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生存と自由のための権力分立制(日本語訳)

基本的な言葉

これらの著作

 この『生存と自由のための権力分立制』を「この著作」とも呼び、この著作と『生存と自由』と『わたしたちの生存ネット』と『記憶をもつ動物の心理学』と『自我をもつ動物の心理学』と『習性をもつ動物の心理学』と『特定のものと一般のもの』を「これらの著作」とも呼ぶことにする。

自由権

 個人が個人の身体、機能、手段を欲求のままに操作することを個人の「勝手」とも呼ぶことにする。勝手のうち、憲法などの基本的な法によって正当と認められる必要があるものを個人の「自由」とも呼び、既に認められたものを「自由権」とも呼ぶことにする。
 現代では多くの国家で生命、身体の自由、思想、言論の自由などが制限なしで、私有財産、契約の自由などが制限付きで、自由権として憲法で規定されている。だが、法の規定と実際に自由権が擁護されているかは別であり、後者が問題である。また、一部の制限付きの自由権に対する抑制が他の制限なしの自由権に及ぶことを防ぐ必要がある。
 他のいくつかの個人または集団が個人の自由権を障害することを他のいくつかの個人または集団による個人の自由権の「侵害」、他のいくつかの個人または集団が個人の自由権を侵害することとも呼ぶことにする。
 侵害に対して、他のいくつかの個人または集団が個人の自由権が侵害されないようにすることを他のいくつかの個人または集団による個人の自由権の「擁護(Protection)」、他のいくつかの個人または集団が個人の自由権を擁護することとも呼ぶことにする。

権力

 他のいくつかの個人または集団、それらの機能、手段を抑制、障害または促進する可能性をもつ個人または集団、それらの機能、手段を「権力(Power)」とも呼ぶことにする。
 物理的、身体的に他のいくつかの個人または集団、それらの機能、手段を抑制または障害する可能性をもつ権力を「武力」とも呼ぶことにする。武力は権力に含まれる。
 いくつかの権力はいくつかの自由権を侵害する可能性をもつ。すべての権力の中で、武力は自由権を最も直接的に侵害する可能性をもつ。
 だが、いくつかの権力は、いくつかの自由権を侵害する可能性をもつだけでなく、自由権を侵害する権力を抑制することによって自由権を擁護する可能性をもつ。武力は、自由権を最も直接的に侵害する可能性をもつだけでなく、自由権を最も直接的に侵害する可能性をもつ武力を最も直接的に抑制することによって自由権を最も直接的に擁護する可能性をもつ。例えば、武力は暴力を抑制することによって生命・身体の自由を擁護する可能性をもつ。
 さらに、いくつかの権力は自由権を侵害または擁護する可能性をもつだけでなく、後述する社会権を保障する可能性をもつ。例えば、行政権は社会資本を整備し福祉を推進することによって人間の生活と健康を促進する可能性をもつ。
 また、いくつかの権力は、人間の権利を侵害または擁護または保障する可能性をもつだけでなく、他の生物と自然を破壊または保全する可能性をもつ。例えば、行政権は、公共事業を乱発することによって自然を破壊し、自然破壊を規制することによって自然を保全する可能性ももつ。また、武力が保持し使用する兵器は人間だけでなく他の生物を傷害する可能性をもつ。

公権力

 憲法などの基本的な法によって正当で公的と認められた権力を「公権力」とも呼ぶことにする。また、一つの公権力とそれによって統治される一定地域の中の個人、集団、私権力、他の生物、自然を国家とも呼ぶことにする。公権力は権力に含まれる。
 公権力は、警察、軍などの武力を含む。公権力が含む武力を「公的武力」とも呼ぶことにする。公的武力は従来、軍と警察に大別されてきた。検察を警察に含め、行政権に含めることにする。何故なら、それぞれの検察官は独立し、立法権と司法権と分立する必要があるからであり、かといって検察を新しい権力とすると過度の分立に陥るからである。後述するとおり、過度の分立は避ける必要があり、必要な分立だけを実現する必要がある。
 それらの定義は公的武力、軍、警察が攻撃力を含むことを全く意味しない。国家においても国際社会においても、それらが防衛力に限定される必要があることの説明を自明のこととして省略することにする。
 基本的に、国家という言葉は地球上に多数ある国家のそれぞれを指し、公権力という言葉はそれぞれの国家の中の中の一つの公権力を指すことにする。そのことを強調する必要があるときは、国家をそれぞれの国家とも呼び、公権力をそれぞれの公権力とも呼ぶことにする。
 連邦、合衆国…などにおいては、連合体も構成要素も国家とも呼び、それらの公権力のそれぞれを公権力とも呼ぶことにする。その定義は地方分権が不必要ということを全く意味しない。この著作で説明される権力分立制は地方分権にも応用される。だが、そのことを逐次、説明していると文章が煩雑になるので、この著作ではその説明を省略することにする。
 それらのように定義したからといって、国家や公権力が不可分というのでは全くない。それらは多数のものから構成される複合体であり分立可能である。それこそがこの著作で最も重要なことである。

公権力の自由権を侵害し擁護する部分

 他の権力と同様に、というよりそれ以上に、公権力のいくつかの部分は自由権を侵害する可能性をもち、公的武力は自由権を最も直接的に侵害する可能性をもつ。公権力には自由権を侵害する可能性をもつ部分が存在する。自由権を侵害する可能性をもつ公権力の部分を「公権力の自由権を侵害する部分」とも呼ぶことにする。
 だが、公権力は自由権を侵害する権力を抑制することによって自由権を擁護する可能性をもち、公的武力は自由権を最も直接的に侵害する武力を最も直接的に抑制することによって自由権を最も直接的に擁護する可能性をもつ。
 そのように、公権力には自由権を擁護する部分が存在する。それを「公権力の自由権を擁護する部分」とも呼ぶことにする。
 最も重要なことの一つとして、公権力の自由権を侵害する部分と自由権を擁護する部分とはほとんど同一である。例えば、全く同じ警察、軍が平時に出動して個人に機能することによって自由権を侵害することも、戦時に出動して自由権を侵害する暴力を抑制することによっての自由権を擁護することもできる。比喩的に言えば、表裏一体、両刃の剣である。ほとんど同一である公権力の自由権を侵害する部分と擁護する部分を「公権力の自由権を侵害し擁護する部分、自由権を侵害し擁護する部分とも呼ぶことにする。だが、「侵害し擁護する」という言葉をいつも用いていると、文章が煩雑になる。だから、それを「公権力の自由権を擁護する部分」、自由権を擁護する部分とも呼ぶことにする。だが、それが自由権を侵害する部分を含むことを強調する必要があるときは、公権力の自由権を侵害・擁護する部分という言葉を用いることにする。
 ところで、公権力は、三権分立制の整備以前から、犯罪と刑罰を法で規定し、裁判を行い有罪無罪と刑罰を決定し、刑罰を執行してきた。犯罪の多くは自由権を侵害することである。犯罪を法で規定し裁判を行い刑罰を執行することは、私権力が自由権を侵害することを公権力に抑制させる機能と、公権力の自由権を侵害する部分を抑制する機能を結果として果たしてきた。
 だが、それらだけでは不十分だった。そこで、個人と集団は、主として17世紀以降に、主として西欧と北米で、主として自由権を擁護するために、民主制、三権分立制を整備してきた。
 民主制は個人と集団が比較的直接的に公権力を抑制する制度である。それに対して、三権分立制は公権力を立法権、行政権、司法権に分立し、それらが互いを抑制する制度である。

