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それぞれの国家権力を自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立すること(日本語訳)

基本的な言葉

これらの著作

  この『それぞれの国家権力を自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立すること』を「この著作」と呼べる。この著作と『生存と自由』と『生存と自由の詳細』と『感覚とイメージの想起』と『自我とそれらの傾向』と『悪循環に陥る傾向への直面』と『特定のものと一般のもの』を「これらの著作」と呼ぶことにする。

憲法

  それぞれの国家においてすべての法が基づくべき基本的な法を「憲法」「基本法」…などと呼べる。表現を統一しないと誤解が生じる恐れがある。だから、これらの著作ではそれを憲法と呼ぶことにする。

自由権

  個人が自我が意図する意識的機能を自我が意図するように生じることを「自由」と呼べる。自由のうち、憲法によって実現が認められる必要があるものを「自由権」と呼べる。現代ではほとんどすべての国家で、生命、身体の自由、思想、言論の自由、私有財産、契約の自由などが憲法で規定されている。だが、それらが単に憲法で規定されているだけではそれらが実際に擁護されるまたは保障されることはない。憲法そのものと自由権が擁護されるためには、権力の暴走を予防する必要があり、そのためには民主制、権力分立制などの権力を抑制する制度が整備されている必要がある。さらに、憲法がそれらの制度を明確に規定している必要がある。
  他のいくつかの個人または集団が個人の自由権が含む意識的機能が生じることを妨げることをそれらによる自由権の「侵害」、それらが自由権を侵害することと呼べる。
  侵害に対して、他のいくつかの個人または集団が個人の自由権が侵害されないようにすることをそれらによる自由権の「擁護」、それらが自由権を擁護することと呼べる。

権力

  他のいくつかの個人または集団、それらの機能、手段を直接的または間接的に破壊または抑制または促進する能力をもつ個人または集団、それらの機能、手段を「権力」と呼べる。それらを直接的物理的に破壊または抑制する能力をもつ権力を「武力」と呼べる。武力は権力に含まれる。いくつかの権力は自由権を侵害する能力をもつ。武力は自由権を直接的物理的に侵害する能力をもつ。
  だが、いくつかの権力は、自由権を侵害する能力をもつだけでなく、他のいくつかの権力が自由権を侵害することを抑制することによって自由権を擁護する能力をもつ。武力は、自由権を侵害する能力をもつだけでなく、他のいくつかの権力が自由権を侵害することを抑制することによって直接的物理的に自由権を擁護する能力をもつ。例えば、武力は暴力が生命、身体の自由を侵害することを抑制することによってをそれらを擁護する能力をもつ。
  さらに、いくつかの権力が自由権を侵害または擁護する能力をもつだけでなく、他のいくつかの権力は後述する社会権を保障する能力をもつ。例えば、行政権のいくつかの部門は社会資本を改善し福祉を推進することによって人間の生活と健康を促進する能力をもつ。
  また、いくつかの権力は、人間の権利を侵害または擁護または保障するだけでなく、他の生物と自然を破壊または保全する能力をもつ。例えば、行政権のいくつかの部門は公共事業を乱発することによって自然を破壊する能力をもち、他のいくつかの部門は自然破壊を規制することによって自然を保全する能力をもつ。また、武力は人間だけでなく他の生物を直接的物理的に殺傷する能力をもつ。

国家権力

  人間の権利を擁護または保障するために存在、機能する必要がある権力を「公権力」と呼べる。国家権力、立法権、行政権、司法権、地方行政権、地方立法権、警察、軍は公権力に含まれる。また、人間の権利を擁護または保障するために存在、機能する必要がある武力を「公的武力」と呼べる。警察、軍…などが公的武力に含まれる。また、少なくとも立法権、公的武力を含む行政権、司法権の三権を含み、少なくともそれらの三権が分立する必要がある公権力の複合体を「国家権力」と呼べる。また、国家権力とそれが人権を擁護または保障するべき人間と一定の境界の中の他の生物と土地を含む自然を「国家」、「国」…などと呼べる。この著作では通常、国家という言葉を用いることにする。
  国家権力を含む公的権力に対して、私的な権力があることは認めざるをえない。そのような私的権力のうち最大のものは会社、企業…などの「経済的権力」だろう。また、公的権力を獲得するための手段と見なせる私的権力があることは認めざるをえない。例えば、現代社会においては、選挙に勝つため、または、世論やメディアを操作するための人間関係や資金や技術がある。また、現代社会においても公的武力を獲得するための公的に見えて実際は私的な武力もありえる。国家権力を含む公的権力とそれらを獲得するための手段と見なせる私的権力を「政治的権力」または政治権力と呼べる。

政治的権利

  個人が国家権力を含む公権力とそれらの法と制度と機構と機能に対して投票、言論、調査、訴訟…などを通じて直接的または間接的に影響を及ぼす権利を「政治的権利」または「民主的権利」と呼べる。
  政治的権利は権利全般を擁護または保障し、民主制、権力分立制、法の支配を維持または拡充する手段でもある。
  政治的権利は民主制の構成要素とも見なせる。これらの著作では民主制という言葉の意味は政治的権利という言葉の意味を含むことにする。

全般的生存権

  『生存と自由』で説明されたとおり、全体破壊手段を全廃予防し人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛をできる限り全般的に減退させるという欲求・目的から生じる権利を「全般的生存権」と呼べる。だが、その著作でも以下のことが認められている。

「全体破壊手段の使用が地上の人間を絶滅させるとしてみよう。それは、数十億人、数百億人の生命、身体の自由という自由権の侵害でもあり、それだけの人間の最低限度の生活の維持という社会権の保障を怠っていることでもある。そもそも、地球や太陽の激変のときまで人間または進化した人間が生存し、それらの苦痛を減退させるためには、世界大戦、虐殺…などを防ぐ必要があり、何百億、何千億人の人間の最低限度の生活と健康を維持する必要がある。前者は自由権の擁護に含まれ、後者は社会権の保障に含まれる。だから、究極の欲求は自由権と社会権に既に含まれており、全般的生存権を確立しなければ、究極の欲求は満たされないということは全くない」

だから、この著作でも特に必要のない限り、全般的生存権に言及しないことにする。

国家権力の自由権を侵害し擁護する部分

  他の権力以上に、国家権力のいくつかの部分は自由権を侵害する能力をもち、公的武力は自由権を直接的物理的に侵害する能力をもつ。国家権力には自由権を侵害する能力をもつ部分が存在する。それを「国家権力の自由権を侵害する部分」と呼べる。
  だが、国家権力のいくつかの部分は自由権を侵害する他のいくつかの権力を抑制することによって自由権を擁護する能力をもち、公的武力は自由権を侵害する他のいくつかの権力を抑制することによって自由権を直接的物理的に擁護する能力をもつ。国家権力には自由権を擁護する能力をもつ部分が存在する。それを「国家権力の自由権を擁護する部分」とも呼べる。
  重要なことだが、国家権力の自由権を侵害する部分と自由権を擁護する部分とはほとんど同一である。例えば、同じ警察や軍が独裁者に乱用され自由権を侵害することも、三権分立制と法の支配の下にあって自由権を擁護することもできる。また、独立が保障されているなら、司法権は自由権を擁護することが多く、独立が保障されていないなら、それは自由権を侵害することが多い。比喩的にいえば、それらは表裏一体、両刃の剣である。ほとんど同一である国家権力の自由権を侵害する部分と擁護する部分を「国家権力の自由権を侵害し擁護する部分と呼べる。だが、「侵害し擁護する」という言葉をいつも用いていると、文章が煩雑になる。だから、それを「国家権力の自由権を擁護する部分」と呼ぶことにする。だが、それが自由権を侵害する部分を含むことを強調する必要があるときは、国家権力の自由権を侵害し擁護する部分という言葉を用いることにする。
  ところで、国家権力は、民主制と三権分立制の実現以前から、犯罪と刑罰を法で規定し、裁判を行い無罪か有罪かと有罪のときの刑罰を決定し、刑罰を執行してきた。その過程を「(伝統的)裁判過程」と呼べる。犯罪の多くは私的権力が自由権を侵害することである。意図したものではないが結果的に、この裁判過程は、私権力が自由権を侵害することを国家権力に抑制させる機能をある程度、果たしてきた。また、それらはある程度、国家権力を部分的にせよ法で縛り、国家権力の自由権を侵害する部分を抑制する機能を果たしてきた。
  繰り返すが、ある程度はである。それだけでは積極的に自由権を擁護することができない。そこで、人間は、主として18世紀以降に、主として西欧と北米で、主として自由権を擁護するために、自由権、政治的権利、民主制、三権分立制、法の支配を実現してきた。
  民主制は市民が比較的直接的に国家権力を抑制する制度である。それに対して、三権分立制は国家権力を立法権、行政権、司法権に分立し、それらを互いに抑制させる制度である。

国家権力の社会権を保障する部分

  だが、もちろん、人間は自由を追求するだけではなく生存を、少なくとも最低限度の生活を追求する。簡単にいって、自由より生命と健康のほうが重大である。社会権の認識と追求以前から、経済的不平等、経済の矛盾…などはあり、個人と集団は最低限度の生活を追求してきた。
  だが、言論の自由、政治的権利…などがなければ、市民は最低限度の生活を要求することができない。自由権、政治的権利、民主制、三権分立制、法の支配をある程度、達成した後で、市民は最低限度の生活を要求することができるようになった。また、科学技術の急速な発達の始まりと産業革命と資本主義経済の発展によって経済的不平等と資本主義経済の矛盾が鮮明になった後で、最低限度の生活を強く明確に要求するようになった。
  だが、私有財産の自由と契約の自由の名の下に、資本をもつものは資本と資本をもたないものを駆使して資本を蓄積する。また、企業が競争すのも自由だが妥協するのも自由であって、妥協は独占・寡占を生む。「独占・寡占」という言葉をいつも使っていると文章が煩雑になるので、通常、それらを「独占」という言葉で一括することにする。独占は「見えざる手」を麻痺させて不況、失業などを生じる。それらのように、自由権、政治的権利、民主制、三権分立制…などを整備するだけでは、依然として経済的不平等と資本主義経済の矛盾が存在し、多くの個人は劣悪な生活を余儀なくされる。
  そこで、市民は生存権や労働者の諸権利を主張し法で規定し、国家権力の最低限度の生活を保障し福祉を推進する財力と人力を拡大し、最低限度の労働条件を保障する権限を拡大してきた。
  また、資本主義は企業間の経済的競争だけでなく、個人の間の社会的競争も重視するが、生産的な競争が行われるのは子供たちに均等な教育が与えられ青年たちが等しいスタートラインに立ってのことである。そこで、市民は子供たちに最低限度の教育を国家権力に提供させてきた。
  さらに、二十世紀後半以降、企業の経済活動と市民の日常生活の拡大による自然の破壊がますます露呈し、人間の生命と健康を危うくしてきた。そこで、市民は国家権力に自然破壊を規制させてきた。
  市民が国家権力を含む公権力に端的にいって生存、より詳細には生命、健康、最低限度の生活、最低限度の労働条件、最低限度の教育…などを維持または促進させる権利を「社会権」または広義の生存権と呼べる。また、公権力がそれらを維持または促進することを公権力による社会権の「保障」または公権力が社会権を保障することと呼べる。
  それらのように、国家権力には社会権を保障する能力をもつ部分が存在する。この部分は企業とそれらの関係と労使関係を規制し調整する権限、社会資本を建設し維持する財力と人力、福祉を推進する財力と人力、子供たちに最低限の教育を提供する財力と人力、自然破壊を規制する権限…などから構成される。国家権力の社会権を保障する能力をもつ部分を「国家権力の社会権を保障する部分」、社会権を保障する部分と呼べる。

自由権と社会権の対照

  自由権と社会権は対照的な権利であり、国家権力の自由権を侵害し擁護する部分と社会権を保障する部分は対照的な部分である。
  国家権力の自由権を侵害し擁護する部分は自由権を侵害する権力を抑制することによって自由権を擁護する。この部分が違憲違法行為を何ら行っていない個人を抑制するとすれば、それはこの部分による自由権の侵害である。自由権を侵害するにせよ擁護するにせよ、この部分は個人と集団の身体、機能、手段を抑制する。それに対して、社会権を保障する部分は、個人と集団の身体、機能、手段、例えば、生活、健康、知識、技能、住宅、道路、港湾を促進または維持する。
  極論になるが、自由権を擁護する部分が積極的に機能するとき自由権は侵害される。それに対して、社会権を保障する部分が積極的に機能するとき社会権が保障される。自由権を擁護する部分が怠けているとき、自由権は擁護される。それに対して、社会権を保障する部分が怠けているとき、社会権は保障されない。自由権が擁護されるためには国家権力の自由権を侵害し擁護する部分が抑制される必要がある。それに対して、社会権が保障されるためには国家権力の社会権を保障する部分が促進または維持される必要がある。
  抽象的にいうと、個人の存在と機能のいくつかの部分(1)が権力(2)によって抑制される可能性をもち、国家権力のいくつかの部分(3)が(1)を抑制する(2)を抑制することによって、(1)が抑制される可能性が小さくなるとき、個人が(1)を求めることは自由権である。それに対して、個人または集団の存在と機能(4)が権力なしでは維持または促進される可能性がほとんどなく、国家権力を含む公権力のいくつかの部分(5)が何かをすることによって、(4)が維持または促進される可能性が大きくなるとき、個人または集団が(4)を求めることは社会権である。例えば、同じ生命を求めることさえ自由権、社会権のいずれかでありえる。個人の生命が、他の個人や集団の暴力によって危い状態にあり、行政権がその暴力を抑えることによって個人の生命が救われるとき、そのような生命を求めることは自由権、より詳細には生命身体の自由である。それに対して、一家の生命が、食糧と水の欠乏によって危うい状態にあり、行政権がそれらを供給することによって個人と家族の生命が救われるとき、そのような生命を求めることは社会権、より詳細には狭義の生存権である。

