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小説『二千年代の乗り越え方』略称"2000s"

NPО法人 わたしたちの生存ネット 編著

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遅ればせながらと呟くしかなかった

  私は全体破壊手段全廃予防のための国際会議が開かれるD国D1市へ行くことになっていた。だが、時間的余裕があった。そこへの経路からはだいぶん外れるが、訪ねてみたい街があった。「ヒロシマ」「ナガサキ」と呼ばれる二つの街である。周知のとおり、千年代末、当時は「原子爆弾」と呼ばれた世界初の全体破壊手段(の前身)が投下された。二千年代に入ってしばらくして、「全体破壊手段(Totally destructive means)」と「前全体破壊手段(Pre-totally destructive means)」が区別されていた。前全体破壊手段は、その時点で全体破壊手段ではないが、容易に全体破壊手段の開発に繋がるような手段である。「原子爆弾」はそれ自体、全体破壊手段ではないが、実際、十年以内に「水素爆弾」等の全体破壊手段が開発された。ということで、原子爆弾は前全体破壊手段とされていた。それについて私は再考が必要と考えていた。核分裂にせよ核融合にせよ、核分裂にせよ核融合にせよ、使用時に人為的な原子核の変化を伴う兵器を全体破壊手段と定義し全廃するべきではないかと。
  それらの街にはいくつかの「反核団体」が残っていた。彼らの方から私の方に集まってくれて、A国語でミーティングをしてくれた。「核」という概念を全体破壊手段という概念に広げるべきというような余計なことを、私は言わなかった。彼らが言う「核」は既に全体破壊手段を指している。原子爆弾等の前全体破壊手段または大量破壊手段とされているものを、全体破壊手段として全廃するか、それらを別個に全廃するか、という議論があった。彼らも私と同じ考えだった。
  その後、私は反核グループのスタッフの案内で、それらの街の一つの中にある「平和記念公園」を訪れた。さすがに公園内に高層ビルはなく、苔むした記念碑や壁や庭石に太陽の光が痛いほど差していた。その日は暑かっただろう。熱かっただろう。この街で火傷を負って、虚ろな表情をする人々の写真を子供の頃に何枚か見た。忘れられない。「お母さん、熱いよー」と言う子供の声を、私は子供心に想像した。一つの碑に「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれていた。当然、私はその言葉を知っていた。その言葉を思い出す度に「未だに人間は過ちを繰り返そうとしている。安らかに眠れない」と思っていた。今、人間は全体破壊手段の全廃に向けてようやく一歩を踏み出せた。その一歩までに百年以上かかった。私は「遅ればせながら…」と呟くしかなかった。
  振り返ると、百歳以上の老婆が車椅子に乗って私を見て微笑んでいた。反核グループのスタッフが車椅子の持ち手を持っている。女性看護師が点滴のスピードを調整している。スタッフが「千九百四十五年八月に広島でお生まれになった方です」とA国語で私に言う。私は即座に理解した。八月六日でなくても、八月で十分だろう。何より、ご存命。看護師は「お婆ちゃん、原爆…」と老婆の耳元で言いかけているようだ。私は「『すぐに廃止されますよ』と伝えてください」とスタッフに伝え、スタッフが看護師に通訳した。スタッフと看護師は「原爆は廃止されましたよ」と老婆に伝えてしまったようだ。私は「みんなの力で一歩を踏み出しましたよ」を伝えようとするが、伝わらない。「原水爆」を私が廃止したと理解したようで、老婆は「ようやったのー」と私の頭を撫でてくれた。スタッフはそれを「よくやった(Well done)」と通訳した。私は、老婆が今度、ニュースを見るまでに、全体破壊手段を全廃に近いものにする重責を負うことになった。私は後にスタッフと看護師と、そのことについて少し話をした。彼らは老婆を誤解させたことについて、謝っていた。それは仕方がない。看護師は、老婆はニュースをほとんど見ない。ドラマばかり見ている。だが、来週の今頃にはニュースを見るだろうということだった。

