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それぞれの国家権力を自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立すること(日本語訳)

基本的な言葉

これらの著作

  この『それぞれの国家権力を自由権を保障する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立すること』を「この著作」とも呼び、この著作と『生存と自由』と『生存と自由の詳細』と『感覚とイメージの想起―記憶をもつ動物の心理学』と『自我とそれらの傾向―自我をもつ動物の心理学』と『悪循環に陥る傾向への直面―習性をもつ動物の心理学』と『特定のものと一般のもの』を「これらの著作」とも呼ぶことにする。

憲法

  国家においてすべての法が基づくべき基本的な法は「憲法」「基本法」…などと呼ばれる。表現を統一しないと誤解を生じる恐れがある。だから、これらの著作ではそれを憲法と呼ぶことにする。

自由権

  個人が意識的機能を自我の思うままに生じることを「自由」と呼べる。自由のうち、憲法によって認められる必要があるものを「自由権」と呼べる。
  現代ではほとんどすべての国家で、生命、身体の自由、思想、言論の自由、私有財産、契約の自由などが憲法で規定されている。だが、それらが単に憲法で規定されているだけではそれらが実際に擁護されるまたは保障されることはない。そもそも、一般に憲法が必要なことを規定し不必要なことを規定せず、そのような憲法が守られるためには、権力の暴走を予防する必要があり、そのためには民主制、権力分立制などの権力を抑制する制度が整備されている必要がある。さらに、憲法はそれらの制度の規定を含む必要がある。
  他のいくつかの個人または集団が個人の自由権が含む意識的機能が生じることを妨げることをそれらによる個人の自由権の「侵害」、それらが個人の自由権を侵害することと呼べる。
  侵害に対して、他のいくつかの個人または集団が個人の自由権が侵害されないようにすることをそれらによる個人の自由権の「擁護」、それらが個人の自由権を擁護することと呼べる。

権力

  他のいくつかの個人または集団、それらの機能、手段を直接的または間接的に破壊または抑制または促進する能力をもつ個人または集団、それらの機能、手段を「権力」と呼べる。それらを直接的物理的に破壊または抑制する能力をもつ権力を「武力」と呼べる。武力は権力に含まれる。いくつかの権力は自由権を侵害する能力をもつ。武力は自由権を直接的物理的に侵害する能力をもつ。
  だが、いくつかの権力は、自由権を侵害する能力をもつだけでなく、他のいくつかの権力が自由権を侵害することを抑制することによって自由権を擁護する能力をもつ。武力は、自由権を侵害する能力をもつだけでなく、他のいくつかの権力が自由権を侵害することを抑制することによって直接的物理的に自由権を擁護する能力をもつ。例えば、武力は暴力が生命、身体の自由を侵害することを抑制することによってをそれらを擁護する可能性をもつ。
  さらに、いくつかの権力が自由権を侵害または擁護する能力をもつだけでなく、他のいくつかの権力は後述する社会権を保障する能力をもつ。例えば、行政権は社会資本を改善し福祉を推進することによって人間の生活と健康を促進する能力をもつ。
  また、権力は、人間の権利を侵害または擁護または保障するだけでなく、他の生物と自然を破壊または保全する能力をもつ。例えば、行政権は、公共事業を乱発することによって自然を破壊し、自然破壊を規制することによって自然を保全する能力をもつ。また、武力は人間だけでなく他の生物を直接的物理的に殺傷する能力をもつ。

国家権力

  人間の権利を擁護または保障するために存在、機能する必要がある権力を「公権力」と呼べる。国家権力、立法権、行政権、司法権、地方行政権、地方立法権、警察、軍…などが公権力である。また、人間の権利を擁護または保障するために存在、機能する必要がある武力を「公的武力」と呼べる。また、公的武力を含む必要があり、少なくとも立法権、行政権、司法権の三権に分立する必要がある公権力の複合体を「国家権力」と呼べる。また、国家権力とそれが人権を擁護または保障するべき人間と一定の境界の中の他の生物と土地を含む自然を「国家」と呼べる。

政治的権利

  個人が国家権力を含む公権力とそれらの法と制度と機構と機能に対して投票、言論、調査、訴訟…などを通じて直接的または間接的に影響を及ぼす権利を「政治的権利」または「民主的権利」と呼べる。
  政治的権利は権利全般を擁護または保障し、民主制、権力分立制、法の支配を維持または拡充する手段でもある。
  政治的権利は民主制の構成要素とも見なせる。だから、政治的権利と言う言葉を用いなくても、民主制は制度だけでなくそれらの権利を含むことにする。

国家権力の自由権を侵害し擁護する部分

  他の権力以上に、国家権力のいくつかの部分は自由権を侵害する能力をもち、公的武力は自由権を直接的物理的に侵害する能力をもつ。国家権力には自由権を侵害する能力をもつ部分が存在する。それを「国家権力の自由権を侵害する部分」とも呼ぶことにする。
  だが、国家権力のいくつかの部分は自由権を侵害する他のいくつかの権力を抑制することによって自由権を擁護する能力をもち、公的武力は自由権を侵害する他のいくつかの権力を抑制することによって自由権を直接的物理的に擁護する能力をもつ。国家権力には自由権を擁護する部分が存在する。それを「国家権力の自由権を擁護する部分」とも呼べる。
  最も重要なことだが、国家権力の自由権を侵害する部分と自由権を擁護する部分とはほとんど同一である。例えば、全く同じ警察、軍が平時に出動して個人に機能することによって自由権を侵害することも、戦時に出動して自由権を侵害する暴力を抑制することによって自由権を擁護することもできる。また、独立が保障されているなら、司法権は自由権を擁護することが多く、独立が保障されていないなら、それは自由権を侵害することが多い。比喩的に言えば、表裏一体、両刃の剣である。ほとんど同一である国家権力の自由権を侵害する部分と擁護する部分を「国家権力の自由権を侵害し擁護する部分とも呼ぶことにする。だが、「侵害し擁護する」という言葉をいつも用いていると、文章が煩雑になる。だから、それを「国家権力の自由権を擁護する部分」と呼ぶことにする。だが、それが自由権を侵害する部分を含むことを強調する必要があるときは、国家権力の自由権を侵害し擁護する部分という言葉を用いることにする。
  ところで、国家権力は、民主制と三権分立制の実現以前から、犯罪と刑罰を法で規定し、裁判を行い無罪か有罪かと有罪のときの刑罰を決定し、刑罰を執行してきた。犯罪の多くは自由権を侵害することである。意図したものではないが結果的に、犯罪を法で規定し裁判を行い刑罰を執行することは、私権力が自由権を侵害することを国家権力に抑制させる機能をある程度、果たしてきた。また、それらはある程度、国家権力を部分的にせよ法で縛り、国家権力の自由権を侵害する部分を抑制する機能を果たしてきた。繰り返すが、ある程度はである。
  だが、それだけでは積極的に自由権を擁護することができない。そこで、人間は、主として18世紀以降に、主として西欧と北米で、主として自由権を擁護するために、自由権、政治的権利、民主制、三権分立制、法の支配…を実現してきた。
  民主制は市民が比較的直接的に国家権力を抑制する制度である。それに対して、三権分立制は国家権力を立法権、行政権、司法権に分立し、それらを互いに抑制させる制度である。

国家権力の社会権を保障する部分

  だが、もちろん、人間は自由を追求するだけではなく生存を、少なくとも最低限度の生活を追求する。簡単に言って、自由より生命と健康のほうが重大である。社会権の認識と追求以前から、経済的不平等、経済の矛盾…などはあり、個人と集団は最低限度の生活を追求してきた。
  だが、言論の自由、政治的権利…などがなければ、市民は最低限度の生活を要求することもできない。自由権、政治的権利、民主制、三権分立制をある程度、整備した後で、個人と集団は最低限度の生活を要求することができるようになった。また、科学技術の急速な発達の始まりと産業革命によって経済的不平等と資本主義経済の矛盾が鮮明になった後で、最低限度の生活を強く明確に要求するようになった。
  だが、私有財産の自由と契約の自由の名の下に、資本をもつものは資本と資本をもたないものを駆使して資本を蓄積する。企業が競争すのも自由だが妥協するのも自由であって、妥協は独占を生み独占は「見えざる手」を麻痺させて不況、失業などを生じる。それらのように、自由権、政治的権利、民主制、三権分立制…などを整備するだけでは、依然として経済的不平等と資本主義経済の矛盾が存在し、多くの個人は劣悪な生活を余儀なくされる。
  そこで、市民は生存権や労働者の諸権利を主張し法で規定し、国家権力の福祉を推進する財力と人力を拡大し、企業そのものとそれらの関係を規制する権限、労使間の関係を規制する権限を拡大してきた。
  また、資本主義は企業間の経済的競争だけでなく、個人の間の社会的競争も重視するが、効果的な競争が行われるのは子供たちに均等な教育が与えられ青年たちが等しいスタートラインに立ってのことである。そこで、市民は子供たちに最低限度の教育を国家権力に提供させてきた。
  さらに時は進むが、二十世紀後半以降、企業と人間の日常生活の拡大による自然の破壊がますます露呈し、人間の生命と健康を障害してきた。そこで、人間は国家権力に自然破壊を規制させてきた。
  個人と集団が国家権力に生存、健康、最低限度の生活、労働、教育…などを維持または促進させる権利を「社会権」と呼べる。また、国家権力がそれらを維持または促進することを国家権力による社会権の「保障」または国家権力が社会権を保障することと呼べる。
  それらのように、国家権力には社会権を保障する可能性をもつ部分が存在する。この部分は企業とそれらの関係と労使関係を規制し調整する権限、社会資本を建設し維持する財力と人力、福祉を推進する財力と人力、子供たちに最低限の教育を提供する財力と人力、自然破壊を規制する権限…などから構成される。国家権力の社会権を保障する可能性をもつ部分を「国家権力の社会権を保障する部分」、社会権を保障する部分と呼べる。

自由権と社会権の対照

  自由権と社会権は対照的な権利であり、国家権力の自由権を侵害し擁護する部分と社会権を保障する部分は対照的な部分である。
  国家権力の自由権を侵害し擁護する部分は自由権を侵害する権力を抑制することによって自由権を擁護する。この部分が違憲違法行為を何ら行っていない個人を抑制するとすれば、それはこの部分による自由権の侵害である。自由権を侵害するにせよ擁護するにせよ、この部分は個人の身体、機能、手段を抑制する。その意味でこの部分は消極的で受動的な権力である。それに対して、社会権を保障する部分の機能は個人と集団の身体、機能、手段、例えば、生活、健康、知識、技能、住宅、道路、港湾を促進することである。そのためにはこの部分は企業、労使関係、福祉、教育から自然に至る様々なものを促進または抑制する必要がある。その意味で、この部分は積極的で能動的で包括的である。
  極論になるが、自由権を侵害し擁護する部分が積極的に機能するとき自由権は侵害される。それに対して、社会権を保障する部分が積極的に機能するとき社会権が保障される。自由権を擁護する部分が怠けているとき、自由権は擁護される。それに対して、社会権を保障する部分が怠けているとき、社会権は保障されない。自由権が擁護されるためには国家権力の自由権を侵害し擁護する部分が抑制される必要がある。それに対して、社会権が保障されるためには国家権力の社会権を保障する部分が促進される必要がある。
  それらの区別の鍵は以下のとおりである。個人の存在と機能が権力によって抑制される可能性をもち、国家権力のいくつかの部分がそれらを抑制する権力を抑制することによって、それらが抑制される可能性が小さくなるとき、個人がそのような存在と機能を求めることは自由権である。それに対して、個人または集団の存在と機能が権力なしでは維持または促進される可能性がほとんどなく、国家権力が何かをすることによって、その維持または促進される可能性が大きくなるとき、個人または集団がそのような存在と機能を求めることは社会権である。例えば、同じ生命を求めることさえ自由権か社会権かのいずれか一つでありえる。個人の生命が、他の個人や集団の暴力によって侵されかけており、行政権がその暴力を抑えることによって生命が守られるとき、そのような生命を求めることは自由権、より詳細には生命身体の自由である。それに対して、家族の生命が、食糧と水の欠乏によって危うい状態にあり、行政権がそれらを供給することによって救われるとき、そのような生命を求めることは社会権、より詳細には狭義の生存権である。

