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小説『二千年代の乗り越え方』略称"2000s"

NPО法人 わたしたちの生存ネット 編著

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密航

  A国に帰ろう。妻子にはE国に居てもらおう。と思っていた頃、A国で事件が起きた。A2大学Q教授が消息不明になった、とA国の同僚Xからメールがあった。Q教授はA国のM将軍の命令で拉致され拷問を受けたのだろう。すると、私に不変遺伝子手段の開発の能力があることも分かる。私の研究室も既に調べられたらしい。私は、研究室で全体破壊手段の開発に使われそうな情報を、常日頃から即座に完全削除していた。また、有能で重要なスタッフは既に地下に潜伏していた。残るのは例の「研究補助者」で、M将軍にとって拉致・拷問する意味がない。M将軍は私を躍起になって探しているだろう。捕まれば不変遺伝子手段、つまり、全体破壊手段の開発を強要するだろう。
  私は考えた。C国にいても、いずれはA国のM将軍の手が私に及ぶだろう。M将軍がC国の政府と結託することもありえる。E国は比較的民主的な国で、家族にとって一番、安全なのはE国だ。だが、私がE国に居ると、家族は安全でなくなるだろう。私にとって一番、安全なのはA国の地下の潜伏所だ。同僚たちも私に早く帰ってきて潜伏所に来て欲しい、と言う。P教授が亡くなり多くが地下に潜伏してから、同僚たちのエネルギーがわずかにでも落ちている、と言う。それと密造酒をもっと密造密売しなければ、潜伏と革命のための資金がない、と言う。私は妻子をE国に置いて、単独でA国に向かうことにし、ひとまずE国に入った。
  私は、既にE国で新型ワインの試作に入っていた。E国原産のシソ科の植物EPを原料とする。アルコール発酵の主原料は、従来通り、酵母と糖またはデンプンを多く含む植物である。EPはアルコール発酵を促進するとともに風味を出す。E国ではEPは、谷間や木蔭で生育していた。また、種も簡単に採れ、育てやすかった。都会では光量不足のビルの谷間の空き地や室内の窓際でも生育するだろう。実際、E国ではEPは室内の観葉植物として知られていた。だから、E国の人々にとっては、その新型ワインの試飲に抵抗があったと思う。だが、多くが驚いて旨いと言っていた。そのEPの種子をA国の潜伏所に持ち込んで、新型ワインを密造密売し、資金稼ぎをする計画を立てた。政治的にもワイン造りにおいても革命でござる。
  残る問題は、私と種子を、どうやってA国のグループGの潜伏所まで運ぶかだ。それは意外と簡単だった。E国では妹はシンデレラで、その夫は王子みたいなものだった。E国は酒類の製造販売は民間でも違法ではなかった。その父である王みたいなものは、E国で酒類を製造販売するだけでなく、A国等への酒類の密輸を取り仕切っていた。さらに、A国のあのM将軍がその密輸に絡み暴利を得ていた。その密輸ルートで私と種子が運ばれることになった。つまり、密輸ルートが密航ルートにもなる。M将軍が密航ルートの最終部分を作ってくれているようなものだ。妹の夫も乗船して、最終部分で確実に反政府グループGの同僚に私たちを手渡す、と言う。
  酒類を運ぶ密輸船は、表向き漁船であり漁もでき、船員だけでなく漁師も乗っていた。それが密航船にもなる。私と種子と妹の夫は、その漁船かつ密輸船かつ密航船に乗り込んだ。青空の下を進む船の寝室で、私はA国の新憲法の私案を練った。ときには妹の夫や船員や漁師と、酒を飲み魚を食べながら語り合った。どこまでも青い空と海とありあまる酒と魚。ときには暴風雨が来て、船も脳も激しく揺れる。憲法の私案を書き下す絶好の環境だった。憲法の私案と言っても、P教授の集大成とサマリーを私がさらにまとめたものに過ぎない。それは容易なことだった。また、P教授の集大成とサマリーはネットワークで公開され、世界の市民から多くの反響があった。その反響も私は拝借した。特にB国のB1大学法学部の教授だったVの批評を参考にした。この時点では、それが世界の新憲法の基本になるとは思っていなかった。だが、P教授の集大成とサマリーなのだから、世界の憲法の基本になるのは当然だ、と後で思った。P教授は亡くなった後も憲法と政治制度の世界的権威だった。
  妹の夫とも語り合った。暴力団と麻薬、覚せい剤等の密造密売グループは既に世界的に殲滅されていた。それは、それらが政治的経済的権力者と結託しながら、後に疎んじられたためだった。妹の夫は「だから、徹頭徹尾、俺達は反政府側に付く」と言う。それは有難かった。だが、革命完結後はどうなるだろうか。酒類の製造販売を公権力が独占し、他の酒類を「密造酒」として禁止することはなくなるだろう。すると酒類を「密輸」する必要もなくなる。すると、妹の夫たちの仕事もなくなる。妹の夫には正直にそのことを話した。妹の夫は「それなら、本来の漁業に戻るさ」と言う。私は思わず「堅実だな…」と唸っていた。それは冗談ではない。食糧資源は二千年前後と比較にならないほど重要になっていた。E国近海ではまだ、乱獲されなかった小型の魚類が残っていた。小イワシや小アジである。しかも、遺伝子操作されていない自然の食材である。この頃、自然の食材に対して好き嫌いを言う一般市民は皆無だった。

