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小説『二千年代の乗り越え方』略称"2000s"

NPО法人 わたしたちの生存ネット 編著

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憲法

  時間は前後するが、暫定憲法と暫定政権についてまとめて述べる。以下も世界的現象だが、そのすべてを詳細に書くことはできないので、A国のものを例として挙げる。ただし、A国には他の反政府グループがなかった。それをA国の暫定憲法と暫定政権の成立過程の欠陥と見られては困る。そこで、グループGは敢えて、Gが大きな功績があったと認める離反者と、従来の上院と下院を、他の反政府グループの代わりのものとして立てた。大きな功績があっと認められる離反者の数は、下院議員の数とほぼ等しかった。投票が必要となった場合には、上院と下院と離反者の三つの議院が存在することになる。グループGと離反者と上院、下院の議員が協議して以下のようになった。
  暫定憲法として、あの密航船の中で私が書き下したものが、既にネットワークで世界に公開され、議論され、支持されていた。それはP教授が集大成しまとめたものをほとんどそのまま、私がさらにまとめたものだった。だから、自由権と社会権の区別、国家権力を自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立すること…など、従来の憲法になかったもので今後の世界に必須なものを、既に含んでいた。また、P教授が犠牲になったことを私は世界に強調してしまった。だから、その憲法の愛称は「P憲法」となっていた。P教授は憲法と政治制度については世界的権威であり、特に法学、法哲学…などの文科系学者がそう呼んだ。P教授を少し知る人の間では「飲んだくれ憲法」というあだ名があった。P教授をよく知る私はそれは言い過ぎだと思った。P教授は「アルコール依存」ではない。会議などの後で語り合うときに飲むだけだ。だが、たまたま飲んだ時のP教授の豪快さに畏敬の念を抱いてのことだと思い、そのあだ名について何も言わなかった。
  そのP憲法は革命前から議論され、世界の市民に支持されていた。A国でも支持されており、A国ではネットワークでの支持率が約三分の二以上だった。だから、グループGと離反者は革命直後にそのP憲法を暫定憲法として公布した。私は前述の「国家元首と、自由権を擁護する法の支配系の立法権の議員と、軍にせよ警察にせよ公的武力の長官は、それらの公式所在地の近隣に居住しなければならない。それらの公式所在地または居住地から退避した者は、それらの職責を放棄したものと見なす」を追加する必要を感じていたが、それは後に新憲法の段階で取り入れられることになる。結局、世界でも、内容はほとんどそのままで文面を変えた「P憲法」と「国家元首と、自由権を擁護する法の支配系の立法権の議員と、軍にせよ警察にせよ公的武力の長官は、それらの公式所在地の近隣に居住しなければならない。それらの公式所在地または居住地から退避した者は、それらの職責を放棄したものと見なす」が新憲法になることになる。
  ところで、市民や暫定政権または新政権の公務員の間で、「暫定政権」または「暫定政府」と「新政権」または「新政府」の言葉の使い分けが厳密にできていないように見える。だが、厳密に区別しなくても、分かると思う。また、「暫定政権または新政権」などの言葉を逐次、使っていると文章が煩雑になる。だから、暫定政権または新政権を単に「新政権」と呼ぶことがある。