権利の擁護または保障のための自由権の制限

  伝統的な犯罪の多くは公私権力による暴力、威嚇、窃盗、詐欺…などによる自由権の侵害ともとらえられる。例えば、殺人、傷害は生命身体の自由の侵害、窃盗、詐欺は私有財産の自由、契約の自由の侵害と見なせる。だが、犯罪と刑罰の概念と慣行は自由権の主張の始まり以前から何世紀もあったのである。また、自由権の主張は令状の必要や上訴の権利…などを含んでいたが、それらは三権分立制と法の支配を損なうのではなくそれらを改善してきた。また、最初の自由権の主張は私的権力ではなく国家権力からの自由に集中してきた。民主制と三権分立制と法の支配が厳格ならば、それらは国家権力をかなり抑制でき、国家権力による自由権の侵害をかなり抑制できる。だから、それらが厳格である限り、それらと犯罪と刑罰の概念と慣行と自由権は必ずしも矛盾しない。
  だが、犯罪の概念が権力の保持者によって曖昧にされ拡大され、犯罪の抑止の名のもとに市民の権利が侵害される可能性は残る。だから、犯罪を公私権力による権利の侵害と定義し直したほうがよい。例えば、大統領や首相への襲撃もそれらの生命・身体の自由という自由権の侵害ととらえられ、それらが直接的または間接的に市民によって選出された限りにおいて、市民の政治的権利の擁護ととらえられる。
  とすれば、残る問題はいくつかの権利同志のせめぎ合いである。言論表現の自由と子供の教育とのせめぎ合いについては、自由権と社会権とのものであり、後の節で述べる。
  前述のとおり、犯罪を権利の侵害と定義すれば、犯罪の容疑者が捜査され逮捕され拘留され、裁判過程にかけられ、有罪者が刑罰を課せられるのは権利の擁護または保障のための身体の自由という自由権の制限ととらえられる。ここでも、彼または彼女らの思想、言論…等の自由は制限されない。簡単に言って、彼または彼女らは取り調べ、裁判…などのすべての過程でで何を言ってもよいし何も言わなくてもよい。
  言論表現の自由と名誉棄損、プライバシーの侵害のせめぎ合いについて、一般市民の名誉とプライバシーは従来より擁護されるべきだが、政治家、公務員と経済的社会的権威のそれらについてはどうだろうか。
  そもそも、自由権、特に言論の自由は私権力や一般市民からのものではなく公権力、特に国家権力からのものとして始まった。当時の観点からすれば、言論の自由が一般市民に向けられることがおかしなことである。だから、一般市民に関する限りで、言論の自由より名誉棄損の予防とプライバシーの保護が優先されてもかまわない。また、公務員についても、重責のない一般の公務員は一般の市民と同様に扱われてかまわない。それに対して、行政権の長官、行政権の部門の長官、立法権の議員、それらを目指す政治家、官僚の幹部、司法権の裁判官については、それらの私生活や人格もそれらの選考または昇進の際に考慮される必要がある。また、それらは名誉棄損やプライバシーの侵害を名目として権力を乱用し一般市民を弾圧しかねない。それらのことから、それらに関する言論表現の自由は完全な自由であり、それは憲法で明確に規定される必要がある。
  また、軍と警察を含む行政権の政策、政令、実際の機能、慣習法、成文法、憲法、国際法、立法権の機能、司法権の機能、地方自治体の機能、政治的制度全般についての一般市民の言論と表現は完全な自由である必要があり、言論と表現の自由にいかなる制限もかけられてはならない。それは憲法で明確に規定される必要がある。例えば、専制に対する批判だけでなく民主制に対する批判さえも自由である必要がある。そのような批判は民主制の発展のために必要である。

社会系の保障のための自由権の制限

  既に二十世紀の前半に狭義の生存権と労働者の権利などの社会権の保障のためには、私有財産の自由と契約の自由などの自由権は制限されていた。さらに、二十世紀後半以降は、社会権の保障のために制限される自由権が広がっている。例えば、子供の教育のためには、大人向けの映像などの表現の自由が制限される。また、自然保全のためには私有財産の自由と契約の自由が制限される。また、伝染病の蔓延の予防のためには感染者は隔離されることがあり、身体の自由が制限される。

いかなるもののためにも制限される必要のない自由権

  ここで、自由権の擁護のためにも社会権の保障のためにもいかなる権利やもののためにも制限される必要のない自由権を確認しまとめておいたほうがよい。それは以下のとおりになる。

生命の自由
思考、情動などの純粋精神的機能の自由、例えば、思想、信条、信仰の自由
行政権の長官、行政権の部門の長官、立法権の議員、それらを目指す政治家、官僚の幹部、司法権の裁判官、軍と警察を含む行政権の政策、政令、実際の機能、慣習法、成文法、憲法、国際法、立法権の機能、司法権の機能、地方自治体の機能、政治的制度全般についてのに関する言論表現の自由

その他の自由権については条件付きでの自由となり、一定の条件で制限される。
  それらのいかなるもののためにも制限されない自由権とその他の自由権とそれらが制限される条件は憲法で明記される必要がある。さらに、それらの詳細が立法権で法制化される必要があり、司法権で同定される必要がある。そのように自由権に関する限りで、厳格であり一抹の曖昧さも残さないほうがよい。

全般的生存権

  『わたしたちの生存ネット』で説明されたとおり、自己と家族の死を含む生物の絶滅と多大な苦痛があることに対する不安と恐怖という苦痛をもって、苦痛をできる限り全般的に減退させつつ、全体破壊手段を全廃し予防して地球や太陽の老化や死滅のときまで人間を含む生物を生存させる権利を「全般的生存権」と呼べる。この権利の核心は『生存と自由』の文脈の中でしか説明されえない。それを是非お読みいただきたい。それを保障する方法はこの著作でも説明する。
  ここで重要な発見を述べる。前述のとおり、自由権の一部が自由権の擁護または社会権の保障のために制限されえたのに対して、全般的生存権の保障のためには自由権や社会権やいかなるものも制限されない。例えば、全般的生存権の保障のためには核兵器や不変遺伝子手段が全廃予防されなければならず、また、戦争が予防されなければならないが、それらの廃止と予防のために自由権も社会権もいかなるものも犠牲になる必要がない。
  『生存と自由』で説明された通り、全体破壊手段を全廃予防し、できる限り全般的に苦痛を減退させるためにも、つまり、全般的生存権を保障するためにも、自由権、社会権、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配を拡充する必要がある。だから、この著作はそれらの拡充にほとんどの部分を割く。

国家権力の社会権からの逸脱

  前述のとおり、自由権と社会権の保障のためには一部の自由権が一定の条件の下に制限される。そのような状況では、国家権力が社会権の保障や公共の福祉のような目的を誇示し、いかなる目的のためにも制限される必要のない自由権を侵害し、条件付きで制限されるえる自由権の条件を曖昧にする可能性がある。さらに、自由権全般、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配を損傷して、独裁、専制…などに走る可能性がある。そのようなことは二十世紀に独裁、従来の共産主義、全体主義などとして経験された。
  だが、わたしたちは階級闘争、経済的不平等、資本主義経済の矛盾…などを解決したわけではない。共産主義、社会主義…などの再興はありえ、それらの一部は必要である。だが、それらが必要であるとしても、国家権力の社会権を保障する部分においてであり、自由権を擁護する部分では必要ないだけでなく不適切である。後者の部分に対しては厳格な自由権、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配が機能する必要がある。
  また、今後は自然の保全や地球の生物や人間の全体の生存…などを名目に掲げる全体主義のようなものが出現する可能性がある。だが、『生存と自由』で説明されたとおり、そのような全体主義はわたしたちの生存と全般的生存権の保障のために決してならず、専制、独裁、全体主義…などは何のためにも排除されなければならない。
  国家権力が、社会権の保障、自然の保全、生物または人間の全体の生存の保障…などの目的を掲げることによって自由権、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配を制限し侵害することを国家権力の社会権からの「逸脱」、国家権力が社会権から逸脱することと呼べる。

国家権力の自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系への分立

機能と機構の区別

  国家権力の機能と機構は区別される。例えば、立法そのもの、行政そのもの、司法そのものは機能である。また、それらの間の相互抑制も協力も機能である。また、自由権の擁護も社会権の保障も機能である。それに対して、立法権の中の議院、委員会、行政権の中の省庁、部署、軍、警察、それらの中の部隊、司法権の中の裁判所は機構である。市民にとっては結果的に国家権力が機能すればよい。だが、なんらかの機構をある程度、構成しなければ、国家権力は機能しない。そこでは、強固または柔軟な機構、独立したまたは従属的な機構、直接的または間接的に市民によって選出されたまたは非選出の機構がありえる。例えば、軍は文民たる行政権の長官に従属する強固な機構であるべきとされる。選出について、すべての公的機構の構成員が選出されることが理想だろうが、それは不可能なことである。だが、議員または大統領が直接的に選出され、それらが直接的または間接的に他の公務員を指名する以上、すべての公的機構が形式的に直接的または間接的に選出されていると考えることも不可能ではない。
  だが、繰り返すが、誰にとっても国家権力がどのように機能するかが問題なのであり、機構は機能のためにある。国家権力を改善するためには、それを機構より機能に重点をおいて調べ、機能のために機構を再編する必要がある。
  今まで見てきたところでは、国家権力の自由権を擁護する機能と社会権を保障する機能の間に断層が存在しそうである。まず、国家権力の自由権を擁護する機能と社会権を保障する機能を区別してみよう。
  ところで、三権分立制は、立法権と行政権と司法権が分立して互いを抑制する、一つの国家権力の分立制である。それらの三権のそれぞれの中でも自由権を擁護する機能と機構と社会権を擁護する機能と機構の四つを区別する必要がある。

