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記憶をもつ動物の心理学

 この著作では、この『記憶をもつ動物の心理学』を「この著作」とも呼び、この著作と『自我をもつ動物の心理学』と『習性をもつ動物の心理学』を「これらの著作」とも呼ぶことにする。これらの著作は一つの著作とも見なせ、これらの著作のそれぞれは一つの著作を構成する章とも見なせる。これらの著作を一つの著作として「記憶以上をもつ動物の心理学」とも呼ぶことにする。これらの著作と『生存と自由』と『生存と自由の詳細』と『生存と自由のための権力分立制』と『特定のものと一般のもの』を「OUR-EXISTENCE.NETのすべての著作」または「これらの著作」とも呼ぶことする。

ものそのものと現れるもの

ものそのものと現れるもの

 時間を除くものは以下のものそのものと現れるものに完全に分けられる。つまり、この分類に余りも重複もない。
 物質、物質機能、身体、身体機能、神経系、神経機能、神経細胞、神経細胞の興奮と伝達、分子、原子、原子核、中性子、陽子、電子、万有引力、静電気力、磁力、真空、空間そのもの…などを「ものそのもの」と呼べる。
 光景、音、臭い、めまい、味、痛さ、暑さ、寒さ、動悸、息苦しさ、飢え、渇き、吐き気、イメージ、アイデア…などを「現れるもの」と呼べる。それらは「現象」、心的現象…などとも呼べる。だが、わたしに現れるもの、あなたに現れるもの、過去に現れたもの、未来に現れるであろうもの、わたしに現在に現れているもの、わたしたちのそれぞれにそのとき現在に現れているもの…などを区別する必要がある。現象…などの言葉を用いるより現れるもの…などの言葉を用いるほうがそれらを区別しやすい。だから、これらの著作では光景、音、イメージ…などを「現れるもの」と呼ぶことにする。
 「現れるもの」という言葉は、光景、イメージ…などを指すことも、光景、イメージ…などとして再現されると前提される物質、身体…などのものそのものを指すこともある。この著作では「現れるもの」という言葉は前者、つまり、光景、イメージ…などを指すことにする。例えば、光景として再現されると前提される物質の反射率、透過率、屈折率などは現れるものではなく、光景が現れるものである。
 現れるものは感覚で現れるものとイメージとして現れるものから構成される。感覚で現れるものは視覚で現れるもの、聴覚で現れるものを含む。例えば、光景は視覚で現れるものであり、音は聴覚で現れるものである。思い浮かぶもの、思考されるもの、予期されるもの、思い出されるもの、想像されるものは、イメージとして現れるものに含まれる。現れるものの詳細は『現れるもの』の章で説明される。
 空間そのものはものそのものに含まれる。現れる空間は現れるものに含まれる。例えば、両眼で視覚で現れるものの中で、パソコンの手前に空間の部分がわたしに現在に現れている。
 時間そのものはものそのものに含まれる。現れる時間は現れるものに含まれる。現れる時間はイメージとして現れる数直線、年表…のような記号と言葉である。だが、ものそのものの枠組みとして時間そのものが存在するように、現れる時間とは異なる、現れるものの枠組みとして現れるものの時間そのものが存在すると前提される。そのような現れるものの時間そのものの中で多くのわたしたちのそれぞれにそのとき現在に現れているものが連続すると前提される。時間そのものと現れるものの時間そのものは同一または重複すると前提される。だから、前に「時間を除く」ものはものそのものと現れるものに完全に分けられるという説明をした。

空間的時間的なものとそれらの属性

 ものが{空間的広がりをもつまたは点または線または面である}ことをものが「空間的」であることと呼べ、ものが{時間的広がりをもつまたは瞬間である}ことをものが「時間的」であることと呼べる。
 時間を除くものがものそのものと現れるものに完全に分けられるとともに、空間、時間を除くものは下記の空間的時間的なものとそれらの属性に完全に分けられる。
 空間的かつ時間的であるもの、つまり、{空間的広がりをもつまたは点または線または平面である}かつ{時間的広がりをもつまたは瞬間である}ものを「空間的時間的なもの」と呼べる。例えば、物質、身体、神経系、神経細胞、光景、音が空間的時間的なものである。
 空間的時間的なもののそれぞれは空間的でないものをもつ。空間的時間的なものがもつ空間的でないものを空間的時間的なものの「属性」、空間的時間的なものがもつ属性、空間的時間的なものが属性としてもつもの、空間的時間的なものに帰属する属性、と呼べる。例えば、万有引力はすべての物質がもつ属性の一つである。興奮と伝達はすべての神経細胞に帰属する属性の一つである。
 すべての空間的時間的なものが属性としてもつものを空間的時間的なものの「すべてに帰属する」属性と呼べる。空間的時間的なものはすべて、空間的相対的位置、時間的相対的位置、質、量、空間的構成、時間的構成、それらの変化を属性としてもち、それらが空間的時間的なもののすべてに帰属する属性である。さらに、例えば、万有引力は物質のすべてに帰属する属性の一つであり、神経細胞の興奮と伝達は神経細胞のすべてに帰属する属性である。
 空間的位置、時間的位置は相対的でしかない。その相対性を強調する必要がないときは、空間的相対的位置を「空間的位置」とも呼び、時間的相対的位置を「時間的位置」とも呼ぶことにする。
 さらに、ほとんどの空間的時間的なものの属性がいくつかの空間的でないものをもつ。例えば、万有引力というすべての物質に帰属する属性は向き、大きさをもつ。興奮と伝達というすべての神経細胞に帰属する属性は頻度、持続時間をもつ。空間的時間的なものの属性がもつ空間的でないものを属性の属性、属性がもつ属性、属性が属性としてもつもの、属性に帰属する属性と呼べる。例えば、万有引力は向き、大きさを属性の属性としてもつ。神経細胞の興奮と伝達は頻度、持続時間を属性の属性としてもつ。さらに、空間的時間的なものの属性(1)が属性(2)をもつことが多く、属性(2)が属性(3)をもつことがあり…と続く。そのとき、(1)、(2)、(3)…を第一属性、第二属性、第三属性…と呼べる。例えば、万有引力は第一属性であり、向き、大きさは第二属性である。神経細胞の興奮と伝達は第一属性であり、興奮と伝達の頻度、持続時間は第二属性である。そのように空間と時間的なものを見ていくと、ほとんどの第一属性が第二属性をもつことが分かる。属性が空間的時間的なものの第一属性か第二属性か…が不明なことがよくある。例えば、ある物質の万有引力について、質量が物質の第一属性の一つであり、万有引力は質量の第一属性の一つであって、物質の第二属性の一つであるとも考えられる。だが、日常でも科学でもほとんどの場合、属性が第一か第二か…は問題にならない。だから、大きな支障なく、第一属性、第二属性、第三属性…を単に属性と呼べる。
 ものそのものと現れるものがそれぞれに固有の空間的時間的なものと属性を含む。

空間的時間的なもの属性
ものそのもの空間的時間的なものそのもの空間的時間的なものそのものの属性
現れるもの現れる空間的時間的なもの現れる属性

 ものそのものに含まれる空間的時間的なものを空間的時間的なものそのものと呼べる。物質、身体、神経系、神経細胞は空間的時間的なものそのものに含まれる。
 ものそのものに含まれる空間的時間的なものの属性を空間的時間的なものそのものの属性、属性そのものと呼べる。
 すべての空間的時間的なものそのものは、空間的位置、時間的位置、質、量、空間的構成、時間的構成、それらの変化を属性としてもつ。それらはすべての空間的時間的なものそのものに帰属する属性である。さらに、真空を除く空間的時間的なものそのものは、質量、万有引力、速度、加速度、位置エネルギー、運動エネルギー…などを属性そのものとしてもつ。物質機能、身体機能、神経機能、神経細胞の興奮と伝達は属性そのものに含まれる。
 空間そのものと時間そのものは空間的時間的なものそのものにもそれらの属性にも含まれない。だが、空間的、時間的位置と持続時間、空間的、時間的配列、それらの変化は空間的時間的なものそのものの属性に含まれる。
 現れるものに含まれる空間的時間的なものを現れる空間的時間的なものと呼べる。例えば、光景、音、匂い、めまい、味、痛さ、暑さ、寒さ、動悸、息苦しさ、吐き気、イメージ、アイデアは現れる空間的時間的なものである。前述の例は現れる空間的時間的なものの例だったことになる。だが、後述する現れる属性も現れるものに含まれる。
 現れるものに含まれる空間的時間的なものの属性を現れる空間的時間的なものの属性、現れる属性と呼べる。すべての現れる空間的時間的なものは、空間的位置、時間的位置、質、量、空間的構成、時間的構成、それらの変化を現れる属性としてもつ。それらは現れる空間・時間的なもののすべてに帰属する現れる属性である。それらはすべての空間的時間的なものそのものに帰属する属性そのものであるだけでなく、すべての現れる空間的時間的なものに帰属する現れる属性であったことが分かる。さらに、例えば、色という質、明るさという量は視覚で現れる属性であり、音の高さという質、大きさという量は聴覚で現れる属性であり、光景の中の人間の顔の耳、眉毛、目、鼻、口という空間的構成は視覚で現れる属性である。色と明るさは視覚で現れる空間的時間的なもののすべてに帰属する現れる属性であり、高低と音量は聴覚で現れる空間的時間的なもののすべてに帰属する現れる属性である。
 そのように、現れる空間的時間的なものだけでなくそれらの属性は現れる。例えば、色、明るさは視覚で現れ、高低、音量は聴覚で現れる。だから、今後は現れる空間的時間的なものの属性という言葉より現れる属性という言葉を多用することにする。

全体と部分

 空間は空間的全体と部分をもつ。時間は時間的全体と部分をもつ。例えば、時間は永遠を時間的全体として、過去、現在、未来を時間的部分としてもつ。本当の意味での空間的全体と時間的全体は無限である。だが、それらの部分も全体と呼べる。例えば、一日は24時間の時間を時間的全体として、午前、午後を時間的部分としてもつ。
 空間的時間的なものは空間的全体と部分と時間的全体と部分をもつ。例えば、神経細胞は、細胞膜とその中身を空間的全体としてもち、一つの神経細胞体と多数の樹状突起と末端で多数に分岐する一本の軸索を空間的部分としてもつ。視覚で現れるものは目覚めてから眠るまでの連続を時間的全体としてもち、昼の光景と夜のそれを時間的部分としてもつ。
 空間的時間的なものが空間的な全体と部分と時間的な全体と部分をもつのに対して、属性はそれらと異なる属性の全体と部分をもつ。後者は前者ほど明確でない。例えば、神経細胞の属性である興奮と伝達は後述される[1]シナプス後伝達、[2]興奮、[3]シナプス前伝達、[4]休止を属性の部分としてもち、それらは神経細胞の空間的部分である神経細胞体、樹状突起、軸索ほど明確ではない。

全体部分
空間空間的全体spatial parts
時間時間的全体時間的部分
空間的時間的なもの空間的全体
時間的全体
空間的部分
時間的部分
属性属性の全体属性の部分

 だが、それらの全体と部分を逐次、区別し明記していると文章が煩雑になる。だから、特に必要のない限りは、単に全体または部分という言葉を用いることにする。

もの

 「記憶」の章で説明されるとおり、いくつかの属性が認識されいくつかの属性をもつ部分が切り取られた後で個々のイメージの素材が生成する。そのことから、イメージとして現れるものはすべて既にいくつかの属性をもつ。だから、人間を含む動物は既にいくつかの属性をもつものしか知覚し認識することができない。だから、すべての普通名詞は既にいくつかの属性をもつものを指す。例えば、水という言葉は、水素、酸素という元素の発見以前から、透明である、サラサラと流れるという属性をもつものを指してきた。そこで、ものそのもの、現れるもの、空間的時間的なもの、属性、第一属性、第二属性…などを含めて、既にいくつかの属性をもつものを「もの」とも呼ぶことにする。例えば、既にいくつかの第二属性をもつ第一属性を属性と呼べる。ものは前述のものそのもの、現れるもの、空間的時間的なもの、属性…などを含む。
 さらに、すべてのものは、それがなければもはや、日常と科学で、そのものがそのものと見なされないような属性をもつ。例えば、興奮し伝達する能力を属性としてもたない神経細胞はもはや神経細胞と見なされない。それがなければもはや、日常と科学で、そのものがそのものと見なされないような属性をそのものの「必然的属性」、そのものにとっての必然的属性と呼べる。例えば、神経細胞の必然的属性は、細胞膜に囲まれること、遺伝子を含むこと、神経細胞体と樹状突起と軸索から空間的に構成されること、興奮し伝達する能力をもつことである。もっとも、細胞であること、神経細胞体と樹状突起と軸索をもつこと、興奮し伝達する可能性をもつことも神経細胞の必然的属性である。そのように必然的属性は様々な言葉で表現することができる。辞書を作ることはものの必然的属性を様々な言葉で表現することである。だから、様々な辞書がある。
 ものの必然的属性が生じるとき、そのものは既に生じているまたは発生している。ものの必然的属性が持続するとき、そのものは持続する。ものが必然的属性を維持しながら他の属性を得るまたは失うことはものが「変化する」ことと見なせる。定義からすると、そのように変化することは持続することに含まれる。実際には、たいていのものは通常、変化している。例えば、石や岩も少しずつ浸食されている。
 ものが必然的属性のいくつかを失うことはものが他のものに「変化」することまたはものが「消滅」することと見なせる。例えば、神経細胞が興奮し伝達する能力を失うことは、神経細胞が他の種類の細胞または役立たずの細胞に変化することまたは死滅することと見なせる。
 ものがものを生じるとしても、直接的または間接的に生じ、多くの場合、間接的に生じる。例えば、植物の光合成が酸素を生じるのは直接的である。水と食物が動物の体を生じるのは、消化、吸収、タンパク質の合成…などを介してであり、間接的である。だが、「直接的または間接的に」という言葉を逐次、用いていると文章が煩雑になる。だから、必要のない限りはそれらを省略することにする。

物質と機能

物質

 分子、イオン、原子、中性子、陽子、電子…などの粒子から構成される空間的時間的なものそのものを「物質」と呼べる。例えば、分子、イオン…などの粒子から構成され、細胞膜に囲まれる、遺伝子を含む、神経細胞体と多数の樹状突起と末端で多数に分岐する一本の軸索から空間的に構成される、興奮し伝達する能力をもつことを必然的属性としてもつ空間的時間的なものそのものを神経細胞と呼べ、神経細胞は物質に含まれる。
 遺伝子、細胞膜、細胞、神経細胞、神経細胞群、神経系、身体…なども分子、イオン…などの粒子をから構成される。それらは生きている、命をもつ…などと表現されるが、物質に含まれる。簡単に言って、物質に過ぎない。また、身体の中で、神経系は心や精神があると特別視されるが、身体に含まれ物質に含まれる。
 真空も光子などの粒子が通る。真空は空間的位置と時間的位置を属性としてもつ。質量、万有引力、位置エネルギー、運動エネルギー…などの属性についても、真空は量がゼロのそれらをもつと見なせる。それに対して、空間がゼロのそれらの属性をもつとは考えにくい。真空と空間は異なる。そこで、真空を物質に含めることにする。そのように定義すると、物質は空間的時間的なものそのものと同一である。
 物質は空間的位置、時間的位置、質、量、空間的構成、時間的構成、それらの変化だけでなく、質量、万有引力、速度、加速度、運動エネルギー、位置エネルギー、運動量…などを属性としてもつ。それらは物質のすべてに帰属する属性である。

機能

 前述のとおり、物質がいくつかの属性をもちそれらの属性のいくつかが属性をもつとき、前の属性を第一属性と呼べ、後の属性を第二属性と呼べる。
 物質はすべて、以下の第二属性(a)と(b)をもつ第一属性(F)をもつ。

(a)他のいくつかの物質または属性の全体または部分が生じるまたは変化することによって、直接的または間接的に、属性(F)の全体または部分が生じるまたは変化する。
(b)属性(F)の全体または部分が生じるまたは変化することが、直接的または間接的に、他のいくつかの物質または属性の全体または部分を生じるまたは変化させる。

 上記の第二属性(a)と(b)をもつ物質の第一属性(F)を物質の「機能」、物質がもつ機能、物質が機能としてもつもの、物質に帰属する機能、または、単に機能または物質機能と呼べる。
 厳密に言うとそうなる。もう少し第二属性(a)と(b)を簡略化してみる。
 前述のとおり、ものが他のいくつかのものを生じるまたは変化させるとしても、直接的または間接的にそうし、多くの場合、間接的にそうする。だが、「直接的または間接的に」という言葉を逐次、用いていると文章が煩雑になる。だから、これらの著作では通常、その言葉を省略することにし、ここでも省略することにする。
 また、ものが生じるまたは変化しなければ他のものを生じるまたは変化させることはなく、厳密には「生じるまたは変化することによって」「生じるまたは変化することが」という言葉が必要である。だが、それらの表現をしていると文章が煩雑になるので、これらの著作では通常、それらの言葉を省略することにし、ここでも省略することにする。
 すると、(a)と(b)を以下のように簡略化することができる。

(a')他のいくつかの物質または属性の全体または部分によって、属性(F)の全体または部分が生じるまたは変化する。
(b')属性(F)の全体または部分が、他のいくつかの物質または属性の全体または部分を生じるまたは変化させる。

 簡略的に、上記の第二属性(a')と(b')をもつ第一属性(F)を物質の機能、物質機能、物質がもつ機能、物質が機能としてもつもの、物質に帰属する機能、または、単に機能と呼べる。
 さらに、「生じるまたは変化する」「生じるまたは変化させる」という表現を逐次、用いていると文章が煩雑になる。そこで、生じるまたは変化すること、生じるまたは変化させることを生じることと呼べる。すると、(a)と(b)は以下のようにさらに簡略化される。

(a'')他のいくつかの物質または属性の全体または部分によって、属性(F)の全体または部分が生じる。(b'')属性(F)の全体または部分が、他のいくつかの物質または属性の全体または部分を生じる。

 物質はすべていくつかの機能をもつ。物質はすべて、万有引力を属性としてもつ。他のすべての物質の万有引力の全体によって、物質の万有引力の全体が変化し、物質の万有引力の全体が、他のすべての物質の万有引力の全体を変化させる。だから、物質はすべて、万有引力を機能としてもち、万有引力は機能に含まれる。すべての神経細胞は興奮と伝達を属性としてもつ。他のいくつかの神経細胞または感覚細胞の興奮と伝達の全体によって、神経細胞の興奮と伝達の全体または部分が生じ、その全体は他のいくつかの神経細胞の興奮と伝達または筋細胞の興奮と収縮または分泌細胞の興奮と分泌の全体または部分を生じる。すべての神経細胞は興奮と伝達を機能としてもち、それは機能に含まれる。
 物質、身体、神経系…などがもつ機能を物質機能、身体機能、神経機能…などと呼べる。機能と物質機能は同一である。(物質)機能は身体機能、神経機能を含む。人間機能は直立二足で歩く、走る、クロール、バタフライ…などで泳ぐ、言葉を話す、言葉を書く、計算する、遊ぶ、勉強する、仕事をする、対人機能を含む。
 繰り返すが、機能の全体または部分は、他のいくつかの物質または属性の全体または部分から生じるまたは変化し、他のいくつかの物質または属性の全体または部分を生じるまたは変化させる。結局、それらの全体または部分によって機能の全体または部分が直接的または間接的に生じるまたは変化する他の物質と属性は際限がなく、それらをすべて挙げることは不可能である。例えば、それらの全体または部分によって神経細胞の興奮と伝達の全体または部分が直接的または間接的に生じる他の物質と属性を挙げていくと、それらは、他のいくつかの神経細胞と感覚細胞の興奮と伝達、光子、音波、物理的化学的刺激、それらを生じるまたは変化させるものを含み、際限がない。また、それらの全体または部分を機能の全体または部分が直接的または間接的に生じるまたは変化させる他の物質と属性は際限がなく、それらをすべて挙げることは不可能である。例えば、その全体または部分を神経細胞の興奮と伝達の全体が直接的または間接的に生じるまたは変化させる他の物質と属性を挙げていくと、それらは。他のいくつかの神経細胞の興奮と伝達、筋細胞の興奮と収縮、分泌細胞の興奮と分泌、感覚、記憶、随意運動、不随意運動、それらが生じ変化させるものを含み、際限がない。日常と科学では、そのように際限のないもののうち、自明のものは省略される。これらの著作でも自明のものは省略されてきたし省略される。例えば、神経細胞の興奮と伝達を説明するときは、酸素やグルコースの供給は自明のこととして省略される。
 前述のとおり、属性は属性の属性の全体と部分をもち、機能は属性に含まれる。だから、機能は機能の全体と部分をもつ。

神経細胞の興奮と伝達

 神経細胞は一つの神経細胞体、多数の樹状突起、末端で多数に分岐する一本の軸索から空間的に構成される。
 感覚細胞は皮膚、骨、横紋筋、腱、粘膜…などの狭義の感覚細胞だけでなく、視細胞、聴細胞、味細胞…なども含むものとする。
 筋細胞は横紋筋細胞、平滑筋細胞、心筋細胞を含む。分泌細胞は内分泌細胞、外分泌細胞を含む。
 神経細胞は一本の「軸索」を長く伸ばし、一本の軸索が次々と多数の小さな軸索に枝分かれして、多数の「軸索末端」が他のいくつかの神経細胞または筋細胞または分泌細胞の細胞膜の多数の部分に最も近づく。そのように、一本の軸索が多数の小さな軸索に分岐するので、一個の神経細胞は必ずしも一個の神経細胞または筋細胞または分泌細胞に近づくのではなく、複数のそれらに近づくことがある。
 感覚細胞は、神経細胞の軸索のような長い突起をもたないが、いくつかの突起を伸ばし、突起が多数に枝分かれして、多数の突起の末端がいくつかの神経細胞の細胞膜の多数の部分に最も近づく。これらの著作では、そのような感覚細胞の突起を、神経細胞と同様に、軸索と呼び、その突起の末端を軸索末端と呼ぶことにする。
 軸索を伸ばす神経細胞(1)の軸索末端とそれが近づく神経細胞(2)の細胞膜の部分とそれらの間隙を「シナプス」と呼べる。また、その間隙を「シナプス間隙」と呼べる。ところで、シナプス間隙は空気で満たされているのではなく、細胞間液で満たされている。もちろん、細胞の中部は細胞内液で満たされている。
 そのようなシナプスのそれぞれにおいて、多数の神経伝達物質が(1)の軸索末端からシナプス間隙に放出されると、(2)の細胞膜にある多数の受容体に結合する。
 そのようにして、神経細胞または感覚細胞は他のいくつかの神経細胞または筋細胞または分泌細胞に近づき、多数のシナプスを形成する。そのことを神経細胞または感覚細胞が他のいくつかの神経細胞または筋細胞または分泌細胞に「接合する」ことと呼べる。また、神経細胞または筋細胞または分泌細胞は他のいくつかの神経細胞または感覚細胞から近づかれ、多数のシナプスを形成される。そのことを神経細胞または筋細胞または筋細胞が他のいくつかの神経細胞または感覚細胞から「接合される」ことと呼べる。結局、神経細胞は、他のいくつかの神経細胞または感覚細胞から接合され、他のいくつかの神経細胞または感覚細胞または筋細胞に接合する。
 神経細胞が接合される他のいくつかの神経細胞または感覚細胞を神経細胞の「シナプス前細胞」と呼べ、神経細胞が接合する他のいくつかの神経細胞または筋細胞または分泌細胞を神経細胞の「シナプス後細胞」と呼べる。結局、神経細胞はいくつかのシナプス前細胞から接合されいくつかのシナプス後細胞に接合する。そのように、一個の神経細胞は、必ずしも一個のシナプス前細胞から接合されるのではなく、複数のシナプス前細胞から接合されることがあり、必ずしも一個のシナプス後細胞に接合するのではなく、複数のシナプス後細胞に接合することがある。
 それらは一つの神経細胞に着目したときである。それに対して、以下は一つのシナプスに着目したときである。
 そのような多数のシナプスのそれぞれにおいて、接合する細胞を「シナプス前」細胞と呼べ、その物質、機能…などをシナプス前物質、シナプス前機能…などと呼べ、接合される細胞を「シナプス後」細胞と呼べ、その物質、機能…などをシナプス後物質、シナプス後機能…などと呼べる。
 神経細胞を含むすべての細胞でほとんどのとき、細胞膜を境として、細胞外をプラス、細胞内をマイナスとする電位差が形成されている。
 神経細胞(N)は下記の機能をもつ。