権利の擁護または保障のための一部の自由権の制限

  殺人、傷害、窃盗、脅迫、詐欺…など伝統的な犯罪の多くは自由権の侵害ともとらえられる。例えば、殺人、傷害は生命身体の自由の侵害、窃盗、詐欺は私有財産の自由、契約の自由の侵害と見なせる。だが、犯罪と刑罰の概念と慣行(1)は自由権、民主制、三権分立制、法の支配(2)の始まり以前から何千年もあったのである。(2)がある程度、確立した後も、(1)は少しばかり修正されつつ、(1)(2)は互いを大きく損なうことはなかった。だから、犯罪の概念が修正される必要はないのかもしれない。
  だが、犯罪の概念が権力の保持者によって曖昧にされ拡大され、犯罪の抑止の名のもとに市民の権利が侵害されることは度々、あったし今後もありえる。だから、犯罪を公私権力による権利の侵害と定義し直したほうがよい。例えば、大統領や首相への襲撃もそれらの生命・身体の自由という自由権の侵害ととらえられ、それらが直接的または間接的に市民によって選出された限りにおいて、市民の政治的権利の侵害ととらえられる。
  とすれば、残る問題はいくつかの権利同志のせめぎ合いである。言論表現の自由と子供の教育とのせめぎ合いについては、自由権と社会権のものであり、後の節で述べる。
  前述のとおり、犯罪を権利の侵害と定義し直せば、犯罪の容疑者が捜査され逮捕され拘留され、裁判過程にかけられ、有罪者が刑罰を課せられるのは他人の権利の擁護または保障のための身体の自由という自由権の制限ととらえられる。ここでも、彼または彼女らの思想、言論の自由は制限されない。簡単にいって、彼または彼女らは取り調べ、裁判から刑罰までのすべての過程で何をいってもよいし何もいわなくてもよい。また、死刑が廃止されている限りにおいて、生命の自由は制限されない。
  言論表現の自由と名誉棄損、プライバシーの侵害のせめぎ合いについて、一般市民の名誉とプライバシーは従来より擁護されるべきである。では、政治家や公務員の名誉とプライバシーはどうだろうか。そもそも、自由権、特に言論の自由は私権力や一般市民に係るものとしてではなく公権力または政治権力、特に国家権力に係るものとして始まった。当時の観点からすれば、言論の自由が一般市民に向けられることがおかしなことである。だから、一般市民に関する限りで、言論の自由より名誉棄損の予防とプライバシーの保護が優先されてよい。また、重大な責任や権限をもたない公務員のそれらも一般市民と同等かやや控えめに優先されてよい。
  それに対して、国家権力を含む公権力、それらの保持者、そららの候補者に係る言論と表現の自由はいかなるもののためにも制限される必要がなく制限されてはならない自由権である。もう少し詳しくいうと、政治的制度全般、軍と警察を含む行政権とその長官、その部門の長官、立法権とその議員、司法権と裁判官、地方自治体の行政権とその長、地方自治体の立法権と議員、それらへの候補者についての言論と表現の自由はいかなるもののためにも制限される必要がなく制限されてはならない自由権である。それは憲法で明確に規定される必要がある。
  それに対して、それらの公権力の保持者、それらへの候補者の公的機能以外のもの、例えば、私生活や人格に係る言論と表現についてはどうだろうか。それらについては私生活や人格もそれらへの選考または昇進または免職の際に考慮される必要がある。また、それらは名誉棄損やプライバシーの侵害を名目として自由権全般を抑圧しかねない。それらのことから、それらに関する言論表現の自由もいかなるもののためにも制限される必要がなく制限されてはならない自由権である。それも憲法で明確に規定される必要がある。
  結局、国家権力を含む公権力とその保持者とそれらへの候補者に係る言論と表現の自由はすべていかなるもののためにも制限される必要がなく制限されてはならない自由権である。

社会系の保障のための一部の自由権の一部の制限

  既に二十世紀の前半に狭義の生存権と労働者の権利などの社会権の保障のためには、私有財産の自由と契約の自由などの自由権は部分的に制限されていた。さらに、二十世紀後半以降は、社会権の保障のために部分的に制限される自由権は増えている。例えば、子供の教育のためには、大人向けの映像などの表現の自由が制限される。また、自然の保全のためには私有財産の自由と契約の自由が制限される。また、伝染病の蔓延の予防のためには感染者は隔離されることがあり、身体の自由が制限される。
  だが、それらはあくまでもすべてではなく一部の社会権の保障のために制限されうるすべてではなく一部の自由権の一部である。それらの制限されうる部分と制限しうる部分は憲法で明記される必要があり、厳しく限定される必要がある。

いかなるもののためにも制限される必要がなく制限されてはならない自由権

  ここで、自由権の擁護のためにも社会権の保障のためにもいかなる権利のためにも、いかなるもののためにも制限される必要がなく制限されてはならない自由権(1)を確認しまとめておいたほうがよい。(1)は以下のとおりになる。

(1-1)(死刑のない国家において)生命の自由
(1-2)思考、情動などの純粋精神的機能の自由、例えば、思想、信条、信仰の自由
(1-3)国家権力を含む公権力とそれらの保持者とそれらへの候補者に関する言論表現の自由

その他の自由権(2)のそれぞれは他のいくつかの人間の権利(a)のためにいくつかの条件(b)の下でいくつかの部分(c)が制限されえる。
  憲法が(1)(2)と(a)(b)(c)を明確に規定する必要がありそれは可能である。

国家権力の社会権からの逸脱

  だが、社会権の保障や人間の生存の保障…などの名目を掲げることによって、国家権力がいかなるもののためにも制限される必要がなく制限されてはならない自由権を制限し侵害し、条件付きで制限されるえる自由権の条件を曖昧にし、自由権全般、政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配を侵害して、独裁、全体主義…などに走る可能性はいつでもどこにでもある。実際、二十世紀の共産主義や社会主義を掲げる集団のほとんどがそうしていた。それは二十世紀の惨劇に見えるかもしれない。
  だが、わたしたちは階級闘争、経済的不平等、資本主義経済の矛盾…などを解決したわけではない。共産主義や社会主義の再興はありえ、それらのいくつかの部分は必要である。だが、それらの部分が必要なのは、国家権力の社会権を保障する部分においてであり、自由権を擁護する部分では必要ないだけでなく不適切である。自由権を擁護する部分においては厳格な自由権、厳格な政治的権利を含む民主制、厳格な三権分立制を含む権力分立制、厳格な法の支配が機能する必要がある。
  また、今後はますます地球レベルで、環境は悪化し資源は消耗し人口は地球でかろうじて維持できるものに近づいていく。それらの状況の中で経済と市民の生活はますます逼迫する。それらの状況と動態の中で環境を保全し資源を保全し有効利用し世界人口を適正なものに保ち、経済を安定化させ市民の最低限度の生活を保障することは世界の市民の社会権を保障することであり、そのためには総合的な政策を立案し推進する必要がある。だが、そのような総合的な政策の必要性を誰かが全体主義のようなものにこじつける恐れがある。つまり、人間や生物の全体の生存…などを名目として掲げる全体主義のようなものが出現する可能性がある。国家権力が、上記のような名目を掲げることによって自由権、政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配を制限し侵害することを国家権力の社会権からの「逸脱」、国家権力が社会権から逸脱することと呼べる。
  前述のような状況と動態の中で前述のような総合的政策を立案し推進し社会権を保障するためには、かつてよりいっそう、自由権に含まれる言論の自由と民主制に含まれる公正な選挙によって政策が活発に議論される必要がある。社会権からの逸脱は、社会権の保障や人間を含む生物の生存のためにも機能しない。社会権を保障するためにも自由権、政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配を確保する必要がある。

政治的経済的権力によるインフォテク・バイオテクを含む科学技術の乱用

  科学技術は放置しても進歩する。政治的権力や経済的権力と連携すればなおさら進歩する。科学技術の進歩は環境の破壊と資源の枯渇と人口の指数関数的増加と、何より全体破壊手段の開発、保持を既にもたらしている。今後は科学技術、特にインフォテクとバイオテクは、それらだけでなく物質的にも精神的にも不健全な人間生活をもたらすだろう。その精神的物質的不健全さはほとんど予見できないほどのものである。
  そのような状況の中で、この著作の筆者は以下のことを確実にいえる。
  もちろん、政治的経済的権力者は科学技術を含めて様々なものを乱用してきた。今後はますます科学技術、特にインフォテクとバイオテクが乱用されるだろう。
  第一に、選挙やレフェレンダムの投票の集計の少なくとも一部を情報科学技術が担うことになるだろう。そのような電子集計でもっては、政治権力の保持者が投票結果を捏造する可能性が従来の集計以上にある。
  第二に、前述のような状況の中で環境を保全しつつ資源を保全し有効利用し適正人口を維持しつつ、経済を安定化させ市民の最低限度の生活を保障するためには総合的な政策の立案と実行が必要であり、その立案において人工知能などの情報科学技術の産物も使われるだろう。そのような産物を政治的経済的権力の保持者が密かに操作してそのような政策を自分たちの利権に適うように捏造する可能性がある。しかも、その政策は、例えば「人工知能」が算出したもので最も公正で適正なものであると主張する可能性がある。そのような総合的な政策の立案は、賢明な人間がしようが人工知能がしようが、両者が協調してしようが、困難なものである。そこで権力者の利権が加味されて、適正な政策が策定できるはずがないのである。
  第三に、バイオテクについて、それが進歩するにつれて、医療は高度になる。だが、高度医療の費用が増大するか減少するか、一般市民が受けやすくなるか受けにくくなるかは分からない。いずれにしても、最新で最高の医療を受けられるのは一部の政治的経済的権力者に限られるだろう。つまり、彼らが健康で長生きする反面、一般市民はそうはいかず、後者が激怒せずにはいられない可能性はある。
  それらの可能性は今後、ますます大きくなっていくだろう。それらだけでなく既に進行している核兵器の開発・保持や遺伝子操作や宇宙開発についても、それらを積極的に推進してきたのは、科学者技術者ではなく政治的経済的権力者と軍官学産複合体である。そのように、わたしたちは、科学技術の進歩や科学者技術者の行動よりも政治的経済的権力者と軍官学産複合体による科学技術と科学者技術者の乱用に注意する必要がある。

国家権力の自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系への分立

機能と機構の区別

  国家権力の機能と機構は区別される。例えば、立法そのもの、行政そのもの、司法そのものは機能である。また、それらの間の相互抑制も協力も機能である。また、自由権の擁護も社会権の保障も機能である。それに対して、立法権の中の議院、委員会、行政権の中の省庁、部署、軍、警察、それらの中の部隊、司法権の中の裁判所は機構である。なんらかの機構が構築されなければ、国家権力は機能しない。
  だが、市民にとっては結果的に国家権力が機能すればよい。機構は機能のためにある。国家権力を改善するためには、それを機構より機能に重点をおいて調べ、機能のために機構を再編する必要がある。さらに、それぞれの国家権力の機能が明確に分立できたとすれば、その機能の分立に沿って機構を分立する可能性が見えて来るだろう。
  今まで見てきたところでは、国家権力の自由権を擁護する機能と社会権を保障する機能は明確に区別できそうである。まず、国家権力の自由権を擁護する(法の支配)機能と社会権を保障する(人の支配)機能を区別してみよう。
  ところで、三権分立制は、立法権と行政権と司法権が分立して互いを抑制する、一つの国家権力の分立制である。それらの三権のそれぞれの中でも自由権を擁護する機能と機構と社会権を擁護する機能と機構の四つを区別する必要があるだろう。

自由権を擁護する機能

  前述のとおり、国家権力の自由権を侵害する部分と擁護する部分はほとんど同一である。ほとんど同一であるそれらの部分を「国家権力の自由権を侵害し擁護する部分」と呼べる。だが、「侵害し擁護する」という言葉をいつも用いていると、文章が煩雑になる。だから、それを「国家権力の自由権を擁護する部分」とも呼ぶことにした。だが、それが自由権を侵害する部分を含むことを忘れないでいただきたい。そのような用語法は国家権力の自由権を擁護する機能、機構…などにも当てはまる。
  さて、以下が国家権力の自由権を(侵害し)擁護する機能である。
  憲法が、自由権の完全な概略とある程度の詳細と自由権の擁護のために必要な以下のものを規定することは可能かつ必要である。

政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配、公的武力の警察と軍への分立とそれらの機能の自由権、民主制、権力分立制、法の支配の擁護への限定、それらの公的武力を行政権の文官が監督し抑制する方法、それらの公的武力とそれらの文官を含む行政権を立法権と司法権が抑制する方法。

