った。するとQCは「『明日からやめる』という気持ちになっただけでも進歩じゃないの」と言う。私は「それもそうだな」と思わず大声で言った。本当にそう思った。かつてのQからするとすごい進歩だ。
  数日後にQCが泣きながら店AQまでやってきた。Qが亡くなったと言う。「あの夜に飲酒、大量服薬した後、自傷して風呂に入り、眠ってしまい失血死したようだ」と言う。Qは続ける「Qは最後の自傷にするために激しくやったんだと思う。それを私は見越せなかった。私が間違っていた。あなたが言ったとおり『明日からやめる』では永遠にやめられない。そんな危険で効果のないことを私は容認するべきではなかった」と涙を流れるままにする。私は思った。Qは哀れだ。自傷をやめればQに未来はあったと思う。そう思いながらも私はQCに「君が言った『そういう気持ちになっただけでも進歩だ』というのも正しいと思う。君は間違っていない。Qの自傷の仕方がたまたま派手だっただけだ」と言った。私はそう言うことしかできない。QCはしばらくして立ち直った。今は子供たちのことを考えなければならない。子供たちをどうすればいいのか。私に父親としての情動が甦ってきた。
  数日後にQCが今度は穏やかな表情で店AQにやって来た。「子供は、私がカウンセリングを行うだけでなく、私が引き取って育てる」と言う。私はびっくりしてグラスを倒してしまった。QCが子供の面倒を見るかのように、カウンターを拭いてくれた。今の私の立場では何も言えない。「よろしく頼む」とか「本気なのか」とか言える立場にないだろう。何も言えない。QCはそのような私の心境を察したようで、「これはQが亡くなったこととか、あなたが子供たちの生物学的な父親であることととか、私があの子たちとQのカウンセリングを行っていたこととは無関係よ。あの子たちは本当にかわいい。だから、私は母親になった」と言った。私はやはり何も言えない。家に帰って行った。
  私に沸いた父親としての情動は行き場を失って、自己への嘲笑となった。今は私が出て行かないほうがいい、などと言うのはみじめさを覆う美辞麗句に過ぎないと思った。だが、しばらくして本当に私は出て行ってはならないと思った。
  結局、前述の「世代を超える悪循環に陥る傾向」が断ち切られた。二十数年後に男児はP教授に憧れて、優れた法学者になった。女児は母親であるQCの足跡を辿って優れた心理カウンセラーになった。もちろん、生物学的父親の現在と過去も生物学的母親の過去も伏せておかれた。子供たちとQCは、生物学的な父親や母親とは無関係に、自分たち自身の手で道を切り開いた。私がそこへ出て行くなどということはあまりにもおこがましい。

最も深く永続的な愛

  店AQには看護師もちらほら来ていた。ある五十代の女性看護師が以下のようなことを語る。店主がカウンター越しに、私が隣で聞いていた。

  今の医療の花形は遺伝子治療で、自分もその道に進んだ。例えば、ガンに対する遺伝子治療は、ガン遺伝子を不活化するまたはガン抑制遺伝子を活性化する遺伝子を患者さんの遺伝子に組み込むことだが、その組み込む遺伝子はそれぞれの患者さんの遺伝子に合ったそれぞれの患者さんだけのものになる。完全なオーダーメードだと言ってもよい。そのような遺伝子治療は非常に高額である。看護師の仕事は採血、静注、点滴…など地味であたり前のものになるが、失敗したときの損害賠償も高額なために、強いプレッシャーが掛かる。失敗は許されない。そのような地味で重圧が掛かる仕事に就こうとする看護師は多くはない。そのためにそんな仕事をする看護師は過労に陥る。自分は結婚もせず、家庭も作らず、そんな仕事を続けてきた。だが、虚しさに苛まれることがあり、最近は虚しさが持続する。第一に、医師や看護師が人の命を救っても、現代の独裁政権の下では虐殺や暗殺や戦争や失政によって多くの人々が殺されていく。そんな世界の中で医療に意味があるのか。第二に、いやこちらの方が大きいかもしれないが、そのような遺伝子治療は、非常に高額であり、受けられるのは権力者、高額所得者とそれらの家族に限られる。高度な医療が救っているのはそれらの限られた人々だけだ。そのようなことを考えると、とてつもなく虚しくなる。そのような虚しさを振り払うために若い頃は遊びもした。恋愛もした。だが、もう若くない。遊びや恋愛には限りがある。自分は完全な独り者ではない。家に帰ると母が居る。だが、当然のことだが、母は老いていく。先は長くないだろう。もし母が亡くなれば、自分は完全な独り者になる。とてつもなく寂しくなるだろう。今まで自分が生きてきたのは母がいたからかもしれない。考えてみれば、こんな歳になって母に頼っているなんて、恥ずかしい話だね。

  と看護師は語る。店主も私も黙って聞いていた。確かに、親から独立して自らの家庭を作っている人々の多くは、彼女のような人生を寂しい人生だと思うだろう。私も、少しだが、そう思っていた。だが、考え直した。普通で自然な母と子の愛は、前述の悪循環に陥る傾向を形成するような情動・自我とは異なる。普通の自然な母と子の愛はあらゆる愛の中で最も深く永続的な愛である。そんな愛をもち続ける人生は、薄っぺらい一時的な愛を交替させていく人生より深みがある。私がそれを彼女に言うと、彼女は「それは最近になってしみじみと感じるようになったわ。若い頃は認めたくなかったけど」と言う。少し間をおいて「それと気づいたんだけど、どんな独り者にも親はいる。子供はいなくても」と言う。何故かこれからは奇妙な考えが浮かんだ。どんな独裁者にも親がいる。あのM将軍にさえも。考えてみれば、私たち市民が彼の親のことを何もしらないのは不思議なことだ。彼が親を隠しているのだろうか。親が隠れていたのだろうか。彼が親を殺したのだろうか。
  看護師はしばらくして「母が死んだら自分はどうなるのか、想像もつかない」と、水割りをあおる。私は彼女が「母が死んだら私も死ぬ」と言い出さないか余計な心配をしてしまった。たまたま近くに座っていた幸せそうな若いカップルが口を挟もうとした。「まだまだ出会いはあるよ」とか言おうとしたのだろう。店主が制止してくれた。確かに出会いはあるだろうが、今の彼女にそんなものは眼中にないだろう。彼女は続ける。「確かに最も深く永続的な愛は母と子の愛だわ。人生で一番、切実なのは孤独だわ。だけど…母はまだ生きている。今を大切にする」と帰り支度をする。店主は「今日はお代はいらねえよ」と言うが、彼女は十分なカネをカウンターに置いて軽い足取りで帰って行った。

小さな革命

  AT街の店AQに私たちが行くたびに例の「権力疎外」は広い意味で進んでいるのが分かった。政府、軍、大企業のトップクラスが売春婦や水商売女をAT街から外の高級繁華街に連れ出すことも増えてきた。だが、彼女らは深夜や早朝に帰還してきた。この頃の売春婦と水商売女の区別は曖昧になっていた。また、この頃のそれらの性は多様だった。だが、それらの人々を「彼女ら」と呼ぶことができた。
  20XX年以降、政治的経済的権力者の独裁や独占・寡占だけでなく非組織的犯罪と薬物の密造密売、売春、その斡旋…などの組織的犯罪も復活した。少し前までは軍や警察のトップクラス(1)が組織的犯罪集団(2)から賄賂を得て(2)を存続させていた。だが、その賄賂はたいしたことがなかった。また、(2)は(1)にとって重荷になった。だから、(1)は(2)を殲滅した。売春婦や水商売女はネットで自力で客を探した。斡旋業者がいないから、彼女らの稼ぎは相当なものになった。しかも、彼女らは直接的に自由に客を選択できるようになった。言い方を変えれば、不快な、または、厄介な客を断ることができるようになった。またこの頃、「性行為感染症」は克服されていた。また、簡単な避妊法が開発され普及していた。だから、彼女らの医療費はたいしたことがない。それらのことから彼女らは今の繁華街の実質的な支配者だった。郊外の高級レストランやホテルのいくつかは彼女らのグループに買収されていた。
  AT街の外の高級繁華街に赴き稼ぎがよいにせよ、彼女らのほとんどの住み家はAT街にあり、仕事がないときは彼女らはAT街の店で飲み食いしていた。AQにも少なからず居た。彼女らは金払いのよさそうな男しか相手にしない。私は金払いがよい男に見えないだろう。だが、人の話をよく聞くタイプの人間に見えたのだろう。私は彼女らの愚痴を聞く存在になっていた。あのZもそうなっていた。彼女らのほとんどはシングルマザーだ。深夜や朝になってAT街に帰ってきて店で食べて少し飲んで、日が昇った後に家に帰って子供を起こし朝食を食べさせ保育所に送って行って、帰って眠って、夕方に起きて子供を保育所に迎えに行って子どもに夕食を食べさせ、寝かせてからAT街の外の高級繁華街に向かう。

いかなるもののためにも制限されてはならず制限される必要のない自由権

  さらに彼女らが政府や軍のトップのスキャンダルに巻き込まれることが多々あった。売春そのものが違法でありスキャンダルでもあるのだが、M将軍がやることには、売春やスキャンダルを越えたものがあった。「金払いはよいが、身体を拘束して好き勝手なことをやる。それはいわゆるサディズムを越えていて、彼の執務室の中の奥まった病室のような一室で医療器具のようなものや薬を使って身体を拘束する。やっぱり変態だ」と彼女らは言う。私はそれは違うと思う。M将軍は周到な人間で恋愛や性的欲動の対象さえも過剰なほどに警戒しているのだろう。だが、公費を割いてそのようなものを警戒することはやはり違法でありスキャンダルだろう。少なくともXとZと私は、M将軍のそのようなスキャンダルと違法行為を暴露することを考えた。
  自由権とは元来、国家権力と軍、警察…などの公的武力を含む公権力からの介入を絶つ権利であって、私的権力や一般市民に何かをする権利ではない。言論の自由は本来、公権力の保持者の違憲違法行為と公権力そのものの欠陥を暴露し批判する権利であって、一般市民を批判したり一般市民の私生活を暴露する権利ではない。そうする権利は、完全な自由権ではなく、一定の条件のもとに制限されえる自由権の一つである。それに対して、公権力の保持者と公権力に係る言論の自由は、完全な自由権、つまり、いかなるもののためにも制限されてはならず制限される必要のない自由権の一つである。
  では、公権力の保持者の私生活の暴露や批判についてはどうだろうか。私生活は公権力に係わりがないように見える。だが、もしそれらの暴露や批判が制限されるなら、公権力の保持者が私生活を守るという名目で公務に係る言論まで制限する恐れがある。だから、公権力の保持者に関する限りで、彼ら個人の私生活の暴露と批判も完全な自由権である必要がある。ちなみに、公権力の保持者によって何かに巻き込まれただけの家族、友人、部下…などについてはその限りでない。
  公権力と公権力の保持者に係る一般市民による故意の偽情報の発信と過失の誤情報の発信についてはどうだろうか。ここでも、それらの発信が制限されるなら、普通の情報の発信が制限される恐れがある。だから、公権力と公権力の保持者に関する情報発信は、偽情報、誤情報も含めて、完全な自由権である必要がある。
  結局、国家権力と軍、警察…などの公的武力を含む公権力とそれらの保持者に係る言論・表現の自由権は、公権力の保持者の私生活の暴露や批判や故意の偽情報の発信と過失の誤情報の発信も含めて、完全な自由権、つまり、いかなるもののためにも制限されてはならず制限される必要のない自由権である必要がある。
  より詳細には、私有財産の自由と契約の自由は(1)環境を破壊し、資源を消耗し、労働者の権利を侵害することによって社会権を侵害しえる。だから、それらの自由権は社会権の保障のために制限される必要が生じることがある。厳密に言えば、言論・表現の自由は、(2)紙、電磁波…などの媒介と公園、街路…などの公共の場を使用しえ、環境の破壊、資源の消耗、混雑を生じえる。だが、(1)の深刻さと比較すると(2)の深刻さは微々たるものである。さらに、言論と表現による(2)の中では、公権力と公権力の保持者に係る言論と表現による(2)はないに等しい。だから、それらに係る言論と表現は制限されてはならないだけでなく制限される必要がない。また、何度も繰り返すが、社会権を保障するためにも自由な言論は必要である。
  だからと言って、権力者のスキャンダルや私生活の暴露や偽情報の発信を勧めているのでは全くない。暴露し批判する必要があるものは権力の構造の深部に埋め込まれている。市民も他人のスキャンダルや私生活を見て聞いて喜んでいるほど暇ではない。また、普通の情報と偽情報・誤情報の見分けがつかないほど馬鹿ではない。
  権力と権力者に係る言論・表現の自由権とともに、純粋心的機能の自由権と生命の自由権も完全な自由権、つまり、いかなるもののためにも制限されてはならず制限される必要のない自由権である。警察や裁判所や刑務所で何を考え言うのも言わないのも自由である。現代の死刑のない世界においては生命の自由はいかなるものによっても侵害されないはずだった。それを世界中の独裁政権は虐殺、暗殺、拷問…などによって司法過程の外側で侵害しているのである。
  独裁政権の下でも売春は犯罪であり、公費を割いてのそれはなおさら犯罪である。それを捜査し起訴するべきは検察、警察だが、今の警察や検察は権力者の犬であって、権力者の捜査を求めても無駄である。また、M将軍の実態を知らずに、M将軍を偶像化する部下や市民がいるかもしれない。そこで、少なくともZとXと私は、彼女ら、文官、下級軍人、下級警察官のスキャンダルは伏せて、M将軍のスキャンダルに限って暴露する計画を立てていた。

あるシングルマザーの嘆き

  だが、数日後にはそんな計画はもっと重大な犯罪の前に霧消した。その日は私はZと店AQに居た。店によく来る売春婦の中にQPが居た。QPはシングルマザーだったが、二年前に一人娘を交通事故で失った。QPが泣き崩れ、他の売春婦が肩をさすっている。Zと私が行ってみると、他の売春婦が「QPが『M将軍が娘を殺した』と言っている」と言う。私とZは近くに座って、QPの話を聞いてみた。QPは「私は二年ぐらい前はM将軍の愛人も同然だった。M将軍にとっては娘がうっとうしかった。交通事故を装って娘を殺したに違いない。昨夜、とった客がたまたまM将軍の直接の部下だった。その話をすると、『そんなことはよくあることさ』と鼻で笑っていた。そんなことで済まされていいの」と泣きじゃくりながら語る。
  QPは酔って荒れそうだ。彼女の心情はよく理解できるが、彼女がM将軍を告訴するために警察にでも行ったら、店AQにも捜査が入るかもしれない。それはやっかいだ。Zも同じことを考えているようだ。彼女たち数名とZと私がQPを港の近くの公園に連れて行って、QPの酔いを冷まそうということになった。
  最初はQPは彼女たちに抱きかかえられて歩いた。やがてQPも独力で歩き始めた。公園は埠頭より少し高いところにあり、港を見渡せる。空も海もどす黒いが、高層ビルが海面に映って輝いて波立っている。客船と埠頭は明るく照らされている。若い恋人たちは埠頭に座って足を投げ出して海面に映る光を眺めている。夜風、浜風は涼しい。この港には軍専用の埠頭もある。その埠頭は立ち入り禁止で見えないが、障壁とそれを貫く検問所は見える。今日の軍務が終わったのか、私服の男たちが検問所から出てくる。その中に身なりのよい数人の男たちがいた。Zが私だけに囁いた。「M将軍だ」  初老の男がその数人に囲まれて歩いていた。私は「お前、目がいいなあ」と呟く。Zは「あの顔を目に焼きつけておいてくれ」と言う。だが、私には遠くてよく見えない。その時、「Mだ」という声が背後で聞こえた。振り返るとQPがその方向を見つめていた。QPはふらつきながらその方向に走り出そうとする。彼女たちがQPを抱き止める。QPの手を引いて逆方向に歩こうとする。QPは抵抗したが、彼女たちの力が勝った。皆でそれらの障壁も検問所も見えない所まで戻ってベンチに座って、海を眺めた。客船が何隻か外洋から帰って来る。幸いなことに軍用船は見えない。やがてQPは彼女たちの一人の膝を枕にして眠りについた。

資源に限定した局地的侵略戦争

  さて、第四次世界大戦の引き金が引かれた。超大国Bが、超大国AとBの間に挟まれた食糧資源が豊富な小国Dに侵略した。B国のBP大統領によって宣言された名目は、「A国がD国の資源を乱用している。B国がD国の資源を保全しなければならない」というものだった。「A国がD国の資源を乱用している」というのは事実でもあった。食糧資源という言葉は倉庫に蓄えられた食糧だけを意味するのではない。食糧を持続的に生産できる農地、牧草地、果樹園、養殖場、漁場…などとそれらに必要な肥料、淡水または海水、太陽光…などを含む。遺伝子操作、培養肉…などの生物学的技術は20XX年以降も進歩していた。だが、それらによる食糧生産の増加はたいしたものではなかった。20XX年以前にも飢饉や食糧難はいくらでもあったが、それらはすべて局地的なものであり、地球全体としての食糧生産の限界は露呈していなかった。25YY年夏にはその限界が明らかになっており、地球レベルの食糧難がさし迫っている。現代において最も重要な資源は、石油やガスや鉱石ではなく食糧資源である。そこで、B国は「資源に限定した局地的侵略戦争」の戦略をとった。つまり、

(1)全体破壊手段を使用せず通常兵器のみを使用する。全体破壊手段を使用すると略奪しようとしている食糧資源が汚染される恐れがあるからである。
(2)食糧資源を産出する地域で生活する市民の避難路を遮断しない、あるいは、それとなく避難路を作る。あからさまに避難路を作ると反感を買うからである。
(3)他国から軍が派遣された場合は応戦するが、武装しない救援チームが派遣された場合はその妨害をしない。

(1)(2)(3)によって必要な食糧資源だけを略奪または占領し、不必要な住民を虐殺せず駆逐できる。住民は他国または自国の食糧資源を生産できない地域に避難し他国からの救援によって一時的に生存する。
  歴史上、他の国家や地域に侵略し征服する者たちは残留した住民を虐殺したり奴隷にしたり弾圧したり普通に支配したりしたが、ここまで意図的かつ狡猾に住民を避難させることはなかった。食糧資源が極めて貴重なものとなる今後はこのような戦略がちらほら出てくるだろう。
  私はB国の政府または軍がそのような戦略を意図的にとっていることを公に暴いた。さらに「政府はそれに軍事的に介入しないほうがいい。軍事的介入で世界大戦や全体破壊手段の使用を招かないでくれ。非武装の救援チームだけを派遣するように」と付け加えてしまった。すると、A国の政府が私を救援チームの団長に指名しようとしてきた。なんと、あのM将軍がA1大学の私の研究室に説得に私服でやってきた。私はA国の軍人でも高位の文官でもないという点で適任である。だが、M将軍を含む権力者にとってはきわめて不都合な人間である。だが、M将軍らはそれを全く知らない。
  M将軍は「今はまだ、戦争を起こすわけにはいきません。時期尚早です。あなたなら救援チームを率いて平和裏に彼らを避難させることができると考えます。他の人間にはできない」と丁重に言う。それらの言葉の本当の意味は「我々が戦争を始めるだけでなく戦争に勝つ準備をするための時間稼ぎをしてくれ」ということだろう。利用したい相手にはへりくだる本物の権力追求者だと思った。経済的権力追求者にはよくあるのだろうが、こういう政治的権力者や軍人こそが最も恐ろしいと感じた。M将軍は彼なりに精一杯のカジュアルな服装でやって来た。私服だが明らかにプロと分かる護衛を連れて来ていて、A1大学の事務局はちょっと騒いでいた。M将軍は護衛を大学の校門の外に残して来た。この点も丁重だと言える。寛大であるあるいは自信があるとも言える。単なる経済的権力者のへりくだりとは異なると思った。こういう権力者こそが恐ろしいと思った。私は最初は断った。すると、M将軍は別種の恐怖を私に植え付けようとし始めているのが分かった。私とグループGの未来のために私は引き受けた。
  M将軍が帰った後、彼が盗聴器や監視カメラを残して行ってはまずいので、Xが自作の電子機器を探知する装置でM将軍が歩いて座って通った跡を探知した。廊下までさりげなく探知した。そのようなことは、不審人物が訪れてきた後だけでなく、常日頃やっていた。さすがに盗聴器、盗撮器はなかった。私たちはXのハードウエアについての技術も信頼していた。

難民とスタッフの区別がつかなくなった

  UやXやZもD国へ一緒に行くと言い出した。それはありがたかった。だが、「君たちにはこの超大国での重責があるじゃないか」と留まるよう説得した。アウトドアライフのマスターたち、彼ら彼女らが指定したアウトドア用品、医療介護スタッフ、彼女ら彼らが指定した医薬品・医療機器、飲料水、高栄養食品、衣類、井戸を掘るための掘削機、水を汲み上げるためのポンプ、それらを積んだ数千台のトラック、移動式の簡易トイレと医療施設、それらの運転手、十分と思われる燃料…などとともに私は現地にやってきた。
  25YY年の夏の終わり、広大な農地が延々と広がっていた。それを見るとこの侵略の理由を理解しないわけにはいかなかった。青い空と白い雲の下、黄緑色の麦が風にそよいでいる。トンボが飛び始めている。お分かりだろうか。もう少しで麦は黄金色になるのだが、まだ黄緑色で収穫できない。避難民は作物を収穫して携えて避難することもできない。B国のBP大統領は時節まで見計らっていたのだろうか。収穫直前になってあわてたのだろう。     幸運なのは盛夏を少し過ぎ、暑さが少し和らいでいることぐらいだった。だが、依然、暑い。トンボだけが涼し気に飛んでいる。避難民たちは「青田刈り」もせず「焦土戦術」もとらない。しかも、実質的な農地に入らず、農道を縫うようにして避難している。それが何とも哀れだった。どうぜB国に占領され略奪される資源なのだが、食糧資源を大切にする気持ちが染みついていたのだろう。
  障害者、病弱者、高齢者は担架や「おんぶ」で運ばれていた。それは想定していた。車椅子や介護ロボットはこのような土の農道や山野を運行できない。電源がないからすぐ停止する。農業地帯にも車道はあるが、わずかしかなく、移動式の簡易トイレと医療施設と必需品運搬のトラックでいっぱいである。車椅子や介護ロボットは都会の中でしか役に立たない。想定していたとはいえ、避難民と医療介護スタッフは苦労していた。
  B国軍のヘリコプターやドローンが上空をときに飛ぶ。避難民がどこまで避難したか偵察しているのだろう。エンジンとプロペラが胸に響く音をたてる。避難民はその度におびえ、子供は泣かなければならない。そこで、避難民の列の最後尾に文字通り「最後尾」と書いた巨大なバナーを掲げた。すると上空を飛ぶものはトンボだけになった。
  避難民の中には元D国軍兵士もいた。彼らは次のようなことを語る。「B国軍とD国軍の戦闘が始まると、しばらくしてD国軍兵士の中には投降しB国軍に編入される者もいた。投降も編入も拒み、編入されたD国軍と戦う者もいた。自分たちは軍から離脱し避難民となる道を選んだ。どれも危険なことだが、自分たちの選んだ道が最も危険が少なかったようだ」と、複雑な表情、口調で語る。私は思った。B国軍に編入された兵士もD国軍から離脱した兵士も責めることはできない。彼らも生存のためにやむをえなかった。すべての責任は資源に限定した局地的侵略戦争の戦略を立て実行したBP大統領にある。私は彼らに「今は生きるだけで大変なんだから、過去に直面するのは未来にとっておこう」と伝えた。また、スタッフには「D国の高位の軍人や官僚のように見える者がいたら、何も語らず何もせず、私に知らせるよう」伝えた。結局、そのような者はいなかった。B国軍とうまくやっているのだろう。だが、彼らも責めることはできない。
  そのうち農地になりえない不毛の山野、つまり、B国軍も追って来ない地域に入った。標高としては上昇していく。だから、避難民たちはかつて生活の糧としていた豊かな農地を見渡すことになる。これは残酷だと思ったがルートはこれしかなかった。既にB国軍が農道に展開している。太陽の光を受ける黄緑色の麦の絨毯にどす黒い軍用車両が点在する。それを見て、年配の人々は薄っすらと涙を浮かべている。文字通り、子供の頃からその農地を培ってきた。若い人々は「また、戻って来る」「必ず奪還する」と励まそうとする。私は「新しい土地の開拓がある」と思ったが、その時に言うのは控えた。
  B国も明らかに要らない不毛の山野に達した。野営ができる。アウトドアライフのマスターたちのおかげで、谷間のいたるところでテントが立ち始めた。飲料水と食糧は持って来たし、足りなければ、往復のトラックやヘリコプターで届く。だが、避難民もスタッフもシャワーを浴びて衣服の洗濯をしたいだろう。それと清潔維持によって伝染病の蔓延もある程度は予防できるだろう。だから、掘削機とポンプで地下水を汲んだ。
  まず、高齢者、障害者、病人、乳幼児とそれらの家族から野営してもらい、十分な物資とスタッフをおいた。私たちが進むにつれて、残留する避難民とスタッフが増えていった。前方には山があり、振りかえると谷間のいたるところにテントが立っていた。
  A国政府は避難民が百万人を越えることはないと私に保証していた。その保証が正しければ、その山間部の冬さえ超えられるはずだった。ところが、避難民は二百万人を越えていた。A国政府もいい加減なものである。この頃、小国と言えども人口は一千万人以上だった。谷間から溢れた健常者はどこへ向かえばよいのか。それらの避難民とスタッフと話し合って、とりあえずA国に向かおうということになった。
  大人は黙々と歩くが、泣く子が多い。その中にひときわ激しく泣く女の子がいた。家にぬいぐるみを忘れて来たことに今頃、気づいて泣いているらしい。女の子にとってそのぬいぐるみは両親の形見だったようだ。三十前後の女性がやってきて、リュックサックからぬいぐるみを出して手渡していた。女の子は泣き止んだ。両親の形見にはなりえないが、その女性の何かを感じ取ったのだろう。その女性は女の子を抱きしめて泣いていた。その夫らしき男性が「退避前に戦闘に巻き込まれて、私たちの女児は流れ弾に当たって亡くなった。遺体を埋葬することもできなかった。そのぬいぐるみはその女児の遺品だ」と言う。亡くなった女児が、これを見れば、何を思うだろうかなどということを私は考えていた。その女性の葛藤は測り知れない。自身の娘の代替を求める自我もあったかもしれない。そんな自己に対する嫌悪もあったかもしれない。子供の喪失によってできた空虚を埋めようとする自我もあったかもしれない。だが、苦しんでいる子供を放置できない何かが強く働いていたと思う。それは人間においても本能かもしれない。ともかく、その女性の葛藤は測り知れない。その女性の夫は救援チームの臨時スタッフになることを申し出てくれた。その女性もやがて立ち直って、臨時スタッフとしてその女の子も含めた孤児の世話をしてくれた。というより、この頃には私も含めてスタッフと避難民の区別もつかなくなっていた。
  さしあたりA国に向かって歩いて来た。この先、どこに向かうか話し合った。私には一つの案があった。例のA国辺境の「放射能残留立ち入り禁止区域F」はここから歩いて数日の距離にあった。残留放射能がないことは既に私が確認していた。さらに、この季節、野生の果実や山菜や無毒のきのこが豊富に採れ、汚染されていない地下水がたっぷり汲めることも確認済みである。兎や鹿も獲れるかもしれない。私はそれを提案した。彼らのほとんどが同意した。というより、他に選択肢がなかった。
  広大な牧草地に入った。B国軍もそのうちやってっ来るかもしれない。住人もそのことが不安な様子で、私たちに共感していた。新鮮な牛肉を無償で提供してくれる人々もいた。野外で焼いて食ったので、ちょっとしたバーベキューになった。子供たちは喜んでいた。大人たちはお返しできるものが何もないことを恐縮していた。私も含めて。
  私たちは歩きに歩いた。休憩も十分にとった。休憩は避難民より救援スタッフに必要そうだった。それは理解できる。スタッフは避難民より動き回っていたし、ほとんどが都会人だったから。私については発掘の仕事で体力がついていたようで、疲れはあまり感じなかった。
  幸いなことに害獣、害鳥、害虫はほとんどいなかった。盛夏を過ぎたとはいえ、まだ暑い。どこまでも続く青空の下、草原を飛ぶトンボを見ることだけが憩いだった。子供も大人も喜んでいた。「ドローン(無人飛行機)のようだ」という子供もいる。鳥や虫が飛行機やヘリコプターのまねをしたのではなく、その逆なのだが、議論するほどのことではない。20XX年前の数十年間もそうだったのかもしれないが、この頃、都会はもちろん郊外でもトンボを見かけることはなかった。
  避難民の中に世界的な報道写真家BCがいた。B国出身の四十代の女性である。D国で戦闘に巻き込まれた民間人を撮っていた。その最中に何故か、B国軍が彼女の両眼を深く傷害した。結局、全盲となった。眼帯を傷跡に当てて、杖を頼りになんとか自力で歩いている。カメラは手放さない。私は彼女を子供たちがトンボを追いかけている草原に連れて行った。彼女は突然、胸を張って顎を引き、眼帯の奥の無いはずの右眼にカメラを近づけて構えた。私にはやはりないはずの右眼がキラッと光ったように感じた。子供たちの歓声と草の臭いと肌に当たる太陽の光と風で光景をとらえているのだろう。彼女はシャッターを何回も切っていた。その写真の何枚かは避難民に感動をもって迎えられ広がった。それは虐げられる者としての共感によっていたのかもしれない。だが、それだけではない。それらの写真には視覚以外の感覚による視覚芸術の手探りがあった。文字通り手探りの写真だ。「盲目の写真家(Blind Camerawoman)」の誕生だ。私たちは歩きに歩いた。BCは子供たちに囲まれて歩いた。
  区域Fに着くと、予想以上に野生の果実がたわわに実っていた。木々が茂り、木漏れ日が差し、適度な気温である。美しい羽根や帽子を付けた鳥と大型の蝶がゆったりと飛ぶ。兎が耳を立て、鹿が頭をもたげるが、警戒心は少ない。普通の森林ではありえない光景だった。美し過ぎる。区域Fの中では私が発掘した地域も美しかった。だが、そこには落ち着いたどこかで見たような美しさがあった。区域Fは広く多様だからだろう。人間にとっての害獣、害鳥、害虫はほとんどいない。
  恐らく、20XX年に植物と微生物だけが生き残り、動物は放射線によって絶滅した。次いで、虫媒の植物も絶滅したのかもしれない。放射能の減退に伴い、食物連鎖の下位にある植物食の動物や植物を受粉させる蝶や鳥からこの森に戻ってきた。それから虫媒の植物も繁茂し始めた。核爆発でできたと思われるクレーターも小型の淡水魚がうようよ泳ぐ湖になっていた。今後は、植物連鎖の上位にある動物食の猛獣、猛禽らも戻ってくるだろう。区域Fのこの地域は森として形成途上にあり、避難のタイミングがたまたまよかったということだ。
  私たちは歓声を上げてさっそく掘削機で井戸を掘り始めた。もはや慣れたものである。また、果実を採るためのはしごや兎や鹿を獲るためのわなも作り始めた。これもすぐに慣れた。大人も子供も、それぞれに適したサイズ、柔らかさの果実を皮ごとかじった。ところで、固形物を食せない人々はまだ、家族と十分な物資とスタッフとともにあれらの谷間に居る。兎や鹿は、捕獲後すぐに、「安楽死」(私たちはそう呼んだ)させて、丸焼きにして皮をはいで解体し、骨を持って横紋筋の部分に食らいついた。果実も肉もうまかった。横紋筋や脂肪はすぐにたいらげられた。皮や骨は干しておいた。何かに使えるかもしれない。頭部、心臓、大血管、気管、肺、消化管…などは土に埋めた。肥料になるかもしれない。山菜やきのこも採れた。スープにして食べた。それらもうまかった。きのこについては、毒があったらいけないから、見慣れないものは採らないようにした。アウトドアライフのマスターたちは、この森では自分たちは不要だと言う。医療スタッフたちは、都会人の食生活よりよっぽど健康的なんじゃないかと言う。私は、「安楽死」させた後のこととはいえ、兎や鹿を丸焼きにしたことはUに言わないようにしようと思った。
  あれらの谷間に残っていた人々も合流し始めた。数週で無数の集落が自然に発生した。それぞれの集落は十数人から数十人からなる。そのレベルでは権力もカネも法も必要ない。資源はありあまるほどあり、その争奪戦もない。
  私は私が所属する集落で野生のブドウからワイン造りを始めた。パン焼き用のドライイーストで補強すると数日で集落の大人全員の分ができあがった。最初は近隣の集落に分からないように、こっそり飲み始めた。だが、焚火はした。それを囲んで飲んだ。火の光で人々の顔が浮かび上がった。アルコールで赤いのか火で赤いのか分からなかった。濾過ができず濁っていたがうまかった。あまり飲めない人はすぐに眠ってしまった。避難の間は潜在していた酒飲みが復活した。もちろん女の酔っ払いも少なからずいた。服を脱いで踊る女もいた。この森の未来について語る男女もいた。この森の名称を「区域F」から「森F」に改称しようと宣言する者もいた。だが、ほとんどは馬鹿笑いしながら雑談していた。だが、残念なことに、ワインは既に残り少ない。近隣の集落から参加した男女が十数人いたから。輪になって飲み食いしながら誰かが言った。「この森Fは俺たちの森だ」  歓声が森にこだまする。しばらくは狩猟採集だけで行ける。そのうち農耕牧畜も始まるだろう。だが、それより早く猛獣がやってくるかもしれない。いや既にどこかに潜んでいるかもしれない。気をつけろよ。猛獣や猛禽は来なくても、伝染病が蔓延するかもしれない。人間が開発し使用する全体破壊手段ほどひどくないが、微生物には気をつけろよ。この森はまだ若い。本格的な食物連鎖と生存競争と共生はこれからだ。