潜伏所

  漁船はA国の首都に最も近い漁港に着いた。私と種子は大型の魚ケースの中に入った。妹の夫がケースを綺麗に掃除してくれていた。パニック発作の予防のために、抗不安薬を飲んでおいた。魚の臭いはしなかったが、洗剤の臭いが少しあった。そのケースは、間違えば、M将軍の一味に手渡される。声を聞く限りで、ケースは妹の夫の手で間違いなくグループGの同僚に手渡された。そう思った。だが、潜伏所からここまで来るには同僚は、政府にまだ顔が割れていない者でなければならない。そのような同僚の声には私も馴染みがない。もしかしてM将軍の一味かもしれない、と思うと不安だった。また、潜伏所まで約一時間、トラックで運ばれた。抗不安薬の効果か分からないが、パニック発作のようなものはなかった。また、揺れも耐えられた。だが、手足を伸ばせないのが辛かった。
  潜伏所に入ると同僚X(♀)、Y(♂)、Z(♂)の声が聞こえ、ようやく私は安心した。足がしびれて、しばらくは歩けなかった。私は、彼らに抱きかかえられるようにして、ケースの外に出た。Zは早めに潜伏したのでまだ政府に顔が割れていない。私とXとYは既に顔が割れている。私はZに地下の武器庫を案内してもらった。小型の掘削機も数台あり、ゆっくりだが確実に掘り進んでいると言う。私が見ても何が何やら分からなかったのだが、ライフル兼機関銃、ロケット砲はもちろん、小型ドローン、小型無人潜水艦、対空ミサイルまであるらしい。既に何人かの同僚が軍に潜入しており、横流ししてくれたらしい。訓練は地下で行える。戦車の部品も調達してある。この頃、戦車の自動運転や遠隔運転も発達していた。それらのための部品もある。そのうち車庫と出口を作って、戦車を組み立てる。いざというときは地上に出すつもりらしい。小型ドローンの操縦訓練は既に地下でしている。そのうち、小型無人潜水艦の操縦訓練をするプールも作るらしい。
  潜伏所から街への通路は既に多数できている。途中をドアだけでなく、土で閉ざすこともできる。だから、部分が暴かれても、全体が暴かれることはない。また、Xらが地下鉄、地下駐車場建設などの都市計画のデータを入手し、その予定地には掘らないようにした。
  政府側のスパイまたはダブルエージェントが潜入してくることはありえる。私たちはそれに備えて、面接でP教授のサマリーを理解しているか密かにテストした。本物のスパイならP教授のサマリーを読む暇もないだろう。だが、稀にそのサマリーを暗記してくることはありえる。だから、単なる暗記ではなく、理解しているかテストした。そのような「テスト」をZらが密かに街の居酒屋などでし、「合格」した者だけを潜伏所に連れて来た。また、外部の住宅街に見せかけの反政府グループGFを作り、しかも拠点を転々としてもらった。確信をもてない者はそこを拠点としてもらった。GFにはZらまだ顔が割れていない同僚が行き、有益な情報と兵器を含む物資をもらって帰った。GFにはこの本物の潜伏所を知らせず、場合によっては敢えて偽情報を流した。例えば、グループの本拠地は広大なAM山の中にあると。Zらも登山服を着てGFに行った。すると実際にそのAM山が捜索されているようだった。しばらくして、その地下にあると偽情報を流した。広大な山の地下…捜索は大変で、ずっと続くだろう。それが偽情報ということもばれないだろう。偽情報だということがばれると、GFやGFへのスパイに犠牲者が出る恐れがある。そのように、私たちは、GFや政権側のスパイを守るためにも、できるだけのことをした。そのように、犠牲者が出ないように心がけつつ「カウンターインテリジェンス」としてできるだけのことをした。
  私はさっそく、防弾チョッキとガスマスク装着の訓練を受けた。地下では全員がヘルメットだけでなくガスマスクを身近に置いていた。私は、例のシソ科植物EPの栽培を始めた。適当なプラスチックケースをプランターとし、地下を掘って出た土を利用し、LEDライトを設置した。しばらくはEPへの水やりが、私の仕事だった。一か月もすれば、新型ワインの密造密売が始まるだろう。