  立法権が、憲法で規定された上記のかなりの詳細を法律で規定することは可能かつ必要である。また、自由権、政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配の市民と公務員による侵害を犯罪として法律で規定し、有罪のときの刑罰を規定することは可能かつ必要である。
  憲法と法に基づいて行政権の文官が、警察と軍を監督し抑制することは可能かつ必要である。行政権の文官らに監督され抑制された検察と警察が、憲法と法に基づいて、上級公務員を含む犯罪の容疑者を捜査し(逮捕し)取り調べ告訴することは可能かつ必要である。行政権の文官らに監督され抑制された軍が国外からの公私の武力の侵入を防ぐことは可能かつ必要である。さらに、立法権と司法権が、憲法と法律に基づいて、行政権の長官やその部門の長官や警察や軍の長官や幹部が公的武力を乱用するまたは暴走させることを防ぐことは可能かつ必要である。
  司法権が、憲法と法に基づいて、開廷し裁判を主導し、犯罪の上級公務員を含む容疑者について無罪または有罪と有罪の場合の刑罰を決定することは可能かつ必要である。
  行政権が、憲法と法と司法権の決定に基づいて、刑罰を執行することは可能かつ必要である。
  前述のとおり、自由権を侵害する他の武力を抑制することによって自由権を直接的に擁護することができるものは武力である。国家権力の中で、自由権を侵害する他の武力を抑制することによって自由権を直接的に擁護することができるものは公的武力である。だが、少なくともそれぞれの国家の中のすべての権力のうちで、公的武力は自由権を侵害する直接的で最強の権力である。さらに、公的武力は自由権を直接的に侵害するだけでなく、政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配を間接的に侵害し、独裁、全体主義…などに走ることがある。それらを予防するためには、公的武力が文官によって抑制され、公的武力と文官が三権分立制と法の支配の中で抑制されるだけでなく、公的武力そのものが少なくとも警察と軍に分立され、国内で発生する私的公的暴力と国外から侵入する私的で小規模な暴力への対処を警察に、国外から侵入する公的または私的だが大規模な暴力への対処を軍に割り当てることは可能かつ必要である。そうすれば最強の権力を二つに分立できる。より具体的には、警察の機能を犯罪容疑者の捜査、(逮捕)、取り調べ、犯罪の予防、災害時の救援、人的災害の予防に、軍の機能を国家の防衛、集団安全保障、大規模災害時の救援、大規模人的災害の予防に制限することは可能かつ必要である。
<   また、憲法がそれらの機能の概略を規定し、立法権がそれらの詳細を法で規定することは可能かつ必要である。また、行政権の長官と上級文官と警察の長官と上級武官と軍の長官と上級武官がそれらの規定を組織の全体に遵守させることは可能かつ必要である。また、上司であろうが同僚であろうが、検察と警察が警察そのもののそれらの規定からの逸脱を捜査し(逮捕し)取り調べ公訴することは可能かつ必要である。また、警察が軍のそれらの規定からの逸脱さえも捜査し(逮捕し)取り調べ公訴することは可能かつ必要である。
  だが、行政権の長官や文官や立法権のいくつかの党派が公的武力を完全に掌握し乱用して、自由権、政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配を侵害し、独裁や全体主義に暴走することがある。それを防ぐためには、一般市民が民主制、特に選挙によって行政権の長官と立法権の議員を抑制し、三権分立制と法の支配の中で行政権と立法権と司法権が相互抑制することは可能かつ必要である。
  前述のとおり、人間は犯罪と刑罰を法で規定し裁判を行い無罪または有罪と有罪の場合の刑罰を決定し刑罰を執行してきた。その過程を「(伝統的)裁判過程」と呼べる。犯罪の多くは私的権力が自由権を侵害することであり、その裁判過程は自由権を擁護する機能もある程度、もっていた。だが、厳格な民主制、三権分立制、法の支配が機能しないなら、その裁判過程において自由権はむしろ侵害されることがある。さらに、国家権力の保持者はその過程を自由権、政治的権利などを侵害し、独裁、専制…などに暴走するために乱用する。例えば、体制に反対することを反逆罪と規定し、形式的にではなく実質的に裁判官の独立性を失わせることによって、反対者の生命・身体の自由と思想・言論の自由を侵害する。それらを防ぐためには厳格な民主制と三権分立制と法の支配がその裁判過程に機能することは可能かつ必要である。

自由権を擁護する機能のまとめ

  それらが国家権力の自由権を擁護する機能である。さしあたり政治的権利を含む民主制と三権分立制を含む権力分立制と法の支配を民主的分立的制度と呼べる。簡潔には、自由権を擁護する機能は、(1)厳格な民主的分立的制度と、(2)(1)の中にある裁判過程と、(3)自由権と民主的分立的制度の侵害としての犯罪の容疑者の(1)(2)の中で抑制される警察・検察による捜査・(逮捕)・告訴と、(4)自由権と民主的分立的制度の侵害としての侵略に対する(1)(2)(3)の中で抑制される軍による国防と集団安全保障である。自由権を擁護する機能においては、厳格な民主的分立的制度が機能することは可能かつ必要である。さらに簡潔には、自由権を擁護する機能は厳格な民主的分立的制度である。

自由権を擁護する機能において機能する必要がある民主制

  厳格な三権分立制と法の支配については多くを説明するまでもないだろう。厳格な民主制については説明する必要があると思う。
  一般に厳格な民主制というと、選挙に不正のないこと、公私間に贈収賄のないこと…などを意味する。だが、これらの著作では以下も意味する。
  自由権を擁護する機能においては、公務員は公正で厳格である必要がある。例えば、部下の小さな不正は見逃しても上司の大きな不正は見逃さないというような人たちが理想的な自由権を擁護する公務員である。彼らに複雑で高度な政策立案能力は必要ない。この自由権を擁護する機能における民主制は一般市民がそのような公正さと厳格さをもつ公務員を直接的にも間接的にも選べるものである必要がある。選挙制度については、自由権を擁護する機能に関する限りで、小選挙区制を採用し、比例代表制は採用せず、政党をできるだけ排除する必要がある。厳格な民主制という言葉は公正で厳格な公務員を直接的にも間接的にも選出できる制度も意味することにする。

自由権と民主的分立的制度を擁護する機能

  まず、政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配、つまり、民主的分立的制度は、行政権の長官や上級文官や立法権の議員や司法権の裁判官の生命身体の自由が直接的に、それらの言論表現の自由が間接的に侵害されることによって侵害される。第二に、それらの侵害に抗議しようとする市民の自由権が侵害されることによって侵害される。それらの自由権を侵害する権力は一般の自由権を侵害する権力とほとんど同一である。だから、民主的分立的制度を擁護する機能(1)は自由権を擁護する機能(2)と大部分で重なる。(2)から見れば、何度も言う通り、自由権を擁護するためには民主的分立的制度が擁護される必要があり、(2)は(1)と大部分で重なる。つまり、(1)(2)は大部分で重なる。言い方を替えれば、(1)(2)が機能するためには、それら自身が機能する必要があり、(1)(2)にはそれら自身を守る機能が内在する。繰り返すが、政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配を「民主的分立的制度」と呼べる。さらに、大部分で重なる自由権を擁護する機能と民主的分立的制度を擁護する機能を「自由権と民主的分立的制度を擁護する法の支配機能」、自由権を擁護する法の支配機能、法の支配機能、自由権を擁護する機能と呼べる。つまり、民主的分立的制度という言葉を省略する場合も、それらの言葉は自由権と民主的分立的制度を擁護する法の支配機能を意味する。そのことを忘れないで頂きたい。
  結局、自由権を擁護する機能を究明するつもりが、自由権と民主的分立的制度を擁護する機能に行きついてしまった。
  また、以下のことが分かる。それらが厳密に機能するとき、自由権が侵害されることは極小化され、自由権と民主的分立的制度が侵害されることは極小化される。だから、「厳密な」という修飾語を用いるときは「侵害する」という言葉を省略して、厳密な自由権を擁護する機能、厳密な自由権と民主的分立的制度を擁護する機能…などの言葉を用いることができる。

自由権を擁護する機能と全般的生存権

  全般的生存権の保障は(1)全体破壊手段を全廃予防することと(2)人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛をできる限り全般的に減退させることから構成される。(1)のためには、それぞれの国家と国際社会または世界と国際または世界機構においてそれらの全廃と予防ための法と制度が整備され厳格に実施される必要がある。ここではそれぞれの国家における(1)について説明する。第一に、それぞれの国家の憲法がその国家におけるすべての個人と団体による全体破壊手段の研究、開発、保持、使用、交易を禁じ、国家権力が国際社会または世界において他の国家権力と国際または世界機構とそれらの全廃と予防のために協力するべきことを規定する必要がある。第二に、立法権が法律でその国家におけるすべての個人と団体による全体破壊手段の研究、開発、保持、使用、交易を犯罪として禁じ、罰則を規定する必要がある。第三に、検察、警察がそれらの違反を捜査し公訴する必要がある。第四に、司法権がそれらを裁く必要がある。第五に、刑罰が執行される必要がある。ここで特にそれらの対象になるのは軍、行政権の長官と高官、公私研究機関、多国籍企業を含む大企業、それらの国内および国際社会における癒着と腐敗、特にいわゆる軍産複合体である。だから、全般的生存権を保障する機能のうち(1)は自由権と民主的分立的制度を擁護する機能に含まれる。だから、(1)のために新しい機能が創出されなければならないということはない。

社会権を保障する機能

  自由権を擁護する機能に対して、憲法が社会権とそれを保障する方法の概略を規定することは可能かつ必要だが、憲法はそれらの詳細を規定することができない。
  また、立法権は社会権と社会権を保障する方法を憲法より詳細に法で規定することができるが、自由権のそれらを規定したように詳細に規定できない。例えば、経済の促進や規制の目標値を法律で定めたところで、その値は数週間または数か月で変化する。また、市民の健康増進の具体的方法を法で定めてみたところで、医学を含む科学技術は進歩し、その方法は数年で変化する。それらの数値と具体的方法は、公務員であれ私人であれ、専門家が科学技術に基づいて臨機応変に割り出し変える必要がありそれは可能である。そのような専門家を含むまたはそれらと協調する行政権が社会権の保障のための政策を臨機応変に練り実行する必要がありそれは可能である。
  具体的には国家権力の社会権を保障する機能は以下の機能である。

税金の徴収、分配、運用、企業の放任または規制、労働者の権利の保障、労使関係の調整、社会資本の建設と維持、医療福祉の推進、子供たちへの最低限度の教育の提供、自然破壊の規制、それらの機能ための科学技術の研究開発。

結局、行政権のうちの、公的武力とそれらを監督し抑制する機能と検察を除く大部分が社会権を保障する機能である。
  司法権は、特定の訴訟において、行政権が社会権を保障し損なっているとき、それを指摘し損害賠償について決定することはできるが、それは社会権の保障にとって積極的な機能ではない。また、そのように指摘することは司法権の機能のごく一部に過ぎず、司法権の機能の大部分は自由権と民主的分立的制度を擁護する機能である。

提供していたサービスまたは認可を停止するまたは停止を暗示するという権力

  だが、個人や企業が規制に従わないとき、社会権を保障する機能はどう対処すればよいのだろうか。裁判過程に訴えるという伝統的な手段もとれるのだが、別のことができる。自由権を擁護する機能が公的武力というそれに固有の権力をもつのに対して、国家権力の社会権を保障する機能は提供または認可してきたサービスまたは認可を停止するまたは停止を暗示するというそれに固有の権力をもつ。この権力を「(提供していた)サービス(等)を停止するという(S系に固有の)権力」と呼べる。例えば、企業が自然の保全のための規制に従わないとき、社会権を保障する機能は企業に出していた営業許可を無効化することができる。さらに、提供していた港湾、水道、ガス、電気、情報、通信網…などへのアクセスまたはアクセス許可を停止することができる。個人が福祉を乱用するとき、それらは提供してきた福祉のうち乱用されたものと他のいくつかを停止することができる。そのような無効化または停止は現代社会では十分な制裁であり権力である。そのように社会権を保障する機能は提供していたサービス等を停止するというそれに固有の権力をもち、公的武力も裁判過程もほとんど必要としない。
  この権力はそれらが社会権を保障してきたことそのものから発生する権力であり、武力とは対照的な権力である。後者が機能するときまたは機能することを暗示するとき権力であることが明らかになるのに対して、前者は機能を停止するときまたは停止を暗示するとき権力であることが明らかになる。
  さらに、この権力は公的武力を含む国家権力を含む公権力に対しても有効である。特に公的武力やそれを掌握する文官が違憲違法行為を行うとき、それを抑制するのに有効である。例えば、軍またはそれを掌握する文官が独裁や侵略戦争へと暴走するとき、社会権を保障する機能は軍に提供していたカネ、電気、水道、ガス、情報通信網、情報そのもの…などをストップして、軍を弱体化させることができる。そこでは多少の法的論争は生じるだろう。それを防ぐためには憲法で社会権を保障する機構は、違憲違法行為を行う個人と公務員と公的機関に対して、サービスと認可を停止する権利と義務をもつと規定する必要がある。