公権力の社会権を保障する部分

 だが、個人と集団は自由を追求するだけではなく、生存とよりよい生活、少なくとも最低限度の生活を追求する。簡単に言って、自由より命と健康のほうが大切である。社会権の追求以前から、経済的不平等、経済の矛盾…などはあり、個人は生存と最低限度の生活を追求してきた。
 だが、思想、言論の自由などがなければ、自由権や社会権を主張することもできない。自由権、民主制、権力分立制をある程度、整備した後で、個人と集団は最低限度の生活を主張することができるようになった。また、科学技術の急速な発達の始まりと産業革命によって経済的不平等と資本主義経済の矛盾が鮮明になった後で、個人と集団は最低限の生活をより明確に要求するようになった。
 だが、私有財産の自由と契約の自由の名の下に、資本をもつものは資本と資本をもたないものを駆使して資本を蓄積する。企業が競争すのも自由だが妥協するのも自由であって、妥協は独占を生み独占は「見えざる手」を麻痺させて不況、失業などを生じる。それらのように、自由権、民主制、権力分立制を整備するだけでは、依然として経済的不平等と資本主義経済の矛盾が存在し、個人は劣悪な生活を余儀なくされる。
 そこで、個人と集団は生存権や労働者の諸権利を主張し法で規定し、公権力の福祉を推進する財力、人力や企業や労使間の契約を規制する権限を拡大してきた。
 また、資本主義は企業間の経済的競争だけでなく、個人の間の社会的競争も重視するが、生産的な競争が行われるのは子供たちに均等な教育が与えられ青年たちが等しいスタートラインに立ってのことである。そこで、個人・集団は最低限度の教育を公権力に子供たちに提供させてきた。
 さらに二十世紀後半以降、企業と生活の拡大による自然の破壊が露呈し、人間の生活と健康を障害してきた。そこで、人間は公権力に自然破壊を規制させてきた。
 個人と集団が公権力に生存、最低限度の生活、労働、教育…などを維持または促進させる権利を「社会権」とも呼ぶことにする。また、公権力がそれらを実現することを公権力による社会権の「保障」または公権力が社会権を保障することとも呼ぶことにする。
それらのように、公権力には社会権を保障する可能性をもつ部分が存在する。この部分は企業を規制する権限、労使関係を調整する権限、社会資本を建設し維持する財力と人力、福祉を推進する財力と人力、子供たちに最低限の教育を提供する財力と人力、自然破壊を規制する権限などから構成される。公権力の社会権を保障する可能性をもつ部分を「公権力の社会権を保障する部分」、社会権を保障する公的部分、社会権を保障する部分とも呼ぶことにする。

簡単な区別

 自由権と社会権は対照的な権利であり、公権力の自由権を侵害し擁護する部分と社会権を保障する部分は対照的な権力の部分である。
 公権力の自由権を侵害し擁護する部分は自由権を侵害する権力を抑制することによって個人の自由権を擁護する。それに対して、社会権を保障する部分は、企業、労使関係、福祉、教育から自然に至る様々なものを促進または抑制することによって、個人と集団の生活、健康、労働、知識、技術…などの存在と機能そのものを促進して、社会権を保障する。それに対して、公権力の自由権を擁護する部分は、あくまでも自由権を侵害する権力だけを抑制し、それ以外の個人、集団の存在、機能そのものを促進も抑制する必要はなくしてはならない。
 公権力の自由権を侵害し擁護する部分が積極的に機能するとき自由権が侵害される。それに対して、公権力の社会権を保障する部分が積極的に機能するとき社会権が保障される。自由権を侵害し擁護する公権力の部分が怠けているとき、自由権は擁護される。それに対して、公権力の社会権を保障する部分が怠けているとき、社会権は保障されない。
 自由権が擁護されるためには公権力の自由権を侵害し擁護する部分が抑制される必要がある。それに対して、社会権が保障されるためには公権力の社会権を保障する部分が促進される必要がある。

一般的生存権

 『わたしたちの生存ネット』で説明されたとおり、自己と家族の死を含む生物の絶滅と多大な苦痛に対する不安と恐怖という苦痛をもって、苦痛をできる限り全般的に減退させつつ、全体破壊手段を全廃し予防して地球や太陽の激変のときまで人間を含む生物を生存させる権利を「全般的生存権」とも呼ぶことにする。詳細は『わたしたちの生存ネット』をお読みいただきたい。
 全般的生存権が権利として認められるためには、現在の個人の自己と家族の死を含む生物の絶滅と多大な苦痛に対する不安と恐怖という苦痛をもつものが現在を生きる個人であることを強調する必要がある。
 全般的生存権が保障されるためには、公権力が、全体破壊手段を全廃し予防し、戦争、集団的暴力…などを抑制する必要がある。国内においては、それらを厳密に廃止、予防、抑制する必要がある。その点では全般的生存権を保障する公権力の部分は自由権を保障する部分と似ている。だが、国際社会においては公権力が積極的な外交を展開する必要がある。その点では全般的生存権を保障する部分は社会権を保障する部分に似ている。
 一般的生存権を保障する方法はこの著作の最後の章で説明する。

公権力の社会権からの逸脱

 一部の社会権が保障されるためには私有財産の自由、契約の自由などの一部の自由権が公権力のいくつかの部分によって制限される必要がある。例えば、公共施設、道路、鉄道、港湾を建設するためには私有財産の自由の一部が公権力によって制限される必要がある。労働条件が改善するためには労使間の契約の自由の一部が公権力によって制限される必要がある。自然破壊を規制するためには私有財産の自由の一部が制限される必要がある。
 そのような状況では、公権力が、社会権の保障という目的またはそれに類似する目的のためにも制限される必要のない自由権をそれらの目的を掲げることによって制限し侵害し、民主制、権力分立制、法の支配を破壊して、独裁、専制などに走る可能性がある。そのようなことは二十世紀に独裁、従来の共産主義、全体主義などとして経験された。
 だが、わたしたちは階級闘争、経済的不平等、資本主義経済の矛盾…などを解決したわけではない。共産主義、社会主義…などの再興はありえ、それらの一部は必要である。だが、それらが必要であるとしても、公権力の社会権を保障する部分においてであり、他の部分では必要ないだけでなく不適切である。
 また、今後は自然の保全や地球の生物や人間の全体の生存…などを名目に掲げる全体主義のようなものが出現する可能性がある。だが、『わたしたちの生存ネット』で説明されたとおり、そのようなものはわたしたちの生存と全般的生存権の保障のために決してならない。
 公権力が、社会権の保障という目的またはそれに類似する目的のためにも制限される必要のない自由権、民主制、権力分立制、法の支配をそれらの目的を掲げることによって制限し侵害することを公権力の社会権からの「逸脱」、公権力が社会権から逸脱することとも呼ぶことにする。

公権力の機能と集団の自由権を擁護するそれらと社会権を保障するそれらへの分立

機能と集団の区別

 公権力の機能と集団は区別される。例えば、立法そのもの、行政そのもの、司法そのものは機能である。それに対して、立法権の中の議員、委員会、行政権の中の省庁、部署、軍、警察、それらの中の部隊、司法権の中の裁判所は集団である。市民にとっては結果的に公権力が機能すればよい。だが、なんらかの集団をある程度、構成しなければ、公権力は機能しない。
 権力分立にとって必要なのは以下のことである。公権力の機能と集団を区別し、機能を区別し、機能の断層が見つかれば、その断層によって機能を分立し、分立した機能を集団に付与し、集団の断層がある程度でも見つかれば、集団と機能を権力として分立すること。今まで見てきたところでは、公権力の自由権を擁護する部分と社会権を保障する部分の間には断層が存在しそうである。まず、公権力の自由権を擁護する機能と社会権を保障する機能を区別してみよう。
 ところで、三権分立制は、立法権と行政権と司法権が分立して互いを抑制する、一つの権力分立制である。それらの三権のそれぞれの中でも自由権を擁護する機能と集団と社会権を擁護する機能と集団を区別する必要がある。