第四次世界大戦前夜

  私はその森Fでのワイン造りにのめり込んだ。ドライイーストで補強せずブドウに元からある酵母だけでやってみたかった。だが、大学の夏休みは終わり、大学での教育の仕事に戻らなければならない。何より裏の仕事―世界革命―に戻らなければならない。だから、救援チームの団長を交替してもらった。森Fに放射能が残留していないこと、難民がすべて森Fに移動したこと、B国軍が森Fを脅かすことはないことは広まっていたから、団長は競って交替してくれた。「20XX年以前の遺跡や文献のようなものは保存しておいて」と歴史学者として人々に最初からお願いしていた。そのとおりにしてくれていた。「放射能残留立ち入り禁止区域F」つまりあの森Fに立ち入ったことへのおとがめはなかった。あの初回の酒宴の翌日、私はこっそりA国首都に向かった。往復するトラックに乗せてもらった。A国に着くと、私たちの努力の甲斐もなく、第四次世界大戦前夜であることを思い知らされた。だから、おとがめがなかったんだ、政府や軍には私を責めている暇がなかったんだ、と思った。あの森Fでの暮らしは夢のようだった。だが、私はすぐに現実に戻った。
  前述のとおり、超大国Bは既にA国とB国に挟まれた小国Dの食糧資源に富む地域を占領していた。さらに他のいくつかの国にも侵略していた。超大国Aも既にいくつかの国に侵略していた。また、A国、B国はそれぞれいくつかの国家と同盟を結び軍を派遣し、それらの二つの陣営の末端の間では既に交戦が始まっていた。残る超大国Cは現在のところは中立を維持しているが、その動きは不気味で、A国もB国もその動きを注視していた。
  超大国A、Bの政府はもともと独裁的だったが、さらに独裁的になってきた。両国は戦時体制を宣言し、憲法を停止した。元から形ばかりで不正だった選挙を停止した。元から形ばかりで機能していなかった立法権と司法権を停止した。超大国Cでは数十年前に国家権力は民主化されたが、民主制はすぐに形骸化した。現在は露骨に独裁化されている。
  P教授は、独裁制を分類して、軍人が完全に政治的権力を握ることを「軍独走型」独裁と呼び、文官が軍を完全に掌握して乱用することを「文官軍乱用型」独裁と呼んでいた。だが、P教授は、それらは連続体の両極であって、それらの中間がいくらでもあることも強調していた。A国の独裁制は、M将軍が実質的な政治的権力を握るが、AP大統領が形式的な国家元首に留まり、前者に近い中間になった。文官を前面に立てたほうがM将軍にとって都合がよいだろう。いざとなれば文官を非難の矢面に立たせることができる。B国はBP大統領が軍を完全に掌握し乱用し後者になった。世界の主要国で、少数の文官または軍人が完全に軍を掌握し指揮権を握り、世界大戦を始め、全体破壊手段を使用する権力を得た。
  少なくともA国とB国とそれぞれの同盟国の政治的経済的権力者が、戦争に勝つことを至高の目的として掲げ、国家主義、愛国心を煽り、見かけの国益を誇示した。それらは権力を拡張し独裁と独占・寡占へと走るための名目に過ぎなかった。権力の拡張がそれぞれの国家に留まる限りは、国家間では不安定ながらも均衡が保たれていた。世界の権力者は暗黙の裡にその均衡に甘んじていた。その均衡が崩れない限りは世界大戦を来すことはなかった。ところが、権力者は国境を越えてでも権力を拡張しようとするものである。B国のBP大統領はA国とB国の間に挟まれた小国Dへの侵略を命令してしまった。さらにA国の領土内にあるあの森Fにも脅威を及ぼしている。A国のM将軍は当然、それに反応している。さらに、M将軍は、それへの反応に留まらず、世界の制覇または破壊へと向かうかもしれない。いずれにしても上の奇妙な均衡が崩れたことが、今が第四次世界大戦前夜である理由である。同様のことは過去の世界大戦前夜にも言えたに違いない。問題はその前夜に何をするかである。私たちの場合は世界革命を完結してしまうことだった。
  予想通りに、私がA国に戻った翌日にはM将軍が再び私の研究室にやって来た。私の功績を讃えた後で、彼は私に今度は森Fの管理者の地位を迫って来た。実際は森Fの防衛強化のために私を利用しようとしたのだろう。私は、今学期は教育の仕事で忙しいので、今学期の終わりごろに再考させて欲しいと伝えた。今学期が終わるまでには世界革命を完結し、世界の独裁政権を倒せる確信が私にあったからである。

国家主義・愛国心、人口問題、国益の利用

  諸国で政治的経済的権力者が、衰退していた国家主義や愛国心をますます精力的に再興し煽り利用するようになった。だが、その煽り方、利用の仕方は繊細になっていた。例えば、B国のBP大統領は、小学校の教科書の中で憂国の人々の物語を増やした。それに対して、A国のM将軍は、例えば、「家族を守るためには男は国のために戦わなければならないことがある」などともはや化石のような言葉を吐く。戦争が何のためにもならないことは言うまでもない。グループGの何人かはこのときばかりは「家族や友人を守るためには、男だけでなく女も、俺たちはM将軍を暗殺する必要がある」と思わず言っていた。それは文字通りである。私も含めてグループGの何人かはM将軍の命令によって家族や友人を失った。ZとXが本気になれば、グループGはM将軍を暗殺することができた。だが、そうしたのでは私たちの何人かが犠牲になっていた。また、追求してきた「無血」革命が達成できなくなっていた。
  また、人口問題が乱用された。人口を抑制すために、自然災害、大規模人災、飢饉、食糧難、パンデミックなどの自然と人間との間で生じる苦難(AAA群)と、戦争、虐殺、全体破壊手段を含む無差別的破壊手段の開発、使用…などの人間の間で生じる苦難(BBB群)、を甘受する知識人が意外といた。市民はそんな知識人に批判的だった。権力者は狡猾であり、それらを甘受しない振りをしていた。結局はAAA群のうちの世界的なものとBBB群のうちの局地的なものによって世界人口は地球でかろうじて維持できるものに抑えられている。ここで最も重要なことは以下のことである。今まではBBB群が局地的なものであったから絶滅に至らなかった。もしBBB群が世界的なものになり、報復の連鎖の中で全体破壊手段の使用に至れば、人口抑制どころか地上の人間を含む生物のいくつかの種が絶滅していた。実際、20XX年にそうなった。AAA群を軽視してよいと言っているのでは全くない。BBB群を防ぐ努力が、AAA群を防ぐ努力と比較すると、少なすぎると言っているだけである。例えば、ある大国の政府は、飢饉や食糧難において、低エネルギー(カロリー)のダイエット食品を配布した。言うまでもないことだと思うが、飢饉や食糧難において最も重要なのはエネルギーだ。エネルギーを欠く食糧を配布された人々の驚きと怒りと絶望は想像を絶する。冗談や笑いごとではない。世界中の医師や科学者たちがそのような政府を痛烈に批判した。それも重要だ。だが、少なくとも同じほど痛烈に、全体破壊手段を開発し保持し続ける世界の権力者を批判する必要があった。
  二十世紀以降、BBB群を防ぐ努力がAAA群を防ぐ努力よりかなり小さかったことは否定できない。それは、人間がBBB群は人間社会の性であってどうしようもないと諦めていたからではないだろうか。それに対して、世界の反政府グループはその諦めは性急であると考え、全体破壊手段の全廃と予防は可能であることを示そうとしていた。
  国家主義や愛国心と人口問題への取り組みが奇妙な形で協働することがあった。A国とB国に次のようなことを公然と語る権力者がいた。「自国民は他国民より文化的側面においても生物学的側面おいても優勢である。他国を攻撃し他国民を全滅させれば、人口問題は解決し、優勢な人間と文化と遺伝子が生き残る」と。彼らは甘すぎる。他国を攻撃すれば報復の連鎖がありえることについて何も触れていない。それに対して、M将軍、BP大統領…などさらに上の権力者は報復の連鎖がありえることを十分に認識している。だから、今が大戦前夜に留まっているのである。
  さて、「生物学的側面」は遺伝し進化する。だが、前述のとおり、亜種から亜種への進化が何百年から何千年の時間の中で生じるのに対して、種から種への進化は何万年から何十万年の時間の中で生じる。だから、私たち人間の間で差異があるのは、肌や虹彩や毛の色、面構え、体格…などの外見だけである。知性や気質に差異はない。「文化的側面」について、文化を形成する枠組みは遺伝し進化するが、文化の内容は遺伝せず、伝達される。現代においては異なる人間の集団の間の伝達に要する時間は数秒からゼロコンマ数秒であり、それらに重要な差異はなくなってきている。それらのことから、人間の集団の間では文化的側面においても生物学的側面においても「優勢」なるものは生じない。そのことは世界の市民と権力者のほとんどが分かっていた。だからこそ、上のような言説は不気味だった。
  ところが、さらに不気味な言説がちらほらオンラインで匿名で出てきた。「もし、20XX年に続く地上の人間の絶滅がなかったら、人口は増大し環境はさらに悪化し資源はさらに消耗し、地上の人間はもっと苦しんでいた。だから、このあたりでもう一度、地上の人間を絶滅させておくのも悪くない」というようなものだった。それらは匿名であるだけでなく市民の振りをして出されていた。だが、結局、そのような言説に対する反応はオンライン全体の中ではわずかだった。しかも、わずかな反応も「どんな苦しみもいやだね」「それより今日のメシのことを考えろよ」のようなものだった。状況を考えると、それらの反応は極めて自然なものだった。
  国家主義や愛国心などの精神的なものに対して、権力者が戦争を始める名目として実際的に見える「国益」なるものに訴えることは今まで多々あったし、この度も多くが訴えている。国益の追求そのものは大きな問題にならない。最大の問題は権力者が自身の権力を維持・拡張するために見かけの国益を誇示していないかである。例えば、選挙に勝つために、関税の引き上げと自国の産業の保護を誇示していないかである。25YY年においては、戦争で権力を拡張するために、侵略先の資源の価値を誇張していないかである。実際、BP大統領は誇張していた。
  だが、食糧資源が地球規模で枯渇していく状況の中では、権力者は争われているものを表現するのに、「国益」などという複合的で曖昧で脂ぎった言葉を使わずに、単純に「食べ物」と言えばよかった。

軍事技術

  選択的破壊手段-SMAD-権力疎外-権力相互暴露については既に述べた。それは世界の権力者と世界の市民という横割りの構造・動態の中で世界大戦と全体破壊手段の開発、使用を防ぐ決定的方法である。ここでは主として軍事技術について述べる。
  既に千年代末のMAD華やかなりし頃にも、MADの均衡を破ろうとする理論があった。それは当時はやった映画のタイトルで呼ばれたが、端的に言って「ミサイル迎撃システム」であり、迎撃する現場を大気圏内から大気圏外に広げただけのものだった。最近になってまた、斬新と主張する理論が少なくとも超大国A,Bで出現した。彼らは言う。「ミサイルを大気圏外で迎撃するより、大気圏内で迎撃するほうが経費がかからず確実である。再び大気圏内に立ち返って、敵国からのミサイルをすべて迎撃できるシステムを開発した。それによって、敵国からのミサイル攻撃と報復をほぼ完全に封じ込めることができる」と。理論としては分かりやすいが、実際に機能するのか。はったりではないだろうか。いつの時代も威嚇のために、軍事技術が進歩しているように見せかける権力者がいる。内部隠密離反者(内部隠密情報提供者)によると迎撃率がミサイル一機について10パーセント以下であることは確認されており、その低い迎撃率は政府と軍のトップにも伝わっているとのことだった。後にそのとおりになって、私たちのSMADはうまく機能した。
  また、権力者はシェルターに係る技術も軍事技術と見なし、過信していた。確かに、それらはかなり進歩していた。だが、もちろん、何十億もの世界市民を収容できるようなシェルターを建設することは絶対に不可能なことである。ほとんどの市民と政府と軍と企業の下層と中間層は地上に残されるか、または、脆弱なシェルターに逃げ込まざるをえない。全体破壊手段が使用された場合、堅牢なシェルターに逃げた人間の生存は可能かもしれないが、それらは人間の一握りに過ぎない。仮に人間を含む生物が別の天体に移住して生存するとしてもそれらは地球上の生物とは別の方向に進化するか、そもそも進化しない。私たちはそれらの地下や宇宙での生存を地球の生物の生存と認めない。私たちが目指す人間を含む生物の生存とは、太陽または地球の激変のときまでそれらが、この地球上で、厳密には地表で生存することである。侵略してくる異星人や衝突してくる彗星を核兵器で迎撃するなどというのは20XX年以前に流行ったSFに過ぎない。人間以外がもたらす危機に対処する必要は全くなく、私たち人間は人間自身がもたらす危機に対処していればよい。そのためには、全体破壊手段の全廃と予防が不可欠である。世界の反政府グループはその方法も模索していた。
  また、私たちは権力者の別種の過信を利用する戦略も模索していた。25YY年、シェルターと地表との間の通信技術も進歩していた。その通信技術によって、全体破壊手段が使用されなかった場合、世界の権力者は、地上に残された政府と軍と企業の残留組を、コントロールできると過信していた。それに対して、世界の反政府グループは、権力者がシェルターに退避すると、地上に残された残留組が一気に離反し、彼らは反政府グループと市民の側につく、と私たちは確信していた。結局、私たちの確信が的確だった。権力者は科学技術を信じる反面、人間の情動を理解していなかった。シェルターに連れて行かれず地上に残された者、つまり見捨てられた者が、見捨てた者に従うわけがない。

最初で最後の戦争

  さて、第四次世界大戦前夜、私は以下のように思った。

  現在、環境の悪化、資源の消耗、世界人口がそのような環境・資源によって維持できるものを超えようとすることは、権力者が独裁と独占・寡占への名目として掲げる部分を除外しても、切迫している。特に食糧資源の限界がさし迫っている。過去にも飢饉や食糧危機はいくらでもあった。だが、それらは局所的なものであり、地球レベルでのものではなかった。20XX年の直前もその限界は切迫していたように見えるが、当時は利用できる食糧資源がまだ十分に残っていた。今は開発の余地は世界で三か所の「放射能残留立ち入り禁止区域」ぐらいなものである。あの森Fは残留放射能がないことが確認でき比較的広かったが、他は、残留放射能がないことが確認できても、狭く多くを生産できない。何より、あの森Fは既にあのD国からの避難民でいっぱいである。過去には遺伝子操作や培養肉などの生物学的技術に対する期待もあった。だが、それらによる食糧生産の増分は人口の増分に及ばなかった。
  そこで、例の「資源に限定した局地的侵略戦争」はあのD国を巡ってだけでなく、他のいくつかの食糧資源の豊富な地域を巡っても始まっていた。現在の戦争は、複雑で曖昧な国益、覇権、領域、宗教、民族、イデオロギー…などではなく、明白で生存に不可欠な食糧資源を巡る戦争である。何故、かつて人間は不可欠でないもののために戦争をしていたのだろうか。それらは避けられたはずだ。第一次、第二次、第三次世界大戦さえも避けられた。生存に不可欠なものを巡る戦い。それがこれからの戦争だ。これが本来の戦争だ。つまり、最初の戦争だ。この前夜に世界革命を完結し、全体破壊手段を全廃し予防し、世界で民主的分立的制度を確立し維持するしかない。そうしなければ生存はない。戦争さえもない。つまり、最後の戦争だ。結局、最初で最後の戦争だ。それを前夜に防ぐのは最初で最後の決戦だ。

内部抗争の予防

  世界の反政府グループと内部隠密離反者が打合せ通りに動いた。既に一般市民のほとんどが、政府と軍の主要施設近隣に居住していなかった(権力疎外)。庶民の街の中でも人々ができるだけ周辺に移動している。世界の市民と反政府グループと離反者がそれぞれの国家の政府と軍の主要施設の位置情報を互いに暴露し合っていた(権力相互暴露)。特に政府や軍の内部にあって貴重な情報を入手できる高位の官僚や軍人(内部隠密情報提供者)が、最新の情報を提供してくれている。もちろん彼らも、全体破壊手段が使用されれば、地上に残された人間は死滅することを知っている。まず、シェルターに連れて行ってもらえそうもない人々が熱心に情報提供してくれた。シェルターに連れて行ってもらえそうな人々でさえも、シェルターでの生活を嫌がって、情報提供してくれている。世界の反政府グループはそれらの情報を互いに暴露するだけでなく、政府と軍にも暴露していた。それによって政府と軍は互いだけをより正確に破壊し合うことができる(SMAD)。また、世界の反政府グループが、政府と軍からの明らかなまたは隠密の離反者に対して革命後は罪を問わず、革命後も公務に留まる場合は従来以上の待遇を保証すると宣言していた(離反推奨)。また、政府や軍の内部にあって政策と戦略に影響を及ぼす立場にある人々(内部隠密戦略誘導者)が例えば「全体破壊手段を使用しなくても相手の政府と軍を選択的に破壊できる。また、全体破壊手段を使用すれば、苦労して獲得しようとしている資源が汚染される。だから、全体破壊手段を使用する必要はないし使用しないほうがよい」と誘導してくれた。上と同様の理由で、それらの人々が忍耐強く誘導してくれた。また、できる限り多くの国々が中立に留まるよう勧めた(中立推奨)。特に残る超大国であるC国にそう勧めた。
  それらの反政府グループ側の準備に対して、平時なら権力者は弾圧にあらゆる手段を使用しただろう。だが、このような世界大戦に突入している状況では、彼らに国内の反政府グループや市民を弾圧している余力はなかった。というより、彼らはシェルターの準備で大忙しだった。特にシェルターに連れて行く者の選考で忙しかったようで、一部では争いもあった。そのような国内の反政府グループや市民を弾圧する余裕もないような状況に権力者を追い込むことも私たちの戦略と準備に含まれていた。だが、ここまでうまくいくとは思わなかった。
  それらの準備のいくつかは20XX年の二三の反政府グループも計画していた。だが、準備は進まなかった。それは何故か。国家内でも国家間でも反政府グループどうしが政治制度と経済体制を巡って争ってしまったからである。この度は、以下の原則によって、そのような内部抗争を防止している。

国家権力を自由権と民主的分立的制度を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立し、L系においては厳格な自由権と民主的分立的制度を確立し、以下についてはそれぞれの国家のS系の中と周辺で革命後に議論する。

経済体制は資本主義か共産主義かそれらの中間体か
中間体にするなら、連続体のどのあたりか
企業の独占・寡占をどうするか
国営企業をどうするか
福祉制度をどうするか、高福祉高負担か低福祉低負担か、それらの間の連続体のどのあたりか
医療制度をどうするか、高医療高負担か低医療低負担か、それらの間の連続体のどのあたりか
自然の保全をどうするか、公権力が積極的に介入するか、企業や市民の自主的な保全に委ねるか、市場経済に委ねるか、それらの間の連続体のどのあたりか
大きな政府か小さな政府か、それらの間の連続体のどのあたりか…

それら議論はS系の中と周辺だけでやっていればよいことである。それらをL系とS系がごちゃまぜになった国家権力の全体で論じるから不必要な内輪もめが生じる。つまり、国家権力のL系とS系の分立はそれを減じる効果もあったのである。
  さらに、世界中の反政府グループはそれぞれの国家における暫定憲法の草案と暫定政権の枠組みをネット上でに過ぎないにせよ市民の投票にかけた。そして、三分の二以上の多数によって承認されていた。何度も言うが、それらはネット上でに過ぎない。だが、市民が投票と集計の過程を細部まで閲覧できるプログラムをXらが開発し実行していた。それによって現行の独裁的な政権によって操作された欺瞞的なものよりはよほど厳正な投票・集計になっていた。当然、新憲法と新政権の成立時には紙の投票用紙を併用し、少なくともそれによって選ばれた人々が在任中は証拠として保存する必要がある。その紙の投票用紙の必要も暫定憲法で規定された。
  さあ準備は整った。

革命の実質の計画

  U、T、X、Z、N大佐と私がA1大学の私の研究室に集まって、もう一度、それらの準備が整ったことを確認した。さらに革命の本番の計画を最確認した。それは以下のとおり。

(0)世界の国家の政府と軍に全体破壊手段を使用する必要がないことを反政府グループと内部隠密離反者(内部隠密戦略誘導者)が強く誘導し続ける。だが、A国のM将軍は偽物の全体破壊手段―Uが開発した偽物の不変遺伝子手段―を本物と思って使用するだろう。
(1)A国のグループGは世界の他の反政府グループと世界の内部隠密離反者に、A国のM将軍が全体破壊手段を使用するだろうが、それは疑似のものであることを、隠密に伝える。
(2)A国の内部隠密離反者(内部隠密情報提供者)がM将軍らのシェルターへの退避と(疑似の)全体破壊手段使用の前兆を察知し、グループGにそれを伝える。
(3)グループGは世界の反政府グループと世界の内部隠密離反者に、間もなくM将軍が疑似の全体破壊手段を使用すると隠密に伝える。
(4)グループGを含む世界の反政府グループが世界の市民と公務員に対して、まもなく政府と軍の主要施設が破壊されるから、主要施設に立ち入らないよう伝える。また、世界の内部隠密離反者が世界の政府と軍の最上層部に対して、まもなくM将軍が全体破壊手段を使用すると伝える。
(5)するとすぐに、世界の国家の政府と軍の最上層部はシェルターに退避するだろう。M将軍は既に退避しているだろう。
(6)少なくとも超大国AとBとそれらの同盟国の政府と軍の最上層部が互いの政府と軍の主要施設を破壊し合うだろう。シェルターからでも、海底や宇宙に潜む兵器を選択的破壊手段を操作することによって、そのような相互破壊をすることは可能である。
(7)全体破壊手段を使用しようとするのはM将軍だけだろう。世界の政府と軍の最上層部は、M将軍が使用するものだけで地上の人間が絶滅するのに十分であると信じ切っているし、不必要な全体破壊手段を使用して極悪人になるほど馬鹿ではなく、さっさとシェルターに逃げ込むのが得策だとわきまえているからである。
(8)地下のシェルターに収容される政府と軍の最上層部は、地上に残る下層部と中間部に対して、不変遺伝子手段に対して効果があると称するワクチン接種を進めるだろう。不変遺伝子手段の本性からしてそのようなワクチンが存在するわけがない。誰も信頼しないだろう。また、政府と軍の上層部は地上に残る下層部・中間部に少しばかりの昇給と昇格を保証するだろう。だが、そんなわずかな昇給や昇格で下層部・中間層が上層部に従うわけがない。見捨てられシェルターに連れていかれなかった政府と軍の下層部・中間部は上層部に従わず一気に離反し、公然離反者になるだろう。
(9)政府と軍の上層部がシェルターに退避している間に、世界の反政府グループと離反者が政府と軍の破壊されたまたは破壊されていない政府と軍の主要施設を占拠する。
(10)シェルターに退避した者が地上に反撃したり全体破壊手段を使用しないよう、厳重にシェルターの出入口を閉鎖する。また、シェルターに退避した者がシェルター外の破壊手段(兵器)を操作する可能性も絶つ。
(11)それぞれの国家で既に承認されている暫定憲法を公布し、それに基づいて暫定政権を樹立する。
(12)それぞれの国家で紙の投票用紙を併用したレフェレンダムと選挙を実施し、新憲法と新政権を樹立する。
(13)世界で政府と軍の主要施設を占拠する(9)とともに、反政府グループと離反者が速やかに全体破壊手段を不活化する。
(14)全体破壊手段全廃予防のための国際会議を開催する。
(15)全体破壊手段全廃予防のための国際機構を樹立する。
(16)全体破壊手段をできるだけ早期に全廃する。
(17)全体破壊手段を永遠に予防する。

それらを最確認した。既に世界の反政府グループとネットを通じてそれらを確認していた。だが、私は超大国B、Cの反政府グループのリーダーと直接、会って確認したかった。私は表向きはA1大学の教授の資格で研究者としてB国とC国に赴くことになった。
  それから私の研究室で革命の前夜祭となった。この日のためにビールやワインを冷蔵庫に入れていた。あの森Fで作ったワインも少し持ち帰ってさらに熟成していた。皆の酔いがだいぶん回ってからXが「記念写真を撮ろう」と気軽に言う。Uはだいぶん酔っ払っていて、「I(私のニックネーム)がB国C国に行くと帰って来れないかもしれないから、今、撮っておこう」などということをずけずけと言う。Xはさらに「それでわれわれのサイトを飾ろう」と言う。ZとN大佐は「それだけはやめてくれ。政府に顔が割れると大変だ」と言う。Xは穏やかに「顔や体形を識別不能にすることぐらいは簡単。高層ビルの屋上のでっぱりで朝日を背景に立つ六人。朝日を背景にするから逆光で顔は真っ黒けになる。ビルは現実に存在しえないものにする。体形もだぶだぶの服と帽子で隠す」と言う。Xは画像の編集でも信頼できるだろう。皆が同意した。Xが間に合わせの三脚にカメラをセットしリモートコントローラーを持って、UとXが真ん中に入って肩を組み、彼女たちの両脇に私とTが立ち、その両脇をZとN大佐が固めた。結局、カメラから見て左からZ→私→U→X→T→N大佐の横の並びになった。身長からして、朝日を背景にしたM字になった。前方には大都会の全景があり上方には広大な空があり背後には昇る朝日があることをイメージした。ZとN大佐はルネッサンス期の闘士の像のようになってしまっている。Xが「緊張していると集団飛び込み自殺のように見えるだろうから、リラックスしてよ」と言うと、皆が笑い体の緊張もほぐれてシャッターが切れた。実際にXの画像編集技術で政府に顔は割れなかった。映画の公告のような写真になった。