社会権を保障する機能において機能する必要がある民主制

  公的武力とそれを監督し抑制する機能と検察を除く行政権の大部分が社会権を保障する機能である。繰り返すが、社会権を保障する機能においては厳格な三権分立制と法の支配は機能する必要がないだけでなく、あまりに厳格なら、それらは不適切である。では、民主制ついてはどうだろうか。
  国家権力の社会権を保障する機能の管理者が政治的または経済的または社会的権力を握る人々によってだけ指名または選出されるのであれば、彼らの利権が優先され、一般市民の社会権は保障されにくい。だから、これらの機能の管理者は一般市民によって直接的または間接的に選出される必要がある。
  また、社会権の保障のための政策が適正になるためには市民がその政策立案者を選挙したほうがよい。例えば、従来の共産主義の失敗の原因の一つに経済の計画者が党内外の権力闘争に明け暮れ、経済の計画に専念できない、または無能に陥る、または、経済の計画に優れたものではなく権力闘争に優れたものが計画者になることがあった。プロレタリアートを含む階級のそれぞれには階級の外部の者との権力闘争だけでなく、階級の内部の者との権力闘争がある。従来の共産主義はプロレタリアートの中にも権力闘争があることを想定していなかった。選挙も権力闘争の一種であり熾烈だが、それ以外の権力闘争ほど熾烈でない。社会権の保障のための政策の計画者が権力闘争に明け暮れず、立案に専念できるためにも選挙を含む民主制が必要である。
  だが、総生産の少なからぬ部分が冷戦における軍拡に使われたことも従来の共産主義の失敗の原因の一つである。だが、この軍拡の主因は自由権を擁護する機能と社会権を保障する機能の両方が一握りの人間に委ねられていたことにある。
  また、社会権の保障のための政策が適切なものになためにも、政策が自由に議論される必要がある。また、政策の立案者と立案者の候補者は政策の内容と自身の政策立案能力と実行能力について互いに競争する必要があり、選挙においてそれらの候補者がそれらの内容と能力を提示し互いに競争する必要がある。それらのためには言論の自由を含む自由権と公正な選挙を含む民主制が必要である。
  一般市民は彼らの政策の詳細と彼らが主張する能力の正確さを理解できないかもしれない。だが、社会権の保障の大部分は一般市民の日常的欲動と欲求を満たし、快の情動を増大させ不快の情動を減退させることである。だから、一般市民が理性ではなく情動に基づいて社会権の保障のための政策立案者を選挙することは悪いことではない。
  特に社会権を保障する機能においては政治的権力と経済的権力の癒着と汚職を防ぐ必要がある。それらを防ぐためにも一般市民による民主制が機能する必要がある。もちろん、そのような癒着に対しては厳格な権力分立制と法の支配が機能する必要がある。そもそも、公務員と公的機関の違憲違法行為全般に対して、厳格な三権分立制と法の支配が機能する必要がある。
  だが、そのような政治的権力と経済的権力の間の癒着と汚職を除く限りで、社会権を保障する機能に対しては三権分立制と法の支配は厳格に機能する必要がなく、あまりに厳格なら不適切である。
  だが、特に社会権を保障する機能における民主制は(1)政府による世論操作、大衆迎合、国際社会における国益の過度の追求…などに陥りがちである。だが、それらは(2)独裁、全体主義…などよりマシである。精神的操作(1)は身体的操作(2)、つまり、暴力よりマシである。また、社会権が保障されていないから、一般市民は(1)に騙されてしまう。例えば、最低限度の生活も危ういから、大衆迎合と国益の過度の追求に騙されてしまう。一般市民が(1)に陥らないためにも社会権はある程度、保障されなければならない。
  だが、(1)が許されるのは社会権を保障する機能においてだけある。前述の自由権を擁護する機能においては(1)のような社会権を保障する機能が陥りがちな弊害は排除される必要がある。だからこそ、それらの二つの機能の分立が追究される必要があるのである。
  以上のように、社会権の保障する機能において機能する必要がある民主制は自由権と民主的分立的制度を擁護す機能において機能する必要がある民主制と異なる。後者を厳格な民主制と呼べるのに対して、前者を「人間的な」民主制と呼べる。

社会権を保障する機能のまとめ

  以上のように、社会権を保障する機能は、人間的な民主制、あまり厳格でない三権分立制と法の支配の中で、行政権の部分がサービスまたは認可を提供していることまたは停止することまたは停止を暗示することであり、その行政権の部分は公的武力とそれを監督し抑制する文官と検察を除く。社会権を保障する機能においては、人間的な民主制が機能することが可能かつ必要であり、厳格な三権分立制と法の支配が機能することは可能でも必要でもない。

社会権と全般的生存権

  社会権を保障する機能は社会権を保障するためにそれ自身、平和的な科学技術を研究し開発するとともに、平和的な公私の研究機関と企業と連携するまたはそれらを促進する必要がある。それに対して、全般的生存権の第一部分の保障、つまり、全体破壊手段の全廃と予防のためには、社会権を保障する機能はそのような手段の研究、開発してはならず、その研究開発に係る研究機関と企業と連携したりそれらを促進してはならない。それらの研究、開発、連携、促進は、公的機関によるものにせよ私的機関によるものにせよ、憲法と法で禁止される必要があり、それらが遵守されるためには社会権を保障する機能は自由権と民主的分立的制度を擁護する機能の抑制を受ける必要がある。そもそも、それは社会権を保障する機能に限らず、また、全体破壊手段の研究、開発…などに限らず、すべての公私の個人と機構の違憲違法行為に当てはまることである。
  だが、社会権を保障する機能は全体破壊手段の研究、開発を抑制することもできる。全体破壊手段の研究、開発、製造の能力をもつ企業や研究所にそれらをする指令を出す個人や機構があるとすれば、それは自由権を擁護する機能の中の軍またはそれを監督する文官である。それに対して、それらの企業と研究所を含めて一般の企業と研究所は社会権を保障する機能の管理下にあり、それはそれらの企業と研究所にその指令に応じないように指令をだすことができる。さらに、全体破壊手段を含む兵器を開発し製造しようとする公私の機関へのそれらに必要な科学技術と資源の提供を停止することによって、社会権を保障する機能は全体破壊手段を含む兵器の開発と製造を抑制することができる。それは前述の提供していたサービス等を停止するというそれらに固有の権力に含まれる。
  二十世紀中ごろから全体破壊手段の一種である核兵器を開発、製造してきた原動力は、(1)軍、(2)(1)を掌握する文官、(3)一部の科学者技術者とそれらの機関、(4)一部の企業、(5)(3)(4)を統括する文官の複合体だった。それがいわゆる「軍産複合体」の実質である。超大国のそのような複合体が敵対国の全体を破壊する量と質を超える不必要な核兵器を製造してきたのである。今後は超生物学的兵器の開発と製造についてもそのような複合体が原動力となるだろう。そのような複合体のうち、(5)は人の支配機能に含まれ、(3)(4)は人の支配機能に含まれるまたは管理される。だから、社会権を保障する機能はそのような複合体を解消し、全体破壊手段の開発と製造を停止する可能性をもつ。
  つまり、社会権を保障する機能は全般的生存権の前半部分を保障する機能ももつ。
  また、戦争、暴力、犯罪…などに対処することによって苦痛を減じるのが自由権を擁護する機能の一つであるのに対して、経済を安定化させ市民の最低限度の生活を確保し健康を増進して苦痛を減じるのは社会権を保障する機能の一つである。また、自然を保全することによって苦痛を減じるのは社会権を保障する機能の一つである。また、世界人口を適正化することによって苦痛を減じるのは社会権を保障する機能の一つである。そのように、社会権を保障する機能は全般的生存権の後半部分を保障する機能、つまり、人間が生じる不必要で執拗で大規模な苦痛をできる限り全般的に減退させる機能ももつ。
  結局、全般的生存権の保障のために自由権を擁護する機能と社会権を保障する機能が別個に別様に機能することは可能かつ必要である。

国家権力の機能の自由権と民主的分立的制度を擁護する法の支配機能と社会権を保障する人の支配機能への分立

  繰り返すが、国家権力の自由権を擁護する機能は、(1)厳格な民主的分立的制度(政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配)と、(2)(1)の中にある裁判過程と、(3)自由権と民主的分立的制度の侵害としての犯罪の容疑者の(1)(2)の中で抑制される警察・検察による捜査・(逮捕)・告訴と、(4)自由権と民主的分立的制度の侵害としての侵略に対する(1)(2)(3)の中で抑制される軍による国防と集団安全保障である。自由権を擁護する機能においては、厳格な民主制、三権分立制、法の支配が機能することは可能かつ必要である。それに対して、社会権を保障する機能は、人間的な民主制、あまり厳格でない三権分立制と法の支配の中で、行政権の部分がサービスまたは認可を提供していることまたは停止することまたは停止を暗示することであり、その行政権の部分は公的武力とそれを監督し抑制する文官と検察を除く。社会権を保障する機能においては、人間的な民主制が機能することが可能かつ必要であり、厳格な三権分立制と法の支配が機能することは可能でも必要でもない。そのように、国家権力の機能を自由権を擁護する機能と社会権を保障する機能の二群に明確に区別することができ、それらの間には明確な断層が認められる。だから、国家権力の機能を自由権(と民主的分立的制度)を擁護する(法の支配)機能と社会権を保障する(人の支配)機能に分立することは可能である。

国家権力の自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系への分立

  それらの分立された機能をいくつかの機構に割り当てることができるだろうか。自由権を擁護する機能においては、厳格な三権分立制が機能する必要があり、それらを一つの機構に割り当てることはその分立制を損ない、それらを一つの機構に割り当てることはできない。また、社会権を保障する機能においても、緩い三権分立制が機能する必要があり、それらも一つの機構に割り当てることはできない。だが、自由権を擁護する機能を厳格に分立した三権を含む一つの機構ではなく系に割り当てることはできる。また、社会権を保障する機能を緩く分立した三権を含む一つの系に割り当てることはできる。前者は厳格な系であり後者は緩い系であるともいえる。国家権力をそのような二つの系を分立させることは可能である。前者を(国家権力の)「自由権(と民主的分立的制度)を擁護する法の支配系」、法の支配系、自由権を擁護する系、L系と呼べ、後者を国家権力の「社会権を保障する人の支配系」、人の支配系、社会権を保障する系、S系と呼べる。
  そのように国家権力をL系とS系に分立する必要性は後に詳しく説明される。ここでは必要性のうちの一つだけを説明する。そのように分立し両者の間に断層を作ることによって、前述の社会権からの逸脱、政治家の私企業との癒着汚職、多数派の横暴、大衆迎合、国際社会における過度の国益追求…などのS系が陥りがちな傾向がL系に及ぶことを防ぐことができる。
  社会権からの逸脱の中でも最も重大なのは以下のことである。今後ますます、環境は悪化し、資源は枯渇し、世界の人口は増大し、経済と市民の生活は逼迫する。それらの状況の中で環境を保全し資源を保全し有効利用し適正な世界人口を維持し経済を安定化させ市民の最低限度の生活を維持することが社会権の保障の最も重要な部分である。それらは非常に困難なことであり、総合的な政策の立案と実行が必要である。そこでは、何者かがその総合的な政策の必要性を全体主義のようなものにすり替えて、それを名目として自由権と民主的分立的制度(政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配)を侵害し独裁、虐殺、大戦…などへと暴走する恐れがある。すると政治的経済的権力者の利権が優先され適正な政策が立案されない。また、政策が自由に活発に議論されず不適切になる。また、政策立案者が政策ではなく権力闘争に明け暮れ、適正な政策を立案できない。だから、独裁、全体主義…などは人間を含む生物の生存の保障や社会権の保障のためにも機能しない。
  国家権力が自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立しているとき、以下のことが可能になる。社会権を保障するために必要な総合的な政策は、L系が擁護する自由権と民主制によって、S系の内部とその周辺で立案され実行される。L系の中では、公的武力もそれを掌握する文官も他の何ものも、自由権と民主的分立的制度の擁護という目的を掲げることができるだけであり、社会権の保障や人間や生物の生存の保障という名目を掲げることができない。独裁、虐殺、大戦…などに走る最大の力である公的武力はL系の中にありS系は利用できない。公的武力とそれを掌握する文官はL系の中で厳密な民主的分立的制度によって抑制される。さらに、提供していたサービス等を停止するというS系に固有の権力でもってS系は公的武力を抑制することができる。そのように、国家権力の自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)への分立は、国家権力が社会権の保障や人間や生物の生存の保障を名目として掲げて独裁、全体主義…などへと暴走することを防ぐ決定的方法である。つまり、社会権からの逸脱を防ぐ決定的方法である。

過分立に対する辟易の解消

  分立という言葉を聞いただけでうんざりする人はいるだろう。まず、そのような辟易を解消しておく必要がある。L系における厳密な三権分立は必須である。また、L系における警察と軍の分立も必須である。S系における緩やかな三権分立も必要である。S系とL系の分立によって行政権と立法権のそれぞれはそれぞれの系のものに分立されるが、司法権は分立する必要がない。立法権について、既に多くの国家で二院制が採用されており立法権は二院に分立している。その一方がL系に固有のものになり、他方がS系に固有のものになる。行政権について、既に行政権は見たところ多様な部門に分枝している。警察、軍などの公的武力を除くと、それらの見たところ多様な部門のほとんどは、財政部門、経済を調整する部門、社会資本を整備する部門、労使関係を調整する部門、医療福祉を推進する部門、教育文化部門、自然を保全する部門…など、社会権を保障する機能をもつ。それらの分岐は必要ないだけでなく害悪である。それらの分岐が公的経費を増大させ公的機能の効率性を低下させてきた。また、今後は総合的政策の立案と推進を困難にする。だから、それらの部門をS系に固有の行政権として統合して一つの機構とすることは可能かつ必要である。そのような統合可能性はL系とS系の分立によって初めて明らかになった。この分立は分立の重点を明らかにし、それ以外での統合可能性を明らかにし、過分立どころか全体として分立または分岐を減退させる。この節ではそれについて簡単に説明した。その詳細は機構の分立可能性を説明する中で適宜、説明する。

分立の可能性

  国家権力が分立可能であることは以下から構成される:

(1)分立した権力のいずれにも属さない機能(残余部分)が多くはないこと。
(2)分立した権力の二つ以上に属する機能(重複部分)が多くはないこと。
(3)(1)の残余部分または(2)重複部分を、分立した権力が協力して遂行する必要があり、その協力が可能であること。
(4)分立した権力がある程度、単独で機能できること、
(5)分立した権力が相互抑制する必要がある時と所ではそうできること