国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立することの詳細

  以下も世界的現象だが、そのすべてを詳細に書くことはできないので、A国のものを例として挙げる。
  暫定政権の構造と人選は以下のようになった。

自由権を擁護する法の支配系(L系)
  司法権
    最高裁判所
      長官:旧司法権の者が横滑り
      判事:旧司法権の者が横滑り
  L系に固有の立法権(L議院)
    L議院の議長(形式的国家元首):旧立法権の上院の議長が横滑り
    L議院の議員:旧立法権の上院の議員が横滑り
  L系に固有の行政権
    軍を監督するL議院の委員会:旧立法権の上院の委員会が横滑り
      軍
        軍の長官:Z
    検察・警察を監督するL議院の委員会:旧立法権の上院の委員会が横滑り
      検察・警察
        検察の長官:旧政権の者が横滑り
          警察の長官:旧政権の者が横滑り
    国内における全体破壊手段全廃予防部門
      長官:O元参謀
    L系に固有の外交委員会:旧立法権の上院の委員会が横滑り
      対外的全体破壊手段全廃予防部門
        長官:私
    選挙管理委員会(全国の地方自治体のものが横滑り)
社会権を保障する人の支配系(S系)
  S系に固有の立法権(S議院)
    S議院の議長:旧立法権の下院の議長が横滑り
    S議院の議員:旧立法権の下院の議員が横滑り
  S系に固有の行政権
    長官:Y
      経済産業部門
        経済産業部門の長官:旧行政権の者が横滑り
      自然保全部門
        自然保全部門の長官:旧行政権の者が横滑り
      労使関係調整部門
        労使関係調整部門の長官:旧行政権の者が横滑り
      福祉医療部門
        福祉医療部門の長官:旧行政権の者が横滑り
      教育文化部門
        教育文化部門の長官:旧行政権の者が横滑り
      科学技術部門
        科学技術部門の長官:X
      財政税務部門
        財政税務部門の長官:旧行政権の者が横滑り
      外交部門
        外交部門の長官:Yが兼任
      その他の部門
        その他の部門の長官:旧行政権の者が横滑り

  以下を補足する。国家権力の自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)への分立に伴い、立法権は、L系に固有の立法権(L議院)と、S系に固有の立法権(S議院)に分立される。新政権設立までは従来の上院がL議院となり、従来の下院がS議院となる。既に上院と下院の目的と機能区分は、L議院とS議院のそれらに近いものになっていた。つまり、立法権に関する限りで既に、L系とS系への分立はある程度、成されていた。暫定憲法ではそれらの目的と機能区分が明確に規定された。目的区分については、「立法において、L議院は自由権の擁護と民主制と権力分立制と法の支配の維持、拡充を目的とし、S議院は社会権の保障を目的とする」となった。機能区分については、例えば「自由権、民主制、権力分立制、法の支配を擁護する立法に関しては、L議院が先議し、S議院が異なる議決をした場合で、L議院が三分の二以上の多数で再議決した場合は、L議院の議決が法律となり」その逆も同様…などとなった。新政権の選挙時には、それらの目的と機能区分を分かりやすく提示する必要がある。すると、L議院には自由権の擁護に適した厳格な人が選ばれ、S議院には社会権の保障に適した優しそうな人が選ばれるだろう。
  また、国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立するに伴い、行政権もそれぞれに固有のものに分立される。S系の行政権を過度に部門分けすることは、その行政の効率性を低下させ、公的経費を増大させる。思い切ってその系の行政権を分けず一つの機構とすることも考慮されたのだが、それは新政権への課題となった。それに対して、L系においては、司法権、立法権、行政権の三権を厳格に分立させるだけでなく、検察・警察と軍を厳格に分立させる必要がある。何故なら検察・警察はいざとなれば、軍の違憲・違法行為を捜査し告訴しないといけないからである。軍と警察の戦いなど見たくもないが、いざとなればやむをえない。それらのそれぞれを監督するのは、L議院の別個の委員会である。それらの兼任は禁止される必要があり、禁止された。
  それらの系の分立に伴い、外交部門もそれぞれに固有のものに分立される。国際会議にはそれらの二つの外交部門の二人の長官が出席することがありえる。
  地方自治体と地方分権について、暫定政権の段階では従来の地方自治体と従来の中央と地方の関係を維持することになった。課題はある。新政権と新地方自治体の樹立までに、課題を議論することになった。
  全体破壊手段の全廃と予防の部門を、国内におけるものと対外的なものに分けて特設した。だが、それは全体破壊手段が全廃されるまでの臨時の措置であって、全廃後にどうするかは今後の課題とした。
  私は既に、全体破壊手段の全廃に気が早っていた。気持ちは既に世界へ向かっていて、一国内に留まりたくなかった。そこで、グループGの同僚が私を、対外的全体破壊手段全廃予防部門の長官に薦めてくれ、それが通った。私は助かった。国家権力が国内において全体破壊手段の全廃予防のための査察と規制を行い、国際社会では他国と協調して全体破壊手段の全廃予防のために最大限に努力するこが、暫定憲法に明記された。私は他国との協調をすることになり、国際会議に出席することができた。
  自由権を擁護する法の支配系(L系)においては、文字通り憲法が前面にも背後にも根底にもあり、個人の資質は不要であり、カリスマ性は弊害である。ただ、儀式、祭典等で形式的な国家元首が必要となることが稀にある。その場合はL系の立法権、つまりL議院の議長があくまでも形式的な国家元首になることが適切である。つまり、L議院の議長は、その議長としての実質的な職務と国家元首としての稀で形式的な職務をもつことになる。従来の上院の議長がL議院の議長に横滑りし、形式的な国家元首となったが、それに問題はないだろう。
  それに対して、社会権を保障する人の支配系(S系)においては、行政権の長官の総合的な政策立案能力が重要である。今まで地味で地道に社会権を保障する政策を練ってきた同僚Yが最適と思われる。
  Zはどんなポジションでもこなせると思った。だが、まだ全体破壊手段が残存し内戦が残っている状態で、軍を掌握し監督する者は重要である。そこで、Zが軍の長官に就くことになった。
  旧政権では科学技術、特に情報科学技術が独裁制と軍備の維持のために乱用されていた。それらを平和利用のために立て直すにはXが最適だろう。