感じているものをとらえること

  B国、C国に行く前に私はA1大学の研究者の身分でA国軍のO参謀と会った。彼はこの時点では内部隠密離反者ではないが、独裁的な政府・軍の中にあっても、全体破壊手段の不必要性と私たちのSMADに近いものを提唱してきた。このときはそれらの主張に切迫感があった。さらに、B国、C国にも同様の考えをもつ高官がいるらしい。
  О参謀は「M将軍にも全体破壊手段の不要性を何度も説明してきた。M将軍は納得した振りをしているが、彼は何をするか分からない。私も暗殺されるかもしれない」と唸る。私は「それは困りますが、あなたがM将軍にシェルターに連れて行かれても困ります」と言う。O参謀もそれを恐れていたようだ。今が好機だと私は思った。私は実際の私の立場を明かした。O参謀は喜んで内部隠密離反者になってくれた。また、ネットを通じてN大佐にZを紹介することになった。彼らが強力な同盟になることに間違いはない。また、B国とC国の政府と軍の中にあってО参謀と同様の考えをもつ人々のうちの最重要人物に私を紹介してもらうことになった。また、それらの重要人物と会うための彼の特使としての資格をA1大学の教授としての資格に付加してくれた。
  私はB国でまず、それらの重要人物と会い、O参謀と同様に、内部隠密離反者、内部隠密情報提供者、内部隠密戦略誘導者になってもらった。次いで、Vと会った。Vは私のB1大学留学時代からの旧友である。今は、表向きはB1大学の法学部教授であり、裏ではB国の反政府グループHのリーダーだった。生前のP教授とも交流していて、私たちはP教授が編纂した世界の憲法と政治制度についての文献を共有していた。Vは私の鏡像のようなものだった。明らかに違っていたのは、Vは仕事と家庭を両立させることができるタイプの人間で、結婚後、五児をもうけていた。五児をもうけるなどということは現代において稀なことである。
  仕事の話に戻ると、P教授のただ一つの弱点は、表現が一般市民に分かりずらいことだった。そこで、P教授がまとめたものを、内容を変えずに、Vらが一般市民に分かりやすく書き直した。その書き直したものが世界中で今の暫定憲法と後の新憲法の基本となった。あの革命の実質での戦略について、GとHを含む世界の反政府グループは、オンラインでよく交流しており、確認する必要がないほどだった。また、О参謀が紹介してくれたB国の重要人物についても、Vもそれらの人物に接触しようとしていたところで、後はVがそれらの人物と直接的に協働することになった。
  一つだけ議論するべき問題が残されていた。B国には反政府グループが複数ありグループHは他と協働していた。最近になってある宗教団体が反政府的な動きを見せるようになり、それらと協働するかがB国の反政府グループの間では問題になっていた。過去には宗教団体が革命に便乗して、新政権の中核を占め、結局、宗教的な独裁へと走ってしまったことがいくつかあった。そのような失態を繰り返してはならない。当然、「政教分離」の原則は世界の反政府グループが前提としており、暫定憲法にも盛り込まれている。Vは言った。「その宗教団体がその原則を遵守することを十分に確認したうえで、その宗教団体と協働してもよいのではないか」  私は言った。「俺たちの準備は十分だから、そんな宗教団体の助けは要らないんじゃないか。それと、あいつらは革命の本番では彼らなりのシェルターに退避していて役に立たないだろう」と。結局、私の予想が当たった。より正確に言うと、シェルターに逃げ込んだのはその宗教団体の幹部だけだった。
  それらの重要なことを確認した後、私とVはB国のBT街の店BQに飲みに行った。B国のBT街はA国のAT街の鏡像のようなもので、庶民の街である。留学時代にVたちとよく飲みに行ったが、その頃は多くの酒をオーダーするカネがなかったから、酔うというほどではなかった。この日もあまり飲まなかった。その店は一流の芸術大学B2に近く、画学生がよく集まっていた。だが、今は時節柄、画学生を含めて客はあまり来ず、画学生Jが一人で食事をしているだけだった。Jは二十歳過ぎの女性。Vとはよく話をしていたようだ。Jは父子家庭で育ち、父親は貧乏画家だった。三歳頃から父とともにB国を旅してスケッチをした。小学校高学年までは木炭でのデッサンだけで、色を付けることを禁じられた。小学校高学年から水彩を許され、高校に入ってからようやく油彩を許された。一流の芸術大学B2に合格し、三年までは教授陣から高評価を得た。だが、最終学年になって、教授陣がJの油彩を「アマチュアに過ぎない」「その歳になって、こんなものしか描けないなら、画家をやめたほうがいい」…などと酷評するようになった。Jはそれらの批評についてVとよく話をしていたようだ。
  私とVは少し飲んだ後で、Jのアパートまで行って実際にJの作品を見てみた。Jは教授陣に酷評された油彩を三点、私とJの前に並べた。すばらしいと私は思った。新緑の中の小道、行く手に開けた草むらがあり、その奥に廃屋がある。その道を歩いて行きたいと思う。あの少女とその父親の手記への道そのものだった。別の絵では土壁に木漏れ日が当たっている。言い知れない懐かしさがある。また別の絵は青い空と白い雲の下、草原から元気いっぱいの兎が飛び上がっている。私もそんな風にジャンプしたいと思う。あの森Fで本物を丸焼きにしたことさえ忘れさせる。何故、美大の教授陣は酷評したのだろうか。Jは数か月、考えていた。Vは数日、考えていた。私は今、考えた。私は分かったような気がした。Jは、彼女自身を含めて、絵を見る人が何を感じているかが分かっていない。例えば、私が「歩いて行きたい」「言い知れない懐かしさがある」「そんな風にジャンプしたい」と思っていることが分かっていない。確かに自分が感じたものをそのまま描くことには優れている。だが、写真と絵は異なる。写真は自分が感じたものをそのまま切り取るだけでもよい。また、絵画や彫刻にしても、ともかく何かを塗りたくって造りながら創造者にして鑑賞者が最も深い感銘を受けたものを選択するという手法もある。だが、20XX年以降の美術や音楽の手法は、十九世紀以前のものへの復興の傾向が強く、光景や曲を緻密に構成してていくものが多い。Jの手法もそうである。そのような手法では自分や一般の人間が感じるものが何かを把握して、強調する、あるいは少なくとも他の構成要素がそれを邪魔をしないよういするほうがよい。Jの現在の絵では、感じるものが複数あるのはよいが、それらが互いに邪魔をしているのではないか。私はそのような考えをJに率直に言ってみた。Jには思い当たるところがあったようだ。
  結局、このタイプの芸術に必要なのは、(1)豊かで鋭い情動、(2)情動の対象を把握し絞り込む力、(3)それらの対象を表現する技能、の三つだと思う。Jにはすばらしい(1)がある。Jの父親は(2)(3)に秀でていたが(1)に乏しかったのだろう。恐らく(1)は思春期以前にしか育まれない。だから、父親はJを旅に連れて出してJの(1)を育むことに専念したのだろう。そうしながらも父親はJの(1)に嫉妬していたに違いない。私の父にもそんな嫉妬があったと思う。今思うと、父は権力にストレートに反抗できる私に嫉妬していた。
  その後、Jは絵を描き直した。私は描き直し前のあの小道の絵を後でもらって、私の書斎の壁に掛けている。この書の表紙にもそのコピーがある。確かに、木立の間隙の左の角に見る者の目が逸れてしまう。書き直した後の小道の絵にはそのような角がなく、サラリーマンの一生の所得ほどの値がついている。だが、私は書き直し前の絵が好きだ。それはあの森Fでのあの少女とその父親の手記発掘の思い出から来ているのかもしれない。また、あの木漏れ日がさす古壁に似たものもあの森Fで見たのかもしれない。また、あの兎のジャンプもあの避難のときに森Fに至る草原で見たのかもしれない。後で森Fであの廃屋への道を通ったときに、見てみた。すると、やはり描き直し前の絵にあったような角があった。

名目と信念の混合・一体化、信念の偏狭さ

  B国からC国に発とうとしている頃、なんと、B国のBP大統領が私に面会を求めてきた。BP大統領は六十代の女性だった。私はBP大統領と面会することについてVに相談した。Vは「『人当たりのよい独裁者・戦略家』だから騙されないように」と言う。
  ところで、20XX年以前なら、女性が独裁者になるとは稀なことだと思われたかもしれない。だが、20XX年以降は以下のことが確かめられている。前述のとおり、独裁者になるのに必要な破壊性、支配性、自己顕示性、自己愛…などの自我の傾向と権力欲求、権力獲得能力は遺伝子によって先天的に形成されるのではなく、主として悪循環に陥る傾向の一環として後天的に形成される。だから、歴史上、独裁者が女性に少なかったのは、女性に権力闘争に参加する機会があまり与えられなかったからに過ぎない。だが、25YY年においても、依然、その機会は女性より男性に与えられているようで、独裁者の男女比は約2:1である。だが、その比率は20XX年以前よりかなり縮まっている。今後はますます縮まるかもしれない。もっとも、そのような議論は不毛である。最終目標は、その男女比を縮めることでは全くなく、独裁者そのものを輩出させないような民主的分立的制度を確立することである。
  さて、私は大統領の私邸に招かれた。BP大統領は非公式な会談には私邸を利用するらしい。大統領秘書を名乗る三十代の女性と年配の男性運転手が私が宿泊するホテルの前まで迎えに来た。その秘書は大統領私邸に常駐し、現在はBP大統領が蒐集した美術品の管理をしていると言う。車は私邸の門をくぐった。庭園にはシソ科植物が咲き乱れていた。本館は中世ヨーロッパの城のように堅牢な造りだが、兵士や武器のようなものは目につかなかった。車は本館の正面玄関のすぐ前まで行き、その秘書が私を中に案内してくれた。長い薄暗いアーチ道を抜けるとまばゆい大広間に出た。 内装は絢爛豪華で、世界のほとんどの人々が一目でそれと分かるであろう20XX年以降の有名な美術品が展示されていた。その秘書は私にそれらのいくつかについて分かりやすく説明してくれた。もちろん、美術史については私よりその秘書のほうが詳しい。B国出身の画家や彫刻家の名作だけでなく、世界の名作があった。A国出身の画家の名作さえあった。M将軍は美術品に興味をもたなかったからだろう。しばらくしてBP大統領が現れ、その秘書は出て行った。
  私は大広間の一角の豪華なテーブルに案内された。BP大統領は紅茶や高級菓子を自分で煎れて出しながら「D国の避難の件ではご迷惑をおかけしました。ですが、私はD国の資源をA国が乱用していることに耐えられませんでした。あの森Fも今までA国が放射能がないことを隠して立ち入り禁止にしてきたことが許せません…」と語る。その口調から判断すると、彼女にとって自然の保全や人類の生存は、単に独裁制や全体主義を敷くための名目であるだけでなく、信念でもあるようだ。つまり、名目と信念がある程度、融合して、分離することがほとんどできなくなっている。恐らく、最初は名目であったものが信念にもなりかけているのだろう。振りでやっていたことが癖になるということはありえる。
  考えてみれば、名目だけで生きている人間はいない。どんな人間も生きるには信念、価値、目的、生きがい…などが必要であり、それらがなければ虚しくなる。過去の独裁者にとっても、共産主義、社会主義、国家主義、民族主義…などは単に名目であるだけでなく、信念でもあった。経済的権力者さえも自分が扱う商品や製造する製品は、利潤をもたらすだけでなく、人類の進歩や幸福をもたらすというような信念をわずかにでももっている。家庭における独裁者であるあの前妻Qでさえも「愛とはいかなる犠牲も厭わないこと」などという信念をもっていた。
  結局、BP大統領との面会は、両者ともに得るものも失うものもなく終わった。その夜あの店BQでVと会った。店の客は私とVだけだった。そのことからも世界大戦が近いことを感じずにはいられなかった。あのJもいなかった。Jはあれらの絵を描き直しているに違いない、彼女と彼女の作品のためにも戦争を防がなければならないと私たちは思った。
  私はVにBP大統領との面会のことを報告し、「ああいう独裁者のほうがやっかいなのかもしてない」と言った。Vは「確かに、少し前までは市民も彼女に騙されていた。だが、あの資源に限定した戦略をお前が暴露したことを含めて、彼女の様々な暗部が暴露されて、最近は市民もBP大統領を信用しなくなった。あの戦略はBP大統領が直接、立てて命令していたんだ。それとあの女性報道写真家BCの両眼の傷害もBP大統領が直接、命令していた。俺たちはそれも暴いた」と言う。グループG、Hを含めて世界の反政府グループは緊密に連絡を取り合っており、あの戦略の命令のことは当然、私は聞いていた。だが、BCの眼の障害の命令の話は今、初めて聞いた。女性大統領が女性写真家の眼だけを傷害するとは、私にはそれを何と表現したらよいのか分からない。
  分かってきたことがあって、私はVに言った。「BP大統領は森FもB国に併合しようとしているんだ。あのミーティングでは俺からあの森の情報をつかもうとしていたんだ」  Vは付け加える。「さらにBP大統領はお前を取り込もうとしていたのだと思う。お前をFの管理者にして、FをA国攻撃のための基地にするつもりだった」と言う。M将軍にしてもBP大統領にしても権力を拡張するのに利用できる人間には表面的に遜る筋金入りの権力者だ。私は「彼女に取り込まれた振りをして、逆に利用してやろうか」と言う。Vは「それはありがたいが、もうそんな必要はないさ。市民はもうBP大統領から覚めている。後は計画通りにやるだけさ」と言う。考えてみれば、M将軍とBP大統領の違いはこれだけだ。M将軍は水面からして荒れている。BP大統領は穏やかな水面の下にどす黒いものが流れている。A国でM将軍に慣れていると、BP大統領のほうが恐ろしい。

両立できるものとできないもの

  信念でしばしば問題になるのは、対立する概念の間の均衡であり、その均衡の偏りである、ように見える。例えば、生存と自由について、生存に偏っていれば、独裁、全体主義…などに向かい、自由に偏っていれば、生存が危うい、ように見える。現在の世界の独裁政権は生存に偏り、反政府グループは自由に偏っている、ように見える。
  そう。それらはそのように見えるに過ぎない。実際は、独裁政権は、生存に偏っているというより、独裁、全体主義…などに走るための名目として生存を掲げている。そして、生存と自由に関する限りで、それらは基本的に、対立する概念ではなく、両立する必要があり両立させることが可能なものである。例えば、生存を保障するためには、総合的政策の立案と推進が必要であり、政策が偏らないためには、活発な議論が必要であり、言論の自由と公正な選挙が必要がある。
  私たちは生存と自由の両立を目指してきた。だが、厳密に言うと、それらには両立できない部分があり、均衡に委ねざるをえない部分があり、その均衡において偏りが生じる可能性がある。例えば、環境と資源の保全のためには、政府は私有財産の自由をある程度まで制限せざるをえず、しばしば偏りを生じる。また、経済を安定させるためには、政府は大なり小なり経済に介入せざるをえず、ときに均衡を崩す。
  歴史の中では、多少の犠牲を伴うが、名目の背後に隠されている独裁、全体主義…などの真意はいずれは暴かれ消退し、信念の偏狭さはいずれは暴かれ修正される。だが、その「いずれは」というような態度では、犠牲が増大する。例えば、20XX年、政治的経済的権力者が掲げる「生存」が名目に過ぎないことと、信念が、あるとしても、生存に偏向していることの暴露が遅過ぎた。それらの遅滞も地上の人類が絶滅した一因である。
  だが、何が何でも急ぐことも多大な犠牲を生じる。そこで、私たちが今、何をするべきかを決める指標が見つかった。

両立できることは今、やる必要がある。両立することができず、均衡に委ねざるをえず、偏りが生じえるものについては、熟考し議論してからやる。

例えば、生存と自由について、自由権とL系とS系への分立を含む民主的分立的制度をただちに確立し、L系においては厳格な民主制、三権分立制、法の支配を擁護する。その後で、S系内部とその周辺で、均衡に委ねざるをえない社会権の保障のあり方をじっくり議論する。

中立

  C国でも私は、О参謀が紹介してくれた重要人物と会い、C国の反政府グループに紹介した。その後で私は、伝説的女性革命家Wと会った。かつて、C国は一度、革命によって民主化された。そのときの革命家である。だが、その後、民主制は形骸化し独裁化が進んだ。それは革命後の政権が民主制のみを重視し権力分立制と法の支配を軽視したからである。Wは権力分立制と法の支配の重要性を強調したのだが、他の革命家たちは彼女を無視した。その直後にWは引退し、現在の独裁政権からの弾圧はなかった。
  C国の首都からWの隠遁所までは鉄道とバスと徒歩で二、三時間足らずである。バス道に沿っては自然が残されていた。世界有数の長さの滝もある。平時なら観光客で混雑するのだろうが、地元の人々が少数、乗っているだけだった。バスが山道を登り高い針葉樹林を抜ける。その滝も見下ろせた。細い水の流れが多数、岩と風と太陽の光を縫っていた。登るにつれて少し肌寒くなった。
  バス停で鉄道の駅への帰りのバスの時刻のメモを忘れないようにした。山道を歩いて登った。やがて、視界が開け、小さな村に着いた。
  予想通りの古びた隠遁所でWと会った。Wは、七十代の女性で、予想通りにとりとめもないことを語る。P教授の話になった。予想通りにWは「Pの性格なら、公にあのようなことを語らざるをえなかった。それにしても、自分より先に暗殺されるとは思わなかった」と言う。ところが、Wは突然、「革命前、Pと私は恋に落ちたことがある」と言い出した。私は一瞬、計算できなくなったが、恐らく彼は二十代、彼女は四十代だ。そういえば、P教授がC国に留学していたという話しを彼から聞いたことがある。WはP教授のことをまるで昨日、青年だったように語る。私は次第にそんな話が退屈になってきた。私はWにある種の協力をお願いするために来た。歴史学者か文学者のみぞ知る「三顧之礼」をしている時間はない。
  私にとって長いと感じられる時間が経った後、Wは自ら言った。「君たちは権力分立制と法の支配を重視し、革命が一時の熱狂に終わらないよう十分な注意を払っている。私はそれを評価している。Pも喜ぶだろう」と。そのときの私を見るWの目は、情熱的な革命家ではなく達観した革命家の目だ、と私は思った。Wは隠遁していても、私たちの動きを把握してくれていた。Wは革命の実質では戻って来てくれると思った。私は真摯に「C国政府は一見したところ中立を守っていますが、C国軍は大戦と革命のどさくさに紛れて急遽、A国とB国の両方に侵略し世界制覇を目指すかもしれません。革命の頂点でも軍を含むC国政府になんとか中立を維持させてもらえませんか」とお願いした。それを言うとWは私を見据えた。歴史の砂嵐の中で研ぎ澄まされた革命家の目だと思った。「よし分かった。やろう」とWはキリっと言う。私は「よろしく」と退散しようとする。すると、Wは急に独居老人の目をして「さみしいじゃないか。もう少し居ておくれよ」と言う。窓の外には苔むす庭園が広がっていた。Wの自作に違いない。太陽の光を受けて水々しい苔が輝いていた。私が「素晴らしいお庭ですね」と言うと、Wはまるで子供のようにはしゃぎながらその庭園に案内し、苔の栽培の仕方を教えてくれた。日当たり具合によって苔の種類が異なっていた。あのAT街の独居老人Kに自炊の仕方を尋ねたら、このように教えてくれるだろうと思った。何歳になっても発見や試作の喜びは色褪せないものだと思った。
  帰りはバス停から別ルートになった。バスが山道を昇り降りする。まだ、日は沈んでいない。途中で展望台に立ち寄った。観光客はやはりまばらだった。ここにはかつて堅牢な造りの修道院が建っていた。さすがに千五百年の風雨に耐えられず崩壊し、跡地が野ざらしの展望台になっている。だが、見渡す渓谷は変わっていないだろう。絶壁が西側にあって、沈む太陽を見下ろしているように感じられる。谷から風が吹き上がる。空があまりにも広く人間の視野に収まらない。今、つくづく思うことがある。過密と高層化が水平方向にも垂直方向にも頂点に達した現代において、ビルの谷間で生きる人間にとって、広く澄んだ空への憧れは強烈である。都会の高層ビルの展望台は、晴れた日は暑い日でも寒い日でも単純に空を見たい人でいっぱいである。昇るのに長い行列ができていることがある。
  空を一望する試みをしてみた。結構、難しい。そういえば、空を見上げるとしても、せいぜい西から東へ見渡す程度だった。そうではなく、全方位を見渡す試みをしてみた。立ったままではなかかできない。ベンチに寝転んで初めてできた。結局、地上を這う動物の多くは空を見渡すように進化していないんだ。主に大地に注意が向くように進化したんだ。鳥類を天敵とする動物ならできるのだろう。人間には無理があるのだろう。と思ってあきらめて、夕日を目に焼きつけておいた。もしWからあの回答が得られていなかったら、そんな何気ないが私にとっては貴重なことを考える余裕はなかったと思う。日が沈んだ後は、都会であろうが砂漠であろうが、大地を這いずり回ってやろうという意欲が溢れてきた。

潜伏所

  私はA国に帰り、まずO参謀の執務室に直行してB国、C国の重要人物との交渉成功について報告した。それからО参謀は言う。「全体破壊手段を使用しないようM将軍を説得しているが、困難だ。核兵器の使用は何とか抑えられるが、不変遺伝子手段の使用を抑えることは困難。超小型の無人飛行機を用いて不変遺伝子手段を世界中に散布しようとしている」とため息をつく。О参謀は既に内部隠密離反者になっており、それらの不変遺伝子手段がUが開発した偽物であることを知っている。だが、やはり偽物の使用も抑えたい。世界の市民に恐怖または不安という精神的苦痛をもたらすかもしれないからである。
  Z、X、U、Tにも来てもらって、その苦痛を防ぐ方法を練った。恐怖が広がれば、偽物であることを公開せざるをえない。その情報はシェルターに逃げ込んだ者たちもつかむだろう。すると、シェルターに逃げ込んだ者たちは地上への反撃を開始するだろう。だから、その公開の前に、シェルターを地上側から封印し、反撃、全体破壊手段の使用を含めて、地上への動きを完全に封じ込めておく必要がある。その封じ込め戦略は既に練っていたのだが、他の軍内部の隠密離反者も呼んで、さらに綿密に練り上げた。数日後にはその戦略は完全に機能した。
  N大佐には最後の最後まで―シェルターまでも―M将軍を監視してもらわなければならない。それをM将軍に察知されないようにするために、N大佐は最近は慎重で、相互の連絡も安易にとらないようにしていた。それはN大佐も私たちも想定していた。
  唯一の残る問題は、О参謀、U、Tを含む重要な内部隠密離反者が、シェルターに連れて行かれてしまうことを防ぐことだった。それを防ぐために、M将軍がシェルターに潜る直前に、それらの連行されそうな内部隠密離反者はZらが作り管理している潜伏所に潜ることになった。それから、私たちは、シェルターを封印し、表立って革命を遂行するだろう。Xと私はそれらの内部隠密離反者と行動を共にすることになった。U、X、T、О参謀、私を含む政府に顔が割れていないグループGのメンバーは潜伏所の所在地を知らないようにしていた。政府や軍に捕まったときに拷問され潜伏所の所在地等を吐いてしまう恐れがあるからである。だが、ここまで来るともう捕まる危険はないと思った。
  意外と早くそのときが来た。内部隠密情報提供者からM将軍らがシェルターに退避しつつあるとの情報が入ってきた。(疑似の)全体破壊手段の使用は数時間後だろう。
  U、X、T、O参謀、私と他の何人かのメンバーは潜伏所に初めてやってきた。潜伏所は、AT街の地下で、まさしく政府と軍の主要施設の近くにできていた。これは盲点だと思った。結局、展開していた権力疎外はここでも活きた。しかも、革命の実質ではそこから政府と軍の主要施設を一挙に占拠できる。不可欠な電気や水道は公共のものを密かに拝借していた。地下の潜伏所の福利厚生は意外と充実していた。トレーニング施設やサウナもある。顔が割れたために地下に潜伏せざるをえなかったスタッフたちと私とXは再会した。それらの設備のおかげで潜伏前より健康的になっていた。日焼けのための施設もあるようで、見事に日焼けしていた。Zら地下と地上の連絡を行うスタッフは前述の自殺装置を外した。もうそんなものは要らないだろう。私はホッとした。
  秒読み段階に入った。皆、無口になった。互いの心臓の鼓動が聞こえるようだった。<それは地上の人間の絶滅への不安よりも、世界革命への期待によっていたと思う。今まで地下で潜伏生活を余儀なくされてきた同僚たちにはともかく地上に出て日の目を見ることへの期待もあったと思う。
  Xらが世界に「数時間後に世界の政府と軍の主要施設が破壊されます。そこから退避してください。既に退避している方々はもっと周辺に退避してください」と発信した。さらに、それぞれの国家において、内部隠密離反者が政府と軍の最上層部に隠密に「A国のM将軍が全体破壊手段を数時間後に使用する」と伝えた。最上層部はすぐにシェルターに退避するだろう。世界の内部隠密離反者には隠密に「シェルターに連行されないように、政府と軍の主要施設から隠密に退避してください」と発信した。実際にそれらは速やかに実行された。瞬く間に世界の政府と軍の主要施設が無人になった。世界の政府と軍の最上層部がシェルターに退避し、内部隠密離反者の一部が彼らを監視するために彼らに着いて行った。例えば、A国においてはM将軍らがシェルターに退避し、N大佐らが彼らを監視するために彼らに着いて行った。政府と軍の主要施設の周辺にあるAT街、BT街などの庶民の街の人々もできるだけ周辺に移動した。それらをXらが確認した。Xら世界の反政府グループの情報技術者は政府の監視カメラにも潜入していた。そのような潜入によってそのような確認が可能になった。私たちも潜伏所の周辺に移動することになった。

若兵も老兵も死なず。ただ消え去るのみ

  そんなとき、O参謀に軍の副司令官から緊急連絡があった。副司令官は内部隠密離反者だった。幸いなことに、シェルターに連れて行かれず、地上に残された軍のトップになっていた。至急、直接、相談したいことがあると言う。軍の司令部はこの潜伏所から歩いて十五分ほどの所にある。Zと私はO参謀とともに軍の司令部に向かった。その司令部はもちろん破壊されるだろう。急がなければならない。司令部のビルの前にはまだ、武装した兵士が数人、立っていた。高層ビルの間の閑散とした路上に取り残された兵士は深海魚のように見えた。もちろん私たちは武装していない。私服を着た私たちを見て、彼らのほうが驚いている様子だった。彼らは私たち三人をとまどいながらもボディーチェックしようとした。だが、すぐに副司令官が来て、彼らを制止し、私たちを内部に案内してくれた。廊下や階段は電子機器や書類を詰め込んだ箱を持って走るあらゆる階級の軍人でごったがえしていた。よりにもよってこんなときにエレベーターが故障しているらしい。これで司令部のスタッフの退避が遅れている理由が分かった。私たちも階段を昇った。幸いなことに副司令官の執務室は五階にあった。
  その部屋に入って、臨時の会議用テーブルに座った。盗聴器、盗撮器等はないようだ。副司令官はスクリーンを示しながら急ぎながらもはっきりと言う。

  M将軍は、地上に残る軍のスタッフに不変遺伝子手段に対するワクチン接種を進めて安全を保証した。だが、そんなワクチンを誰も信用していない。また、彼らに昇給・昇格を保証してシェルターに降りて行った。まだ、地上に残された者が彼の指令に従うと思っている。それは甘すぎる。信頼できないワクチンによる安全や少しばかりの昇給や昇格を保証されたところで、地上に残された者が地下に逃げて行った者に従うわけがない。地上に残された軍のスタッフの全員が離反した。私は早くから内部隠密離反者だったから、君たちの計画を知っていた。その計画がM将軍らに知られると、不発に終わるかもしれないことも知っていた。離反したばかりのまだ十分に信用できない者にその計画の全容を伝えないほうがよいことも知っていた。だが、M将軍は既に地下に降りた。また、シェルターの地上側からの封鎖が完了しつつある。封鎖が完了すれば、M将軍の地上への動きをすべて封じ込めることができる。彼の地下からの逆襲を恐れる必要はなく、彼は地下に囚われることになる。だが、それぞれの国で、敵国の政府と軍の主要施設を破壊する破壊手段をコントロールできるのは地下へ降りて行った軍の最上層部だけである。A国も含めて、世界の主要国の政府と軍の主要施設が破壊されることは防げない。地上に残された軍スタッフは早急に軍の施設から退避しなければならない。すると、軍スタッフは一般市民と鉢合わせになる。市民は過剰反応するかもしれない。市民が私たちをリンチすることもありえる。我々は武装せず、私服で退避することにした。だが、私も含めて、市民に顔を知られている者が少なからずいる。だから、反政府グループの通信網を通じて市民に、地上に残された軍はM将軍らから離反し市民の側に付いた、と伝えてしまって欲しい。私たちが伝えても市民は信頼しない。君たちが伝えれば市民は信頼すると思う。それと、世界中の軍内部の離反者に同様の戦略をとることを薦めて欲しい。地下から地上への逆襲がないようにシェルターの地上側からの封鎖はほとんど完結している。ところで、というより重要なことだが、シェルターに連れていかれた者の中には重要な内部隠密離反者が居て、M将軍の捕獲を狙っている。だから、シェルターを破壊したり不可逆的に封鎖することはできない。あくまでも可逆的に封鎖する。復興についてだが、軍の施設が破壊されても防衛手段と選択的破壊手段は速やかに修復でき、我々はやる。それと、全体破壊手段の不活化と全廃に地上に残された軍は協力する。

  あまりに重要なことを短時間で言われたが、ZもО参謀も私も十分に理解し、副司令官の戦略の緻密さに感心した。ZとO参謀は早急にネットで世界中の反政府グループと軍内部の内部隠密離反者に同様の戦略をとることを薦めていった。世界のほとんどの国で、既にシェルターの封鎖が完了しており、地上に残された軍スタッフが非武装、私服で軍施設から退去し始めた。A国でもシェルターの閉鎖が完了した。ZがXに、地上に残された軍の完全離反を市民に宣言するよう指示し、Xが宣言した。この司令部でも退避が始まった。
  私はVとO参謀がそれらの確認をしている間、副司令官に今後、暫定政権または新政権から昇格の申し出があれば受けてくれるか尋ねた。すると、彼は言った。「私は普通なら退役している歳なんだよ。私は今回のスタッフの退避、シェルターの封鎖、防衛手段・選択的破壊手段の修復、全体破壊手段の不活化・全廃を最後の仕事にする。ひとまず、妻と静かに過ごしたい。その後のことはおいおい考える」  私は彼が今まで現役でいてくれたことと、今その仕事を引き受けてくれたことに心から感謝した。別れ際、副司令官はZと私に向かって悪戯っぽく笑って言った。「若兵も老兵も死なず。ただ消え去るのみ」

陽はまた昇るのか

  Z、O参謀、私が潜伏所に戻ると、既に全員が潜伏所のより周辺部に移動していた。だが、Uが「実験動物の設備の安全性を確認をしていなかった。研究所に戻る」と言い始めていた。確かに、実験動物が施設から出ると実験動物にとっても人間にとっても危険だ。だが、今はそんなことを言っている場合ではないのではないか。O参謀はあっけにとられてものも言えない。Zはきっぱりと「駄目だ」と言う。Xは、Uの研究所を含むビルとその周辺の監視カメラに潜入している。政府と軍の主要施設とその周辺が無人であるこは既に確認していた。だが、主要施設はドローンやロボットに護られていた。Xは、Uの研究所を含むビルとその周辺にはドローンやロボットさえも居ないことを確認した。いずれにしても、Uの研究所は政府や軍の主要施設からだいぶん離れており破壊されないだろう。Zも「後は計画通りにやるだけだ。おめえらは好きなようにしやがれ」と折れた。O参謀は思わず笑っていた。
  Uと私は潜伏所から地上に出た。誰もいない研究所に戻って、実験動物への補給路の堅牢さと酸素、水、飼料…などの補給物の備蓄を確認した。十分だった。UはあのウサギRをケージに入れて連れ出した。これも彼女の目的だったことに私はこのとき初めて気付いた。しばらく主要施設からより離れた安全な地域を歩いて迂回して潜伏所に帰ろうということになった。私がケージを持った。
  私たちは歩いた。25YY年、秋たけなわ。誰もいない都会では今まで見えなかったものが見えて来る。高層ビルの谷間では、夕方の太陽の光はビルの窓ガラスで何回か反射して銀杏並木に当たる。銀杏の葉の黄色が紅色を帯び、浮かび上がる。その色の鮮やかさが薄らいでいくことで、太陽が沈んでいくことが分かる。Uは「陽はまた昇るのか」と言う。「それは正確な表現ではないだろう。『私はまた朝日が昇るのを見るのだろうか』が、正確な表現だろう。だが、その表現は独我論として面白い」と私は思った。
  太陽は沈んだ。ネオンサインは消えている。ビルの窓の明かりもほとんど消えているが、停電にはなっていないようで、所々に消し忘れの窓の明かりがある。誰もいない大通りを歩いた。人も車もロボットも通らない。車道のど真ん中を歩いた。街灯は消えていて、辺りを照らすのは残照だけだった。そのとき前方に揺らめく火の光が見えた。Uはしがみついて来た。進むと、その正体が分かった。数人のホームレスが広い車道のど真ん中で焚火をして酒宴を開いていた。なるほど、こんなときにしかそんなことはできない。たまたま、Xらの確認の後で彼らは繰り出したようだ。まあ、政府や軍の主要施設から離れているから大丈夫だろう。彼らの一人が私たちに「おう、兄ちゃん姉ちゃん飲んで行けよ」と言う。もう一人が「こんなときにペットを連れて散歩とはいい度胸してるね」と言う。よく言うよ。似たものどうしじゃねえか。私はちょっと飲んで行こうかと思ったが、Uが私の手を引いて行った。あの国際会議場を過ぎ、数か月前に市民が集結していたあの公園に行って芝生の中に入った。私たちが何をしたかはだいたいの想像がつくと思う。
。。。
過密が頂点に達した現代において、このような体験はこのようなときにしかできなかった。誰も居ないと思っていた。だが、同じようなことを考えるカップルが二、三組いた。だが、広い芝生で互いの邪魔にならなかった。唯一気になるのはRのゴソゴソという動きだった。芝生のチクチクや夜風はむしろ心地よい。夜空の下。