  (4)(5)について、この著作のほとんどがそれらの説明に割かれている。(1)(2)(3)については機構の分立を説明する中で適宜、説明される。

機構の自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系への分立

機構の分立

  前章で、それぞれの国家権力において、機能を自由権(と民主的分立的制度)を擁護する(法の支配)機能と社会権を保障する(人の支配)機能に分立し、前者を自由権を擁護する法の支配系(L系)に割り当て、後者を社会権を保障する人の支配系(S系)に割り当てることは可能であることが分かった。では、国家権力の機能ではなく機構を、それらの機能を効率的に遂行できるよう改善しつつ、それらの二系に分立し、国家権力のそれらの二系への分立を完成させることは可能だろうか。
  立法権、行政権、司法権の三権の分立の可能性と必要性は既に歴史の中で実証されている。それらのそれぞれの中で以下の機構が分立する可能性がある。
  立法権について、多くの国家において、既に二院制が採用されており、立法権は二院からなる。二院のうちの一つが自由権を擁護する立法機能をもち、一つが社会権を保障する立法機能をもち、それらが独立し必要な時に相互抑制し協力することは可能である。
  また、すべての国家の行政権の多くの部分は既にいくつかの部門に分岐している。それらの部門のうちの、警察と軍、つまり、公的武力とそれらを監督し抑制する文官が自由権を擁護する行政機能をもち、その他の大部分が社会権を擁護する行政機能をもつことは可能である。
  また、司法権の中でそれぞれの裁判所は既に他から独立している。さらに、それぞれの裁判所の中でもそれぞれの裁判官は既に他から独立している。そのような裁判所または裁判官のうちの、多くが従来通り自由権を擁護する司法機能をもち、他の一部が社会権を保障する司法機能をもつことは可能である。だが、後述するとおりそれは不要だろう。

立法権の自由権を擁護する法の支配議院と社会権を保障する人の支配議院への分立

  前述のとおり、社会権と社会権を保障する方法の詳細を立法権は法律で規定することができず規定しないほうがよいが、概略を規定することは可能かつ必要である。何より、公共事業にいくら、医療福祉にいくら、公的教育にいくら…など、財力と人力を社会権を保障する行政権機能にどのように分配するかが予算の議論と決定の多くの部分を占める。そのような予算を立法権が議論し決定することは可能かつ必要である。社会権を保障する人の支配系の中では行政権が優位を占めるべきだが、そのことは立法権が不要ということでは全くない。
  現代では多くの国家が二院制を採用している。だが、二院制の多くは機能していない。何故なら二院がほとんど同質化しているからである。そのような二院のうちの一院が自由権(と民主的分立的制度)を擁護する法の支配の立法機能をもち、他の一院が社会権を保障する(人の支配の)立法機能をもつことは可能かつ必要である。また、前者が、立法権として法の支配系を構成し、厳格な民主的分立的制度(政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配)の中で存在し機能し、後者が、立法権として人の支配系を構成し、人間的な民主制と緩やかな三権分立制と法の支配の中で存在し機能することは可能かつ必要である。それらがそのように分立したとき、前者を自由権(と民主的分立的制度)を擁護する法の支配(立法)議院、法の支配(立法)議院、自由権(と民主的分立的制度)を擁護する(立法)議院、L議院…などと呼べ、後者を社会権を保障する人の支配(立法)議院、人の支配(立法)議院、社会権を保障する(立法)議院、S議院…などと呼べる。
  「上院」などと「下院」などがある国家では、上院がL議院に発展し、下院がS議院に発展することは可能かつ必要である。いくつかの国家では既にそうなりつつあることが今、分かる。
  それらの分立のあり方を以下のように憲法で規定することは可能かつ必要である。
  L議院を含むL系の主要な目的を自由権と民主的分立的制度(政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配)の擁護と憲法が規定し、L議院を含むL系がその中で存在し機能するべき厳格な民主的分立的制度を憲法が規定することは可能かつ必要である。S議院を含むS系の主要な目的を社会権の保障と憲法が規定し、S議院を含むS系がその中で存在し機能するべき人間的な民主制と緩やかな三権分立制と法の支配を憲法が規定することは可能かつ必要である。だが、それらの緩やかな制度に関する限りで、憲法で規定する必要はないかもしれない。
  自由権と民主的分立的制度の擁護に関する立法については、L議院が優位に立ち、社会権の保障に関する立法についてはS議院が優位に立つと憲法が規定することは可能かつ必要である。より詳細には、自由権と民主的分立的制度に係る立法について、L議院が先議しS議院が異なる決議を行なった場合でもL議院が、例えば、三分の二以上で最決議したときはL議院の再決議が法となると憲法が規定することは可能かつ必要である。社会権に係る立法についてはその逆が可能かつ必要である。
  だが、自由権と民主的分立的制度の擁護と社会権の保障が混合し不可分になっているかのように見える立法が少数ある。例えば、予算の全体、税制の全体に係る立法、包括的な条約の批准、行政権の全体あるいは司法権の全体の長官の指名はそのように見える。だが、よく見てみると、本当にそうである立法は意外と少ないことが分かる。不可分になっているものがあっても、両院が等しい権限をもてばよい。それはそんなに難しいことではない。では、混合しており不可分に見える立法を見ていこう。
  L系、S系、立法権、行政権、司法権のいずれに属するかに係わらず、また、文官、武官、上級官僚、下級官僚かに係らず、公務員による自由権と民主的分立的制度の侵害を含む違憲違法行為を取り扱う立法については、L議院が優位に立つことは可能かつ必要である。違憲違法行為がS系に属する行政権の長官の汚職であっても、それについての立法についてはL議院が優位に立つことは可能かつ必要である。つまり、それぞれの系の違憲違法行為は専らそれぞれの系が処理するべきというのではない。
  投票する権利を含む選挙制度に関する立法は、政治的権利を含む民主制を含む民主的分立的制度を擁護する機能であり、選挙がL系の機構のものであろうがS系の機構のものであろうが、L議院が優位に立つことが可能かつ必要である。S議院の選挙に係る立法についてはS議院が優位に立つべきというのではない。
  憲法改正の発議権などを立法権がもつべきであると仮定して、憲法は法の支配の根幹であるから、それにおいてもL議院が優位に立つことは可能かつ必要である。仮に憲法改正が社会権やその保障に係るものであっても、それは可能かつ必要である。
  条約の批准権が立法権にあると仮定して、国際または世界の経済、労働、通信、文化、教育、健康と地球規模の自然の保全のような国家の市民または世界市民の社会権の保障に係る条約の批准においてはS議院が優位に立ち、集団安全保障、軍縮のような国家の市民または世界市民の自由権と民主的分立的制度の擁護に係る条約の批准においてはL議院が優位に立つことは可能かつ必要である。一つの条約がそれらの両方を包括するが、その章、節、条項…などを分割できる場合は、分割したものを割り当てることができる。一つの条約がそれらの両方を不可分に包括する場合は、両院が等しい批准権をもつことは可能かつ必要である。
  不可分に見える税にについては行政権についての章で説明する。いずれにしても、もし不可分であるなら、税を徴収し分配し運用する系の議院が優位に立てばよい。
  予算の審議と決議について、予算を自由権と民主的分立的制度の擁護に係る部分と社会権の保障に係る部分の二つの部分に分割し、それぞれの系の予算はそれぞれの議院が前述と同様の優先権を与えられて審議し決定することは可能かつ必要である。例えば、軍、警察、検察、司法権、立法権の維持費についてはL議院に優先権が与えられ、その他の機構の維持費についてはS議院に優先権が与えられることは可能かつ必要である。予算の全体を決定する最終段階では両院が等しい決定権をもつことは可能かつ必要である。
  前述のとおり、自由権はいかなる権利やもののためにも制限される必要がなく制限されてはならないものと他のいくつかの権利の擁護または保障のためにいくつかの条件の下で制限されざるをえないものに区別でき、その区別と条件と他の権利は憲法で明記される必要がある。それらに反する立法と行政を含めて、自由権と民主的分立的制度を侵害または制限するすべての立法と行政をL議院が無効化することが可能かつ必要である。より詳細には、S議院が先議しようが、例えば三分の二で再議決しようが、行政権が政令として出そうが、それが違憲であれば、L議院が単純過半数で無効化することが可能かつ必要である。そのような無効化も憲法が明記することが可能かつ必要である。
  それぞれの系の行政権の長官の指名または選出と司法権の長官の指名についてはそれぞれ行政権についての章、司法権についての章で後述する。
  以上のように意外と、ほどほとんどの立法において、いずれの議院が優位性をもつべきかは明らかである。それでも、見て見ぬ振りをする議員はありえ議院の間で対立は生じえる。そのような場合、いずれかの議院の例えば五分の一以上の議員の訴えによって、司法権が裁定することは可能かつ必要である。
  以上については、憲法で規定することが可能かつ必要である。それに対して、以下については憲法で規定する必要はないだろう。
  選挙制度について、S議院の選挙においては、人間的な民主制が機能する必要があるので、政党、大選挙区制、比例代表制、比較的多数の議員が可能かつ必要である。それに対して、L議院においては、厳格な民主制が機能する必要があるので、小選挙区制、無比例代表制、比較的少数の議員が可能かつ必要である。政党を完全に排除することは難しいかもしれないが、この分立によってL系の無所属議員の割合が増加することは確実である。
  そのように立法権をL議院とS議院に分立させることによって、有権者はそれぞれの議院への適任者を見分けて選挙することができる。簡単にいって、厳格な人は前者に適し、臨機応変な人は後者に適する。極論になるかもしれないが、L系に天才は必要ないだけでなく害悪であり、S系には天才がある程度、必要であり可能ある。
  何より、選挙において公開される政策、つまり、公約について、それらが分立しているとき、自由権と民主的分立的制度を擁護する政策と社会権を保障する政策のそれぞれが有権者にとって明確であり、有権者はより適した政策を選択することができる。
  公的経費と税金について、立法権が二つの議院に分立するだけであり、従来の二院制と比較して、その分立が公的経費と税金の増大を生じることはない。
  L系の行政権の長官、S系の行政権の長官、司法権の長官の指名または選出についての立法権の機能については、それぞれ行政権についての章、司法権についての章で説明する。ひとまず、行政権の分立に進む。

行政権の分立

  以下の節をお読み頂くうちに、少なくとも行政権の全体を掌握していた大統領や首相はどこにいるんだという疑問が生じて来るかもしれない。そんな疑問に対しては、筆者らは何故、そんなものが必要なのだとそっけなく答えてしまいそうになる。この分立によって少なくとも行政権の全体を掌握していた従来の大統領や首相は解消する。だが、そのような解消が可能であり必要であることは、以下の節をある程度お読みいただいた後で理解されると思う。
  さて、警察と軍から成るべき公的武力が自由権を擁護する法の支配系(L系)に属し、厳格な民主的分立的制度(政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配)によって抑制されることは可能かつ必要である。また、警察と軍の長官のそれぞれを、前述のような優先権が自由権を擁護する法の支配議院(L議院)に与えらた上で、立法権が指名し変更することは可能かつ必要である。また、L議院の中の国内における自由権と民主的分立的制度の擁護を目的とする委員会が警察の長官の指名の原案とその目的のための法案を作成しL議院の本会議に提案することは可能かつ必要である。また、その委員会がその目的のための政策を作成し、警察を指揮することは可能かつ必要である。何より、その委員会が警察を監督することは可能かつ必要である。また、自由権を擁護する議院の中の国防、集団安全保障…などの国際社会における自国の市民の自由権と民主的分立的制度の擁護を目的とする委員会が、その目的をもって軍に対して同様のことをすることは可能かつ必要である。
  さらに、軍と警察の違憲違法行為と暴走だけでなくそれらを監督する文民の違憲違法行為と暴走とそれらの公的武力の乱用がL系の中で厳格な民主的分立的制度によって抑制されることは可能かつ必要である。
  そもそも軍や警察などという強大な権力を大統領や首相などという個人が握っていることが間違いだった。上記のように軍や警察を個人ではなく機構の下に置くことによって軍や警察の暴走や個人によるそれらの乱用をかなり防げる。
  そもそも、公的武力を含む行政権などという巨大な権力の全体を大統領や首相が握っていることが間違いだった。公的武力とそれを掌握する文官をL系の中に置き、行政権の他のほとんどの部分とそれを掌握する文官をS系の中におくことによって、行政権の全体の暴走をかなり防げる。
  ところで、せっかく分立している警察と軍の癒着は防がなければならない。警察と検察は軍の違憲違法行為に対して、他の公務員や市民のそれらと同様に捜査し訴追しなければならず、特にここで癒着があってはならない。それらの癒着を防ぐためには、それらの長官、幹部とそれらを監督する前述の委員会の委員の兼任を禁止することは可能かつ必要である。
  行政権の他のほとんどの部門は社会権を保障する機能をもち社会権を保障する人の支配系(S系)に編入できる。詳細には、経済に介入し調整する部門、社会資本を整備し維持する部門、労働者の権利を保障し労使関係を調整する部門、子供に最低限の教育を提供する部門、科学技術を推進し応用し抑制する部門、一般市民の健康とその他の福祉を推進する部門、環境破壊を規制し資源を保全し有効利用する部門をS系に編入することは可能かつ必要である。財政部門、税務部門、外交部門の分立については後述する。
  行政権のうち、L系に属することが可能かつ必要である部分を行政権の「Lの部分」と呼べ、S系に属することが可能かつ必要である部分を行政権の「Sの部分」と呼べる。
  そのように見ていくと、行政権のSの部分の予算が国家と地方の予算の大くの部分を占め、国家と地方の税金の大くの部分を消費していることが分かる。
  行政権の政策と実際の機能はすべてが連動しており、総合的に練られるべきものであるように見える。例えば、戦争をするかしないかも、特に軍需産業において経済と雇用に大きな影響を及ぼす。だが、そのような連動は長い目で見ればその国家自身の経済と雇用を含む何ものにも良い結果をもたらさない。良い結果をもたらすように見えるのはせいぜい戦争の前半あたりの一時に過ぎない。また、軍拡も経済と雇用に大きな影響を及ぼすように見える。だが、軍拡はいわゆる軍産複合体の形成、さらなる軍拡、不必要な国際紛争、軍事費のさらなる増大を促し、市民の日常生活を締め付ける。そのような戦争と軍拡と、経済と雇用の連動は絶たれる必要がある。それを絶つためには軍と警察とそれらを掌握する文官がL系に属し、行政権の他の部門がS系に属し、それらが分立する必要があり、それらは可能である。
  それに対して、社会権の保障のための政策と実際の機能はすべてが連動し、総合的に練られる必要があり、行政権がLの部分とSの部分に分立してもそれは可能である。例えば、公共事業を増やせば失業率が減少する可能性がある。だが、公共事業を乱発すれば自然が破壊され市民の健康を害する恐れがある。そこでは様々な種類の公共事業に係る政策が総合的に練られる必要がある。それが社会権の保障のための総合的な政策の一例である。つまり、総合的な政策と実際の機能が必要だったのは、行政権のSの部分においてであり、それ以上でもそれ以下でもなかったのである。
  また、前述のとおり、S系は提供していたサービス等を停止するという権力をもつ。そのような権力を最も直接的にもつのは行政権のSの部分であることが今、分かる。最後の手段としてはそれは司法権に訴え警察の助力を要請しなければならないが、多くの場合、それを要しない。
  そのような行政権のSの部分を社会権を保障するための総合的政策を練る能力をもつ専門家に委ねることは可能かつ必要である。また、そのような専門家または専門家を統括できる個人や集団を、市民が直接選挙したり、社会権を保障する議院(S議院)に前述のような優先権を与えられた上で、立法権が指名することは可能かつ必要である。
  さらに、行政権のSの部分が統一された機構となることも可能である。そもそも、その部分を過度に分枝させることが、その部分を肥大化させその効率性を減じ公的経費を増大させてきたし、今後は総合的な政策の立案と推進を困難にする。そのように過度に分岐した部分を統一することは可能であるだけでなく必要である。