[1]シナプス後伝達
 (N)のシナプス前細胞の軸索末端からシナプス間隙に放出された神経伝達物質が(N)の細胞膜の受容体に結合し、(N)の細胞内外の電位差が変化し、それらの電位差が減算を含めて加算される。そのことを(N)のシナプス前細胞からの「シナプス後伝達」、(N)がシナプス前細胞から「伝達される」ことと呼べる。
[1-1]閾値超え
 (N)のいくつかの細胞内外の電位差の和が減少し逆転する方向で閾値を超える。そのことを(N)の「閾値超え」、(N)が閾値を超えることと呼べる。
[1-2]不発
 どの電位差の和も閾値を超えない。そのことを(N)の「不発」、(N)が不発に終わることと呼べる。

[2]興奮
 [1]のうちの[1-1]閾値超えが生じると、閾値を超える電位差の変化が神経細胞体、軸索を一気に広がる。そのことを(N)の「興奮」、(N)が興奮することと呼べる。

[3]シナプス前伝達
 閾値を超える電位差の変化が神経細胞の軸索末端に達し、軸索末端から神経伝達物質が(N)とそのシナプス後細胞の間のシナプス間隙へ放出される。そのことを(N)のシナプス後細胞への「シナプス前伝達」、(N)がシナプス後細胞に「伝達する」ことと呼べる。
(さらに、(N)のシナプス後細胞のそれぞれにおいて[1]-[4]が生じ、それらのシナプス後細胞のそれぞれにおいて[1]-[4]が生じ…と続く可能性がある)

[4]休止
 マクロセカンド(一秒の千分の一)単位の時間の間だけ、(N)は興奮できないが、その後、興奮できる。

 上の[1-1][2][3][4]を神経細胞の「興奮と伝達」、神経細胞が興奮し伝達することと呼べる。
 神経細胞(N)のシナプス前細胞を(A),(B)…、シナプス後細胞を(X),(Y)…とする。(A)(B)の[3]と(N)の[1]の総体を(A),(B)…から(N)への伝達と呼べ、それが生じることを(A),(B)…が(N)へ伝達することと呼べる。また、(N)の[3]と(X),(Y)…の[1]の総体を(N)から(X),(Y)…への伝達と呼べ、それが生じることを(N)が(X),(Y)…へ伝達することと呼べる。(A),(B)…が(N)へ伝達したとしても、(N)は必ずしも興奮し伝達するわけではない。(N)の[1]が[1-2]不発に終われば、(N)は興奮せず伝達しない。それに対して、[1-2]ではなく[1-1]閾値超えが生じるとき、(N)は必ず興奮し伝達する。ただし、軸索が切断されている、神経伝達物質が不可逆的に枯渇、変質する…などの異常事態が生じた場合を除いて。
 感覚細胞は光子、音波、物理的化学的刺激…などによって興奮し神経細胞と同様に伝達する。そのことを感覚細胞の興奮と伝達、感覚細胞が興奮し伝達することと呼べる。
 筋細胞は、神経細胞と同様に興奮し神経細胞とほぼ同様に他のいくつかの筋細胞に伝達し、収縮する。そのことを筋細胞の興奮と収縮と呼べる。
 分泌細胞は、神経細胞と同様に興奮し、神経細胞とほぼ同様に他のいくつかの分泌細胞に伝達し、ホルモン、粘液、酵素…などを分泌する。そのことを分泌細胞の興奮と分泌と呼べる。
 それらのすべてに共通の属性を説明する場合は、神経細胞、感覚細胞、筋細胞、分泌細胞を神経細胞として説明し、神経細胞の興奮と伝達、感覚細胞の興奮と伝達、筋細胞の興奮と収縮、分泌細胞の興奮と分泌を神経細胞の興奮と伝達として説明することにする。
 また、「興奮と伝達」、「伝達」…などの言葉はそれぞれの神経細胞または神経細胞群がもつ具体的で数えられる機能を指す。例えば、神経細胞が百個あれば百個以下の興奮と伝達がありえる。そこで、それらの言葉を可算名詞として用いることにする(訳注:日本語では単数形と複数形、可算名詞と不可算名詞の区別を示すことができない)。
 結局、神経細胞は、必ずしも一個のシナプス前細胞から伝達されるのではなく、複数のシナプス前細胞から伝達され、必ずしも一個のシナプス後細胞に伝達するのではなく、複数のシナプス後細胞に伝達することがある。
 いくつかのシナプス前細胞の興奮と伝達の部分[3]によって、神経細胞の興奮と伝達の全体[1-1][2][3][4]または部分[1-2]が生じ、神経細胞の興奮と伝達の部分[3]が、いくつかのシナプス後細胞の興奮と伝達の全体[1-1][2][3][4]または部分[1-2]を生じる。だから、神経細胞の興奮と伝達は機能である。
 機能としての神経細胞の興奮と伝達は[1-1][1-2][2][3][4]のそれぞれを機能の部分としてもつ。機能としての神経細胞の興奮と伝達は機能の部分としての[1-1][1-2][2][3][4]から構成される。
 神経細胞が興奮し伝達するか[1-2]不発に終わるかのように、機能のいくつかは二者択一である。それに対して、万有引力、位置エネルギー、運動エネルギー…などのような機能のいくつかは二者択一ではない。
 神経細胞が不発[1-2]に終わる場合があるように、いくつかの機能においては部分だけが生じることがある。また、部分が生じるだけでは全体が生じえる他の機能または物質のいくつかが生じないことがある。例えば、神経細胞の興奮と伝達では、不発が生じるだけではシナプス後細胞の興奮と伝達は生じない。
 全体[1-1][2][3][4]だけでなく、少なくとも、部分[2][3]は機能である。何故なら、[1-1]によって[2]が生じ、[2]は[3]を生じ、[3]はシナプス後細胞の[1-1]または[1-2]を生じるからである。そのようにいくつかの機能においてはいくつかの部分も機能である。
 神経細胞の閾値超え[1-1]が生じると、それ以降の[2][3][4]が生じ、興奮と伝達の全体が生じる。神経細胞が他のいくつかのシナプス前細胞から伝達されても、[1-1]が生じなければ、それ以降の[2][3][4]は生じず、興奮と伝達の全体は生じず、[1-2]不発に終わる。神経細胞の軸策が切断されていたり、神経伝達物質が不可逆的に枯渇、変質していたりすれば、[1-1]が生じても[3]シナプス前伝達は生じない。だが、そのように伝達する能力をもたない神経細胞は、神経細胞の必然的属性を満たさず、もはや神経細胞と見なせない。
 以上の[1-1][2][3][4]は数ミリセカンド(一秒の千分の一)の間、持続する一回の興奮と伝達である。それを神経細胞の「一回の(超短時間の)興奮と伝達」、神経細胞が一回、(超短時間に)興奮と伝達することと呼べる。実際は、一度、それが生じると、それは一秒に数百の一定の頻度で数秒の間、連続的に繰り返される。そのような繰り返しを、神経細胞の興奮と伝達の「短時間の(連続的な)繰り返し」、神経細胞が興奮と伝達を「短時間に(連続的に)繰り返す」ことと呼べる。だが、そのような繰り返しを神経細胞の興奮と伝達、神経細胞が興奮と伝達することとも呼ぶことにし、神経細胞の興奮と伝達という言葉は通常、そのような繰り返しを指すことにする。短時間の連続的な繰り返しは後述する長時間の断続的な繰り返しと明確に区別される必要がある。

必然的機能、必然的対象、必然的部分

 前述のとおり、それがなければものがそのものと見なされないような属性をそのものの必然的属性、そのものにとっての必然的属性と呼べる。例えば、興奮と伝達は神経細胞の必然的属性であり、興奮し伝達できない神経細胞を神経細胞と見なすことはできない。さらに、物質はすべて、いくつかの機能を必然的属性としてもつ。物質が必然的属性としてもつ機能を物質の「必然的機能」、物質にとっての必然的機能と呼べる。例えば、神経細胞は興奮と伝達を必然的機能としてもつ。
 さらに、機能(第一属性)はその全体または部分が他のいくつかの物質または機能の全体または部分を生じるまたは変化させるという必然的属性(第二属性)をもつ。例えば、神経細胞の興奮と伝達はその全体がいくつかのシナプス後細胞の興奮と伝達の全体または部分を生じるという必然的属性をもつ。そのような機能の必然的属性の中の他のいくつかの物質または機能を機能の「必然的対象」と呼べる。例えば、いくつかのシナプス後細胞の興奮と伝達が神経細胞の興奮と伝達の必然的対象である。
 さらに、機能の中には、それがなければ必然的対象が生じず変化しないような部分がある。そのような部分を必然的部分と呼べる。例えば、[3]が生じなければシナプス後細胞の興奮と伝達は生じない。だから、[3]シナプス前伝達が神経細胞の興奮と伝達の必然的部分である。
 ところで、必然的部分と全体が一致することがある。例えば、万有引力でそうである。

機能の決定的部分

 だが、実質的には通常、機能の特定の部分が生じるまたは変化すると、機能の必然的部分も全体も生じまたは変化し、機能の必然的対象の全体または部分が生じるまたは変化する。例えば、神経細胞の興奮と伝達において、[1-1]閾値超えが生じると、[3]シナプス前伝達も興奮と伝達の全体も生じ、シナプス後細胞の興奮と伝達の全体または部分が生じる。そのような部分を機能の「決定的部分」と呼べる。例えば、神経細胞の興奮と伝達では、閾値超え[1-1]が決定的部分であり、シナプス前伝達[3]が必然的部分である。この例のように、それらは必ずしも一致しない。
 決定的部分と必然的部分と全体とが一致することはある。例えば、万有引力がそうである。

機能が機能すること

 機能の中で、必然的部分が生じず変化せず、実質的には決定的部分が生じず変化せず、結果的に必然的対象の全体も部分も生じず変化しないことを機能が機能することと呼ぶことはできない。例えば、神経細胞の興奮と伝達の中で、シナプス前伝達[3]が生じず、実質的に閾値越え[1-1]が生じず、結果的にシナプス後細胞の興奮と伝達の全体も部分も生じないことを神経細胞の興奮と伝達が機能することと呼ぶことはできない。だから、機能の必然的部分が生じるまたは変化すること、実質的には決定的部分が生じるまたは変化すること、結果的には機能が必然的対象の全体または部分を生じるまたは変化させることを、機能が必然的対象「に(対して)機能する」ことと呼べる。例えば、神経細胞の興奮と伝達において、そのシナプス前伝達[3]が生じ、実質的には閾値超え[1-1]が生じ、結果としてシナプス後細胞の興奮と伝達の全体または部分を生じることを神経細胞の興奮と伝達がシナプス後細胞の興奮と伝達に(対して)機能することと呼べる。また、必然的対象が自明なときは、それを単に機能が機能することと呼べる。例えば、神経細胞の興奮と伝達がシナプス後細胞の興奮と伝達に(対して)機能することを神経細胞の興奮と伝達が機能することと呼べる。さらに、機能が機能することを機能が生じることと呼ぶことにする。つまり、これらの著作では機能が生じることという言葉は機能が機能することを指す。また、物質がもつ必然的機能が自明なときは、それを単に、物質が他のいくつかの物質に(対して)機能すること、または単に、物質が機能することと呼べる。例えば、神経細胞が興奮と伝達を必然的機能としてもつことは自明だから、神経細胞の興奮と伝達が他のいくつかのシナプス後細胞の興奮と伝達に機能することを、神経細胞が他のいくつかのシナプス後細胞に機能することまたは単に神経細胞が機能することと呼べる。

物質とその機能

 物質とその物質がもつ機能を含む属性を「物質とその物質機能」、物質とその機能」、物質とも呼ぶことにする。身体とその身体がもつ身体機能を含む属性、神経系またはその神経系がもつ神経機能を含む属性…などを身体とその身体機能、身体とその機能、身体、神経系とその神経機能、神経系とその機能、神経系…などとも呼ぶことにする。つまり、物質、身体、神経系…などの言葉はそれらの機能を含む属性を含意することがあることにする。
 それらのように定義すると、「物質とその機能」という言葉は、時間、空間を除くものそのもののすべてを指す。
 物質が生じることまたは変化することを物質が存在することとも呼ぶことにする。また、前述のとおり、機能が必然的対象の全体または部分を生じるまたは変化させることを機能が機能することと呼べる。物質が存在しその必然的機能が適宜、機能することを物質とその機能が存在し機能すること、物質が存在し機能することとも呼ぶことにする。身体とその身体機能、神経系とその神経機能…などについても同様の用法をすることにする。例えば、おおまかだが、神経細胞が発生し成熟し、伝達されたときに興奮し伝達することが神経細胞が存在し機能することである。

可能性

 物質または機能が存在するまたは機能する可能性を、物質または機能の可能性と呼べる。
 いくつかの物質または機能が存在または機能する可能性は他のいくつかの物質と機能が存在し機能する可能性を含む。例えば、神経細胞が興奮し伝達する可能性はいくつかのシナプス前細胞の興奮と伝達、酸素、グルコースの供給…などが存在し機能する可能性を含む。

状況と自然

 生物、生物機能、動物、動物機能、個体、個体機能、人間、人間機能…などについては後に詳しく説明する。その前に状況と自然を説明する。
 前述のとおり、いくつかの物質または機能が存在または機能する可能性は他のいくつかの物質と機能が存在し機能する可能性を含む。そのような他の物質と機能を物質または機能のまたはそれらにとっての「状況」と呼べる。また、状況のうち、いくつかの生物または生物機能にとっての状況をそれらのまたはそれらにとっての「自然」と呼べる。例えば、太陽、地球、太陽の光、酸素、二酸化炭素、水、植物の光合成、微生物〜植物〜他の動物の食物連鎖…などが動物の種の自然である。いくつかの生物または生物機能の自然は他のいくつかの生物と生物機能を含む。例えば、人間にとっての自然は他の動物、植物、微生物とそれらの機能を含む。また、生物のある種のいくつかにとっての自然は同種の他の生物とそれらの機能を含む。例えば、人間の個人にとっての自然は他の人間と対人機能を含む。
 だが、自然または状況に含まれる物質と機能をすべて挙げることは不可能である。例えば、神経細胞の興奮と伝達の自然を挙げていくと、いくつかのシナプス前細胞の興奮と伝達、酸素、グルコース…などの供給、心臓の拍動、呼吸、消化管での食物の消化吸収、食物連鎖…と際限がない。
 また、物質または機能が生じるまたは変化させる他の物質と機能をすべて挙げることは不可能なことである。例えば、神経細胞の興奮と伝達が生じる他の物質と機能を挙げていくと、いくつかのシナプス後細胞の興奮と伝達、酸素、グルコース…などの消費、感覚、記憶、不随意運動、随意運動、対人機能、他の対人機能、家庭、社会、人間という生物の種にとっての自然…と際限がない。
 そこで、日常、科学ではそれらのうち自明でないものだけが挙げられ、他は省略される。『わたしたちの生存ネット』のすべての著作もそうしてきたしそうする。例えば、神経細胞の興奮と伝達や神経機能について説明するときは、酸素、グルコース…などの供給、心臓の拍動、呼吸、消化管での食物の消化、吸収、食物連鎖…などを省略する。

能力

 可能性に対して、わたしたちは物質または機能が属性としてもつ、つまり、それらに固有のそれらが存在または機能する可能性をとらえることができる。それを物質または機能が存在または機能する「能力」、物質または機能の能力、物質または機能がもつ能力、物質または機能が能力としてもつもの、物質または機能に帰属する能力、物質または機能の「活性」と呼べる。物質または機能の能力はそれがもつそれに固有の可能性であり、他のいくつかの物質や機能の能力や可能性を含まない。例えば、神経細胞の興奮と伝達の能力は、細胞膜に多くの受容体をもつこと、樹状突起と軸索を伸ばしていくつかのシナプス後細胞にしっかりと接合し、軸索末端から多くの神経伝達物質を放出すること…などである。それはシナプス前細胞の興奮と伝達の能力、身体が酸素、グルコースを供給する能力…などを含まない。
 人間機能の能力は直立二足で歩く能力、走る能力、クロール、バタフライ…などで泳ぐ能力、言葉を話す能力、言葉を書く能力、思考力、記憶力、計算する能力、遊ぶ能力、勉強する能力、仕事をする能力、対人機能能力を含む。
 物質または機能の能力が大きくなることを物質または機能の活性化、物質または機能が活性化されることと呼べる。
物質がもつ主要な必然的機能が明らかなときは、その機能の可能性、能力、活性、活性化…などを物質のそれらと呼べる。例えば、神経細胞の興奮と伝達の能力(活性)を神経細胞の能力(活性)と呼べる。

神経細胞の活性

 もう少し詳しく言うと、神経細胞の活性は、いくつかのシナプス前細胞から接合され細胞膜に多くの活性の高い受容体をもつこと、樹状突起と軸索を伸ばしていくつかのシナプス後細胞に接合し軸索末端から多くの活性の高い神経伝達物質を放出すること…などである。そのように、神経細胞が活性をもつだけでなく、受容体と神経伝達物質も活性をもつ。それらの活性は結合したときに細胞内外の電位差を変化させる能力である。
 神経細胞の活性は、前述の興奮と伝達の短時間の連続的な繰り返し、簡単に言って興奮と伝達によって、数秒の間、一時的に小さくなる。だが、短時間の連続的な繰り返しが数秒から数年の長時間に断続的に繰り返されることによって活性は増大する。逆に、そのような繰り返しがないことによって活性は減退する。そのことが日常でも科学でも経験される記憶における繰り返しの重要性の実体である。そのような繰り返しを神経細胞の興奮と伝達の長時間の断続的な繰り返し、神経細胞が興奮と伝達を長時間に断続的に繰り返すことと呼べる。神経細胞の活性は、そのような繰り返しによって増大し、繰り返しがないまたは少ないことによって減退する。主として、そのことが後述される記憶力と『習性をもつ動物の心理学』で説明される習性を増大させる。

促進⇔抑制

 前述の「興奮と伝達」、「伝達」、「活性」、「活性化」と以下の「促進」、「抑制」…などの言葉はそれぞれの神経細胞、神経細胞群…などがもつ具体的な数えられる機能を指す。例えば、シナプス前細胞が十個あれば、一個の神経細胞にとって十個以下の促進または抑制または促進と抑制がありえ、第三のケースでは促進性の電位差変化と促進の数の積と抑制性の電位差変化と抑制の数の積とのどちらが大きいかが問題になる。そこでそれらを可算名詞として用いることにする(訳注:日本語では単数形と複数形、可算名詞と不可算名詞の区別を示すことができない)。
 機能[P]の全体または部分が生じるまたは変化することによって、他のいくつかの物質または機能の全体または部分が生じるまたは変化する可能性が大きくなるとき、機能[P]を他のいくつかの物質または機能に対する「促進」、促進機能、機能が他のいくつかの物質または機能を促進することと呼べる。
 促進に対して、機能[R]の全体または部分が生じるまたは変化することによって、他のいくつかの物質または機能の全体または部分が生じるまたは変化する可能性が小さくなるとき、機能[R]を他のいくつかの物質または機能に対する「抑制」、抑制機能、機能が他のいくつかの物質または機能を抑制することと呼べる。
 抑制と促進は対人関係と社会においてよく目にする。例えば、暴力や武力は人間の存在と機能を抑制しうる。それは自由権の侵害の一種である。だが、武力は、個人の存在と機能を抑制しうる暴力を抑制することによって、個人の存在と機能が抑制されることを防ぐことができる。それは自由権の擁護の一種である。また、権力は、水、食糧、医療、情報…などを提供することによって、人間の存在と機能を促進しうる。それは社会権の保障の一種である。動物の体内においては、ある内分泌細胞群がある種のホルモンを過剰に分泌するとき、他の内分泌細胞群がそれらの分泌を抑制するホルモンを分泌する。以下に説明するとおり、神経系においても促進性の伝達と抑制性の伝達がある。
 シナプス後細胞の閾値超えを促進することによって、神経細胞の伝達[PT]がシナプス後細胞の興奮と伝達を促進するとき、[PT]をいくつかのシナプス後細胞に対する「促進性の伝達」、促進、神経細胞がいくつかのシナプス後細胞を促進することと呼べる。
 促進性の伝達に対して、シナプス後細胞の閾値超え抑制することによって、神経細胞の伝達[RT]がシナプス後細胞の興奮と伝達を抑制するとき、[RT]をいくつかのシナプス後細胞にとっての「抑制性の伝達」、抑制、神経細胞がシナプス後細胞を抑制することと呼べる。
 GABAを神経伝達物質として放出する伝達が抑制性の伝達であり、それ以外の伝達のほとんどが促進性の伝達である。実質的には、一個の神経細胞は一種類の神経伝達物質だけを放出するので、神経細胞は促進性のそれらと抑制性のそれらに明確に分けられる。
 一個の神経細胞は、複数のシナプス前細胞から接合され、、複数のシナプス前細胞から促進性の伝達と抑制性の伝達の混成を受けることがある。そのような場合、通常、より多数の促進性の伝達を受けたとき、神経細胞は興奮と伝達し、より多数の抑制性の伝達を受けたとき、神経細胞は興奮せず伝達しない。だが、それは電位差の総和による。
 神経系における抑制は苦痛の減少と睡眠と休養のために重要である。

機能の停止

 機能が機能することに対して、機能が機能しないこと、つまり、必然的部分が生じないまたは変化しないことを、機能が「停止」すること、物質が停止すること、機能の停止、物質の停止と呼べる。機能が停止することは機能の必然的部分が生じず他の部分が生じることを含む。もちろん、いかなる部分も生じないことを含む。例えば、神経細胞が停止することは、[1]シナプス前伝達が生じるが、[3]シナプス後伝達が生じないこと、つまり、[1-2]不発が生じることを含む。もちろん、[1-2]不発も生じないことを含む。
 機能の停止、特に神経細胞の停止は重要である。後述するとおり、神経細胞群の中の実際に接合する神経細胞のいくつかが興奮し伝達し、他が停止するから、光景、音、痛さ…などの微妙な量が現れると前提される。もしも、神経細胞群の中のすべての神経細胞が興奮し伝達するまたは停止するなら、見えるものは視野全体で真っ白けか真っ黒け、聞こえるものは低音から高音で大音量か完全な静寂か、皮膚、骨、横紋筋、腱で全身に激痛が走るか、何も感じないかである。また、神経細胞群の中の実際に接合する神経細胞のいくつかが興奮し伝達し他が停止するから、いわゆる形が現れると前提される。例えば、木が視覚で現れるためには空を伝える神経細胞が最も高密度で興奮し伝達し、太陽の光を受ける木の部分を伝える神経細胞が比較的高密度で興奮し伝達し、木陰を伝える神経細胞が低密度で興奮し伝達する必要がある。
 そのように、ほとんどの機能の停止は機能と見なせる。機能ととらえることができる停止を機能に含めることにする。
 前述のとおり、機能は抑制を含む。いくつか機能が他のいくつかの機能を抑制して、後者が停止することを前者が後者を停止させることと呼べる。例えば、GABAという神経伝達物質を放出する神経細胞が他の神経細胞を抑制して後者が停止することが前者が後者を停止させることである。また、民主制と権力分立制が専制を抑制して、後者が停止することが前者が後者を停止することである。

