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それぞれの国家権力を自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立すること(日本語訳)

基本的な言葉

これらの著作

  この『それぞれの国家権力を自由権を保障する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立すること』を「この著作」とも呼び、この著作と『生存と自由』と『生存と自由の詳細』と『記憶をもつ動物の心理学』と『自我をもつ動物の心理学』と『習性をもつ動物の心理学』と『特定のものと一般のもの』を「これらの著作」とも呼ぶことにする。

自由権

  個人が個人の身体、機能、手段を欲求のままに操作することを個人の「自由」と呼べる。自由のうち、憲法などの基本的な法によって妨げてはならないと規定される必要があるものを個人の「自由権」と呼べる。
  現代では多くの国家で生命、身体の自由、思想、言論の自由などが制限なしで、私有財産、契約の自由などが制限付きで、自由権として憲法で規定されている。だが、法の規定と実際に自由権が擁護されているかは別であり、後者が問題である。また、何かのために制限されてよい自由権に対する制限がいかなるもののためにも制限されてはならない自由権に及ぶことを防ぐ必要がある。
  他のいくつかの個人または集団が個人の自由権を妨げることをそれらによる個人の自由権の「侵害」、それらが個人の自由権を侵害することと呼べる。
  侵害に対して、他のいくつかの個人または集団が個人の自由権が侵害されないようにすることをそれらによる個人の自由権の「擁護」、それらが個人の自由権を擁護することと呼べる。

権力

  他のいくつかの個人または集団、それらの機能、手段を抑制、障害または促進する可能性をもつ個人または集団、それらの機能、手段を「権力」と呼べる。
  物理的、身体的に他のいくつかの個人または集団、それらの機能、手段を抑制または障害する可能性をもつ権力を「武力」とも呼ぶことにする。武力は権力に含まれる。
  いくつかの権力はいくつかの自由権を侵害する可能性をもつ。すべての権力の中で、武力は自由権を直接的に侵害する可能性をもつ。
  だが、いくつかの権力は、いくつかの自由権を侵害する可能性をもつだけでなく、自由権を侵害する権力を抑制することによって自由権を擁護する可能性をもつ。武力は、自由権を直接的に侵害する可能性をもつだけでなく、自由権を直接的に侵害する可能性をもつ武力を抑制することによって自由権を直接的に擁護する可能性をもつ。例えば、武力は暴力を抑制することによって生命、身体の自由を擁護する可能性をもつ。
  さらに、いくつかの権力は自由権を侵害または擁護する可能性をもつだけでなく、後述する社会権を保障する可能性をもつ。例えば、行政権は社会資本を整備し福祉を推進することによって人間の生活と健康を促進する可能性をもつ。
  また、いくつかの権力は、人間の権利を侵害または擁護または保障する可能性をもつだけでなく、他の生物と自然を損傷または保全する可能性をもつ。例えば、行政権は、公共事業を乱発することによって自然を破壊し、自然破壊を規制することによって自然を保全する可能性ももつ。また、武力が保持し使用する兵器は人間だけでなく他の生物を傷害する可能性をもつ。

国家権力

  憲法などの基本的な法によって人間の権利を擁護または保障するために存在、機能するべきと規定される必要がある権力を「公権力」と呼べる。国家権力、立法権、行政権、司法権、地方行政権、地方立法権、警察、軍…などが公権力である。
  また、少なくとも形式上、他の権力に従属しない少なくとも立法権、行政権、司法権の三権を含む公権力を「国家権力」と呼べる。また、国家権力とそれが人権を擁護または保障するべき人間と人権の擁護または保障のためにそれが開発または保全するべき一定の境界の中の他の生物と自然を「国家」と呼べる。
  国家権力は、警察、軍などの武力を含む。国家権力が含む武力を「公的武力」とも呼ぶことにする。公的武力は従来、軍と警察に大別されてきた。検察について、それぞれの検察官は独立する必要がある。だが、検察を新しい権力とすると過度の分立に陥る。後述するとおり、過度の分立は避ける必要があり、必要な分立だけを実現する必要がある。また、検察が最も独立する必要があるのは司法権からであり、検察から最も独立する必要があるのは司法権である。だから、検察を警察に含め、行政権に含めることにする。
  それらの定義は公的武力、軍、警察の機能が攻撃であることを全く意味しない。国家においても国際社会においても、それらの機能が防衛に限定される必要があることの説明を自明のこととして省略することにする。
  それらのように定義したからといって、国家権力が不可分というのでは全くない。それらは多数のものから構成される複合体であり分立可能である。

政治的権利

  一般市民が投票、言論、調査、訴訟…などを通じて直接的または間接的に法と国家権力の制度と機能に影響を及ぼす権利を「政治的権利」または「民主的権利」と呼べる。
  政治的権利は権利全般を擁護または保障し、民主制、権力分立制、法の支配を維持または拡張する手段でもある。

国家権力の自由権を侵害し擁護する部分

  他の権力以上に、国家権力のいくつかの部分は自由権を侵害する可能性をもち、公的武力は自由権を直接的に侵害する可能性をもつ。国家権力には自由権を侵害する可能性をもつ部分が存在する。自由権を侵害する可能性をもつ国家権力の部分を「国家権力の自由権を侵害する部分」とも呼ぶことにする。
  だが、国家権力は自由権を侵害する権力を抑制することによって自由権を擁護する可能性をもち、公的武力は自由権を最も直接的に侵害する武力を最も直接的に抑制することによって自由権を最も直接的に擁護する可能性をもつ。
  そのように、国家権力には自由権を擁護する部分が存在する。それを「国家権力の自由権を擁護する部分」とも呼ぶことにする。
  最も重要なことの一つとして、国家権力の自由権を侵害する部分と自由権を擁護する部分とはほとんど同一である。例えば、全く同じ警察、軍が平時に出動して個人に機能することによって自由権を侵害することも、戦時に出動して自由権を侵害する暴力を抑制することによっての自由権を擁護することもできる。比喩的に言えば、表裏一体、両刃の剣である。ほとんど同一である国家権力の自由権を侵害する部分と擁護する部分を「国家権力の自由権を侵害し擁護する部分、自由権を侵害し擁護する部分とも呼ぶことにする。だが、「侵害し擁護する」という言葉をいつも用いていると、文章が煩雑になる。だから、それを「国家権力の自由権を擁護する部分」、自由権を擁護する部分とも呼ぶことにする。だが、それが自由権を侵害する部分を含むことを強調する必要があるときは、国家権力の自由権を侵害し擁護する部分という言葉を用いることにする。
  ところで、国家権力は、民主制と三権分立制の実現以前から、犯罪と刑罰を法で規定し、裁判を行い無罪か有罪かと有罪のときの刑罰を決定し、刑罰を執行してきた。犯罪の多くは自由権を侵害することである。それを意図したものではないが結果的に、犯罪を法で規定し裁判を行い刑罰を執行することは、私権力が自由権を侵害することを国家権力に抑制させる機能をある程度、果たしてきた。また、それらはある程度、国家権力を部分的にせよ法で縛り、国家権力の自由権を侵害する部分を抑制する機能を果たしてきた。
  だが、それだけでは積極的に自由権を擁護することができない。そこで、人間は、主として17世紀以降に、主として西欧と北米で、主として自由権を擁護するために、自由権、政治的権利、民主制、三権分立制、法の支配…を実現してきた。
  民主制は市民が直接的に国家権力を抑制する制度である。それに対して、三権分立制は国家権力を立法権、行政権、司法権に分立し、それらを互いに抑制させる制度である。

国家権力の社会権を保障する部分

  だが、人間は自由を追求するだけではなく、生存と少なくとも最低限度の生活を追求する。簡単に言って、自由より生命と健康のほうが重大である。社会権の追求以前から、経済的不平等、経済の矛盾…などはあり、個人と集団は最低限度の生活を追求してきた。
  だが、言論の自由、政治的権利…などがなければ、市民は最低限度の生活を主張することもできない。自由権、政治的権利、民主制、権力分立制をある程度、整備した後で、個人と集団は最低限度の生活を主張することができるようになった。また、科学技術の急速な発達の始まりと産業革命によって経済的不平等と資本主義経済の矛盾が鮮明になった後で、個人と集団は最低限の生活をより強くはっきりと要求するようになった。
  だが、私有財産の自由と契約の自由の名の下に、資本をもつものは資本と資本をもたないものを駆使して資本を蓄積する。企業が競争すのも自由だが妥協するのも自由であって、妥協は独占を生み独占は「見えざる手」を麻痺させて不況、失業などを生じる。それらのように、自由権、政治的権利、民主制、権力分立制…などを整備するだけでは、依然として経済的不平等と資本主義経済の矛盾が存在し、多くの個人は劣悪な生活を余儀なくされる。
  そこで、市民は生存権や労働者の諸権利を主張し法で規定し、国家権力の福祉を推進する財力、人力や企業そのものや労使間の契約を規制する権限を拡大してきた。
  また、資本主義は企業間の経済的競争だけでなく、個人の間の社会的競争も重視するが、効果的な競争が行われるのは子供たちに均等な教育が与えられ青年たちが等しいスタートラインに立ってのことである。そこで、市民は子供たちに最低限度の教育を国家権力に提供させてきた。
  さらに二十世紀後半以降、企業と生活の拡大による自然の破壊が露呈し、人間の生活と健康を障害してきた。そこで、人間は国家権力に自然破壊を規制させてきた。
  個人と集団が国家権力に生存、健康、最低限度の生活、労働、教育…などを維持または促進させる権利を「社会権」と呼べる。また、国家権力がそれらを維持または促進することを国家権力による社会権の「保障」または国家権力が社会権を保障することと呼べる。
それらのように、国家権力には社会権を保障する可能性をもつ部分が存在する。この部分は企業を規制する権限、労使関係を調整する権限、社会資本を建設し維持する財力と人力、福祉を推進する財力と人力、子供たちに最低限の教育を提供する財力と人力、自然破壊を規制する権限…などから構成される。国家権力の社会権を保障する可能性をもつ部分を「国家権力の社会権を保障する部分」、社会権を保障する部分と呼べる。