自己がやがて死ぬことへの不安を克服する決定的方法

  しばらく掘り進むと、何かの遺構の中を掘り進んでいることが分かってきた。だから、掘削が比較的容易だったのだろう。私は植物栽培のために、掘って出た土のより分けもした。その中にどうみても人間の死体のかけらがあった。衣服や眼鏡や義歯や、はたまた手錠までが付随していた。前腕の骨に錆びた手錠が絡まっていた。義歯が顎骨からはみ出ていた。掘り進むにつれて、死体の数が増えるようになった。これは記録に残さないといけないと考え、後で慎重に発掘調査することにして、その辺りへの掘削を中止した。
  A国では二千年代に入って今の独裁政権は二つ目である。前の独裁的な政権を今の政権が倒して、さらに独裁的になった。最初は、それらのどちらが出した死体か分からなかった。衣服に手記が残っていて、判読できることが多かった。それらの手記から、その辺りはいわゆる政治犯の地下牢で、人々は前の独裁政権に牢ごと生き埋めにされたことが分かった。そんな中に以下のような手記があった。
  まず、以下の引用から始まる。

  人間を含む記憶をもつ動物が、生まれて生きて記憶を失って死んで他の動物が生まれて…と繰り返すことは、動物が記憶喪失を繰り返しながら永遠に生きることに等しい。仮に地球上の生物が絶滅しても、無限の空間と時間をもつ宇宙の中で、地球上の記憶をもつ動物と同様の生物が無際限に発生し進化する。宇宙で記憶をもつ動物が、記憶喪失を繰り返しながら永遠に生きる。だから、自己がやがて死ぬことへの不安はない。

  これは二千年代に入ってしばらくして、白血病末期の少女が書いてベストセラーになった手記の一部である。人間においては一般に、三歳頃から自己のイメージが生成する。それとともに、宇宙の空間的時間的無限性がイメージされ、それに対する自己の有限性がイメージされる。そして、「自己がやがて死ぬことへの不安(The anxiety about the self's dying sooner or later)」が生じる。それは究極の不安である。その不安を克服するために、人間は宗教を創造し頼った。だが、宗教も何も、その不安を超える決定的方法を提示できなかった。少女は、その不安を超える決定的方法を提示した。既に衰退しかけていた諸宗教に決定的な打撃を与え、諸宗教はほとんど衰退した。結局、人間は、自己がやがて死ぬことへの不安を超えるために、宗教を作った。宗教がその不安を超えられず、少女がその不安を超えたとき、宗教の必要性はなくなった。今はその少女の手記が宗教の代わりになっている。
  私も、ものごころ付いた頃、そのような不安に耐えられず、一日中、泣いていた気がする。私が初めて読書したのはその少女の手記で、救われた気がした。といっても、その少女が生きていれば、私が子供のとき既に初老だった。私は子供ながらにその初老の女性を想像してみた。その想像の女性はよく夢に出てきた。私はその女性を子供ながらに「I」と呼んでいた。今ではIは、ほとんど老婆になって夢に出てくる。髪の毛は白髪だが、顔は少女のような顔をしていた。
  夢は、感覚と異なり、外的状況を直接的に反映しない。直接的には、自己または自己の内的状況を反映する。夢に出てくる外的状況は、自己の外的状況の認識を反映する。大人になってから、私はそのことをしっかり認識し、老婆Iの夢を自己への直面の手掛かりとした。間違っても外的状況を象徴するものにしないようにした。