公権力の自由権を擁護する機能

 前述のとおり、ほとんど同一である公権力の自由権を侵害する部分と擁護する部分を「公権力の自由権を侵害し擁護する部分」、自由権を侵害し擁護する公的部分とも呼ぶことにした。だが、「侵害し擁護」という言葉をいつも用いていると、文章が煩雑になる。だから、それを「公権力の自由権を擁護する部分」とも呼ぶことにした。だが、後者が、前者と同一であり、自由権を侵害する部分を含むことを忘れないでいただきたい。それらのことは公権力の自由権を擁護する機能、集団…などについても全く同様である。それらのことを明らかにした後で、公権力の自由権を擁護する「機能」を見渡すことができる。
 前述のとおり、自由権を侵害する他の武力を最も直接的に抑制することによって自由権を最も直接的に擁護することができるものはやはり武力である。公権力の中で、自由権を侵害する他の武力を最も直接的に抑制することによって自由権を最も直接的に擁護することができるものは公的武力である。つまり、公権力の自由権を擁護する機能の中の最も直接的な機能は公的武力である。
 だが、少なくともそれぞれの国家ですべての権力のうちで、公的武力は自由権を侵害するだけでなく、社会権、民主制、権力分立制、法の支配を破壊し、独裁、専制…などに走る最も直接的で強力な権力である。だから、自由権を擁護するためには、行政権の文官と立法権と司法権が公的武力を抑制する必要があり、それはある程度可能である。それが従来の「文民支配」である。また、公的武力が警察と軍に分立し、それらが互いを抑制する必要がありそれはある程度、可能である。
 だが、行政権の文官が公的武力を完全に掌握して、自由権を侵害し、社会権、民主制、権力分立制、法の支配を破壊することがある。だから、立法権と司法権が行政権を抑制する必要があり、それはある程度、可能である。
 以下の説明のすべてに民主制が含まれ、以下の可能性のすべてが「ある程度」を含むが、それらの言葉を逐次、用いていると文章が煩雑になるので省略することにする。
 憲法などの基本的な法が自由権、民主制、権力分立制、法の支配を規定する必要がありそれは可能である。
 立法権が、基本的な法に基づいて、自由権の詳細を規定し、自由権の侵害を罪として法で規定し、有罪のときの刑罰を規定する必要がありそれは可能である。
 行政権の文官が、法に基づいて、公的武力を抑制する必要がありそれは可能である。行政権が、法に基づいて、権力が自由権を侵害することを抑制し、容疑者を告訴する必要がありそれは可能である。ここで重要なことは容疑者を告訴する先が行政権でも立法権でもなくそれらから独立した司法権であることである。具体的には国内での武力の横行または国外からの小規模な武力の侵入を行政権のうちの公的武力のうちの警察が防ぐ必要がありそれは可能である。国外からの大規模な武力の侵入を行政権のうちの公的武力のうちの軍が防ぐ必要がありそれは可能である。
 司法権が、法に基づいて、開廷し裁判を主導し、無罪または有罪と刑罰を決定する必要がありそれは可能である。
 行政権が、法と司法権の決定に基づいて、刑罰を執行する必要がありそれは可能である。
 まとめると、公権力の自由権を擁護する機能は以下のとおりである。

→憲法などの基本的な法が自由権、民主制、権力分立制、法の支配を規定する
→立法権が、基本的な法に基づいて、自由権の詳細を規定し、自由権の侵害を罪として法で規定し、有罪のときの刑罰を規定する
→行政権の文官が、法に基づいて、公的武力を抑制する。
→行政権が、法に基づいて、権力が自由権を侵害することを停止し予防し、容疑者を告訴する
→司法権が、法に基づいて、開廷し裁判を主導し、無罪または有罪と刑罰を決定する
→行政権が、法と司法権の決定に基づいて、刑罰を執行する
→公的武力が行政権の文官と立法権と司法権によって抑制される。公的武力が警察と軍に分立し、それらが互いを抑制する。行政権が立法権と司法権によって抑制される。
 公権力の自由権を擁護する部分に対しては、民主制、三権分立制、法の支配が厳格に適応される必要がありそれは可能である。簡単に言って、公権力の自由権を擁護する機能は自由権、民主制、三権分立制、法の支配から公的武力に至る権力である。そこで、公権力の自由権を擁護する機能を「法の支配系」とも呼ぶことにする。

公権力の民主制、権力分立制、法の支配を維持する機能

 民主制、権力分立制、法の支配は自由権を擁護するだけでなくそれらそのものを維持するための機能でもある。例えば、立法権、司法権は行政権が民主制を無視して暴走することを抑制する。司法権は違憲立法を審査して、法の支配を守る。また、市民は選挙によって立法権の議員または行政権の長官を変えることができる。そのように、民主制、権力分立制、法の支配は自由権を擁護する機能でもありそれらそのものを維持する機能でもある。つまり、公権力の自由権を擁護する機能は公権力の民主制、権力分立制、法の支配を維持する機能とほとんど同一である。

公権力の社会権を保障する機能

 それに対して、憲法などの基本的な法が社会権を規定する必要がありそれは可能だが、憲法は社会権の概略しか規定できず詳細を規定することができない。
 また、立法権は社会権とその保障の方法の概略を法で規定することができるが、それらの詳細を法で規定することができないだけでなく規定するべきでない。例えば、経済の成長や規制の値を法律で定めたところで、その数値は数週間で変化する。また、悪化していく自然を法で保全することはできない。自然保全の規制の値を法律で定めてみたところで、その数値は数年で甘いものになる。それらの数値と具体的方法は、部外者であれ部内者であれ、専門家が科学技術に基づいて臨機応変に割り出し開発し臨機応変に変える必要がありそれは可能である。そのような専門家を含む行政権が社会権の保障のための政策を練り実行する必要がありそれは可能である。
 公権力の社会権を保障する機能の中で、最も必要で大きな機能は、私企業に介入しそれらを規制する権限、労使関係を調整する能力、社会資本を建設し維持する財力と人力、福祉を推進するそれら、子供たちに最低限の教育を提供するそれら、自然破壊を規制する権限、それらの機能を研究し実行する科学技術である。行政権がそれらの機能をもつ必要がありそれは可能である。
 結局、行政権のうちの、警察、軍を含む公的武力とそれらを掌握する機能は自由権を擁護する機能であり、その他の機能の大部分は社会権を保障する機能である。それらのように、後述する一部を除いて、行政権の機能は自由権を擁護する機能と社会権を保障する機能に区別することができる。
 司法権は行政権の社会権を保障する機能の怠慢を指摘することはできるが、そのような指摘する機能は司法権の機能のごく一部に過ぎず、司法権の大部分は自由権の擁護に係る。
 だが、個人や企業がそれらの規制に従わないとき、社会権を保障する機能はどう対処すればよいのだろうか。自由権を擁護する機能が公的武力というそれに固有の権力をもつのに対して、公権力の社会権を保障する機能は提供してきたサービスまたは認可を停止するまたは停止を暗示するというそれに固有の権力をもつ。例えば、企業が規制に従わないとき、それらは企業に提供していた道路、港湾、水道、ガス、電気、情報…などの供給や営業許可そのものを停止することができる。個人が福祉を乱用するとき、それらは提供してきた福祉を停止することができる。そのような停止は企業の終わりと生活の困難を意味し、十分な制裁であり権力である。そのように社会権を保障する機能は提供していたサービスまたは認可を停止するまたは停止を暗示するというそれに固有の権力をもち、公的武力も裁判もほとんど必要としない。
 サービス、認可の停止という権力は武力とは対照的な権力である。後者が機能するときまたは機能することを暗示するとき権力であるのに対して、前者は機能を停止するときまたは停止を暗示するとき権力である。
 まとめると、公権力の社会権を保障する機能は以下のとおりである、