国家権力の自由権を擁護する機能

  前述のとおり、国家権力の自由権を侵害する部分と擁護する部分はほとんど同一である。ほとんど同一であるそれらを「国家権力の自由権を侵害し擁護する部分」と呼べる。だが、「侵害し擁護する」という言葉をいつも用いていると、文章が煩雑になる。だから、それを「国家権力の自由権を擁護する部分」とも呼ぶことにした。だが、後者が、前者と同一であり、自由権を侵害する部分を含むことを忘れないでいただきたい。それらのことは国家権力の自由権を擁護する機能、機構…などについても同様である。
  憲法が、自由権を規定し、その擁護のために必要な政治的権利、民主制、三権分立制、法の支配を規定し、公的武力の警察と軍への分立と、それらの機能の自由権、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配、全般的生存権の擁護への限定と、それらを行政権の文官が監督し抑制する方法を規定し、行政権を立法権と司法権が抑制する方法を規定する必要がありそれは可能である。
  立法権が、憲法で規定されたことの詳細を法律で規定する必要がありそれは可能である。また、自由権、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配、全般的生存権の侵害を犯罪として法律で規定し、有罪のときの刑罰を規定する必要がありそれは可能である。
  憲法と法に基づいて行政権の文官が、警察と軍を監督し抑制する必要がありそれはある程度、可能である。行政権の文官らに監督され抑制された検察と警察が、憲法と法に基づいて、容疑者を捜査し(逮捕し)取り調べ告訴する必要がありそれはある程度、可能である。行政権の文官らに監督され抑制された軍が国外からの公私の武力の侵入を防ぐ必要がありそれはある程度、可能である。さらに、立法権と行政権が、憲法と法律に基づいて、行政権の長官または文官または武官による公的武力の乱用を防ぐ必要がありそれはある程度、可能である。
  司法権が、憲法と法に基づいて、開廷し裁判を主導し、無罪または有罪と刑罰を決定する必要がありそれは可能である。
  行政権が、憲法と法と司法権の決定に基づいて、刑罰を執行する必要がありそれは可能である。
  前述のとおり、自由権を侵害する他の武力を抑制することによって自由権を直接的に擁護することができるものは武力である。国家権力の中で、自由権を侵害する他の武力を抑制することによって自由権を最も直接的に擁護することができるものは公的武力である。
  だが、少なくともそれぞれの国家の中のすべての権力のうちで、公的武力は自由権を侵害する直接的で最強の権力である。さらに、公的武力は自由権を直接的に侵害するだけでなく、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配を間接的に侵害し、独裁、専制…などに走ることがある。
  それらを予防するためには、公的武力が少なくとも警察と軍に分立され、国内で発生する私的公的暴力と国外から侵入する私的暴力への対処を警察に、国外から侵入する公的または大規模な暴力への対処を軍に割り当てる必要がありそれはある程度、可能である。そうすれば巨大な権力を二分できる。また、警察の機能を犯罪容疑者の捜査、(逮捕)、取り調べ、犯罪の予防、災害時の救援、人的災害の予防に、軍の機能を国家の防衛、集団安全保障、大規模災害時の救援、人的大規模災害の予防に制限する必要がある。警察と軍をそれらの機能に制限するためには、憲法がそれらの機能を規定し、立法権がそれらの詳細を規定する必要がありそれは可能である。また、行政権の長官と警察と軍の長官がそれらの規定を順守させ、それらに監督された警察が、上司であろうが同僚であろうが、それらのうちのそれらの規定の越権の容疑者を捜査し(逮捕し)取り調べ公訴しする必要がありそれはある程度、可能である。また、警察が軍の越権さえも捜査し(逮捕し)取り調べ公訴しする必要がありそれはある程度、可能である。
  だが、行政権の文官や立法権のいくつかの党派が公的武力を完全に掌握し乱用して、自由権、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配を侵害し、独裁や専制に暴走することがある。それを防ぐためには、一般市民が民主制、特に選挙によって行政権の長官と立法権の議員を抑制し、三権分立制と法の支配の中でそれらの二権と司法権が相互抑制する必要があり、それはある程度、可能である。
  前述のとおり、人間は「犯罪」と刑罰を法で規定し裁判を行い無罪または有罪と有罪の場合の刑罰を決定し刑罰を執行してきた。犯罪の多くは私的権力が自由権を侵害することであり、それらの過程は自由権を擁護する機能もある程度、もっていた。だが、厳格な民主制、三権分立制、法の支配が機能しないなら、その過程において自由権はむしろ侵害されることがある。さらに、国家権力の保持者はその過程を自由権、政治的権利などを侵害し、独裁、専制…などに暴走するために乱用する。例えば、体制に反対する者の思想言論の自由や生命身体の自由をその過程を乱用することによって侵害する。それらを防ぐためには厳格な民主制と三権分立制と法の支配がその裁判過程に機能する必要がありそれはある程度、可能である。
  以上のことから、国家権力の自由権を擁護する機能は、厳格な民主制、三権分立制、法の支配と、厳格なそれらの制度によって抑制される警察と軍の機能と、厳格なそれらの制度の中にある裁判過程である。国家権力の自由権を擁護する機能においては、厳格な民主制、三権分立制、法の支配が機能し、厳格なそれらに抑制され警察と軍が機能し、厳格なそれらの中で裁判過程が機能する必要がありそれはある程度、可能である。

自由権を擁護する機能において機能する必要がある民主制

  厳格な三権分立制と法の支配については多くを説明するまでもないと思う。厳格な民主制については説明する必要があると思う。
  一般に厳格な民主制というと、選挙に不正のないこと、公私間に贈収賄のないこと…などを意味する。だが、これらの著作ではそれは以下も意味することにする。
  自由権を擁護する機能においては、公務員は公正で厳格である必要がある。彼らがそうでなければならないのは特に権力に対してである。例えば、部下の小さな不正は見逃しても上司の大きな不正は見逃さないというような人たちが最高の公務員である。彼らに複雑で高度な政策立案能力は必要ない。この自由権を擁護する機能における民主制は一般市民がそのような公正さと厳格さをもつ公務員を直接的にも間接的にも選べるものである必要がある。選挙制度については、自由権を擁護する機能に関する限りで、小選挙区制を採用し、比例代表制は採用せず、政党をできるだけ排除する必要があるだろう。厳格な民主制という言葉は公正で厳格な公務員を直接的にも間接的にも選出できる制度も意味することにする。

自由権と民主的分立的制度を擁護する法の支配機能

  だが、自由権だけでなく、政治的権利、民主制そのもの、権力分立制そのもの、法の支配そのもの、全般的生存権を守るためにも、厳格な民主制、権力分立制、法の支配が機能し、それらの厳格な制度に抑制された公的武力が機能し、それらの厳格な制度の中での裁判過程が機能する必要がありそれはある程度、可能である。自由権を擁護する機能とそれらの権利と制度を守るための機能は大部分で重なる。言い方を替えれば、厳格な民主制、権力分立制、法の支配にはそれら自身を守る機能がある。
  そもそも、それらの権利と制度は直接的には三権の文官、報道機関、インターネットの管理者、一般市民の自由権、特に生命・身体の自由と思想・言論の自由が侵害されることによって侵害されえる。通常は生命・身体の自由を侵害を暗示する威嚇によって侵害される。だから、それらは自由権と同様に、武力、特に公的武力によって侵害されることが多く、公的武力を掌握し乱用する文官によって侵害されることも多い。だから、それらの権利と制度が守られるためには、厳格な民主制、権力分立制、法の支配が公的武力と公的武力を乱用しうる文官を抑制する必要がありそれはある程度、可能である。
  だが、それらが守られるためには、三権の文官の自由権が公私の暴力または内外の暴力によって侵害されることを防ぐ必要もある。それらの文官の自由権がそれらの暴力によって侵害することを直接的に防ぐことができるものはやはり公的武力でしかない。だから、それらが守られるためにはやはり、厳格な民主制、権力分立制、法の支配によって抑制される公的武力が機能する必要がある。
  また、それらの権利と制度が守られるためには、立法権による違憲立法、行政権の長官や立法権の議員を含む公務員による違憲違法行為、彼らの選挙における違憲違法行為が公平で厳格な裁判過程にかけられなければならない。そのためには司法権がかなり独立している必要があり、厳格な三権分立制と法の支配が機能する必要がある。
  また、後述するとおり、全般的生存権が保障されるためには、まずそれぞれの国家の中でそれらの厳格な制度が機能する必要がある。
  そのように、自由権、政治的権利、民主制そのもの、三権分立制そのもの、法の支配そのもの、全般的生存権を擁護する機能は大部分で重なる。大部分で重なるそれらを擁護する機能を、自由権または民主的分立的制度または法の支配という言葉がそれらを代表して、「自由権と民主的分立的制度を擁護する法の支配機能」、自由権を擁護する法の支配機能、法の支配機能、自由権を擁護する機能と呼べる。つまり、自由権を擁護する機能という言葉を使う場合も、それらのすべてを擁護する機能を意味する。そのことを忘れないで頂きたい。

いくつかの例

  例えば、仮にプラトンの「国家」における「哲人王」のような者が出現し、その者が国民の絶大な支持を得ているとしても、その者には厳格な民主制と三権分立制と法の支配が機能する必要がある。それは特に以下の理由による。そのような鉄人王が何代も出現するわけがない。仮に鉄人王が善政を敷くとしても、それらの厳格な制度がなければ、その後継者たちは容易に専制、独裁…などへと暴走するからである。だが、哲人王が存在し善政を敷いたなどという証拠は歴史上どこにもなく、そのように見えるのは伝説、つまり、虚構である。だから、一代といえどもそれらの厳格な制度は損なわれてはならない。
  また例えば、民主制が機能するためには、公正な選挙が行われる必要があり、不正な選挙を警察が捜査し、司法権が裁定する必要がある。だが、そのためには司法権と警察が特定の候補者や政党と繋がっていてはならず、それらの相当な独立が必要であり、厳格な民主制、三権分立制、法の支配が機能する必要がある。
  また例えば、民主制が機能するためには、与党に有利な選挙制度変更に対して司法権が違憲立法審査する必要があるが、そのためには司法権の相当な独立が必要であり、厳格な民主制、三権分立制、法の支配が機能する必要がある。
  そのように、それらの厳格な制度にはそれらそのものを守る機能があり、それらが緩むと、それらは崩壊する。

自由権を擁護する法の支配機能と全般的生存権

  全般的生存権の保障、つまり、多大な苦痛をできる限り全般的に減退させつつ全体破壊手段を全廃し予防するためには、それぞれの国家と国際社会または世界と国際または世界機構においてそれらの全廃と予防ための法と制度が整備され厳格に実施される必要がある。それぞれの国家においては全般的生存権の保障は法の支配機能に属する必要がある。第一に、憲法がその国家におけるすべての個人と団体による全体破壊手段の研究、開発、保持、使用、交易を禁じ、国家権力が国際社会または国際または世界機構においてそれらの全廃と予防のために協力することを規定する必要がある。第二に、立法権が法律でそれらを犯罪として禁じ、罰則を規定する必要がある。第三に、検察、警察がそれらを捜査し公訴する必要がある。第四に、司法権がそれらを裁く必要がある。第五に、刑罰が執行される必要がある。そこで特に捜査の対象になるのは軍、行政権の長官、公私研究機関、多国籍企業を含む大企業、それらの国内および国際社会における癒着と腐敗、特にいわゆる軍産複合体である。
  それらのうち、私的団体とそれらと公的機構の癒着と腐敗は主として従来の警察と検察と三権分立制によって抑制されえる。さらに、公的機構は主として従来の三権分立制と後述する分立制の中で抑制されえる。