機能の生起

 機能の必然的部分を生じるまたは変化させる可能性をもつ部分が生じるまたは変化することを機能の「生起」、機能が生起することと呼べる。機能が生起することは、機能の必然的部分が生じず変化せず他の部分が生じるまたは変化することを含み、機能が停止することと重なる。簡単に言って、機能が生起しても生じないことはあり停止することはある。機能が生起することは必ずしも生じることを意味しない。例えば、神経細胞のシナプス後伝達[1]が生じることが神経細胞の興奮と伝達が生起することである。[1]が生じたとしても、閾値超え[1-1]が生じず、不発[1-2]が生じれば、シナプス前伝達[3]が生じず、神経細胞は興奮せず伝達せず停止する。
 生起の最も重要な例は以下のことである。後述するとおり、多数のイメージの素材が生起するがそれらのうちのある数(n)以下が想起される。それが日常で「同時に二つ以上のことを考えることができない」と思われているものの実体である。
 以下は神経細胞の興奮と伝達と他のいくつかの生物の機能に関する限りで当てはまる。もし仮に、神経細胞の[4]休止が生じなくても、[3]シナプス前伝達が生じれば、神経細胞はシナプス後細胞に伝達し機能する。だが、[1-1][2][3]が生じて[4]が生じないことはありえない。実質的には[1-1][2][3][4]の全体が生じることが、神経細胞が興奮し伝達すること、伝達すること、機能することである。簡単に言って、それらは同じである。

完全停止と不完全停止

 機能が生起することに対して、機能が生起しないこと、つまり、機能の必然的部分もそれを生じるまたは変化させる可能性をもつ部分も生じず変化しないことを機能の「完全」停止または機能が完全に停止することと呼べる。
 機能の完全停止に対して、機能が生起するが機能しないこと、つまり、機能の必然的部分を生じるまたは変化させる可能性をもつ部分が生じるまたは変化するが、機能の必然的部分が生じず変化しないことを機能の「不完全」停止、機能が不完全に停止することと呼べる。
 「不完全」と言うと、悪い印象を与えるかもしれないが、『習性をもつ動物の心理学』で説明されるとおり、悪循環に陥る習性を減退させるためには、わたしたちのそれぞれが悪循環に陥る機能を完全にではなく不完全に停止する必要がある。

生物とその機能

生物とその機能

 たんぱく質、脂質、糖質などの高分子を合成するという属性と自身と同じ必然的属性をもつ物質を複製するというを属性をもつ物質を「生物」と呼べる。例えば、遺伝子は、たんぱく質を合成する機能と自身を複製する機能をもち、生物である。細胞膜は、脂質、酵素を取り込んで、脂質、たんぱく質を合成する機能をもち、広がり分裂して自身を複製する機能をもち、生物である。生物は遺伝子、細胞膜、細胞、身体、個体…などを含む。
 生物がもつ機能を生物機能と呼べる。生物機能は発生、再生、成長、老化、死、群れること、進化を含む。
 生物とその機能を含む属性を「生物とその生物機能」、生物とその機能、生物と呼べる。
 生物とその機能が存在し機能することをそれが「生きる」こと、その「生」と呼べる。生物とその機能が存在し機能するようになることをそれが「生まれる」こと、その「誕生」と呼べる。また、生物とその機能が存在または機能しなくなることを生物が「死ぬ」こと、死と呼べる。例えば、個体だけでなく個体を構成する細胞もやがて死ぬ。
 生物は物質に含まれ、生物機能は物質機能に含まれる。だが、生物を除く物質を物質とも呼べ、生物機能を除く物質機能を物質機能とも呼べる。

個体

 生物の中には、他の生物と空間的に分離して生物であることができるものがある。他の生物と空間的に分離して生物であることができる生物を「個体」と呼べる。虫、魚、鳥、馬、牛、猫、犬、猿、人間…など日常で見かけるたいていの動物は個体である。

身体とその機能

 個体の中には、それがもつ感覚とイメージの想起という機能が現れるものを生じると前提され、運動機能をもつものがある。そのような個体を「身体」または「動物」と呼べる。例えば、視覚で現れるものは網膜から視神経を経て後頭葉の視覚野に至る神経細胞群の興奮と伝達から生じると前提され、眼球は運動し、そのような機能をもつ個体は身体である。
 器官、組織、細胞、神経系、神経細胞群、神経細胞…などは身体の部分である。
 身体がもつ機能を身体機能と呼べる。身体機能は、心臓、血管、肺の収縮と拡張、神経細胞群の興奮と伝達、筋細胞群の興奮と収縮、分泌細胞群の興奮と分泌、不随意運動、随意運動、感覚、記憶を含む。
 身体とその身体がもつ機能を含む属性を「身体とその身体機能」、身体とその機能、身体と呼べる。

動物とその機能

 身体を「動物」、動物の身体、動物の個体とも呼べ、身体機能を動物機能とも呼べる。だが、日常では、身体という言葉は心や精神との対比に用いられ、心や現れるものを含意しない。それに対して、動物、人間という言葉はそれらを含意しうる。そこで、動物とその機能とその部分が生じると前提される現れるものとを動物とその動物機能、動物とその機能、動物と呼べる。つまり、動物とその機能という言葉は、現れるものを含意することがある点において、身体とその機能という言葉と異なる。

人間とその機能

 Homo sapiens(ヒト)という種に属する個体の身体を「人間」、人間の身体、人間の個体と呼べ、人間がもつ機能を人間機能と呼べ、人間とその人間がもつ機能を含む属性を人間とその人間機能、人間とその機能、人間と呼べる。さらに、前述と同じ理由で、人間とその機能とその部分が生じると前提される現れるものとを人間とその人間機能、人間とその機能、人間、個人、わたしたちのそれぞれ…など呼ぶことにする。
 人間機能は、前述の身体機能の他に、二本足で歩くこと、二本足で走ること、クロール、バタフライ…などで泳ぐこと、話し言葉を話す、書き言葉を書く、計算する、遊ぶ、勉強する、仕事をする、対人機能を含む。
 物質は生物を含み、生物は身体(=動物)を含み、身体は人間を含む。物質機能は生物機能を含み、生物機能は身体機能(=動物機能)を含み、身体機能は人間機能を含む。物質とその機能は生物とその機能を含み、生物とその機能は身体とその機能(=動物とその機能)を含み、身体とその機能は人間とその機能を含む。

神経細胞群の興奮と伝達

神経系

 神経細胞、感覚細胞とそれらを支持する神経膠細胞、脳脊髄液、硬膜、軟膜、クモ膜…などから構成される器官を「神経系(Neural System)」と呼べる。中枢神経系だけでなく末梢神経系、自律神経系も神経系に含め、神経細胞、神経細胞群だけでなく、感覚細胞、感覚細胞群、感覚器も神経系に含めることにする。
 以下を「神経細胞群」とも呼ぶことにする。

単位的神経細胞群

 神経細胞体が集まりいわゆる核になり、軸索が束になっていわゆる神経になった神経細胞の集まりを「単位的神経細胞群」と呼べる。
 単位的神経細胞群の中のそれぞれの神経細胞が他のいくつかの単位的神経細胞群の中のいくつかの神経細胞から接合される。そのことを単位的神経細胞群が他のいくつかの単位的神経細胞群から接合されることと呼べる。単位的神経細胞群の中のそれぞれの神経細胞が他のいくつかの単位的神経細胞群の中のいくつかの神経細胞に接合する。そのことを単位的神経細胞群が他のいくつかの単位的神経細胞群に接合することと呼べる。

感覚細胞群

 感覚細胞は、神経細胞が軸索としてもつような長い突起をもたないが、神経細胞と同様に、神経細胞に接合し神経細胞に伝達する能力をもつ。
 感覚細胞の集まりを「感覚細胞群」と呼べる。
 感覚細胞群は、単位的神経細胞群と同様にいくつかの単位的神経細胞群に接合する。そのような感覚細胞を神経細胞に含め、感覚細胞群を単位的神経細胞群に含めることにする。
 ただし、狭義の神経細胞群が感覚細胞群に接合することはない。感覚細胞群は後述する接合する神経細胞群の比喩的な意味でのスターターである。

複合神経細胞群

 以下の線的神経細胞群、分岐する神経細胞群、収束する神経細胞群、一対の神経細胞群、それらの混合を「複合神経細胞群」とも呼ぶことにする。

線的神経細胞群

 一つの単位的神経細胞群[A]が他の一つの単位的神経細胞群[B]に接合し、[B]が他の一つの単位的神経細胞群[C]に接合し…と続くとき、[A][B][C]…を「線的神経細胞群」と呼べる。

神経細胞路

 単位的神経細胞群[A]が他の一つの単位的神経細胞群[B]に接合し、[B]が他の一つの単位的神経細胞群[C]に接合し、[C]が他の一つの単位的神経細胞群または筋細胞群または分泌細胞群[D]に接合し、[A]と[D]が感覚、記憶、運動などの重要な機能をもち、[B][C]が興奮と伝達以外の機能をもたないとき、[B][C]を[A]から[D]への「神経細胞路」と呼べる。

分岐する神経細胞群

 単位的神経細胞群[A]がそれ以上の数の単位的神経細胞群[B][B']に接合し、[B][B']がそれ以上の数の単位的神経細胞群[C][C'][C'']に接合し…と続くとき、[A][B][B'][C][C'][C'']…を「分岐する」または「発散する」神経細胞群と呼べる。また、乱雑に分岐する細胞群を分散する細胞群と呼べる。
 例えば、「記憶」の章で説明される個々のイメージの生成素材が通る神経細胞群は分岐する神経細胞群であり、『自我をもつ動物の心理学』で説明される衝動が通る神経細胞群は発散する神経細胞群である。

収束する神経細胞群

 単位的神経細胞群[Z]がそれ以上の数の単位的神経細胞群[Y][Y']から接合され、[Y][Y']がそれ以上の数の単位的神経細胞群から[X][X'][X'']から接合され…と続くとき、[Z][Y][Y'][X][X'][X'']…を「収束する」神経細胞群と呼べる。
 例えば、「記憶」の章で説明される個々のイメージの素材を保持する神経細胞群から素材を再生する神経細胞群へ向かう神経細胞群が収束する神経細胞群である。だから、多数の個々のイメージの素材が生起するが限られた数以下のものが想起される。

一対の神経細胞群

 ほとんどの神経系に一対の神経細胞群があり、それらの対は、交叉することはあり接合することはあっても、ほとんど同じである。例えば、ほとんどの脊椎動物の神経系のそれぞれに、交叉しつつ、網膜から視神経を経て後頭葉の視覚野に至る一対の神経細胞群かある。そのような一対の神経細胞群を神経細胞群、複合神経細胞群に含めることにする。
 後述するとおり、一対の神経細胞群の興奮と伝達といくつかの処理機能が感覚器を超えて現れるものを生じると前提される。例えば、両眼で視覚で現れるあなたの顔はわたしの眼を超えた位置に見える。それに対して、右眼を閉じると、左眼で視覚で現れるあなたの顔はわたしの左眼の位置に見える。また、対があるから、片方に障害を被っても生命を維持できることがある。そのことは神経系だけでなく目、耳、肺、腎臓、四肢、睾丸、卵巣…などにも当てはまる。また、大脳でも神経細胞群が対になっているから優位半球が問題になる。例えば、右利きの人では左半球が優位であることが多い。その場合、右半球に障害を受けても心的機能や身体機能に重大な障害が現れないことがある。

神経細胞群

 以上の単位的神経細胞群または感覚細胞群または複合神経細胞群または一対の神経細胞群を「神経細胞群」と呼ぶことにする。つまり、神経細胞群は感覚細胞群を含むことがあることにする。

実際に接合する一連の神経細胞

 接合する神経細胞群の中で、すべての神経細胞が直接的または間接的に接合するわけではない。すべてが接合するなら、例えば、網膜での小さな斑点が後頭葉の視覚野での視野全体になってしまうことがある。
 神経細胞群の中で直接的または間接的に実際に接合する神経細胞を「実際に接合する一連の神経細胞」と呼べる。

空間的に維持される神経細胞群

 複合神経細胞群を輪切りにしてみると、一連の実際に接合する神経細胞群は輪切りの中での相対的位置を属性としてもつ。神経細胞が一対多、多対一の接合を何度もせず、いわゆる神経がもつれない限り、一連の実際に接合する神経細胞の空間的相対的位置がある程度、維持される。そのようにして実際に接合する神経細胞の相対的位置がある程度、維持される複合神経細胞群を「空間的に維持される」神経細胞群と呼べる。
 空間的に維持される神経細胞群の興奮と伝達は後述する神経素材の主要な属性の一つである。そうでなければ、例えば、視覚で現れるものが歪んでしまうと前提される。例えば、円がアメーバのような曲線になってしまうかもしれない。

神経機能

 神経系がもつ機能を神経機能と呼べる。神経機能は神経細胞の興奮と伝達、神経細胞群の興奮と伝達、感覚、記憶を含む。
 神経機能の部分が現れるものを直接的に生じると前提され、さらに詳細には、神経細胞群の興奮と伝達の部分が現れるものを直接的に生じると前提される。

神経細胞群の興奮と伝達

 神経細胞群に属する神経細胞または感覚細胞の興奮と伝達と停止を神経細胞群の興奮と伝達、神経細胞群が興奮し伝達することと呼べる。神経細胞群の興奮と伝達の中では、興奮し伝達する実際に接合する一連の神経細胞もあれば、興奮し伝達せず停止するそれらもある。実際に接合する一連の神経細胞の中では、すべてが興奮し伝達するか停止するかのいずれかである。実際に接合する一連の神経細胞に属する神経細胞または感覚細胞の興奮と伝達または停止を実際に接合する一連の神経細胞の興奮と伝達または停止、実際に接合する一連の神経細胞が興奮し伝達するまたは停止することと呼べる。
 神経細胞群の中のアンカーに相当する単位的神経細胞群に属する神経細胞または感覚細胞のシナプス前伝達を神経細胞群のシナプス前伝達、神経細胞群が伝達することと呼べる。
 複合神経細胞群の中のスターターに相当する単位的神経細胞群に属する神経細胞または感覚細胞のシナプス後伝達の総体を神経細胞群のシナプス後伝達、神経細胞群が伝達されることと呼べる。

選択的な神経細胞群の興奮と伝達

 前述の空間的に維持される神経細胞群の興奮と伝達の中では、実際に接合する一連の神経細胞の興奮と伝達または停止の空間的な相対的位置と配列が維持される。簡単に言って、形がそのまま伝わる。例えば、正方形は正方形のまま円は円のまま伝わる。実際に接合する一連の神経細胞の興奮と伝達または停止の空間的な相対的位置と配列が維持される空間的に維持される神経細胞群の興奮と伝達と停止を「選択的な」神経細胞群の興奮と伝達、選択的な神経細胞群が興奮し伝達することとも呼べる。また、その逆を「非選択的な」神経細胞群の興奮と伝達、非選択的な神経細胞群が興奮し伝達することと呼べる。
 選択的な神経細胞群の興奮と伝達は後述の神経素材の主要な属性の一つである。そうでなければ、例えば、視覚で現れるものが歪み、体性感覚で現れる皮膚の痛みの空間的位置と配列が混同され、私たちはどこが痛いのか分からなくなる、と前提される。そのように感覚とイメージの想起を生じる神経細胞群の興奮と伝達は選択的である必要がある。
 それに対して、平滑筋の収縮や内分泌腺の分泌を生じる神経細胞群の興奮と伝達は選択的である必要はない。だが、実際はそれらも前者ほどではないが選択的である。それは発生学的に軸索が縺れるような神経細胞群の発生のほうが困難な仕業だからだろう。

神経細胞群の即時的な興奮と伝達

 すべての神経細胞群の中で、実際に接合する神経細胞の興奮と伝達の間の時間差はミリセカンド(千分の一秒)単位である。そのような神経細胞群の興奮と伝達を神経細胞群の「即時的」な興奮と伝達、神経細胞群が即時的に興奮と伝達と呼べる。
 神経細胞群の即時的な興奮と伝達の中で実際に接合する神経細胞の興奮と伝達の時間的な相対的位置と配列と変化が維持される。
 また、神経細胞群の即時的な興奮と伝達の中で、神経細胞の興奮と伝達の頻度が維持される。
 神経細胞群の即時的な興奮と伝達は後述する現れるものの素材の主要な属性の一つである。そうでなければ、例えば、視覚で現れる走る動物の四肢の前脚前で後脚後でそれから前脚後で後脚前…という動きが前脚前で後脚前でそれから前脚後で後脚後…になることがあると前提される。

神経細胞群の活性

 神経細胞群の中の神経細胞の活性を神経細胞群の活性、活性化と呼べる。そのような神経細胞群の活性化と活性によって後述するとおり記憶における記銘と保持が可能になる。

現れるもの

現れるもの

 前述のとおり、光景、音、臭い、めまい、味、痛さ、暑さ、寒さ、動悸、息苦しさ、吐き気、飢え、渇き、イメージ、アイデア、明暗、音の大小…などを「現れるもの」と呼べる。
 現れるものが存在することまたは存在すると前提されることを「ものが現れること」、現れるものが現れることと呼べる。例えば、筆者であるわたしには現在、パソコンのディスプレー、キーボード、それを打つ手が両眼で視覚で、パソコンを打つ音が両耳で聴覚で、軽度の空腹が自律感覚で現れている。
 「現れるもの」という言葉は、光景、イメージ…などを指すことも、光景、イメージ…などとして再現されると前提される物質、身体…などのものそのものを指すこともある。この著作では「現れるもの」という言葉は前者、つまり、光景、イメージ…などを指すことにする。例えば、光景として再現されると前提される物質の反射率、透過率、屈折率などは現れるものではなく、光景が現れるものである。
 「ものが現れる」ことという言葉は、光景、イメージ…などが存在するまたは存在すると前提されることを指すことも、物質、身体…などのものそのものが光景、イメージ…などとして再現されると前提されることを指すこともある。この著作では「ものが現れること」という言葉は前者を指すことにする。
 現れるものの全体は現れ、現れるものの部分は現れる。例えば、周辺はぼんやりしているが、視覚で現れるものの全体はいわゆる「視野」として現れる。もちろん、視覚で現れるものの中央の部分ははっきりと現れる。だから、現れるものの全体を「現れる全体」と呼べ、現れるものの部分を「現れる部分」と呼べる。現れる全体または現れる部分を現れるものと呼べる。
 色、音の高低…などの質、明暗、音量…などの量、空間的位置、時間的位置、空間的構成、時間的構成、それらの変化…などは現れる空間時間的なものの属性であり、それらは現れる。前述のとおり、それらが現れる属性である。現れる属性は現れる。
 それらのことは以下の言葉にも当てはまる。

(1)現れるもの、ものが現れることという言葉の中のものという言葉を他の言葉で置き換えた「現れる空間的時間的なもの」、「空間的時間的なものが現れること」…などの言葉
(2)「現れる」という動詞に「感覚で」、「イメージとして」…などの修飾語を付けた「感覚で現れるもの」、「イメージとして現れるもの」、「ものがイメージとして現れること」…などの言葉
(3)「現れる」という動詞の時制を変えた「わたしに過去に現れたもの」「わたしに未来に現れているであろう」こと…などの言葉。

現れるものの基本的な種類

 基本的な現れるものの種類は以下のとおりである。

(s)いくつかの種類の感覚で現れるもの=感覚で現れるもの

 以下の(s1)から(s7)を「ある種類の感覚で現れるもの」または感覚で現れるものと呼べる。

(s1)視覚的種類の感覚で現れるもの=視覚で現れるもの
 光景、色、明るさ、書き言葉…
(s1-1)片眼で視覚的種類の感覚で現れるもの=片眼で視覚で現れるもの
 平面的で片眼に限局する光景
(s1-2)両眼で視覚的種類の感覚で現れるもの=両眼で視覚で現れるもの
立体的で両眼を超える光景
(s2)聴覚的種類の感覚で現れるもの=聴覚で現れるもの
 音、声、高低、音量、話し言葉…
(s2-1)片耳で聴覚的種類の感覚で現れるもの=片耳で聴覚で現れるもの
 点であり片耳に限局する音
(s2-2)両耳で聴覚的種類の感覚で現れるもの=両耳で聴覚で現れるもの
 立体的で両耳を超える音源
(s3)嗅覚的種類の感覚で現れるもの=嗅覚で現れるもの
 におい、香り、くささ…
(s3-1)片鼻で嗅覚的種類の感覚で現れるもの片鼻で嗅覚で現れるもの
 平面的で片鼻に限定されたにおい
(s3-2)両鼻で嗅覚的種類の感覚で現れるもの=両鼻で嗅覚で現れるもの
 立体的で両鼻を超えるにおい源
(s4)平衡感覚的種類の感覚で現れるもの=平衡感覚で現れるもの
 めまい、ふらつき…
(s5)味覚的種類の感覚で現れるもの=味覚で現れるもの
 味、うまさ、まずさ、甘さ、辛さ、酸っぱさ、苦さ…
(s6)体性感覚的種類の感覚で現れるもの=体性感覚で現れるもの
 皮膚、骨、横紋筋、腱…などの痛さ、痒さ、暑さ、寒さ…
(s7)自律感覚的種類の感覚で現れるもの=自律感覚で現れるもの
 粘膜、消化器系、循環器系…などの痛さ、痒さ、暑さ、寒さ、動悸、息苦しさ、吐き気…

(i)感覚的イメージとして現れるもの

 下記のi1からi7を「ある種類の感覚的イメージとして現れるもの」、ある種類の感覚的イメージ、感覚的イメージとして現れるもの、感覚的イメージと呼べる。

(i1)視覚的種類の感覚的イメージとして現れるもの=視覚的種類の感覚的イメージ=視覚的感覚的イメージとして現れるもの=視覚的感覚的イメージ
(i1-1)片眼的に視覚的種類の感覚的イメージとして現れるもの=片眼的な視覚的種類の感覚的イメージ=片眼的に視覚的感覚的イメージとして現れるもの=片眼的な視覚的感覚的イメージ
(i1-2)両眼的に視覚的種類の感覚的イメージとして現れるもの=両眼的な視覚的種類の感覚的イメージ=両眼的に視覚的感覚的イメージとして現れるもの=両眼的な視覚的感覚的イメージ
(i2)聴覚的種類の感覚的イメージとして現れるもの=聴覚的種類の感覚的イメージ=聴覚的に感覚的イメージとして現れるもの=聴覚的な感覚的イメージ
(i2-1)片耳的に聴覚的種類の感覚的イメージとして現れるもの=片耳的な聴覚的種類の感覚的イメージ=片耳的に聴覚的感覚的イメージとして現れるもの=片耳的な聴覚的感覚的イメージ
(i2-2)両耳的に聴覚的種類の感覚的イメージとして現れるもの=両耳的な聴覚的種類の感覚的イメージ=両耳的に聴覚的感覚的イメージとして現れるもの=両耳的な聴覚的感覚的イメージ
(i3)嗅覚的種類の感覚的イメージとして現れるもの=嗅覚的種類の感覚的イメージ=嗅覚的感覚的イメージとして現れるもの=嗅覚的感覚的イメージ
(i3-1)片鼻的に嗅覚的種類の感覚的イメージとして現れるもの=片鼻的な嗅覚的種類の感覚的イメージ=片鼻的に嗅覚的感覚的イメージとして現れるもの=片鼻的な嗅覚的感覚的イメージ
(i3-2)両鼻的に嗅覚的種類の感覚的イメージとして現れるもの=両鼻的な嗅覚的種類の感覚的イメージ=両鼻的に嗅覚的感覚的イメージとして現れるもの=両鼻的な嗅覚的感覚的イメージ
(i4)平衡感覚的種類の感覚的イメージとして現れるもの=平衡感覚的種類の感覚的イメージ=平衡感覚的感覚的イメージとして現れるもの=平衡感覚的感覚的イメージ
(i5)味覚的種類の感覚的イメージとして現れるもの=味覚的種類の感覚的イメージ=味覚的感覚的イメージとして現れるもの=味覚的感覚的イメージ
(i6)体性感覚的種類の感覚的イメージとして現れるもの=体性感覚的種類の感覚的イメージ=体性感覚的感覚的イメージとして現れるもの=体性感覚的感覚的イメージ
(i7)自律感覚的種類の感覚的イメージとして現れるもの=自律感覚的種類の感覚的イメージ=自律感覚的感覚的イメージとして現れるもの=自律感覚的感覚的イメージ

