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小説『二千年代の乗り越え方』略称"2000s"

NPО法人 わたしたちの生存ネット 編著

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葛藤

  諸国で旧政治的権力者は、それぞれのシェルターに逃げ込み、そのことが彼らの命取りになった。諸国で新政権がシェルターの出入口をすべて封鎖し、シェルターと地上が別の宇宙のようになっていた。シェルターでは住民は世代を超えて数百年、生存可能と言われている。そのためには、男女ほぼ同数が退避しなければならなかった。だが、実際はそうでなかった。それは権力者が、全体破壊手段が使用されなければ、すぐに地上に戻って、支配権を回復できる、と思っていたからである。だが、そうはならなかった。シェルターに回避した者たちは、急遽、長期籠城戦に対応せざるをえなくなった。
  シェルターに退避したのは、政治権力の上層部だったが、その中にも上層部と下層部があった。上層部はいいとしても、下層部には「なんで俺たちがこんなところに居なきゃならないんだ」という疑問があった。上層部は下層部に妥協せざるをえなかった。シェルターに退避した者たちが地上に投降し生還しつつあった。
  だが、抵抗する権力者もいた。シェルターから一般市民向けに演説を行い、旧政権を正当化する権力者もいた。それも言論の自由のうちと、諸国の暫定政権は逐次反論しなかった。旧政権の不正や残虐と非効率や無駄遣いを調査しネットワーク上で公開しただけだった。非効率と無駄遣いの公開だけでも、十分だった。権力者は数値が示すものに反論できなかった。
  ところが、A国のM将軍は一筋縄ではいかなかった。M将軍は、彼らの言う政治犯をシェルターに連行して、人質としてとっていた。M将軍は、その人質と、私と同僚Xとを交換しようと言うのである。つまり、A国に限って最初から、シェルターと地上は別の宇宙でなかった。地上とシェルターは人質によって繋がっていた。M将軍は言う。政治犯はすべてで約一万人。その一万人と、将来のA国大統領Xと世界政府代表の私とでは釣り合うだろう、と言う。民主的分立的制度に大統領なるものは存在しない。また、世界政府ではなく、全体破壊手段の全廃と予防という目的に限定した国際機構である。だが、そんなことはM将軍にとってどうでもよいことだと思った。実際のM将軍の狙いは、Xの情報操作技術と私の遺伝子操作技術にあると見た。世界の情報通信網をコントロールし、破壊的な生物学的兵器で威嚇すれば、再興して世界を支配できる、とM将軍は考えたのだろう。また、シェルター内に一万人の人質が居れば、シェルターなりの環境の悪化と資源の消耗は相当なものだろう。それをXと私の二人と交換できたら、どんなに楽なことか。
  私はD国からA国に向かった。妻子はE国からD国に発ちかけていた。音声通話で妻は、今回ばかりはさすがに、心配しているようだった。子供は意味が分からないようだった。私は妻にもうしばらくE国で待機することを勧め、その通りになった。
  私はA国に着いた。Xと過ごす時間もなかった。Xと私を含むA国の新政権の諸機関の長官が、臨時会議を開いた。旧政権のシェルターの設計者など、必要となりそうな専門家も招かれていた。Xも私も既に人質になっているような気がした。私には「なんでノコノコ帰って来たんだ。『帰る義務はない』とD国に居座ったらよかった」「だが、そうすれば、私たちが築き上げてきたものが崩れかねない」「父やP教授も、人間にとって大切なものを守って、犠牲になった」「だが、私は彼らのような立派な人間になれない、正直に嫌だと言おう」…などなど帰って来たことへの後悔が強めの葛藤があった。最高裁判所長官が「これは憲法も法律も超えた事態であり、司法権が裁定できることではない」と言う。警察の長官は「たとえ一万対二であっても人質交換に応じるべきではない。今後、要求が高じる恐れがあるから。軍と警察が、シェルターにいる人質の救出とM将軍らの逮捕に全力を尽くすしかない」と言う。旧政権のシェルターの施工者は「シェルター内の人々に気付かれずにシェルターへの新たな通路を掘ることは、数日で可能である」と補足する。同僚YとZは何も言えない。その気持ちはよく分かる。
  私は「M将軍は馬鹿ではない。私とXには利用価値がある。私たちは大事に扱われる」と言っていた。実際、私たちが大事に扱われる可能性は高いと思っていた。だが、M将軍を説得したり、私たちが生還し自由になる可能性は、まずないと思っていた。私たちは一生、M将軍に利用されるだろう、と思っていた。だが、それは客観的見方だ。この場合、私は当事者なのだから、主観が重要だ。正直に嫌だと言えばよい、とも思った。
  そのとき、Xが「私が情報操作して、二人とも生還させて見せるわ」と唐突に言い出した。私はXの方を見た。いつもの軽快な表情だった。旧政権出身の幹部らはXのその一言にホッとしたようだった。同僚ZとYは何も言えなかった。つまり、Xの情報操作技術には絶対的な信頼を置いている。だが、シェルターのシステムの端末を操作できなければ、何もできない。
  そうだ、M将軍が欲しているXの情報操作能力をXが発揮するためには、Xが地下のシステムの端末をなんらかの形で操作することになるだろう。するとXが地下をコントロールする可能性はかなり高い。そうだ、私たちが生還し自由になる可能性は零どころではない。予想はできないが、何かが起こるかもしれない。起こせるかもしれない。と思った。そう思えば少しは楽になるものだ。実際に私たちはそのようにして生きてきたのだ。潜伏前も。E国の密航船からA国に上陸するときも。F国を退避するときも。革命前夜もそうだった。私とXは地下に降りることになった。また、シェルターへの新たな通路も掘削開始してくれることになった。また、同僚Zらが、いざというときの襲撃と救出の準備を、最大限に整えてくれることになった。彼らができる限りのことをしてくれていることによって、少しだがさらに楽になった。
  私とXは「遺産」のようなものをまとめることになった。私については、既にB国の同僚Vを副理事長として、遺産のようなものをまとめて口頭で伝えていた。Xについて、彼女の情報科学技術の重点を、グループGの情報技術者に直接、伝授した。また、A国のA1大学とA2大学とB国のグループHとB1大学の情報技術者にネットワークで伝授した。また、科学技術部門の副長官にA1大学の学長を指名し、学長の了解を得た。Xの情報科学技術の遺産について、特に平和利用に係る技術が残された。また、独裁制や全体破壊手段が復活し、再度革命を起こさなければならないことも想定して、革命前の技術が残された。