国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立することの効果

  国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立することの効果が、早くも諸国で現れた。以下の効果は早くも表れた効果であって、後にさらに多様な効果が現れることになる。

社会権の保障の専門家の活用

  例えば、A国では同僚Yがさっそく、旧政権と公私企業の間の汚職と癒着を暴き、公費乱用を停止するとともに、累進課税を再強化し、全体としては減税を行った。それによって経済が上向き始めた。また、旧政権の環境と資源の保全のための規制を調査し、科学者の間で議論して不必要なものを解除した。それによって経済がさらに上向いていた。それとともに、市民と企業が自主的に自然を保全するようになった。また、医療福祉について、旧政権と医療福祉の圧力団体が結託して、医療福祉は過剰になり、その過剰によって政府と医療福祉機関が暴利を得るようになっていた。Yはそのからくりを公表し、その過剰部分を削減した。市民はそのからくりに怒り、圧力団体は何も言えなかった。その削減によって、公的経費は大きく削減され、さらなる減税が可能になった。それによって経済はさらに上向いた。それらによって、医療福祉の必要部分は削減されないどころか、むしろ、増強された。Yは既にA1大学に居た頃から研究者としてそれらの政策を練り、論文として発表していた。Yのような社会権の保障の専門家に対して、厳格な民主制、権力分立制、法の支配は不要であるだけでなく弊害である。ただし、人間的な民主制は機能する必要がある。そのような社会権を保障できる人や政党は、一般市民が生活の改善として実感し選挙してくれるだろう。それに対して、自由権をいつでも侵害しうる軍や警察やそれらを乱用しうる文官に対しては、L系の中で厳格な民主制と三権分力制と法の支配が機能する必要があり、機能できる。つまり、抑制、相互抑制の重点が明らかになり、一般市民も立法権も司法権も抑制しやすい。他方、開放の重点も明らかになる。

