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小説『二千年代の乗り越え方』略称"2000s"

NPО法人 わたしたちの生存ネット 編著

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人間が生じる苦痛をできる限り減退させつつ、自由を確保し、地球や太陽の激変のときまで、人間または進化した人間を含む生物が生存すること

  私は、全体破壊手段全廃予防機構(仮称)のあるD1市へ向かう旅客機に乗った。二千〇〇年、空の過密も頂点に達し、旅客機の飛ぶ高度も二千年前後の数倍に達していた。揺れはほとんどない。機体の傾きが平衡感覚で分かり、加速度が平衡感覚と体性感覚で分かる。だが、窓から外を見ると、水平線が傾いているのか、機体と私の身体が傾いているのか、分からなかった。それ以外は、何事もなかったかのような夜の海だった。西の空がわずかに明るく澄んでいた。たまらなく美しかった。だが、その分、私の中に大きな空洞ができた。その空洞は、父やP教授や同僚Xや女スパイTが今まで占めていた空間だった。彼らの死後も、彼なら彼女ならどう言っただろうか、どうしただろうか、と私は考えていた。簡単に言って、心の中で彼ら彼女らと語り合っていた。それらが今、途切れて空洞になっている。虚しい。Xが死にTが人間でなくなったのは、ついさきほどのことだが、私は彼女らと一緒にいないときも、心の中で語り合っていた。それが今になって分かった。色々考えたが、結局、彼女らの存在はそれだった。父やP教授についても、今になって分かった。愛や恋や友情とは、その人が居ないときも、心の中で語り合うことだ。わずかにでも残る西日が消えて、窓の外は暗闇となり、窓ガラスに私の顔が映っていた。父やP教授や同僚Xや女スパイTが戻ってきた。A国の同僚YもZも、B国の同僚Vも、悠々自適の元革命家Uも、Q教授も、R教授も、売春婦Kも、その息子も、私の妻子も、母も妹も、妹の夫も、O参謀もN大佐もM将軍も、スラム街のJもWも、あの老女医も、あの息子も母親も…これからもそれらの人々と語り合いながら、私は仕事をするだろう。人間や動物が死んで、生まれて、死んで、生まれ…ることは、動物が生と記憶喪失と死を繰り返して生きることに等しい。だから、いずれ死ぬことに不安はあまりない。だが、他人が死ねば、他人と別れることになる。私が死ねば他人やすべてと別れることになる。いずれ死ぬのは仕方がないが別れはつらい。記憶喪失はつらい。だが、わたしたちが甘受する必要があるのは記憶喪失だけである。だが、かえすがえすも記憶喪失はつらい。喪失しないように書き留めておこう。「いずれ死ぬのは仕方がないが別れはつらい」と。
  それにしても私があのような悪夢を見たのは意外だった。私が最も恐れることが、人間が生存したために、人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛がさらに続くことだった、とは意外だった。夢は、感覚と異なり、外的状況を直接的に反映しない。直接的には、自己または自己の内的状況を反映する。夢に出てくる外的状況は、自己の外的状況の認識を反映する。民主的分立的制度を確立し拡充し、全体破壊手段を全廃予防し、人間を含む生物が地球または太陽の激変のときまで生存し、自由を確保することが、私たちの第一の目的だった、第二の目的は、人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛を可能な限り減退させることだった。その第二の目的の実現に私は疑問を抱いていたのだろうか。その第二の目的に今後は最大限に集中する必要がある。結局、あの少女のような顔をした白髪の老婆Iは、それを私に警告する私だった。今後も私が第二の目的をおざなりにしたときは、Iが夢に出てくるだろう。苦痛に対して、快楽はそれぞれの個人が完全な自由において追求すればよいことである。だが、その自由を確保するためにも権力を抑制し相互抑制させる必要がある。全体破壊手段が使用されて人間が絶滅するとしても、そこには多大な苦痛がある。放射線によって発癌や不妊が生じ、不変遺伝子によって伝染病や難病が蔓延する。それらの苦痛とそれらへの恐怖と不安は絶大である。だから、第一の目的と第二の目的は分離することができない。その切り離すことができない二つの目的をできる限り短い言葉で呼ぶなら、「人間が生じる苦痛をできる限り減退させつつ、自由を確保し、地球や太陽の激変のときまで、人間または進化した人間を含む生物が生存すること」と呼べるだろう。それは生と記憶喪失を繰り返して実現可能な究極の欲求であり目的だと思う。しかも傲慢さのない、ささやかな目的である。そう思えば、I、つまり私はもう夢に出てこないのではないだろうか。