再び、悪循環に陥る傾向への直面

  次いで、私とXは、シェルターに降りて以降の対策を練った。A1大学の臨床心理学のR教授を招いた。A1大学では学長を含むほとんどの教授が横滑りしていた。それは当然だと思う。彼らはM将軍に利用されていたに過ぎないのだから。
  私とRは、よく飲んで語り合っていた。それは二人がともに准教授の頃だった。Xと合流する前に少し話すことができた。Xには、余計な雑念などなく、生還のための情報操作に専念して欲しかった。「Xの前ではKのことは言わないでくれよ」と私が言うと、Rは「そんなこと分かっている」と言った後、手短に「ここでこれだけは言っておく。M将軍とKの人格の形成過程はほとんど一緒だ。だが、K将軍は、思春期に相当な暴力的集団の中にあったから、支配的、破壊的傾向が極めて強い」と言う。そこへXがやってきた。
  Xも座った後、私はR教授に「M将軍の人格はどのようなものでしょうか」と尋ねた。R教授は以下のように説明した。私とR教授は、Kのことに触れながら、臨床心理学についてもよく飲みながら語り合っていた。その頃、語り合っていたこととほぼ同じだ。それをXのために改めて説明してくれた。また、乳幼児期に子供に最も頻繁に接した人間を「母親」と呼ぶこと、その母親は、実母でも義母でも父親でも祖父母でも兄姉でも保育士でもありえること、母親の愛情が希薄になる原因は様々だが、子どもに与える影響は同じであり、それをまとめて「愛情希薄」と呼んでよいこと…などを説明してくれた。
  M将軍の両親は仲が悪く、母は父との口論に明け暮れ、子供にあまりかまっていられなかった。乳幼児期に母親の愛情とケアが希薄であると、大なり小なり、以下のようになることが多い。乳幼児は母親の愛情とケアに満足できず、いつまでもそれらを求め、母親に粘着し自己顕示し母を支配し破壊する。通常、幼児は3歳前後に母親の愛情とケアに辟易して、母親と母親以外に粘着…以外の対人機能を生じ、粘着的、自己顕示的、支配的、破壊的傾向が減退し、少しずつ独立していく。それに対して、母親の愛情とケアが希薄であれば、子供はいつまでもそれらを求めて、粘着、自己顕示、支配、破壊し続け、全般的で過度の粘着的、自己顕示的、支配的、破壊的傾向が形成される。子供が母親以外の対人関係の中に入るようになっても粘着、自己顕示、支配、破壊し続ける。そのような傾向は「悪循環に陥る傾向」または略して「陥る傾向」と呼ばれる。M将軍の人格はまずそのようにして乳幼児期に形成された。もっとも、陥る傾向は、人間の誰もが大なり小なりもっている。特に粘着的傾向をもつ人が多い。また、最もやっかいなのが、「イメージとして想起される自己の陥る傾向を回避し取り繕う傾向」である。簡単に言って、自己の汚い側面は見たくない。まだ、幼少の頃の貧困や戦争や虐殺なら社会のせいにできる。だが、陥る傾向の主因は、社会にあるのではなく、身近なところにある。母親に愛してもらえなかったことを大人になっても引きずっているなどということは、恥ずかしくて認めたくない。だから、陥る傾向がイメージとして想起されると、そのイメージを回避し取り繕う。だから、それに直面することができず、陥る傾向は一向に減退しない。これが最大の悪循環である。つまり、陥る傾向の最大の原因は、乳幼児期の母親の愛情とケアの希薄…などにあるのではなく、思春期以降のイメージとして想起される自己の陥る傾向を回避し取り繕う傾向にある。乳幼児期の他者にあるのではなく、思春期以降の自己にある。
  そのような一般の人々に対して、M将軍は思春期にかなりの暴力的集団の中にあって、年長者の支配、破壊を模倣した。その結果、支配的破壊的傾向がますます強くなった。思春期以降はそれらの傾向が権力欲求として現実化する。人を支配するためには権力を獲得し維持しなければならないから。陥る傾向は人間の誰もがもっているのだが、権力者においては、そのようにして支配的傾向と破壊的傾向と権力欲求が強くなる。この傾向は過去の歴史上の権力者の多くについて言える。簡単に言って、典型的な権力者だ。そう説明してくれた。