独裁や全体主義に走る権力と名目の消滅

  今後ますます、環境は悪化し、資源は枯渇し、人口は地球で維持できるギリギリのものを超え、過密によりパンデミックは脅威を増し、飢饉や食糧難は荒れ狂い、それらによって経済と生活はますます逼迫する。そこで、それらに対応するという名目で独裁制や全体主義が出現する可能性はますます大きくなる。だが、独裁制や全体主義はそれらに対応するためにも機能しない。そのことは既に革命前から、Yを始めとする諸国の研究者が実証していた。そのような環境、資源、人口…などに対応することは社会権を保障することである。国家権力が自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立しているとき、S系は独裁や全体主義に走るための武力や憲法改正または停止…などの権限をもっていない。他方、L系は社会権の保障という名目を立てることができない。そのようにして独裁や全体主義に走る権力と名目の両方が消滅する。実際に世界で短期間のうちにL系とS系の公務員のそれぞれが、それぞれの本分をわきまえ、L系の公務員が社会権の保障や生存の保障を名目とすることは皆無となり、S系の公務員が警察や軍のあり方を論じることは皆無となった。
  百歩譲って、独裁制や全体主義が必要だとしても、それらが必要なのはL系においてである。L系とS系が分立していれば、それらがL系に及ぶことを防ぐことができる。それらの系への分立は、S系が陥りがちな独裁、全体主義、多数派の横暴、世論操作…などが、L系に及ぶことを防ぐ。千年代の末において、資本主義経済または自由主義経済と、共産主義経済または社会主義経済の対立があったときにも、そのような対立はS系だけでやっていればよいことだった。そのように、国家権力のL系とS系への分立は、二千年以降に必要であるだけでなく、いつの時代にも必要だった。

提供していたサービスを停止するという社会権を保障する人の支配系に固有の権力、二重の文民支配

  以下の効果は、既に「世界同時同日革命」のわずか一日の間に、諸国で現れていた。
  政府と軍の中枢はシェルターに退避した。地上に残された政府や軍の組織のうち、旧政権から離反し新政権に付く傾向は、社会権を保障する人の支配系(S系)の行政権に相当する部分で全般的に大きく、自由権を擁護する法の支配系(L系)に相当する部分の中では、司法権、立法権、文官、警察、軍の順番に小さくなった。つまり、わずか一日の間でも、最後まで抵抗したのは軍だった。ところで、いつの時代も、軍に必要な水道、電気、ガス、燃料、食糧、資金、そして情報通信網を提供する、または提供を管理するのは、S系の行政権に相当する部門である。諸国でそれらのサービスを提供していた、または提供を管理していたそれらの部門が、軍に対する提供を停止してくれた。そのために軍は弱体化し兵士の士気が低下した。そこで、遅ればせながらも軍からも離反者が続出した。つまり、S系は、提供していたサービスを停止する、または停止を予告するというそれに固有の権力をもっている。その権力は、例えば自然を保全せず、破壊する企業や、福祉を乱用する個人にも使えるのだが、軍や警察という公的武力にも有効である。それとともに、公的武力に対しては、L系の内部で憲法と立法権、司法権、文官による厳格な抑制がなされる。私たちは、これらを従来の一重の文民支配に対して、公的武力に対する「二重の文民支配(Double civilian control)」と呼んだ。この度は二重の文民支配は、革命または内戦において軍の抑制のために使用されたが、その後も、軍または警察という公的武力が暴走しそうなときにいつでも使用できる。

軍の機能の国防への限定

  そのように社会権を保障する人の支配系(S系)も、いざというときは、軍を抑制することができる。それに対して、軍を掌握し監督するのは自由権を擁護する法の支配系(L系)である。S系は、軍を抑制することができても、促進したり発動したりすることができない。だから、S系は侵略や生物の生存や「国益」のために軍を乱用することができない。「資源を巡る局地的侵略戦争」をすることができない。S系は国際社会で外交によって限られた食糧資源を分かち合うしかない。L系とS系の分立によって、国家権力の少なくとも行政権を掌握していた「大統領」や「首相」はもはや存在しない。そのような大統領や首相が、軍や警察と社会権を保障するための行政権をごちゃまぜにして掌握していたことが間違いだったことが分かる。S系とL系の分立によって、侵略や生物の生存や国益のための軍の乱用が防止され、軍の機能が国防に限定される。
  革命直前までは世界はA国とB国という二つの超大国を含む大戦の状態にあった。革命のピークには、C国という超大国の「どさくさに紛れて」があった。だが、世界でL系とS系の分立が成立してからは、大戦はなかったかのような状態になり、戦争のきざしもかけらもない。S系は国際社会において外交によって限られた食糧資源をなんとか分かち合おうとしている。超大国と大国の国外の軍は自国に撤退した。全体破壊手段の全廃予防だけでなく、世界で全般的な軍縮が進んだ。軍に割り当てられていた予算が生活の改善と経済の回復のための予算に切り替えられた。それによって短期間のうちにも生活は改善し経済は上向き始めた。

