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小説『二千年代の乗り越え方』略称"2000s"

NPО法人 わたしたちの生存ネット 編著

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悪循環に陥る傾向への直面

  B国に向かう密航船の中で私は少しばかり回想した。私とあの売春婦Kは十数年前に付き合っていた。当時、私はまだ未婚、B国への留学からA国に帰ったばかりで、A1大学の準教授だった。当時はスラム街は形成途上にあった。大学の帰りにたまたまその街の飲み屋に寄ると、Kが働いていた。Kも未婚。まだ売春どころか水商売とも言えず、Kのほうから寄ってきて、いい仲になった。
  Kは、ともかく、人から離れない人を離さない。人の家から帰らない、自分の家から人を帰さない。人を巻き込み操作し、自傷をしてでも、人を離さない。やがて、私のアパートに入り浸った。私が出て行ってくれと言うと、Kは自分の手首を切り始める。私がアパートに帰らないと、電話をひっきりなしに掛けてくる。電源を切ってアパートに帰ると、大人しくしていたので、よかったと思っていた。しばらくして、アパートでパソコンで書いていた大事な論文に、古典的な隠語が埋め込まれていることが分かった。何を言っても無駄である。と思っていた頃、出て行ったまま二、三日、Kを見ないことがあった。と思うと、研究室のドアを開けると、Kが私の椅子に座っていた。ゆっくり椅子を回して微笑んでいたあの顔は、何とも表現のしようがない。目は笑っているが、頬が引きつっていた。
  Kの両親はKが生まれて間もなく離婚。母親は男から男へと渡り歩いていた。Kは放置され、発育不全を医者から指摘されたこともあった。ものごころついた後にも、母親が家に男を連れて来て、Kは外に放置されるか、家のトイレで静かにしているしかなかった。
  私は、B国留学から帰って来た頃から、A1大学で、P教授(当時も教授)だけでなく、臨床心理学のR教授(当時は准教授)とも仲が良かった。当時は飲んで語ることはRとのほうが多かった。二千年前後の臨床心理学は基本的な概念が明確でなく、一般市民には難解だった。それをRらが中心になって、概念を分かりやすく整理した。その整理に私との飲み語りが役立っていたと思う。それはRも認めていた。また、男性より女性のほうが支配性や破壊性や権力欲求が少ないだろう。ということで、女性の政界進出がもてはやされた時代があった。だが、その後、支配性や破壊性や権力欲求に、男女差がないことが実証された。実際、B国のBP大統領を初め世界の独裁者の約三分の一が女性だった。つまり、女性の美徳と見られた部分についても男女差はない。それを実証したのがRだった。それによってRは世界的に、学会の中でだけでなく、市民の間でも有名になった。私がRとよく飲み語りをしたのは、Rがそれを実証し有名になる前だった。飲んでいろいろ語り合った。Kのことも飲んで語るだけで、相談というほどではなかった。
  ある夜、Rは私に臨床心理学を語り始めた。二千年前後の臨床心理学は、乳幼児期に最も頻繁に子供に接した人間を、主たる養育者等と呼んでいた。そのような呼び方をしていると言葉が煩雑になる。また、一般市民の多くにとって、それは実母である。そこで、それをRたちは「母親」と呼んでいる。いずれにしても、その母親は実母でも義母でも、実父でも義父でも、祖父母でも兄姉でも、近所の人や保育士でもありえる。また、臨床心理学で問題となるのは、あのTにあったような虐待、放置などの極端な例だけではなく、一般の愛情とケアの希薄である。それを二千年前後の臨床心理学は様々にとらえ様々な呼び方をしていた。例えば、母親が全般的な欲求不満に陥り、子供を囲い込んで愛情以外の欲求を子供で満たすときも、愛情は希薄になる。そのように母親の愛情が希薄になる過程は様々だが、愛情の希薄が子供に与える影響はほぼ同じである。また、どんな場合も愛情が完全に欠如することはない。だから、Rたちは、母親の愛情が希薄であることを、文字通り「愛情希薄」と呼んでいた。Rは言った。「乳幼児期に母親の愛情とケアが希薄であると、子供は母親の愛情とケアに満足できず、いつまでも母親の愛とケアを求めて母親に粘着し自己顕示し母親を支配し破壊し続ける。通常は三歳前後に子供は、母親の愛情とケアに辟易して、母親に粘着…などしなくなる。また、母親以外に人間関係を広げ、母親以外に粘着…など以外の対人機能を生じる。そして、粘着的、自己顕示的、支配的、破壊的傾向が減退し、少しずつ独立していく。それに対して、母親の愛情とケアが希薄であると、子供は愛情とケアに辟易することができず、いつまでも母親に粘着…などし続け、過度の粘着的、自己顕示的、支配的、破壊的傾向が形成される。乳幼児期を過ぎると母親以外にも粘着…などし続ける。それらの傾向を『悪循環に陥る傾向』または略して『陥る傾向』と呼ぶ。