全体破壊手段、全廃へ

  諸国の新政権は、今こそ全体破壊手段の全廃のための好機と見て、大国Dの大都市D1に代表を派遣した。それに私がA国から派遣された。同僚Xも行くと言い出した。だが、旧政権で乱用されたために、政府の人工知能等が非生産的で非効率的になっていた。科学技術部門長官として、それらを急いで再構築する必要があった。だから、XはA国にとどまった。
  全体破壊手段の全廃に限らず、世界の平和全般のための機構を目指す反政府グループと新政権がいくつかあった。だが、そのような機構の失敗は、まだ歴史に鮮明に残っている。グループGとHを含む多くの反政府グループと新政権は、全体破壊手段の全廃と予防に限定した機構を作ることを目指した。それによって、他の挫折のために全体破壊手段の全廃も挫折してしまうことを防ごうとした。
  その機構作りを目指す総会においてまず、理事国の選抜と事務総長の選出が行われた。理事国としては、超大国A,B,Cを含む全体破壊手段保有国と、非保有の大国のいくつかが選ばれた。ただし、かつてどこかにあった「常任」理事国や「拒否権」なるものはなく、理事国はすべて五年ごとに改選されることになった。ただし、再選は可能となった。
  事務総長について。これは書くのが難しい。だが、回りくどく書かずに端的に書く。私が選出された。全廃と予防に違反した国家や集団に対する軍事制裁と経済制裁の有無を決定するのは、総会である。それらの制裁のあり方を決定し実施するのは、理事会である。事務総長は、全体破壊手段の査察を監督して、査察の結果を理事会と総会に報告することになる。だが、そもそも何が全体破壊手段か、何が前全体破壊手段か、何が大量破壊手段か、それを委員会で議論し、確認し総会と理事会に提案することになるだろう。そこで妥協があってはならないと思った。考えてみれば、この機構の名称もまだ決定されていなかった。「全体破壊手段全廃予防機構」との提案があり、それが仮称となった。機構の正式名称と憲章の草案を作る委員会が構成された。さらに考えてみれば、核兵器査察部門、不変遺伝子手段査察部門…などの機構の骨組みと権限もまだ決まっていなかった。そこでまず、全体破壊手段の定義、機構の骨組みと権限、憲章の草案を、私が練り、上記の委員会に提案することになった。
  これはやりがいがある。二千〇〇年、国際機構として残されたのは、政治的経済的権力にとって比較的無害な、パンデミックに対応する保健機構、自然保全のための機構…などだけだった。最も重要な集団安全保障や軍縮に係る国際機構は、既に遠い昔に名目だけのものとなっていた。国際機構の無力さというリアリズムを残しただけだった。それらは参考にもならなかった。国際機構または世界機構の骨組み、これは未知の領域である。だが、P教授と私は、既にそれについて語り合っていた。やはり、国際機構または世界機構においても、民主的分立的制度が活きる…などよく語り合っていた。
  私はそれらをある程度の時間をかけてじっくりと、議論する必要があると思った。それと同時に、全体破壊手段の全廃は世界的な革命が起きた今しかない。今を逃せば全体破壊手段の全廃は困難である。それを世界の反政府グループが、B国でのあの会議でも確認していた。そこで、私は総会に「世界で五年以内に全体破壊手段を全廃すること。世界の、暫定政権に過ぎないとしても、政権は、核兵器と不変遺伝子手段を不活化したままにするだけでなく、明らかな核兵器と不変遺伝子手段の破壊・破棄に今すぐに着手すること。小惑星の開発・探索を中止したままにすること」を総会に提案した。すると、内容はそのままで文面が修正され、「暫定憲章」として承認・公布された。
  これで、あのヒロシマの老婆を落胆させないと思った。実際、ヒロシマ・ナガサキの反応が放映され、あの老婆も映っていた。今度は「たいぎーのー」と言っていた。同時通訳か自動翻訳かは、それをあのときと同じ「よくやった(Well done)」と訳していた。同時通訳にしても自動翻訳にしても、地方に固有の言葉までは網羅できないだろう。後でその言葉の意味を調べると「大変だな(It is tough)」という意味が出てきた。その通りだと思った。私はA国のあの部門の長官を辞任し、E国にいる妻子とともにD国のD1市に移住することになった。