軍産複合体の解消

  二十世紀中ごろから、核兵器を始めとし全体破壊手段を含む軍拡が急ピッチで進んだ元凶はいわゆる「軍産複合体」だった。そのような複合体は実質的には以下のものの複合体だった。

(1)軍
(2)軍を掌握する文官、特に大統領
(3)科学技術、特にインフォテク、バイオテク
(4)公私の先進の企業
(5)科学技術と公私の企業を促進しうる行政権の部門

それらのうち(1)(2)は国家権力の自由権を擁護する法の支配系(L系)の中にあり(3)(4)(5)は社会権を保障する人の支配系(S系)の中にあるまたはS系に管理される。L系とS系の分立に伴い、それらの複合体は解消した。(1)(2)が軍拡や戦争に走ろうとしても、(3)(4)(5)は軍拡や戦争に必要な情報と物資の提供をストップすることができる。かくして、全体破壊手段の廃止と軍縮が急ピッチに進むようになった。いわゆる「軍産複合体」の解消。これが最も大きいのかもしれない。

政党の排除

  さらに以下の効果は数週間以内に現れた。
  来るべき新政権の選挙のために、旧政権の下で弾圧されていた政党が復活し、活発な運動を再開し始めた。だが、政党単位の活発な運動は、社会権を保障する人の支配系(S系)の行政権の長官と立法権(S議院)の議員の選挙のために限られていた。結局、政党は本来、S系における政策を主張し議論するためにあったことが分かる。経済、労使関係調整、生活、医療福祉、自然の保全、人口問題…に係る政策が、政党を単位として活発に議論されている。特に経済と生活のあり方の詳細、自然の保全のあり方の詳細について議論されている。暫定政権のS系の行政権の長官であるYもそれらの議論に公開で参加している。また、Yと敵対する政党も、Yを支持する政党も出現しつつある。それらの動向はすべて、S系を巡る限りで、排除される必要はない。
  それに対して、自由権を擁護する法の支配系(L系)の立法権(L議院)の議員の選挙においては、厳格さという個人の「人格」のようなものが重視される必要がある。政党はできるだけ排除される必要がある。実際、国防、集団安全保障、犯罪対策、旧政権の文官と武官の処遇と処罰…などは政党を単位として議論されなかった。旧政権で弾圧されていた立法権の議員、司法権の裁判官、反政府グループの同僚、旧政権離反者などの個人が議論を展開した。
  それらのように、S系においては、政党を排除する必要がなく、L系においては、できる限り政党を排除する必要がある。私たちは場合によっては、L系において、政党を排除する法制を作る必要があると思っていた。だが、それらの動向を見る限りでは、そのような法制を作る必要はないようである。だが、今後の動向次第では、そのような法制を作る必要性も出てくると思う。
  繰り返すが、以上は国家権力をL系とS系に分立する効果のうち、短期間に現れたものである。長期的にはさらに様々な効果が現れることになる。