二十世紀前後に『人格障害』や『発達障害』と診断されていたものの多くが、この陥る傾向だということが分かってきた。いずれにしても、遺伝とか神経系の機能的器質的障害によるのではなく、乳幼児期からの状況と自我によって形成されてきたものだ」と。さらに飲まずに続ける。「陥る傾向は、人間の誰もが大なり小なりもっている。特に多いのは粘着的傾向だ。粘着的傾向は『ネチネチしている(Sticky)』とか『人に話を聞かせようとする』とか言えば、一般市民にも分かりやすいと思う。いや…それより多くてやっかいなのが、『イメージとして想起される自己の陥る傾向を回避し取り繕う傾向』だ。簡単に言って、自己の汚い側面を見たくない。まだ、幼少の頃の貧困や戦争や虐殺ならまだしも、母親に愛してもらえなかったことを大人になっても引きずっているなどということは、恥ずかしくて認めたくない。だから、自己の陥る傾向がイメージとして想起されたとき、そのイメージを回避する、取り繕う。それによって、私たちは自己の陥る傾向に直面できず、陥る傾向は一向に減退しない。これこそが最大の悪循環だ。つまり、陥る傾向の最大の原因は、乳幼児期の母親の愛情とケアの希薄や母親の囲い込みや思春期の模倣…などにあるのではなく、思春期以降のイメージとして想起される自己の陥る傾向を回避し取り繕う傾向にある。簡単に言って、他人や子供の頃の環境にあるのではなく、大人になってからの自己にある」さらに「これからが大事なことだ」と飲まずに続ける。「陥る傾向を減退させるには、話を聞くとか、寄り添うとかも必要だ。だが、それだけでは十分ではない。私たちのそれぞれが、自己の陥る傾向に直面する必要がある。カウンセラーは、傾聴し寄り添いつつ、その直面のお手伝いをするというのが、今の臨床心理学の主流だ」そこまで話して、今度は飲んで「お前は、傾聴し寄り添いつつ、その直面のお手伝いをしてみろ」と私に言う。これは相談ではなく飲み語りなのだから、「よし、やってみよう」と言うのでは面白くない。代わりに私は「お前がやれよ。お前に押し付けてやるよ」とRに言っていた。
  ところが、それが冗談でなくなった。私はKに心理カウンセリングを勧めた。Kもカウンセリングに興味をもって、カウンセラーを探した。私が勧めたわけではないのに、A1大学のカウンセリングセンターを訪れて、たまたまRについた。すると、Kは私から去って行った。
  後にRと飲んで語っていると、Rは最初は「いい症例をありがとう。いい研究ができるよ」と言っていた。だが、飲み進むにつれ、RもKに相当、苦労していることが分かった。Rは少し痩せた。Rの顔にはいかにもコップを投げられたという傷があった。Rの酒量は増えた。Rの今後の研究にも係るのではないかと思った。そんなある日、KはRからも去って行った。Rはしばらく立ち上がれなかった。しばらくして、Rは立ち直って、語る。「精神障害者や人格障害者に限らず、人間の誰もが、それぞれの陥る傾向をもっている。思春期までにその傾向が形成される。思春期以降は、誰もが自己の陥る傾向に直面し、その傾向が減退していく。それが人生だ」と。Rによると権力に過度に反抗する傾向も、陥る傾向に含まれる。だが、それは乳幼児期の母親の愛情とケアの希薄によって形成されるのではなく、思春期に形成されるらしい。私も父に反抗し、権力に反抗する傾向が形成され、その傾向に直面し、権力に過剰に反抗する傾向が減退してきたと思う。そして、権力者に反抗するのではなく、権力そのものを民主化し分立する必要がある、と思うようになった。臨床心理士も同様に、自己の陥る傾向に直面し、それを糧にしてクライアントとともに陥る傾向に直面していくのだと思った。だが、これは飲み語りだから、「お前もたまには分かり易いこと言うじゃないか」と言っておいた。その後、Rの論文をちょっと読んでみると、本当に分かり易くなっていた。いずれにしても、よく語り合っていると、互いに表現方法を拝借して、表現方法が似通ってくるのだと思った。また、思考内容についても、互いに吸収し合って、似通ってくるのだと思った。それらはP教授と私についても言えると思う。以上が密航船で思い出したことである。以下は密航船で考えたことである。M将軍もたいへんだっただろう。M将軍はどうKと接したのだろうか。以下は後に推測して、私が考えたことである。M将軍は権力を使って解決したようだ。それが権力者のやり方か。こういう場合は、一個の人間として、その人間とともに自己の陥る傾向に直面するべきではないのか。そのようにM将軍に言いたかった。
  私は専門分野で、遺伝子を究めようとしてきた。また、原子核も、少しは究めようとしてきたと思う。つまり、ものそのものの世界における微小な二つの「核」を究めようとしてきたと思う。それらに対して、あらわれるもの、つまり心的現象の世界における「核」と思われる自我の働きも、究めてみたいと思った。

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