分立不能に見える機構

  まず、分立不能に見えて容易に分立できる機構を行政権のLの部分か行政権のSの部分かのいずれかに編入しておく。
  消防、レスキュー、救急医療、伝染病蔓延予防、自然災害対策の機能をもつ機構は行政権のSの部分に編入される。Lの部分に属する警察や軍がそれらの機能においてSの部分と協力する必要があることがある。だが、それはあくまでも協力にすぎず、Sの部分の要請と支配の下にある。
  だが、伝染病蔓延の予防のためには市民の行動制限が必要なことがある。つまり、身体の自由という自由権と狭義の生存権という社会権が葛藤している。前述のとおり、いくつかの人間の権利の擁護または保障のためにはいくつかの自由権が一定の条件の下で制限されざるをえない。このような場合は、自主的に行動制限に応じる個人については専ら行政権のSの部分の対象である。行動制限に応じない個人については、警察が行動を制限せざるをえない。だが、その警察による行動制限がSの部分の要請と指揮の下にあることは可能かつ必要であり、それらのことが憲法と法律で明確に規定されることは可能かつ必要である。
  子供への最低限度の教育について、その提供は行政権のS系の部分の機能である。大人の教育文化については、大人が思想言論表現の自由に基づいて与える側も受ける側も享受すればよいことである。だが、市民の多くが大人向けの教育文化の振興も願うならば、その振興はSの部分の機能である。その場合、例えば、スポーツの祭典で警察や軍の楽団が伴奏をしたり、空軍が航空ショーを演じることがあるかもしれない。だが、それはあくまでも協力またはボランティアにすぎず、Sの部分の要請と指揮の下にある。だが、そこまで憲法で明記する必要はないだろう。子供の地域的文化的教育については後述する。
  財政税務部門、外交部門についてはそれらのように簡単に分立できない。では分立してみる。

財政税務部門

  行政権の財政部門、税務部門について、それらをLとSの二つの部分に分立することも不可能ではない。例えば、税の種類によって税を分割し二つの系に振り分け、それぞれの系が自らのカネを徴収し運用することは可能である。それぞれの系がそれぞれの通貨を発行することさえ可能である。
  だが、カネの管理には相当な専門性が必要であり、それは行政権のSの部分の本領である。本来的に厳格でありそうあるべきである自由権を擁護する法の支配系(L系)にカネの管理は難しいだろう。また、もしそれにカネの管理をさせれば、その厳格さが汚れる恐れがある。L系はそれ自身の系やS系や私的団体や個人が違憲違法行為を生じたときはいつでも、その厳格さをもって機能しないといけない。
  だから、財政部門、税務部門、通貨発行管理部門…などがS系の行政権のSの部分に編入されることは可能かつ必要である。すると、L系のカネをS系が預かり管理することになるが、それは必要であり、不可能ではない。そもそも、公私の機構にカネを預け管理させ必要なときに引き出すことはほとんどの個人や公私団体がやっていることである。L系にもできる。
  ここでわたしたちは以下のことに気づく。公的武力はL系が統括し、公金はS系が預かり管理し、S系はL系のカネさえ預かり管理している。S系は提供してきたサービスと認可を停止するまたは停止を予告するというそれに固有の権力だけでなく、預かり管理していたL系の(電子マネーを含む)カネの引き出しを停止するというそれに固有の権力をもつ。例えば、L系の中の軍またはそれを掌握する文官が憲法と国内法と国際法に反して、軍拡と戦争に走るとき、S系はそのカネを引き出させないという権力をもつ。ここで発見されたものを前に発見した提供していたサービスと認可を停止するまたは停止を予告するというS系に固有の権力に含めることにする。あるいは、それを強調する必要がある場合は、サービス(と認可)という言葉にカネという言葉を加えることにする。
  それらの結果、S系は権力を増す。異質な権力を単純に比較することはできないが、そのようにして増した権力はL系の権力にあまり劣らないだろう。だが、それでも、その権力が大きくなりすぎて均衡が崩れるということはない。何故なら、L系の公的武力はS系の警護にもあたっているのであり、一般市民のものと同様にS系の公務員の命も預かっているのだから。

外交部門の分立

  外交部門について、それが以下の(1)(2)の二つの部分に分立し、(1)がL系に属し、(2)がS系の行政権のSの部分に属することは可能かつ必要である。

(1)国際社会または世界において機能しながら、それぞれの国家の市民と世界市民の自由権と民主的分立的制度を擁護する機能をもつ機構。その機能とはより具体的には国防と集団安全保障と軍縮に関する国際社会または世界における交渉である。
(2)国際社会または世界において機能しながら、それぞれの国家の市民と世界市民の社会権を保障する機能をもつ機構。その機能とはより具体的には国家の経済と世界経済の成長または安定化、それぞれの国家の市民と世界の市民の健康、福祉、教育、文化の増進、国内と地球環境の破壊の規制、国内と地球資源の保全と有効利用に関する国際社会または世界における交渉である。

  ここで以下の四点が明らかになる。
  第一に、自由権と民主的分立的制度の擁護と社会権の保障という異質な機能がそもそも一つの外交機構に集中していたことが間違いだったことが分かる。(1)(2)が分立しているとき、(1)の外交官は国防や戦争に係る交渉をすることができるが、国益のための交渉をすることができない。それに対して、(2)の外交官は国益のための交渉をすることはできるが、国防や戦争に係る交渉をすることができない。かくして、(1)と(2)の分立は国益のための戦争をかなりの程度、予防する。
  第二に、そのような異質で重要な機能が従来の大統領や首相に集中していたことがそもそも間違いだったことが分かる。その集中と彼ら彼女らの権力欲求と彼ら彼女らと経済的権力との癒着といわゆる軍産複合体の形成・拡大が国益のための戦争、全体破壊手段の研究、開発、保持を含む軍拡と世界大戦の危機の主因である。また、その集中と彼らの社会権の保障のための専門性の欠如が国際社会における経済的不安定と経済的格差の主因である。この分立によって従来の大統領や首相は解消する。この解消によって、それらの惨事もかなり解消する。
  第三に、外交という機能は自国と世界の市民の自由権と民主的分立的制度の擁護という機能と自国と世界の市民の社会権の保障という機能に明確に区別され、それらの間には断層がある。これらの機能の区別と断層は今、外交の機構の分立へと発展した。
  第四に、外交という機能だけでなく、国際的または世界的な公的機能も世界市民の自由権と民主的分立的制度の擁護という機能と世界市民の社会権の保障という機能に明確に区別され、それらの間には断層がある。例えば、集団安全保障、軍縮は世界の市民の自由権と民主的分立的制度を擁護する機能である。それに対して、世界経済の成長または安定化、世界市民の最低限度の生活の保障、世界の情報通信網の整備、地球環境の保全、地球資源の保全と有効利用、パンデミックの予防、大規模災害への対処は世界市民の社会権を保障する機能である。これらの機能の間の区別と断層は国際的または世界的な機構のL系とS系への分立へと発展する。
  以上のように、行政権の外交の機能と機構をL系のものとS系のものに分立することは可能かつ必要である。さらに以下のように詳細においてその分立は可能である。
  まず、L系においては、自由権を擁護する法の支配議院(L議院)がL系の外交に係る行政機構とL議院の委員会を構成し、その委員会がその機構を統括することは可能かつ必要である。また、国際会議や交渉に代表が参加する必要があるときは、その委員会またはL議院から指名されたその委員会または機構に属する者が参加することは可能である。また、条約の批准などの立法権の議決を必要とする事柄においてはその委員会が議決した後で、L議院に前述のような優先権が与えられた上で、立法権が議決することは可能である。その委員会の議員は、国際会議への出席のため、その委員会と本会議に出席する可能性は他の委員会の議員のものより小さくなるだろうが、遠隔出席投票できるようにすることは可能かつ必要である。外交の現場にいる議員の発言と投票は他の議員より適切なことが多いだろう。
  そのように見ていくと、その委員会の責任は重大であることが分かる。その委員会は大戦を防げるか、全体破壊手段を全廃予防できるかに係る。だが、そもそも、L系とL議院とL議院の委員会全般の責任は重大なのである。例えば、軍を統括する委員会は軍の暴走を止められるかに係っている。そのような重大な責任は大統領や首相などという個人より機構に負わせるほうがよい。「集団責任は無責任」ということはありえるが、責任を個人が乱用して独裁、全体主義、戦争…などに走るほうが恐ろしい。そのような責任の乱用の恐ろしさは歴史上何度も経験されたことである。L系の機能と機構に関する限りで、無責任は責任の乱用よりましである。さらに、それらに関する限りで、私たちは「集団責任は無責任」という命題を疑ったほうがよい。
  L系の外交機能に対して、S系の外交機能については以下のことが可能かつ必要である。立法権の中の社会権を保障する人の支配議院(S議院)がS系の外交機能に係る委員会を構成してもよいが、そのような委員会は強い権限をもたないほうがよい。S系の外交機能のほとんどは行政権のSの部分またはその長官またはSの部分の中の外交機構に委ねることが可能かつ必要である。ここでこそ彼らの専門的で総合的な政策立案能力が活きる。
  彼らの交渉の成果に条約の批准など立法権による議決が必要な場合は、S議院に前述のような優先権を与えられた上で、立法権が議決することは可能かつ必要である。
  権力の自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)への分立はそれぞれの国家権力においてだけでなく、国際または世界機構においても可能かつ必要であり、将来的にはそれらもそのように分立されるだろう。すると、国際的な会議や交渉もそれらの二つの系に分立され、それぞれの国家の二つの系の代表が自分の系のものに参加するようになるだろう。
  だが、それまでの過渡期にはどうすればよいのだろうか。現状では議題が両系にまたがることがある。その場合、それぞれの国家の二つの系の代表が参加することは可能である。個々の議案が法の支配系、人の支配系のどちらか一つに係る場合、その系の代表者が討論し投票することは可能である。議案が両方の系に係る場合、両名が協議することは可能である。ある決定または投票で一致したときは、それを投じることは可能である。一致しない場合は、その議案に関する限りで、保留して本国の他に相談することは可能である。
  そのような過程が繰り返されるうちに、国際または世界機構をそれらの二つの系に分立する可能性と必要性が明らかになるだろう。

従来の大統領や首相の解消

  そもそも、国家権力をL系とS系に分立してもそれらを統括する従来の大統領や首相が残っていたのでは、分立の効果が薄れる。前述のとおり、(1)警察、(2)軍、(3)国防、集団安全保障、軍縮に係る外交の機構をそれぞれ、自由権を擁護する法の支配議院(L議院)の委員会が監督し、自由権を擁護する法の支配系(L系)の中で(1)(2)(3)とそれらを監督する委員会に対して厳格な民主的分立的制度(政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配)が機能することは可能かつ必要である。また、それらの行政権のLの部分を除くSの部分を、社会権を保障する人の支配系(S系)の中で一般市民によって直接的または間接的に選ばれた専門家が総合的に管理することは可能かつ必要である。
  そもそも、大統領や首相に警察、軍、外交の全体、財政部門を含む行政権のすべてを委ねていたことが間違いだった。大統領や首相の解消によって、彼らまたは彼女らが国益のための戦争を始めること、公的武力を乱用すること、全体破壊手段の研究、開発、保持を主導すること…などを防げる。
  それらのことから従来の大統領や首相は必要ないだけでなく害悪である。少なくとも行政権のすべてを握っていた従来の大統領や首相が解消されることは可能かつ必要である。
  従来の行政権のすべてを掌握していた従来の大統領や首相と区別して、行政権のSの部分を管理する個人またはグループを社会権を保障する人の支配系の行政権(の部分)の長官、人の支配系の行政権(の部分)の長官、社会権を保障する行政権(の部分)の長官、(行政権の)Sの部分の長官と呼べる。そのような長官は、国家の市民によって直接的に選挙されることも、社会権を保障する法の支配議院(S議院)に前述のような優先権が与えられた上で、立法権が指名することも可能である。
  そのような長官としてはそれ自身が社会権の保障のための総合的な政策の立案能力をもつ専門家が選ばれることが望ましい。国家権力がそれらの二つの系に分立されているとき、市民またはS議院がそのような長官を選出する可能性は大きくなる。