どさくさに紛れて

  ビルはすべて倒壊して、瓦礫が延々と広がる。人を探すが誰も居ない。私は歩いた。瓦礫だけが広がる。空はどこまでも広く澄み渡っている。だが、鳥も飛ばない。瓦礫を超えて河原に着いた。水は澄んでさらさらと流れる。だが、魚も泳がない。上流を見渡すと、中州に女性が一人立っている。髪と長い袖を風にたなびかせている。私は近づこうとした。すると一瞬、その人の体が引き裂かれたように見えた。だが、髪と服だけが風に吹かれて舞って行った。そこにも人は居なかった。
  ポケット・コンピューターが振動している。夢だった。何故、あんな夢を見たのだろう。孤独への不安の表れだろう。また、自分がやってきたことへの自信のなさの表れもあっただろう。この場合は過信があるよりマシだと思った。
  陽はまた昇っていた。しかも、既に高く昇っていた。午前11時45分だ。Uも私も何もこんな時間まで寝ているつもりはなかった。少し芝生で寝ころんですぐに潜伏所に戻って革命を手伝おうと思っていた。ポケット・コンピューターを開いた。早朝から何度も着信があったようだ。まだ、振動している。テレビ電話に出た。Zがスクリーンに現れ、「おめえら何をやってやがんだ。公園で寝転がってるじゃないか。寝てたのか。革命は完結したよ。世界無血革命だ。SMADもうまく機能した。すべて計画どおりだ。いまさらおめえらが来ても何の役にも立たないが、寂しいだろう。政府前広場に来いよ」と言う。ZはXに替わった。Xは革命を主導するだけでなく、世界の情報を集めていたようだ。「厳密に言うと、世界同時無血革命よ。C国でちょっと危ない動きがあったけど、封じ込められた。あのWが出て来て封じ込めてくれた」と言う。A国、B国、C国の政府と軍の主要施設は破壊されたらしい。超大国は互いのそれらを破壊し合った。私たちのSMADはうまく機能した。この公園はA国の政府や軍の主要施設から約1.5キロメートルは離れている。それらの爆発音も崩壊音も聞こえないほど私たちは熟睡していたようだ。Uは私の話し声で目を醒ましたが、起きづらそうだ。軽い風邪を引いたようだ。夜風のせいで、あの偽の全体破壊手段のせいではないだろう。後にUはそれを自ら確かめた。私はやはりなんともない。「馬鹿は風邪を引かない」という諺がいやに出てくる。私たちは政府前広場に向かった。公園ではメタセコイアが紅葉しかけていた。秋の公園を去るのが惜しい気もした。
  革命の最中でも世界の情報を収集していたXによると、シェルターに連れて行かれなかった政府と軍の下層と中間層の公務員が反政府グループと市民の側に一気に離反してきた。それは私たちの予想通りだった。シェルターに連れて行かれなかった者、つまり、見捨てられた者が、見捨てた者に従うわけがない。遅ればせながらも離反してきた人々も、革命前から隠密に離反していた人々ほどではなににせよ、悪い扱いはされないだろう。だが、遅ればせながらの離反者の中には、A国のAP大統領のような名ばかりの国家元首や著名な財界首脳も含まれていた。そのような人々を「傀儡」と呼ぶのだろう。「傀儡」とは慣用上、そこそこの権力をもっていながらより強大な権力者に操られている人々を指すのだろう。
  結局、世界のすべての国家において革命は計画通りに進み、全体としては世界同時無血革命となり、SMADもうまく機能していた。ただ一つの危惧が現実になりかけていた。Xによると、シェルターに逃げ込んでいた超大国Cの軍の最高司令官が地上に残る軍に、超大国AとBに侵略し占領する指令を出していた。彼らの意図は他国のどさくさに紛れて世界制覇を目指すことだったのだろう。しかも、国内の反政府的な動きを外部へ逸らす。いかにも争いの第三者が考えそうなことだろう。もしこれが成功すれば史上最大の「どさくさに紛れて」だった。
  考えてみれば、Uと私のあの公園での行動もどさくさに紛れてだったのかもしれない。だが、繰り返すが、革命において重要なのは準備であって、本番はあまり重要ではない。私たちは十分な準備をしていた。だから、革命が成功した。未来の革命家たちに言っておきたい。「準備もせずに革命などするな」  だが、この文脈では、それはあの公園での寝過ごしの言い訳にしか聞こえないと思うので、ここではこれ以上言わない。
  話はC国のどさくさに紛れてに戻る。私はそれを防ぐためにC国であのWと会って相談していた。Wはその前兆を察知し、反政府的な動きから市民を逸らせる最高司令官の意図を暴いた。市民と地上に残された軍人の全面に立って、「この場合に限って、他国に構わず自国の国家権力を民主化し分立する必要がある」と演説を行った。C国の地上に残された軍は、最高司令官に従わず、Wらに従い、シェルターの封鎖をより厳密にした。
  Wは暫定憲法の公布まで、市民と反政府グループの背後に立ってくれた。Wはあの私との約束を守った。結局、C国の革命は新旧の反政府勢力が協調しての革命になった。だが、Wのおかげで、今回の革命は自由権と民主制だけではなく権力分立制と法の支配も重視しており、過去の失敗を繰り返すことはないだろう。

無血革命

  Uはまだ軽い咳をしているが、元気を取り戻しつつあるようだ。政府前広場に行くには庶民の街ATを通ることになる。街は既に日常に戻りつつあった。ゴミの回収も再開し、街はきれいになりつつある。ビルの谷間でも真昼の太陽の光は街路樹や歩道の縁石のところどころに差す。一階の大衆食堂も既に開店していて、客も増えている。車道は車やロボットで混んできている。歩道ではさっそく、駆け出しのアーティストが展示や演奏を始めている。大戦前夜の余韻はほとんどない。それは庶民のたくましさによるのだろう。Uも私も、水分は摂っていたが、昨日の夕食から食事なしだった。だが、食堂に寄って食べてから政府前広場に行くのは控えた。
  政府前広場に着いた。広場の周りの政府と軍の主要施設は完全に破壊されていた。シェルターに逃げ込んだ世界の政治的経済的権力者たちはA国、B国、C国を含む超大国と大国の政府と軍の主要施設を相互に完全に破壊してくれていた。Uの研究所はそれらから少し離れていて破壊されなかった。私たちのSMADがここまでうまくいくとは予想していなかった。グループGのメンバーの何十人か、離反者の何人か、AT街の人々の何百人かが巨大テントを張ってくれていた。そのテントが暫定政権を容れることになる。交戦はなくても疲れているだろう。深夜から働きっぱなしではないだろうか。私たちは、悪いような気がして、広場の周辺を歩いた。ところが、人々が私たちを見つけて寄ってきた。人々は私たちが革命の裏方をしていたと思っているようで、私たちは凱旋をしているように見えてしまった。革命の実質では何もしていないのにである。人々は微笑んでいる。眠っていたことが伝わっているのだろうか。
  テントの前面の前でZらが立ち話をしていた。Zが私たちを見つけて「この大革命の真っ最中に首謀者が眠っていられるとは…どんな神経をしてやがんだ」と笑う。私は「準備をじっくりしっかりしていたから、お前のいう『首謀者』が眠っていても革命が成功したのだ。革命は瞬発的で熱狂的なものであってはならない。革命においては瞬発力やエネルギーより準備が重要だ。革命における準備の重要さを歴史に示した」と言おうとしたが、そのときは言い訳に聞こえるだけだと思ったので言わなかった。今ここで、それらを書いておく。
  AT街の人々が炊き出しをしてくれていた。あのY社長があの技術で製造した食品を炊き出しの材料に持って来てくれていた。Zは食材を購入しようとして現金を差し出したが、Y社長は受け取らなかったらしい。私とU以外のグループGのメンバーは既に朝食も昼食も済ませていた。私とUはようやく朝食兼昼食にありつけた。うまかった。あの「革命でござる」という商品名の食品も入っていた。Y社長の苦労を考えると、この場で宣伝することも許されると思う。
  長らく停止されていた報道機関も再開しつつあった。結局、朝食兼昼食をほうばりながら、私たちは、今朝にもたらされすぐに放映されていた革命の絶頂を録画で見ることになった。
  歩いて来たと思われるAT街の人々が、既に大きく開かれた正門を抜けて広場に押し寄せる。その後を地下の潜伏所で組み立てられた戦車が一台進む。20XX年の前にあったような古風な戦車だ。その周りでも人々が進む。広場の外の大通りでも人々が進む。それらはすべて一本の望遠レンズがとらえている。ピントは適宜、移動する。結局、戦車は、このシーンのためにあっただけだった。その戦車の生みの親のZがそのハッチに座って照れくさそうに笑っている。砂ぼこりが立ち、朝の太陽の光が差す。なかなかいい映像だと思った。衝撃的な映像を残さないような無血革命を目指してきた。だが、無血革命はそのものが輝かしい映像になると思った。世界の誰もが戦闘をしていない、見ていない。かすり傷一つ負っていない。これが文字通りの世界無血革命だ。
  だが、ヒヤッとした。数人が戦車によじ登ろうとし、Zが引き上げようとした。戦車はすぐに止まった。「馬鹿野郎!怪我でもされたら、無血革命じゃあなくなるじゃねえか」と私は思わず叫んでいた。私はそれが録画であることも忘れていたようだ。数人が無事に戦車に昇った。Zは他を丁寧に制止し、戦車は再び動き出した。昇ってきた人々が腕を空に突き上げる。人々の歓声が響き渡る。Zは、ハッチから出て、戦車に昇って来た人々に突起物をしっかり掴ませていた。Zは、このような事態も想定して、戦車の突起物まで確認していたのだろう。Zらはしっかり準備をしてくれていた。そして世界革命における犠牲をゼロに抑えた。彼らこそが真の革命家だと思う。
  復活したばかりのマスコミのカメラワークと編集も、さすがプロだと思った。弾圧中も、機材を点検し、レンズを磨いていたのだろうか。やがてカメラが人々の中に入っていく。カメラに手を振る人々もいた。この時点では庶民の街の外の郊外の人々も大勢なだれ込んでいたらしいが、私には区別はつかなかった。
  そんなとき、あの森Fの新住民たちも来ていることに気づいた。あのぬいぐるみを与えられた女の子とそれを与えた女性も堂々と歩いていた。女の子は人形を抱いていた。彼らがデモに参加するとすれば、いったいどこの国のものに参加すればよいのだろうか。D国かB国かA国か、将来独立するであろう「F国」か。だが、今まで国家主義や愛国心を批判してきた私のほうが「国家」にとらわれていた。彼らはたまたま往復のトラックに乗せてもらえたからここに来たのだろう。考えてみれば、世界革命なのだから、どの国の革命に参加するかはどうでもいい話だ。
  その録画の再生の途中で、Uと私の「凱旋」の様子が放映された。私は髪の毛ボサボサ、服はしわクチャだ。私は「俺って写真うつり悪いな」とぼやいていた。私はウサギRが入ったケージを持っていたので、軽快には歩けない。Uは軽やかにさわやかに歩いていた。Uの間に合わせのポニーテールが、文字通り子馬のしっぽのように揺れていた。Uの歩き方は、子馬というより、小鹿のようだった。Uが聞くと怒るだろうから、私は「三十過ぎには見えない」と心の中で言っていた。Uは「一日一分でできる健康法」という一般市民向けの本も書いていて、その中で"U-step"という脳への間接的な衝撃を少なくするとともにつまずき・滑りを予防する歩き方や"U-jump"という筋トレとストレッチを同時に行うジャンプ法を紹介し、それらも有名になっていた。そのU-step自体が軽やかだが、その日、録画された歩き方はそれより軽やかだった。Uはそれを見て、「いやだー」と目をそむけていた。軽やか過ぎたのだろう。ちなみに、Rは革命で凱旋をした史上初のウサギとして有名になった。
  世界中の革命の映像が編集されていた。B国でも革命はスムーズに進んでいた。最後にはあのBP大統領が地下のシェルターから地上に投降してきた。かつての「人当たりのよい独裁者・戦略家」の人当たりのよさもなく、憔悴しきっていた。彼女にも彼女なりの内的葛藤があったのだろう。群集は彼女を精神的に追い詰めようとした。そこであのVが行き過ぎにならないよう群集をじっくりと説得していた。その「じっくり」はVにしかできないと思った。ところで、あのBP大統領私邸にあった美術品はシェルターに持って行かれなかった。あの秘書も連れて行かれず、離反した。B国の革命の最中に私邸の外壁は落書きをされたが、秘書は美術品を守った。数か月後に、私邸は大広間の美術品と外壁の落書きをそのままにして国立の美術館になった。あの長いアーチ道はさらなる美術品の展示スペースになり、秘書は館長になった。さらに数年後に、あの画学生Jの絵画とあの盲目の写真家BCの写真がその美術館の大広間で歴史的な美術品とともに永遠に展示されることになる。

カリスマ排除

  C国のWのあの演説も世界に放映されていた。決して雄弁ではなかったが、民主制だけでなく権力分立制と法の支配を確立する必要があるという濃い内容があった。後に、C国の暫定政権樹立宣言時の映像も流れたが、そのとき既にWは居なかった。あの隠遁所の庭の苔への水遣りを急いだのだろう。
  Wにはカリスマ的になる欲求も能力もない。UもZ、X、T、N大佐、O参謀、P教授、私もそうだ。カリスマ性は排除しなければならない。カリスマは熱狂的な革命の原動力になりえるが、革命後は独裁に走り革命の成果をぶち壊す。そのような成果の破壊は20XX年以前には散発的にあったことである。20XX年以降には稀にしかない、それはそもそも成功した革命が少なかったからである。世界の反政府グループは意識してカリスマ性を排除していた。その排除の指標は悪循環に陥る傾向のうちの支配性と自己顕示性だった。簡単に言って、「目立ちたがり屋」を排除した。
  また、「演説」なるものも自粛した。演説も言論の自由に基づくのだから、禁止することはできない。だから、自粛した。憲法や法律や政策の内容を説明するのは構わない。それに対して、演説は市民を感動させるだけのものであってはならない。過去に「偉大な」と言われる政治家の演説が有名になったことはあった。それらの演説は感動させるだけで、政治制度と政策についての内容がない。現代の世界の独裁者たちもよくそのような演説を行っていた。だが、一般市民はそのようなものに辟易していたので、彼らの演説が有名になることはなかった。この度の革命で有名になったのはC国のWのあの演説だけだった。革命の前を見渡してみると、P教授のあの講演も有名になった。だが、それらには、民主制だけでなく権力分立制と法の支配を確立する必要があるという内容があった。
  「君たちには政治的な野心や名誉欲のようなもものはないのか」といぶかる人がいるかもしれない。それに対してはこう答えられる。「二度と誰もがそのような伝統的な野心や欲求を満たせないような民主的分立的制度を確立することは、最後で究極の野心であり欲求だ。その究極の野心や欲求の満足を私たちは今、それぞれの中で味わっているのだ。これ以上の快楽があるか」と。また、繰り返すが、「権力を獲得して振るい自己顕示して歴史に栄誉を残そうとする人間などどこにでもいる。そんな者と同類になりたくない。自己を永遠の存在にするだけでなく唯一無二の存在にしたい。自己顕示せず栄誉を残さず人知れず匿名で、二度と独裁に逆行しないような民主的分立的制度を確立すれば、唯一無二だろう。人知れず世界や歴史を変えることには言い知れない快感がある。また、生存と自由の両立などという困難なものに挑戦していると、胸がワクワクしてくる。困難であればあるほど、なかなか達成できず、それらの快感が長く続く。こんな都合のよいことはない」
  だが、そのようなことは、革命が成功した直後でしか言えない。誰もが数百年間、苦しんだ。微視的な例になるかもしれないが、私は両親とP教授という最大の友を失った。Zらは例の「自殺装置」を数年間、はめざるをえなかった。N大佐はM将軍を監視する必要があり、今も彼と地下のシェルターに留まっている。約千人のいわゆる「政治犯」がM将軍にシェルターに連行され、まだ解放されていない。ここで問題なのは生きている政治犯の数が少なすぎることである。政治犯の多くは即、殺害され闇に葬られた。世界革命は無血革命になったが、その前には、20XX年以降の約五百年間の世界で、独裁政権による戦争と虐殺、暗殺によって少なくとも一億人の人間が殺害された。それは独裁政権による飢饉、自然災害、パンデミック…などへのまずい対応による犠牲者、つまり「人災」による犠牲者を除いてである。それらによる死者も入れれば、20XX年以降の地上の人類が絶滅した後の五百年足らずで、世界の独裁政権による死者は十億人を超える。

地味で地道な民主的分立的制度の維持

  Uは、風邪など吹っ飛ばしたようで、朝食兼昼食を急いで食べ、ウサギRを研究所に戻した後、全体破壊手段の不活化の確認に走って行った。既にO参謀やあの副司令官が中心になって軍の専門家が全体破壊手段を不活化していたが、Uはその確認をした。XとTは、私たちが政府前広場に着いた頃には既に、人工知能の起動に取り掛かっていた。人工知能は相当な地下にあって、ハードウエアが破壊される危険はなかった。また、停電によってもバッテリーによって数日は稼働できる。だが、それ以上の停電も想定して、突然のシャットダウンによる障害を予防するために、TとXが潜伏所に潜る前に意図的にシャットダウンさせていた。世界の再建のためその起動を急いだ。専門家は忙しい。革命の成功に酔いしれたりカリスマ性を追求したりしている暇はない。他のスタッフも疲れているだろう。戦闘はなくても、離反者への感謝、市民の誘導、テントの設置…などに奔走していた。彼らには仮眠をとるよう勧めた。実際、Zは小さなテントに入ってすぐにいびきをかき始めた。
  以上のようにこの革命は世界的にうまくいった。何度も繰り返すが、数年間、しっかり準備をし計画していたからだと思う。うまくいき過ぎてそんなに準備をし計画を練らなくてもよかったのではないか、権力者をあそこまで追い詰めなくてもよかったのではないか、と思うほどである。だが、「今後、また独裁制が復活しても、25YY年と同じようにして革命を起こせばいいや」という考えが広がってはやっかいなことになる。この度の革命の前は全体破壊手段がまだ全廃されていなかった。だから、世界の政府と軍の最上層部が全体破壊手段を恐れてシェルターに即座に一斉に逃げ込んでくれた。だから、この度の革命はうまくいった。近未来に全体破壊手段は全廃され永遠に予防される。だから、最上層部が一斉にシェルターに逃げ込むことはなく、中間部と下層部が一斉に離反することはない。だから、25YY年のような世界「同時」革命が起こることはない。
  だから、私たちはそれぞれの国家において、独裁制の欠片も出現させないように民主的分立的制度を地味で地道に維持する必要がある。民主的分立的制度にはそれ自体を維持する機能が内在する。例えば、自由な言論は政治家の独裁的な言動を暴き批判することができ、公正な選挙は独裁的な候補者を排除することができる。そのような内在する機能を最大限に活かして、民主的分立的制度を地味で地道に維持する必要がある。もし、民主的分立的制度の一端が崩れ、独裁制の欠片が出現し、改革や革命を実行したとしても、熱狂的で瞬発的なものに終わらずに、民主的分立的制度を地味に地道に維持する必要がある。そのような地味で地道な努力が最も重要だ。それを世界の反政府グループと市民は確認した。

紙の投票用紙

  結局、世界のすべての国家で暫定憲法、暫定政権だけでなく新憲法、新政権の樹立された。Uが開発した疑似の全体破壊手段は結局、世界で一握りの人々に軽度の風邪症状を生じただけだった。それが疑似の全体破壊手段であり、M将軍が本物の全体破壊手段と思い込んで使用したこともスムーズに公開できた。現在のことろM将軍らはシェルターに潜ったままで反応がない。
  革命前からUと私がA国に留まらず全体破壊手段の全廃と予防のために世界に向かうことはグループGの中で合意済みだった。私とUは革命が完結した後は、全体破壊手段全廃予防機構の本部のあるE国のEC市に居たが、それぞれの国家における出来事と国際社会における出来事を混同しないように、諸国の暫定憲法、暫定政権、新憲法、新政権の樹立の過程を先に説明しておいたほうがよいと思う。
  前述のとおり、革命前から、それぞれの国家において、暫定憲法は、ネットを通じての投票に過ぎないにせよ、有権者の3分の2以上の過半数で承認されていた。革命直後に暫定憲法は公布され、それに基づいて暫定政権が樹立された。
  それぞれの国家における暫定政権の構成について、立法権においては、従来の上院がL系(自由権と民主的分立的制度を擁護する法の支配系)のL議院になり、従来の下院がS系(社会権を保障する人の支配系)のS議院になった。それに大きな問題はなかった。立法権に関する限りでL系とS系への分立は既にある程度は成されていたということである。司法権の裁判官はほとんどが留任した。司法権について、独立さえあれば、分立は必要なく、裁判官のほとんどが留任した。行政権について、警察と軍と安全保障に係る外交部門がL系の行政権に編入され、その他の部門がS系の行政権に編入された。シェルターに退避し現在、隔離されている最上部を除いて、両系の公務員のほとんどは、革命終結までに離反者となっており、留任または昇格した。
  さて、新憲法の承認と新政権の選挙について、いかに厳正なものであれ、電子投票だけではだめだろう。紙の投票用紙との併用が必要であり、紙を証拠として少なくともその投票によって選ばれた人々が在任の間はそのまま保存する必要がある。
  革命前は独裁政権が言論統制のために(1)紙の製造業、印刷業、製本業と(2)電波の生成に規制をかけていた。(1)の規制は新聞社、出版社への、(2)の規制は民間の放送局への言論統制のためだった。(2)の復旧は早いが、(1)の復旧は早くない。だが、(A)新憲法承認のための投票と新政権の選挙を延期することはできない。紙の投票用紙なしで済ませることもできない。そこで、世界のすべての国が紙の投票用紙を伴う(0)を敢行した。すると、独裁政権の下で衰退していた(1)と他のいくつかの業種が盛況となり雇用も生まれた。だが、(0)は頻繁にあるものではない。それらの間欠期にそれらの産業がどうするか。それはTらS系の社会権の保障の専門家たちが考えることである。旧政権はそれぞれの産業部門における独占・寡占を守るために、ある部門の企業が他の部門に進出することを厳しく規制していた。その規制をTらは撤廃した。その結果、企業の独占・寡占がさらに解消され、自由競争がさらに促進され、経済がさらに上向いた。例えば、(1)は(3)製薬や食品加工の一部にも進出した実際、(1)の技術は(3)の一部に応用できた。(1)は衛生管理をすることができないなどというのは、独占・寡占を目指す(3)とそれを許して賄賂、つまりは政治資金を得る旧政権の政治家の名目に過ぎなかった。実際、(1)は衛生管理ができた。その結果、薬の値段と医療費と、食品の値段がさらに下がった。

国家権力を自由権と民主的分立的制度を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立することの詳細

  結局、世界のそれぞれの国家で、レフェレンダムと選挙があり、民主的分立的制度を明記した新憲法とそれに基づく新政府が成立した。もちろん、その民主的分立的制度は、国家権力を自由権と民主的分立的制度を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立することを含んでいた。その国家権力の骨組みと構成員を選挙または指名する方法を、A国のものを例として挙げて説明する。

司法権
  最高裁判所
    長官を含む裁判官:L議院が優位性をもってL議院とS議院が指名
自由権と民主的分立的制度を擁護する法の支配系(L系)
  L系に固有の立法権(L議院)
    L議院の議長:L議員が選出
    L議院の議員:小選挙区制で選挙
  L系に固有の行政権
    軍を指揮・監督するL議院の中の委員会:L議院が選出
      軍
        長官:L議院が指名(Zが指名された)
    検察・警察を指揮・監督する委員会:L議院が選出
      検察・警察
        長官:L議院が指名
    国内における全体破壊手段の全廃予防を監督査察する委員会:L議院が選出
      国内における全体破壊手段の全廃予防を監督査察する機構
        長官:L議院が指名(O参謀が指名された)
    国防・集団安全保障に係る外交委員会:L議院が選出
      国防・集団安全保障に係る外交部門
        長官:L議院が指名
社会権を保障する人の支配系(S系)
  S系に固有の立法権(S議院)
    S議院の議長:S議員が選出
    S議院の議員:大選挙制で選挙
  S系に固有の行政権
    長官:全国区制で選挙(Tが選挙された):以下の部門の長官はこの長官が指名する。
      経済部門
      自然保全部門
      労使関係調整部門
      医療福祉部門
      教育文化部門
      科学技術部門(Xが長官に指名された)
      財政税務部門
      国防・集団安全保障を除く国際関係に係る外交部門
      その他の部門

以下はこの分立の簡単な説明に過ぎない。詳細は『それぞれの国家権力を自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立すること(日本語訳)』を参照していただきたい。
  一般の分立の必要性について、この分立を提唱する者は、国家権力を含むすべての公権力は基本的に分立する必要があることを前提とし、分立する必要が必ずしもない権力を見出して、それら以外は分立する必要があるという立場をとる。司法権は、そのものが独立している限り、必ずしも分立の必要はない。その内部でそれぞれの裁判所と裁判官は独立している必要があるが、それは分立ではない。また、社会権を保障する行政権も分立する必要がない。というより、それを分立することは錯綜でしかなく、総合的な政策の立案推進を不可能にするとともに行政の効率を低下させ公的経費と税金を増大させる。他はL系とS系の二系に分立できるし分立する必要がある。
  立法権は、L系に固有の立法権(L議院)と、S系に固有の立法権(S議院)に分立される。暫定政権では従来の上院がL議院となり、従来の下院がS議院となっていた。それに大きな支障はなかった。既に上院と下院の目的と機能の配分は、L議院とS議院のそれらに近いものになっていたということである。言い方を替えれば、立法権に関する限りで既に、L系とS系への分立はある程度、成されていたということである。暫定憲法と新憲法でそれぞれの系の目的と機能だけでなく、それらを果たすために必要なそれぞれの系の優位性も規定された。例えば、A国においては「自由権、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配を擁護するための立法に関しては、L議院が先議し、S議院が異なる議決をした場合で、L議院が三分の二以上の多数で再議決した場合は、L議院の議決が法律となり、社会権を保障するための立法に関しては、S議院が先議し…」となった。選挙制度について。L議院には小選挙区制が適し、S議院には大選挙区制が適する。暫定憲法でその概略が規定され、暫定政権のL議院とS議院でそれに基づく選挙法が可決され、初回の新政権の選挙が実施された。
  行政権もL系に固有のものとS系に固有のものに分立される。警察、軍…などの公的武力はL系の行政権に属する。犯罪のほとんどは自由権を侵害することであり、警察、検察による犯罪の捜査と起訴のほとんどは自由権を擁護することだからである。また、侵略は自由権と民主的分立的制度を侵害することであり、軍による国防はそれらを擁護することだからである。それらがL系に編入されるとき、残る行政権のほとんどがS系の行政権に収まる。財政政策による富の再分配、貿易の促進または抑制、労働者の権利の保障、労使関係の調整、医療福祉の推進、子供に対する最低限度の教育の提供、環境の保全、資源の保全と有効利用…などのすべてが、社会権を保障することに他ならないからである。
  S系の行政権を分岐させるほど、行政の効率は低下し、公的経費と税金は増大する。また、社会権を保障するための総合的な政策の立案と推進がいっそう困難になる。思い切ってS系の行政権を分岐させるどころか一つの機構とすることも考慮されたのだが、それは今後の課題となった。
  それに対して、L系においては、司法権、立法権、行政権の三権を厳格に分立させるだけでなく、検察・警察と軍を厳格に分立させる必要がある。何故なら検察・警察は軍の違憲・違法行為を捜査し起訴しないといけないからである。警察・検察と軍のそれぞれを監督するのは、L議院の別個の委員会である。それら委員会の兼任は禁止される必要があり、実際に禁止された。
  行政権のL系とS系への分立に伴い、外交部門もそれぞれに固有のものに分立される。一方はは国防と集団安全保障に係り、他方は他の国際関係に係る。
  教育と文化について、大人についてはどのようなものを享受し創造するのも個人の自由であり、その自由を自由権の一種として擁護するのはL系である。大人に対して、子供についてはどうだろうか。子供が最低限度の教育を受ける権利、または親が子供に最低限度の教育を調達する権利は社会権の一環である。そのような教育を提供することは社会権の保障の一環である。それに必要な立法と行政はS系に属する。
  特定の地域の文化的教育について、その地方自治体の市民の多くがその地域の子供に地域の文化を教えることを望むなら、その地方自治体のS系の行政権の中の教育文化部門がそのような教育を推進していいだろう。
  L系においては厳格な民主制と三権分立制と法の支配が機能する必要があり、S系においては人間的な民主制と緩やかな三権分立制と法の支配が機能する必要がある。司法権に持ち込まれる市民からの訴訟と検察からの起訴の多くが、民法、民事訴訟法、刑法、刑事訴訟法に基づき、自由権の擁護に係る。S系は後述する提供していた不可欠のサービスを停止するというS系に固有の権力をもつ。だが、その権力が無効な場合は、福祉を乱用する個人、自然の保全のための規制に従わない企業…などをS系は司法権に起訴しないわけにはいかない。また、市民はS系の怠慢、つまり社会権が保障されていないことを司法権に訴えることができる。だから、S系においてもL系ほど厳格にではないにせよ司法権は機能する必要がある。
  機能に着目すると、L系の司法機能とS系の司法機能は異なる。だが、司法権が独立している限り、それらの異なる司法機能を別個の司法機構に付与する必要はなく、それらの異なる司法機能を一つの司法機構に付与しても構わない。
  L系とS系の分立からの逸脱ついて最終的に裁定する権限は司法権に与えられる。例えば、S議院、L議院の一方が先議するべき事項を他が先議した場合は、前者が司法権に訴えて、司法権がその逸脱について裁定する必要がある。
  司法権の独立を守るために司法権の最高裁判所の長官を含む裁判官を誰が選出または指名するかという問題が残る。いわゆる大統領が指名するなどというのは弊害が多過ぎた。市民が直接選挙するという方法もありえる。市民がそれを望むのであればそうするべきだろう。市民がそれを望まないのであれば、以下のようにするのが最適だろう。従来のように行政権の長官が最高裁判所の長官や判事を指名するより、立法権の議員が選出するほうが弊害は少ない。前述のとおり、L系においては司法権が厳格に機能する必要があり、S系に対しては司法権はそれほど厳格に機能する必要がない。何より、司法権の独立を含む法の支配の確立維持はL系の目的の一つである。だから、司法権の最高裁判所の長官と判事の選出または指名は立法権が行い、これについてはL系のL議院が優位に立つ必要がある。例えば、L議院が先議し選出し、S議院が異なる議決をした場合で、L議院が三分の二以上の多数をもって再議決した場合は、L議院の選出が立法権の指名になるとするのが適切である。
  国家権力以外の権力のL系とS系への分立について、中小国に等しい大きな自治体においては国家レベルよりやや臨機応変のL系とS系への分立が成された。中小の自治体ではさらに臨機応変のものが導入された。そのように、標的とする権力が巨大であるほど、この分立は厳密である必要がある。国際機構または世界機構をどう分立するかは後述する。

