COPYRIGHT(C)2000 OUR-EXISTENCE.NET ALL RIGHTS RESERVED  引用するときは必ずリンクしてください 


小説『二千年代の乗り越え方』略称"2000s"

NPО法人 わたしたちの生存ネット 編著

トップページ   目次   登場人物   前のページ   次のページ  

史上最大のどさくさに紛れて

  と思いきや、A国時間、午後十一時半、シェルターに逃げ込んでいた超大国Cの軍の実質的指導者が、地上に出ようとした。そして、地上に残る軍をコントロールしようとした。そしてあろうことに、超大国Aと超大国Bに侵略しようとした。なるほど、他国のどさくさに紛れて、それらを侵略し占領し支配する。第三国の権力者がいかにも考えそうなことだ。C国の隠遁していた元革命家Uは、それをいち早く察知した。そして、C国の市民と軍の前面に立ち「他国に干渉するな。自国の権力者を倒すことに専念しよう」と演説を行った。C国の地上に残された軍は、指導者に従わず、Uに従い、シェルターの封鎖をより厳重にした。電磁波も通らなくした。Uは暫定政権の樹立と暫定憲法の公布まで、市民と反政府グループの背後に立ってくれた。Uは約束を守った。しかも、隠遁生活の中でも、C国の動きを注視していてくれた。その結果、やはり世界の犠牲者が千人を超えることはなかった。
  以上を同僚Xは私に報告してくれた。
  私は、顔も洗わず、無精ひげも剃らず、髪の毛も解かさず、グループGの同僚らのもとに向かった。ホテルの受付嬢も戻ってきていて、宿泊料を既に受け取っていた。Xが説明してくれていた。私が寝過ぎてチェックアウトが遅れ、本来なら追加料金が必要なのだろう。だが、受付嬢は、朝食をサービスできなかったから、追加料金は要らないと言う。それもXが交渉してくれていた。つまり、私たちは「どさくさに紛れて」ではなかった。受付嬢は私とXに向かって歯切れよく「いってらっしゃい」と言う。私もXも反射的に「いってきます」と言っていた。街の機能も戻りつつあった。寝坊したのは俺だけか…

革命のクライマックス

  私とXは行政府と立法府の間の広場に着いた。広場の周りの建物の多くが完全に破壊されていた。スラム街の人々がテントを張っていた。交戦はなくても疲れているだろう。何故か、人々が私たちのほうへ寄ってきて歓声を挙げた。私たちは革命の後ろ盾として凱旋する形になった。広場の真ん中辺りでグループGの同僚が立ち話をしていた。Zが「革命の真っ最中に眠っていられるとは、どんな神経を…」と笑う。私が眠っていたことは彼らにも伝わっていた。手の余った同僚とスラム街の人々が炊き出しをしてくれて、私とX以外は既に朝食も昼食も済ませていた。私とXはようやく朝食にありつけた。例のシソ科植物EPも入っていた。本当に「革命でござる」になった。停止されていた報道機関も再開しつつあった。結局、私は革命の絶頂を世界に既に放映された映像の録画で見ることになった。朝食を貪りながら。次のように。
  スラム街の人々が、既に大きく開かれた正門を抜けて広場に押し寄せる。その後を地下で組み立てられた戦車が一台進む。その周りをスラム街の人々が進む。後にもスラム街の人々が延々と続く。それを望遠レンズがとらえる。結局、地下で組み立てられた戦車は、ここでこんな風にしか役に立たなかった。それは好ましいことだ。Zが戦車のハッチに座って照れくさそうに笑っている。砂ぼこりが立つ。それを太陽の光線が差す。なかなかいい映像だと思った。無血革命を目指し、衝撃的な映像を残すような革命にしたくないと思っていた。だが、無血革命はいい映像になると思った。だが、Zには「なんだ、お前も戦車もこれだけのことをしただけじゃねえか。俺は寝ててよかったよ」と言っておいた。本当は「無血革命」を精一杯祝福していた。眠っていた私だけでなく、グループGの同僚やスラム街の人々を含む市民の誰もが戦闘をしていない。それどころか戦闘を見ていない。かすり傷一つ負っていない。これこそが無血革命だ。それを世界と歴史に誇りたい。だが、ヒヤッとした。数人が戦車によじ登ろうとし、Zが引き上げようとした。戦車はすぐに止まった。「馬鹿野郎!事故が起きたら、無血革命じゃあなくなるじゃねえか」と私は思わず叫んでいた。私はそれが録画であることも忘れていたようだ。数人が無事に戦車に昇った。Zは他を丁寧に制止しした。戦車は再び動き出した。昇ってきた人々が腕を空に突き上げる。人々の歓声が響き渡る。Zは、ハッチから出て、戦車に昇って来た人々に突起物をしっかり掴ませていた。Zは、このような事態も想定して、実際に戦車の突起物を確認していた。しっかり準備をしてくれていた。そして市民の犠牲をゼロに抑えた。これこそが真の革命家じゃないか。復活したばかりのマスコミのカメラワークと編集も、さすがプロだと思った。弾圧中も、機材を点検し、レンズを磨いていたのだろうか。やがてカメラが人々の中に入っていく。カメラに手を振る人々もいた。あの居酒屋の馴染み客Jもすっかりスラム街に溶け込んだWも、肩を組んで手を振っていた。Wは左利きだった。だから、WとJが肩を組む姿にぎこちなさはなかった。この時点では周辺部の市民も大勢なだれ込んでいて、貧富の格差は分からなかった。それも望ましいことではないだろうか。そのような映像が既に世界中に放映されていた。
  しばらくしてXと私の「凱旋」の様子も放映された。そんなことなら、顔を洗って無精髭を剃って髪の毛を解かしてくるんだった。私は「俺って写真うつり悪いな」とぼやいていた。Xは軽やかにさわやかに映っていた。それが救いだった。Xの間に合わせのポニーテールが、文字通り仔馬の尻尾のように揺れていた。Xの歩き方は、仔馬というより、小鹿のようだった。Xには悪いが、三十過ぎとは思えなかった。
  C国の元革命家Uの演説も世界に放映された。七十過ぎの女性の伝説的革命家だからこそのド迫力だった。カメラアングルもよかったのかもしれない。C国の新政権樹立、新憲法公布のときの映像も流れていた。Uは背後で隠れそうになっていた。「一秒ぐらいはUをアップにしてもいいんじゃないか」と思ったが、それも言論や表現の自由のうちと思い、言わなかった。いずれにしても、C国では新旧の反対者が協調しての革命になった。二千年より前にもいくつかあったパターンである。