→憲法などの基本的法があくまでも概略的に社会権を規定する。
→立法権があくまでも概略的に社会権とそれを保障する方法を規定する。
→行政権の中の、経済に介入し経済を規制する権限、福祉を推進する財力と人力、子供たちへの教育を推進する財力と人力、自然破壊を規制する権限、それらのための政策を練り実行する科学技術。
→具体的な訴訟においてだけ司法権が行政権の社会権を保障する機能の怠慢を指摘する。 →行政権の中の、提供してきたサービスまたは認可を停止または停止を暗示する権力。
 そのように、行政権が社会権を保障する機能のほとんどを占める。社会権を保障する機能に対して厳格な三権分立制、法の支配を適応する必要なくそれは不可能であり不適切である。臨機応変の科学技術が必要であり適切である。しかも、それらの機能はサービスまたは認可の停止または停止を暗示するというそれに固有の権力をもち、公的武力や裁判をほとんど必要としない。そこで、公権力の社会権を保障する機能を「人の支配系」とも呼ぶことにする。

権利の自由権と社会権への分割

 権利に立ち返ってみる。全般的生存権を別にすると、人間の権利のほとんどすべてを自由権と社会権に分割することができる。その区別の鍵は以下のとおりである。個人の存在と機能が権力によって抑制される可能性をもち、公権力が抑制する権力を抑制することによって、その抑制される可能性が少なくなるとき、その存在と機能を求める権利は自由権である。それに対して、個人または集団の存在と機能が権力なしでは維持または促進される可能性がほとんどなく、公権力が何かをすることによって、その維持または促進される可能性が大きくなるとき、その存在と機能を求める権利は社会権である。例えば、個人の生命が、他の個人や集団の暴力によって侵されかけており、行政権がその暴力を抑えることによって生命が守られるとき、そのような生命を求める権利は自由権、より詳細には生命身体の自由である。それに対して、家族の生命が、食糧と水の欠乏によって危うい状態にあり、行政権がそれらまたはカネを供給することによって救われるとき、そのような生命を求める権利は社会権、より詳細には狭義の生存権である。私的権力による損害と補償を司法権に訴えることは、公権力に私的権力の抑制を求めることであり、自由権に含まれる。行政権の怠慢による損害を司法権に訴える権利は、行政権に怠慢と反対の積極的な活動を求めることであり、社会権に含まれる。最低限の生活のために福祉サービスの提供を行政権に要求する権利は社会権に含まれる。最低賃金の規定を立法権に求める権利は社会権に含まれる。出版が行政権によって差し止められているときにその差し止めの停止を司法権に訴える権利は、行政権の抑制を司法権に求めることであり、自由権に含まれる。そのように見ていくと、自由権と社会権に分割することができない権利は、全般的生存権、自由権の擁護と社会権の保障を両立させる権利、選挙権、民主制を確立し維持する権利…などである。

公権力の目的の区別

 公権力の目的、理念…などの区別は機能と集団の分立ほど重要ではない。だが、分立した諸権力のそれぞれの目的が明確になったほうが、市民は諸権力を抑制しやすく、諸権力も相互抑制しやすい。だが、目的が権力を過度に縛り、機能が硬直することはあってはならない。また、目的を狭く設定するあまりに、機能の空白が生じてはならない。そこで、分立した権力の目的を以下のように設定する。
 前述のとおり、公権力の自由権を擁護する部分の中では民主制、権力分立制、法の支配という制度が厳密に機能する必要がある。どんな手段を用いてでも自由権を擁護すればよいというのはむしろ独裁や専制に繋がる。公権力の自由権を擁護する部分はそれらの制度をもって自由権を擁護する必要がある。それらの制度は自由権を擁護する機能でもありそれらそのものを維持する機能でもある。それらの制度は自由権を擁護する部分だけでなく公権力の他の部分でも機能する必要がある。だから、それらの制度は手段であるだけでなく目的でもある。だが、それらの制度が自由権と密接に関係することに変わりはない。だから、公権力の自由権を擁護する部分の目的を自由権の擁護と民主制、権力分立制、法の支配の維持と設定する必要がある。
 それに対して、社会権を保障する部分に対しては、民主制は十分に機能する必要はあっても、権力分立制、法の支配は厳密に機能する必要はない。また、この部分は、国際協力、外交、国防、『生存と自由』で説明された全般的生存権の保障、全体破壊手段の全廃と予防…などのためにも機能する必要がある。だから、社会権を保障する部分の目的を社会権の保障と現代社会への臨機応変の対応とする必要がある。
 結果として、公権力の自由権を擁護する部分の目的と社会権を保障する部分の目的は公権力の目的を網羅し、明確に区別されることが分かる。

分立の明確さ

 それらのように、権利と公権力の機能と目的の分立または区別は明確であり、行政権の文官、武官、立法権の議員、司法権の裁判官を含む15歳以上のほとんどが理解することができる。そのような明確さが権力分立への一つの道である。

公権力の集団の自由権を擁護する集団と社会権を保障する集団への分立

 機能と権利と目的に対して、公権力のすべての集団を自由権を擁護する集団と社会権を保障する集団に明確に分立することができるわけではない。例えば、従来の最高裁判所は一つの国家に一つだけであり、一つの裁判所が、無罪または有罪と有罪時の刑罰を決定することによって自由権を擁護するだけでなく、行政権の福祉推進の怠慢を指摘することによって社会権を保障する。また、行政権の長官は一つの国家に一人だけであり、企業の規制、福祉、教育の推進、自然の破壊の規制などによって社会権を保障するだけでなく、警察や軍を掌握することによって自由権を侵害または擁護する。財政部門は一つの国家に一つだであり、社会資本の無駄を省くことによって社会権を保障し、警察や軍の無駄を省くことによって自由権を擁護する。そのように公権力の集団は自由権を擁護する集団と社会権を保障する集団に明確に分立することができないように見える。
 だが、立法権を構成する集団は一つであるとは限らない。現代では多くの国家が二院制を採用しており、立法権は二院からなる。二院のうちの一つが自由権を擁護する集団になり一つが社会権を保障する集団になることは可能である。また、すべての国家の行政権は既にいくつかの省庁に分立されており、それらの省庁の大部分は自由権を擁護する集団と社会権を保障する集団に分立される。例えば、警察は自由権を擁護する集団に含まれる。経済の安定化を図る省庁、企業を規制する省庁、福祉を推進する省庁、教育を推進する省庁、自然破壊を規制する省庁は社会権を保障する集団に含まれる。また、司法権の中でそれぞれの裁判所は他から独立している。それらの裁判所のうちの、大部分が従来通り自由権を擁護する集団になり、一部が新しく社会権を保障する集団になることは可能である。そのように見ていくと、自由権を擁護する集団にも社会権を保障する部分にも分立することができないのは、行政権の長官とその同僚、外交部門、財政部門、税務部門…などである。
 それらのように、公権力のほとんどの機能を自由権を擁護する機能と社会権を保障する機能に分立することができるだけでなく、公権力の中の集団の多くを自由権を擁護する集団と社会権を保障する集団に分立することは可能である。その集団の分立の具体的方法を後に説明する。