カリスマ排除

  繰り返すが、私たちが最も避けたかったのは、カリスマ性をもつとか、ヒーローやヒロインだとか、はたまた神だとか奇跡だとか思われることだった。カリスマ性をもつ人間より恐ろしいのは、カリスマ性を隠して虎視眈々と権力を狙う人間である。だが、革命ではカリスマ性をもつ指導者が出現しやすい。いすれにしても、それらの人々は強い権力欲求をもつ。権力欲求が強い人間は、強い支配性と破壊性をもつ。私たちは、既にグループGの形成過程から、無意識的にそれらに注意していたのだと思う。
  また、カリスマを生み出さないためには、美辞麗句を連ねた感動させるだけの演説をもてはやさないほうがよい。どのような演説をするのも言論の自由だが、演説を賞賛するのも批判するのも言論の自由である。
  あの凱旋の場面でXや私にカリスマ性がないことは明らかだろう。私が寝坊して遅刻したことは、準備段階の重要性を例証する一例になったが、それがカリスマ性につながることはないだろう。また、専門の情報科学技術以外でボキャブラリーが貧弱な点、従って演説が苦手な点からも、Xにカリスマ性がないことは明らかだろう。そもそも、グループGやグループHや他の世界の反政府グループに、伝統的な手法の演説のうまい人間はいなかった。例外は革命家Uだが、Uはもはや過去の人である。Xは不思議な魅力をもつが、そう思っているのは「恋は盲目(Love is blind)」になっている私だけだろう。また、地味なYにカリスマ性がないことは明らかだろう。また、あのとき戦車のハッチに座って照れていた、そして昇って来たスラム街の人々の裏方をしていたZにも、カリスマ性がないことは明らかだろう。カリスマ性がわずかにでもあるとすれば、P教授か父か元革命家Uかだが、P教授と父は既に亡くなっており、Uは元から隠遁している。
  また、私たちが彼らのカリスマ性を利用している、と見られることはありえる。それには注意しなければならないと思った。父とP教授の犠牲をあまり強調することもやめたほうがいいと思った。「P憲法」や「飲んだくれ憲法」などの名称は自然発生的なものだからいいと思う。彼らを名誉〇〇にするようなことはやめた方がよいと思った。そうではなく、父が残した「遺伝子の塩基配列以外のものを変えるなかれ」と、P教授が集大成してまとめた民主的分立的制度、特に「国家権力を自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立すること」を、地道にコツコツと維持し活かすことが重要なのだと思った。また、悠々自適に隠遁していても、Uがもち続けていた世界の動きを見透かすような目…と言えばいいのか…そのようなものを、私たちももち続ける必要があると思った。
  また、犠牲を単なる疑いに終わらせず、証明し歴史に残す必要がある。だから、私たちはさっそく、父、P教授…たちの死因解明と、女スパイT、売春婦K…たちの捜索と、あの地下の大量虐殺跡の発掘調査を開始した。
  母校ということもあって、私と同僚XとYがA1大学から講演を依頼された。私たちが行くと、校門から拍手で出迎えがあった。講堂のスクリーンには最初はP教授の遺影が映っていた。まず、学長が、あの事件の前に旧政権から大学への介入があったことと、自分がああいう対応を取らざるをえなかったことを告白した。学長の対応を非難する者はいなかった。次いで、P教授への黙祷が行われた。次いで、私が演壇に立った。まず、学長が、大学を護るためにああいう対応をとらざるをえなかったことと、P教授を犠牲にしないようにできるだけのことをしたことを説明した。次いで、P教授の人柄を回顧した。P教授がアルコール依存ではないことも説明しておいた。また、暫定政権と新政権が大学に介入することがありえないことも説明した。次いで、講演に入った。「国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立すること」については既に十分な理解が得られていたようなので、「全体破壊手段の定義」について講演というより議論した。この定義の段階からして活発な議論があった。その議論は後の国際会議で役に立った。次いで、Xが「情報科学技術の平和利用」について講演した。これがXが本当に追究したいテーマだった。新技術も含まれていて、専門家には参考になったと思う。次いで、Yが「社会権を保障する人の支配系における政策」について講演した。経済学の新理論も含まれていて、専門家には参考になったと思う。
  さて、私が世界に向かうときがきた。

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