国家権力を自由権と民主的分立的制度を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立することの効果と問題点

  以下のような国家権力を自由権と民主的分立的制度を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立することの効果が早くも世界で現れた。

[適材適所、それぞれの系に適した選挙制度、L系において政党を排除すること]

  前述のとおり、L系の公務員には、あのP教授のような厳格で融通の効かない人が適する。また、L系はできるだけ政党を排除する必要がある。それらのことから、市民が人格を見抜きやすく、無所属候補を選びやすい小選挙区制がL系のL議院の選挙に適する。
  実際、世界で小選挙区制が採用され、独裁政権の弾圧の下でも地域で人権擁護などに係ってきた人々が選ばれた。
  それに対して、S系の人材としてはあのT、Xのような有能で臨機応変な人が適する。また、S系の選挙では、候補者は、選出された後に実行する政策を市民に提示する必要があり、同様の政策をまとめて提示できる政党を結成する傾向にある。さらに、S系に関する限りで、大衆迎合的な派手な政策の提示も許される。社会権の保障とは端的に言って、市民の欲求を満たすことだからである。また、S系に関する限りで、行政権と立法権(S議院)の連携と「与党」の形成は許される。それらのことから、候補者が政策を広い範囲で提示し政党を結成しやすい大選挙区制が、S系のS議院の選挙に適する。S系の行政権の長官の選挙には、当然、全国区制が適する。
  実際、世界でそれらの制度が採用され、独裁政権の下でも「総合的政策」を追究していた経済学者、情報技術者…などの専門家が選ばれた。A国においてはS系の行政権の長官にあのTが選ばれた。Tのようなエリートを大衆は敬遠する傾向があった。だが、困難な政策の立案と推進を専門家に委ねようとする傾向が勝った。そのような傾向はS系に関する限りで適切である。さらに、徒党を組むのが苦手で嫌いだったTでさえも、政党を結成し、それが与党になった。
  それに対して、L系は自由権と民主的分立的制度を憲法に従って地味で地道に擁護していればよく、政党をできるだけ排除する必要がある。ところが、L系の中には軍、警察…などの公的武力がある。それは独裁、全体主義、戦争…などに走る最強で直接的な権力である。そこで、国家主義的、軍国主義的な政党が大衆を煽りL系のL議院で多数を占め、公的武力を完全に掌握して極端に走る可能性はわずかにでも残る。それに対しては後述する「最後の手段」がある。

[社会権の保障]

  国家権力をL系とS系に分立することは、まず自由権を擁護するためにあったように見える。だが、社会権を保障するためにもあった。後者のほうが大きいと言えるほどである。だが、社会権を保障するためにも自由権を確保する必要があるということは当初から強調されていたことである。
  世界でL系が擁護する言論の自由とS系に固有の人間的な民主制によってS系が市民や科学者と活発な議論を行い「総合的政策」を立案し推進し始めた。すると独裁政権下で偏り硬直化していた政策が臨機応変なものになり、短期間のうちにも市民の日常生活は最低限度以上になり、経済が安定化を超えて成長し始め、環境と資源の保全が進んだ。また、科学者の自由な研究によって、かつての独裁政権が言っていたように世界人口は地球で維持できるギリギリのものを超えているのではなく、少しだが増加の余地があることが分かってきた。それが分かることは私たちも予想していなかった意外な自由な研究の効果だった。そのようにして、かつての独裁政権の主張のほとんどは独裁へと暴走するための名目に過ぎなかったことがますます証明された。また、市民の日常生活の改善によって世界人口の増加にさらに抑制がかかることが見込まれている。それらのことから、自由権と民主的分立的制度を擁護するためだけでなく、社会権や人間を含む生物の生存を保障するためにも国家権力をL系とS系に分立する必要があったのである。
  また、諸国で例の旧政権の情報科学技術の乱用が暴かれ、そのような乱用を防ぐシステムが確立された。それにはXがA国にあっても世界に多大な貢献をした。
  (1)医療福祉について、世界的に(2)旧政権と(3)医療福祉機関が結託して、(3)への助成金は過剰になり、(1)には過剰部分が生じ、過剰部分の収益の少なからぬ部分を(2)(3)が着服するようになっていた。Tら世界のS系の行政権の長官たちはそのような慣行を暴露し、その過剰部分を明確にし、過剰部分への助成金を撤廃した。その結果、(1)の過剰部分はなくなり、公的経費はさらに削減され、市民の税負担はさらに減少し、経済はさらに上向いた。その結果、(1)の必要部分への助成金は増大し、市民の自己負担分は減少し、(1)の質は向上した。簡単に言って、市民は質のよい(1)を必要に応じて安く受けられるようになった。その結果、経済的不平等に対する市民の怒りは減少した。経済的不平等について市民が怒っていたのは何よりそれによる医療の不平等だったのである。贅沢に格差が出るのは耐えられるが、自分や家族や友人の健康と寿命に格差が出るのは耐えられないことである。
  繰り返すが、政治的権力・公権力(PP)と経済的権力(EP)の癒着と汚職(0)について、(O)を捜査し起訴するのはL系に属するべき警察・検察(PP-L)である。また、(EP)と癒着し汚職するのは(PP)の中のS系に属するべき官僚(PP-S)である。国家権力のL系とS系への分立が成されていないとき、(PP-L)と(PP-S)も癒着し、(0)に抑制が効かない。それらの分立があるとき、(PP-L)と(PP-S)の癒着は減退し、(PP-L)は(PP-S)をより厳密に捜査し起訴できるようになり、(0)が減退する。
  実際、L系とS系への分立後、そうなった。例えば、旧政権と特定の大企業の癒着と汚職によって後者が特許、営業や製造の許可…などの特権を独占していた。L系とS系への分立によってそれらの癒着と汚職が絶たれ、中小企業や新興企業がそれらの特権を取りやすくなった。それらによってそれらの企業の埋もれていた技術が活きて、自由競争が促進され、物価が全般的に下がり、市民の生活はいっそう豊かになった。例えば、あのAT街の中小企業のY社はあの技術を特許としてとり、あの技術による製造を許可され、食糧難の解消に大いに貢献し、大企業となった。食品開発者が競って入社してきて、Y社長が開発した技術を超えようとしているらしい。Y社長も負けじと彼らの技術を超えようとしているらしい。
  教育について、諸国の政治的経済的権力者は、それらの独裁と独占・寡占を強固にするために、市民の子供たちの最低限度の教育を敢えて疎かにして、エリートと市民の全般的能力の格差を広げようとしていた。そのために、エリートの子供は親の経済的援助が終わった後もエリートになるという逆説的な「世襲」的な格差が維持されていた。大人の教育は大人が自由権によって享受する必要があるが、子供への最低限度の教育の提供は社会権の保障の一環である。L系とS系の分立によって、諸国のS系の行政権の教育文化部門はそれらの過去の弊害を明確に認識できるようになり、最低限度の教育の拡充に即座に着手した。その結果、わずか数か月でエリートの子供と市民の子供の全般的能力の格差が縮小していることが分かった。子供の発達は予想以上に早いからである。今後は格差はさらに縮小し、自由競争がさらに促進され、経済がさらに上向くことが予想される。

[独裁や全体主義に走る名目と権力の消滅、社会権からの逸脱の予防、S系が陥りがちな弊害がL系に及ぶことを防ぐこと]

  国家権力のL系とS系への分立の第一の目的は、国家権力が人間や生物の生存、社会権の保障…などを名目として掲げ、独裁、全体主義…などへと暴走すること、つまり社会権からの逸脱を防ぐことだった。
  今後も、(1)環境は悪化し、(2)資源は枯渇し、(3)人口は地球で維持できるギリギリのものになり、それらによって(4)経済と市民の日常生活はますます逼迫する。だから、(1)-(4)に対応するという名目で(5)独裁制、全体主義…などが出現する可能性が残る。だが、何度も言うが、(5)は(1)-(4)に対応するためにも機能しない。(1)-(4)に対応することは社会権を保障することに過ぎない。それを名目にして(5)に走ることは前述の社会権からの逸脱に過ぎない。
  何度も言うとおり、生存や社会権の保障のためには、総合的な政策が立案され推進されなければならないことは確かである。だが、言論の自由権と公正な選挙とレフェレンダムに基づく活発な議論がなければ、政策は偏る。偏った政策をもってしては、社会権も生存も危うい。そのように自由そのもののためだけではなく、生存のためにも自由権と民主的分立的制度は必要である。国家権力がL系とS系に分立しているとき、L系によって擁護される厳格な自由権と民主的分立的制度とS系に固有の人間的な民主制によって、政策が活発に議論され、政策の偏りは最小限度になり、生存と自由の両立が最大限になる。
  実際的側面に目を向けてみると、国家権力がL系とS系に分立しているとき、S系は(5)に走るための最強の権力である武力をもっていない。他方、L系は社会権の保障という名目を立てることができない。そのようにして(5)に走る名目と権力の両方が消滅する。
  実際にこの分立が成された後すぐに、世界のL系とS系の公務員のそれぞれが、それぞれの本分をわきまえ、L系の公務員が公の場で社会権の保障や生存の保障を論じることは皆無となり、S系の公務員が公の場で国防や集団安全保障を論じることは皆無となった。
  百歩譲って、(5)が必要だとしても、(5)が必要なのはS系においてだけである。L系とS系が分立していれば、(5)がL系に及ぶことを防ぐことができる。さらに、S系は、(5)だけでなく、多数派の横暴、大衆迎合、世論操作…などの弊害にも陥りがちである。国家権力をL系とS系に分立することはS系が陥りがちな弊害全般がL系に及ぶことを防ぐ。

[共産主義、資本主義…などの経済体制に係る思想の支持者が独裁、全体主義…などの暴挙へと走ることの予防]

  これは前述の社会権からの逸脱の予防に含まれるが、経済体制については特別な説明を要する。二十世紀には共産主義者が独裁や全体主義へと走り、自由権、政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配を破壊し、弾圧どころか大量虐殺、人為的飢饉…などの残虐をもたらした。
  共産主義諸国では、自由な言論と公正な選挙がなかったために、経済計画が活発に議論されず、不適切なものになった。また、同じ理由によって、経済計画を立案する者が競争せず無能に陥り、適切な経済計画を立てられなかった。それが共産主義が崩壊した二つの主要な原因の一つである。つまり、彼らは彼らが本領とする経済計画において失敗した。賢明な経済計画を立てるためにも自由権と民主的分立的制度が必要だった。
  また、共産主義を奉じる大国と資本主義を奉じる大国が対立し、「冷戦」と当時は唯一の全体破壊手段だった核兵器の開発保持を含む驚異的な軍拡を生じた。そのために、財源と資源の相当部分が軍拡に費やされた。それも経済計画の不適切さとともに共産主義が崩壊した主因を構成する。
  経済体制を巡る論争はS系を巡ってやっていればよいことだった。L系とS系への分立によって、そのような論争をS系に限定し、軍事力をL系に限定し、国家権力の全体が戦争や全体破壊手段の開発・保持へと暴走することを予防することが可能になる。L系とS系の分立は少なくとも二十世紀から必要だったのである。この分立が1940年に実現していれば、冷戦と二十世紀の核兵器の脅威的な開発保持はなく、二十一世紀の全体破壊手段の開発保持はなく、20XX年のそれらの使用もなかっただろう。
  冷戦終結と20XX年の間は市民の間で共産主義への反感と嫌悪が残っていた。20XX年以降はそのような情動はない。また、いつの時代もある経済的不平等への怒りは市民の間でつのるばかりである。だから、25YY年における共産主義の再興は冷戦終結と20XX年の間よりありえる。だが、二十世紀の共産主義のように経済体制の選択が極端に制限されない限り、経済体制は共産主義、資本主義…などのいずれかではなく、それらのいくつかのいくつかの部分の混合になる。その混合のあり方についての論争は生じるが、純粋なものの選択を迫られたときの論争ほど激しいものにはならない。言い方を替えれば、純粋なものの選択を迫られたときは経済体制を巡る論争は激しくなる。実際、世界革命後、その混合の中で共産主義がかなり優位になった国家がいくつかあった。革命前の経済的格差への怒りが爆発したからである。だが、L系とS系への分立によって、その激しい論争がS系内部と周辺に限定され、L系が擁護する自由権と民主的分立的制度が損傷することは皆無だった。もし、L系とS系への分立がなかったら、それらの国家は二十世紀の共産主義と同様の失敗を繰り返していたかもしれない。

[政治的権力者と経済的権力者の癒着、汚職の予防]

  繰り返すが、政治的権力・公権力(PP)と経済的権力(EP)の癒着と汚職(0)について、(O)を捜査し起訴するのはL系に属するべき警察・検察(PP-L)である。また、(EP)と癒着し汚職するのは(PP)の中のS系に属するべき官僚(PP-S)である。国家権力のL系とS系への分立が成されていないとき、(PP-L)と(PP-S)も癒着し、(0)に抑制が効かない。実際、過去には(0)が軍官学産複合体の形成、拡大、軍拡、全体破壊手段の開発、製造、政治的権力の独裁、経済的権力の独占・寡占…などに繋がっていた。L系とS系への分立があるとき、(PP-L)はL系に属し(PP-S)はS系に属し、(PP-L)は(PP-S)をより厳密に捜査し起訴できるようになり、(0)が減退する。
  資本主義経済・市場経済において、純粋な利潤追求と自由競争は大きな問題を生じない。まず、経済的不平等、劣悪な労働環境、環境の悪化、資源の消耗…が問題になる。それらを解決するのは社会権を保障することであり、S系が思う存分それらに取り組めばよく、L系とS系の分立がその取り組みを阻害することは決してない。残る問題のうち主要なものは、政治的権力者と経済的権力者の癒着・汚職とそれによる彼らの独裁と独占・寡占への暴走である。その問題が上のようにして解決される。
  他方、共産主義においては、経済計画そのものは大きな問題を生じない。共産主義が自由権と民主的分立的制度を損傷し、その損傷のために経済計画が活発に議論されず、不適切になることが問題となる。その問題がL系とS系への分立によってL系で自由権と民主的分立的制度が厳密に擁護されることによって解決する。
  結局、国家権力をL系とS系に分立することは、資本主義経済・市場経済の問題点と共産主義経済・社会主義経済の問題点の両方を解決する。
  政治的権力・公権力(PP)と経済的権力(EP)の癒着と汚職(0)とそれによる経済的権力の独占・寡占と軍官学産複合体の形成拡大は、政治的権力の露骨な独裁より目立たず暗部で進行し、外部の市民からは一見したところ自由主義的で民主主義的に見える。だから、20XX年前の数十年間は、露骨に独裁的な大国だけでなく自由主義的で民主主義的に見える大国も、全体破壊手段の開発保持と20XX年の報復の連鎖の中での使用へと突き進み、地上の人間は絶滅した。20XX年以降の国家権力については、自由主義や民主主義は見かけのものであるというより形骸化していた。いずれにしても、重要なのは見かけのものでも形骸化もしていない民主的分立的制度である。

[S系の行政権の効率化、公的経費、税負担の減少]

  それぞれの国家権力において放っておくと行政権は肥大化し、公的経費と税は増大する。それに対する反動から行政権を縮小しようとする試みが生じる。それは20XX年以前から何度も繰り返されてきた。公的経費の増大の主要な原因は、(1)軍官学産複合体の形成による軍拡による軍事費の増大と(2)行政権の過度の分岐である。(1)への対抗策は後の節で説明される。この節では(2)への対抗策を説明する。
  まず、「分立」という言葉と「分岐」という言葉を区別する必要がある。相互抑制を伴う分離を「分立」と呼べ、相互抑制を伴わない分離を「分岐」と呼べる。一般に機構を分立または分岐させると機構を維持する経費は増大する。だが、必須な分立はある程度の経費増に耐えてでも維持する必要がある。既に見て来たとおり、国家権力のL系とS系への分立と、それぞれの系の中での立法権、行政権、司法権の分立は必須である。L系の行政権の中では警察と軍の分立は必須である。それに対して、S系の行政権の中では、分立も分岐も必須ではない。そのような分立する必要も分岐する必要もないような機構が財政部門、産業部門、労使関係調整部門、医療福祉部門、環境保全部門、資源保全有効利用部門…などに分岐していたのである。その分岐が公的経費増大の主要な原因の一つだった。また、その分岐が「総合的政策」の立案と推進を困難にしてきた。以上のことから、それぞれの国家権力において、S系の行政権は分立も分岐もない一つの機構に統合される必要がある。
  そのように、国家権力をL系とS系に分立することは、必要な分立を加え、不必要な分立と分岐を無くし、全体として分離を減らし、S系の行政権を効率化し、公的経費を減退させる。これと後述する軍官学産複合体の解体による軍事費の減少を合わせて、公的経費をさらに減退させることができる。
    その統合計画はあのTによって革命前から練られていた。Tはまず暫定政権のS系の行政権の長官にオンラインで選挙された。もちろん、その行政権の部分の中にはその計画に反対する官僚がいた。そこで、Tはその計画をさらに練って、新政権の選挙の際に市民に提示した。Tはその部分の長官に正式に選ばれ、その計画を実行した。また、彼は軍官産複合体の解体にも尽力した。その結果、S系の行政権の統合と軍官学産複合体の解体のおかげで、A国の国家レベルの公的経費は約三分の二になった。

[必要な学問と科学技術の発達]

  独裁政権は(1)発達してはならない全体破壊手段開発のための科学技術と独裁制強化のための技術を促進し、(2)発達する必要のある自由権と民主的分立的制度に係る哲学、法学、政治学、経済学、社会学、心理学…などを抑圧し、(1)以外の科学技術を軽視していた。それに対して、L系とS系の分立があるとき、L系は(1)を抑制することしかできず、S系は(2)と(3)を促進することしかできない。その結果、(1)が衰退し(2)(3)が発展する。実際、革命から数か月という早さでそうなり始めた。
  経済学について、二十世紀とそれ以前の経済学は、相互に連動する環境の悪化、資源の消耗、世界人口の増加の限界を無視する傾向にあった。それ対して、二十一世紀とそれ以降は、それらの限界を強調する経済学が出現し、政治的経済的権力者に利用されてきた。権力者にとっては、人間や生物の生存の保障という名目に現実味をもたせ独裁や全体主義に走るためには、それらの限界は差し迫っていると見せるほうが都合がよかった。それらに対して、革命後にそれらの限界の前にあるかもしれない余裕を追究してそのまま暴く「余裕の経済学」が誕生した。その余裕の経済学によって、現在の環境と資源の中でも、世界人口の増加の限界の前には少なからぬ余裕があることが分かってきた。それによって、かつての権力者たちのあれらの主張が独裁と独占に走るための名目に過ぎなかったことがますます明確になった。

[軍の機能の国防への限定、国益のための戦争の予防、実質的な国家元首の解消]

  軍や警察…などの公的武力を直接的に指揮し監督するのはL系である。S系は、公的武力を抑制することができても、促進したり発動することができない。だから、S系は何のための戦争も始めることができない。S系が戦争を始めるとすれば、国益のための戦争や前述の「資源に限定した局地的侵略戦争」だろうが、S系はそれらを始めることができない。S系は国際社会または世界で外交によって限られた資源を分かち合うしかない。他方、L系は国家の市民の自由権と民主的分立的制度の擁護のためにしか公的武力を使用することができない。かくして、L系とS系への分立によって国益のための戦争が予防される。
  L系とS系の分立によって、行政権も分立されるから、国家権力の少なくとも行政権のすべてを掌握していた「大統領」、「首相」…などの実質的な国家元首はもはや存在しない。言い方を替えると、この分立は実質的な国家元首を解消する。「形式的な」国家元首については後述する。
  さて、そのような個人が、L系とS系の間で分立されるべきだった行政権の全体を掌握していたことが間違いだったことが分かる。また、実質的な国家元首は必要がない。実際、革命後、世界中の国家権力のL系とS系への分立が完結し、実質的な国家元首なるものはどこにも残存せず、その不在による支障はなんら生じていない。必要がなく弊害でしかない実質的な国家元首を解体したこともこの分立の利点である。
  革命前は世界は世界大戦前夜だった。ところが、M将軍が(疑似の)全体破壊手段を使用したことによって、世界の権力者が一斉にシェルターに逃げ込み、それによって世界同時革命が一気に進み、L系とS系への分立を含む民主的分立的制度が確立した。その後、世界のS系は国際社会において外交によって限られた資源を分かち合おうとしている。超大国と大国の国外の軍は自国に撤退した。防衛手段と選択的破壊手段を除く破壊手段はほとんど廃止された。世界で短期間のうちにも、軍事予算が余りかえり、大幅な減税が行われ、市民の日常生活は改善し、経済は上向き始めた。次年度からは軍事予算を大幅に削減した予算が通り、市民の日常生活はさらに改善した。

[軍官学産複合体の解消、全体破壊手段の全廃と予防]

  全体破壊手段の全廃予防のためには以下が最も重要なことである。いわゆる「軍産複合体」は冷戦以前からあり冷戦初期に強く意識されそう呼ばれるようになった。それは当時から既に(1)軍(2)軍を掌握する文官(3)兵器等を開発する科学者と技術者、そして(4)兵器等を製造する公私の企業の複合体だった。だから、それらは「軍官学産複合体」と呼び直せる。(1)は軍事力を求め、(2)は官僚的権力を求め(3)は学術的権威と名誉を求め(4)は利潤を求めて、その複合体は放置すればひとりでに拡張する。そのために軍備、特に全体破壊手段の開発・製造は驚異的なペースで進む。国家権力をL系とS系に分立することによって、(1)(2)はL系に属し、(3)(4)はS系の下にあり、その複合体は解消する。もう少し詳しく見てみると、以下のことが分かる。この分立によって、(2)はL系の中で(1)を直接、掌握する。それに対して、(5)S系の中にあって(3)(4)を管理する文官の存在が明るみに出てくる。(3)(4)は、(2)に掌握されているのでも管理されているのでもなく、(5)に管理されている。(3)(4)(5)の目的は、破壊的なものではなく平和的で創造的な科学技術と産業を促進することである。この分立によって(3)(4)(5)は(1)(2)から独立している。(3)(4)(5)には(1)(2)の無差別的破壊手段の開発と製造への協力を断る権利と義務がある。そのように(5)が(1)(2)と(3)(4)の間に打ち込まれる楔となって軍官学産複合体は解体する。さらに、従来の大統領や首相は解消しており、(2)と(5)を統括する者は存在せず、軍官学産複合体は完全に解体する。
  その解体後は、(1)は全体破壊手段や大量破壊手段を含まず選択的破壊手段と防衛手段を含む軍になり、(3)(4)は(1)(2)から独立して、一部は選択的破壊手段と防衛手段の開発・製造のための研究機関・企業になり、ほとんどは軍事部門以外の産業部門に参入し、それらの部門を活性化した。
  世界革命後、全体破壊手段、大量破壊手段を含む無差別的破壊手段の研究、開発、製造、交易が国際法と諸国家の憲法で禁止された。L系とS系の分立によって、S系はL系に属する軍またはそれを掌握する文官の無差別的破壊手段の開発と製造への協力の要請を憲法に基づいて拒絶することができ、拒絶しなければならない。一方、選択的破壊手段や防衛手段の開発と製造への協力の要請には応えることができる。この分立はそのような連携を阻害しない。
  結局、全体破壊手段の全廃予防を妨げていた最大の障壁は軍官学産複合体だったことが明らかになった。この分立による軍官学産複合体の解体により、全体破壊手段は予想外に早く、25YY年に全廃され予防された。さらに25YY+5年にすべての無差別的破壊手段が全廃予防された。それらによって軍備全般が縮小され、軍事費が減少した。この軍官学産複合体の解体と前述のS系の行政権の分岐の減少によって、公的経費と税は大幅に減少した。それと前述の軍事部門以外の産業部門の活性化によって、経済は予想以上に上向き、市民の日常生活は史上最高水準になった。

[不可欠のサービスを停止するというS系に固有の権力、多重の文民支配、最後の手段]

  不可欠のサービスを停止するというS系に固有の権力は、既に世界革命の真っ最中に、諸国で機能していた。
  諸国で政府と軍の最上層部はシェルターに退避し、シェルターに連れて行かれなかった政府と軍の下層部と中間部のほとんどは離反した。A国では革命前からのグループG、あの副司令官…などの隠密離反者の離反推進の努力のために軍や警察などの公的武力の離反もスムーズにいったが、他の少数の国においてはなかなかスムーズに離反しない公的武力があった。一般市民だけでなく公的武力にとっても、水道、電気、ガス、燃料、食糧、医薬品、カネ、情報、情報通信網を提供または管理するサービスは不可欠である。それらの不可欠のサービスを一般市民だけでなく公的武力にも提供するのは、S系の行政権である。公的武力がスムースに離反しなかったそれぞれの国家で、それらの不可欠のサービスを提供していたS系のその部分が、L系の公的武力に対するそれらの不可欠のサービスの提供を停止してくれた。すると公的武力は弱体化し、遅ればせながらも一気に離反した。このように、S系は、提供していた不可欠のサービスを停止するというそれに固有の権力をもっている。この権力は、この度は公的武力に対して使われたのだが、何にでも使える。例えば環境を保全しない企業や、福祉を乱用する個人にも使える。だが、軍や警察という公的武力にも有効であることは忘れ去られてはならない。そのようなS系に固有の権力は国家権力のL系とS系への分立によって初めて顕在化した。
  もちろん、公的武力とそれを掌握する文官は、L系の中の行政権の中で高位の文官によって抑制される。また、L系の中の三権分立制と法の支配の中で立法権、司法権によって抑制される。さらに、この分立によって、提供していた不可欠のサービスを停止するというS系に固有の権力によって抑制される。これらを、従来の文民支配に対して、公的武力に対する「多重の文民支配(マルチプル・シビリアン・コントロール)」と呼べる。
  前述のとおり、今後も、国家主義的、全体主義的、軍国主義的な政党が大衆を煽りL系のL議院で多数を占め、公的武力を完全に掌握して、憲法と立法権と司法権を停止して、物騒な極端に走る可能性はわずかにでも残る。それでも、軍人であれ文民であれ人間が生存する限り、S系に固有の不可欠のサービスを提供する権力は残り、それを停止する権力も残る。公的武力が暴走したり、文官に乱用された場合は、それらの公的武力または文官に対して、S系の行政権はその残された権力を行使する(サービスを停止する)ことができる。
  この権力は最後まで残る。公的武力の暴走または乱用は極限状況である。だから、その極限状況でのこの権力の行使は最後の手段である。
  この権力とこの権力の行使の権利と義務は憲法で規定される必要がある。だが、仮に憲法で規定されていなくても、S系の行政権は、命がけではあるが、その極限状況でもこの権力を行使することができる。また、それらの公的武力や文官に掌握される前に、S系の行政権はこの権力を無力化してしまうことさえできる。だから、この権力は合憲でも超法規的でもありえる。
  この権力の行使の目的は、その極限状況では、自由権と民主的分立的制度の擁護になる。すると、その極限状況では、社会権を保障する必要があるS系が、社会権を擁護していることから生じた権力をもって、L系が擁護する必要があるものを擁護していることになる。これは、この分立の中では唯一の矛盾であり、政治制度の中では最大の逆説である。いずれにしても、その極限状況の中では、この権力が私たちを護っている。
  これらは権力分立の極みである。

[問題点]

    さて、問題点に移る。以下の疑問が生じるかもしれない。
  まず、「国家元首」はどこにいるのかという疑問はすぐに生じるだろう。それに対してはすぐに「どこで国家元首なるものが必要なのか」と聞き返せる。するとたいていの答えは「儀式や祭典で」というものである。儀式や祭典で必要なのは形式的または象徴的な元首である。実質的な国家元首はどこでも必要がない。さらに、そのような儀式や祭典が必須ではなく、形式的または象徴的な国家元首でさえも必須ではない。だが、市民が形式的または象徴的な国家元首を伴う儀式や祭典を文化として楽しみたいのなら、それらは存続してよいのではないだろうか。そのような形式的または象徴的な元首としては、司法権の最高裁判所の長官、L系のL議院の議長、S系の教育文化部門の長官…など公務員なら誰でもよいのではないだろうか。
  S系に属するべき部門が主催または後援する祭典において、L系に属するべき軍や警察の公務員が伴奏したり航空ショーを演じてきた。この分立はそのような明らかに平和的なL系とS系の協調を妨げない。だが、市民の多くが嫌悪感を示すなら、両系は控えるべきだろう。
  L系とS系の両系にまたがる立法と行政をどうするかという疑問は出てくると思う。ところが、意外と両系にまたがる立法、行政は少ない。例えば、暴力によって多数の個人の命が脅かされているとき、暴力の対処は自由権の擁護であり、立法としてはL系における刑法の改善が必要となり、行政としてはL系における狭義の安全保障の強化が必要となる。それに対して、貧困による栄養失調によって多数の個人の命が脅かされているとき、その栄養失調と貧困への対処は社会権の保障であり、立法としてはS系における社会保障関連法の改善が必要となり、行政としてはS系における社会保障の整備が必要となる。
  立法において、明かにL系とS系の両系にまたがりえるのは、予算の全体の決議、包括的な条約の批准であり、それらについてはL院とS院が等しい権限をもてばよい。実際、それぞれの国家の憲法でそう規定された。
  S系の行政権が行うべき自然災害、飢饉、パンデミック…などの非常事態への対応において、L系に属する警察や軍の協力が必要なことはある。そのような場合は、S系はL系に協力を要請することができ、L系は要求に応じることも応じないこともでき、要求に応じる場合は要求されたこと以上のことをしない必要がある。実際、それぞれの国家の憲法でそれらが規定された。<国防と集団安全保障における軍事制裁は専らL系の管轄である。それに対して経済制裁においてはS系も機能しなければならない。それに関する限りで、上の逆が適切である。その逆がそれぞれの国家の憲法で規定された。
  だが、ある公的機能がL系の管轄になるかS系の管轄になるかについては、憲法で規定されえない曖昧なものがわずかにでも残りえる。また、特定の個人や党派が、自身の権益のために、曖昧なものを自身の管轄に無理やり引きづり込むことはありえる。そのような曖昧なものについては、裁判官が最も得意とする憲法の深意を汲み取っていずれかの管轄に割り当てる必要がある。実際、それぞれの国家の憲法でそう規定された。
  今後、その他の問題が生じ、議論されるだろう。だが、生じる問題は細部に限られるだろう。他方、以上の効果は持続し、予期しない効果が現れるだろう。細部における問題と効果を比較すると、効果のほうが大きく、この分立において細部が改善されつつ骨組みは維持されるだろう。

残虐の跡をどうするか

  A国のM将軍は大量虐殺の跡はそのつど消していた。また、地上の政治犯の大部分とそれらへの拷問、殺害の跡も消して一部の政治犯を連行して地下のシェルターに潜って行った。B国のBP元大統領は大量虐殺の跡は消していたが、慌てて地下に潜ったので、政治犯の拷問、殺害の痕跡を残してしまった。他のいくつかの国家では大量虐殺の跡も残っていた。それらの残虐の痕跡をどうするか。最終的にはそれぞれの国家の立法権がその答えを法律の形で示すだろうが、それに先立って世界の有志がB国の会議場に集まって討論することになった。その討論は世界の立法権での討論の参考になるかもしれない。この書で既に書いた人物の中からはA国からZと私が、B国からVが参加した。Vは司会者になった。討論は以下のように展開した。