公権力の自由権を保障する部分と社会権を保障する部分への分立の必要性

 公権力のそれらの機能と集団を合わせて公権力としてとらえ直し、公権力の部分という言葉を再度、用いる。
 以上のように、公権力を自由権を擁護する部分と社会権を保障する部分に分立させることは可能である。では、分立させる必要性はあるのだろうか。

公権力の明確さと効率性の増大と公的経費と税金の減少

 過度に分立された公権力は公権力の内外の個人に分かりづらい。つまり、過度の分立は公権力の明確さを低下させ、民主制と権力分立制に混乱を生じる。また、公権力を過度に分立することは、公的機能の効率を低下させ、公的経費と税金の増大につながる。それに対して、自由権を擁護する部分と社会権を保障する部分は二つだけであり、二つへの分立は、公権力の透明性と効率を低下させず、公的経費と税金を増大させない。
 特に、過度に分立された行政権は透明性と効率を低下させ公的経費と税金を増大させる。それに対して、極端な例になるが、行政権を自由権を擁護する部分と社会権を保障する部分に、つまり、二つだけに分立するぐらいのことが必要である。かえすがえすも、それは極端な例だが、透明性と効率を増大させ公的経費と税金を減少させるためにはそれに近い分立が必要である。

公的武力に対する二重の文民支配

 それぞれの国家の公権力が含む公的武力はすべての権力の中で最強で最も直接的であり、この部分への抑制が最も必要なことだった。公的武力は従来の民主制と三権分立制と法の支配によっても抑制される。だが、それらだけでは不十分だった。そこで、公権力を自由権を擁護する部分と社会権を保障する部分に分立させ、前者のうちの民主制、三権分立制、法の支配だけでなく、後者、特に前述のサービスまたは認可を停止するまたは停止を暗示するというそれに固有の権力が公的武力を抑制する必要がありそれは可能である。例えば、警察や軍が自らまたは他によって暴走しても、社会権を保障する部分がそれらへの電気、ガス、水道、情報…などの供給を停止すればそれらは弱体化する。公的武力もそれらを確保するために必死だろうが、その必死さを増長することこそ暴走を起こしにくくする。
 また、従来の民主制、三権分立制、法の支配という権力とサービスまたは認可の停止または停止を暗示するという権力のような異質な権力が互いを邪魔せず効率的に公的武力を抑制する必要がありそれは可能である。
 さらに、公権力が自由権を擁護する部分と社会権を保障する部分に分立し、公的武力が両者によって二重に支配される必要がある。また、前者の中で従来の民主制と三権分立制と法の支配が機能する必要がありそれは可能である。また、後者の中で前述のそれに固有の権力が機能する必要がありそれは可能である。また、そのような異質な権力が互いを邪魔することなく効率的に公的武力を抑制する必要がありそれは可能である。それらが公的武力に対する「二重」の文民支配である。

公権力の社会権からの逸脱の予防

 前述のとおり、行政権の長官やその同僚が、社会権の保障や生物や人間の全体の生存などを目的を掲げ、公的武力を完全に掌握し、それらの目的のためにも制限される必要のない自由権を制限し侵害し、民主制、権力分立制、法の支配を破壊して、独裁、専制などに走る可能性がある。それが公権力による社会権からの逸脱である。それらは新しいできごとではなく、二十世紀に独裁、従来の共産主義、全体主義などとして体験されたことである。
 だが、わたしたちは階級闘争、経済的不平等、資本主義経済の矛盾…などを解決したわけではない。共産主義、社会主義…などの再興はありえ、それらの一部は必要である。だが、それらが必要であるとしても、公権力の社会権を保障する部分においてであり、他の部分では必要ないだけでなく不適切である。
 また、今後は自然の保全や地球の生物や人間の全体の生存…などを名目に掲げる全体主義のようなものが出現する可能性がある。だが、『わたしたちの生存ネット』で説明されたとおり、そのようなものはわたしたちの生存と全般的生存権の保障のために決してならない。
 そのような社会権の逸脱を防ぐためには、公権力を自由権を擁護する部分と社会権を保障する部分に分立させ、前者の中の立法部分と警察と司法部分が後者、特に行政権の長官とその同僚を抑制する必要がありそれは可能である。

汚職と癒着の予防

 汚職、企業との癒着は公権力の自由権を擁護する部分より社会権の保障する部分で生じる可能性が大きい。そのような汚職と癒着を防ぐためには、公権力を自由権を擁護する部分と社会権を保障する部分に分立させ、前者の中の立法部分と警察と司法部分が後者を抑制する必要がありそれは可能である。

抑制と促進の重点

 現代においては個人・集団は、公権力の自由権を擁護する部分を抑制し、社会権を保障する部分を促進する必要があるが、両者を分立させていないとき、前者を抑制し後者を促進することが困難である。それに対して、両者を分立させれば、前者を抑制し後者を抑制することがより容易になる。そのことからもすべての公権力を自由権を擁護する部分と社会権を保障する部分に分立させ、前者を抑制し後者を促進する必要がありそれは可能である。例えば、福祉が整備されていないとき、後者だけを促進することができる。また、福祉が過度に整備されていて税金が高いときは、前者の無駄遣いより後者の無駄遣いを抑制することができる。

まとめ

 以上のことから、それぞれの国家の公権力を自由権を擁護する部分と公権力の社会権を保障する部分に分立させることが可能なだけでなく分立させる必要がある。
 それではそれらを分立させる具体的方法を練ってみる。

公権力を自由権を擁護する部分と社会権を保障する部分に分立させる具体的な方法

機能と集団の区別

 前述のとおり、機能と集団の区別は重要である。だが、それらを逐次、区別していると文章が煩雑になる。だから、この章では機能または集団を単に「部分」という言葉で指すことにする。だが、それらを区別する必要が特にあるときは、それらの言葉を用いることにする。

この著作で説明される権力分立制と従来の三権分立制との重なり

 具体的方法を説明する前に、この著作で説明される権力分立制と従来の三権分立制との関係を簡単に説明する。
 公権力の自由権を擁護する部分の中で、その部分が立法権(1)、行政権(2)、司法権(3)の三権に厳密に分立し(1)と(3)が(2)を強く抑制する必要がありそれは可能である。行政権の中で、社会権を保障する部分が弱く抑制され、自由権を擁護する部分が強く抑制される必要がありそれは可能である。公権力の社会権を保障する部分の中では、行政権、つまり、社会権を保障する行政部分が、強い民主制と弱い三権分立制と弱い法の支配によって促進または維持される必要がありそれは可能である。そのようにこの著作が説明する権力分立制と従来の三権分立制は重なる。
 では、具体的で詳細な方法を説明する。