国家権力の社会権を保障する機能

  自由権を擁護する機能に対して、憲法が社会権とそれを保障する方法を規定する必要がありそれは可能だが、憲法はそれらの詳細を規定することができず、それらの概略しか規定することができない。
  また、立法権はそれらを憲法より詳細に法で規定することができるが、自由権のそれらを規定したように詳細に規定できない。例えば、経済の成長や規制の目標値を法律で定めたところで、その値は数週間または数か月で変化する。また、健康増進の具体的方法を法で定めてみたところで、医学を含む科学技術は進歩し、その方法は数年で変化する。それらの数値と具体的方法は、公務員であれ私人であれ、専門家が科学技術に基づいて臨機応変に割り出し変える必要がありそれは可能である。そのような専門家を含む行政権が社会権の保障のための政策を練り実行する必要がありそれは可能である。
  国家権力の社会権を保障する機能は具体的には、最も必要で大きな機能は、税金とその徴収方法、分配方法、運用方法の立法権への提案、実際の運用、私企業に対する認可または規制、労働者の権利の保障、労使関係の調整、社会資本の建設と維持、福祉の推進、子供たちの教育、自然破壊の規制、それらのすべての機能を研究し実行する科学技術である。行政権がそれらの機能をもつ必要がありそれは可能である。結局、行政権のうちの、公的武力とそれらを監督し抑制する機能と検察を除く大部分が社会権を保障する機能である。
  司法権は行政権が社会権を保障し損なっているとき行政権の責任を指摘することはできるが、それは社会権の保障にとって積極的な機能ではない。また、それは司法権の機能のごく一部に過ぎず、司法権の大部分は自由権、政治的権利…などの擁護に係る。

提供していたサービスまたは認可を停止するまたは停止を暗示するという権力

  だが、個人や企業が規制に従わないとき、社会権を保障する機能はどう対処すればよいのだろうか。それは裁判過程に訴えるという伝統的な手段もとれるのだが、それだけではない。自由権を擁護する機能が公的武力というそれに固有の権力をもつのに対して、国家権力の社会権を保障する機能は提供または認可してきたサービスまたは認可を停止するまたは停止を暗示するというそれに固有の権力をもつ。例えば、企業が規制に従わないとき、それらは企業に出していた営業許可を無効化することができる。さらに、提供していた港湾、水道、ガス、電気、情報…などの供給を停止することができる。個人が福祉を乱用するとき、それらは提供してきた福祉と他のいくつかを停止することができる。そのような無効化または停止は現代社会では十分な制裁であり権力である。そのように社会権を保障する機能は提供していたサービスまたは認可を停止するまたは停止を暗示するというそれに固有の権力をもち、公的武力も裁判もほとんど必要としない。この権力はそれらが社会権を保障してきたことそのものから発生する権力である。
  サービス、認可の停止という権力は武力とは対照的な権力である。後者が機能するときまたは機能することを暗示するとき権力であるのに対して、前者は機能を停止するときまたは停止を暗示するとき権力である。

社会権を保障する機能において機能する必要がある民主制

  公的武力とそれを監督し抑制する機能と検察を除く行政権の大部分が社会権を保障する機能である。社会権を保障する機能においては厳格な公的武力と裁判過程と三権分立制と法の支配は機能する必要がないだけでなく、あまりに厳格なら、それらは不適切である。では、民主制ついてはどうだろうか。
  国家権力の社会権を保障する機能の管理者が政治的または経済的または社会的権力を握る人々によってだけ指名または選出されるのであれば、一般市民の社会権は保障されにくい。だから、これらの機能の管理者は一般市民によって直接的または間接的に選出される必要がある。
  また、従来の共産主義や社会主義の失敗の原因の一つに経済の計画者が党内外の権力闘争に明け暮れ、経済の計画に専念できない、または、経済の計画に優れたものではなく権力闘争に優れたものが計画者になることがあった。プロレタリアートの外部との権力闘争だけでなく、内部の権力闘争がある。プロレタリアートの中にも権力闘争があることを従来の共産主義や社会主義は想定していなかった。選挙も権力闘争の一種であり熾烈だが、それ以外の権力闘争ほど熾烈でない。管理者が権力闘争に明け暮れず、経済の計画に専念でき、それに優れた者が計画者になるためにも民主制が必要である。だが、原因の一つに総生産の少なからぬ部分が冷戦における軍拡に使われたことにあった。だが、軍拡の主要な原因はやはり、党内の官僚制における権力闘争があった。民主制における権力者の選挙はそのような権力闘争全般を軽減する。だから、社会権の保障を含むすべてのために民主制は必要である。
  一般市民は社会権の保障のための専門的知識や技術には乏しい。だが、管理者に選挙を意識させ競争させ、彼らが無能に陥るのを防ぐためには一般市民による少なくとも定期的な選挙が必要である。
  特に社会権を保障する機能においては政治的権力と経済的権力の癒着を防ぐ必要がある。それらを防ぐためにも一般市民による民主制が機能する必要がある。もちろん、そのような癒着に対しては厳格な権力分立制と法の支配が機能する必要がある。そもそも、公務員の違憲違法行為全般に対して、厳格な三権分立制と法の支配が機能する必要がある。
  だが、そのような違憲違法行為を除くと、社会権を保障する機能の管理者は有能で臨機応変である必要がある。また、繰り返すが、自由権、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配、全般的生存権を擁護する方法が詳細に法で規定されえるのに対して、社会権を保障する方法は法で詳細に規定されえず、大分部が行政権の公務員の裁量に委ねられざるをえない。自由権、政治的権利…などの擁護のために機能する必要がある民主制と社会権の保障するために機能する必要がある民主制とは異なる。社会権を保障する機能を担う公務員は公正でなければならないが、それだけでよいというものではない。彼らはそれ以上に科学技術に基づいて状況の中で臨機応変な政策を立て実行する能力をもつ必要がある。だが、一般市民はそのような能力や政策を見抜けないのではないだろうか。
  だが、社会権の保障とは簡単に言えば一般市民の欲求を満たすことである。一般市民が欲求に基づいて社会権を保障する機能の管理者を選挙するのは悪いことではない。
  だが、それでは政府による世論操作、大衆迎合、国際社会における国益の過度の追求…などに至る可能性がある。だが、それらは独裁、専制…などよりマシである。精神的操作は身体的操作、つまり、暴力よりマシである。また、社会権の保障に関する限りで、国際社会や国際機構もある程度、世界の大衆に迎合する必要がある。社会権を保障する機能が大衆迎合に陥るのはときに次善策である。
  だが、それはあくまでも社会権を保障する機能においてだけある。前述の自由権を保障する法の支配機能においてはそうであってはならない。だからこそ、それらの二つの機能の分立が追究される必要があるのである。
  それらのように、人の支配機能に対しては厳格な民主制ではなく「人間的な」民主制が機能する必要がありそれは可能である。

社会権を保障する人の支配機能

  以上のように、公的武力とそれを監督し抑制する機能と検察を除く行政権のそれらの部分、それらの緩やかな三権分立制と法の支配、それらの臨機応変の科学技術、それらのサービスまたは認可の停止または停止を暗示するという権力、それらの人間的な民主制が、社会権を保障する機能であり、それを国家権力の社会権を保障する人の支配機能、社会権を保障する機能、人の支配機能と呼べる。

社会権と全般的生存権

  人の支配機能は社会権を保障するためにそれ自身、科学技術を研究し開発するとともに、公私の研究機関と企業と連携する必要がある。だが、全般的生存権の保障、つまり、全体破壊手段の全廃と予防のためには、それらの手段の研究、開発とそれらとの連携を行ってはならない。そこでは、法の支配機能の抑制を受ける必要がある。そもそも、それは人の支配機能に限らず、また全体破壊手段の研究、開発…などに限らず、すべての人間と集団と違憲違法行為に当てはまることである。
  だが、全体破壊手段を含む兵器の研究、開発と軍拡の指令を最も出しやすいのは、法の支配機能の中の軍とそれを監督する文官である。だが、それらを研究し開発するまたはそれらの研究開発における国家権力と研究機関と企業の複合体を主導できるのは人の支配機能の中の産業と科学技術を促進する部門である。つまり、人の支配機能は全体破壊手段の研究、開発を促進し、全般的生存権を侵害するそれらの機能を含む。裏返せば、以下のことが言える。社会権を保障する機能は全体破壊手段の研究と開発を放棄し、そのような複合体を主導することを放棄し、むしろ規制することによって、全般的生存権を保障する機能を含む。仮に、法の支配系の軍または軍を監督する文官が全体破壊手段の研究と開発を指令したとしても、社会権を保障する機能はその指令を拒絶しそれらの研究と開発をせず、そのような複合体を主導せず規制することができる。さらに、人の支配機能はそのように拒絶したり放棄するだけでなく、それらに提供していたサービスを停止するというそれに固有の権力によって法の支配機能の軍や文官を抑制することができる。例えば、軍やそれらの文官が全体破壊手段の研究開発をしようとしても、人の支配系や研究機関や企業が科学技術や情報や物資を提供しなければ、それらはそれらを開発できない。
  また、暴力や犯罪に対処して苦痛を減じるのは法の支配機能の一つであるのに対して、人間の生活と健康を増進して苦痛を減じるのは人の支配機能の一つである。また、社会権を保障する機能は自然破壊を規制し自然を保全する機能を含む。さらに、国際的暴力に対して経済制裁を実行する機能を含む。
  以上のことから、人の支配機能は社会権だけでなく全般的生存権も保障する機能である。法の支配機能だけでなく人の支配機能も全般的生存権を保障する機能である。また、この権利の保障のためには、法の支配機能と人の支配機能がときに協力するだけでなくときに相互抑制する必要がありそれは可能である。前者が警察、検察と裁判過程という権力をもって後者を抑制でき、後者は協力を拒絶することと提供していたサービスと認可を停止するまたは停止を暗示するという権力によって前者を抑制できる。

国家権力の自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系への分立

  以上のように、国家権力の機能を自由権を擁護する法の支配機能と社会権を保障する人の支配機能の二群に区別することができ、それらの間には明確な断層が認められる。前者は自由権、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配、全般的生存権を擁護する機能であり、厳格な民主制と三権分立制と法の支配が必要で可能で適切な機能であり、最終的には公的武力の行使という権力をもつ。後者は社会権と全般的生存権を保障するための機能であり、厳格な民主制と三権分立制と法の支配は不必要で不可能で不適切であり、臨機応変の行政権が必要で可能で適切であり、人間的な民主制が必要で可能で適切な機能であり、最終的には提供してきたサービスや認可を停止または停止を予告するという権力をもつ。
  それらの二つの群に区別された機能をいくつかの機構に割り当てることができるだろうか。
  自由権を擁護する機能においては厳格な三権分立制が機能する必要があり、それらを一つの機構に付与することは三権分立制を損なう。また、社会権を保障する機能においても、緩い三権分立制が機能する必要があり、それらも一つの機構に付与することはできない。だが、自由権を擁護する機能を厳格に分立した三権を含む一つの機構ではなく系に付与することはできる。また、社会権を保障する機能を緩く分立した三権を含む一つの系に付与することはできる。前者は厳格な系であり後者は緩い系であるともいえる。国家権力をそのような二つの系を分立させることは可能である。前者の系を自由権を保障する法の支配系、法の支配系、自由権を擁護する系と呼べ、後者を社会権を保障する人の支配系、人の支配系、社会権を保障する系と呼べる。
  法の支配系は自由権、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配、全般的生存権を擁護する系であり、厳格な民主制と三権分立制と法の支配が必要で可能で適切な系であり、最終的には公的武力の行使という権力をもつ。人の支配系は社会権と全般的生存権を保障するための系であり、厳格な民主制と三権分立制と法の支配は不必要で不可能で不適切であり、行政権の優位が必要で可能で適切であり、人間的な民主制が必要で可能で適切な系であり、最終的には提供してきたサービスや認可を停止または停止を予告するという権力をもつ。
  そのように国家権力を法の支配系と人の支配系に分立する必要性は後に詳しく説明される。ここでは要点のみを説明する。そのように分立し両者の間に断層を作ることによって、前述の社会権からの逸脱、多数派の横暴、大衆迎合、世論操作…などの人の支配系の弊害が法の支配系に及ぶことを防ぐことができる。もちろん、人の支配系の独裁、専制…などへの暴走、企業との癒着、汚職、全体破壊手段の研究、開発…などの違憲違法行為は他の機構や個人のそれらと同様に法の支配系によって抑制される。法の支配系や警察や軍やそれを監督する機構…などの法の支配系の機能の違憲違法行為はこの系の中で厳格な民主制と三権分立制と法の支配によって抑制される。さらに、それらは人の支配系に固有の提供してきたサービスや認可を停止するという権力によって抑制される。