  宗教は私の思春期以降の短い時間の間でも、波を繰り返しつつ衰退していった。例の小惑星の事故の前後にも波があった。いつの時代も、宗教が衰退しつつあるときは、何が人間の価値や善悪や道徳や倫理を生成するのか、という懸念があった。もしかすると、私の中にもその懸念があったのかもしれない。Iはその懸念の克服を求める私だったのかもしれない。今、言える。宗教がなくても「人間が生じる苦痛をできる限り減退させつつ、自由を確保し、地球や太陽の激変のときまで、人間または進化した人間を含む生物を生存させる」という欲求や目的は生成する。いや、宗教がないからこそこれだけの欲求や目的が生成する。これを権利とするなら「全般的生存権(Right to exist in general)」と呼べるだろう。例の少女の手記と地下の手記によって、宗教の存在価値はなくなっている。ここで、ニーチェの「神は死んだ(Gott ist gestorben)」の表現法を使って、それらを表してみる。「私ではなく、Iは死んだ(Not that I am dead but that I is dead)」と。前述の懸念を克服したとき、Iは私の自己の一部ではなくなった。もう、Iは夢に出てこないだろう。さらばIよ。よく私を鍛えてくれた。
  私は拷問の苦痛を体験した。だが、私の苦痛はわずかの間で、父やQ教授は長時間の執拗な拷問の苦痛を体験し、父は生還しなかった。歴史の中では、戦争や強制収容や人為的な飢餓によって多くの人々が、長時間の執拗な苦痛を体験してきた。そのような苦痛の中で、人間は、人間を含む生物が絶滅した方がよいと思うかもしれない。だが、あの少女の手記にあったように、人間を含む記憶をもつ動物が生きて死んで生まれる…ことは、生と記憶喪失と死と生…を繰り返して生きることに等しい。ガラスの反射を手で遮ってよく覗いてみると、星が見えた。私があれらの星を見つめているように、あれらの恒星のいくつかの衛星で、地球上の視覚をもつ動物と同様のものが、既に沈んだように見える太陽を見ている。地球上の人間や動物が絶滅したとしても、限りない時間と空間をもつ宇宙の中では、地球上の生物と同様のものが発生し、人間や動物と同様のものが進化する。限りない時間と空間の中で人間や動物と同様のものが生と記憶喪失と死と生…を繰り返して永遠に生きる。だから、自己がやがて死ぬことへの不安はあまりない。だが、あの地下の手記にあったように、苦痛はどこまでも延々と反復する。惑星を超えて苦痛を減らす努力をすることはできない。言い方を替えれば、惑星の中ではその努力をすることができる。私たちはこの地球において、人間または進化した人間に太陽や地球の激変のときまで生存してもらい、しかも人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛を減退させる可能性をもつ。しかも、執拗で大規模な苦痛を生じるものはむき出しの権力なのであって、私たちは民主的分立的制度を拡充して権力を抑制し相互抑制させ、人間が生じる執拗で大規模な苦痛を減退させる可能性をもつ。
  全体破壊手段は、全廃されしばらくは予防されるだろう。だが、やがて開発、保持しようとする国家権力や私的権力が、出てくるだろう。民主的分立的制度は、拡充されしばらくは維持されるだろう。だが、独裁制へと暴走しようとする公私の権力はどこにでもある。ひとまず自由は確保されたが、侵害し制限しようとする公私の権力はどこにでもある。だから、私たちは気を緩めてはならない。徹頭徹尾、民主的分立的制度を維持し、全体破壊手段を予防しなければならない。だが、ひとまず一歩を踏み出したことは確かだ。今まで人間は、全体破壊手段の全廃や民主的分立的制度の確立を諦めていた。諦めなくなっただけでも一歩じゃないか。ゼロ歩と一歩は全然違う。人間も捨てたもんじゃない。ときにはお祭り騒ぎをしよう。ときにはぐっすり眠ろう。
  ようやく眠くなってきた。明日は全体破壊手段全廃予防機構(仮称)の重要な委員会がある。私の帰還が予想以上に早かったので、急遽、明日になった。確かに委員会と総会の開催を急いだほうがよい。途中でA国に帰らざるをえず、いくつかの不安と葛藤があった。だが、それまでにしていた世界機構の準備を、私は忘れてはいない。ただ、明日こそは寝すぎて遅刻しないようにしないといけない。と思うと、しばらくは眠れなかった。まあ、いくらなんでも客室乗務員が起こしてくれるだろう。このまま宇宙の果てまでということはないだろう。ホテルに寄ると眠ってしまうから、空港から会議場まで直行すればいい。眠れなければ、起きていればいい。そういうときは、予期していなかったものが見つかるものだ。

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