立法権の自由権を擁護する部分と社会権を保障する部分への分立

 前述のとおり、社会権と社会権を保障する方法の詳細を立法権は規定することができず規定しないほうがよいが、概略を規定する必要がありそれは可能である。何より、どのように財力と人力を人間生活の様々な部分に分配するかが予算の議論と決定の多くを占める。そのような予算を立法権が議論し決定する必要がありそれは可能である。
 前述のとおり、公権力のほとんどすべての機能が自由権を擁護する機能と社会権を保障する機能に分立することができる。立法という機能もそれらの二つに分立することができる。例えば、繰り返すが、自由権の侵害を犯罪として法で規定することが自由権を擁護する機能であり、前述のような予算の配分が社会権を保障する機能である。
 さらに、立法権の機能だけでなく集団も自由権を擁護する集団と社会権を保障する集団の二つに分立することができる。現代では多くの国家が二院制を採用している。だが、二院制のほとんどは機能していない。何故なら二院が同質化しているからである。そのような二院制のうちの一院を自由権の擁護と民主制、権力分立制、法の支配の維持を主要な目的としてもつ集団とし、一院を社会権の保障と現代社会への臨機応変の対応を主要な目的としてもつ集団とする必要がありそれは可能である。「上院」などと「下院」などがある国家では、上院を前者とし、下院を後者とする必要がありそれは可能である。いくつかの国家では既に実質的に部分的にそうなっている。
 機能と集団の両方が分立する必要がありそれは可能だから、立法権を自由権を擁護する部分と社会権を保障する部分に分立させる必要がありそれは可能である。公権力の立法権が自由権を擁護する部分と社会権を保障する部分に分立したとき、前者を自由権を擁護する「立法部分」、立法権の自由権を擁護する部分とも呼び、後者を社会権を保障する立法部分、立法権の社会権を保障する部分とも呼ぶことにする。以下に詳細を説明する。
 憲法などの基本的な法が、前者の主要な目的を自由権の擁護と民主制、権力分立制、法の支配の維持と設定し、後者の主要な目的を社会権の保障と現代社会への臨機応変の対応と設定する必要がありそれは可能である。また、基本的な法が以下を規定する必要がありそれは可能である。
 自由権、民主制、権力分立制、法の支配に関する立法については、自由権を擁護する部分が優位に立ち、社会権の保障に関する立法については社会権を保障する部分が優位に立つ必要がありそれは可能である。前者について、前者が先議し後者が異なる決議を行ない前者が、例えば、三分の二以上で最決議したときは前者の再決議が法となり、後者について、後者が先議し前者が異なる決議を行ない後者が、例えば、三分の二以上で最決議したときは後者の再決議が法となる必要がありそれは可能である。
 前述のとおり、自由権の擁護に関する立法と社会権の保障に関する立法の区別は明らかである。両方の部分の議員のほとんどがその区別を理解することができる。二つの部分のうちの一つ過半数が理解できない振りをするときは、他の部分の議員が、例えば、三分の二以上で否決して無効化する必要がありそれは可能である。二つの部分の議員の過半数が理解できない振りをするときは、行政権の長官の訴えによって司法権がそのような立法を無効化する必要がありそれは可能である。
 それらを含め、二つの部分の一つがその目的または他の部分の目的に反して立法を行うことはありえる。特に、自由権を擁護する部分が自由権、民主制、権力分立制、法の支配に反して立法を行うことは最悪である。そのようなときは、他の部分が、例えば、三分の二以上で否決しそのような立法を無効化する必要がありそれは可能である。また、二つの部分の両方がそうするときは、行政権の長官の訴えによって司法権がそのような立法を無効化する必要がありそれは可能である。
 大統領制では行政権の長官、つまり、大統領は一般の有権者によって選挙される。議院内閣制では、行政権の長官、つまり、首相は立法権によって選出、指名される。では、議院内閣制で、二つの立法部分のどちらが行政権の長官を選出、指名するべきだろうか。両院が選出、指名し、異なる指名がなされたときは、社会権を保障する立法部分の指名が立法権の指名となる必要がありそれは可能である。何故なら、行政権の多くの部分を社会権を保障する部分が占め、社会権を保障する立法部分によって選出される個人は社会権の保障の専門家である可能性が大きく、そのような人間は文民または文官である可能性が大きく、公的武力を掌握して暴走する可能性が少ないからである。
 選挙制度を見てみよう。立法権の社会権を保障する部分では、人の支配が大部分を占めるので、政党、大選挙区制、比例代表制、比較的多数の議員が必要でありそれは可能である。自由権を擁護する部分では、法の支配が適応される必要があり、無政党、小選挙区制、無比例代表制、比較的少数の議員が必要でありそれは可能である。政党を完全に排除することは難しいが、より多くの無所属の立候補者が選出される必要があり、その可能性は大きくなる。
 いずれにしても、立法権を自由権を擁護する部分と社会権を保障する部分に分立させることによって、有権者はそれぞれの部分への適任者を見分けて選挙することができる。簡単に言って、厳格な人は自由権を擁護する部分に適し、柔軟な人は社会権を保障する部分に適する。
 何より、選挙において公開される政策、つまり、公約について、それらが分立しているとき、自由権を擁護する政策と社会権を保障する政策のそれぞれが有権者にとって明確であり、有権者は自由権と社会権のそれぞれのために適した政策を選択することができる。
 公的経費と税金について、立法権が二つの部分に分立するだけであり、従来の二院制と比較して、その分立が公的経費と税金の増大を生じることはない。