相互抑制と協力

  国家権力が分立可能であることは、(1)分立した権力がある程度、単独で機能できるだけでなく、(2)相互抑制する必要がある時と所では相互抑制でき、(3)相互協力する必要がある時と所では相互協力できることを意味する。
  (1)(2)について、この著作のほとんどがそれらの説明に割かれている。(3)について、大規模な自然災害、飢饉、貧困、感染…などの被害の救援と予防は社会権を保障する系の機能だが、それらの救援と予防において自由権を擁護する系に属する軍や警察が社会権を保障する系に協力する必要があることはある。そのような場合、社会権を保障する系の主導と要請によって、軍や警察がそれと協力することを妨げるものは何もない。それらの救済と予防において一定の自由権が一定の条件の下で制限されなければならないことがあるが、その制限の範囲と条件は前述のものを決して超えない。簡単に言って、そのような危機においてこそ政策を批判する言論が必要である。また、例えば、社会権を保障する系が主催または後援する文化の祭典で、軍や警察の楽団が伴奏したり、空軍が航空ショーをやることを妨げるものは何もない。
  以上のことから国家権力を自由権を擁護する系と社会権を保障する系に分立することは可能である。

機構の自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系への分立

分立可能性

  前章で国家権力が自由権を保障する法の支配系と社会権を保障する人の支配系という二つの系に分立できることが分かった。では、「機能」や「系」ではなくより具体的で詳細な「機構」は分立可能だろうか。
  繰り返すが、分立できることは分立されたものがある程度、単独で機能できるだけでなく、必要な時と所では相互抑制し、必要な時と所では相互協力できることも意味する。
  立法権、行政権、司法権の三権の分立可能性は既に歴史の中で実証されている。さらに、三権のそれぞれの中でも以下が分立する可能性がある。
  立法権について、多くの国家において、既に二院制が採用されており、立法権は二院からなる。二院のうちの一つが自由権を擁護する法の支配の立法機能をもち、一つが社会権を保障する人の支配の立法機能をもち、それらが独立し相互抑制することは可能である。
  また、すべての国家の行政権の多くの部分は既にいくつかの省庁に区別されている。それらの省庁のうちの、警察と軍、つまり、公的武力とそれらを監督し抑制する文官が自由権を擁護する法の支配の行政機能をもち、その他の大部分が社会権を擁護する人の支配の行政機能をもつことは可能である。
  また、司法権の中でそれぞれの裁判所は既に他から独立している。さらに、それぞれの裁判所の中でもそれぞれの裁判官は既に他から独立している。そのような裁判所または裁判官のうちの、大部分が従来通り自由権を擁護する法の支配の司法機能をもち、他の一部が社会権を保障する人の支配の司法機能をもつことは可能である。

立法権の自由権を擁護する法の支配立法議院と社会権を保障する人の支配立法議院への分立

  前述のとおり、社会権と社会権を保障する方法の詳細を立法権は規定することができず規定しないほうがよいが、概略を規定する必要がありそれは可能である。何より、どのように財力と人力を社会権を保障する部門に分配するかが予算の議論と決定の多くを占める。そのような予算を立法権が議論し決定する必要がありそれは可能である。人の支配系の中では行政権が優位を占めるべきだが、そのことは立法権が不要ということでは全くない。
  現代では多くの国家が二院制を採用している。だが、二院制の多くは機能していない。何故なら二院が同質化しているからである。そのような二院制のうちの一院が自由権を擁護する法の支配の立法機能をもち、他の一院が社会権を保障する人の支配の立法機能をもつ必要がありそれは可能である。また、前者が立法権として法の支配系を構成し、前者が厳格な民主制と三権分立制と法の支配の中で存在し機能し、後者が立法権として人の支配系を構成し、人間的な民主制と緩い三権分立制と緩い法の支配の中で存在し機能する必要がありそれは可能である。そのような必要性と可能性を満たしたとき、前者を自由権と民主的分立的制度を擁護する法の支配(立法)議院、法の支配(立法)議院、自由権を擁護する(立法)議院…などと呼べ、後者を社会権を保障する人の支配(立法)議院、人の支配(立法)議院、社会権を保障する(立法)議院…など呼べる。
  「上院」などと「下院」などがある国家では、上院が前者に発展し、下院が後者に発展する必要がありそれは可能である。いくつかの国家では部分的に既にそうなっている。
  憲法が、前者の主要な目的を自由権、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配、全般的生存権の擁護と規定し、前者がその中にあるべき厳格な民主制と三権分立制と法の支配を規定する必要がありそれは可能である。憲法が後者の主要な目的を社会権と全般的生存権と規定し、後者がその中にあるべき人間的な民主制を規定し、後者がその中にあるべき緩やかな三権分立制と法の支配を規定するまたは規定しない必要がありそれは可能である。また、憲法が以下を規定する必要がありそれは可能である。
  自由権、民主制、権力分立制、法の支配、全般的生存権の擁護に関する立法については、前者が優位に立ち、社会権の保障に関する立法については前者が優位に立つ必要がありそれは可能である。自由権、政治的権利…などに係る立法について、前者が先議し後者が異なる決議を行ない前者が、例えば、三分の二以上で最決議したときは前者の再決議が法となる必要がありそれは可能である。社会権に係る立法について、後者が先議し前者が異なる決議を行ない後者が、例えば、三分の二以上で最決議したときは後者の再決議が法となる必要がありそれは可能である。
  だが、自由権、政治的権利…などの擁護と社会権の保障が混合し不可分になっている事柄に関する立法が少数ある。例えば、予算の全体、税制の全体に係る立法、包括的な条約の批准、包括的な行政権と司法権の長官の指名である。それらについては両院が等しい権限をもつ必要がありそれは可能である。だが、もう少し詳しく見ていく必要がある。意外とそれらの両方が混合し不可分的になっている事柄は少ないものである。
  法の支配系、人の支配系、立法権、行政権、司法権、文官、武官、管理者、従業員に係らず、公務員による自由権、政治権、民主制、権力分立制、法の支配、全般的生存権の侵害と違憲違法行為に対する立法については、前者が優位に立つ必要がありそれは可能である。仮に違憲違法行為が人の支配系に属する行政権の長官の汚職であっても、前者が優位に立つ必要がありそれは可能である。
  立法権の議員の選挙制度に関する立法は政治的権利と民主制の擁護に関するものであり、前者が優位に立つ必要がある。後者のそれについても前者が優位に立つ必要がありそれは可能である。さらに、立法権だけでなく行政権、司法権の選挙制度に関する立法についても前者が優位に立つ必要がありそれは可能である。
  憲法改正の発議権などを立法権がもつべきであると仮定して、憲法は法の支配の根幹であるから、それにおいても前者が優位に立つ必要がありそれは可能である。仮に憲法改正が社会権やその保障に係るものであっても、その必要があり可能である。。
  条約の批准権が立法権にあると仮定して、国際的な経済、労働、通信、文化、教育、健康と地球規模の自然の保全に係る条約の批准については後者が優位に立ち、集団安全保障、軍縮、国際的な自由権と政治的権利に係る条約の批准については前者が優位に立つ必要がありそれは可能である。一つの条約がそれらの両方を包括するが、条項を分割できる場合は、分割したものを割り当てることができる。一つの条約がそれらの両方を不可分に包括する場合は、両院が等しい権限をもつ必要がありそれは可能である。
  不可分の税に関する立法について、両院が対等の権限をもつ必要がありそれは可能である。
  予算の審議と決定について、予算を二つの部分に分割し、それぞれの系の予算はそれぞれの議院が前述の方法と同様にして優先的に審議し決定する必要がありそれは可能である。例えば、軍、警察、司法権、立法権の維持費については前者に優先権が与えられ、その他の省庁の維持費と経済、福祉、教育、文化のための予算については後者に優先権が与えられる必要がありそれは可能である。最終的には一つの予算として両院が対等の権限をもって決定する必要がありそれは可能である。
  前述のとおり、自由権はいかなる権利やもののためにも制限される必要がないものと権利の擁護または保障のために一定の条件の下で制限されざるをえないものに区別でき、その区別と条件は憲法で明記される必要がある。ここでは社会権を保障する議院がそれらに反して立法することを防ぐ必要がある。社会権を保障する議院が先議しようが例えば三分の二で再議決しようが、自由権の制限に係る立法または行政を自由権を擁護する議院が単純過半数で無効化でき、それらも憲法で明記される必要がありそれは可能である。
  以上のように、いずれの議院が優位性をもつか、どのような優位性をもつべきかは意外と明らかである。それでも、それらについて議院や議員の間の対立は生じえる。それに対して、いずれかの議院の例えば三分の一以上の訴えによって、司法権が対立について裁定する必要がありそれは可能である。
  前述のとおり、選挙制度に係る立法について、前者が優位に立つ必要がある。その詳細について、後者に対しては、人間的な民主制が機能する必要があるので、政党、大選挙区制、比例代表制、比較的多数の議員が必要でありそれは可能である。前者に対しては、厳格な民主制が機能する必要があるので、無政党、小選挙区制、無比例代表制、比較的少数の議員が必要でありそれは可能である。政党を完全に排除することは難しいが、より多くの無所属の立候補者が選出される必要がありそれは可能である。
  いずれにしても、立法権を法の支配議院と人の支配議院に分立させることによって、有権者はそれぞれの議院への適任者を見分けて選挙することができる。簡単に言って、厳格な人は前者に適し、臨機応変な人は後者に適する。
  何より、選挙において公開される政策、つまり、公約について、それらが分立しているとき、自由権、政治権、民主制…などを擁護する政策と社会権を保障する政策のそれぞれが有権者にとって明確であり、有権者は適した政策を選択することができる。
  公的経費と税金について、立法権が二つの議院に分立するだけであり、従来の二院制と比較して、その分立が公的経費と税金の増大を生じることはない。