自由権と社会権の区別

  自由権と社会権は対照的な権利であり、国家権力の自由権を侵害し擁護する部分と社会権を保障する部分は対照的な部分である。
  国家権力の自由権を侵害し擁護する部分は自由権を侵害する権力を直接的に抑制することによって自由権を直接的に擁護する。この部分が自由権の侵害を含む違憲違法行為を何ら行っていない個人を抑制するとすれば、それは自由権の侵害である。自由権を擁護するにしても侵害するにしても、この部分の直接的な機能は個人の身体、その機能、その手段を抑制することである。それに対して、社会権を保障する部分の機能は個人と集団の身体、機能、手段を間接的に促進することである。例えば、健康と生活と知識と技能の促進である。そのためにはこの部分は企業、労使関係、福祉、教育から自然に至る様々なものを促進または抑制する必要がある。それに対して、自由権を擁護する部分は、最初から最後まで自由権を侵害する権力だけを抑制しなければならない。
  自由権は最初から最後までそのことだけを要求する。それに対して、社会権は直接的には健康、最低限度の生活、労働、教育…などを要求するが、そのたには社会権を保障する部分は社会の様々な領域に及ぶ政策を立て実行する必要がある。そこで、行政権が肥大化し税金が高額になる可能性はある。
  端的に言って、自由権を侵害し擁護する部分が積極的に機能するとき自由権は侵害される。それに対して、社会権を保障する部分が積極的に機能するとき社会権が保障される。自由権を擁護する部分が怠けているとき、自由権は擁護される。それに対して、社会権を保障する部分が怠けているとき、社会権は保障されない。
  自由権が擁護されるためには国家権力の自由権を侵害し擁護する部分が抑制される必要がある。それに対して、社会権が保障されるためには国家権力の社会権を保障する部分が促進される必要がある。
  それらの区別の鍵は以下のとおりである。個人の存在と機能が権力によって抑制される可能性をもち、国家権力のいくつかの部分が個人の存在と機能を抑制する権力を抑制することによって、個人の存在と機能が抑制される可能性が小さくなるとき、そのような存在と機能を求めることは自由権である。それに対して、個人または集団の存在と機能が権力なしでは維持または促進される可能性がほとんどなく、国家権力が何かをすることによって、その維持または促進される可能性が大きくなるとき、そのような存在と機能を求めることは社会権である。例えば、同じ生命を求めることも自由権でも社会権でもありえる。個人の生命が、他の個人や集団の暴力によって侵されかけており、行政権がその暴力を抑えることによって生命が守られるとき、そのような生命を求めることは自由権、より詳細には生命身体の自由である。それに対して、家族の生命が、食糧と水の欠乏によって危うい状態にあり、行政権がそれらを供給することによって救われるとき、そのような生命を求めることは社会権、より詳細には狭義の生存権である。

全般的生存権

  『わたしたちの生存ネット』で説明されたとおり、自己と家族の死を含む生物の絶滅と多大な苦痛に対する不安と恐怖という苦痛をもって、苦痛をできる限り全般的に減退させつつ、全体破壊手段を全廃し予防して地球や太陽の老化や死滅のときまで人間を含む生物を生存させる権利を「全般的生存権」と呼べる。この権利の核心は『生存と自由』の文脈の中でしか説明されえない。それを是非お読みいただきたい。それを保障する方法はこの著作の文脈にそって説明する。

国家権力の社会権からの逸脱

  一部の社会権が保障されるためには私有財産の自由、契約の自由などの一部の自由権が国家権力のいくつかの部分によって制限される必要がある。例えば、公共施設、道路、鉄道、港湾を建設するためには私有財産の自由の一部が国家権力によって制限される必要がある。労働条件が悪化しないためには労使間の契約の自由の一部が国家権力によって制限される必要がある。自然破壊を規制するためには私有財産の自由の一部が制限される必要がある。
  そのような状況では、国家権力が、社会権の保障や公共の福祉のようないかなる目的のためにも制限される必要のない自由権を、それらの目的を誇示することによって制限し侵害する可能性がある。さらに、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配を損傷して、独裁、専制…などに走る可能性がある。そのようなことは二十世紀に独裁、従来の共産主義、全体主義などとして経験された。
  だが、わたしたちは階級闘争、経済的不平等、資本主義経済の矛盾…などを解決したわけではない。共産主義、社会主義…などの再興はありえ、それらの一部は必要である。だが、それらが必要であるとしても、国家権力の社会権を保障する部分においてであり、自由権を擁護する部分では必要ないだけでなく不適切である。後者の部分に対しては厳格な自由権、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配が機能する必要がある。
  また、今後は自然の保全や地球の生物や人間の全体の生存…などを名目に掲げる全体主義のようなものが出現する可能性がある。だが、『わたしたちの生存ネット』で説明されたとおり、そのようなものはわたしたちの生存と全般的生存権の保障のために決してならない。
  国家権力が、社会権の保障や生物または人間の全体の生存の保障などのいかなる目的のためにも制限される必要のない自由権、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配をそれらの目的を名目として掲げることによって制限し侵害することを国家権力の社会権からの「逸脱」、国家権力が社会権から逸脱することと呼べる。

国家権力の自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系への分立

機能と機構の区別

  国家権力の機能と機構は区別される。例えば、立法そのもの、行政そのもの、司法そのものは機能である。また、それらの間の相互抑制も協力も機能である。また、自由権の擁護も社会権の保障も機能である。それに対して、立法権の中の議院、委員会、行政権の中の省庁、部署、軍、警察、それらの中の部隊、司法権の中の裁判所は機構である。市民にとっては結果的に国家権力が機能すればよい。だが、なんらかの機構をある程度、構成しなければ、国家権力は機能しない。そこでは、強固または柔軟な機構、独立したまたは従属的な機構、直接的または間接的に市民によって選出されたまたは非選出の機構がありえる。例えば、軍は文民たる行政権の長官に従属する強固な機構であるべきとされる。選出について、すべての公的機構の構成員が選出されることが理想だろうが、それは不可能なことである。だが、議員または大統領が直接的に選出され、それらが直接的または間接的に他の公務員を指名する以上、すべての公的機構が形式的に直接的または間接的に選出されていると考えることも不可能ではない。
  だが、繰り返すが、誰にとっても国家権力がどのように機能するかが問題なのであり、機構は機能のためにある。国家権力を改善するためには、それを機構より機能に重点をおいて調べ、機能のために機構を再編する必要がある。
  今まで見てきたところでは、国家権力の自由権を擁護する機能と社会権を保障する機能の間に断層が存在しそうである。まず、国家権力の自由権を擁護する機能と社会権を保障する機能を区別してみよう。
  ところで、三権分立制は、立法権と行政権と司法権が分立して互いを抑制する、一つの国家権力の分立制である。それらの三権のそれぞれの中でも自由権を擁護する機能と機構と社会権を擁護する機能と機構の四つを区別する必要がある。