公的武力の警察と軍への分立

 繰り返すが、公的武力は自由権を侵害し、民主制、権力分立制、法の支配を破壊しうる最も直接的で強大な権力である。だから、それらが自身で暴走することと他に乱用されることにわたしたちは最大の注意を払う必要がある。同時に、公的武力は自由権を擁護する最も直接的な力である。また、公的武力の集団は既に警察と軍に分立している。それらの両方を公権力の自由権を擁護する部分に含める必要がありそれは可能だろうか。
 警察を公権力の自由権を擁護する部分に含め、その中で従来の民主制、権力分立制、法の支配が警察を厳密に抑制し、さらに前述の自由権を擁護する立法部分が警察を掌握する必要がありそれは可能である。また、警察の長官または幹部をその立法部分またはその中の委員会が選出し指名する必要がありそれは可能である。また、その立法部分の中の委員会が警察に係る政策を決定することは可能である。また、公権力の自由権を擁護する部分の中で、従来の民主制、三権分立制、法の支配が厳密に機能し、それらが警察とその立法部分を厳密に抑制する必要がありそれは可能である。また、その立法部分またはその中の委員会が法的な専門性をもつ検察の長官を選出し指名しつつ、立法部分と検察が互いに独立し互いを抑制する必要がありそれは可能である。
 軍についてはどうだろうか。自由権の擁護のためだけでなく、国際社会や世界を含むすべてのためにも、軍の機能が自国の防衛に限定される必要があり、究極的に自国の市民の自由権の擁護に限定される必要がある。だから、究極的には、軍をそれぞれの国家の公権力の自由権を擁護する部分に含める必要がある。だが、それは究極的にである。
 国内でも国際社会や世界でも、戦争、集団的暴力…などの予防、軍縮、『わたしたちの生存ネット』で説明された全体破壊手段の全廃と予防が未処理のまま残っている。それらに積極的に取り組めるのは行政権の長官と外交部門である。そのことからは、従来通り、行政権の長官が軍を掌握する必要がありそれは可能である。また、従来通り、立法権と司法権が行政権の長官と軍を抑制する必要がありそれは可能である。さらに、前述の自由権を擁護する立法部分がそれらを抑制する必要がありそれは可能である。軍の基本的機能は自国の市民の自由権の擁護にあるからである。
 何より、既に分立されている警察と軍を再び一体にすることは最も危険なことである。さらに、それらの両方を公権力の一つの部分に掌握させることも危険である。公的武力を警察と軍に分立させ、それらのそれぞれが公権力の分立した部分のそれぞれによって抑制されるとき、警察と軍の結託と、それぞれの暴走と、それぞれが乱用されることを抑制することができる。
 警察と軍が分立するとき、それらが戦う可能性は大きくなる。だが、それらの戦いはそれらの結託または両者の乱用とその結末よりましである。
 また、軍の不正と軍と軍需産業の癒着、つまり、いわゆる軍産複合体、軍と暴力的集団との癒着…などを警察が捜査し検察が告訴する必要がある。それは警察と軍が分立し、それらのそれぞれが公権力の分立した部分のそれぞれに掌握されることによっていっそう可能になる。また、警察を公権力の自由権を擁護する部分の中に含め、その中で従来の民主制と権力分立制と法の支配と、特に、前述の自由権を擁護する立法部分が警察の不正と警察と企業や暴力的集団…などとの癒着を抑制し監督する必要がありそれは可能である。また、行政権の文民と社会権を保障する立法部分の不正とそれらと企業との癒着を警察が捜査し検察が告訴する必要があり、それは警察が行政権の長官ではなく自由権を擁護する立法部分に掌握されることによっていっそう可能になる。
 また、行政権の長官が社会権の保障またはそれに類似する名目を掲げ公的武力を完全に掌握し暴走すること、つまり、前述の社会権からの逸脱を予防するためには、行政権の長官が掌握しうる武力が弱体化し他によっても抑制され、行政権の長官そのものが他によって抑制される必要がある。それらの抑制は、公的武力が分立し警察が前述の自由権を擁護する立法部分によって掌握され、行政権の長官の手元にはもはやなく、行政権の長官が従来の民主制、権力分立制、法の支配だけでなくその立法部分によっても抑制されることによっていっそう可能になる。
 公的武力の乱用に対して、そのものの暴走を以下のように防ぐことができる。前述のとおり、公権力の社会権を保障する部分、特にその行政部分は、提供していたサービスまたは認可を停止するまたは停止を暗示するというそれに固有の権力をもつ。その権力は、公権力を自由権を擁護する部分と社会権を保障する部分に分立することによって、その部分、特にその行政部分に明確に自覚される。その部分、特にその行政部分はそのように自覚したそれに固有の権力をもって軍と警察を抑制することができる。例えば、軍が暴走するときは、その行政部分は提供していた電気、情報を遮断することができる。また、従来の民主制と三権分立制と法の支配が軍と警察を従来通りに抑制することができる。さらに、公権力が自由権を擁護する部分と社会権を保障する部分に分立することによって、自由権を擁護する立法部分が発生し、その立法部分が、警察を掌握し、掌握した警察をもって軍を抑制することができる。また、行政権の長官が軍の長官または幹部を指名し罷免するとともに、その立法部分が罷免する権限をもつ必要がありそれは可能である。それらが行政権の社会権を保障する部分と立法権の自由権を擁護する部分による公的武力に対する二重の文民支配である。
 すると、自由権を擁護する立法部分と司法権が抑制されないように見える。だが、それらは公権力の中で不正を犯す可能性が最も少ない。何故なら、それらは私企業、暴力的集団…などと利害をともにしないからである。また、それらは物理的身体的経済的に最も弱い。また、それらは他の権力から独立する必要がある。何より、それらは従来の民主制と権力分立制と法の支配によって独立を保障されつつ抑制される。
 それらのことから、公権力の公的武力を警察と軍に分立させる必要がありそれは可能である。警察を公権力の自由権を擁護する部分に含め、その中で従来の民主制、三権分立制、法の支配が警察を厳密に抑制し、特に自由権を擁護する立法部分が警察を掌握する必要がありそれは可能である。また、その立法部分またはその中の委員会が警察の長官または幹部を選出し指名し、警察に係る政策を決定する必要がありそれは可能である。また、公権力の自由権を擁護する部分の中で、従来の民主制と三権分立制と法の支配が厳格に機能し、それらが警察と自由権を擁護する立法部分とその委員会を抑制する必要がありそれは可能である。
 それに対して、軍を公権力の自由権を擁護する部分に完全に含めてしまわない必要がありそれは可能である。従来通りに、軍を行政権の長官に掌握させるとともに、立法権と司法権が軍と行政権の長官を抑制する必要がありそれは可能である。さらに、自由権を擁護する立法部分が軍と行政権の長官を掌握した警察をもって抑制する必要がありそれは可能であり、自由権を擁護する立法部分が軍のまたは幹部の罷免権をもつ必要がありそれは可能である。

行政権の総合的部分

 警察の機能と集団は公権力の自由権を擁護する部分に含まれる必要がありそれは可能である。それに対し、軍の機能は公権力の自由権を擁護する部分に含まれるが、軍の集団はその部分に完全に含まれない必要がありそれは可能である。
 そのように、公権力の自由権を擁護する部分と社会権を保障する部分の一つに完全に含まれない行政権の部分を行政権の「総合的部分」とも呼ぶことにする。

行政権の自由権を擁護する部分と社会権を保障する部分と総合的部分への分立

 前述の公的武力を除くと、行政権の機能と集団、つまり、権力の多くが、公権力の社会権を保障する部分または総合的部分に含まれる。経済を規制し安定化させる部分、社会資本を建設し維持する部分、労使関係を調整する部分、福祉を推進する部分、教育を推進する部分、自然破壊を規制する部分は公権力の社会権を保障する部分に含まれる。それらを「社会権を保障する行政部分」、行政権の社会権を保障する部分とも呼ぶことにする。
 現代の国家のほとんどで、この部分が、予算、財政、税金の大部分を占める。重大なことだが、公的経費と税金の増大、行政の効率と明瞭さの低下、汚職、官僚と企業の癒着などは、この社会権を保障する行政部分を細分化することから生じてきた。それらの問題を解決するためには、社会権を保障する行政部分をできる限り少ない部分に分立する必要があり、それはこの部分を区別することによって可能になる。
 もし共産主義または社会主義が必要であるとしても、この社会権を保障する行政部分にだけそれらを採用する必要があり、行政権の他の部分や行政権以外にそれらを採用する必要はなく採用してはならない。そのためにもこの部分を明確に区別する必要がある。
 公的武力を除いて、社会権を保障する行政部分に完全に含めることができないのは、行政権の長官とその周辺または総務、外交、財務、税務部門である。それらが行政権の総合的部分である。
 公的武力を除いて、行政権の社会権を保障する部分と総合的部分がそれらの機能についての専門的な科学技術をもつ必要がありそれは可能である。
 また、従来通りに、行政権の長官が社会権を保障する部分と総合部分を掌握するとともに、立法権と司法権がこれらの部分と長官を抑制する必要がありそれは可能である。また、前述の自由権を擁護する立法部分がこれらの部分と長官を抑制する必要がありそれは可能である。特に、これらの部分と行政権の長官の汚職と企業との癒着に対してはそれらが強力に機能する必要がありそれは可能である。
 また、前述のサービスまたは認可を停止するまたは停止を予告するという権力は主として社会権を保障する行政部分がもつ。この権力は、この行政部分を区別することによって、この行政部分に明確に自覚され、強力になり、公的武力を強力に抑制する。
 また、軍と企業の癒着、つまり、いわゆる軍産複合体を抑制する必要があり、その癒着に対する抑制は、軍と社会権を保障する行政部分が分立し、その癒着を自由権を擁護する立法部分に掌握された警察が捜査し検察が告訴するだけでなく、この行政部分が抑制することによって、いっそう可能になる。