行政権の分立

  警察と軍という公的武力が法の支配系に属し、厳格な民主制と三権分立制と法の支配によって制御される必要がありそれは可能である。また、警察と軍の長官のそれぞれを前節で説明されたように優先的に自由権を擁護する法の支配立法議院が指名し変更する必要がありそれは可能である。また、自由権を擁護する立法議院の中の国内において市民の自由権を守ることを目的とする委員会が警察の長官の選考と変更の案と自由権の擁護と警察の組織と機能に係る法案を決定し立法議院の本会議に提案する必要がありそれは可能である。また、その委員会が自由権の擁護と警察の機能に係る重要な政策を決定し、警察に指令する必要がありそれは可能である。また、自由権を擁護する立法議院の中の国防を目的とする委員会がそれらに相当することをすることは可能である。
  さらに、それらの軍と警察とそれらを掌握する文民、つまり、それらの委員会の構成員を法の支配系に組み込み、公的武力そのものの暴走とそれらの文民による乱用を厳格な民主制と三権分立制と法の支配によって抑制する必要がありそれは可能である。つまり、その抑制はこの系の内部で行われる。
  また、そもそも軍や警察などという強大な権力を大統領や首相などという個人が握っていることが間違いだった。上記のように軍や警察を個人ではなく機構の下に置くことによって軍や警察の暴走や個人によるそれらの乱用を防げる。
  また、そもそも、それらを含む行政権などという巨大な権力の全体を大統領や首相が握っていることが間違いだった。軍と警察が他の行政権と分立することによってそれらの暴走と乱用が防げる。
  だが、せっかく分立している警察と軍の癒着は防がなければならない。特に警察は軍の違憲違法行為に対して、他の公務員や市民のそれらと全く同様に捜査し訴追しなければならない。特にここで癒着があってはならない。それらの癒着を防ぐためには、それらのいずれにもなんら特権を認めないこと、それらを監督する前述の委員会、それらの長官、幹部の兼任を認めないことが必要でありそれは可能である。
  行政権の他のほとんどの省庁は社会権を保障する機能をもち人の支配系に編入できる。労働者の権利を保障する部門、子供に最低限の教育を提供する部門、一般市民の健康を増進する部門、その他の福祉を推進する部門、経済に介入し調整する部門、社会資本を整備し維持する部門、自然破壊を規制し自然を保全する部門が人の支配系に編入できる。財政部門、税務部門、外交部門の分立については後述する。
  そのように見ていくと、人の支配系の行政権の予算が国家予算の半分以上を占め、全税金の半分以上を消費していることが分かる。
  行政権の政策と行政はすべてが連動しており、総合的に練られるべきものであるように見える。戦争をするかしないかも、経済と雇用、特に軍需産業に大きな影響を及ぼす。だが、そのような連動は長い目で見ればその国家自身の経済と雇用を含む何ものにも良い結果をもたらさない。良い結果をもたらすように見えるのは戦争の前半あたりの一時的に過ぎない。また、軍拡も軍需産業を含む経済と雇用に大きな影響を及ぼすように見える。だが、軍拡は軍産複合体の形成、さらなる軍拡、不必要な国際紛争、軍事費のさらなる増大を促し、市民の日常生活を締め付ける。そのような戦争と軍拡と経済との連動は絶たれる必要がある。そのためには軍と警察が法の支配系に属し、行政権の他の部門が人の支配系に属し、それらが分立する必要がありそれは可能である。
  それに対して、社会権の保障のための政策と行政はすべてが連動し、総合的に練られる必要がありそれは可能である。例えば、公共事業を増やせば失業率が減少する可能性がある。だが、公共事業を乱発すれば自然が破壊され市民の健康を害する恐れがある。だから、公共事業の量だけでなく質を検討する必要がある。それが社会権の保障のための総合的な政策追究の一例である。
  また、前述のとおり、社会権を保障する機能をもつ部門は提供していた提供していた認可とサービスを停止するまたは停止を予告するという権力をもつ。最後の手段としてはこれらの機構は司法権に訴え警察の助力を要請しなければならないが、多くの場合、それを要しない。
  そのような行政権の警察と軍と後述する財政部門、税務部門、外交部門を除く機構をそれらの総合的な政策立案に優れた個人や集団に委ねることは可能である。また、そのような個人や集団を市民が直接選挙したり、前述の社会権を保障する立法部分が前述のように優先的に指名することは可能である。また、そのような行政権の部門とそれらを委ねる個人または集団を一つのまとまりのある行政機構とすることさえ可能である。そもそも、行政権を過度に区分することが行政権を肥大化しその効率性を失わせ公的経費を増大させた。極論に聞こえるかもしれないが、そのように過分立された行政部門を思い切って一つの機構としてもよい。

分立不能に見える機構

  分立不能に見えて容易に分立できる機構をこの節で分立しておく。行政権の中で、消防、レスキュー、救急医療、伝染病蔓延予防、自然災害対策の機能をもつ機構は社会権を保障する人の支配系の行政権のいくつかの部分に編入される。警察や軍もそれらの部分の支援をする必要があることがあるが、その場合でもそれらの機能を主導するべきなのはそれらの部分である。災害時にそららの要請と主導の下に軍や警察がそれらの部分を支援することが違憲違法であるとする人はほとんどいないだろう。
  また、例えば、伝染病蔓延の予防のためには市民の行動制限が必要なことがある。つまり、身体の自由という自由権と狭義の生存権という社会権が葛藤している。前述のとおり、他者の権利の擁護または保障のためには自由権の一部が一定の条件の下で制限されざるをえない。このような場合は、自主的に行動制限に応じる個人については社会権を保障する系の行政権のいくつかの部分の管轄であり、行動制限に応じない個人については、その行動制限につ関する限りで警察の管轄とならざるをえない。そのことが違憲違法であるとする人はほとんどいない。いずれにしても、前述の人権やいかなるもののためにも制限されない、政権、政策、政治制度…などに関する言論の自由のような自由権は制限されない。そのような危機においてこそ、政府の政策に対する批判は必要である。
  行政権の中の平和的な部分の中では、遊び、観光、文化、スポーツ…などを振興する公的機構は社会権を保障する系の中の行政権のいくつかの部分に編入される。例えば、警察や軍の楽団がそれらの祭典で伴奏をすることが違憲違法であるとする人はほとんどいないだろう。
  財政税務部門、外交部門についてはそのように簡単に分立できない。

財政税務部門

  財政税務部門について、それを二つの系に分立することも不可能ではない。例えば、税の種類によって税を二つの系に振り分け、それぞれの系が自ら徴収し、カネの管理と運用をすることは可能である。それぞれの系がそれぞれの通貨を発行することさえ可能である。
  だが、カネの管理には経済的な専門性が必要であり、それは社会権を保障する人の支配系の本領である。堅物であり堅物であるべきの法の支配系に部分的であってもカネの管理ができるわけがない。また、もしそれにカネの管理をさせれば、その厳格さが汚れる恐れがある。法の支配系はどんなときでもそれ自身の系や人の支配系や私的団体や個人が違憲違法行為を生じたときに、その厳格さをもって機能しないといけないのである。
  だから、財政税務部門と通貨発行管理部門は社会権を保障する人の支配系の行政権のいくつかの部分に編入される必要がありそれは可能である。すると、法の支配系のカネを人の支配系が預かり管理することになるが、それは必要であり、不可能ではない。そもそも、公私の団体にカネを預け管理させ必要なときに引き出すことはほとんどの個人や公私団体がやっていることである。法の支配系にもできる。
  ここでわたしたちは以下の二点に気づく。
  第一に、公的武力は法の支配系が統括し、カネは人の支配系が管理し、ここには武力とカネの分立がある。
  第二に、人の支配系は提供してきたサービスまたは認可を停止するまたは停止を予告するというそれに固有の権力だけでなく、法の支配系のカネを預かり管理しいざとなれば引き出させないというそれに固有の権力をもつ。
  それらの結果、人の支配系は権力を増す。異質な権力を比較することはできないが、そのようにして増した権力は法の支配系のそれに匹敵するだろう。そのようにして増大した権力をもって、人の支配系は法の支配系が憲法と法を逸脱して暴走すること、公的武力が自身によって暴走することまたは他によって乱用されることを制止することができる。例えば、それが預かっていたカネを停止すれば、警察も軍もスタッフの給与を支払うことができず弱体化する。
  だが、それでも、その権力が大きくなりすぎて均衡が崩れるということはない。何故なら、公的武力は人の支配系の警護にもあたっているのであり、一般市民のものと同様に彼らの命を預かっているのだから。

外交部門の分立

  外交部門について、結論から言って、自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系のそれぞれがそれぞれの外交的な行政機構をもつ必要がありそれは可能である。つまり、外交部門は法の支配系の中の行政権の部分と人の支配系の中の行政権の別の部分に分立される必要がありそれは可能である。前者の機能は、国際社会、世界、国際機構、世界機構において機能しながら、少なくともその国家にいる人間の自由権、政治的権利、権力分立制、法の支配、全般的生存権の擁護することであり、より具体的には国防と集団安全保障と全体破壊手段の全廃と予防を含む軍縮に係る交渉である。それに対して、後者の機能は、国際社会、世界、国際機構、世界機構において機能しながら、少なくともその国家にいる人間の社会権を保障することであり、より具体的には国内経済の成長または安定化、健康、福祉、教育、文化の増進、自然破壊の規制、自然の保全…などに係る交渉である。
  ここで以下の三点が明らかになる。
  第一に、外交という機能の中でも自由権、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配、全般的生存権の擁護という機能と社会権の保障という機能が明確に区別される。この機能の区別は外交の機構の分立へと発展する。
  第二に、この区別は一国の外交において見出せるだけでなく、国際社会、世界、国際または世界機構においても見出せる。この機能の区別は国際または世界機構の分立へと発展する。
  第三に、そもそも、そのような多様で重要な機能が従来の大統領や首相に集中していたことが間違っていた。その集中と彼らの権益欲が国際社会における侵略戦争と全体破壊手段の研究、開発、保持を含む軍拡の主因である。また、その集中と彼らの専門性の欠如が国際社会における経済的不安定と経済的格差の主因である。それに対して、外交という機能と機構が法の支配系と人の支配系に分立することによって、それらの弊害を防ぐことができ、それぞれの系に適した専門性をもつ長官と外交官と機構を作ることができる。
  だから、行政権の外交部門は法の支配系の部分と人の支配系の部分に分立される必要がある。さらにその分立は以下のようにして可能になる。
  自由権を擁護する法の支配立法議院の中の外交に係る委員会がその系の外交部分を統括することは可能である。また、国際会議や会談に代表が参加する必要があるときはその委員長または指名された者が参加することは可能である。また、条約の批准などの立法権の議決を必要とする事柄においてはその委員会が議決した後でその本会議が前述のように優先的に議決することは可能である。この外交に係る委員会の議員は、国際会議への出席のため、その委員会と本会議に出席し投票する可能性は他の委員会の議員のものより小さくなるだろうが、討論と議決において遠隔出席投票できるようにすることは可能である。外交の現場にいる議員の発言と投票は他の議員より適切なことが多い。
  そのように見ていくと、その委員会の責任は重大である。その委員会は戦争を抑止できるか、軍縮できるか、全体破壊手段を全廃予防できるかに係る。だが、警察を統括する委員会にしても軍を統括する委員会にしても、自由権を擁護する法の支配立法議院とその委員会の責任は重大なのである。そのような重大な責任は大統領や首相などという個人より機構に負わせるほうがよい。「集団責任は無責任」ということはありえるが、この責任を個人が乱用して独裁、専制、戦争、軍拡…などに走るほうが恐怖である。そのような責任の乱用の恐ろしさは歴史上何度も経験されたことである。無責任は責任の乱用よりましである。だが、それはそれらの委員会においても「集団責任は無責任」であると仮定した場合のことである。議会の中の委員会が大統領や首相より無責任である確証はない。
  それに対して、社会権を保障する人の支配系の外交部分は人の支配系の行政権の部分の長官または経済、福祉、文化、教育、自然保全…などに専門的な外交官からなる部門に委ねることができる。ここでこそ彼らの専門的で総合的な政策立案能力が活きる。
  権力の法の支配系と人の支配系の分立はそれぞれの国家権力において必要であり可能であるだけでなく、国際社会、世界、国際または世界機構においても必要であり可能である。だから、国際的な会議や交渉もそれらの二つの系に分立され、それぞれの国家のそれぞの系の代表が参加する必要がありそれは可能である。
  両方の系に係る国際機構、会議、交渉があるとしても、それらには二つの系の代表が参加することは可能である。その場合で、個々の議案が法の支配系、人の支配系のどちらか一つに係る場合、その系に係る代表者が投票することは可能である。その場合で議案が両方の系に係る場合、協議し、投票内容が一致したときはその一票を投じ、一致しない場合は棄権することは可能である。
  そのような過程が繰り返されるうちに、国際または世界機構が二つの系に分立することも可能になる。

