COPYRIGHT(C)2000 OUR-EXISTENCE.NET ALL RIGHTS RESERVED  引用するときは必ずリンクしてください 


小説『二千年代の乗り越え方』略称"2000s"

NPО法人 わたしたちの生存ネット 編著

トップページ   目次   登場人物   前のページ   次のページ  

戦争と革命と全体破壊手段の全廃の並行

  既に、A国の反政府グループGの同僚Xらが構築したネットワークは、世界中の反政府グループと市民が利用する世界的ネットワークになっていた。それをさらに強固にするためには、情報技術者が一か所に集まる必要があった。また、既に世界中の反政府グループが独裁と全体破壊手段に対する対策をネットワークで練りあげ、ある程度、言語化していた。だが、それらをさらに明確に言語化するために、実際に筆を執る者が対面で協議する必要があった。それらの会合の場所としてB国の反政府グループHの潜伏所が選ばれ、A国のグループGからXと私が選ばれた。また、世界中の反政府グループが資金集めに苦労しており、例のシソ科植物EPの種子を必要としていた。そこで、Xと私と種子がB国に運ばれることになった。
  その頃にはあのE国の密輸・密航グループが世界で暗躍しており、世界中の反政府グループのスタッフと軍需品を含む物資を密輸、密航させていた。私たちはお世話になった。私については二回目だった。相変らず漁船の装いをしていた。空と陸に対しては諸国政府が厳戒態勢をとっていた。それに対して、海、特に漁船は盲点だった。唯一の弱点は内陸国のスタッフと物資を輸送できないことだった。だが、そこは内陸国と海沿いの国のスタッフが連携した。多くの国でそれぞれの中に複数の反政府グループがあった。だから、たいてい一つの国から複数の反政府グループが参加した。結局、世界中のほとんどの反政府グループが集まった。
  私と同僚Xと種子はB国の反政府グループHの潜伏所に着いた。私はB国に留学していたこともあって、B国語を話せた。情報科学技術の最先端はB国で、Xは少なくとも専門家どうしでB国語を話せた。B国のグループHの潜伏所は、A国のグループGの潜伏所より規模はやや小さい。だが、インテリアに配慮があり、地下の壁には地上の自然の景観や遺跡の写真が貼ってあった。二千年より前にあった自然や遺跡の多くがもはやない。だが、それらの写真は残っていて、貴重なものになっていた。私(♂)とX(♀)は一つの狭い部屋に案内された。ベッドが二つあり着替えも洗面具も置いてあった。ベッドの間に薄っぺらいカーテンはあった。「もしかして、相部屋?」私は思わず言った。Xは笑っていた。A国のグループGの潜伏所はここより少し広く、スタッフは狭い個室で休憩することができた。また、E国の密航船の中でもさらに狭いカプセルのような個室があった。この緊急会議の期間でしかもB国の比較的狭い潜伏所で、相部屋となるのは当然のことだろう。私たちは薄っぺらいカーテンを閉めて着換えをした。
  それから主要な会議室のような所に案内された。B国の反政府グループHの同僚V(♂)が、出迎えてくれた。私たちは思わず握手という古めかしい挨拶をした。十年ほど前の留学の頃は、まだ対面で、握手やキスやハグという古めかし風習が残っていた。今は世界的にアイコンタクトと手振りが、挨拶の主流になっている。それは遠隔の映像や音声でもできるからだと思う。会議室はここしかないようだ。既に各国の反政府グループのスタッフが、それぞれの専門に別れて協議し、部屋はごったがえしていた。同僚Xは早々、世界の情報技術者集団に加わった。
  世界中の反政府グループは、来るべき革命に備えて、最低限度の市街戦の作戦を練っていた。内戦または革命で、全体破壊手段を使用する馬鹿はいないだろう。だが、市街戦は避けられないだろう。だから、反政府グループの戦略家も、ここに集まって協議していた。A国の反政府グループGの同僚Zはネットワーク経由で参加していた。
  B国の同僚Vと対面で会うのは数年ぶりだった。Vは、私がB国のB1大学に留学していた頃は大学院生で、以来、仲が良い。小国F出身のWとも仲が良く、既にこの頃から三人が中心になって、ささやかながら国際的な反政府グループを結成していた。だが、Wは、早々にF国に帰国し、早々に消息不明となった。F国の政府の弾圧により帰らぬ人となったと思っていた。当時、私とVは、Wのことを思いながら、反政府活動のあり方を語り合った。できるだけ犠牲者を少なくするにはどうすればよいかと。以下の準備段階のいくつかはその頃既に語り合っていた。Vはその後、B国のB1大学の法学部の教授になっていた。だが、反政府グループHを結成し、早々、地下に潜伏していた。
  私はさっそくA国から十リットルタンクに入れて持ち込んだワインを出して、パーティー兼総会の準備を始めた。乾杯ぐらいにはなるだろう。だが、乾杯はあったが、パーティーにはならず、さっそく真剣な討論になった。
  世界は、少なくとも二つの超大国を含む少なくとも局地戦争が不可避な状況にあった。また、既にネットワークで、国家や国家間の同盟という縦割りの構造に対して、世界の市民と世界の権力者という横割りの構造ができつつあった。そこで、私たちは、そのような横割りの構造の中で、(1)戦争を権力者間のものに限定し、権力者を弱体化させ、(2)世界的な革命を起こし、(3)それらの勢いをもって全体破壊手段を全廃することを、計画していた。つまり、(1)が(2)の好機となり、(1)(2)が(3)の契機となる。革命を起こしたての諸国がまとまらない限り、全体破壊手段の全廃はない。世界的な革命が起きた直後を逃せば、全体破壊手段の全廃はない。特にそれを確認した。それらの大きな流れに異論はなかった。
  それらの詳細について、すでにネットワークでかなり出来上がっていた。それらが、以下のように議論され練り上げられた。もちろん激しい議論があった。それらのうち主要なものは後述する。

次のページ
 引用するときは必ずリンクしてください  COPYRIGHT(C)2000 OUR-EXISTENCE.NET ALL RIGHTS RESERVED