 簡単に言えば、思い浮かぶもの、思い出される過去のもの、予期される未来のもの、空想される非現実的なもの…などがイメージである。
 イメージというと視覚的感覚的イメージが思い浮かぶが、聴覚的感覚的イメージ、嗅覚的感覚的イメージ…なども現れる。例えば、目の前に居ない人が思い浮かぶときは、その人の顔が視覚的感覚的イメージとして現れ、その人の言葉が聴覚的感覚的イメージとして現れ、その人の感触が体性感覚的感覚的イメージとして現れる。場合によっては、煙草や酒や香水の臭いを伴うその人の臭いが嗅覚的感覚的イメージで現れる。また、明日の職場や学校のことを予想するときは、建物や人が視覚的感覚的イメージで現れ、人の言葉やチャイムの音が聴覚的イメージで現れる。そもそも、わたしたちは言語の視覚的感覚的イメージと聴覚的感覚的イメージを使いながら思考している。そうでないとわたしたちは言葉を書くか独り言を言わないと思考できない。
 狭義の感覚神経の興奮と伝達を含み自律神経の興奮と伝達を含まない神経機能から生じると前提される感覚で現れるものを体性感覚で現れるもの呼べるのに対して、自律神経の興奮と伝達を含む神経機能から生じると前提される感覚で現れるものを自律感覚で現れるものとも呼ぶことにする。
 自律感覚で現れるものは感覚で現れるものの中で最も曖昧である。だが、例えば、動悸、息苦しさが自律感覚で現れる。自律感覚的感覚的イメージは現れるものの中で最も曖昧である。だが、例えば、動悸、息苦しさという言葉の視覚的感覚的イメージまたは聴覚的感覚的イメージとともにそれらが自律感覚的感覚的イメージとしてわずかにでも現れる。
 以上が最も基本的な現れるものである。以下はより基本的な現れるものである。
 厳密に言うと、動悸、息苦しさなど…は、自律感覚で現れるものだけでなく、胸郭の伸展に伴う体性感覚で現れるものも含み、純粋な自律感覚で現れるものではないが、一つの感覚で現れるものとしてとらえることができる。複数の種類の感覚で現れるものを含むが一つの感覚で現れるものととらえることができる感覚で現れるものを「複合的感覚で現れるもの」と呼べる。
 だが、複合的感覚で現れるものが自律感覚で現れるものを含むとき、それを自律感覚で現れるものとも呼ぶことにする。つまり、自律感覚的種類の感覚で現れるものまたは自律感覚で現れるものという言葉は、自律感覚的種類の感覚で現れるものを含む複合的感覚で現れるものを指すことがあることにする。そのように自律感覚的種類の感覚で現れるものを優先させる理由は『自我をもつ動物の心理学』で説明される。
 片眼で視覚で現れるもの、両眼で視覚で現れるもの、片耳で聴覚で現れるもの…などのそれぞれは同質である。例えば、視覚で現れるものはすべて、色と明暗を属性としてもち、両眼で視覚で現れるものはすべて、立体的であり両眼を超えており、その意味でもそれらは同質である。それに対して、自律感覚で現れるものと自律感覚的感覚的イメージとして現れるものはすべてが同質であるわけでなく、それらは異質である。例えば、動悸と息苦しさと吐き気は似ても似つかず、それらが同質とは言い難い。また、個体の中で、前者のそれぞれは単一の機能から生じると前提される。例えば、両眼で視覚で現れるものは、両眼の網膜から両側の視神経を経て(ここで交叉する)両側の視覚野に至る一対の神経細胞群の興奮と伝達から生じると前提され、それらは単一の機能と見なせる。それに対して、後者が単一の機能から生じるとは前提されない。そこで、自律感覚的種類の感覚で現れるものと自律感覚的種類の感覚的イメージとして現れるものに限って、個体の中でも、自律感覚的種類(複数形)の感覚(複数形)のように複数形を用いることがあることにする。

それぞれの種類の感覚と感覚的イメージで現れるもの

 視覚的感覚的イメージは視覚で現れるものほど鮮明でないが、前者は後者に似ており、聴覚的感覚的イメージは聴覚で現れるものほど鮮明でないが、前者は後者に似ており、、嗅覚的感覚的イメージ、平衡感覚的感覚的イメージ…などについて同様のことが言える。例えば、視覚的感覚的イメージとして現れる他人の顔は、視覚で現れるその人の顔ほど鮮明でないが、視覚で現れるその人の顔に似ており、聴覚的感覚的イメージとして現れる他人の声は、聴覚で現れるその人の声ほど鮮明でないが、聴覚で現れるその人の声に似ている。そのように、現れるものの中では、感覚で現れるものと感覚的イメージで現れるものが区別されるだけでなく、視覚的なもの、聴覚的なもの…などが区別され、前者の区別だけでなく後者の区別によっても「種類」が生じる。この著作は前者の種類だけでなく後者の種類を重視し、「種類」という言葉は主として後者の種類を指すことにする。また、そのような意味で同じ種類に属する感覚で現れるものと感覚的イメージとして現れるものを「同種」の感覚と感覚的イメージで現れるものと一般的に呼べ、視覚的種類の感覚と感覚的イメージで現れるもの、聴覚的種類の感覚と感覚的イメージとして現れるもの…などと個別的に呼べる。この章の最初から、視覚的種類の感覚で現れるもののように、「種類」という言葉はそのような意味で使われてきた。
 それぞれの種類の感覚と感覚的イメージとして現れるものの中で、感覚で現れるものと感覚的イメージは似ているのであって、そのような種類を超えて似ているのではない。例えば、視覚で現れるものと聴覚的感覚的イメージは似ても似つかない。視覚で現れる他人の顔と聴覚的イメージとして現れるその人の声は似ても似つかない。

快不快の感覚で現れるもの

 なんらかの快と不快がほどんどいつも感覚で現れる。例えば、皮膚の痛さが体性感覚で現れ、動悸、息苦しさ、空腹または満腹、渇き、吐き気が自律感覚で現れ、それらは快または不快である。例えば、適度の空腹は快のことがあり、過度の空腹はしばしば不快である。また、過度の動悸、息苦しさは常に不快だが、適度なそれらは期待として快であることがある。仮にそれらが快不快として感じられないとしても、それは大きさがゼロの属性と見なせる。(s3)-(s7)のそれぞれはそのような快不快を属性としてもつ。快不快を属性としてもつ(s3)-(s7)のそれぞれを「快不快の感覚で現れるもの」と一般的に呼べ、快不快の嗅覚で現れるもの、快不快の平衡感覚で現れるもの、快不快の味覚で現れるもの、快不快の体性感覚で現れるもの、快不快の自律感覚で現れるものと個別的に呼べる。
 皮膚、骨、横紋筋、腱…などの痛さ、痒さ、暑さ、寒さ…は快不快の体性感覚で現れるものに含まれる。何故ならそれらの組織または器官には主として狭義の感覚神経が分布するからである。粘膜、消化器系、循環器系…などのそれらと動悸、息苦しさ、吐き気、飢え、渇き…などは快不快の自律感覚で現れるものに含まれる。何故なら、それらには主として自律神経が分布するからである。
 視覚で現れるもの、聴覚で現れるものを除いて、感覚で現れるものは快不快の感覚で現れるものである。それらは快不快をもつから心理学的に重要である。視覚で現れるもの、聴覚で現れるものは快不快の感覚で現れるものではない。例えば、目の痛さ、耳の痛さは、体性感覚で現れるものまたは自律感覚で現れるものまたは比喩である。視覚で現れるものと聴覚で現れるものは、快不快をもたないが、それらから生じる視覚的感覚的イメージと聴覚的感覚的イメージが感覚的イメージの中で優勢であるから心理学的に重要である。結局、前者は情動に重要であり、後者は記憶、知覚、連想、思考にとって重要である。
 快不快の感覚で現れるものは、快の属性が比較的に優勢な空間的時間的部分、不快の属性が比較的に優勢な空間的時間的部分をもつ。快不快の感覚で現れるものの中の、快の属性が比較的に優勢な空間的時間的部分を「快の感覚で現れるもの」または快と呼べ、不快の属性が比較的に優勢な空間的時間的部分を「不快の感覚で現れるもの」または不快と呼べる。
 結局のところ、あるものが快か不快かは動物とその機能がそれに対してどのように機能するかで決定できるだけである。『自我をもつ動物の心理学』で説明されるように、衝動を生じる自律感覚は快の自律感覚である。

感覚器で現れるもの⇔感覚器を超えて現れるもの

 (s1-1)(s2-1)(s3-1)(s4)(s5)(s6)(s7)(i1-1)(i2-1)(i3-1)(i4)(i5)(i6)(i7)のそれぞれは点または平面的または立体的であり、それぞれに固有の感覚器で現れ、それを超えて現れない。例えば、右目を閉じてみると、左眼で視覚で現れる他人の顔は平面的であり、左眼で現れ、左眼を超えて現れない。点または平面的または立体的でありそれぞれの現れる感覚器を超えない(s1-1)(s2-1)(s3-1)(s4)(s5)(s6)(s7)(i1-1)(i2-1)(i3-1)(i4)(i5)(i6)(i7)を「感覚器で現れるもの」と呼べる。
 (s1-2)(s2-2)(s3-2)(i1-2)(i2-2)(i3-2)は立体的でありそれぞれの現れる感覚器を超える。例えば、両眼を開くと、両眼で現れる他人の顔は立体的であり両眼を超える。立体的でありそれぞれの現れる感覚器を超える(s1-2)(s2-2)(s3-2)(i1-2)(i2-2)(i3-2)を「感覚器を超える現れるもの」と呼べる。
 感覚器で現れるものにおいては、現れるものが現れる空間はそれらに固有の感覚細胞群が分布する空間と一致する。例えば、体性感覚で現れるものが現れる空間は、狭義の感覚神経が分布する皮膚、横紋筋、骨、腱と一致する。  ただし、片耳で聴覚で現れるもの、片耳で聴覚的感覚的イメージとして現れるもの、平衡感覚で現れるもの、平衡感覚的感覚的イメージとして現れるものは空間的に点でしかない。それらが空間的に点でしかないのは、内耳の感覚細胞群の空間的位置、配列が、身体の中での位置、配列ではなく、音の高低や他の質を表現するからである。

現れる空間的時間的なものと現れる属性

 前述のとおり、現れるものは、現れる空間的時間的なものと現れる属性に区別される。例えば、木の光景は視覚で現れる空間的時間的なものであり、それは色と明るさを属性としてもつ。もう少し詳しく見ると、木の中の葉という空間的時間的なものは緑という色を属性としてもち、太陽の光が当たるそれらは明るい緑という色を属性としてもち、太陽の光が当たらない陰のそれらは暗い緑という色を属性としてもつ。
 連続する感覚と感覚的イメージで現れるものの中で、現れる空間的時間的なものが似ており、現れる属性が似ている。例えば、視覚と視覚的感覚的イメージで現れるものの中で、視覚で現れる色と視覚的イメージとして現れる色が似ている。例えば、夢では自律感覚で現れるものを除いて、感覚で現れるものは現れず、感覚的イメージとして現れるものが現れ、夢は色付きのものが多く、それらの色は視覚的イメージとして現れるものが属性としてもつものである。
 視覚で現れる属性、聴覚で現れる属性は快不快を含まない。嗅覚で現れる属性、平衡感覚で現れる属性、味覚で現れる属性、体性感覚で現れる属性、自律感覚で現れる属性は快不快を含むが、感覚的イメージとして現れる属性は快不快を含まない。例えば、不安、恐怖…などの精神的情動で快不快と見えるものは、『自我をもつ動物の心理学』で説明されるとおり、快不快の自律感覚で現れるものが属性としてもつ快不快である。
 点であれ平面的であれ立体的であれ属性であれ、感覚で現れるもの、感覚的イメージとして現れるものはすべて、空間的時間的なものまたは空間的時間的なものの属性である。簡単に言って、それらは空間と時間を超えない。
 以下の個々のイメージ、複合イメージ…などを含めてすべての現れるものは空間的時間的なものまたは空間的時間的なものの属性であり、これらの著作ではその説明が省略されることがある。

強い〜弱い現れるもの、ものが強く〜弱く現れること

 すべての現れる空間的時間的なものは、属性として、明るさ〜暗さ、音量、近さ〜遠さ、大きさ〜小ささ、強さ〜弱さ、鮮明さ〜曖昧さ…などの量をもち、それらの量は現れる。現れる空間的時間的なものが属性としてもち現れる量を、「現れる量」と呼べる。これらの著作では、それが実感されやすいように、現れる量を「現れる強さ」とも呼ぶことにする。また、現れる量が大きい〜小さい現れるものを強く〜弱く現れるものとも呼べ、強く〜弱く現れるものが現れることをものが強く〜弱く現れることと呼べる。
 それらの現れる量のいくつかはいくつかの動物の機能と機能の量に大きな影響を及ぼす。そのような量を以下に挙げてみる。それらも「強く〜弱く」という言葉で表現することにする。

○明るさ
この言葉はすべての視覚的感覚と感覚的イメージで現れるものがもつ現れる量を表す。
○距離=近さ
この言葉はすべての感覚器を超えて現れるもの、つまり、両眼で視覚的感覚と視覚的感覚的イメージで現れるもの、両耳で聴覚と聴覚的感覚的イメージで現れるもの、両鼻で嗅覚と嗅覚的感覚的イメージで現れるものがもつ現れる量を表す。
○音量
この言葉はすべての聴覚的感覚と感覚的イメージとして現れるものがもつ現れる量を表す。
○強さ
狭義には、この言葉は体性感覚で現れる痛み、暑さ、寒さ…、自律感覚で現れる動悸、息苦しさ、飢え、渇き、吐き気…などがもつ現れる量を表す。広義には、視覚的感覚と感覚的イメージで現れる明るさは光の強さとも見なせ、聴覚的感覚と感覚的イメージで現れる音量は音の強さとも見なせる。前述のとおり、これらの著作では他の現れる量を指すにもこの言葉を用いる。
○鮮明さ
 この言葉はすべての現れるものがもつ現れる量を表す。視覚で現れるものの中で周辺は曖昧であり真ん中は鮮明である。一般に体性感覚で現れるものは自律感覚で現れるものより鮮明である。一般に感覚で現れるものはイメージとして現れるものより鮮明である。現れる鮮明さは写真の解像度などに喩えることができる。通常、受光素子の数が大きくなるほど解像度が大きくなるように、網膜の感覚細胞の数が大きくなるほど鮮明さは大きくなる。また、カメラのレンズに汚れがあると解像度が落ちるように、眼の水晶体に白内障があると鮮明さは落ちる。
〇空間的大きさ
 視覚的感覚と感覚的イメージで現れるもの、体性感覚と感覚的イメージで現れるものは明らかな空間的広さをもつ。例えば、両眼で視覚で現れるものの中で、わたしたちは眼前にあるもののサイズを推測できる。また、体性感覚で現れるものの中で、わたしたちは背中の皮膚病変の広さを痛さ痒さの広さなどから推測できる。だが、それ以外の現れるもののいくつかも曖昧だが空間的広さをもつ。両耳で聴覚で現れるものと両鼻で嗅覚で現れるものの中では音源と臭い源が現れ、その大きさも現れる。例えば、合唱の音源が独唱のそれより大きいことをわたしたちは聞き取れる。また、人間においては両鼻で嗅覚で現れるものの臭い源は非常に曖昧だが、恐らく他のいくつかの動物は天敵や獲物の大きさを嗅ぎ分けるだろう。また、自律感覚で現れるものの空間的大きさも曖昧であるが、例えば、胃粘膜全体の炎症と同じ粘膜の小部分の同程度の炎症では違って感じられるだろう。
〇時間的持続と頻度
これはイメージとして現れるもので重要である。例えば、不安を生じるイメージは曖昧だが執拗に頻繁に現れ、その執拗さと頻繁さがわたしたちを悩ませる。

イメージとして現れるもの=イメージ

個々のイメージとして現れるもの=個々のイメージ

 感覚的イメージの中で、いくつかの属性をもつ空間的時間的部分が通常は分離して現れ、強く現れ、弱く現れ、消滅し、ときにいくつかが融合しまた分離する。例えば、視覚的イメージとして現れるものの中で、頭部、胴体、上肢、下肢という空間的構成を属性としてもつ特定の人の身体が背景や他の人々と分離して現れ、近づき、遠ざかり、消滅し、ときには背景と融合しまた分離する。さらに、顔や目だけが現れることもある。感覚的イメージの中で、通常は分離して現れ、強く現れ、弱く現れ、消滅し、ときに融合しまた分離し…と続くいくつかの属性をもつ感覚的イメージとして現れる空間的時間的部分を「個々のイメージとして現れるもの」「個々のイメージ」「個々の感覚的イメージとして現れるもの」「個々の感覚的イメージ」とも一般的に呼び、個々の視覚的イメージとして現れるもの、個々の視覚的イメージ、個々の聴覚的イメージとして現れるもの…などと個別的に呼べる。例えば、個々の視覚的イメージとして現れる特定の他人の顔、個々の視覚的イメージとして現れる特定の道具、個々の聴覚的イメージとして現れる特定の単語が個々のイメージである。今後は簡略化のため「個々のイメージ」という言葉をよく用いることにする。それは一般的な言葉であり、個々のイメージは個々の視覚的イメージ、個々の聴覚的イメージ…などを含む。
 空間的時間的なものまたはその属性である感覚的イメージとして現れるものの空間-時間的部分であるから、個々のイメージはすべて、空間的時間的なものまたはその属性である。簡単に言って、空間と時間を超えない。
 しかも、個々のイメージはすべていくつかの属性をもつ。
 個々のイメージは『特定のものと一般のもの』で説明される特定のものである。

イメージとして現れるもの=イメージ

 以下の複合的イメージとして現れるもの、知覚で現れるもの、連想で現れるものを「イメージとして現れるもの」、「イメージ」とも呼ぶことにする。

複合イメージとして現れるもの=複合イメージ

 複数の個々のイメージが他の個々のイメージと感覚で現れるものより空間的時間的に近くで現れる。例えば、両眼で個々の視覚的イメージとして現れる特定の他人の顔、両耳で個々の聴覚的イメージとして現れるその人の話し言葉と名前…などが両眼で個々の視覚的イメージとして現れる別の特定の他人の顔、両耳で個々の聴覚的イメージとして現れる別の特定の人の話し言葉と名前…などより空間的時間的に近くで現れる。他の個々のイメージまたは感覚で現れるものより、空間的時間的に近くで現れる複数の個々のイメージを「複合イメージとして現れるもの」「複合イメージ」「複合イメージとして現れるもの」「複合イメージ」「イメージとして現れるもの」「イメージ」、個々のイメージ群と呼べる。
 さらに、複数の複合イメージが他のいくつかの複合イメージと個々のイメージと感覚で現れる部分より空間的時間的に近くで現れ…と続く。例えば、複合イメージとして現れる人間、複合イメージとして現れる猿…などが複合イメージとして現れる鳥、複合イメージとして現れる魚…などより空間的時間的に近くで現れる。それは人間は鳥や魚より猿に似ており、現代人が生物の分類法、進化論…などを知っているからである。{他のいくつかの複合イメージまたは個々のイメージまたは感覚で現れる部分より、空間的時間的に近くで現れる複数の複合イメージ}と{それを繰り返してますます複合的な複合イメージになる複合イメージ}を複合イメージとして現れるもの、複合イメージ、イメージとして現れるもの、イメージ、複合イメージ群と呼べる。
 すべての複合イメージは多数の個々のイメージまたはいくつかの複合イメージから空間的時間的に構成される。結局、複合イメージは多数の個々のイメージから空間的時間的に構成される。
 複合イメージの多くは複数の種類の個々の感覚的イメージから構成される。例えば、複合イメージとして現れる特定の他人は、個々の視覚的イメージとして現れるその人の顔、体、個々の聴覚的イメージとして現れるその人の話し言葉と名前…などから構成される。また、複合イメージとして現れる一般の人間は、多数の個々の視覚的イメージとして現れる特定の他人、個々の聴覚的イメージとして現れる「人間」、「人」、「ホモ」、「サピエンス」…などの話し言葉…などから構成される。
 だが、通常、複合イメージの中で一種類または二種類の個々の感覚的イメージが優勢である。特に人間では個々の視覚的イメージと個々の聴覚的イメージが優勢である。また、書き言葉と記号の複合イメージの中では個々の視覚的イメージが優勢であり、話し言葉の複合イメージの中では個々の聴覚的イメージが優勢である。個々の視覚的イメージが優勢な複合イメージ、個々の聴覚的イメージが優勢な複合イメージ…などを「視覚的イメージ」「聴覚的イメージ」…などと呼べる。そのように定義すると、人間においては複合イメージは視覚的イメージまたは聴覚的イメージであると言える。
 空間的時間的であるまたは空間的時間的なものの属性である多数の個々のイメージから構成されるから、すべての複合イメージは空間的時間的であるまたは空間的時間的なものの属性である。簡単に言って、空間と時間を超えない。
 複合イメージが「観念」と呼ばれるものの実体である。つまり、観念さえも空間と時間を超えない。特定のものと一般のものについては『特定のものと一般のもの』を参照していただきたい。数秒以上の時間的広がりをもつもの、一般のもの、機能…などはすべて、複合イメージとして現れ、感覚、感覚的イメージ、個々のイメーでは現れない。いわゆる抽象的なものも複合イメージとして現れる。例えば、数年間の時間的広がりをもつ特定の人間は、多数の個々の視覚的イメージとして現れるその人間の顔、身体、多数の個々の聴覚的イメージとして現れるその人間の話し言葉と名前…などから構成される複合イメージとして現れる。一般の人間は、多数の個々の視覚的イメージとして現れる個人の顔、身体、個々の聴覚的イメージとして現れる「人間」、「人」、「ホモ」、「サピエンス」…などの話し言葉、個々の視覚的イメージとして現れる直立二足歩行…などから構成される複合イメージとして現れる。万有引力という機能は、いくつかの個々の視覚的イメージとして現れるベクトルを表す矢印、個々の聴覚的イメージとして現れる「万有」、「引力」…などの話し言葉…などから構成される複合イメージとして現れる。

感覚的イメージと複合イメージ

 感覚的イメージも複合イメージも個々のイメージから構成される。だが、前者は視覚的であるか、聴覚的であるか…などに基づき、後者は空間的時間的近さに基づく。前者は、まとまりがありいわゆる意味がある後者を輪切りにしてできたようなものであり、それだけでは意味を成さない。『自我をもつ動物の心理学』で説明される感情、欲求、自我、思考…などにとって重要なのは後者であり、そこでは前者はほとんど無視できる。また、後者は日常、文学、芸術にとって重要である。だが、最終章で記憶を説明するこの著作では前者は無視できない。何故なら、記憶の最終段階の再生において、個々の視覚的イメージは視覚的に再生され視覚的感覚的イメージを構成し、個々の聴覚的イメージは聴覚的に再生され聴覚的感覚的イメージを構成し、個々の嗅覚的イメージ、個々の平衡感覚的イメージ…などについても同様のことが言えるからである。だが、感覚的イメージがそれだけで意味を成さないことに変わりはない。

知覚で現れるもの

   いくつかの複合イメージと感覚で現れる空間的時間的部分が他の個々のイメージ、複合イメージ、感覚で現れる部分より空間的時間的に近くで現れる。例えば、両眼で視覚で現れる特定の他人の顔と両眼で視覚的イメージとして現れるその他人の顔と両耳で聴覚的イメージとして現れるその人の話し言葉と名前が、視覚で現れる別の特定の他人のそれらや背景より空間的時間的に近くで現れる。他のいくつかの個々のイメージまたは複合イメージまたは感覚で現れる部分より空間的時間的に近くで現れるいくつかの個々のイメージまたは複合イメージと感覚で現れる部分を「知覚で現れるもの」と呼べる。
 感覚で現れるものはすべて際限がなく混沌としている。いくつかの属性をもつ感覚的イメージの部分が切り取られて生成した個々のイメージは際限があり、混沌を脱する。だが、感覚で現れるもの、感覚的イメージ、個々のイメージはすべて、瞬間のものであり特定のものである。それに対して複合イメージのいくつかは持続的なものである。また、複合イメージのいくつかは、一般の人間のように一般のものである。また、複合イメージのいくつかは自由のように抽象的なものである。感覚で現れる部分が複合イメージと融合したとき、感覚で現れる部分は知覚で現れるものとして混沌を脱する。例えば、感覚で現れる他人の顔の部分は顔でも個人でも人間でもない。簡単に言って、その人を認識できない。その部分に複合イメージとして現れるその人の顔が融合したとき、感覚で現れるその部分が知覚で現れそ人の顔として混沌を脱する。簡単に言って、その人を認識できる。もっと簡単に言って、わたしたちは感覚で現れるものにイメージを重ね合わせることによってものをよく見てよく聞きよく感じることができる。