  「私は父に強く反抗した。その結果、権力に反抗する傾向が形成された」と私は言ってみた。R教授は「権力に過剰に反抗する傾向も陥る傾向に含まれる。だが、それは主として思春期に形成される。乳幼児期の母親の愛情とケアの希薄によって形成されるのではない。あなたのお母さんは愛情とケアは希薄でなかったでしょう。また、あなたは思春期以前にはそんなに反抗しなかったでしょう」と教授らしく言った。Xも「私にもそういう傾向があった」とうなずく。R教授は続けた。「M将軍が欲しいのは権力そのものであって、権力の行使のあり方や行使の結果はどうでもよい。ところで、その権力欲求は、ニーチェが言う『権力への意志(Der Wille zur Macht)』とは全く異なる。ニーチェはその言葉で大地や自然や、フロイトの言う「欲動(Trieb)」と等しいものを表現していた。ニーチェやフロイトと、M将軍やヒットラーを同列に扱うと、前者に失礼だ。いずれにしても、M将軍は権力そのものを求めている。例えば、あなたたちがM将軍に大統領や首相の地位を保証すれば、M将軍は人質を解放して戻ってきて、しばらくは大人しいかもしれない。ただし、いつでも暴走する恐れがありチェックがたいへんだ」と言う。それに対する対策はもう残してある。国家権力を自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立して、前者を重点的に抑制し相互抑制させる。今後は一般市民が、そのような過度の粘着的、自己顕示的、支配的、破壊的傾向をもつ者を、政権担当者として選挙しないよう注意する必要があると思った。簡単に言って、R教授がかつて言った「目立ちがり屋」を選挙しないことだ。そう言えば、一般市民も「あいつのことだな」と分かると思った。
  Xが「私が母親代わりをしてM将軍を愛してあげれば、支配的破壊的傾向が減退するかもしれない」と唐突に言った。私はびっくりした。R教授はほくそ笑んで、私よりは彼女のほうが近いという表情を見せた。「二十世紀では『愛する』とまではいかないまでも『傾聴する』とか『寄り添う』…などのアプローチが主流でした。それも必要ですが、それだけでは不十分です。人々も話を聞いてもらったり一緒に居てもらうだけで、自分の悪い癖が治るわけがないと思っていました。かといって、強制されたり束縛されても治るわけがないと思っていました。そこで、私たちのそれぞれが、自己の粘着性、自己顕示性、支配性、破壊性…などの『悪循環に陥る傾向』に直面する必要がある、カウンセラーは傾聴し寄り添いつつ、その直面のお手伝いをするというのが、二千年代に入ってしばくして主流になってきました」と。Xも納得しているようだった。私はR教授に「それらの『傾聴と直面』に要する時間は?」と尋ねてみた。R教授は「正直言って困難です。傾聴し寄り添うだけでも数年以上かかる」と答えた。それはよく分かる。私も自己の権力に過剰に反抗する傾向に十年近く直面してきた。その結果、権力に過剰に反抗する傾向が減退したと思う。そして、権力者に反抗するのではなく、権力そのものを民主化し分立する必要がある、と思うようになった。その直面は、まっすぐではない、曲がりくねったものだった。
  R教授は「M将軍は臨床心理学に興味をもっているらしい。ヒットラー、スターリン、毛沢東…などの過去の独裁者の人格の形成過程を、彼なりに分析しているらしい。すると、M将軍も陥る傾向に直面することになる」と付け加えた。結局、M将軍とともに自己の陥る傾向に直面し、M将軍とともに地上に生還し自由になるしかないのか。それを達成すれば、史上最大の「悪循環に陥る傾向への直面」じゃないか。やってみよう。と思った。生命と自由を賭けてやってみるしかないと思った。