従来の大統領や首相の解消

  前述のとおり、警察と軍と国防に係る外交をそれぞれ自由権を擁護する立法議院の委員会が監督し、自由権を擁護する法の支配系の中でそれらの武力とそれらの委員会に対して厳格な民主制、三権分立、法の支配が機能する必要がありそれは可能である。また、行政権の財務税務の全部と外交の他の部分を含む部分を社会権を保障する人の支配系の中で一般市民によって直接的または間接的に選ばれた個人または集団が総合的に管理する必要がありそれは可能である。つまり、少なくとも行政権のすべてを握っていた従来の大統領や首相は解消される必要がありそれは可能である。
  繰り返すが、そもそも、大統領や首相に警察、軍、外交部門を含む行政権のすべてを委ねていたことが間違いだった。大統領や首相の解消によって、それらが侵略戦争を始めること、それらが公的武力を乱用すること、それらが全体破壊手段の研究、開発、保持を主導すること…などをかなりの程度、防げる。
  従来の行政権のすべてを掌握していた従来の大統領や首相と区別して、行政権の公的武力の全部と国防に係る外交の部分を除く部分を管理する個人またはグループを社会権を保障する人の支配系の行政権の部分の長官、人の支配系の行政権の部分の長官、社会権を保障する行政権の部分の長官と呼べる。
  そのような長官は、国家の市民によって直接的に選挙されることも、前述の社会権を保障する法の支配立法議院によって前述のような方法で優先的に指名されることも可能である。

行政権の自由権を擁護する法の支配系の部分と社会権を保障する人の支配系の部分への分立

  以上のことから、行政権を以下の(1)(2)に分立する必要がありそれは可能である。

(1)自由権を擁護する法の支配系の行政権の部分:
以下を監督する自由権を擁護する法の支配立法議院の中の委員会。警察、軍、外交の国防に係る部分
(2)社会権を保障する人の支配系の行政権の部分:
行政権の(1)を除く部分とその長官

司法権

  司法権の中でそれぞれの裁判所は既に他から独立している。さらに、裁判所の中でもそれぞれの裁判官は既に他から独立している。そのような裁判所または裁判官のうちの、大部分が従来通り自由権を守るものであり続け、他の一部が社会権を保障するものになることは可能である。
  だが、司法権も裁判所も裁判官も既に他からかなり独立しているのだからこそ、そのような分立は不要とも言え、伝統的制度のままでよいとも言える。
  だが、最高裁判所裁判官を従来の大統領や首相が指名するのではそれらの判決傾向に派閥主義が影響し、司法権の独立が損なわれる。
  少なくとも従来の大統領や首相が指名するより立法権の中の前述の自由権を擁護する法の支配立法議院が前述のとおり優先的に指名するほうがそのような損傷が少ない。例えば、法の支配立法議院の中の司法権の構成に関する委員会が指名するべき裁判官を提案し、その本会議が指名し、人の支配立法議院がその指名を修正した場合は、法の支配立法議院の再指名が最終的指名になる必要がありそれは可能である。
  その誰が指名するかの問題さえ解決すれば、司法権は分立しなくてよいのではないだろうか。
  前述のとおり、憲法や法律は社会権とその保障のあり方の詳細を規定することができず、規定することは不適切である。その詳細は行政権においてはその官僚に司法権においてはその裁判官に委ねられざるをえない。だが、その委ねられ方が異なる。前者が人間の英知と科学技術に基づいてもよいのに対して、後者はあくまでも憲法と法律に基づかなければならない。つまり、後者は規定されていない詳細を憲法と法律の行間から読み取らなければならない。例えば、後者は具体的な状況において社会権、福祉、健康、幸福…などを解釈しなければならないのだが、それも憲法と法律に基づかなければならない。
  また、市民が社会権が保障されていない原因が行政権の過失または怠慢にあるとして行政権を訴えることが社会権に係る訴訟の大部分を占める。社会権だけでなくすべての権利に言えることだが、国家権力の違憲違法行為を追及することこそが、三権分立制と法の支配の真髄であり、司法権はそれらの真っただ中にある必要がある。
  それらのことから司法権は不可分であり、法の支配系の中にあり、しかも、その中で独立し、しかも、それぞれの裁判所とそれぞれの裁判官が独立する必要がありそれは可能である。

名目上の国家元首

  実際上、「国家元首」なるものは必要ない。だが、形式的にまたは名目上、必要になる場合はある。例えば、国家的または国際的な祭典、儀式においてである。必要な場合は法の支配立法議院の議長が国家元首になるのが適切である。
  形式的にまたは名目上も国家元首が必要ない場合は、上記のように分立した部分または議院または委員会または省庁の長官または議長がそれらに出席する必要がありそれは可能である。例えば、軍の儀式に法の支配議員の軍を統括する委員会の委員長が参加し、文化の祭典に行政権の人の支配部分の長官が参加することは可能である。

国家権力の自由権を擁護する法の支配系と社会権を擁護する人の支配系への分立

  以上のことから国家権力を以下のように分立する必要がありそれは可能である。

自由権を擁護する
法の支配系
社会権を保障する
人の支配系
立法権自由権を擁護する法の支配議院社会権を保障する人の支配議院
行政権警察

外交部門の国防、集団安全保障、軍縮…
などに係る部分
それらのそれぞれを監督する
立法権の中の委員会
行政権のその他の部分と長官
司法権司法権

国家権力を自由権を保障する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立する必要

可能性と必要性

  以上のように、国家権力を自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立させることは可能である。では、その必要性はあるのだろうか。既にその必要性のいくつかは散発的に説明されたが、以下の節でまとめて説明する。

人の支配系が陥りがちな障害が法の支配系に及ぶことの予防

  前述のとおり、社会権の保障とは簡単に言って、市民の日常的な欲求を満たすことであり、社会権を保障する人の支配系においては人間的な民主制が機能する必要がありそれが適切である。それに対して、自由権を保障する法の支配系においては、厳格な民主制、三権分立制、法の支配が機能する必要がある。その人間的な民主制によって、人の支配系は大衆迎合、多数派の横暴、世論操作、国益だけの追及…などに陥いりやすい。さらに、一回限りの熱狂的な選挙で一時的に支持を集めた政治家が独裁、専制、全体主義…などに走ってしまう恐れさえある。国家権力を法の支配系と人の支配系に分立し、両者の間の溝を深くすることによって、後者が陥りやすいそれらの障害が前者に及ぶのを防ぐことができる。
  また、従来の大統領や首相がそれらの障害へと陥る元凶だったのだが、この分立の下では彼らは解消される。この分立の下に生じる社会権を保障する人の支配系の行政権の部分の長官は法の支配系に対する権限をなんらもっていない。警察や軍に対する権限ももっていない。最高裁判所の裁判官の任命権ももっていない。
  また、この分立をもっても無傷のままとなる自身に固有の厳格な民主制、三権分立制、法の支配をもって、法の支配系は自身の障害とそれらの人の支配系が陥りやすい障害と一般市民の障害に対して機能することができる。
  また、仮に法の支配系がなんらかの障害に陥ったとしても、この分立によってそれらの障害が人の支配系に及ぶのを予防することができる。
  さらに、法の支配系が憲法と法を犯し法の支配を逸脱して暴走するときは人の支配系は提供してきたサービスとカネを停止するまたは停止を予告するというそれに固有の権力をもってそれを抑制することができる。それもこの権力分立制の成果である。
  以下の問題も人の支配系が陥りやすい障害に含まれるのだが、重要なので以下に特に節を設けて説明することにする。

社会権の保障のための自由権の制限が過度または不当になることの予防

  大規模災害、感染病の蔓延、自然破壊に起因する災害…などがある度に私たち市民もそれらの対策と予防のために自由権が制限されることもやむをえないという考えに陥りがちである。だが、それらの対策と予防のためにも政府の政策と実際の機能を批判する言論の自由、学問の自由などの自由権は必要である。そもそも、前述のとおり、自由権はいかなるもののためにも制限される必要がないものと人権の擁護または保障のために一定の条件の下に制限されざるをえないものとに区別され、それらの政府を批判する自由は前者に属しいかなるもののためにも制限されてはならない。政府を批判する自由は危機においてこそj必要である。
  国家権力が自由権を擁護する系と社会権を保障する系に分立されることによって、後者が自由権を不当にまたは過度に制限することを防げる。特に、立法権が自由権を擁護する議院と社会権を保障する議院に分立され、前者が後者の自由権を不当にまたは過度に制限する立法を無効化することによって、それが可能になる。

国家権力の社会権からの逸脱の予防

  前述のとおり、行政権の長官やその同僚が、社会権の保障や生物や人間の全体の生存などを目的を掲げ、公的武力を完全に掌握し、それらの目的のためにも制限される必要のない自由権を制限し侵害し、政治的権利、民主制、権力分立制、法の支配を損傷して、独裁、専制などに走る可能性がある。それが国家権力による社会権からの逸脱である。それらは新しいできごとではなく、二十世紀に独裁、従来の共産主義、全体主義などとして体験されたことである。
  また、今後は自然の保全や地球の生物や人間の全体の生存…などを名目に掲げる全体主義のようなものが出現する可能性がある。だが、『わたしたちの生存ネット』で説明されたとおり、そのようなものはわたしたちの生存と全般的生存権の保障のために決してならない。それらの目的のためにも国家権力を批判する自由権は必要である。
  そのような国家権力の社会権からの逸脱を防ぐためには、国家権力を自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立させ、それらの間の溝を深くし、後者が前者、特に警察と軍を乱用することを防ぎ、前者の中の立法議院と警察と司法権が後者の長官とその同僚を抑制する必要がありそれは可能である。