司法権の自由権を擁護する部分と社会権を保障する部分への分立

 司法権の長官が一人である必要はない。司法権の長官の数は奇数であってもよい。複数の司法権の長官も司法権の長官に含めることにする。
 司法権の独立を確実にするためには、有権者が司法権の長官を直接選挙するのが理想であるように見える。だが、過多の選挙は有権者の精神的負担と公的経費と税金を増大させる。司法権の独立を確実にするためには、行政権の長官ではなく自由権を擁護する立法部分が司法権の長官を選挙し指名する必要がありそれは可能である。何故なら、司法権の機能と目的の大部分は自由権を擁護することでり、自由権を擁護する立法部分と司法権は目的と機能の大部分を共有し、前述のとおり、それらは他の権力と利害を共有することが少なく、物理的身体的経済的に最も脆弱だからである。
 だが、司法は違憲立法を審査する必要がある。憲法などの基本的な法の規定の大部分は自由権、民主制、権力分立制、法の支配の規定である。社会権を保障する立法部分より、自由権を擁護する立法部分のほうが違憲立法を生じる可能性が大きい。司法権は前者より後者の違憲立法を審査する必要がある。
 それらのことから、自由権を擁護する立法部分が司法権の長官を選出し指名するが、行政権の長官または社会権を保障する立法部分がその指名を拒否する権限をもつ必要がありそれは可能である。
 裁判のほとんどが刑事裁判と民事裁判である。前述のとおり、犯罪のほとんどが人身の自由、私有財産の自由…などの自由権を侵害することであり、刑事裁判のほとんどが自由権に係る。また、民事裁判のほとんどが弱者の自由権と私有財産の自由に係る。だから、司法権の機能と目的の大部分が自由権を擁護することである。だが、現代社会では、行政権の社会権を保障する部分による社会権の保障の怠慢が裁判にかけられることがある。そのような社会権の保障に係る裁判は伝統的な自由権の擁護に係る裁判とはかなり異なり、前者を専門とする裁判官は必要である。
 また、ほとんどの裁判所と裁判官が最高裁判所を含む他の裁判所から既に独立している。
 それらのことから、司法権の長官を除いて、司法権を大きな伝統的な自由権を擁護する司法的部分と小さな現代的な社会権を保障する司法的部分に分立させ、前者を公権力の自由権を擁護する部分に含め、後者を公権力の社会権を保障する部分に含める必要がありそれは可能である。
 司法権の長官の仕事は、裁判官を前者のための伝統的な裁判官と後者のための現代的な裁判官にえり分けることを含む。司法権の長官は公権力の総合的部分に含める必要がありそれは可能である。ところで、裁判所の建物まで分割する必要はない。一つの建物の一つの部屋で異なる時間に異なる裁判官が異なる裁判を行っても支障はない。そうすれば公的経費と税金の増大を生じない。
 (途中)

以上をまとめると、以下の表のようになる。
公権力 立法権 行政権 司法権
自由権を擁護する部分 自由権を擁護する立法部分 警察 司法権の自由権を擁護する部分
社会権を保障する部分 社会権を保障する立法部分 警察と下記の総合的部分を除く部分 司法権の社会権を保障する部分
公権力の総合的部分 行政権の長官

総務部門
外交部門
財政部門
税務部門
司法権の長官
注意を要する総合的部分

全般的生存権の保障のための権力分立制

全般的生存権

 以下の二つの節で説明されることは著作『生存と自由』の中の節『全般的生存権』で説明されたことと大きく重複する。
 苦痛をできる限り全般的に減退させつつ全体破壊手段を全廃し予防し地球や太陽の激変のときまで生存するという究極の欲求は現在を生きるわたしたちのそれぞれの欲求でもある。究極の欲求が満たされないことへの不安と恐怖、つまり、多大な苦痛と自己と家族の死を含む生物の絶滅への不安と恐怖という苦痛は絶大である。しかも、そのような苦痛を被るものは現在を生きるわたしたちのそれぞれを含む。それらのことから究極の欲求を満たすことはわたしたちのそれぞれの権利である。究極の欲求を満たすわたしたちのそれぞれの権利を「全般的生存権」とも呼ぶことにする。
 人間の権利は『生存と自由』で説明される自由権と社会権とこの全般的生存権に大別される。いわゆる「生存権」は社会権に含まれる。自由権はそのとき現在の個人の権利である。社会権はそのとき現在の個人と家族、企業、組合…などの集団の権利である。全般的生存権は、前述の理由によって、そのとき現在の個人の権利である。だが、全般的生存権は人間を含む生物の全体の権利であるというような主張もありえる。だが、後者を主張するのでは、この権利は権利として認められにくい。それが認められるためには前者を強調する必要がある。また、人間や生物を絶滅させる権利は誰にもないなどと主張するのは弱々しい。全般的生存権を確立するためには、多大な苦痛と自己とその家族の死を含む生物の絶滅に対する不安と恐怖というそのとき現在のわたしたちのそれぞれの苦痛を強調する必要がある。

全般的生存権保障の概略

 全般的生存権を満たすための活動は自由権に含まれる言論の自由、集会の自由…などに基づいて成される必要がある。
 第一に、それぞれの国家の憲法などの基本的法が、全般的自由権を規定し、その国家においてその公権力がその権利を保障するよう努力することを規定し、さらに、国際社会において他の国家の公権力と協力してその権利を保障するよう努力することを規定する必要がある。
 第二に、全体破壊手段を廃止し予防し、戦争、集団的暴力…などの大規模な集団的破壊的機能と自然破壊を抑制するための法と制度をそれぞれの国家で整備する必要がある。
 第三に、全体破壊手段、大規模な集団的破壊的機能、自然破壊…などは私的権力も促進しうるが、最も促進しうるのは公権力であって、公権力を抑制するための民主制、権力分立制、法の支配を拡充する必要がある。
 第四に、国際社会または世界において、国際機構または世界機構が、整備され、憲章で上記の第一から第三を規定し、特に全体破壊手段の全廃と予防のための査察、監督…などを実行する必要がある。
 第五に、そのような国際機構または世界機構の横暴、腐敗…などが抑制される必要があり、わたしたちは国際または世界レベルでの民主制と権力分立制と法の支配を模索し整備する必要がある。

全般的生存権保障の詳細

 国家の中で、全体破壊手段の研究、開発を取り締まるには、公権力の自由権を擁護する部分、特に警察が行政権と企業とその複合体、特に行政権の長官と軍と企業それらの複合体を取り締まる必要があり、それは{自由権を保障する立法部分と警察と司法権}と{行政権長官と軍}が分立し前者が後者を抑制することによってより可能になる。
 一方で、全体破壊手段の全廃と予防のためには、国際社会において、行政権の長官と外交部門が積極的に機能する必要があり、この著作で説明された権力分立制はそれらの活動を妨害しない。
 何よりも、公権力、私権力を含む権力者に全体破壊手段の研究、開発、保持、使用を許さないためには、自由権、社会権、民主制、権力分立制、法の支配の全般を拡充する必要があり、この著作で説明された権力分立制がその一環になることを願っている。


参考文献
生存と自由
生存と自由の詳細

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