人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛を減退させること

  地下にあった手記は、その少女の手記に留まらず、以下のように発展する。

  「…(上記の少女の手記の部分)…」と言われる。確かに死への不安はない。私たちは生と記憶喪失を繰り返して永遠に生きる。だからこそ、このような苦しみが延々と続く。私たちはそのことが耐えられない。苦痛の一部は、動物の固体または個人と種が生存するために必要である。例えば、皮膚への痛みは、攻撃が深部の内臓に達し致命的となることを防ぐ。また、飢えや渇きは、個体に食物と水を摂取させ、個体と種の生存を保証する。また、性欲不満は種の生存を保証する。それらの身体的苦痛だけが苦痛でない。人間は恐怖、不安…などの精神的苦痛ももつ。精神的苦痛も必要なことがある。適度な恐怖と不安は、人間が未然に危険を察知し回避するために、必要である。だが、人間は、戦争や虐殺や専制によって、不必要で執拗で大規模な苦痛を生じる。その真っただ中に私たちがいる。前述のように死への不安はない。だが、生と記憶喪失と生…の繰り返しの中で、再度、再再度…人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛を味わうのは耐えられない。そこで、宗教も必要だというのでは全くない。責めて、人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛を減退させたい。はるかかなたの星で生じる苦痛を減退させることはできない。だが同じ地球の中で生じる苦痛を減退させることはできる。人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛を人間が減退させることは、全く不可能ではない。それを死んで記憶喪失して生まれてを繰り返す人間、つまり、私に伝えたい。

  この発展は少女にできるものではなかった。想像を絶する苦痛の中では、過去に多くの人間がこの境地に至ったのではないだろうか。これは、人間が至りえる最深の境地だと思った。これは、生と記憶喪失を繰り返し実現可能な最大の欲求であり目的であると思った。それと同時に現実世界を超越する傲慢さも、人間の理性面と情動面での傲慢さもない、ささやかな欲求であり目的だと思った。あの少女の手記は自己がやがて死ぬことへの不安を克服したが、人間社会の倫理や道徳を提示できない、という批判が一部にあった。この地下の手記はその批判に答え、少女の手記を補完した。宗教がなければ、人間の価値や倫理や目的は生じないというのは、宗教の思い上がりである。宗教がなくてもこれだけの目的と欲求は生成する。いや、宗教がないからこそ、これほど明確な目的と欲求が生成する。快楽はそれぞれの個人が自由に追求すればよく、自由に追求する必要がある。それが個人の生き方である。それに社会は介入してはならない。それに対して、人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛を、私たちは減退させる可能性をもち、減退させる必要がある。それが個人と社会の生き方である、と思った。

権力を抑制し相互抑制させること

  さらに私たちは以下を補足する。不必要で執拗で大規模な苦痛を生じるのは、政治的経済的権力である。それらの権力を抑制しそれらを相互抑制させる必要がある。国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立し、民主的分立的制度を拡充する必要がある。そして、人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛を減退させ、自由を確保しつつ、全体破壊手段を全廃し予防し、地球や太陽の激変のときまで人間または進化した人間を含む生物が生存する。私たちの目的がより明確になった。
  再度慎重に調査を行えるよう、その辺りに至る目印を置き、その方向にそれ以上、掘削しないようにした。既に取り出した手記は写真にとって、現物は乾燥剤、酸化防止剤とともに封印し大切に保存した。あの少女の手記を引用として含むあの地下の手記と、その写真と、私の考察と補足を、私はネットワークで公開した。もちろん、発掘場所、発掘者、考察者…等は匿名にした。静かだが確実な反響を呼んだ。

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