未来の共産主義や社会主義への対応

  共産主義や社会主義は20世紀末期に崩壊したように見える。だが、わたしたちは階級闘争、経済的不平等、資本主義経済の矛盾…などを解決したわけではない。それらへの不満は世界中のいつでもどこでも爆発しえる。だから、共産主義や社会主義の再興はありえる。また、自然の保全や生物や人間の生存に重点をおくそれらの変形も生じえる。また、改良されたそれらのいくつかの部分は、特に後進国、地域と経済的不平等の広がり過ぎた国家、地域、大土地所有などの古い制度の残る国、地域において、必要である。
  だが、更新された共産主義や社会主義の部分が必要であるとしても、社会権を保障する人の支配系においてだけでであり、自由権を擁護する法の支配系では必要ないだけでなく不適切である。
  そもそも、従来の共産主義や社会主義はプロレタリアートの中にも権力闘争があることを問題ともせず、その指導者は権力闘争に浸り込んでいた。その結果、彼らには経済計画を練る暇がなかった。また、経済計画ではなく闘争に優れたものが指導者になっていた。また、闘争に勝ったものは無制限の権力を得、自由な言論と定期的な選挙によって経済計画とその能力を批判されず、それらを切磋琢磨できず、無能に陥った。闘争に敗れた人々は粛清され能力を活かせなかった。民主制が含む選挙も熾烈になるまたは腐敗することがあり、世論は操作されることがあるが、それらは直接的で無制限の闘争や弾圧よりましである。だから、人の支配系に対してまたはその中でも自由権と民主制は必要である。
  共産主義または社会主義の改良されたいくつかの部分が国家権力において必要であるとしても、自由権、政治的権利、民主的制度、権力分立制、法の支配、全般的生存権は擁護される必要がある。そのためにも、国家権力をそれらを擁護する系と社会権を保障する系に分立し、後者が前者に浸透することも前者を損傷することも防ぐ必要がある。

政府の企業との癒着と汚職の予防

  法の支配系の中の軍における癒着と汚職は軍産複合体として重大だが、それに対する方策は次節で説明する。
  企業との癒着と汚職は国家権力の自由権を擁護する法の支配系より社会権の保障する人の支配系で生じる可能性が大きい。何故なら企業は後者に規制または認可される立場にあり、規制を逃れ認可を得るためなら賄賂も送るからである。また、後者は企業とより頻繁に協議する必要があり、それらは互いに近く近づきやすいからである。
  国家権力の法の支配系と人の支配系の二つの系に分立しているとき、前者はさらに企業と後者から遠ざかり近づきにくくなる。その距離が遠ざかるほど前者は企業と後者を捜査し告訴しやすくなる。

軍産複合体に対する抑制

  軍産複合体という言葉は、文字通りの軍と産業の複合体だけでなく、それらと文官と公私の研究機関の複合体も指すことにする。
  多くの国家のそのような意味での軍産複合体が一般の軍拡と全体破壊手段の研究、開発、保持を促進してきた。何故なら、放っておいても、企業は利潤を、軍と政治家と官僚は権力を、科学技術者は権威と名誉を求めるからである。それらの複合体は核兵器で一つの頂点に達したと言える。また、それらは今後は遺伝子操作でもう一つの頂点に達しつつある。
  この分立はそのような複合体の構成要素の中の軍とそれを掌握する文民を法の支配系に組み込み、その他を社会権を保障する系に編入するまたはそれに近いところにおく。そのことによって、この複合体の中心である軍とそれを掌握する文民はその他から隔離されており、軍産複合体は解体される。
  軍とそれを掌握する文民は法の支配系の中で厳格な民主制と三権分立制と法の支配によって抑制される。従来の制度では、従来の大統領や首相が軍を動かすことができた。この分立によってその道は絶たれる。

警察と軍に対する法の支配

  この分立は警察と軍を法の支配系の中に編入し、その中でそれらを厳格な民主制と三権分立制と法の支配が抑制する。
  また、この分立によって従来の大統領や首相は解消し、それらが警察と軍を乱用することはできない。また、人の支配系の何ものかがそれらを乱用することはできない。
  また、警察と軍を掌握する委員会も法の支配系の中で厳格な民主制と三権分立制と法の支配によって抑制される。
  そのようにして警察と軍の暴走と乱用が抑制される。

公的武力に対する二重の文民支配

  警察と軍という公的武力とそれらを監督する文民は法の支配系の中で文民支配、厳格な民主制、三権分立制、法の支配によって抑制される。
  さらに、国家権力をその系と社会権を保障する人の支配系に分立させ、前者が上のようにして公的武力を抑制するだけでなく、後者が提供してきたサービスまたは認可と預かっていたカネを停止するまたは停止を暗示するというそれに固有の権力をもって公的武力とそれを監督する文民を抑制する必要がありそれは可能である。例えば、警察や軍が自らまたは他によって暴走しても、後者の系がそれらへのカネ、電気、ガス、水道、通信手段、情報…などの供給を停止すればそれらは弱体化する。公的武力もそれらを確保するために必死だろうが、その必死さを増長することこそ暴走を起こしにくくする。
  ところで、民主制、三権分立制、法の支配という権力とサービスまたは認可の停止または停止を暗示するという権力は非常に異質な権力である。そのような異質な権力は互いを邪魔せず効率的に公的武力とそれを監督する文民を抑制することができる。
  それらが公的武力に対する「二重の文民支配」である。

従来の大統領や首相への権力の集中の解消

  繰り返すが、そもそも警察と軍という公的武力と外交部門を含む行政権のすべてが大統領や首相という長官に集中していたことが間違いだった。この分立によって警察と軍と外交の一部が法の支配系に編入され、行政権のそれ以外の部分が人の支配系に編入され、前者がそれぞれ法の支配立法議院の委員会によって管理され、後者が人の支配系の行政権の部分の長官によって管理されることによって、その集中は是正される。この従来の大統領や首相の解消は彼らが主導してきた侵略戦争、長官の独裁、専制への暴走、全体破壊手段の研究、開発、保持…などを減退させることができる。

国益のための戦争を含む防衛以外の戦争の予防

  従来の制度では、戦争を始める権限は従来の大統領または首相に集中していた。この分立によって彼または彼女らはもはや存在しない。
  この分立によって、戦争を始める権限があるとすれば、法の支配系の中の法の支配立法議院の中にあり、人の支配系の中の何ものもその権限をもたない。それに対して、国益の追求の権限は人の支配系の中にある。国益は社会権の保障のためにあり、国益のために外交を展開することは社会権を保障する人の支配系の義務である。この分立の中では、この系は軍の指揮権をもたず、戦争を始める権限も防衛する権限もそれらに係る外交を展開する権限ももたない。人の支配系のいかなるものも戦争を始める権威をもたない。それと同時に、法の支配系にとって国益追及に意味はなく、まして、国益のために戦争を始める意味はない。このことによって国益のための戦争はかなりの程度まで予防される。
  しかも、法の支配系の中の法の支配議院が戦争を始める権限をもつとしても、それは憲法と法と国際法に基づき、この系の内部で司法権の違憲立法審査権等の抑制を受ける。だから、この分立によって国益のための戦争を含む防衛以外の戦争をかなりの程度、防げる。

法の支配系の暴走の予防

  法の支配系または公的武力またはそれを監督する文民が暴走することを防ぐためには、それらが厳格な民主制と三権分立制と法の支配によって抑制される必要がある。それに対して、人の支配系には厳格なそれらの機能は不必要であるだけでなく不適切である。国家権力をそれらの系に分立することによって、わたしたちは後者の厳格でないそれらが前者に浸透することを防ぐことができ、前者の抑制に厳格なそれらをもって集中することができる。
  同時に、後者は提供してきたサービスまたは認可と預かっていたカネを停止するまたは停止を予告するというそれに固有の権力をもって前者を抑制することができる。

国家権力の市民と公務員にとっての明確さと効率性の増大と公的経費と税金の減少

  国家権力の過度の分立は市民と公務員にとっての国家権力の明確さを低下させ、民主制と権力分立制に混乱を生じる。また、国家権力の効率を低下させ、公的経費と税金の増大させる。特に過度に分立された行政権は明確さと効率を低下させ経費と税金を増大させる。
  だが、自由権、政治的権利、民主制、法の支配、全般的生存権を擁護するためには、法の支配系において厳格な民主制、三権分立制、法の支配が機能する必要があり、そこでのいくつかの分立は不可欠である。
  それに対して、人の支配系では厳格な分立は不必要であるだけでなく不適切である。それどころか人の支配系の行政権の部分は一つの機構になってもよい。そのような一つの機構になってもよいようなものが従来は細分化されていたのである。この分立は分立の要点を明確にすることによって、過分立を防ぎ、公的明確さと効率を増大させ、公的経費と税金を減少させる。

構築、解消、拡大、縮小、抑制、促進の重点を明確にすること

  民主制、権力分立制、法の支配が構築されておらず、自由権が擁護されていない国家においては、まず、市民は独裁的制度を解消し法の支配系を構築し、構築後も油断をせずそれを抑制する必要がある。社会権があまり保障されていない国家においては、市民は人の支配系を構築し促進する必要がある。人の支配系が拡大し過ぎて税負担が大きい国家においては、市民はその系を縮小する必要がある。
  公的経費と税金の増大の主因は社会権を保障する系の肥大化にある。そのような部分を縮小する必要があるとして、効果的に縮小するためには国家権力が自由権を保障する系と社会権を保障する系に分立する必要がある。
  だが、軍の経費の増大も公的経費と税金の増大の原因の一つである。だが、社会権の保障と安全保障は全く別に議論され処理される必要がある。それらを別に議論し処理するためにも、国家権力が自由権と民主的分立的制度を保障する部分と社会権を保障する部分に分立する必要がある。
  そのように国家権力が自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立しているとき、構築、解消、拡大、縮小、抑制、促進、議論の重点が明らかになる。

適材適所

  自由権を擁護する法の支配系の人材としては厳格な人が適している。それに対して社会権を保障する人の支配系の人材としては臨機応変な人が適している。上の階級に行けば行くほどそれらのことが言える。階級が人々によって選挙されるようなもの、例えば、立法権の議員であるとき、それらのことが最も言える。
  市民は、自由に選挙すべきだが、それらの適性に基づいて選挙するのも自由である。国家権力をそれらの系に分立するとき、適材が適所に選出される可能性は大きくなる。

全体破壊手段を含む破壊的手段の全廃と予防

  第二次世界大戦後の大国による核兵器の研究、開発、保持を主導したのはいわゆる「軍産複合体」であり、実質的には政治家と官僚と公私の企業と科学者と技術者と公私の研究機関の複合体だった。そのような複合体を解消すれば、全体破壊手段を含む高度な破壊的手段を研究、開発することは困難になる。国家権力が自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立されるとき、軍は前者に掌握され、他は後者に管理され、軍産複合体は解消する。
  さらに、この分立によって厳格になった法の支配系が含む警察と検察の厳格な捜査と告訴によって、軍と人の支配系と公私の企業と科学者、技術者、公私の研究機関による全体破壊手段を含む破壊手段の研究、開発が困難になる。また、それらの癒着と汚職が困難になる。
  さらに、万が一、法の支配系の文民がそれをしようとするときは、人の支配系がそれらの研究と開発に要する資源と人材と科学技術を停止することができる。そのような停止は前述の人の支配系に固有の権力に含まれる。人の支配系が協調しなければ、法の支配系を含むどのような個人も組織も全体破壊手段を含む破壊手段を研究開発できず、戦争に走れないのである。
  そのようにして、国家権力をそれらの二つの系に分立することによって、全体破壊手段の研究、開発を含む軍拡と戦争への動きへの堅実な抑制が可能になる。それぞれの国家権力を自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立することは全体破壊手段を全廃予防し、全般的生存権を保障する一つの堅実な方法である。

参考文献

生存と自由

生存と自由の詳細

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