全体破壊手段の一方的廃止の積み重ね

  さて、意外なことが分かってきた。私たちは準備段階から世界的な革命直後を逃せば、全体破壊手段の全廃はないと思っていた。また、全体破壊手段全廃予防のための国際機構と条約は不可欠だと思っていた。一概にそうでもなかった。私たちは国際的な取り決めによる相互の破棄・廃棄を「相互廃止」と呼び、自主的一方的な破棄・廃棄を「一方的廃止」と呼んで区別していた。全体破壊手段は不必要であるだけでなく、維持するのに莫大な経費と労力を要するお荷物である。また、少しでも注意を怠れば、全体破壊に繋がらなくても大量破壊に繋がる。そんなものはすぐに一方的に破棄・廃棄したほうがお得である。だから、かつての保有国の多くで暫定政権または新政権が、全体破壊手段を不活化するだけでなく、自主的、一方的に破棄・廃棄していた。国際会議を待つまでもなくそうしていた。そのような一方的廃棄の積み重ねこそが、世界的革命直後だけでなく、今後の世界において全体破壊手段の全廃と予防の決め手になる。全体破壊手段の全廃は世界的な革命の直後に可能なだけではない。また、国際機構や条約は、不可欠ではない。国際機構や世界機構は、そのような一方的廃止の積み重ねを補完するものである。
  私は機構の骨組みと権限と、全体破壊手段等の具体的で詳細な定義を練りに練った。原子核操作査察部門、遺伝子操作査察部門、小惑星操作査察部門が最低限度必要で、それぞれに、この程度の専門的知識と技術をもつ人間が最低限度必要…など。
  そんなとき、A国でわが身にも降りかかる大変なことが起こった。M将軍はシェルターに連行した政治犯を人質とした。そして、その約一万人と、私と同僚Xとを交換しようという提案を持ちかけてきた。私はすぐにA国に帰国せざるをえなかった。
  私はB国の同僚Vに副事務総長に就くことを依頼し、Vは快諾した。VはB国でB1大学に戻り学長になっていた。それとの兼任になる。総会と理事会にそのようにすることを提案し、承認された。私が戻ってこなかったときは、Vが、学長を辞任して、事務総長に就くことになった。
  以下を副事務総長のVに、ネットワーク生映像音声で伝えた。全体破壊手段は第一に核兵器、第二に不変遺伝子手段、第三に小惑星(Asteroid)の操作である。それをもう一度、確認すること。
  第三について、厳密には、小惑星の軌道を変えてしまうような力を小惑星に加えうるものが全体破壊手段である。そのような力は特に何かの爆発で生じ、そのような爆発は事故でも生じうる。そのような事故は記憶に真新しい。だから、小惑星の開発や探索をする場合は、最悪の事故でもそのような力を生じえない方法が探られなければならない。それが探り当てられるまでは、どんな形にせよ小惑星への人間と人工物の立ち入りを禁止するべきである。
  第二について、「俺は拷問されれば、不変遺伝子手段の開発方法を吐いてしまうだろう」また、他の科学者がいずれは開発法を発見するだろう。だから、不変遺伝子手段とそれ以外の区別を明確にして、不変遺伝子手段を全面禁止。端的に言って、「遺伝子の塩基配列以外のものを変えるなかれ」と。一方で不変遺伝子手段以外の遺伝子手段をあまり厳しく制限しないこと。特に遺伝子治療について、長生きしたい、家族に長生きして欲しい、子どもに早死にされたくない…などの一般市民の願いは切実である。遺伝子治療や生物資源の開発は不変遺伝子手段以外の遺伝子手段や他の生物学的手段によっても可能である。それを一般市民に明言すること。それでないと一般市民は付いてこない。そのためにも、不変遺伝子手段とそれ以外の遺伝子手段の区別を明確にする必要がある。そこでは、やはり「遺伝子の塩基配列以外のものを変えるなかれ」というのが有効な指標になる。
  第一について、核融合にせよ核分裂にせよ、使用時に人為的な原子核の変化を伴う兵器を核兵器と定義し、全廃すること。問題が残る。平和利用の原子力の発電所、潜水艦、船、飛行機、宇宙船、衛星…などをどうするか。二千〇〇年になるのにまだ、それらが残っていた。それら自体は全体破壊手段でないように見える。だが、テロや戦争においてネット経由で侵入され、それらが一斉に暴走、暴発すれば、全体破壊手段になる。また、そうでなくても、事故や自然災害によって暴走、爆発すれば、全体破壊手段にならなくても、大量破壊手段になる。また、それらから核兵器を開発することは比較的に容易であり、それらは前全体破壊手段でもある。それらをどうするか。市民とともに議論して欲しい。
  また、一般に、全体破壊手段は無条件に全廃。それに対して、前全体破壊手段や大量破壊手段をどうするか。市民とともに議論して欲しい。
  以上をVに伝えた。Vは「お前とXならきっと生還してくるさ。だが、しばらくは帰って来ることができないだろうから、全力を尽くす」と言ってくれた。私たちの生還いかんに係らず「ずっと」全力を尽くして欲しいと思ったが、言わなくてもそうしてくれると思い、言わなかった。

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