夢について

  夢について。夢は、感覚と異なり、外的状況を直接的に反映しない。直接的には、自己または自己の内的状況を反映する。夢に出てくる外的状況は、自己の外的状況の認識を反映する。それらの前提は、私が前もってXに説明しておいた。私は拷問への対処法をR教授に「おそらく最新の拷問法をやられます。これは従来からあるのですが、まず筋弛緩剤を投与され完全に身体を拘束されます。身体的苦痛と精神的苦痛はそのままです。自殺する選択肢もありますが、自殺できません。最新の拷問法はこれからです。その後に悪夢を見る薬剤を投与され、目覚め、悪夢を見て…が繰り返されるそうです。その悪夢への対処法はないでしょうか」と尋ねた。R教授は「そのような薬物を使用されると、普通の夢は出てこないでしょう。恐れていることで、しかも普段は意識せず、夢にも出てこなかったようなことが出てくると思います。それは苦しいと思います。その恐れていながら、普段は意識しておらず、夢にも出てこなかったことを、意識してしまうことが、苦痛を少しでも軽減する方法です。それをできれば夢にも出てくるようにすることが…」と答えた。私もXも納得した。R教授は続ける。「それには…お二人が別室で、それぞれが別個の臨床心理士と、些細なことでも何でも、日常で恐れていることや、既に見ている夢について話をしてみてください。恐れていることや夢のことを他人に聞かれると思うと、本当のことを語れないでしょう。それを心理士が他人に漏らすことは決してありません。あなた方は歴史に残る人物だと思います。その歴史にも残らないように、臨床心理士は記録にも残しません。私にも漏らさないのでご安心ください」と、最後のところでは特に私の顔を見て言った。確かに他人に聞かれると思うと本当のことを語れない。この場に及んでも、語れない。XやRにも語れない。
  私とXはそれぞれ別室に入って、別個の女性心理士についた。R教授は二人の女性臨床心理士まで用意してくれていた。私がついた心理士はR教授と同様に「今話してもらうことを他人に漏らすことは決してありません」と断った後、「まず、常日頃、恐れていることは何でしょう。何でもいいから言ってみてください」と言う。私は正直に言った。「父親と、恩師にして親友の死を放置した。それを私は悔いている。どこかで彼らを恐れていると思う。それと…いやそれより…ここだけの話だが、私は不倫をしている。それがばれたときの妻が恐い。いや不倫相手の方が恐いか…いや…それより…私は父に強烈に反抗した。だから、今度は自分の子供の反抗を恐れている」と。心理士は「なるほど、最初から日常に密着したものが出てきましたね。近い感じがしますね。だからこそ、それらは既に夢に出てきていませんか?」と穏やかに尋ねてきた。そのとおりだった。十分すぎるぐらい夢に出てきていた。恐れていることで、しかも夢にも出てきていないことは何だろう。「あっそうだ。地下に降りて拷問されることだ」「地下に降りて一生、地上に戻れないことだ」と私は思わず言った。だが、すぐ後に「あっ、それは十分意識しているな…」と思い直した。心理士はにっこりとうなずいた。常日頃から恐れていることで、意識せず夢にも出てこないことって何だろう。それを浮かび上がらせるのが心理士なのか。心理士は何気ない会話からそれをしようと努力してくれたのだろう。だが、時間がきた。心理士は「近い所まできている」と言ってくれた。それは気休めではなく、私も近い所まできている感じがした。
  別室を出てXと合流した。私は率直に「近い所まで行ったけど、分からなかった」と言った。彼女は「考えすぎよ。私は純粋」と笑った。Xは専門の情報科学以外ではボキャブラリーが貧弱なのだった。そんな彼女をかわいいと思った。もしかして、私が最も恐れていることは、彼女がM将軍にレイプされることなのか?あるいは、彼女がM将軍を愛することなのか?するとますます妻が出てくるのか?結局、彼女と妻子が一緒になって私を責めてくる、あるいは彼女と妻子が一緒になって去っていく夢を見るに違いない。そう思った。それで少しは楽になるのではないか。だが、よくよく考えてみると、それらは既に夢に出てきていた。しかも、最近、ちょこちょこ夢で見ていた。あの無血革命の朝も見ていた。結局、私は最も恐いものを意識しているのだ、と気休めで思った。

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