一定数(N)以下のイメージ

 ゼロコンマ数秒以下の時間に、一定数(n)以下の複合イメージが現れ、いくつかのイメージが最も強く現れ、いくつかのイメージがより強く現れ、いくつかのイメージがより弱く現れ、いくつかのイメージが最も弱く現れる。例えば、自己について考えるとき、自己のイメージが最も強く現れ、自己が深く係る他人のイメージがより強く現れ、他のもののイメージは弱く現れる。それらのことがいわゆる「意識」の一部の実体である。
 ただし、一定数(n)は種または個体によって決まっているわけではなく、状況によって変動する。例えば、いくつかのものが非常に強く現れるとき、その数は小さくなる。例えば、恋人が現れるとき、普通の人々が現れるときよりその数は小さくなる。

連想で現れるもの

 ゼロコンマ数秒以上の時間の中では、いくつかの知覚で現れるものといくつかの複合イメージが空間的時間的に近くで現れ、それらの複合イメージと他のいくつかの複合イメージが空間的時間的に近くで現れ、それらの複合イメージと他のいくつかの複合イメージが空間的時間的に近くで現れ…と続く。そのように繰り返される複合イメージも複合イメージに含まれる。だが、数秒以上、続く複合イメージでは空間的近さより時間的近さが重要になる。また、一定数(n)は重要でない。数秒以上の時間、続く複合イメージを「連想で現れるもの」と呼べる。例えば、朝に目覚めると、知覚で現れる窓と街のイメージが近くで現れ、後者と職場や学校のイメージが近くで現れ、後者と職場や学校の人々のイメージが近くで現れ…と続く。それらのイメージが連想で現れるものである。
 いずれにしても、連想で現れるものは複合イメージに含まれる。

イメージとして現れるもの=イメージ

 さて、
(1)群:複合イメージとして現れるもの=複合イメージ
(2)群:知覚で現れるもの
(3)群:連想で現れるもの
の三群が得られた。
(1)(2)(3)は(1)を含み、記憶、情動、自我、思考にとって最も重要なのは(1)である。また、逐次、「複合イメージとして現れるものまたは知覚で現れるものまたは連想で現れるもの」という言葉を用いると文章が煩雑になる。そこで、(1)(2)(3)を「イメージとして現れるもの」「イメージ」とも呼ぶことにする。つまり、イメージという言葉は複合イメージまたは知覚で現れるものまたは連想で現れるものを指すことにする。そのように簡略化してもこれらの著作では支障はない。

イメージとして現れる言葉=イメージとして現れる言語=言語イメージ

 人間では、書き言葉や記号が、視覚で現れるだけでなく、視覚的イメージとして現れ、話し言葉が、聴覚で現れるだけでなく、聴覚的イメージとして現れ、点字が、体性感覚で現れるだけでなく、体性感覚的イメージとして現れる。視覚的イメージとして現れる書き言葉、記号、聴覚的イメージとして現れる話し言葉、体性感覚的イメージとして現れる点字…などを「イメージとして現れる言語」「言語イメージ」と呼べる。
 短い単語のいくつかは個々のイメージとして現われ、短い単語のいくつかと長い単語の多くと短い句のいくつかは複合イメージとして現れ、短い句のいくつかと長い句と節と文章は連想で現れる。例えば、「長い句や文章は連想で現れる」という文章は連想で現れる。
 言語イメージが豊富に生成するほど、一般のイメージが複雑になり豊富になる。

イメージの強さ

 イメージを構成する個々のイメージまたは感覚で現れるものの部分の強さ〜弱さの平均として、イメージは強さ〜弱さを属性としてもつ。例えば、個人としての人間について考えるとき、人間のイメージが社会や自然のイメージより強く現れる。その逆も言える。

現れるものの構成

 すべての現れるものは感覚で現れるものまたは個々のイメージから構成される。例えば、すべての複合イメージは多数の個々のイメージから構成され、知覚で現れるものは感覚で現れるいくつかの部分と多数の個々のイメージから構成される。また、前述のとおり、感覚的イメージは個々のイメージから構成される。
 空間的時間的なものまたはその属性である感覚で現れるものまたは個々のイメージから構成されるすべての現れるものは空間的時間的なものまたは空間的時間的なものの属性である。簡単に言って、空間と時間を超えない。例えば、一見したところ空間と時間を超える抽象的なものも、複合イメージとしてまたは連想で現れるのであり、空間と時間を超えない。
 現れるものは、感覚で現れるもの、個々のイメージ、複合イメージ、知覚で現れるもの、イメージ、連想で現れるもの、情動で現れるもの、自我で現れるもの、思考で現れるもの…などを含む。それらのうち、感覚で現れるものは感覚で現れるものから構成され、感覚的イメージ、個々のイメージ、複合イメージ、連想で現れるものは多数の個々のイメージから構成され、知覚で現れるもの、情動で現れるもの、自我で現れるもの、思考で現れるものは感覚で現れるいくつかの部分と多数の個々のイメージから構成される。

現れるものの連続

 覚醒しているまたは夢を見ている限り、何らかの現れるものが現れ、途絶えることはない。目を閉じても、何かが聞こえる。もし仮に目と耳を完全に閉じることができても、それらを閉じている手やマスクが感じられる。仮に視覚、聴覚、体性感覚で現れるものが現れないとしても、空腹や渇きが自律感覚で現れる。仮に感覚で現れるものが生じないとしても、覚醒しているまたは夢を見ている限り、いくつかのイメージが現れる。そのような連続を「現れるものの連続」「イメージの連続」とも呼ぶことにする。それが「意識の連続性」「意識の流れ」…などと呼ばれるものの実体である。
 眠っており夢を見ていないとき、または意識を失っているとき、現れるものは現れない。だが、再び覚醒するまたは夢を見て、記憶がある限り、現れるものは断続すると見なせる。例えば、朝、目が覚めると、昨日の出来事がイメージとして現れる。

現れるものを生じる神経機能

現れるものを生じる神経機能

 現れるものはすべて、ものそのものから生じると前提される。例えば、視覚で現れるものは、網膜に達する光子、網膜に達する光子を反射、透過、屈折する物質とその機能、網膜から視神経を経て大脳の視覚野に至る神経細胞群の興奮と伝達…などから生じると前提される。
 現れるものはすべて、神経系のいくつかの部分とそれらの機能から直接的に生じると前提される。現れるものを直接的に生じると前提される神経系のいくつかの部分とそれらの機能を「現れるものを直接的に生じる神経機能」と呼べる。また、それらととそれらを生じるまたは変化させるのに不可欠な神経系のいくつかの部分とそれらの機能を「現れるものを生じる神経機能」と呼べる。例えば、網膜から視神経を経て大脳の視覚野に至る神経細胞群の興奮と伝達…などが視覚で現れるものを生じる神経機能である。
 また、感覚で現れるもの、感覚的イメージとして現れるものを生じると前提される神経機能を「感覚」、「イメージの想起」または想起と呼べる。
 これらの言葉は日常で、それらから生じる現れるものを含意する。例えば、わたしたちは「感覚」という言葉を使うとき、眼や耳や神経だけでなく光景や音が思い浮かぶ。そこで、

現れるものを生じる神経機能とそれから生じる現れるもの
感覚とそれから生じる感覚で現れるもの
感覚的イメージの想起=想起とそれから生じる感覚的イメージ



現れるものを生じる神経機能
感覚
感覚的イメージの想起=想起

とも呼ぶことにする。
 詳細は以下のようになる。

[nf]現れるものを生じる神経機能
 [s]ある種類の感覚=感覚
  [s1]視覚的種類の感覚=視覚
   [s1-1]片眼での視覚的種類の感覚=片眼での視覚
   [s1-2]両眼での視覚的種類の感覚=両眼での視覚
  [s2]聴覚的種類の感覚=聴覚
   [s2-1]片耳での聴覚的種類の感覚=片耳での聴覚
   [s2-2]両耳での聴覚的種類の感覚=両耳での聴覚
  [s3]嗅覚的種類の感覚=嗅覚
   [s3-1]片鼻での嗅覚的種類の感覚=片鼻での嗅覚
   [s3-2]両鼻での嗅覚的種類の感覚=両鼻での嗅覚
  [s4]平衡感覚的種類の感覚=平衡感覚
  [s5]味覚的種類の感覚=味覚
  [s6]体性感覚的種類の感覚=体性感覚
  [s7]自律感覚的種類の感覚=自律感覚
 [i]ある種類の感覚的イメージの想起=感覚的イメージの想起
  [i1]視覚的種類の感覚的イメージの想起=視覚的感覚的イメージの想起
   [i1-1]片眼的な視覚的種類の感覚的イメージの想起=片眼的な視覚的感覚的イメージの想起
   [i1-2]両眼的な視覚的種類の感覚的イメージの想起=両眼的な視覚的感覚的イメージの想起
  [i2]聴覚的種類の感覚的イメージの想起=聴覚的感覚的イメージの想起
   [i2-1]片耳的な聴覚的種類の感覚的イメージの想起=片耳的な聴覚的感覚的イメージの想起
   [i2-2]両耳的な聴覚的種類の感覚的イメージの想起=両耳的な聴覚的感覚的イメージの想起
  [i3]嗅覚的種類のイメージの想起=嗅覚的イメージの想起
   [i3-1]片鼻的な嗅覚的種類の感覚的イメージの想起=片鼻的な嗅覚的感覚的イメージの想起
   [i3-2]両鼻的な嗅覚的種類の感覚的イメージの想起=両鼻的な嗅覚的感覚的イメージの想起
  [i4]平衡感覚的種類の感覚的イメージの想起=平衡感覚的感覚的イメージの想起
  [i5]味覚的種類の感覚的イメージの想起=味覚的感覚的イメージの想起
  [i6]体性感覚的種類の感覚的イメージの想起=体性感覚的感覚的イメージの想起
  [i7]自律感覚的種類の感覚的イメージの想起=自律感覚的感覚的イメージの想起

 それらのいくつかを補足する。
 自律感覚で現れるものが単一の機能から生じるとは前提されない。また、自律感覚的感覚的イメージで現れるものについても同様である。だから、それらに限って、個体の中でも、自律感覚的な「種類(複数形)」の「感覚(複数形)」ように複数形を用いることにする。
 前述のとおり、現れるものの中では「複合的感覚」というものがありえる。ものそのものの中でもそうである。特に、自律神経と狭義の感覚神経の興奮と伝達を含む複合的感覚を想定できる。だが、これらの著作では自律神経の興奮と伝達を含む複合的感覚を自律感覚的種類の感覚または自律感覚と呼ぶことにする。それは、『自我をもつ動物の心理学』で説明されるとおり、自律感覚は感情、欲求、自我に必須であり、ある機能がわずかな自律感覚を含むだけでその機能はそれらに必須でありえるからである。
 [s1]-[s7]は人間を含む脊椎動物に基本的な感覚である。脊椎動物以外では、[s6]体制感覚と[s7]自律感覚の区別は曖昧である。陸生の脊椎動物の中で[s2]聴覚と[s3]平衡感覚が明瞭になる。それら以外にも、例えば、赤外線を用いた感覚がいくつかの爬虫綱などにあり、超音波を用いた感覚がイルカなどにある。これらの著作ではそれらの特殊な感覚の説明を省略することにする。
 視覚、聴覚を除いて、感覚は快不快の感覚である。感覚の系統発生と個体発生と個体の老化においては、体性感覚、自律感覚、味覚、嗅覚が先行し、最後まで残る。だから、なんらかの感覚をもつ動物はすべて、なんらかの快不快の感覚をもつ。
 イメージの想起はいくつかの哺乳類で、特に人間で明らかになる。「想起」というと過去のできごとが思い出されることを指しがちだが、現在のできごとが思い浮かぶこと、未来のできごとが予期、予想されること、現実にはないできごとが空想されること、夢…なども想起に含まれる。
 現れるものについて説明したのと同様に、イメージの想起または想起という言葉は複合イメージの想起または知覚または連想を指すことがあることにする。
 地球上のすべての動物の神経系は他から分離しており、どの動物の神経細胞群も他のそれらに接合することはなく伝達することはなく接合されることはなく伝達されることはない。だから、他の動物に現れるものがわたしに現れることはないと前提される。例えば、あなたの顔はわたしに視覚で現れているが、あなたに視覚で現れるわたしの顔がわたしに現れることはない。言い方を替えれば、もし仮にわたしと他の動物の神経系が交錯すれば、他に現れるものがわたしに現れることがあり、逆もあるかもしれない。とすれば、あなたが見て聞いて感じているものがわたしに見え聞こえ感じられ、その逆もありえる。比喩的にではなく本当の意味であなたの痛みがわたしの痛みになるかもしれない。だが、地球上の生物に関する限りでそのようなことはないだろう。

同種の連続する感覚と記憶

 視覚的感覚的はイメージ視覚で現れるものに似ており、聴覚的感覚的イメージは聴覚で現れるものに似ており、同様のことが嗅覚的感覚的イメージ、平衡感覚的感覚的イメージ…などについて言える。だから、現れるものの段階で既に、視覚的なもの、聴覚的なもの…などの区別に基づく種類が認められた。「種類」という言葉は既にその意味で主として用いられてきた。
 さらに感覚で現れるものと感覚的イメージとして現れるものの類似性から、

(1)ある種類の感覚


(3)それと同種の感覚的イメージの想起

の間に

(2)(1)から生じまたは変化させ(3)を生じまたは変化させる神経細胞群とそれらの機能

があり、(1)(2)(3)が個体の一つの個体の神経系の中で小さな神経系を構成していることが分かる。(1)(2)(3)は連続する。(1)(3)が現れるものを直接的に生じるのに対して、(2)は現れるもの直接的に生じない。記憶と呼ばれるものの核心は(2)にある。(2)を「ある種類の潜在的記憶」またはある潜在的記憶と一般的に呼べ、視覚的種類の潜在的記憶または視覚的潜在的記憶、聴覚的種類の潜在的記憶または聴覚的潜在的記憶…などと個別的に呼べる。(2)(3)をある種類の記憶または記憶と一般的に呼べ、視覚的種類の記憶または視覚的記憶、聴覚的種類の記憶または聴覚的記憶…などと個別的に呼べる。(1)(2)(3)を同種の連続する感覚と記憶または連続する感覚と記憶と一般的に呼べ、視覚的種類の連続する感覚と記憶または視覚的な連続する感覚と記憶、聴覚的種類の連続する感覚と記憶または聴覚的な連続する感覚と記憶…などと個別的に呼べる。
 さらに、連続する感覚と記憶の中で、それぞれに固有の後述する素材、再生、処理機能が機能する。例えば、視覚的感覚と視覚的記憶の中で視覚の素材、視覚の再生、視覚の処理機能が機能する。
 記憶の詳細は当然、『記憶』の章で説明される。また、それぞれの種類の記憶だけでなく、記憶の種類の統合もその章で説明される。

現れるものの素材

 現れるものはすべてものそのものを素材として生じると前提される。現れるものを素材として生じると前提されるものそのものを現れるものの「素材」と呼べる。また、感覚で現れるものの素材を感覚の素材と一般的に呼べ、視覚の素材、聴覚の素材…などと個別的に呼べる。また、イメージとして現れるもの、感覚的イメージとして現れるもの、個々のイメージとして現れるもの…などの素材をイメージの素材、感覚的イメージの素材、個々のイメージの素材…などと呼べる。例えば、視覚で現れるものの素材、つまり、視覚の素材は、網膜に達する光子、網膜に達する光子を反射、屈折、透過する物質とその機能、網膜から視神経を経て大脳の視覚野に至る神経細胞群の興奮と伝達…などである。それらが視覚の素材である。さらに、現れるものの素材を「もの」とも呼ぶことにする。つまり、ものという言葉は現れるものの素材を指すことがあることにする。
 現れるものは素材だけからは生じないと前提される。なんらかの神経機能が素材を再生し処理なければ現れるものは生じないと前提される。感覚細胞群を除いて、神経機能を再生し処理できるのは神経機能だけである。神経機能が素材を処理して現れるものに変えるためにはその素材の部分は神経機能でなければならない。現れるものの素材のうちの神経機能である部分を「神経素材」と呼べる。例えば、網膜から視神経を経て大脳の視覚野に至る神経細胞群の興奮と伝達が視覚の神経素材である。
 神経素材は神経細胞群の興奮と伝達または活性化と活性である。詳細は後に説明する。
 いずれにしても、神経細胞群の興奮と伝達、活性化…などが機能するためには神経細胞群が発生し存在しなければならない。神経素材としての神経細胞群の興奮と伝達または活性化が機能することを神経素材が神経細胞群を「通る」または流れることと呼べる。以下に神経素材が通る神経細胞群の例を挙げる。視覚について、網膜から視神経を経て交叉しつつ大脳の後頭葉の視覚野に至る神経細胞群。聴覚について、内耳から聴神経を経て交叉せずに側頭葉の聴覚野に至る神経細胞群。体性感覚について、皮膚、骨、横紋筋、腱から狭義の感覚神経を経て交叉しつつ頭頂葉の感覚野に至る神経細胞群。
 また、神経素材が通る神経細胞群が分岐または収束する場合、神経素材も分岐または収束しえる。分岐する場合、一個の神経素材から同一のものが複数個生じえ、収束する場合、いくつかが立ち消ええる。また、神経素材が通る神経細胞群に障害がある場合、神経素材の少なくとも一部が立ち消ええる。
 神経素材の感覚細胞群の部分を「感覚細胞群の素材」と呼び、前述の感覚の素材と区別することにする。感覚細胞群の素材は神経素材に含まれる。以下に感覚細胞群の素材の例を挙げる。視覚の素材において、網膜の感覚細胞群の興奮と伝達。聴覚の素材において、内耳の感覚細胞群の興奮と伝達。体性感覚の素材において、皮膚、骨、横紋筋、腱の感覚細胞群の興奮と伝達。
 神経素材を除く素材を「物質身体素材」と呼べる。例えば、視覚の素材における、光源→光子→物質の反射率、透過率、屈折率→光子。聴覚の素材における、音源の振動数、振幅→音波。体性感覚の素材における、皮膚、骨、横紋筋、腱の圧力、熱、炎症。
 そのように、素材は身体機能を含む。例えば、自律感覚の素材は血中の酸素濃度、グルコース濃度、浸透圧を含む。それらがそれぞれ息苦しさ、空腹、渇きを生じると前提される。
 物質身体素材の部分は現れるものとして再現され、その他の部分は再現されなず、神経素材は再現されない、と前提される。神経素材について、簡単に言って、自分の脳や神経は見えない。頭痛はときにあるが、そこで再現されているものは脳血管の伸展や振動であり、それは神経素材ではなく物質身体素材の部分である。物質身体素材について、太陽をもろに見ない限り、太陽は見えない。そのように光源は日中は通常、見えない。それに対して、物質の反射率、透過率、屈折率は視覚で現れるものとして再現されると前提される。音源の振動数、振幅は聴覚で現れるものとして再現されると前提される。皮膚の炎症は体性感覚で現れるものとして再現されると前提される。現れるものとして再現されると前提される物質身体素材を「再現素材」と呼べる。例えば、物質の反射率、透過率、屈折率は視覚の再現素材であり、音源の振動数は聴覚の再現素材であり、皮膚、横紋筋、骨、腱の炎症、圧力、熱は体性感覚の再現素材である。

同種の連続する感覚と感覚的イメージの素材

 『記憶』の章で詳述するとおり、同種の連続する感覚と記憶の中で、感覚の素材のいくつかの部分が認識され切り取られて個々のイメージの素材が生成する。言い方を変えると、綿密には感覚の素材のいくつかの部分と個々のイメージの素材が連続し、概略的には感覚の素材と感覚的イメージの素材が連続する。例えば、視覚的種類の感覚と記憶の中で、視覚の素材と視覚的感覚的イメージの素材は連続し、聴覚的感覚と記憶の中で、聴覚の素材と聴覚的感覚的イメージの素材は連続する。だから、同種の連続する感覚と感覚的イメージで現れるもののなかで、感覚的イメージは、それほど鮮明でないが、感覚で現れるものに似ていると前提される。例えば、個々の視覚的イメージとして現れる他人の顔は、それほど鮮明でないが、過去に視覚で現れたその人の顔と似ている。そのように同種の連続する感覚と記憶の中で連続する感覚の素材と感覚的イメージの素材を「同種の連続する感覚と感覚的イメージの素材」と一般的に呼べ、視覚的種類の連続する感覚的イメージの素材、聴覚的種類の連続する感覚と感覚的イメージの素材…などと個別的に呼べる。

神経素材の主要な属性

 以下が神経素材の主要な属性である。

(1)選択的な神経細胞群の興奮と伝達=空間的に維持される神経細胞群の興奮と伝達

 前述の選択的な神経細胞群の興奮と伝達、つまり、空間的に維持される神経細胞群の興奮と伝達の中では、実際に接合する神経細胞の興奮と伝達の空間的相対的位置と配列が維持される。そもそも、そのことによって現れる「形」が生じると前提される。そうでなければ、例えば、視覚で現れるものが歪んでしまうと前提される。より具体的には、球がアメーバのように見えると前提される。
 また、選択的な神経細胞群の興奮と伝達の中では、いくつかの実際に接合する神経細胞が興奮し伝達し、他の実際に接合する神経細胞は興奮し伝達しない。だから、光景の微妙な明暗、音の微妙な大小、痛さの微妙な強弱…などが現れると前提される。それらのような現れる量は神経細胞群の興奮・伝達の密度から生じると前提されるが、密度が生じるためには神経細胞群の中のいくつかの実際に接合する神経細胞が興奮し伝達し、他の実際に接合する神経細胞は興奮せず伝達しない必要がある。

(2)神経細胞群の即時的な興奮と伝達

 前述の神経細胞群の即時的な興奮と伝達の中では、実際に接合する神経細胞の興奮と伝達の間の時間的相対的位置と時間的配列とすべての時間的変化が維持される。そうでなければ、例えば、前脚前で後脚後でそれから前脚後で後脚前…という視覚で現れる走る動物の四肢の動きが、前脚前で後脚前でそれから前脚後で後脚後…となることがあると前提される。
 また、神経細胞群の即時的な興奮と伝達の中で、神経細胞の興奮と伝達の頻度が維持される。物質身体素材の質は感覚細胞群によって神経細胞群の興奮と伝達の頻度に変換され、そのような質が頻度として維持される。

(3)感覚細胞群による素材の物質身体素材から神経素材への変換

 感覚の神経素材の発端で感覚細胞群の機能によって、物質身体素材の波動の周波数などの質は神経細胞群の興奮と伝達の頻度に、物質身体素材の波動の振幅などの量は神経細胞群の興奮と伝達の密度に変換される。そのような変換を感覚細胞群による物質身体素材から神経素材への「変換」、感覚細胞群が物質身体素材を神経素材へ変換することと呼べる。例えば、視覚の中で、網膜の感覚細胞群は、色を網膜から視神経を経て後頭葉に至る神経細胞群の興奮と伝達の頻度に変換し、明暗をその密度に変換する。

(4)選択的専門的な神経細胞群の活性化と活性

 いくつかの神経細胞は、特定の頻度で伝達されたときだけ、その頻度で興奮し伝達し活性化され活性を維持し、次回にその頻度で伝達されたときにその頻度で興奮し伝達する。そのような神経細胞を「選択的専門的な」それとも呼ぶことにする。また、そのような神経細胞から構成される神経細胞群を選択的専門的なそれとも呼ぶことにする。
 『記憶』の章で説明されるとおり、イメージの素材が時間をおいて想起されるためにはイメージの素材が記銘され保持される必要がある。いくつかの素材は、感覚され想起されるだけでなく、記銘され保持される。物質身体素材の特定の質は神経素材の特定の頻度に変換される。その質を含む神経素材が記銘され保持され想起されるためには、選択的専門的な神経細胞が活性化され活性を維持し、再びその頻度で興奮し伝達する必要がある。