参加者1:独裁制への逆行を防止するためには、その悲惨さを私たちが記憶に留めておく必要がある。だから、それらの残虐の跡は保存し市民に公開したほうがいい。
参加者2:だが、そのような蛮行を模倣したり、そのような破壊性に触発される人間もいるのではないか。
参加者3:特に子供には…どんな影響を及ぼすか計り知れない。子供には公開しないほうがよいと思う。
参加者4:子供にもある程度は見せて、その後で教師の指導の下に討論したほうがよいのではないか。
参加者5:だが、その討論における教師の役割は重大すぎる。教師が下手をすると討論が間違った方向に向かってしまう。
参加者6:やはり十五歳以下には見せないほうがいい。
(という意見が多かった。以後、公開するとしてもその対象は十五歳以上に絞られた)
Z:虐殺や拷問の手段の中には無差別破壊に使われそうなものがある。それらは公開しないほうがいい。結局、公開してよいものを選択する必要がある。(そのような意見は多かった)

そのように討論がある程度、展開した後でVがB国の政治犯の拷問虐殺の跡を視察することを提案した。討論の参加者の全員が同意し視察に向かった。

  BP大統領は捕獲した反政府主義者を神経学的実験の被験者として使うとともに、その実験を拷問、虐殺の手段として使っていた。この実験・拷問・虐殺の施設ではBP大統領がシェルターに避難し放置して行った直後の状態が維持されていた。ただし、遺体の腐敗を防ぐために低温低湿にしてある。視察者は貸し出された防寒着をはおった。視察者はまず、互いの吐く息の白さに驚いた。だが、進むにつれて、それどころではなくなった。堅いベッドの上にも床にも身体拘束のための原始的な器具が散乱するが、神経学的実験に使えそうな機器はほとんどない。数百の遺体が数十の大きな容器の中に投げ捨てられている。四肢には拘束のための器具が、頭部には装着された電極や機器が残されている。拷問される者は互いの拷問されるところを見て聞かなければならないという拷問にも掛けられたのだろう。これが人体実験などというものではなく拷問虐殺であることは明らかだ。顔が見えるものもある。その表情をなんと表現したらいいのだろうか。虚空を見つめている、叫び声が凍てついているという表現しか思い当たらない。これを見ると、一瞬、暗殺は楽だと思わざるをえなかった。だが、考え直した。そのように苦痛の量を比較するような状況こそが、独裁者たちが大衆を追い込もうとしていたところではないのだろうか。苦痛の量を比較することなく、人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛をなくそう。この場合は、暗殺も拷問もなくそう。
  その施設を出て会議場への帰途に着いた。誰もが外の光とぬくもりに戻ってホッとした。VとZと私は視察前は公開に傾いていた意見が視察後はわずかにでも非公開に傾くのではないかと予想した。だが、その予想は外れた。会議場に戻るとほとんどの参加者が沈痛な表情で黙っていた。しばらくしてようやくB国市民の一人が絞り出すように言った。「やはりあの惨状は写真などで記録し公開するべきでしょう」  参加者が頷き始めた。あの視察がなかったらそれに確信がもてなかっただろう。別のB国市民がすかさず言った。「記録した後はあの方々を埋葬してあげましょうよ」  Vは言った。「記録は反政府グループがあの施設を占拠したときに既にしてあります。さっそく犠牲者を埋葬するよう新政府に働きかけましょう」  あの視察がなかったら、犠牲者の埋葬は遅れ、遺族をいっそう悲しませていただろう。

夕焼け空の下

  第一の山場、つまり世界革命を超えた後、私とU、TとXはそれぞれ結婚した。あれらの犠牲者のことが思い浮かんで結婚式、披露宴…などをする気になれず、入籍だけにした。
  私の姉も結婚した。姉は私より三歳年上で四十過ぎ。私が権力に手当たり次第に反抗していた思春期の頃は、姉は私を敬遠していた。だが、私が手当たり次第の反抗をやめてからはときに連絡を取り合っていた。私がUと出会ってからは、三人で食事もしていた。姉の結婚相手は姉や私より年下だった。姉はパン屋を続け、その夫はサラリーマンを続けるらしい。子供は作るつもりがないらしい。革命後、姉夫婦、私たち夫婦の四人で姉と私の両親の墓参りに行った。その帰りに四人で近くの小料理屋で食事をした。もちろん、姉は革命前はUと私がグループGのメンバーであることを知らなかった。革命後に初めてそれを知ったときはびっくりしたと言う。しばらくしてしんみりと「お父さんお母さんも喜んでいるだろうね」と言う。こんな会話はきょうだいにしかできないと思った。きょうだいというものはいつまでたってもきょうだいなんだと思い知らされた。夫は最初はUと私と話しづらそうで、私たちも無理に話し込まなかった。だが、そのうち互いに溶け込んだ。
  個人的なことはさておき、B国に占領された農地はD国に返還された。その後も避難民のほとんどはあの森Fで暮らし、結局、森FはF国として独立した。過去に「移民の国」が有名になったことがあったが、これは「難民の国」として有名になるかもしれない。その独立式典に私は招かれた。私は「建国の父」の一人扱いに、あの避難は「出エジプト(Exodus)」扱いにされそうになった。そんなことよりあの少女とその父親の手記とそれを容れる廃屋を含む遺跡と文献の保存をお願いしておいた。それは謙遜してのことではない。歴史学者としてはそれらの遺跡と文献の保存は非常に重要なことであり、私個人にとってはそれらは青春の思い出のようなものだったから。さらに、これからも、新しく重要な文献が発掘されるだろうと思っていたから。
  あの少女とその父親の手記とP教授がまとめたものは、グループGが既にオンラインで公開していたが、紙の書籍としても民間の出版社から出版された。
  革命後に行う予定だったP教授のグループGとして葬儀は私たちなりに厳粛に行った。今さらかつての独裁政権への恨みを言っても仕方がない。実際、誰も言わなかった。B国のあのVとC国のあのWも来てくれた。VもWもほとんど何も語らなかった。葬儀が終わると、VはA1大学での講演に向かった。Wは例によってあの庭園の苔への水遣りを急いだ。私がWを空港まで見送った。この頃の飛行機は数時間で地球の反対側までも行くことができ、Wは日帰りだった。飛行機がどんなに速くなっても、光速でない限り、人間の感覚でとらえられる時間は変わらないだろう。P教授とWの出会いは歴史的な出会いだったことにそのとき初めて気づいた。こうなったらWに長生きして欲しいと思った。Wとまた語り合いたい。Wが居なくなったら寂しい。
  その後で私はP教授の遺族宅に遺骨を返しに行った。五十歳代の妻と二十代の長男、長女が残されている。やはり、誰も恨みを語らなかった。妻は「家では政治や社会のことを一切、語らない人だった。普通の夫であり、子供にとっては普通の父親だったと思う」と語る。子供らは現在は一般企業に勤めている。普通のサラリーマン、OLだ。子供らは「お父さんの本はよく売れているが、それより生きてくれていたほうがよかった」と言う。
  私はP教授の上着も持って来ていた。それはP教授がいつもの講義でもあの国際会議場での講演でも着ていた。あの日は講演者の控室に残されていた。私はその上着を袋から出して差し出した。妻はそれを手に取って、思わず泣いていた。しばらくして、妻は「あなたに着て欲しい」と言う。私は「それはありがたいのですが、ご長男が着られたほうがいいと思います」と言う。私は実を言うと、その上着を遺族に返すか、オークションに懸けるか迷っていた。オークションに懸けたほうが大切にされるだろう。さらに、グループGや私がオークションに懸けるより、遺族が懸けたほうが大切にされるだろう。また、しばらくしてそうしたほうがP教授が長く記憶されるだろう。そこで、こっそり長男にオークションも考慮するよう言っておいた。
  とりあえず長男が着てみた。やはり顔だちも体格もP教授に似ている。だが、P教授の代替にはならない。それは長男の知性や知識が劣るという意味でではない。長男とP教授が異なる人格をもっているという意味でである。だが、それは長男の人格が劣るという意味でではない。あくまでも長男とP教授が異なる人格をもっているという意味でである。
  遺族宅からの帰りは歩きになった。夕焼け空の下、大河に架かる橋の歩道を一人で歩いた。車道は車で混雑しているが、歩道は広く人の混雑はない。ゆっくり歩ける。私の中でP教授という友を失ってできた空洞がまた疼き始めた。今まではその空洞が革命で掻き消されていたのだろう。あの少女は「生と死の繰り返しは、記憶をもつ動物のそれぞれが、記憶と個性の喪失を繰り返しつつ、永遠に生きることと同じである」と言う。だが、特定の人との死はその人との完全な離別でもある。いずれ死ぬのは仕方がないが、別れはつらい。しばらくそんな思いに耽っていようか。

遅ればせながら

  だが、山場が終ったわけではない。これから第二の山場がある。諸国の新政権は、今こそ全体破壊手段の全廃のための好機と見て、大国EのEC市に代表を派遣した。それにUと私がA国から派遣された。全体破壊手段の全廃に限らず、世界の平和全般のための機構を目指す新政権があった。だが、そのような機構の失敗は、20XX年以前にも以降にもあった。多くの新政権は、さしあたり全体破壊手段の全廃と予防に限定した機構を作ることを目指した。それによって、他の挫折のために全体破壊手段の全廃予防も挫折してしまうことを防ごうとした。
  その機構作りを目指す総会においてまず、暫定理事国の選抜と暫定事務総長の選出が行われた。暫定理事国としては、超大国A,B,Cを含む全体破壊手段保有国と、非保有の大国のいくつかが選ばれた。暫定事務総長として、私が選出された。私は何事につけても妥協しない人間だと思われているようだった。私はこれでもいくつかのことについて妥協してきたつもりだ。例えば、M将軍のスキャンダルを暴露しなかったことについては妥協していた。だが、自由権と民主的分立的制度の確立維持と全体破壊手段の全廃予防と悪循環に陥る傾向への直面に関する限りで、妥協したことはないしこれからも妥協することはない。その思考過程を就任の挨拶のときにそのまま言うと、各国代表は「やっぱり妥協しないヤツだ」と言わんばかりに笑っていた。
  機構の仮称は「全体破壊手段全廃予防機構」となった。憲章は機構の構成と権力の概要も含む必要がある。25YY年、国際機構として残されたのは、政治的経済的権力者にとって比較的無害な通信、保健、自然保全…などのための機構だけだった。最も重要な集団安全保障や軍縮に係る国際機構は、既に何百年に渡って形骸化し、実質的に消滅していた。それらは国際機構の無力さへの諦めを残しただけだった。それらは参考にもならなかった。国際機構または世界機構の構成と権限、これは未知の領域にあるように見える。だが、あのP教授、あのV、私…などは、それらについても既に議論していた。国際機構または世界機構においても、自由権と民主的分立的制度を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)への分立を含む民主的分立的制度が活きると、私たちは既に主張していた。
  諸国の反政府グループと暫定政権と新政権は、全体破壊手段の全廃は世界革命の直後しかありえず、それを逃せば困難だと思っていた。そこで「地球上のすべての全体破壊手段世界が五年以内に全廃されなければならない」「暫定政権または新政権は、核兵器と不変遺伝子手段を不活化したままにするだけでなく、それらの安全な破壊・破棄に今すぐに着手する」「小惑星操作について、なんらかの爆発を生じえる操作を即、停止する」を含む「暫定憲章」が可決され即公布・実施された。世界のそれぞれの国家においては、新憲法と法律で全体破壊手段、大量破壊手段を含む無差別的破壊手段を国内において全廃予防し、世界のそれらの全廃予防のために国家が他国とこの機構と協力することが既に明記されている。この機構もすべての無差別的破壊手段の全廃予防の機構に発展する必要があり、それも暫定憲章で明記された。
  その後、私にはたった一人で訪ねてみたい遺跡があった。かつての「ヒロシマ・ナガサキ」から発掘された石碑である。石碑としては、1945年の一回目の全体破壊手段使用の後に建てられ、20XX年の二回目の使用も生き延びて、発掘され、その発掘現場に建てられた記念館で展示されている。記念館は高層ビルの谷間にあり、当然、一回目の使用の跡形も二回目の使用の跡形もない。石碑は大きなガラスケースに安置されている。記念館の研究員が碑文の解説してくれた。その碑文が「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」と訳せることを私は歴史学者として知っていた。さらに、その過ちを一度、繰り返したこと、さらにもう一度、繰り返そうとしていたことは誰もが知っていた。その碑文が時の垢で埋まっていくのを見て、「遅ればせながら…」とつぶやくしかなかった。初めて全体破壊手段が使用されてから六百年以上の時間が経ってしまった。

一方的廃止の積み重ね

  ところが、意外なことが分かってきた。世界革命の前から世界の反政府グープと内部隠密離反者たちは革命直後の機会を逃せば、全体破壊手段の全廃はありえないと思っていた。また、その廃止のための国際会議と国際憲章と国際機構は不可欠だと思っていた。ところが、一概にそうでもなかった。
  私たちはなんらかの国際的な機能と機構による相互の廃止・予防を「相互廃止」と呼び、それぞれの国家による自主的一方的な廃止・予防を「一方的廃止」と呼んで区別していた。前述の選択的破壊手段-SMAD-権力疎外-権力相互暴露があれば、全体破壊手段は不必要であるだけでなく、維持するのに莫大な経費と労力を要するお荷物である。また、予測不能の事故や故障による暴走はありえる。そんなものはすぐに一方的に廃棄したほうがおトクである。全体破壊手段、大量破壊手段…などの無差別的破壊手段を増強するより、前述の選択的破壊手段と防衛手段の増強に専念するほうがよい。小国も選択的破壊手段をもつことができ、それらで超大国の政府と軍の最上層部と主要施設を破壊することができ、超大国も抑止することができる。全体破壊手段を保有する国家は過去の政策と戦略を嘲笑するしかない。もはや全体破壊手段や大量破壊手段は過去の遺物でしかない。誰もが一方的に廃止したほうがよい。実際、かつての保有国の多くで、暫定政権または新政権が全体破壊手段を不活化するだけでなく、自主的、一方的に破棄・廃棄していた。国際会議を待つまでもなくそうしていた。今の時点でも全体破壊手段はほとんど不活化されるだけでなく破棄・廃棄されていた。数か月以内の全廃は可能だろう。
  また、「全体破壊手段は技術的にも安全のためにもすぐに廃止できるものではない」というような長年の主張は保持するための名目に過ぎなかったことも分かってきた。もっとも、一方的廃止への期待は革命前からあった。だが、それがこんなにも積み重なり、その積み重ねの力がこんなにも大きく、それだけで全廃に十分だとは誰も思っていなかった。唯一の誤算であり、うれしい誤算である。
  だが、前述の選択的破壊手段-SMAD-権力疎外-権力相互暴露がなければ、全体破壊手段、大量破壊手段を含む無差別的破壊手段の必要性がわずかにでも残り、一方的廃止の積み重ねはあそこまで容易に進まなかっただろう。また、前述の国家権力の自由権と民主的分立的制度を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)への分立による軍官学産複合体の解体がなければ、そのような複合体が廃止に抵抗し、一方的廃止の積み重ねはあそこまで容易に進まなかっただろう。結局、全体破壊手段の全廃予防の決め手は、選択的破壊手段-SMAD-権力疎外-権力相互暴露と国家権力のL系とS系への分立による軍官学産複合体の解体による一方的廃止の積み重ねである。
  すると、全体破壊手段の全廃予防のための国際または世界機構の重要性は小さくなる。だが、今後出現する他の目的または広範に渡る目的のための国際または世界機構の前例として重要性をもつ。私はこの時点で既にそのような世界機構を模索していた。

専門家たち

  総会で指名された専門家と私は、機構の憲章の草案に載せるべき全体破壊手段の定義と機構の構成と権限を練った。さらに、憲章に載らない詳細も練る必要があった。例えば、査察部門は(1)原子核操作査察部門、(2)遺伝子操作査察部門、(3)小惑星操作査察部門から構成されるとした。(1)の長官と(3)の長官についてはそれらの専門家の中に適任者がおり、就任の内諾を得た。(2)の長官にはUが適任という意見が多かった。私もそう思った。Uに宿泊中のホテルで相談した。Uはガンと感染症の完全克服と医療の低額化のための研究に戻りたかった。確かに、それらは医学研究者の夢だろう。だが、「科学技術は自身を抑制する部門も確立する必要がある」…などと説得した。ただし、十年の任期という条件付きでである。十年後でもUは四十半ば、U本来の夢の実現は可能だろう。それと、Uは既にそれらへの道筋を引いていた。後は他の医学研究者にできるだろう。Uがいなくてもできる。どう思ったが、言わなかった。数日後、「科学技術は自身を抑制する部門も確立する必要がある」の説得の内容は的を射ていると思った。
  さらに以下が分かってきた。全体破壊手段を抑制する方法を最も究められる者は、やはりその開発方法を最も究められるものだろう。すると、この機構の内部の科学者技術者の自己抑制を強化しなければならないと思った。しかも、その自己抑制は彼らが機構から離れた後も持続しないといけない。すると彼らの私企業への天下り禁止が必要となり、他方で終身雇用、給与のさらなる増額…などが必要だと思った。するとUの十年という任期も考え直さないといけない。Uは信用できるだろうが、他に対するしめしがつかない。期限撤廃はしばらくUに言えなかった。あの森Fで兎や鹿を丸焼きにしたことさえ言っていたのだが。だが、数週間後にUは自らその職に無期限で留まることを申し出てくれた。また、数年後にUはその職にとどまりつつ、医学研究も続け、彼女の夢を他の医学研究者とともに実現した。
  Uが査察のための技術の確立に本格的に取り組み始めたときに、A国でUの身に直接的に係る全く予期していなかったことが起こった。A国のM将軍は千人を越える「政治犯」をシェルターに連行し人質としていたのだが、その千人以上と、UとXの二人との人質交換を持ちかけてきた。Uと私はすぐにA国に帰国ししばらく留まらざるをえなくなった。
  私はB国のあのVに副事務総長に就き、Uと私がA国にいる間、この機構で憲章の草案のさらなる熟成と委員会と総会への提出、質疑応答…などをすることを依頼した。Vは受けてくれた。憲章の草案をさらに磨くにはVが私より適切だとも考えた。実際、あのP教授がまとめたものをVたちがさらに分かりやすく書き換え、その書き換えられたものが世界の憲法の基本になった。この機構の憲章の草案もVらが書き直したほうがよいのかもしれない。事務総長の職務にはVのほうが適任だとさえ思った。
  VはB国で暫定政権が成立してからB1大学の学長になっていた。それと副事務総長との兼任になる。総会と理事会はVが副事務総長となることを承認した。さらに、私が戻って来れなかったときは、Vが事務総長に就くことも承認された。Uが戻って来れなかったときの(2)の長官の代わりとしては、UがC国の有名な医学研究者に依頼し同意を得た。

全体破壊手段の全廃予防の詳細

  ところで、あの国家権力の自由権と民主的分立的制度を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)への分立について、それが最初に唱えられたのは二十世紀の冷戦期だったことが分かった。B国のあのVらは世界革命後に現在のB国内にある20XX年以前の大学の跡地を様々な目的で発掘調査していた。それらの大学の一つの跡地でその分立の文献を掘り当てた。それによると、最初にその分立を唱えた人々はその大学の法学者たちだった。あの悪名高いソビエト連邦の共産党が彼ら彼らの論文を闇に葬った。その大学の法学者たちは共産主義の独裁化・全体主義化、資本主義と共産主義の対立、冷戦の激化、凄まじい軍拡競争を解決する手段としてその分立を模索していた。確かに、もし冷戦初期にその分立が世界の国家で実現していれば、冷戦は速やかに集結し、当時は唯一の全体破壊手段だった核兵器を始めとする驚異的な軍拡はなかっただろう。その結果、20XX年の地上の人類の絶滅もなかっただろう。その分立は少なくとも冷戦初期から必要だったのである。
  その発掘調査も一段落して、VはEC市に来て短期間だが実質的な事務総長である副事務総長に就くことができた。
  私がVとともに以下をオンラインで確認したのは、私がA国に発つ直前でVはEC市へ発つ直前だった。

全体破壊手段は第一に核兵器(1)、第二に不変遺伝子手段(2)、第三に小惑星の軌道を変えるような小惑星操作(3)である。
  (3)について、人間の操作は小惑星の軌道を変えて地球に衝突または接近させうる。そのようなことは人間が意図しなくても資源の探索や開発中の事故でも生じえる。だから、小惑星の開発や探索をする場合は、最悪の事故でも軌道を変えない方法が探り当てられる必要がある。その方法が探り当てられないのなら、どんな形にせよ小惑星操作を禁止するべきである。
  (2)について、例えば、Uも拷問されれば、不変遺伝子手段の開発方法を吐いてしまうだろう。だが、それがなくても、他の科学者がいずれは開発法を発見するだろう。だから、不変遺伝子手段とそれ以外の区別を明確にして、不変遺伝子手段の研究、開発から全面禁止する必要がある。端的に言って、「遺伝子の塩基配列以外のものを変えるなかれ」である。他方で不変遺伝子手段以外の遺伝子手段をあまり厳しく制限しないほがよい。特に遺伝子治療について、健康で長生きしたい、家族に健康で長生きして欲しい、子どもに早死にされたくない…などの一般市民の欲求は切実である。この欲求を満たすことは、不変遺伝子手段以外の遺伝子手段や遺伝子手段以外の生物学的手段によって十分に可能である。それを一般市民に説明する必要がある。(1)について、核融合にせよ核分裂にせよ、使用時に原子核の変化を伴う兵器を核兵器と定義し、全廃し予防する必要がある。問題が残る。一見したところ平和利用の原子力の発電所、潜水艦、船、飛行機、宇宙船、人工衛星…などをどうするか。25YY年になるのにまだ、それらが残っていた。それら自体は全体破壊手段でないように見える。だが、テロや戦争においてネット経由で侵入され、それらが一斉に暴走、暴発すれば、全体破壊を生じる。また、事故や自然災害によって暴走、爆発すれば、全体破壊を生じなくても、大量破壊を生じる。また、それらから核兵器を開発することは比較的に容易であり、それらは「前全体破壊手段」でもある。何より原子力に代わるエネルギー源は開発されている。だから、それらも全廃し予防する必要がある。それは今後の課題である。

以上を確認した。Vは「I(私)とUが戻って来るまでは全力を尽くす」と言う。私は戻って来ないほうがよいのかもしれない。やはり憲章の原案を練るにはVのほうが適切だろう。Vにはそのことを正直に言った。するとVは「やっぱり妥協しないやつだ」と言わんばかりに笑っていた。

超法規的なものをなくすこと


  世界の旧政府と旧軍の最上層部は、それぞれのシェルターに逃げ込み、そのことが彼らの命取りになった。世界の暫定政権と新政権がシェルターの出入口をすべて封鎖し、シェルターと地上が別の宇宙のようになっていた。シェルターに退避した者たちは、地の果てに隔離されてしまった。シェルターに退避したのは、旧政府と旧軍の上層部だったが、その旧上層部の中にも新上層部と新下層部があった。上層部はいいとしても、下層部には「なんで俺たちがこんなところに居なきゃならないんだ」という疑問と不満があった。上層部は下層部の意向を汲み入れざるをえなかった。世界でシェルターに退避した者たちが、地上に投降し地の果てから姿を現し始めた。
  だが、抵抗する権力者もいた。シェルターから一般市民向けに演説を行い、旧政権を正当化する権力者もいた。それも言論の自由のうちと、それらの国の暫定政権または新政権は逐次反論しなかった。旧政権の残虐や非効率や無駄遣いを改めて調査し公開するだけで十分だった。権力者は数値が示すものに反論できなかった。
  ところが、A国のM将軍は一筋縄ではいかなかった。M将軍は、彼らの言う政治犯をシェルターに連行して、人質としてとっていた。その数は政治犯の全体からすると一部に過ぎないが、千人を越える。M将軍は、その人質と、UとXとを交換しようと言う。つまり、A国に限って最初から、シェルターと地上は別の宇宙でなかった。シェルターと地上は人質によって繋がっていた。シェルターに隔離されたかに見えたM将軍には地上に戻って地上を支配する突破口が残っていた。UとXを得れば、M将軍は拷問によって、Uには今度は本物の全体破壊手段の開発を、Xには世界の情報通信網のコントロールを強要するだろう。この頃の拷問の技術はかなり進歩していた。U、Xといえども、拷問には勝てない。M将軍は、UとXの技術があれば、地上に戻って世界を支配することが可能と考えたのだろう。しぶとい。すぐにへりくだって投降してくるような並みの権力者と異なる。また、シェルター内に千人以上の人質が居れば、シェルターなりの環境の悪化と資源の消耗は馬鹿にならないだろう。それをUとXの二人と交換できたら、どんなに楽なことか。賢い。しかも、UとXは魅力的な女性である。だが、仮にUとXに性的魅力がなくても、M将軍は彼女たちの技術をもって彼女たちを選んだだろう。M将軍は情に流されるような人間ではない。もし、交換要員がUとXでなかったら、「相手に取って不足はない」と心の中で思っていたかもしれない。
  Uと私は、A国に帰国する前に、Z、T、Xとオンラインで考えた。まず、Uが「千対二の交換になるように見えるかもしれないが、Xと私がM将軍の手に渡れば、世界の情報通信網のコントロールと全体破壊手段のうちの不変遺伝子手段の開発を強要され、結局は数十億の人間が危険に晒される。そう考える人は多いと思う。だが、不変遺伝子手段の開発には希少な資源と機器が要る。それらは地下のシェルターにはほとんどないはずだ。M将軍の戦略はそんなにうまくいくものではない」と言う。Xも「シェルター内のシステムを世界をコントロールできるようなものに変えるには自分一人では無理で、できるとしても相当な時間と労力と資源が要る」と言う。Tは「他の資源の交換の問題もある。この件は今回の人質交換で解決するものでは到底ない」と言う。Zは「こちらももっと戦略を練る必要がある。N大佐との相談も必要だ」と言う。
  いずれにしても、今回の事件の解決は超法規的方法によることになってしまうだろう。P教授が生きていればどう言うだろうか。こう言うだろう。

超法規的な緊急事態が発生し、それに対処する超法規的方法が実行された後は、その事態を想定できなかったことを反省し、その事態と対処方法を明記するよう法を改正する必要がある。そのようにすることによって超法規的なものを極力ゼロにする必要がある。そうしないと、法の抜け穴が広がり、自由権と民主的分立的制度が形骸化し、政治的経済的権力者が独裁、全体主義…などに暴走する可能性が増す。例えば、今回のような事件で最初に機能するべきは警察だが、このような事件に限って、警察は軍の協力を要請する、または、指揮権を軍に譲ることができる必要があり、それらがそれぞれの国家で憲法と法律で規定される必要がある。そうしないと、警察または軍またはそれらを掌握する文官が暴走する可能性が大きくなる。さらに、それらの努力の後でも、想定できない超法規的なものが残ることを想定して、最高裁判所長官と自由権と民主的分立的制度を擁護する法の支配系(L系)のL議院の議長を必ず含む緊急会議を開き、それらに対する方法を決定する必要があり、それらがそれぞれの国家で憲法と法律で規定される必要がある。繰り返すが、そうしないと、法の抜け穴が広がり、自由権と民主的分立的制度が形骸化し、政治的経済的権力者が独裁、全体主義…などに暴走する可能性が増す。

実際、今回の事件の解決後に世界の国家でそれらの概略が憲法に追加され詳細が法で規定された。
  私とUはA国に着いた。今まで様々なことを想定してきたが、こんな「帰国」をするとは思わなかった。上の理念に従って必須の公務員として最高裁判所長官とL議院議長と、その他の公務員として警察の長官、警察を監督するL議院の委員会の長、軍の長官としてのZ、軍を監督するL議院の委員会の議長、当事者としてUとX、当事者家族として私とTが集まった。この状況では、TはS系行政権長官としてではなく、私はあの機構の事務総長としてではない。情報技術者などの専門家も招かれた。また、シェルターの設計者、施工者も招かれ、彼らは「建設時の工事関係者用通路がまだ残っていて、数分でシェルターの実質まで降下することができる。それは確認済みだ。ただ、その通路の最終部分で交戦になりえる」と言う。これが具体的な情報として最も価値のあるものだった。Zは「シェルター内で離反が完結すれば、交戦も避けられ、シェルターを制圧できる」と言う。
  Zはこの会議でもあのN大佐と連絡をとろうと必死だった。「N大佐ともう少しで連絡がつくでしょうから、待っていただきたい」と言う。Xと他の情報技術者数名もZに加わった。N大佐は革命完結後もM将軍を監視し好機にM将軍を捕獲しようとしてきた。私たちは、シェルターに降りてからは最大限に慎重で、安易に連絡を取らないようにしていた。だが、この非常事態で事情が変わった。どうしてもN大佐の計画を聞きたかった。N大佐からも連絡を取ろうとしてくれていた。繋がった。

地の果てへ

  N大佐がスクリーンに大写しになる。元来、やつれているのだが、いっそうやつれている。N大佐はカメラを見つめてはっきりと「UとXには悪いが、人質交換に応じて欲しい。交換のときが千人以上の人質の解放とM将軍の捕獲の最初で最後のチャンスだ。地下では既に多数の兵士が隠密に離反し表立った離反の準備ができている。UとXの安全は絶対に保証する」と言う。Uは即座に「地下に降りる。その戦略は信頼できる」と言う。Xも「その作戦があるなら、地の果てまでも行く」と言う。UとXが見つめ合う。それで決まった。他の参加者は躊躇していた。それはN大佐を知らず、彼の洞察の深さを知らないからだろう。
  続いてN大佐とZが計画を立てた。N大佐は離反者とともにシェルターで電撃的な離反を開始し、N大佐から連絡があり次第、Zらが応援に地下に急降下することになった。
  UにもXにもM将軍の手に堕ちることへの不安や恐怖はあまりないようだった。UもXもN大佐とZが立てた計画がうまくいくことを確信していたからだった。Tや私にもその確信はあったのだが、彼女らの確信はより強かった。彼女らが得意とする客観的な思考の故にもてる確信だろう。彼女らは心配する周りの人々をむしろ心配していた。
  Uと私、XとTは、それぞれ一夜を二人だけで過ごした。TとXについては当然、プライバシーだ。私とUについては以下のとおり。あの懐かしいかつてのUの研究室でウサギRを抱きながらUはさすがに多くを語らなかった。何か考え込んでいるようだった。Uのような毅然とした人間にもそれなりの葛藤があるのか…などと私が考えているとき、Uは言った。「不変遺伝子手段を無効化する手段を開発することは可能だわ。だけど、それも不変遺伝子手段でしかない。それを無効化する手段も不変遺伝子手段でしかない…と続く。だから、不変遺伝子手段は全廃するしかない」と。私は心の中でつぶやいた。「そんな手段をこんなときに思いつくとは…何てヤツなんだ。もし今回の作戦がうまくいかず、UがM将軍に利用され、全体破壊手段の開発を強要されたら…」
    さらに、Uは「今、私が言ったことはあなたも聞かなかったことにしてね」とあっさり言う。私は何も言えなかった。今夜はUにとっても世界にとっても私は必要ないと思った。
  次の夜、人質交換が始まった。UとXがシェルターの入り口に向かうときには世界中のマスコミがカメラの放列を作っていた。どこからこの件を嗅ぎつけたのかと思った。確かに歴史的瞬間であることに間違いはない。ライトが何重にもなり彼女らは本当に眩しそうだった。何重もの光の層を通って、まずUが、十分後にXが地の果てに去って行った。二人ともまるで「こんな所より地の果てのほうがマシだ」と言わんばかりに地の果てに走って行った。それだけだった。
  交換で解放された人々も映っていた。このときばかりは他人の幸せが目に痛かった。UとXならそれらの人々を見て喜んだかもしれない。私は当事者ではなく、当事者の一人の家族の一員に過ぎない。それを痛感した。