国家権力の自由権を擁護する機能

  前述のとおり、国家権力の自由権を侵害する部分と擁護する部分はほとんど同一である。ほとんど同一であるそれらを「国家権力の自由権を侵害し擁護する部分」と呼べる。だが、「侵害し擁護する」という言葉をいつも用いていると、文章が煩雑になる。だから、それを「国家権力の自由権を擁護する部分」とも呼ぶことにした。だが、後者が、前者と同一であり、自由権を侵害する部分を含むことを忘れないでいただきたい。それらのことは国家権力の自由権を擁護する機能、機構…などについても全く同様である。それらも忘れないでいただきたい。
  前述のとおり、自由権を侵害する他の武力を抑制することによって自由権を直接的に擁護することができるものは武力である。国家権力の中で、自由権を侵害する他の武力を抑制することによって自由権を最も直接的に擁護することができるものは公的武力である。
  だが、少なくともそれぞれの国家の中のすべての権力のうちで、公的武力は自由権を侵害する直接的で最強の権力である。さらに、公的武力は政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配を侵害し、独裁、専制…などに走る直接的で最強の権力である。だから、それらを予防するためには、行政権と立法権と司法権の文官が公的武力を抑制する必要があり、それはある程度可能である。それが従来の「文民支配」である。また、公的武力が警察と軍に分立し、それらが互いを抑制する必要がありそれはある程度、可能である。
  だが、行政権の文官が公的武力を完全に掌握して、自由権を直接的に侵害し、政治的権利、社会権、民主制、権力分立制、法の支配を間接的に侵害することがある。だから、立法権と司法権が行政権を抑制する必要があり、それはある程度、可能である。
  以下の説明のすべてに民主制が含まれ、以下の可能性のすべてが「ある程度」を含むが、それらの言葉を逐次、用いていると文章が煩雑になるので、特に必要な場合を除いて省略することにする。
  前述のとおり、人間は「犯罪」と刑罰を法で規定し裁判を行い無罪または有罪と有罪の場合の刑罰を決定し刑罰を執行してきた。犯罪の多くは私的権力が自由権を侵害することであり、それらの過程は自由権を擁護する機能ももっていた。さらに、それらの過程に三権分立制と法の支配が適応されるなら、それらの過程は国家権力の機能を自由権の擁護に限定する機能ももつ。だから、それらの過程が国家権力の自由権を擁護する機能の大部分を占める。
  憲法などの基本的な法が自由権、政治権、民主制、権力分立制、法の支配を規定する必要がありそれは可能である。
  立法権が、基本的な法に基づいて、自由権の詳細を規定し、自由権の侵害を犯罪として法で規定し、有罪のときの刑罰を規定する必要がありそれは可能である。
  行政権の文官が、法に基づいて、公的武力を支配しつつ抑制する必要がありそれは可能である。行政権が、法に基づいて、私権力が自由権を侵害することを抑制し、容疑者を告訴する必要がありそれは可能である。ここで重要なことは容疑者を告訴する先が行政権でも立法権でもなくそれらから独立した司法権であることである。国内での武力の横行または国外からの小規模な武力の侵入を行政権のうちの公的武力のうちの警察が防ぐ必要がありそれは可能である。国外からの大規模な武力の侵入を行政権のうちの公的武力のうちの軍が防ぐ必要がありそれは可能である。
  司法権が、法に基づいて、開廷し裁判を主導し、無罪または有罪と刑罰を決定する必要がありそれは可能である。
  行政権が、法と司法権の決定に基づいて、刑罰を執行する必要がありそれは可能である。
  まとめると、国家権力の自由権を擁護する機能は以下のとおりである。

→憲法などの基本的な法が自由権、政治的手権利、民主制、権力分立制、法の支配を規定する
→立法権が、基本的な法に基づいて、自由権の詳細を規定し、自由権の侵害を罪として法で規定し、有罪のときの刑罰を規定する
→行政権の文官が、法に基づいて、公的武力を支配するとともに抑制する。
→行政権が、法に基づいて、私権力が自由権を侵害することを抑制し、容疑者を告訴する
→司法権が、法に基づいて、開廷し裁判を主導し、無罪または有罪と刑罰を決定する
→行政権が、法と司法権の決定に基づいて、刑罰を執行する
→繰り返すが、公的武力が行政権の文官と立法権と司法権によって抑制される。また、公的武力が立法権と司法権によって抑制される。公的武力が警察と軍に分立し、それらが互いを抑制する。行政権が立法権と司法権によって抑制される。
  以上のように、国家権力の自由権を擁護する機能に対しては、民主制、権力分立制、法の支配が厳格に適応される必要がありそれは可能である。

自由権を擁護する機能において機能する必要がある民主制

  自由権を擁護する機能においては、厳格な権力分立制と法の支配が機能する必要があり、この機能を担う公務員は公正である必要がある。権力に対しては柔軟であってはならず厳格でなければならない。特に警察、軍、行政権の長官の違憲違法行為を抑制する必要がある。賢明な政策立案能力は必要ない。この機能の民主制はそのような公務員を直接的にも間接的にも選べるものである必要がある。選挙制度において、小選挙区制を採用し、比例代表制は採用せず、政党をできるだけ排除する必要がある。
  それらの意味で、国家権力の自由権を擁護する機能において機能する必要がある民主制を「厳格な」民主制と呼べる。

自由権を擁護する法の支配機能

  以上のような厳格な民主制、権力分立制、法の支配が機能する必要がある国家権力の機能を国家権力の「自由権を擁護する法の支配機能」、自由権を擁護する機能、法の支配機能と呼べる。
  だが、自由権だけでなく、政治的権利、民主制そのもの、権力分立制そのもの、法の支配そのもの、全般的生存権を守るためにも厳格な民主制、権力分立制、法の支配が機能する必要があり、それらを守る機能も法の支配機能に属する。
  例えば、仮にプラトンの「国家」における「哲人王」のような者が出現し、その者が国民の絶大な支持を得ているとしても、その者には厳格な権力分立制と法の支配が機能する必要がある。それは特に以下の理由による。そのような鉄人王が何代も出現するわけがない。仮に鉄人王が善政を敷くとしても、民主制、権力分立制、法の支配が破壊されるとすれば、その後継者たちは容易に専制、独裁…などへと暴走するからである。だが、哲人王が存在し善政を敷いたなどという証拠は歴史上どこにもなく、そのように見えるのは伝説、つまり、虚構である。だから、一代といえども厳密な民主制、権力分立制、法の支配は損なわれてはならない。
  また例えば、民主制が機能するためには、公正な選挙が行われる必要があり、不正な選挙を警察が捜査し、司法権が裁定する必要がある。だが、そのためには司法権と警察が特定の候補者や政党と繋がっていてはならず、それらの相当な独立が必要である。
  また例えば、民主制が機能するためには、与党に有利な選挙制度変更に対して司法権が違憲立法審査する必要があるが、そのためにはかなりの司法権の相当な独立が必要である。
  そのように、厳格な民主制、権力分立制、法の支配にはそれらそのものを守る機能がある。それらそのものが緩むときそれらは崩壊する。
    結局、自由権、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配、全般的生存権を守るためには厳格な民主制、権力分立制、法の支配が機能する必要があり、それらを守るための機能は自由権を擁護する法の支配機能に属する。

自由権を擁護する法の支配機能と全般的生存権

  全般的生存権の保障、つまり、核兵器と不変遺伝子手段という全体破壊手段を全廃し予防するためには、それぞれの国家と国際社会と世界と国際または世界機構においてそれらの全廃と予防に特有の法と制度が整備され厳格に実施される必要がある。それぞれの国家においては全般的生存権の保障は法の支配機能に属する必要がある。まず、憲法がその国家におけるすべての個人と団体の全体破壊手段の研究、開発、保持、使用、交易を禁じ、国家権力が国際社会または国際または世界機構においてそれらの全廃と予防のために協力することを規定し、立法権が法律で全体破壊手段に繋がりえる物資、技術、交易…などを禁じ、罰則を規定し、検察、警察が公私権力のそれらを捜査し公訴し、司法権がそれらを裁き、刑罰が執行される必要がある。そこで特に捜査の対象になるのは軍、行政権の長官、公私研究機関、多国籍企業を含む大企業、それらの国内および国際社会における癒着と腐敗、特にいわゆる軍産複合体である。
    それらのうち、私的団体とそれらと公的機構の癒着と腐敗は主として従来の警察と検察と三権分立制によって抑制されえる。さらに、公的機構は主として従来の分立制と後述する分立制の中で抑制されえる。

国家権力の社会権を保障する機能

  自由権を擁護する機能に対して、憲法などの基本的な法が社会権とそれを保障する方法を規定する必要がありそれは可能だが、憲法はそれらの概略しか規定できず詳細を規定することができない。
  また、立法権はそれらを憲法より詳細に法で規定することができるが、自由権を規定したように詳細に規定できない。例えば、経済の成長や規制の目標値を法律で定めたところで、その値は数週間で変化する。また、健康増進の具体的方法を法で定めてみたところで、医学を含む科学技術は進歩し、その方法は数年で変化する。それらの数値と具体的方法は、部外者であれ部内者であれ、専門家が科学技術に基づいて臨機応変に割り出し変える必要がありそれは可能である。そのような専門家を含む行政権が社会権の保障のための政策を練り実行する必要がありそれは可能である。
  国家権力の社会権を保障する機能の中で、最も必要で大きな機能は、私企業に介入しそれらを規制する権限、労使関係を調整する能力、社会資本を建設し維持する財力と人力、福祉を推進するそれら、子供たちに最低限の教育を提供するそれら、自然破壊を規制する権限、それらを研究し実行する科学技術である。行政権がそれらの機能をもつ必要がありそれは可能である。
  結局、行政権のうちの、警察、軍を含む公的武力とそれらを掌握する機能は自由権を擁護する機能であり、その他の機能の大部分は社会権を保障する機能である。それらのように、行政権の機能の大部分は自由権を擁護する機能と社会権を保障する機能に区別することができる。
  司法権は行政権が社会権を保障し損なっているとき行政権の責任を指摘することはできるが、それは社会権の保障にとって積極的な機能ではない。また、それは司法権の機能のごく一部に過ぎず、司法権の大部分は自由権の擁護に係る。
  だが、個人や企業が規制に従わないとき、社会権を保障する機能はどう対処すればよいのだろうか。それは司法権に訴えるという伝統的な手段もとれるのだが、それだけではない。自由権を擁護する機能が公的武力というそれに固有の権力をもつのに対して、国家権力の社会権を保障する機能は提供または認可してきたサービスまたは認可を停止するまたは停止を暗示するというそれに固有の権力をもつ。例えば、企業が規制に従わないとき、それらは企業に出していた営業許可を無効化することができる。さらに、提供していた道路、港湾、水道、ガス、電気、情報…などの供給や営業許可そのものを停止することができる。個人が福祉を乱用するとき、それらは提供してきた福祉のすべてを停止することができる。そのような無効化または停止は現代社会では十分な制裁であり権力である。そのように社会権を保障する機能は提供していたサービスまたは認可を停止するまたは停止を暗示するというそれに固有の権力をもち、公的武力も裁判もほとんど必要としない。この権力はそれらが社会権を保障してきたことそのものから発生する権力である。
  サービス、認可の停止という権力は武力とは対照的な権力である。後者が機能するときまたは機能することを暗示するとき権力であるのに対して、前者は機能を停止するときまたは停止を暗示するとき権力である。
  この権力が発動するためにはサービス、認可…などが停止されるだけでよいのだが、それは無責任、怠慢、違憲違法とされかねない。憲法と法律が社会権を保障する機構は違憲違法行為を行う公私の個人または団体に供給されていたサービス、認可…などを停止することができると規定する必要がありそれは可能である。例えば、軍や警察が憲法を侵害して暴走するときは、行政権の他のいくつかの省庁はそれらに提供してきた水道、ガス、電気、道路、鉄道、港湾、空港、通信手段、情報を停止することができる。
  まとめると、国家権力の社会権を保障する機能は以下のとおりである、