(5)個々のイメージの素材の間の神経細胞路の活性化と活性と興奮と伝達

 個々のイメージの素材を記銘し保持する単位的神経細胞群の間には、多数の神経細胞路が存在するが、先天的に活性化されていない。それらの間の神経細胞路は後天的に時間的近さに基づいて活性化される。次回にそれらの単位的神経細胞群のいくつかが興奮し伝達したときに、それらの活性化された神経細胞路が興奮し伝達し、残りの単位的神経細胞群が興奮し伝達する。その結果として、個々のイメージが空間的時間的に近くで想起され、複合イメージを構成する。そのようにして複合イメージが生じると前提される。そのような個々のイメージの素材を記銘し保持する単位的神経細胞群の間の神経細胞路を「個々のイメージの素材の間の神経細胞路」とも呼べる。詳細は『記憶』の章で説明する。ところで、これらの著作で重要な神経細胞路はそれらと『自我をもつ動物の心理学』で説明されるイメージ情動神経細胞路とイメージ機能神経細胞路である。それらの区別を強調するためには、個々のイメージの素材の間の神経細胞路を「イメージイメージ神経細胞路」とも呼ぶことにする。

(6)同種の素材の一貫性

 同種の連続する感覚と記憶の中で、それぞれに固有の以下の機能が機能する。

個々のイメージの素材の間の神経細胞路を除く神経素材
後述する再生
後述する処理機能
『記憶』の章で説明する記憶に含まれるほとんどの機能

 同種の連続する感覚と記憶の中で、感覚の素材のいくつかの部分が認識され切り取られて個々のイメージの素材が生成し、感覚の素材と感覚的イメージの素材は連続する。そのように連続する感覚の素材と感覚的イメージの素材を同種の連続する感覚と感覚的イメージの素材とも一般的に呼び、視覚的種類の連続する感覚と感覚的イメージの素材、聴覚的種類の連続する感覚と感覚的イメージの素材…などと個別的に呼ぶことができた。同種の連続する感覚と感覚的イメージの素材のほとんどの部分は選択的な神経細胞群の即時的な興奮と伝達(1)(2)であり、その中で神経素材の頻度としての質、密度としての量、空間的位置、時間的位置、空間的構成、時間的構成、それらの変化が一貫して維持される。そのことを「同種の素材の一貫性」と呼べる。

(7)異種の素材の一貫性

 感覚で現れるものの中では、異なる種類の感覚で現れるものが空間的時間的に近くで現れる。例えば、両眼で視覚で現れる他人の顔と両耳で聴覚で現れるその人の話し言葉が空間的時間的に近くで現れる。簡単に言って、その人の話し言葉はその人の口から聞こえてくる。知覚で現れるものの中では、ある種の感覚で現れる部分と異なる種類の個々の感覚的イメージが空間的時間的に近くで現れる。例えば、両眼で視覚で現れる他人の顔と両耳で個々の聴覚的イメージとして現れるその人の名前が空間的時間的に近くで現れる。複合イメージの中では、異なる種類の個々の感覚的イメージが空間的時間的に近くで現れる。例えば、両眼で個々の視覚的イメージとして現れる他人の顔と両耳で個々の聴覚的イメージとして現れるその人の話し言葉が空間的時間的に近くで現れる。そのような異種の現れるものの空間的時間的近さを生じる神経機能を「異種の素材の一貫性」と呼べる。それは異なる種類の感覚とイメージの素材が中枢神経系のどこか、おそらく頭頂葉で合流または平行することであると前提される。
 異種の素材の一貫性と同種のそれらを素材の一貫性と呼べる。
 まとめると、神経素材の主要な属性は選択的な神経細胞群の興奮と伝達、神経細胞群ので即時的な興奮と伝達、感覚細胞群による素材の変換、選択的専門的な神経細胞群の活性化と活性、個々のイメージの素材の間の神経細胞路の活性化、活性、興奮、伝達、同種の素材の一貫性、異種の素材の一貫性である。

複合イメージの素材

 複合イメージの素材は前述の神経素材の主要な属性のすべてをもつ。特に、個々のイメージの素材の間の神経細胞路の活性化と活性と興奮と伝達が重要である。それらによって、多数の個々のイメージの素材が空間的時間的に近くで想起されて、複合イメージが生じると前提される。
 それに対して、感覚の素材は選択的専門的な神経細胞群の活性化、活性、個々のイメージの素材の間の神経細胞路の活性化、活性、興奮と伝達を含まない。その意味でも感覚は記憶より原初的な動物の機能である。だが、感覚が発生しなければ記憶は発生しない。

素材の再生

 現れるものは素材だけからは生じないと前提される。なんらかの神経機能が神経素材を処理して現れるものに変えなければ現れるものは生じないと前提される。現れるものの神経素材を処理して現れるものに変えるなんらかの神経機能を素材の「再生」、素材を再生することと呼べる。
 再生は解明することが最も困難なまたは不可能な神経機能である。素材と再生の境界は曖昧であり、両者は重複する。感覚細胞の興奮と伝達から再生が始まっている可能性がある。そうだとすれば、感覚細胞は神経細胞と同様に重要である。さらに、神経細胞と感覚細胞の興奮と伝達そのものに再生が内在している可能性がある。さらに、神経細胞の興奮と伝達そのものが再生である可能性もある。
 前述のとおり、同種の連続する感覚と記憶は同種の連続する感覚と感覚的イメージの素材をもつ。再生については少し異なる。異なる種類の感覚は異なる種類の再生をもち、異なる種類の記憶は異なる種類の再生をもつ。同種の連続する感覚と記憶の中でも、感覚の素材の再生と感覚的イメージの素材の再生は異なり連続していない。例えば、視覚的種類の感覚と記憶の中でも、視覚の素材の再生と視覚的感覚的イメージの再生とは異なる。
 だが、同種の連続する感覚と記憶の中で、感覚の素材の再生と感覚的イメージの素材の再生は、同じではないが似ており、同じ場所にないが近いところにある。例えば、視覚的感覚と視覚的記憶の中で、視覚の素材の再生と視覚的感覚的イメージの素材は似ており近い所にある。極端な例だが、神経系の機能的障害によって、それに固有の再生に達するはずの視覚的イメージの素材が、それと近いところにある視覚の素材の再生に達したとき、幻視が生じ、それに固有の再生に達するはずの聴覚的イメージの素材が、それと近いところにある聴覚の素材の再生に達したとき、幻聴が生じることはありえる。

素材の処理機能

 神経素材を再生以外の方法で処理する神経機能を素材の「処理機能」、素材を処理することと呼べる。
 例えば、両眼で視覚で現れるものは立体的であり両眼の空間を超えるが、そのようにする神経機能が両眼で視覚で現れるものの素材の処理機能の一つである。両耳で聴覚で現れるもの、両鼻で嗅覚で現れるものについても同様である。両鼻で嗅覚で現れるものが立体的であり両鼻腔を超えることは人間では曖昧だが、イヌ、ネコ…などではもっと明瞭だろう。何故なら、そうでなければ、それらは獲物を追うことができず天敵から逃げることができないからである。かつて、人間の嗅覚も今より明瞭だったのだが、退化したのだろう。
 神経素材としての一対の神経細胞群の興奮と伝達とそれらを処理する神経機能とそれらの再生が感覚器を超えて現れるものを生じると前提される。

素材空間

 現れるものの素材が存在し機能する空間を現れるものの素材空間と呼べる。
 前述のとおり、現れるものとして再現されると前提される素材の部分を現れるものの再現素材と呼べる。さらに、現れるものとして再現されると前提される素材空間の部分を現れるものの再現素材空間と呼べる。両眼で視覚で現れるものの再現素材空間の全体がいわゆる「視野」である。ある種類の感覚で現れるものの再現素材空間の全体を「感覚野」と一般的に呼べ、視覚(的感覚)野、聴覚(的感覚)野…などと個別的に呼べる。また、ある種類の感覚的イメージとして現れるものの再現素材空間の全体を「(感覚的)イメージ野」と一般的に呼べ、視覚的(感覚的)イメージ野、聴覚的(感覚的)イメージ野…などと個別的に呼べる。
 以下に感覚野の広さと奥行きの例を挙げる。

○両眼での視覚野
 人間では前方約180度の空間、数光年
○両耳での聴覚野
 360度の空間、数キロメートル
○両鼻での嗅覚野
 360度の空間、人間では数メートル
○平衡感覚野
 頭部の空間
○味覚野
 舌の空間
○体性感覚野
 皮膚、骨、横紋筋、腱の空間
○自律感覚野
 粘膜、心筋、平滑筋…などの空間

 再現素材空間は、ものそのものに含まれるとともに、現れるものとして再現されると前提され、現れる。例えば、海と水平線と空を含む空間が両眼で視覚で現れる。

再現素材空間の重なり

 まず、同種の感覚と感覚的イメージで現れるものの中で、感覚で現れるものの再現素材空間と感覚的イメージの再現素材空間は重なって現れる。例えば、数年ぶりに人と会ってその人が少し歳を取ったなと思うとき、視覚的種類の感覚と感覚的イメージで現れるものの中で、両眼で視覚で現れるその人の現在の顔と両眼的に視覚的感覚的イメージで現れるその人の数年前の顔は重なる。それによってその人が歳を取ったことが分かる。それらは前述の同種の素材の一貫性による。
 さらに、異なる種類の現れるものの中でも、いくつかの再現素材空間は重なって現れる。例えば、両耳で聴覚で現れる鳥の声は両眼で視覚で現れる森の空間から聞こえてくる。異種の素材の一貫性による。

感覚器での感覚と感覚的イメージの想起

 [s1-1]片眼での視覚、[s2-1]片耳での聴覚、[s3-1]片鼻での嗅覚、[s4]平衡感覚、[s5]味覚、[s6]体性感覚、[s7]自律感覚、[i1-1]片眼での視覚的感覚的イメージの想起、[i2-1]片耳での聴覚的感覚的イメージの想起、[i3-1]片鼻での嗅覚的イメージの想起、[i4]平衡感覚的感覚的イメージの想起、[i5]味覚的感覚的イメージの想起、[i6]体性感覚的感覚的イメージの想起、[i7]自律感覚的感覚的イメージの想起では、再現素材空間と感覚細胞群の素材空間、つまり、感覚細胞群が存在し機能する空間とが一致する。[s1-1]-[s6]を「感覚器での」感覚とも呼べ、[i1-1]-[i6]を感覚器での感覚的イメージの想起と呼べる。

感覚器を超える感覚と感覚的イメージの想起

 [s1-2]両眼での視覚、[s2-2]両耳での聴覚、[s3-2]両鼻での嗅覚、[i1-2]両眼での視覚的感覚的イメージの想起、[i2-2]両耳での聴覚的イメージの想起、[i3-2]両鼻での嗅覚的感覚的イメージの想起では、再現素材空間と感覚細胞群の素材空間、つまり、感覚細胞群が存在し機能する空間とが一致せず、それが生じると前提される現れるものは立体的であり感覚細胞群の素材空間を超える。[s1-2]-[s3-2]を「感覚器を超える」感覚と呼べ、[i1-2]-[i3-2]を感覚器を超えるイメージの想起と呼べる。
 前述のとおり、それらのそれぞれは、交叉するにせよしないにせよ、一対の神経素材とそれらを処理する処理機能と再生である。

素材またはものが感覚されることとイメージとして想起されること

 感覚の素材が再生されることを素材またはものが「感覚されること」と呼べ、複合イメージの素材が処理され再生されることを素材またはものが複合イメージとして「想起されること」または単に想起されることと呼べ、知覚の素材が処理され再生されることを素材またはものが「知覚されること」と呼べ、連想の素材が処理され再生されることを素材またはものが「連想されること」と呼べる。また、複合イメージの素材または知覚の素材または連想の素材が処理され再生されることを素材またはものがイメージとして想起されることまたは単に想起されることとも呼ぶことにする。つまり、「もの」という言葉は素材を指すことがあることにする。また、ものがイメージとして想起されることという言葉はものが複合イメージとして想起されることまたは知覚されることまたは連想されることを指すことにする。
 前述のとおり、神経素材と再生が重複している可能性はある。重複するにせよしないにせよ、再生が現れるものを直接的に生じると前提される。だから、素材が感覚されるときには必ず感覚で現れるものが生じ、素材がイメージとして想起されるときには必ずイメージとして現れるものが生じると前提される。そこで、ものが感覚されることと感覚で現れるものが生じることをものが感覚されることとも呼び、ものが複合イメージとして想起されることと複合イメージとして現れるものが生じることをものが複合イメージとして想起されることとも呼び、ものが知覚されることとと知覚で現れるものが生じることをものが知覚されることとも呼び、ものが連想されることと連想で現れるものが生じることをものが連想されることとも呼ぶことにする。また、それらの意味でのものが複合イメージとして想起されることまたはものが知覚されることまたはものが連想されることを、ものがイメージとして想起されることまたはものが想起されることと呼ぶことにする。
 また、感覚されたまたは感覚されているまたは感覚されることになっている素材を「感覚される素材」または「感覚されるもの」とも呼べ、複合イメージとして想起される素材またはもの、知覚される素材またはもの、連想される素材またはもの、イメージとして想起される素材またはものについても同様である。また、イメージとして想起される素材を想起されるイメージとも呼ぶことにする。つまり、イメージという言葉はイメージの素材を指すことがあることにする。また、感覚される素材とその素材から生じると前提される感覚で現れるものとを感覚される素材または感覚されるものとも呼び、複合イメージとして想起される素材またはもの、知覚される素材またはもの、連想される素材またはもの、イメージとして想起される素材またはもの、想起されるイメージについても同様であることにする。
 強く〜弱く感覚で現れるものを生じると前提される素材が感覚されることを素材またはものが強く〜弱く感覚されることと呼べ、強く〜弱くイメージとして想起されるものを生じると前提される素材が想起されることを素材またはものが強く〜弱くイメージとして想起されることと呼べる。密度、解像度、範囲の大きい〜小さい神経素材は強く〜弱く感覚または想起される可能性をもつ。例えば、密度の大きい視覚の神経素材は明るく視覚される可能性をもつ。感覚の素材と感覚的イメージの素材は連続するが、それらの強さは必ずしも相関しない。例えば、遠方で視覚された人が近くでイメージとして想起されることがある。また、ひそかに聴覚された話し声が大きな声でイメージとして想起されることがある。

素材の流れ

 神経素材は神経細胞群の興奮と伝達または活性化と活性である。それらのうち、興奮と伝達は神経素材が神経細胞群を通ることまたは流れることと見なせる。活性化と活性は、神経素材が記銘され保持されることであり、神経素材が休眠することと見なせる。さらに、神経細胞群に障害があれば神経素材は立ち消えることがある。また、神経細胞群が収束または分岐すれば、神経素材も収束または分岐することがある。収束する場合、いくつかの神経素材が通り、他は立ち消える。分岐する場合、一つの神経素材から複数の同じの神経素材が生成することがある。また、神経素材からもはや神経素材と呼べない神経細胞群の興奮と伝達が分岐することがある。また、前述のとおり、同種の連続する感覚と記憶の中で、感覚の神経素材と感覚的イメージの素材は連続する。それらを同種の連続する感覚と感覚的イメージの素材と呼ぶことができた。そのように連続する素材の流れと立ち消えと収束と分岐の前半を概観してみよう。感覚細胞群において感覚の物質身体素材が神経素材に変換されなければ、素材は感覚されない。例えば、眼を固く閉じると何も見えない。また、網膜に障害があれば視野の少なくとも一部が欠損する。それに対して既に生成した感覚の神経素材のほとんどは感覚される。そのかなりの部分が感覚されないとすれば、それはなんらかの神経障害による。例えば、下垂体腫瘍により視神経に障害があれば、視野の少なくとも一部が欠損する。
 いくつかの神経細胞群の興奮と伝達がいくつかの神経素材から枝分かれし、いくつかの反射的または自律的な機能を生じる。反射について、例えば、狭義の感覚神経が分岐して運動神経に接合し、それらの興奮と伝達が腱反射を生じる。自律機能について、そもそも自律神経の分岐は激しく、それらの興奮と伝達は心拍数、呼吸数、血圧…などの増減のような様々な自律機能を生じる。
 流れの中では以下の(1)(2)(3)を区別できる。

(1)未だ感覚されていない神経素材の部分
(2)感覚されている、つまり、再生されている部分
(3)既に感覚されたが、未だ想起されていない部分
(4)想起されている、つまり、再生されている部分
(5)既に想起された部分 (1)(2)は感覚の素材である。(3)(4)(5)は次章で詳しく説明される。また、(5)が『自我をもつ動物の心理学』で説明される感情、欲求、自我…などを生じる。
 いずれにしても、(1)(2)(4)(5)の時間は数ミリセカンド(一秒の千分の一)である。それに対して、(3)は保持される素材を含むので、その時間は数ミリセカンドから数十年である。

記憶

この章の初めに

 ごく簡単に言って、感覚された神経素材のいくつかの部分が記銘され保持され想起される。だから、感覚以降から想起に至る機能を「記憶」と呼べるが、感覚の素材と感覚的イメージの素材は連続するので、それぞれの種類の感覚に連続して以下のように同一の種類の記憶がある。

[m]ある種類の記憶=記憶
 [m1]視覚的種類の記憶=視覚的記憶
  [m1-1]片眼的な視覚的種類の記憶=片眼的な視覚的記憶
  [m1-2]両眼的な視覚的種類の記憶=両眼的な視覚的記憶
 [m2]聴覚的種類の記憶=聴覚的記憶
  [m2-1]片耳的な聴覚的種類の記憶=片耳的な聴覚的記憶
  [m2-2]両耳的な聴覚的種類の記憶=両耳的な聴覚的記憶
 [m3]嗅覚的種類の記憶=嗅覚的記憶
 [m3-1]片鼻的な嗅覚的種類の記憶=片鼻的な嗅覚的記憶
 [m3-2]両鼻的な嗅覚的種類の記憶=両鼻的な嗅覚的記憶
 [m4]平衡感覚的種類の記憶=平衡感覚的記憶
 [m5]味覚的種類の記憶=味覚的記憶
 [m6]体性感覚的種類の記憶=体性感覚的記憶
 [m7]自律感覚的種類の記憶=自律感覚的記憶

 ただし、上記の中では重要性と明瞭さの動物の種の間の差が非常に大きい。人間においては、言葉を聞き、話し、読み、書くので、視覚的種類と聴覚的種類が非常に重要で明瞭であり、他の種類を圧倒しまたは他の種類に取って代り、他の種類はほとんど存在、機能しない。だから、人間においてはこの章の説明の多くは視覚的記憶と聴覚的記憶の説明である。他の動物の種においては、他の種類がもっと重要で明瞭であることはありえ、特に陸生の脊椎動物のいくつかの種において嗅覚的記憶が発達していることはありえる。
 この章で説明するほとんどの機能はそれぞれの種類の記憶の中で機能する。それぞれの種類を超えて機能するのはわずかである。この章では「それぞれの種類の記憶の中で機能する」のような言葉がなくても、文はそのことを意味することにする。機能が「それぞれの種類を超えて機能する」ときは、そのような言葉を省略しないことにする。
 以下の認識、切り取り、記銘、保持、生成、生起、想起…などの言葉は分岐し収束する神経細胞群の中のそれぞれの神経細胞群の中で機能する数えられる機能を指す。例えば、分岐する神経細胞群の中に百の単位的神経細胞群があれば、百以下の記銘、保持がありえる。そこでそれらを可算名詞として使用することにする(訳注:日本語では単数形と複数形、可算名詞と不可算名詞の区別を示すことができない)。
 記憶は以下の機能から構成される。

それぞれの種類の次々と分岐する記憶の神経細胞群

 同種の連続する感覚と記憶の中で、感覚された感覚の素材と想起された個々のイメージの素材が次々と分岐する神経細胞群を通る。そのような分岐する神経細胞群を(次々と)分岐する(それぞれの種類の)「記憶の」神経細胞群と呼べる。それぞれの種類の記憶にそれぞれの分岐する記憶の神経細胞群が一つある。ただし、両眼での視覚的記憶、両耳での聴覚的記憶…などの感覚器を超える感覚に連続する記憶では一対ある。

個々のイメージの認識と切り取り

 感覚された感覚の素材またはいくつかの想起された個々のイメージの素材が次々と分岐するそれぞれの種類の記憶の神経細胞群を通り、それらのいくつかの部分がもつ頻度、空間的配列、時間的配列、それらの変化…などのいくつかの属性がいくつかの神経機能によって同類性に基づいて次々と認識されそれらの部分が分類される。そのことを個々のイメージ(の素材)の「認識」、個々のイメージ(の素材)が認識されることと呼べる。例えば、視覚的種類の分岐する記憶の神経細胞群の中で、視覚の神経素材の哺乳類の顔の部分がもつ口、鼻、二つの眼、二つの耳、頭という空間的構成が認識され、その部分が哺乳類の顔として分類される。次いで、頭の大きさ、毛の多さ…などが認識され、その部分が猿、人間…などの顔として分類される。また、頭と四肢をもつという空間的構成が認識され、二足で歩くというそれらの時間的変化が認識され、直立の程度が認識され、猿、人間…などに分類される。
 また、感覚された感覚の素材またはいくつかの想起された個々のイメージの素材がそれぞれの種類の次々と分岐する記憶の神経細胞群を通り、それらのいくつかの部分がもついくつかの属性が認識されそれらの部分が次々と分類されつつ、いくつかの部分はいくつかの神経機能によって切り取られ、いくつかはそのまま通る。そのことを個々のイメージ(の素材)の「切り取り(Cut)」、個々のイメージ(の素材)が切り取られることと呼べる。例えば、前の例では顔の部分、身体の部分が切り取られる。
 そのように認識され切り取られて個々のイメージの素材が生成する。例えば、口、鼻、眼、耳、頭という空間的配列…などの属性が認識されその部分が分類され、その部分が、空、森、街…などの背景から切り取られて、特定の人間の顔の個々のイメージの素材が生成する。個々のイメージの認識と切り取りを個々のイメージ(の素材)の「生成」、個々のイメージ(の素材)が生成することとも呼べる。個々のイメージの生成は認識、分類、切り取りから構成される。また、認識され分類され切り取られている個々のイメージの神経素材を個々のイメージの「生成素材」と呼べる。
 通常、感覚された神経素材から複数の個々のイメージの素材が生成する。例えば、視覚された特定の人間から、その人の目、顔、体、髪の毛、衣服の個々のイメージの素材が生成する。

個々のイメージの記銘と保持

 個々のイメージの生成素材が以下のようにして記銘され保持される。
 個々のイメージの生成素材が通る次々と分岐する記憶の神経細胞群の中には前述の選択的専門的な単位的神経細胞群が存在し機能する。個々のイメージの生成素材が、分岐する神経細胞群を通り、選択的専門的な単位的神経細胞群を活性化する。つまり、個々のイメージの生成素材の中の特定の頻度で興奮し伝達する神経細胞が、選択的専門的な単位的神経細胞群の中のその頻度で活性化され興奮し伝達する能力をもつ神経細胞を活性化する。そのことを個々のイメージ(の素材)の「記銘」、個々のイメージ(の素材)が記銘されることと呼べる。
 個々のイメージの素材が記銘された選択的専門的な単位的神経細胞群の活性が低下しまたは再活性化により増大しつつ維持される。そのことを個々のイメージ(の素材)の「保持」、個々のイメージ(の素材)が保持されることと呼べる。
 また、個々のイメージ(の素材)の記銘と保持を個々のイメージ(の素材)の記銘と保持、個々のイメージ(の素材)が記銘され保持されることと呼べる。
 また、その単位的神経細胞群の選択的、専門的な活性化、活性を個々のイメージの「保持素材」と呼べる。
 個々のイメージ(の素材)の生成と記銘と保持を個々のイメージ(の素材)の「生成と記銘と保持」、個々のイメージの素材が生成し記銘され保持されることと呼べる。