地方自治体、連邦、国際機構または世界機構について

  国家権力の自由権と民主的分立的制度を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)の二系への分立は従来の地方自治体、連邦、国際機構の存在と機能をなんら妨げない。さらに、それらもそれらの二系に分立することが可能かつ必要であることが分かってくるだろう。
  だが、それらの分立は国家権力の分立と同一である必要はない。例えば、連邦において、軍は連邦のL系に含まれ、警察はそれぞれの州のL系に含まれ、経済に係る立法と行政は連邦のS系に含まれ、文化的教育の立法と行政はそれぞれの州のS系に含まれることは可能である。
  国際または世界機構について、地球環境の保全、地球資源の保全と有効利用、世界人口の適正化、世界経済の安定化、世界市民の最低限度の生活の保障、世界の子供たちの最低限度の教育、世界市民の医療と福祉、世界の通信網の維持…など世界市民の社会権の保障のための機構が統合されることは可能かつ必要であることが分かる。それに対して、それらの世界市民の社会権の保障のための機構と集団安全保障、軍縮…などの世界市民の自由権と民主的分立的制度を擁護するための機構がこの分立のない一つの機構に統合されることは不適切であることが分かる。

子供の地域的文化的教育について

  では、保留中の子供の地域的文化的教育についてはどうだろうか。
  子供が最低限度の教育を獲得する、または、親が公権力に子供に最低限度の教育を提供させる権利は社会権の一種であり、その保障は国際または世界機構または国家権力または地方自治体の社会権を保障する人の支配系(S系)の機能に含まれる。
  そもそも、子供の地域的文化的教育に限らず、また、教育全般に限らず、行政全般が国家権力によって独占されなければならないという理由はどこにもない。地方自治体や連邦における州の市民が行政の部分を地方自治体または連邦における州が独占または主導することを望むなら、それは実現されるべきである。また、それらの市民が国家権力が行政の一部を主導することを望むならそれも実現されるべきである。だが、子供たちの地域的文化的教育に関する限りで、市民は自分たちのより小さな地方自治体が主導することを望むだろう。それを実現することは可能かつ必要である。そうすれば民族紛争や極端なナショナリズムは減退するだろう。例えば、ある国家の国家権力の教育文化部門が国内の公立学校のカリキュラムの概略を決定しなければならないとしても、それに地域的文化的教育を含めて、その内容は地方自治体の教育文化部門が決定できるようにする必要があるだろう。

行政権の自由権を擁護する法の支配系の部分と社会権を保障する人の支配系の部分への分立

  以上のことから、行政権を以下の(1)(2)に分立することは可能かつ必要である。

(1)自由権を擁護する法の支配系(L系)の行政権のLの部分:(1-1)警察、検察、(1-2)軍、(1-3)国防、集団安全保障、軍縮に係る外交機構と(1-1)(1-2)(1-3)をそれぞれ監督する自由権を擁護する法の支配議院(L議院)の中の委員会。
(2)社会権を保障する人の支配系(S系)の行政権のSの部分:
(1-1)(1-2)(1-3)を除く行政権の部分とその長官。

司法権

  司法権の中でそれぞれの裁判所は既に他から独立している。さらに、裁判所の中でもそれぞれの裁判官は既に他から独立している。そのような裁判所または裁判官のうちの、大部分が従来通り自由権を擁護するものであり続け、他の一部が新しいあり方で社会権を保障するものになることは可能である。
  だが、司法権も裁判所も裁判官も既に他からかなり独立しているのだからこそ、そのような分立は不要だろう。
  だが、次の問題が残るだろう。(1)誰が最高裁判所判事を指名または選挙するのか。(2)司法権と裁判過程の内容については裁判官たちが作るとして、それらの枠組みを誰が構成するのか。
  司法権の独立は厳格な民主的分立的制度(政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配)の中で保証される。また、司法権の機能の大部分は自由権と民主的分立的制度の擁護することである。だから以下が適切である。
  (2)について、以下が可能で必要である。
(2-1)まず、自由権を擁護する法の支配系(L系)の自由権を擁護する法の支配議院(L議院)が司法権と裁判過程の枠組みを構成する委員会(JC)を構成する。
(2-2)司法権と裁判過程の枠組のうち法律になるものについては、JCが法案を作成し、L系の本会議に提出し、L議院に前述のような優先権が与えられた上で立法権が制定する。
(2-3)法律にならないものについてはJCが決定する。
つまり、L議院の中には前のいくつかの節で説明された委員会だけでなく、JCが可能かつ必要である。
  (1)について、最高裁判所裁判官を従来の大統領や首相が指名するのでは裁判官の法解釈が彼ら彼女らの政策や政治的思想の影響を受けやすい。だから、L系のL議院に前述のような優先権が与えられた上で立法権が指名することが可能かつ必要である。
  そのように(1)(2)が解決すれば、司法権は分立する必要はないだろう。
  前述のとおり、憲法や法律は社会権とその保障の方法の詳細を規定することができず、規定することは不適切である。その詳細は行政権においてはSの部分の官僚(A)に委ねらざるをえず、司法権においてはその裁判官(B)に委ねられざるをえない。だが、その委ねられたものが基づくものが異なる。Aが人間の英知と科学技術に基づいてもよいのに対して、Bは憲法と法律に基づかなければならない。つまり、Bは規定されていない詳細を憲法と法律の行間から読み取らなければならない。Bは具体的な状況において社会権、福祉、健康、幸福…などを解釈しなければならない。
  また、社会権に係る訴訟の大部分は、市民が社会権が保障されていない原因が行政権のSの部分の過失または怠慢にあるとしてSの部分を訴える訴訟である。また、司法権が国家権力の違憲違法行為を指摘し糾弾することこそが、三権分立制と法の支配の真髄であり、司法権はその真髄の核心である。
  それらのように社会権を保障する人の支配系(S系)において、司法権は必要ないということは決してない。だが、司法権はS系におけるよりL系において重要であることに変わりはない。
  それらのことから最高裁判所の裁判官の指名と司法権と裁判過程の枠組みの構成においてL系のL議院が優位に立つことは可能かつ必要である。

検察

  検察官は一般市民だけでなく警察、軍を含む公的機構の上級下級公務員の違憲違法行為も告訴する必要がある。だから、検察官も裁判官ほどではないにしてもある程度、独立している必要がある。だが、検察を完全に独立した機構とすることは過分立だろう。そこで検察を前述のL系のL議員の警察を監督する委員会の下におきつつある程度、独立させることは可能かつ必要である。例えば、検察官がそれらの委員会に出席して意見を述べる機会は多々、与えられるべきだろう。すると、警察官がそうする機会も与えられるべきであることが分かる。

名目上の国家元首

  実際の権力をもつ実際的な「国家元首」なるものは必要ない。だが、伝統的な祭典や儀式において名目上の国家元首が必要であることがあるように見える。だが、そのような祭典や儀式も今後は廃止または簡略化されていくだろう。それらがしばらく残るなら、以下が可能である。例えば、軍の犠牲者の葬儀にL議院の議長や軍を統括する委員会の委員長が参加することは可能である。また、文化の祭典に行政権のSの部分の長官または教育文化部門の長官が参加することは可能である。つまり、名目上の国家元首もL系とS系に分立される。

国家権力の自由権を擁護する法の支配系と社会権を擁護する人の支配系への分立

  以上のことから国家権力を以下のように分立することは可能かつ必要である。

自由権(と民主的分立的制度)を
擁護する法の支配系
社会権を保障する
人の支配系
立法権自由権を擁護する法の支配議院社会権を保障する人の支配議院
行政権警察、検察

国防、集団安全保障、軍縮
に係る外交の機構
それらのそれぞれを監督する
立法権の中の委員会
司法権と裁判過程の枠組みを
構成する委員会
行政権のその他の部分と長官
司法権司法権

  また、「民主的分立的制度」を以下のように再定義できる。

民主的分立的制度:
(1)政治的権利を含む民主的制度と
(2)三権分立制と自由権(と民主的分立的制度)を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系への分立を含む権力分立制と
(3)法の支配

国家権力を自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立する必要性

必要性そのもの

  以上のように、国家権力を自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立させることは可能かつ必要である。だが、その説明された必要性は可能性を説明しながら説明できるものに限られていた。この章ではこの分立の必要性そのものを説明する。

社会権からの逸脱の予防

[古い共産主義や社会主義の失敗の主要な原因]

  古い共産主義や社会主義の失敗の主要な原因は以下のとおりである。
  経済計画を含めて政策が偏向せず適切なものになるためには、自由に活発に議論され批判される必要があり、言論の自由という自由権と選挙という民主制が必要である。それらがなければ、政策が批判されず偏向し不適切なものになる。
  また、すべての集団に内部の権力闘争があるが、従来の共産主義または社会主義はプロレタリアートの内部の権力闘争を無視していた。過激な権力闘争を防ぐためには市民が政治的権力者を選挙してあげる必要がある。選挙も熾烈だが、むき出しの権力闘争よりはマシである。選挙を含む民主制がなければ、政策立案候補者が過激な権力闘争に明け暮れ、政策立案のための能力をもつものではなく、内外の権力闘争のための能力と手段をもつものが計画者となり、適切な政策は立てられない。また、適切な能力をもっていたとしても、立案に割く時間がないか、能力が低下し、適切な政策が立てられない。
  つまり、彼らが本領とするはずの経済計画が不適切なために、共産主義または社会主義は失敗した。
  また、分立のない巨大な権力の中では内外の権力闘争のための手段に抑制がかからない。特に、核兵器を含む軍備拡張に抑制がかからない。また、官僚間の権力闘争も軍拡に繋がる。計画の失敗だけでなく、多くの資源が軍拡につぎこまれたことも、古い共産主義または社会主義経済の失敗の原因の一つである。
  もちろん、市民の自由を過度に抑圧したことも原因の一つである。だが、経済があそこまで悪化していなければ、「崩壊」と呼べるほどのものはなかっただろう。
  それらが古い共産主義または社会主義の失敗の主要な原因である。だが、同様の失敗と災難は今後も同様のまたは別の主義や大義において起こりえる。

[人間や生物の全体の生存を名目として掲げる全体主義のようなもの]

  今後ますます、地球環境は悪化し資源は枯渇し、世界の人口は増大し続け地球で辛うじて維持できる人口に達し、そのような状況の中で経済と市民の生活は逼迫する。そのような状況の中でも、わたしたちは環境を保全し資源を保全し有効利用し経済を安定化させ市民の最低限度の生活を保障しなければならない。そのためには公権力は総合的な政策を立案し実行する必要がある。そのような総合的な政策の立案と実行は、社会権の保障に含まれ、国家権力の社会権を保障する人の支配系(S系)の機能に含まれる。今後はS系は精一杯、機能しなければならない。そのような状況の中では。その総合的な政策の立案と実行の必要性を、何者かが全体主義のようなものにこっそりすり替える恐れがある。つまり、人間や生物の全体の生存を名目として掲げる全体主義のようなものが出現し、自由権と民主的分立的制度を破壊し独裁、世界大戦、全体破壊手段の使用…などに走る恐れがある。
  繰り返すが、そのような総合的な政策の立案と推進は社会権の保障に含まれS系の機能に含まれる。そのような全体主義のようなものに走ることは社会権からの逸脱に含まれる。自由権と民主的分立的制度がなければ、政府の政策が、批判されず議論されず、偏向し、社会権の保障や人間や生物の生存のためにも適さないものになる。また、それらがなければ、政治的権力者と経済的権力者の癒着汚職が抑制されず、彼らが総合的政策に自分たちの利権を混入させ、ただでさえ困難な総合的政策の立案と実行は不可能になる。そのような状況の中では古い共産主義または社会主義が引き起こしたものより恐ろしい失敗と災難が生じえる。

[社会権からの逸脱の予防]

  それぞれの国家権力が自由権を保障する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立しているとき、上のような共産主義、社会主義、全体主義のようなもの…を含む社会権からの逸脱を予防することが以下のように可能になる。
  社会権や人間や生物の生存を保障するためには総合的な政策が立案され実行されなければならないことは確かである。そのような総合的な政策の立案と推進はS系の中でL系が擁護する言論の自由とS系に特有の人間的な民主制をもってなされる必要がある。国家権力がL系とS系に分立されているとき、そのような総合的な政策の立案と推進にL系は干渉することができない。それを妨げるものがあるとすれば、何ものかによる言論の自由と民主制の侵害である。L系はそれらを侵害することができず擁護することができるだけである。簡単にいって、L系は地味で地道にそれらを擁護していればよい。他方、独裁、全体主義…などに走るための最大の力である公的武力はL系に属し、S系は利用も乱用もできない。また、S系において適正な政策の立案と推進を阻害する政治的権力者と経済的権力者の癒着汚職をL系はより厳格に捜査し告訴できる。かくして、L系とS系の分立は、社会権からの逸脱を防ぐとともに社会権の保障を最大化する。これは生存と自由を両立させるための決定的方法である。
  それらの二系への分立が二十世紀前半に実現されていれば、資本主義と共産主義の激しい対立も冷戦も核兵器を含む驚異的な軍拡もなかっただろう。諸国の国家権力のL系の公務員はS系の派手な論争が聞こえるなかでも地味で地道に自由権と民主的分立的制度を擁護していただろう。国家権力のそれらの二系への分立は現在と未来の諸問題に対応するだけでなく、過去の諸問題にも対応できた。