→憲法などの基本的法があくまでも概略的に社会権を規定する。
→立法権が憲法よりは詳細にだが自由権を規定するより概略的に社会権とそれを保障する方法を規定する。
→行政権の中の、企業を規制する権限、労使関係を調整する能力、社会資本を構築し維持する財力と人力、福祉を推進する財力と人力、子供たちに最低限度の教育を提供する財力と人力、自然破壊を規制する権限、自然を保全する財力と人力、それらの政策を練り実行する科学技術。
→司法権が行政権が社会権を保障し損なっているとき行政権の責任を指摘するが、それは社会権の保障にとって積極的な機能ではない。
→行政権の中の、提供してきたサービスまたは認可を停止または停止を暗示する権力。

社会権を保障する人の支配機能

  そのように、公的武力とそれを掌握する機能を除く行政権が社会権を保障する機能のほとんどを占める。社会権を保障する機能に対して厳格な三権分立制、法の支配を適応する必要なくそれは不可能であり不適切である。臨機応変の科学技術が必要であり適切である。しかも、それらの機能はサービスまたは認可の停止または停止を暗示するというそれに固有の権力をもち、公的武力や裁判をほとんど必要としない。それらを国家権力の社会権を保障する人の支配機能、社会権を保障する機能、人の支配機能と呼べる。

社会権を保障する機能において機能する必要がある民主制

  前述のとおり、社会権を保障する人の支配機能においては、権力分立制と法の支配は優位ではない。では、民主制についてはどうだろうか。
  これらの機能の長官が政治的または経済的または社会的権力を握る人々によってだけ指名または選出されるのであれば、一般市民の社会権は保障されにくい。だから、これらの機能の長官またはそれを指名する機関は一般市民によって、つまり、普通選挙によって選出される必要がある。
  従来の共産主義または社会主義の失敗の原因の一つに、政権の幹部が定期的な選挙という試練を受けないために、幹部が切磋琢磨せず無能に陥ったことにあった。
  一般市民は社会権の保障のための専門的知識や技術には乏しい。だが、政権の幹部が無能や腐敗に陥るのを防ぐためには一般市民による少なくとも定期的な選挙が必要である。
  特に国家権力の社会権を保障する機能においては政治的権力と経済的権力の癒着を防ぐ必要がある。それらを防ぐためにも一般市民による民主制が機能する必要がある。
  もちろん、そのような癒着に対しては警察検察による捜査、公訴、司法権による裁判、立法権による弾劾…などの厳格な権力分立制と法の支配が機能する必要がある。そもそも、癒着を含む公務員の職権乱用については国家権力の社会権を保障する機能に対しても法の支配機能が機能する必要がある。国家権力の社会権を保障する機能が人の支配機能であるからと言って、その違法、違憲行為が法の支配を免れるわけでは全くない。だからこそ、法の支配機能と人の支配機能が分立し相互抑制する必要があるのである。
  だが、繰り返すが、自由権、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配、全般的生存権を擁護する方法が詳細に法で規定されえるのに対して、社会権を保障する方法は法で詳細に規定されえず、大分部が行政権の公務員の裁量に委ねられている。
  自由権の擁護のために機能する必要がある民主制と社会権の保障するために機能する必要がある民主制とは異なる。社会権を保障する機能を担う公務員は公正で厳格でなければならないが、それだけでよいというものではない。彼らはそれ以上に科学技術に基づいて臨機応変な政策を立て実行する能力をもつ必要がある。だが、一般市民はそのような能力や政策を見抜けないのではないだろうか。
  だが、一般市民はよりよい生活を求め、そのための欲求を確固としてもっている。日常的な情動が社会権の保障を決定付けても構わない。一般市民が欲求に基づいて選挙するのは悪いことではない。
  だが、それでは政府による世論操作、大衆迎合、国際社会における国益の過度の追求…などに至る可能性がある。だが、それらは独裁、専制、一党独裁、軍国主義…などよりましである。世論操作や大衆迎合では操作されず迎合されない自由が市民にあるからである。また、国際社会や国際機構もそれぞれの国家の大衆迎合に対応する必要があり、ある程度は世界の大衆に迎合する必要がある。社会権を保障する人の支配機能が大衆迎合に陥るのはときに次善策である。
    だが、それはあくまでもこれらの機能においてだけある。前述の自由権を保障する法の支配機能においてはそうであってはならない。だからこそ、それらの二つの機能の系の分立が追究される必要があるのである。
  それらのように、人の支配機能に対しては厳密な民主制ではなく「人間的な」民主制が機能する必要がありそれは可能である。

社会権と全般的生存権

  人の支配機能は社会権を保障するためにそれ自身、科学技術を研究し開発するとともに、公私の研究機関と企業と連携する必要がある。だが、全般的生存権の保障、つまり、核兵器と不変遺伝子手段という全体破壊手段の全廃と予防のためには、それらの研究、開発、連携を行ってはならない。そこでは、法の支配機能の抑制を受ける必要がある。そもそも、それは人の支配機能に限らず、また全体破壊手段の研究、開発…などに限らず、すべての人間と集団と違憲違法行為に当てはまることである。
  そもそも、人の支配機能は既に、市民の健康増進、労働者と子供たちの権利の保護、自然の保全…などのために様々な規制を設けている。人の支配機能が全般的生存権の保障のために社会権の保障のためと同様のまたはより厳しい規制を敷くことは可能である。しかも、人の支配機能は最終的に提供していたサービスまたは認可の停止するまたは停止を暗示するというそれに固有の権力をもつ。
  さらに、全体破壊手段の全廃と予防のために、人の支配機能は法の支配機能と共同してもよい。例えば、前者は後者より豊富で有用な破壊的手段に関する情報を得る可能性をもち、それらの情報を後者に提供するまたは共有することも可能である。
  さらに、法の支配機能が暴走や腐敗などのために機能しなくなったときは、人の支配機能はそれらに固有の権力によって法の支配機能を抑制することも可能である。例えば、軍が暴走するときは人の支配機能は軍に提供していた情報や社会資本を停止することも可能である。
  公共機構と企業の癒着と腐敗、特に軍産複合体については法の支配機能より人の支配機能のほうが情報を得やすい。そのような癒着を抑制するためには人の支配機能が法の支配機能と共同してまたはそれから独立して機能する必要がありそれは可能である。
  人の支配機能がそのように機能していないときは法の支配機能が注意を喚起する必要がありそれは可能である。

国家権力の自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系への分立

  以上のように、国家権力の機能を自由権を擁護する法の支配機能と社会権を保障する人の支配機能の二群に区別することができ、それらの間には明確な断層が認められる。前者は自由権、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配、全般的生存権を擁護する機能であり、厳格な民主制と権力分立制と法の支配が機能する必要がある機能であり、最終的には公的武力の行使という権力をもつ。後者は社会権を保障するための機能であり、行政権が優位に立つ必要がある機能であり、最終的には提供してきたサービスや認可を停止または停止を予告するという権力をもつ。
  それらの二つの群に区別された機能をいくつかの機構に付与することができるだろうか。
  自由権を擁護する機能においては厳格な三権分立制が機能する必要があり、それらを一つの機構に付与することは三権分立制を損なう。また、社会権を保障する機能においても、緩い三権分立制が機能する必要があり、それらも一つの機構に付与することはできない。だが、前者を厳格に分立した三権を含む一つの機構ではなく系に付与することはできる。また、後者を緩く分立した三権を含む一つの系に付与することはできる。前者は厳格な系であり後者は緩い系であるともいえる。国家権力をそのような二つの系を分立させることは可能である。前者の系を自由権を保障する法の支配系、法の支配系、自由権を擁護する系と呼べ、後者を社会権を保障する人の支配系、人の支配系、社会権を保障する系と呼べる。
  前者は自由権、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配、全般的生存権を擁護する系であり、その内部で厳格な民主制と権力分立制と法の支配が機能する必要がある系であり、最終的には公的武力の行使という権力をもつ。
  それに対して後者は社会権を保障するための系であり、行政権が優位に立つ必要がある系であり、最終的には提供してきたサービスや認可を停止または停止を予告するという権力をもつ。
 そのように国家権力を法の支配系と人の支配系に分立する必要性は後に詳しく説明される。ここでは要点のみを説明する。そのように分立し両者の間に断層を作ることによって、前述の社会権からの逸脱、多数派の横暴、大衆迎合、世論操作…などの人の支配系の弊害が法の支配系に及ぶことを防ぐことができる。もちろん、人の支配系の独裁、専制…などへの暴走、企業との癒着、汚職、全体破壊手段の研究、開発…などの違憲違法行為には他の機構や個人のそれらと同様に法の支配系によって抑制される。法の支配系や警察や軍やそれを監督する機構…などの法の支配系の機能の違憲違法行為はこの系の中で従来の厳密な民主制と三権分立制と法の支配によって抑制される。さらに、それらは人の支配系のそれに特有の権力によって抑制される。