同類性に基づく個々のイメージの認識、記銘、保持

 それぞれの種類の次々と分岐する神経細胞群の中で、個々のイメージの素材が認識され分類され記銘され保持される。最も重要なことはそれらが分岐する神経細胞群の中で成されることである。そのことによって同類の個々のイメージの素材は近い所に記銘され保持される。そのことを「同類性に基づく」個々のイメージの認識と記銘と保持、個々のイメージが同類性に基づいて認識され記銘され保持されることと呼べる。それによって、同類の個々のイメージの素材は空間的時間的に近くで生起し想起される可能性をもつ。例えば、視覚的種類の次々と分岐する神経細胞群の中で、特定の人間の個々のイメージの素材にとって、他の人間のイメージの素材は他の動物のイメージの素材より近い所に記銘され保持される。だから、人間の個々のイメージの素材は他の動物のそれらより空間的時間的に近くで生起し想起される可能性をもつ。わたしたちはものを分類するとき「樹構造」というものを使うことがあるが、それは既に記憶の中に存在し機能していたのである。

それぞれの種類の再生へ収束する記憶の細胞群

 個々のイメージの素材を記銘し保持する神経細胞群が興奮し伝達すると、個々のイメージの素材は再生へ向かう。それが個々のイメージの素材の生起である。だが、再生は非常に微妙な機能であり、生起するすべての素材を再生することができず、個々のイメージの素材を記銘し保持する神経細胞群から再生へ向かう神経細胞路は収束する。そのような神経細胞路を「それぞれの種類の再生へ収束する記憶の神経細胞群」または再生へ収束する記憶の神経細胞群と呼べる。また、それぞれの種類の次々と分岐する記憶の神経細胞群と再生へ収束する記憶の神経細胞群をそれぞれの種類の分岐し収束する記憶の神経細胞群または分岐し収束する記憶の神経細胞群と呼べる。結局、記憶の神経細胞群は分岐し収束する。

時間的近さに基づく個々のイメージの素材の間の神経細胞路の活性化、活性

 それぞれの種類の分岐し収束する記憶の神経細胞群の分岐の間だけでなく、異なる種類のそれらの分岐の間にも、いくつかの、実際は多数の神経細胞路が存在し機能する。それらは先天的に活性化されておらず、個々のイメージの素材が時間的に近くで認識され記銘されるときに時間的近さに基づいて後天的に活性化され、次にそれらの個々のイメージの素材のいくつかが認識されまたは生起するときに他のいくつかも生起する。さらに、それらは同じ種類だけでなく異なる種類の分岐し収束する記憶の神経細胞群の間にもあるので、それらによって同種だけでなく異類の個々のイメージの素材が生起し想起されえ、それぞれの種類の記憶を超える。そのような神経細胞路を(時間的近さに基づく)「個々のイメージ(の素材)の間の神経細胞路」と呼べ、それらのうち同種間のものを「同種の」個々のイメージの素材の間の神経細胞路と呼べ、異種間のものを「異種の」個々のイメージの素材の間の神経細胞路と呼べる。また、それらを『自我をもつ動物の心理学』で説明されるイメージ情動神経細胞路、イメージ機能神経細胞路と対比するときは、それらを「イメージイメージ神経細胞路」と呼べる。また、それらが後天的に活性化されることをそれらの(後天的な)形成、それらが(後天的に)形成されることと呼べる。
 繰り返すが、個々のイメージの間の神経細胞路は先天的に活性化されておらず、個々のイメージの素材が時間的に近くで認識され記銘されるときに時間的近さに基づいて後天的に活性化され、次にそれらの個々のイメージの素材のいくつかが認識されまたは生起するときに他のいくつかも生起する。さらに、それらは異なる種類の記憶の神経細胞群の間にもあるので、それらによって異なる種類の個々のイメージの素材が生起し想起されえる。後述するとおり、それぞれの記憶の神経細胞群と素材の一貫性だけによっても個々のイメージの素材が空間的時間的に近くで想起され複合イメージの想起と連想が生じえる。だが、それらだけではそれぞれの種類の記憶を超えない。また、連想はほとんど生じない。例えば、乳幼児に想起される怒る母親は恐ろしい顔か声かのいずれかであり、その後で叩かれて痛みが生じるなどは連想されない。個々のイメージの素材の間の神経細胞路の活性化と活性と興奮と伝達によって初めて、恐ろしい声を伴った母親の顔が想起され、叩かれることと痛みが連想されることが可能になる。
 いずれにしても、個々のイメージの素材の間の神経細胞路の活性化と活性と興奮と伝達はそれぞれの種類の感覚、記憶…などを超える最初の機能である。

記憶の神経細胞群の所在

  それぞれの種類の分岐し収束する記憶の神経細胞群は、同種の感覚と同種の再生とともに、大脳の中で一対の葉に限局する。例えば、視覚的種類の分岐し収束する記憶の神経細胞群は、視覚と視覚的再生とともに、後頭葉に限局し、聴覚的種類のそれは、聴覚と聴覚的再生とともに、側頭葉に限局する。
  同種のイメージの素材の間の神経細胞路も同種のそれらとともに一対の葉に限局する。
  それに対して、異種のイメージの素材の間の神経細胞路は、異なる対の葉の間にあり、それらの軸索は大脳髄質にある。

個々のイメージの素材の生起

 個々のイメージの素材を記銘し保持する単位的神経細胞群が興奮し伝達し、その素材が収束する記憶の神経細胞群を通って再生へ向かうことを個々のイメージの素材の生起と呼べる。また、生起する個々のイメージの素材を個々のイメージの生起素材と呼べる。
 それらは収束する神経細胞群を通り少数が再生に達し他は立ち消えるので、生起する個々のイメージの素材のすべてが再生され想起されるわけではない。

認識と同類性に基づく個々のイメージの素材の生起

 感覚された神経素材と想起された個々のイメージの神経素材のいくつかの部分が認識されたとき、いくつかの個々のイメージの素材が新たに生成し記銘され保持されるまたは更新されるとともに

次々と分岐する記憶の神経細胞群の中のそれらの認識をする神経細胞群から分岐するいくつかの神経細胞群が神経細胞路として興奮し伝達し、

それらの興奮と伝達が達するいくつかの個々のイメージの素材を記銘し保持する単位的神経細胞群が興奮し伝達し、

認識と同類性に基づいて、いくつかの、実際は多数の類似する個々のイメージの素材が生起する。

それを「認識と同類性に基づく」個々のイメージ(の素材)の生起、それらが生起することと呼べる。例えば、特定の人が認識されたとき、同類性によって多数の他の特定の人間が生起し想起され、一般の人間の複合イメージが想起される。そのようにして、その特定の人間が一般の人間に属するものとして認識される。通常、同種の生物は異種の生物より似ているからである。
 認識と同類性に基づく個々のイメージの素材の生起によって、特定のものを分類し一般のものとし、一般のものの属性をとらえることが可能になる。例えば、これやあれやの特定の虎が危険なのではなく、一般の虎が危険なのである。それぞれの個体が危険か危険でないかをそのつど吟味していたのではわたしたちは身がもたない。
 個々のイメージの素材の認識と同類性に基づく生起はそれぞれの種類の記憶の中で生じる。

活性化神経細胞路と時間的近さに基づく個々のイメージの素材の生起

 前述の通り、(1)それぞれの種類の分岐し収束する記憶の神経細胞群のいくつかの部分が興奮し伝達し、いくつかの個々のイメージの素材が認識、記銘、保持され生起する。(2)それらの興奮と伝達が前述の活性化された同種および異種の個々のイメージの素材の間の神経細胞路の興奮と伝達を生じ、それらの興奮と伝達が同種および異種の分岐し収束する記憶の神経細胞群のいくつかの部分の興奮と伝達を生じる。(1')それらの興奮と伝達がいくつかの個々のイメージの素材の認識、記銘、保持、生起を生じる。(2')それらの興奮と伝達が活性化された同種および異種の個々のイメージの素材の間の神経細胞路の興奮と伝達を生じる。(1)(2)(1')(2')(1'')…が繰り返される。(1)(2)(1')(2')(1'')…の繰り返しによって複数の、実際は多数の同種および異種の個々のイメージが空間的時間的に近くで生起し想起され、複合イメージが想起されることが可能になる。さらに、連想も可能になる。
 (T)(2)の個々のイメージの素材の間の神経細胞路は、それが繋ぐ個々のイメージの素材が時間的に近くで生成するときに活性化され、それらの個々のイメージの素材のいずれかが生起するときに、活性化されたそれらの神経細胞路が興奮し伝達し、他の個々のイメージの素材も生起する。だから、(2)(1')を「活性化神経細胞路と時間的近さに基づく」個々のイメージの(素材の)生起と呼べる。
 (U)さらに、それらは同種の分岐し収束する記憶の神経細胞群のいくつかの部分を繋ぐだけでなく、異種のそれらも繋ぎ、それらの興奮と伝達は同種だけでなく異種の個々のイメージの素材が空間的時間的に近くで想起されることを可能にする。つまり、それらによって複合イメージが異種の個々のイメージから構成されることが可能になる。つまり、それらによってイメージがそれぞれの種類を超えることが可能になる。
 (V)ところで、空間的近さは、前述の素材の一貫性によって既に維持されている。
 (T)(U)(V)によって、例えば、以下の乳児の神経系での出来事が可能になる。母親の怒声が聴覚的に知覚され、(U)によって母親の凄まじい顔が視覚的に想起され、(T)(V)によって殴打しようとする母親の腕が視覚的に想起され、(T)(U)によって殴打されて生じる痛さが体性感覚的に想起される。
 空間的時間的に近い出来事のいくつかは、原因と結果であり、繰り返す。反復する空間的時間的に近い出来事は個々のイメージの素材の間の神経細胞路を活性化する。また、結果のうちのいくつかは危険な出来事である。だから、活性化神経細胞路と時間的近さに基づく個々のイメージの素材の生起は、現在の原因から未来の危険な結果を予測し予防する有力な機能である。例えば、暗雲が立ち込めて雨が降り濡れることを何度も経験して、私たちは雲が厚いとき雨を予想し傘をもって出かけるようになる。

複合イメージの素材の生成、記銘、保持、生起

 認識と同類性に基づく個々のイメージの素材の生起と活性化神経細胞路と時間的近さに基づく個々のイメージの素材の生起と素材の一貫性の中で空間的近さが維持されることによって、いくつかの個々のイメージの素材が空間的時間的に近くで生起し想起され、個々のイメージが複合イメージを構成する。それは複合イメージ(の素材)が生起し想起されることと見なせる。例えば、特定の人の顔立ち、体格、声の特徴…などが認識され、過去に会ったときのその人の顔と体の視覚的な個々のイメージ、その人の話し言葉、名前の聴覚的な個々のイメージが想起され、その人が複合イメージとして想起され、その人が〇〇さんであることが分かる。それが知覚である。また、過去にその人と話したこと、未来にその人と話すこと…などが次々と想起される。それが連想である。
 振り返ってみると、個々のイメージの素材が生成し、記銘され保持され、それらの間の神経細胞路が活性化された時点で複合イメージの素材が生成し記銘され保持されていたことが分かる。そのことを複合イメージの素材の生成と呼べる。また、そのことのうち、個々のイメージの素材の生成し、記銘、保持を複合イメージの(素材の)認識と類似性の基づく生成と呼べ、それらの間の神経細胞路の活性化と活性を複合イメージの(素材の)活性化神経細胞路と時間的近さによる生成と呼べる。

それぞれの種類の感覚と記憶を超える機能

 結局、個々のイメージの認識、記銘、保持、認識と同類性に基づく生起はそれぞれの種類の分岐し収束する記憶の神経細胞群の中だけで機能し、それぞれの種類の記憶を超えずその中で機能する。それに対して、個々のイメージの素材の間の神経細胞路の活性化、活性、興奮と伝達は、同種および異種の記憶の分岐し収束する神経細胞群の間で機能し、それぞれの種類の記憶の中だけでなくそれを超えても機能する。だが、生起する個々のイメージと複合イメージの素材は再びそれぞれの種類の再生へ向けて収束する記憶の神経細胞群を通り、それぞれの種類に固有の再生によって再生され想起される。それらの生起、再生、想起はそれぞれの種類の記憶を超えて機能せずそれの中で機能する。
 振り返ってみると、感覚はそれぞれの種類を超えて機能せずそれの中で機能する。神経素材は連続するが、連続するのは同種の感覚と記憶の中であり、それぞれの種類の感覚と記憶を超えない。
 そのように感覚と記憶を見て行くと、それぞれの種類の感覚と記憶の中だけでなくそれを超えても明らかに機能する機能は、個々のイメージの素材の間の神経細胞路の活性化、活性、興奮、伝達だけである。
 前述の異種の素材の一貫性はそれぞれの種類を超えて生じる。だが、それが明確で積極的な機能によって生じるとは考えられない。

神経細胞群の興奮と伝達の立ち消え

 神経細胞(t)より早く長く興奮し伝達する神経細胞(s)から伝達されて神経細胞(u)が興奮し伝達しているときに、神経細胞(t)が神経細胞(u)に伝達しても、神経細胞(t)からの伝達とは無関係に神経細胞(s)の伝達によって神経細胞(s)と同様の頻度で神経細胞(u)は興奮し伝達し続ける。そのことを、神経細胞(s)の興奮と伝達が「通る」こと、神経細胞(t)の興奮と伝達が「立ち消える」ことと呼べる。
 神経細胞群(T)より早く長く広く興奮し伝達する神経細胞群(S)から伝達されて神経細胞群(U)が興奮し伝達しているときに、神経細胞群(T)が神経細胞群(U)に伝達しても、神経細胞群(T)からの伝達とはほとんど無関係に神経細胞群(S)の伝達によって神経細胞群(S)と同様の空間的時間的位置、頻度、密度、空間的時間的構成、それらの変化で神経細胞群(U)は興奮し伝達する。そのことを神経細胞群(S)の興奮と伝達が「通る」こと、神経細胞群(T)の興奮と伝達が「立ち消える」ことと呼べる。
 前述の通り、認識から個々のイメージの素材を記銘し保持する単位的神経細胞群への神経細胞群は分岐する神経細胞群であり、それらから再生へ向かう神経細胞群は収束する神経細胞群である。収束する神経細胞群で、多数の神経細胞群の興奮と伝達が生じたときは、最も早く長く広く興奮し伝達する限られた数の神経細胞群の興奮と伝達が通り、その他の神経細胞群の興奮と伝達は立ち消える。

それぞれの種類の記憶の神経細胞群と想起

 今までは以下を別個の細胞群であるかのように説明してきた。

(A)それぞれの種類の次々と分岐する記憶の神経細胞群
(B)それぞれの種類の再生へ向けて収束する記憶の神経細胞群

だが、それらは個々のイメージの素材を記銘し保持する神経細胞群を境として分岐した後に収束する一つの神経細胞群と見なせる。それらを一つの神経細胞群としてそれぞれの種類の(分岐し収束する)記憶の神経細胞群と呼べる。そうして説明し直す。
 それぞれの種類の記憶の神経細胞群の中で、認識から記銘、保持に向かう部分は分岐し、個々のイメージの素材が同類性に基づいて分類される。また、その分岐の頂点に個々のイメージを記銘、保持する神経細胞群が多数ある。その多数に対応する多数の個々のイメージを再生する神経細胞群があるとはありえない。それぞれの種類の記憶の神経細胞群の中で、個々のイメージを記銘し保持する神経細胞群から再生へ向かう部分は収束する。前述の認識と同類性に基づくとともに活性化神経細胞路と時間的近さに基づいて、個々のイメージの素材を記銘し保持する神経細胞群が興奮し伝達し、いくつかの、実際は多数の個々のイメージの素材が生起する。生起するそれらはそのような収束する部分を通る。それらのうち再生に達した少数が再生され想起される。その再生はそれぞれの種類の記憶に固有の再生であり、その想起はそれぞれの種類の記憶の中で生じる。それをそれぞれの種類の再生、それぞれの種類の想起と呼べる。

それぞれの種類の複合イメージの限定想起

 前節で説明されたように、収束する神経細胞群を多数の神経細胞群の興奮と伝達が生じたとき、最も早く長く広く興奮し伝達する限られた数の神経細胞群の興奮と伝達が通り、その他の神経細胞群の興奮と伝達は立ち消える。だから、多くの個々のイメージが生起しても、一時に限られた数のそれらが再生に達し想起される。
 そのことは、前述の再現素材空間に着目すると、以下のように説明できる。再現素材空間には限りがある。その限りある再現素材空間を占められるのはやはり限られた数の素材である。例えば、両眼的視覚的イメージの再現素材空間は両眼での視覚のそれと同様に人間では前方約180°であり、それを巨大な岩が占めれば、他はほとんど現れない。また、片耳的聴覚的イメージの再現素材空間は音の高低が占め、それを高音低音が入り混じった大な音が占めれば、他はほとんど現れない。
 だが、複数の、実際は多数の個々のイメージの素材が空間的時間的に近くで生起しまとまりになり複合イメージの素材を構成する。だから、複合イメージを構成する個々のイメージのいくつかは想起され他は想起されないということはほとんどなく、いくつかが想起されるなら他も想起される。実質的には複合イメージがイメージが想起されるか想起されないかを決める単位である。
 だから、それぞれの種類の記憶の神経細胞群の収束する部分の中で、限られた数(n)以下の複合イメージの素材が再生に達し想起される。これは以下のように場合分けされる。

(1)(n)以下の複合イメージの素材が生起したときはそれらがすべて想起される。
(2)(n)を超える複合イメージの素材が生起したときは最も早く広く長く興奮し伝達する(n)個のそれらが想起される。

この(2)の場合を想起の「飽和」と呼べる。
 ただし、その限られた数(n)は状況により変動する。多くの個々のイメージから構成される大きな複合イメージが想起されるとき、それらが再現素材空間のほとんどを占め、(n)は小さくなる。簡単に言って、複雑なことを考えるとき(n)は小さくなる。それに対して、小さな複合イメージが多数、想起されるとき、それらが再現素材空間のほとんどを占め、大きな複合イメージは想起されにくい。複雑なことを考えるときは雑念を絶たなければならない。
 『習性をもつ動物の心理学』は限定機能を以下のように定義している。

一定の状況(S1)の中で一般に(この一般性を(G)とする)生じうる機能の集合(f1,f2,…)を(F)として、
別の状況(S2)によって変動する数を(n)として、一時に、
(n)個以下の(F)が生起したとき(C1)は、それらのすべてが生じ、
(n)個を超える(F)が生起したとき(C2)は、
Fを限定する機能(SLF)によって、
他を排除して生じる能力(EA)が最も大きい(n)個の(F)が生じる。
そのとき、機能の集合(F)と(F)を限定する機能(SLF)と(F)を処理するその他の機能を「限定機能」(LF)と呼べ、集合(f1, f2,…)のそれぞれの要素を「被限定機能」(lf)と呼べ、(SLF)を「実質的限定機能」と呼べる。

これを複合イメージの想起に当てはめてみる。

(S1)複合イメージの想起の状況

複合イメージの想起の状況は、認識される感覚された神経素材の部分と想起された個々のイメージの素材がもつ属性である。この認識から認識と同類性に基づくとともに活性化神経細胞群と時間的近さに基づいて個々のイメージの素材の生起が始まる。簡単に言って、この状況から連想が始まる。例えば、学校や職場の建物を見ると、その中での人間関係が連想される。

(G)この場合の「一般に」想起されることの意味

そのとき現在の普通の家庭または施設または学校で育った健康な人々に想起されることを意味することにする。例えば、自動車がまだ発明されていない時代では、一部の科学者や技術者を除く普通の人々にそのイメージは生成も想起もされず、その時代では自動車、自動車を運転すること、自動車で行くこと…などのイメージはいかなる状況でも非限定機能の集合から除外される。また、現代でもごく一部の政治家、経営者、科学者、技術者…などしか知りえないもののイメージは除外される。

(S2)(n)が変動する状況

想起される複合イメージが再現素材空間をめる場所と広さである。

(lf)被限定機能としての複合イメージの素材のそれぞれ

前述のとおり、複合イメージの素材はまとまりになって想起される可能性をもち、生起するとそれぞれの種類の記憶の神経細胞群の収束する部分を通り、最も早く広く長く興奮し伝達するものが他を立ち消えさせて再生に達し想起される。だから、状況の中で一般的に想起される可能性をもつ複合イメージの素材のそれぞれは被限定機能である。

(SLF)想起の実質的限定機能

それぞれの種類の記憶の神経細胞群の記銘、保持から再生へ向かう部分が収束することと、それにおいて最も早く広く長く興奮し伝達する複合イメージの素材が他を立ち消えさせて再生に達することが想起の実質的限定機能である。

(LF)被限定機能としてのそれぞれの複合イメージの素材の他を排除して生じる能力

それぞれの種類の記憶の神経細胞群の収束する部分における複合イメージの素材の興奮と伝達の早さ、広さ、長さが他を排除して生じる能力である。

〇それぞれの種類の複合イメージの素材の限定想起

上記の被限定機能としての複合イメージの素材の集合と上記の記憶の実質的限定機能と記銘、保持、生起、再生を含むそれぞれの種類の記憶の神経細胞群の収束する部分の機能が限定機能である。それらを複合イメージ(の素材)のそれぞれの種類の「限定想起」と呼べる。

複合イメージのすべての種類の限定想起の総体

 だが、複合イメージの素材のそれぞれの種類の限定想起だけを考慮するのでは、異なる種類の個々のイメージから構成される複合イメージが、比喩的に言って、それぞれの種類の断片に輪切りにされてしまう。異なる種類の個々のイメージから構成される複合イメージの原型を保つためには、個体の神経系の中でのすべての種類の限定想起の総体を考慮する必要がある。前述のとおり、複合イメージの素材を構成する個々のイメージの素材は、(1)認識と同類性に基づくとともに(2)活性化神経細胞路と時間的近さに基づいて生起する。その(2)による生起によって、異種の個々のイメージの素材が生起し一つの複合イメージの素材を構成し、異種の記憶の神経細胞群の収束する部分を通り、異種の再生に達し、異種の想起において想起される。この場合、すべての種類の想起がいつも前述の飽和に達するわけではない。人間においては、視覚的種類の記憶と聴覚的種類の記憶が圧倒的に優位であり、他の種類の記憶はないに等しい。それでも、視覚的種類、聴覚的種類のいずれかが圧倒的に優位な複合イメージはありえ、他の種類の想起が飽和に達しないことはありえる。例えば、話し言葉の聴覚的イメージが優位な思考において、視覚的種類の想起が飽和に達しないことはありえる。そのような思考は図式やグラフなどの視覚的イメージも使用して視覚的種類の想起も飽和させた方が有効だったのかもしれない。
 だがそれでも、数(n)はかなり変動するが、個体の神経系の中でのすべての種類の限定想起の総体において、限られた数(n)以下の複合イメージの素材が想起されることに変わりはない。だから、個体の神経系の中でのすべての種類の限定想起の総体は限定機能である。
 また、その総体においても、前述のような状況の中で前述の意味で一般に想起される可能性をもつ複合イメージの素材のそれぞれが被限定機能である。しかも、比喩的に言って、この複合イメージは前述のようにそれぞれの種類の断片にスライスされておらず、原型を失わず保っている。
 また、その総体においても、その実質的限定機能は、すべての種類の記憶の神経細胞群の記銘、保持から再生へ向かう部分が収束することと、それにおいて最も早く広く長く興奮し伝達する複合イメージの素材が他を立ち消えさせて再生に達することである。
 また、その総体においても、それぞれの複合イメージの素材の他を排除して生じる能力は、すべての種類の記憶の神経細胞群の収束する部分におけるその興奮と伝達の早さ、広さ、長さである。
 そのように、個体の神経系の中での複合イメージの素材すべての種類の限定想起の総体は限定機能である。