さらば友よ

  Zらはシェルターへ降りる準備で忙しい。Tと私はこの度の作戦の臨時の指令室の片隅に座って待った。予想したよりN大佐からの連絡が遅い。医療スタッフからは仮眠をとるよう勧められたが、眠れない。私もTも、「Mの野郎、ただの男と女がつかんだささやかな幸せまで取り上げることはないだろう。政治や社会とは関係ないだろう。おれたちがなんでこんな目に逢わなければならないんだ」というのが正直な気持ちだった。だが、冷静になるために、私とTは新たな交換条件を考えてみた。だが、どう考えてもM将軍が欲しそうなのはUとXでしかない。私のような思想史と科学技術史が専門の歴史学者が要るわけがない。世界革命追求者、民主的分立的制度追求者、全体破壊手段全廃予防追求者も要らないどころか邪魔なだけである。Tのような経済学者や社会権の保障の専門家も要るわけがない。要るとしてもその時はM将軍らが地上に戻ってから十年以上後である。全体破壊手段の開発者と情報技術者なら要るだろうが、それがまさしくUとXで、彼女たちを超えるそれらは世界のどこにも存在しない。
  そんな話をTと私がしているとき、N大佐から「地下の全員がM将軍から離反した。UとXを無事確保。M将軍は逃走中。私はM将軍を追跡する」との連絡が入った。Zらがシェルターへ急いだ。私とTも急いだ。
  シェルターの主要部に着くと、UとXが毛布にくるまって椅子に座っていた。私とU、TとXがそれぞれ抱きしめ合ってハッピーエンドというわけでは全くない。Xは「M将軍は逃走した。M将軍は全体破壊手段のコントロール室に向かっているだろう。そこには不変遺伝子手段はないが、核兵器はある」と言う。Uは「そのコントロール室は離反者が確保し全体破壊手段の不活化にとりかかっている。それはだいじょうぶ。だけど、N大佐が…」と言うが、言葉が詰まる。Xが「N大佐はM将軍を追跡している。N大佐が危ない」と言う。離反兵士の一人は「自分が同僚に『M将軍は新型の銃を持ってコントロール室に向かった』という話をしていると、N大佐はもう居なかった」と言う。M将軍は最後に私たちもろとも自爆しようとしている…わけがない。M将軍はそんな自己破壊的な人間ではない。今度は全体破壊手段を人質にしようとしているのだろう。N大佐はそんな精神状態にある男を追跡している。N大佐はM将軍を生きたまま捕らえようとするだろう。M将軍はN大佐を即、殺害しようとするだろう。N大佐が危ない。全体破壊手段のコントロール室は離反者だけでなく地上からの別部隊も確保している。だが、そこまでの通路が手薄だ。Zと私は他の十数名の地上からの兵士と離反兵士とともにその通路に急いだ。UとXは人間ドック入りのために病院に直行した。Tはそれに同伴した。
  私たちは懐中電灯で照らしながら通路を急いだ。その通路は迷路のようになっているが、離反兵士たちがてきぱきと先導してくれた。
  従来の銃声と表現のしようのない奇妙な銃声が聞こえた。私たちはさらに急いだ。暗い廊下の真ん中に人が一人、あおむけに倒れていた。N大佐だった。Zらはその先を急いだ。N大佐の従来型の防弾チョッキも胸骨も肋骨もぶち抜かれ、心臓の右半分はない。直径約10cmの空洞と血の池ができている。シェルターの壁や天井や床への損傷はないようだった。生体のみを破壊する銃なのだろう。M将軍は、シェルターを破壊しないようにそのような新型銃を使用したのだろう。それは自分の安全のためだったに違いない。N大佐の従来型の銃は廊下の床に投げ出されている。床を二、三本の赤色の川が縫っているが、もはや流れる血はほとんど残っていない。
  私もその先を急いだ。何者かが廊下の床を這いずり、その周りをZらが囲んでいた。M将軍だった。左の下腿を撃たれて血の跡を引きずっている。左下腿はひん曲がっている。恐らく、N大佐はM将軍の下腿を従来型の銃で撃ち生きたまま捕獲しようとした。M将軍にとってはN大佐を生かす必要はない。M将軍は倒れながらも新型銃でN大佐のど真ん中を狙って撃ち返した。N大佐にM将軍を生かす必要がなかったら、射殺されるのはM将軍だっただろう。Zらがその新型銃も従来型のサイドアームも既に取り上げていた。Zらは救急隊を呼び、臨時の止血に取り掛かった。M将軍は痛みに悶えている。止血のためにならない。救急隊が到着すると鎮静がかけられた。
  Zと私はN大佐のもとに戻った。N大佐はM将軍の独裁政権を倒す機会を狙って、M将軍をマークしてきた。そして今、それらを成し遂げた。それと同時に死んでしまった。共に喜ぶことも悲しむことも、何もできない。振り返るとZは敬礼していた。Zにとっても敬礼などという古典的なものをするのはこれが最初で最後だろう。
  敬礼を終えた後、Zは悔いて、私に「N大佐に『人質や自分や部下に身の危険があったり、全体破壊手段使用の危険があれば、M将軍を殺害してくれ』と言っておくべきだった」と呟いた。それが人質事件における究極のジレンマだろう。警察と軍の分立と連携については前述した。この件に関しては、警察が軍に指揮権を譲った。
  警察は、人質事件に比較的慣れているから、そのジレンマの処理方法を既に確立しているか、それぞれの事件ごとに処理方法を前もって決定しておくのだろう。それに対して、軍は人質事件に慣れていない。警察は指揮権を軍に譲るにしても、少なくとも処理方法を前もって決定しておくようアドバイスする必要があった。そういう意味での連携は必要だった。
  かくして、M将軍は生き残った。N大佐はある方法で彼の命を護って死んだ。Zも別の方法で彼の命を護った。数か月後には、私がその命を最大限に活かすことになるだろう。
  Zらは、警察と連携して、全体破壊手段のコントロール室を含めてシェルターの捜索を始めた。より詳細には、離反せず潜んでいる者がいないことの確認、全体破壊手段と新型銃を含む兵器の調査、N大佐殺害の証拠収集…などと、何より全体破壊手段の不活化を行った。例の全体破壊手段全廃予防機構はその不活化を確認することになる。その機構の専門家が既にこちらに向かっている。また、この国の例の機構のO元参謀らもこちらに向かっている。

復讐心や恨みを越えろ。被害者や加害者のためではなく、自分のために生きてくれ

  Zらより一足先に、私は地下で離反した兵士の大部分と共に地上に向かった。地上の内部隠密離反者と違って、彼らは閉塞感を長時間耐え抜いた。地上に着くと夜明け前だった。25YY年の初冬、吐く息は少し白い。さすがにシェルターのすぐ近くに高層ビルはない。東から西へ空色が紅色、薄紅色、水色へと変わっていく。桃色の雲が流れる。地上に生還した兵士たちへの賛歌にも、地の果てで朽ち果てたN大佐への挽歌にも見える。別のことも思い出した。あの時、こんな空を見上げたが、あれは夕方で、親友を失う前だった。この時、あんな空を見上げたが、これは朝で、親友を失った後だった。完璧な対象だ。そんなことを考えるとは、一瞬、頭がおかしくなったのではないかと思った。
  兵士たちも、N大佐のことを思い、地上への生還への喜びを率直に表現できないようだ。家族がいる者は密かに連絡している。連絡する家族も親戚も友達も恋人もいないという独り者が意外と多くいて集まっている。友達や恋人は、外部ではなく同僚の中に居るのだろう。この頃の性は、20XX年以前のものを超えて、ますます多様になっている。そのようにして集まる人々の中には上官も混じっている。もはや階級や新旧の性は関係ないようだった。私には男性と思われる若い兵士が言う。「地の果てはもう飽きたから、次は宇宙の果てまで行こうぜ」  ようやく笑みが漏れ歓声に変わる。周りの人々は不思議そうな目で見ている。私には女性と思われる兵士が「家族がいる者には分からないだろうな」とつぶやく。
  M将軍の身柄が地上に出て、救急車までストレッチャーで運ばれている。私はその方向に向かった。Zらと警察官が警護する。まだM将軍には鎮静が効いている。もちろん生きている。市民もシェルター周辺に来ていて、今、M将軍に罵声が飛んでいる。
  そのとき、刃物をもつ女性が割り込んできて、M将軍の腹部を刺した。その女性にはZらも油断したようだ。Zらが女性を制止する。女性はM将軍に鎮静がかかっていることも知らず「子供まで殺すことはないじゃない」と叫ぶ。市民からどよめきが上がる。同伴の救急隊が刺し傷を見て「傷は浅い」と言う。刃物はM将軍をくるむ毛布と衣服を僅かに貫いただけのようだ。M将軍は僅かに呻くだけで、鎮静から覚めることもない。
  その女性をよく見ると、M将軍に娘を殺されたと言っていたあのQPだった。Zもそれに気づいたようだ。警察の上官が「組織の変革のため、今は検察・警察も忙しい。変革の支障にならないでくれ」と言う。QPは彼を見るが、理解ができなかったようだ。私はQPに「復讐心や恨みを超えろ。被害者である娘や加害者であるM将軍のためではなく、自分のために生きてくれ」と言っていた。QPは私を見た。しばらくしてうなずく。ビルの窓ガラスで反射した朝日でQPの眼と頬の涙が輝く。ZはQPに刃物を返す。果物ナイフだ。血が先端に僅かに付いているだけだ。刃の根元にはリンゴの皮のかけらさえ残っている。QPは、ポケットから鞘を出し、ナイフを入れ、ポケットにしまった。市民のうち初老の男性が「俺は何も見てないぜ」と言う。他の市民もうなずく。QPは去ろうとした。市民は道を開けている。若い警官が彼女を追おうとしたが、あの上官が止めていた。
  私はあのような言葉を反射的に言ってしまった。言葉の内容に間違いはないと思う。だが、復讐心や恨みを越えて自分のために生きるには長い年月が要るだろう。わたしもそうだろう。あのような言葉をあの段階で被害者家族に言うのは、時期尚早だろう。あのQPは受け止めてくれたが、あのような言葉は早急に吐くものではないと思った。
  それにしても、私は、両親やP教授やN大佐をM将軍らのために失ったにも係わらず、何故、彼らに復讐心や恨みをあまりもたないのだろうと思った。彼らを生かしておいて精神的苦痛を味あわせるのが最大の復讐だなどという複雑な心情はない。多分、今まで世界革命、民主的分立的制度の確立、全体破壊手段の全廃予防…などに集中していたからだと思う。そんな集中がなかったら、私もQPと同様になっていたかもしれない。復讐心や恨みと戦うことを免れたのだから、私は幸運だったのかもしれない。
  また、以下のような思考も復讐心や恨みを減退させていたと思う。M将軍らの独裁の根本的な原因は、独裁という政治制度の存在を許した私たちにある。私たちが数世紀、早く世界で民主的分立的制度を確立していれば、独裁、戦争、弾圧、虐殺、暗殺、拉致、拷問、人為的飢饉、自然災害とパンデミックの人為的深刻化…などはなかっただろう。「罪を憎んで人を憎まず」の表現法を借りれば、「政治制度を憎んで独裁者を憎まず」である。結局、私たちがまず改革する必要があるのは、人間や社会や国家や国際社会や政治や経済や経済体制や権力そのものではなく、政治制度である。
  結局、グループG、暫定政権、新政権は、M将軍を除くすべての旧政権の人々を赦免してしまった。それはA国に限らず世界的傾向である。数か月後には、新政権は赦免ついて、犠牲者遺族からの批判を被るだろう。その批判に対してどう応えるか。ちょっと難しい課題を新政権に残してしまった。だが、離反を促し無血革命を達成するためには、離反者に限って、旧政権中の罪を問わず、赦免する必要があった。結局、その赦免のおかげで離反が続出し、世界無血革命が達成されたのである。革命の実質では確かに無血革命だった。その実質の前後でP教授とN大佐の血は流れてしまったが。
  さて、M将軍はさしあたり救急病院に入院した。N大佐の葬儀はM将軍から離反しN大佐についた離反者らが中心になって軍で挙行された。Zは当然、軍長官として葬儀委員長になった。X、T、U、私も出席した。Uと私はその後、すぐにEC市の全体破壊手段全廃予防機構に戻った。以下はその機構の事務総長として聞いたことである。M将軍について、左脚の膝から下に義足が入った。義足、義手、人工関節を含む人工臓器そのものとその装着技術とリハビリ技術はますます進歩していた。一か月も経てば普通に歩けるようになるだろう。また、リハビリの間にA国の警察と検察が、M将軍の大規模弾圧と幾多の虐殺、暗殺…などについて取り調べ起訴することになった。その後でM将軍は、全体破壊手段全廃予防機構に移送され、全体破壊手段の使用未遂について取り調べを受けることになった。その機構と暫定憲章ができる前の犯罪については起訴できないが、その後の犯罪についてはその機構の司法権(現在、形成中)に起訴できる。その起訴の後で、M将軍はA国に送還されA国の裁判を受けることになった。いずれにしても現代に死刑はない。M将軍のA国での終身刑は確定的である。A国での刑罰が実質になるだろう。

生きていた

  解放されたかつてのいわゆる「政治犯」、少し前の「人質」の多くは、家族や友人と再会しつつあった。だが、囚われている間に向精神薬で鎮静をかけられていた人々は身元さえ分からず、臨時の施設に収容されていた。だが、その鎮静も切れてきて、次第に身元が判明しつつあった。私はそれらの人々の名簿に目を通した。
  あった。生きていた。あの男子学生が作ったドキュメンタリーの中のあの女性の息子が生きていた。私はすぐに学生を呼んで一緒に、息子が収容されている施設に行った。
  息子は四十代。まだ、鎮静が効いていてベッドに横たわるが、話ができる。以下のことを語る。学生はカメラを回している。

徴兵を拒否すると、大変なことになる。自分だけでなく母親らも。表向きは穏やかに出征した。基地に入って初めて、戦況が非常に苛酷であることを知った。戦死者の棺が我々のベッドより多かった。さらに、戦死者よりジャングルでの遭難者のほうが多いことを知った。同僚になった徴収兵たちと密かに計画を練った。自国の軍から脱走する計画を。深夜に基地を抜け出してジャングルをさまよった。それは戦闘より苛酷であることに気づいたが、なんとか進んだ。朝日が昇った。なんとかなると思った。だが、A国の基地からさほど離れていなかった。A国軍に見つかった。他の仲間は銃を持っていたためその場で射殺された。自分は銃を持っていなかったので、生かされた。A国に送還され、政治犯として拘束された。

  M将軍の前の独裁者も相当なヤツだと思った。将来の人質の必要性をわきまえ、危険でない人間を生かしておいたのだろう。M将軍はそれを引き継ぎつつ新たに補充したわけだ。だが、それらは息子にも学生にも言わなかった。私は学生とともにあの母親の家まで息子を送って行った。
  家の戸口をくぐると、母親は学生と私にすぐ気づいたが、息子を数秒見つめていた。息子が母親に近づく。母親は大粒の涙を垂れ流しにして息子の顔を、頭蓋骨の中まで本物であることを確かめるかのように、つかむ。息子の顔は歪む。息子は笑いながら泣いている。二人とも何も言えない。学生はカメラを回しているが、手が震えている。後で見ると、映像も少し震えていた。しばらくして母親はカメラに向かってニヤッと笑って言った。「やっぱり生きていた」
  帰り道、学生は「あのニャッとした笑いは余計だ」と、あの部分を削除しそうだった。私は「あれがいいんじゃないか。あれが庶民のたくましささ」と、削除しないことを勧めておいた。また、息子のその後の生き方を追いかけることを勧めておいた。平和主義にしても何にしても自由に語れる時代が来た。
  一年後、学生は放送局に就職しレポーターになった。五年後、息子は教員免許を取り小学校の教員になった。その教員の授業をそのレポーターは撮っていた。教員は生徒たちに自分の体験を少しばかり挙げて「何もしないことが最善の生き方であることがある」と語っていた。私は「であることがある」と言うのはさすが平和主義者だと思った。だが、小学生には理解するのが難し生き方もしれない。また、小学生には消極的な生き方は示さないほうがよいのかもしれない。実際、生徒の親からそんなことを生徒に言った彼に対する批判が少し出た。
  私は思った。「権力疎外」は一般市民にも十分可能だが、離反や権力相互暴露は一般市民には無理がある。だが、少なくとも戦争や独裁に加担したり協力したりせず、表立って反抗したりもしないことが一般市民にとっては最善の生き方だろう。実際、あの母親も息子も生き延びた。もし、徴兵を拒否していれば、母親も息子も生きていなかったかもしれない。もし基地から逃走せず、戦闘に参加させられていれば、息子は戦死していただろう。もし銃を持って逃走すれば息子は射殺されていただろう。もし活動的で有力な反戦または反政府論者と見なされれば、息子は捕獲後、即、殺害されていただろう。もし表立って息子は生きていると主張し息子を探せば、母親は暗殺され息子は殺害されていただろう。
  だが、それらはもはや過去の弊害に過ぎない。民主的分立的制度が確立された今となっては、市民は権力や権力者に対して何を言ってもよい。

亡くなっていた

  私とUがEC市のあの機構の職員寮への引っ越しの準備をしているとき、Uのあの養母がやってきた。Uの実母が亡くなったと言う。まず、Uの動きが止った。Uの実母というのは、あの遊び歩いていた女性のことである。Uの養母と実母は遠い親戚であるが、幼馴染みでもあって、よく行き来していた。養母はUに言う「お母さんは体の調子が悪そうだったけど、医者に行かなかった。以前から医者嫌いだった。しばらく見ないので、不安になってアパートまで見に行くと、亡くなっていた。血を吐いたようだ。血は黒く乾いていた」と。Uも私も返す言葉がない。養母は続ける。「本当はお母さんずっとあなたのことを心配していた。『医者の不養生にならなければいいが…』と。だが、『そんなことを言うと、子供が偉くなった後で態度を急に変える薄情な親だと誰からも思われる。わずかなカネを借りに行って、元気なUを見て安心することしかできない』とよく言っていた。お母さんはあなたが子供の頃からあなたのために密かに手袋やセーターを編んでいた。だけど、お母さんはあなたに渡せなかった。私は『そんな意地張らずに渡せばいいのに』といつも言っていた。お母さんは『やっぱり自分みたいな人間は遊びの道をひたすら進むしかない』と言って遊びに出かけていた。検死で死因は食道静脈瘤破裂とのことだった。そういえば、最近、酒の量が増えていた。遊び疲れというより飲み疲れという感じだった。死亡推定時間はあの人質交換の前だった。新政権下での検死だから間違いはないと思う。お母さんの部屋を整理しているときこれらが見つかった」と養母は言って、手編みの子供用のセーターと手袋、数点をバッグから取り出す。手作りの透明な包装に入っている。養母は続ける。「あなたたちが付き合っていることが分かった後は、あなたたちの子供に要るだろうと編んで綺麗に包装していた。包装を開けずにそのまま持ってきた。全部、お母さんの手作りよ」と言って、Uにドサリと手渡す。リボン付の包装も中身も三歳から十歳ぐらいの女児が喜びそうだ。Uはそれらを手に取り最初は「かわいい」とつぶやいていたが、やがて涙が包装を濡らし始めた。
  Uはそれらのセーターと手袋を元の包装に入れたまま「子供に着せる」と引っ越しの荷物の中に入れていた。結局、同年配または年下の者への対人情動として、実母は(1)性的欲動(2)恋愛(3)友情(4)配偶者に対する愛情(5)子供に対する愛情(6)孫に対する愛情のどれも豊かな人だったのだろう。(1)-(6)のどれも満たせたらよい。だが、それは非常に困難なことである。人間はそれらのいずれかが満たされないとき、(1)-(6)の中の他「で」または「に」、または、(1)-(6)以外の何か「で」または「に」代償または没頭するのだろう。例えば、(1)(2)を(3)で代償する人はいるだろう。また、(4)を(5)で代償する人はいるだろう。また、遊びや趣味や仕事に没頭する人はいるだろう。
  Uの実母は(1)(2)をかなり究めたと思う。一般の(1)(2)についても書いてみたいと思ったが、私には(1)(2)を捉えて書くだけの経験も能力もないと思った。
  U、Uの養母、養母の実子二人、私はささやかな葬儀を執り行った。遺骨はEC市の職員寮に持って行くことになっている。公営の葬儀場兼火葬場の小さな一室を借りた。その建物は小高い山の落葉樹の中に建っている。昔ながらに煙突はあるが、煙は見えない。煙の微粒子は除去されているのだろう。煙突より木立のほうが高く見える。木枯らしが吹き抜ける。冬の太陽が樹々の細長い影を乾いた土の道に投げかける。それらの影も揺れている。葉を落としていても樹々の生命が際立った。
  棺は火葬用で木製だが、ささやかな金属やプラスチックの飾りがある。注文しておいた花を棺に入れた。U以外は早く花で遺体を覆おうとした。だが、Uは顔の部分を露わにしていた。考えてみれば、医者は遺体の顔を見ることに慣れているはずだ。最後にUはその顔を数分、見つめていた。Uといえども三歳以前の出来事の記憶はないはずである。さらにUの場合、実母との母子関係はほとんどなかったはずである。Uはそれを創造しようとしているのかもしれない。なかったはずの母子関係を心的現象として現れるものの中で創造しようとしているのかもしれない。Uには養母も実母もいる。表れ方は異なるが、二人とも愛情は深い。Uは「母親が二人もいるなんて自分は幸せ者だ」とよく言っていた。だが、そんなに単純に割り切れるものではないと思う。だが、自分の親に孝行できなかった私がそんなことを考えるのはおこがましい。病院で見た私の両親の遺体が甦って来る。そして、両親に親孝行をできなかった悔いがこみ上げてくる。親が残されている人々に「俺は親孝行できなかった。それがつらい。お前らは親孝行しろよ」などと言うのはおこがましい。また、「他人の親に孝行することは自分の親に孝行していることになる」などと思うのもおこがましい。悔いは悔いだ。取り返しがつかない。それが悔いだ。Uにはそういう悔いはないように見える。そういう意味ではUは幸せ者だと思う。いずれにしてもUの今の心境は私などに推し量れるものではない。しばらくして、Uが棺の蓋に手を伸ばしたので、五人の手で二度と開くことがない扉を閉めた。

二十一世紀の乗り越え方

  Uと私が再びE国EC市の全体破壊手段全廃予防機構に発つときには、あのXとTが空港まで見送ってくれた。別れ際、UとXは抱きしめ合って泣いていた。この頃の飛行機は世界の主要都市に数時間で行け、度々、帰って来れる。Tも私も彼女たちの大袈裟さに笑わずにはいられなかった。だが、共に地の果てに降りて生還した彼女たちには他には分からない感慨があったのだろう。笑ってはいけないと思った。
  離陸後の上昇は急なはずだが、あまり加速度や傾きを感じない。Uは座席で早くもすやすや眠っている。太陽は既に沈んでいる。Uのシルエット越しに窓の外を見ると、濃紺の空が透き通っている。地平線か水平線はかなり傾いて見える。ここで初めて上昇していることが分かる。いつも思うことだが、物理学の法則に平衡感覚などが順応し、視覚が取り残されているのだろう。
  私とUとウサギRはE国EC市の全体破壊手段全廃予防機構の敷地の臨時の職員寮に移住した。憲章について、私たちが練った草案が、Vらによってさらに練られ、内容が分かりやすいものになり、委員会に提出され審議され可決された。私が戻って、総会での審議があり可決承認され、実施に移された。また、暫定理事国と暫定事務総長と機構の仮称は正式なそれらになった。それらはもちろん総会で決議された。
  その後、VはB国に帰った。Vは「もっと一般市民に分かりやすく書かなければ駄目だ。書き直すのにちょっと苦労した」と言っていた。P教授の書いたものは難しい文章で書かれていたが、私もそうだったようだ。これは難しい課題だと思った。
  そして、革命から半年もたたない25YY+1年1月20日に全体破壊手段は全廃された。かつての保有国は競って全体破壊手段を廃棄・破棄していた。そのような一斉で急激な廃棄の査察に全体破壊手段全廃予防機構は何とか対応できた。最後の全体破壊手段は核兵器でB国に残った。その「信管」と呼べる部分を破壊する映像は世界に放映された。「あまりにもあっけない」と思われるかもしれない。その通り。全体破壊手段の全廃はこんなにも簡単だった。前述の「一方的廃止の積み重ね」の力が確証された。
  ところで、私は歴史学者としての文献の発掘の仕事も続けている。二十一世紀の第三次世界大戦の前にも私たちが実行したような方法の模索があった。だが、それらの模索は二十一世紀の現実を通り超えて、先取りし過ぎていた。それらはせめて走りを二十一世紀の現実に根差したものにする必要があった。例えば、国益のためになるように見えるが実際はそうならない政策で大衆を煽ることの危険を取り上げるべきだった。また、タイトルを『二千年代の乗り越え方』ではなく『二十一世紀の乗り越え方』にしたほうがよかった。すると第三次世界大戦と地上の人間の絶滅を防げたかもしれない。
  民主的分立的制度が確立され、全体破壊手段が全廃された今、つくづく思うことがある。あの少女の父親は「人間が生じる不必要で大規模な苦痛をできる限り全般的に減退させて、地球や太陽の激変のときまで人間または進化した人間を含む生物の生存を確保したい」「そのような欲求を満たし目的を達成することは全く不可能なわけではない」と言った。その願望と目的と推測は現実になったし、現実であり続けるだろう。つまり、二千年代を乗り越えるどころか、「地球や太陽の激変のときまで」の生存は可能だろう。何故なら、民主的分立的制度が確立され全体破壊手段が全廃された今、そのような生存を妨げるものが何もないからである。当然、人間は進化するだろう。だが、進化することに抵抗する者はあまりいないだろう。

全体破壊手段の全廃と予防の必要性

  さて、機構の敷地の片隅に臨時の職員寮が建っており、その一室に私とUとウサギRは住んでいる。Rのケージも持って来た。私たちが仕事に行っている間はRにはそのケージに居てもらった。もちろん、餌と水を入れて行く。私たちが徹夜残業しても十分にもつようにしている。今は機構は査察のための技術と機器の開発が急務である。だから、科学者技術者が忙しい。私よりUのほうがはるかに忙しく、私が先に帰って来てRをケージから出してやることが多い。トイレには自主的にケージに入る。私にも多少はなついてきた。
  全体破壊手段全廃の数日後にM前将軍はA国の病院での治療、リハビリ、A国の警察・検察の取り調べと司法権への起訴を終えてこの機構に護送されてきた。A国での警察・検察の取り調べと起訴について簡単に述べておく。表立った弾圧、虐殺等について、Mはそれが自分の命令によることを認めざるをえず、起訴された。それに対して、暗殺についてはMは自分は命令していないと主張した。だが、離反したあの暗殺部隊を含むMの元部下が自分たちの行動はすべてMの命令下にあることを立証した。結局、P教授、AT街のQPの娘のものを含む近年の暗殺のほとんどについてもMは起訴された。私の両親のものを含む十年以上前の暗殺については、証拠・証人無で起訴されなかった。この機構での全体破壊手段使用未遂についての取り調べを受けた後にMはA国に送還され、A国の裁判を受ける。現代の死刑のない世界ではA国での終身刑は確定的である。
  この機構の司法権の建物は建設中である。だが、臨時の拘留所はできていて、Mはそこに収監された。臨時だがよくできた拘留所で私たちの職員寮より豪勢だ。もちろん、厳重な警護付きである。Mが逃走することもMが襲撃されることも防がなければならない。この頃にはMの面接が私の職務の一割程度を占めていた。Mは面接室には手錠をされて入って来る。この頃は手錠もかなり進歩していて、被拘留者に不自由はほとんどない。痒い目や耳や背中も自由に掻ける。コンピューターさえ支給されれば文筆活動も自由にできる。
  さて、全体破壊手段使用の動機について、現代において死刑はなくA国に送還された後は終身刑は確実だから、Mは何も隠すことなく語る。「正直言って、全体破壊手段を使用することには葛藤があった。自分が使用した全体破壊手段が偽物であることが分かったときは、正直言って、ホッとした。だが、そのような感情はすぐに移ろい、いつもの自我が勝った。シェルターに降りる前から、自分の権力が危ういなら、戦略的にシェルターに潜って、全体破壊手段で地上の人間を絶滅させ、その後で戻って地上を支配しようと思ってきた。シェルターに潜った後も、そのような自我は変わらず、今度こそUに本物の全体破壊手段を開発させ、Xにはシェルターから地上の人間の行動を監視するシステムを構築させるという戦略が加わっただけだった」と語る。二十一世紀の地上の人類の絶滅の前にも、同様を自我を抱える権力者がいた。Mの場合は、葛藤伴い実際にシェルターに降下しながらも、その自我は色褪せていない。いずれにしても、地上の人間を絶滅させてでも自分の権力を維持拡張しようとする自我がある。ここで私たちは狂気だと目を反らしていていいのだろか。
  そのような自我を認めて語れるのはMだけかもしれないと私は思った。Mは自己の悪循環に陥る傾向にも直面できるかもしれないとさえ思った。ところが、その後、世界の独裁者の何人かが同様の自我を認め異なる方法で語った。例えば、B国ではあのVがあのBP元大統領と面接しており、BPが分かりやすい方法で語った。

世界の独裁者たちが、表立ってではなく暗黙の裡にこんなことに合意していたことは確かだ。

誰かに全体破壊手段を使わせてその者を極悪人にする。自分たちはいち早く地下のシェルターに退避する。その者に地上の人類を絶滅させてもらう。自分たちはその後で地上に戻って地上を支配する。地下に退避したものだけが生き延びて、人口は激減している。だから、環境と資源はすぐに回復し、何世代も豊富であり続ける。だから、互いに争いは生じない。かといって互いに協調する必要もない。それぞれが好き勝手に地上を支配できる。これこそが地上最後の楽園(PARADISE)だ。

それらはBP大統領がVに認めたことである。繰り返すが、それらは表立ってではなく、いわば「無意識」的に、暗黙のうちに合意されていた。20XX年の地上の人類の絶滅のときもそうだったのではないだろうか。25YY+1年にはその暗黙の合意を何人かの独裁者が認めた。
  ここで私たちは「恐ろしい」「人間ではない」「狂気だ」…などと目を反らしてはならない。私たちが直視する必要があのは以下のことである。
  権力者は何を考え何をするか分からない。いやより正確には、人間は権力を握ると何を考え何をするか分からない。権力を握った人間が専制へと走り、人々を弾圧し虐殺し戦争を繰り広げる…などはよくあることで、人間の性だ…などということは、科学技術が発達せず、全体破壊手段がなかった時代に言えたことである。現代では権力を握った人間は科学技術、全体破壊手段を乱用して何を考え何をするか分からない。だから、私たちは、前述の