機構の自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系への分立

分立可能性

  前章で国家権力が自由権を保障する法の支配系と社会権を保障する人の支配系という二つの系に分立できることが分かった。では、系ではなくより具体的で詳細な機構は分立可能だろうか。
  立法権、行政権、司法権の三権の分立可能性は既に歴史の中で実証されている。さらに、三権のそれぞれの中でも以下が分立する可能性がある。
  立法権について、多くの国家において、既に二院制が採用されており、立法権は二院からなる。二院のうちの一つが自由権、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配、全般的生存権を擁護する機構になり、一つが社会権を保障する機構になり、それらが独立し相互抑制することは可能である。
  また、すべての国家の行政権の多くの部分は既にいくつかの省庁に区別されている。それらの省庁のうちの、警察と軍、つまり、公的武力が法の支配系に編入され、その他の大部分が人の支配系に編入されることは可能である。
  また、司法権の中でそれぞれの裁判所は既に他から独立している。さらに、それぞれの裁判所の中でもそれぞれの裁判官は既に他から独立している。そのような裁判所または裁判官のうちの、大部分が従来通り法の支配のためのものであり続け、他の一部が社会権を保障するためのものになることは可能である。

立法権の自由権を擁護する法の支配議院と社会権を保障する人の支配議院への分立

  前述のとおり、社会権と社会権を保障する方法の詳細を立法権は規定することができず規定しないほうがよいが、概略を規定する必要がありそれは可能である。何より、どのように財力と人力を人間生活の様々な部分に分配するかが予算の議論と決定の多くを占める。そのような予算を立法権が議論し決定する必要がありそれは可能である。人の支配系の中では行政権が優位を占めるべきだが、そのことは立法権が不要ということでは全くない。
  現代では多くの国家が二院制を採用している。だが、二院制のほとんどは機能していない。何故なら二院が同質化しているからである。そのような二院制のうちの一院を自由権、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配、全般的生存権の擁護という機能をもつ立法機構とし、他の一院を社会権の保障という機能をもつ立法機構とする必要がありそれは可能である。また、前者が立法権として法の支配系を構成し、後者が立法権として人の支配系を構成する必要がありそれは可能である。「上院」などと「下院」などがある国家では、上院が前者に発展し、下院が後者に発展する必要がありそれは可能である。いくつかの国家では部分的にそうなりつつある。
  立法権が、
(1)自由権、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配、全般的生存権の擁護という機能をもち法の支配系を構成する議院と
(2)社会権の保障という機能をもち人の支配系を構成する議院に
分立されているとき、(1)を自由権を擁護する法の支配議院、自由権を擁護する議院、法の支配議院と呼ぶことができ、(2)を社会権を保障する人の支配議院、社会権を保障する議院、人の支配議院と呼ぶことができる。以下に詳細を説明する。
  憲法などの基本的な法が、(1)の主要な目的を自由権、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配、全般的生存権の擁護と規定し、(2)の主要な目的を社会権の保障と規定する必要がありそれは可能である。また、基本的な法が以下を規定する必要がありそれは可能である。
  自由権、民主制、権力分立制、法の支配、全般的生存権の擁護に関する立法については、(1)が優位に立ち、社会権の保障に関する立法については(2)が優位に立つ必要がありそれは可能である。前者について、(1)が先議し(2)が異なる決議を行ない(1)が、例えば、三分の二以上で最決議したときは(1)の再決議が法となる必要がありそれは可能である。後者について、(2)が先議し(1)が異なる決議を行ない(2)が、例えば、三分の二以上で最決議したときは(2)の再決議が法となる必要がありそれは可能である。
  前述のとおり、自由権、政治的権利…などの擁護に関する立法と社会権の保障に関する立法の区別は明らかである。例えば、(2)の選挙制度に関する立法は政治的権利と民主制の擁護に関するものであり、(1)が優位に立つ必要がある。その代わりに(1)のそれについて(2)が優位に立つというものではない。(1)のそれについても(1)が優位に立つ。そのようにその区別は曖昧ではなく明確で厳密である。両方の議院の議員のほとんどがそのような厳密な区別を理解することができる。もし厳密でなく曖昧なら理解できない。二つの議院のうちの一つの過半数が理解できない振りをするときは、他の議院が、例えば、三分の二以上で否決して無効化する必要がありそれは可能である。二つの議院の議員の過半数が理解できない振りをするときは、いずれかの議院の例えば五分の一以上の訴えによって、司法権がそのような立法を無効化する必要がありそれは可能である。
  二つの議院の一つがその目的または他の議院の目的に反して立法を行うことはありえる。特に、(1)が自由権、政治的権利、民主制…などに反して立法を行うことは最悪である。そのようなときは、(2)が、例えば、三分の二以上で否決しそのような立法を無効化する必要がありそれは可能である。また、両方がそうするときは、前述と同様にして司法権が無効化する必要がありそれは可能である。
  予算の審議と決定について、それぞれの系にそれぞれの予算がある必要がありそれは可能である。それぞれの系の予算はそれぞれの議院が審議し前述と同様の方法で優先的に決定する必要がありそれは可能である。例えば、(2)が決定した人の支配系の予算が大き過ぎて、国民の政治的権利を侵害していると(1)が判断した場合、後者は一度は前者の予算を否決することができる。また、(2)が減税による経済成長を見込んで自身の系の予算を縮小しているのに、(1)がそうしないとき、前者は一度は後者の予算を否決することができる。
  選挙制度について、(2)に対しては、人間的な民主制が機能する必要があるので、政党、大選挙区制、比例代表制、比較的多数の議員が必要でありそれは可能である。(1)に対しては、厳格な民主制が機能する必要があるので、無政党、小選挙区制、無比例代表制、比較的少数の議員が必要でありそれは可能である。それらの必要性を審議し決定するのは前述のとおり(1)である。政党を完全に排除することは難しいが、より多くの無所属の立候補者が選出される必要がありそれはある程度は可能である。
  いずれにしても、立法権を(1)と(2)に分立させることによって、有権者はそれぞれの議院への適任者を見分けて選挙することができる。簡単に言って、厳格な人は(1)に適し、臨機応変な人は(2)に適する。
  何より、選挙において公開される政策、つまり、公約について、それらが分立しているとき、自由権、政治権、民主制…などを擁護する政策と社会権を保障する政策のそれぞれが有権者にとって明確であり、有権者は適した政策を選択することができる。
  公的経費と税金について、立法権が二つの議院に分立するだけであり、従来の二院制と比較して、その分立が公的経費と税金の増大を生じることはない。