強さを伴う複合イメージのすべての種類の限定想起の総体=イメージの想起

 前述のとおり、現れるものは、明るさ、距離、音量、鮮明さ、強さ…などの量を属性としてもつ。そのような量を現れるものの強さと呼ぶことにする。個々のイメージも強さをもち、複合イメージもそれを構成する個々のイメージの強さの平均として強さをもつ。そのような強さは現れるものの素材の興奮と伝達の濃度などの属性から生じると前提される。現れるものの強さを生じる素材の属性を素材の強さと呼べる。また、強い〜弱い複合イメージの素材が想起されることをそれが強く〜弱く想起されることと呼ぶことにする。
 想起の強さを決定するのは素材の強さだが、それはピークにおける強さである。再生の都合によって、通常、ゼロコンマ数秒から数秒の間に、それぞれの複合イメージは想起され、次第に強く想起され、ピークに達し、次第に弱く想起され、消滅する。一時には、限られた数(n)以下の複合イメージの中でも、一つが最も強く想起され、他のいくつかは強く想起され、他は弱く想起される。それらの二つの様相を総合すると現実になるが、それはかなりダイナミックである。
 そのように、個人の神経系における複合イメージのすべての種類の限定想起の総体は強さを伴う。それを強調する必要があるものに応じて以下のように呼ぶことにする。

強さを伴う(複合)イメージの(素材の)すべての種類の限定想起の総体

(複合)イメージの(素材の)すべての種類の限定想起の総体

(複合)イメージの(素材の)(限定)想起

(限定)想起

(複合)イメージ(の素材)が(限定的に)想起されること

ものが(複合)イメージとして(限定的に)想起されること

つまり、単なる想起という言葉は個体の神経系の中での複合イメージの素材すべての種類の限定想起の総体を指すことにする。『自我をもつ動物の心理学』で説明される感情、欲求、自我はイメージの想起を発端とする。その説明にははイメージの想起という言葉が用いられる。その言葉はこの節で定義した複合イメージの素材のすべての種類の限定想起の総体を意味する。また、イメージという言葉は複合イメージの素材を意味する。

知覚

 すべての種類の感覚と記憶において、感覚された神経素材のいくつかの部分がもつ属性が認識され、認識と同類性に基づくとともに活性化神経細胞路と時間的近さに基づいていくつかの複合イメージの素材がそれらの部分に重なって想起される。それが知覚である。例えば、感覚された特定の人の顔の属性が認識され、過去のその人の顔や一般の人間の顔の複合イメージがその人の顔に重なって想起され、その人がその人として認識されるとともにその人の顔の微妙な変化が分かる。さらに、それらの想起された複合イメージの素材のいくつかの部分がもつ属性が認識され、認識と同類性に基づくとともに活性化神経細胞路と時間的近さに基づいて他のいくつかの複合イメージの素材が想起され…と続き、後述する連想になる。

連想

 数秒以上の時間の中では、感覚される神経素材のいくつかの部分の属性が認識され、認識と同類性に基づくとともに活性化神経細胞路と時間的近さに基づいて、いくつかの複合イメージが限定的に想起され、それらのいくつかの部分の属性が認識され、認識と同類性に基づくとともに活性化神経細胞路と時間的近さに基づいて、いくつかの複合イメージが限定的に想起され…と続く。そのような想起の連続が連想である。連想の中で想起されるいくつかの複合イメージは小さな複合イメージから構成される一つの巨大な複合イメージとも見なせる。この著作ではそのような複合イメージも複合イメージに含めることにする。また、そのような想起の連続、つまり、連想も間延びした想起と見なせる。この著作ではそのような想起も想起に含めることにする。
 だが、しばらくはそのような巨大な複合イメージを除外して連想を考えてみよう。一回目の想起で(n)個の複合イメージが想起され、それらのそれぞれが認識され二回目の想起でそれぞれが(a)個の生起を生じ、(n*a)個が生起したとしても、限定されてn個が想起される。さらに、二回目の想起でn個のすべてが認識されa個の生起を生じるわけではなく、n個のうちのm(n>m)個のそれぞれが認識されa個の生起を生じる。そのように連想において想起される複合イメージは限られる。例えば、知覚される学校や職場の建物がその中の人間関係の想起を生じ、それがそれらの中の重要人物の想起を生じ、それがその人に言うべきことの想起を生じ、それがその人が答えるであろうことの想起を生じ…と続く。
 知覚と連想の関係として以下の(1)(2)(3)が可能である。
(1)知覚から連想が始まる。
(2)古い連想がある知覚によって中断され、その知覚によって新しい連想が始まる。
(3)古い連想がある知覚によって変容し変容した連想が始まる。
の三つが考えられる。
 (1)は朝に覚醒したときに生じるように見える。だが、夢を見ていて覚醒することが多いので、夢と知覚から連想が始まると言える。例えば、覚醒して寝室を知覚し、その夢の現実性を疑い始め、夢でよかった、何故あんな夢を見たのか…などと思い始める。純粋な(1)はREM睡眠以外の深睡眠や完全な意識消失からいきなり覚醒したときに生じる。だが、そのような状態は「昏迷」と呼んだほうがよいのかもしれない。(2)は予期せぬ出来事が生じた場合に多い。例えば、何も予定のなかった休日に、予期せぬ人の訪問を受け、その人にコーヒーやお茶を出すべきかと考え始めるときに生じる。(3)がわたしたちの日常生活である。
 以上のように、連想は無際限に広がるわけではない。覚醒しているまたは夢を見ている限り、なんらかの複合イメージが連続的に想起されるが、それらのすべてが明らかな連想として連続しているわけではない。

言語イメージ

 人間では、新生児期から老年期まで多数の話し言葉が聴覚され、書き言葉が視覚され、多数の言語の複合イメージの素材が生成し記銘、保持され想起される。そのような素材を「言語イメージの素材」、言語イメージと呼べる。
 多数の言語イメージの素材が生成するとともに、多数の言語以外のイメージの素材が生成し、それらの間の神経細胞路が活性される。そのようにして、ますます複雑なイメージの素材が生成し、ますます複雑な想起、知覚、連想、思考…などが発達する。
結局、言語の素材は感覚され生成し、一部が想起され、一部が話され書かれ伝達される。それらが「言葉」「言語」というものである。

観念

 地動説、進化論、自由権、民主制…などの複雑ないわゆる「観念」「思想」は巨大な複合イメージまたは連想される想起されるような一連の複合イメージの連続である。また、それらは長い言語で伝達される。それらは感覚、知覚、記憶だけでは形成されない。それらの形成には個人の中ではそれらだけでなく『自我をもつ動物の心理学』で説明される自我と思考が必要である。また、人間社会の中では言語、画像、音…などによる伝達、討論…などが必要である。

複合イメージまたは観念の記銘と保持

 もし、それらの複合イメージまたは観念が記銘、保持されないなら、わたしたちは何度もゼロからそれらを感覚し知覚し記憶し思考し形成しなければならなくなる。だが、その必要はない。それらが想起、連想、思考された時点で、それらを構成する個々のイメージの素材を記銘し保持する神経細胞群とそれらの間の神経細胞路は活性化されている。次回にそれらの発端部分が認識されとき、それらのほとんどすべてが想起または連想される可能性をもつ。それらの活性化自体が複合イメージまたは観念の素材の記銘と保持と見なせる。
 もっとも、巨大な複合イメージまたは観念の想起は小さな複合イメージや個々のイメージのそれらとはやや別様に成される。後者が一回の想起で成されるのに対して、前者は複数回の想起で成される。

忘却

 すべての神経細胞の活性、従ってすべての神経細胞群の活性は遅かれ早かれ減少し消滅する。複合イメージの素材を構成する個々のイメージの素材を記銘し保持する神経細胞群の活性とそれらの間の神経細胞路の活性も遅かれ早かれ減少し消滅する。それらの活性の自然な減少または消滅によって、イメージの素材が想起される可能性を不可逆的に失うことをイメージ(の素材)の「忘却」イメージ(の素材)が忘却されること、ものが忘却されることと呼べる。

記憶喪失

 なんらかの原因によって、動物の個体の中で、すべての複合イメージの素材が想起される可能性を不可逆的に失うことを「記憶喪失」、記憶が失われること、完全な忘却、すべてを忘れることと呼べる。
 記憶をもつ動物だけが記憶喪失する。記憶をもたない動物は喪失のしようがない。動物が生きている限り、記憶喪失は稀である。例外は脳死、植物状態…などだろうか。だが、脳死、植物状態は死と考えられる。動物が死ねば、明らかに記憶喪失が生じる。

記憶の更新

 ある複合イメージの素材が生成し記銘され保持された後に、それを生じた感覚の素材または複合イメージの素材が感覚または想起され認識されると、その複合イメージの素材が再び生成し記銘、保持される。結果的にはその複合イメージの素材を構成する個々のイメージの素材を記銘し保持する神経細胞群とそれらの間の神経細胞路が再び活性化される。それらのことを複合イメージの(素材の)「更新」、それが更新されること、ものの記憶の更新、それが更新されること、記憶の更新…などと呼べる。
 前述のとおり、すべての複合イメージは、忘却されつつあるが、頻回に更新されるなら、その活性は維持され、忘却されない。簡単に言って、何度も見て聞いて感じて考えたことは忘れられない。そのように、更新は記憶の重要な部分である。更新がなければ複合イメージは忘却されるだけで記憶はないに等しい。そこで、記憶の更新を記憶に含めるだけでなく、更新を強調する必要があるときは、記憶を「記憶と更新」と呼ぶことにする。

注意

 視覚においては、眼球を動かし、頭部を動かし、近づいて、物が大きく鮮明に見えるようにすることができる。聴覚について、人間は他のいくつかの動物と違って耳介を動かすことはできないが、頭部を動かし、近づいて物が大きく聞こえるようにすることはできる。嗅覚についても同様である。平衡感覚については、体の運動と姿勢を変えることで、めまい感、ふらつきなどを軽減することができる。味覚については、食物を口に入れなければ味は生じず、よく咀嚼することで味を強く明瞭にすることができる。体性感覚については、感触を知りたければ触ってみればよく、熱すぎたり棘があれば手を離せばよい。自律感覚については、体性感覚ほど明瞭ではないが、動悸、息切れが激しければ休まなければならず、腹が減れば食べなければならず、喉が渇けば飲まなければならない。それらの眼球を動かす、頭部を動かす、近づく…などの随意運動を「感覚変更」随意運動と呼べる。
  感覚変更随意運動によって強く鮮明に感覚されない素材の部分が認識され個々のイメージまたは複合イメージとして生成し記銘、保持されるまたは更新される可能性はほとんどない。例えば、眼球運動も頭部の運動もなく、視野の周辺で曖昧にしか感覚されないものがそうされることはほとんどない。
 また、感覚変更随意運動によって強く鮮明に感覚されない素材の部分が複合イメージを重ね合わされる、つまり、知覚されることはほとんどない。
 感覚変更随意運動によって強く鮮明に感覚された素材の部分または知覚された部分が認識され個々のイメージまたは複合イメージとして生成し記銘、保持されるまたは更新される可能性はより大きい。
 また、複合イメージとして想起された素材が更新され、その活性が維持される可能性は大きい。簡単に言って何度も思い浮かんだものはなかなか忘れられない。
 だが、それらの可能性は以下の場合、もっと大きくなる。『自我をもつ動物の心理学』で説明されるとおり、自我は想起されるイメージを近づける、加工する、結合する、分解する…など操作することができる。想起される複合イメージが記銘、保持されまたは更新される可能性は自我が操作がそれらを操作することによってかなり大きくなる。何故なら、イメージは曖昧で儚くなかなか記銘、保持されないが、自我はそれをある程度固定するからである。
 複合イメージの生成の時点で自我がそれらを操作しなくても、しばらくしてそれらが想起され自我がそれらを操作すると、それらはより確実に記銘、保持される。例えば、初めて人と会った後で、何度もその人のことを考えるとその人のことを忘れることはない。
 そのように自我がある素材から生じた複合イメージを操作することを自我によるその素材への「注意」、自我がその素材に注意する ことと呼べる。

想起の習性

 連想、つまり、一連の想起の中では、そのうちの一つの想起でどの複合イメージが想起されるかがそれ以降のすべての想起においてどの複合イメージが想起されるかを決定する。また、『自我をもつ動物の心理学』で説明される自我の最初の部分で、状況の中でいくつかの方法が複合イメージとして提案され、最後の部分がそれらのどれを採用し実行するかを決定するが、提案されない方法は決定も実行もされないのである。そのように考えると、どの複合イメージが想起されるかは重大であり、場合によっては人生を決定するかもしれない。
 前述のとおり、ある状況(S1)の中で一般に想起される可能性をもつ複合イメージの素材の集合を(C)として、別の状況(S2)によって変動する数を(n)として、一時に、(n)以下の複合イメージの素材が生起したとき(C1)はそれらのすべてが想起され、(n)を超えるそれらが生起したとき(C2)は収束する神経細胞群において最も早く広く長く興奮し伝達する(n)個のそれらが想起される。(C1)においては、複合イメージが想起される能力は生起する能力(この能力をここではA1とする)である。(C2)においては、複合イメージが想起される能力は、生起する前は生起する能力(A1)であり、生起した後は収束する神経細胞群における興奮と伝達の早さ広さ長さ(この能力をここでは(A2)とする)である。そのような状況と場合におけるそれぞれの複合イメージの想起される能力を複合イメージの想起される能力、複合イメージの能力、複合イメージの想起される習性、複合イメージの習性と呼べ、集合(F)に属する複合イメージの想起される能力の行列を状況(S1)における想起の習性と呼べる。
 では、そのような習性を決定づけるものは何だろうか。複合イメージを構成する個々のイメージの素材を記銘し保持する神経細胞群とそれらの間の神経細胞路の活性である。すべての神経細胞群の活性は時間とともに低下する。だから、前述の忘却があり、それらの習性は低下し、複合イメージはほとんど想起されなくなる。そのような忘却を防ぎそれらの習性を維持するためには、複合イメージが強くまたは持続的または反復的に想起される必要がある。それが前述の記憶の更新である。しかも自我が強くまたは持続的または反復的に複合イメージを操作する必要がある。それが前述の自我による注意である。例えば、通りですれ違うだけの人はすぐに忘却される。それに対して、自我が強い注意を払い、何度も思った人はなかなか忘れられない。

他の機能との関連

 仮に感覚や知覚が生じなくても、いくつかのイメージが自発的に想起されれば、多くのイメージが想起されうる。それは夢に近い。だが、『自我をもつ動物の心理学』で説明されるとおり、夢は不安、恐怖…などの情動を含むから、夢でも自律感覚は生じている。それに対して、夢を含む睡眠では、その他の感覚のほとんどは休止している。
 知覚、連想、夢をイメージの想起に含めることにする。
 『自我をもつ動物の心理学』で説明されるとおり、イメージの素材から快不快の自律感覚への神経細胞路が活性化され興奮し伝達して不安、期待…などの感情が生じる。その神経細胞路はこの著作で説明された個々のイメージの素材の間の神経細胞路と異なる。

 上記の記憶に対して、残像的記憶、感覚的記憶、即時的記憶、超短期記憶と短期〜長期記憶があり、以下の節で説明される。

残像的記憶

 神経細胞群の興奮と伝達を構成する一個の神経細胞の一回の超短時間の興奮と伝達はミリセカンド(一秒の千分の一)単位の時間、持続する。それに対して、すべての再現素材は刻一刻と変化する。例えば、視覚の再現素材に含まれる走る動物の四肢の空間的構成がそうである。そのように、再現素材が変化または消滅した後も、神経素材は少なくともミリセカンド単位の時間の間、持続する。その結果、少なくともミリセカンド単位の時間の間、いわゆる「残像」のようなものが生じる。そのことを「残像的記憶」と呼べ、そのような現れるものを「残像」と呼べる。
 残像的記憶は日常や科学で言われる記憶ではない。だが、残像的記憶を記憶に含めることにする。最も重要なことの一つとして、残像によって時間的変化が軌跡のようにして現在に現れているのである。

感覚的記憶

 感覚された神経素材のいくつかの部分が個々のイメージの生成において認識され切り取られるとともに、そのいくつかの部分がゼロコンマ数秒から数秒、そのまま残り、後に再生され認識され切り取られることがある。それを「感覚的記憶」と呼べる。例えば、聴覚で、注意して聞いていなかった他人の短い話し言葉が、ゼロコンマ数秒後に注意されることがあるが、それが聴覚的感覚的記憶の例である。ただし、短い言葉だけがそのように注意され、長い言葉は注意されない。また、しばらく沈黙があったときに、そのように注意され。立て続けに話されたときは注意されない。
 感覚的記憶は長めの残像的記憶か特有の神経細胞群の長めの興奮と伝達かによって生じると推測される。
 感覚的記憶も時間的変化が現在に現れるのに役立つ。

即時的記憶

 生成した個々のイメージが、記銘し保持されるとともに、即時的に想起され、数秒以下の時間の間、想起され、消滅する。そのことを「即時的記憶」、即時的イメージの想起、即時的想起、イメージが即時的に想起されることと呼べ、そのようなイメージを即時的イメージと呼べる。
 前述の残像的記憶と感覚的記憶とともに即時的記憶によって、時間的変化が現在に現れている。簡単に言って、現在に残っている過去のものと現在を比較することによって変化が分かるのである。即時的記憶を記憶と想起に含めることにする。
 前述の基本的な記憶が、生成→記銘→保持→生起→想起を経て生じるのに対して、即時的記憶が同じ神経細胞群から生じることもありえ、記銘と保持を経ない、生成→生起→想起の神経細胞群から生じることもありえる。恐らく、両者が機能している。

短期〜長期記憶

 イメージの生成、記銘、保持と前述の即時的記憶の後に、イメージの素材が想起も更新もされなければ、複合イメージを構成する個々のイメージを記銘し保持する単位的神経細胞群の活性またはそれらの間の神経細胞路の活性はすぐに、恐らく数秒で低下し消滅する。数秒の時間のうちにイメージの素材が想起または更新されて、それらの活性が維持され、イメージの素材は数秒の時間を超えて想起される可能性をもつ。そのことを短期〜長期記憶とも呼ぶことにする。もちろん、短期〜長期記憶は記憶に含まれる。
 短期〜長期記憶が成立するためには、同一または同様のものの素材が感覚または想起され更新される必要がある。そのことが日常や科学で「注意(意識)しなかったものはすぐ忘れてしまう」「注意(意識)したものはよく覚えている」と呼ばれているいるものの実体である。もっとも、難しいことを考える必要はない。知覚されたものまたはイメージとして想起されたものを考え直すとき、既に短期〜長期記憶が成り立っている。例えば、何時間も話をし何日も何度も思った人のことをわたしたちは忘れることはない。それに対して、よほど美しいまたは奇妙でない限り、通勤または通学中にすれ違う人の顔をわたしたちはいちいち覚えていない。
 短期記憶と長期記憶の区別は比較的である。だが、短期記憶が含まない機能を長期記憶が含む可能性はある。

記憶の能力

 個々のイメージの認識、切り取り、生成、記銘、保持、イメージの生成、記銘、保持、生起、想起のそれぞれの機能に能力があり、記憶、短期記憶、長期記憶のそれぞれに能力がある。
 人間において一般的に、記憶の能力は胎生期と新生児期から幼児期前半に飛躍的に発達し、思春期にピークに達し、以後は徐々に低下する。それに対して、認知症では通常、初老期以降に急速に低下する。

イメージの素材=イメージ

 「複合イメージの素材」という言葉を逐次、用いていると文章が煩雑になるので、イメージの素材またはイメージをイメージとも呼ぶことにする。

意識、無意識…などの実体

 イメージはすべて、胎生期以降に感覚が機能して生成し、大部分は新生児期以降、つまり、分娩後に生成する。そのことをイメージの後天的生成、イメージが後天的に生成することと呼べる。
 イメージの「豊富」さと記憶の能力は異なる。前者の主要な原因は様々なものを感覚、知覚、想起、連想、思考…などしていることである。それが経験、知識…などと呼ばれるものの実体である。
 ミリセカンド単位の時間の中で、多数の個々のイメージが生起するが、限定された数(n)以下のイメージが想起される。そのことが「意識」と呼ばれるものの一部の実体である。また、それが日常で「同時に二つのことを意識することはできない」と考えられているものの実体である。結局、多数のイメージが生成し記銘され保持されるが、即時的想起を除いて、多くが生起せず、ほとんどは想起されない。
 意識的機能は『自我をもつ動物の心理学』で詳しく説明される。想起されない生起素材がそれらを生じることがあるとすれば、それが「無意識」などと呼ばれるものの一部の実体である。だが、そのようなことが存在し機能するかは明らかではない。
 だが、ほとんどの動物の個体の中で、未だ感覚されていない神経素材が健反射、条件反射の一部…などの機能を生じる。

感覚以上

 これらの著作では定義からして動物は感覚をもつ。概して、地球上の動物の中で陸生の脊椎動物亜門といくつかの陸生の節足動物が最も複雑な感覚をもつ。何故なら、概して水中では聴覚と平衡感覚があまり進化しえないからである。また、一部の哺乳綱が最も複雑な感覚をもつ。何故なら、それらは最も大きな大脳と感覚器をもつからである。人間が最も複雑な感覚をもつとは言えない。少なくとも人間の嗅覚は退化している。人間の感覚の中では、視覚と聴覚は比較的複雑であり、嗅覚は比較的単純である。脊椎動物亜門では体性感覚と自律感覚の区別は比較的明瞭だが、それら以外の動物ではそれらの区別は曖昧である。いずれにしても、感触、痛さ、暑さ寒さ、臭い、味…など、なんらかの感覚で現れるものを生じると前提される機能を感覚と呼べる。例えば、簡単に言って、クラゲやイソギンチャクが何かを感じているなら、それを生じる機能は感覚である。
 脊椎動物といくつかの節足動物が今まで説明してきたような記憶をもつ。人間が最も複雑で豊富な記憶をもち、一部の哺乳綱が人間ほどではないが比較的複雑で豊富な記憶をもち、その他の脊椎動物亜門といくつかの節足動物がより単純な記憶をもつ。それらの単純な記憶も記憶に含めることにする。
 感覚をもつ動物のすべてがこれまで説明してきたような記憶をもつわけではない。例えば、クラゲ、イソギンチャク…などの刺胞動物は触覚…などの感覚をもつ。だが、それらでイメージが想起されるとは考えられない。それらは想起を含まない記憶をもつと考えられる。そのようなイメージの想起を含まない記憶を記憶に含めないことにする。
 記憶をもつ動物はすべて、感覚をもつ。何故なら、感覚された神経素材の部分が切り取られて初めて、個々のイメージの素材が生成するからである。感覚と記憶をもつ動物は感覚をもち記憶をもたない動物から進化する。知覚、連想、感情、欲求、自我、思考…などはイメージの想起を含む。だから、それらをもつ動物は感覚と記憶をもつ。それらのイメージの想起を含む機能をもつ動物は感覚と記憶をもちそれらをもたない動物から進化する。
 そこで、感覚または感覚と感覚がなければありえない機能を「感覚以上」と呼べる。また、感覚と記憶または感覚と記憶とそれらがなければありえない機能を「記憶以上」と呼べる。
 感覚→記憶と同様の関係が、イメージの想起→知覚→連想→感情→欲求→自我→思考…などについて、成り立つ。例えば、自我をもつ動物は感覚、記憶、知覚、連想、感情、欲求をもつ。自我をもつ動物はそれらをもち自我をもたない動物から進化する。そこで、例えば、自我または自我と思考…などを「自我以上」と呼び、それらをもつ動物を「自我以上をもつ動物」と呼べる。
 人間は地球上で現在までに最も複雑な記憶以上をもつ。さらに、地球上で今後、人間より複雑な記憶以上をもつ動物が人間または他の動物から進化する可能性がある。そもそも、人間も進化する可能性をもつ。
 結局、感覚以上の機能が生じると、なんらかの現れるものが生じると前提される。感覚以上の機能が現れるものを生じると前提される機能である。

参考文献

自我をもつ動物の心理学(日本語訳)
習性をもつ動物の心理学(日本語訳)
特定のものと一般のもの(日本語訳)
生存と自由(日本語訳)

[訳注:この日本語訳に関するお問い合わせはNPO法人わたしたちの生存ネットまでお寄せください。]
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