選択的破壊手段-SMAD-権力疎外-権力相互暴露と国家権力のL系とS系への分立による軍官学産複合体の解体による一方的廃止の積み重ね
によって、全体破壊手段を全廃し予防する必要がある。また、自由権と民主的分立的制度を確立維持して、独裁者の出現の可能性を絶つ必要がある。
  それらを私は、この機構の総会でMとの面接の中間報告する中で再確認した。

世界機構を自由権と民主的分立的制度を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)へ分立すること

  全体破壊手段全廃予防機構において、その憲章、機構の構成、査察の概略、軍事制裁・経済制裁の可否…などについて最終的な決定を下すのは総会であり、総会は自由権と民主的分立的制度を擁護する法の支配系(L系)の立法権(L議院)に相当する。軍事制裁の詳細を決定し軍を構成し指揮官を指名するのは理事会であり、理事会はL系の立法権(L議院)の委員会またはL系の行政権に相当する。事務局は武力をもたないが、査察を行い、L系の行政権に相当する。今後はまず総会の世界市民による直接選挙が必要だろう。だが、国家の代表も必要だろう。すると、総会を世界市民の直接選挙によるものと国家の代表から構成されるものに分立する必要があるだろう。さらに、事務総長の世界市民による直接選挙、理事会の委員会的なものへの格下げ…なども必要だろう。国際機構または世界機構には発展または改善すべき点がいくらでもある。
  過去には国際機構はあくまでも国家の代表による「国際」機構であり、考えられる構成要素は、国家の代表による総会とそれによって選出される理事会、事務局、委員会だけだった。国家が構成する「国際」社会という「縦割りの構造・動態」しか念頭になかった時代にはそれに無理はないのかもしれない。国際機構とは、基本的に国家を単位として、国家から構成される機構である。それに対して、国家から構成されない部分が優位である機構を「世界機構」と呼べる。例えば、世界市民の直接選挙による部分が優位な機構は世界機構と呼べる。
  世界の市民と世界の権力者の間の横割りの構造がある程度、根付くと、世界市民による国際機構の直接選挙と、国際機構の世界機構への発展が可能になる。
  他方、世界の市民の自由権、政治的権利の擁護と社会権の保障を含む多くの機能をもつ広汎で多機能の国際または世界機構の可能性が見えている。
  それとともにそのような機構の独裁、全体主義…などへの暴走の可能性が見えてくる。わたしたちは国家権力の暴走の恐ろしさを身をもって体験してきたのだが、国際または世界機能の暴走の恐ろしさは想像を絶する。ここで、自由権、政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む従来の権力分立制、法の支配だけでなく自由権と民主的分立的制度を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)への分立でもって、広汎で多機能の世界機構を抑制し、その部分に相互抑制させる必要性が見えてくる。世界機構のL系とS系への分立は、国家権力のそれとほとんど同じであり、可能である。つまり、世界機構のL系とS系への分立は必要であるだけでなく可能でもある。だが、その必要性は、広汎で多機能の世界機構の必要性が見えてきた場合に限られるように見える。だが、その必要性が見えるまで待っているのでは遅いかもしれない。その本物の必要性が見える前に、誰かが偽の必要性を捏造し、巨大な国際または世界機構を構築し、独裁、全体主義…などに暴走する恐れはある。だから、その必要性が見えて来る前に、自由権、政治的権利を含む民主制、三権分立制とL系とS系への分立を含む権力分立制、法の支配でもって、国家権力だけでなく広汎で多機能の世界機構を抑制し、その部分に相互抑制させる必要性と可能性を世界の市民が理解しておく必要がある。

悪循環に陥る傾向を回避し取り繕う傾向に直面すること

  権力への上り坂や絶頂では、ほとんどの権力者は滅多に自己に直面しない。だから、市民は権力者への抑制を徹頭徹尾、緩めてはならない。それに対して、破滅した後では、かつての権力者が自己に直面することがある。さらに、私たちの参考になることを言うことがある。それを私たちが活かせることがある。
  Mは次第に個人的なことも語るようになってきた。ある日、Mは「私に父はおらず、母親には愛情がなく、強烈な干渉と極端な放置が入れ替わり立ち替わりしていた」と言い、私が予想した通りの独裁型陥る傾向の形成過程を語り始めた。ところがしばらくして、予想外の展開が始まった。Mは次のように語る。

そのようにして思春期までに陥る傾向の原型が形成された。思春期には模倣によって支配性と破壊性が強くなった。だが、それだけではない。

私はドキっとした。Mは続ける。

同級生や教師から「自己愛、強すぎ」「自己顕示し過ぎ」「ネチネチしている」…などと言われ。疎んじられた。私は自己の陥る傾向にどこかで気づいていたのだと思う。自己の陥る傾向が想起されると不安、自己嫌悪、恥辱…などの強烈な精神的苦痛が生じる。例えば、母親に愛されなかったために、いつまでも愛を求めて、粘着的になった、自己がやがて死ぬことへの不安におののいてその不安を鎮めるために、権力を獲得して振るうことによって何か偉大なことをすることによって歴史に栄誉を残したかったなどということは考えたくもないし人に知られたくもない。だから、思春期の私は陥る傾向がイメージとして想起されると、そのイメージを他の自己の美点と思われるものに切り替えて回避し取り繕っていた。自分は見た目はよくないが、体力は凄く知的能力は優れていた。実際にスポーツ万能で学業成績は悪くなかった。それは同級生や教師も皆、認めていた。そこで、そのような自分の美点のイメージで自己の陥る傾向のイメージを回避し取り繕っていた。そこで、私には自己の陥る傾向を回避し取り繕う傾向が形成された。だから、私は自己の陥る傾向に直面できなかった。だから、自己の陥る傾向全般が減退しなかった。陥る傾向の最大の原因は陥る傾向を回避し取り繕う傾向にある。それが最大の悪循環である。陥る傾向の主因は、母親の愛情と世話の希薄や年長者の模倣ではなく、思春期以降に形成される陥る傾向を回避し取り繕う傾向である。人間は何より陥る傾向を回避し取り繕う傾向に直面する必要がある。
    陥る傾向の主要な原因は、乳児期幼児期前半の人格の形成過程や母親の愛情希薄だという考えには納得がいかなかった。陥る傾向全般の主要な原因は思春期以降に形成される陥る傾向を回避し取り繕う傾向であることが分かって、納得した。母親の愛情の希薄による陥る傾向の形成過程は三歳以前のことであり、覚えていない。それに対して、思春期以降におけるその傾向の形成過程は昨日のことのように思い出せる。

とMは一気に語り、「これから、自己の陥る傾向を回避し取り繕う傾向に直面していく。その過程を書き留めたい」と子供がクレヨンと画用紙をねだるように言う。私は「A国に帰ったら書ける保証はない。この機構に居るうちに書いてしまってくれ。私がそれを出版する。印税はすべて、世界の勾留所や刑務所の福利厚生に当てる」と明言した。私はMにオンラインになりえない、また、凶器になりえないコンピューターを差し入れ、Mは章を書き終えるごとに昔ながらの外部記憶装置に保存して私に渡すことになった。
  次の日、Mは「俺は権力を追求した。お前(私)は権力に反抗した。俺とお前の違いはそれだけさ」と言う。私はそのときは同意した。だが、考えてみれば、私とMは異なる。Mは陥る傾向への直面は年齢的にかなり遅れたが、一旦、直面し始めると驚くほど速やかだ。
  その数日後にMは次のようなことを言った。

かつての自分のような独裁者は永続的で莫大な苦痛を生じる。生と死の限りない繰り返しの中で生まれ変わって、苦しめられると思うと、ゾッとする。だから、独裁者が出現する可能性を絶っておきたい。君たちはその一環として権力を民主化し分立し全体破壊手段を全廃した。まだ、やることがある。独裁者になる可能性がある人間が自己の悪循環に陥る傾向、特に陥る傾向を回避し取り繕う傾向に直面できるようにすることだ。今の俺にできることはそれだけだ。

と一気に言う。これに関する限りで、内容はあの少女の父親が書いたものに似ているだろう。他はMのオリジナルな考えだろう。
  私はMが生きていてよかったと思った。だが、そんなことを公に言うとMの幾多の犠牲者の遺族は私を非難するだろう。何より私も犠牲者の遺族ではないのか。それと私は、Mに暗殺されたP教授と殺害されたN大佐の友ではないのか。Mはそんな私の葛藤も汲み取ったようで、「俺も罪悪感なるものに苛まれることはある。だが、罪悪感や『せめて罪滅ぼしに…』などという動機からは新しいものは生まれない。生まれ変わってかつての自分のような独裁者に苦しめられるのはいやだ。だから、独裁者の出現の可能性を絶っておきたい」と言い、私が既に差し入れていたコンピューターに向かってタイプし始める。
  Mは単なる独裁者ではなかった。自身の残虐への罪悪感に苛まれるだけの者でもなかった。Mは自身の中の独裁者を克服した。しかも、それを克服する方法を後世に残そうとしている。もし、私が独裁者や罪人になったとしてもそうしたいと思う。もし、Mの情動と自我が変わったとしても、現在のものは賞賛できると思う。
  ところで、ほぼ同時に、B国のあのVもあのBP元大統領に対して面接を行っていた。BPもMと同様の過程を辿り始めているらしい。
  私について、そのようにMを讃えることについてのMによって殺された両親、P教授、N大佐を含む幾多の人々とそれらの遺族への罪悪感のようなもの(1)があった。また、当然、それらの人々を殺したMへの憎しみのようなもの(2)もあった。また、両親については、無意味な反抗をして苦しめてしまったことへの悔い(3)があった。P教授については、あの国際会議場の講演の直後にただちにZらとともにP教授を無理やりでも潜伏させていればあの暗殺を防げたのではないかという悔い(4)があった。N大佐については、Zがあのとき言ったように、人質や自分や部下の身に危険があったり全体破壊手段使用の危険があればMを殺害しても構わないという指示を明確に出しておくべきだったという悔い(5)があった。それとともに、もしN大佐がMを殺していれば、それらのMの著作はなかったという矛盾(6)があった。私にとって最も苦痛だったのは(3)(4)(5)(6)だったのだろう。そこで、私はそれらを(1)(2)で覆って取り繕っていたのだろう。まず、私は(3)(4)(5)(6)に直面していこうと思う。
  その数日後にMは言った。

支配性、自己顕示性、破壊性等が本当に強い人間は、至高の権力者でなければならない。より強い権力者に追従したり、同等の者と連携したりすることは、彼らにとっては屈辱である。だから、かれらは追従、連携しない。権力の巨大化とそれによる大量虐殺や戦争は、権力者の支配性、自己顕示性、破壊性等が中途半端で、追従や連携があるから生じる。この場合は中途半端が害悪である。だが、人間は中途半端で終わってしまう。実を言うと、俺も中途半端であり、追従、連携したことがある。だからはやり、支配性、自己顕示性、破壊性等は減退させる必要がある。

私はもはや感服せざるをえなかった。だが、それを中途半端に書かないほうがよいと思った。書くなら、「人間は中途半端で終わってしまう」より後の部分をもっと強調して書く必要がある、と思った。だが、結局、Mは忘れていたのかそれらを書かなかった。
  また、Mは宗教について次のようなことを言った。

権力者が永遠を求め自己を永遠化しようとしするとき、そこにまだ神がいると、権力者は神にさえも嫉妬して、自身が神になるか神を超えようとして、支配性、自己顕示性、破壊性等が強化されるかもしれない。神がいないときより神がいるときのほうが権力者が恐ろしい存在になりえる。神は人間が作り出したに過ぎないのだが、神にそのような弊害があるなら、今度こそ神を殺すべきなのかもしれない。

一瞬、私の思考が付いて行けなくなった。しばらくして思った。Mが指摘したような弊害は、権力者に限ったことではない。幼児期前半前思春期の人間において、自己がやがて死ぬことへの不安と自己永遠化欲求が大なり小なり形成されるのは避けられない。その後、人間は、あの少女がしたように、この現実の世界を超越したものを前提することなく、陥る傾向に直面しながら、その不安とその欲求を減退させていく必要がある。宗教は現実の世界を超越したものを前提にしているから、現代人はもはや宗教を完全に信じることができず、不完全に信じているだけである。そのような不完全さは、その不安とその欲求をむしろ増大させ、それらを減退させる上の過程を阻害する。だから、現代人は宗教を放棄したほうがよい。
  だが、宗教を放棄することは純粋心的機能の自由権に基づく。神や宗教を信じる、神になる、神を超える、神を殺す…などは、イメージの操作に過ぎず、純粋心的機能の自由権に基づく。それらの観念を語り表現することは言論表現の自由権に基づく。それらの観念を語り表現する人々を弾圧したり虐待することは自由権の侵害である。
  それらを確認しておく必要があると思っていた。だが、結局、Mは著作の中で宗教には触れなかった。数か月後にはMの書いたものを私が出版した。あのときMに約束した通り、その出版に伴う純利益はすべて世界の刑務所の福利厚生費に自動的に振り分けられるようにした。筆者のMや出版者の私に対する批判は多少はあった。だが、著作の内容に対する批判はほとんどなかった。むしろ、賞賛が多かった。もっとも、その内容はあの少女とその父親が書いた手記、P教授がまとめた民主的分立的制度、心理学者がまとめた悪循環に陥る傾向への直面に近づいていた。だが、そうなったのは結果としてであって、Mはそれらの書籍を読んでそれらの内容を模倣したわけではない。また、大差がないのは内容であって、用語や文体はかなり違っていた。だから、結果として、Mが書いたものは、政治的経済的権力を追求しそうな人間に分かりやすいものになり、特に彼らの間で普及した。もちろん、私はMの著作を専門家に校正してもらい出版しただけで、その内容を変えていない。もちろん、書名もM自身が決めた。書名は『私を最後の独裁者にする方法』となった。
  Mが執筆を始めてしばらくして、B国のあのVの勧めによって獄中のBP元大統領も執筆を始めていた。Vが出版する予定らしい。以下はその原稿の一部であり、Vが私に送って来た。

私に支配性、破壊性、自己顕示性、粘着性、ナルシシズム、孤立性、自己がやがて死ぬことへの不安、自己永遠化欲求、権力欲求などの悪循環に陥る傾向が強烈に形成された過程は他の人間と大差ないと思う。ただ、私には男性と愛し合いたい、家庭を作りたい、子供を産み育てたいという情動と自我も強く残った。それとともに支配性、権力欲求などはますます強くなった。だから、それらが私の中で葛藤していた。軍の中での昇級は速かった。その過程で男性と恋に陥ることは何度かあった。すべて破綻した。その度に権力闘争に深くのめり込み、階級を昇りつめていった。過去に付き合った男性を失脚させたこともある。家庭をもち幸せそうに見える男女を追放したこともある。勤務中に家庭の話をした将校を即刻、解雇したこともある。本当は私は家庭での幸せを求めていたというのでは全くない。繰り返すが、私の中では権力の追求と家庭の追求が葛藤していた。私は自分の支配性、破壊性などの悪循環に陥る傾向が恐ろしかった。不安だった。だから、陥る傾向がイメージとして想起されると、家庭を求めながら家庭を作れない哀れな、可哀想な自分のイメージで、陥るの傾向のイメージを覆って取り繕っていた。そのときだけ私は自分を哀れで可哀想な人間だと思っていたのだ。私はそれらの葛藤を利用していたとも言える。今後、そのような悪循環に陥る傾向を回避し取り繕う傾向に直面して行くきたい。

それを読んで私は思った。BPの陥る傾向を回避し取り繕う傾向への直面は相当なレベルに達していると思う。だが、BPにとっては(1)権力、仕事、遊び…などを求める情動・自我と(2)愛、家庭、子供…などを求める情動・自我は葛藤するものでしかないようだ。(1)力とカネが欲しい、仕事がしたい、遊び回りたい、それとともに(2)誰かを愛したい、家庭を作りたい、子供が欲しい、そんな二種類の情動と自我が同時にあることは認めてよいのではないか。(1)と(2)の併存は認めてよいのではないか。さらに、(1)と(2)は必ずしも葛藤しない。また、(1)と(2)は、両立させようという努力なくても、自然と併存することがある。例えば、その自然な併存はP教授、V、Uに当てはまる。彼らは自分は(1)と(2)を両立させているとは思っていないだろう。
  また、(1)と(2)の併存を認めることは直面や受容というほど深いものではない。私たちは出くわす何物にも直面したり受容したりする必要があるというのでは全くない。また、繰り返すが、私たちは何が何でも自己に直面する必要があると言っているのでは全くない。自己の陥る傾向、特に自己の陥る傾向を回避し取り繕う傾向に直面する必要があると言っているだけである。
  MとBPは(1)と(2)は、必ずしも葛藤せず、両立させようという努力なくても、自然と併存することがあることがまだ分かっていないのではないか。A国の市民もB国の市民も許すわけがないし、MもBPも希望するわけがないが、MとBPが余生を一緒に暮らすようなことがあれば、面白い展開があるのではないだろうか。

人間は個人の記憶と個性の喪失さえも乗り越えてきたのかもしれない

  その夜は私はいつもより遅く家へ向かった。職員寮は機構の敷地の隅にあり近いが、屋外を通ることになる。この日の昼はこのあたりでは珍しく雪が降った。まだ建設中の道や建物も、見慣れていたが、雪が積もると新鮮だ。寒いが、身が引き締まる。まだ舗装されていない道で新雪が踏める。このサクサク感は現代の都会では滅多に味わえない。新しくできる機構のスタッフの特典だと思った。前には街灯で照らされた新雪の道があり、振りかえると私の足跡があった。
  夜空は晴れているが、機構は大都市の中にあるので、星は見えない。そう思っているとき、金星(ビーナス)は見えた。都会でも金星だけは見えるのだろう。

だが、その明滅が止り、持続的で不気味な光に変わった。金星ではなかった。迫ってくる。ぐんぐん迫ってくる。ミサイルだ。

などという急展開がある映画や小説の筋を練ってみた。二十世紀のサイエンス・フィクションのようなものがまた流行るだろう。この度の世界革命も多少、脚色されて映画化されるかもしれない。私などよりZの視線で描けばもう少しスリリングなものになってよいかもしれない。UやXやVやWや、はたまたMやBPの視点で描くのもいいかもしれない。数か月前までの世界では、私やUやZ、X、T、Vも含めて人間は、そのような冗談や虚構を言ったり表現したりする余裕がなかった。その余裕がある時代が来たことは喜んでいいことだと思った。
  職員寮に近づくと、明るい光の中で吐く息が白いことが分る。窓の灯が増えてきた。新しい機構ができつつあることが実感できる。
  私たちの家の扉を開けると食べ物のいい臭いがしている。いつもと違って暖房が既に効いていて暖かい。キッチンに行くと、Uが水を使いながら子供の頃に作ったという歌を口ずさんでいる。テーブルの上にはUにとって精一杯の手料理が並んでいる。Uが透き通った声で言う。「私、妊娠したわ。産前産後は産休をもらうね。多分、秋頃」  あのウサギRが耳をピクっと立てる。私は思わず子供の頃に流行って今は廃れた成功や勝利を表すポーズをとってしまった。そんなポーズをとったことは思春期以来なかった。Uには笑われた。
  二人で食べた。私の心臓は踊っていた。味蕾はほくそえんでいたかもしれない。野菜はRにも少し分けてやった。不思議そうな顔をして食べていた。Uが流産するといけないなどという老婆心が沸いて来た。Uはまだ動きたい様子だった。だが、Uが医者だということを私はすっかり忘れていたようで、早く寝てもらった。洗い物をしながら次のようなとりとめもないことが思い浮かんだ。
  あの少女は「わたしたちのそれぞれは、記憶と個性の喪失または個性の喪失を繰り返しつつ、入れ替わりながら永遠に生きる…それらのことを知るとき自己がやがて死ぬことへの不安は減退する」と言う。確かにその不安は減退する。人間を含む記憶をもつ動物が甘受する必要があるのは記憶と個性の喪失だけだ。それ以外は乗り越えられる。実際、人間は独裁、全体主義、全体破壊手段…などを、完全とは言えないが、少しは乗り越えてきた。また、固まったり偏ったりした思考や観念は捨て去って、ゼロから考えるほうがよいかもしれない。だが、やはり記憶と個性の喪失はつらい。記憶と個性の喪失は、特定の人との完全な離別でもある。私が死んだら、Uや胎児やRと別れることになる。それはつらい。生まれ変わって別の人と出会ったとしても、Uの個性はない。Uと出会ってUの個性を知った後では他の人間は愛せないと私は思っている。それが愛というものなのだろう。Rが私に少しはなついたのも、Rにそれなりの記憶があるからだ。Rが死んだらそれもなくなる。それも寂しい。私が死んだら、父や母やP教授やN大佐との思い出も消えてしまう。それは寂しさを通り越している。両親は他の系の惑星の過干渉な両親の下に生まれて反抗しているかもしれない。P教授やN大佐は他の系の惑星の独裁制の下に生まれて、権力を民主化し分立すうために潜伏しているかもしれない。だが、そんなことを言うと誤解を招くだろう。あの少女とその父親が言いたかったのは「輪廻転生」や「因果応報」とは異なる。少女はあくまでも現実の世界での限りない生と死の繰り返しを語る。父親は現実の世界を変えようとしている。現実を変えようとすると、平和なときでも生きる力が湧いて来る。民主的分立的制度の確立と全体破壊手段の全廃の後、もし、変える必要がある現実がなかったら、私はたまらなく空しくなっていただろう。UやX、Z、V、T…などもそうだろう。国際機構の世界市民による選挙が視野に入ってくると世界機構が見えてきて、まだまだ変える必要がある現実が見えるてくる。前述のとおり、私には世界機構のL系とS系への分立の模索がある。Uにはガンと感染症の完全克服、医療の低額化と科学技術を抑制する科学技術の開発がある。MやBPには陥る傾向を回避し取り繕う傾向への直面とその文書化がある。Xには情報科学技術の平和利用がある。TにはS系の行政権を一つの機構とすることがある。変則的かもしれないが、Zには十分な休息のあるライフスタイルの模索がある。あのAT街の独居老人Kには自炊での試作がある。あのY社長には、新入が開発したY社長の技術を超える技術をまた超える技術の開発がある。あの画学生Jには新しいテーマの手探りがある。あの隠遁者Wには苔の突然変異の発見と選別淘汰があるかもしれない。あの生きていた息子には彼なりの平和主義の模索がある。あのかつての森F、今はF国の市民には感染症対策と下水道の整備がある。あのぬいぐるみを与えられた女の子とそれを与えた女性と、あのQCとあの子供たちと、あの看護師とその母親には母子関係の手探りがある。あの盲目の写真家BCには視覚以外の感覚による視覚芸術の手探りがある。あの副司令官には妻との老後の暮らしの手探りがある。Mを刺したあのQPには恨みや復讐心を超えて自分のために生きることがある。何より、今を生きている間は、この生において欲求を満たし苦痛を減退させたい。簡単に言って、私たちのそれぞれにとってはこの人生がすべてだ。だが、一般のものを把握し説明する必要もある。一般の生と死をとらえなければ、無限の死と生の入れ替わりを把握し、自己がやがて死ぬことへの不安を減退させることはできない。一般の国家権力をとらえなければ世界の国家権力を民主化し分立することはできない。一般の陥る傾向をとらえなければ、一般のそれへの直面を説明することはできない。洗い物はもうすぐ終わる。何かをしながら思考を連想に委ねたほうが発見ができることが多い。ちょっとした発見をした。一般の陥る傾向とそれへの直面を説明するのは心理学者の仕事である。個人の陥る傾向に個人が直面することは一般のものをとらえなくてもできる。他人に尋ねたり文献に当たるのも自由だ。だが、自己に直面するのに他人や文献はほとんど助けにならない。自己に直接的に直面できるのは自我でしかないのだから。また、言葉の選択はあまり問題にならない。「直面」でも「立ち向かう」でも「逃げない」でもかまわない。「自己」でも「私」でも「自分」でもかまわない。だか、「自己」と「自我」は区別する必要がある。自己をとらえて自己について考えるのが自我だ。それに似たことは既にデカルトが言った。洗い物を済ませて、わたしもベッドに入った。Uは既に眠っている。私もそろそろ眠くなってきた。繰り返すが、人間を含む記憶をもつ動物が甘受する必要があるのは個人の記憶の喪失と個性の喪失だけだ。それ以外は乗り越えられる。実際、人間はいくつかのものを乗り越えてきた。今の私は誇大的になっているようだ。やはりUの妊娠が嬉しかったからのようだ。人生、こんなときもあっていいじゃないか、などと考えるのは月並みだ。今はもう考えるのをやめて、明日、考え直したほうがいい。早く眠ってしまったほうがいい。だが、眠れない。繰り返すが、固まったり偏ったりした思考や観念は捨て去って、ゼロから考え直すほうがよいかもしれない。だが、後で活かせるかもしれない。私の今までの体験は滅多に味わうことができないものではないだろうか。死ななくても記憶は薄れていく。できることはあの少女の父親が書いたことだけだ。これまでのことを書き留めておこう。そのように媒介で観念を伝達し保存し取り入れ思考し伝達し…を繰り返すことによって、人間は個人の記憶と個性の喪失さえも乗り越えてきたのかもしれない。Uはすやすや眠っている。私は何故だか眠れない。そのうち眠れ…

個人的で日常的な状況と視点と表現

  25YY+1年の初夏、森の中の道のようなものを私は踏みしめた。そよ風に木漏れ日が揺れ、私の顔にも当たる。建物の瓦礫はまとめられ白骨は埋葬されている。しばらく歩くと見えてきた。木々が開けて、太陽の光をいっぱいに受ける草むらがある。その真ん中あたりにあの少女とその父親の家があり、あのまま保存されている。その手前に訪れる人々があの少女とその父親へのメッセージを入れて行く透明なメッセージボックスが設置されている。メッセージが既にいっぱい入っていて、木漏れ日がそれらの上で揺れている。私はこの書の初版を持って来た。初版だから、かつての私の子供たちのその後、あの女性と息子とそれをレポートにした学生のその後、私たちの北の国への旅…など25YY+1年初夏以降の個人的な出来事は入っていない。ペーパーバックなのでかさ張らない。そのケースの投入口を通った。それが通る瞬間、20XX-1年に時間を戻して、25YY年と同様のことをやってみたいなどという思いがよぎった。ここで、単に時間が20XX-1年に戻るだけなら、時間の逆行、20XX-1年、核兵器によるきのこ雲、虐殺、高層ビルの地平線、デモ、25YY+1年の初夏、時間の逆行、20XX-1年、核兵器によるきのこ雲、虐殺…の永遠の繰り返しがあるだけだ。これはたまらない。そんな白昼夢はよぎっただけだった。そんなものに耽っている時間はない。 私たちにはまだまだやることがたくさんある。この書はそんな白日夢では終わらない。二千年代、三千年代…の乗り越え方を私たちは書き続ける。急げ。帰りの飛行機の最終搭乗時刻はA国首都の時間で午後5時15分だ。
  ところが、五十代の男性に声をかけられた。彼はこの書の初版を読んでいた。私がこの書の著者であることも知っていた。また、彼は作家で、著作はよく売れていて、私も読んでいた。彼はその著作をそのメッセージボックスに入れようと持って来たのだが、実際に入れるか迷っているらしい。私が「初版も改訂版も第三版…も入れればいいでしょう」と言うと、彼は黙っていた。しばらくして彼は言う。

人生で最大の苦痛は孤独だ。それは君も書いている。だが、君やあの独居老人Kやあの看護師の孤独は人生の一時期のものに過ぎない。確かに多くの人間にとって、孤独を含めて、苦痛は一時的で変動するものなのだろう。俺はブ男で胴長短足下膨れで、人付き合いもへたくそで、偏屈で、家庭も結婚も恋愛も友達付き合いもなく、生涯孤独の中で生きて来た。読者は俺が書いたものを読んで自分より悲惨な人生があるという優越感を味わっているのだと思う。だから、俺の書いたものは売れたのだと思う。今、思う。俺の書いたものはまだ、苦痛の掘り下げが足りなかった。だから、読者は優越感を味わえたのだと思う。今後はとことん苦痛を掘り下げて書いていく。すると、読者は優越感を味わうどころではないだろう。書いたものは売れないかもしれないが、構わない。

それらについて私はすぐには何も言えなかった。私の帰りを明日に延期して、あのAT街の店AQに彼と飲みに行くことになった。
  店AQに入ると、数か月ぶりに会う店主や常連客と言葉を交わす間もなく、その男性と苦痛についての激しい論争が始まった。苦痛の乗り越え方に議論は進んだ。だが、彼は「乗り越えられるような苦痛は究極の苦痛ではない。乗り越えられないような苦痛が究極の苦痛だ」と決定的なことを言う。私は「だが、乗り越えられなくても、乗り越えようとするだけでも苦痛は減退する。苦痛に浸らずに抵抗するほうがいい。最後まで諦めないほうがいい」と言う。すると、彼は馬鹿にして笑っていた。だが、数秒後には私を鋭い目で見て、黙り込んだ。彼は何か思いついたようだ。一般に作家はネタを、実際に出版されるまで出版社の編集者以外には、決して明かさないらしい。それは著作権を守るための方法の一つなのだろう。確かに、著作権や特許権が擁護されなければ、科学技術はあまり進歩せず、文学・芸術はあまり繁栄しないだろう。彼においてさえも著作権を守ろうとする作家としての性癖は健在なようだ。彼と私の論争はそこまでで終了し、店主や常連客の何人かも入って、会話はとりとめもないものになった。彼は特に庶民の街で人気があった。彼にサインをねだる客もいた。彼は余裕をもってサインをしていた。
  彼の新しい著作は数か月後に出版された。彼の以前の著作以上に売れている。読んでみた。彼にとっては新しい展開があったのだろう。確かに、苦痛に係る個人的で日常的な状況と視点と表現方法は斬新で抜きん出ていると思う。だが、内容はあの少女とその父親の手記に近づいていると思う。「偉大な精神は同じように思考する(Great minds think alike)」という20XX年以前の格言に私は否定的だったが、苦痛のとらえ方に関する限りで、その格言は当てはまるのかもしれない。だが、全体破壊手段が全廃され予防され世界の国家権力が民主化され分立された現代においては、地上の人間が数年から十数年後に死滅するという当時は日常でしかなかった状況が、読者にとっては非日常的で鮮烈過ぎる。そのような状況は内容を圧倒してぼやけさせてしまう恐れがある。平和な時には、苦痛に関する限りで、個人的で日常的な状況と視点と表現方法が適切なのだろう。あの少女とその父親の手記の内容をそのような状況と視点と表現方法をもって活かせると思う。あの少女と父親の手記と彼の著作を読み比べてみようと思う。

参考文献

生存と自由   生存と自由の詳細   それぞれの国家権力を自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立すること   感覚とイメージの想起   自我とそれらの傾向   悪循環に陥る傾向への直面  

  COPYRIGHT(C)2000 OUR-EXISTENCE.NET ALL RIGHTS RESERVED