行政権の分立

  警察と軍という公的武力が法の支配系に属し、厳格な民主制と権力分立制と法の支配によって制御される必要がありそれは可能である。また、警察と軍の長官のそれぞれを前節で説明されたように優先的に自由権を擁護する議院が指名し変更する必要がありそれは可能である。また、自由権を擁護する議院の中の国内の市民の自由権を守ることを目的とする委員会が警察の長官の選考と変更と重要な政策と改革を決定しその議院の本会議に提案する必要がありそれは可能である。また、自由権を擁護する議院の中の国防を目的とする委員会が軍の長官の選考と変更と重要な政策と改革を決定しその議院の本会議に提案する必要がありそれは可能である。何よりも、それらの委員会のそれぞれが警察と軍のそれぞれを掌握し、それらの委員会の委員長のそれぞれがそれらのそれぞれの実質的な最高責任者となる必要がありそれは可能である。また、それらの最高責任者がもっと高位である必要があるなら、法の支配議院の議長が名目上のそれになることができる。
  何より、それらの軍と警察とそれらを掌握する文民を法の支配系に組み込み、公的武力そのものの暴走とその乱用を厳格な民主制と従来の三権分立制と法の支配によって抑制する必要がありそれは可能である。つまり、その抑制はこの系の内部で行われる。
  さて、そもそも軍や警察などという強大な権力を大統領や首相などという個人が握っていることが間違いだった。上記のように軍や警察を個人ではなく機構の下に置くことによって侵略戦争と軍や警察の暴走や文官によるそれらの乱用を従来の方法より防げる。
  また、そもそも、それらを含む行政権などという巨大な権力の全体を大統領や首相が握っていることが間違いだった。軍と警察が他の行政権と分立することによってそれらの暴走と乱用が防げる。
  だが、せっかく分立している警察と軍の癒着は防がなければならない。特に警察は軍の違憲違法行為に対して、他の公務員や市民のそれらと全く同様に捜査し訴追しなければならない。特にここで癒着があってはならない。それらの癒着を防ぐためには、それらのいずれにもなんら特権を認めないこと、それらを監督する前述の委員会、それらの長官、幹部の兼任を認めないこと、それらを憲法などの基本的な法が規定することが必要でありそれは可能である。
  行政権の他のほとんどの省庁は社会権を保障する機能をもち人の支配系に編入できる。労働者の権利を保障する部門、子供に最低限の教育を提供する部門、一般市民の健康を増進する部門、その他の福祉を推進する部門、市場経済に介入し調整する部門、社会資本を整備し維持する部門、自然破壊を規制し自然を保全する部門がこの系に編入できる。財政部門、税務部門、外交部門はこの系だけに編入できるわけではないが、それらの分立については後述する。
  そのように見ていくと、この系の予算が国家予算の半分以上を占め、全税金の半分以上を消費していることが分かる。
  行政権の政策はすべてが連動しており、総合的に練られるべきものであるように見える。例えば、戦争をするかしないかも、軍需産業を含む経済と雇用に大きな影響を及ぼす。だが、そのような連動は長い目で見ればその国家自身の経済と雇用を含む何ものにも良い結果をもたらさない。良い結果をもたらすように見えるのは戦争の前半あたりの一時的に過ぎない。そのような連動は絶たれる必要があり、警察と軍は厳格な法の支配系の下に置かれる必要がある。
  それに対して、社会権の保障のための政策はすべてが連動し、総合的に練られる必要がありそれは可能である。例えば、公共事業を増やせば失業率が減少する可能性がある。だが、公共事業を乱発すれば自然が破壊され市民の健康を害する恐れがある。だから、公共事業の量だけでなく質を検討する必要がある。それが社会権の保障のための総合的な政策追究の一例である。
  また、前述のとおり、これらの機構は提供していた提供していた認可とサービスを停止するまたは停止を予告するという権力をもつ。最後の手段としてはこれらの機構は司法権に訴えなければならないが、多くの場合、それを要しない。
  そのような行政権の警察と軍と後述する財政部門、税務部門、外交部門を除く機構をそれらの総合的な政策立案に優れた個人や集団に委ねることは可能である。また、そのような個人や集団を市民が直接選挙したり、前述の社会権を保障する立法部分が前述のように優先的に指名することは可能である。また、そのような行政権の部門とそれらを委ねる個人または集団を一つのまとまりのある行政機構とすることさえ可能である。そもそも、行政権を過度に区分することが行政権を肥大化しその効率性を失わせ公的経費を増大させた。極論に聞こえるかもしれないが、そのように過分立された行政部門を思い切って一つの機構としてもよい。

分立不能に見える機構

  分立不能に見えて容易に分立できる機構をこの節で分立しておく。行政権の中で、消防、レスキュー、救急医療、災害対策の機能をもつ機構は社会権を保障する人の支配系の行政権の部分に編入される。警察や軍もそれらの機能の一部を担うべきだが、それらの機能を主導するべきなのは社会権を保障する系の部分である。災害時にその主導者の要請の下に軍や警察がそれらの機能の一部を担うことが違憲であるとする人はほとんどいないだろう。
  行政権の中の平和的な部分の中では、遊び、観光、文化、スポーツ…などを振興する公的機構は社会権を保障する系の中の行政権の部分に編入される。例えば、警察や軍の楽団がそれらの祭典で伴奏をすることに問題はない。伴奏は警察や軍の発動と見なされないからである。
  財政税務部門、外交部門についてはそのように簡単に分立できない。

財政税務部門

  財政税務部門について、それを二つの系に分立することも不可能ではない。例えば、税の種類によって税を二つの系に振り分け、それぞれの系が自ら徴収し、カネの管理と運用をすることは可能である。それぞれの系がそれぞれの通貨を発行することさえ可能である。
  だが、そもそも、カネの管理には経済的な専門性が必要であり、それは社会権を保障する人の支配系の本領である。堅物であり堅物であるべきの法の支配系に部分的であってもカネの管理ができるわけがない。もしそれにカネの管理をさせれば、その厳格さが汚れる恐れがある。法の支配系はそれ自身の系や人の支配系や私的団体や個人の脱税や他の不正行為が生じたときに、その厳格さをもって発動しないといけないのである。
  だから、財政税務部門と通貨発行管理部門は社会権を保障する人の支配系の行政権の部分に編入されその部分の長官の下にある必要がありそれは可能である。すると、法の支配系のカネを人の支配系が預かり管理することになるが、それは必要であり可能である。
  ここでわたしたちは以下の二点に気づく。
  第一に、公的武力は法の支配系が統括し、カネは人の支配系が管理し、ここには武力とカネの分立がある。
  第二に、人の支配系は提供してきたサービスまたは認可を停止するまたは停止を予告するというそれに固有の権力だけでなく、法の支配系のカネを預かり管理しているというそれに固有の権力をもつ。
  それらの結果、人の支配系は権力を増す。異質な権力を比較することはできないが、その権力は法の支配系のそれに匹敵するだろう。そのようにして増大した権力をもって、人の支配系は法の支配系が憲法と法を逸脱して暴走すること、公的武力が自身によって暴走することまたは他によって乱用されることを制止することができるだろう。例えば、それが預かっていたカネを停止すれば、警察も軍もスタッフの給与を支払うことができず弱体化する。
  だが、それでも、その権力が大きくなりすぎて均衡が崩れるということはない。何故なら、公的武力は人の支配系の警護にもあたっているのであり、一般市民のものと同様に彼らの命を預かっているのだから。

外交部門の分立

  外交部門について、結論から言って、自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系のそれぞれがそれぞれの外交的な行政機構をもつ必要がありそれは可能である。つまり、外交部門は法の支配系の中の行政権の部分と人の支配系の中の行政権の別の部分に分立される必要がありそれは可能である。前者の機能は、国際社会、世界、国際機構、世界機構において機能しながら、少なくともその国家にいる人間の自由権、政治的権利、権力分立制、法の支配、全般的生存権の擁護することであり、より具体的には国防と集団安全保障と全体破壊手段の全廃と予防を含む軍縮に係る交渉である。それに対して、後者の機能は、国際社会、世界、国際機構、世界機構において機能しながら、少なくともその国家にいる人間の社会権を保障することであり、より具体的には国内経済の成長または安定化、健康、福祉、教育、文化の増進、自然破壊の規制、自然の保全…などに係る交渉である。
  ここで以下の三点が明らかになる。第一に、外交という機能の中でも自由権、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配、全般的生存権の擁護という機能と社会権の保障という機能が明確に区別される。この機能の区別は外交の機構の分立へと発展する。
  第二に、この区別は一国の外交において見出せるだけでなく、国際社会、世界、国際または世界機構においても見出せる。この機能の区別は国際または世界機構の分立へと発展する。
  第三に、そもそも、そのような多様で重要な機能が従来の大統領や首相に集中していたことが間違っていた。その集中と彼らの権益欲が国際社会における侵略戦争と全体破壊手段の研究、開発、保持を含む軍拡と経済的格差の主因である。その集中と彼らの専門性の欠如が国際社会における経済の不安定と失業の主因である。
  だから、行政権の外交部門は法の支配系の部分と人の支配系の部分に分立される必要がある。さらにその分立は以下のようにして実現される。
  立法権の自由権を擁護する法の支配議院の中の外交に係る委員会がその系の外交部分を統括することは可能である。また、会議や会談に一人の代表が参加する必要があるときはその委員長が参加することは可能である。また、条約の批准などの立法権の議決を必要とする事柄においてはその委員会が議決した後でその本会議が前述のように優先的に議決することは可能である。この外交に係る委員会の議員はその委員会と本会議に出席し投票する可能性が他の議員より小さくなるだろうが、討論と議決において遠隔出席投票できるようにすることは可能である。外交の現場にいる議員の発言と投票は他の議員より適切なことが多い。
  そのように見ていくと、その委員会の責任は重大である。その委員会は戦争を抑止できるか、軍縮できるか、全体破壊手段を全廃予防できるかに係る。だが、警察を統括する委員会にしても軍を統括する委員会にしても、自由権を擁護する法の支配議院とその委員会の責任は重大なのである。そのような重大な責任は大統領や首相などという個人より機構に負わせるほうがよい。「集団責任は無責任」ということはありえるが、この責任を個人が乱用して独裁、専制、戦争、軍拡…などに走るほうが恐怖である。そのような責任の乱用の恐ろしさは歴史上何度も経験されたことである。無責任は責任の乱用よりましである。だが、それはそれらの委員会においても「集団責任は無責任」と仮定した場合のことである。議会の中の委員会が大統領や首相より無責任であることは歴史上示されていない。
  それに対して、社会権を保障する人の支配系の外交部分は人の支配系の行政権の部分の長官に委ねることができる。ここでこそその長官の専門的で総合的な政策立案能力が活きるだろう。その能力を持たないような者はその長官に立候補しないほうがよい。
  権力の法の支配系と人の支配系の分立はそれぞれの国家権力において必要であり可能であるだけでなく、国際社会、世界、国際または世界機構においても必要であり可能である。そのことは国際または世界機構の分立へと発展する。だから、国際的な会議や交渉もそれらの二つの系に分立され、それぞれの国家のそれぞの系の代表が参加する必要がありそれは可能である。
  両方の系に係る国際機構、会議、交渉があるとしても、それらには二つの系の代表が参加することは可能である。その場合で、個々の議案が法の支配系、人の支配系のどちらか一つに係る場合、その系に係る代表者が投票することは可能である。その場合で議案が両方の系に係る場合、協議し、投票内容が一致したときはその一票を投じ、一致しない場合は棄権することは可能である。