世界同時同日革命

  結局、すべての国で、A国時間の午後九時から翌日の午後九時の間に「民主的分立的制度」を採用した暫定政権または新政権と暫定憲法または新憲法が成立した。だから、今回の動きは文字通りの「世界同時同日革命」だった。多くの国で、旧政権と軍の幹部がシェルターに籠ったままの状態で、暫定政権と暫定憲法が成立した。超大国A、Bがそれらに含まれる。だが、多くの国で彼らは地上に戻りつつある。いくつかの国では権力者は、反政府グループと市民の動きを止めることはできないと見た。シェルターから地上に戻って、反政府グループと離反者と協議した。その後、シェルターに逃げていた者も加わって暫定政権と暫定憲法が成立した。「どさくさに紛れて」が起きかけた超大国Cがそれらに含まれる。ただし、どさくさに紛れてを主導した人物は逮捕された。C国ではここでも、元革命家Uの力が効いた。民主的分立的制度がわずかにでもあった国では、権力者がシェルターから地上にすぐに戻って、それらの動きがスムーズだった。妻子が疎開しているE国がそれらに含まれる。Wが出たF国について、それを併合していた大国で暫定政権と暫定憲法が成立すると同時に、F国が分離独立した。結果としてF国で、大国のものから少し修正された暫定政権と暫定憲法が成立した。それらも含めて今回の世界の動きは「世界同時同日革命」だった。
  だが、B国を始め、多くの国で完全な無血革命といかなかった。深夜の寒冷地市街戦で曇る息も、熱帯の太陽の下で戦士の顔から滴る汗も、黒煙に差す朝日も、映像で流れていた。それは旧政権や旧軍の幹部がシェルターに逃げ込みながら、地上にいる振りをしたからだった。例えば、B国政府はシェルター内に地上に見えるセットを作り、それを背景として、BP大統領が語り掛ける映像をB国に配信した。その映像は後にも流れた。本当によくできたセットで、窓の外には高層ビル街があるように見えた。そのように政治的権力者が地上にいる振りをしたから、交戦がいくつかあり、世界で反政府グループと旧政権側を合わせると数百人の犠牲者が出た。だが、政治的権力者がシェルターに逃げ込んでいることを、各国の反政府グループの情報技術者が暴いた。それによって、地上に残された武官と文官が離反した。だから世界の犠牲者が数百人で済んだ。

次のページ
 引用するときは必ずリンクしてください  COPYRIGHT(C)2000 OUR-EXISTENCE.NET ALL RIGHTS RESERVED