社会権を保障する人の支配系が陥りがちな弊害が自由権を擁護する法の支配系に及ぶことの予防

  前述のとおり、自由権を擁護する法の支配系(L系)においては、厳格な民主的分立的制度(政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配)が機能する必要がある。それに対して、社会権の保障とは簡単にいって、市民の日常的な欲求を満たすことであり、社会権を保障する人の支配系(S系)においては人間的な民主制が機能する必要がある。だが、同時に、S系は世論操作、大衆迎合、多数派の横暴、極端な国益追及、情報科学技術の産物の乱用、情報科学技術の産物が制御不能になること…などに陥いりやすい。さらに、一回限りの熱狂的な選挙で一時的に支持を集めた政治家や政党が独裁、全体主義…などに走ってしまう恐れさえある。それらが人の支配系が陥りやすい弊害である。国家権力をL系とS系に分立し、両者の間の溝を深くすることによって、後者が陥りやすいそれらの障害が前者に及ぶのを防ぐことができる。

巨大な権力の解消

[従来の大統領や首相の解消]

  そもそも警察、軍…などの公的武力、外交部門、社会権を保障する人力と財力を含む行政権のすべてが従来の大統領や首相に集中していたことが間違いだったことが分かる。この分立によって公的武力と外交の一部が自由権を擁護する法の支配系(L系)に編入され、行政権のそれ以外の部分が社会権を保障する人の支配系(S系)に編入され、前者がそれぞれ自由権を擁護する法の支配議院(L議院)の委員会によって管理され、後者が行政権のSの部分の長官によって管理されることによって、従来の大統領や首相は解消される。この解消によって、彼ら彼女らが主導してきた国益のための戦争、独裁、全体主義への暴走、全体破壊手段の研究、開発、保持…などを予防できる。

[いわゆる軍産複合体の解消]

  いわゆる「軍産複合体」は冷戦以前からあったのだが、冷戦初期に強く意識されそう呼ばれるようになった。それは実質的には(1)軍(2)軍を掌握する文官(3)兵器等を開発する科学者と技術者とそれらの研究所、そして(4)兵器等を製造する公私の企業の複合体である。それらは「軍官学産複合体」と呼び直せる。(1)(2)は権力の拡張を求め(3)は権威と名誉を求め(4)は利潤を求めて、その複合体はひとりでに拡張し、不必要な兵器、特に全体破壊手段を生産し続ける。国家権力をL系とS系に分立することによって、その複合体の構成要素のうち(1)(2)はL系に属し(3)(4)はS系の下にあり、その複合体は解消する。もう少し詳しく見てみると、それらの二系への分立によって、文官としてL系の中の文官だけでなくS系の中の文官(5)の存在が明らかになり、それらの文官(5)が(3)(4)を管理している。(5)の機能は、破壊的ではなく平和的な科学技術を促進することである。それらの二系への分立によって(5)は(1)(2)から独立している。(5)と(5)によって管理される(3)(4)は(1)(2)への協力を断ることができる。そのように(5)が楔となって軍官学産複合体はほとんど解消する。さらに、従来の大統領や首相は解消しており、(1)(2)と(5)の両方を統括する者は存在せず、軍官学産複合体は完全に解消する。
  二十世紀に核兵器の研究、開発、製造を主導してきた、そして、今後は全体破壊手段全般の研究、開発を主導するであろう軍官学産複合体の解消はそれらの全廃予防のための決定的方法の一つである。

[国益のための戦争の予防]

  国益のために戦争に走ることは前述の社会権からの逸脱に含まれるのだが、ここでも取り上げる。
  従来の制度では、戦争を始める権限は従来の大統領または首相に集中していた。この分立によって彼または彼女らはもはや存在しない。この分立によって、戦争を始める権限が、どこかにあるとすれば、自由権を擁護する法の支配系(L系)の中の自由権を擁護する法の支配議院(L議院)の中にある。しかも、その戦争は自国の市民の自由権と民主的分立的制度の擁護のためのもの、つまり、国防と集団安全保障のためのものに限られる。そのように、まず、L系において国益のための戦争は除外される。さらに、国益の追求の権限が、もしどこかにあるとすれば、社会権を保障する人の支配系(S系)の中にある。だが、S系は国益のためであれ国防のためであれ戦争全般を始める権限をもっていない。しかも、この系は戦争によってではなく、国際社会における交渉によって国益を追求しなければならない。そのように、S系においては国益のためのものを含む戦争全般が除外される。繰り返すが、この分立によって従来の大統領や首相のようなL系とS系の両方を統括する者はどこにもいない。そのように、この分立によって国益のための戦争を始める権限をもつものはどこにもいない。だから、この分立によって国益のための戦争はかなりの程度まで予防される。ところで、歴史上、ほとんどすべての戦争に国益が絡んでいた。この国益のための戦争の予防、前述の従来の大統領や首相の解消、軍官学産複合体の解消…などと合わせて、この分立によってほとんどの戦争がかなりの程度まで予防される。
  また、過去の戦争のいくつかにおいて、政治的経済的権力者が国益を誇示し民衆を煽り民衆とともに戦争に突き進んでいったことは否定できない。それぞれの国家権力がL系とS系に分立しているとき、戦争に係る代表者と国益に係る代表者はそれぞれ別個に選挙され、前者は自由権と民主的分立的制度の擁護のための政策を、後者は社会権の保障のための政策を提示することができるだけであり、そのような扇動による戦争への傾向はかなり減退する。

公的武力に対する二重の文民支配

  軍、警察のような公的武力は自由権と民主的分立的制度を侵害し独裁、全体主義…などに暴走する最も直接的で最強の権力であったし、これからもそうだろう。権力の抑制においては最重要点である。
  公的武力とそれらを監督する文民は自由権を擁護する法の支配系(L系)の中で厳格な民主的分立的制度によって抑制される。
  また、国家権力をL系と社会権を保障する人の支配系(S系)に分立しているとき、S系がL系の公的武力を含む機構の違憲違法な動きに協力する可能性はほとんどゼロになる。
  さらに、暴走する公的武力またはその乱用者に対して、S系は提供してきたサービスまたは認可と預かっていたカネを停止するまたは停止を暗示するというそれに固有の権力をもって抑制することができる。例えば、軍が暴走しても、S系はそれらに提供していたカネ、電気、ガス、水道、通信手段、情報そのもの…などを停止すれば軍は弱体化する。公的武力もそれらの施設を確保する重要性を認識するだろう。だが、この分立によってL系に属する公的武力がS系が管理するそれらの施設を確保することはさらに困難になっている。
  そのようなサービス等を停止する権力とその行使について多少の法的論争は生じるだろう。そのような論争を防ぐためには公務員と公的機関が違憲違法行為を行うとき、社会権を保障する人の支配系はそれらへ提供していたサービスと認可とそれらのために管理していたカネを停止する権利と義務をもつと規定する必要がある。
  民主的分立的制度という権力と、サービス等を停止するという権力はかなり異質な権力である。そのような異質な権力は互いを邪魔せず効率的に公的武力とそれを監督する文民を抑制することができる。それらを公的武力に対する「二重の文民支配」と呼べる。それは国家権力をそれらの二系に分立することによって格段に明確さと効果を増す。

国家権力の市民と公務員にとっての明確さと効率性の増大と公的経費と税金の減少

  国家権力の過度の分立または分岐は市民と公務員にとっての国家権力の明確さを低下させ、その効率を低下させ、公的経費と税金の増大させる。特に過度に分岐した行政権がそうである。
  だが、自由権を擁護する法の支配系(L系)においては厳格な民主的分立的制度が機能する必要があり、そこでの三権分立と警察と軍の分立は不可欠である。
  それに対して、社会権を保障する人の支配系(S系)、特にS系の行政権のSの部分では厳格な分立は不必要であるだけでなく不適切である。繰り返すが、この系では総合的な政策の立案と効率的な実行が必要である。過分立や分岐を防ぐどころか、人の支配系の行政権は一つの機構になってもよい。そのような一つの機構になってもよいようなものが従来は細分化され、公的な非効率と経費と税金の増大を招いていたのである。この分立はそれらを減退させる。
  以上のようにこの分立は分立の要点を明確にし過分立と分岐を防ぐことによって、公的明確さと効率性を増大させ、公的経費と税金を減少させる。

構築、解消、拡大、縮小、抑制、促進と議論の重点を明確にすること

  民主的分立的制度(政治的権利を含む民主制、三権分立制を含む権力分立制、法の支配)が構築されておらず、自由権が擁護されていない国家においては、まず、市民は独裁的制度を解消し自由権を擁護する法の支配系(L系)を構築し、構築後も油断をせずそれを維持する必要がある。社会権があまり保障されていない国家においては、市民は社会権を保障する人の支配系(S系)を促進する必要がある。S系が拡大し過ぎて税負担が大きい国家においては、市民はその系の行政権のSの部分を統合しつつ縮小する必要がある。公的経費と税金の増大の主因は行政権のSの部分の肥大化と過度の分枝にある。前述のとおり、その部分を縮小するだけでなくできるだけ統合する必要がある。
  だが、軍拡も公的経費と税金の増大の原因の一つである。だが、一方で社会権の保障と、他方で国防と集団安全保障と軍縮…などを含む自由権と民主的制度の擁護は全く別に議論され処理される必要がある。それらを別に議論し処理するためにも、国家権力がそれらの二系に分立する必要がある。
  そのように国家権力が自由権を擁護する法の支配系と社会権を擁護する人の支配系に分立しているとき、構築、解消、拡大、縮小、統合、分立、抑制、促進、議論の重点が明らかになる。

適材適所

  自由権を擁護する法の支配系の人材としては厳格な人が適している。それに対して社会権を保障する人の支配系の人材としては臨機応変な人が適している。上の階級に行けば行くほどそれらのことが言える。階級が人々によって選挙されるようなもの、例えば、立法権の議員であるとき、それらのことが最も言える。
  市民はそれらを自由に選挙するべきだが、それらの適性によって選挙するのも自由である。国家権力をそれらの二系に分立し、それぞれの系の人材が市民によって直接的にせよ間接的にせよ別個に選ばれるとき、適材が適所に選出される可能性は大きくなる。
  もちろん、選挙を含む民主制がない状態では、それらの適性よりむきだしの権力闘争のための能力と手段をもつ者が公権力を獲得する。民主制があっても、選挙に勝つ能力と手段をもつ者が公権力を獲得する。だが、選挙においては候補者は目指す地位への適正をある程度は提示せざるをえない。選挙はむきだしの権力闘争よりマシである。
  また、選挙においては、候補者は公約として政策を提示せざるをえない。ここでS系の候補者は経済的豊かさを、L系の候補者は安全保障を、誇示して大衆に迎合する傾向にある。この分立がなく、従って選挙における分立がないとき、それらの二種類の政策が軍拡、国益のための戦争などの社会権からの逸脱と全体主義的な方向に総合され、大衆を煽りやすい。国家権力がそれらの二系に分立されているとき、そのような有害な総合と扇動は困難になる。
  例えば、過去の民主制における大統領の選挙の中では、「派手で美味しそうな経済政策を見せびらかしているが、あれこれに軍の指揮権まで与えていいのだろうか」という不安が有権者によくあった。この分立はそのような不安も解消する。

公権力と経済的権力の癒着と汚職の予防

  いわゆる軍産複合体(軍官学産複合体)については、国家権力のそれらの二系への分立により解消されることを説明した。一般の政治的権力者と経済的権力者の癒着と汚職を予防する方法をこの節で説明する。
  そのような癒着と汚職は国家権力の自由権を擁護する法の支配系(L系)より社会権を保障する人の支配系(S系)で生じる可能性が大きい。何故ならS系はほとんどの経済的権力の機能を放任または認可または規制する立場にあるからである。
  分立のいかんに係らず、公務員を含む一般市民、公務員、公私機構の違憲違法行為を捜査し公訴するのは警察・検察である。国家権力がL系とS系に分立しているとき、警察・検察はL系の中で厳格な民主制、厳格な三権分立制、厳格な法の支配によって抑制され、警察・検察も厳格にならざるをえない。他方、経済的権力と癒着しやすい機構はL系の外のS系の中にある。だから、前者は後者を捜査し公訴しやすい。だから、この分立は公権力と経済的権力の癒着と汚職をかなりの程度、防げる。

最後の手段

  この自由権を擁護する法の支配系(L系)と社会権を保障する人の支配系(S系)への分立によって、警察、軍…などの公的武力とそれを乱用しえる文官はL系の中で厳格な民主的分立的制度によって抑制される。だが、依然、公的武力は戦争、独裁、全体主義…などに暴走する最強の権力であると認めざるをえない。それらが単独でまたは文官に乱用されてそのようなものに暴走する恐れはわずかにでも残ると認めざるをえない。だが、もし公的武力が暴走または乱用されたとしても、前述のとおり、S系に固有の提供していたサービス等を停止するという権力が、この分立によって明確になり強力になっている。繰り返すが、それらが暴走するまたは乱用されるときには、S系は兵器製造のための物資と水道、ガス、電気、港湾、空港、情報、情報通信網とカネ…などを停止するだけでよい。
  繰り返すが、(1)公的武力とそれを掌握する文官は、L系において(2)厳格な民主的分立的制度によって抑制されるとともに、(3)サービス等を停止するというS系に固有の権力によって抑制される。それが前述の二重の文民支配である。それはあくまでも「二重」の文民支配であることが望ましい。だが、もし(2)が破綻した場合、(3)は単独で機能せざるをえない。(3)は現代社会においては強力であるし、今後ますます強力になるだろう。(3)が単独で機能することはいわゆる最後の手段である。

参考文献

生存と自由(日本語訳)

それぞれの国家権力を自由権を擁護する法の支配系と社会権を保障する人の支配系に分立すること(日本語訳)

感覚とイメージの想起

自我と自我の傾向

悪循環に陥る傾向への直面

特定のものと一般のもの(日本語訳)

小説『二千年代の乗り越え方』(日本語訳)

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