従来の大統領や首相の解消

  前述のとおり、警察と軍をそれぞれ自由権を擁護する議院の委員会が監督し、それらに対して厳格な民主制、三権分立、法の支配が機能する必要がありそれは可能である。また、行政権の財務税務部門の全部と外交部門の一部を含む他の部分を一般市民によって直接的または間接的に選ばれた個人または集団が総合的に管理する必要がありそれは可能である。つまり、少なくとも行政権のすべてを握っていた従来の大統領や首相は解消される必要がありそれは可能である。
  繰り返すが、そもそも、大統領や首相に警察、軍、外交部門を含む行政権のすべてを委ねていたことが間違いだった。それらの解消によって侵略戦争やそれらの独裁、専制への暴走や全体破壊手段の研究、開発、保持の可能性を減退させることができる。
  従来の行政権のすべてを掌握していた従来の長官と区別して、行政権の警察、軍の全部と外交部門の一部を除く部分を管理する個人またはグループを社会権を保障する人の支配系の行政権の部分の長官、人の支配系の行政権の部分の長官、社会権を保障する行政権の部分の長官と呼べる。
  そのような長官は、国家の市民によって直接的に選挙されることも、前述の立法権の中の社会権を保障する法の支配議院によって前述のような方法で優先的に指名されることも可能である。

行政権の法の支配系の部分と人の支配系の部分への分立

    以上のことから、行政権は以下の(1)(2)に分立する必要がありそれは可能である。

(1)自由権を擁護する法の支配系の行政権の部分:
立法権の中の自由権を擁護する法の支配議院の中の委員会、警察、軍、外交部門の一部
(2)社会権を保障する人の支配系の行政権の部分:
行政権のそれらを除く部分とその長官

司法権

  司法権の中でそれぞれの裁判所は既に他から独立している。さらに、裁判所の中でもそれぞれの裁判官は既に他から独立している。そのような裁判所または裁判官のうちの、大部分が従来通り自由権を守るものであり続け、他の一部が社会権を保障するものになることは可能である。
  だが、司法権も裁判所も裁判官も既に他からかなり独立しているのだから、そのような分立は不要かもしれない。
  だが、最高裁判所裁判官を従来の大統領や首相が指名するのではそれらの判決傾向に派閥主義が影響し、司法権の独立が損なわれる。
  少なくとも従来の大統領や首相が指名するより立法権の中の前述の自由権を擁護する法の支配議院が指名するほうがそのような損傷が少ない。誰が裁判官を指名してもそのような損傷は多少でも生じる。だが、その損傷が最も少ないのは法の支配議院が前述のように優先的に指名するときだろう。例えば、法の支配議院の中の司法権の構成に関する委員会が指名するべき裁判官を提案し、その本会議が指名し、人の支配議院が異なる指名を行った場合は、法の支配議院の三分の二以上の可決で最終的に指名が決定する必要がありそれは可能である。
  その誰が指名するかの問題さえ解決すれば、司法権は分立しなくてよいのではないだろうか。
  また、社会権の保障に関する裁判においても、司法権は法の支配に基づいて判決を下さなければならない。社会権の保障についての裁判のほとんどは行政権の義務違反についての裁定である。そのような裁判が法に基づかなければ、行政権の官僚も仕事ができない。また、そのような裁定が行政権に左右されてはならない。
  それらのことから司法権は法の支配系の中にあり、しかも、その中で独立する必要がありそれは可能である。

名目上の国家元首

  実際上、「国家元首」なるものは必要ない。だが、形式的にまたは名目上、必要になる場合はある。例えば、国家的または国際的な祭典、儀式においてである。必要な場合は立法権の法の支配議院の議長が国家元首になるのが適切である。
  形式的にまたは名目上も国家元首というほどののものが必要ない場合は、管轄する委員長や長官が出席することは可能である。例えば、軍の儀式に法の支配議員の軍を統括する委員会の委員長が参加し、文化の祭典に行政権の人の支配部分の長官が参加することは可能である。

国家権力の自由権を擁護する法の支配系と社会権を擁護する人の支配系への分立

  以上のことから国家権力を以下のように分立する必要がありそれは可能である。

自由権を擁護する
法の支配系
社会権を保障する
人の支配系
立法権自由権を擁護する法の支配議院社会権を保障する人の支配議院
行政権警察,
軍,
外交部門の一部
外交部門の
その他の部分を含む
行政権のその他の部分
とこの部分の長官
司法権司法権-

国家権力を自由権を保障する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立する必要

可能性と必要性

  以上のように、国家権力を自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立させることは可能である。では、分立させる必要性はあるのだろうか。既にその必要性のいくつかは散発的に説明されたが、以下の節でまとめて説明する。

人の支配系が陥りがちな障害が法の支配系に及ぶことの予防

  人の支配系は独裁、専制、全体主義、社会権の逸脱、企業との癒着と汚職、軍産複合体形成、大衆迎合、多数派の横暴、世論操作…などの障害に陥りやすい。国家権力を法の支配系と人の支配系に分立し、両者の間の断層を鮮明にすることによって、後者が陥りやすいそれらの障害が前者に及ぶのを防ぐことができる。また、従来の大統領や首相がそれらの障害へと陥る元凶だったのだが、この分立の下では彼らは解消される。この分立の下に生じる社会権を保障する人の支配系の行政権の部分の長官は法の支配系に対する権限をなんらもっていない。警察や軍に対する権限ももっていない。最高裁判所の裁判官の任命権ももっていない。
  また、そのようにして無傷のままとなる自身に固有の厳格な民主制、権力分立制、法の支配をもって、法の支配系は自身の障害とそれらの人の支配系が陥りやすい障害と一般市民の障害に対して機能することができる。
  法の支配系が憲法と法を犯し法の支配を逸脱して暴走するときは人の支配系は前述のそれに固有の権力をもってそれを抑制することができる。わたしが言うまでもなく、人の支配系はそれを抑制するだろうし、やってよい。それもこの権力分立制の成果である。
    以下の四つの問題も人の支配系が陥りやすい障害に含まれるのだが、重要なので以下に特に節を設けて説明することにする。

国家権力の社会権からの逸脱の予防

  前述のとおり、行政権の長官やその同僚が、社会権の保障や生物や人間の全体の生存などを目的を掲げ、公的武力を完全に掌握し、それらの目的のためにも制限される必要のない自由権を制限し侵害し、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配を損傷して、独裁、専制などに走る可能性がある。それが国家権力による社会権からの逸脱である。それらは新しいできごとではなく、二十世紀に独裁、従来の共産主義、全体主義などとして体験されたことである。
  また、今後は自然の保全や地球の生物や人間の全体の生存…などを名目に掲げる全体主義のようなものが出現する可能性がある。だが、『わたしたちの生存ネット』で説明されたとおり、そのようなものはわたしたちの生存と全般的生存権の保障のために決してならない。
  そのような国家社会権からの逸脱を防ぐためには、国家権力を自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立させ、それらの間の断層を明確にし、前者の中の議院と警察と司法権が後者の長官とその同僚を抑制する必要がありそれは可能である。

未来の共産主義や社会主義への対応

  わたしたちは階級闘争、経済的不平等、資本主義経済の矛盾…などを解決したわけではない。特に経済的不平等への不満は世界中のいつでもどこでも爆発しえるし、爆発するのも当然である。だから、共産主義や社会主義の再興はありえる。また、自然の保全や生物や人間の生存に重点をおくそれらの改作版も生じえる。また、改良されたそれらのいくつかの部分は必要である。
  だが、それらが必要であるとしても、社会権を保障する人の支配系においてだけでであり、自由権を擁護する法の支配系では必要ないだけでなく不適切である。
  従来の共産主義や社会主義の失敗の主因は自由権、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配を損なったことにあった。特に、共産党の幹部が選挙と自由な言論という試練を経ないことから、彼らは無能化し賢明な経済計画を立てることができなかった。
  共産主義または社会主義の改良されたいくつかの部分が必要であるとしても、自由権、政治的権利、民主的制度、権力分立制、法の支配、全般的生存権は擁護される必要がある。そのためには、国家権力をそれらを擁護する系と社会権を保障する系に分立し、後者が前者を浸透することも損傷することも防ぐ必要がある。

企業との癒着と汚職の予防

  企業との癒着と汚職は国家権力の自由権を擁護する系より社会権の保障する系で生じる可能性が大きい。何故なら企業は後者に規制または認可される立場にあり、規制を逃れ認可を得るためなら賄賂も送るからである。それらの二つの系に分立しているほうが、企業の手が後者に届きにくく、後者が前者を摘発しやすく、そのような癒着と汚職を防ぎやすい。

軍産複合体に対する抑制

  軍産複合体という言葉は、文字通りの軍と産業の複合体だけでなく、それらと政治家、官僚、科学技術者…などの複合体も指すことにする。
  多くの国家のそのような意味での軍産複合体が一般の軍拡と全体破壊手段の研究、開発、保持を促進してきた。何故なら、放っておいても、企業は利潤を、軍と政治家と官僚は権力を、科学技術者は権威と名誉を求めるからである。それらの複合体は核兵器で一つの頂点に達したと言える。また、それらは今後は遺伝子操作でもう一つの頂点に達しつつある。
  この分立はそのような複合体の中の軍とそれを掌握する文民を法の支配系に組み込み、その他を社会権を保障する系に編入するまたはそれに近いところにおく。そのことによって、この複合体の中心である軍とそれを掌握する文民はその他から隔離されており、これで軍産複合体は解消される。
  軍とそれを掌握する文民は法の支配系の中で厳格な民主制と権力分立制と法の支配によって抑制される。従来の制度では、従来の大統領や首相が軍を動かすことができた。この分立によってその道は絶たれる。そのことによって、法の支配系は自身の厳格な民主制と権力分立制と法の支配を無傷のままにしいっそう厳格にする。無傷でいっそう厳格になったそれらをもって法の支配系はそれ自身と人の支配系と企業と研究機関とそれらの間の癒着と汚職に対して機能することができ、軍産複合体は完全に解消する。

警察と軍に対する法の支配

  この分立は警察と軍を法の支配系の中に編入し、それらを法の支配系が厳格な民主制と権力分立制と法の支配によって抑制する。
  また、この分立によって従来の大統領や首相は解消し、それらが警察と軍を乱用することはできない。また、人の支配系の何ものかがそれらを乱用することはできない。
  また、警察と軍を掌握する委員会も法の支配系の中で厳格な民主制と三権分立制と法の支配によって抑制される。
  そのようにして警察と軍の暴走と乱用が抑制される。

公的武力に対する二重の文民支配

  警察と軍という公的武力は法の支配系の中で文民支配、厳格な民主制、権力分立制、法の支配によって抑制される。
  そこで、国家権力をその系と社会権を保障する人の支配系に分立させ、前者だけでなく後者が提供してきたサービスまたは認可と預かっていたカネを停止するまたは停止を暗示するというそれに固有の権力をもって公的武力を抑制する必要がありそれは可能である。また、憲法と法律が違憲違法行為を行う公的武力を含む公私の個人と集団に対して後者がそれに固有の権力を発動することを正当化する必要がありそれは可能である。例えば、警察や軍が自らまたは他によって暴走しても、後者がそれらへのカネ、電気、ガス、水道、通信手段、情報…などの供給を停止すればそれらは弱体化する。公的武力もそれらを確保するために必死だろうが、その必死さを増長することこそ暴走を起こしにくくする。また、後者が公的武力を掌握する文民、つまり、前述の委員会や法の支配議院そのものを抑制する必要がありそれは可能である。例えば、それらが警察や軍を乱用する場合は、後者は預かっていたそれらのカネを停止することもできる。
  また、従来の民主制、三権分立制、法の支配という権力とサービスまたは認可の停止または停止を暗示するという権力のような異質な権力が互いを邪魔せず効率的に公的武力を抑制する必要がありそれは可能である。
  それらが公的武力に対する「二重」の文民支配である。

従来の大統領や首相への権力の集中の解消

  繰り返すが、そもそも警察と軍という公的武力と外交部門を含む行政権のすべてが大統領や首相という長官に集中していたことが間違いだった。この分立によって警察と軍と外交部門の一部が法の支配系に編入され、行政権のそれ以外の部分が人の支配系に編入され、前者が法の支配議院の委員会によって管理され、後者が一般市民によって直接的または間接的に選挙される個人または集団、つまり、人の支配系の行政権の部分の長官によって管理されることによって、その集中は是正される。この従来の大統領や首相の解体は彼らが主導してきた侵略戦争、長官の独裁、専制への暴走、全体破壊手段の研究、開発、保持…などを減退させることができる。

国益のための戦争の予防

  従来の制度では、戦争を始める権限は従来の大統領または首相に集中していた。それに対して、この分立によって、その権限があるとすれば、法の支配系の中の法の支配系議院の中にある。人の支配系のいかなるものも戦争を始める権威をもたない。しかも、法の支配系がその権限をもつとしても、それは憲法と法と国際法に基づき、防衛に限定される。この系にとって国益追及に意味はなく、まして、国益のために戦争を始める意味はない。
  国益は社会権の保障のためにあり、国益のために外交を展開することは社会権を保障する人の支配系の義務である。この分立の中では、この系は軍の指揮権をもたず、戦争を始める権限も防衛する権限もそれらに係る外交を展開する権限ももたない。このことによって国益のための戦争はかなりの程度まで予防される。

法の支配系の暴走の予防

  法の支配系は厳格な民主制と権力分立制と法の支配の下にあり、その内部の公的武力も文官も最も暴走しにくい。それでもそのような暴走が生じたときは、社会権を保障する人の支配系が提供してきたサービスまたは認可と預かっていたカネを停止するまたは停止を予告するというそれに固有の権力をもって前者を抑制する必要がある。それは国家権力がそれらの二つの系に分立しているときに可能になる。

国家権力の市民と公務員にとっての明確さと効率性の増大と公的経費と税金の減少

  国家権力の過度の分立は市民と公務員にとっての国家権力の明確さを低下させ、民主制と権力分立制に混乱を生じる。また、国家権力を過度に分立することは、その効率を低下させ、公的経費と税金の増大につながる。特に過度に分立された行政権は明確さと効率を低下させ経費と税金を増大させる。
  だが、自由権、政治的権利、民主制、法の支配、全般的生存権を擁護するためには厳格な法の支配が機能する必要がある。それはこの分立において法の支配系においてである。
  それに対して、人の支配系では厳格なそれらは機能する必要はない。それどころか人の支配系の行政権の部分は一つの機構になってもよい。そのような一つの機構になってもよいようなものが従来は細分化され、明確さと効率を低下させ経費と税金を増大させていたのである。

構築、解消、拡大、縮小、抑制、促進の重点を明確にすること

  民主制、権力分立制、法の支配が構築されておらず、自由権が擁護されていない国家においては、まず、市民は独裁的制度を解消し法の支配系を構築し、構築後も油断をせずそれを抑制する必要がある。社会権があまり保障されていない国家においては、市民は人の支配系を構築し促進する必要がある。人の支配系が拡大し過ぎて税負担が大きい国家においては、市民はその系を縮小する必要がある。
  いくつかの国家のいくつかの政党と財界では、行政権の肥大化、公的経費と税金の増大、政府による規制の過多…などが批判され、「小さな政府」を求める動きは根強い。また、それらといくつかの経済学派の両方で「市場経済」を重視する傾向は根強い。公的経費と税金の増大の主因は社会権を保障する系の肥大化にある。そのような部分を縮小する必要があるとして、効果的に縮小するためには国家権力が自由権を保障する系と社会権を保障する系に分立する必要がある。
  だが、軍の経費の増大も公的経費と税金の増大の原因の一つである。だが、社会権の保障と狭義の安全保障は全く別に議論され処理される必要がある。それらを別に議論し処理するためにも、国家権力が自由権と民主的分立的制度を保障する部分と社会権を保障する部分に分立する必要がある。
  そのように国家権力が自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立しているとき、構築、解消、拡大、縮小、抑制、促進の重点が明らかになる。

適材適所

  自由権を擁護する法の支配系の人材としては厳格な人が適している。それに対して社会権を保障する人の支配系の人材としては臨機応変な人が適している。上の階級に行けば行くほどそれらのことが言える。階級が人々によって選挙されるようなもの、例えば、立法権の議員であるとき、それらのことが最も言える。
  市民は、自由に選挙すべきだが、それらの適性に基づいて選挙するのも自由である。国家権力をそれらの系に分立するとき、適材が適所に選出される可能性は大きくなる。

全体破壊手段を含む高度な科学技術による破壊的手段の全廃と予防

  第二次世界大戦後の大国による核兵器の研究、開発、保持を主導したのはいわゆる「軍産複合体」であり、実質的には政治家と官僚と公私の企業と科学者と技術者と公私の研究機関の複合体だった。そのような複合体を解消すれば、核兵器と不変遺伝子手段という全体破壊手段を含む高度な科学技術による破壊的手段を研究、開発することは困難になる。
  国家権力が自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立されるとき、軍は前者に掌握され、他は後者に管理され、軍産複合体は解消する。さらに、厳格になった法の支配系が含む警察と検察の厳格な捜査と告訴によって、軍と人の支配系と公私の企業と科学者、技術者、公私の研究機関によるそれらの研究、開発とそれらの癒着と汚職が困難になる。さらに、万が一、法の支配系の文民がそれをしようとするときは、人の支配系が前述のそれに固有の権力によってそれらの研究と開発に要する資源と人材と科学技術を停止することができる。そのようにして、国家権力をそれらの二つの系に分立し軍産複合体を解消することによって何者かが全体破壊手段を研究し開発し保持することが相当困難になる。

参考文献

生存と自由

生存と自由の詳細

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